東洋史23
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>>351
日本史や東洋史にもいるよ。
マーチ、ニッコマなら上等じゃん。
それがどうした? 嫌煙がどうのこうのとつべこべ言ってないで、この研究書乗り越える研究でもしなよ。
https://www.amazon.co.jp/清代たばこ史の研究-田尻-利/dp/4811903013 普通に10連休の大学ってどれくらいあるんだろう。
それにしても学生は来るのだろうか。 >>349
>安くない学費払って院生でいるメリットが大分減った。
そうなんだよな〜。
アカポスが約束されるわけでないし。 >安くない学費
学費免除とか特待生になれていない段階でもういろいろ無理だろ ところで、一橋が公募始めた「東洋経済史」ってまた中国? >>358
うちの院もいわゆる特待生枠が「若干名」あるけど、入院者数が少ないので希望すればほぼ通る。
正直、就職活動に失敗して入院した怠惰なデモシカ院生に使わせるのはもったいないのだが、
今は院生を確保するのに苦労してるから仕方ない。 >>360
別にかまわないじゃないの、使わせたって。
ビギナーズラックに過ぎないのに、自分は勝負勘があると勘違いして破滅する馬鹿とおんなじで、
特に努力しなくてもそこそこの生活が保障されているぬるま湯的な環境に浸っているうちに
人生棒に振るのは、今流行の「自己責任」なんだから。
不要になったら使い捨てにされる運命だということを肝に銘じている院生一人でも見つけたら
それで十分。 そんなレベルの大学院からまさか研究職は目指さないだろうから、話の流れとは無関係。 枠が余ってるのにその枠を使わせないってのは、まあ意思表示にはなるかもね。
教員側の評価はこの程度だから、あとは自己責任だよ?、みたいな。
面と向かって「お前さんの能力だと無理だからさっさと就職しなよ」と言うと
今はアカハラになりかねん。 アカハラが怖いので、キャンパスの外れに穴を掘って大声で学生の悪口をw 別にいいじゃないの。
新設のつもりで言ってやっていることを「アカハラ」としかとれない奴がどうなったって。
自滅してくれた方がこっちの手間がはぶけるよ。
本当に研究者としてやっていける素質があったら、どんな困難でも自力で乗り切れるんだから。 >>363
最近の学生は賢いから、そもそも大学院なんか
受験しませんって。厄介なのは日本居座り目的で
受験してくる某国留学生だよ。 保身しか考えない指導教員から引導を渡してもらえず、素質もないのにズルズルズルズルこの世界に留まって、
気づいたら40才過ぎても業績がほとんどなく、当然大学に就職もできず、年齢的に他の道に進むこともできない、
という人を何人も見てきたよ。自己責任といえばその通りだが、やはり何か「諦める機会」があるべきだと思う。 無責任承知で言うけど、ちゃんと研究して常時論文を書いてる人なら就職できなくてもこの業界にとどまっていてほしい。
しかし現実には、アンタなんでまだここにいんの?と問い詰めたくなるような専業非常勤の人が多いんだよなー。 >引導
私はOD時代に師匠にまさしく「引導」を渡された。
師匠は面倒見のいい人だったのでかわりに研究関係の事務職を紹介してくれたんだが、
私は研究職に未練があったので断った。事務員になってしまうともう大学教員にはなれないが、
非常勤でも一応研究者を続けていればまだ可能性はある、と思ったから。
それで事実上の破門状態になったので以後出身大学のバックアップは一切受けられなくなったけど、
なんとか二年後に公募を通って大学教員になれた。まあ、そういう例もあるってことで。 >>368
>ちゃんと研究して常時論文書いている人
それで就職できない人はまずいません。 >>369
自分だったらどうしただろう。
多分、事務員になってただろうな。
今だったら間違いなく事務員の話を受ける。
とりあえず経済的安定を選ぶ。 てか学生の将来性を予見できる達人先生なんてほとんどいないんじゃない?
「自分は予見できると思い込んでる人」はたくさんいるみたいだけど。 >>369
おめでとう。あなたは見事に師匠を見返してやったね。
私も同じようなことしたからその気持ちよく分かる。
これが実行できた人間は滅多にいない。
自分に引導渡した奴の「見込み違い」証明できたときほど
小気味よいことない。
でも、メンツ丸つぶれにされた母校からはこの先原稿依頼一切来なくなるよ。 >>373
ありがとう。でも師匠にはそんなに恨みはないのよ。
悪気があったとは思ってないし、研究者としては尊敬してるので。
しかし、師匠の愛弟子だった当時の助(准)教授には徹底的に嫌がらせをされた。
師匠が退職してそいつが教授になってから、もう母校とは一切関わらないと決めた。 自分が研究者になれる人間かどうか、結局自分で判断するしかないよ。
でも、いい歳して論文数が一桁しかないようなのが未練がましく学界にしがみついてるのを見ると、
自分で判断できない連中も多いんだろうとも思う。難しいね。 >>374
あなた、私の境遇と実によく似ているね。
お互い、頑張って「目の上のタンコブ」になって生き残りましょうや。 質問があるのですが、大韓帝国の名前の由来って分かりますか?
山川出版社の日本史の教科書には大日本帝国への抵抗から名づけられたと
ありますが事実でしょうか? 学界ではぶられてる鼻つまみ者が孤高を気取ってるのが笑える 博士号でも生活困難 非常勤から抜け出せない「貧困ポスドク」の実態
ttps://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190501-00000002-moneypost-bus_all
大学院を卒業し、博士号を取得しても常勤の職にありつくことができない──。
いま、そんな“高学歴ワーキングプア”として苦しむ研究者が後を絶たないという。
平成に入って「大学院重点化」の施策が講じられて以来、博士課程修了者の人口が増加する一方で、
研究者の就職難という問題が浮上している。
歴史学系で非常勤講師を続けてきた研究者Bさん(男性・35)は、今年から非常勤講師の契約が切られたという。
「僕は東京大学の大学院を卒業してから、昨年まで非常勤講師を掛け持ちしてきました。
講義は1コマ5000〜1万円あたりが相場。週にどれだけ頑張っても5コマか6コマが限界です。
複数の大学と契約できていた年は良いのですが、突然、次年度の契約を切られることもある。
非常勤講師は先輩研究者や教授からいきなり頼まれることもあり人脈がものを言う世界ですが、
仕事が振られなければ収入もなくなります。
でも、コマが増えても地獄。非常勤のコマ数が増えるとその準備に時間を取られ、
自分の研究時間が確保できなくなる。とくに500人クラスの講義を複数担当すると、期
末には膨大な量の採点が待っている。周囲の研究者は“採点地獄”と呼んでいます。
そんな有様ですから当然、研究成果も出せません。学術誌への査読論文の掲載数、学会発表、
書籍の執筆など成果の蓄積がなければ常勤職にはつけません。食べていくために非常勤を掛け持ちすると、
自分の研究者としての未来が先細っていくジレンマがある。今年は、中学受験専門の塾に面接に行って、
そこで新しくアルバイトを始めました」(Bさん) 教育重視の方針で研究が進まなくなった大学教授のジレンマ
ttps://www.moneypost.jp/507662
「2000年代半ばに文部科学省から通知が出て、一気に状況が変わりました。教授は半期で講義を
15回やることが義務付けられ、休講したらその分必ず補講をやらなくてはいけません。
講義要項には、前後期30回分の授業内容を1回ずつすべて書くように命じられており、
そこから大きく逸脱することは許されません。『話が長くなったから、今日はここまで』
といったスタイルはダメということです。
授業では出欠を必ず取るように学校側から言われています。私は今年、授業を週5コマ担当しており、
出席カードをカウントするのも教授の仕事。これだけでも相当な手間です。さらに、学生による
授業評価アンケートが半期ごとに行われ、授業が講義要項通りに進んでいるか、授業が分かりやすいか、
内容を理解できたか、話が聞き取りやすいか、授業内容に満足しているかなどが評価されます」
考え方によっては、このような取り組みがこれまで行われてこなかったことの方が問題かもしれないが、
あまりに“お客様目線”を重視すれば、教える側の負担は飛躍的に増大する。その結果、
Oさんは自分の研究がほとんどできない状況に陥っているという。
「かつては、授業に来ない生徒は“ほうっておく”のが当たり前でしたが、今ではそんなことは許されません。
ゼミの欠席が多い学生には連絡しなくてはいけませんし、悩みを抱えた生徒が研究室にやって来たら、
それに応対するのも仕事です。大学教授とは言っても、カウセリングの知識など一切ないのに、
悩みを抱えた学生にどう対応したのかも評価の対象となります。
講義や研究以外にもまだまだ仕事はあります。会議や打ち合わせもありますし、学校からの要請で
メディアの取材に答えたり、地方に行って講演をしたりといった仕事もあります。
教授になれば複数の学会に所属しており、その委員などの仕事も回ってきます。そういったことに忙殺されて、
結果的に私はこの数年間で論文を数本しか書いていません。1本も書かなかった年もありました。 >>378
何とでも言えよ。学界?メダカじゃあるまいし、そんなもの気にしちゃいないよ。
科研予算は潤沢に貰えているし、著書論文もちゃんと刊行しているよ。
頭のいかれた研究者になれる見込みのない大学院生は絶無だし、
可処分時間はふんだんにあるから。
>>380
50代でそうなった奴なら二人知っているけれど、どっちも自業自得だったよ。
気の毒だけれど、救いようがない。35歳でそんな境遇になった人間なんて実在しているのかな?
>>381
この程度の教育負担がこなせないようなら、研究者向かない。 >>380
もうポスドクになっちゃってる人はともかく、今の現役院生(二十代)はまだ間に合う。
教員免許を持ってない学生には在学中に免許取らせ、
博論やアカポスが無理そうな学生には引導を渡さないとかえって気の毒だ。 >>380
この手の記事はよく見かけるけど、ほとんどが肝心の業績について触れてないんだよね。
取り上げられてる人が研究者を目指してるのに困窮してますというだけで、
その人が本当に研究者を目指す資格がある人なのかどうかがわからない。
たとえば35歳で研究業績が5本しかないなんてオチだと、同情する気にもなれない。
最近話題になった日本仏教史の人の自殺の記事はその辺がちゃんと言及されてて、
あれにはさすがに同情した。 40歳までに、論文、研究ノート、書評、一般向け記事、辞典項目、などなど何でもいいから10本以上出すこと。
それができそうにないなら自らに引導を渡して研究の世界から身を引くこと。
10本じゃハードルが低すぎだって? ごもっともだが、それすらクリアしてない40代専業さんが多いんでね。
足切りラインは当面このくらいで十分だと思うよ。それだけで業界の風通しがずいぶん良くなる。 >>385
>35歳で研究業績が5本しかない
その年齢で5本あれば大したもんじゃないのか?
ただし、掲載先が『史学雑誌』とか『歴史学研究』『社会経済史学』レベルであればの話だけど、
>>386
>40歳までに、論文、研究ノート、書評、一般向け記事、辞典項目、などなど何でもいいから10本以上出すこと。
そんな低いハードルでいいのか?海外投稿含む査読雑誌論文だけで10本となると、ちときついと思うけど。 >学界?メダカじゃあるまいし、そんなもの気にしちゃいないよ。
私も同じ気持ちだなあ。一応研究職に就いてるし、論文を発表する媒体は確保してるし、
少数だけど研究仲間もいるし、今の勤務先より上位の大学に移りたいなんて野心もないし、
学界にハブられてもべつに大した実害はない。
それに、今の学界の中心にいるのは、私が若いころ散々足蹴にしてくれた人たちなんでね。
正直顔も見たくないんですわ。 私も若いころはバカ正直だったので、自分が就職できないのは業績がないからだ、
実力がないからだと、反省材料にして向上しようとしてたよ。ほんと真面目だったよなあ。
しかし、どう見ても自分より出来ない人間がつぎつぎ就職していき、
今そいつらのその後の業績をみても明らかに私よりずーっと貧相なまま。
日本の東洋史学界は腐ってる、と確信したころ東洋史業界の力関係が作用しない
ところで運よく就職できたので、もう学界とは距離を置くことにした。
あなたたちが私を嫌いなように私もあなたたちが嫌いなので、もう関わらないでいきましょうや。 >>388
>>389
へえ、似たような境遇の人、意外といるんだねえ。ちょっと驚き。 俺は自分ではそのつもりはないのになぜか学界に背を向けた人間だと思われてるみたい。
そりゃ、学務と家庭の事情で学会の大会には出席できないことが多くなってきてるけど、
ある学会では理事を、他の学会では編集委員もやってるし、査読も毎年何本もやってる。
そんだけやってんのに(もちろん全部ボランティア)まだ足りないのか。勘弁してくれ。 >>389
>日本の東洋史学界は腐ってる、
全くその通りで、昔も同じようなこと一杯あったよ。
差し障りあるから具体例差し控えるけれど、
「印象派」「野獣派」と呼ばれて馬鹿にされ、嘲られていた芸術家グループが
その後の世界画壇を席巻し、
逆に彼らを馬鹿にしていた当時の画壇の主流派は今では忘れ去られてしまっている。
同じ事がこの学界でもきっと起きると信じましょ。 >>386
問題は、その程度のハードルすらクリアしてないのに大学で職を得てる人間が多いことなんだよね。。。 そんな程度の人にすら公募で負ける人間もまた多いんだよね。。。
底辺の人生って惨めだね。。。 さすがに十本は書いてるけどほとんど紀要と同人誌なんて人もいるしな。
中でもびっくりしたのは、前スレで話題になってたこれ。
837世界@名無史さん2019/02/12(火) 00:07:25.110
researchmapの業績欄に私家版の論文を載せてる先生もおられるから問題なし
838世界@名無史さん2019/02/12(火) 09:34:22.640
しかも出版どころか公開すらしてない。
しかも日本中のどの研究機関にも置いてないから誰も読めない。
しかもそれ以外に「業績」がほとんどない。
しかも宮廷教授。おまけに研究に専念できるはずの研究所勤務。 >>395
これでどうやってあの貝塚茂樹の後任になれたの?! 公開してないものを研究業績と呼ぶのか?
てかその論文とやらは本当に実在するのか? 一般公開してない文章なんて論文とは呼べないだろう。
もしそんなのを研究業績として科研の申請書に書いたりしたら、もはや研究不正に近い。 誰か知らんけど、こういう場合責められるべきは当時の制度なり人事責任者であって、
採用された当人ではないんだよな。 >もはや研究不正に近い。
研究業績は欲しいけどまともな論文を書く能力がない人間は、
所謂ハゲタカジャーナルに載せるか、自分で同人誌を作って載せるしかない。
どっちもグレーゾーンだが不正行為とは言い切れない。
しかし、同人誌を「作ったこと」にしてそこに論文を「載せたこと」にして研究業績として扱うとか、
不正に近いというかズバリ不正としか思えないんだが。なんで問題にならないんだろう。 >>399
インチキ臭いエア業績掲げてる当人は悪くなくてそいつを採用した奴が悪い???
何その謎理論。 >日本の東洋史学界は腐ってる
日本の東洋学のトップ研究機関からしてこのありさまだもんね。
魚は頭から腐るってのは本当だな。 研究で身を立てようと考えてる学生さんは、東洋史なんて分野は選ばない方がいいよ。
頑張って研究して優れた論文書いてそれが評価された結果アカポスを得て研究を継続しつつ
後進を育成する、という研究者として当たり前のキャリアパスがまったく成立していないので。
上で批判されてる人は決して例外じゃないんだ。似たり寄ったりの人はいくらでもいる。
東洋史がとても面白く意義ある研究分野だということは二十年近くやってきた私はよく知ってる。
しかし業界がここまで腐りきってしまうと、とても十年や二十年で回復するとは思えないし、
むしろさらに悪化していく可能性が高い。いつもは授業と学務に追われてそういうことは
あまり考えないんだが、連休で心に余裕ができてあらためて考えてみると絶望的な気分になる。 全国100以上の研究機関が所蔵してる学術誌ですらオープンアクセス化してないと非難されるご時世なのにな。
所蔵してる機関がゼロでウェブ公開もしてない「雑誌」に「発表」した「論文」が「業績」になるのか。
そうやって全部カッコ付で言わなきゃならんような代物が認められてる「学界」とかもう終わってるだろ。 >>399
>責められるべきは当時の制度なり人事責任者であって、 採用された当人ではないんだよな。
そりゃ違うだろ。この論理が正しいなら、桜田五輪担当大臣本人は辞任する必要がなかったことになる。
>>403
そもそも日本はアジア大陸とどういう関係を持っているのか、
相手の出方を慎重に見極めるために、何を知っておかなくてはならないのか。
こういう当たり前な問題意識が、今の専任になさすぎるんだよ。
ただ、近世以降だとグロヒスに中国取り込むことで漢文訓読オタクを排除できるんだけど、
古代のこの事例みたいなのは想定していなかったなあ。 >古代のこの事例みたいなのは想定していなかったなあ。
そらそうだ。こんなトリック普通だれも思いつかんわ。俺も初めて知ってびっくりしたよ。
えーっこんなのアリなの? 一部でもプリントアウトすればもう雑誌ですよ。発行部数が少ないだけで。
それ以前にパソコン上にデータがあればもう電子雑誌ですよ。配信先が少ないだけで。
だから雑誌掲載論文として研究業績にカウントするのに何の問題もありません。
お前らこれで納得できるの? >>380
> 学術誌への査読論文の掲載数、学会発表、
> 書籍の執筆など成果の蓄積がなければ常勤職にはつけません。
若手の叫びが空しく響くね 抜き刷り形式にして、専門の近い研究者には配ってるとか? >>407
この男、一体誰の弟子だったの?伊藤道治?
指導してくれと頼む院生なんて誰もいないだろうから、やりたい放題の
月給泥棒じゃないか?所長一体なぜ辞めさせないんだよ。 >>408
>一部でもプリントアウトすればもう雑誌ですよ。発行部数が少ないだけで。
>それ以前にパソコン上にデータがあればもう電子雑誌ですよ。配信先が少ないだけで。
ポルノの世界なら絶対通用しない商法だよ。 >指導してくれと頼む院生なんて誰もいないだろう
あそこの所内報の最新号を読んでみなよ。
研究班の参加者がとうとう自分以外一人もいなくなったそうな。
一人なのに「班」。出版してないのに「雑誌」。
結局この人は東洋学者として長年にわたって日本で最高の地位を
与えられながら学界にどういう貢献をしたの? >>414
連休明けに勤務先の図書館で探して読んでみます。 若い頃に助手に採用されたというのがすべて。それだけでもう一生安泰。
あそこはそういう体質。 元助手仲間で本国と衛星国で幇みたいなものを形成してるからね。
異分子の侵入は許さない。一度それで理不尽な弾かれ方をしましたわ。 似たようなのは東にもいたけどな。
大学附置研究所のスタッフという研究者として絶好の地位を得ながら,
生涯で論文と言えるものは一桁しか書かなかった奴が。 >>416
読んだ。かつて彼の所に留学していた人がいたみたいだけど、その人今どうなったんだろ。
東横綱研究所にも似たようなことしていた人いたな。弟子だった人は、40歳過ぎて北陸に
就職したけど。
>>419
それらしい人、二人知っている。
あと、あそこの助手でその後、関東の某市立大学学長になったけれど、
デタラメな学術書を書きまくったいい加減なのもいたな。 >>420
その代わり、指導教授の命令には絶対逆らえない。
指導教授のお気に召さない研究テーマは絶対選べない。
指導教授が行けと命じられたら、どんな僻地三流大學(今ならFラン大と言う)にも
就職しなくてはならない。そこはパワハラ、ストーカーし放題の無能教授、
卒業後、企業に就職できても課長補佐で定年が関の山の学生がうようよいる。
これに堪えなければならない。
しかも、お前さんの学力だったらそもそも大学院進学は不可能。
これでもよかったと言えるのか? >指導教授が行けと命じられたら、どんな僻地三流大學(今ならFラン大と言う)にも 就職しなくてはならない。
非常勤暮らしの私は、市内の高い家賃が払えず三年ほど前に郊外の安アパートに引っ越した。
僻地に住んで三流大学の非常勤をかけもちして暮らす日々。
僻地だろうが三流だろうが、常勤職を教授が与えてくれるならやっぱりいい時代だよ。 >>423
そこから這い上がるために便りになるのは自分の知恵と才覚だけだよ。
「いい時代」に僻地三流大學(当時の基準で)に飛ばされ、そこから最後に文化勲章受章者 にまでなった人だっているんだ。ちなみにそのお方は、27歳で博士論文仕上げている。そして、数年かけてこれを改訂して今も読み継がれる著書にしているけど、お前さんはどうしている?
東洋史に限らず、大学教授需給システムが「指令経済」から「市場経済」に移行したんだから、昔以上に努力しなくちゃならないだろ。 自己評価と他者評価のギャップに苦しむのは人の世の常。
本当に充実した仕事している人は、こんな場末でマウントしない。
そっとしてあげよう 結局、指導教員の口利きで就職できたのに逆恨み。
滑稽。 この世代には、恵まれた時代環境を、自分の実力と勘違いしているのが多い印象があるな 這い上がるためにずっと努力はしてるんだけどな。
業績だって同世代の中では多いほうだし、それなりに評価もされてるつもり。
自分で言うのもなんだが人格的にそう難があるわけでもないはず。
それでも公募では面接にさえ進めない。ほんとうにどうすればいいんだろう。
連休中は特にそんなことばかりウジウジ考えてしまう。
天気もいいし近所の田園まわりを散歩でもするか。「僻地」暮らしの唯一の楽しみだしな。 年齢だけの問題とも思えないけどなあ。
最近でも、私が落ちた公募で博士号もなく論文数は私の半分以下の人が通り、
さらに査読誌論文ゼロの人が公募も通さずいつのまにかコネ就職してたんだが、
どちらも私の同世代だ。しかもふたりとも学界ではほとんど評価されてない人。 >コネ就職
某大学の准教授君はSNSで自分がいかに学界内で孤立した孤高の存在であるかを一生懸命アピールしてるんだが,
彼が今どき公募なしのコネで就職したことは学界中が知ってるので,本人の知らない所で日々失笑を買ってる。
まあ自分がコネだけで来た人間であることを自覚してるからこそ,そういう必死の「歴史修正」に走らずにはいられないのかもな。 「自称・孤高の研究者」なんて、殺人現場の壊れた時計以上にウサン臭いわな >学界ではほとんど評価されてない
「評価される=就職できる」なんだから評価されてんだろ
評価されてるのに就職できない、なんてのは、君、それは、アレだよ。
周りが気を使ってそういうふうに言ってあげてるんだよ… >>429
需要にマッチしていないからでは?
昔のマルクス経済学者と同じ運命をたどっているのが今の日本の東洋史だ。 >>427
>結局、指導教員の口利きで就職できた
行きたくないと、断っていたところに無理矢理入れられたよ。
そこで待っていたのは無能教授のストーカー行為とパワハラの嵐だったな。
それでも文句言わないで定年まで過ごす気なんかなかったよ。
だから結局、自力で今の勤務先に脱出した。
その体験踏まえて何度でも言う。
頼りになるのは自分の努力と才覚のみ。
天は自ら助くる者を助く。 >行きたくないと、断っていたところに無理矢理入れられたよ。
でも最終的にはそこに就職したんだよね。
本当に嫌だったら断ることもできたはず。
そこに就職斡旋してもらったからこそ、第一関門クリアで、今の大学に移籍で来たんじゃない? あなたも努力したんだろうけど、最初に常勤教歴つけてくれたのはお師匠さん。 >>437
>本当に嫌だったら断ることもできたはず。
その通り、断ったよ。そしたら親元に脅迫状を送りつけてきやがった。
脅迫状の送り主は「お師匠さん」じゃない。
これで、泣く泣く「就職」させられた。同時に親子関係破綻したな。
最初の時も移籍したときもそうだったけど、オファーなら複数来た。
結局、最初に本当に行きたいところには就職させて貰えなかった。
なぜなら、「お師匠さん」はそこに自分のお気に入りを就職させたかったからだ。
あとで、真相知ったときは、心底頭にきた。文句あるか? 昔の大学教官の暴虐ぶりを知ってる世代としては、あり得る話だと思う。
パワハラ・アカハラ・セクハラやり放題だったもんな。今の基準なら半分以上の人間が処分対象じゃないか。
私は師匠とは比較的いい関係を保ってたんだけど、当時の助教授が本当のクズ野郎で、
何度もひどい目にあわされたよ。あいつ、教授になった今でもあの調子でやってるのかな。 >>439
あのとき、実家に「脅迫状」を送りつけた当時の学科主任からはこんなことも言われたな。
「○だって、この僕が口をきいてやって○○大に入れてやったんだ。
君なんて、いくら博士論文書いたってこれから先、えらくなれる可能性はないんだ。
東京にいられるだけありがたいと思え」と。
この○は、ベルギーのある大学院に7年も留学していながら結局博士論文書かずじまい、
母校に引き取られた後、定年退職までに出した著書は山川ブックレットだけ。
名誉教授になってから、やっと新書で概説一冊出し、平凡社東洋文庫から翻訳を出しただけ。東洋史学界が腐っているのは、昭和の御代からの話だと思う。 私が就職したのは教授斡旋が減って公募が普通になりつつある過渡期だったんだが、
公募といっても実際には出来だったり有力大学での候補調整が普通だったように思う。
そんな当時、自分が学生やODの生殺与奪の権を握っていると固く信じている助教授から、
「うちの研究室としては今後君を推薦するつもりはない」と宣告された。理由も言ってくれなかった。
後押ししてくれないだけならまだしも、ちょっとここに書けないやり方で就職の妨害までされた。
その後、私が公募で就職を決めたことを報告した時のあの引きつった顔が忘れられない。 >>441
それ、わかる。心中快哉叫んだだろう。
私も移籍直後、どうしても断れない届け物の依頼を受けて母校の研究室に言ったとき、
私を窮地に追い込んだ学科主任の腰巾着教授二人がたまたま居合わせていて、
そいつらの苦り切った表情を覚えている。
その一人が、「優秀なんだねえ」とつぶやいた傍らを黙って一礼して通り過ぎた。
今思えば、派手な啖呵切ってけんかふっかけてやればよかったと後悔しているよ。
なぜって、この男も、当時の学科主任もその後ガンになり、
病院でのたうち回って死んだそうだから。もちろん、葬式なんか行くもんかい。 最近定年退職したある先生も、弟子の就職がらみではかなり理不尽なことをしていたと聞いたな。
誰からも尊敬される立派な人柄の先生だとばかり思っていたので、裏の顔があることに、
すくなくともそういう裏の顔があると噂される人であることに、ちょっと驚いた。 口にリベラルなことを言いながら、実際には縁故恩讐で人事を弄ぶことに
なんの躊躇もない人って、俺の師匠筋にもいたなあ。
世話になると一生祟りそうなので自力で就職決めたけど、報告に行っても
あまり祝ってもらえなかった。
結局、日頃大口叩いていても小者なんだと良くわかったよ。 >>443
は、女だろう。となると誰だかすぐ特定できる。あの人にもそういう一面があったのか。
ちょっと驚き。
>>444
は、誰だか見当もつかない。でも、俺も最初の指導教授から似たような目にあったよ。 何を理不尽とするかは人によって違う。皆さんはどういう人事を理不尽と感じますか。 自分の弟子であればその能力の如何に関わらず就職させるのが師の務め,と考えてる人もいるからなあ。
そういう人がリーダー的存在になってる分野は悲惨。実例は東洋史業界にもあるよね。誰とは言わんけど。 >>450
西日本はその傾向がひどすぎやしないか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています