秦氏関連の事柄では3の数詞が特徴とみられるが、秦氏が住んだ太秦(ウズマサ)のウズや出雲大社の宇豆柱(ウズバシラ)のウズはトルコ語系では数詞の3を表す語彙。
ユダヤ教では、この3は最高の聖数とされている。
出雲大社の宇豆柱が3本の大木を鉄枠でくくって1本の柱としていたことが分かり、宇豆柱のウズが3を表している可能性が高くなった。
その3を表すのがトルコ語系の数詞でウズと言うもの。
では、秦氏がユダヤ系の一族であるとして、なぜトルコ語系の3=ウズを用いていたのか。
ユダヤ系の一族であれば、ヘブライ語ではないのか。
そこで、遺伝子解析で分かってきた事実がある。
アシュケナージ(白人)系ユダヤ人の祖先は、起源1世紀頃にギリシャやイランなどからトルコ北部に移住してきた人々。
この人たちがペルシャから来たユダヤ人によってユダヤ教に改宗し、7世紀頃になると戦乱によってトルコの北方のカフカスへ移ったのがハザール系ユダヤ人の元だという。
なので、このトルコ北部に住んでいたユダヤ人は、トルコ語に馴染んでいたことになる。
そして、面白いのが、古代日本の貴重財についてだ。
弥生時代の北部九州の墓からガラス小玉がたくさん出土する。
このガラス小玉は、インドや東南アジアで生産されて海路で交易されたとされる。
古代日本には中国沿岸から朝鮮半島へ渡り、それから北部九州にもたらされたのだろう。
その後、5世紀後半になると、西アジアや中央アジアで生産されたガラス小玉が日本に大量に流入するようになる。
このトルコなどを含む西アジア産のガラス小玉が、交易で日本まで運ばれたわけだ。
だれがこの交易の主体だったのか。
5世紀に秦氏の集団が日本に渡来するが、この秦氏は数詞3をトルコ語で話す集団だった可能性が極めて高いことは、先に述べたところだ。
秦氏の集団は、西アジア産のガラス小玉を交易するその交易路を歩いてトルコからやってきたユダヤ人集団だった可能性が高いのだ。
そして、秦氏が社家を務めた松尾大社には、太秦の木嶋神社の三本柱鳥居と同じく三つの鳥居と三つの庭園が造られているのだ。