結局、フン人=北匈奴説は本当なのか?
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遊牧民連合なんて分裂したりくっついたりの繰り返しだからね 北匈奴 → 悦般 350年 冉閔が華北で胡人を大量虐殺 375年 フン族が黒海北岸に侵入する 西洋が感情むきだしの歴史しか残さなかったせいで闇の中ばい 184 世界@名無史さん sage 2018/11/07(水) 11:52:16.07 0 トルコの右寄りの歴史書だと匈奴=フン=エフタルで フンの王族とエフタルの王族も匈奴の冒頓単于の子孫と言う事になってる >>6 トルコ陸軍の創設者は冒頓単于という事になっている 匈奴に属してる部族の中には 匈奴中枢の氏族とは言語体系が違う部族もいただろうし フン族に属している部族の中には フン族中枢の氏族とは現体系が違う部族もいただろう チュヴァシ語はテュルクの中でも独特の系統にあり、古い時期にモンゴル系から借用した語彙があるという それによりチュヴァシの祖先であるブルガールは嘗て東方でモンゴル系と隣接・混住していたことが想定される ならばもしブルガール=フン説が正しいとすれば匈奴=フンだったということが示唆される ブルガリア語やハンガリー語にはブルガール語からの借用語が共通して存在してるらしい ヨーロッパに攻め込んできたマジャール人はマジャール語だけの部族だったのかな 異民族を配下にしたり 非マジャール語部族もいたのかな? 普通に考えたらそうじゃない? モンゴルもそうだったし マジャール人も全体で数万人程度だろう 他の民族を同化していかないとあれだけの規模にならんよ そもそも匈奴は何で漢に負けるようになった 普通に真正面からの会戦でも負けてる >>18 2〜3世紀には華北も飢饉で難民が出ているくらいだし、 寒冷化で牧畜地帯もかなり苦しい状況だったんじゃないのかな。 実際、モンゴル高原全体の覇権を匈奴が握れなくなって、 旧東湖系の鮮卑や烏丸が台頭して遊牧連合がガタガタになってきている。 匈奴本体もお家騒動で分裂状況。 ソグド文書で南匈奴の興した漢(前趙)による西晋攻撃を「フン族による攻撃」と しているみたいだし、匈奴とフン族の間には少なくとも連合体としての連続性は あるんじゃないのかな。 >>15 マジャール7部族とハザール3部族の連合が、すなわちハンガリー(語源:オノグル[10本の矢]、ドイツ語表記のUngarn がよく形を残す)。 マジャール人は元はハザール王国に従属したウゴル語話者にすぎないが、ハザールの政争に敗れた一派を取り込んだのちパンノニア平原に進出。 ハンガリーはフンガリーの転訛というのは明らかに誤りだが、ハザールがフンの傘下部族という見解もあるので、ハンガリーとフンは僅かながら関係あるとも言える。 パンノニアにはゲピーデンもいたしアヴァールもいたデヨ 漢に負けた民族が 雪だるま式に勢力を増して西で猛威を振るうって それだと 雪だるまに取り込まれた民族やヨーロッパは弱小すぎてことになりやしないか? >>23 匈奴が漢に負けたという単純な構図じゃなくて、 モンゴル高原における匈奴国家と華北を中心に江南まで支配する漢帝国が 連動するように体制崩壊してモンゴル高原、華北、江南を巻き込んだ 権力機構の再編に向かう中で、「北匈奴」が東に大移動したという構図。 >>21 >ドイツ語表記のUngarn ブルガリはブルガリア由来だが、もしかしてウンガロはオノグル由来? 創業者のEmanuel Ungaro はフランス人だが、両親は南イタリアからの移民とあるな そしてイタリア語でUngaro といえば「ハンガリー」を表す言葉で、ドイツ語表記のUngarn の異形 なぜ南イタリア人がハンガリーを表す姓を名乗ってたかは不明だが、 14世紀時点で一応こういうイタリア人もいたから不思議ではないか→ https://en.wikipedia.org/wiki/Malatesta_Ungaro 北匈奴は1世紀末以降記録ないしもうその時点でほとんど滅亡してると思うけどね 大勢力になったならまず中央アジアで大勢力になる必要があるんで中国でも記録が残ってるはず 中国の記録に残らないほど小勢力になって歴史の表舞台から去ったと考えるのが現実的 悦般って国が北匈奴の子孫を自称してるな アヴァールがモンゴロイドと言うのは確かかもしれんね でもDNA上の痕跡は微小だけど・・・ かつて東方にいた遊牧民が西方にくるというのは 古代のスキタイからトルコまで 繰り返されてきたこと 突厥と呼ばれた部族の中でも 非トルコ語系の種族はいたと思う トップがトルコ系というだけで実質騎馬民族連合だからね これだけ人間の遺伝子が緻密に解析されている現在、 いい加減、出土した人骨からいろいろ謎が解明されてよいもんだとおもうんだけどねー ただ、古代ローマの文献に記載されたフン族の容貌は明らかに黄色人種を表現している そんな状況証拠のたぐいからも、おそらく匈奴(黄色人種)=フン族の中核民族だろ >>28 ハンガリーの王に騎士に任命されたから、か アッティラの子のデンギジクなんかはトルコ語(モンゴル語?) で解釈できる名前だよね デンギズ=海 その他のフンの王族の名もトルコ語で解釈する試みがされてる みたいだけど 匈奴の王族=トルコ系ということの証明になるのかな? フン族=匈奴として、匈奴がモンゴル系だったらヨーロッパ人の見た目にその流れが入るはず 一時期征服しただろ YDNAでも漢民族は全くモンゴル人にはレイプされてないな 逆はどこにでもあるんだが 半冬眠のYDNAの多くは漢民族系 >>45 長い欧州の歴史のなかで一瞬だったからな アッティラ帝国 フン族の軍団の中核司令部要員はモンゴル系かチュルク系だけど 前線兵士の多くはカスピ海から黒海沿岸にいたスラブ系・ゲルマン系の白人だったかもれない なので、現代欧州人にモンゴル系の面影が皆無なのかも (ただし、ハンガリーは除く) >>48 ハンガリーという国名のアルファベットのつづりを見るとフン族と関係ありそうだけど 実態は違います 構成民族のマジャール人はフン族がローマ帝国に侵入した時代より、 はるかに後に中アジアのステップ地帯から西進して現在のハンガリーの地に定着した元遊牧民の民族 ただ、有名な話としてハンガリー人の赤ちゃんの一定割合に 黄色人種にしか見られないおしりのアザがある なので、ハンガリー人(=マジャール人)には、黄色人種の血が混じっている ブルガリア人人だって蒙古斑あってもよさそうなのに あれこそアジアからやってきたブルガール人が先祖なのに 元々ハンガリーに民主主義の伝統は無い オーストリア支配 ↓ 王政 ↓ ファシズム政権 ↓ 共産党政権 ↓ 民主政 ↓ オルバン独裁 しかし 時間外労働の年間上限を250→400時間に法改正したら 「奴隷法」と呼ばれ首都で大規模デモが起きてしまう そんな民主的な国、ハンガリー 【古代】武器とともに埋葬されていた2600年前の遺体、13歳の少女戦士だった… 伝説の女戦士部族アマゾーンとスキタイの女戦士の関係 [樽悶★] https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1593167686/ ハンガリー(マジャール)はウラル語族であり、ウラル語族は少なからずモンゴロイドの遺伝子を保有している 遼河文明起源説が正しいならかなり古い時期に中国東北部から移動してきたモンゴロイドの血を引いていることになる エフタル=フーナ フンザではブルシャスキー語が話されている 白フンとも伝えられるくらいだしフン、匈奴の中枢ともある程度血縁あるのは確かなんだろう それまではスキタイが中央アジアの平原を支配していた 西から東までだ モンゴルにスキタイ人の墓があるように明らか しかしスキタイはその生活を恥じて定住してしまった じゃあそれまでスキタイのなわばりだったところは誰が住んだのか? スキタイが全て領土を一気に譲り渡したわけじゃなく 一定の交雑があったのではないか ブルガール人=フン族の中核民族 つまりブルガリア人はフン族の子孫 >>62 フン族はモンゴロイドだ だからブルガリアは違う 血は交じっているだろうが 直系の子孫にちかいのはやはり中央アジアのチュルク系民族 >>60 93年ころ、北匈奴の北単于が西に敗走して中国の記録から途絶える→ほぼ同時にギリシャの記録で東の最辺境地にフンノイ族登場 これでほぼ確定じゃね? 突厥の先祖はアシナ氏、匈奴と同族でありながら殺されたそうだ アシナ家を「あっちら」というふうにローマ人は聞き取り記録したんじゃないか >>64 その見解に賛同する。 いろんなつじつまが「フン族」=漢との戦争で敗走した「匈奴」にすると符合するんだよね とくに古代の漢語で匈奴を発音すると「フンヌ」だそうだし、 それだけでほぼ確定だろ!って思うわ ローマ帝国の戦闘記録の記述でも、フン族の見た目の描写が モンゴロイドの特徴をよく表しているし >>64 ほぼ同時にギリシャの記録で東の最辺境地にフンノイ族登場 出典は? モンゴロイドだった匈奴がフン族になった途端コーカソイドに変化しているのっておかしくねえか? スキタイが遊牧やめたかわりに遊牧民を裏であやつっていたのでは モンゴル人がフランスまで攻め込んだんだからすごいな フン族の容姿のくだりがネット検索しても出にくくなってる? フンはソグド人と結構通婚してそうだからコーカソイド化もしてるだろ スキタイやゲルマンなど蛮族の女はブスで無愛想でやらせてくれない 南のローマや中国には美人で優しい女がいるぞ!それ一発やりにいくべ! な〜に仕事はきついが大丈夫だぁ 東北から東京にデカセギに来る感覚 >>72 匈奴はモンゴル高原が出身かつ主領域で、 たびたび黄河下流域や伸張したときは長江近くまで侵攻して略奪を繰り返し漢民族を恐怖のどん底に突き落とす。 一方、漢民族の猛反撃で撃退された残党は大きく西に移動してガリア(現在のフランス・ベルギー)まで侵略して 同じようにローマ帝国の市民を恐怖のどん底に突き落とす。 ものすごい活発でエネルギッシュな民族だよな! 海外留学すらためらいがちの最近の日本人の若者と比較すると同じモンゴロイドとは思えないわw 黄河は上流がチベット、黄河中流が北に大きく屈曲して内側にオルドス地方 現在は砂漠だが戦国期は緑が多い土地で匈奴と月氏がすみ、 黄河下流に漢民族がいた。 始皇帝は黄河の内側がほしくてオルドスから匈奴を追い払い皇太子を駐屯させた。 匈奴は始皇帝が死ぬとオルドスを取り戻し、辺境の遊牧民族は楚漢戦争で 傭兵としてかせぎ、南方を略奪した。項羽に一喝され逃げた話もある 始皇帝の虐待がなければ匈奴が中国に移動して傭兵になることもなかった モンゴルのクビライ敗戦が、元寇の仕返しと称して日本人海賊化をすすめ 日本人の傭兵でオランダは植民地戦争することができた チンギスハンの先祖の故郷ははるか東方で、北朝鮮のずっと北で満洲の一部 蒙古部と称されたが、モンゴル高原にでてきて野蛮ながらメルキトをたたき、 同族タタールのケレイト部族を駆逐しながら拡大していった テムジンは部族が弱体のときは女真の領土境界に潜むことが多く、 モンゴル人と女真とのつながりを伺わせる 世界征服したモンゴル帝国はもっともゆたかなオルドス地方に住むようになり ここにオルド、幕営がおかれたのでオルドスといわれる >>81 フン族ってパンノニア(ハンガリーの辺)、イリュリア(ユーゴの辺)にいたんでしょ? オドアケルもそんなとこにいたってことですか? 漢の長安は陝西省にある。もともとは周の鎬京にあたる 鎬京→咸陽→長安→西安 鎬京の西と東にカクがあり、周王の兄弟で公爵 東、西のカクは王畿の左右に位置し、王の卿士となった 陝西省東方に鄭は宣王の兄弟で伯爵 西周は幽王で犬戎に滅ぼされて、黄河に洛陽に東周をたて それにともなってカクや鄭は黄河に移動した 秦公は名馬の生産を行い、周王に秦邑を賜った 秦の村は甘粛省天水市にあたる 秦公の騎兵が周王を東方に供奉した、あいた関中は秦公に封じられたが 関中は北半分を犬戎に支配されており蛮人の圧力は数百年におよび 義渠王は自由に王宮に入ってきて秦王の妃と交わった 昭襄王の時代に、宣太后が情交で果て寝入った義渠王の首をはねて滅ぼし 義渠の故地に隴西郡・北地郡・上郡を置いた 義渠王は金髪碧眼のトカラ人と言われて、のちに黒髪の東イラン人とは異なった 始皇帝の墳墓からはイラン系の人骨が多数でており いわゆる護衛の人形から測ると 秦の将軍は身長190センチ、隊長は185センチあった さて秦をほろぼすものは胡なりといわれたが 胡人というのはイラン系のことで 二代皇帝が胡亥というのは奇妙な感じはするが亥とは猪の意味で 去疾という貴族も当時いたのでそれほど珍しいことではない 胡を追い払う、病が去るなど、わざと悪い意味で命名する慣例があった 漢代の霍去病もいいる また胡亥の母親が胡人だったという解釈もできる 黄河屈曲部のオルドス地方を長く支配したのは月氏である 総勢で月氏20万騎という大勢力だった。匈奴は1万騎である トカラ系の月氏は甘粛からオルドスにかけて分布していたが 漢代にシルクロードの玄関と言われる敦煌は当時屈指の大都市で月氏が建設した 月氏王は遊牧民王でオルドス西方にいて都市の貢納をうけていた つまり都市民と遊牧民という2つの顔を持っていたが、よほど古い交易民族で あるいは匈奴も月氏の育てた現地傭兵隊長だったのかもしれない 匈奴は月氏王をほろぼしたが月氏は匈奴19氏族に入った 羯(けつ)は匈奴の境におかれたため司馬仲達は警戒してる 五胡十六国時代に石勒の統治によって後趙を建てた 羯人は鼻が高かったのでひと目で区別が付き虐殺されたという 月氏はアーリア語をしゃべり、インド征服しクシャン朝をたて イオニア語を廃してアーリア語を公用語にさだめており クシャーンのカニシカ大帝が石碑を残しており解読が進んでる 月氏のげんざいの末裔はタジク人とされていて アフガン戦争の北部同盟マスード将軍がタジク人 北部同盟ドスタム将軍がウズベク人 タリバンがパシュトーン人 中央ユーラシア最大民族はトルコ系のウズベク人で 「我らの王」という意味で チンギスハンの長男ジョチ・ウルス ロシアを支配した金張汗国ウズベクハーンの末裔 ジョチ・ウルスの長バトウはワールシュタットの戦いでドイツ騎士団を破り 蒙古は欧州侵攻に火砲(てつはう)、回回砲(フイフイ砲)を多用した フス戦争(1419年 - 1434年)ではヨーロッパで初めてハンドキャノンが使用された 初期のヨーロッパ火砲の登場はバトウの侵略を受けた地域と一致してる アッティラはモンゴロイド風だったが、冒頓は今のトルコ人のような彫りの深い顔だったらしい!? 乱暴な言い方をするとモンゴロイドとコーカソイドの混血がチュルク系民族 >>82 オドアケルの父とされるエデコはアッティラの腹心だった 漢軍が胡人の大男をだして挑ませたら項羽が出てきて睨みつけた。 項羽は身長8尺2寸もある巨人で、恐怖で胡人は逃げたという でかいやつがおおいよね 劉邦も大男だったらしく鼻が鋭く立っていた まぁ項羽も劉邦も教養がなく乱暴で 立派な容姿以外はとりえのないやつだったらしいけど アッティラは頑丈な体格で力に優れていた ゲルマン人を重臣としていつも食事した。叔父も同席させ一門の調和を取った 武田信玄に似てる、死後は一門衆と重臣のあらそいがおきたのも似てる 771 BC Huns (Ch. Jungs) invasion of Zhou China. Zhou capital Hao falls 匈奴=フンならともかく、犬戎=フンってどうなんよ このHunって明らかにJung=戎を指してるけど、同定されたも同然なのかね http://s155239215.onlinehome.us/turkic/70_Dateline/71_Huns/hun_dateline_1_En.htm 月氏連合の女王が黄河源流を征服しチベットの農民として使役した 牧歌的な犬戎はしばしば族長集会(クリルタイ)をひらいていた 犬戎のなかで義渠王は最大の部族で、アラン族もフンの氏族のひとつとか 書いてあるね。トルコ系の諸民族はすべてフンの名をもつ チュルク民族がアッティラに従属したのは昔のフンの盟約によるもの? >>94 話を脱線させてすまないが、 漢民族(≒中国人)って本当に尊大だと思うわ 周辺の異民族集団を表す呼び名の音に漢字の当て字をする際、 必ず蔑視的要素を盛り込むよな 匈奴もそうだし、その犬戎もそう 我ら日本人のことも古代では倭だもんな >>95 エフタル(これもテュルク説あり)は白フンと呼ばれていたからな インドではフーナ (Hūna),シュヴェータ・フーナ (白いフン) サーサーン朝ではスペード・フヨーン(白いフン)、ヘテル (Hetel)、ヘプタル (Heptal) 東ローマ帝国ではエフタリテス (Ephtalites) アラブではハイタール (Haital) アルメニアではヘプタル (Hephtal),イダル (Idal),テダル (Thedal) と呼ばれる 中国史書では嚈噠(ようたつ、Yàndā),囐噠(ようたつ、Yàndā),挹怛(ゆうたつ、Yìdá),挹闐(ゆうてん、Yìtián)などと表記される また、「白いフン」に対応する白匈奴の名でも フン=匈奴=テュルク系言語(少なくとも中枢の部族は) であってる? 後のモンゴルもそうだったように 配下や傘下に加わった部族には言語が違う民族もいただろうけど アッチラのフンでいえばフン語は死後になってるがトルコ語ブルガール語群 と判明してるのでフン語=トルコ語は確定してる 突厥がモンゴルのさらに北のシベリアから出てきたとき匈奴の末裔だと主張したが 冒頓単于の時代の匈奴語はトルコ語かどうかはわかってない 中国語と違う未知言語であることはわかってる 月氏のクシャン語(アーリア語)に似た響きという資料もある 匈奴は19氏族共同体で独立国のように別の言葉で話した可能性が高い 羯族は元は月氏なので当然アーリア語 なおこの時代は北には丁零という野蛮人がおり、彼らがチュルク語を話した 匈奴が衰えると襲撃したのは丁零だった。 トルコ語はすごいのはなんといってもユーラシア全域、通じること 良い=イイ 天辺=テッペなどそのまま日本でも通じる単語もあり、 外国人をヤバンジンという 冒頓単于にイイね!といってもおそらく通じる トルコではメテハンっていうんじゃなかったっけか、冒頓単于 ツングース語族は膠着語、日本語と同じく「主語―補語―述語 (SOV)」 アルタイ語(消滅したとされる源チュルク語)、モンゴル語も同じ 契丹は東湖の後裔とし匈奴に追い払われ北魏に敗れて ツングースとモンゴルの国境付近にひそみ、その位置から契丹人は 中国語とモンゴル語・ツングース語の3ヶ国語バイリンガルを特技とした 交易で力をたくわえて、キタイ天皇は渤海をやぶり遼を建国した キタイ語はモンゴル語に近いが3ヶ国語バイリンガルからすれば なぜモンゴル語とツングース語と中国語に分かれるのかわからんよね >>101 突厥はまさにチュルクの漢音の当て字ですよ トルコ系民族なのは明白 ただその容貌が現在のトルコ共和国に住む白人化したトルコ人とは大きく異なると思う おそらく我々日本人と変わらない黄色人種の顔 初期の突厥族長は伝承によれば赤い大きな顔で青い目だった 文書や遺伝調査によると古代のエニセイ川にいた突厥は白人風で 南下移動するうちに混交して黒髪の東イラン人のようになったと言う イシク湖(現在のキルギス)に存在した鳥孫国は金髪で目の青い人が多く、 黒髪もいたが匈奴に降伏した李陵将軍の子孫を自称した なお鳥孫はロシア国のように男は短命だった 匈奴の墳墓からハプロR1(ロシアに多い)とC(モンゴルに多い)の骨がでる モンゴルとロシア人がまぜこぜ、よく考えたら現在と変わらん。そんな国では? 秦代に匈奴はオルドスの黄河が北上する流域にいて 月氏が甘粛のエチナ川流域にいて烏孫も敦煌にいた ちょうど中世の西夏の領土にすっぽり収まる範囲にいたようだ おそらく匈奴も月氏も烏孫も半農半牧民で定住化に向かっていたけど 始皇帝が匈奴をオルドスから追い出したので再び遊牧民化したようだ アケメネス朝ペルシアは黒海をはさんで北岸の遊牧民スキタイの圧迫を受けていた スキタイはプロトスラブ、つまりスラブ人といわれる もとはアジアからきたとヘロトドスは書き、マッサゲタイに追われて 黒海に流れてきた。キンメリア人をほろぼし、中東方面にも荒れ狂ったので イスラエル人ににくまれた。聖書ではスキタイと言えば野蛮人の最たるもので ペルシア人と同族であるが、遊牧イラン人、つまりイラン人とロシア人は同族であり 東欧スラブとイランにパプロR1bが多いので疑う余地はない スキタイの西にサルマタエ人がおり、さらに西はゲルマン人となる ソ連の独裁者スターリンは、ジョージア人だが、祖父はオセット人だったという すなわち、血筋で言えばアラン人であった アラン族は、もとはマッサゲタイといい、女王に治められた マッサゲタイ女王トミュリスは、キュロスの首を落としたとして歴史上名高い スキタイが王侯スキタイ、農耕スキタイなど半分農耕の文明人とすれば、 アランは完全なヤバンジンである。 容姿は金髪ながらフン族と同じ遊牧生活をおくっていた。とある マッサゲタイが、ある時点からアランに改名したのはアーリア兄弟同盟 という意味合いであり ・遊牧イラン人の東方にすみ、女王に治められた、アーリア語をしゃべる民族 という事ですでに気が付かれたかもしれないがふるくから マッサゲタイは月氏ではないかという説もある マッサゲタイとかサルマタイはギリシャ語の呼び名で 元からアランが自称だったようだ サルマタイは古くはサウロマタイとギリシャ人に呼ばれたけど これは彼らが全身を鱗状の甲冑で覆われていたので トカゲ=サウルスのようなのでトカゲ人間=サウロマタイと ギリシャ人が名付けたからだ サルマタイの部族として有名なロクソラン族は ロクソ・アラン族で「光のアラン族」という意味らしい スキタイは金属のプレートを叩き出して顔に合わせた 鉄仮面をつけることが多かったようだ 弓で顔を狙われるから合理的な鎧なのだけど >>112 月氏がサルマタエでポーランドや東ドイツ周辺までいたとなれば ほぼ地球規模なので大月氏がいまのバクトリアで満足 匈奴など興味ないと使者を叩き出したのも理解できる 野蛮人への恐れもあったろうが交易の利からすると一番うまい土地だ アレクサンドロスのバクトリア征服、グレコバクトリア王国 ↓ 月氏によるバクトリア征服 ↓ エフタルの侵入によるバクトリア征服 アルコン・フン族のフーナ王ミヒラクラは インドでフーナ(フン)戦争をひきおこし残酷で野蛮でした 彼は仏教に興味を示したが仏僧の侮辱を受けたため仏教弾圧者となった 仏教寺院を破壊し、僧侶を殺害した 「ミヒラクラ」という名前は、イランに由来する「ミスラの生まれ」だといわれる、 フンは剽悍な騎兵をもってグプタ朝を攻撃した この撃退には成功したもののグプタ朝は決定的に衰えエフタルの たびかさなる侵攻によって滅亡した。 ミヒラクラはエフタル王の配下の諸王の一人だな 小月氏国の王とされている 月氏は高い帽子かぶっていたのが発掘物から判明してる タジク人にも引き継がれてるが王族は頭骨も尖らせていたのね 幼児のころから長い兜をかぶっていたのかな >>114 中国史書では昭武九姓のソグド人が月氏の末裔だとされる 月氏はサカ族と同盟して匈奴と戦わずに サカ族を追い払いサカ族の地を奪ったから 月氏とサカ族は仲間ではなかったようだ サカ族とかスキタイ系民族は遺体を保存してクルガンに埋葬するけど ソグド人とかゾロアスター教徒は遺体を風葬や鳥葬にして遺骨を骨壺に納める イラン系民族どうしでもかなり宗教や風習が異なるようだ 西遊記で孫悟空が頭に嵌めてる金色の輪っか、呪文を唱えると頭が締め付けられる あれを子供にずっとつけてるとエイリアンみたいな頭になりそう・・・ 殷は羌をつかまえて生贄にささげた いけにえで殺された羌の遺体は1万4千ほど発見されてるが 羌はとても古い民族で羊と人をあわせた文字だという。羊人ともいう 周の西伯は殷に捕らえられて奴隷にされ、息子は食われたという 殷は羌をとらえ殺したのと同じでこれは異民族の扱いだ。 周邑は陝西を根拠地にしており、犬戎の親玉のようなものだ 西伯とは、蛮族の酋長ていどの扱いだったのだろう 伝説によると羌族は「天上の炎の皇帝」である、炎帝とその部族は黄帝に敗れた アーリア人の古い宗教、拝火教を思わせる。、西域ソグドは拝火教を信仰した 秦が水徳であり黒の軍隊、これをやぶった漢は火徳で赤の軍だ 日本では平均知能指数が108で、東アジアがIQ105から110前後、 白人がIQ98程、これが普通なのかと思えば 世界の平均は80なのだ 平均が80ということは、当然ながら知能指数70〜60の国も多い 日本でも15%ぐらいの人は知能指数75ほどでこれを知恵遅れとしてしまうと 政治上まずいので全部人並みということにしてる それではアフリカ諸国の平均IQ60はなんなのかといいたくなるが・・ 日本の例でいうと、12歳以下の知能とかに該当する これはアフリカ諸国の社会がめんどうで複雑な考えは必要としないので 暮らしやすい、と言える。またアメリカはここ最近で平均IQが10あがった 固定されてるのではなく、社会の移動や変動すれば高まっていく しかしアフリカ並の生活をしてるモンゴルはIQ100とドイツよりも知能指数が高い 東アジアの遊牧民は意外に複雑な社会なのかもしれない IQが高いから良いといえばそんなことはなく、むしろ暮らしにくい嫌な国らしい 悪いやつばかり多い日本や中国や韓国見りゃわかるだろう モンゴルもビール瓶で殴るぐらい礼儀作法が厳しい イン土人=白人 なので移動中に混血していったんじゃね 黒が支配者で白が臣下なんだっけ? だいぶあとになるが白羊朝とか黒羊朝がそんな関係だったような 匈奴の先祖とされる白狄・赤狄、白い服と赤い服着てる部族で 白い方はやや文明的で漢族に混ざっていった。南匈奴と似た関係 >>94 戎をrongではなくjungと発音すると、そこはかとなくhunに似てるんかな フン語の語彙と匈奴語の語彙を比べて少しでも共通するのがあればいいんだが 匈奴の怒りを買った漢人がバイカル湖に流された記録もある。湖の周辺にブリヤート人が居住している バイカル湖の付近に匈奴の農場が発見されてるが、この時代には丁零という野蛮人の土地で 匈奴の前進基地で護衛の兵も住んでいた。 漢と友好的な時代は長城の城壁も壊れており、単于などは南のあたたかい代の国のあたりに住んで いたので1000キロほど北に農場があることになる? 匈奴の先祖が丁零からでた?のかどうかはしらないけど、二代目の老上単于はかなり文明化していた 蛮族はたぶん奴隷のような扱いで、老上単于が死ぬと鳥孫族の昆莫も手切れしてる >>1 フン族も匈奴と何らかのつながりはあっただろうけど、 アッチラの頃にはかなり白人様が混じっていたのでないの? 昔は今ほど白人だのイエローだのと言っていなかったようなところがあるしな。 バイキングの墓を掘り起こしたら、アジア系の人の人骨が出たこともあったし。 トルコだって、隋唐の時代だと朝青竜顔をしていたと思うのだが、 ビザンツを征服するころには白人顔になっていたしな。 現在の目で見ればハーフ程の外観だったかもね。ロシア内のチュルク民族をテレビで見てて 耳が尖ってる人がいた、悪魔のように見えるかも。 劉備玄徳も耳がデカかったようだから大陸ではふつうかな >>132 > 丁零 チュルクの音に漢字をあてたらしいから この民族もチュルク系だね ところで、上の方のレスで、古代の黄河上流域に住んで漢族と争っていた 民族(チュルク系)を金髪碧眼の白人のように述べている人がいるが 大いに疑問が残る。 やはり、古代に中国大陸にいたチュルク系は黄色人種でしょ もし白人なら、現在のモンゴルや中国には黄色人種と白色人種のハーフのような顔立ちの人が 全く見られないのは説明がつかない。 もちろん新疆ウイグル地区に行けば、現在のウイグル族はハーフの顔立ちだ しかし、現在のモンゴル共和国、中国の華北、華中、華南は黄色人種の典型みたいな顔じゃないか 現在のモンゴルにも赤い髪で青い目の子はいるし、モンゴルからハプロR1bの人骨もでてる ハプロR1bは東欧ロシアに多い遺伝子だが中国や日本ではハプログループO系が多い 世界最古のハプロR系の骨はシベリアからでてるが ANE「古代北ユーラシア人」といわれヨーロッパ人の祖先集団 24,000年前のマルタの近くで遺体が見つかったシベリアの少年は、略してMA-1 かれはヨーロッパの原始的な牧畜民ヤムナ文化の祖先であると言われる 墓所にはクルガンが築かれて埋葬される ヤムナ文化こそインド・ヨーロッパ語族の初期の中核であると認められる バイカル湖周辺は日本人など北モンゴロイドの祖先もすんでいた、なぜ極北シベリアに 白人やらモンゴロイドの祖先が多くすみつき、世界中に拡散したかと言えば、 太古はシベリア超巨大湖があって水を求めて多くの牧畜集団が寄り集まったと考えられる >>133 人種と民族(語族)は関係ないよ 民族(語族)とは同じ言語を話す者の集団だから人種的にモンゴロイドの集団にコーカソイドが混じっていてもおかしくない 元々中央アジアにいたモンゴロイドの集団が西進するにつれコーカソイドをも包含するに至ったというのがトルコ族、モンゴル族といった遊牧民族の特徴だと聞いたことがある よく例に出されるのは現在中国国内にいる新疆ウイグル自治区にいる回族と小アジアにいるトルコ人 両者は民族的には同じではあるが前者は人種的にはモンゴロイド、後者はコーカソイドに属す 史書を見ると中国西域では金髪碧眼の吐火羅人が見られ、すぐ隣のオルドスでも 匈奴の支配層はグリーンの目で鼻が尖った顔立ちなど白人要素があるが 時代が下るにつれてだんだん黒髪のイラン風に入れ替わる、これは 東アジアのモンゴロイドの人口が多く移入圧力がひじょうに大きかったせいで 唐代にはベルトを締めてズボンを履き椅子に座る、胡人ふうな生活に変わる 現中国では隋唐でないと親しみが沸かないという。ちょうどそのころに自分の先祖が活躍する キルギスの大統領アカエフは大阪知事ノックにそっくりだと話題になったが アカエフの母はカザフ人 ロシア国のネオナチは、モスクワから野蛮人(カザフ)を追い出そうと活動してる。 オリンピック選手を見るカザフ人は限り日本のイケメン兄ちゃんぽい親しみやすい顔が多い まちがい オリンピック選手を見る限りカザフ人は日本のイケメン兄ちゃんぽい親しみやすい顔が多い 狩猟採集生活の北ユーラシア人は子供ができにくいほうが食糧事情に合うが スイスで見つかったアイスマン遺体は不妊だったという。匈奴や突厥は 繁殖力の高い新型モンゴロイドに混淆して血が薄まった 日本の古い祖先は縄文人だが、かれらは白人と黄色人種が別れる以前の 古いタイプのモンゴロイドとされる。現在日本人は新モンゴロイドの要素が強い 犬戎はチベット系じゃないのか? 寧ろ、鬼方のほうが匈奴の源流に近い気が駿河 古代ギリシャ人は濃い肌色で、白人と黒人の中間であるとじまんしていた 都市ローマに埋葬された遺体の分析で父方R1a母方Hが多く、これが古代ローマ人と見られ 地元民の違いは、草原遊牧民の混血でヤムナ文化の担い手、シベリアからきた民族がまざっていた 現在の北イタリア人に似てるという ローマ帝国全盛期の埋葬された遺体ではギリシアやシリア人の血が濃く民族的に遺伝置換していた これは人口の多い帝国東部から流入したと見られ ローマ帝国では小アジアの美少年が最も美しい奴隷とされ貴族に珍重された ところがまた北方蛮族の流入で遺伝子は断ち切られており結果的にまたR1aに遺伝置換してる テュルク民族のもとになった原チュルク人は、推測上ではハプロCかDであるようだが R1aなどにに置換してしまい、また北方蛮族の流入で現在のモンゴルはハプロCにもどる >>143 犬戎はチベットとサカが入り混じっていたんじゃないかな どのみち混成集団なのは間違いないから単純に匈奴の墓とフン族の墓の骨を比べてもね もし遺伝的にぜんぜん違う結果だったとしても民族・文化・政治的には後継であっておかしくないし 5世紀フン族墓地からの3人の男性の遺体を調査しました。父方のハプログループQ1a2、 R1b1a1b1a1a1、およびR1a1a1b2a2を持っていることがわかりました。R1aとR1bは印欧族 ヨーロッパでは、Q1a2はまれで,研究されたすべてのフン族の男性は、茶色の目と茶色の髪をしており、 東アジアの祖先が混在している ハプロQはシベリアのエニセイ川にすむケット人に93%の頻度で観察されますが日本では1%以下です また、周時代の中国からも高頻度でハプログループQが上古中国の担い手であった ハザーラ、ユダヤ人にもみられる ハプロQはベトナムに7%、モンゴルに5%。現世中国人にほぼゼロ、もし周人とすれば 征服民の遺伝子の上書き完全だな。やはり中国・・ >>149 > 5世紀フン族墓地からの3人の男性の遺体を調査しました。父方のハプログループQ1a2、 > R1b1a1b1a1a1、およびR1a1a1b2a2を持っていることがわかりました。R1aとR1bは印欧族 > ヨーロッパでは、Q1a2はまれで,研究されたすべてのフン族の男性は、茶色の目と茶色の髪をしており、 > 東アジアの祖先が混在している その印欧族はフン族に従ったゲルマン人の遺体じゃないの? やはりフン族の原型は紀元前1000年ごろのモンゴル高原北部のモンゴロイドだと思う つまり匈奴 ローマの作家プリスクスは、アッティラについて次の目撃者の説明をしている。 「身長が低く、胸が広く、頭が大きい。目は小さく、あごひげは薄く、灰色がちりばめられている。 鼻は平らで、日焼けしている皮膚は、彼の起源を示しています」 フンの語源は不明です。テュルク語の「おそらく「人」を意味する」、qun(力)、およびhun(凶暴 これらのトルコ語の語源をすべて「単なる推測」として却下する意見もある ロバート・ウェルナーは、中国人が犬を匈奴のトーテム動物であると呼んだという事実に基づいて、 トカラ語の ku(犬)からの語源を示唆している。彼はsakaは犬を意味することに注意をうながした 2006年で米国で発表されたモンゴル北部のエグインゴルにある匈奴墓地遺跡で紀元前3世紀から 西暦2世紀の間に埋葬された62人の遺体が調査されました 現代のモンゴル人との繋がりが示されたとする(現モンゴルはチンギス・カンのハプロC2bが多い) また当然ながらモンゴル国領内であればモンゴル人の意向も影響する? 新疆ウイグル自治区にある墓地からのサンプルのY-DNAを分析しました 発掘された12人の男性のY-DNAは、ハプログループQ1aまたはQ1bのいずれかに属していました。 しかし新疆ウイグル自治区に匈奴が住んでいたかということは別にして 中国政府の意向もあると思われることに注意 2010年米国で発表された結果では西暦0年頃にモンゴル北東部のDuurligNarsにあるエリート匈奴墓地 に埋葬された3人の個人が分析されました。 1人の男性は父方のハプログループC3と母方のハプログループD4を持っていました。 女性は、母体のハプログループD4を持っていた。これは日本人にも多い母系であるが 3番目の個体である男性は、父方のハプログループR1a1と母方のハプログループU2e1を持っていました。 C3とD4はどちらも北東アジアで一般的であり、R1a1はヨーロッパで一般的であり、U2e1は西の系統です モンゴルのタミール・ウラン・コシュウ墓地から発掘された52人の遺体を調べた、2020年7月最新の 遺伝子研究は、スキタイ人とシベリア人の混合として匈奴を提案してる 母方のハプログループU2は ヨーロッパでU2eとして低頻度で見られます(U2のヨーロッパの品種はU2eと呼ばれます) モンゴル族とチュルク族の子孫にU2はみられる U2とU4はどちらも、エニセイ川流域の先住民であるケット人に見られます 最古の母方U2は、ロシアのヴォロネジ州コステンキから3万年前の狩猟採集民の遺体で発見されました ドイツ、クロムスドルフ、4,000年前のビーカー文化の遺体からも発見されました 2000年前の南デンマークの墓地および、匈奴北東モンゴルの墓地 ただし、ハプログループU2は、現在のスカンジナビアではまれですが・・ 母系U4は古代DNAでおおく発見され現代の集団ではまれです、北アジアと北ヨーロッパの特定の 先住民集団でかなりの割合で発見され、古代ヨーロッパの狩猟の残骸と関連しています ヨーロッパで発見され、スカンジナビアとバルト三国で最も集中している。 スカンジナビア先住民サーメ人、エニセイ川の先住民ケット人にもみられる 古代ペルシア語のサカは旅人、放浪者を意味するとイランの学者は考えてる 冒頓単于のころの匈奴はオルドス地方で、内蒙古に属する、オルドスと甘粛・陝西には月氏がいた 新疆ウイグル地区はあまりにもとおく隔たってるし、冒頓単于や老上がいたとは考えにくい ウランバートル北の500キロの匈奴の墳墓を韓国の遠征隊が調べた?というのも 匈奴の調査に熱心なのはロシアやモンゴルや韓国、あるいは欧米なので、非常にこまったことに 周辺しか遺伝調査できない また匈奴や秦の祖先が白人系であるとの欧米調査に中国当局が何度も抗議してる かんじんの内蒙古オルドス地方の調査がなされないのは匈奴について中国当局が調べたくない あるいは不都合な結果が出てる(R1aが多いなど)とも考えられる フン族の墳墓からもC2がでてる。 ハプログループC2b1a1bが東胡の重要な血統であり、柔然は鮮卑と東胡の子孫 アヴァール人の遺伝子はハプログループC2b、鮮卑もハプログループC2b またモンゴルではほとんどがC2b(ジンギスカンモーダル)に属している フン族はアッティラ帝国崩壊後もローマ帝国に雇われたりしてるから イタリアあたりにも子孫がいそう だから、フン族のアッティラ帝は朝青龍のような容姿だったんだよ 現代ヨーロッパ人がフン族白人説を唱えたい気持ちはわかるが モンゴロイドの種族に征服されたんだよ しかも、その1000年後には再び東アジアから大帝国が再び攻めてきた それも人種がモンゴロイドだ 大モンゴル帝国大騎馬軍団だ ヨルダネスは、フン族は身長が低く、日焼けした肌と丸くて形のない頭を持っていたと強調した ローマ帝国はフン族の驚異を宣伝したが 多くの学者の意見は「東アジア人の異国風の容貌に魅せられただけ」と考えています メンヒェン・ヘルフェンは、フン族は、現在のツングースやヤクートほどにはアジア人に見えた 可能性は低い、と主張している https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b4/Sakha_family.jpg 考古学は、彼らが東アジアの特徴を持つ一部を含む人種混合グループであったことを示唆 発掘調査に携わる学者は、フン族に「モンゴロイド」の特徴がまったく証明できなかった、とし いわゆる「白人」の外見でまちがないと主張した、他の学者は、「モンゴロイド」の特徴は 貴族のメンバーに見られると主張している。 また、アッティラ個人は東アジアの特徴を持っていたようだと述べています あくまで西側先進国の考古学分析ね。中国韓国などは知らない フン族が歴史に現れたのは370年頃にゴートを滅ぼして西に追いやったあたりで 鮮卑慕容部の前燕がさかん。慕容部は東北中国、北京あたりで遊牧していた 墓地に埋葬された遺体調査によると慕容の母方ハプロは、 フン族や拓跋氏とは著しく異なっており、シベリアよりも日本に近かった 慕容部の者は皮膚が白かったので、晋の貴族より好まれ、 多数の者が慕容部の女を買って妾としたという。 フン族も敵国に女の集団おくり、機をうかがい、ゴート王が年老いて病気など 事前に大量の情報収集してから侵略の兵を挙げた >>160 冒頓単于は、イルハンマンスズみたいな容姿だったって説もあるがな 匈奴は長身白皙で緑の目で髪は黄色く鼻が高く目は落ちくぼみヒゲが長かった アラン族や堅昆・鳥孫も生活は匈奴だが金髪碧眼人種だと記述がある モンゴルの北のトウバ共和国は、清代のウリャンハイだった トウバ人はニコライ皇帝に請願してロシアの一部になった エニセイ川源流で8千も川があり豊かな地なのでロシア人もぜひ欲しかった この地は古来より匈奴や突厥やウイグルキルギスを輩出した https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/87/Doshpuluur_player%2C_Paris_2010.jpg アジア人だが目が蒼い >>145 大昔の中国人なんか鬼方も犬戎も厳允(これもフンと関係ある?)などごっちゃにしていたんじゃない? どっちかというと北にいた蛮族が狄、西にいた蛮族が戎って感じで >>165 目つぶってるだけで目青くねーじゃねーか 老眼もいい加減にしろ! >>165 緑はないと思うな、遺伝子が違う 青は未だにモンゴル人にも多いし、ネネツなどの周辺民族の繋がりがあればそれは容易に獲得できる ネネツと交雑していたのだろう スキタイの先祖は東アジアからきたとヘロドトスが書き(スキタイの東方起源説) ソ連学会はスキタイはヨーロッパにいたのだと否定していたが発掘品で 時代が下るにつれ、西へ移動してるとかわかり学説ひっくりかえった トゥヴァ共和国でアルジャン遺跡が発掘された。つまり2700年前は モンゴルの真北に住んでいた それから数百年後アルタイ山脈のパジリク古墳群にサカと思われる民族 男性は170cm以上、髪は直毛ではなくやわらかで栗色やブロンドで白人タイプ https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2f/PazyrikHorseman.JPG バイカル湖南ノインウラ遺跡の匈奴(前漢末出土品) https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/17/Noin-Ula_nobleman_portrait.jpg 実はイラン語派の領域としては北東の端っこも端っこから出ていたということか、スキタイは もっと東だとトカラ語派やテュルクになるだろうし 5千年前のアイスマンはハプログループG2a 紀元前5000年〜紀元前3000年のヨーロッパの人骨の多くはハプログループG2a で巨石文化の担い手と考えられる そのあと現在の白人R1aやR1bが中央ユーラシアからきて遺伝子上書きした。 侵略民族とわかっていたがシベリアから来たとなると「えっ」となる 戦前ヒトラーの想定したアーリア人はせいぜいインド・イランまでの想像力だし 縄文人はシベリア南部の集団に由来するとする研究もある 日本人は主にY染色体ハプログループD1a2aの縄文系を起源とするが アイヌ人の88%に見られることからかつての縄文人(旧石器時代シベリア人) 日本列島で発見されてるC1a1もシベリア人由来 ハプロC1a1近縁は、現代ヨーロッパ人、アルメニア人から検出されており ヨーロッパ最古の集団(クロマニョン人)にもそのハプログループに属す いわゆるクロマニョン遺伝子だが 欧米の学者はハプロCが縄文系で日本人の1割がクロマニョン系に属すると書いてる ハプログループC1b2はいわゆる東胡・鮮卑柔然フン系で現在モンゴルに多い コステンキ-14、ソ連時代に発見されたロシア、ヴォロネジ市の3万4千年前のC1b2男性 ゲラシモフによる頭蓋骨の復顔 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bd/Skull_reconstruction_in_Kosnenky_2.jpg つまり3万年前はおまいらの先祖がロシア人だったという。。 おっとC1bは中国陝西や中央アジアに少し見られる程度 C2bが東胡モンゴルの重要血統 匈奴や犬戎にC1bがいた可能性はあるけど 日本人の瞳をよく観察すると黒目じゃなくこげ茶色が多い 俺もその一人 俺の身体的特徴は縄文人と一致するから 縄文人の瞳の色は茶色だな 欧州だと身分書類上では日本人は目が薄茶だと書かれるらしいが、目が黒の人種なんていないのでは? 蝦夷は碧眼だったという記録もあるんだがな もういないか 冒頓単于ケッコウ長生きして70歳ぐらい、始皇帝・項羽・劉邦と死んだ後も手紙おくってる アッティラも長生き、ガイセリックは85ぐらいまで生きたか もし冒頓やアッティラ、ガイセリックが 当時の一般人寿命ぐらいの短命なら記録に残らない小国の王だったろうな 新しい嫁との結婚式の日に突然死したアッティラ 何やら出来すぎだから後世にニーベルングの歌みたいなフィクションが出来たんだろう 青と赤を混色すると紫になるが、瞳のふちが紫かかってるひとは先祖に青目がいた名残りだそうだ 日本のばあい1割ほどが該当するとか >>180 高校の同級生(男子)でそういう子がいた。 瞳の色自体がねずみ色ぽかった あと、タレントの橋本環奈とかははっきりと茶色だね 混血じゃないけど もともと日本人の血にはその遺伝子が含まれているじゃないのかな エフタル系の王の貨幣の像を見るとインドまたはイラン系で、 ちっともモンゴルっぽくない >>161 匈奴や烏孫の王たちは漢から嫁をもらっていたから 王家がモンゴロイド化していたのかも 土地が広大で余っていた大陸はつねに人が足りなくて、言い換えれば誰もいない荒れ地でも人をたくさん 連れてくれば強国になる可能性があった。北朝鮮の日本人拉致にプーチンが興味を示さなかったのは 大陸では人さらいはありふれた話にすぎないので匈奴やフン族なども盛んに人をさらった とくに東アジアはひとがいなかった、これは古代の火山噴火のせいかもしれない 匈奴の版図から見れば西は進んだ文明も民族もおおく、東方はツングース系民族やえたいのしれぬ古代民 しかいない。それに山が多く遊牧に適さない、竪穴式住居に住む狩猟採集民が豚を飼っていた 山地は征服したとこで、税金を取るわけにいかない。取ったら全員死んでしまう共倒れ 例えば東京の奥多摩あたりは江戸時代は税金は取れなかった。 それが明治政府では、山奥にも重税をかけたので秩父事件など反乱がおき山梨や長野に波及した 遊牧民が辺境を支配してもせいぜい鷹のようなペットや テンの毛皮を納めさせるとか。それでも自由に暮らしていた連中にはものすごい苦痛のようだけどね トルコ系は蒙古高原時代から碧眼の部族が多かったらしい これは中国の史書に書いてあるし嘘を書く理由もないから本当なんだろう 碧眼といっても中央アジア人もネネツとかの影響で碧眼多い 度合いに差はあれどほぼ間違いなくどっちの人種の血も混ざってるし 前趙劉氏は容貌魁偉な人物が多いが、コーカソイドの遺伝子によるものか? >>191 顔はモンゴロイドのままで瞳だけ 碧眼というのか? フィンランドのラップ人みたいだな 紫外線の少ない北極圏に適応した血統 ササン朝はフン族を上手く使ったが、エフタルにはボッコボコに やられてるのが面白い アイヌはむかしはアイヌ風の顔が多かったがアイヌ女性は和人の顔を好んだ 結局は金持ちと結婚すれば女カーストで上に立てる 匈奴王族も緑目で鼻が高いというが、中国人のほうが金持ちだから漢の嫁を貰ってる。 アッチラはガリアでゲルマン嫁をもらおうとしてるから、多数派とまざったほうがいいという判断だろう 突厥も目が青くて野蛮だの鉄奴隷などと、モンゴロイドの柔然に罵られて、嫁を貰おうとしたが断られた 秦の始皇帝の時代も、秦人は野蛮だとか胡の血がまざってるとか一段下に見られていた そのせいか秦王は楚の妃や趙姫など外国女と結婚することが多かった。 元がほろんで明になると色目人は強制結婚で、中国人と混血させられ消え去った >>198 えっ 俺日本史選択してないけど匈奴の入寇なんて事件あったのか? 胡という漢字は髭の長い人という絵文字らしく 胡=白人=野蛮で中国以外は蛮族の土地って認識で、モンゴルの北のシベリアにスキタイ バイカル胡(北海)に丁零、そこらに目の青い連中がいたのだから、中国の北から、欧州までずーと匈奴という認識であってるな 三国志の董卓将軍はイラン系の胡が人々を拉致してさらうと聞き、討伐して胡を1万も殺したと英雄になった むしろ白人は昔からよく知っていて平和を乱す忌まわしい乱賊という認識ではなかろうか アヘン戦争までイギリス大使を、夷目、夷狄の頭目というよびかたをしていた 日本だと白人は良いイメージだが、胡はひげダルマ、犬戎は犬のような鼻をしたやつという偉い差別だ 月氏と胡は似てるというかもとは同じ意味? 西域の都市は月氏が建設したと言うし 髭ダルマと言えばクシャーナ朝のカニシカ王とかは 毛むくじゃらで狼男みたいだよな また同じことを書くが、古代の中国大陸で黄河流域の北部から上全部の民族の血統が 白人(コーカソイド)と主張される人がいるが、それは現状と符号せず間違っている。 なぜなら、人種が近接して隣どおしなら、中国東北部や内モンゴル自治区はもちろん、北京周辺でも ハーフ顔の人たちが大勢いるはずだ しかし、なぜいないんだ? 女性なら中条あゆみ、ベッキー、加藤ローサのような人 男性なら城田優、ハリー杉山、JOYとかみたいな人 ぜんぜんいないじゃん むしろ、日本人以上にガチガチの黄色人種(モンゴロイド)顔ばかり ひげが薄く、目が一重・・・ これが中央アジアのカザフスタンやウズベキスタン、タジキスタンなるとちょうどコーカソイドとモンゴロイドの中間地点のように 両者の特徴を併せ持った混血が多く見られる。 なので、やはり、匈奴や丁零とか、少なくとも古代のオルドス地方にいた時代はモンゴロイドだったろう 西方に移住してコーカソイドと混血したんじゃなのかね 北中国人のすんでた長安や洛陽は北緯36度くらいで京都や東京と同じライン 匈奴が住んでた代国やオルドスは北緯40度くらいで秋田とか北海道 全然住むところがちがう別の国 前漢の武帝に追われて移動したバイカル湖はさらに1000キロも北になる このへんにも匈奴の墳墓や農場がある、今でいうロシアで中国人なんかおらん 匈奴=ソ連、ロシアとすれば今と変わらんでしょう 烏孫の昆莫は、匈奴単于二代目の老上単于にしたがい月氏を討伐して 老上が死んだあとは集会に出なくなり西域で自立した 漢の使者によると烏孫国の人は目が青かったといわれるが、高齢の昆莫は 中国ことも全然知らず、同伴した家臣の報告で中国が大きい国であると知って 匈奴を切って同盟したいと申し出る 昆莫は一応族長だが、匈奴人のほとんどは中国に生涯行ったこともなかったようで 外国のことを知ってるのは独裁者の単于くらいだった 中国のほうから商人の集団が訪れてきて、定期的に漢の文物をわたした もちろん危険が高く匈奴に交易品奪われて殺されることもあった フン族もローマから商人が訪れていたようだ。ギリシア人が多く逃げ込んでおり アッチラ大王は威厳があり異民族でも扱いは公平でよかったと述べてる。 月氏と烏孫は宿敵どうしだったようだ 月氏と烏孫が戦争中だったので頭曼単于が月氏を攻めても 冒頓単于の東胡や漢との戦争にも月氏が参戦してこなかった おそらく烏孫が先住民で月氏は西から移住してきたようだ 月氏はアケメネス朝ペルシャかアレクサンドロス大王に 追い出されて東へ移住してきたのかもしれない 月氏はトカラ語説が有力では? だとすれば初めて東方に馬の文化を持ち込んだ初期の印欧語族の末裔だ そんなにあとの時代に西から来たとは思い難い 月氏はのちにインドとして月を紋章を多く残してるから月をトーテムとした種族なのかもしれない また中国語の月トクァルとアーリア語の月はトクァルで同音で、トクァル(トカラ)、吐火羅人、ギリシアのトカロイとなった説もある 月氏は牛の大群を連れた遊牧民で、敦煌を建設したとされる 敦煌は漢代でも屈指の大都市で、タリム盆地にわざわざ大都市を作ったのは翡翠がとれるため ヒスイは中国で最も珍重される古くは玉(ぎょく)といわれ 中国では由来、正妻には翡翠、妾にダイヤモンドを贈る習慣があり、女にはヒスイは命より大切なので 翡翠の腕輪をした日本人が腕を掴まれて大声で売れ、とわめかれるほどだ、採掘基地をたてたのは、かなり目が鋭い商人だ 玉は中国、ペルシャ、イラクに輸出され、東西交易の利益によって有数のオアシス都市に発展した のちにタリム盆地はヴィジャヤ家(Vijaya, Visa)によって統治され、中国は彼らを「尉遅氏」と呼んだ エジプトの司祭は胸当てに青い宝石 ラピスラズリをはめこんでいた、ツタンカーメンのマスクにもある 古代社会でラピスラズリを特に高く評価したのはエジプトで、黄金より高価であり、ファラオ、神官などしかこの石をつけられない シュメール、バビロニアなどの古代から主なユーラシアの交易品はラピスラズリだった 和名では瑠璃(るり)といい正倉院の宝物庫にもあるが、ラピスラズリは世界に産地が少なくバクトリア、バイカル湖、などで なぜ古代商人がバクトリアやタリムを支配したがったのかわかる ラピスラズリでエジプトのファラオの金をしぼりとり、ヒスイで中国女の金をしぼりとり、月氏はウマウマだよ〜 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ 坂上田村麻呂黒人説 坂上田村麻呂黒人説(さかのうえのたむらまろこくじんせつ)は、平安時代の武官であり、征夷大将軍として蝦夷征討に功績を残した大納言坂上田村麻呂が黒人だったという説であり、遅くとも1911年には北米において発生していた。 (中略) 古代日本におけるネグロイドの存在を証明するものとして考えられていた。 ハロルド・ウォルター・ベイリーは、紀元前2世紀の最も初期の匈奴の名前をすべてイラン型であると認め匈奴のイラン起源を提案しました。 この理論は、トルコ学者のヘンリク・ヤンコフスキーによって支持されています。 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/89/Noin-Ula_carpet.jpg 中央アジア学クリストファー・I・ベックウィズは、匈奴の名前は、イラン人の名前に対応するスキタイ同族である可能性があると述べています。 したがって、匈奴の部族の大多数が東イラン語を話していたことは明らかです https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/BronzeManOrdos3-1stCenturyBCE.JPG オルドス出土ブロンズ小像がコーカソイドの特徴を示している 匈奴はおそらくエニセイ語を話しました。彼らはエニセイ南支族でした 「天国」、チェングリを意味する匈奴語でした。タルカン、テギン、カガンなどの称号も 匈奴語から受け継がれ、おそらくエニセイ語族に由来 漢書によると、「匈奴は天国(天)と呼ばれるテングリの中国語の転写 >>211 話は脱線するが、ヒスイは日本列島で多く産出されるね 海底が隆起した火山列島だからかもしれんが そんな希少価値がある石なら交易品にして中国に売ればよかったのに 古代の商人はそれこそ世界中どこでも船にのって隊商くんで鉱山調査してる、当然日本にも来た 山師といって朝廷の許可を得て日本中の山で張り込んだ。上杉謙信の金山もかれらがほった 匈奴ってえか月氏ィ?北陸は他とは人種が違ってクズ人といって一目で区別がついたらしい 酒天童子、いわゆるおには越後の出と言われる 若い貴族の姫君を誘拐して側に仕えさせたり、刀で切って喰ったりした 蒲原郡中村で子供の頃はずば抜けた美貌の持ち主てあったが手の付けられない乱暴者だった ため国上寺(新潟県燕市)の稚児となった。 不意に東方から、正体不明の闖入者が威風堂々とわが国土に進行して来た。彼らは、圧倒的な勢力を以て、それを簒奪し、国土の首長たちを征服し、 町々を無残に焼き払い、神々の神殿を大地に倒壊した。また、同胞に対する扱いは、ことごとく残忍をきわめ、殺されたり、妻子を奴隷にされたりした https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/29/Drawing_of_the_procession_of_the_Aamu_group_tomb_of_Khnumhotep_II_at_Beni_Hassan.jpg 白い肌のひげが、黒い肌のエジプト人をどれいにし、こき使う絵 カバの鳴き声がうるさいとヒソクスに処刑されたセケンエンラー王。顔面を斧で切断する遊牧民の刑をうけてる https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/dd/Sequenre_tao.JPG セケンエンラーの子息カーメス王はヒソクスをおそれる国民の反対をおしきり ヌビア国を支配して黒人兵をひきい、自ら先頭に立って進撃しヒソクスをパレスチナに追い出した英君。 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8e/Sarcophage-Kamose.jpg ラピスラズリがふんだんに使われた第18王朝ツタンカーメンのマスク https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/27/CairoEgMuseumTaaMaskMostlyPhotographed.jpg エジプトに商人という言葉はなくそれはシリア人をさすという、ヒソクスは青い宝石の交易商人としてエジプトにきて富をたくわえ街を建設した 第19王朝ラムセス二世は身長190センチ、赤毛で青い目だったと遺伝調査で判明してる。父セティがセト神の化身という意味で、 アジアの遊牧民がもちこんだセトは砂漠の神であり、セト神の化身は赤毛と言われた https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/84/Mummy_of_Ramesses_II_-_02.JPG 吐火羅人は碧眼紅毛で、チンギス・カンの息子オゴタイも碧眼紅毛とされる https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9e/YuanEmperorAlbumOgedeiPortrait.jpg 月氏は牛を追い立てる遊牧民の大群で、月氏は10数万の軍隊を持ち匈奴を小国と軽蔑していたー漢書 中国で玉(ぎょく)など宝石を売ってくれる商人として月氏はしられており玉氏=月氏ではないかともいわれる 秦の始皇帝も胡が危険と見てオルドスに匈奴攻めたが月氏は手を付けなかった 秦は名目上は西戎王として立てられており戦国期の六国と戦争するうえで陝西の野蛮人は味方につけたいのだ 月氏は商人としての面が強く、秦国にとって資金援助してくれる同盟国で無害だったのかもしれない 冒頓単于の治世の7年目に匈奴は月氏を打ち負かし、多くの土地を奪った そのころ月氏は敦煌の南に烏孫と一緒に住んでいたが、なぜか烏孫を略奪して奴隷にしたり殺していた 月氏は多くの牛を飼い、烏孫は馬を多く飼うというから同じ土地で分業していたのかもしれない 烏孫の王子はたまりかねて冒頓単于の庇護をねがって亡命した 月氏と匈奴は仲がいい時期もあったが冒頓単于が死ぬ二年前に、いきなり高齢の冒頓は月氏を絶滅させる決意を固めた 多分自分が死んだあとが不安だったようだ。大阪夏の陣を思わせる 「わが匈奴兵の戦闘力は卓越してる。月氏はほろび多くの民は匈奴に降伏した!」と冒頓単于は漢にとくいげに手紙を送る 次のラオ単于も戦闘を継続して月氏王の頭部を切断し頭蓋骨を盃にした。烏孫兵士も馬で月氏を追い詰める 大月氏はイリ地方で塞族、つまり遊牧イラン人を襲って追い出した サカは一部は奴隷にされ、おおくはにげた https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b9/Indo-ScythiansMap.jpg 塞族はインドに侵入しインドスキタイ帝国を作る 大月氏がインドに乱入するのは100年後でクシャーンのカニシカだと200年後にになる。 月氏が捕らえたサカの首級、北部バクトリアの宮殿で出土 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e4/Saka_warrior_Termez_Achaeological_Museum.jpg 月氏王 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/68/KushanHead.jpg サカ族は紀元前145年にグレコ・バクトリア王国に入ったようで、そこで彼らはオクサスのギリシャ都市アレクサンドリアを焼き払った 月氏はオクサスの北岸のソグディアナに残って静観 月氏族はバクトリアに移住し、数世紀にわたって支配していたその後、インド北部を征服してクシャーナ朝を創設した https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b3/Askar_Akaev_MoscowRia_08-2016_%28cropped%29.jpg 大阪知事ことアカエフ、キルギス人 前漢の司馬遷の著作に見られる堅昆が、キルギスの名で記録された民族、南シベリアのイェニセイ川上流域で 遊牧生活をおくる堅昆は、背が高く、白い肌を持ち、青い目を持つと記されていた 「匈奴」は、中国語では「ション・ヌ」であり上古音(推定される秦漢期の発音ヒュン・ナ フンナ説に関しては、五胡十六国時代のタリム盆地などにおいて匈奴人のことを「フン」と呼んでいた また現代モンゴル語で人間を表す単語がフンニーとなる アイヌも人間という意味だ 匈奴が登場したのは秦国の包囲戦のときで匈奴は韓、趙、魏、燕、斉の五国とともに秦を攻撃したが、惨敗に終わった 将軍の李牧は代の雁門で匈奴を防いだとされるが 代国はもともと遊牧民が立てた国で、やや南におなじいきさつで遊牧民の白狄がつくった中山国があった 趙王は義弟の代王を宴会の席によびだし銅の柄杓で殴り殺したとされ、代も中山も趙が征服した 雁門関は山道に沿って3つの要塞がある https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/55/Yanmenguan.jpg この地域は、山西省とユーラシア草原のの回廊で、古代中国における戦略的なチョークポイント 衛青と3万人の兵士が雁門関から北上した この街は何万もの家畜の取引でゆたかになるが、匈奴の襲撃もあり安全ではなかった >>223 月氏王はフレディ・マーキュリーみたいだよな 後頭部が絶壁の短頭で頭頂部が尖ったコーンヘッド 山岳地帯に多いアルプス人種 雁門から出た衛青は初手柄で匈奴の聖地竜城(竜城)をおとした 龍城はモンゴル国の中央のアルハンガイ県にあったらしい 地理的に見ると 代国のずっと北にモンゴルの首都ウランバートルがあり、さらに北にバイカル湖がある アルハンガイ県はウランバートルの西500キロほどにあり 代国の西にオルドスがあるので、つまり竜城はオルドスのずーと北になったようだ エジプトやメソポタミアに比べると随分発展は遅れを取ってるんだな中国 やっぱり文明は中央アジアから来た 中華の大文明は凄いし尊敬するけれども、やはり発祥地となるとオリエントなんだよね >>229 4世紀前半のフン族はミヌシンスク盆地にいたようだ ミヌシンスク盆地は肥沃な黒土地帯の東端で 先住民の堅昆が牧畜だけでなく農業もしていたので 匈奴は漢人の捕虜を入植させて農業をやらせた 紀元1世紀から4世紀にかけてミヌシンスク盆地で タシュティク文化が存続していたけど 寒冷化により住民らはミヌシンスク盆地と 黒海北岸に連なる肥沃な黒土地帯を移動したようだ >>210 トカラ人は紀元前2500年頃までミヌシンスク盆地にいたようだ 寒冷化でトカラ人はミヌシンスク盆地からタリム盆地に移住した 当時のタリム盆地は後の時代ほど砂漠化していなかったので移住したようだ 楼蘭の砂漠化が進行するとトカラ人は楼蘭を放棄して 楼蘭には西方からイラン人が移住してオアシス都市を建設した 楼蘭を放棄して農耕民から遊牧民になったのが月氏かもしれない >>185 匈奴の版図に関しては、いろんな図があって悩ましい wikiのやつなんかいまのモンゴル国より一回り大きいだけだし・・・さすがにこれだと過小評価すぎるだろう 後に月氏と言われるような印欧系の遊牧民が金属器文明を中華世界にもたらした 殷や周の時代の蒙古高原は印欧系遊牧民の天下だったろう 近年の学説では弥生時代は紀元前10世紀頃からと言われるが彼らの青銅器文化は蒙古高原経由のものに相違ない 印欧系の遊牧民が匈奴によって駆逐されてしまったから繋がりが分からなくなったのだろう 春秋戦国までは中原の中でもあちこちに遊牧民や異民族が集団で住んでいて混在していたようだ 国という概念はなくて荒れ地の中に遊牧民や農民が点在してる感じ いわゆる秦とか周は、材木を組んで石や土を投げ入れた壁に囲まれた、人口も少ない城塞都市でしかなかった あるていど人が増えると細胞分裂のように新しい都市を作る 春秋のころは黄河流域に艦隊のように互いのまちが見える範囲で密集していた 白狄という白い服をきてるトルコ系の遊牧民が南に多く 北方には赤い服をきてる赤狄がいて、ロシア人に近かったらしい(いまでもロシアは赤が大すき) なぜか白狄は赤狄を野蛮としてて嫌悪し死んでも結婚したくない!て中国人と通婚し 定住化して代国や中山国を作り同化していった ノインウラの墳墓調査によると匈奴の王族は帽子に赤い飾りがあったらしい。赤狄くさい 狄はチュルクで確定だろうね 彼らの現住地は中原からオルドスのあたりで、印欧系の遊牧文化を吸収し逆に駆逐して蒙古高原の主になった フン族が4世紀にエニセイ川流域にいた訳ない せいぜいカザフスタン辺りだろ 晋はもともと周王弟の虞が北方に封じられて侯爵となってる家だが献公の時代に 北に遊牧民があり、献公は白狄と婚姻をむすび兵力を借りてにわかに勢いをまして同じ中原諸国を併呑した 重耳(文公)は天下を放浪し賢人として評判が高まり楚王は「重耳を天子のごとくもてなせ」と料理人に注文した 文公は天下に覇をとなえて文公側近であった趙衰は義兄であったため大いに栄え宰相を輩出した 宣公のとき赤狄がせめこんできて刑丘まできたので宣公は激怒して戦争しようとしたが 荀林父は「戦争は避けましょう、赤狄の宰相は3つの魔法をつかうとのことで戦が続けば使役される民はたまりません やがて不満が高まる、赤狄は自然に滅びます」と言上した 晋国はむしろ遊牧民に記憶されて、オルドス族長はジノン(晋王)といいモンゴルの高位貴族につらなった、 主に祭祀をうけもち尊崇をうけていた >>231 そうだよ それは常識 すべてはメソポタミア文明が起点 灌漑農法がウバイド期にメソポタミアにひろがり、多くの人口をやしなうことができるようになった 両大河に挟まれたメソポタミアは,灌漑を施すことにより穀倉地帯であり, その周辺部で養育される羊から得られる羊毛を原料に利用して毛織物業が 外部に輸出されるほどに早くから発展していた。遊牧民が愛用するペルシャ絨毯だな 他方で鉱物,石材,木材などの一次的資源は域内で産出されないため,これら資源は 中央ユーラシアの高原地帯からの輸入に頼らざるを得なかった。 交易の必要性は,必然的に担い手となる冒険的な商人の活躍を促し また都市国家の多くの商人の競争が進歩を促した 多くの人民を取りまとめる手段として、はやくもシュメールでは王たちが社会正義を唱えた 正義とは、貪欲な貴族金持ちから弱い立場の人、寡婦や子供をまもる理想の王である 今の自民党の政治よりも立派ではないかw 社会正義はエジプト古王国の崩壊とともに輸入されて「メリカラー王への教訓」などになる 貴族の没落、重税などをくるしむエジプトは老人も若者も「死んでしまいたい」と言い 王が拠って立つ政治基盤として、弱者を保護・保証する正義が唱えられるようになっていく マルクスによれば、遊牧民は最初の資本主義者・ブルジョワジー 千匹もの家畜・牧草地と水場を専有してる一族で侵入者は殺すわけだから 日本だと坂東武者が似てるかな 烏孫の貴族は5000匹もの馬を飼い、大金持ちだ さらに赤谷城の建設にサカや月氏の奴隷をとらえ使役 烏孫人を頂点として周辺に住む月氏とサカの3層社会になっていた 中国南部の稲作農耕はオリエントに負けないほど古いようだが スキタイが裏にいたはず それ以前はスキタイ人が中央アジアから北東アジアまで席巻してたのに 文明的なくらしに憧れて馬にのるのをやめてしまった 好き対人がモンゴル人をあやつっていたのだ 中国南部の稲作農耕は現在の中華文明の流れとはあまり関連がなく 楚王国たてた始祖はげんざいでは土着説が有利で 動物信仰が盛んに行なわれていたから楚人は先祖が違うといわれた 匈奴のトーテム動物が犬だったか サカ・サマルタイ=野蛮人としかいいようがない。きもい 月氏=宝石商人。ファッションとかおしゃれ 匈奴=混血の野蛮人、漢を征服せず取り立てるなど長期の戦略はなかなか 丁零高射=草原で踊る野蛮人、くさそう 鮮卑=鉄騎など発明のミリオタ アッチラ=北ゲルマンでは正義の騎士王とされ評価される一方、ローマ人では評判悪い >>239 カザフスタン北部にも肥沃な黒土地帯が連なっている ミヌシンスク盆地とカザフスタンとウクライナは繋がっている 「謎の文明」で黄金仮面見つかる 3000年前の遺跡から出土 【東方新報】中国国家文物局は20日、長江(揚子江、Yangtze River)上流域文明の中心とされる四川省(Sichuan)広漢市(Guanghan)の三星堆(Sanxingdui)遺跡で、約3000年前の黄金の仮面などを新たに発見したと発表した。 中国王朝の起源とされる黄河文明と異なり、いまだ謎が多い「神秘の国」の実像を調べる手がかりとなりそうだ。 黒土地帯とは逆に熱帯は土壌が肥沃ではないんだよね だからインダス文明や長江文明は衰退してしまった >>254 日本人のおっさんにもこんな顔の人、めずらしくないよ やっぱり、日本人は古モンゴロイドの血を受け継いでいる民族 古モンゴロイドは中国大陸では新モンゴロイドに駆逐されてしまった よくラテン系の連中が日本人をつり目ポーズで揶揄うけれどもあれは新モンゴロイドの特徴で日本人というより朝鮮人の特徴なんだよな なぜ日本人が吊り目とか糸目とかアーモンドアイの代名詞にされてるのか全く理解不能 イエローキャブとかも韓国人風俗なのに日本女の話にされてるしわけわかめだ 現在のロシアやポーランドなど東欧系白人はYハプロがR1aがおおく、イランにも多い。 フランスなど西欧にはR1bが多い げんざいはハプロRそのもの現存しているが少数民族でパキスタンにしかいないようだ R1a・R1bの基礎となるハプロRの遺体も出た。2万4千年前のMA1マルタボーイがシベリア、バイカル湖の西で発見された これらハプロRの先祖はANE、古代北ユーラシア人で、極東から来た ところがヨーロッパではこれを目を背ける傾向にある、最近の本ですら我らの祖先は東ドイツのR1b集団で ビーカー文明の末裔だと書いてる。 それ以前にヨーロッパに住んでいたのは別の人種ハプロC(日本でしかない縄文タイプ含む)やアイスマンで現在はきわめてまれ 西欧人はシベリアから来てヨーロッパ原住民(縄文やアイスマン)を殺し尽くした。だから知りたくない ロシアのR1aも事情は同じだ。ソ連・帝政ロシアの時代にスラブ人は北欧ヴァイキング起源だ、北欧から来たと書いてる いまでもプーチン政権はその伝説にしがみつきたいようだが、ロシア人が北欧由来だというのは スウェーデン人はハプロIなので、これは辻褄あわない。 スキタイ遊牧イラン人と現スラブ人はR1a遺伝子が同じという、西洋のロシア=スキタイ学説はロシアは禁句らしい これは聖書でスキタイが最悪の野蛮人だとかかれてるからだ(そのとおりだが) シベリアのバイカル湖の西岸で発見されたマルタの少年は父は最古のハプロR、母はハプロUの未知の枝に属してた 母系ハプロUはフン族の墓地からも出てるが、現代ヨーロッパでは少数派 北欧人は父ハプロIが多いのだが、対になる母系はハプロU 現代ヨーロッパで最もおおい母系ハプロHは、上古の狩猟採集民の母系ハプロUを駆逐した 全白人の半分を占める最も成功した母系と言える BサイクスによればハプロHミトコンドリアを組み込んだ精子は特に速く泳げる繁殖力の強い母系がHという どこからきたビッチだと言いたいが北ドイツのビーカー文明、父ハプロR1bと対になる母系遺伝子はハプロHとされる たとえばマリーアントワネット、ビクトリア女王も母系はハプロHであったといえばじゅうぶんだろう シベリアから来た古代北ユーラシア人ANEは、ハプロHに乗り換えた、この分派が現代ヨーロッパでフランスやドイツ人となる バイカル湖のマルタ=ビュレット遺跡からさらに数千年あと、クラスノヤルスク市近くのエニセイ川に位置する Afontova Goraの人々は遺伝的にマルタボーイと関連してる子孫とされる かれらはマンモスを狩猟してた。馬、マンモス、トナカイ、ステップバイソン、大型イヌ(狼ではなく犬)が出土 Afontova Gora 2(AG2)とAfontova Gora 3(AG3)として知られる2人の遺体があり ゴーラ2は現在まれなハプロQ(つまりフン族)に属しています。遺伝ゲノムの約1.9-2.7%はネアンデルタール人との混血 ゴーラ3は、ヨーロッパにおけるブロンドヘアカラーの派生対立遺伝子を運ぶことが知られている最古の個人である Afontova Gora 3は少女のもので父ハプログループR1bに属していた。遺伝ゲノムの約2.9-3.7%はネアンデルタール人との混血であり 最古の金髪でした。Afontova Gora 3系統は明らかに現代ヨーロッパに貢献してる 白い肌、金髪や赤毛、青い目などといったいくつかのコーカソイド的特徴はネアンデルタール人から受け継いだとされる 大雑把にいえば二万年ほどむかしフン族とドイツ人はマンモスをたべて、エニセイ川で暮らしていたが シベリアでより濃くネアンデルタール人と交わり、セックスしてしたのが金髪のヨーロッパ人 ためらったのが古モンゴロイドというわけだ ここまで読んで「現代白人がなぜシベリア少数民族のハプロQと一緒に住んでるのか、おかしい」と思われるだろう 別に不思議ではない、ハプロQとR,この親がハプロPであるのだが ハプロP<と分かれる兄弟がハプロRとハプロQだからだ つまりフン族とゲルマンは血縁的には兄弟に当たる、アラニ、ゴート人などゲルマン小王が重臣としてアッチラに従ったのは フン族はシベリアから出ていて、遺伝的にそれほど遠くないからである ケット人93.7%やセクリプ人66.4%がハプログループQ (Y染色体)の主な担い手だが https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/af/Selkup_man.jpg よくみたら、顔が岩のようでゲルマンにも好かれそうな顔である ハプロQは日本では1%で周時代の中国から高頻度でハプログループQが上古中国の担い手、ハザーラ、ユダヤ人にもみられる ベトナムに7%、モンゴルに5%。現世中国人にほぼゼロ、もし周王の遺伝子とすれば 征服民の遺伝子の上書き完全だな。やはり民族浄化・・ 遺伝子置換はめずらしいことではなく将来的にロシア人(R1a)が少子化で滅んで イスラムは産めよ増やせよなのでウズベク人やカザフなど(C2b)が取って代わる、と予想され げんざいでもモンゴルのC2bは中央アジアの多数派ウズベク人を形成してる カザフ人は日本のハプロD1も低頻度にあり、ロシア人とも遺伝的に近い 日本や中国が滅んでも 中央アジア大陸は、イスラム化した古モンゴロイドに遺伝子置換される クヴァリンスク文化、5000年前のロシア・ボルガ川の人々は主に父方のハプログループR1bを持ち R1a、I2a2、Q1a、なども埋葬されていた すでに貧富の差がありお金があったかどうかは不明だがR1bが多さから見て王族かもしれない しかし、後継の子孫は、R1bとI2しかのこらずQ1aはたえた、 これは、ドニエプル・ドネッツ文化の男性とおなじで男性の身長は平均172cmで高い >>255 木曾義仲の末路と被る 呼韓耶単于=頼朝とすると驚くほど似てる 従兄弟じゃなく弟だけど シャーヒ(Shahi)は月氏で昔から用いられた王の称号、「王」を意味するペルシア語シャー 最古のバクトリア語資料であるヴィマ・タクト王の碑文で「諸王の王」を名乗っている ムローダ(Muroda)はサカ人たちの首長 たとえば、ステン・コノウなどの学者は、「ムルンダ」は「主」を意味するサカの称号であると主張しています。 >>265 パルティアもしくはアレクサンダー系のバクトリアあたりの軍隊説もあるようだが 紀元前36年、漢西域、最高長官である甘延寿と、副校尉である陳湯が、4万人の精鋭兵を率いて西域を出発し、匈奴を討伐した。 この出征中、彼らは匈奴軍の配下に、きわめて奇異な傭兵部隊がいるのを見た。 ある歴史学者は、そのとき陳湯が見た傭兵部隊は、かつて匈奴に降伏したローマ軍であると考えている。 >>258-261 その論だと、コーカソイド(白人)の発生起源はシベリアということになるね。 しかし、現在、シベリアに住んでいるのはモンゴロイドだ。 人種が完全に置換されたことになる。 ところがおかしな話だが、昔読んだ文系の考古学ではなく、理系の人類学の本によると、 もともと中東からシベリアに進出した人類が古モンゴロイドに進化し、 しかも、氷河期という最も寒冷な時期に最も寒冷な気候の地で暮らすことになったため、 寒さから逃れるために再び南下して移住したの古モンゴロイドのグループも多かったが マンモス等、食料となる動物も狩れることからそのままシベリアに踏みとどまった グループも存在し、それが寒冷な気候下でも耐えられるよう自然淘汰された。 そうして生まれたのが新モンゴロイドだと書いてあった。 凍傷にかかりにくいよう、眼球を守るため、まぶたに脂肪がつき一重まぶたになった。 耳たぶも小さくなり頭部にへばりつく仕様に変化した。 体温が逃げにくいよう体重当たりの体の表面積を減らすために手足の短い体型に変異した。 耳垢で耳の穴が凍傷にならないよう湿っていた耳垢が乾燥した耳垢になった。 一方、白人の体も寒さを防ぐため、毛深くなり、高緯度地帯で紫外線がより吸収されやすいよう白い肌に変化し 髪も色素が薄くなり茶髪、金髪が発生した。 紫外線が弱く、一方、暗闇の期間も冬に長く続くことになるから茶色の瞳から青い瞳が発生した。 新モンゴロイドもコーカソイドも寒冷地、高緯度地方、に適応した結果の体型、シベリア起源という共通点。 どちらが正しいのだろうか。 ハプログループP(Y-DNA)の子系統がRQにすぎない、このハプログループP最新情報では 2020年、Hallastらによると。 ハプログループPとその2つのサブクレード、RとQは、東ユーラシアの狩猟採集民とともに広がり、 東ユーラシアからヨーロッパの両方に移動しました。 Pとその2つのサブクレードは、主にシベリアと今日のヨーロッパ、そのポケットに残っていました。 ヨーロッパに関するこの移住イベントは、「東からの西ユーラシアの血統の置き換え」と呼ばれています まさに遺伝子置換。まだ翻訳されてないから日本では知られてない 先史時代の話は学者レベルだけでなくムーの類が混じるから厄介だよね その本音は日本人をユダヤ人の末裔にしたいとかホツマなんとかを正史にしたいとかとても下らないものだったりする 白人も先祖はどこから来たかというのは最重要な関心事だからその手の本はブームでよく売れるし シベリア起源はよく知られてるよ。俺もアメリカの掲示板で知った ANE、古代北ユーラシア人とかは翻訳本がでてる >>270 白人はイランあたりのが毛深い 北欧とかサーミ人ネネツとかに近い人種との混血が多いから毛深くはない 高緯度地帯に住んでてもイヌイットとかは白い肌を獲得してない これもネアンデルタール系の遺伝子が必要で、そばかす多い北の人種とかは白い 金髪もコーカソイド由来ではなくそれを獲得してたのはネアンデルタールに近かった北のモンゴロイド人種 青い目は金髪とは別で、クロマニョンも青い目だった 眼球を守るために一重になったというよりは、カポイドに近い人種がアジアにいて、それが成長しただけか 新モンゴロイドは1万年も北アジアにいてない 2万年前そこにいたのは顔の濃いケチュア人みたいなタイプ 1万年でも北米インディオ系統の濃い顔 イヌイットの第3波でやっと新モンゴロイド形質がアメリカに達するので、それまでベーリング海峡付近にもそういう人種はいなかった 白人より南欧系の地中海人種のほうが顔立ちはいいだろう スペイン人は乞食でも王様みたいな顔してるって褒められてる スウェーデン人は「金髪の豚」といわれてる、ブタも目が青いからな シュメール人も東のエラムは混血野郎で、西のマルトゥは礼儀知らずの猿だという 東に行くほど混血して目元が脂肪でたるんでくるからとても気になるらしい 遺伝子置換というのは今の国にはものすごく嫌がらせで、日本は昔は○人が住んでた返せとか言われたら不愉快でしょ 現代中国人と周は別人種だし、殷墟からでた骨も母系は現代中国に関連してる、としか言わない。 トルコが先祖はモンゴルやシベリアだってずっと言い続けてたが中国やソ連には愉快ではない 西欧でウイグルの人権がたたかれてるが、チベットは無視してる、他の民族とか明らかに白人と関係ネエという態度だし よけいなところに鼻を突っ込むと大やけどになりかねないのよね >>269 西匈奴にはもっと存続してほしかったな のちの西遼みたいな立ち位置になれたかもしれん かつて東方にいた遊牧民が西方にくるというのは 古代のスキタイからトルコまで 繰り返されてきた 東方はかつてゆたかで現在は人口増加を受け入れられないのか 殷王朝や周王朝はハプロQ(エニセイ語族)が支配階級にいるんだよね これは何を意味しているのか ハプロRの印欧語族に引っ付いて中原にやってきたとか思えない 先史時代の中国の支配階級はインドイラン人系の人たちの影響を受けた(もしくは混血した)南シベリア系ハプロQの民族が占めていた可能性がある インドヨーロッパ語族が欧州に来たときは肌が黒かったという 周の貴族は革の服を着て肉しか食べないというから中国人にブッコロされたんかね 人骨から採取した細胞片から遺伝子解析できる技術が確立しているんだから いい加減、フン族=西方に逃亡した匈奴という真っ当な結論を学会が認めてほしいな 状況証拠のそろっているんだから 現在でも南北中国は北人、南人としてまったく異人種だが南は金持ちで商売がうまいという しかし北人は南を嫌ってる、もし南にいったら殺されて食われると訴える シベリアで発生した白人は、中国南方系に凄まじい差別をうけ 南下した白人はすべて人喰い人種が押し寄せて鍋で煮て美味しく食われた 顔が朝青龍の親戚はうまく原住民をだまして中華王朝となる 白人は夷狄として中国では到底受け入れられないので、生き残った連中は人口の少ない荒れ地でほそぼそと生き そのままシベリアに留まるか西方に移動した かれらは中国での差別経験にもとづき、最初からヒットラー式で油断した原住民を差別し皆殺しにする陰湿な ナチスドイツ方式でじょじょに移動していき成功、これがヨーロッパ人となる >>278 西のほうが気候が穏やかだからってのもありそうだな モンゴルやカザフステップはマイナス40−50℃にもなるが モスクワやウクライナあたりでは北海道とあまり変わらない 今より寒冷だった当時は尚更だったろう ユーラシア大陸の西側はメキシコ湾の暖流が回転してぶつかるのであたたかく 地中海とか黒海カスピ海など内海が多く、生存に適してる 極東はその逆で寒いが日本列島がかろうじて住みやすい ただし九州の破局カルデラ噴火、白頭山で破局噴火、など民族リセットされる 東ユーラシア大陸は1万年前はエニセイ川が氷で塞がれ北極海でなく黒海に注ぐシベリア巨大湖があって 家畜を遊牧するのに最適だったらしいが、かろうじてバイカル湖(北海)が名残を留め、多くの古代民族がのこった >>284 日本も西日本、瀬戸内海のほうが気候は住みやすいと思う しかしなぜ西日本は高齢化に悩み、東北の人は一斉に移住してこないのだろう 中国はナンキンムシなど有名だが、朝鮮半島南部(韓国)全域もマダニ生息地だ 中国中部の12省(安徽省、湖北省、河南省、山東省、遼寧省、陝西省、四川省、雲南省、広西省、江西省、浙江省、江蘇省) がマダニ生息地で、北部は比較的安全のようだ 三国志の赤壁の戦いもじつは大きな戦闘はなく、魏軍がひどい病気になって数ヶ月で引き上げた記録もある 日本もSFTS抗体陽性(感染経験あり)のシカの分布をみると、西日本全域と中部地方から長野県までマダニ生息地が食い込んでる 特に山口県に多いようだ 南朝・後村上天皇(Emperor Gomurakami, 1328-1368)の男系子孫のY染色体を調査した結果、 ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)であることが判明し 日本人と大陸の騎馬民族とはあまり関連なさそうーだね 王朝が騎馬民族の末裔だったらこんな平穏な島国になってないわな たしか日本は男系のDNAが一気に支配民族のそれと入れ替わってないんでしょ 南米は男性原住民の系統はほとんど残ってないとか 古代中国の上流は殷・周の貴族はハプロQでしめられていた 漢王朝から貴族は現在中国人の多数派ハプロQにきりかわるらしい。まぁ高祖劉邦は楚人、南方系だったし https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Haplogrupo_O_%28ADN-Y%29.PNG 現代人類において中国人=ハプロQは最も帰属人口の多いY染色体であると考えられている。 中国人が漢人というのは的を得てる 漢朝四百年の民族浄化がすごかったのか それから断続的にモンゴルと同じC2の遊牧民皇帝に入れ替わりつつ清もC2だったらしい だから満州人はわりと親日的だった フン族のハプロQ、アッチラと古代中国の貴族は同族であったが 匈奴王族レンテイ氏はR1aの可能性もありうる、なにせ前漢のノインウラのクルガンからR1aの骨出てくるので また月氏王もサカ族もおなじR1aだろう 訂正 漢王朝から貴族は現在中国人の多数派ハプロOにきりかわるらしい。まぁ高祖劉邦は楚人、南方系だったし https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Haplogrupo_O_%28ADN-Y%29.PNG 現代人類において中国人=ハプロOは最も帰属人口の多いY染色体であると考えられている。中国人が漢人というのは的を得てる 漢朝四百年の民族浄化がすごかったのか 藤原氏もハプロOらしいし、もちろん半島とは関係なく弥生系の日本固有の枝らしいが >>292 その遺伝子は中国華中、朝鮮半島由来なの? なら、藤原氏は弥生人、渡来系だな >>294 世界地図と重ねるとハプロO=モンゴロイド遺伝子って感じだね もちろん、日本人のようにモンゴロイドでもDもいるし、 モンゴル系やチュルク系のCもあるけど O1b2a1a1 (CTS713)(旧47z) - 日本人(琉球民族)で高頻度にみられる。朝鮮で低頻度。 O1b2a1a1a (CTS1875) - 日本列島 O1b2a1a1a1 (CTS10682) - 日本列島 O1b2a1a1b (Z24598) - 日本列島 O1b2a1a1c (CTS203) - 日本列島 O1b2a1a2 (F2868,F3110,K4) - 日本列島 O1b2a1a2a (L682) - 朝鮮半島に高頻度に見られる。 O1b2a1a2a1 (CTS723) - 朝鮮半島 そこまでかぶってないよ:約7,200年まえに分岐したらしい サブクレードに属するY-DNAを合計すると、現在日本人の約3割を占める 藤原氏のハプログループOは古いタイプで朝鮮半島のOは新しい部類に属する子系統 大もとは中国南部のO1b系で、長江文明。これが三千年前に滅亡しごく一部が 分流して北に流れ満州から朝鮮日本へという流れ 比較的古くのOが日本人の弥生系になり、そこから分岐した新しい流れが(ニューフェイス)が朝鮮におおく定着した 【皇位継承】「女系天皇を認めればシステムが壊れる。世論調査はよく知らないまま答えている」有識者会議メンバー八木教授に聞く★9 [ばーど★] https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1618089244/ 中国古代王朝は皇帝がほとんどハプロQだが、秦漢から消え去って始皇帝や項羽はハプロOとされ漢人王朝の宋や明はOだという。 漢の高祖劉邦と唐の高祖李淵はハプロNだという、ハプロNは中国では低頻度で北欧に多くロシア人でも4割という北欧型遺伝子だが 北欧の多様性からハプロNはヨーロッパ由来では、ともいわれた。結局一番古いNは陝西で見つかるので、やはり北アジアが 発祥らしく遼河文明では多数派だったということだ なお新石器時代の中国人骨のハプロN遺伝子、げんざいのニヴフ人に最も近縁だという。ロシア名ギリヤークだ ニヴフ人は、アイヌ、モンゴル系民族・ツングース・満洲系諸族とは別系統の民族である 古シベリア語に分類される固有の言語を持つ。 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3f/Haplogrupo_N_%28ADN-Y%29.PNG おそらく陝西省あたりがハプロNの故郷で、多くはほろび、北欧だのオホーツクだの狩猟民族のあいだ、人類の辺境に残ったらしい 北欧フィンランドやサーミ人で6割、エストニアやロシア人で半分近いハプロN、これも例にもれず、極東から西方にながれてていくパターン もちろん日本にもわずかにある ハプログループNは日本人全体では2%だが青森県で8%近くに跳ね上がり、しかも解析される遺伝子は 遼河文明の人骨と全く同じ型であった 地域によっては日本人でも北欧にちかい、しかも古代タイプの元祖ハプロNである可能性がけっこうある こうみてくると、大陸で駆逐された古い遺伝子の避難先として 日本列島の存在があるね 日本人自身が世界的に見て貴重な絶滅危惧種なのかなw 遼河文明の故地を捨て寒帯林とツンドラの狩猟文化に適合した人々は次第に西へ移ってウラル語族をなし その南のステップ地帯では逆に西で馬と車輪を手に入れた印欧語族が東へと拡大 やがてその印欧語族の文化を学んだ東のアルタイ諸族がステップ地域を逆進していく 面白いもんだね おもしろいのは西晋の司馬炎がハプロC2で、三国志の司馬仲達もハプロC2だと推定される 魏の曹操がハプロOであったので晋で大きな交代があったことになる C2はモンゴルや中央アジアに多いので何も珍しくないが司馬家は秦の将軍の血筋のはずだが、 (先祖は遊牧民の胡?犬戎?)であったようだ。 大陸や満州や朝鮮でいったん古い遺伝子が絶えてるのは 九州や満州で破局噴火がしばしばあって、西日本や半島が荒廃した無人地帯であった時も けっこうながく、日本列島の半分や北欧の果でほそぼそと生き長らえる部族もあったと想像される ハプロNは遼河文明の末裔 朝鮮/韓半島の基層文化 漢の王室がNだったとは知らなかった ルーツはやはりというしかない Y染色体ハプログループCはもっともはやくアフリカから出たクロマニョン人 豊臣秀吉のY染色体ハプログループC1a1もC系では古いタイプでヨーロッパの石器時代には出るものの 現在はとっくに全滅してる。 C1a1(C-M8) 日本のみ、日本列島では5%の頻度 C1a2(C-V20/V184) ヨーロッパで最古層のクロマニョン人の遺伝子 C1a2a1英国のみ C子系統は日本列島で誕生したとも考えられる となればC2のジンギスカンも匈奴も先祖をたどれば日本人 ハプログループDEはYAPという変異で定義される。YAP (ヤップ)とは、Y染色体の長腕部Alu配列の挿入多型。 YAP変異をもつ系統はハプログループEとハプログループDに限られる(ハプログループDEはアジアで発祥したという説もある 東アフリカのトゥルカナ湖に6万5千年前に住んでいた一人の男性にこの変異が起こりハプログループDE系統を生み出し、 その後6万年程前にこれが更にハプログループDとEに分岐した。 ハプログループDEは系統樹からも分かるように、全ユーラシア人の最近共通祖先であるハプログループCTから早期に分岐した D1a1 (F6251/Z27276) チベット、モンゴル、カザフスタン、中央アジアにひろくみられ D1a2a (M64.1/Page44.1, M55) 日本固有種 D1b (L1378) フィリピン E系統は E1b1bアフリカ、中東、南ヨーロッパなど。 ヒトラー総統、皇帝ナポレオン、アンンシュタイン、ライト兄弟、ジョンソン大統領もハプログループE1b1bでYAP (ヤップ)変異を持つ >>293 アッティラが攣テイ氏の末裔である可能性ってないの? もともと墓が、ない。アッチラも冒頓単于もわかってない 例えばジンギスカンの葬列はたまたま道で行きあったものも皆殺し 匈奴の姫君の石棺がシベリアの湖の底から出てきたというから多分そういうところに眠ってる ゲルマン人も遠征の途中で死んだ王は河のそこに沈めた 中国では「社稷」として森を立ち入ったものを殺すという墓のまもりを置いていた これは農耕の定住民だからできたことで遊牧民は定住しないということもあって墓は隠してしまう。 ロシア帝国でも墓の調査団は周辺のチュルク遊牧民の襲撃にあい殺される危険な仕事だった。 遊牧民は他人の土地を掘るという行為をものすごく嫌っていてもしかして大昔の墓を掘ってるのか とんでもねえというルールはある。それでもパジリク古墳など殆どは盗掘されていた 前漢末期のノインウラのクルガンから骨出てくるけど、これは匈奴国が漢朝より長くつづいたので 墓を作っても構わないという合意ができたと思われる。 O1b2a1a1 (CTS713)(旧47z) - 日本人(琉球民族)で高頻度にみられる。朝鮮で低頻度。 O1b2a1a1a (CTS1875) - 日本列島 O1b2a1a1a1 (CTS10682) - 日本列島 O1b2a1a1b (Z24598) - 日本列島 O1b2a1a1c (CTS203) - 日本列島 O1b2a1a2 (F2868,F3110,K4) - 日本列島 O1b2a1a2a (L682) - 朝鮮半島に高頻度に見られる。 O1b2a1a2a1 (CTS723) - 朝鮮半島 大もとは中国南部のO1b系で、長江文明。藤原氏のハプログループOは古いタイプで朝鮮半島のOは新しい子系統 古くのO1b2a1a1が日本人の弥生系になり、そこから分岐した新しい流れが(ニューフェイス)O1b2a1a2aが朝鮮におおく定着 朝鮮でいったん古い遺伝子が絶えてるのは九州や満州で破局カルデラ噴火がしばしばあって、 西日本や半島が荒廃した無人地帯で古代朝鮮に人も文明も存在しなかった >>314 もともとは遼河文明Nに後発で入り込んだ集団じゃなかったっけ 日本においては漢民族のO2も同時に入ってきてることも重要 遼河文明遺跡の古人骨のY染色体ハプログループ分析では、 ウラル系民族で高頻度に観察されるハプログループNが60%以上の高頻度で認められる。 後の夏家店上層文化の時代になると、ハプログループO2やハプログループC2へ交代した 遼河文明(紀元前6200年頃-紀元前5400年頃) 遺跡のある同地帯は12,000年前頃から4000年前頃までは豊かな水資源に恵まれており、 約4,200年前頃から始まった気候変動により砂漠化し壊滅 亀ヶ岡は三千年前だからかなり年代が隔たってる。夏家店上層文化がそれくらいなので 大陸と亀ヶ岡が直接交流があったとすればハプログループO2やハプログループC2が担い手になる ヒトラー総統、皇帝ナポレオン、もハプログループE1b1bで縄文人と同じYAP (ヤップ)変異を持つ というとなにやら良さそうに思えるが、事実は200塩基ほど余計な遺伝子が挿入されてる 奇形みたいなものでその部分が役立ってるか不明だ >>318 ハプロEは、ユダヤ人、古代のアラム人、フェニキア人、アラブ人の民族系統と重なるね チョビ髭の大嫌いなユダヤと同類だったってマジなん? 何たる皮肉 ヒトラー総統、皇帝ナポレオン、アインシュタイン、ライト兄弟、ジョンソン大統領もハプログループE1b1bで縄文人と同じYAP (ヤップ)変異を持つ が、ヒトラー総統のばあい一族30人から採取した遺伝子解析結果による ハプログループE1b1bはユダヤ人の遺伝子と報道されることもあるがオーストリアで1割あり、かわった例ではない ヒトラー姓は珍しいがドイツに多いハイドラーの変形であり意味は「小屋さん 父アロイス・シッケルグルーバーは役人として出世できないと知ると神父に立ち会ってもらいアロイス・ヒトラー姓に改名した グルーバーとはドイツの山田さんで、農民名であった。 菅義偉はヒトラーの輪廻転生としか思えん チョビ髭生やしたらかなり似てるぞw ハプログループNOとは、分子人類学で用いられる、人類のY染色体ハプログループの分類のうち、ハプログループKのサブクレード の一つで、「M214, P188, P192, P193, P194, P195」の変異で定義される系統 ハプログループN、ハプログループOの祖先にあたり、かつこれらを含む。 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ad/Haplogroup_NO.png つまり北欧人種の多数派Nと中国人のO(弥生人、日本人の主流も含む)は親しい兄弟というわけであるが なんとハプログループNOのうちハプロググループOにもハプログループN1にも属さない、NO-M214が 日本の徳島で5.7%、福岡で3.8%観察されている。 つまり日本が またもやハプログループNO北欧人種や中国人の先祖という可能性もなきにあらず・・・と ハプログループNOの親タイプのK2aのパラグループK2a*は、 シベリアのウスト・イシム人(45,000年前)とOase 1(37,000〜42,000年前)のみから見つかっている https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2f/Oase_2-Homo_Sapiens.jpg 「オアセ1」は、ネアンデルタール人の特徴を含む、初期の現代人と旧人類の形態的特徴を示しています 2015年以降のOase1のDNA分析は、多くの重要な発見をしました。 ゲノムの約6?9%はネアンデルタール人が起源です。これは、解剖学的に現代の人間に見られる古風な遺伝子移入の割合が最も高く、 オアーゼ1が比較的最近のネアンデルタール人の祖先を持っていたことを示しています-約4?世代前 Oase 1は、絶滅したY-DNAハプログループと絶滅したミトコンドリアDNAハプログループに属しています 訂正 つまり北欧人種の多数派Nと、中国人のおおくをしめたO(弥生人、日本人の主流も含む)は親しい兄弟というわけ https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ad/Haplogroup_NO.png なんとハプログループNOのうちハプロググループOにもハグループNにも属さない、極めてまれなNO-M214が 日本の徳島で5.7%、福岡で3.8%と高頻度で観察されている。他国ではひじょうに低頻度でみられる つまり日本の徳島が またもやハプログループNO、要するに北欧人種や中国人の先祖という可能性も、なきにあらず・・・と ハプログループNOの、親タイプのK2aのパラグループK2a*は、 シベリアのウスト・イシム人(45,000年前)とルーマニアのOase 1(37,000〜42,000年前)古代人骨のみから見つかっている 2015年以降のOase1のDNA分析は、多くの重要な発見をしました。 ゲノムの約9%はネアンデルタール人が起源です。これは、現代の人間に見られる古い遺伝子移入の割合が最も高く、 オアーゼ1が比較的最近のネアンデルタール人の祖先を持っていたことを示しています-約4世代前 さらに重大なことにOase 1は、絶滅したY-DNAハプログループと絶滅したミトコンドリアDNAハプログループに属しています ロシアの象牙彫刻家ニコライ・ペリストフは、宝石の原料として使用したマンモスの牙を探しているときに、 シベリアのイルティシュ川の左岸にあるウスチ・イシム村の地面から突き出た長骨を発見しました。 ペリストフは発見物を掘り起こし、それを警察の法医学者に見せました。彼は骨を人間である可能性が高いと特定しました。 実際、発見されたのは左人間の大腿骨(大腿骨)であり、発見はマックスプランク進化人類学研究所におくられた ウスチ・イシム人は2020年に化石の再計算が発表され、その結果、年齢は45,950?42,890歳 直接年代測定された、アフリカと中東以外の解剖学的に現代的な男性の最古の残骸です 遺伝子鑑定結果でうすい金髪で青い目をもっていた 弥生人の先祖は4万年まえはシベリアですみ、金髪碧眼だったとさー Y染色体はハプログループK2のうち、Y染色体はハプログループK2a<がハプロNOつまり北欧や中国や日本人になる それの子系統であるハプログループK2b<がハプロQ(フン族や古代中国)やハプロR、現代白人となる Y染色体はハプログループK2aとK2bは現生人類の殆どを占める大変重要というわけだが現生人類には存在しない 日本弥生人祖先であるK2aは、シベリアのウスチイシムやルーマニアのオアーゼの人骨 その子であるK2bは骨は4,0,000年前の中国北京の田園洞窟人の人骨としてのこる シベリアのウスト・イシムの男は約45、000年前、田園洞人はわずか5、000年後の人である リチャード三世のときイギリスの学者が「王家でY染色体がすりかわる可能性は一世代に付き1から2パーセントある」とのことで 五十代から百代でY染色体は完全に置き換わると となると皇室は・・ >>328 ust ishm manブサイクよな あんで金髪碧眼だったとか、、 ウスチイシム人はアジア人に近い つまりネネツとか北方のモンゴロイド金髪人種の祖先か それがヨーロッパにも広がっていて北欧人種の形質の祖先になった コーカソイド自身はその当時は褐色碧眼 まじりあわなければ金髪は生まれない Y染色体はハプログループK2aとK2bは現生人類の殆どを占める大変重要というわけだが現生人類には存在しない シベリアのウスト・イシム人(45,000年前)とルーマニアのOase 1(37,000〜42,000年前)古代人骨のみから見つかっている 2015年以降のOase1のDNA分析は、多くの重要な発見をしました。 オアーゼ1が比較的最近のネアンデルタール人の祖先を持っていたことを示しています-約4世代前 さらに重大なことにOase 1は、絶滅したY-DNAハプログループと絶滅したミトコンドリアDNAハプログループに属しています https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2f/Oase_2-Homo_Sapiens.jpg 12番めの人骨、オアーゼ12は、なんとネアンデルタール人の遺伝子50%でした、化け物・・・ >>329 つまりは、白人と黄色人種は見た目ほど遺伝子の違いは小さいということか! 現生人類ホモサピエンス10万年の歴史なかで比較的最近枝分かれしたということなのかな ハプログループONの先祖K2aは、ネアンデルタール人と深く関わっていたようだが その子系統K2bは、さらに重ねて乱交混血ハプロRの白人になる なんでそこまでシベリアで異人種と乱交しなきゃいけなかったのか クロマニョン人「母集団」から追放された者(凶悪犯罪者)は大陸奥深くに逃亡した シベリアは寒いため人には暮らしにくくネアンデルタールがわずかに住んでた 女不足のため犯罪者はネアンデルタールの村をおそって男は殺し女をさらっていた https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e8/Neanderthalensis.jpg 人類に比べて、ネアンデルタール人は頑丈な体で、鼻の大型化、手足は短くなっていた。かなり顔も違った https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e0/Homo_sapiens_neanderthalensis.jpg 旧人はきわめて古い民族のためにエラの張った人やら巨人やら、大きな地域差がみられた デニソワ人は80万年前に分岐、ネアンデルタールは65万年前に分岐した ネアンデルタールより古い人類デニソワ人はさらに極東に住んでおり、デニソワ人完全骨格はみつかってないものの 巨大臼歯からはがっしりした顎を持っていたと推定される 混血犯罪者は、、ネアンデルタール人デニソワ人とかまわず混血したために子孫のすがたは変化し シベリア奥地で繁殖するにつれてますます顔が醜くなったために母集団に戻れず、別人種になった ユーラシア大陸では、ネアンデルタール人とデニソワ人の間で現代人との交配が数回行われました。 現代人への遺伝子移入は、約47、000?65、000年前にネアンデルタール人で、約44、000?54、000年前にデニソワ人で起こったと推定されています https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b8/Homo_sapiens_lineage.svg ネアンデルタール人由来のDNAは、現代の集団のゲノムで発見されておりそれは東アジア人で最も高く現代ゲノムの4%を占めています 2019年2月、科学者は人工知能(AI)を使用した遺伝学研究に基づいて、現代人のゲノムにネアンデルタール、デニソワ人、または雑種ではなく、 未知の人間の祖先種の存在を示唆する証拠を発見 デニソワ人は未知の人類と混交した事件により、ネアンデルタールよりさらに大型の人類であったと推定 現代の人間やネアンデルタール人とは完全に異なる、ホモ・エレクトス https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f7/Homo_erectus_tautavelensis.jpg デニソワ人DNAのメチル化を調べて額が狭く頭の形が平たいと推定した シベリアのアルタイ山脈にあるデニソワ洞窟に約90、000年前に住んでいたデニー(デニソワ11)は13歳少女で、父親がデニソワ人で母親はネアンデルタールだった デニソワ2(最も古い骨標本)が19万年前と推定され、堆積物から収集された古いデニソワ人のDNAは、217、000年前にさかのぼります デニソワ3のmtDNAは、現代人のmtDNAとは385塩基(ヌクレオチド)異なります、現代人とネアンデルタール人の違いは約202塩基です。 デニソワ人に由来する祖先は、アフリカと西ユーラシアの現代の人口にはほとんど存在しませんが東南アジアでは メラネシア人のゲノムの推定4?6%がデニソワ人に由来 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fd/Long_haired_boy.jpg パプア人は11%がデニソワ人に由来。遺伝子移入は、ニューギニアで3万年前に起こった。ネアンデルタール人とくらべ、最近の事件になる https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/14/Children-in-Papua-New-Guinea.jpg 学者はネアンデルタール人とデニソワ人が絶滅したのではなく、現代の人間集団へ帰化したとみなしてる 種として死ぬ数万年前に、ネアンデルタール人が西ヨーロッパから中央ユーラシアに移住した 白人と中国人のちがいは、ヨーロッパ方面にデニソワ混入はないためとされてきた デニソワ人が極東にしか存在せず、結果として中国南部や弥生人はデニソワ要素が混じった 縄文人は海をこえて伝播し5万年ほど孤立した集団で3万年前のデニソワ混入は回避、ここが日本人要素になった >>333 存在しないとかそういうんじゃなく コロナみたいなもんだよ コロナはウィルスが変異してその置き換わった配列の履歴みてどっから来たとか言われるだろ? K2の遺伝子の変異を持っている上でOやQが出てくる >>338 縄文にもデニソワ入ってるしネアンもアジア人遺伝子も持ってる 西欧のハプログループR1bは、イランや東欧に多いハプログループR1aの子系統 ヨーロッパが白人が本流だ、と刷り込みでかんがえると不思議だが 分子人類学的には もとはハプログループRの本家k2だと考えると、漢民族・弥生人の方が本家、白人は分家ということになる 4万年前の弥生人は金髪碧眼だったらしい そうすると田舎のイオンにいる、金髪に染めたヤンキー夫婦みたいなかんじか 2万年前の東アジア人がアメリカ大陸に行って雨リンドになるわけだから 今の平たい顔極東アジアンが異質なんだよ パプア人は金髪もいるし体毛が濃いのもいる アボリジニのほうがデニソワが濃いのかと思ってたがそうではないらしい 日本弥生人祖先であるK2aは、ルーマニアのオアーゼやシベリアのウスチイシムは肉を食っていて 白人の先祖である中国北京の田園人は魚を食っていたらしい げんざいモンゴル人は魚は食わないという、シベリア民も遊牧で暮らし魚は食わないようだ 遊牧やりだしたのいつからだろ ネネツとかが最初なのかな 最初の遊牧民社会は、オリエント南部で西暦前8、500年から、つまり1万年以上まえ ヤギの家畜化はイヌに次いで古いと考えられる。DNAの研究は、家畜化の日付として1万年前の証拠をしめす 羊の家畜化は9000年前、アジアムフロンが原種であるとの説が主流となっている。 らくだはなんとなくアラビアを連想するがアメリカ原産で北米のラクダは絶滅、ラクダの家畜化は5000年まえ 現在でもエニセイ川はバイカル湖を含めると世界最大の水量だが 最終氷河期、つまり1万年以上まえには シベリアを覆い尽くすスーパー巨大湖で北極海には流れず黒海に注いだとされる。 遊牧民は水を求めるのでとうぜん黒海からシベリア巨大海へと移動した 遊牧社会は無文字文化が多いので野蛮と思われがちだが、個人の自由権利が強いとか ・私有財産の権利の徹底、広大な土地とか5000頭の家畜とかの私有 ・異人種でも受け入れる、モンゴロイドのアッチラが騎士王として崇められる伝説 ・身分にとらわれず有能であれば高い身分に上がれる、フン族もゲルマン小王を重臣にした ・女性の身分が高い、月氏女王やマッサゲタイのようにのちのヨーロッパの女王につながる など明確に近代の萌芽が見られる ローマ帝国市民は末期にはあらゆる法制度や重税で暮らししくい世の中になっており みな金を貯めるのに精一杯で息を潜めて暮らしていた、今の日本のようだ フン族のほうが暮らしやすい、卑しいものでも王が気に入れば取り立てられる、などの理由で のぞんでアッチラに仕えるギリシア人は多かった ローマ帝国の崩壊でゲルマン民族の大移動になり、息苦しい古いローマ社会は壊れていくのだが >>348 華夏人の中にも匈奴として原野で気楽に暮らせるやって自ら長城を越えて匈奴人の仲間入りした者がいたのと同じだな ロシアがロシア語を喋る遊牧民(コサック)を作ったのと同じ発想が無かったんだよな 漢語を喋る遊牧民をオルドスあたりに配置して漢人のアイデンティティをもった遊牧部族を作っておけば歴史が違っていたろうに 蒙古人を圧倒して中央アジアくらいまで征服できたかもしれない 中山国は白狄、遊牧民が立てた国なので遺跡から豪華な天幕の柱などが発掘されてる 諸葛孔明が尊敬した楽毅も中山人だが、天幕にくらしていたとおもうとなかなか趣がある 天幕のくらしは、出入り口に妻子が寝て、奥には主人が寝るというものだそうで 奥には祭壇がある。アイヌも同じようだが我が国でいう仏壇、 江戸時代の家屋もそのような構造だつた ウクライナあたりにいたスキタイの末裔も居ただろう、コサックには てか、スキタイはイラン系とされてるけど、いつの間にかスラヴ系になっとるやんw 大きくくくれば印欧語の系譜だからいいんじゃね てかスキタイって謎すぎる アルタイ系とは明確に違う集団なんやろ てかイラン系遊牧民スキタイの影響を受けて成立した現地農民系の言葉がのちのスラブ たぶんギリシアとかローマとかあの辺の民族はみんなスキタイルーツなんやろ そのへんはスキタイよりずっと古い印欧語族からの分かれ ヨーロッパでバルト・スラブ系だけサテム化しているのはスキタイの影響 ポロヴェッツ人(東ローマではクマン人)は当時の東ローマ世界では最悪の野蛮人とされていた キプチャクの兜 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e9/0925_Kipchak_style_helmet_13th_c.JPG キプチャクは『青[または緑]目と赤い髪を』していた。主にコーカソイドであり、モンゴロイドの特徴が混ざっていました 発掘調査によるとポロヴェッツ人の遺伝子はハプロC、母系はハプロD4だった、極東の由来だったようだが ミトコンドリアD4と5は中央アジアから東アジアにかけてもっとも優勢なグループ、日本人母系の半分がこの系統に属してる かれらは11支族にわかれて、しばしばロシアの街を襲撃して、市民を奴隷にするのがなりわいだった また戦争で勝利すると文明人の君主に、ハーンのむすめを娶るように命じた 婚姻で和平する犬戎と西周の関係、あるいは匈奴に似てる モンゴル帝国が責めてきたとき、ポロヴェッツ人の7ハーン、ユーリーは対抗できなかったが 血縁関係にあるルーシと素早く同盟軍をくんで大軍を集めた モンゴルの将軍ジェベとスブタイは万人隊をひきいて、ルーシの大軍を紙のように突き破った やぶれたクマン人は奴隷に売られた この地はゴールデンホード、黄金の大群が支配した https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/b/b6/Semiradsky_Aleksandr_Nevsky_v_Orde.jpg 遺伝子解析結果によるとキプチャク汗国はポロヴェッツ人と異なっておりハプロR1とC 匈奴と同じタイプが締めてたという 日本人は源義経=ジンギスカンなど大陸とどっか血がつながってる幻想を持ちたがるが 現実に北条政子とかヒミコとかのほうがジンギスカンの妻ホエルンやアッチラの妻レナとつながっていた 右翼でもなんでもないが 人類の遺伝学の点においても、日本人(大和民族)は貴重な存在ではないだろうか このスレを読んでいてそう思った ユーラシア大陸で駆逐された古い型の遺伝子を現代まで受けついている存在 絶滅危惧種だ >>354 あと奄蔡はアオルソイに確かに比定できるのかな? ロシアの分析では森林スキタイや草原スキタイなど人種もわかれるそうだが ヘロトドスによれば東方は王族スキタイ、西側は農民スキタイ・農耕スキタイなどにわかれて奴隷のような扱いで農作物を生産して販売 おそらく被征服民キンメリア人や黒海に植民したギリシア植民都市の農民などだろう ギリシアのアテネに銀鉱山があった。メソポタミアの都市はおもに銀貨が流通していた メソポタミアの都市は大麦をつくり、羊毛を生産して加工、これを元手にして中央アジアと交易してた イギリスの都市も羊毛の加工輸出を重要な生業としたが、オリエントの都市の生産する羊毛は高品質だったらしい 質のいい毛織物はそう簡単に真似ができるものではなかった、これで遠隔地から輸入する価値が出た ペルシャ絨毯を考えるとわかりやすい。またイラン系の遊牧民は長い帽子を被る(現在のタジク人) ローマ人の服もトーガがしられてるが、これもウールだった。西洋の毛織物は頑丈で 軍服としてつかわれた。日本軍も羊毛を輸入してウールの軍服を頑張って支給した 漢の記録によれば匈奴も革の服と頑丈な毛織物だったようだ。遊牧民はつねに軍服(戎服)だったわけね >>358 この「キプチャクの兜」はどこの博物館にありますか。 キプチャクはテュルク遊牧民 つまりモンゴロイドなので白人要素が強いだけの黄色人 スキタイはイラン系遊牧民なのでモンゴロイド要素が強いだけの白人 スキタイは印欧語のスラブ民族の祖先なの? 居住地域がだいぶ重なるからね スラブ・バルト・ゲルマンの各語派には共通の要素が多く共通の祖から別れたのではないかという そのうちスラブとバルトはヨーロッパの大半が属するケントゥム語ではなくサテム語に属するが 東から来たイラン語派のスキタイによる支配の影響だろうと思われる >>361 奄蔡=アオルシ・アオルソイ、阿蘭=アラン、秦海=黒海ならば匈奴=フンはほぼ確定だよね? 洛陽長安がだいたい北緯36度くらいで京都や東京もそれに近い。黄河下流が農耕民族にとって住みやすい 大陸をさらに北に行くと代国あたりで農耕民と遊牧民が半々くらいになり、雁門で家畜の取引がされていた 北に行くほど植物相が貧困になり、羊などの遊牧が効率良くなっていく(というか遊牧しかできない土地) 古代ギリシア人の先祖は肉を引き裂いて食べており、民族的に魚は食わなかった、 つまりギリシア人の先祖は北方で羊などを飼っていた野蛮人だった 南下してだいぶたってから先進国エジプトをまねパンやら魚を食べるようになった ケレイトのトオリル汗はキング・ハーン、王汗の称号を与えられたらが、7歳のときさらわれてキビを臼でつく仕事をさせられた さいわいケレイトは富強な一族で父親が身代金を払い取り戻された チンギスカンも王汗をおじと称し、援助してケレイトの族長に立ててる、関東管領上杉憲政と長尾景虎の関係に似てるか この話からわかるように羊などの遊牧民はそこそこ物は豊か、金持ちだが、人口つまり労働力が足りなかった そこで7歳児をつかまえて下働きさせていた。さらに生活必需品も交易を通じて南方から取り寄せる必要があった ケレイト族が西方の交易権をもっていたからチンギスカンも王汗をたてて、おこぼれを貰おうとした 王様は強いことはもちろんだが文明国と市をたて、民衆が豊かに生活取引できる政治手腕も振るう必要があった トオリル汗はオン・カンとなってからとみに傲慢になりと、孫とテムジンの娘の婚姻をことわった 身分が違うということだろう。遊牧貴族にとって血がすべて むすめの嫁入りをことわるのは一族の侮辱である。これでオンカンは殺され、ケレイト部落はほろぼされた アッティラ大王もまずローマ帝国に婚姻を申し込み、うまくいかないとみるや襲撃した >>369 スラブ・バルト・ゲルマンの共通の祖はイリュリア人 イリュリア人はラウジッツ文化の担い手だとされるけど その東ドイツのラウジッツにスキタイが攻め込んだ時に 黒海北岸のスキタイ本国にダレイオス1世のペルシャ軍が 攻め込んだのでスキタイ軍はペルシャ軍と戦う為に ラウジッツから撤退した もしダレイオス1世がスキタイを攻めなかったのならば イリュリア人はみんなスラブ人になってしまい ゲルマン人は存在しなかったかもしれない >>370 中国が北匈奴を見失った時期って、具体的には何年ころなんだ? 北の単于が90年ころのアルタイ山脈の戦いで漢に大敗して以来、かと思いきや、 150年ころに烏孫からサマルカンド方面に呼エン王が西遷して勢力を保っていたって話もあるし 350年ころに奄蔡(アラン)王を殺した所まで追跡できているってのも聞いたこともある https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b9/Rider_in_Mongolia%2C_2012.jpg 遊牧民、ノマドの地球人口は20世紀で4000万人。商人や遊民を含む推定 ずっと減少してるというからむかしは倍近くいたのかな。日本のお百姓からすると現実離れしてるが大陸ではわりとメジャーな生活らしい ラーメンの起源はウイグル地方らしい なんにせよ西域だろう 最古の中華麺もそのあたりからでてる 長江は麺文化では無いし wikiの今日は何の日 6月8日 で、 フン族の王アッティラがイタリアに侵入(452年) だって 祝 阿提拉大単于! >>219 匈奴で冒頓が頭曼を殺したように 月氏でも王が交代したのかも おそらく頭曼が月氏を攻めた時に 当時の月氏王はわざと冒頓を逃がして 頭曼を殺させたのだろうけど その月氏王も同じく誰かに殺されたのかも 新しい月氏王は冒頓が人質時代に 敵意をもった人物なのかも コーランによるとアレクサンドロスの時代に東方民族の侵入を防ぐ長城がウラル山脈とカスピ海のあたりにできたはずだから フン族が入ってくるのはおかしいのだ スキタイの生き残りが意図的に呼び込んだのだよ 中国人はアッティラを阿提拉単于と表記するくらいに、フンは匈奴の末裔だって確信してるんだろうな てか、日本だけじゃね 不明としているのは 欧米も当然視してるし 冒頓ころの匈奴を、Eastern Hun や Former Hun のほうに表現してる事も多い 不明と言っても関わりはあるだろうけど離合集散の激しい遊牧帝国だけに同一とみなしていいかの基準が難しいという感じじゃないの? 冒頓単于の一族の血(あるいは政治的な正統性)を本当にアッティラが引いているかは誰にもわからないわけだし おそらく過去の血なんか引いてないと言うか年代もかなり下ったあとで 匈奴が滅亡してからだいぶたってるうえ、フン語=トルコ語と判明してるので トルコ系遊牧民の背乗りだと思う。烏孫ですら5世紀から6世紀にかけて消えてしまってる 南ロシアで漢の遺物が出てるってことはほぼ間違いないでしょ >>379 実際はアレクサンドロス達ギリシャ人らが 東方民族の侵入を防ぐ壁であったサカ族を弱体化させた 紀元前2500年にトカラ人がタリム盆地に移住して以来 大月氏がサカ族を中央アジアから追い出すまで 東方民族は2300年もの間は西方に侵入出来なかった トカラ人はイラン人に勝てなかったのでタリム盆地に移住した マッサゲタイがスキタイを西に追い出したり サルマタイがスキタイを征服したりしたけど これらはイラン系遊牧民どうしの争いだった チムールの頃にもサマルカンドなど中央アジア都市では、東方モンゴル貴族は人殺し 西方のイラン貴族は金にこだわり詐欺師が多いというような風評があった イラン古代宗教の拝火教では重要な教えとして、人から借金するなという徳目があった つまり借金すると人間は言い逃れのためウソを付くようになる、嘘は最も良くないということらしい。 借金というのは余剰の社会資本がないとできない 古代メソポタミアでも中央アジア隊商に投資して富を増やすことは励行された 日本人ビジネスマンがアラブのバザールなどで商人にふっかけられて値引き要求すると いきなり10分の1になったり苦労したようだが・・・古来より商売に関しては 中東は商人が往来して百戦錬磨の人たちだ 東アジア人が入り込もうとしても西方は詐欺師やふっかける商人が多く お人好しだとたちまち丸裸になってしまう。だから殺すしかなくね?ということになりそう 軍事力があればだけど。 >日本人ビジネスマンがアラブのバザールなどで商人にふっかけられて値引き要求すると >いきなり10分の1になったり苦労したようだが ハディースに禁止されてなかったか 古代メソポタミアで貧乏人の税金の支払いで大麦などを貸していて 収穫になったらムギ返してね、コレはその証拠ね、と粘土板に麦やら小石など張り付け 取れちゃったけど粘土板に凹み10個あるから、返せとかやっていて それが直接に楔形文字になったわけではないが、それが原型になったのではと言われてる 中国だと縄の結び目を10個とか5個やって、文盲の民は数をやり取りして記録していた >>388 ムハンマドは青い目の女奴隷を、暗い場所で黒い目にみせかけて高値に売りつける 詐欺するような悪徳商人を戒めていた 当時は白人奴隷がメッカの市でやっすい値段で売り買いしてたようだ >>379 セレウコス朝やグレコ・バクトリアなどギリシャ諸国とサカ族は敵対していたけど 月氏=トカラ人はパミール高原を越えてギリシャ諸国と交易していたようだ サカ族はギリシャ諸国と月氏に共通の敵として東西から抑え込まれていた 敦煌にいた烏孫はおそらくサカ族の一派で西から攻め込んできたのだろう 月氏がトカラで烏孫がサカというのは確かなのかな 漢がほしがった名馬やウマの飼育を得意としたのはサカなのか 漢が欲しがった汗血馬は ニサ馬とも呼ばれるから パルティア産だな 北方の馬より大型で速い馬 月氏=トカラ人は人種でいうと白色人種? で、サカ族=烏孫=チュルク系で、こちらは黄色人種か? う〜ん、パミール高原の西北の中央アジアは人種の交差点だな 中央アジア一帯はテュルク、モンゴル系が侵入するまでは印欧語族の白人中心 匈奴の冒頓単于は月氏の背後にいたセレウコス朝やバクトリアを 警戒して月氏に対する攻勢に慎重だったようだ セレウコス朝やバクトリアが衰退するとすかさず匈奴は 月氏に対して大攻勢に出た サカ族は匈奴と同盟して月氏を挟撃すべきだったけど バクトリアと戦うだけで手一杯だったようだ https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/68/KushanHead.jpg 月氏王は短頭だったらしい 西域の城塞都市は月氏が建設したようだが商人だったのか 主な交易品はやはり奴隷。胡人にさらわれた民は中央アジアに売られたのだろう 月氏をたたきつぶした冒頓単于は日本人奴隷を嫌って宣教師をおいだした秀吉の立場に似る 月氏王はフレディ・マーキュリーみたいだよな 匈奴は中国人を拉致して奴隷として月氏に売る側 奴隷はアルタイ山脈の金鉱山とかで採掘作業をしていたのだろうか 遊牧民は土木作業を嫌うから農耕民出身の奴隷が鉱山には不可欠 バイカル湖のちかくにある匈奴農場、明らかに中国人と匈奴人の墓が埋葬の向きも違うと このへんは匈奴ではなく丁零の生活圏なので、襲ってくる丁零から守備していた匈奴兵士と中国奴隷らしい そんな北に中国農場を建設したのは軍事基地も兼ねるが ミヌシンスク盆地も黒土はいい条件だが寒冷で人がいなかったようで補充しながら放棄される 労働者がいない農場がシベリアに沢山あったんだろう だいぶあとになるロシア人の農奴はシベリア開発に成功した ミヌシンスク盆地はしばしば「シベリアのイタリア」と呼ばれていました。黄土の厚い層を持っています。肥沃な土壌(チェルノーゼム)は黄土に形成されます 気候は果物やベリーの作物を育てることを可能にします。 さらに、ミヌシンスク盆地は大陸の中心にあり、海から遠く離れています。冬には、シベリアの盆地で「逆転温度」があります-逆転、つまり、高さとともに温度が上昇します。 ミヌシンスク盆地には小さな雪が降ります。春に水分が雪の保持し土壌中に存在する。 盆地の夏はとても暖かく、暑くて乾燥しています。メロン、ひょうたんもここで育ちます。シベリアイタリアは暖かい夏の盆地です ここに生息する魚は、腸チフスなどの感染の危険性を考えると、食べ物としてはほとんど役に立たない ?支単于は烏孫を撃破し、これに乗じて北の烏掲を撃って降し、その兵を使ってさらに西の堅昆を破り、さらに北の丁令をも降して 烏掲,堅昆,丁令の三国を併合した。?支単于は堅昆の地に都を遷した https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5b/MinusinskTatars.jpg 堅昆の子孫と言われるハカス >>399 フレディ・マーキュリーはパキスタンから英国に移民した2世だが 元はペルシャ帝国崩壊後、イスラーム化したイランから迫害されてパキスタンに逃れた 拝火教徒(ゾロアスター教徒) そうなると、フレディ・マーキュリーはイラン系の血なので 月氏の王の肖像画が似ているのは同じイラン系ということで当然という気がする ハンガリーあたりで発掘さる フン族も短頭があり、白人は頭蓋骨変形にちがいないとしてるが こういう民族もあるんでなんとも >>392 烏孫はパミールを超えて来たイラン系民族で 北西から来たサカ族ではないかもしれない タリム盆地の砂漠化が進行すると 楼蘭とか西域南道をトカラ人は放棄して パミールを超えて移住したイラン人が 于闐や楼蘭にオアシス都市を建設した 烏孫も西域南道を経由して敦煌にいたのかもしれない 西域北道の亀茲ではチュルク化ウイグル化するまで トカラ語が話され続けた 西域南道のトカラ農民が砂漠化で遊牧民化したのが月氏 ベヒストゥン碑文 ダレイオス1世の碑文は地上100m以上の高い場所にあり同じ内容の長文のテキストが、エラム語、古代ペルシア語、アッカド語 (新バビロニア語)という3つの異なった言語で書かれている 最後尾にいる9人目が塞王(サカ王)で大きな帽子をかぶった巨人としてえがかれる https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/dc/Bisotun_Iran_Relief_Achamenid_Period.JPG >>407 話は脱線するが、紀元前2500年前ごろから紀元0年ごろにかけて中東から中央アジアにかけて急速に乾燥化 砂漠化したね 気候変動がったみたいだ、もちろん、人類がこの地域の温帯の森林を伐採しつくしたという罪も原因のひとつだが そのせいで、アーリア人が中央アジアを脱出してトルコ、ペルシャ高原、インド北部や欧州に散っている 中国大陸の民族移動にも影響があったんだろうな イラン文明が広まった一つに地下水路がある、イランで5万本もありアフガニスタンや中央アジアの乾燥地帯に蜘蛛の巣のように無数に掘られてる 東は月氏が掘った新疆ウイグル地区で見ることができる、 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/78/Turpan-karez-museo-d02.jpg 深さ20 mで、4人の専門家が1日あたり40 m(130フィート)の長さを掘削できる 工法は簡単ですが、カナートの工法は地下地質の詳細な理解とある程度の工学的洗練が必要で地下水面の位置を決定し 角度が急だとカレーズは侵食して崩壊、ゆるいと水が流れないので、水準器などを要する 土壌の質の不適切な評価は、構造的破損、貴重な時間とお金の損失につながる土の種類によっては、トンネルの土台を強化する カナートの構築にはかなりのエンジニアリングスキルが必要でした 建設にはわずかな労働力しか使用されませんでしたが、長い期間使用されました https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/52/Qanat_wind_tower.svg 吹き込まれた砂を最小限に抑えるために、垂直シャフトを覆う 水路のつめたい気流を利用した、風の塔を作り乾燥地帯でも快適なエアコン施設として利用する https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/68/Edificios_en_Yazd%2C_Ir%C3%A1n%2C_2016-09-21%2C_DD_17.jpg >>1 支那震旦國皇代歴記 ・殷は倭なり。 ・「東胡」「匈奴」も、倭国と同祖・同族という。 ------------------ 中国語より日本語に似てるじゃんw漢文 でも、漢字習った言ってるぞ?どういうからくり? →倭国と日本国は別の国 つか、何で渡来秦人がクッスニー神社(久須須美神社)なのか? それが気になる。もろ、🇭🇺ハンガリー語?! 秦王朝って匈奴系だったとか? くしくもウクライナは匈奴がフン族となって再登場した場所 いま、蛮族ロシアの攻撃を食らってるとは天国のアッティラもびっくりしてるだろう >>412 いつも気になっているのだが BMACについて書かれたものが見当たらない 6世紀ごろ突如として世界史に姿を現し、現在のウクライナやハンガリーなど欧州の一部を支配した遊牧民族アヴァール人の遺体のDNA解析から、中国の西域をかつて支配し、滅亡した幻の王国「楼蘭」の末裔だったことが判明。 >>420 その楼蘭の王国の民族はシナ人になんって呼ばれていたの? >>420 ウィキペディアだと 烏桓の末裔ではないかとも書かれてたな 烏桓と楼蘭になにか関係は? まあ烏桓も仮説にすぎないようだけど 教科書的にはアヴァール人は柔然の末裔ってされてない? 柔然(漢音:じゅうぜん、拼音:Róurán)を 楼蘭(ろうらん、樓蘭、英語:Loulan)と 間違えたそうな なーんだ 桜蘭は印欧系白人部族、柔然はアルタイ系と思われていたはずだからおかしいと思った アヴァールが柔然ならば、名前の由来は簡単に推測できる 古代の漢語で烏恒はアウァールと発音する 漢語は静音と濁音を区別しない つまりアヴァールは柔然の末裔で、柔然の中心部族は烏丸だった 東ローマ人はアヴァールをジェジェンと言っていたが、それは柔然の事だったわけだ ロマンがあるね〜 古代ユーラシア大陸の東と西の空白をうめる遊牧民の壮大な物語 これでシナ人と記録と古代ローマ人の記録の突合ができたわけだ 最近の研究によると 柔然にはモンゴロイドの血が混じっているのは確かなようだ ただ基本的には混成軍団だったらしいけど 匈奴=トルコ人だとトルコは認定している トルコ成立歳は冒頓単于が即位した年 トルコ軍設立者は冒頓単于だとトルコで認定されている 丁零=トルコ 匈奴=? 東胡=モンゴル 月氏=トカラ >>429 現代トルコ人はちょっと無茶すぎる あのチンギス・ハーンもトルコ人認定しているから あと、チムール帝国のチムールも モンゴル人が知ったら怒るぞw 最近の論文によると フン人は匈奴と遺伝的には強い関係があることが判明した モンコ゜ロイドをベースにややコーカソイドが混じっている アヴァール人も同様だったらしい もう疑いないだろう 丁零なんてコーカソイド要素ほとんど無いだろ まだ羌族の方が楼蘭あたりのコーカソイドと混血してそう フンの子孫はどこに行ったの? アヴァールに吸収された? >>434 フン族は東ヨーロッパの白人(R1aやR1b)と中央アジアのトルコ系民族と広範囲に混血して 民族として消えた 元々はモンゴル高原北部を起源とする黄色人種(匈奴)だったが 長い年月をかけて西方に移動する過程で多くの白色人種と混血して ローマ帝国を侵略する頃にはすでに黄色人種の血も薄まってきていた 遊牧系モンゴロイドは繁殖力が低い スラブ人とは比べ物にならない アヴァールもマジャールもモンゴロイド系だったが スラブ人に飲み込まれて遺伝子は現代人のなかに痕跡ぐらいしかのこらない イラン系遊牧民とはここが違う フン人もアヴァール人も残念ながら男性直系の子孫は ハンガリーでは皆無に近いのが実状 匈奴の末裔アッチラがフランスくんだりまで攻め込んだと 思うと胸熱だよな スキタイが都会なれして弱体化したから 同じ習俗の中央アジア人とかを呼び込んで略奪させたんじゃね その後の遊牧民がウラル川渡河できなかったのに フン族が単独で可能だろうか? やっぱ誰かが呼び込んだんじゃないか モンゴルの習俗も本来はスキタイが3000年前からやってたこと 馬にのって弓矢、血を飲むのとかテントぐらしとか フンに玉突きで押し出されたゴート人ってどの辺にいたの? その他の諸ゲルマンもウクライナ? カスピ海沿岸にまではいなかつた? 諸ゲルマンはほとんどがドイツ周辺だろ ゴートは今のポーランド沿岸部あたりから川を遡ってウクライナまで広がった ゴート人の残党が17~18世紀頃までクリミア半島に残っていた 黒海とカスピ海の間にいたアランは玉突き移動しなかったのか? 聖書によればLugiiと呼ばれたアシュケナズがヴァンダル王国作ったゲルマン >>451 イスラエルかハザールじゃねえ? フンはソグディアナ辺りに長くいたっぽいけど、当地に残ったのがエフタルなんかね フン人がモンゴル高原あたりからの遊牧民が主体の集団は事実らしい ただし北匈奴の末裔なのかどうかはまだ未決着 後漢時代、北匈奴は呼衍王と呼ばれる王がトップだったっぽい >>454 サンクトペテルブルク出身=匈奴じゃなくサーミ人だな 北部ロシア人の何割かはYハプログループがNだからな サーミ人と血統的つながりがあるだろう 南部ロシア人でNはゼロに近いからロシア人の血統はけっこう複雑 ブルガール人はフン族の中核だったとウィキに書いてあったけど マジなのこれ じゃあフン族の中枢というか支配層はテュルク系か 冒頓単于(Mete/Modu)は、英語でションヌではなくイースタン・フニック・エンペラーみたいに書かれてあることも多いね フン族の中核というブルガール族は羯と関係のある部族だという ブルガール族は攣鞮氏どころか右賢王左賢王になれる部族ではなかったろうから アッティラとその先祖も単于は名乗ってないだろう >>453 エフタルも支配層はテュルク系だというな 配下はイラン系住民が多いみたいだけど ニチユ同祖論とか義経チンギスハンとか光秀天海説とか トンデモはロマンがあってよろしい 古代の遊牧民が築いた帝国の秘密、DNAで解明 https://www.cnn.co.jp/fringe/35202772.html 国際的な科学者チームがこのほど、匈奴の支配地域の西側にある墓地2カ所についての遺伝子研究を完了した。 現在のモンゴルに位置するこれらの墓地は、それぞれエリート官僚と地元の有力者のために作られたものだ。 科学者らは両方の墓地に埋葬された17人の人物の遺伝子情報を解析。そこに「極めて高いレベルの」遺伝的多様性が あることを突き止めた。これにより匈奴の帝国は多民族、多文化、多言語だった公算が大きくなったという。この新たな 研究に関する論文は14日、科学誌サイエンス・アドバンシーズに掲載された。 個別の共同体に見られるこうした遺伝的多様性は、匈奴の帝国が単に共通の利害で結びついた同質の集団では なかったことを示唆する。 「匈奴が勢力を拡大した過程について、より深い知見が得られた。彼らは全く異質な集団を統合し、婚姻や親族関係を 利用して帝国を建設していった」。論文の上席著者を務め、ソウル大学校で生物科学を専攻するチョン・チュンウォン 准教授は、報道発表の中でそう説明した。 研究対象となった個人の墓のうち、最も高位の部類に入るものは女性を埋葬する墓だった。この点から、匈奴の社会に おいて女性が特に強力な役割を担っていたことが示唆される。 具体的な遺伝子の種類を書いてくれなくては情報としてイマイチだな >>470 東アジアの乾燥地帯を支配した匈奴がそのような遺伝的多様性を示すということは、 黄色人種と白色人種の混交された集団だったのかな 民族で言えば、イラン系のソグト人からチュルク系、モンゴル系の各民族まで。 一方、中原の黄河より下の華中、華南は漢民族(黄色人種)が人口では圧倒的で こちらは古代から遺伝的多様性はないということか… >>469 書いてる奴ら糞やろ? 嘘つきしかいない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる