語彙は交易路を行きかった
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日本語の語彙には、漢語語彙以外にも多くの外来語語彙がみられる。 それらをつぶさにみると、大陸の交易路を実に多彩な系統の人々が行きかい、それにともなって語彙も一緒に移動したことが分かる。 その実例をこれから探って行こう。
日本語の(遥か)と同系とみられる語彙は、遠くオランダにまで及んでいる。 日本語 haruka(ハルカ)=遥か 韓国語 howlssin(ホルシン)=遥か モンゴル語 alsaas(アルサス)=遠隔に フィンランド語 kaukainen(カウカイネン)=遠く エストニア語 kaugel(カウゲル)=遠く離れた ドイツ語 abgelegen(アプゲレン)=人里離れた オランダ語 afgelegen(アフレイシャ)=遠隔の 英語 disengage(ディセンゲイジ)=離れる(※この英語は?印) 語頭のkar音はエストニア語まで明確だ。 ドイツ語とオランダ語は、ah音に変化しているが、(遠く離れた)の意味は変化していない。 モンゴル語のalはk音が落ちたものだろう。 この流れをみると、(遠い)を意味するhar音の語彙は、ウラル語系のフィンランド語話者が北欧に到達して、そこでゲルマン語に取り入れられた可能性がみえてくる。 フィンランド語話者は、8000年前に満州の遼河から西進したことが分かっており、ドイツ語のabgelegen(遠い・人里離れて)の原郷は満州であることが分かる。 そうなると、ドイツ語のabgelegenは日本語の(遥か)と親戚くらいの同系語ということになる。 語彙は、実に遠くまで移動するものだ。 もうひとつフィンランド語の語彙をみてみよう。 フィンランド語 yo(ヨ)=よる。 ヨーロッパ各国の(夜)の語彙は、皆よく似ている。 ロシア語 noch ベラルーシ語 noc ポーランド語 noc チェコ語 noc ブルガリア語 noapte スウェーデン語 natt ノルウェー語 natt デンマーク語 nat ドイツ語 nacht 英語 night フランス語 nuitイタリア語 notte これらは、いずれもラテン語のnoctis(夜)の派生語のようだ。 このラテン語由来の(夜)の語彙の中に、フィンランド語のyo(夜)の語彙だけが一つ浮かんでいるのだ。 一体、どういうことなのか。 そこで思い起こすのが、日本語だ。 日本語 yo(ヨ)=夜 フィンランド語のyo(ヨ)=夜とまったく同じ。 宵(よい)のyoも、夜(よる)のyoと同じだ。 フィンランド語のyo(夜)と日本語のyo(夜)はまったくの同系語彙だろうか。 そこで、近隣をみてみると、 韓国語 jeon nyeog(チョニョク)=夕方。nyeogは(〜の晩)の意味なので、nyeo(ニョ)が夜を表している。 モンゴル語 shon(ション)=夜。sho(ショ)に夜の意味があるようだ。 いずれもよく似ており、フィンランド語と日本語のyo(夜)と同系のようにみえる。 フィンランド語の原郷が満州であることを考えると、ヨーロッパでぽつんと一つ浮かんでいたyo(夜)の語彙が、このように日本、韓国、モンゴルとともにyo(夜)の語彙圏を形作っていることが分かった。 yo(ヨ)=夜の語彙が共有される同盟圏とでもいえそうだ。 ttps://www.sanspo.com/geino/news/20181119/tro18111917150009-n1.html 先日、更衣室に温度計型カメラ仕掛けて、捕まった高校教師が居たが、 恐ろしいのは、これが、ほんの氷山の一角ということだな 最近のカメラはエグイぞ ・レンズ径は1_未満→温度計、壁フック、置時計、壁時計、リモコン、電源コード、 汚物入れ、芳香剤などに偽装しておけば、まず見つからない ・遠隔でスイッチON可能、wifiで映像の送受信可能、動体検知機能付 →例えば、月曜の早朝、誰も居ないときに仕掛けて、金曜日の放課後に回収ということも可能。 動体検知すれば、獲物が来たときだけ撮れるので、「電源切れで回収」までの時間稼ぎができる。 つまり、万が一、カメラが発見されても、「いつ、誰が仕掛けたか」の証拠が残りにくい この教師は、ネットに動画アップするなど馬鹿やって捕まったが、 こんなのは、100匹潜んでるゴキブリを、1匹捕まえたに過ぎない もともと、盗撮で捕まるなんて、街中でスマホ使ってスカート逆さ撮りとか頭悪いことやってる奴くらいで、 本当に上手くやってる奴は、全く捕まらず、撮り続けているだろうね だって、小型カメラ(ネットで簡単に検索可能、価格1~2万)買って、偽装して、更衣室、トイレに置くだけで良いからな 全国には、男性高校教師が10万人くらい居るとして、その内、小型カメラの存在を知って実行してるのが1割とする 1人が10年くらいかけて1000人のJKを盗撮したとすれば、 日本にあるHDDには、1000万のJKのトイレ、更衣室映像が眠ってるという話になる 中学教師、バイト先のコンビニ店長なども加えると、物凄い数だろう ヒント:迷惑防止条例違反の時効は3年だから、しばらく寝かしてから上げれば、捕まることはないよ。証拠も残ってないだろうし >>9 そんだけの技術と時間をついやして撮る対象が、高校生の女の着替えのドキュメントか。 更衣室の女が別嬪ばかりとは限らんしな。 映ってほしくないのが映っていたらどうすんの。 そんなのより、戦争現場のドキュメントのほうが超興奮モノだぞ。 >>9 他のやつが仕掛ける姿が盗撮されまくってもいるんだな 日本国大君→tycoon china,japan→それぞれ磁器、漆器 みたいなスレかと思ったのに違うみたいだな 日本に流れ込んだ西方語彙は、カザフ平原を東西に通る古シルクロードと、ペルシャ・インド方面からの北上交易路が合流するウイグルのウルムチを経て、モンゴル→満州→朝鮮→日本のルートに乗ってやってきた。 さる情報では、和銅開珎がウクライナで発見されている。 日本から古シルクロードを通って運ばれたのだろう。 また、アルタイのパジリク遺跡では、勾玉を飾った馬に乗る人物を織り込んだ壁掛けが墓から出ているそうだ。 こうした商品とともに語彙も移動したということだ。 もちろん、人集団もこの交易路を移動して日本にやってきている。 ユダヤの超正統派と同じ帽子・もみあげ巻き毛の人物埴輪が、千葉県芝山の6世紀後半の墳墓から出土したのは印象的だ。 チュルク系の数詞3の発音は、どこも同じ。 トルコ語us、ウズベク語uchta、カザフus、キルギuc。 だいたい数詞3は、(ウス)の発音。 このチュルク語の数詞3(ウス)が、どうやら日本でみられるのだ。 出雲大社の本殿の柱のうち南北二柱を宇豆柱(うずばしら)と呼ぶが、本殿地下室拡張工事の際に巨大な柱の幹部分が出土し、これが鎌倉時代に造られた本殿の宇豆柱であることが分かった。 さらに驚かせたのは、この柱は三本の樟の柱を束ねてひと括りにしたものだったこと。 巨大な柱を立てて、本殿の南北の二つの棟を支えていたのだが、その柱は三本の樟を鉄枠で束ねて一本の柱としていた。 この三本の樟の巨大柱を宇豆柱と呼んでいるのだが、宇豆とは(立派な、素晴らしい)という意味だとされている。 本当にそうなのか。 ここで思い起こしてほしいのは、中央アジアのチュルク語では、数詞3は(ウス)だった。 そして、出雲大社の三本の柱を一つに束ねた巨大柱の呼び名が、(ウズ)柱である。 ということは、出雲大社本殿のウズ柱は、(3本の柱)という意味である可能性が出てくるのだ。 つまり、(宇豆)はチュルク語由来だということになる。 数詞の三はミツとも読み、そのミは(満ちる)のミだろう。 三(ミツ)は(いっぱい)を意味し、(いっぱい)であることは(素晴らしい)(立派)であることにつながる。 (宇豆)の意味が素晴らしい、立派であることとされるのは、まさに(宇豆)の原義が(三=3)であるからだと考えることができる。 秦氏が雄略天皇に絹をうず高く積み上げて奉げたことから、(うずまさ=太秦)の号を与えられたとされる。 (うず高く)のウズが、(いっぱい)を意味していることは言うまでもない。 ウズ=いっぱい=三(3)ということなのだ。 このチュルク語の数詞3=ウスを日本にもたらしたのは、誰なのか。 >>15 追加 三本柱の鳥居が、どこかにあるらしいな。 >>15 悪い事は言わん、スカート逆さ撮りだけはやめとけ 今や、ミニスカの後ろに男が付いただけで怪しまれるレベルだぞ いくら鞄や沓でカモフラージュしたところで、 どうしても、スカートの下に潜り込ませる必要があるから、 バレる可能性が高くなる それに、今ミニスカ履いてる女なんて、殆どが、スパッツや見せパンでガードしてる やるなら、トイレ盗撮にしておけ 「小型カメラ」「スパイカメラ」で検索すればいっぱい出てくるけど、 最近のカメラは凄いぞ レンズは針の穴のようで、まず見つからないし、 遠隔でスイッチON/OFFが可能、wifiで映像の送受信が可能だから、 万が一バレたところで、「いつ誰が仕掛けたか?」の証拠が残りにくい スマホ盗撮で逮捕されてる奴が馬鹿すぎて笑えるくらいだよ 盗撮 ヒンディー語 gupt philmaakan(ガッツリ ヒルマカラ)、だって。 追・追加 三本柱の鳥居の本拠地は、京都太秦(ウズマサ)の木嶋神社。 まさに、ウズの鳥居。 追追・追加 ユダヤ人は、紀元前4世紀からトルコに住んでいた。 それ以降、ずっとユダヤ人はトルコで暮らしている。 東欧などのアシュケナージの祖先の90%が、トルコの北東部にあるコミュニティーの一員であったことが判明しているそうだ。 紀元1世紀頃にユダヤ教に改宗したというもの。 ユダヤ人の中には、歴史的にトルコ語に馴染んでいた者たちがいた、ということである。 追追追・追加 ユダヤ教では、数字の3は神聖なる意味を持つシンボルだそうだ。 語彙の探査は、古シルクロードを行きかった連中のひとつ一つを浮かび上がらせる。 秦氏は、チュルク語を話すユダヤ人であった可能性がある。 この観点からすれば、諏訪大社の四本柱、千葉県芝山の人物埴輪も、東方行のひとくくりの話として理解できることになるかも知れないな。 わははははは。 で、ユダヤ人がなぜ東方をめざしたか、というその理由だが、どうやら、旧約聖書イザヤ書24章15節に「それゆえ、東で主をあがめ、海沿いの国々でイスラエルの神、主の名をあがめよ」という預言があることによるようだ。 神に滅ぼされたのちに残った者たちは、そうせよと預言がなされているわけだ。 その「東で主をあがめ」「海沿いの国々で主の名をあがめよ」とある東の海沿いの国々が、日本だと解釈される。 このイザヤという預言者は紀元前8世紀の人物のようだ。 この預言の結果が、秦氏や諏訪大社の四本柱、千葉県芝山の超正統派の埴輪の存在だという理解になる。 インターネットでワイワイやっているのは、こういう背景があるのだろう。 だが、その秦氏はチュルク語を話すユダヤ人であるというのが正解であり、それはチュルク語の数詞3(ウス)の存在によって証明されるのだ。 わははははは。 >>26 やってきたチュルク語を話すユダヤ人たちは、一神を信じる者たちなのに、なんで秦氏はいろいろな神を祀っているのか、という問いだと思うが、秦氏が祀ったと思われる本拠地の木嶋神社をみてみよう。 木嶋神社の正式名は木嶋天照御魂神社で、この天照神は尾張氏が祀る天火明神だろうとされている。 元々この地には尾張氏系の者たちがいて、その後に入った秦氏がそのまま祀ったのではないかとする説が有力だ。 とすると、秦氏は天照神には関係していず、その神社の境内の泉に設けた三本柱鳥居が秦氏の信仰の表明ではないかと考えることができる。 4は、3に次ぐユダヤ人の聖数で、4柱で形作る長方形は神の所在する天国を表しているとされる。 とすると、諏訪神社の四本の御柱は、その長方形と考えることも可能だ。 彼らにとって大事なのは、あくまでその神なので、その他の神を祀るのは日本に同化したことの証だととらえればよいのではないか。 彼らは、いまでもその神を祀っているのではないか。 …と、このように考えることも可能だな。 世界の刀剣の中で、日本刀は秀逸だと評価される。 この日本刀の一般名称は、(katana=カタナ)。 カタナの語はカタ・ナの構成で、(片・刃)の意だとされる。 だが、刃はハであって、ナへの変化はそうとう無理がある。 カタナ=片刃説は、本当か。 そこで、インド・ヒンディー語説。 ヒンディー語 kaatana(カータナ)=切断 このほかに、 パンジャブ語 katana(切る) ベンガル語 kata(切る、切断) ネパール語 katne(切る、切断) がある。 つまり、日本語の(カタナ)は、ヒンディー語由来の可能性が濃厚だ。 そして、このヒンディー語のkatanaは、英語のcutとも同系だろう。 ということは、日本語のカタナと英語のcutも同系ということになってくるのだ。 わははははは。 このヒンディー語のkaatana(カータナ)の語彙などは、刃物の交易とともに日本に入ってきたものだろう。 どのルートで入ってきたものか定かでないが、インド→ウルムチ→モンゴル→満州→朝鮮半島→日本が想定される。 一方、日本側では、(カタナ)の語彙は、「徒然草」の中に見え、「よき細工は、少しにぶきかたなを使うといふ」とある。 腕のよい細工師は、少し切れ味の鈍い小刀を使う、という意味。 当初は、小刀のことを意味したようだ。 「徒然草」は鎌倉時代末期にまとめられたそうだから、(かたな)の言葉はそう古くからあるものではないようだ。 古墳時代の人物埴輪には、脇差をさしているものがみられるが、この脇差を何と呼んだのかは分からない。 いずれにしても、「徒然草」にみえる(かたな)と、(切断・切る)という意味を持つヒンディー語のkaatana(カータナ)は同系の語彙であり、刃物の交易で日本語に取り入れられたものである確率は低くない。 外来語と分からずに土着化しているケースは少なくないようにみえる。 >>29 追加 万葉集には(剱大刀、劒刀)の字がみえ、万葉仮名では(都流伎多智、都流伎多知)がみえるそうだ。 これからすると、刀は(タチ)と呼んだことが分かる。 (カタナ)はみえない。 追・追加 平安時代から登場した武具に、長刀(薙刀)がある。 読みは、(ナギナタ)。 刀は、(ナタ)と呼ばれている。 この(ナタ)は、薪を割るときに用いたりする(ナタ)と同じであろう。 ここでも、(カタナ)ではないようだ。 要するに、日本語語彙の語源については、一度洗いなおしてみる必要がある、ということだ。 外来語が語源であることについては、これまで漢語、朝鮮語、ツングース語あたりにしか手を広げていなかったが、実態としてはユーラシア大陸全域と中国南部、台湾、フィリピンなど南方域の語彙との関連性が重要だということだ。 タミル語説はその先鞭であったが、へんな結末となってしまった。 本来は、その時期に本格的な調査が必要だった。 まあ、学者先生方は、今からでも遅くないので、頑張っていただきたいものだ。 日本語の語彙の語源を日本語の中から探すことは、限界がある。 例えば神話に語られている語彙などは、その神話が記録された時点ですでに語源が分からなくなっている例が多い。 日本の神話で重要な位置を占める神に(宇迦の御魂=ウカノミタマ)があり、食物神の名であるが、そのウカの語源がまったく不明なのだ。 丹後の籠神社が祀る食物神に豊受比売(トヨウケヒメ)神があるが、このウケもウカと同系の言葉だが、食物神の名がなぜウケなのか分からない。 そこで、日本語による語源探索をせずに、外国の神との関連を探ってみると、フィンランドの神話の神との関連性が浮かんでくる。 フィンランド語 ukko(ウッコ)=最高神の名 このウッコ(ukko)神は、元々は収穫物の神だったとされている。 また、フィンランド語では、食物を意味する語彙はruoka(ルオカ)で、食物神であるukkoとよく似ている。 同源の言葉にのだろう。 そして、日本のuka(ウカ・宇迦)=食物神とフィンランドのukko(ウッコ)=収穫物神は、発音も意味も非常によく似ている。 日本神話のこの宇迦神は、その生まれる様子から南方系の神ではないかとされているが、フィンランドのukko(ウッコ)と関連があるのであれば、フィンランド人の原郷が満州にあることからして、宇迦神は南方系よりも北方系の神である可能性が出てくる。 このように、日本の宇迦(ウカ)の御魂の名が、フィンランドの収穫物の神であるukko(ウッコ)神の名と同系であるとすれば、宇迦(ウカ)の語源を明確に(食物)という意味に求めることが可能になる。 日本の古代の神の御名の意味に光が当たることになるのだ。 神話から歴史の現実的なリアリズムになった歴史上のきっかけとなる出来事はなんなのだろうね。 >>35 神話は、元々は部族の由来を表す物語だったのだろう。 これが、現実の歴史に物語としてではなく、実効を持つパワーとして登場するようになるそのきっかけは何だったのかという意味だと思うが、日本において実効を持つパワーとして神話が登場するのは5世紀頃だろう。 例えば、伊勢に天照大神が祀られ、住之江に筒男神が祀られ、それまで博多の安曇族が祀っていた綿津見神が住之江の筒男神とセットで朝鮮半島への航路の守り神として祀られるようになる。 天照と筒男は土着の神ではなく、外から伊勢や住之江にやってきて鎮座する。 その遷座を行ったのは応神天皇を始祖をとする政権だったと思われる。 この移動する神の登場が、部族神話の神から現実世界において実効を持つパワーとしての神への転換点だったとみられる。 この転換のきっかけが何かということだが、部族制が完全に消失し、代わって氏族制の社会が現れたことにあると考えられる。 氏族は、それまでの部族神を自らの氏族の神として祀るようになり、その氏族自体は都合によって所在地を移動するため、氏族神も一緒に移動するようになる。 こうした氏族の登場と、移動する神の登場とは軌を一にしている。 天照大神や筒男神がよそから移動してきてそこに鎮座するのには、こうした背景がある。 安曇族の綿津見神も、安曇氏の氏族神へと変化する段階で、神格が変化して政治的な性格を持つようになる。 そして、この移動する神は、氏族の政治世界での活動を守護支援する現実のパワーを持つようになる。 これが、日本の歴史上に実効を持つ神が登場した背景だと考えることができる。 非常に難しいテーマであるが、上記は一つの考え方に過ぎない。 8000年前の満州に出自を持つフィンランド語話者のYハプロは、N。 このNは、その後満州の乾燥化によって、4500年前頃から離散しはじめた。 その結果、Y-Nは、日本で1.5%、朝鮮で2.6、満州で5.7、モンゴルで8.0、華北漢民族で9.1、華南漢民族で15.0、イー族30.2などの頻度が検出されている。 日本の神話に食物の神であるウカ神(宇迦神)がみられるのは、このNの離散によって、日本に流入した神話である可能性もある。 しかし、実は、フィンランドのウッコ神が縄文由来の神である可能性も捨てきれない。 8000年前には、済州島の九州系縄文人が満州に到達していた可能性もあるからだ。 どちらにしても、フィンランドのウッコ神と日本のウカ神(宇迦神)の神名が同系である確率は非常に高いと思われるのだ。 わははははは。 >>37 その程度なら、まだ可愛いもんだろ 究極は、校内一の美少女(仮名:さやかちゃん)が放課後、視聴覚室に呼び出されて、 「ちょっと君に、見せたいものがあるんだけど・・・」とおもむろに巨大プロジェクターに映し出されたものは、何度もリピート再生される自分の脱糞映像 「これを、住所、氏名、年齢、電話番号、所属高校を明かした上でネットに晒したらどうなる?高校にも通えず、将来はAV女優だね」「先生の言うことを聞くか、AVに出てウンコを食うか、好きな方を選びなさい」 変態ロリコン教師(35)のことだから、口封じも兼ねて相当屈辱的なプレイを強制しそうだ 自ら指で広げさせて、「これから、高校○年生○○さやかの処女膜は、先生のオチンチンで破られます。先生、どうかオチンチンをさやかのおマンコに挿入してください」 「さやかは、今日、生まれて初めてオチンチンを挿れられて、おマンコがすごく気持ち良かったので、オチンチンのことが大好きになりました。 だから、この動画を見ていてオチンチンの付いてる人は、さやかを犯してください。 さやかは、島根県○○市○○、○丁目○ー○○、○○ハイツ○○○号室に住んでるので、全国からさやかをレイプに来てください。SMやスカトロプレイも大歓迎です。」 「さやかは臭いチンポが大好きなので、これから、先生が三日三晩風呂に入らなかったオチンチンをおしゃぶりさせていただきます。 亀頭に付いたチンカスや睾丸、肛門まで、全部ねっとりと舐め取ります。精液や小便も大好物なので、一滴残らず飲み干させてください」 >>38 文学的才能ゼロだな。 もう少し周りの情景描写して、窓の外の日暮れ近づく様子も入れ、翳りが深まる時間と美少女の苦悩の深まる様子がリンクするようにしなければ。 そして、窓の外の塀の上をネコが一匹通り過ぎる影を入れて、もう絶望的に世間から隔絶された二人の深い奈落に思いを致させるようにする。 そこで、ガタンとイスをずらして、教師の影が立ち上がる。 重苦しい無言の時が流れる…。 オメみたいなハードじゃ、タツものもタタンわな。 わははははは。 >>39 理想の排便は、@毎日、もしくは2日に1回出る、A排便時間が3分以内、B毎日、同じ時間に出る。さらに、量、形、色が重要で、量は300g以上、形はバナナ状、色はきれいな茶色や黄金色、ふんわりにおう程度がいいとされる。 >>40 ヒトラーも、糞便愛好者だったらしい。 ヒトラーも、自分の糞便を顔に塗りまくったのかもな。 ついでに、包茎チンボにも塗ってみろ。 超絶快感の至高悶絶郷だろな。 ただし、風呂場でやれ。 流すの簡単じゃ。 ◎長木よしあき(東京都葛飾区青戸6−23−20)の告発 「宇野壽倫の嫌がらせがあまりにもしつこいので盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者の実名と住所を公開します」 【盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者の実名と住所】 @宇野壽倫(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202) ※宇野壽倫は過去に生活保護を不正に受給していた犯罪者です A色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103) ※色川高志は現在まさに、生活保護を不正に受給している犯罪者です B清水(東京都葛飾区青戸6−23−19) C高添・沼田(東京都葛飾区青戸6−26−6) D井口・千明(東京都葛飾区青戸6−23−16) E高橋(東京都葛飾区青戸6−23−23) 〜★★独占㊙スクープ★★〜 【NEW!!】長木よしあきは日曜日になると風俗店に行っているのではないかという疑惑が浮上しました【NEW!!】 >>42 ワイも、昔はよく通ったもんだ。 もっとも、その場所は玉ノ井だがな。 さて、スラブ語族は東スラブ語、西スラブ語、南スラブ語があり、東はロシア、西はポーランド、チェコ、南はマケドニアと広範囲の地理範囲に広がっている。 この広範囲に所在するスラブ語に、まったく一致して共通する語彙がある。 (フリーズする、凍結する)の意味の語彙がそれだ。 各国の語彙を挙げると次の通り。 ロシア語zamorozit、ウクライナ語zamorozyty、ベラルーシ語zamarozic、ポーランド語zamrozic、 チェコ語zamrazit、スロバキア語zamrazit、スロベニア語zamrzniti、ブルガリア語zamrazyarane、 ボスニア語zamrzne、クロアチア語zamrzavazit、セルビア語zamrzavanje、マケドニア語zamrznuvanje。 つまり、zamro(ザムロ)、zamr(ザムル)が語幹で、みな同じというわけだ。 よほど気候がこたえるようだ。 この(フリーズする、凍結する)の意味を表すロシア、東欧のスラブ語のzamro(ザムロ)だが、 しかし、ロシア以東のキルギスやモンゴル、朝鮮半島などにはこの語彙はみられない。 ロシア止まりといえそう。 ところが、なんと、さらに東の日本語にだけその片割れがみられるのだ。 日本語 sam(サム)=寒い 日本語のsam(サム)は、ロシア語などのようにzam(ザム)と濁っていないが、発音と意味からして、まぎれもなく日本語のsam(サム)はスラブ語のzamoro(ザモロ)、zamr(ザムル)と同系の語彙だ。 では、だれがこの語彙を日本にもたらしたのか。 モンゴルや朝鮮半島では痕跡を残していないが、それはスラブ人であることは疑いようがない。 いずれかの時代にスラブ人がやってきたのだろう。 それは、チュルク語を話すユダヤ人がやってきたのと、まったく同じだ。 凍てつく大陸からやってきて温暖な日本の地に住んでも、慣れてしまえばやはり日本の冬も寒かったということだろう。 わははははは。 追加 万葉集に、「秋の夜は暁寒し白栲(しろたへ)の…」の歌がある。 この(寒し)は、(左牟之)と書かれている。 奈良時代には、すでにスラブ人がやって来ていたということだな。 元はウラル語でスラブ語が取り込んだという事はない? >>46 ウラル語では、 フリーズ フィンランド語 jaadyttaa エストニア語 kulmuta ラトビア語 lesaldet リトアニア語 uzsaldyti 一方、(寒い)は、 モンゴル語 serigun(ハルハ語seruu) ツングース語 seruuなど ラトビア語、リトアニア語のsaldeとモンゴル語、ツングース語のseruはよく似ている。 ウラル語とモンゴル語、ツングース語が同系の可能性が高いよう。 このモンゴル語、ツングース語のseruと日本語のsamusiを対照する説がみられる。 ラドビア語、リトアニア語のsaldeとスラブ語のzamurが関連するかどうか、面白いところだ。 追加 ラトビア、リトアニアは印欧語系のバルト人だそうで、多数派はY-R1aながらNも40%あり、基層がウラル語系であることが指摘されているようだ。 東西語彙はつながっており、日本語の語彙の語源見直しが必要だとする説は、次の語彙のつながりによって一層明らかになる。 私たち us(英)→uns(独)→os(デンマーク)→nas(ポーランド)→nas(ベラルーシ)→nas(ウクライナ)→nas(ロシア)→us(モンゴル)→uli(韓国)→uzi(ウジ・氏・日本) 日本語のウジ(氏)の原義が、(私たち)であるのは明らかだ。 >>49 追加 上の各国の語彙列の中に、次を加える。 mus(リトアニア)、mums(ラトビア) >>50 上の(私たち)の意味の語彙列においても、どこが発祥か定めがたい。 日本語のウジ(氏)とウシ(大人)が同源の語彙だとすれば、ウジは必ずしもuziとしなくてもよく、usiの発音でもよいので、モンゴル語のus(ウス)に通じる。 とすると、九州縄文人が満州の遼河ウラル語族と接触していた可能性があるので、縄文語のusiがウラル語族の語彙に取り込まれ、それがモンゴル語にもusとして取り込まれたと考えることができる。 そのモンゴル語のusが西方へ伝播したか、あるいは、遼河のウラル族が西方へ移動してusの語彙を伝えたことも考えられる。 このケースにおいても、縄文語語彙の西方伝播の可能性は残る。 日本語とフィンランド語の語彙に、非常に似ているものがあるのは確か。 先に挙げた宇迦神とウッコ神もその一つだ。 そして、その流れが英語などにへみられると指摘する人もいる。 次の語彙もその同じ流れのようだ。 日本語のアバク(暴く)は、秘密にしている物などを(開いて取り出す)意味がある。 このアバクの語幹はアバだ。 アバが、(開いて取り出す)意味を持っている。 そこで、このアバをフィンランド語と対照してみると、 日本語 aba(アバ)=開き取り出す フィンランド語 avaa(アバー)=開く まったく同系の語彙であることが分かる。 そして、このアバは英語につながっている。 開く aba(日)→avaa(フィンランド)→aabner(デンマーク)→offnen(独)→open(英) この流れは自然なながれにみえる。 ところが、日本語の語彙としてはやっかいなことがある。 アバク(暴く=開いて取り出す)が、モンゴルなどへもとつながっているのだ。 取り出す aba(日)→avakh(取る・モンゴル)→obkradyvat(奪う・ロシア)→abkradvac(奪う・ベラルーシ) これをみると、日本語語彙のアバクが(開く)意味で伝播したとみえるものと、アバクが(取る)意味で伝播したとみえるものと二つの流れがありそうなのだ。 どのように解釈すべきか。 フィンランドとつながるアバク(開く)は非常に古い時期に伝播したもので、一方、モンゴルとつながるアバク(取る)は比較的新しい時期に伝播したものではないのだろうか。 ペルシャ、インドからキルギス方面へ交易路が延びていて、これが中国の唐代には新シルクロードとして活躍した。 元々からこの交易路はあったわけだ。 その交易路は、キルギスからモンゴル、満州、朝鮮、日本へと分岐する一方、キルギスからカザフ方面へ向かう古いシルクロードへつながって行く。 語意はその交易路上を正しく進んだ。 硬い kathin(ヒンディー語)→katyy(キルギス語)→khatuuモンゴル語→katai日本語 kathin(ヒンディー語)→katyy(キルギス語)→qattiq(ウズベク語)→qatti(カザフ語) 日本語でとても硬いことを畳語で(カチカチ)というが、このカチは、ヒンディー語のカチン、キルギス語のカチ由来だろう。 そして、カタイ(硬い)は、カチの変化形と考えるのが妥当。 日本語の中の特定の語彙の語源を、日本語の範囲で考えても無理がある、というのはこの意味である。 漢語由来の語彙が日本語には多数あるのと同じで、その他の外国語の語彙も日本語の語彙に少なからず潜んでいるということになる。 こんなのは、まだまだあるぞ。 わははははは。 動物の名前は、一つの文化圏で共通する傾向がある。 例えば、熊は、bear(英語)、beer(オランダ語)、bar(ドイツ語)、ほとんど同じだ。 そこで、キツネについてみてみると面白い。 キツネ fox(英)、vos(オランダ)、fuchs(ドイツ) rev(ノルウェー)、rav(スウェーデン)、raev(デンマーク) lis(ポーランド)、lisa(ロシア)、lisica(ベラルーシ) rebane(エストニア)、lapsa(ラトビア)、lape(リトアニア) ところが、フィンランドだけが例外なのだ。 フィンランドは、kettu(ケットゥ)。 フィンランドのkettu(ケットゥ)は、独自語彙なのだろうか。 そこで、日本語。 日本語 kitune(キツネ) モンゴルはuneg、韓国はyeou。 日本語のkituneとは異なる。 フィンランド語のkettu(ケットゥ)と日本語のkitune(キツネ)は、明らかに同系の語彙だ。 日本語のkitune(キツネ)のne(ネ)は、(女)を意味する(ネ)だろう。 そこで(ネ)を除いてみてみると、 フィンランド語 kettu(ケットゥ) 日本語 kitu(キツ=キトゥ) となり、発音が極めて類似する。 同系語彙であることは、確実だ。 そして、日本語では、このkitu(キツ=キトゥ)にne(ネ=女)が付加しているので、フィンランド語のkettu(ケットゥ)の原語が日本に入ってきて、そのkettu(ケットゥ)に日本語のne(ネ=女)が付加されたものであることが分かる。 ウラル語を話す満州遼河の種族が故地を離れて日本にも渡来したことが、そうとう高い確率で想定されるのだ。 計都(ketu)が天狗(あまぎつね)とも呼ばれるのは関係ありますか? >>55 関係あるかもしれませんね。 狐が1000年の年を経て天に通じると天狐というものになるそうです。 それまでは、美女に変じて人間の精気を吸い取って生きているのだそうです。 この話は、中国西晋(265年〜316年)の時代に書かれた「玄中記」という書物に出てくると、ウィキに述べられています。 kitu(キツ)に女を意味するne(ネ)を付加してキツネという呼び名を作ったわけですから、そのキツネの言葉を造語した人は年が1000年に届く前の美女狐の話を知っていたということになってきますね。 発展著しいAIの言語認識は単語の表記ゆれを学習していく機能が含まれるが 言語間の語彙の類似性や系統を洗い出すのにも使えそう アイヌ語で狐はチロンヌプ、もしくはシュマリ これは関係あるのか? >>61 チロンヌプ、シュマリは、発音が異なるようにみえますね。 「アイヌと自然デジタル図鑑」をみますと、キタキツネの呼称にkematunaskur(ケマトゥナシクル)というのがあり、 ケマ=足、トゥナシ=早い、クル=神 の意味のようです。 このkematunas(ケマトゥナシ)のケマトゥとキツネの(キツ=キトゥ)と似ているようにみえます。 このアイヌ語のケマトゥと日本語のキツネのキトゥが同系であれば、日本語のキツネの語彙が分かることになりますね。 ケマ(足)とケル(蹴る)は、通じるのでしょうか。 >>64 ウラル語系の国の(足)の言葉には、次のようなものもみえますね。 kapala(カパ、鈎爪のある足)フィンランド kapp(カッ、足・足の裏)エストニア kepa(エカ、足・足の裏)ラトビア ka、keが語幹音ですね。 アイヌ語のケマのke音とこのウラル語のka、ke音は、似ているようですね。 日本語のケル(蹴る)のケ音に足の意味があるのであれば、アイヌ語、ウラル語、日本語が足の意味でつながりますね。 キツネは、足と関係があるのでしょうか。 日本語で寒いはサムイ アイヌ語で寒いはメアン、一方で、隣、傍らを「サム」という >>65 日本語の蹴る(ケル)は、漢語の蹶(クェツ)由来のようで、クェがケに変化したようです。 アイヌ語のケマ(足)は、日本語のケル(蹴る)と比べるよりも、漢語のクェ(蹶)と対照するのがよいようです。 ただ、日本語のキツネのキツとアイヌ語のキツネを意味するケマトゥナシのケマは同系の可能性がありますね。 >>66 アイヌ語のメアンは、冷たい、凍結の意味もあるようです。 メアンとツメタイは関係ありそうですが…。 >>68 冷たいは、「爪痛し(つめいたし)」が転じ、「つめたし」となり「つめたい」になった。 ttp://gogen-allguide.com/tu/tsumetai.html >>69 (冷たい)は(つべたい)とも言い、(つべたまし)の言葉もあるようです。 (つべたまし)は冷淡、冷酷、気味悪いなどの意味だそうです。 どうも、(つめたい)の元は(つべた)のようにみえますね。 (つべた)だと、(つめ痛し)とつながらないようにみえますが…どうなんでしょう。 よし、じゃあ(つべたし)と同語源っぽいtupeみたいな単語を探すんだ >>72 (つめたい)と発音が似るのは、アイヌ語では、teyne(テイネ)=濡れる。 濡れると冷たいので、テイネ→チネ→ツネ→ツメ=ツベ。 東北弁の「やばつい(雨に濡れて気持ちが悪い)の方が近そうだなそれ >>74 アイヌ語の(ティネ=濡れる)と(つい=濡れる)は似てるし、同源か。 で、(つい・ティネ)→(つゆ=露)か。 ウラル語の原郷は、満州の遼河地方とされている。 8000年前頃から遺跡がみられ、その遺跡出土の人骨のYハブロはNとされている。 北欧のフィンランド人は、この遼河から8000年前頃に西へ移動した一派だという。 そして、なぜか、このフィンランド語と日本語には、類似した語彙が少なからずみられるのだ。 どこかで接触したことが明らか。 その証拠の語彙がこれだ。 フィンランド語 kova(コバ)=硬い 日本語 kowa(コワ)=硬い もち米を蒸したご飯のことを(おこわ)と言い、強飯と書くが、このコワである。 また、強面(こわもて)というが、同じコワである。 日本人のYDNAのうちに、Nは1.3%みられるようだ。 >>66 朝鮮ではサムラビと言うんだっけ武人を、 これは隣で仕えるとかいうことなんだっけ、だとしたらアイヌ語のサムと朝鮮語のサムは同音同義語といったところか… >>77 朝鮮語で武士、武者、戦士は、ssaul-abi(サウル-アビ)と言うそうですね。 ssaum=戦う、abi=おやじ(父親)のようです。 ssaumは、漢語の戦(セン)由来かもしれません。 一方、アイヌ語では、pet-sam-us(川、傍ら、群生)はカサスゲという植物の名のようです。 確かに、sam=傍らで、saburai(さぶらい=側に仕える)のsabuと同系のようですね。 としますと、朝鮮語のssaulとアイヌ語、日本語のsam、sabuとは別の言葉ではないでしょうか。 ウリナラファンタジーまで取り込みだしたぞこのガイジ さむい(寒い)のサムとアイヌ語のサム(傍ら)、さむらい(侍)のサムは、同音異義語ということでしょう。 一方、アイヌ語のサム(傍ら)は、さむらい(侍)のサムと同系ということのようですね。 フィンランド語の語彙は、日本語の語彙にとって非常に興味深い位置にある。 先に挙げたフィンランド語のkova(硬い)と日本語のkowa(硬い)などは、その例だ。 そこで、もうひとつ重要な語彙を挙げることにしよう。 我々の人生に最後に訪れるものは死だが、これをシと読むのは漢語由来であり、(誰それが死んだ)という場合も漢語に由来するシの語彙が語幹となっている。 では、漢語のシ(死)がもたらされる以前には、人の死をどのような言葉で表していたのだろうか。 その語彙は、漢語のシ(死)に駆逐されて消滅してしまったのか。 そのあたりをフィンランド語の語彙から探求してみよう。 フィンランド語 kuolemaan(クオレマーン)=死 kuole(クオレ)=死にます kuolem(クオレム)=終焉 kuollut(クオルトゥ)=死にました これらを見れば、kuole(クオレ)が死を意味していることが分かる。 では、この死を意味するkuole(クオレ)に対照する日本語の語彙は何か。 日本語 kare(カレ)=枯れ 万葉集にみえる大伴家持の歌に、雨が降らない日が続くと「植えし田も蒔きし畑も朝ごとにしぼみ枯れゆく」 との語句があり、枯れは(可礼)と書かれている。 そこで、枯れるの語義を辞書でみてみると、「草木が水分がなくなり生命を保てなくなること」とあり、水分を失って死ぬことが(枯れる)の意味だということになる。 つまり、日本語のkare(カレ=枯れる)も死を意味していることが分かる。 フィンランド語のkuole(クオレ=死)と日本語のkare(カレ=枯れ)は、死を意味する同系の語彙なのだ。 とすると、漢語のシ(死)の語彙が入って来るまで日本語で死を意味した語彙は、このkare(カレ=枯れ)だった可能性が高い。 漢語のシ(死)が日本語として生命がなくなること全般を指す言葉となった際に、それまで死全般を意味する言葉だったkare(カレ)は草木が枯死することを指す言葉として生き残ったということなのかも知れない。 このように考えると、日本語のアレ(生まれる)の対義語はカレ(死ぬ)であったとみなすことができるのではないだろうか。 日ユ同祖論とかインディアンの言葉に日本語が!?(オハイオ おはよう、ワイミング わいを見んぐ等) みたいに各国言語は無関係でも似たのがいくつか見つかるんだろうしな >>84 フィンランド語では、30語彙くらい同系語をみつけている。 まったく無関係とも言い切れん。 それに、フィンランド人は満州が拠点だったようだから、日本語語彙との関連はさらに強まる可能性が高い。 >>84 日ユ同祖論の真偽は分からんが、日本へ渡来した秦氏はトルコ語を話すユダヤ人であったことも考えられる。 京都太秦の木嶋神社の三本柱鳥居、長野県の諏訪神社御柱、千葉県柴山の超正統派的人物埴輪はユダヤ系の集団が渡来していたことを示す痕跡かも知れん。 その渡来の時期は、5世紀〜6世紀ではないか。 >>84 しかし、オハイオをおはよう、ワイオミングをワイを見んぐ等と言っているヤツはおらんだろう。 ワイなら、オハイオはおっは!、ワイオミングはワイミングックだ。 ワイミングックは私の民国な。 大韓民国ではないぞ。 表現する文字が貿易の中継地点としていろんな可能性が在るのがいいが、 合わせて使うと、ロスや意味の通じない点も。 >>89 交易ルートを行きかった語彙の典型は、次のような語彙だ。 フィンランド語 hammas(ハムマス)=歯 日本語 ha(ハ)=歯 日本、満州、モンゴル、カザフ平原、フィンランドへと東西につながるルート上を、(ハ=歯)の語彙が通ったということを示している。 ところが、この東西の交易ルートに南からつながっているのが、インドからウルムチへ北上する交易ルートだ。 そこで登場するのが、ヒンディー語の語彙。 ヒンディー語 haddee(ハッディー)=骨 歯は骨の一種であることを思えば、日本語のハ=歯、フィンランド語のハムマス=歯とヒンディー語のハッディー=骨のつながりは明らかだ。 そして、日本語のハム(食む)は(歯む)が原義であり、その(歯む)はヒンディー語のhaddee(ハッディー)=骨と関連があるとみられるのだ。 一方、日本語やフィンランド語の(歯)につながるこのヒンディー語のha(ハ)=骨系の語彙とは別の語彙に、daant(ダント)=歯がある。 この語彙は、カザフ平原を経てリトアニアに達してdantisとなり、さらにノルウェーのtann、スウェーデンのtant、デンマークのtant、オランダのtant、そしてイギリスのtoothへと到達した。 これらの語彙の意味は、一貫して(歯)だ。 人や物資とともに、語彙も交易路を行き来した、ということになる。 このたび大噴火と津波のあったインドネシアのスンダ海峡。 日本語の「済んだ」との関連は? >>92 日本語の(済んだ)は、終わったという意味だな。 これは、漢語由来の語彙で、済む(スム)の(ス)音は済(セイ・サイ)の音からの変化といえる。 済む(スム)が終わるを意味するのは、済の字に(川や難路を無事に通り切る)の意味があり、それが日本に入ってくると(終わる)の意味になった。 一方、スンダ語のsunda(スンダ)は、(愛)という意味じゃ。 慈しむというようなことだろう。 ちゅうことは、難事が済んで愛が広がるわけじゃから、(済んだ)もsunda(スンダ)も同じといえる。 アホなことは、聞くな。 そんな事より>>94 よ、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。 昨日、近所の吉野家行ったんです。吉野家。 そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。 で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、150円引き、とか書いてあるんです。 もうね、アホかと。馬鹿かと。 お前らな、150円引き如きで普段来てない吉野家に来てんじゃねーよ、ボケが。 150円だよ、150円。 なんか親子連れとかもいるし。一家4人で吉野家か。おめでてーな。 よーしパパ特盛頼んじゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。 お前らな、150円やるからその席空けろと。 吉野家ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。 Uの字テーブルの向かいに座った奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、 刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。 で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、大盛つゆだくで、とか言ってるんです。 そこでまたぶち切れですよ。 あのな、つゆだくなんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。 得意げな顔して何が、つゆだくで、だ。 お前は本当につゆだくを食いたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。 お前、つゆだくって言いたいだけちゃうんかと。 吉野家通の俺から言わせてもらえば今、吉野家通の間での最新流行はやっぱり、 ねぎだく、これだね。 大盛りねぎだくギョク。これが通の頼み方。 ねぎだくってのはねぎが多めに入ってる。そん代わり肉が少なめ。これ。 で、それに大盛りギョク(玉子)。これ最強。 しかしこれを頼むと次から店員にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。 素人にはお薦め出来ない。 まあお前らド素人は、牛鮭定食でも食ってなさいってこった。 >>93 なんで、秦氏が多神教なん。 秦氏は、三本柱鳥居だろう。 3はユダヤ教の聖数らしいから、秦氏はユダヤ教だろうな。 >>95 オメのいうことは、よ〜く分かる。 ワイも今から50年ほども前には、吉野家で牛丼食っていた。 サラリーマンらが、腹満たすためだけに止まり木に座って、ものも言わずに黙々と食って、食い終わったらそそくさと店出て行った。 そんなだから、普段行かん親子らが、150円値引きという釣りに引かれてお祭り騒ぎするのは、牛丼の真髄が分かっとらんからだ。 あれは、どんぶりに目落として、ものもいわんとかき込んで、食い終わったらおおきにとも言わんと投げるように金払って店出るのが流儀。 うん、牛丼の流儀が分かっとらん、お祭り親子らの回転寿司流儀は、みていてもう少し真面目に食えと思う。 オメの言う通りやな。 神を信じるのが一神教で、浮気をしているのが多神教。 >>98 秦氏が社家を務めた松尾大社は大山咋神を祭神として祀るが、この神は坂本の日吉大社の祭神でもあり、同じ神を奉じて同盟関係を持ったのではないかとされている。 この松尾大社では、九州宗像の神である中津島姫神(市杵島姫神)も祀っている。 これらの神は、宗像から京都、坂本を経て近江に至る渡来ルートの神であるようにみえる。 そういう意味があるのだろう。 一方、松尾大社には三つの鳥居があり、また三つの庭園が造られている。 この3は太秦の三本柱鳥居と同じくユダヤ教の聖数と同じであり、祀る神々とは別の秦氏自身の思惑がこめられているようにみえる。 秦氏関連の事柄では3の数詞が特徴とみられるが、秦氏が住んだ太秦(ウズマサ)のウズや出雲大社の宇豆柱(ウズバシラ)のウズはトルコ語系では数詞の3を表す語彙。 ユダヤ教では、この3は最高の聖数とされている。 出雲大社の宇豆柱が3本の大木を鉄枠でくくって1本の柱としていたことが分かり、宇豆柱のウズが3を表している可能性が高くなった。 その3を表すのがトルコ語系の数詞でウズと言うもの。 では、秦氏がユダヤ系の一族であるとして、なぜトルコ語系の3=ウズを用いていたのか。 ユダヤ系の一族であれば、ヘブライ語ではないのか。 そこで、遺伝子解析で分かってきた事実がある。 アシュケナージ(白人)系ユダヤ人の祖先は、起源1世紀頃にギリシャやイランなどからトルコ北部に移住してきた人々。 この人たちがペルシャから来たユダヤ人によってユダヤ教に改宗し、7世紀頃になると戦乱によってトルコの北方のカフカスへ移ったのがハザール系ユダヤ人の元だという。 なので、このトルコ北部に住んでいたユダヤ人は、トルコ語に馴染んでいたことになる。 そして、面白いのが、古代日本の貴重財についてだ。 弥生時代の北部九州の墓からガラス小玉がたくさん出土する。 このガラス小玉は、インドや東南アジアで生産されて海路で交易されたとされる。 古代日本には中国沿岸から朝鮮半島へ渡り、それから北部九州にもたらされたのだろう。 その後、5世紀後半になると、西アジアや中央アジアで生産されたガラス小玉が日本に大量に流入するようになる。 このトルコなどを含む西アジア産のガラス小玉が、交易で日本まで運ばれたわけだ。 だれがこの交易の主体だったのか。 5世紀に秦氏の集団が日本に渡来するが、この秦氏は数詞3をトルコ語で話す集団だった可能性が極めて高いことは、先に述べたところだ。 秦氏の集団は、西アジア産のガラス小玉を交易するその交易路を歩いてトルコからやってきたユダヤ人集団だった可能性が高いのだ。 そして、秦氏が社家を務めた松尾大社には、太秦の木嶋神社の三本柱鳥居と同じく三つの鳥居と三つの庭園が造られているのだ。 チョンコは永遠にムリ。その前に国が滅ぶ。 チンクはノーベル賞20、30年後ラッシュきそう。昔の日本のように人材育成やってる。 >>101 八幡や稲荷は、商売のチェーン店みたいなもので、いろんなものを商ったということだろう。 だから、秦氏がいろいろな神を祀っているから多神教だというのは、誤解ではないか。 ユダヤ教の聖数3を秘めて、そこにその神を祀っているというのが正解だろう。 その他の神社は、松尾神社の祭神のように現世的な何かのネットワーク組織に過ぎんと思う。 >>103 謎の勢力「韓国は一部が狂ってるだけで全体としてはまともだから・・・(震え)」 韓国政府「慰安婦合意破棄!!旭日旗拒否!!竹島上陸!!徴用工あああああああ!!!!」 謎の勢力「軍の間では友好を・・・(震え)」 韓国軍「旭日旗拒否!!抗日英雄の旗を掲揚!!日本のEEZで退去命令!!レーダー照射!!!逆ギレ謝罪要求ああああああ!!!!!!!」 謎の勢力「民間では関係改善を・・・(震え)」 防弾「原爆Tシャツどーーーーーん!!!!wwwwwww」 >>104 韓国軍部は、中国軍部の下部組織。 “謎の勢力”は、そこから資金もらっている使い走り。 南シナ海から東シナ海、日本海を中国の排他的軍事水域化するのが中国軍部の戦略。 >>105 まあ、韓国から天命は去った。 あとは、現実無視の悪政を行う最後の王の時代となるだけ。 文がその最後の悪逆非道の王かどうか、まだ分からんがな。 >>100 トルコ語を話すユダヤ人が出現するのは、アナトリア(現在のトルコ)においてではないようだ。 ギリシャ人やペルシャ人が紀元1世紀頃に黒海南岸のアナトリアに移住して、そこでユダヤ教に改宗するのは3世紀までの間で、その時期にはアナトリアにはトルコ系の民族はまだ進出していなかったようだ。 この時期には、カスピ海北岸のカザフステップには中国史書に言う(丁零・テイレイ)が進出しており、この丁零は匈奴と同じチュルク系遊牧民族とみられている。 そして、このカザフステップの西隣のコーカサスや黒海北岸の草原地帯では7世紀にはハザール王国が建国され、支配層はチュルク系民族だったとされる。 交易によって栄えた。 なので、アナトリアの北黒海沿岸やコーカサスの平原にはすでにチュルク系の民族が進出して、交易を行っていた可能性がある。 そこで、アナトリアの白人系ユダヤ人集団が交易でコーカサス方面へ進出し、そこでトルコ語を話す白人系ユダヤ人集団が出現したと思われる。 そして、こうしたトルコ語を話すユダヤ人集団の一派が、4世紀には交易路を東へ移動したものと想定するのがいいようだ。 5世紀頃にトルコ語を話すユダヤ人がカザフ平原を通って日本へやって来て、またそれに続いて同系のユダヤ人が次々と渡来したようにみられる。 このカザフ平原は太古からの交易路で人の行き来があり、フィンランド語と日本語の語彙に極めて類似するものがあるのも、その回廊と関係があると考えられる。 そして、この東西回廊へ南方のインドなどからの交易路がキルギスあたりで合流していることから、T字形の語彙の移動もみられる。 例えば、先に述べたように、フィンランド語のhammas(ハムマス)=歯、日本語のha(ハ)=歯が同系の語彙だとみられる一方で、ヒンディー語にhaddee(ハッディー)=骨の語彙があることから、 日本語のha(ハ)=歯やフィンランド語のhammas(ハムマス)=歯の語源はヒンディー語のhaddee(ハッディー)=骨なのではないかと、T字形の語彙の移動を想定してみたもの。 そして、これと同じパターンの語彙移動がみられるのが次の語彙だ。 フィンランド語 kuokka(クオッカ)=鍬 日本語 kuwa(クワ)=鍬 フィンランド語と日本語のそれぞれの語彙は同系とみられる。 これに加わるのがヒンディー語の語彙だ。 ヒンディー語 kuddaal、kudala、kudlam(クダール、クダラ、クドゥラム)=鍬 インドでは2000年前頃から農具の発達がみられ、鍬と犂が主流になるとされる。 2000年前といえば後漢王朝に倭奴国が朝貢したその時代に当たる。 日本語のkuwa(クワ)やフィンランド語のkuokka(クオッカ)は、ヒンディー語のkuddaal(クダール)が語源ではないかと考えられ、 この語彙においても、交易路に沿ったT字形の語彙移動が想定されることになるのだ。 ちなみに、韓国語ではgwaeng-i(ケングィ)=鍬だが、ケ音はクワエが短縮したものと思われ、日本語のクワと似る。 この鍬(クワ)の例でも分かるように、日本語の語彙のうち相当数は外来語であり、そうした外来語の語源を倭語だけで解釈することは、最早、限界だということになってくる。 “交易路を渡ってきた語彙”という前提で、語源探索が行われる必要があるということだな。 >>109 ハイ、ここでアジア男性の意見を聞いてみましょう 日本「日本(という蝶々夫人は)アメリカ軍がいないと何もできないんです!本当ですよ」 中国「中国娘は体が小さくて大きな白人男性からしたら守りたくなるので 人気アル。中国男?問題外アルネ」 朝鮮男性「この売春女性はイルボンムスメヨ、ホホホ」 東南アジア「10歳の女の子の処女は10ドルで売れる。北米、 オーストラリア、ドイツ人に人気だよ。ワイ(合唱)」 >>110 白人のチンボは、カチカチにならんようだがな。 >>111 追加 カチカチは、ヒンディー語由来な。 日本語の語彙とフィンランド語の語彙に同系語が多いことは、もはや疑えない事実。 次の語彙は、非常に興味深い。 フィンランド語 vene(ベネ)=舟 韓国語 bae(バエ)=舟 日本語 hune(フネ)=舟 韓国語のbaeは、おそらく元々はbane(バネ)だったろう。 n音が落ちたとみられる。 また、日本語のhuneは、元々はbune(ブネ)ではなかったか。 いずれにしても、これらは同系語なのは、まず間違いない。 フィンランド語のvene(ベネ)=舟に関しては、次のことが考えられる。 舟の別の言葉では、vesi alus(ベシ・アルス)=舟があり、vesi=水+alus=容器の構成。 水(に浮かぶ)容器が舟なのだ。 このvesi(ベシ)のveとvene(ベネ)のveは、同じ(水)を表す音のようにみえる。 (水で洗う)はpesta vedellaで、pesta(洗う)+vede(水)+lla(〜とともに)。 この場合も(水)はvedeで、やはりve音が語幹となっている。 vene=舟のveは(水)を意味している、と推定することが可能だ。 一方、veneのneは、mene(メネ)のneが該当し、meneは(〜に行く)という意味なので、この場合のneは(行く)の意味があると考えることができる。 そうすると、vene=舟は、ve(水)+ne(行く)で、(水を行くもの)という原義を想定することができる。 つまり、vene(水を行くもの)=舟であるのは、自然な原義といえる。 このように、日本語のhune(フネ)=舟が満州遼河のウラル語の語彙由来であるとすれば、では、ウラル語のそのvene=舟が入ってくる前はボートのことを何と呼んでいたのか。 一つの仮説としては、カタマが考えられる。 太平洋諸島でいうカタマランのカタマだ。 日本書紀では、堅間、籠という海の乗り物のことが書かれている。 太平洋諸島のカタマランは、双胴舟のことである。 >>114 ハ行→P音は、奈良時代のこと。 それ以前は、分からんというのが正しい。 挨拶されようとわざと立ち止まるキモイ奴 街中みんなのお笑い草だぜ バカヤロ様がいる 弱い奴には強く出て 強い奴には媚びへつらい 店長崩れのニセモノは 仕事も人望も紛い物 人には厳しく自分には甘く ケジメも無しとする 何でもすべての事が人任せで それでも良しとする 大学行ってもクズだから 常識なんかは通じねェ 相手を選んでハラ立てて 得意の火病はお手のモノ 今は君のために飲もう 僕も風と共に行こう すべての人に 懺悔しな!! https://www.facebook.com/katsuyuki.kida.923 >>115 やったぜ。 投稿者:変態糞土方 (8月16日(水)07時14分22秒) 昨日の8月15日にいつもの浮浪者のおっさん(60歳)と先日メールくれた汚れ好きの土方のにいちゃん (45歳)とわし(53歳)の3人で県北にある川の土手の下で盛りあったぜ。 今日は明日が休みなんでコンビニで酒とつまみを買ってから滅多に人が来ない所なんで、 そこでしこたま酒を飲んでからやりはじめたんや。 3人でちんぽ舐めあいながら地下足袋だけになり持って来たいちぢく浣腸を3本ずつ入れあった。 しばらくしたら、けつの穴がひくひくして来るし、糞が出口を求めて腹の中でぐるぐるしている。 浮浪者のおっさんにけつの穴をなめさせながら、兄ちゃんのけつの穴を舐めてたら、 先に兄ちゃんがわしの口に糞をドバーっと出して来た。 それと同時におっさんもわしも糞を出したんや。もう顔中、糞まみれや、 3人で出した糞を手で掬いながらお互いの体にぬりあったり、 糞まみれのちんぽを舐めあって小便で浣腸したりした。ああ〜〜たまらねえぜ。 しばらくやりまくってから又浣腸をしあうともう気が狂う程気持ちええんじゃ。 浮浪者のおっさんのけつの穴にわしのちんぽを突うずるっ込んでやると けつの穴が糞と小便でずるずるして気持ちが良い。 にいちゃんもおっさんの口にちんぽ突っ込んで腰をつかって居る。 糞まみれのおっさんのちんぽを掻きながら、思い切り射精したんや。 それからは、もうめちゃくちゃにおっさんと兄ちゃんの糞ちんぽを舐めあい、 糞を塗りあい、二回も男汁を出した。もう一度やりたいぜ。 やはり大勢で糞まみれになると最高やで。こんな、変態親父と糞あそびしないか。 ああ〜〜早く糞まみれになろうぜ。 岡山の県北であえる奴なら最高や。わしは163*90*53,おっさんは165*75*60、や 糞まみれでやりたいやつ、至急、メールくれや。 土方姿のまま浣腸して、糞だらけでやろうや。 >>115 わからないけど現代音よりはわからないけど奈良音の方がまだましだと思うがなあ >>120 上代発音に濁音が少ないのは、中華や朝鮮半島系の渡来者の影響だろう。 それ以前は、濁音が多かっただろう。 奈良のヤマトは、九州の山門を持ち込んできたもので、九州の山門は元々はヤマドだったとみられる。 それが、奈良に持ち込まれるとヤマトと清音で発音されるようになる。 そういったことだから、奈良時代にハ音はP音だったとしても、それは奈良地方だけの話で、それ以前や奈良以外の地方がハ音をP音で発音したかどうか定かではない。 今の標準語発音を東京以外では日常的に発音していないのと同じだ。 >>121 そんな事より1よ、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。 このあいだ、2ちゃんねるの糞スレ行ったんです。糞スレ。 そしたらなんかレスがめちゃくちゃいっぱいで見れないんです。 で、よく見たらなんかコピペしてあって、1の家臣です、とか書いてあるんです。 もうね、アホかと。馬鹿かと。 お前らな、家臣ごときで普段書き込まないスレに書き込んでんじゃねーよ、ボケが。 家臣だよ、家臣。 なんか1の母親とか妹とかもいるし。一家総出で煽りか。おめでてーな。 1の精子でありますっ!(敬礼っ!ビシッ!)、とか言ってるのもいるし。もう見てらんない。 お前らな、削除依頼してやるからあぼーんされろと。 糞スレってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。 すぐ下に書き込んだ奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、 煽るか煽られるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。厨房は、すっこんでろ。 で、やっと書き込めたかと思ったら、2の奴が、2番ゲット!、とか言ってるんです。 そこでまたぶち切れですよ。 あのな、キリ番ゲットなんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。 得意げな顔して何が、2番ゲット!、だ。 お前は本当に2を取りたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。 お前、2番ゲット!って書き込みたいだけちゃうんかと。 糞スレ通の俺から言わせてもらえば今、糞スレ通の間での最新流行はやっぱり、 IDチェック、これだね。 1のIDチェック。これが通の煽り方。 IDチェックして保存しておく。それで他スレで検索する。これ。 で、毎月同じ日にも検索。これ最強。 しかしこれをすると自分のIDもマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。 素人にはお薦め出来ない。 まあお前、1は、モナーでもコピペしてなさいってこった。 >>122 時代が変わったンだよ。 ちょんまげ結っている爺さんが、文明開化でちょんまげ切って、わーい西洋人〜!とお祭りしている明治人に、ボケ何が西洋人だと青筋立てているのと同じ。 牛丼でお祭りしてるのも同じ。 いつの世も、お祭り大好き人間たちが、お祭りのタネ探して歩き回っているということだな。 それをちょんまげ爺さんが、青筋立てて怒っても、やつらはお祭りできたらなんでもいいんだから、無駄。 回転寿司のお祭り、牛丼店の安売りお祭り、掲示板の2番ゲットお祭り、盗人となんとかの種は尽きん。 まあ、それだけ寂しいやつらが多くなったということだがな。 自分は幼稚園くらいの時からパンツが大好きで、 パンツばかりにしか興奮せず、中高の頃は校内で女子のパンチラを見たら しょっちゅうその日のオカズ。家にいる時もエロ本のパンツばかりでオナニーしてきた。 そのせいかマンコには全然、興奮せず、むしろ潔癖症気味なせいか この中にグロくて臭いマンコがあると思うと嫌悪感も感じる時がある。 初体験の時も、興奮せず中々イケなくて、彼女のパンツを枕元に置いて それを見ながらピストンすると、射精感が湧いてきてやっと射精出来たっけ・・ パンツが好き過ぎると、普通のセックスにまで支障をきたすのかな? だから買うエロ本も、 アクション写真塾とかスーパー写真塾とかの パンチラが多く載ってるやつばかりだったな。ヌード写真とかは 無視してパンチラでばかりオナニーするという・・ でも、ああいうエロ本ってモンローパンチラしたり、 逆さ撮りされてる写真がしょっちゅう載ってて、当時は 目線も入ってるし、ガチと信じてオナニーしてたけど まだ90年代で規制が甘い時代だっとはいえ、あれってヤラセじゃなく 本当にガチだったのかな? >>124 女のパンツ盗むやつが相当いるから、パンツ好きの変態は特に異常というわけではない。 ごく普通の変態じゃ。 パンツ好きは、女尻愛好の一種だ。 ごく普通の性的変態型といえる。 しかし、盗んで溜め込んでいたのが発覚して、警察にそれを並べて晒される醜態にはならなんように、盗むのはやめとけ。 >>125 パンティーではなくmanty(マンティ)は、フィンランド語の(松)だ。 フィンランド語 manty(マンティ)=松 そのmantyのn音を軽く発音すれば、maty(マティ)。 日本語で(松)は、matu(マツ)。 n音を軽く発音した場合のフィンランド語のmaty(マティ)と日本語のmatu(マツ)はほとんど同じだ。 わははははは。 >>121 蝶々の語源を探るにはtepよりもtefuやchouの方が良いと考えるわけですか? >>127 ラテン pinnus イタリア pino スペイン pino フランス pin オランダ pijnboom 英語 pine これらをみると、pine(松)は、ラテン語由来のようだね。 で、英語のpin(ピン)は、松の葉からきているのだろうか。 >>128 この蝶(tep、tefu)については、中国語の蝶(上古音dap、中古音dep、現代音tie)のうちの中古音depが語源であることは明らかですから、日本上代のtep、tefuなどの発音は中国中古音のdepの奈良弁発音ということでしょうね。 上代奈良弁がtep、tefuと清音化しているのは、渡来人の影響ではないでしょうか。 これは、邪馬臺(ヤマドイ)の元が九州筑後山門(ヤマド)であり、このヤマドを古代奈良人がヤマトと清音で発音したのと同じですね。 ということは、元々の奈良弁に朝鮮半島系渡来人の発音が影響して、上代発音が生まれたと考えるのがよいのではないでしょうか。 >>133 英語のpinは、pineから来ているの? もう少し、フィンランド語の語彙と日本語の語彙の関係をみてみよう。 日本語に(付く)の語彙がある。 付着する、接触するの意味だ。 この(付く)の名詞化が(付き)で、(付き人)(お付きの人)などの言葉がある。 (付き人)は、特定の人の側にいて世話や支援、サポートをする人を言う。 従って、この(付き)には単に付着するの意味だけではなく、支援、サポートの意味もあることになる。 (付き従う)ことが、即、世話、支援、サポートを意味しているわけだ。 そこで、フィンランド語の(支援)(サポート)をみると、 フィンランド語 tuki(ツキ)=支援、サポート の語彙がみつかる。 フィンランド語のtuki(ツキ)=サポートと日本語のtuki(付き)=サポートは、同系の語彙に違いない。 日本語のほうが元かも知れない。 そして、このフィンランド語のtukiが、ゲルマン語に流入しているようなのだ。 フィンランド語のtuki=支援を動詞化した語彙がtukea。 流れをみてみよう。 支援、サポートする フィンランド語 tukea エストニア語 toetada(tukeaからk音が落ちた変化) スウェーデン語 att stodja(toetadaの語頭にs音が付加した形) デンマーク語 at stotte ドイツ語 zu unter stutzen オランダ語 onder steunen そして、英語 support(支援)、staff(杖、人員、職員、幕僚) 英語に至って、ほぼ新しい語彙が発生している。 日本発のtuki(付き)=支援、サポートが、新しい語彙へと変化した流れだ。 【国際】「朝鮮出兵した豊臣秀吉と重なって見える」…安倍首相を豊臣秀吉に例え批判 レーダー問題で韓国国会委員長 beチェック 1 名前:窓際政策秘書改め窓際被告 ★ 2019/01/18(金) 22:01:15.79 ID:63IjNKFY9安倍首相を豊臣秀吉に例え批判 レーダー問題で韓国国会委員長 韓国軍艦艇による海上自衛隊哨戒機への火器管制レーダー照射問題を巡り、 韓国国会の安圭伯国防委員長は18日、声明を発表し、安倍晋三首相が 日韓の対立を助長しているとして「内部の対立を外部に向けるため 壬辰倭乱(朝鮮出兵)を起こした豊臣秀吉と重なって見えると言っても 過度な飛躍ではない」と批判した。 声明は「周辺国との摩擦を増幅させることは、日本の国内政治では プラスになるかもしれない」と皮肉った上で「軍国主義の過ちを背負う 過去の歴史や、国際政治での日本の地位を考慮すれば責任ある指導者が 取れる選択ではない」とした。 一般社団法人共同通信社【ソウル共同】(2019/1/18 21:35) http://this.kiji.is/458973174566487137?c=39546741839462401 >>136 中国軍部傘下の韓国軍部が行った北朝鮮支援の密輸の悪事がバレそうなので、必死の抵抗だな。 だが、以前とは違って、日本悪者論は効果がなくなった。 韓国から天命が去ったことを示している。 韓国正当化の力が、急速になくなっている。 歴史の舞台が180度回ったのだ。 韓国が転落していく様子が、如実にみえる。 全ての歯車が、「韓国転落」に向けて回り始めた。 韓国は、もう、もたんだろうな。 宗像の沖ノ島は、新羅から宗像、北部山陽道、京都太秦、近江を結ぶ新羅交易路の第一キイポイントだとみられる。 秦氏もこのルートを通って東進したとみられる。 この秦氏は、トルコ語を話すユダヤ人の集団だったと考えられる。 沖ノ島は、4世紀後半から国家的祭祀が始まるが、秦氏の渡来もこの時期だ。 宗像氏が朝鮮半島や大陸との交易に乗り出すのも、同時期。 秦氏との関連が推測されるゆえんである。 ところで、この沖ノ島では田心理姫という女神が祀られている。 日本書紀では、スサノオ神の子神とされる。 女神であることは、スサノオ神に高天原に対する邪心がないことを明らかにするものだ、と説明されているようだ。 しかし、その説明は、後付けの神話のようにみえる。 では、女神であるのは、どういう由来によるのか。 どうも、秦氏の渡来と関連があるようなのだ。 続く >>138 宗像大社によると、沖ノ島の御神体は(御身の形)と呼ばれ、(みみのかた)と読む。 宗像三神が青蕤玉(あおにのたま)、八尺蕤紫玉(やさかのむらさきのたま)、八咫鏡(やたのかがみ)を印として持ち来たり、(御身の形)として奥の宮、中宮、邊宮に納めたという。 このことにちなんで、この地域を「御身郡(みみのこおり)」と名づけたとされる。 これらの神話は、やはり後付けの神話ではなかろうか。 その神話を取り除けば、つまりは、沖ノ島はそもそも(御身の形)と呼ばれていたのだろう。 では、(御身の形)とは、何か。 沖ノ島は、海上から見れば、その遠景は(おっぱい)とそっくりなのだ。 御身の形(みみのかた)とは、つまりは(おっぱい)を指していると考えることができる。 これが、沖ノ島の神が女神である理由だろう。 宗像は、元々は胸形と書いたようだ。 胸の形といえば、(おっぱい)そのものである。 そして、ここから本題に入ることになる。 続く そんな事より1よ、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。 このあいだ、2ちゃんねるの糞スレ行ったんです。糞スレ。 そしたらなんかレスがめちゃくちゃいっぱいで見れないんです。 で、よく見たらなんかコピペしてあって、1の家臣です、とか書いてあるんです。 もうね、アホかと。馬鹿かと。 お前らな、家臣ごときで普段書き込まないスレに書き込んでんじゃねーよ、ボケが。 家臣だよ、家臣。 なんか1の母親とか妹とかもいるし。一家総出で煽りか。おめでてーな。 1の精子でありますっ!(敬礼っ!ビシッ!)、とか言ってるのもいるし。もう見てらんない。 お前らな、削除依頼してやるからあぼーんされろと。 糞スレってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。 すぐ下に書き込んだ奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、 煽るか煽られるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。厨房は、すっこんでろ。 で、やっと書き込めたかと思ったら、2の奴が、2番ゲット!、とか言ってるんです。 そこでまたぶち切れですよ。 あのな、キリ番ゲットなんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。 得意げな顔して何が、2番ゲット!、だ。 お前は本当に2を取りたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。 お前、2番ゲット!って書き込みたいだけちゃうんかと。 糞スレ通の俺から言わせてもらえば今、糞スレ通の間での最新流行はやっぱり、 IDチェック、これだね。 1のIDチェック。これが通の煽り方。 IDチェックして保存しておく。それで他スレで検索する。これ。 で、毎月同じ日にも検索。これ最強。 しかしこれをすると自分のIDもマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。 素人にはお薦め出来ない。 まあお前、1は、モナーでもコピペしてなさいってこった。 >>139 沖ノ島では、縄文時代前期の土器や石器が出ており、はるか昔から海人たちが上陸していたことが知られている。 なので、御身の形(みみのかた)、即ち(おっぱい島)、女神の島として崇められてきた歴史は、はるか長いのだろう。 しかし、御身の形(みみのかた)と呼ばれるようになるのは、やはり4世紀後半からではないか。 秦氏はどのように、この島に関わったか。 (おっぱい)が、なぜ御身(みみ)なのか。 そこで、秦氏は、トルコ語を話すユダヤ人集団であった可能性が高いことを思い起こしていただきたい。 トルコ語 meme(メメ)=おっぱい、乳房、乳頭。 沖ノ島は御身の形(みみのかた)と呼ばれる(おっぱい)の形をした島だ。 その御身(みみ)の由来は、トルコ語meme(めめ)=おっぱい、ではないか。 秦氏が住んだ太秦(うずまさ)のウズは、トルコ語の数詞3(ウス)である可能性が高い。 おっぱい形の島沖ノ島を指す御身(みみ)の形とは、秦氏がもたらしたトルコ語meme(メメ)=おっぱい、が元である可能性が高いのだ。 新羅から沖ノ島、宗像、北部山陽道、京都太秦、近江を結ぶ渡来・交易の道の鍵は、トルコ語を話す秦氏が握っているとみることができる。 >>140 まあ、いまや、とてつもなく矮小な暇人がゴロゴロしているということだな。 昔の暇人は、習い事したり、碁会所に通って世間話したりと優雅であったが、この頃は一人遊びの暇人が多い。 で、オリジナル性のない一人暇人らは、投稿サイトにくっついて、他人の投稿に食らいつくしかアイデンティティの確認のしようがないのだな。 奇妙な世界になったもんだ。 前に言っていた吉野家牛丼のお祭り騒ぎと同じで、オリジナリティが矮小すぎるな。 しかし、四コマ漫画みたいなその都会の庶民のお楽しみを描くお主の筆致は、それはそれで完成しとる。 まあ、がんばりたまへ。 >>142 未だにスカート逆さ撮りやってる情弱も居るんだよな 確かに、スカート履いた女を見れば、その中を見たくなる気持ちはわかる 気持ちはよーくわかるが、どうせ、今ミニスカ履いてる女なんて、 たいてい、中はスパッツとか見せパンばっかりだぞ おまけに盗撮が一般に周知されたおかげで、 ちょっとでも不審な動きを見せれば怪しまれる 田代以前は、靴に仕込めば、ほぼ無警戒で撮り放題だったけどな やってる本人は、カメラを仕込んだ靴や鞄を、自然な動きでスカートの下に潜らせたつもりでも、 見る人が見れば、バレバレだからな だから、今やるなら、トイレなどの設置系なんだよな 「小型カメラ」「スパイカメラ」でぐぐるとわかるが、今のカメラは恐ろしいぞ ・レンズ径は1mm未満→まず見つからない ・遠隔でスイッチON/OFF可能→万が一見つかったとき、いつ仕掛けたか特定できなくする ・wifiで映像の送受信可能→万が一見つかったとき、証拠を残さなくする ・動体検知機能→獲物が現れたときだけ撮ることが可能 ・高感度カメラ→暗い場所でも、陰部がハッキリクッキリ これだけのテクノロジーがありながら、 なぜ大きなリスク背負ってスパッツ撮りに行くかわからない トイレだと、パンツルックでも下着どころかマンコまで丸見えなんだぜ? >>143 同じ隠しカメラであっても、シチュエーションが異なる。 密室型のトイレの隠しカメラと、衆人環視のもとで行う隠しカメラの趣意は、大きく異なるのだろう。 スカート隠し撮りの男は、マ○○なんか盗撮したくないのだろう。 スカートの中が魅力なんだろな。 同じ足でもGパンの足は撮らないからな。 要するに、パンツ変態盗人と同じで、スカート変態嗜好の一種だ。 要するに、薄物好きの変態に過ぎん。 昔、2chに自称医者を名乗る奴の書き込みがあって、 中学・高校の内科検診時には、 ・適当な理由つけて、上半身裸下半身パンツ1枚のみにして検診スタート ・見せても良い下着にさせないため、適当な理由で日程変更し、ある日突然内科検診、抜き打ちパンツチェック ・時間が勿体ないので、ブス・デブは数秒触って終わり ・可愛い子は、全身を舐めるように眺めまわしながら、乳首コリコリして、長時間揉みしだく と言ってたけど、本当かな? >>145 そういう願望がチラリとあったのかもな。 しかし、そうしたチラリ願望は、若い女子はすぐ見破るから、変態やと騒がれるのがオチ。 外目には善良な先生で通しただろう。 >>141 新羅、沖ノ島、宗像、北部山陽道、京都太秦、近江坂本、近江三上の東西路は、太秦の秦氏が握る渡来・交易路であったと考えることができ、 トルコ語を話すその秦氏が関与したのが沖ノ島で、(おっぱい)形をした沖ノ島を御身(ミミ)の形とするその由来は、トルコ語のメメ(おっぱい)にあると推定した。 では、こうした海の交易路で、トルコ語を話す秦氏が関与した他の痕跡はないか。 今回は、壱岐を取り上げる。 壱岐は、平安時代初期の和名抄に壱岐郡の表記がみられる。 この壱岐は、7世紀に壱岐国が設置されたことに由来するもので、その頃にはこの島の名がイキと発音がなされていたことが分かる。 そして、それ以前については、3世紀に成立した魏略に「一支」と書かれている。 この「一支」の読み方については、これまでに議論がある。 「支」は中国上古音ではキェ音であったとされるので、一支はイキェだったと論じられる。 一方、「支」は、中古音ではシェなので、イキではなくイシェと発音されたとの論もある。 そうすると、魏略の時代は、魏志倭人伝の時代と同じ時代であり、中古音への直前の渡過期であるので、「一支」は中古音で発音されたと考えるのがよく、イシェとすべきということになる。 そして、上古音は推定の域を出ないとの指摘もあることから、この中古音(一支=イシェ)を重視することにすると、 和妙抄では壱岐の平野部は壱岐郡、山裾部は石田郡とされていることから、(一支=イシェ)は石(イシ)の音写ではないかと考えることが可能になる。 つまり、7世紀に「壱岐(イキ)」と書かれてイキと発音するそれ以前には、壱岐(イキ)という島名はまだなかったということも考えられる事態になるわけだ。 では、この壱岐(イキ)の読みはどこから来たのか、ということになってくる。 そこで、秦氏のトルコ語がクローズアップされるのだ。 トルコ語 iki(イキ)=数詞2 対馬を1番目の島とすると、壱岐は2番目の島になる。 また、唐津を出発地の1番目とすると、壱岐は2番目になる。 壱岐が2番目の島であるのは事実だ。 続く >>147 未だにスカート逆さ撮りやってる情弱も居るんだよな 確かに、スカート履いた女を見れば、その中を見たくなる気持ちはわかる 気持ちはよーくわかるが、どうせ、今ミニスカ履いてる女なんて、 たいてい、中はスパッツとか見せパンばっかりだぞ おまけに盗撮が一般に周知されたおかげで、 ちょっとでも不審な動きを見せれば怪しまれる 田代以前は、靴に仕込めば、ほぼ無警戒で撮り放題だったけどな やってる本人は、カメラを仕込んだ靴や鞄を、自然な動きでスカートの下に潜らせたつもりでも、 見る人が見れば、バレバレだからな だから、今やるなら、トイレなどの設置系なんだよな 「小型カメラ」「スパイカメラ」でぐぐるとわかるが、今のカメラは恐ろしいぞ ・レンズ径は1mm未満→まず見つからない ・遠隔でスイッチON/OFF可能→万が一見つかったとき、いつ仕掛けたか特定できなくする ・wifiで映像の送受信可能→万が一見つかったとき、証拠を残さなくする ・動体検知機能→獲物が現れたときだけ撮ることが可能 ・高感度カメラ→暗い場所でも、陰部がハッキリクッキリ これだけのテクノロジーがありながら、 なぜ大きなリスク背負ってスパッツ撮りに行くかわからない トイレだと、パンツルックでも下着どころかマンコまで丸見えなんだぜ? >>147 引き続き その数詞の2がトルコ語ではiki(イキ)であり、そのトルコ語のイキが壱岐(イキ)の発音と重なるのは、偶然にしてはぴったりとし過ぎる。 3世紀の壱岐は古代中国語の中古音では一支(イシェ)であって、イキの発音とは異なるのだ。 そして、その後の7世紀には壱岐(イキ)の島名が登場しているのであるから、この3世紀から7世紀の間にイキと呼ばれる島名が生まれ、そのイキの名に中国史書に表れる一支の字と符牒する壱岐の字が当てられたとみなすことが可能なのだ。 つまり、3世紀から7世紀の間に出現したイキの島名は、トルコ語の数詞2(iki)であると推定することが可能だということである。 壱岐から少し北に位置する(おっぱい)形をした沖ノ島そのものであるご神体が御身(ミミ)と呼ばれ、トルコ語で(おっぱい)がメメと発音されることと符牒するのと同じで、 対馬から2番目の島であり、唐津から2番目の拠点の呼び名である壱岐(イキ)と、トルコ語の数詞2(iki)とは、絶妙に重なっていると言える。 海の交易路の重要拠点である壱岐島は、トルコ語を話す秦氏からすると、対馬に次ぐ重要な2番目の島だということであったのではないか。 語彙は、交易路を自在に行きかっているということなのだ。 >>149 ★萌えキャラはアングリカン・カポイド(上級コダック)で、萌えの黒幕はクロレラ(緑藻類)で、ホモ&フェラチオ &脱糞&ベツレヘムの星&ソドムの術&モーガン&ヒ素の悪影響がある! あと去年暮れ萌え関係は禁止になったらしい。2019/1/31の19:01★ ★アングリカン・カポイドは英国国教会の使い魔(コダック)で、そいつのゴモラの術(反撃防止)のニードル (アトランティスの遺産)がエンピール!2019/1/31の18:54★コダック=カポイド18:57★ ●三年頃前にアポイタカラでポセイドン&アグニ&まなべ&ホッテントットが集まり私の筋力を奪取した!全員カンバラシュウ の、かごアキラ&ちーちゃん&副島&いとうせいこう&アジャコングがやらせた!2019/1/30の22:14● ●入れ替わったニセ父はモリブデン核でラジオゾンデで尻穴土下座に変化!2019/1/31の21:25● ●私のキムラヌート(カバラ;10i)にスカンク&まなべ&ホッテントット&フェラチオなどの増殖体制がある20:43● ●ピコ=土星人=宇宙人=ヒッポリト星人!私の女運の素を二つウーマ・ラシックと協力して廃物 にした!こいつキムラヌート(カバラ;物質主義10i)にいる!2019/1/31の20:19● ●私のキムラヌート(カバラ;物質主義10i)にまなべ(ニダヤホッテントット)&シコハゲなどが大量にいるせいで、 私のお腹が膨らんでる!しかもこれらアポイタカラ&ミトコンドリアで増殖してる!これに、エンピール& まなべ&タロットの戦車&ベツレヘムの星&レベッカ(アポイタカラ・シコハゲ)も関係!2019/1/30の19:36● ■ 首謀者カワカミの陰謀論ビジネスが成立する理由 @ 他人のネタを無理にパクリ 牽強付会な自己都合にする A 現政権支持への拝金的活動が根底に存在している B 提唱者のセミナー役は本気で勘違い(錯覚)をしている C サポーター(支援者)は思考狭窄に堕ちている D イルミナティという不黙を誇張した表現を常にチラつかせる E 証拠を求めると「宇宙人が〜」と言い出す F 反証を求めると「内部告発〜」と詐称を言い出す G 講演後半で「信じるか信じないかは貴方しだい」と必ず言う H 最終的には極秘情報を高値で売りつけてくる I 常にサクラのサイトが「頑張って!」と応援している ローマの暴君の名と、「睡眠を促す命令語」の日本語が同じなのはなぜ? ネットのイメージはモデル体型のイケメン ワクワクした女が出会ってみたらハゲデブ。 そこで減滅して悪口言ったので、逆上した男に殺されたっていう流れ? >>152 コメント内容 ネロは、イタリア語で黒だ。 寝るのに瞼を閉じると暗くなる。 ネロが、日本語で(寝ろ)と同じなのは、真っ暗だからだ。 日本人は世界一ちんちんが硬いんだぞ あと膨張率が世界一なんだぞ それよりさ、今日、マクド行ったんですよ、マクド そしたらさ、JKっぽい娘と母が痴漢について会話しててさ、 いかにもな素人思考でポテト噴きそうになった 「スカートの中に手を入れられ、触られる。でも、わざとかどうかわかんないから言い出せない」 「そんなのわざとに決まってるじゃん!警察の人に聞いたら、家族と一緒に乗ったら手を出してこないんだって、今度試しに一緒に乗ろう」 「定期解約して京王線で通おうかな。でも、どうして時間帯変えても、同じ人に遭うんだろ?例えば、水曜日なら朝練ないから遅くに乗るのに」 「みっちゃん、最悪なこと言うよ。行動パターン調べられて読まれてるんだよ」だって このスレの住人なら、性犯罪者の心理が良くわかるだろうが、 相当の上玉じゃない限り、行動パターン調べあげて、それに合わせて活動なんてしないよな? そんな暇があったら、他のターゲットに手を出すだろう たぶん、改札あたりで待ち伏せしてるに違いない まぁ、警察に相談されるレベルなのに、まだ執拗に追ってるようでは、この痴漢も逮捕間近だろうな そして、そのみっちゃんって子を、帰り際にチラって見てみたら、 顔はかなり可愛いし、スラっと背が高くて、尻とか太ももも豊かで張りがありそう、かなりそそる こりゃ、痴漢に遭うわー >>161 禿げは、トルコ語でkel。 毛が消える→kel。 JKガイドは予定時間の初めと終わりに嬢が店に連絡するシステムだから、オテルはほぼ無理。 ただ、ガイド中にガイド料金そのまま嬢に渡すから、絶対店にバレないように個別でパパ活しようって持ちかけたら3人中3人ホテル行けた。 後の値段はプレイ内容によって嬢との交渉次第。ショーケースに入った女を抱けた興奮は凄かったよ。 でも結局、同じ値段払うなら吉原のソープ行く方が顔面レベルもサービスも圧倒的にいいからバカバカしくてやめたけどね。 どうしても気になってる嬢がいるなら、交渉だけしてみると後悔ないかも。所詮お金のためにやってることだから、条件が合えば飲んでくれるよ。 初回だけでいいからケチらないことがコツやで! 承前 山城太秦のトルコ語を話す秦氏が絡んだ交易路について、そのトルコ語の痕跡が伺える例として、九州響灘の(おっぱい形)の島である沖ノ島のご神体(御身の形=ミミの形)のミミがトルコ語のメメ(おっぱい)と類似していること、 また、対馬海峡の2番目の島である壱岐(イキ)とトルコ語の数詞2(イキ)が極めて類似していることを見てきた。 このように、トルコ語の語彙の痕跡の可能性が九州と朝鮮半島の間の海峡にみられるとなれば、その対岸の朝鮮半島でもトルコ語の痕跡がみられるのではないか。 そこで、トルコ語の痕跡と考えられるのが、加羅(カラ)である。 朝鮮半島の洛東江中流域にあった小国家群の総称が加羅であり、この加羅が中国史書などに現れるのは5世紀前半から6世紀前半頃だ。 まず、414年に設けられた高句麗の広開土王碑文に「任那加羅」がみられる。 次に、537年の中国史書の南斉書には「加羅国」が記されている。 つまり、加羅の呼称は、5世紀初頭から現れているわけだ。 それ以前には、加羅の国名は文献に見られないということになる。 一方、この加羅地方は、産鉄、製鉄で知られ、3世紀後半に書かれた魏志韓伝では、倭人なども鉄材を入手するために集まっていたことが書かれている。 そして、この時代の加羅は弁韓と書かれていて、まだ加羅の国名は現れていないことが分かる。 さて、では、この5世紀初頭に現れる加羅(カラ)の呼称と秦氏のトルコ語とは、どのような関わりが推測できるのか。 トルコ語 城、城砦=kale(カレ) トルコ語系のカザフ語 城砦から生じたとみられる都市、都(みやこ)=qala(カラ) この城砦や都市、都(みやこ)を意味するトルコ語系のkale、qalaは、アラビア語の城を意味するqalatが語源だとする意見もある。 朝鮮半島南部域に5世紀初頭頃に突然現れる呼称である加羅(カラ)は、城砦、都市、都(みやこ)を意味するトルコ語kale、qala由来の言葉であるとみなすことは可能であるのだろうか。 加羅地方に、特別な城砦はみられたのか。 続く それ秦氏そのものじゃなくて秦氏が使役する製鉄民にトルコ系がいるという話じゃない? >>165 トルコ語のkale、カザフ語のqalaが城砦の意味を持つことを考えると、加羅地方にそのような特殊な景観があったことになるが、そのような事象はあったか。 ここで、先にみた魏志韓伝に戻ると、弁韓(後の加羅)には城郭があると記述している。 一方、辰韓(後の新羅)には城柵はあるが、城郭はないと書かれている。 弁韓の西の馬韓にも城郭はなかったようだ。 では、弁韓特有の城郭とは、どのようなものであったか。 弁韓地方では、邑の背後の山頂に宗廟を設けて祭祀をここで行うのであるが、この山頂の宗廟を取り囲むように山の中腹に石垣を巡らす山城を構築したという。 これが魏志韓伝にいう弁韓の城郭であろう。 こうした特殊な城郭が、弁韓の邑々に設けられていたわけだ。 この山城を指して、トルコ語でkale(城砦)、カザフ語でqala(都市)と呼び、その呼称が弁韓諸国の総称となったと考えることが可能だ。 そして、トルコ語を話す秦氏が日本の記録に現れるのが4世紀後半であり、沖ノ島の国家祭祀が始まるのも4世紀後半で、朝鮮半島との交易が活発になるのもこの頃からなのだ。 その直後の5世紀初頭に弁韓諸国を加羅(カラ)と呼称することが史料に現れてくるのである。 このように、加羅(カラ)の語源がトルコ語のkale(城砦)であり、その(城砦)の変化形とみられるカザフ語のqala(都市、都)であると推定することは可能である。 また、弁韓地方が加羅と呼ばれるようになるのは、倭國に移住したトルコ語を話す秦氏の交易上の影響によるものだったと考えることは可能である。 加羅(カラ)は、おそらく、秦氏のトルコ語のkale(城砦)、あるいはカザフ語のqala(都市)が語源であろう。 >>166 各種の技術集団を束ねる秦氏がトルコ語を話したものではなく、参加の製鉄集団がトルコ語を話していたとした場合、 その製鉄集団の話すトルコ語が沖ノ島の御身(ミミ)や対馬海峡の壱岐(イキ)、半島南部の加羅(カラ)の呼称となるには、 それらの言葉が伝わる経路を何段階も想定しなければならないのでは。 製鉄集団→製鉄集団の頭領→秦氏→政策担当豪族の3段階。 秦氏自身がトルコ語を話した場合、政策当事者の豪族たちがその言葉を採用して使用するようになるまでの段階は1段階で済む。 まあ、どちらにしても、加羅(カラ)がトルコ語由来である可能性は高いと思うけどね。 ,、 ,,r‐---、,_ ., .|`゙'ー、,、 ,/゜ ,/”,メ-,,、 l゙ `'''ー、,,, _,,,,,,―ー'''",,,-┤ .,/ .│ │ `''ーi、 │广''ー、 __,,,,,-‐'''゙二r‐-x、 .l゙ l ,i´ 丿 | | .广''''"," ゙l-ーl" .│ ,/゜_,,,,、 │ l゙ | ,/ /′ ,i´ .,,,,,,,,,,,,,,,,,,| ,ド''゙゙゙`l゙ .,、 ││ │ ,/` ,r'" ゙l │ l゙ l,i´ .,/ ,,i´ │ l゙ .l゙ .l゙| .|.l゙ l゙ /` .,/ ,! .l゙ ,l゙ ″ /` .,,i´ .l゙ .l゙ ,l゙ / ゙l .″ / .l゙ l゙ ./ ,l゙ ,i´ .,、 │ .,,r″ l゙ | .| | | ,i´ | ゙l_ ,,/ ,ん┤ /゙l .T"` .| l゙ l゙ .l゙ │ / \,、 `^ ._,/` │ .│ | | l゙ .| .| l .―''″._,,,,--'““''〜` (,,,,_l゙ ゙l .| │ .l゙ ←″ _,,,,―¬"゛ ` !,,、.| ,,,|,,-←―''''" ̄^ ゙゙''" [公正] 2006年4月より、TDNスレには上記のTNOKマークをテンプレに張ることが義務付けられております。 TNOKマークの無いスレを立てた場合、8点の減点または免許の剥奪となります。 >>169 トルコ語 yarak tnokはyarak わははははは。 まあ、トルコ語を話す渡来ユダヤ人秦氏が海外交易におおいに活躍したのは、まず間違いないようだ。 >>168 経路が何段階だろうと現場の労働者の言葉が残る事もあるでしょ >>173 秦氏から現場職人まで、皆トルコ語を話していたとするのに100万トルコリラ。 >>174 ソウルは朝鮮語であり、(都=みやこ)の意味だとされる。 しかし、万葉仮名式に漢字音が当てられていないのは、不思議。 トルコ語で(都・首都)は、sermaye(セルマイエ)。 ser(セル)とソウルの音は似ている。 ソウルは、トルコ語のsermaye(セルマイエ)=都(みやこ)由来ではないか。 >>175 1945年に韓国が成立したときに首都につけた名がソラボンで、このソラボンが訛ってソウルになったらしい。 ソラボンは古代新羅語で、都(みやこ)の意味だとされる。 トルコ語のsermayeのserとソラは似ている。 >>176 上に書いた(韓国成立時に首都をソラボンとして、それがソウルと訛った)というのは、間違いのようだ。 1392年の李氏朝鮮が成立した時、首都を漢城(ハンソン)に置き、その地を(都・みやこ)の意味の古代新羅語でソルボンと呼び、それがソウルに訛ったとされる。 どちらにしても、トルコ語のsarmayeのserとソラボンのソラは、音が似ていて意味は同じだ。 >>177 古代新羅語に秦氏の話すトルコ語sermaye(都=みやこ)が取り入れられ、それがソラボンと訛り、さらにソウルと訛ったということだろう。 モンゴル語で(爪)を意味するのは、khums(クムス)。 これが西方拡散したさまを見てみよう。 (爪) モンゴル語 khums(クムス) エストニア語 kuunis(クーニス) デンマーク語 klo(クル) スウェーデン語 klon(クロン) ドイツ語 klaue(クラウェ) オランダ語 klaw(クラウ) 英語 cllaw(クラアァ) みごとにku音が連鎖している。 エストニア語は満州のウラル語族の一派で、ウラル語のkuunisがデンマークでゲルマン語に取り入れられたことが分かる。 この(爪)は、ロシア語ではkogot(コゴッ)で、ku音からko音に変化したものとみられる。 ロシア語の原郷はベラルーシ付近なので、ウラル語族がカザフ平原の北端あたりを西進したために、スラブ語族と直接的な接触が起こらなかったためではないか。 いずれにしても、東アジアの(爪)を意味するku音が、みごとに西進している。 ところで、このモンゴル語のkhums(クムス=爪)は、日本語と無関係ではないようだ。 モンゴル語 khums(クムス=爪) 日本語 kuma(クマ=熊) 熊は強力な爪を持っている。 日本語のkuma(クマ=熊)の原義は、おそらくこのモンゴル語khums(クムス=爪)だろう。 つまり、日本語のkuma(熊)と英語のclaw(爪は)、つながっているのだ。 わははははは。 >>179 訂正 上から10行目のcllaw(クラアァ)→claw(クラァ)が正しい。 >>181 ちょっと気分転換。 日本語の火(ヒ)、日(ヒ)、光(ヒカリ)、昼(ヒル)は、皆(ヒ)が語幹だ。 また、火(ヒ)は(ホ)とも読む。火明(ホアカリ)、炎(ホノオ)の(ホ)である。 日本語の語彙には、タガログ語の語彙と同系のものが相当みられるので、タガログ語の(火)をみてみるとapoy(アポイ)なので、このタガログ語のapoy(アポイ)のpo音と日本語のホノオ(炎)のホ音とは関連があるのかも知れない。 タガログ語のほかに(火)をみると、マレー語api(アピ)がある。これは日本語のヒ(火)によく似ている。 そして、タイ語の(火)はfi(ファイ)、クメール語の(火)はakkiphy(アキハイ)。これは日本語のホノオ(炎)のホ音とよく似ている。 そこで、タガログ語のapoy、マレー語のapiのa音は外来の付加音ではないかと考え、(火)の語彙を追っていくと、次の語彙がみられる。 (火) パンジャブ語 aga(アガ)、ヒンディー語 aag(アアグ)、ネパール語 ago(アゴ)、ベンガル語 aguna(アグン) これらをみると、タガログ語のapoy(アポイ)やマレー語のapi(アピ)のa音は、ヒンディー語などの(火)の語頭音aが付加されたものとみることが可能だ。 とすると、タガログ語のapoy、マレー語のapiは、元々はpoy(ポイ)、pi(ピ)であったことが推測されるのだ。 そうであれば、(火)を意味するタイ語のfi(ファイ)、クメール語のphy(ハイ)などとも類似することになる。 このようにみると、日本語のヒ(火)、ホ(火)は、タガログ語のapoy(アポイ)、マレー語のapi(アピ)、タイ語のfi(ファイ)、クメール語のphy(ハイ)などと同系の言葉である可能性が相当高くなってくる。 どうやら、日本語の火(ヒ)、火(ホ)は南方由来の言葉だとみなすことが妥当なようにみえてくる。 おそらく、日本語の火(ヒ)、火(ホ)の原郷は、中国南部あたりにあるのだろう。 >>177 秦氏はトルコ語を話すユダヤ人だったとの想定のもとに、日本や韓国のトルコ語由来と考えられる語彙を拾い出しているが、赤穂にある大避神社の能楽面が興味深い。 大避神社は秦河勝が創建した神社で、主祭神は大避大神。大避大神は秦河勝とされる。 そして、大避神社が所蔵する能楽面は、秦氏が持ってきたもの、或いは河勝が作ったものとされる。 髪が巻き毛的で、目が大きく、鼻は天狗のように高い。 そこで、天狗(てんぐ)の語彙をみると、漢語の天狗は流星のことだそうだ。 天を素早く走る星を意味している。 しかし、このテングの発音と極めて類似する語彙がトルコ語にはある。 トルコ語 tangu(タング)=神 秦氏が持ってきた面が天狗(てんぐ)に似るとされ、トルコ語で神はtangu(タング)なのだ。 秦氏が大切に持ってきた天狗(てんぐ)面は、実は神(タング)だったというのは、有り得ない話ではないだろう。 天狗は中国では流星のことであるが、日本では人の形をし、鼻が長く、空中を飛ぶ怪物とされている。 中国の天狗(流星)とはまったく異なる。 トルコ語のtangu(タング=神)が、漢語の天狗(流星)の意味と入れ替わった可能性が高い。 その日本語の天狗(てんぐ)の意味は、まさに神が変容したイメージにふさわしい。 秦氏がトルコ語を話すユダヤ人だったことは、ほぼ間違いないだろう。 わははははは。 >>181 日(ヒ)、火(ヒ)を表すヒ音が1万2千年前の縄文草創期に中国南部から南九州へやって来た種族によってもたらされた語彙だとすると、それ以前から列島に住んでいた先住縄文人は、このヒ音とは異なる発音の日、火を表す語彙をもっていたはず。 その日、火を表す先住縄文人の語彙とは、どのような言葉だったのだろうか。 ここで、ヒ音と対照する言葉をみてみよう。 ヒカル(光る)→テカル(照かる) ヒカリ(光)→テカリ(照かり) ヒル(昼)→テル(照る) 明らかに、(ヒ)と(テ)は対照する関係にある。 しかし、ヒ(日、火)を表す言葉としてのテ(日、火)の語彙はない。 また、テラス(照らす)に対照するヒラス(日らす)という語彙もない。 これをみると、先住縄文人の日、火を表す(テ)の語彙は失われ、南方から来た種族のヒラス(日らす)は元からの縄文人のテラス(照らす)のために定着しなかったと考えるのが妥当だろう。 つまり、日、火を表す先住縄文人の(テ)音は、実は、南方からの種族の渡来前には存在していたことが想定できるのである。 では、先住縄文人のテ(日、火)は、どのような系統の語彙であったのか。 続く >>183 続く ここでモンゴル語、フィンランド語、漢語の(天)を指す語彙をみてみよう。 モンゴル語 tenger(テンゲル)=天空 teng(テン)=太陽 フィンランド語 taivas(タイバス)=天、空 漢語 tian(ティエン)=天、日 tai(タイ)=太、天帝 これらは、日本語の照る(テル)、照り(テリ)、照かり(テカリ)のテ音と極めて類似しており、日本語のテル(照る)のテ音と同系の語彙であるのは明らかだ。 この日本語のテ音は、先住縄文人の日、火を表す語彙であった可能性は、極めて高い。 さらに、日本語の照る(テル)のテ音は、これら(モンゴル語のteng(テン)=太陽、フィンランド語のtaivas(タイバス)=天、空、漢語のtian(ティアン)=天などの語彙の原語である可能性も視野に入れることができる。 日、火を表す(テ)の語彙が、先住縄文人の言葉にあったことは、ほぼ間違いないだろう。 >>185 根競べ=根気競べ→根気を競う→根気強さを競う。 con-clave(クム・クラーベ)=鍵を掛けて(出られなくする) コンクラーベなんて発音はないよ。 根競べ、クムクラーベ、発音も意味もチェンチェン違うよ。 あいにくだなあ〜。 >>187 根競べ、クムクラーベ。 カプセル、かぶせる。 どちらも、他人の空似というやつ。 一方、先住縄文語のテ(照)と、モンゴル語のteng(テン)=太陽、漢語のtian(ティアン)=天、フィンランド語のtaivas(タイバス)=天・空などのテ・タ音は、皆同系の語彙だ。 しかも、先住縄文語のテ(照)のほうが、基礎的な古語のようにみえる。 おそらく、先住縄文語は北東アジア系の言葉の親に相当する言葉だな。 日ユ同祖論で日ユの同音同義語があげられるが他人の空似か… >>189 日本語の語彙とヘブライ語の語彙によく似たものが少なからずあるとの説は、他人の空似の部類ではないか。 しかし、秦氏がギリシャ系あるいはペルシャ系のトルコ語を話す改宗ユダヤ人であるのは、ほぼ間違いないと思う。 そして、そのトルコ語の語彙が、5世紀以降に日本語の語彙として定着したものも少しはあるみたいだ。 >>190 ヘブライ語は近代以前の中世などにはすでに文語であり、その主軸は聖書の文章語として継承されてきたという。 口語としてのヘブライ語は、近代以前にはすでに衰退していたのを、19世紀後半になって人工的に復活させたものだそうだ。 したがって、5世紀頃以降に日本にヘブライ語が入ってきたとすれば、それは文章語としてであり、そうしたヘブライ語の文献が残っていても不思議ではない。 しかし、古代の日本では、ヘブライ語の文献は一般的には皆無ではなかったか。 また、文章語のヘブライ語が、万葉仮名に音写変換されていた可能性については、そうした観点で調べたことがないので、よく分からない。 万葉集の歌に難読語彙というのがあるが、ヘブライ語と対照させてみると面白いかもしれない。 >>191 縄文土器似の土器が出てるそうだからな。 アメリカには、意外に先住アメリカン=縄文人系説があるようだ。 しかし、Y-D系の先住アメリカンはおらんだろう。 古代日本に西洋の文献とか学問とか入ってきてたら古代日本でアリストテレスとかソクラテスとかの学問も入ってきてたかな >>193 縄文人にはY-CもY-Nもいるから まあ土器だけ流れ着いた可能性もあるがな まあ、文章語であるヘブライ語をあやつるユダヤ人が日本に入ってきていたと想定よりも、 トルコ語を話すギリシャ系改宗ユダヤ人が来ていたとするほうが現実的だ。 これまでに、秦氏関連のトルコ語をみてきたが、その線で諏訪大社の四本柱がユダヤ人の聖数4を表したものではないかとする説に焦点を当ててみると面白い結果になる。 諏訪大社の神は、持統天皇の頃には「須波」の神と書かれていて、これは(スハ)の発音となる。 そこで、トルコ語と対照させてみると、 トルコ語 su var(ス・バ)=水がある つまり、諏訪湖を意味している言葉がsu var(ス・バ=水がある)であり、 持統天皇の須波(スハ)=諏訪は、トルコ語のsu var(ス・バ=水がある)に由来する言葉だと考えることができる。 諏訪大社はユダヤ人の祭りの場であったとする説が喧伝されているが、太秦のトルコ語を話す秦氏との結びつきを想定することで、諏訪大社=ユダヤ教説が信憑性を帯びてくることになる。 もはや、秦氏がトルコ語を話すギリシャ系改宗ユダヤ人であったことは、動かしがたいのではないだろうか。 >>200 追加 グーグル翻訳で聴くと、su varは、スワアンと聞こえる。 まさに、諏訪(すわ)だな。 わははははは。 >>201 喧伝される秦氏ユダヤ人説によると、宇佐八幡の八幡は(ヤハタ)と読むのが元々の発音で、その(ヤハタ)はヘブライ語のyehuda(ヤフダ)由来だという。 ヘブライ語のyehuda(ヤフダ)は、南ユダ王国の民を指し、その変化形のyehudi(ヤフディ)がユダヤ人を意味するとして、 そのyehuda(ヤフダ)の発音が、ヤハタ(八幡)となったのだというもの。 そして、その本家本元の宇佐八幡の祭神応神天皇は秦氏(弓月氏)の血をひくユダヤ系の大王だったとする。 しかし、これまでみてきたように、秦氏はトルコ語を話すギリシャ系改宗ユダヤ人だとする立場からすると、トルコ語の(ユダヤ人)はヘブライ語とほぼ同じでyahudi(ヤフディ)、あるいはyahud(ヤフド)であるので、 八幡(ヤハタ)はヘブライ語由来でなく、トルコ語由来だとすることが可能である。 これまでのトルコ語の語彙の痕跡から、八幡(ヤハタ)はトルコ語由来だとするのがよい。 ではなぜ、宇佐に八幡神が現れたのか。 博多から宇佐を経て山陽道へ周防灘を渡るか、宇佐から周防灘を経て瀬戸内海を舟行するルートが交易の幹線となっていたために、宇佐の地理的位置が交易ルートの要の場所にあったからだろう。 交易ルートを握っていた秦氏が、そこに自らのユダヤの神を祀ったということになる。 その八幡神が応神天皇とされるのは、一種のカバーであろう。 実態は、秦氏が奉じるユダヤの神ということになる。 そして、応神天皇が秦氏の血をひく人物だからとするのは、少し無理があるようにみえるのだ。 >>202 千葉県横芝光町の芝山古墳群の最初の古墳とされる殿塚古墳は、6世紀後半の前方後円墳だが、その周囲を巡る二重の周溝はなんと長方形だという。 別の古墳から出土した人物埴輪の中には、帽子をかぶり鬢の長巻き毛を垂らした武人埴輪が出ている。 この人物の造形は、ユダヤ教の超正統派のそれとそっくりだ。 トルコ語を話す改宗ユダヤ人秦氏の拠点が、太秦のほかに諏訪とこの芝山古墳群の土地だろう。 そして、この芝山の前方後円墳の周溝の形が長方形なのだ。 諏訪の四本柱と同じ長方の形で、この長方形はユダヤ教では神の居場所とされ、数詞4は聖数なのだ。 芝山にも、トルコ語の痕跡があるかも知れない。 >>203 ところで、日、火を(ヒ)発音するのは南方語由来であり、元々の先住縄文語の日、火は北方由来の(テ)ではなかったかと考えたが、日本語の語彙にはこのような南と北に由来するそれぞれの語彙があるのではないだろうか。 二重構造論の学説がすでにあるが、現在はまだ決め手がないようだ。 そこで、北方系とみられる語彙について、あれこれみてみることにしよう。 風(かぜ)は、(か・ぜ)の複合語と考えられる。 いろいろな方向から吹く風のの中で、南風を(まぜ)と呼ぶが、これは(ま・ぜ)で(真・風)の意味だろう。 そうすると、風を意味する語彙は、(ぜ)の音ということになる。 (かぜ)の(か)は、強いを意味する(コワ)のko音の変化と考えると、(か・ぜ)は(強い風)を意味する言葉であることが推測される。 では、(ぜ)を風の意味とする類似語はあるのだろうか。 そこで、風を意味する韓国語をみるとbalam(パラム)である。 この韓国語balamのbalは、風を意味するモンゴル語のsalkhiny(サルヒニ)のsalと同系とみられる。 そしてモンゴル語のsalkhinyは、風を意味するカザフ語のjel(ジェル)と同系と考えることができる。 風(かぜ) カザフ語 jel モンゴル語 salkhiny 韓国語 balam これらはみな同系の語彙であろう。 こうした風(かぜ)を意味する言葉の流れをみると、日本語の風(か・ぜ)を意味する(ぜ)音と非常によく似た言葉は、カザフ語のjelであることが分かる。 日本語の風を意味する(ゼ)音と、カザフ語の風を意味するjel(ゼル)は同類の言葉のようだ。 おそらく、この日本語の風を意味する(ぜ)音は、カザフ語のjel(ゼル)の原語に当たる位置にあるのではないだろうか。 つまり、風(かぜ)を表す日本語は、アルタイ地方に根を持つ語彙なのではないかと考えることが可能だ。 Y-D1bは、アルタイ発祥ということかもな。 >>205 発声時期に2万年ほど差がある。 Dは6万年前。 Oは4万年前。 Oの親のNOが発生した時期も4万5千年前。 NやO、Cなどがアルタイへ来て、Dの言葉を取り入れたわけ。 その後、Dは南下し、N、O、Cらはそのまま止まったが、寒さが厳しくなって南下した。 >>204 日本語の風(か・ぜ)の(カ)は、コワ(強い・硬い)の変化音であり、カ・ゼは強風の意味だと考えた。 そして、風そのものは(ゼ)音で、カザフ語の風を表すjel(ゼル)と類似語だろうとした。 ここで、面白い発見があった。 日本語の風(カ・ゼ)は、元々は強風の意味だとしたが、カザフ語で強風はqatti jel(カティ・ゼル)だ。 qattiは(大声で)という意味。 また、qattは(しっかりした)の意味。 なので、qatti jel(カティ・ゼル)が強風の意味になる。 で…、このカティ・ゼル(強風)は、日本語のカ・ゼ(強風)と発音も、語の構成も、意味もまるで同じなのだ。 カティの語頭のカとゼルの語頭のゼを合わせると、カ・ゼになる…。 しかも、意味も同じ。 日本語の風(カ・ゼ)とカザフ語のカティ・ゼルは、同じ言葉だったのだ! わははははは。 >>207 そして、日本語のカゼの(ゼ)とカザフ語のjel(ゼル)と英語のjet(ジェット)は、つながっているかもしれないな。 >>206 そこまで遡ったらアルタイ祖語より古いぞ >>209 チュルク、モンゴル、ツングースが現れる前に原縄文人がアルタイにいた可能性がある。 ああなるほど Y-C縄文人とY-D縄文人の区別が付いてないのか >>211 Cと言っても複数ある。 C1a1は、縄文草創期前頃にナイフ型石器を持って北部九州へ渡ってきた者たちだろう。 そして、C2は、弥生に朝鮮半島から渡来した者たちだ。 双方に1万年近い時間差がある。 しかも、縄文本体のDに比べると少数だ。 >>212 訂正 (ナイフ型石器)は間違いで、縄文草創期前に現れるのは(槍先型尖頭器)だな。 >>213 まあ、いずれにしても、Dの縄文語語彙がカザフなどアルタイ地方と関係があるのは、動かしがたいな。 それも、N、O、Cの種族がやってくる前にすでにそこにいた、ということだ。 そのうち、骨が出るよ。 >>214 日本人のD1aの祖形であるDE-YAP(+)はいたるところで痕跡を残していて、もちろんアルタイ地方でもみられる。 >>215 DEから分岐したDは、YAP(+)のうちのM174と定義されるものだそうだ。 Dの分類の大枠がM174ということになる。 その大枠であるM174の保持者が南アルタイで6.3%みられるという。 また、トルコ系、ペルシャ系、アラブ系の部族が移住したとされる中国寧夏回族自治区でも、このM174が9.3%みられたそうだ。 ちなみに、日本人はM55、57、179、359など8種類がみられるという。 アルタイ地方は、Y-Dと無関係ではないようだ。 どうも、先史時代のアルタイ地方と縄文の関わりでは、チュルク系であるカザフ語の語彙にその痕跡がみられるような気配だ。 一方、歴史時代の語彙では、チュルク系であるトルコ語の語彙との関わりがみられる。 どちらもチュルク系ではあるが、歴史時代のトルコ語の語彙については、5世紀に渡来したギリシャ系、あるいはペルシャ系の改宗ユダヤ人と考えられる秦氏(弓月氏)と深い関わりがありそうだ。 ここで、これまでみてきたように、引き続き秦氏関連の語彙をを探ってみよう。 旅(たび)は、トルコ語ではseyahat(セヤハト)。 この語彙の構成では、at(アト)は馬のこと。 seyah(セヤフ)の意味がグーグル翻訳ではよく分からないので、カザフ語でみると、 カザフ語で旅行は、sayaxat(サヤハト)。 sayax(サヤク)は旅行、at(アト)は馬。 これからすると、トルコ語のseyahatは、seyah(旅行)、at(馬)の構成であることが分かる。 つまり、トルコ語の旅(たび)の語彙は、馬に乗って旅をすることを意味していることになる。 さて、ここからが日本語との関連である。 日本語で旅の宿屋は、旅籠(はたご)である。 平安時代の和名抄に、すでにこの語彙がみられるそうだ。 では、旅籠(はたご)とは、どのような意味なのか。 馬の飼料を入れた竹籠を(はたご)と言い、江戸時代にはこの馬の飼料を入れた竹籠を宿屋の目印にしたという。 そこで、旅籠(はたご)が、旅宿所の意味となった。 (はたご)の(ご)は、籠(かご)の短縮語なので問題はない。 問題は、旅と書いて、これを(はた)と読むことである。 旅=(はた)と何か。 続く >>217 ここで、冒頭のトルコ語の旅(たび)を意味するseyahat(セヤハト)をみると、at(アト)は馬の意味であった。 そこで、このseyahatからseyaの発音を省略するとhat(ハト)となり、このhat(ハト=馬)に籠(かご)の(ご)を付け加えると、(ハトゴ)という言葉になる。 この(ハトゴ)は、和名抄の旅籠(はたご)が馬の飼料を入れた竹籠の意味であるのと、寸分違わないまったく同じ意味となるのだ。 また、seyahat(セヤハト)の単語そのみものが旅(たび)の意味であることからすると、(はたご)=馬の飼料を入れた竹籠が(旅籠)と表記されたているのは、まさにseyahat(セヤハト)=旅の言葉通りの意味を表していることになる。 このようにみると、旅籠(はたご)の旅(はた)は、トルコ語seyahat(セヤハト=旅)の短縮形のhat(ハト=馬)由来であるのは、ほぼ間違いないと言える。 このトルコ語を話したのは太秦の秦氏であったことは、これまでにみてきた語彙からして、まず確かであろう。 そして、そうなってくると、秦氏の秦(はた)は、通説で言われるように機織の機(はた)由来であるのかどうか、再検討の必要が出てくるということになるのだ。 わははははは。 秦(はた)氏という名称は朝廷から賜ったもので自称じゃないぞ >>219 欽明天皇からもらったとされるのは「秦(しん)」の字。 この秦を「はた」と読むのは、もともとから「はた」と称していたからだろう。 その「はた」の意味が機(はた)由来とされるが、実際のところは分からないようだ。 >>220 機の字に(はた)の意味があったのだろうか。 機織物は(はたおりもの)と読み、織物を作る機械が(はた)と呼ばれているものである。 しかし、朝廷に属して機織物を作る組織を機織部と書き、これを(はたおりべ)と読んでいる。 この機織部(はたおりべ)が訛って(はとりべ)となり、さらに短縮して(はっとり)と変化した。 そして、この(はっとり)には服部の字が当てられていて、もとからある機の字は用いられていないのだ。 ということは、(はたおり)を機織と漢字を当てているものの、(はた)は服、すなわち服地、布地の意味ではないのか、ということになる。 そこで、服(はた)と同じ発音をする幡(はた)の字をみてみよう。 この幡(ハン)は(ひるがえる布)を表す字であり、(ひるがえる布)を意味する幡(ハン)は日本語の(はた)と同じだということが分かる。 つまり、服地、布地を意味する(はた)と、(ひるがえる布)を意味する幡(ハン)はほぼ同じ言葉であり、発音も類似している。 これらのことから推定されるのは、服地を意味する(はた)は漢字の幡(ハン)由来の言葉である可能性が高く、機が(はた)を意味しないことは明らかである。 では、旅籠(はたご)と幡(はた)はつながるのだろうか。 わははははは。 >>221 つまり、秦氏(はたうじ)の(はた)は、漢字の(ひるがえる布)を意味する幡(ハン)由来の服地、布地(はた)とは、もともと別であることが考えられる。 後に、服地、布地の意味の(はた)に転嫁されたものの、もともとの(はた)は、旅行、旅を意味するトルコ語のseyahat(セヤハト)の短縮形hat(ハト)が(はた)と訛ったものだと想定するのが妥当だ。 旅籠(はたご)の(はた)が、本来の秦氏(はたうじ)の(はた)だろう。 >>222 秦氏の周辺をトルコ語で探ると、秦氏の神話が解けてくる。 極めて興味深い。 伏見稲荷大社は、秦氏の分家が創建したとされる。 宗家は太秦であり、太秦の地は宗像から中国地方の山間部を通り京都に至る交易路の山陽道の京都側の入り口に当たる。 一方、分家の伏見稲荷がある深草の地は、京都から琵琶湖の大津、名古屋、長野の諏訪方面、関東へとつながる交易路の京都側の出口に当たる。 つまり、秦氏は、一族が宗像から関東へつながる交易路の中枢部に陣取っていたことが分かる。 その伏見稲荷は稲荷神を主祭神とする神社で、稲荷神は伏見稲荷の東方にある稲荷山の神である。 山が神体山となっている。 これは、宗家が太秦の西方にある松尾山を神体山としていることと同じだ。 では、この稲荷(イナリ)と秦氏のトルコ語と、どうつながるのかというのが肝心なのである。 続く >>223 秦氏の分家は深草の稲荷山の神を祀り、その神が伏見稲荷大社の主祭神となっている。 その伏見稲荷の(稲荷)は当て字であり、元々は伊奈利と書かれる。 伝承では、分家の当主が餅を的にして弓を射ち、その餅が白い鳥となって山頂へ飛んで行き、 その場所に稲が生ったので、「伊弥奈利生いき(いねなりおいき)」とされ、それが伊奈利の社名となったというもの。 しかし、山の頂に稲が生えるわけがないので、これは山を水源とする食物神についての説話であろう。 実際、伏見稲荷の稲荷神は食物神のウカノミタマと同一とされている。 この伝承は、山城国風土記の逸文にみられるそうだ。 つまり、伊奈利神は(稲生り神)のことだというわけである。 …本当にそうか。 続く >>224 ここで、秦氏のトルコ語の登場となる。 トルコ語で、神はtang(タング)。 降りるはiney(イナイ)。 (神が降りる)は、tang iney(タング・イナイ)となる。 iney(イナイ)は下降という意味なので、これを神と合わせると(降臨)するとの意味になるというわけ。 このトルコ語からすると、餅を弓で射って、その矢が貫いた餅が山頂に飛んで、そこでイネに生ったという説話のイネは、元々は(下りる)という意味のiney(イナイ)であった可能性が高い。 つまり、何が降りたのかというと、稲ではなく、秦氏の神が(降りた)ということになる。 その後、iney(イナイ)は伊奈利=稲荷(イナリ)と書かれるようになったが、その稲荷山は現在も秦氏の氏神が宿る神体山なのである。 そして、その氏神とは、言うまでもなくユダヤ教の神ということになるのだ。 たぶん、間違いないだろう。 >>225 追加 ユダヤ教の聖山は、シナイ(sinai)山だ。 民を連れてエジプトを出るように神がモーゼに伝えたのが、このシナイ山の麓。 そして、エジプトを出てこの山の前を通過するときに、モーゼは神から十戒を授けられた。 これがシナイ山(sinai)である。 秦氏の分家の神体山である稲荷山(イナリ)の元と考えられるトルコ語は、inay(イナイ=降りる)。 sinai(シナイ)山とinai(イナイ)山は、発音も意味もよく似ているではないか。 sがあるかないかの違いだけだ。 神が降りた山であるのは、同じだ。 イナイ(inay)山→(神が)降臨した山…。 シナイ(sinai)山→(神が)降臨した山…。 わははははは。 トルコ系ユダヤ人で多神教なの?スゴイ集団だね 秦氏が使役する製鉄民の中にユダヤ系やトルコ系がいたとかならまだわかるんだけど 神社などの建立は、商品流通ネットワークの営業所を設けたものと考えればよい。 お寺が文化センターの機能を果たしていたのと同じ。 秦氏が祀る神については、これはユダヤ教の神だろう。 いらん摩擦を避けるために、偽装したことも考えられる。 ワイのトルコ語説からすると、秦氏が祀る神はすべてユダヤ教の神であるようにみえる。 製鉄は、今の通説では5世紀には始まっていた可能性が指摘されているので、蹈鞴製鉄に渡来した秦氏が関わっていたとすることも十分可能だ。 >>227 秦氏一族がトルコ語を話すギリシャ系、あるいはイラン系の改宗ユダヤ人であったと考えるほうがいいと思う。 太秦の三本鳥居や諏訪大社の四本柱、千葉の芝山の古墳の周溝が長方形であることなどをみると、製鉄技術者の中にトルコ語を話す者たちが一部いただけとするよりは、集団の中枢部がトルコ語を話す改宗ユダヤ人だったと考えるほうが合理的だと思うね。 >>230 どちらも、そのなんだ、ヤハウェ…とかいう。 稲荷は、(降臨した)。 稲荷山は(降臨したもうた山) だれがその山へ降臨したもうたのかというと、そのなんだ、ヤハウェ…とかいう。 一方、八幡(やはた)は、ヤハド(ユダヤ人)に漢字を当てたものだとする意見あるが、トルコ語のseyahat(セヤハト=旅行)から語頭のse(セ)を取ればyahat(ヤハト)になる。 つまり、ヤハド(ユダヤ人)という語彙は、(旅する者、移動する者)という意味のどこかの国の言葉が語源である可能性がある。 しかしまた、ユダヤの神のヤハウェのヤハも八幡(やはた)のヤハに通じるし。 とにかく、語源的にはいろいろ解釈があるなあ。 >>231 応神天皇は秦氏の血脈だっので、秦氏の権威付けのために応神天皇が宇佐に顕現したという話がつくられたという説がみられるし。 語源的にいろいろな解釈があるって事は 自分にとって都合が良い説が真実の可能性は低いって事だからな どちらもヤハウェで片方が製鉄の神で片方が農業の神? それがユダヤ人の信仰なの? 本気では言ってないよね 無理があるって自覚があるんでしょ >>235 稲荷は、元々はイナイ(下降)だろうね。 (ヤハウェが)降りた山、という意味だと考えることが可能だ。 つまり、秦氏の分家は深草の山をシナイ山にみたてたということになるね。 一方、宇佐の八幡(ヤハタ)神社のヤハタについては、これはまさにいろいろ解釈できる混乱状態だね。 まあ、おいおい考えていくことにしようや。 マニ教や景教のように一部ユダヤ思想を取り込んでるんじゃないの? >>237 そのユダヤ思想がいつ、誰によって5世紀頃にもたらされたか、ということだよね。 秦氏自体がその当事者というのがワイの考え。 だ〜がしかし、その秦氏は実はトルコ語を話す改宗ユダヤ人だったというのがミソ。 単に、ユダヤ思想を齧った者らではなかったような。 淡路島でヘブライ語を記した指輪と丸石がみつかっているそうだ。 そのヘブライ語は紀元前の形式だという。 ちゃんとした発掘がなされたものなのかどうかは、分からんがな。 >>240 文字の流れは、エジプト・ヒエログリフ→原カナン文字→フェニキア文字→アラム文字→ヘブライ文字、アラビア文字などとされているなあ。 そのフェニキア文字とヘブライ文字は、ほとんど同じらしい。 指輪には、鹿が彫られているのもあるそうだ。 鹿は、十支族のひとつの紋章とされているそうだ。 しかし、これ、ゴッドハンドの産物じゃないのかね。 ユーチューブの(古代日本ミステリー「稲荷」と「INRI」)というのをみると、キリストのことであるJNRI(ラテン語=INRI)が群馬県の多胡碑に刻まれているらしいな。 この映像では、景教のことなども触れている。 お主が言っていることと、ほぼ同じ内容だし。 トルコ語のinaiと、このINRIと、よく似ているのじゃな〜いの。 わははははは。 >>242 この多胡碑の近くの石郭に「JNRI」の文字が刻まれているのだそうだが、これも江戸時代の隠れキリシタンによるゴッドハンドの産物ではないかとする意見もあるようだな。 ユダヤ教やキリスト教関連では、どうもあちこちにゴッドハンドの臭いがするゾ。 とはいうものの、し〜かし、INRIとトルコ語のinaiがよく似ていることは事実だな。 >>243 5世紀頃に渡来した秦氏は、ユダヤ人であったとする説が少なくない。 多くのケースでは、この秦氏=ユダヤ人はヘブライ人とするようである。 なので、ヘブライ語による秦氏関連の解明が行われる。 ところが、ワイ説では、秦氏=トルコ語を話すギリシャ系、あるいはペルシャ系の改宗ユダヤ人説をとるので、トルコ語による秦氏関連の解明を進めているもの。 つまり、ヘブライ語対トルコ語の対立となる。 これまでに、ワイ説で見た限りでは、トルコ語による解明のほうがリアルである。 ここで、さらにその例の一つを挙げよう。 古代ユダヤ人の指導者であるのは、モーゼ。 ヘブライ語では、モーシェ。 一方、トルコ語では、musa(ムサア)。 さて、渡来人が多く移住した東国は、埼玉県や東京都がその中心。 この埼玉県や東京都のあたりの古代の国名は、武蔵(むさし、むざし)の国だ。 その(むさし)の(し)は方角を意味するので、(むさし)の(むさ)が本来の意味を表していることになる。 つまり、(むさ=武蔵)の国というわけだ。 一方、漢字の武蔵の発音は、(ブゾウ)である。 多胡にユダヤ系の者たちが入植したとすれば、これまでの探査では、必ずその痕跡があるはずだ。 そこで、(むさ=武蔵)とは何か。 続く >>244 そこで、(むさ=武蔵)とは何か。 前出のユダヤ人の指導者モーゼのトルコ語発音が(ムサア)であった。 ヘブライ語発音であれば、モーゼは(モーシェ)である。 どちらが(むさ=武蔵)に似ているか。 いうまでもなく、トルコ語の(ムサア)である。 つまり、武蔵(むさし)の国とは、「モーゼの国」のトルコ語発音だった可能性が極めて高い。 古語としては、武蔵(むざし)の国であったとされるが、この場合は当然(モーゼ)の国の発音ということになる。 決して、ヘブライ語の(ムーシェ)ではない。 もう一度確認したいが、武蔵(むさし)の国とは、(モーゼ)の国のトルコ語発音だったのだ。 そして、秦氏はトルコ語を話していた。 わははははは。 >>245 訂正 上から8行目の(ムーシェ)は、(モーシェ)が正しい。 >>245 この「武蔵(むさ)の国」=「モーゼ(ムサア)の国」説からみると、千葉の芝山の前方後円墳の周溝が長方形であり、その古墳から出土した人物埴輪の中にはもみ上げを長く延ばして垂らし帽子を被ったユダヤ人の超正統派に似た人物の像があるその理由が理解できる。 このようなユダヤ人の集団が5世紀以降、「モーゼの国」へ次々と移住したということなのだ。 そして、そうしたユダヤ人の集団を安全にその「モーゼの国」まで送ったのが、太秦と深草の秦氏という図式になる。 集団は、深草のイナイ(シナイ)山の前で十戒を唱え、途中で諏訪のモリヤ山を遥拝し、やがて関東の「モーゼの国」で旅装を解いたのだ。 これが日本の正しい歴史なのだ。 https://images-na.ssl-images-ama zon.com/images/I/51PXZV7157L._SY445_.jpg 武士と書いてムサと読むしな >>248 武者が登場するのは、平安時代からだし。 武蔵国は7世紀頃にはすでに牟佐志(むさし)、牟射志(むざし)と書かれて、文献に登場しているからな。 武蔵=武者説は、成り立たん。 >>248 images-na…。 アマゾンのパソコンバックの宣伝をみせて、どうすんのよ。 ついでに、このアドレス、開けんぞ。 >>252 ウィキペディアの「武士」をみてみるのが良い。 武士の登場は、平安時代中期からと書いてある。 それ以前は、武官としている。 有名な坂上田村麻呂は武官だという。 そうだろう、そうだろう。 それが正しい。 そして、その武官がいた奈良時代の木簡には、武蔵国=牟佐志、牟射志の国と書かれている。 その奈良時代の牟佐志(むさし)と中世の武士(むさ)は、ぜんぜん関係ね〜よ。 >>253 武蔵=牟佐志(むさし)は、トルコ語のmusa(ムサア=モーゼ)由来の語彙である可能性が極めて高い。 わはははは。 イエス・キリスト 石切 石切といえば石工 石工といえばフリーメイソン でも、モーセは約束の地にたどり着いていなんだよね ユダヤ系移民が新天地にモーセと付けるはずがないんだよ その手の説を唱えるなら聖書くらい読みなよ >>256 モーゼは、約束の地を山の頂から望みつつ死んだ。 モーゼがヘブライの民を率いて夢見たその土地に「ムサア=モーゼ」と名をつけたのは、自ら一族を率いて長い旅をしてきた秦氏自身の温情からだろう。 「ムサア=モーゼ」の国は、「ムサア=モーゼ(が夢見た)」国ということで、OK。 聖書は長い。 ウィキの解説で十分だよ。 >>257 まだあるぞ。 分家の深草秦氏が神体山イナイ(シナイ)山=稲荷山を持っていて、本家の太秦秦氏は松尾山を神体山としているので、この松尾山もユダヤ教と関連があることが推測される。 松尾(まつお)山とは何か。 過ぎ越しの祝いの前日にユダヤ教徒が食べる種無しパンの呼び名が、(マッツァー)だ。 エジプトを脱出する直前に急いで造った種無しパンのことを記念して、祝日の前の日にこの(マッツァー)を食べる。 その(マッツァー)のイディッシュ語風の発音が、mztzo(マッツォ)だそうだ。 太秦の西の神体山である松尾山の(まつお)は、この(マッツォ)に松尾の漢字を当てたものだな。 で、エジプト脱出の時の食べ物(マッツォ=松尾山)→シナイ山(イナイ=稲荷山)→モーゼが夢見た国(ムサア=武蔵の国)という出エジプト記のダイジェストが完成する。 わははははは。 >>257 ユダヤ教への理解度が全然足りてないから言ってるんだよ 理解度が足りてないという事はウィキの解説では十分じゃないという事 モーゼは自らの意志で約束の地へは行かなかったんだから 温情で行った事にするのは信者のする事ではないよ >>259 モーゼが約束の地に入れなかったのは、神の指示に従わなかったからだそうだ。 杖で岩を打てば水が出て、民が欲する水を得ることができるというのが神の声だった。 しかし、モーゼらは二度杖で岩を打ち、水を出した。 一度というのが神の指示だったので、二度打ちは神に逆らったことになった。 そういうわけだそうだ。 この水の問題については、長野の諏訪湖の名の(スワ)が、トルコ語の(ス・ワン=水がある)由来だと考えられるので、太秦のマッツォ(松尾山)を振り出しとする 聖書のストーリー通りの水の問題が解決される配置となっていることが分かる。 さらに聖書通りに進めば、モーゼは武蔵の国に入る手前で死ぬことになるので、約束の地には入れなかったことはユダヤ教の信者には自明のことだったに違いない。 そこで秦氏が付けた約束の地の名が、(ムサ・シ=モーゼが向ったところ=武蔵)だったのだ。 秦氏の温情の部分は、修正する。 (むさし)の(し)は方角を意味する言葉であるので、(むさ・し)は(モーゼの方向=モーゼが向ったところ)でよいだろう。 これであれば、聖書のストーリー通りになるわい。 わははははは。 >>260 訂正 上から6行目の(ス・ワン=水がある)は、(スワア=水がある)が正しい。 聖書のストーリーの秦氏によるダイジェスト版の中に、なぜ諏訪湖の(スワア=水がある)が登場するのか疑問に思っていたが、お陰でその疑問が解けた。 太秦、深草、諏訪、武蔵が出エジプト説話のダイジェスト版であることは、いよいよもって疑えない事実であるようにみえる。 秦氏は、間違いなくギリシャ系かペルシャ系のトルコ語を話す改宗ユダヤ人だ。 さて、日本語の語彙には、太古のアルタイ地方由来のものが少なからず見られることは、これまでに見てきた通りだ。 そのアルタイ地方由来と考えられる語彙をさらに探索してみよう。 日本語の(とっととうせろ)という言葉の(とっと)とは何か。 この(とっと)は、(とくとく=疾く疾く)の略だそうだ。 漢語の疾(しつ)を(とく)と読んでいるもの。 (とく=疾く)は、速くという意味。 つまり、(とっととうせろ)は、(すばやく姿が見えないようにしろ)ということになる。 そして、この(とく=疾く)の語幹は(と)であるので、(と)音に速いの意味のあることが分かる。 この速いを意味する(と)音がどのような背景を持っているか、というのが今回のテーマだ。 続く >>262 速いの意味をこの(と)音が持っているとすれば、(とぶ=飛ぶ)、(とび=鳶)、(とり=鳥)などの語彙がすべて速いという意味の(と)音から発した語彙であることが推測される。 では、この速いを意味する(と)音とアルタイ地方とどうつながるか。 速いを意味する語彙は、モンゴル語ではturgen(トゥルゲン)だ。 日本語の速いを意味する(と)音と同系であることが分かる。 この速いを意味するモンゴル語のturgen(トゥルゲン)は、フィンランド語のtuulen(トゥレン)と発音が極めて似ており、このtuulen(トゥレン)は風の意味である。 フィンランド語の風を意味するtuulen(トゥレン)がモンゴル語の速いを意味するturgen(トゥルゲン)と同系の語彙であることは明らかだ。 (トゥ)音が、速いの意味の語幹となっている。 速く吹くのが風というわけである。 日本語の速いを意味する(と)音とまったく同じということが推定される。 そして、この速いを意味する語彙は、チュルク系のキルギス語がtez(テズ)、カザフ語もtez(テズ)、トルコ語ではhiz(ヒズ)と変化しており、 これらの速いを意味するチュルク系の語彙も、日本語やモンゴル語、フィンランド語の(と)音、(トゥ)音と同系の(テ)音が語幹となっていることが分かる。 このように、日本語の(とっととうせろ)の(と)音が、モンゴル語や満州発祥のフィンランド語、そして元々はアルタイ地方にいたチュルク語と同系であるばかりか、これらのアルタイ地方の語彙の親に当たる語彙である可能性すら出てくるのだ。 (とっととうせろ)は、その俗語的表現にもかかわらず、このような背景を持つ太古以来の由緒正しい言葉である言葉なのだ。 わははははは。 >>218 ハタ(秦)氏のハタの由来ではないかと考えることができそうなのがトルコ語のseyahat(セヤハト)。 このseyahatのat(アト)は馬を意味するので、seyahatが旅行の意味をもつ理由が分かる。 旅をするのは馬に乗るからだ。 しかし、atの前のseyahがどのような意味の言葉であるのか、グーグル翻訳などでは意味不明であった。 そこで、精査してみると、重要なことが判明した。 seyahにyを追加してseyyah(セイヤ)とすると、seyyah(セイヤ)は巡礼者の意味であった。 そして、seyyahat(セイヤハット)は、まさしく旅(たび)を意味する言葉だったのだ。 つまり、旅行を意味するseyahatの元の形は、syyah(巡礼者)+at(馬)なのだろう。 トルコ語では、旅(たび)とは神を参拝するために行う巡礼の旅という意味だった。 この巡礼の旅を意味するseyyahatを短縮したhat(ハット)こそが、ハタ(秦)氏のハタの意味ではなかったか。 >>264 秦氏が商業活動に馬を使っていたことを示す逸話がある。 欽明天皇のときに秦大津父は大蔵省の役人に抜擢されるが、そのきっかけが、伊勢での商業活動の帰り道を馬に乗って進んでいたところ、狼が二匹争っているのに出会い、これを止めさせて漁師に獲られるのを防いで命を永らえさせたことだった。 秦氏は、荷を馬に乗せて運ぶ運輸も行っていたことが分かる。 まさに馬による旅は、seyyahat(セイヤハット)=旅そのものであり、その短縮形のハットが旅籠の旅(ハタ)なのだ。 秦氏のハタの由来はさまざまな解釈がなされているが、秦氏のハタは機(ハタ)や肌(ハダ)、幡(ハタ)由来ではなく、旅を表すトルコ語seyyahat(セイヤハット)の省略形のhat(ハット)であり、その意味はまさに交易で(旅する者)の意だと考えられるのだ。 この考えは、非常に興味深いと言える。 >>236 宇佐八幡宮の八幡(やはた・やばた)の由来についてだが、どうやらこの八幡神と応神天皇は同一ではなく、宇佐にはまず八幡神がいて、274年頃に社を建てる神事が行われた際に仲哀天皇、応神天皇、神功皇后が勧請されたらしい。 その後、八幡神と応神天皇が同一だとする観念が定着したようだ。 では、その八幡神とはどのような神かということなるが、元々は震旦国(中国)の神だったが、日本に来て日本鎮守の神となったとする伝承があり、渡来神とするようだ。 宇佐神宮の元社とされる薦神社境内の三角池は渡来人が造ったとする伝承があり、そのことと八幡神渡来神説は関連しているのではないか。 720年に隼人討伐軍が朝廷によって編成されるが、この軍の守り神となったのが宇佐の八幡神で、その八幡神を御輿で運ぶときの依り代となったのが渡来人が造った三角池に生える薦で作った枕だったのだ。 そして、この八幡神の八幡を(やはた・やばた)と読むわけであるが、意味は八流の幡(八本の旗)ということになっている。 しかし、日ユ同祖論からすると、この(やはた)は八本の旗ではなく、ユダヤ人という意味のヘブライ語(ユフディ)だとするのである。 応神天皇を秦氏の血脈だとし、その応神天皇と八幡神が同一なので、(やはた)はヘブライ語の(ユフディ)が語源だとする説は修正が必要だろう。 応神天皇が宇佐に祀られる前から八幡神は宇佐にいたからであり、(秦氏の血脈の応神天皇)は八幡神とは無関係だったからである。 そうなると、渡来神である八幡神の(やはた)とヘブライ語のユフディ(ユダヤ人)がつながるのかどうかという問題になってくる。 その答えを出すには、しかし、データがあまりにも少なすぎるというのが実際だ。 みなさん、さらに勉強してみてくださいね。 >>267 うん。 調べてみたら、そんなことだった。 そうすると、応神抜きで、宇佐の八幡神と渡来ユダヤ人がつながるのかどうか、だね。 ユダヤ人が渡来していた可能性は相当高いのだから、まあ、あるのかも知れんがな。 >>266 訂正 266の上から2行目の274年は、724年の間違いです。 秦氏関連の記事が多くなっているが、別の掲示板に投稿したものを追加しておこう。 「交易の元締め」 5世紀以降、日本の内外の交易の元締めは秦氏が担ったと考えられる。 この秦氏はギリシャ系かペルシャ系の改宗ユダヤ人で、言葉はトルコ語を話す集団だったとみなして、日本におけるトルコ語の語彙を調べている。 そこで、その一例として、紙(かみ)の語彙をクローズアップしてみたい。 紙は漢字としては(シ)の発音であり、一方、(かみ)の発音は和語の発音だとされている。 しかし、その(かみ)が微細な繊維で作ったペーパーを指す言葉になっているのはなぜか、またその語源はなにかなどについてはまったく不明だ。 そもそも、(かみ)とはどのような言葉なのだろうか。 日本で紙が作られるのは6世紀初頭の福井においてだとされているものの、確定しているものではなさそうだ。 そして、その後6世紀半ばになると、欽明天皇元年(539年頃)に「秦人・漢人に戸籍の編集をさせた」という記録が現れるそうだ。 この秦人などの戸籍作成に使われた紙は、行政上の末端組織である郷戸が作ったとされている。 つまり、秦氏の郷戸が戸籍帳の紙を作ったと推測されているもの。 これは、相当信憑性のある記録のようだ。 では、紙を作る技術がその頃に中国からもたらされていたとして、秦氏の郷戸が作った紙の原料は何だったのだろうか。 そもそも、中国で作った紙の原料は、麻のボロ(麻の布地の廃品)だったそうだ。 もちろん、麻に限らず古くから葦、竹、稲藁、綿、楮なども原料として用いられたとされる。 日本では紙は神聖なものとして扱われたので、原料にボロは用いられなかったようだ。 新しい麻が原料とされたと考えられているが、日本には豊富に葦があり、中国でも古くから葦が原料として用いられていたようなので、当初は葦が用いられたのではないか。 その可能性は低くない。 続く 続く そこで、秦氏がトルコ語を話す改宗ユダヤ人だったと想定する立場からみると、葦はトルコ語では kamis(カミ)なので、秦氏は身の回りに生えている葦をカミと呼んでいたことが考えられる。 そして、豊富にある葦を原料として作った戸籍帳のためのペーパーをトルコ語でカミ(葦)と呼んだとすることは妥当なのではないか。 そうなると、紙の発音である(かみ)は、(葦で作ったもの)という意味であることが考えられるということになる。 ここで、葦の発音としてカ音が語幹となっている外国語をみると、 「葦(あし)」 アラビア語 qasab(カサブ) ヘブライ語 kana(カナ) トルコ語 kamis(カミ) ロシア語 kamysh(カミ) などがみられる。 ごく普通の語彙のようだ。 このように、トルコ語を話す秦氏が関連部民の戸籍帳を作るに際して製造したペーパーを、原材料名にちなんでカミ(葦)と呼んだことは、まず間違いないだろう。 このカミの発音に漢字の「紙」字を当てたものが、我々がよく知っている紙(かみ)だということになる。 こうした推定が正しければ、秦氏がトルコ語を話す改宗ユダヤ人であったことの物証の一つとして、この紙(かみ)=葦(カミ)説を挙げることができるのだ。 わははははは。 秦氏は、かっぱえびせんか。 そのこころは、始めたらやめられない。 話は、非常にリアルな流れになってきている。 京都の太秦(うずまさ)の由来は、雄略天皇に遡ると日本書紀に書かれている。 租税のための絹布をたくさん差し出したことから、このことにちなみ「姓を賜ひて禹豆麻佐と曰ふ」とされる。 その「禹豆麻佐」に漢字を当てたものが「太秦(うずまさ)」だ。 さて、この(うず)は、トルコ語の数詞3のuc(ウス)である。 出雲大社の巨大柱である宇豆柱(うずばしら)が大木の柱を三本ひとまとめにした巨大柱であったことが分かっているように、(うず)とはトルコ語の数詞3(ウス)であることはほぼ確かだ。 そして、秦氏の拠点である京都太秦の木嶋神社には三本柱の鳥居がある。 つまり、数詞3はユダヤ教の聖数なのである。 そこで、禹豆麻佐(うずまさ)にトルコ語を当てはめてみると、数詞3(ウス)+masa(マサ=机)→3つの机、となる。 (うずまさ)とは、トルコ語では(3つの机)という意味なのである。 朝廷にたくさんの絹布を納めたから、「うず(たくさん)+まさ(積み上げる)」だという日本書紀のエピソードは信じるに足りない。 では、その(3つの机)とは何か。 続く 続く そのトルコ語uc masa(ウス・マサ)=3つの机とは、何か。 このトルコ語(3つの机)をユダヤ教に当てはめると、契約の箱を納めた幕屋での祭祀に不可欠な祭器に合致するのだ。 まず、幕屋の入り口付近に置かれる青銅の祭壇。 これは、贖罪のために犠牲の子羊、子牛を焼くための祭壇だ。 次に進むと、供えのパンの机が置かれる。 これは神に奉げるものだ。 そして、最も奥の契約の箱に近いところに香壇が置かれる。 この香壇で焚かれる煙は、人々の神への祈りの表象とされている。 この3つの祭壇・机は、神の祭祀になくなてはならない祭器なのである。 つまり、秦氏が話すトルコ語のuc masa(ウズ・マサ)=3つの机は、ユダヤ教の祭祀の必須アイテムの3つの祭壇・机と合致するのである。 そして、秦氏はギリシャ系かペルシャ系の改宗ユダヤ人だというのが、本稿の想定である。 このウズ・マサは、雄略天皇に奉げたたくさんの絹布のみかえりに頂いた姓(かばね)だというのが日本書紀のエピソードなのだが、上にみたように、ウズ・マサとはトルコ語ではユダヤ教の重要な祭器を表しているのである。 深く考えてみれば、秦氏の京都の本拠地がユダヤ教の神の祭祀を行う幕屋であることを表したのが、このウズ・マサなのだ。 秦氏が、ギリシャ系かペルシャ系の改宗ユダヤ人だとする本稿の主張は、いよいよ真実に近くなったと言えそうだ。 ちょっと、ここらで息抜き。 後輩が先輩に「やっぱ、先輩は偉い」と護摩すり。 先輩は照れながら、「君ぃ、おだてるなよ、おれも頭悪いし〜」とかなんとか。 この会話で使われている「おだてる」の古語は、「おだ・つ」だという。 その「おだ・つ」の「おだ」とは、いったい何か。 いやしかし、その正体は、まったく不明なのだ。 これは、「おだを上げる」の「おだ」ではないのか。 「おだを上げる」は、「自分の主張を繰り返す」ことらしい。 その「おだ」は、「お題目を唱える」の略なのだという。 この「お題目を唱える」と「おだてる=煽てる」は同じかというと、どうも同じようにはみえない。 そこで、外国語。 ヒンディー語 aadar(アダ) パンジャブ語 adara(アダン?) ネパール語 adara(アダン) これらは、(尊ぶ、尊敬する)という意味だ。 つまり、アダ(尊敬する)→オダ(尊敬する)→おだ・つ(尊敬する)→おだてる(煽てる)、なのだ。 後輩から、「先輩、尊敬します」と言われたら、おだてられたと思ってまちがいない。 あははははは。 ユーラシア基語とでも言えそうな語彙群があるようにみえる。 その中の一つをみてみよう。 まず、日本語語彙から。 日本語 端(はし)、離れる(はなれる)、果て(はて)、遥か(はるか)。 これらの語彙の語幹は、すべて(は=ha)音だ。 そして、これらの(は=ha)音は、遠隔を意味しているようだ。 そこで、このha音と遠隔の意味を合わせた語彙を外国語に探してみると、次の語彙を挙げることができる。 韓国語 har(ハー)=遥か ベンガル語 phala(ファール)=果て ヒンディー語 parinaam(パリナーム)=果て モンゴル語als(アル)=遥か キルギス語 alis(アリ)=遥か カザフ語 alis(アリ)=遥か フィンランド語 paa(パー)=端 デンマーク語 fjern(フワン)=遠隔 ドイツ語 fern(ファーン)=遠隔 オランダ語 ver(ファー)=遠隔 英語 far(ファー)=遠隔 これらは、始めに挙げた日本語の語彙の語頭音ha(ハ)音と端、離れる、遥か、果ての意味のいずれかに当てはまっている。 モンゴル語、キルギス語、カザフ語は、語頭のp音、h音が省略された形だろう。 全体としては、インドから北上する交易路と、ヨーロッパから日本に至る東西の交易路がクロスする範囲に、このha(ハ)音と遠隔の意味の語彙がみられるようだ。 (ユーラシア基語)とでもいえる言葉があったのではないだろうか。 その基語は、縄文語と深い関わりのある言葉であったと、想像してみるのも面白いかも知れない。 日本語の語彙と同系とみられる言葉が中央アジアに広がっていて、それがヨーロッパにまで波及している様子をみたが、このパターンと真逆に日本語の語彙とフィンランド語の語彙だけがまったくの同系とみられるパターンも一方で存在している。 この二者のみの同系語彙の存在は、非常に興味深い問題を秘めている。 満州の遼河地方で発展した遼河文明は8000年前頃からスタートし、その同時期に西に向かって移動した一派がいたことが学者の研究によって分かっている。 北欧に展開したフィンランド語を話すY-N系の集団がその一派とみられている。 ということは、フィンランド語の基本的な語彙は、8000年前の満州遼河文明の語彙を保持しているということになります。 そして、日本語の語彙とそのフィンランド語の語彙がまったくの同系であるとみることができるケースがあるということは、遼河のY-N系の語彙が直接的に日本にもたらされていた可能性があるということでもある。 これまでに、フィンランド語の語彙と日本語の語彙だけの同系性を示す語彙は、例えば(夜)と(舟)がある。 日本語 夜(よ) フィンランド語 yo(ヨ=夜) 日本語 舟(ふね) フィンランド語 vene(ベネ=舟) さて、この日本語語彙とフィンランド語語彙だけの同系性を示すケースにさらに一つ加えることができる。 日本語 重ね(かさね) フィンランド語 kasa(カサ=積み重ね) このkasa(カサ=積み重ね)は、マウンド、堆積の意味もあり、山の意にも用いられる。 一方、日本語の嵩(かさ)は体積、容積の意味であるが、この日本語のカサ(嵩)とフィンランド語のkasa(カサ=積み重ね、堆積)はまったく同じ発音、意味となっている。 そして、興味深いのは、すでに述べたように、この語彙の発音と意味を同じくする語彙が周辺の国の言葉にはみられないことなのだ。 この語彙の単系の同系性は、一定の人的集団のスムーズな移動を前提として初めてなりたつもののようにみえる。 日本にY-N遺伝子が一定数みられることと、この語彙の同系性は無関係ではないと考えられるのだ。 1万年前の遺跡が朝鮮半島の済州島にみられ、この土器は同時期の九州の土器とよく似た造りであるとされている。 また、朝鮮半島の蔚山の遺跡でも九州の土器とよく似た土器が出土し、この土器は7600年前以降のものだとみられている。 つまり、縄文早期には九州から縄文人が渡海して、長く住んだ形跡がみられるようなのだ。 そして、この時期、朝鮮半島ではこれらの縄文人以外の人が住んだ遺跡はみつかっていないのだ。 一方、その朝鮮半島の北の満州の遼河地方ではね8000年前から人が住んだ遺跡が見つかっていて、この遺跡からはY-Nの遺伝子を持つ人骨が多数出土しているという。 この遼河の8000年前の遺跡では櫛目文を施した土器が出土する一方、隆線文の入った土器もみられ、この隆線文土器は九州の土器とよく似ているとされている。 この8000年前の遺跡で九州の土器とよく似た土器が出土することについては、1万年前〜7600年前には済州島や半島南端部に縄文人が進出していたと考えられる痕跡がみられることから、満州遼河地方へも縄文人が進出していたのではないかと考える学者がいるのだ。 実際は、どうだったのだろうか。 言葉の語彙からみると、その可能性は十分あると考えることができるのだ。 日本語の弓(ゆみ)、結う(ゆう)、歪む(ゆがむ)の語彙とこれと同系とみられる外国語の語彙との対照によって、その可能性を探ってみることにしよう。 続く >>277 上記に示したように同系とみられる語彙は、以下の通りである。 タガログ語 yumuko(ユムコ) 弓、湾曲、曲げる、反らせる、たわむ、お辞儀、蝶結びなどの結び方。 日本語 yumi(ゆみ) 弓。 関連語として、結う(ゆう)、歪む(ゆがむ)。 フィンランド語 ympyra(ユムプラ) 丸、円、輪、巡回、循環。 関連語として、yhteys(ユフティス) 接続、接触。 エストニア語 umar(ウマル) 丸い。 関連語として、umaraid(ウマライ)湾曲。uhenda(ウへンダ)結びつける。uhendusjuhe(ウヘンドゥジュハ)たわめる。 タガログ語はフィリピンの多数派言語だ。このタガログ語話者の原郷は中国南部とされている。 このタガログ語の弓などを表すyumukoと、同じく弓を表す日本語のyumi(ゆみ)はまったくの同系語とみなすことができる。 また日本語のyuu(結う)、yugameru(歪める)は、上記のタガログ語yumukoの曲げる、結ぶの意味とみごとに重なっており、yu音が共通の語頭音となっていることがみてとれる。 (結ぶ)は、紐などを曲げて縛るものであるから、やはり曲げることの一種だといえる。 こうしたことからすると、弓も曲げるものであり、お辞儀も体を曲げる行為であることが分かる。 つまり、タガログ語のyumuko(ユムコ)のyu音と日本語のyumi(ゆみ)、yuu(結う)、yugamu(ゆがむ)のyu音は曲げる、曲がるの意味においてまったく同じ音だと言える。 この日本語の語彙は1万2000年前に南九州に南方から来て上陸した集団がもたらした言葉だと推定されるが、その者たちの原郷もタガログ語話者の原郷と同じ中国南部だと考えることができ、yumuko(ユムコ)とyumi(ゆみ)は同系の語彙とみなすことができるのだ。 そして、この曲げる、曲がる意を表すyu音が、8000年前の満州遼河に果たして到達していたか、ということが焦点なのだ。 続く 上に挙げたフィンランド語は、8000年前に満州遼河のY-N集団から分かれた集団の言葉だとみられている。 ということは、フィンランド語の語彙には、8000年前の遼河Y-N集団の語彙が残っている可能性が極めて高い。 そして、そのフィンランド語の語彙と日本語の語彙に一致するものがあれば、 遼河Y-N集団と縄文人が8000年前に直接接触していたことの証拠とすることができるのである。 そこで、曲がる意を持つ語頭yu音をフィンランド語に探したのが上記のympra(ユムプラ)丸、円、輪とyhteys(ユフティス)接続、接触なのだ。 フィンランド語と同系のエストニア語では、umar(ウマル)丸い、umaraid(ウマライ)湾曲、uhendusjuhe(ウへンドゥジュハ)たわめる、 uhenda(ウへンダ)結び付けるがみられるが、このu音はフィンランド語のyu音と極めて近く、また語彙の意味もまったく同じである。 これらのフィンランド語の語彙やエストニア語の語彙をみると、日本語のyumi(弓)、yuu(結う)、yugameru(歪める)のyum音、yu音と同じであり、意味も同じであることが分かる。 日本語の語彙とまったくの同系であると言えるのだ。 続く >>280 そして、重要なのが、このフィンランド語とエストニア語の曲がる意の語頭yu音が、中国南部を原郷とするタガログ語の曲がる意のyumukoの語頭yu音とも一致することなのだ。 中国南部発祥の曲がる意の語頭yu音が縄文語のyumi(弓)、yuu(結う)、yugameru(歪める)などの言葉を通じて、満州遼河のY-N集団にもたらされたことは、ほぼ確かであろう。 つまり、8000年前には、九州系縄文人が満州遼河のY-N集団に到達していた可能性が極めて高いということになる。 学者の指摘する、遼河の隆線文土器は朝鮮半島に進出していた縄文人がもたらしたものだという説は、上記の語彙の語頭yu音の一致によって、まさに正しいことが分かるのである。 >>279 当たり前。 弓は中石器時代からあるそうだからな。 問題は、その呼び名だワイ。 ユミ(弓)の発音はスマホと同じに、1万2000年前に中国南部からもたらされたものだ。 スマホと弓が一緒に発掘されたらしいぞ。 もうすぐ展示するそうだ。 スマホは水洗いしたら新品そっくりだそうだ。 >>281 上記では、フィンランド語のympyra(丸い、円)、エストニア語のumar(丸い)と日本語のyumi(弓)、yuu(結う)、yugameru(歪める)、 タガログ語のyumuko(弓、曲げる)のそれぞれの語彙がまったくの同系の語彙であることを示したが、 このことから、8000年前の満州遼河地方に九州系縄文人が到達していた可能性が極めて高いことを推定した。 その際、フィンランド語のympyraの語頭y音とエストニア語のumarの語頭u音が非常に近い音であることを挙げた。 このy音とu音の近さは、別の語彙でも同様であることを示すことができる。 フィンランド語 ylos(ユロス) アップ、上(うえ) エストニア語 ule(ウラ) オーバー、上(うえ) この二つの言語では、上(うえ)を意味するの語彙の場合は、y音とu音はほぼ同じ音であり、 同じ意味を持っていることが分かるのだ。 さて、そこで、この二つの語彙の場合、発音が日本語の語彙と極めて類似していることに気が付いただろうか。 つまり、日本語の上(うえ)の語彙の語頭u音とフィンランド語の上(うえ)を意味するylosの語頭y音、エストニア語の上(うえ)を意味するuleの語頭u音が、 発音と意味においてまったく同じだということなのだ。 このように、このケースにおいても、日本語の語彙と8000年前に満州遼河を離れたフィンランド語、エストニア語の語彙の語頭音と意味が一致しているのである。 なお、上(うえ)を意味する語彙においては、韓国語でもwi(ウィ)であり、日本語の上(うえ)と極めてよく似ている。 この韓国語の場合も、縄文人との接触の結果と考えるのが妥当だろう。 いずれにしても、満州遼河のY-N集団と九州系縄文人が満州遼河地方で直接接触していたことは、まず間違いないと言えるのだ。 わははははは。 ヒンディー語系の語彙が少なからず日本語の語彙にみられる。 kathin(カチン)→硬い。 これは、日本語のカチカチ(非常に硬い)の語源の語彙だろう。 また、katana(カータナー)→切る。 これは、まぎれもなく日本語の刀(かたな)の語源の語彙だ。 これらのヒンディー語の語彙が、どういう経路で日本語の語彙に紛れ込んだのかが不明。 おそらく交易によってもたらされた語彙であろうが、その経路がつかめないのだ。 同じくkavach(カバチ)は鎧兜のことであるが、日本語では(かばち=頭)の語彙として用いられている。 中国の商人による交易品の名称として、日本語に紛れ込んだのだろうか。 さて、では、次の語彙はどのように解釈すればよいだろうか。 日本語 からっぽ(中に何も無い) ヒンディー語 khaalee(カリ)→からっぽ パンジャブ語 khali→からっぽ ベンガル語 khali(ハリ)→からっぽ ネパール語 khali(ハリ)→からっぽ 日本語の(からっぽ)の(から=空)は、ヒンディー語の(カリ=空っぽ)が語源であるのは、まず間違いない。 だがしかし、この語彙がどのような経路で日本語に紛れ込んだのか、それが謎なんだよなあ。 >>284 ヒンディー語地帯のインド中部からチベットのラサを通って蘭州に至り、そこからゴビ砂漠の南縁をつたって瀋陽に出る交易路があるな。 このルートであれば、中国語の影響を受けずに日本に到達することが可能。 まあ、北部のパンジャブ語系の語彙も日本でみられるから、チベットのラサを経るルートではなく、パンジャブから北回りで蘭州に至るルートをとり、そのあとは瀋陽まで同じ道筋で日本に至ることができる。 いずれにしても、ヒンディー語の語彙は中国本土には入らずにモンゴル南縁を通って日本までやってきたと考えるのがよさそうだな。 日本語の語彙の内かなり古い語彙がモンゴル語やトルコ語などの語彙と同系であるケースが少なくない。 今回の語彙は、その同系の範囲が遠く英語にまで広がっていて、その波及路が古いシルクロードと重なっているかのようにみえる。 まず、その広がりを見てみよう。 英語aie(空気)ーラテン語aere(空気)ーギリシャ語aeras(空気)ールーマニア語aer(空気)ー カザフ語awa(空気・天空)−キルギス語aba(空気・天空)ーモンゴル語agaar(大気・天空)ー日本語agu(上ぐ=高くする) まさに、ユーラシア大陸横断の規模だ。 そして、これらの東西一直線の語頭a音のつながりの内のキルギス語のaba(空気・天空)から 語頭にh音を加えつつ南のヒンディー語hava(空気)へと語彙が分岐していて、 そのヒンディー語のhava(空気)からは再び東西一直線にアラビア語〜ミャンマー語へと波及を続けているのが分かる。 アラビア語hawa(空気)ートルコ語hava(空気)ーペルシャ語hava(空気)ーヒンディー語hava(空気)ー ミャンマー語hava(空気) この北と南の2列の語彙のつながりは、カザフ平原を東西につながる古シルクロードと その南を東西につながる新シルクロードの交易路にぴったりと重なっていて、さらに古シルクロードと新シルクロードを 南北につなぐキルギスのタシケント〜インドのニューデリー間の交易路ともきっちり重なっているのである。 交易路上を語彙が移動しているさまを俯瞰できる、みごとな好例だと言える。 しかも興味深いのは、日本からカザフに至るエリアでだけ語頭a音の語彙が天空の意味を持っていて、 それ以外のエリアでは天空の意味は脱落していることだ。 また、そのうちでも、日本語のagu(上ぐ=高くする)には空気・大気の意味がなく、天空の意味とだけつながっているのが面白い。 日本語のagu(上ぐ=高くする)の語頭a音が、これらの外国語の語彙の基音となっているように見える。 そして、この日本語のagu(上ぐ)の語頭a音は、ama(天)の語彙の語頭a音とまったく同じ音であり、このa音は(うえ=上)を意味する基幹音であると みなすことができ、モンゴル語などの天空の意味の基となっていると考えることができる。 つまり、ユーラシア大陸に広がる空気・天空の語彙の語頭a音の起源が、日本列島にあったということになるのだ。 >>286 訂正 5行目の「英語aie(空気)」のaieはairの誤り。 言語には、どうやら、語頭に母音が付くのを厭わないグループと、語頭に子音を付けないと落ち着きがわるいグループがあるようだ。 日本語の(アマイ=甘い)はみごとに語頭音が母音で、この日本語の語彙と同系とみられるモンゴル語のamtat(アムタト=甘い)も同じく母音のa音がついている。 一方、韓国語では、(アジ=味)を意味するのがma(マ)。語頭に子音がつくこの韓国語語彙と同系とみられるのが、フィンランド語のmakea(マケア=甘い)とエストニア語のmagus(マクス=甘い)だ。 おそらく、日本語のアマイ(甘い)の語彙が韓国語やフィンランド語に流入したときに、語頭音が母音となることを避けて母音のa音が脱落したということだろう。 一方、語頭に母音がつくことを厭わないモンゴル語では、そのままに日本語のアマイ(甘い)のアマ音が流入したことが考えられる。 そうすると、日本語の話法は韓国語やフィンランド語よりもモンゴル語の話法に近いということになってくる。 このように、日本語の語彙がモンゴル語の語彙と直接的な同系性の度合いが強く、韓国語の語彙とはやや遠い関係であるようにみえるのは、実はこのためなのだろう。 なので、日本語のアマイ(甘い)と韓国語のmas(マス=味)、フィンランド語makea(マケア=甘い)、モンゴル語amtat(アムタト=甘い)はいずれもみな同系の語彙とみなすことができる。 さてところで、その語頭母音を厭わないモンゴル語のアマイ(甘い)意を表すamtat(アムタ)の語尾についているtat(タ)は、いったい何か。 面白いことに、チュルク語系のアマイ(甘い)意を表す語彙が、このtatなのだ。 キルギス語tattuu(タトゥー=甘い)、カザフ語tatti(タティ=甘い)、トルコ語tatli(タトル=甘い)。 したがって、モンゴル語のamtat(アムタト)は、am(日本語のアマイと同系)+tat(チュルク語の甘い意のタトと同系)の(甘い甘い)という重語であることが分かる。 ということは、日本語・ツングース語圏とチュルク語圏の地理的な境界線上に位置しているのがモンゴル語ということになるということか。 そして、双方の(甘い)の語彙を受け入れて、自前の(甘い)意を表す語彙は失われてしまったということになる…か。 甘い は 天居、あまにいるかの如き幸福な味わい、が語源だろうな。 >>289 その解釈はアマイ。 発音が違うのよ。 同音異義語とは言うものの、実際には同音ではなくハチオンが違うから、区別がつくの。 音を文字で表すのでなくて、口舌のどの動き、動かし方、肺の収縮速さなどで表記する方法が あるといいですね、文字というよりは記号 人間の脳やAIだと表記しなくても、ニューロネットワークにそういう知識を自動蓄積する >>291 そういう新しい方法が試みられるのは歓迎します。 AIはそういうの得意でしよう。 咲く花の明るい野辺に…と春の光景を描くと、その(咲く)という語彙はファンタジックな語源を思い浮かべる。 しかし、現実はそのようにファンタジックではなかったようだ。 咲く(サク)は裂く(サク)に由来する言葉のようで、蕾の閉じた花弁が大きくなりその蕾の花弁がいくつにも裂けて開くことが咲く(サク=裂く)だったと考えることができる。 蕾の花弁が裂けて開くことが、咲く(サク=裂く)の言葉の語源というわけだ。 そして、このことから導けるのは、(サ)音には裂ける意味があったということ。 そこで、この裂ける意の(サ)音を追いかけると、面白いことが分かるのだ。 韓国語で(切る)意を表すのがsaggam(ハガン)で、このsaggam(ハガン)の語頭音は元々はサ音だったと思われる。 日本語の裂ける意の(サ)音とこの韓国語の切る意のsaggam(ハガン)は同系語彙だろう。 次にモンゴル語をみると、咲く意を表すのがtsetselekh(セセレフ)、花の意を表すのがtsetseg(セセ)。 そして、切る(分割する)意を表すのがhesegleh(ヘセレフ)で、咲く意を表すtsetselekh(セセレフ)とほとんど同じ発音となっている。 この咲く、切る意を表すモンゴル語の(セ)音は、明らかに日本語の咲く・裂く意の(サ)音と同系であり、 韓国語の切る意を表すだけのsaggam(ハガン)よりも日本語のサク(咲く・裂く)の語彙に近いと考えられる。 さて、問題はここからで、前にも述べたが、なぜモンゴル語の語彙と日本語の語彙が非常に近い同系性を示し、 一方、韓国語の語彙は同系ではあるものの、なぜ意味が一部だけに限定されることになるのか。 仮説としては、日本語の語彙とモンゴル語の語彙は直接的な接触の結果であり、韓国語とは間接的な波及によるものであるとすることが可能だ。 韓国語の祖語は地理的にはモンゴル語よりも遠方にあったために、日本語の語彙と韓国語の祖語は直接的な接触がなかったのだとするわけである。 さて、ことの真相は奈辺にありや…。 日本語の鹿(しか)は、(し=雄)+(か=鹿)=雄鹿のことだとする解釈がみられる。 雌鹿は、(め=雌)+(か=鹿)ということになるそうだ。 しかしながら、雄(おす)を意味する(し)音の発音になる語彙の例はあるのだろうか。 また、鹿を(か)と発音するのは万葉仮名にみられ、鹿を(か)と呼んだとすることは一応肯首することができるが、 単に、(しか=鹿)の呼称の語尾音の(か)を取り出して(か=鹿)としただけではないか、という疑問も出てくる。 つまり、(か=鹿)の語彙があるのだとすれば、その(か=鹿)の語源は何であったのかということになってくるのだ。 そこで、(か=鹿)の語彙があったとみなした場合、(しか=鹿)の(か)音は、狩る(かる)、刈る(かる)の語彙の(か)音から派生した語彙で、 鹿が狩りの対象だったことから(狩る動物)という意で鹿を(か=狩)と呼んだことを考えることができる。 そうすると、(し)は、肉を意味する(しし=宍)の(し)で、(しか=鹿)は(肉を得るために狩る動物)の意ということになってくる。 このように、(か=鹿)は、(か=狩る)意から派生した語彙なのだろうか。 また、その(か=狩)の由来はどこに求めることができるのか。 そこで、(か=狩る)意を表す語彙を探してみると、ヒンディー語のshikaar(シカー)、ペルシャ語のshkar(セカー)がみられる。 この(狩る)意味を表すヒンディー語のshikaar(シカー)が、日本語の(しか=鹿)と発音が非常によく似ていることが分かる。 したがって、日本語の(しか=鹿)は、(狩る)意のヒンディー語shikaar(シカ―)が日本でそのままそっくり(狩る動物=鹿)の呼称となったと考えるほうが分かりやすい。 ただ、ヒンディー語の語彙の場合は、他のヒンディー語の語彙と同様、日本までの移動経路上のモンゴル語などに類似語彙がみられないのが難点だ。 モンゴルを経由しないで内モンゴルの南縁をつたった移動経路が考えられるが、これは現在単なる想定以上のものではない。 経路の問題を今は棚上げすると、日本にもたらされた(狩る)意のヒンディー語shikaar(シカー)のkaar(カー)音だけが取り出されて(か=狩る)の語彙が生まれたとすることも可能だ。 いずれにしても、(しか=鹿)の語源がヒンディー語の(狩る)意のshikaar(シカー)だとするのは、非常に魅力的である。 鹿は元々は「シシ」で中国から「獅子」の単語が入って混同を避けるために 「シシカ」になって「シカ」になったのではなかったかな? メカニックは牝鹿肉、メカニカルは牝鹿に狩る、といったところか… >>295 その(シシカ)の(カ)は、どこから来たのよ。 肉を(シ)と呼ぶことは、もうひとつ腑に落ちんね。 体のことは身(ミ)で、刺身、刀の身、受け身、身に覚えがないなどの用例がある。 この体を意味する身(ミ)が肉をも意味するのは、鶏のササ身(胸肉)の用例で理解しやすい。 そして、この肉を意味する身(ミ)音を語幹とする語彙は、ワールドワイドなのだ。 英語語 meat(肉)ールーマニア語 miez(肉)ーパンジャブ語 mita(肉)ーモンゴル語 amitan(獣肉)ー日本語 mi身(肉) しかし、肉を意味する各国の語彙の中で、日本語の(シ=肉)は極めて珍しい語彙のようだ。 この(シ=肉)は、何か別の語彙からの転用なのではないだろうか。 >>299 けものの意の(しし)は、中国語の(獅子=しし)由来だろう。 それは、おめが書いていたとおりだよ。 その(獅子=しし)がなんで(しし=肉)なるか。 猪(いのしし=猪ノ獅子)。 その(獅子の肉=猪の肉)だから(しし=肉)。 そんなところだろう。 一方、縄文由来の肉を表す語彙は、身(み)。 いずれにしても、(しか=鹿)の(し)がその獅子(猪)の(し=けものの肉)だとしても、(か)は何よ。 (か)の説明がつかんだろ。 >>301 その(しか)の(か)は、狩る、刈る意の(か)だとするのも可能だが、 こじつけ感が強い。 単純に、ヒンディー語の(狩る)意のshikaar(シカー)をそのまま鹿の呼び名に当てたと考えるほうが理解しやすい。 >>300 元々けものを「しし」と言っていて その後中国から「獅子」が入って来て混同したんだよ >>303 (しし)を付けるのはイノシシだけ。 ほかのけものに(しし)は付かない。 現代中国語でブタはzhu(チュー)だが、古語ではshi(シー)だそうだ。 つまり古代中国語では、shishi(シシ)はブタだ。 日本語の上古音では(しし)はイノシシのことだから、 イノシシは(猪豚→猪肉)のことだな。 まあ、(しし)を肉の意味で用いるのは、中国語の(しし=豚)由来ということだろう。 そこで、シカ(鹿)のシを肉の意とすれば、ではカとは何の意味なの? 狩る、刈るの(カ)? 狩りで獲た肉=シカ(鹿)? やはり、狩る意のヒンディー語shikaar(シカ―)→シカ(鹿)のほうが落ち着きが良い。 さて、顔(かお)の意を表す元々の言葉は、面(おも)だったとされている。 そして、この面(おも)から表(おもて=面手=前)の語彙ができ、またその面(おも)の表情から思う(おもう)の語彙ができたのだろう。 では、この顔(かお)を表す面(おも)の言葉は、いったいどのような成り立ちの語彙なのか。 例えば水面(みなも)の言葉があるが、この水面(みなも)は水の面(みずのおも)の短縮形だとされる。 面(も)と読むのは、面(おも)の音韻変化だというわけだ。 面(おも)はあくまでも(おも)であって、それが元々から顔の意を表す発音だということになる。 しかしながら、ではその面(おも)の語源は何かということになると、語源は不明なのである。 つまり、なぜ(おも)の発音が顔の意味になるのか、その由来がまったく説明できないのである。 そういうわけなので、日本語の語彙ではなく、外国語の顔を意味する語彙を探ってみると、次の語群がみつかるのだ。 顔 クメール語 mouk(モフ) ベトナム語 mat(マッ) タガログ語 mukha(ムア) マレー語 muka(ムカ) いずれもm(ム)音が共通しており、このm(ム)音に顔の意味があると考えられる。 これらの語彙は、オーストロアジア諸語、オーストロネシア諸語と分類される語系で、そもそもの起源地は太古の中国南部とされいる。 そこで日本語の問題の面(おも)と対照させてみると、omo(おも)のm音とこの各国語の顔の意を表す語彙に共通する語幹音であるm音がぴったりと重なることが分かる。 続く 日本語の面(おも=omo)のm音と、顔を意味するクメール語などの語彙の語幹音のm音が、ぴったり重なることが分かるわけだが、 このことは、日本語の面(おも)と上記のクメール語などの各国語の語彙は同系語だとみなすことができるということを表している。 そうなると、面(おも)は、(お)+(も)の複合語であり、顔の意を表しているのは(も=mo)音だということになってくる。 では、(お)の音は何かというと、丁寧語を表す接頭辞であることが考えられる。 顔をお顔というのと同じである。 つまり、面(おも)とは、お顔という表現だということになる。 このことは、面(おも)は(おも)それ自体で顔の意を表しているとする2音不可分の考え方とはまったく異なり、面(おも)は(お)+(も)の複合語であるとする考え方だと言えるのだ。 このように、日本語の面(おも)の語彙は元々は面(も)であり、この面(も)は顔の意を表すクメール語のmouk(モフ)などの東南アジア諸国の語彙と同系の言葉であって、太古の中国南部を起源地とする語彙だと推定することができる。 そしてまた、この面(も)は、太古に海を渡った海人たちがもたらした語彙だったと考えることができるのである。 日本語の語彙には、他国の語彙と同系のものが少なからずあるようだ。 物を売る際の売り方の一つに(バラ売り)がある。 この(バラ)とは、いったい何に由来する言葉なのだろうか。 今回は、それを探ってみよう。 (バラ売り)は、一定量をまとめて全部売る売り方に対して、それを小分けして売る売り方だという。 ということは、その(バラ)とは小分けした状態を指す言葉だということになる。 この(バラ)を重ねた(バラバラ)が分散状態を指していることからも、(バラ)が少量に分散した状態を意味していることが理解できるのだ。 そこで、この少量に分散した状態を指す(バラ)が、どのようなことから生じた言葉であるのか推定してみようというわけなのである。 この(バラ)の同系語を追跡してみると、例のごとくモンゴル語、エストニア語、フィンランド語に見出すことができる。 (少ない) モンゴル語 baga(バガ) エストニア語 vahm(バーヘム) フィンランド語 harvat(ハルバト) このうちのモンゴル語のbaga(バガ)の関連語をみるとbituu(ビトゥー)がある。 bituu(ビトゥー)は割れる、別れるの意味を表している。 物が割れて、破片に別れる意がbituu(ビトゥー)の語彙の中にそれぞれ表現されているということである。 少ない意を表すbaga(バガ)と語頭音b音が同じであり、これらの語彙は一連の同系語であるとみることができる。 物が割れて破片に別れ、その一つ一つの破片は元の本体と比べて体積が少ない、というような成り立ちの言葉ということになる。 続く この割れる、別れる意を表すbituu(ビトゥー)に対照する日本語の語彙は、割れる、別れる意を表す(ワレル)(ワカレル)の語彙がそれである。 wareru(ワレル)、wakareru(ワカレル)の語頭音はともにwa音であり、次にka音があるかないかだけの違いであり、wareruからwakareruの語彙が生じたことが推測され、 この二つの語彙は同系の語彙であることが分かる。 とすると、この日本語の(ワレル)(ワカレル)の語彙と、モンゴル語のbituu(ビトゥー)に割れる、別れるの意味があることとは、ほぼ同じであるとみなすことができる。 日本語のバラ(少量)の語頭ba音とワレル(割れる)、ワカレル(別れる)の語頭wa音はよく似ているので、これらの日本語の語彙を同系とみなせば、モンゴル語のbaga(バガ=少ない)、bituu(ビトゥー=割れる、別れる)の関係は、 日本語の(バラ=少量、分散)、(ワレル=割れる、ワカレル=別れる)の関係と対照させることが可能となる。 そしてこのように、バラ(少量、分散)が、割れることや別れることと関連があるということになれば、 少量や分散を意味する(バラ)の語彙は物体が落下するなどして割れて小片に散らばる際に発するバンという破裂音に由来する語彙であると解釈することが可能になるのだ。 つまり、(バラ売り)の(バラ)の語源は、土器などを落とした際に発生するバンという破裂音であろう。 このように考えると、破る、割るを意味する中国語の破(ハ)のha音や、英語のbreak(割れる)のb音なども、日本語のバラのba音と同列とみなすことが可能となってくる。 これはおそらく、間違いではないだろう。 北方環太平洋民族がアイヌ、イヌイットとイヌは共通なのかな >>293 この日本語の咲く(サク)の(サ)とモンゴル語のtsetseglene(セセグレネ=咲く)の(セセ)が同系なのは明らかだが、どうも日本語の語彙とモンゴル語の語彙の間には何か深い関連がみられるようなのだ。 日本語では、 裂けるのサ、 咲くのサ、 栄えるのサ、 幸(さち)のサ は皆同系の音であり、これらの語彙は咲くのサ音を核心音として一つの語彙グループを構成しているようにみえる。 一方、モンゴル語でこれらと対応するのが次の語彙だ。 切れる hesegleh(ヘセグレフ) 咲く tsetseglene(セセグレネ) 繁栄、裕福、盛況 tsetseglelt(セセグレル)=この語彙は日本語の栄えるに対応する。 多量の財産 tsetseglelt(セセグレル)=この語彙は日本語の幸(さち)に対応する。 これは、咲く意のtsetselene(セセグレネ)の(セ)音が核心音となって一つの語彙グループを構成していることが分かる。 そして、このモンゴル語は、上記の日本語が咲く意の(サ)音を核心音として一つの語彙グループを構成しているのとまったく同じようにみえる。 咲くから栄える、幸(さち)へと変化する語意が、モンゴル語においてもまったく同じ展開をしているということなのである。 このことは、ある語彙が別の集団に波及して同系語が拡散していく現象とは、何か根本的に異なった同系性を示しているようにみえるのだ。 日本語とモンゴル語の(咲く)の(サ・セ)音を核心音とするそれぞれの語彙グループは、双方同時的に成立しているのではないかとの想定が可能になってくる。 つまり、日本語とモンゴル語は非常に近い地理的範囲において成立しているのではないかと思わせるのである。 日本語の現郷とモンゴル語の原郷は、ほんの隣同士だったのではないかと。 人間を意味する語意では、アイヌやイヌイットと同系なのは、 人間 フィンランド語 ihminen(イフミネン) エストニア語 inimlik(イニムリク) デンマーク語 individ(エンディビド) 英語 individual(エンディビジュアル) があるな。 英語のindividualは「分けられないもの」でinは否定語だから完全に違う 否定形に用いるinの語彙のその大元にin=個(一つ)の語義があると思う。 その個としてのin(イン)と人間の意のイヌの語彙は、元々は同系のようにみえる。 個がどうやって否定語のなるんだ? 是非とも例を挙げてみてくれ 語彙の伝わる速さの方程式のようなものがあるといいが 語彙の新しさ、同種語彙が受け入れ側に存在するかどうか、交易の頻度、 変数が多すぎて無理だ individualは撤回。 むしろ、(一つ=個)を表す ドイツ語 ein デンマーク語 een オランダ語 een などのゲルマン語と人間を意味するアイヌ、イヌイットのinがつながっている可能性が高い。 また、このein(一つ=個)などは、ドイツ語の私を表すich、英語のiなどと同系とみられるので、高緯度地帯にイ音で私、個人・人を表す表現形があったと推測される。 追加 日本語のひ(ひふみよのひ=hi)も同系の可能性が高い。 さて、日本語とモンゴル語、フィンランド語には、発音と意味が非常によく似た語彙が目立つ。 古い時期に互いに近い場所を原郷としていた可能性が考えられる。 ところで、日本語の(水=mizu)と韓国語の(水=mul)、ツングース基本語の(水=mu)は、同系の言葉ではないかとする考えがみられる。 語頭のm音が共通しており、このm音に水の意味があるのではないかというもの。 確かに、韓国語の(水=mul)とツングース基本語の(水=mu)は同系のようにみえる。 しかし、日本語の(水=mizu)が韓国語の(水=mul)、ツングース基本語の(水=mu)と同系であるとするのは、あやしいのではないだろうか。 というのも、日本語の(渦=uzu)の語尾音はzuで、(水=mizu)の語尾音のzuと同じであるので、水の意味は語尾のzu音にあるのではないかと疑われるからである。 (渦=uzu)のu音は内側を意味しているとすれば、(渦=uzu)は内側へ流れる水の意味になる。この解釈は落ち着きが良い。 とすれば、(水=mizu)はmi+zuの構成であり、(尊い水)などの意味が考えられることになる。 では、この日本語の(水=mizu)のzu音に水の意味があるとすることについて、他の国の言葉にそのような例を見出すことができるだろうか。 そこで、モンゴル語、フィンランド語、チュルク諸語の(水)を表す語彙をみてみることにしよう。 続く モンゴル語などの(水)を表す語彙は、次の通りだ。 水 モンゴル語 us フィンランド語 vesi キルギス語 suu カザフ語 sw トルコ語 su モンゴル語とフィンランド語の水を表す語彙では、s音は語尾にみられ、これは日本語の(水=mizu)のzu音が語尾にあるのと同じだ。 キルギス語、カザフ語、トルコ語では、s音は語頭にみられる。 これらをみれば、語尾、語頭の違いはあっても水の意味はs音にあるようで、いずれも同系であることが推定される。 ということは、日本語の(水=mizu)のzu音に水の意味があるとすることは、むしろモンゴル語やフィンランド語、チュルク諸語など広域における水の意味を表すs音と同じであり、これらと日本語の(水=mizu)のzu音は同系であると考えることができるのである。 また、日本語の(水=mizu)のzu音はmi音とつながることにより濁音化しているが、本来はmitu、あるいはmisuであろうから、一層モンゴル語などのs音との類似が際立つことになる。 このように考えると、日本語の(水=mizu)は、韓国語の(水=mul)、ツングース基本語の(水=mu)とは同系ではないとみなすことができそうだ。 むしろ、日本語の(水=mizu)はモンゴル語の(水=us)、フィンランド語の(水=vesi)、キルギス語の(水=suu)、カザフ語の(水=sw)、トルコ語の(水=su)と同系の言葉であろう。 そして、この(水=s音)は中国語の(水=shui)とも同じ系統であることが推測されるので、水を意味するs音は非常に広範囲にわたる基礎語であると考えることができるのだ。 みず(水)って、南から来たということはないですか タガログ語、ミャオ語、マレー語 タミール語は違うようです >>325 (水の)タガログ語はtubig。 マレー語はair、rab。 ベトナム語はnuoc。 クメール語はtuk。 タイ語はna。 タガログ語のtubigとクメール語のtukは似てますね。 ベトナム語のnuocとタイ語のnaは似てます。 しかし、日本語の(水=mizu)はこれらの南方語とは、似ていませんね。 (水=mizu)は、北方系の語彙ではないでしょうか。 特に、モンゴル語のusと似てますね。 日本語の語彙とモンゴル語の語彙にはかなり似たものがありますね。 日本語の水は元々「みづ」ですから/midu/で考えるべきじゃないでしょうか 旧かな遣いでは、(みづ)のようですね。 濁音を抜いた(つ)音に水の意味があるのであれば、水を表すタガログ語のtubig、クメール語のtukのtu音と同じですね。 これなら(みづ)は南方系ということになってきますね。 古事記 応神天皇 髪長比売 「美豆多麻流」(みづたまる=水溜まる) 日本書紀 清寧天皇二年冬十月 「寐逗愈凱麼」(みづゆけば=水行けば) 万葉仮名(つ)=tu、(づ)=du 水=みづ←みつ=mitu 水 タガログ語 tubig クメール語 tuk (水=みづ)は、タガログ語tubig、クメール語tukと同系の可能性が高そう。 >>326-329 ありがとうございます。 調べたかったが、ぐぐるしかできないのであきらめました。 みずだからひょっとすると海関係かなと思いました。 さて、(雨が降る)は雨粒が上から下に落ちる現象を指し、(降る=ふる)がその落下を意味する語彙だ。 降る(huru)のhu音に、上から下に落下するという意味があることになる。 そこで、このhu音の語幹音であるu音に落下する意味のある各国の語彙をみてみると、次の語彙がある。 落下 モンゴル語 unalt(ウナル) フィンランド語 pudota(プドタ) 韓国語はnaelineun(ネリネウン)だが、これはモンゴル語のunalt(ウナル)からu音が消えた語形であるようにみえる。 このように、これらのu、pu音に落下の意味があることが考えられ、u音がその落下の意味の語幹音とみることができる。 そして、日本語の(降る=huru)のhu音もu音が語幹音であるとみなせるので、日本語のhuru、モンゴル語のunalt、 フィンランド語のpudotaの語彙は皆同系の語彙であることが分かるのだ。 しかし、ここで興味深いのは、モンゴル語のunalt、フィンランド語のpudotaは(落ちる)の意味とともに(降る)の意味も持っているが、 日本語の(降る=huru)には降る意味だけしかなく、落ちるの意味が欠落していることだ。 つまり、落下そのものを表す日本語の語彙としては(落ちる=otiru)があり、このhuru(降る)とotiru(落ちる)はまったく別の語彙なのである。 なぜ、このようなことが起こったのか。 (降る)と(落ちる)の両義を持つhuruの語彙があったところに、新たにotiru(落ちる)の語彙が流入して定着した結果、在来のhuruの語彙から(落ちる)の意味が消滅してしまい、 (降る)の意味だけが残ったと考えるのが妥当ではないか。 では、そのotiru(落ちる)とは、いったいどのような系統の言葉なのだろうか。 続く >>331 日本語の(落ちる)の語彙はすでに万葉集に現れており、(地尓将落八方)と書かれている。 これを(ちにおちめやも)と読んでいて、(将落)が(おちめ)の読みの部分だ。 (将落)は(まさに落ちようとしている)の意味なので、その意味の表現が(おちめ)ということになる。 (落ち)の語彙が8世紀にはあったことが分かる。そして、これが平安時代になると(落つ)の表現も現れる。 さて、この(落ち=oti)は、文法用語では自動詞と分類されている。 ということは、(落ち=oti)の語彙の(落ちる)を意味する語幹音はo音にあることになる。つまり、このo音が(落下)を意味していることが分かる。 そこで、東アジアや中央アジアなどで(落ちる)意味を持ちo音を含む語彙をみると、唯一ベトナム語にそれがみつかる。 落ちる ベトナム語 roi(ローイ)。 落ちた ベトナム語 rot(ロッ) ベトナム語は中国南部の百越を源流とするオーストロアジア語の一種とされており、 遺伝子ではO1b系のハプログループがこのベトナム語の話者の主流だとみられている。 一方、日本人でも、O1b系のハプログループは26%と多数派の一つを形成していることから、 稲作を日本にもたらした種族がこのO1b系であろうとみられている。 つまり、稲作を日本にもたらした種族と現在ベトナム語を話す人たちは元々は源を同じくする同系統の者だった可能性があり、 弥生時代初期に縄文語だった九州へ新たに流入したのがこのO1b系の言葉だったと想定されるわけである。 そこで、このベトナム語のroi(落ちる)、rot(落ちた)と日本語のotiru(落ちる)、otita(落ちた)が果たしてつながるのかということになるのだ。 続く >>332 さて、日本語のoturu(落ちる)とベトナム語のroi(落ちる)がつながるのかということであるが、 日本語の特徴の一つが語頭にr音が立たないことである。 これは学者の研究によって既に明らかになっていて、このr音が語頭に立たないのは日本語だけではなく朝鮮語、アルタイ語も同じようにr音が語頭に立たないのだという。 そこで、縄文語が話されていた九州へ稲作をたずさえて渡来したO1b系の種族の言葉が新たに流入したとする構図に、この定説を当てはめるとどうなるだろうか。 (落ちる)を意味するベトナム語のroi(ローイ)は、縄文語の受け皿によって語頭r音が排除されてoi(オーイ)の語彙で定着することになる。 また、(落ちた)のrot(ロッ)も同じくr音がなくなり、ot(オッ)が定着することになる。 このoiのiは動詞であり、otのtは過去形を表す音なので、(落下)の意味を持つのはo音であるということになる。 このことは、日本語の(落ちる)の言葉の中で(落下)を意味している語幹音がo音であることとまったく同じなのである。 つまり、日本語の(落ちる)の語彙は、縄文語の中に流入したO1b系の(落ちる)意を表すroi(ローイ)の祖語のo音が残留して成立した語彙であるとみなすことに不都合はないといえる。 この(落ちる)意のオーストロアジア系のベトナム語roi(ローイ)の祖語が縄文語の九州へ流入した際に、縄文語の(降る)の語彙が元々持っていた(落ちる)の意味が消えていき、 その(落ちる)の意味は新しく流入して定着したoi(オーイ)が表すことになったということだ。 これが、oti(落ち)の語彙の成立過程だということだな。 わははははは。 3000年前の水稲の渡来とともに中国南部の百越O1b系の語彙が縄文語の中に流入したことは、上で見た通りだ。 そして、さらに1万2000年前には、やはり南方系のO1a系の語彙が先住縄文語に流入している。このO1a系の語彙はフィリピン・タガログ語の語彙と同系度が非常に高い。 つまり、日本語の語彙には中国南部の百越系の語彙が相当含まれている、というわけだ。 では、そもそもの先住縄文語の語彙は、どの語系の語彙と同系性が高いのか。 すでに学者が日本文化の二重構造論で指摘している通り、先住縄文語の語彙と同系性が高いのはウラル・アルタイ系の言葉の語彙のようにみえる。 その中でも最も同系性が高いのは、どうもモンゴル語の語彙のようだ。 日本語の端(はし)について、その同系性をみてみよう。 端(はし)は、縁や末端を意味する(は)と方位を意味する(し)の合成語であり、縁や末端を意味する語幹音は(は)音にある。 このことは、端(はし)の類義語に外れ(はずれ)、離れる(はなれる)、遥か(はるか)、鼻(はな)などがあり、意味を表す語幹音がすべて(は)音にあることによってそれが分かる。 この語幹の(は)音と端(はし)の意味をともに持つ語彙を近隣の言葉に探ると、モンゴル語とフィンランド語に見つかる。 端(はし) モンゴル語 hayaa(ハヤー)=端、縁 フィンランド語 paa(パー)=端、最後、頭 日本語の端(はし=hasi)がモンゴル語のhayaa(ハヤー=端)、フィンランド語のpaa(パー=端)と同系であるのは、まったく明らかだ。 そして、端(はし)の類義語である鼻(はな)をモンゴル語に探すと、 鼻(はな) モンゴル語 hamar(ハマル) があり、日本語の鼻(はな=hana)とモンゴル語のhamar(ハマル=鼻)の発音が極めてよく似ており、また鼻の意味を表す語幹音が(は=ha)音であることもまったく同じである。 日本語の基礎を形作っている先住縄文語の語彙が北方系の、特にモンゴル語の語彙と同系性が高いとみるゆえんである。 日本語の語彙が南北の二重構造になっていることは、まず間違いないだろう。 印欧語祖語という言い方があるが、 アジア人の1大源流地スンダランドから受け継いだ言葉、スンダランド祖語のようなものって だれか調べているのでしょうか >>335 原始ツングース言語とスンダランド言語が交じり合ったのが日本語だ、という考えがみられますね。 検索欄に「日本語成立の過程〜日本語は混合言語である」と入力して検索し、一番上のサイト「日本語成立の過程〜日本語は混合言語である るいネット」を開いてみてください。 >>336 ありがとうございます スンダランドまで考えている人がいてよかったです 読んでみましたが知らないことが多すぎて未知の領域でした 言葉だから遺跡とも別でむづかしいですね >>337 フィリピンには一部黒人系の人々がいるそうですが、この人たちはスンダ系ではないのでしょうか。 スンダランドから北上した人々のようにみえますね。 メソポタミア下流域とスンダランドが氷河期の2大文明で 氷河が溶けてそれぞれ沈んだために各地に散っていったという説 スンダ人と同系のオーストラリア・アボリジニのY染色体はC1b3とされています。 一方、日本人にはC1a1tがみられるようで、この双方の共通祖先がC1のようです。 日本人のC1a1と最も近縁のC1a2がみられるのがチェコやスペインの古代人骨とされます。 そうしますと、C1が分岐してC1aとC1bが生まれたのは中東付近で、C1aは北や西へ、C1bは東へ行ったとするのが合理的ではないでしょうか。 メソポタミアは温暖で植物も豊富だったんじゃないの? いずれにしても、日本語とモンゴル語の語彙には深いつながりがありそうだ。 くるくると風車(かざぐるま)が回り…。 この(くるくる、ぐるぐる)は回転の意味だ。 そして、回転することを意味する(くる)は(繰る)に由来する言葉であろう。 繰り返すの(くり)も回転することを意味している。 とすると、車(くるま)の(くる)も回転を意味する(繰る)から派生した語彙であることが推測できる。 この(繰る)はいつからみられる言葉かというと、万葉集の歌に(来る)と(繰る)を掛けた表現がよくみられることから、奈良時代にはすでに(繰る)の言葉はあったことになる。 では、この回る意の(クル=繰る)は、日本独自の語彙なのだろうか。 そこでモンゴル語をみると、 モンゴル語 回転=erguulekh(エルグーレフ) 巡回=erguul(エルグール) 回る回る=ergej erguul(エルゲジ・エルグール) 回す=ergelt(エルゲルト) などがある。 erは男性を表すので、これらの回転を表す語彙のerは接頭辞とみるのがよいようだ。 となると、回転を意味しているのはguul(グール)やgelt(ゲルト)であり、語幹音はg(グ)音ということになる。 続く そして、日本語の回転を意味する(繰る=くる)の語幹音はk(ク)音であり、また周囲を表す(ぐるり)の場合はg(グ)音となるので、これは回転を意味するモンゴル語の語彙の語幹音のg(グ)音とまったく同じにみえる。 回転する、回るなどの意を表すモンゴル語と日本語の語彙の語幹音がともにg(グ)、あるいはk(ク)音であるということは、モンゴル人の祖先と日本人の祖先があるときに同じ地域で暮らしていたということになってくるのではないだろうか。 モンゴル人の元々の居住地域は、満州の大興安嶺山脈の北側だったらしい。 とすると、2万年前頃にナイフ型石器を携えて南下し日本列島に達した縄文人の祖先の原郷も、その大興安嶺の北辺りだったのではないかとなってくるのだ。 わははははは。 和泉雅子(いずみまさこ)という女優がいたが、雅子と書いてこの(雅)を(まさ)と読んでいる。 (雅)は(みやび)という意味づけがなされているので、その(みやび)をなぜ(まさ)と言うのか。 また、この(まさ)は(正)の字にも用いられる。楠木正成(くすのきまさしげ)がその例だ。 (正)は正しい(ただしい)意であるので、やはりここでも(ただしい)意を表すのになぜ(まさ)の言葉が用いられるのかという問題が生まれる。 しかも、雅の(みやび)と正の(ただしい)の意味は相当に異なる。にもかかわらずこの二つの異なった意味の漢字に対して(まさ)という一つの表現を用いているのである。 これは、極めて難解な問題だといえる。 (まさ)とは、何か。 だが、突破口がないわけではない。 平安時代前期の貴族に藤原良近という人物がいて、この(良近)を(よしちか)と読んだり、また(まさちか)とも読んだりしているのだ。 (良近)を(まさちか)と読んだ場合、(まさ)は(良い)という意味であることになる。 そうなると、(雅=みやび)、(正=ただしい)の字を(まさ)と読むのは、(雅=みやび)も(正=ただしい)も(良いこと)だからだという理解が成り立つ。 この解釈は正しいか。 そこで、(正夢=まさゆめ)の言葉をみてみよう。 続く (正夢=まさゆめ)は、夢に見たことが現実に現れたときにその夢を指していう言葉。 夢に見たことと、それと同じ出来事が起こることとが、なぜ(正=まさ)なのか。 よく考えてみると、この(正=まさ)は(柾=まさ)と同じで、(柾)の字を用いた(柾目)は木の中心付近で縦割りにしたときに現れる年輪の模様のこと。 木を表皮の付近で縦割りにすると年輪は山形(板目)になったりするが、中心部分で縦割りにすると年輪は平行になり縦に真っすぐな線を描く。 この年輪が縦に歪まずに真っすぐで、しかも平行に並ぶ模様を(柾目=まさめ)と呼ぶそうだ。 このことからすると、(正夢=まさゆめ)は夢にみたことと現実に起こったことが同じであるときに用いる言葉なので、夢の出来事と現実の出来事が歪むことなく平行に存在していることを指していることになる。 なので、(正夢=まさゆめ)は(柾夢=まさゆめ)であり、柾から木偏を省略した正が正夢の正なのだ。 そして、夢の出来事と現実の出来事が瓜二つであることになぜ(まさ)の言葉が用いられるのかというと、そのように夢に見た出来事と現実の出来事が平行して真っすぐに同じように並んでいることは(良い)ことだからだということになる。 このように考えれば、(まさ)は(良い)を意味する言葉だと解することは妥当だと言えるのではないか。 こうして、(まさ)が(良い)を表す言葉であることは理解されるが、しかしその(まさ)の発音がなぜ(良い)を意味するのかについてはまったく不明なのである。 この(まさ=良い)は、縄文語由来の和語なのであろうか。 続く (まさ)は(良い)を意味する言葉だとすれば、(雅=みやび)や(正=ただしい)を(まさ=良い)と読む理由が分かる。 和泉雅子(いずみまさこ)は、(みやびで良い)女性だという意味になる。 さて、では、この(まさ=良い)はどのような由来の言葉なのだろうか。 そこで、フィリピン・タガログ語。 タガログ語 masaya(マサヤ)=幸福、運の良い、うれしい、楽しい。 masarap(マサラプ)=旨い、美味しい、味が良い。 maganda(マガンダ)=美しい。 mabuti(マブチ)=良い。 mahalin(マハリン)=愛する。 magustohan(マグストハン)=好き。 これらの言葉をみればma(マ)音が語幹であり、このma(マ)音には(良い)の意味があるように推測される。 そして、masaya(マサヤ)、masarap(マサラプ)の意味もいろいろバリエーションがあるものの、語幹であるmasa(マサ)は(大変良い)の意味があるようにみえる。 日本語の(まさ=良い)とタガログ語のmasaya、masarapのmasa(マサ=大変良い)は同系の言葉であろう。 つまり、このタガログ語の語彙は、縄文草創期に南方から来た海人の言葉が先住縄文人の言葉に溶け込んだ語彙のようにみえるのだ。 たぶん、間違いない。 縄文語もタガログ語もスンダ語の後裔という事じゃない? スンダ語はオーストロネシア語族の中の一つとされていて、このオーストロネシア語族の拡散についてはすでに詳しい研究がなされているようです。 検索欄に「ウィキペディア オーストロネシア語族」と入力し、開いた画面の一番上の「オーストロネシア語族 wikipedia」を開き、画面をずっと下におろしていくと「拡散史の語彙統計学の研究」の項目があります。 その記事にオーストロネシア語族の拡散史が述べられています。 また、ウィキペディアの「オーストロネシア祖語」も参照してみてください。 この拡散の研究では、中国南部からの拡散時期の最初を6000年前としていますね。 ラオスやベトナムなどでこの時期の土器が出ていて、それ以前には東南アジアでは土器が出ていませんので、新石器人の中国南部からの拡散開始時期を6000年前頃としているのではないでしょうか。 しかし、フィリピンの歴史を述べたサイトでは、中国南部からフィリピンへ渡来があった最初は1万2000年前としているものがあります。 また、フィリピンの山岳地帯には黒人が居住していて、この人たちはさらに古い時代に渡来したのではないかとされています。 スンダランド系集団の渡海北上があったのは、間違いないのではないでしょうか。 フィリピンはスンダランドに含まれますから その黒人は渡来ではなくスンダランドが沈む前からいたのかもしれませんよ 検索欄に「高山族とは コトバンク」と入力して、開いた画面の一番上の「高山族 コトバンク」を開いてみてください。 台湾の原住民について、南方から来たと書いていますね。 日本書紀や古事記の日向神話に塩土老翁、塩椎老翁という神が登場する。 どちらもシオツツノオキナと読むが、一般的には土、椎はいずれもツチと読み、ツツとは読まない。 なのになぜ土、椎をツツと読んでいるのかと言うと、日本書紀の日向神話の一書に塩筒老翁と書かれているものがあり、この筒はツツとしか読まないことから塩筒老翁と同一神とされる塩土老翁、塩椎老翁もシオツツノオキナと読むことになっているため。 日本神話で重要な役割を担っているこの塩筒老翁(シオツツノオキナ)の塩筒とは何を表しているのかというと、潮の筒→潮の流れ→潮流のことだと考えられているようだ。 この神話の舞台が、沖縄との交易に従事した鹿児島の阿多であることから、塩筒神とは沖縄と鹿児島の間を流れる黒潮を神格化した神ではないかと考えることもできそうだ。 黒潮は巨大な筒、巨大なチューブのように流れる潮流であり、学者が指摘する塩筒=潮流の考え方と矛盾しない。 そこで、この筒(ツツ)とはどのような系統の言葉なのか、追跡してみた。 そうすると、モンゴル語やフィンランド語には筒(ツツ)と同系とみられる語彙はなく、チュルク系に同系とみられる語彙があった。 筒 キルギス語 tutuk(ツツ) カザフ語 tutik(ツチ) トルコ語 tup(ツ) キルギス語のtutuk(ツツ)、カザフ語のtutik(ツチ)は日本書紀の塩筒のツツ、日本書紀と古事記の塩土、塩椎のツチとそっくりなのが面白い。 そして、筒ではなく英語のチューブの意味でこれと同系の言葉を探してみると、さらに面白い。 チューブ 英語 tube フランス語 tube スペイン語 tubo ラテン語 tubus ブルガリア語 truba パンジャブ語 tiba このようにインド〜イギリスまで同系の語彙がつらなる。 これを日本語やキルギス語などのチュルク系の語彙と比較してみると、筒・チューブは語頭のtu(ツ)音で完璧に合致していることが分かる。 しかも、複合の語彙ではなく短音の語彙に近い日本語やチュルク語のtu音のほうが、どうも源初的なようにみえる。 8世紀まで遡って確認できる日本語の筒(ツツ)の語彙は、ユーラシア大陸全体にまたがる管(くだ)を意味する言葉の源初的な語彙である可能性が高くなってくるのではないだろうか。 わははははは。 カグツチあたりを考えるとシオツチの方が元でシオツツの方が訛りではないでしょうか 塩土(シオツチ)は潮津道(シオツチ)ではないかと思いますね。 潮の道、潮路ですね。 塩筒(シオツツ)は潮の筒、潮流、黒潮。 この塩筒と塩土が同じだとされるのは、少しへんですね。 塩土(シオツチ)は航路を意味し、塩筒(シオツツ)はその航路である黒潮を指した言葉ではないでしょうか。 一方、カグツチですが、これは火之R毘古(ヒノカガヒコ)、火之加具土(ヒノカグツチ)と書かれる神で、カガとカグは同じとされます。 ヒノカガヒコは(火の炎の神)、ヒノカグツチは(火の炎の霊)でしょうね。 (チ)の意味がシオツチとカグツチでは少し異なるかも。 しかしもし(チ)が同じであれば、シオツチは潮の霊という意味になってきますね。 シオを黒潮とすると、黒潮の霊=黒潮の神がシオツチの意味になりますね。 稲(イネ)は、縄文中期(=陸稲)と縄文晩期(=水稲)に九州にもたらされた。 このイネのネは、根、屋根、尾根、根太の根であり、また寝(ネ)るのネでもある。根(ネ)は(横にする、横になる)が原義だと考えられる。 とすると、イネはイ・ネの構成で、(イ・根)だということになる。 この日本語のイは良いを意味する「イイ」、清める意の斎(イ)だと考えると、イネは「良い根」の意味であることが考えられる。 そこで、良いという意味のイ音の語幹を持つ語彙を外国に探すと、唯一タイ語にそれがみつかる。 タイ語 良い di(イー) これは日本語の良いを表す(イイ)と発音、意味ともにまったく同じである。 そこで、n(ネ)音系で横になる意味を持つ語彙をタイ語に探すとnxn(ノーン=横になる、寝る)がある。 ネ音とノ音は交換可能であるので、日本語のネ(根・寝る)とタイ語のnxn(ノーン=横になる、寝る)は同系とみることができる。 これらのことから、日本の文化の根幹にある稲(イネ)とは(イ・ネ=良い根)の意味であることを推測することができ、 またこの語彙は縄文時代に稲をもたらした中国南西部を原郷とする百越系O1aの種族の語彙であったことを推測することもできるのである。 つまり、稲(イネ)の遥かなる旅は、タイ語の原郷へと向かって続くのだ。 稲作関連の言葉はタミール語と共通する部分が多いという話だが >>362 タミル語で米、稲、飯はnel(ニー)。 日本語のイネのネにつながる可能性もあるかもですね。 >>364 タミル語と日本語の関係については、よく似た語彙があるそうですが、 難点は、タミル語話者の日本への渡来がなかなか見極めにくいことにあるようです。 ある地域から日本やインドに伝わったと考えるべきですね 漢語で音読みと訓読みを共存させるというのは、考えたらすごいこと 漢字からひらがなを作ったのと同レベルの発明 現代だと英語にそのまま日本語を当てはめて読むみたいなことだがなぜか英語ではやらない CARをくるま、windowsをまど インフルエンザ予防として(うがい)が有効だという。 また、朝、顔を洗う際に口に水を含み、ガラガラとさせて口内をきれいにするのも(うがい)。 この(うがい)の語源は何か。 1444年(文安二年)に成立した「下学集」には、うがい=鵜飼だと解説されているそうだ。 (うがい)が鵜が呑み込んだ魚を吐き出すことと似ていることから、口を漱ぐことを(うがい)というようになったとするもの。 この解釈は通説となっている。 しかし、これはヘンだ。鵜が魚を吐き出すのと似ているということであれば、鵜吐き(うはき)くらいが妥当。 鵜飼は鵜を飼うことであるし、その鵜飼の言葉を魚を獲る漁法に当てたとしても、鵜を使って魚を獲ることを意味するにとどまるのではないか。 鵜飼の言葉でもって鵜が口から魚を吐き出すことを表すことにはならないだろう。 つまり、(うがい)を鵜飼由来だとするのは、単に音が似ていることにこじつけたようにみえる。 ということになると、(うがい)=鵜飼説はあやしくなってくる。 では、(うがい)とは何か。 そこで、日本語の語彙とほとんど兄弟的な類似を示すモンゴル語の出番。 モンゴル語 ugaakh(ウガーフ)=洗う これで決まりだろう。 ウガーフ(洗う)の名詞化が(うがひ)→(うがい)ということだろう。 (うがい)とは、(洗う)という意味だ。 ここにも、日本語語彙とモンゴル語語彙の兄弟性が見て取れるな。 わははははは。 >>367 中国語文法で書かれた漢文に返り点などを付けて日本語文法による読み方ができたことが、素晴らしい。 これによって、中国語ができなくてもその文章に書かれている思想などを理解することができるようになった。 一方、英語などの表音文字による外国語文章は、その外国語ができないと理解できない。 まったく不便だ。 >>368 この(うがい)=洗うは口を漱ぐ(うがい)に限らず、洗うこと全般にわたる言葉だったのだろう。 時期は先住縄文人の時代である。 そこに、1万2000年前頃、中国南部の百越系の種族が九州に渡来して、彼らが話していた(洗う)の言葉が先住縄文人に浸透し、元々の洗う意を表す(うがい)を駆逐したと思われる。 ただその際に、口を漱ぐ行為を表す(うがい=洗う)だけが生き残ったということであろう。 そして、その南方系の(あらう=洗う)の言葉は、(あらた=新た)、(あらためる=改める)などの(あら)とも同系だと考えることができる。 ちなみに、フィリピンのタガログ語で日、太陽を表すaraw(アラウ)は、この(あらた=新た)、(あらためる=改める)、(あらう=洗う)の(あら)と同系の言葉だろう。 まず、まちがいないな。 日本語の中には、東南アジアから東北アジアまでの各国の国の語彙とよく似た語彙がたくさんみられる。 またそうした語彙の中も、さらに中央アジアから北欧、西洋などにかけて広がる語彙もあるようだ。 つまり、日本語の語彙の中にもワールドワイドの広がりを持つものがあるということだ。 今回の晴れる、晴(はる)も単に日本の中にとどまる語彙ではなさそうだ。 晴(はる=haru)は、雲や霧などが消えてなくなった状態を意味し、また雨や雪が降り止んだ状態も意味する。 しかしながら、雲や霧などが消えてなくなった状態をなぜ(はる=haru)というのかというと、その語源はもうひとつはっきりしない。 日本語の範囲内だけでは、もはや語源を探索することは無理があると思える。 そこで、このharu(晴)と同系とみられる発音の語彙を外国語に探すと、驚くほどの広がりのある語彙であることが分かるのだ。 明るい 韓国語 balg eam(パイゼム) モンゴル語 khurts(フルツ) フィンランド語 kirkas(ヒルカス) キルギス語 jarkirak(ジャルキラク) カザフ語 jarqin(ジャルキン) トルコ語 parlak(パーリャッ) これらの語彙は語頭のpar(パル)、hur(フル)、jar(ジャル)が類似していて、意味は共に(明るい)の意である。 同系の語彙だとみられる。 そして、日本語の晴(はる=haru)とも発音が類似していて、日本語の晴(はる=haru)とも同系とみることができる。 そうすると、日本語の晴(はる=haru)の語義は、元々はモンゴル語などと同じく(明るい)という意味であることが推測されるのである。 雲や霧が消えてなくなることは明るくなることであり、雨や雪が降り止むことも明るくなることを意味する。 このように、日本語の晴(はる)はモンゴル語やフィンランド語、チュルク語などと同じ(明るい)という意味の語彙の範疇に入るものであることが分かってくるのである。 日本語の故郷はバイカル湖付近だとする説があるが、モンゴル語やチュルク語の故郷はそのバイカル湖の南方であることを考えると、日本語の故郷もそのあたりまでは北上してもよいのかもしれない。 バイカル湖の西方のトゥバ共和国あたりは、もともとチュルク系、モンゴル系、サモエード系が雑居していたらしい。 7世紀頃にモンゴル族はバイカル湖を東に超えたアルグン川渓谷に住んでいたが、その祖先伝承ではバイカル湖を渡ってオノン川上流のブルカン岳にやってきたそうだ。 とすると、エニセイ川上流のトゥバ地方がモンゴル族の原郷かも知れない。 これまでみてきたように、日本語にはモンゴル語、フィンランド語、チュルク語と関連する語彙が豊富にあるところをみると、縄文語の祖語を話す種族はこのトゥバ地方あたりにいた可能性が出てくる。 そして、寒冷化とともにモンゴル祖族やチュルク祖族はそのままあとに残り、縄文祖族は南下したのかも知れない。 このような構図を想定すると、日本語の語彙にモンゴル語、フィンランド語、チュルク語の語彙と関連するものが少なからずあることの理由が理解できる。 面白くなってきたな。 わははははは。 縄文草創期の1万2000年前に南九州へオーストロネシア系の祖族が南方からやってきたことが知られている。 この南方系の種族が南九州へ上陸したときには、そこにはすでに先住縄文人がいて細石刃の石器を使用していたことが分かっている。 この細石刃石器の担い手は1万4300年前頃に列島にやってきたと考えられていて、この種族が使っていた細石刃石器は中国東北部〜バイカル湖付近に源流があるとされている。 つまり、細石刃を用いていた先住縄文人のふるさとはバイカル湖付近ということになってくるが、このバイカル湖の西はモンゴル祖族、チュルク祖族、サモエード祖族が混在していたトゥバ地方だった。 このことを考えると、日本語の語彙にモンゴル語やチュルク語、フィン・ウラル語の語彙がかなりみられることからすると、日本語の基層言語はこの細石刃石器を用いた種族の言語であった可能性が強まる。 列島には旧石器時代に大陸から渡来が幾層もあったとされているが、日本語の基層言語の話者はこの細石刃種族が最も有力ではないか。 >>373 このように、考古学の分野でもバイカル湖西部地方のモンゴル、チュルク、サモエード混住地方と先住縄文人との関わりは濃いものがあるのだが、 これをY遺伝子のハプログループD1でみると、やはりその地方とのつながりが見える。 Y−Dの分布ではアンダマン列島やチベット高原が濃密であるが、低頻度ではあるがこのほかにアルタイ地方も注目されている。 アルタイ地方ではDーM174が抽出されているが、このほかにチュルク系やモンゴル系の民族でD−P47、D−M15がみられるのだ。 これまで中央アジアではDはほとんど注目されなかったが、調査量が上がるにつれて中央アジアにY−D系がいたことが実証されてきている。 特に、モンゴル族やチュルク族にもDがみられるようになっているのが面白い。 日本語とモンゴル語などの語彙に同系性の高い語彙がみられることを考えると、もうほとんど日本人のD1a2はバイカル湖の西部のトゥバ地方に原郷があるとみることができるのではないだろうか。 わははははは。 バイカル湖は3万年くらい前までは温暖だったらしいですからね バイカル湖周辺には3万年前〜2万年前頃の遺跡がみられるそうだ。 有名なアフォントヴァ山遺跡の人骨は2万年前頃。 最後の氷期の最盛期は2年年前〜1万5000年前とされていて、この時期にバイカル湖などシベリアは寒冷砂漠、ツンドラの世界だったという。 ここに進出していた人類は寒冷な気候に適応した結果、モンゴロイド的な特徴を獲得したという。 というわけであるので、3万年前頃にはバイカル湖付近に人類は進出していて、気温も最低温期に比べるとましだったということになる。 そして、2万年前以前にはバイカル湖周辺では祖縄文人や祖モンゴル人、祖チュルク人、祖サモエード人などが混在していたが、2万年前以前のある時期に祖縄文人は南下し、 あとにはモンゴル人やチュルク人、サモエード人らの祖先はそのまま居残り寒冷化適応したということになるな。 まあ、日本語の源流は3万年前頃にバイカル湖西方のトゥバ地方にいた旧石器人(祖縄文人)に求められ、 その後1万2000年前に南九州に上陸した中国百越地方からの渡海者が先住縄文人と混交した結果成立したのが新縄文語であり、 これが現在につながる日本語の祖形となったということだな。 そのあとも中国百越系の種族が複数波にわたって日本列島に入り日本語の祖形に影響を与えたが、基本的な構造は変わらなかったと考えるべきだ。 こうしたことは、これまでにみてきた彼我の語彙の同系性によって明確である。 というわけで、この板はこれで終わりとしたい。 みなさんに感謝するよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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