七年戦争(フレンチ・インディアン戦争)
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七年戦争は1756〜63年のプロイセン王国とオーストリアの対立を軸に、プロイセンはイギリスと、オーストリアはフランス、ロシアと結び、全ヨーロッパに広がった戦争。
フレンチ・インディアン戦争は1754〜63年まで、北アメリカ大陸でのイギリスとフランスの戦争。
フランス軍が、インディアン諸部族と結んで、イギリス植民地軍を攻撃したので、イギリス側でこのように呼ばれる。
ヨーロッパにおける七年戦争の北アメリカ大陸版といえる。 イギリスの大陸勢力均衡政策は、長期的には常に破綻する
17世紀の英蘭戦争でオランダを叩きのめしたが、その後、フランスの太陽王ルイ14世にオランダもスペインも奪われそうになった
18世紀の七年戦争では、宿敵のフランスを叩いて覇権を確立したが、やがて、同盟国のプロイセンが新たな強国として台頭し、次第に手に負えなくなる 17世紀始めには英蘭両国はカトリックのスペイン・ポルトガル勢力に対して協力関係にあったが、
オランダ東インド会社の実力がイギリス東インド会社を上回り、1623年のアンボイナ事件を契機に、
イングランドは東南アジアや東アジアから撤退せざるを得なくなった。
香料貿易を独占したオランダにはアジアの富が流入し、イングランドでは反オランダ感情が高まった。
戦争は海戦が中心で双方とも相手方の本土に侵攻することはなく、いずれも中途半端な結果に終わった。
イングランドは3次にわたってオランダと開戦し、オランダ経済に大打撃を与えたが、皮肉にも1688年の名誉革命により、
かつて敵対したオランダ総督ウィレム3世をイングランド王ウィリアム3世として迎えることとなる。
18世紀に行われた第四次英蘭戦争により、オランダの国力は疲弊し、海上交易における優勢を失った。 >>154
よく言われる天皇主義というイデオロギーに経典はあるの?
その経典を暗唱し、主義を鼓吹し布教する教団なり党は存在するの?
戒律はあるの?それは明文化され暗唱されているの?
言っとくけど記紀も万葉も祝詞も経典として機能していないよね?
「慰霊」「慰謝」は祭祀であって教義ではないだろう
だったら天皇主義はイデオロギーではないんだよ 七年戦争に敗れたフランスでは、20数年後に革命が起きる
べつに、七年戦争に敗れたのが原因ってわけでもないんだが、フランス王国は崩壊した 莫大な戦費による財政破綻がブルボン朝崩壊の原因なので間違ってはいない 戦争は金がかかるからな。イギリスも第1次世界大戦なんかやったからアメリカに抜かれたんだ。 >>157
天皇主義なるワードはまず聴くことがないのでググったところ、
学問的な言葉ではなく、一部のオールドファッション左翼が気分的に使用しているだけのようだ。
明文化云々は、あなた、1960年代以前の学問以降のアップデートを怠っておられるのですか?としか言いようがないですな。
たまには歴史を勉強されるとよいですぞ。 >>160
反戦論は戦争の悲惨さとか、人命が失われるという観点からの物が普通だが
非常に金がかかるという事を踏まえれば、本当は安易に戦争に走らないよね
日露戦争のように華々しい勝利でも、国が傾くレベルの大借金が発生している 軍事を徹底的に「費用」の面から捉える新しいタイプの大統領、トランプが登場した 北朝鮮だってあんなに軍備強化しても金がないから実際の戦争はできないんだ。アメリカは金があるから何度も戦争ができる。 >>161
あなたは>>154なのでしょう?
だったら「日本の天皇は」「戦後」において「原理原則による残存」をしているという認識はあなたが言ったことだ
あなたが「自分はそれを天皇主義とは呼ばない、自分はオールドファッション左翼ではない」と言った所で、
「天皇は原理原則による残存をしている」と言明しているのは紛れもなくその「オールドファッション左翼」と同じ見解でしょ
そこから逃げてどうすんの 七年戦争では、フランスとロシアによる東西二正面の戦争を、なんとか乗り切ったプロイセン
しかし、第一次世界大戦では、ドイツは最終的に敗れた
どこに違いがあったかというと、前者はイギリスを味方につけたが、後者ではイギリスをも敵に回したことにある。
と、ここまではヒトラーも分析していたのだが、なぜか第二次世界大戦でまたしてもイギリスを敵に回す愚を犯すことに ロシア帝国が、欧州史の主役級の大国のひとつとして華々しく登場したのも七年戦争 インドでの第3次カーナティック戦争のことも忘れないでください ルイ15世のやる気のなさは異常。
北アメリカとインド。両方の維持が無理ならせめて片方に
戦力を集中すべきだった。 >>171
そもそも、政治や外交のことはポンパドゥール夫人にまかせっきりだったからな 【闇速報】カナダで30年の間に先住民族の虐殺が繰り返されていたと判明、被害者1200人〜数倍で沈痛へ
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1559611179/
日露戦争後の米国の日本への異常な警戒心と敵意の高まり、日米戦争への流れはこの問題を抜きに語れない。 マリア・テレジアはもう少しでフリードリヒ2世を仕留めてたのにな 近い年代で
ロシア(+日本)方面での、北米の関係
1804年 シトカの戦い
レザノフの露米会社(+アレウト族)が、トリンギット族(英仏などが武器供給)との戦争に勝利
ある意味、職業的狩猟採集民同士の戦争ともいえる
(日本との関連 露寇事件)
レザノフは、露米会社の食糧難・経営難の打開のため南にある日本との交易が重要と考えたが
日本に嫌がらせされ
通商も断られたレザノフは、海軍に命じ、日本の樺太・択捉・礼文・利尻を攻撃し圧勝
※何故かロシアは、この攻撃は国家意思でなく単なる海賊行為であり、処罰したと通告
しかし、実際に殆ど処罰が無かったどころか、ロシア皇帝は事前に攻撃計画を知らされてたとのこと この戦争によって、結果的に、北米が英語圏になったことはその後の歴史の中でとても大きな出来事になった ウイグル人権法案可決に激怒、「アメリカも先住民を虐殺した」と言い始めた中国
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/12/post-13546.php
コロンブスの米大陸到達以前の先住民の推定人口は研究者によって大きなばらつきがあるが、ユニバーシティー・カレッジ・
ロンドン(UCL)の研究チームが今年発表した論文によると、コロンブス到達後の100年間に、ヨーロッパ人の侵入による感染症
や戦争、飢餓などで、南北米大陸では、当時の世界の人口のざっと10%に当たる推定560万人の先住民が殺された。その後
の数百年間にジェノサイド(集団虐殺)はさらに激化した。
1776年のアメリカ建国とそれに続く軍事的な領土の拡大で、先住民の強制的な同化、移住、根絶を目指す政策が奨励され
支援された。米連邦議会図書館によると、先コロンブス期には北米大陸に1500万人もの先住民がいたが、白人入植者と
先住民の抗争、いわゆる「インディアン戦争」が終息した19世紀末には、約25万人に減っていたという。 この頃はヨーロッパで戦争が起こると自動的にアメリカ大陸でも戦争が起こる仕組みになってた 明確な規定がないので芋づる式に植民地や入植地でも争いが起きる。北米しかりアフリカしかりインドしかり この戦争でイギリスが勝ったことによって現在のアメリカ合衆国が英語圏になった >>185
シュレージエン地方は、オーデル川の中・下流域に広がる肥沃な地域で、
地下資源を豊富に持つだけでなく、都市ブレスラウに見られるように
文化的にも発展していた 有名でも無名でもない戦争だからこれはテストに出るな なにせ「18世紀の世界大戦」だからな
19世紀には、これほどの戦争はなかった 19世紀の初めにナポレオン戦争があったな
ナポレオン戦争の規模は、七年戦争を遥かに凌ぐ 19世紀の大戦争といったら、ナポレオンを別格とすればクリミア戦争、太平天国の乱、アメリカ南北戦争、普仏戦争あたりか
死んだ人の数からいったら太平天国の乱は異次元のスケールだったが 七年戦争を舞台にした映画といえば、スタンリー・キューブリック監督の「バリー・リンドン」 考えてみれば、インド・ヨーロッパ・アメリカにまたがる大戦争だったんだな。 七年戦争はアメリカ独立の遠因。
つまりアメリカ人はフリードリヒ二世の征服欲に感謝してよい。 七年戦争の結果アメリカが英語圏になった。そういう意味で七年戦争が後の世界にもたらした影響は大きい。 アメリカ独立戦争も、フランス革命も七年戦争が遠因となって起きた 七年戦争を「第一次世界大戦」と呼び、ナポレオン戦争を「第二次世界大戦」と呼んでもいいんじゃないかと思う 思うにフランスが勝ってたらカナダの国境線が南側にググッと伸びて北米大陸支配してたんだろ?
そしてイギリス王家が吊るされフランス語が世界で影響力を持ちマリーアントワネット2世女王が現代に誕生していた程度で対して世の中変わってなさそうだが フル漢字にしたら仏印戦争、ベトナムやカンボジアやら辺っぽくなるね >>199
日本に全然影響無かったよな
その当時の日本は世界のド田舎だったのか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています