承前
山城太秦のトルコ語を話す秦氏が絡んだ交易路について、そのトルコ語の痕跡が伺える例として、九州響灘の(おっぱい形)の島である沖ノ島のご神体(御身の形=ミミの形)のミミがトルコ語のメメ(おっぱい)と類似していること、
また、対馬海峡の2番目の島である壱岐(イキ)とトルコ語の数詞2(イキ)が極めて類似していることを見てきた。
このように、トルコ語の語彙の痕跡の可能性が九州と朝鮮半島の間の海峡にみられるとなれば、その対岸の朝鮮半島でもトルコ語の痕跡がみられるのではないか。
そこで、トルコ語の痕跡と考えられるのが、加羅(カラ)である。
朝鮮半島の洛東江中流域にあった小国家群の総称が加羅であり、この加羅が中国史書などに現れるのは5世紀前半から6世紀前半頃だ。
まず、414年に設けられた高句麗の広開土王碑文に「任那加羅」がみられる。
次に、537年の中国史書の南斉書には「加羅国」が記されている。
つまり、加羅の呼称は、5世紀初頭から現れているわけだ。
それ以前には、加羅の国名は文献に見られないということになる。
一方、この加羅地方は、産鉄、製鉄で知られ、3世紀後半に書かれた魏志韓伝では、倭人なども鉄材を入手するために集まっていたことが書かれている。
そして、この時代の加羅は弁韓と書かれていて、まだ加羅の国名は現れていないことが分かる。

さて、では、この5世紀初頭に現れる加羅(カラ)の呼称と秦氏のトルコ語とは、どのような関わりが推測できるのか。

トルコ語
城、城砦=kale(カレ)

トルコ語系のカザフ語
城砦から生じたとみられる都市、都(みやこ)=qala(カラ)

この城砦や都市、都(みやこ)を意味するトルコ語系のkale、qalaは、アラビア語の城を意味するqalatが語源だとする意見もある。
朝鮮半島南部域に5世紀初頭頃に突然現れる呼称である加羅(カラ)は、城砦、都市、都(みやこ)を意味するトルコ語kale、qala由来の言葉であるとみなすことは可能であるのだろうか。
加羅地方に、特別な城砦はみられたのか。

                                 続く