儒教に支配された中国・韓国
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四書五経をだいたい読んだ。
天は、空の上のことだと思う。
聖は、よくわからない。
神は、書経や春秋左氏伝に出てきて、
「嘘をつかず、だまされない、次の帝を決めるもの」であり、自然の神々のような多神教だ。
儒教の神秘的なことについての記述は、
「国が亡ぶ時に現れ、その時代の人々の徳を計量して、次の皇帝を決める」
「捧げものの豊かさでは神の意志は決まらず、徳のあるものに福がある」
「太陽に異常が始まる」
「天帝が夢で赤ん坊について告げる」
「神懸かりの巫女が神託をくだす」
「神殿の立ち位置で決定することがある」
「精神を魂、身体を魄といい、魂は死後上にのぼっていく」
だいたい、こんな感じだ。 書経は、だいたいこんな感じ。
漢字「神」の初出は「春秋左氏伝」だと書かれているがまちがっている。
中国最古の書物「書経」に漢字「神」は出てくる。
「及聖、及神、及武、及文」とある。
これは、「兎王は、聖なる能力があり、神のような能力があり、武術が得意で、文学が得意だ」のような意味として出てくる。
中国最古の書物「書経」にすでに、天、聖、神の概念はその定義もなく書かれている。
だから、この三つが何なのか、さっぱりわからないというのがおそらく正解だろう。
古代中国では、王が即位すると、その伝記(歴史書)を書いたようだ。
帝位を禅譲する時、その禅譲される人物の伝記(歴史書)を作る。
それが古代中国のようだ。
堯は、舜の伝記(歴史書)を作らせ、舜は兎の伝記(歴史書)を作らせた。
また、夏王朝が終わる時、湯王は自分の伝記(歴史書)を作って帝位を示した。
伝記を書いて、王がどのような人物なのかを知らせていたのだろうか。 朱熹の「近思録」はおすすめ。
最初の「道態篇」は、必読。
陰陽五行説について書かれている。
万物は形而上の「理」で動き、形而下の「気」で構成されているという中世科学。 朱子の「近思録」、王陽明の「伝習録」は、みずから「初心者向けの入門書」と位置づけていた本だけに、せめて、これだけでも読んどいたほうが良いな 中国は歴代皇帝が何度儒教を弾圧しても消えないでしぶとく残っている >>8
儒教を弾圧した皇帝なんて、何人もいたっけ?
秦の始皇帝と、中共の毛沢東はわかるが、それ以外では? 儒教の目的が口喧嘩で勝つことに帰着してしまい、技術軽視になったんじゃないか? NHKラジオAM第二放送カルチャーラジオ
文学の世界「中国古典『易経』から学ぶ帝王学」全13回
易経研究家…竹村亞希子
https://www4.nhk.or.jp/P1929/ 竹村亞希子
http://www.aki-ta.com/index_pc.html
4月〜6月の毎週木曜日 NHKラジオ放送に出演します。
NHK文化センター青山教室の易経講座『CR 中国古典「易経」から学ぶ帝王学』 を収録・編集したものをNHKラジオ第2「カルチャーラジオ 文学の世界」で放送します。 >>7
それ以前に大學章句やろ
子程子曰、大學、孔氏之遺書、而初學入コ之門也。
子程子曰く、大學は孔氏の遺書にして、初學のコに入るの門なり。 読んだ中国思想の本。
孫子、近思録三巻、荘子二巻、荀子二巻、春秋左氏伝三巻、
神仙伝・列仙伝、論語、韓非子四巻、伝習録、孟子二巻、易経二巻、
菜根譚、大学・中庸、
24冊。今は史記を読んでる。
なんでも聞いてくれ。 >>14
それはそうだが、近思録を読めば、濂渓先生から朱子へと至る宋学の流れがよく分かる
東洋思想マニアならともかく、東洋史マニアなら、思想史から入るのが良いだろう 平成が終わる。たぶん、どこかで神霊が降って、次の皇帝を選ぶだろう。 >>18
>慶長11年(1606年)にはイエズス会の日本人修道士、イルマン・ハビアンと「地球論争」を行っている。
>この時林羅山は地動説と地球球体説を断固として受け入れず、地球方形説と天動説を主張した。
一応、地球球体説を「論破」したとなっているが… 欧州から日本まで航海してきた相手に地上が平面だと口喧嘩で勝っただけ。 林羅山の「排耶蘇」では、ハビアンの大地球体説に反対している。
ハビアンの大地球体説は、次の通りである。
すなわち、「地中を下とすれば地上は天であり、地下(地球の反対側にある地上)もまた天である。
船で大洋を航行すると、東の果ては西になり、西の果ては東になる。このことによって、地球は丸いことがわかる」というものである。
これに対して、羅山は言う。
「地下に天のあるはずがない。万物にはすべて上下があるので、上下がないというのは理を知らないのだ」と。
儒教の「天円地方(天は丸く、地は方形)」説による反論である。
当時、日本にもたらされた地球図の多くは卵形であり、信長や秀吉も地球儀を所持していた。羅山は球体説を理解していなかった。
(地動説が日本に広まるのは司馬紅漢の「和蘭天説」以降である。)
(『林羅山』鈴木健一、ミネルヴァ書房、60〜61頁) ちなみに、「林羅山が地球論争に勝利した」というのは、林羅山の「排耶蘇」にそう書いてあるというだけであり、史実として確認されたわけではない。
羅山は地球球体説を「笑うべし」と書いているが、現代人からみると、むしろ羅山に笑ってしまう。
ちなみに、織田信長も豊臣秀吉も、地球儀を持っていた。
彼らは、スペイン帝国の脅威がフィリピン・台湾まで押し寄せてきたという国際情勢をよく知っていた。
伊達政宗は地球儀を見て、仙台からの北米航路は江戸や大坂からより近いことに気づき、メキシコと交易しようとした。
このように、安土桃山時代の日本人は、地球球体説を当たり前のように受け入れていた。
江戸時代の林羅山が地球方形説を唱えて譲らなかったのは、その後のことであることを考えると、この一件の味わいがまた違ってくる(笑) ふむ。林羅山が勝ったと書いていただけで、実は精神勝利だったのかも知れない訳だね。 西洋でも、古代ギリシャからローマ帝国の時代までは地球球体説が主流だったが、暗黒の中世になって、なぜか地球平面説が優勢になった
江戸時代の日本と同じで、科学は進歩するだけでなく、退歩することもあるという事例 林羅山の論理もそうなのだが、宗教のドグマに毒された者にとっては、天が上にないと困るらしい。
地球の反対側、つまり、自分たちから見て下にも天があるというのが、まずかったようだ。 江戸時代も後期になると、蘭学が入ってきた。
再び、地球球体説が当たり前になった。
やっぱり、いくら「西洋かぶれ」と言われようが、欧米から文化を取り入れてないと、日本はダメになる。
朱子学ばかりやってた頃の日本は、中国朝鮮と同じように遅れた国になりかけていた。
危ないところだった。 >>24
家康は地球儀を持ってなかったんだろうか。
持っていたら、林羅山が妄言を吐いてることぐらいはわかりそうなもんで、
重用する気も失せると思うんだが。
こんな論文があったので読んでみた。
《地球》概念のもたらしたもの : 林羅山「排耶蘇」を読みながら 最近、アメリカ合衆国では若者を中心に、
「自分は地球球体説や地動説を信じない」
と公言する者が急増しているらしい。
理由は
「聖書にはそう書いていないから」 >>28
日本の江戸時代には「建前の朱子学、本音の陽明学」みたいな風潮もあったのが、
思想の相対化に大きく寄与した部分もあるんじゃなかろうか。
ただ、陽明学中心に観念論を肥大させた水戸学が、幕末に激しい内ゲバで
凄惨な殺し合いを展開した、というのも念頭に置いておかねばならないけど。 おかげで水戸藩は人材が枯渇して、
明治維新に乗り遅れてしまった。
薩摩長州閥、あるいは土佐閥はあったが、水戸閥は無い >>26
wikipediaの「地球平面説という神話」を読もう。 実際に平面として欧州から日本まで航行して到達できれば、地上の平面説は実証されたことになる。 >>30
アメリカはそういう国だ
ちょっと野蛮なところがある 陽明学の「行わなければ知ったことにはならない」は
近代科学の「裏付けが実証されない定義は知識として成立しない」に近づく可能性は無いだろうか? >>36
それは社会思想だけの話で形而下の知識とは関係の無いことだろ。
陽明学的な発想は、まあ急進的な社会運動を自滅させる毒としては役にんじゃないかね。 >>36
「知行合一」って、そういう意味のテーゼじゃないよ 結局、林羅山は天円地方論者として何をどう言って勝ったとしたのか、全く不明じゃないですか・・・ 結局朱子学も陽明学も観念論で実測経験より自らの思い込みを優先させてしまう、という点では同じなのかもしれない。
観念的なのは儒学の宿阿で逃れられないのかもしれない。 >>41
同じように古代的宇宙論に出発点を置いていても、古代ギリシア哲学は数学を重視したってのが強みになったね。
古代ギリシア哲学を取り込んだイスラームやキリスト教世界の学問は、
数学を武器に使うことで地球球体論に適応することができた。 太陰太陽暦の計算には数学が必要なはずで、実際に結構数学は発達していたんだが、
どうも明代あたりから進歩が止まって、それどころか失伝する部分も出てきたらしい。 儒学では持論の証明に数字を使うというのは一般的ではなかったんじゃないか? そもそも、前近代の中国の王朝で「暦計算」に携わっていたのはどういう社会階層だったんだ?
儒教経典や詩文を徹底訓練していた士大夫教養人に「暦計算」が出来たようには思えないんだが、
私の偏見だろうか。 >>45
そういう面はある
明代になって、まったくの科挙社会と化した結果、誰もが朱子学の勉強ばかりするようになって、算術や数学が衰退した
代わりに盛んになったのは日本の和算 イメージとは違うけど、唐や平安時代の王朝貴族は、意外なほど算術を勉強していた 漢数字やローマ数字で複雑な計算をやるのは、考えるだけでめんどくさそう >>41
そりゃそうだ
陽明学を、英米哲学みたいな実用主義と誤解してる人が世間には多い
それだったら、イギリスより先に明で産業革命が起きてますがな 「知行合一が、私のモットーであります」というような場合、まず例外なく、「有言実行」という意味で使われている。
でも、「知行合一」は、あくまでも哲学用語。
「有言実行」とは、ちょと違う 知行合一と有言実行の違い(コピペ)
例えるなら、
カレーを頻繁に食べる(行動)ヒトは、
カレーの美味しさを、
知っている(知・認識)ヒトである。
カレーを食べないヒトは、
カレーの美味しさを知らないヒトだ。
知行合一とは、そんな意味である。
もう少し真面目に説明する、
電車でお年寄りに席を譲る(行い)ヒトは、
席を譲る喜び(知)を、
知っているヒトだ。
席を譲らないのは、
席を譲るという「行い」の素晴らしさや、
喜びを、まだ身をもって、
「知らない」からだと考える。 信長は地球が丸いことを納得してたのに、
徳川幕府が朱子学を官学にしたせいで、全体の知性が支那朝鮮なみに後退してしまった この話を脳科学的に説明してみる。
人間には2種類の行動しかないという。
【快感を求める行動】と、
もう一つは【苦痛を避ける行動】。
快感を感じるとき、脳内ではドーパミンが分泌される。
カレーを美味しいと感じているとき、脳からドーパミンがでているのだ。
そして、その快感を知ったヒトは、また食べたいと思うようになる。
カレーを食べたことのない人は、その快感を知らないから食べたいとは思わない。
脳科学的では、カレーを食べて、ドーパミンが出るようになり、
そして、また食べたくなることを、回路ができたと表現する。
この状態を【知行合一】という。
一方、【有言実行】は、
カレーを美味しいと思わない人が、「残さず食べなさい!」と言われ、
「分かりました、食べますよ」と、本人は食べたいと思ってはいないけれど、食べると言ったので、食べる。
そんな状態のことをいう。
知行合一とは全く異なる概念だ。 >>53
それは言える
朱子学が一概に悪いとも言えないが、朱子学が本格導入される前の安土桃山時代の日本の勢いを見ると、
「あのまま順調に進んでいれば・・・」と思わずにいられない >>52
むしろ、知行合一って、
認識と実践は同時であるか否かじゃない?
カレーを食べたことは無くても、
カレーという存在者があると「認識する」のは
カレーを「見」た、或いはカレーについての説明を「聞」いたことが先に立つのか、
それとも、カレーという存在者の本質が先にあって、それを「見」たり「聞」いたりするのか、ということかと
陽明学は前者の立場、朱子学は前者の立場ってことでしょう
アリストテレス的立場とプラトン的立場の違いに或る程度近いかも >>56 訂正
朱子学は前者の立場
↓
朱子学は後者の立場 >>55
朱子学ってのは、ある面「アンチ仏教」を出発点にして、反面仏教からの影響を強く受けた新儒学だけど、
実際の社会での運用を見ていると、宋朝、金朝、元朝時代には、朱子学、禅宗仏教、道教で
一人の知識人個人の中で補完しあって機能するようにできていたとしか思えない。
明朝以降みたいに朱子学だけ切り離して純化するとおかしなことになってしまうんだろう。 横レスします
高麗の場合、国教が仏教だったことはよく知られているけど、
高麗についても、当時の知識人は複数の思想を兼学する人が多かったそうな
中期高麗の代表的儒学者の崔沖は仏教信者でもあり、
崔沖よりも少し後の時代に王子として生まれた著名な仏教僧の義天は同時に著名な儒学者でもあった >>49
そのために、東洋では「算木」、西洋では「計算盤」という計算器具が複雑な計算では必須だった。
それが、西洋ではアラビア数字による筆算法の導入で計算盤が払拭。
東洋では計算盤と同系統だがさらに高度化した「そろばん」が普及することで算木が払拭された。 >>60
そうすると、仏教国教の高麗から儒教国教の李氏朝鮮へ、というのは一面的理解でしかないという事か。
実際には宋朝、金朝、元朝と同様の三教兼学体制から、朱子学絶対主義に、という見方がふさわしいのかな。
それとも、朝鮮半島には日本と同様に道教が完全な形でははいっていなかった? >>62
高麗は仏教国だけど、すでに科挙もやってて、官僚には儒教の教養が必須だった
道教についても、日本人よりずっと強い影響を受けている >>59
朱子学は一応、「これがあれば仏教と道教は要らない」という風にできている
そもそも、朱子自身がかつては熱心な禅宗の信者
史上最大の学者だけに、教義は知り尽くしていて存分に取り込んでるから 高麗は科挙官僚より蔭位での官僚のほうが多い。
風水で遷都論争が起きるぐらい、風水が好きだな。 >>64
>>朱子学は一応、「これがあれば仏教と道教は要らない」という風にできている
そういう「建前」でできている、ということは、逆に言うと真相は、
仏教と道教を修めていた方が、朱子学の「真理」により深く到達できる、
と言えそうだな。 >>66
もちろん、それはその通りだけど、朱子の時代は、祖国の宋が、金とモンゴルの攻勢で滅びかかってた頃
漢人のナショナリズムが燃え上がってるんで、異国(インド)の宗教を排除したいってのがあるから >>62
高麗では道教もかなり盛んだったよ
道教や儒教との関連性ももちろん持ちながらの風水地理や図讖の流行が、
統一新羅時代末期〜高麗時代〜李氏朝鮮時代初期にかけての都市計画やそれを伴う政策方針に大きく影響したりしたし >>68
統一新羅時代末期〜後三国時代〜高麗時代〜李氏朝鮮時代初期
こう書くほうが、高麗の首都が開京になったことも含めて、時代背景事情として分かりやすいかな
もちろん、後の高麗朝廷の王氏一門にとって、開京になった地域はそれ以前から最重要根拠地であった前提事情があるわけだけれども 統一新羅時代の王権を支えた政権担当集団は、辰韓に限定されていた時代の新羅王国の
貴族層だろう。
李氏朝鮮の王権を支えた両班は、儒教教育機関である「書院」ごとに派閥を形成していて、
この「書院」が大きな政治勢力になっていたらしい。
だとすると、高麗王国の王権を支えた政権中枢の集団というのはどういう背景が
あったんだろう。 >>70
高麗の場合には、もともと王氏一門が海上貿易で力を付けた地方豪族の集団だったという背景があるね
そして、後三国から統一高麗への過程の中で王氏一門と結んだ各地方の豪族との極めて広範な婚姻政策をもとにして
初期の高麗朝廷の主要な権門が形成された
しかも実は、その中に旧新羅王室も含まれてる 「知行一致」を化学的に言うならば
「水は元素ではない」といくら弁を繰り返してもそれは説であって知識ではない。
水を水素と酸素に実際に実験して分離して見せて、それで初めて「水は元素ではない」という知識が成立する。
というとらえ方でいいのか? >>71
高麗王室の王氏は、いわゆる「新羅海商」の関係者だったのか!
そうすると、日本列島や朝鮮半島といった中国周縁勢力が本格的に
商業経済に巻き込まれて中世社会に突入していく流れと
深い関係にあった政権が高麗王朝だったわけだ。
貿易港博多とも一定のコネクションがありそうな集団だね。 >>72
そんなことが出来ていれば、儒教は科学になり得ただろ 中国と韓国って、ノーベル賞に値する研究者がほとんど存在しないもんな >>60
大昔の日本だって、比叡山延暦寺が儒教の研究でも中心地だった
当時は、知識人といえば坊さんなんだから仕方ない >>72
いやいや、そんな難しい話じゃない
「ノドが乾いた。水を飲みたい」と思うことと、「水を飲む」こととは同じである、というような話
朱子学の「先知後行」説だと、まず「ノドが乾いた」という認識があって、それから「水を飲みたい」と思い、「水を飲む」という行為が生じる
陽明学の「知行合一」説では、「ノドが乾いた。水を飲みたい。水を飲む」は一体であり、分けられない
もともと、そういう観念的な哲学談義の話 そりゃ、五百年前から学歴至上主義(それも文系オンリー)で、みんな幼少の頃から四書五経の詰め込み教育に忙殺されてるんだからな
明や清にも優秀な理系頭脳は多かっただろうが、みんな、その頭脳を四書五経の丸暗記に使ってた 基本的に、朱子学は、人間の精神を理性と感情や欲望に分けたりとか、区分して分類したがる傾向がある
それに対して陽明学は、「それは分けられない。一体だ」と言いたがる傾向がある
陽明学は、イマ風にいえば「ワンネス思想」 >>77
知識の裏付けとして物理的・化学的実験結果や観測における実数値を根拠にする、
という過程で「行動の結果として得られる知識」が「知行一致」とつながらないのか?と思った。
観念上ではどうやっても知りえない知識だし。 >>79の線で知行合一も理解するべきでしょ。
「分かっちゃいるけどやめられない」は分かっていると認められないということ。
道徳や政治の問題にしか関係のない話。 >>81
そこは、実践理性や意欲、経験論が関わる問題だな
単に人間の行動傾向の抑制ということではなくて、さらに根源的な考察を要する問題だ
それこそ中世欧州のスコラ哲学が緻密に考察してたりする
ここでの簡単なレスだけはとても説明しきれないけれども・・・ 分析を禁止されたら、思考が停止しそうだ。
心眼を開けみたいな話に感じてしまう。 >>73
現代西方言語で広範に「コレア」の呼び名が使われていることを想起されたし ってところですね
もちろん例えばモンゴル帝国による東西間交流の活発化もその大きな要因として作用したわけですが、
基本的にもともと高麗はモンゴル勃興よりもずっと前から対外的にかなり開けた国で、対外交易や移民受け入れも非常に盛んだったんですよ
日本史からの観点ですと、博多や大輪田や鎌倉の貿易といえば日宋貿易が有名ですが、日麗貿易も実はかなり盛んだったんですよね
中世の博多はチャイナタウン兼コリアタウンだったってわけですね >>84
日宋貿易、日明貿易における日本からの最大の輸出商品は火薬原料の硫黄だったわけだが、
実は日麗貿易、日鮮貿易でも大量の硫黄が輸出されている。
どういうことかというと、宋や元、明は日本に対しては黒色火薬の調合関連技術を厳しく秘匿して
日本が火薬武装することに強い警戒心を示していたのだが、朝鮮半島国家とはむしろ火薬技術の
共有を進めているんだね。場合によっては、中華王朝が輸入して確保した硫黄の一部を朝鮮半島国家に
下賜しているケースもあったという論文を読んだ記憶がある。 >>80
それは、思想史的には「プラグマティズム」だねえ
近現代のアメリカ哲学の考え方
上にも書いたけど、陽明学がそこまで合理的で実用的だったら、イギリスより先に明で産業革命が起きてる >>86
朝鮮と中国の関係は、
「朝鮮は中華帝国に朝貢し、皇帝は寛大に対応した。従属関係といっても形式的なものであった」
とよく説明されるけど、いつの時代もそうだったわけじゃない。
宋や明は、朝鮮・高麗との間に女真人/満州人の国家を挟んでおり、彼らにとって朝鮮は「同盟して挟撃しよう」というような存在。
遼・金・元・清にとって、高麗/朝鮮は直接侵略・直接支配の対象であり、もっと従属関係は露骨。
左翼や朝鮮人はこういう時代のことを語りたがらないのだが、当時の半島は完全に元や清の一部であり、独立国とは言えない。 『伝習録』下巻の
「26、問う、〈知行合一〉についておたずねします」の解説
陽明が「知行合一(ちこうごういつ)」を説いたのは、
「ちょっとでも念慮(ねんりょ)が動けば、それがとりもなおさず行いなんだ。
そして、その動きに不善があれば、ただちにその不善の念は克服すべきであり、しかもそれは、ほんの一念の不善たりとも、
胸中に潜(ひそ)ませないほどに、徹底を究(きわ)めなくてはならないんだ」
ということを悟ってもらいたいからだ、と言うのである。
誰もが、心の中では何を思おうと自由だ、勝手だ、と思って生活しているわけだが、よく考えてみて欲しい。
行動とは、コップに注ぎ続けた水が、やがてはあふれ出してコップからテーブル上にこぼれ落ちるように、
思いが徐々にエスカレートしていって、やがて行動となって現れたのであって、思いと行動とは別々のものではないのである。 >>92
このコピペを見る限りでは、どっちかっていったら、王陽明が言ってることは、
「女をヨコシマな目で見るのは、女を犯しているのも同然なのである」という、
イエス・キリストの教えに近い
「知行合一」というのは、もともと、そういう意味なんじゃなかろうか? ただし、王陽明の場合は、「女を犯したいと思うことが悪い」というわけではない
ヨコシマな思いを持つことは、ヨコシマな行動をへと不可分につながっている
「だから、ヨコシマな思いを持つな」というのであって、結局は行動が重要 ちょっとわかりにくいかもしれませんので、簡単な例で説明しましょう。
例えば、近所に獰猛な犬が飼われているとします。
その近くを幼い子供が通りがかり、その犬に噛まれそうになるところをあなたは目撃します。
この時、あなたの「良知」が働き、「危険だ」と思います。
そして、普通の感覚であればそこで子供を「助けよう」と思うはずです。これを「意」と言います。
そして「助けよう」と思えば、それを実践するため「心」が「身」に命令して、子供を助ける行動をとります。
この一連の動きを王陽明は「意の在る所の事」と言い、それを「物」としたのです。
ところがこの場合、心のどこかであなたが「助けよう」と思っていても、この「意」は時と場合によっては「助ける必要がない」と思わせる場合があります。
例えばその原因が、子供が石をぶつけたためだとか、普段からその子が犬をいじめていたりだとか、
あなた自身の体があまり自由が利かなかったり、子供を助ける意義が持てなかったり、そもそもその勇気が持てなかったり、ということです。
陽明学では「助けよう」という気持ち(=「意」)があっても、実際に行動に至らなかった場合、「物は格されなかった」とします。
「意」が必ずしもこうした善とならなかった原因は、「良知」が完全に発現しておらずそれが曇っているからに他なりません。
何故「良知」が曇るかというと、人が持ち合わせているあらゆる欲望(名誉欲、金欲、性欲云々)が「良知」の判断を鈍らせるからです。
欲望から来る「助ける必要がない」という「意」を捨て去り、心を正して「助けよう」という「意」を選択(=「良知」を発現)し即実践することを「格物致知」とするのです。 >>94
ナザレのイエス先生のは、
「どうせおまえさんも心の中ではヨコシマな思いをしてるんだから、
エラソウに人を高みから見下して裁くなよ」
だな。 >>91
知行合一=「地図を作りたい」という思いと、「地図を作る」という行為は、一体にして不可分である
思いは、必ず行為に表れる こうしてみると、やはり、「世の人々を救いたい」という思いが、世界初の社会主義革命という行動に直結した大塩平八郎は、真の陽明学者と呼ぶにふさわしい 悪意を持っても悪行を実行に移さなければ問題ないし、善意を持っても善行を行わないのなら意味は無い。 >>96
そういえば、そうだな
そういう話の流れで出てきた言葉だった >>100
王陽明によると、悪意は必ず悪行となって表れるから、悪意を持ってはならない 「地獄への道は善意によって敷き詰められている」
「善人どもが成す悪行こそが最たる悪である」
現実に善意、正義の下で悪事はなされており、
それを警戒しろ、という含蓄はいくらでもある。 仮に、善意と思われる意志の下で、行動し、その結果悪い結果をもたらしたとしたら、善意だと思っていたその意志は実は善意だというのは思い込みだったのではないか、と再考する必要がある。 >>91
「測量しなければ地図は作れない」、「実験しなければ科学はできない」
↑こういうのが、英米哲学の経験論とかプラグマティズムの考え方
陽明学は、そういうものではない。
もしも15世紀の明にそんな思想が台頭してたのなら、いまごろは中国人がノーベル賞を独占だ。
ていうか、地球人類の科学技術は今よりずっと進歩してる、中国人のおかげで 分析をやめると、分析によって生まれた語が激減し、
その後は、新たに増える事がないだろうから、社会は退廃して、古代社会から一歩も出なくなりそう。 >>37
吉田松陰とか西郷隆盛とか陽明学の信奉者は多く自滅してるもんな。
三島由紀夫の行動も陽明学の影響。 >>109
吉田松陰は、ペリーの黒船を見て「あの船に乗りたい」と思うと同時に、「知行合一」とばかりに本当に密航しようとして捕まった
「幕府を倒したい」という思いも、躊躇なく行動に移して処刑された
まさしく、陽明学者のカガミ >>87
西田幾多郎が気づいてたようにプラグマティズム特に純粋経験論は禅と親和性が高い。
朱子学も陽明学も禅から着想を得ている。 田代まさしも、女子高生を見て「スカートの中を見たい」と思い、行動に移して捕まった >>111
へえ、そうだったのか
プラグマティズムも、意外と奥が深いな 加地伸行の「孝経」読んだが日本仏教は仏教1割に現世利益の道教1割、先祖祭祀の儒教8割で出来てると書いてた。
孝の原理も結構奥行きあった。 仏壇や位牌も儒式の祭壇やし
戒名も儒式の諡号に申し訳程度に「釈」と付け足してるだけや
ついでに坊主が解く教えも9割は儒教道徳
日本のクソ坊主はそれでおかしいと思わんのか? >>115
「日本仏教」なるものの正体は、宋・金・元代の「三教兼学」の化体したものだったか。 >>116
おかしいから昔友松円諦の真理運動という原始仏教回帰運動が起きた。
しかし友松円諦の死後は盛り上がらず友松の神田寺も浄土宗に帰宗した。
友松家の跡継いだ坊さんが友松円諦は合理的過ぎると批判していた。
結局檀家から需要があるのは従来の日本仏教でそれを供給するのが今僧侶。
原始仏教の需要は一部マニアに限られるからビジネスモデルが成り立たないのが実情。 加地伸行はインド仏教と日本仏教は全く別の宗教だと断言している。 それならそれで仏教とは別の宗教やと正直に言うたらええのに
坊主どもはそれを仏教と強弁しとるわ 原始仏教てエホバの証人みたいなカルト宗教やろ
科学教の信者が合理的に解釈したつもりの原理主義的な解釈は
往々にして過激な思想になる >>117
それは宗派による
来日したスマナサーラ長老は、禅宗を見て、「インドの古い仏教が、日本には意外なほど残っている」と驚いた まったくの先祖供養教と化した宗派もある
霊友会とか、ああいうところは仏教を称しているが、ほとんど原形をとどめていない 日本土着の民俗信仰みたいなものが占めるウエートも大きい
「あの世の霊」とか「狐つき」みたいな話は、仏教にも道教にも儒教にもない >>123
オウム真理教や世界救世教も仏教を称してる 「仏教とキリスト教を統合した」という割には、教祖の講演を聞いてみたら、
「稲荷神社にお参りすると、狐の霊に憑依されることがあります」なんて、
思いっきり日本的な教えを説いていたりするのが、日本の新宗教
「お釈迦様は、古代インドでこのような教えを説いていました」というような前置きつきで、
「古き良き日本人の美徳」みたいな話をすることがほとんど 「知」といものが、儒教においては観念的な思索、ギリシャから近代西欧においては治験の積み重ねを基本に置いている、という違いが見えてきた。 現在、世界の仏教は、上座部、大乗教、ラマ教が3大教派となっている。
もし明治政府が神仏分離をやらず妻帯お構いなしくらいで納めてたら
日本神仏習合教も数えて4大教派となっていた可能性。 習合言うけど日本に伝わった仏教が元から儒道仏習合教や
チベット蒙古の仏教は大乗とボン教の習合 >>128
>ギリシャから近代西欧においては治験の積み重ねを基本に置いている
いやー、それが、意外とそうでもないんだよ
何度もいうように、それは「英米哲学」の特徴であって、「西洋哲学」は必ずしもそうでない
まあ、英米も西洋哲学の一部だから、別にいいんだけど 最近は、「ドイツ人と中国人は、なぜあんなに波長が合うのか?」というのが話題になっている
ドイツ観念論と朱子学は、根本的な精神が似てると言われているんだな
フランス合理論も、デカルトなんかは理性重視の理論派で、実験を軽視してるから、現代人から見るとトンデモ科学が多い ただし、カント以降のドイツ哲学は、英米哲学の影響を強く受けて消化吸収しているから、そこまでクッキリ分けるようなもんでもないんだけど ケント・ギルバート/百田尚樹対談 「儒教に呪われた韓国」
なぜ韓国は、ここまで反日的になるのか。そこには「儒教の呪い」があるという。
著書『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』が話題のケント・ギルバート氏と作家の百田尚樹氏が、韓国の本質を語り合った。 百田:韓国というのは、面倒な国ですね。いつでも日本に攻撃的じゃないと国としてまとまれない。
日本人はお人好しだから、韓国で新政権ができたら「とりあえず仲良くせなあかん」という雰囲気になるでしょうけど、
不用意に握手しないほうがいいと思います。何をやってくるかわからないと、警戒感を持つべきでしょう。
ケント:そうですね。中国から儒教や中華思想を全面的に受け入れた韓国から見れば、日本は朝鮮半島よりも世界の中心である中国から遠い。
だから日本は「野蛮な国」で、自分たちより「下」でなければいけない。しかも恨の思想があるから、常に日本を軽蔑していないと気が済まないんです。
「日本が韓国より発展しているなんておかしい」「韓国が発展できないのは日本が占領したからだ」という根拠のない嫉妬や恨みはずっと続くのです。 小倉紀蔵 『韓国はひとつの哲学である』
朝鮮あるいは韓国とは、一個の哲学である。哲学そのものが領土・人・主権として固まったものが、朝鮮あるいは韓国なのである。
ここで哲学とは、<理>をいう。<理>とは何か。普遍的原理である。自然の法則と人間社会の道徳とが1ミリの誤差もなく一致すべきであるとした絶対的規範である。
今の韓国人の道徳的志向性は、この伝統的な<理>志向性の延長である。
朝鮮王朝の哲学者たちは実に精密な「理気論」を、数百年も繰り返した。これには理由がある。
人間の心から社会・宇宙まで<理>と<気>の関係によって、より整然たる体系で説明しえた勢力のみが、政権を掌握しえたからである。
この哲学論争に敗北したグループは、権力から排除される。<理>は普遍の運動である。この普遍を、激しい論争によって奪い取った者が、権力と富とを独占する。
つまり、<理>は真理であり規範であり、同時にカネや飯の素なのである。
ここに私たちは、道徳を志向するはずの者たちが、
カネや権力のドロドロの争いに嬉々として加わり、またそのような争いに強い所以を知るのである。
その理由は、儒教の道徳が権力および富との関係において成立しているからだ。
<道徳志向性国家>の韓国において、道徳の最高形態は、権力と富とともに三位一体のセットになっている時であると考えられている。
・・・韓国社会は、人々が派手な道徳奪取闘争を演じる一大劇場だ。 西洋的個人主義のドイツ人
と宗族大事の中国的個人主義の中国人は
全然価値観が違うけどな
あくまで遠くにある国家間の中がそんなに悪くないというだけ >>137
ドイツ人も、最近はそれに気づいたようだ
周回遅れで「中国崩壊論」を唱え始めた
問題は、中国が崩壊するとフォルクスワーゲンも崩壊し、ついでにドイツ銀行も崩壊することだろう >>128
んー確かに、朱子学の信者は、観念論争で熱くなりすぎる傾向があるな
朝鮮人の火病は、唐辛子発酵食品の過剰摂取もさることながら、朱子学の毒でとある オーストリアの精神分析学者のフロイトは患者を観察し、
結果が自説と異なった場合は自説を撤回して観察結果を受け入れたので、
周りからは無節操だと非難されたという。
自身の持説と観察・実験の結果が異なった場合は自説を撤回し、
観察・実験の結果を受け入れるのが近代西欧の学問に対する基本スタンダードだと思う。
儒教はあくまでも自分の観念を貫くことが重要で、事実はどうなんだ、という姿勢に欠けている面がある。 朱子学を修めた両班が科挙官僚となって政権を担うと派閥間で激しく対立した >>140
そうだな
観念と事実が違っていたら、普通の宗教なら気にするが、朱子学信者は気にしない
平気で、事実と違うことを主張し続けるのは朱子学信者だけの特徴 医者と比較してもな。儒教の信者と比較するなら、神父だろう。
科学者じゃなく、神父なら、現代だって、現実を無視して教導している者もいる。 >>144
「神父」っていう用語は基本的にカトリック用語だが、カトリックはなんやかんやで現実的だよ
組織全体としての見解や指針は教皇と枢機卿が責任持つし、すぱっと決めるときは決める
現代だとむしろプロテスタントのほうに保守的な組織も多いんでは
ちなみにプロテスタント用語だと「牧師」 フロイトは病人を見たわけでなく アールツトしてクライエントを観察したという
ほうが日本の医療看護体制に精神(障害)者を組み込まないだろうな。 >>145
プロテスタント信者は、朱子学信者と人間の傾向が似ている
「ドイツ人と中国人は波長が合う」と言われるのは、そのせい >>143
アメリカの福音派プロテスタントもたいがいなもんだよ。
そもそも、彼らは学校に子供を通わせたがらず、教師を軽蔑している。
なぜなら、学校は「信仰の妨げになる余計な知識を与えてくる」から。
アメリカで教師の社会的地位が低いのも、原理主義的なプロテスタント信仰のせい。 >>145
カトリック教会では聖職者を「天の父なる神の代理人」とみなし、欧州語で「おとっつぁん」と呼ぶ。
翻訳して「神父」。
プロテスタント教会では聖職者を「迷える子羊を導く羊飼いたるイエスの後継者」とみなし、欧州語で「羊飼いさん」と呼ぶ。
翻訳して「牧師」。 中国で儒教ではなく「兼愛非攻」とプラグマティックな実用主義を旨とする墨家が主導権握ってたらどうなっただろう?
戦国時代まで墨家は儒家と勢力を二分してたが。 >>149
プロテスタントは万人祭司説だから牧師は厳密には聖職者にならないのでは? >>151
プロテスタントでもアングリカンチャーチは按手による聖職者任命をしているね。
あそこは司祭や司教でも神父じゃなくて牧師だけど。 >>152
アングリカンチャーチはプロテスタントと言っていいかどうかは微妙。
ハイチャーチみたいなアングロカトリックはプロテスタントと異質だしね。 プロテスタントって要は宗教改革時代にカトリックから独立した諸団体の総称なんだから統一感がないのが当たり前 >>154
傾向としてはあるよ。
ルター派とカルバン派に大きくわかれる。
アングリカンチャーチにはカルバン派系のローチャーチとカトリック系統のハイチャーチ、中間派のブロードチャーチにわかれカトリックとプロテスタントを橋渡しするブリッジチャーチとも言われる。
ルター派とカルバン派の牧師は厳密には聖職者ではない。 >>155
そう。牧師はあくまで「羊飼い先生」であって、「神父」=「天の父なる神の代理人」じゃない。
牧師のポジションは、イスラーム社会におけるイスラーム法学者やユダヤ教のラビなんかに近い。 儒教は自身の主観や観念と、
世界の仕組みや自然の摂理は違っているかもしれない、
という慎重な認識に欠けていると思う。 >>157
いやいや、それどころではない
観念(理)と、現実(気)が違っていても、気にしないのが朱子学の特徴
たとえば!「74歳の婆さんが、70年前に慰安婦だったはずはない」というのは、いくら反日朝鮮人でも分かること
それでも「4歳の子供を慰安婦にするとは、日本軍は禽獣にも劣る」とかなんとか、強引に言い張りつづけるのが朱子学中毒者 >>156
イスラム教の場合、「法学者」と訳されるのはウラマーだね
「導師」と訳されるイマームは、事実上の聖職者に近いかもしれないが、厳密な定義付けとしてはどうなるんだっけ
特に、十二イマーム派をはじめとするシーア派各派は、スンニー派やイバーディー派に比べてイマームの位置付けがより重要視されてるようだけど >>159
イスラムは厳密には聖職者は存在しない。
イマームはスンニ派では祈りを呼びかける単なる導師だがシーア派ではカリフと同意義に使われるようになった。
シーア派イマームは中世イスマイル派のようにほとんど現人神に近い地位まで押し上げられたりもした。
イスマイル派の分派であるドルーズ派はイスマイル国家であるファティマ朝の急進的カリフだったハーキムを神格化してる。
又イスマイル派影響下だろうと言われるアラウィ派はアリーを神格化してる。 原始儒教は極めて素朴な宗教で、初期の儒学者は、社会的地位も低く、屋根の上にのぼってほうほうと大きい声を出して魂を呼び出したり、儀式の進行役をなどをやっていた。
しかしそんな状況が大きく変わったのが、孔子の出現から。
孔子は自ら「述べて作らず」といって、自分は儒教の祖なのではなく、昔の聖人がいったことを総合して述べているだけだと語ったが、しかし別な意味では、孔子が儒教を作ったといっても過言ではない。
孔子は、それまでは屋根の上にのぼってほうほうなどといっていた儀式屋のような、そんな原始儒教を受け継いで、体系的な宗教にした。
儒教の目的とは、「高級官僚を作るための教養を与える宗教」。
当時の中国でよい政治を行うには、その中間層として発達した「官僚制」が不可欠だった。
小室直樹『宗教言論』より 15世紀初頭に明第三代皇帝に即位した成祖永楽帝が、朱子学に基づいた、科挙の国定教科書『四書大全』『五経大全』を作ってしまう。
四書とは、「論語」「孟子」「大学」「中庸」、五経とは「易経」「詩経」「書経」「礼記」「春秋」を指し、いずれも朱子が選んだ儒教古典。
永楽帝といえば、北京城を作り、万里の長城を完成させ、鄭和に大航海させた名君だったが、永楽帝は、
「科挙は良い制度である。朕が完成させてつかわす」
と、受験の主催者にして、しかも最高権力者である皇帝自らが、科挙のための教科書を定め、受験問題の解説書を作り、そのうえ、永楽帝は「八股文」なる答案の書き方まで指導した。
いわば皇帝が作ったアンチョコで、これが社会に与えた影響は甚大だった。
これさえ勉強すればよいという指針ができたが、そのためにかえって官僚の質の低下を招く結果となった。 永楽帝による「四書大全」の編纂は、儒教の歴史上、非常にエポックメイキングな出来事
いまや官学であり、権威そのものと化した朱子学だったが、最初からそうだったわけではなく、むしろ朱子は不遇な孤高の儒者だった
永楽帝のおかげで、官学として固定され、権威そのものと化し、全国の知識人の頭脳を支配して、他の思想をそこから押し出していった 日本での国学や蘭学にあたるようなものは、なかったの? >>161
>屋根の上にのぼってほうほうと大きい声を出して魂を呼び出したり
中国では見られないが、韓国ドラマでは、
死んだ時の招魂の?儀式で、屋根の上で哭泣、上着のような衣をはためかせる映像を見かけるが、
そんなに伝統的なものだとは知らなかった。 >>166
屋根の上で哭泣するのが仕事の、「哭き女」という職業もあった 韓国は、20世紀の大日本帝国が、中国大陸から切り離して建国した新しい国だ
昔から朝鮮半島に独自の勢力があったと思うのは錯覚。
現代の地図を見慣れているから、そう思えるのであって、客観的に見ればそんなことはない。
17世紀から19世紀にかけての「大清国属」時代は、「半独立国」とすら言えず、「地方自治体」という程度の存在 しかし、土人の国だけに、かえって儒教本来の素朴なシャーマニズムを色濃く残していた
清では、儒教はもはや宗教というより学問そのものだったことを思えば、貴重な存在だった 明では朱子学は官学となり、永楽帝の命によって『四書大全』・『五経大全』・『性理大全』などが編纂された。
また中国最大の類書である『永楽大典』も編纂させた。
『四書大全』と『五経大全』(ともに1415年刊)は、『四書』と『五経』を朱子学の説によって解釈した注釈書で、以後中国と朝鮮で科挙試験の解釈の基準となった。
また『性理大全』(1415年完成)は、宋・元の性理学の学説を集大成した書である。
しかし、国家が経典の解釈を定めたために、儒学は形式化し、思想の固定化が進んだ。
科挙の受験者はこれらを暗記するのみで、明・清代の知識階級の自由な研究心は阻害されたといわれる。 朱子学の国定教科書「四書大全」を編纂したのは、明の永楽帝
これで、中国は思想的にはガチガチに固められてしまった
15世紀といえぱ、欧州ではルネサンスでフィチーノやエラスムスたちが自由な思想を展開し始めた時期
東西の歴史の向かう方向が交錯したのは、このときだろう 解決済の質問
郷紳と士大夫(官戸)ってなにが違うんですか? ベストアンサーに選ばれた回答
まず士大夫から。
語源は周の時代の卿大夫士からきています。
ですからもともとは身分の高い人のことを指す言葉でした。
しかし宋代くらいから科挙に合格するような知識人のことを指す言葉になっていきました。
宋代以降の士大夫は、読書人や知識人階層と説明されることがあります。
それは四書五経に精通した儒教の教養をもったエリート層のことを士大夫と呼んだということです。
読書人というレベルの教養を身につけるには、
それなりの財産が必要になってきます。
現代でも、富裕層の家庭の方が塾や予備校でしっかり勉強しているイメージがあると思います。
たいていは富裕層である地主の家から科挙合格者がでました。
逆に貧しい家庭の出身で科挙に合格しようと思えばよほどの天才でもない限り難しかったわけです。
宋代であれば、形勢戸と呼ばれた新興地主層が
この科挙合格者を大量に出した家になります。
科挙に合格すると、官僚になれます。
官僚になるとその実家はさまざまな特権を与えられ、官戸と呼ばれました。
しかし、士大夫=官戸ではありません。
士大夫はあくまで知識人という括りですから、
科挙に合格できる教養を持ちながら受験しなかった人も、
惜しくも不合格になってしまったような人も士大夫に入ります。
ですから、官戸は士大夫に含まれるくらいに思ってください。 次に郷紳です。
郷紳とは、明清時代の地方における有力者を指す用語になります。
この場合の有力者とは、官僚としての資格を持つ者のことで、現役の科挙官僚のいる家はもちろん、
休職中(喪に服したりするので、結構休職者がいます)や退職者も含まれます。
つまり、郷紳とは官僚の家のことですから、宋代の用語でいえば官戸にあたるものになります。
ということで、宋〜明清にかけての士大夫は
読書人・知識人層とも説明されるエリート層で、だいたいは地主層の出身でした。
まあ、地主層だからといって必ずしも皆が士大夫になるわけではありません。
お金持ちだからといって皆がしっかり勉強しているわけではありませんので。
科挙に合格→官戸(宋)、郷紳(明清)
というくらいに区別しておけば十分です。
元はどうなるのか、と思うかもしれません。
元ではほとんど科挙が行われていませんので、
科挙官僚がほとんどいません。
ですから官戸も郷紳もいないわけです。
ただし、試験が無くても知識人はいますから、
士大夫は元代でもいました。 >>169
そんな状態だったのは高麗末期と日清戦争前夜くらいだろ 大塩平八郎が「自分の書物に書いたことなど無価値だ。行動してこそ意味がある」というようなことは、
大塩独自の解釈で本来の陽明学の趣旨ではないかもしれない。ただ日本では陽明学と言えば大塩が出てくるほどに影響を残した。 「口先ばかりで行動しない」ということを批判するのは正しいが、
それは陽明学の趣旨とは関係ないのかも。 >>177
陽明学の発想としては、「世の人々を救済したい」という思いがあって、良知に曇りがないのなら、躊躇なく革命という行動に移るはずだ・・・という感じかな
ちょっと危険な思想であることは否定できない >>177
西郷隆盛や吉田松陰も陽明学信者。
三島由紀夫もそう。
ナショナリスト革命思想と陽明学は親和性がある。
陽明学者の安岡正篤は元々北一輝や大川周明の仲間だった。
安岡は戦後保守本流の守り札と呼ばれ平成の元号を考えた人とも言われるけどね。 実行して失敗する事よりも、逡巡して実行しない事を問題視する事業の世界にも信者は多い印象だね。
また、成否不明な作戦で兵隊が敢行する際に逡巡されたらたまらんから、兵隊の教育にも好まれるんだろう。 極左過激派にも陽明学の劣化版みたいな行動原理の奴が結構いるよな。特にブント系。 >>183
案外、思想系譜を詳細に追跡してみたら、そこに行き着くのかもしれんよ。 >>183
左翼過激派で陽明学の影響受けてるのは聞いた事がない。
右翼なら安岡正篤や三島由紀夫がいるけど。 考証学の祖で陽明学者でもあった黄宗義は中国のルソーと言われる。 >>186
江戸幕府に援軍を要請するため、長崎に来た人だな あのとき、もしも日本が明に援軍を出し、ともに清と戦っていたら、どうなっただろうな? 日本の思想史の上では、20世紀以降にあっても、右も左も過激なグループは多かれ少なかれ水戸学派の思想的影響を受けている、あるいは少なくとも行動原則が酷似しているといわれるね
そして水戸学派は陽明学の流れを明確に汲んでいるんだよな・・・ 江戸にある水戸藩の武家屋敷が、儒学研究の中心地だった
必ずしも、茨城県が当時の日本の学術の最先端だったというわけではない そうだ、ここが若干ややこしいところなんだが、日本の幕末の志士というのは、やはり朱子学の影響下にあるんだよ
というのも朱子学は、金に押されて華北を失い、やがてモンゴルに滅ぼされる亡国の南宋、
漢人のナショナリズムが燃え上がる時代を生き、悲憤慷慨する士大夫の思想
これが、なぜか中国よりも、日本の幕末の尊皇攘夷思想へとつながり、日本のナショナリズムを熱く燃え上がらせることになる。
ここが、思想ってものの不思議なところ。一方、中国はナショナリズムの形成に失敗して、再び亡国の一歩手前まで追い込まれた >>191
それは中江兆民が日本のルソーと呼ばれてるのと一緒。 >>189
水戸学は乃木希典通じて昭和天皇にも影響してなかった? >>193
中国では朱子学は受験の教科書になり形骸化したのでは? 水戸学と言えば水戸黄門終わって久しいな。
助さん格さんも水戸学者がモデルじゃなかった? 西郷隆盛が座右に置いた佐藤一斎は「陽朱陰王」と呼ばれた。
表向きは朱子学だが本音は陽明学だったのでは?
水戸学形成に力のあった朱舜水も陽明学の流れだったような。 >>197
そうやで
助さんも格さんも黄門様本人も朱舜水も朱子学者や 思想伝達のややこしさか。
ギリシャ哲学はキリスト教によりヨーロッパでは失われイスラム圏で温存された。
それをヨーロッパが逆輸入してルネサンスに繋がる。
イスラム圏とヨーロッパ圏の勝負は18世紀まではつかないけどね。 そういえば朱舜水て朱姓やけどまさか朱熹の子孫やないやろな
明の皇族の可能性もあるかな 一流の儒学者なら、朱子学も陽明学も両方とも知ってたし、他の学派のこともよく知ってた
歴史に名を残すほどの学者たちなんだから当たり前 水戸学の元で水戸藩が行った廃仏と李氏朝鮮の行った廃仏に共通点は無いか?
両方朱子学の影響が強い。 >>203
北魏や唐が行った廃仏は、道教勢力に皇帝がそそのかされて起きた >>200
初期のイスラム圏では、知識人の多くが、アリストテレスやプラトンを始めとするギリシャ哲学に引きつけられていた。
コーランのお告げは、彼らにとっては単純すぎる上に、矛盾が目につくものだった。
「イスラムを信じない者は地獄に堕ちるというが、イスラム登場以前に死んだ人は、みんな地獄に堕ちたのか?」、
「コーランは、あるところでは、神が天地創造したときは何も無かったと書いてあるのに、別のところでは、
天地創造前に神は玉座に座っていたとある。何もなかったのか、玉座はあったのか、どっちなのだ?」
・・・とかなんとか、ツッコミが殺到した。
ついには、イスラム帝国の教皇までが、ギリシャ哲学にハマッた。
首都バグダッドに「知恵の館」を建てて、ギリシャ語文献の翻訳を国家事業として推進し、せっせとギリシャの科学と哲学を広めた。
その後、アラビアやペルシャには大哲学者が次々に出て、哲学が大きく発展した。
でも、なぜか、15世紀あたりから欧州で哲学が急成長するのと反比例するように、イスラム哲学は大停滞の時代に入った
同じ頃、東洋では明が朱子学を国教とし、五百年の眠りに落ちていった >>206
ムハンマド以来最大のムスリムと称されるガザーリーが哲学を全て学んだ上で論難して否定したからね。
更に十三世紀にモンゴル襲来で知的中枢機関だった「智恵の館」が徹底して破壊され蹂躙された。 プラトンやアリストテレスの文献についての研究は、確かにイスラム圏でも大いに発展していた
だけど、時代を経るにつれ、どの文献が誰の思想によるものでどこまでがその系譜によるのかが、曖昧になる部分が出てきていた
特に、新プラトン主義の流れを汲む文献の一部が、アリストテレスの文献であると解釈されたりするなど、
新プラトン主義の基盤にある神秘主義的な傾向がイスラム圏でのギリシア哲学研究では残存していた
そうした神秘主義的傾向を持つ思想の系譜の中で、ガザーリーが哲学対信仰における信仰の絶対的優位性を唱え、
この思潮が主流となったことから、イスラム圏での哲学研究は足踏みをすることとなった
その一方、イスラム圏を通じてアリストテレスをはじめとする古代ギリシア哲学研究の再興が図られた西欧では、
より精緻な文献研究が進み、アリストテレス思想とプラトン思想、新プラトン思想についてのより明確な分析と区別が図られた
そうして、「12世紀ルネサンス」と呼ばれる中世末期のスコラ哲学隆盛が起こり、
13世紀のトマス・アクィナスらによるスコラ哲学最盛期の精緻な研究へと繫がり、
そうした研究の成果が14世紀になってダンテ以降のイタリアを中心とするルネサンスへと繫がることとなる
こうして、西欧の思想研究は、より合理主義的な思想傾向を持つ方向へと進んでいった 中国もゆっくりだが実証主義を重んじルソーになぞらえられる黄宗義が登場したり康有為の大同思想が表れたりはしてる。 助さんこと佐々宗淳は朱子学、朱舜水は実学、その教えを受けたのが覚さんこと安積澹泊。
助さんと覚さんの間で微妙に大日本史編纂の方針などで食い違いが生じている。 目の前の認識と自分の観念のどちらを優先させるのか、という点で
近代西欧は目の前で確認できる事象を事実として優先させ自分の観念や思想は二の次にし、
儒教は自身の思想・観念を優先させ、それに反する目の前の事象や現象は信じない、という違いじゃないのか? >>208 後段を少し推敲
その一方、イスラム圏を通じてアリストテレスをはじめとする古代ギリシア哲学研究の再興が図られた西欧では「12世紀ルネサンス」と呼ばれる中世末期のスコラ哲学隆盛が起こり、
それが13世紀のトマス・アクィナスらによるスコラ哲学最盛期の精緻な研究へと繫がって、より精緻な文献研究が進み、アリストテレス思想とプラトン思想、新プラトン思想についてのより明確な分析と区別が図られた
そうした研究の成果が、14世紀になってダンテ以降のイタリアを中心とするルネサンスへと繫がることとなる
こうして、西欧の思想研究は、より合理主義的な思想傾向を持つ方向へと進んでいった >>212
近代自然科学に関しては、むしろ素朴な経験を信じないで現象を理想化する思考実験の方法論こそが鍵だったわけだが。
社会現象に対する理解も、自然状態だの原始共産制だのに比べたら井田制の方がまだしも現実の社会に即している。
西欧特有のキリスト教の桎梏を東アジアや中東に投影するのはおかしい。 観念のみの考察で推論をすすめたわけではなく、
目の前の現象に対する既存の解釈に疑問を持って観測・実験を行うことで、
新しい説を挙げるにあたっては実証的な根拠を挙げていく、
という手法で物理的・化学的な技術が進歩し、それが新しい理論の実証になった。
観念だけの理論を進めても物理的な形や成果はなかなか生まれず技術的な成果も生まれないだろうと思う。 朱子学者は地球が平面だということを実証できなかったが、声闘では勝つことが出来た そんなもん古代でも中世でも洋の東西を問わずやっていること。
天上と地上を同じ力学が支配しているという大発見が突破口になって素朴な観察から対象の特殊性を取り除いて普遍性が抽出できるようになった。
力学が離陸してからも化学や生物学はしばらく前近代の水準のままで、百年二百年遅れて力学に頼ることで近代化を果たしている。 >>214
そうだな
むしろ、思考実験による理論構築にこそ、近代西洋科学の強みがある
物質を混ぜ合わせて火薬を作ったり、どの植物が何の薬草になるかなど、
経験則の蓄積にかけては、中国に一日の長があった 中国人は元来、即物的な国民性であり、抽象的な思考は得意ではない
抽象的な思考を得意とする国民性といえば、なんといってもインド人
それからペルシャ人やドイツ人
いわゆる「アーリア系」と呼ばれる人々に集中している 儒教がかなりの部分禅宗からの模倣でできてるのは知っての通りだけど
最近道教について調べてみたらこっちも禅宗からの影響が強いんだね
道士が座禅の真似事をするなど
そうすると結局3教が並び立ってたといってもそのうち2教は半分くらい仏教じゃないか 道教最大の教派である全真教は道教、儒教、仏教の三教一致を唱え道教の老子、儒教の孝経、仏教の般若心経を三大経典とし禅から強い影響を受けている。
そもそも道教特に新道教は道家や神仙道、中国民俗信仰を仏教の組織論に従って組織化していった側面がある。 中国仏教も道教や儒教の影響を受けてる。
仏教経典を訳す時には道教用語が多く使われ位牌や先祖祭祀は儒教から取り入れた。
禅で悟った人を示す「一無位の真人」は道教由来の言葉で禅の清規は儒教由来と言われる。 >>220
日本の神道と同じで、儒教や道教も、もともと中国土着の信仰で教義内容が乏しい
インド哲学の仏教に圧倒されるのは仕方ない 昭和時代に流行った「日本人論」では、「神道と仏教を神仏習合してしまった、何事も黒白つけない日本人の特質」とやらが盛んに議論されていたが、
中国の儒仏道3教の混ざりっぷりを見れば、残念ながら無意味な議論だったと思わずにいられない >>224
明代に進んだ士大夫の学問の三教兼学から朱子学への純化、という現象と、
日本の明治維新時に起きた神仏分離・廃仏毀釈という現象は、パラレルな性格があるのかも。 >>225
神仏分離と廃仏毀釈は江戸時代水戸学の元水戸藩で行われてた。
水戸学は朱子学の影響下で朱子学的ナショナリズムは強い。
水戸学は幕末維新の志士に大きく影響した。
李氏朝鮮では朱子学の影響下で廃仏が行われた。 儒教の影響力が強いと技術を学問として認める風土が育ちにくい。 >>227
それは儒教だけでなく神学が学問の最高峰だったキリスト教西洋も同じ。
キリスト教西洋には化学の元になる錬金術があり中国には火薬を発明したり漢方の発達を促した道教の錬丹術があった。
しかしその地位は神学や儒教に遠く及ばなかった。 西洋科学はやはり17世紀末のニュートン力学の誕生がエポックだろうな。
あそこで西洋科学はパラダイムシフトが起きた。 儒教中国では科学的知見は原則放置されたがキリスト教西洋では科学的知見は弾圧の対象になった。
この違いは何か関係あるか? >>218
経験主義的な中国よりそこから普遍的法則を見出だし理論構築していった部分に近代西洋科学の強みがあるというのはその通りだと思う。
その背景には思考実験の繰り返しと精緻な理論構築を成した中世キリスト教神学での訓練が生きたという事があるのではないか? >>223
儒教や道教に教義内容が乏しいというよりインド由来の仏教は抽象的思考に基づく精緻な形而上学の形成に長けていた。
儒教や道教には無い特徴。
形而上学というと一見役に立たない学問に見えるが万学の祖と呼ばれるアリストテレスが最重要と見た学問でもある。
経験論ばかり目が行き勝ちだが経験主義なら中国哲学の方が本来その傾向が強い。
経験から抽象化して普遍を見出だす点に西洋近代の特徴がある。
仏教が西洋近代科学と相性が良いと言われる部分もそこに共通点があるかもね。 >>230
そもそも、中国には新たな科学的知見が出てこなかった
それが最大の違い >>233
科学的知見と少しずれるが近代西洋の三大発明と呼ばれる火薬、羅針盤、活版印刷を発明したのは全て中国だよ。
決して新たなものが生まれなかった訳じゃない。 >>234
「物質を混ぜ合わせたら爆発的に燃えた」、「磁針を吊るして回転させたら、北を向いて止まった」
こういう経験則の蓄積にかけては、人口が多くて歴史の長く、多様な風土を持つ中国に一日の長がある
でも、そこからの発展があまりないのが中国の特徴 >>235
つまり経験だけに留まりそれを抽象化して普遍的法則を見出だしていく事が中国は苦手ということか?
理論構築をして経験から抽出したものを繋いでいかないと発展性には繋がらない。 >>235
そこに挙げる例は偶然的要素だが中国に置ける紙の発明や活版印刷なんかはかなり意識的にやってる。
儒教文化で文字社会だった社会的要請もあるのだろうけど。 西欧の学問の特徴は、天上の神の国の原理が地上に相似形で投影されているという
思想を持っていたところにあると思うな。
そして、その原点は「人は神の似姿として創造された」という聖書の句にある。
だから、西欧の学者は地上の世界の原理を解析することで、神の国の真理に接近できるという
信念に基づいて探求を行った。 >>237
紙の発明も同じ
ふるわたやぼろ布を洗って平らな場所に置いたまま忘れてしまっていると、
それらが風化してボロボロになりそのまま乾燥してやがて薄い膜のようなものができ…
こういう偶然の結果、紙の原型ができたと言われている
ただし、それを本当の意味で実用化した漢の蔡倫は、発明者と呼ぶに値にするけども 活版印刷も、要はハンコを並べたものであり、印鑑から自然に展開した
「壷やお墓などの銘文の拓本を取ったのが原型」という話もある >>239
それ言うならナイロンの発明も実験で偶然出来たねばねばをカロザースが実用に使えるものにしたのと変わらない話じゃない?
他にノーベル賞になる発明なんかは偶然由来がやたら多い。 >>241
もちろん、その通りなんだけど、中国の場合は、古代からの何百年もの経験則の積み重ね
まさに人類の知恵の結晶なのだが、そこからの展開が乏しいのが特徴 書物が、巻物から冊子本に進化したのは宋の時代
官僚国家には大量の文書が不可欠だが、千年前にそれを実現したのは宋 >>232
抽象化そのものは、中国でも西洋でもそんなに変わらないと思うが、
経験は持っているセンサーに影響を受けるから、センサーの差がそのまま出たのかもしれない。
中国の経験は、人間の感覚器官の域内に留まっていたが
西洋は域外に出る道具(望遠鏡、顕微鏡など)を開発し、そのまま知識の差になっていった。
ムラノ島のシリコンバレー化による透明ガラスの開発。眼鏡の発明。
ブドウ絞り器を改造して活版印刷器の開発。
活版印刷によって普及した書物に対応して眼鏡、レンズが普及。
レンズ普及による望遠鏡の開発、高精度化。顕微鏡の開発。
センサーの変化によって、より還元的な語が登場して、知識が変化。
こんな感じか。 中国が発展性が無いというより18世紀以降の西洋近代科学の発展の方が人類史にとって異常事態。
200万年と言われる人類史のほとんどを所謂原始時代が占めてる。
農耕が始まり文明が生まれてから数千年。
近代科学の発展はここ数百年。 >>244
いやいや仏教の影響で抽象化が進んだ朱子学は例外だが中国哲学は古代の諸子百家の時代から具象的かつ現実主義的。
一方古代ギリシャ哲学は数理的なものや抽象的なものが多い。 共産党が怖がる儒教の復権
2017年6月13日(火)10時10分
サム・クレーン
中国の教育省が2月に発した通達は、儒教の流行の一因となっている私立学校を牽制するものだった。
これらの学校は、古典的な哲学の書物や慣習を重視した教育を行っている。
共産党機関紙・人民日報系のタブロイド紙である環球時報は、この通達の背景を次のように報じている。
「子供の教育について保護者たちは伝統的な手法に目を向けつつあるが、各地方の教育当局には、『
四書』(儒教の重要な書物)を教育に取り入れている私立学校には注意を払うようにとの指示が出ている」
同紙によれば、国内にあるそうした私立学校の数は約3000校。そのほかに、公立学校の教育方針が合わないため自宅学習を選んだ子供が約1万8000人いる。
だが中国にいる膨大な小中学生の数に照らせば、ほんの少数だ。なぜ教育省は、非主流の教育をそれほど懸念しているのだろうか。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/2017/06/12/magw170612-china.jpg 孟子はかつて言った。「民を貴しと為し、社稷(しゃしょく)はこれに次ぎ、君を軽しと為す」
すなわち人民が栄えることも、伝統儀式が尊重されることもないのなら、君主などいなくてもいいという意味だ。
明朝の皇帝はこの思想を脅威と見て、孟子の書から削除しようした。 訳せないよそれは。民を敬じ 社稷を次点に、君主を軽んじるとか。 >>248
孟子には民本主義(デモクラシーの訳として吉野作造が使った)や革命思想があるからね。 四書全てと礼記を読み終わった。
海音寺潮五郎の詩経を読んでるところ。 角川文庫、ビギナーズ・クラシック、中国の古典「書経」H31.3.25付
を買ったが、読もうという気に全然ならない・・・ >>238
宗教に持って行くよりも、ギリシャのユークリッド幾何学の影響だろ。
少数の基本的な誰もが納得できそうな図形の性質を元にして、豊かな幾何学の定理の世界を構築して見せた。
それは極めて抽象的だけど、曖昧な部分はほとんど(後に誤りを指摘した人はいるが)なく、極めて完成された世界を実際に作った。
他の宗教書にあるように、A氏が読むのと、B氏が読むのとでは意味合いが違うなんて曖昧さは皆無だった。
>>229が出しているニュートン力学も、ユークリッド幾何学の形式で書かれている。 >>248 >>251
支那では、易姓革命を繰り返すたびに新たな専制王朝や独裁政権が樹立されるだけで、民主主義は定着しなかった 礼記に理想の世界としてあらゆる差別のない平等で平和な大同の世が説かれてる。
大同に対して君主制による平和を小康の世として儒教はこれを基本扱う。 >>255
民主主義を理想とした中華民国時代も実際は軍閥割拠か袁世凱や蒋介石の独裁になるもんな。
広い土地に世界一の人口を統合するには民主主義には無理があるかもね。 >>257
世界最大の民主主義国、インドという実例がある >>257
中華民国期については、中国共産党や日本の左翼が「暗黒時代」と宣伝してきた分、大幅に割り引いて考えなければいけない
戦前の日本と同じで、実際には急速に経済発展する明るい時代だった >>255
かつて江沢民は乱世になって皇帝の座を目指して相争う状況を
「分け隔てなく万民に機会が与えられている民主主義だ」とw >>258
じゃあ中国が民主化しても大きな混乱は起きない? >>261
英米に百年ほど統治してもらえば、中国も民主主義へと円滑に移行できる 「日本は、占領軍の前後改革によって民主主義になった
それに比べて我が国は、ロウソク革命により自力で民主主義国になったニダ」
と、左翼と朝鮮人は勝ち誇るのだが、それは事実ではない
日本の統治下で民主的な選挙による政治を経験したことが、韓国・台湾が民主化できた理由 フランス人も初期の民主主義が失敗したので、アメリカに学びに行った。 吉田松陰や志士達が過激化したのは大塩の影響があると思う。従来の朱子学だけでは過激化する要因としては不十分。 >>266
吉田松陰は陽明学左派の李卓吾にも影響されてる。
李卓吾は男尊女卑が常識だった当時に女性教育に乗りだし当局から危険視されて処罰されたような人。 現実に結び付かない知は空理空論に過ぎない、
という意味では陽明学は朱子学の欠点を真っ当に指摘していると思う。 2018.6.20
苛酷な学歴社会に生きる中国人が日本の給食や幼稚園に驚く理由
王青
6月上旬、中国では通称「高考」と呼ばれる大学統一入学試験が行われる。これによって、受験生はその後の人生が決まってしまうといわれるほどの一大イベントだ。
この間、中国全土は“戦時下”のような雰囲気に包まれる。受験生への配慮や気の使いようは“異常”ともいえるほどで、
この入学制度のあり方や受験生への対応については、中国国内でも疑問視する声もある。
(日中福祉プランニング代表 王 青) 去年秋に日本の公立小学校で給食の光景を撮影した映像が、中国のネットで大きな話題となった。
子どもたちが料理を運ぶ様子から最後のお片付け、掃除まで、当番の生徒が中心となりクラス全体が協力して行うこと、
そして食べ物を残さずにきれいに食べていたことなど、多くの人が驚き、感動したという。 中国が学歴至上主義の社会になったのは、明の時代
世界に先駆けて固定的な身分制度から抜け出したが、その弊害も大きかった 中国や韓国って、学歴至上主義なのにノーベル賞が少なすぎるよね 易経読んでるが「啓蒙」とか資生堂の「資生」とか易経由来の言葉だったんだな。 >>277
今論文の引用数で中国人の伸びが著しい。
ノーベル賞は実績あげてから数十年後にもらう賞だからね。
今ノーベル賞もらってる日本人の実績は高度成長からバブルにかけて積み上げたもの。 >>279
経世済民を略して「経済」というのは、漢語としては奇妙な言葉であり、本当は「資生」というのが正しい・・・
というのは昔から言われていたんだが、「経済」が定着してしまった >>283
それは一昔前の認識でアメリカなんかの世界トップクラスの大学の成績上位者の多くを中国系が占めるようになりそうとも言えなくなってきてる。 >>285
アメリカの政府と大学関係者は、
中国人留学生によるスパイ活動や知財権侵害などを防ぐために、
中国人の入学前審査を厳格化することを検討しているから、そんなことを期待しても無駄だよ >>287
対応が手遅れなのは中国だよ
研究者を育成しようとする前からつまづいてしまってる >>261
>じゃあ中国が民主化しても大きな混乱は起きない?
民主主義国のインドは、パキスタンや東パキスタンを切り離すことが出来たけど、
中国が、チベットやウィグルや南モンゴルを混乱なく切り離すことが出来るとは無理だね 次々壊スノ重死路レオパレス今モット上手ニ殺ッテルンダロダンパー問題ソノ他急速ヴェノム物件・銀行問題業界ゴト潰レル?ソノテイド利凍ル公害重イル?
虐待死刑スタッフ以外ニグループマイナス経常ケタチガイ万死葬災熱湯強烈今サラ薬害毒死多繋ガル看後死
1000件以上介護保険税金ムダ泥棒マダゴーン今環境殺ッテマス100オツムオムツ借金漬ケ棺桶型国家
森友ノロウイルス焼肉嘔吐虐待スイッチ押死耶手ゲローン戦争ソンポ部死テルン盗難
郡大老害山林焚書死テa麻薬王振戦違反重々ヤットストレス足ダシ若竹口爆発害ヤンキーノ種死ネ世
https://anago.5ch.net/test/read.cgi/welfare/1443184621/ >>289
インドは、パキスタンやバングラディシュとは違う国だという意識だから、切り離しができた。
中国はDNAに「統一」という言葉がインプットされているようだ。
日本のDNAに「和」という言葉がインプットされているように。 >>288
だからもうアメリカ留学経験のある中国人研究者はたくさん育ってしまってる。 >>286
入学前審査を厳格化するのはもちろん、在学中でも帰国させられるケースがこれからは増える >>291
13世紀の大元ウルス成立以降、基本的には統一国家が続いている
「中国はひとつの国」という、数百年にわたって刷り込まれた信念は意外と根強い >>291
西パキスタンはともかく、東ベンガル→東パキスタン→バングラデシュは明らかなインド世界だろ。
だからバングラデシュ独立戦争の時はインドが介入し全面的に応援した。 >>292
アメリカ留学経験があるだけでたいした研究実績はない 中国人留学生については、アメリカ政府が「産業スパイの疑いがある者は在学中でも帰国させる」という方針になったから、もう今までみたいな「活躍」は無理 中国や朝鮮には学問は権力の道具という価値観が染み付いていて、学問が政治権力から距離を置いて象牙の塔を確立させるのは難しいように見える。 アメリカの大学の競争率は高いから、その名目でも中国人の排除は可能か。
但し、現在の流れは共和党が起こしてるから、民主党政権を見てからの方が、判定しやすいか。 ゴタゴタ言ってても二十年後には嫌でも中国人ノーベル賞受賞者は結構出るよ。
自分も中国は嫌いだが事実及び高確率で起こると予測される事態を曲げて精神勝利にひたる朝鮮人みたいにはならないよ。 >>300
そもそも、「20年後のノーベル賞受賞者」なんてことにこだわること自体、なんとも朝鮮人っぽい(笑) >>301
なるほどそう言うと精神勝利に浸れるのだな朝鮮人! >>302
易経の有名な故事成語
治に居て乱を忘れず
虎の尾を踏む
思い半ばに過ぐ
形而下 形而上
尺蠖の屈めるは伸びんがため
類を以て集まる
君子は豹変す
開成
麗沢
革命 共産党独裁の下で学問が権力に介入されずに培われるというなら見てみたい。 そうだ
自由のない国では、自由な研究ができないから無理
そういうもんだよ、研究って そんなこと言ったら、今まで科学はここまで育ってない。
独裁体制下だって、政府が奨励した分野は育つ。
自由研究ができないからと、その分野の研究が全滅するわけじゃない。
(ES細胞研究や人間のクローンが禁止されたって、研究自体が全滅するわけじゃない。) 共産党に統制・支配された環境で中国の科学が欧米や日本を凌駕する気なのか? ひょっとしたら、科挙こそが、火薬や紙をも凌ぐ、中国が生んだ最大の発明なのかもしれない >>305
ソ連って共産党独裁だけど科学も最先端な時期なかった? 「平民でも、学力試験に合格すればスーパー特権階級、
逆に、いくら名門でも試験に合格しなけりゃ没落する」
日本や欧州の固定的な貴族制度と比べて、なんという社会進歩! なぜ、名門なのに没落するかというと、科挙に合格した官僚に、重い税金を課されて、土地をみんな持っていかれるからだ
地主の土地も、貴族の荘園も、みんなこれで無くなってしまう
身ぐるみ剥がれるのを防ぐためには、自分も科挙に合格して、地主を収奪する側に回るしかない >>310
東ドイツで物理学者をやってたメルケル首相は、「研究室の、コピー機のある部屋には共産党の監視員がいて、なかなかコピーを取らせてもらえなかった」と述懐していた
情報不足に苦しみながら研究を続けたが、やはり、西ドイツの水準には大きく遅れを取った >>310
一時期、ロケットでアメリカを上回っていた時期がある。
>>314
科挙官僚が搾取するから、社会主義にならない。 ソ連はロシアになってからも含めて20人程ノーベル賞がいる。
決して少なくない数だ。 深センなんか世界中から優秀な頭脳集めてとっくに日本を抜かしてる。
敵国がこれだけ伸ばしてるのに危機感抱くどころか謎の上から目線のチョン公みたいな日本人が結構いる。
情けないアメリカ頼みだし… 社会主義は資源を強制的に集中配分できるから経済的離陸期の国では効果が出る事もある。
貧困ロシアをアメリカと並ぶ超大国に仕立てたソ連の五ヵ年計画とかそうだ。
ただしインフラが出来上がりイノベーションの時代に入るとその仕組みが裏目にでる。 中国脅威論を煽って一番得するのは日本やぞ
中国が侵略してくるって言うだけでアメリカがシュバって来てくれるんや
こんなボロい安全保障他所じゃ到底真似できない 中国共産党の独裁下で欧米や日本の科学を凌駕すれば人類史に独裁主義の勝利の金字塔が立てられる。 >>318
深センも下チョンもノーベルゼロ
日本の足もとにも及ばない 中国人の優秀な学者たちが、学問の自由を求めて共産党独裁が解体される、というのは夢物語か? >ソ連って共産党独裁だけど科学も最先端な時期なかった?
ルイセンコ主義とか政治が学問に干渉しまくってた。 儒学というのは政治権力が介入しない学問の存在を認めない風潮があるのか? >>324
ルイセンコ事件は、ソ連の科学者がスターリン死後だけど、自浄能力を発揮した形になった。
むしろ、ソ連の報道から影響を受けた日本のマスコミの方が自己批判が遅れた形。
アメリカだってマッカーシズムがあっただろ。
ロバート・オッペンハイマーは公職追放され、中国学者のオーウェン・ラティモアは迫害を受けた。
ハリウッドではチャップリンが国外追放になった。
まあ、ジョセフ・マッカーシーはその後批判され影響力を無くしていくのだが、チャップリンは帰って来なかったね。 マッカーシーはラジオ時代だったら、きっと成功しただろうな。彼はTVに負けた。 >>321
欧米や日本の科学に凌駕され続けてるのが支那の現状 >>327
成功すれば、アメリカの黒歴史が更に増えただろうに。 >>326 >>327 >>330
冷戦後マッカーシーのアカ狩りは評価が上がってきてる >>326
あんなもん自浄能力じゃねーよ。ルイセンコのクソ詐欺に付き合ってたら、人民が飢えてソ連が滅亡してしまうから、
背に腹変えられずやめになったってだけだ。んなもん、やらかした実際の農地の状況を一目見りゃわかる。
むしろ、スターリンが死ぬまであんな詐欺が現実の農業で行われ続けたこと自体、専制独裁の証。
日本のマスコミ?マスコミは現実の農業生産なんて関係ないから。
別に収穫が1粒もなくても、新聞が売れてさえいれば、新聞社は倒産しない。 共産独裁下の中国で科学文明が自由主義世界のそれを圧倒するとしたら、
それはそれで人類の歴史が変わる。理解も想像もできんが。 >アメリカだってマッカーシズムがあっただろ。
ソ連の工作と浸透は寧ろマッカーシーの想像すら超えていたというが。 マッカーシズムのいろいろとまずかった点ってのは、
本当に危険な工作員を野放しにしていて、
単なる容共的なだけのリベラル派に誤爆をかましまくった事じゃないのか。 儒教って封建というより専制・独裁を志向してるんじゃないか? >>332
驚くべきことに、当時の日本で京大を中心に「正しい思想(マルクス・レーニン主義)」を背景にした科学でなければ
正しい科学でない、と主張してルイセンコ学説に入れ込みまくった学者が続出したんだよな。
当時から今日まで続いていて今はまともになっている生物学系の科学専門誌にも、当時は露骨なルイセンコ学説シンパ
の編集をやっていたのがある。
その同時代にソ連の農学研究者がルイセンコ学説に従ってどういうことをやっていたかというと、農作物の種子を
地下数メートルの深さに埋めて、その障壁を打ち破って真に強健な農作物が獲得形質によって進化してくる、
ってファンタジーな仮説を実証しようとしていた、というか実験圃場での試験じゃなくて実際の農場でそういう
指導をしていた。 >>291
いやバングラデシュ=東ベンガル州はおろか
パキスタンですらヒンズーVSイスラム、
つまりレコンキスタのインド版のような
宗教対立で大量の住民移動があって出来た >>336
儒教がその原点から指向しているのは、新石器時代的、青銅器時代的な首長制の都市国家共同体社会だよ。
そういう社会では君主たる都市国家首長は共同体に埋没した存在でもあるので無茶な専制が出来ない。
その状態を、そういう前提が崩壊した時代に後知恵で「徳があるから無茶をしなかった」と解釈したわけだ。
つまり、戦国時代になって鉄器時代的な領域国家へ社会が変貌して社会にそのストレスによる不安が高まる中、
古の共同体に桃源郷を見出してそこへ社会を回帰させる方法論を思弁したわけだ。 1990年代初頭の基礎科学(生物学)系の大学研究室でいろいろ諸外国の基礎科学の実情を
耳にする機会があったんだが、
当時の共産圏、つまりソ連とか中国とかではさすがにルイセンコ学説が跋扈したときみたいな
自然科学の学説の自由が阻害されるということはなくなっていたんだが、
学生が研究テーマを選んだり、学位をとった研究者が研究テーマを選んだりするときの
選択の自由がないって話が非常に印象的だった。
つまり、国家とその代行機関である科学アカデミーが「計画的」に研究テーマを選んで
人員配置をする、ということをやっていたんだな。 儒教が目指したのが何か、というより結果的な現象として、儒教は皇帝の独裁と専制に名分を与える機能を果たしてしまっている。 >>337
外国の成功例が報告されているのだから、それを農場で試すのはまさに正道だろ。
むしろ、共産圏だから何が何でもダメってのは視野狭窄すぎる。
それが失敗に終わって、やはりダメだったとなると、ルイセンコ主義は捨て去るだけ。
科学の正しい手法だな。
日本だって、医学の分野で成果を捏造した例があって、日本の論文捏造は酷いなんて報道が最近あったな。 >>328
大体がソ連時代だしロシア時代のもソ連時代に教育を受け研究してる。 >>341
儒教官僚が皇帝の専制を抑えて実権握る事も多かった。 モンテーニュが家柄によらない科挙官僚制を絶賛してる。
近代西欧の出現まで世界一の文明地域は中国だった。
科挙により社会的流動性が比較的あった事も影響してるのだろう。 >>322
深センは世界最先端のIT産業地帯。
シリコンバレーがノーベル賞と関係ないのと同じで関係ない。 >>347
おまえ馬鹿だな
シリコンバレーとノーベル賞の関係は深いんだぞ 独裁だったナチスの科学力は世界トップクラスだった。
核やv2みたいなミサイル、フォルクスワーゲンみたいな大衆車から世界に先駆けてのタバコの害の発見や有機農業に至るまで現代に通じてる。
更に広告宣伝の技術やケインズなきケインズ政策も時代に先駆けてる。 >>323
>>323
それを恐れて、毛沢東は知識人を殺しまくった
これによる中国社会の知的レベルの低下は大きく、まだ回復しきれていない >>349
ナチス・ドイツの支配下では自由な研究ができないので、アメリカに移住した研究者がユダヤ人だけでなくドイツ人や東欧人にも多かった
それにより、アメリカのレベルが飛躍的に向上することになる
ナチス・ドイツの体制がもっと長く続いていたら、ドイツの科学も、一部の軍需産業が突出するソ連や中国みたいになっていただろう >>346
それは認めるべきところだろう
今の日本でもフランスでも、学力が抜群に高い秀才が高級官僚になるのは当たり前と思われているが、これは決して当たり前のことではない
科挙は、火薬や紙にも勝るとも劣らない、中国が生んだ大発明の1つといってよい >>341
江戸幕府が朱子学を導入したところ、皮肉にも日本の知識人に尊皇思想が広まり、後の倒幕につながったように、
清朝にとっても、朱子学は攘夷思想で自らの首を締めるリスクを内包する危険なところがあった 学問を志して学問をするのではなく、権力を志向して学問を収める、学問は権力の為の手段、という傾向が強すぎると
権力と学問が距離が置けず、学問は常に権力と一体化して学問それ自体が独立して営まれにくくなるんじゃないか? 中国は共産党独裁の中国が西側の科学水準を凌駕する、という想像図なのだろうか?
ソ連だって一部の技術は西側に勝っていた時期はあったが、全体の水準は低迷したし。 >>346 >>352
モンテーニュが評価したのは制度であって内容ではない。
四書五経の知識が政治家や官吏としてどれほど有用かというと疑問。 >>355
水準が上がったのは国家目的の分野で、国が金を出して潤沢なところ。
研究者が自由な欲求でやる分野は金欠で水準は低い。 中国の優秀な学者は独裁中共の覇権に奉仕することを望んでいるのだろうか? >>358
そういう人もいるけど、最近は謎の死を遂げている
>量子スピンホール効果などで知られる中国系米国籍物理学者で、スタンフォード大学の張首晟(Shoucheng Zhang)教授(55)は12月1日に、米で亡くなったことが分かった。
張氏は1963年中国上海で生まれた。15歳の時、地元名門の復旦大学物理学部に入学。17歳の時に国費でドイツへ留学。
また同年、米ニューヨーク州立大学でストーニーブルック校で博士課程に入学。ノーベル賞物理学賞の受賞者である楊振寧教授が指導教官だった。1987年に物理学博士号を取得。
1993年にスタンフォード大学物理学部で教鞭を取り、1995年に32歳の時、スタンフォード大学の名誉終身教授となった。
https://www.epochtimes.jp/2018/12/38579_amp.html >>347
深センは名古屋より下だぞ
都市圏 GDPランキング
1位 東京
2位 ニューヨーク
3位 ロサンゼルス
6位 パリ
7位 大阪-神戸
8位 上海
10位 モスクワ
12位 ケルン-デュッセルドルフ
15位 サンパウロ
16位 香港
18位 メキシコシティ
21位 シンガポール
22位 名古屋
23位 深セン 結局中国人は民主主義や法治を馬鹿にしていて、共産独裁と人治を信奉していて,
独裁中共が西側世界を圧倒し,勝利することを望んでいるんだろう。 >>360
GDPじゃなくてシリコンバレーみたいに最先端技術が集まってるところが重要。 >>360
下のほうのひとつふたつくらいの順位差はどうでもよか >>362
支那に最先端技術なんて集まってないから、特許貿易収支赤字で世界ワースト2なんだよ >>362
深センは、日本でいえば楽天とかLINEとかソフトバンクみたいなとこだ
インターネットを活用したサービス業が盛んなのであって、「最先端技術が集まってる」なんてことはない >>325 >>336>>341
儒教というのは、王朝簒奪などのクーデターを「易姓革命」として正当化する反民主主義イデオロギーなのである >>366
王朝簒奪が何故反民主主義?
意味不明なんだが… >>365
それは朝鮮人の歴史認識と同じで勉強不足だ。 >>367
合法的民主的な手続きを経ずに王朝を断絶して別の王朝を樹立することなんて、主要な民主主義国ではありえないだろが >>369
近代民主主義の祖 ジョン・ロックも、「革命を起こす権利」を主張した ノーベル賞(自然科学分野)日本人23人韓国人 0 人 ノーベル賞(人文学分野)日本人3人韓国人 0 人
フランクリン・メダル(科学等)日本人7人 韓国人 0 人 ボルツマン・メダル(物理学日本人2人 韓国人 0 人
J・J・サクライ賞(物理学) 日本人6人 韓国人 0 人 バルザン賞(自然・人文科学) 日本人3人 韓国人 0 人
クラフォード賞(天文学等) 日本人2人韓国人0人IEEEマイルストーン(電子技術)日本人10件 韓国人 0 件
ウィリアム・ボウイ・メダル(地質学) 日本人2人 韓国人 0 人 ホロウィッツ賞(生物学)日本人1人韓国人0人
コッホ賞(医学) 日本人4人 韓国人 0 人 ラスカー賞(医学) 日本人8人 韓国人 0 人
ガードナー国際賞(医学) 日本人11人 韓国人 0 人 ウルフ賞(科学、芸術)日本人9人 韓国人 0 人
プリツカー賞(建築) 日本人6人 韓国人 0 人 フィールズ賞(数学) 日本人3人 韓国人 0 人
実績が違い過ぎる。中韓は同じ血統だろうけど日本は全く違う種であると思われる。 >>371
実績だけとか、中韓とは違う種とか、100年前の欧州人みたいな思考だな。 >>373
そうとも言えるが、中国はともかく、韓国については、
「我が国は、経済では日本に追い付いたニダ。技術力も追い付くのは時間の問題ニダ」
と言い出してから、すでに30年は経ってるぜ? >>372
革命権は自然権に含まれいざという時は革命を起こすぞというバックボーンがあるから民主主義は担保されてる。
保守主義の父と言われるバークすらアメリカ独立革命とイギリス名誉革命は賞賛してる。 >>360
民主化して香港・広州と一体化しさえすれば最強になるというのに >>372
易姓革命の革命は「天命を革める」という意味。
天命が尽きて別姓の者に天命が下るという理屈。
天命の大きな基準は孟子の民本主義だから易姓革命も表面的には民主主義的理屈が含まれる。 >>375
>>377
支那で易性革命が何度も起きてるが民主主義が定着した実例はない 農民反乱で王朝が滅ぶなど欧州では考えられないので、それが民主革命であるかのように称賛されたこともあったのだが 中華世界の「農民反乱」ってのは、あくまでも地域社会が飢饉などで崩壊した末の
全階層参加の「武装難民」なんであって、既に在地性を喪失して軍閥化への道をたどっている。
こうした集団が王朝を倒して天下を取っても、既に「帰農」は難しく、王朝を支える軍隊になるだけ。
決して新王朝の政策決定に影響を与える「農民集団」にはならない。
それが、在地性から逸脱することなく政治運動を展開した日本の中世末期の「一揆」と
大きく異なる。 儒教の教義の所為なのか分からんが、歴代王朝は愚民化政策を推進していたように見える。 >>382
地球は丸くなくて平面だ!という愚説を押し通すディベート術が、
朱子学者には備わってるからな 「世の中には上下の秩序があるという道理を地球球体説は壊してしまうのでけしからん」
という朱子学者の議論と、
「人は神の似姿として創造されたがゆえに道徳的存在であるという道理を進化論は壊してしまうのでけしからん」
というプロテスタント福音派の議論は、
よく考えてみるとすごく良く似た相似形なんだよな。 >>384
両方ともリゴリズム(厳格主義)という共通点がある。
リゴリズムはあるべき姿を現実に当て嵌めようとし過ぎる側面がある。 プロテスタントはその禁欲的リゴリズムがかえって資本主義を生んだとウェーバーは言ってるけど。 プロテスタントの場合その禁欲精神と職業聖召観の向かうエネルギーが商売に勤勉な人々を生み出し資本主義に至る。
朱子学はそのエネルギーが受験競争と権力闘争に向かった。 まあ、よく言われることだけど、日本の石田梅岩の儒教思想は、プロテスタント的な勤勉につながった
>石田梅岩の思想の根底にあったのは、宋学の流れを汲む天命論である。長年の商家勤めから商業の本質を熟知しており、
「商業の本質は交換の仲介業であり、その重要性は他の職分に何ら劣るものではない」という立場を打ち立てて、商人の支持を集めた。
倹約の奨励や富の蓄積を天命の実現と見る考え方はアメリカの社会学者ロバート・ニーリー・ベラーによって
カルヴァン主義商業倫理の日本版とされ、日本の産業革命成功の原動力ともされた。
(ウィキペディアより)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4e/Galleria_Kameoka_-_Model_of_Baigan-school.jpg/290px-Galleria_Kameoka_-_Model_of_Baigan-school.jpg プロテスタントのリゴリズムは、オランダやスイス、イングランド、合衆国北部の
ニューイングランド地方では資本主義勃興の原動力になっているけど、
合衆国の深南部、いわゆる「バイブルベルト」地帯ではそうなっていないように思えるんだよな。 >>386
その点でもプロテスタンティズムと朱子学が相似やと李光耀が言うてるやん 儒教は根本的に孔子からして間違った考え方だったからな
成功者管仲は「富国強兵」制作で国を栄えさせたのに
「士農工商」を提唱して重農主義に陥り資本主義の芽を摘んだ
更に「尊王攘夷」のスローガンの元、権威と権力の分散が為されていたのに
「大政奉還」を説いて専制国家を目指した
後に儒教が国教になると当然、中国は停滞状態になった >>388
石田心学に系譜先行するのは、儒教というより鈴木正三の仏教理論なんじゃないのか?
鈴木が唱えた一種の「在家主義」が、江戸前期の庶民の倫理の基本になっていく。
ただ、鈴木は時代的な問題もあって、商業がどんな価値を生むかまで説明しきれなかった。
そこを説明したのが石田。
でも、石田の時代には、世相がすでに中世的因果応報論から離れていたため、
仏教的な修行そのものからは切り離された倫理になっていった。
朱子学自体は、仏教以上に上級国民があくせく働くことを嫌う。
朝鮮がそうであったように、鼻くそをほじりながら聖人の道について思い巡らすのが士大夫の道。 >>391
問題は時機を誤まってる事じゃないか。
古代で資本主義は害悪だろう。
魯国で当時台頭してきた新興地主層とその指導者少正卯を誅殺したぐらいだから。
農産物の少ない時代は重農主義の方が有用じゃないか。 >>392
石田心学はやはり宋学の系譜だと思うが。 汗を流したり血を流すことを卑しむような思想は武家としては根本的に受けいてられないんじゃないか? 西周〜春秋戦国時代の本来の士大夫層、つまり都市国家(邑)社会の貴族層は
軍事の主たる担い手だったわけで、孔子の思想がそのまま
武を卑しむ思想であったわけではなんだな。 >>395
石田梅岩の場合彼自身の学問体験を独自に再構成したところがあり朱子学の影響も陽明学の影響も受けてた。
多くの陽明学者が朱子学を兼学したようにどちらか一方のみというのはかえって少数派。 今度お札になる日本資本主義の父渋沢栄一は儒教信奉者でそれに関する著作まであるが儒教精神と資本主義に関連はあるのか?
シンガポールのリークアンユーも儒教とシンガポールの成功との関連言ってた気がするが。 >>399
儒教の「徳治主義」を、大資本を握った経済的権力者の「自制」に応用すれば、
資本主義の健全な発展に資することができるって事じゃないかなぁ。 渋沢栄一『論語と算盤』
道徳と経営は合一すべきである。日本実業界の父、渋沢栄一が、後進の企業家を育成するために、経営哲学を語った談話録。
論語の精神に基づいた道義に則った商売をし、儲けた利益は、みなの幸せのために使う。
維新以来、日本に世界と比肩できる近代の実業界を育てあげた渋沢の成功の秘訣は、論語にあった。 要するに、「シカゴ学派」みたいな「強欲資本主義」をやらかしたら、
資本主義は健全に発展できない、って思想だな。 >>399
大いに関係あるわ
渋沢も李もそういう立場や
西洋のプロテスタンティズムと同様の役割を朱子学が果たしてるやんか ニートを理想の生活とした李朝の両班をみれば、
そんなもんはないって直ちにわかりそうなものだけどな。
繰り返すが、石田梅岩は、自称儒家だけど、言ってることは鈴木正三の上位互換。
朱熹や周敦頤が仏教を取り入れたのとは違う意味で、江戸中期以降の日本の儒学は軒並み仏教をパクってる。
というより、ほぼ「死生観を除いた日本仏教」といってもいい。
この系譜はそのまま渋沢栄一まで続く。 >>406
加地伸行は日本仏教は8割先祖祭祀の儒教で1割現世利益の道教で仏教性はたった1割程度だと言ってる。
渋沢の場合儒教原典を座右に置いて経営指針にしてた。 近代西欧はキリスト教と政治権力を切り離した。
清朝では終始儒教は政治権力と一体化したままだった。 >>405
明治維新より前は旧幕府・徳川専制の配下だったろ >>406
仏教は、解脱を目指す世捨て人の思想
「世のため人のため一生懸命に働いて、世の中をもっと良くしたい」というような、現世的な考え方ではないなあ
それはやっぱり、「日本型儒教」とも言うべき、儒教のひとつの変形バージョンと見るべき 儒教ってのは、日本と朝鮮では、ほとんど正反対の解釈になっちゃってるんだよな
体を動かすことを軽蔑し、顔を洗うのすら召使いに洗面器を持ってこさせて洗わせる、ブクブク肥った朝鮮人の両班
一方では、「世の中を良くすることが君子たるものの使命」と心得、一生懸命に働く儒教の徒もいるのだから、思想というものは、読む人によってはこれほど違ってくる 名分・正論の朱子学と実践・行動の陽明学が、
静と動の実際に現れる形の違いになったのではないか? 朱子学信者の中でも、字義通りの実践をしている者も僅かにはいるんだろうが、
大方は破戒僧の様な輩や出世の道具に用いる者の方が多いから、その差が出たんだろう。 >>409
徳川幕府は合議制に基づく集団指導体制。
こういうのを「専制」とは呼ばない。
せめて国語辞典か百科事典レベルの「専制」の語義、定義を勉強してから発言してほしい。 >合議制に基づく集団指導体制
別名「どんぐりの背比べ体制」 >>415
西洋人は古代ギリシア人の描いたステロタイプに引きずられて「東洋=専制」と
思い込みがちなんだけど、実のところ東洋の帝国で真に君主個人の思うが儘の
専制だった体制ってのは少数派。大多数は君主の権力基盤団体の有力者の
合議制であった事が多い。 >>412
朝鮮日報の社説を書いてるソヌジョン論説主幹がそういう意見だな
「朱子学の朝鮮、陽明学の日本」が持論 >>414
おまえ勉強不足だな
日本大百科全書の一文
「老中阿部正弘は幕閣専制を改めて」 「幕閣の専制」の権力範囲っていわゆる「アジアの専制君主」に該当するの? 大名が全国に分際してるし、幕府自体、親藩・譜代大名の連合体で専制政治をしたくても機能できない仕組みになってる。 単なる比較の問題のレトリックで、国家の政策を決めるのが幕閣に採用されている
譜代大名と大身旗本の合議による独占事項だったという意味合いの修辞であって、
いわゆる「専制君主制」を意味しているわけではないよな。 歴代将軍の中では5代綱吉が独裁的に権力を振舞ったが、
幕府組織自体が専制の仕組みを恒久的に定着させる、というには至らなかった。 >>414
徳川幕府の合議なんて、徳川将軍家臣下の世襲大名と徳川将軍家の幕臣だけしか参加できない非民主的な体制だろ
明治時代以降の民選議会や政党内閣じゃないからな 民主主義であろうとなかろうと日本では絶対的な専制権力は機能しにくかった。 結局、江戸幕府は宋朝や明朝のような「軍事力の一元化」が出来てないからな。
大規模な内乱や対外戦争で幕府直属の軍事力単独で対処することは不可能で、
諸大名の軍事力の協力を仰がざるを得なかった。ペリーの開国圧力に対して
老中阿部正弘が衆知を仰がざるを得なかったのも、幕閣に加わっている譜代大名と
旗本の軍事力だけで米国の軍事力に対峙することが不可能だったからに他ならない。 >>428 >>429
特許貿易赤字ワースト2位のクセに支那畜がドヤ顔してもなあw >>422
幕府の出す法度なんて天領でしか適用しなんだが >>426
朱子学を官学にした王朝や政権は,,例外なく反民主主義政権だったもんな 韓国では、いまだに日本製の機械・部品・素材を輸入しなければ、何も作れない。
工業製品の輸出が増えれば、自動的に日本からの輸入が増えて、対日貿易赤字が急増する。
「我が国は、世界に冠たる製造業大国ニダ」と勝ち誇り始めて、すでに25年くらいにはなるはずだが
(半導体など、いくつかの分野で日本を上回ったのは90年代中頃ではないか?)、
日本なしで何も作れないという点にかけては、当時とほとんど変わっていない。
「対日依存脱却を!」と、30年前も今も、同じように言い続けている。
正直、これは意外な展開だった。
日本と韓国の差が大きいのは分かっていたが、これほど埋められないほど大きな差だったとは思わなかった。
もうちょっと、彼らはそのうち何とかするかと思った。
この前例(?)があるから、「中国が日本を追い抜くのは時間の問題アルヨ!」と言われても、なかなか信じる気になれない。
そりゃ、中国は広くて、地域によって国民性が異なるから朝鮮人とは同列に語れないが、でもやっぱり・・・。 >>414
専制というのは政権の正統性のあり方を示すもので実権の所在とは無関係でしょ。
幼君の下で摂政たちの合議で意思決定するなんてのは典型的な専制だし、
逆に国民投票で選ばれたカリスマ的な指導者が極端な独裁を行ってもそれは専制ではない。 チャイナでは皇帝勅令が法律より優先される
儒教の人治主義だから 平凡社の「世界大百科事典」1988年版の「専制政治」から冒頭の定義を引っ張ってみる。
ちなみに、著者は立教大学総長を務めた国際政治学者の吉岡知哉。
『1人または複数の支配者による絶対的かつ恣意的な統治。支配者と被治者は完全に断絶しており、
被治者の政治過程への関与は否定される。」
まず、江戸幕府は征夷大将軍ないしは幕閣合議が絶対的政治権力を握っているかというと、
幕閣に参加できていない諸大名も島原の乱のような大規模な内乱の鎮圧や長崎港の警備のような
国防に関して協力を求められており、決して圧倒的な絶対的権力とは言えない。
また、諸大名も参勤交代によって江戸城に詰めて幕政への参画を義務付けられているほか、
諸大名の家臣団は大名領国の領民の上層部、つまり上層農民や上層町民と姻戚関係すら
結んでおり、上層農民や上層町民と一般の農民や町民との姻戚関係も存在する。
こうした重層的な中間団体の存在によって、被治者の間接的な政治過程への参画が
保障されているのが幕藩政治の実態。 じゃあ、参勤交代を制度化した家光なら専制政治ができたんじゃないか。 >>436
幕政に参画できるのは基本的に譜代と直参だけで、
自立した経済基盤が無いから徳川を掣肘する存在にはなり得ない。
老中を外様の大藩の互選で決めているくらいじゃないと被治者が政治に参画しているとは言えない。 まあなんにせよ儒教は士大夫が人民を導く教えだから民主主義にはつながらないだろう
実際中国朝鮮においてそうだったわけだし 民主主義云々に話をずらしているが、専制支配に話を戻して、
幕府が専制だとするなら、親藩譜代も含めて諸大名を廃し、所領を全部幕府直轄にし、
暦の制作も朝廷から取り上げて幕府が制作し、
老中を廃して将軍と将軍の側用人が代官を任命して全国を支配する、というくらいやらないと、
「アジア的専制」にはならないんじゃないか? 江戸幕府が封建体制、というのはよく聞くが、寡聞にして江戸幕府が専制体制というのは聞いたことが無い。 西欧の言う「アジア的専制」は主に古代ペルシャや近代ロシアのことを指すんだろう。 そもそもメロヴィング朝やカロリング朝のフランク王国やカペー朝フランス王国は
とても「民主主義」的な政体であったとは思えないが、あれを「専制国家」とは
言わんだろうに。 >>426
野蛮な支那朝鮮と違って、
先進国では民主主義であるか民主主義でないかというのが重要なんだよね 唐も専制国家ではない
「武則天は、科挙官僚を抜擢して皇帝専制を目指しました」
「趙匡胤は、節度使を引退させて藩鎮を無力化し、皇帝専制を実現しました」
・・・というのはつまり、「唐までは皇帝専制ではなかった」ということ >>442
そもそも、古代ギリシャ人が何を見て「東方の専制」を言い出したかといえば、当然ながらペルシャ帝国
いまの中国ロシアと同じで、桁違いの国力を持つ大国を、独裁者がコントロールしているのは凄まじい脅威だ
北朝鮮みたいな小国でさえ、絶対権力者が支配していれば恐るべき脅威になり得る 古代ギリシア人が「専制」を見出したアケメネス朝にしたところで、
真に専制的であったとはいい難い状況があったようだ。
実のところ、アケメネス朝の「ペルシア皇帝」なるものは、
ペルシア人貴族とメディア人貴族の集団の利益代表の性格が濃く、
帝国の政治は彼らの合議で動いていた側面がある。
つまり、この政権担当集団が征服した帝国内諸邦に対して帝国中枢は専制的にふるまったが、
肝心の中枢部は示威的に思うが儘にふるまえない状況があった。
これは、清朝皇帝が康熙帝の治世の半ばまで、中華に対しては専制的にふるまっていても、
国家の軍事を担う満洲人やモンゴル人に対して専制的な権力を振るえなかった、
というのに似ている。 >>445
唐で先制を目指して大失敗したのが玄宗皇帝なんだよな。
楊貴妃にうつつを抜かして政治に関心を失い内乱を呼んでしまった、というのは儒家のポジショントーク。
実のところ、楊貴妃を通じて穀倉四川盆地に地盤のある楊一族を抜擢してその視線の生産力をバックに
皇帝直属軍事力を増強、さらに武則天と同じ路線で科挙官僚の抜擢でそれまで権力を握っていた
北族系の諸軍閥から奪権を図った疑いが濃厚。
それに危機感を覚えた北族系軍閥と崩壊したばかりの突厥のお家再興を図る勢力が合流して
新政権樹立を測ったというのが安史の乱の本質らしい。 文革の頃、中国共産党は儒教を「封建的」と攻撃したが、「専制主義」と攻撃したことは聞いたことがないが、あったのか?逆に歴代の「専制的」皇帝よりも共産党の方が独裁的に見えるし。 >>449
儒教のテキストの文言のどこが専制的なのかはっきり示して。
そうじゃないとただの印象論。 マルクスの言うアジア的生産様式の上に立つ専制は古代ギリシャ人の言う専制より意味の狭いものでしょ。
幕藩体制はアジア的生産様式とは無関係だけど古代ギリシャ人から見たら立派な専制。
周の封建制となるとマルクスの意味でもアジア的専制にあてはまる。
あと、東アジアの意味での封建の対義語は郡県な。 >>414
京都大学教授の歴史学者が「幕府の専制体制」 >>450
だから、こっちも儒教を専制主義と批判されてる、とはあまり聞いたことがないって書いたんだが。 >>451
「幕藩体制という専制支配」とい解釈は今現在一般的に浸透しているようには見えないが。 大体現実にはマルクス主義体制を敷いている国家が先鋭な専制独裁じゃないか。 江戸幕府はどうみても専制だろ
尾張名古屋の河川防災事業を、関係ない薩摩藩に「やれ」と命じて、薩摩藩は異議なく従わざるを得なかった
抗議の切腹をした藩士も何人かいたが、多大な犠牲を払って困難な工事をやり遂げた
中国でも欧州でも、地方に対するこれほどの統制力は、なかなか実現するものではない >>456
教科書に「江戸幕府の専制支配」と記述されるようにがんばってくれ。 >>414 >>457
京都大学教授の歴史学者が「幕府の専制体制」 >>456
鎌倉幕府でも室町幕府でも江戸幕府でも、その本質は国家の正規の軍事担当者と認定された正規の武士に対する
「非常時の軍事指揮権者」なんだよ。各地の地方武士はその軍事指揮権に従うことと引き換えに地方統治や
徴税権を認められている。
この「非常時の軍事指揮権」は、太平の世になってからはインフラ整備事業にも等価で拡大解釈されるようになった。 >>459
藩、特に外様に対する支配はそういうものだよね。
土木工事は軍役の一種という慣習法あっての手伝普請だし、
それに武力抵抗で答えるという選択肢は観念的には広く認められていた。
それはそれとして徳川は本体が巨大なんだよなあ。 >>460
徳川ってのは、実質的に武田・今川・後北条という旧東国三国同盟の家臣団や領国組織を
そっくり飲み込んで吸収した組織体だからね。それで巨大組織化したという経緯。 まあ、結局のところ、外様が同盟して反乱したため、江戸幕府は崩壊するわけだが >>458
だからその「徳川幕府の専制支配」とやらの偉い京大先生の学説は一般化されてないだろって。 歴史的に「専制的」とか「専制指向」と評された政体でも、真に「専制政治」を
過不足なく実現していたかどうかは疑問符がつくケースが多いんだよな。
そもそも、被治者に言うことをきかせるための「暴力装置」、つまり軍事警察力にしてからが、
前近代には分節的な社会の各層に分有されていることが多く、「専制的」な支配者に
完全に独占されてないことが多い。権力中枢の軍事警察力は、社会の各層に分節的に
分有された軍事警察力に協力を要請しなければならず、その過程はまさに被治者の
政治過程への参加に他ならない。
だいたい、古代ギリシア人がアケメネス朝ペルシアを「専制」とみなしたのは、
ペルシア王と臣下の関係がギリシアにおける市民と奴隷との関係とパラレルだと
みなしていたという、多分に誤解をはらんだものだったし、
カール・マルクスの主張した「アジア的専制」の背景となる統治者に唯々諾々と被治者が従う
「アジア的生産関係」なるものも、マルクスの東洋社会に対する無知から発した議論だった
側面が多分にある。 ツァーリの専制支配を打倒せよ!と政権を獲ったマルクス主義者達が
ツァーリ支配よりもさらに過酷な専制独裁を敷くという皮肉。 >>466
実際のところ、「専制」というタームは、その政治体制が本当に「専制政治」であったかどうか
というよりも、現体制を「打倒すべき悪辣な旧体制」と位置付けるための政治的なスローガンであるケースが
多いんじゃないのか?
特に、マルキシズムのような発展段階史観の信奉者が、現体制を非難、あるいは今の新体制を擁護するために
特定の政治体制を「専制」とレッテルを張る場合が多いように思える。 >>414
>>426 >>440
日本国語大辞典での【専制政治】の解説
↓
非民主的な政治。 >>468
その定義で行くと、それこそメロヴィング朝やカロリング朝のフランク王国やカペー朝のフランス王国、
果てはポーランド王国の貴族共和制ですら非民主的だから「専制政治」ということになっちゃうんだよ。
古い時代の版の岩波書店の「広辞苑」で、「恐竜」を「中生代の巨大な爬虫類」と定義していて、
実はニワトリくらいの大きさの恐竜もたくさんいるという生物学的な常識と乖離していて笑いの種になっていたのと
似たような愚を犯しているように思える。つまり、「政治学・歴史学上の専制」ではなく
「社会的に一般的なスローガンとしての専制」を優先して意味を定義しているんじゃなかろうか。 >>469
どうも、歴史学でいう「専制」は、「絶対値としての専制」と「ベクトルとしての専制」が無批判に混在しているように思える。
前者は個人、あるいは少数の統治者が被治者を完全に政治過程から排除している政治体制。
後者は、それまで政治過程に加えていた集団を次々に排除していく過程。
「得宗専制」というのは、正に後者であって、それまでの「御家人合議制」だった鎌倉幕府の政治過程から、
得宗と身内人が有力御家人たちを排除していくプロセスに他ならない。
実際にはそれが完成することはなく、討幕運動を誘発して鎌倉幕府が滅亡した。 >日本国語大辞典での【専制政治】の解説
↓
>非民主的な政治。
そんな原則で歴史の教科書を書いたら歴史の大半が「専制時代」となるが、現実の教科書はどうなってる? >>470
非民主政治は全て専制政治でかまわないと思うんだけど、何か困るの?
この先、カロリング朝やカペー朝や貴族共和制のような非民主政治がその国で復活するとは思えないし 本来特定の学問の専門的なタームが人口に膾炙してしまい、
一般社会で通俗的に使われる意味が本来の意味と乖離を起こす、という事例は多い。
例えば、「進化」という生物学のタームに「進歩」の意味は含まれないが、
通俗的な用法では進歩の概念を内包して使われるのが普通。
こうした場合、「国語辞典」は学術タームとしての正確な用法より、通俗的に普及した
用法を優先して採用することが多い。 孔子の時代では黄河流域は分裂状態で専制には程遠い状態だったし、
専制体制を確立していたアケメネス朝のダレイオス3世について
孔子が分析できるほどの情報が入っていたとは思えない。
孔子自身は専制政治については接点は全くなかったとおもう。 >>472
歴史の大半が「専制時代」じゃないと、現実の教科書に書かれてるのか? >歴史の大半が「専制時代」じゃないと、現実の教科書に書かれてるのか
大体「専制」の表記はペルシャやロシアに特化してたと思ったが、お前の学んだ歴史では
一切合切が「専制政治」でまとめられているのか? 良く知らんが、今現在、「民主主義でなければ専制」なんて学説が学界で通用してるのか? >>477
>「専制」の表記はペルシャやロシアに特化
なんて書かれてる教科書は覚えがないな
「専制」については>>414が辞典の話をしだしたから例を挙げてるんだけど 古代ギリシアのスパルタではヘイロタイやペリオイコイが政治過程から排除され、
スパルティアテースの長老会の合議制で民主的な体制とはいいがたいが、
これも「専制」なのか? >>414だが、実は投稿してから「しまった!」と思ったんだ。
百科事典はまだしも、国語辞典だと専門的な学術用語の意味の説明が、
本当の学術用語としての意味から乖離していることが多いから。 >>482
おまえが本物の>>414だって教科書に書かれてるのか? 「専制」と言えばペルシャやロシアをまず想起させられる教育を受けたがいまは
「民主主義でなければ専制」という認識が一般的なのか? >そういう辞典は存在するよ
よくわからんが「民主主義でなければ専制」という考え方が定説的な歴史にされてるのか? 孔子当人の儒教は父権支配を中心とする家族道徳じゃないのか? >>485
辞典レベルでOKな>>414なら、その考え方を定説として受け入れるべきだよね >>486
そうだ
中国では儒教といえば、まず第一に「孝」なのだが、日本ではなぜか「忠」のイメージが強い
この辺りは、むしろ儒教が日本に入って歪んでしまったところ >>481
合議制なら専制とはいえない
辞書によれば、「専制」の対義語は「民主」ということだが、それはおかしい
本当は、「専制」の対義語は「合議制」のはず 共和−専制の軸と合議−独裁の軸がごっちゃになってるな。
僭主政は独裁でも専制ではないし、専制君主の宮廷が官僚の合議で回っているのも普通。 「専制」とは、1人の君主に権力が集中した政治体制のことであり、独裁体制の一種
「専制」と「独裁」がどう違うかというと、「独裁」には選挙で選ばれた政治家も含まれるが、「専制」は身分制社会の君主であるということ
つまり、プーチンは「独裁」だが、習近平は「専制」 >>490
てことは、「専制」の対義語は「共和」とすべきか? >>492
自分はそう思う。もちろん一つの体制の中で両方が混在することは当たり前にある。
村落自治の上に専制的な官僚機構が乗っかったり、
逆に貴族が人民を専制的に支配するかわりに貴族同士の上下関係は緩やかだったり。 >>492
アホか
共和制で専制体制の独裁者はけっこう存在するだろ うーん、それも一理あるけど
やっぱり、「共和制」の反対は「君主制」なんじゃないのかな?
でも、やはり、「合議制」の反対は「独裁制」というのが正しいんだろうな。
やっぱし、「専制」の対義語が「民主制」だという、辞書の結論に落ち着くのかもしれない 専制というのは権力が個人や特定機関に集中し、意思決定が密室的に行われ、
決定過程が公にされない状態が恒久化しているような状態をイメージしてるが。
皇帝支配で言えば朝廷などの会議で大臣などと公に討議した上で成される決定が成される、
というのは専制支配とは少し違う。
皇帝の私設秘書と皇帝が相談して意思決定を下し、大臣などの公職者は従うしかない、という状態が専制。 うちの藩は、江戸時代は藩の会議所で家老や奉行、百石以上の武士が集まって何事も決めていたらしい。
中には家老の言っているコトに反して、たかが百石取りの武士が言っているコトが正道だとして通り、
論破された家老は日記にあれこれ文句を言っている。
こーゆー場合はどうなるんだ? >>498
そんなんは民主制でも封建制でも専制でもあることや 唐代までは皇帝と宰相は共に座っていた
宋代からは皇帝は椅子に座って、宰相は立ったまま具申した
明代以降は皇帝は椅子に座って、宰相は土下座しながら具申した
フランスの絶対王政など眼中に無いのだよ >>501
唐代には北族系の軍閥の連合体の盟主として皇帝が存在した。
宋代には北族系、漢族系の諸軍閥が沙陀突厥系の軍閥を核として統合され、
皇帝は科挙官僚のリーダーとして官界に君臨した。
ただし南宋になると皇帝は金の侵攻を避けて江南に逃れた武装難民系の諸軍閥の盟主に
後退することとなった。
元代にはテュルク・モンゴル系遊牧集団の盟主として皇帝が存在し、
同時に支配層たる遊牧集団が征服者として被征服漢族の上に君臨した。
明代には軍事は皇帝のもと一本化され、
科挙官僚は皇帝の下僕として大規模粛清の恐怖と戦いながら出仕した。 孔子が家族中心の道徳を説いた儒教の影響で今の中国には公共道徳が育たなかった、とも言われる。 明は王朝自体が皇帝個人の私物のようになってしまい、
国家としての機能を喪失していきながら滅亡した、と思う。 >>503
孔子の時代には、まだ邑という都市国家的な共同体を形成する族集団に、
個人やら家族やらが意識の上で埋没していた。だから、家族を大切にすれば、
無理なく邑の共同体に対する公の意識に直結した。 >>504
やっぱりなぁ、所詮は武装難民軍閥の乞食坊主上がりの頭目の私兵集団の延長線上の王朝なんだよな。
それだったら遊牧系軍閥出自の王朝の方がよほど「公」の意識に富んでいる。 毛沢東は儒教の家族道徳こそ近代化における障壁だと見なし、
家族を告発・密告するように奨励し、儒教道徳の根幹である家族道徳の徹底的な破壊を目論んだ。 そういえば、1980年代の「進歩的文化人」の中には、家族の解散による個人の解放こそが、
社会の望ましい進歩の方向だ、みたいな暴論をぶつのもいたな。 家族っていうか宗族っていうのが近代化の障壁になるからそれをどうにかしようとしたんでしょう
石平の本によると今では完全に復活しちゃってるみたいだけど 毛沢東は儒教道徳さえ壊してしまえば、近代的な国民道徳が生まれる、と考えて居たっぽい。 毛沢東はもともと湖南共和国独立論者で反中華思想だからな >>487
そうだな。デモクラシーの反対はオートクラシー(専制)だしな。 >>515
そうすると、欧州で「王権神授説」の理論支柱になったキリスト教も、
「非民主主義に賛成の専制カルト」
になるわな。 >>514
デモクラシーとオートクラシーは単純に二項対立じゃないだろ。
そもそも、古代ギリシア人がデモクラシーではない政体として最初に想定したのはアリストクラシーだ。 堯は「帝王の力なんて居ても居なくても同じことだ。」と老いた百姓が楽しそうに歌っているのを見て、天下が太平だと悟った
この伝説の帝王堯の逸話が専制政治の理想である
民が専制帝王を熱狂的に支持するより、民が専制帝王に無関心なのが理想だという事である >>518
国民の多くが政治に無関心な、現代日本の自民党政権は限りなくそれに近いな >>519
僕もこないだ戦後から平成の終わりを振り返って鼓腹撃壌を連想したわ
史上最もこれに近づいた時代だろ
民主主義の理想とは違うとも思うが >>519
>現代日本の自民党政権は限りなくそれに近いな
日本の衆院選では国民の多くが投票所に足を運んでるはずなんだけど、帝王堯に支配された愚民どもにも同じような投票権があったのか?
もしそうなら投票率を数字でだしてみてよ >>519
確かに政治的に安定的な寡頭制は民主制でも発生するから、
民主制+寡頭制は、専制政治の理想を実現するにはいい仕組みなのかもしれない。 >>464
「一般化されてない」程度だと、学説そのものに対して反証したことにはならないよ 朱子学者 「明と朝鮮の連合軍で日本を占領して欲しい」 >「一般化されてない」程度だと、学説そのものに対して反証したことにはならないよ
「幕藩体制は封建支配体制ではなく、専制支配体制である」と
「幕藩体制の封建支配」を否定し、「幕藩体制は専制支配」を肯定する論理ってどんなもんなの? >>525
多分、非民主的な政体すべてを「専制政治」と言い募りたい人にとっては、
封建制も専制政治の一種なんだよ。 儒教もキリスト教も父権支配が基本というところでは共通している。 >>516
「王権神授説」の時代の欧州キリスト教が「非民主主義に賛成の専制カルト」だとしても別に問題ないわな
そして儒教を官学にしてた支那朝鮮王朝はどの時代もずっと非民主主義体制だったから、
儒教は完全に「非民主主義に賛成の専制カルト 」で問題ないよな 父系というより女性にとっての宗教だからな。男性が取り上げられる。 陽明学って儒家の流れというより墨家の思想が根底にあるんじゃないか?
大工的な「形にしなければ価値が無い」と体を動かして物を作ることを重視する発想と
「体を動かして行動しなければ、いくら口を動かしても意味が無い」が通じるものがある。 >>525 >>526
専制の反対語は封建じゃないもんな >専制の反対語は封建じゃないもんな
対立軸で支配体制の分析・解釈を展開してるの? >>532
専制体制と封建体制は必ずしも対立するわけじゃないけど、
専制体制と民主体制はかなり相性が悪い>>514 辞典レベルだとな 「江戸幕府は封建支配体制ではなく、専制支配体制である」
というなら斬新な歴史解釈であり面白いと思ったが、
単に、「江戸幕府は民主体制でないのだから専制支配体制だ」
という思いを吐露してるだけなのか? >>534
思いじゃなくて辞典だから
468 世界@名無史さん 2019/04/26(金) 18:09:44.56 0
>>414
>>426 >>440
日本国語大辞典での【専制政治】の解説
↓
非民主的な政治。 >>535
だからそれを根拠に是非
「江戸時代の幕藩体制は封建支配体制ではなく、専制支配体制である」
という論陣を張ってほしい。ものすごく斬新な説だと思う。 民主の反対が専制と言葉尻を言っても、
現実には「民主集中制」「プロレタリアート独裁」などと
共産党支配では民主主義を標榜した独裁・専制体制を敷いているし。 >>536
おれは「江戸時代の幕藩体制は封建支配体制ではない」なんて説を主張したことないから、お前が自分で勝手にやればいいじゃん
おれは辞典レベルで「専制体制と民主体制はかなり相性が悪い」と主張してんの
468 世界@名無史さん 2019/04/26(金) 18:09:44.56 0
>>414
>>426 >>440
日本国語大辞典での【専制政治】の解説
↓
非民主的な政治。 >>537
共産党のいうそれらの言葉なんてキチガイ左翼だけしか信じてないだろ >>538
じゃあ「江戸の幕藩体制は専制支配体制」とか持ち出すことないんじゃね? >>540
「江戸の幕藩体制は非民主的な政治だから専制支配体制」だろ
辞典レベルではな
468 世界@名無史さん 2019/04/26(金) 18:09:44.56 0
>>414
>>426 >>440
日本国語大辞典での【専制政治】の解説
↓
非民主的な政治。 >「江戸の幕藩体制は非民主的な政治だから専制支配体制」だろ
歴史解釈というより政治信条のレベルじゃね? >おれは「江戸時代の幕藩体制は封建支配体制ではない」なんて説を主張したことないから
>「江戸の幕藩体制は非民主的な政治だから専制支配体制」だろ
話が分からん。 >>542
いや政治信条じゃなくて辞典レベルだよ
おまえは辞典レベル未満だけどな
468 世界@名無史さん 2019/04/26(金) 18:09:44.56 0
>>414
>>426 >>440
日本国語大辞典での【専制政治】の解説
↓
非民主的な政治。 >>543
日本語が苦手だから分からんのだろ
辞典が読めるくらいにならないと相手にならんぞ
468 世界@名無史さん 2019/04/26(金) 18:09:44.56 0
>>414
>>426 >>440
日本国語大辞典での【専制政治】の解説
↓
非民主的な政治。 なんかすげぇ既視感。
大昔、まだインターネットが普及する前、パソコン通信のニフティってのがあってな。
その歴史学フォーラムで「進化」というタームをどう使うべきか、という大議論があったのよ。
「進化」というのは生物学的にはまったく「進歩」の概念を含まんのだが、
通俗的な使い方では「進歩」とほぼ同義で使われてしまっているというギャップがあってな。
それで、国語辞典なんかでもむしろ通俗的な解釈を採用してしまっている。
それで、歴史学の現象を分析する厳密なタームとして「進化」を持ち出すとすると、
通俗的な意味と生物学的な意味のどっちを尊重すべきかという大論争になった。
しまいには、通俗的な意味を優先すべしとする派の論客は、国語辞典に進化が進歩とイコールだと
書いてあるのに、そういう意味で使わない生物学者の方がおかしいのだと主張し始めるに至った。
今の議論はそのフェイズにすごく似ている。 >>546
それがあたりまえ
辞書は生物学事典でも生命科学事典でもない >>547
それだと、
「辞書は歴史学辞典じゃないんだから歴史学的に正確な意味を載せているわけではない」
とならんか? >>545ー546
「幕藩体制は専制支配」ってぶっ飛んだ歴史解釈だな、と思ったけど、
「幕藩体制は封建支配ではなく専制支配である」という歴史解釈の新説を挙げたのではなくて、
辞典の記述を元にした言葉尻なのか。 >>551
おまえのクソレスより辞典のほうが説得力あるから、
読み間違いしないように、ちゃんと日本語を覚えほうがいいぞ
468 世界@名無史さん 2019/04/26(金) 18:09:44.56 0
>>414
>>426 >>440
日本国語大辞典での【専制政治】の解説
↓
非民主的な政治。 >>551
もともとは、西洋でプロテスタンティズムが近代資本主義を牽引したのと同じような役割を、
近代日本では渋沢栄一にみるように儒学が果たしていたんじゃないかって議論をしてたわけ。
そうしたら、儒学は専制国家の思想であり、渋沢も儒教主義の江戸幕府の臣下だったんだから専制主義者、
というふうに絡んできたのがいて、
そこから江戸幕府は専制支配とは言えないだろという反論に、国語辞典の言葉尻とかいろいろ引っ張ってきて
民主主義じゃないのは全部専制だから幕藩体制は専制、という風に話がエスカレートしていった、というわけ。 ちなみに、国語辞典じゃなく百科事典の方の「専制政治」の定義はこれな。
>>436
>>『1人または複数の支配者による絶対的かつ恣意的な統治。支配者と被治者は完全に断絶しており、
>> 被治者の政治過程への関与は否定される。」 >>554
横からだが、その例の定義の支配者、被治者は誰なのか?だな。
>>436の文章だと、何の縁故もない一般庶民に権利はないように見えるが。
そこでいう、「1人または複数の支配者による絶対的かつ恣意的な統治」によって、
何の縁故もない一般庶民は、統治者と完全に断絶し、政治関与は否定されてないか。
武士階級やコネのある下層階級だけを見て、その他大勢を見てないんじゃないか。 >>555
よく読んでもらえればわかると思うんだが、これは平凡社の「世界大百科事典」での
国際政治学者の吉岡知哉による解説の冒頭の定義部分だけを切り取ったものだよ。
だから、本質的には特に江戸時代の日本を念頭に置いた文ではないんだが、
それでも、江戸時代の庶民は基本的に「無宿者」を除くと何らかの中間団体としての
共同体に所属しているものであり、上層から下層に向けて重層的に重なった中間団体の
連鎖によって、政治過程へのアクセスの道は存在している。
つまり、幕藩体制とかフランスのアンシャンレジームといった前近代の「社団国家」において、
被治者はなんらかの中間団体である「社団」に所属することで諸権利を保障されており、
けっして丸裸で絶対的な統治者に向き合っているわけではない、というのが重要なポイントなんだ。 >>436
「1人または複数の支配者による絶対的かつ恣意的な統治」
徳川幕府の時代は、領民に選挙権すら認められてない
しかし
明治時代以降は、国民に選挙権が認められるようになる
徳川幕府の時代は選挙で選ばれてないのに、徳川将軍家の家来である大名や幕臣だけしか幕政に参加できない
しかし
明治時代以降は選挙で選ばれると、諸大名の家臣団と姻戚関係がない平民だって国政に参加もできる >>557
そうだよ。
だけど、それは江戸時代の幕藩体制が専制政治だったことを証明しているわけではない。
世界中の前近代の政治体制はたいがい非民主的であったが、それだからといって専制政治だったとは言えない。 >>558
徳川幕府は非民主的だって証明されたんだから辞典レベルで専制政治だよ
徳川幕府が民主的だってことを証明しないと反論にならんぞ
468 世界@名無史さん 2019/04/26(金) 18:09:44.56 0
>>414
>>426 >>440
日本国語大辞典での【専制政治】の解説
↓
非民主的な政治。 全か無でしかとらえられないガイジか
中間段階が無数にあって専制か民主かは相対的なものだと考えれば何も問題ないだろ >>436
平凡社の「世界大百科事典」でも徳川幕府の「専制政治」が証明できちゃったね有難う
「1人または複数の支配者による絶対的かつ恣意的な統治。支配者と被治者は完全に断絶しており、
被治者の政治過程への関与は否定される。」
「徳川将軍家とその家来である複数の大名幕臣による絶対的かつ恣意的な統治。士族と姻戚関係がない平民は完全に断絶しており、
平民の国政への選挙権は否定される。」 >>546
20世紀の哲学で盛んだった「言語分析」みたいだな
「専制とは何か?」という根本的な問いに対して、「専制という言葉の語義を考えよう」という方針で臨む(笑) >>546-548
おおもとの意味から逸脱してしまってるのなら「リベラル」もそうだな。
イングランドで最初使われ始めた時は
「保守」=大きな政府論、「リベラル」=小さな政府論
だったのだが、アメリカに行って意味合いが変わり、ほぼ真逆に。
俺はイングランド流の解釈をとってるけど、アメリカ流の解釈をする人とは
まるで話が噛み合わない。 それ言うならパトリオット(愛国者)という言葉はフランス革命左翼が起源。
フランス革命当時は王公貴族の方が国際的な血縁関係で結ばれたコスモポリタン(世界市民)に近かったがこちらが右翼と呼ばれた。
今は当時と意味が逆転してる。
最近はコスモポリタンスーパーリッチと言える新自由主義の国際的富裕層と反グローバルのナショナリストに分化して左右の定義自体揺らいでる。 「民主体制でなければどいつもこいつも専制支配」という歴史観ってすげぇ斬新だな。 >>414 >>441
NHKでは幕府の専制と言ってるけど
↓
NHK高校講座 | 日本史 | 第25回 第4章 近代国家の形成と国民文化の発展 幕府の滅亡
https://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/tv/nihonshi/archive/resume025.html
この安政の大獄を機に、幕府の専制に対する批判が急速に広がっていきます。 歴史の話で言えば専制を始めた秦の始皇帝は儒家ではなく法家を用いた。
意思決定を末端まで権力が及ぶ機能は儒家よりも法家なんじゃないか?
儒教を国教化した武帝も専制色を強めた末期は法史を徴用した。 井伊直弼という幕府大老による安政の大獄を専制、と表現しているようだが、
(御三家の連中に斬り殺されている大老って専制者か?)
「幕藩体制は江戸幕府の専制支配体制だった」と総括するまでには至っていないように見える. 儒教は基本的に父権を中心とする家族道徳であり、国家観を以て専制体制を支えたのは法家だろ。 北条家得宗にしろ、井伊直弼にしろ、危機対応のために「専制方向」へのベクトルに舵を切ると
日本史ではだいたいクーデターとか暗殺で潰される憂き目にあっているな。
織田信長の本能寺の変とか大久保利通の紀尾井坂での暗殺とかも、同様の側面がある。 儒教が蔓延って政治が機能しなくなる、という事例が漢王朝では度々あったし、
儒教にどっぷりつかってた李朝が国家として機能していない状態だったことから、
家族道徳を基とする儒教は専制政治の下どころか、国家機能を破壊しかねない側面があると言える。 >>572
邑制社会の秩序が解体していく時代に、古の邑制社会の全盛期の道徳に立ち返りましょう、
ってのが儒教だから、領域国家の時代にそこに純化した政策をとれば機能不全になることは
ある意味当然の事態。 儒教原理主義に基づく純粋な儒教国家をつくろうという革命が、新の王莽 古代の邑制社会が崩れてきて、でも郷里制の共同体は残存しているのが
戦国・秦・前漢の社会のアウトライン。
ところが前漢の統一体制の中でその郷里制社会ですら豪族荘園の成長で崩れてきてしまい、
それに依拠していた前漢の統治体制にゆらぎが生じた。
それを郷里社会の復興どころか一周まわって西周時代の邑制社会にまで巻き戻そうとしたのが
王莽の新。 儒教は道徳の観念論であって、統治の技術論ではないから、
歴史上では儒教が実際の政治に深く携わると混乱を招いた事例が多い。 明朝では永楽帝が即位すると、朱子学に基づいた科挙の国定教科書を作って、専制主義を強化していった
だがその後、英宗帝が敗戦してモンゴルの捕虜になって連行されると、
科挙に合格した高級官僚らは
「周章狼狽、策の出るところを知らず」と激しく動揺するばかりで何もできなかった
そしてこの危機に対応したのは、宦官らであった >>577
官僚を朱子学で洗脳し木偶の棒にして皇帝権力を脅かさないようにすることで、
専制を強化した、としか読めないが、
その意味で「儒教は専制政治の元」って言いたいのか? >>579
自分の見解を言わずにただ上げるだけか? >>580
自分の見解じゃないといけないなんてルールあんのかよ
自分より詳しい人の意見に耳を貸す謙虚さが大事だと思うんだが >>580
あげた以上、何らかの見解の議論をするつもりだと思っていたが、
東大先生のまとめ上げました!後は勝手にどうぞ、ってことか。 官僚達に朱子学の勉強に時間を費やさせることで、
皇帝の権力を脅かすような実務能力を身につけさせまい、
という明皇帝の専制支配への深謀遠慮の手段として朱子学が利用された。
その意味では朱子学が皇帝専制支配に与した、と考えられなくもない。
このおかげか、明は最後まで明皇帝を脅かすような配下は現れなかった。 >>581
結論だけじゃなく、その東大の研究者の議論の構造を上げろってことだよ。 >>584
だったら自分でやれば
ここで他人におねだりしても無駄だと思うぞ 難攻不落と思わられてた北京城だったが流賊の李自成の軍勢に包囲されると、城内の裏切り者が門を開けてしまったので李自成軍は難無くこの城を陥落できた
李自成が北京城に入城すると、明朝の高級官僚らは、「李自成万歳」と声をあげて、この流賊にひれ伏したという >>585
そもそも、著者名すら挙げられてないものを… >>587
官僚に乗っ取られないため官僚を朱子学で愚民化洗脳したら、流賊に滅ぼされたでござる、って言いたいのか? >>588
興味があるなら自分で調べようね
けっこう有名人だからすぐわかるはずだけど 歴代王朝が有力官僚に乗っ取られた過去を想定して、
予防として官僚の弱体化を明王朝は狙って、
実用的でない朱子学の勉強に官僚に時間と労力をと使わせ、無能になるよう誘導した。
これによって官僚が皇帝を脅かす、という危険は大幅に緩和されたが、
官僚が無能なので流賊や外敵の前に明王朝は脆くなり、流賊によって滅亡した。 それにしても、明朝ってのは本当に恐ろしい政権だな。
科挙試験を頑張って官僚にならなければ一族が郷紳士大夫階層から転落する。
官僚になっても皇帝のご機嫌を損ねれば凌遅刑による族滅が待っている。
これじゃぁ心の底からの皇帝への忠誠心は育たないだろ。 官僚に忠誠を尽くしてもらうことよりも、
官僚に王朝を乗っ取られないことを重視し、それは貫徹・成功した。 恐怖政治の官僚国家
ヒトラーやスターリンの政治が三百年つづいたようなものだ
「漢人王朝」を維持するのは、よほど大変だったのだろう 李自成は、民衆だけでなく、官僚にとっても救世主になってしまった 儒教の経典のどこの文言が専制を肯定してる?
四書五経読破したがどこにも専制肯定はなかった。
むしろ民本主義的かつ徳治主義。
法家なんかは専制主義的だけどね。 >>598
あの辺をここで主張していたのは、
「前近代の近代民主主義ではない政体はすべて専制政治でその裏付けになっていたあらゆる宗教は専制支持」
と主張したいだけの「変な人」だから。 専制の側を代表する秦の始皇帝が、バリバリに法家思想で、儒教を焚書坑儒したのを見れば明らかではないか 中国では、儒教といえば、まず第一に「親孝行」と「先祖」なのだが、日本では「主君に忠」というのが強調されてきた
その日本型儒教を見て、儒教そのものを誤解してしまったのだろう 本家の中国以上に儒教に傾倒していた韓国でも、当前この原則は踏襲されている。しかし、韓国では、1392年から1910年までの実に518年間の長きにわたり李氏朝鮮が全土を支配していたので、国ぐるみの歴史の書き換え(創作)は一回で済んだ。
李氏朝鮮の始祖である李成桂は、後三国(新羅、後百済、後高句麗)鼎立時代が終焉を迎えた918年に建国された高麗王朝に仕える武将の一人だったが、国王から無謀な明国への遠征を命じられた為に反乱を決意し、その後色々な経緯を経て、遂に自らの王朝を立てる事になった。
ここで注目すべきは、李王朝では、このような自らの建国の背景から、武将に大きな力を与えれば自らの王朝も覆されるリスクがある事がよく認識されており、常に文治を優先させる体制が堅持された事である。具体的には、科挙制度で選ばれた儒学者が、国王を支えて儒教(朱子学)に則った「聖君政治」を行う事を目標にして、常に強固な中央集権体制で政治を行う事に意を注いだ。
この点では、平安時代の末期に実質的な支配権を手中にした武士集団が、その後ずっと分権的な封建体制で政治を行った日本とは大きな相違がある。
しかし、「聖君政治」の理想とは裏腹に、実際に韓国でその後の518年間の長きにわたり続いたのは、貴族階級である両班が強固な身分制度に守られて庶民階級や最下層の奴婢を搾取する停滞した社会であり、その間、宮廷では、文官の諸派閥による陰湿な権力闘争や閨閥による権勢政治が繰り返されていた。大規模な反乱や武力衝突こそなかったものの、策謀や讒訴(告げ口)、裏切りや暗殺は日常茶飯事だった 明清帝国と朝鮮王国の五百年
明清交代期を除けば安定していたが、「恨五百年」と言われる暗黒時代でもあった >>602
「お前の歴史認識はまちがっとるニダ」、「いや、お前の歴史認識こそケシカランニダ」
・・・こんな争いで流血沙汰が絶えず、一方の派閥が権力を握るたびに、対立派閥が死刑になる繰り返し
歴史教の信者である朝鮮人ならではの現象だ
日本人は歴史教の信者ではないのだが、最近はこの儒教的な歴史認識闘争に巻き込まれつつある 「歴史に対する信仰」
これこそ、「親孝行」・「先祖救済」と並ぶ儒教本来の三本柱
祖先崇拝からの派生というか帰結として、とことん過去志向になるのが儒教社会の欠点 国家の在り方の定義や支配の仕方の技術論は法家、
儒教は父権を中心とした家族の在り方と父子の在り方。
儒教に国政が染まった王朝は家族道徳で国政をやろうとするのだから、
専制どころかもれなく混乱・崩壊している。 >>501
明は宰相を廃止したぞ
明の皇帝は云わばドイツのフューラー(総統)
大統領兼首相及び総帥(陸軍元帥+海軍元帥)
皇帝一族以外は全て下民 >>598
>儒教の経典のどこの文言が専制を肯定してる?
名分より実体が大事でしょうよ。
名分が立てば、その主張を(現実を無視して)通せると思うなら、
朱子学者も主張を通せるし、先の林羅山の主張も通る。
命令権者が忠孝その他名分に基づいて、現実を無視して命令ができ、
相手が従うことしか用意されてないなら、専制的な性格を持ってると言えないか。 まともに儒教で政治なんかやったら専制どころか国家機能が不全化するし、そういう事例が史上に何度もある。観念と実務の区別が儒教は出来ない。 儒教は父権が強く、思想的には専制的な志向を持っているとは言えても、
実際に支配の実務において儒教が機能するのか、というと史上においては失敗例が多い。 北朝鮮が三百年つづいたようなもんだな
だから、流賊の李自成や、夷狄の清が、解放者として歓呼して迎えられるに至った
民衆ならまだしも、エリート官僚までが万歳三唱して歓迎した 「中国の歴史が立派だって?それは勘違いだ。俺たちは同胞の
中国人と、侵略してくる外国人に虐められる歴史しか持っていない」 中国人 >>607
>明は宰相を廃止したぞ
明が廃止したのは首相であって宰相ではない。
洪武帝や永楽帝のような体力も頭脳もある皇帝だったらまだしも
凡庸な皇帝がでてくると首相廃止は致命的。
んで内閣大学士が次第に首相的位置に。 実際に歴代王朝の皇帝権力の絶対化を支え、実際に機能したのは儒家ではなく、法家系統の官吏あるいは皇帝の私的な家人である宦官。 確か、前漢後期の皇帝で、皇太子が儒教にばかり入れあげているのを
「このおおたわけが!漢家は儒家と法家を使い分けるのが伝統だ!」
と叱りつけたのがいたな。 歴史から見ると、儒教は駄目にしたい相手に無駄なことの勉学に時間と労力を費やさせるための毒として機能していたように見える。 >>621
多分620は科挙受験の話をしてるんだろうから、
科挙試験してない渋沢栄一は関係ないな >>613
清も明の政治形態を引き継いだから実質500年以上だぞ
近世以降の中国がパッとしない理由も分かるだろう。
ただし清はバカ皇帝が出現しないように、皇太子制を廃止したから
少しはマシかも知れん >>624
科挙のせいというより肥大化した官僚機構のせいかもね。
社会主義崩壊の最大の原因の一つが肥大化して硬直化した官僚機構だった。
極端に行かなければ試験による登用制度は今現代に続く合理的な人材登用方法の一つだ。
社会主義のように官僚機構に人材が集中しなければの話だけどね。 貴族が政治をやると貴族層に都合のよい政治になる
→政治については身分登用制
→経済については私有財産制の強い肯定
官僚が政治をやると官僚に都合の良い政治になる
→政治については試験登用制
→経済については国有財産制の強い肯定
資本家が政治をやると商人に都合の良い政治になる
→政治については金の力に左右される選挙制
→経済については私有財産制の強い肯定
労働者が政治をやると万人に都合の良い政治になる
→政治については労働者から選ばれた代表制
→経済については必要に応じて与えられる不公平なき共有財産制 労働者だけ違うな。彼らは素人だから。
労働者が政治をやると、労働貴族の為の政治になるが正解だ。 明時代は儒教は政治では無論、道徳としても機能を喪失していたんじゃないか? 渋沢栄一もリークアンユーも資本主義の在り方は儒教から学んだ。それがあってこそ日本近代資本主義もシンガポールの資本主義も成功した。
最近まで続いた強欲資本主義は結局破綻する運命にある。
強欲資本主義は過去にスペインやポルトガルがやった略奪経済の後継者。
儒教的資本主義はスペイン、ポルトガルの後で資本主義を発展させたイギリス、アメリカのプロテスタント資本主義と相似形。 >>628
官学の朱子学が形式化、形骸化してたからより行動倫理を重んじる陽明学が発展した。 朱子を悪く言う人がいるが朱子は官僚として貧困救済に熱心だった。
社倉という低利融資の仕組みを作り貧民の自力更生を促した。 >>625
科挙をやれば、官界に人材が集中しないか。
そもそも、在野の優秀な人材を見つけ、登用する為のシステムなのだから。
現代の日本だって、官僚の給料を莫大にすれば、
優秀なのが争うように官界を目指しだすんじゃないか。 李朝時代は、性理学を通じて社会の規範を整え、道徳的な理想社会を具現しようとした。
李珥(イイ)と李滉(イファン)は、朝鮮の性理学を中国の性理学以上のものに進化させた代表的な人物と言われる。
李退渓の思想は明朝で盛んになった陽明学を退け、あくまで朱子学を尊重することで、朱子学の提要である「格物致知」の概念や「理気論」に基づいて、精緻で稠密な議論を展開する点に特色がある。
李栗谷(イ・ユルゴク、1536年 - 1584年)は、朝鮮の儒学者。朱子学者として李退渓とならぶ二大儒と称される。李退渓の主理説に対し主気説を展開した。
李退渓は理気二元論において、理と気は互いに独立して対立しており、どちらか片方が欠けると宇宙を構成できないとした。
それに対し李栗谷は、理は無形無為の存在であり気は有形有為の存在として、理は気の主宰者ではあるが気は理が乗るだけであり、
一元論でも二元論でもなく宇宙の構成は理と気がそれぞれ互いを包括しているという気を念頭に置いた主張を行った。 藤原 惺窩(ふじわら せいか)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての儒学者。
家名の冷泉を名乗らず、中国式に本姓の藤原および籐(とう)を公称した。
上洛し、相国寺に入って禅僧となり朱子学を学んだ。儒学を学ぼうと明に渡ろうとするが失敗に終わった。
その後朝鮮儒者・姜との交流を経て、それまで五山僧の間での教養の一部であった儒学を体系化して京学派として独立させた。
朱子学を基調とするが、陽明学も受容するなど包摂力の大きさが特徴である。
近世儒学の祖といわれ、門弟のなかでも特に林羅山・那波活所・松永尺五・堀杏庵の4人は惺門四天王と称された。和歌や日本の古典にも通じており、同時代の歌人木下長嘯子とは友人であったと言われる。
豊臣秀吉・徳川家康にも儒学を講じており、家康には仕官することを要請されたが辞退し、門弟の羅山を推挙した。 林 羅山(はやし らざん、天正11年(1583年) - 明暦3年1月23日(1657年3月7日))は、江戸時代初期の朱子学派儒学者。林家の祖。
独学を進めるうちに、いっそう朱子学(宋学)に熱中していき、慶長9年(1604年)に藤原惺窩(せいか)と出会う。
それにより、精神的、学問的に大きく惺窩の影響を受けることになり、師のもとで儒学ことに朱子学を学んだ。
羅山の英明さに驚いた惺窩は、自身は仕官を好まなかったので、翌慶長10年(1605年)には羅山を推挙して徳川家康に会わせた。
羅山が家康に謁見したのは京都二条城においてであった。家康は、惺窩の勧めもあり、こののち羅山を手元に置いていくこととした。
羅山は才を認められ、23歳の若さで家康のブレーンの一人となった。 退渓李滉と日本
기사승인 広島大学講師 教育学博士金R勇(キム・ヒョンヨン)
日韓思想史において一番大きな影響を与えた人物の一人は、退渓李滉(トェグェ イ・ファン1501-1570)であろう。
李滉(李退渓とも)は、朱子(1120-1200)が集大成した儒学を継承・発展させ、独自的な哲学を樹立した学者であり、「東洋小朱子」、あるいは「東洋の聖人」とも称されている。
李退渓の著書とその思想は、朝鮮(韓国)だけではなく、日本の江戸時代から現代に至るまで数多くの学者や文人たちに影響を与えた。
江戸時代の政治、経済、社会、文化、教育など、社会全般の土台を整えたのは儒教であり、その儒教の中身は退渓朱子学だといっても過言ではない。
また、退渓が人格形成の具体的な実践方法として示した「敬」と「礼」は、日本の武道思想の成立にも大きく寄与している。
たとえば、日本の武道伝書にみられる敬思想と「礼に始まり礼に終わる」という日本武道特有の礼法は、退渓思想を受容した結果である。
これだけではない。退渓思想は日本の近代化を導いた熊本実学や明治維新にも影響を与えており、
また近代化期に日本の教育の原動力であり、精神的な柱となった「教育勅語」の成立にも寄与している。
(豊臣秀吉の朝鮮戦役で捕虜となった)姜抗は、伏見城で、後に日本近代儒学の開祖者となる藤原惺窩(1561-1619)に出会う。
そもそも惺窩は禅宗の僧侶であったが、朝鮮朱子学、特に退渓学に接し、儒学者へと改宗した。
また、惺窩が受け入れた退渓学は、惺窩の門人の林羅山(1583-1657)を通して、江戸社会の文化発展に大きく寄与することになる。
羅山は、江戸文化を開いた人物として評価されている。
その後、退渓学は・・・そして日本の教育の原動力になった「ヘ育勅語」を制定した元田東野(1818-1891)などに継承された。
このように、退渓の思想は、日本に西洋文物が流入される以前まで日本社会の文化および思想的基盤になっている。 朝鮮人がしばしば誇る、「日本に先進的な文化を伝えたニダ」の話の大きな根拠がこれだ。
朝鮮人なら知らない者がいない大儒の李退渓。
朝鮮人捕虜を通じて李退渓の思想を学んだ藤原星窩、その弟子の林羅山が江戸時代の日本の朱子学を築き、それからの日本の文化は朱子学つまり李退渓の思想を基盤として発展してきた。
彼らに言わせれば、武士道も尊皇攘夷も李退渓の思想であるという。
でも、日本人は朱子学に関心がないし、李退渓など東洋思想マニアくらいしか知っている人がいない。
ここにも、日本人と朝鮮人の意識のズレがある。 「日本人は、李退渓の註釈がなければ朱子学の本が読めなかったニダ」と勝ち誇ってる朝鮮人も見たことがある
その朝鮮人は、現代の日本人が李退渓はもちろん、朱子学そのものをまったく評価してないことに、つくづく不満そうだった 韓国では、李退渓と李栗谷の二大儒を知らない者がいない。
この2人は紙幣の肖像にもなっている。
李退渓は千ウォン札、李栗谷は五千ウォン札。
ついでに、李栗谷の母親で良妻賢母として知られる師任堂も、五万ウォン札になっている。
ちなみに、もう1枚の紙幣の一万ウォン札は世宗大王だ。 ついでに言えば、日本人は藤原惺窩や林羅山を高く評価していない
日本で2大儒者といったら、人にもよるだろうけど、まあ荻生徂徠と伊藤仁斎だろう
荻生徂徠は独学で朱子学を嫌い、「漢文は訓読するな、中国式に発音しろ」というほど中華趣味の人
伊藤仁斎は町人で、これまた朱子学を否定して古義学を始めた人
この2人の反・朱子学者が日本では2大儒者とされているのだから、日本人の朱子学嫌いも相当なものだ >>642
仁斎も徂徠も在野
公式に採用はされてない
官学として権威を持っていたのは林家 時代が下るに連れ、儒教の形骸化が進み、支配の論理が弱肉強食が露骨になってくる。しかも法家思想が発展しなかったから権力が打倒されるまでヒャッハーし放題。 >>643
儒教は官学になるとダメになる。
古くは漢代の今文公羊学派が官学だったがダメになり在野で力を蓄えた古文学派にとって変わられた。
これも科挙科目になってダメになり在野だった朱子学にとって変わられる。
朱子学も官学になってダメになり陽明学が出来る。 >>648
そりゃぁ、官学になったら中央政府の公式見解以外の解釈が禁止になるからだよ。
西欧のキリスト教神学だと、政治権力(神聖ローマ帝権・フランス王権)と宗教権威(バチカン)が
分離していて、さらにバチカン内の神学派閥が神聖ローマ帝国の持ち回り帝権を争う諸勢力と結びついて
ひとつの解釈が独り勝ちして他を完全に禁圧してしまうに至らなかった。
ところが、中国だと曲阜の孔府・孔林・孔廟が儒教の宗教権威となったがあくまでも孔家の祖先祭祀の場であって、
儒学の学説の源泉とはならなかった。官学の公式学説を定めるのは、あくまでも皇帝の中央政府。 近思録の読みすぎで近視になったわ
ごんなもん禁止せい >>629
シンガポールって開発独裁の土人小国だろ
あんなのが成功だと思ってんのか 小国というか国の構造や人種の移動の面で独自な新国家圏だよ。 >>651
シンガポールはとっくに東京抜いてアジア一番の金融センター。
シンガポールの一人当たりGDPはとっくに日本を抜いてて生産性も日本より高い。 >>654
シンガポールは、リー・クアンユーを非難しただけで投獄される全体主義の野蛮国で、報道の自由度ランキング154位のキチガイ国でもある >>655
シンガポールの成功を言ってるだけでシンガポールの欠点は知ってるし住みたい国ではない。
資本主義としては日本よりある意味成功してるのがシンガポール >>654
ウソつくな馬鹿チョン
シンガポールは香港より下だぞ
都市圏 GDPランキング
1位 東京
2位 ニューヨーク
3位 ロサンゼルス
6位 パリ
7位 大阪-神戸
8位 上海
10位 モスクワ
12位 ケルン-デュッセルドルフ
15位 サンパウロ
16位 香港
18位 メキシコシティ
21位 シンガポール
22位 名古屋
23位 深セン 韓国“反日洗脳”の実態! 人気タレントがテレビで「日本は敵だ!」 聴衆も納得して盛り上がる異様
2019.4.10 20:00
韓国の「亡国の暴走」が続いている。
国会議長による「天皇陛下への謝罪要求」を放置し、海軍駆逐艦による海上自衛隊哨戒機への火器管制用レーダー照射は謝罪もせず、
いわゆる「元徴用工」の異常判決では国際法を無視して、日本企業相手に次々と追加訴訟を起こしている。
常軌を逸した文韓国について、朝鮮近現代史研究所所長の松木國俊氏が集中連載「赤化韓国」で迫った。
3月16日夜、筆者(松木)はソウルのホテル自室のテレビを見て驚いた。
公共放送KBS第2のトーク番組で、元高麗大学教授の金容沃氏が20代の若者相手に「日本人は口先では謙遜するが、本当は世界征服の野望を持っている」
「朝鮮半島が統一国家となった後で、最も恐ろしい敵は日本だ!」と熱弁を振るっていたのだ。
これが今の韓国の姿なのだ。
世論調査でも、大学生の54・3%が「敵国第1位」を日本と答えている。第2位の北朝鮮は21・4%に過ぎない。
韓国軍も、北朝鮮への抑止力となる陸軍よりも、「対日戦」を想定した海軍力増強に狂奔している。「アジア最大級」と自慢する揚陸艦の名前も「独島(竹島)」だ。
一体、なぜ韓国はここまで「対日被害妄想症」に陥ったのだろう。
最大の原因は、歴史を捻じ曲げた反日歴史教育にある。物事を善悪二元化する「朱子学的思考方式」が根付いた韓国では、「日本=絶対悪」「韓国=絶対善」という社会通念が出来上がってしまった。
(過去に韓国を併合した)日本になら、何をやっても許されるという甘えがある。金容沃氏のような人物が敵対感情を煽ることで、今や日本は韓国の最大の「敵国」となっている。
韓国海軍駆逐艦が、海上自衛隊哨戒機に危険な火器管制用レーダーを照射したのも「敵機」と認識しているからだろう。
「日韓はすでに戦争状態」と錯覚しているのか、韓国国会の文喜相議長は、天皇陛下を「戦犯の主犯の息子」と断定して、元慰安婦への謝罪まで要求した。
完全に常軌を逸している。日本が抗議すると、文議長は「盗人猛々しい」と日本を罵(ののし)った。日本人の心の琴線はズタズタにされ、日韓関係は危険ラインを越えた。 >>656
>日本よりある意味成功してるのがシンガポール
おまえら反日主義者って、シンガポールの対日貿易赤字が続いてることすら知らんのか >>659
高橋洋一によると貿易赤字っていうのは結局自国への投資になって帰ってくるから
経済学上問題ないらしいぞ
シンガポールの対日貿易赤字の場合だと
その過程で日本企業が得たシンガポールドルはずっと持っててもしゃあないから投資に回す
それは当然シンガポールになるというわけ >>660
日本の貿易収支は単なる黒字だけじゃなく特許貿易黒字も含まれてるからな
愚民小国のシンガポールには絶対に追いつくことが出来ない
日本からの投資に頼ってるだけじゃ日本を超えることは無理だ
上でも言われてるけど科学研究もシンガポールはたいしたことない >>660
アジア向け輸出入の決済通貨は、米ドルと日本円が半々くらい
日本の輸出企業が輸出代金を現地通貨で受け取ることはまずない ていうか、シンガポールは、日本でいえば東京の都心だけが独立して国家になったような国だ
そんなとこと国民所得を比較しても意味がない >>661
知財の使用料は貿易収支じゃなくて所得収支に入る >>664
なるほど
所得収支ランキングだと、日本は2位でシンガポールは164位となる >>643
林羅山は、師の藤原惺窩を通じて、朝鮮人の儒者から大きな影響を受けた
韓国では、それを誇る論調がしばしば見られるが、日本人がそれを高く評価することはほとんどない もともと、江戸時代までは、儒学は比叡山延暦寺や禅寺の学僧が研究するものだった
江戸時代の日本では朱子学を官学として受け入れたが、それは日本人にとっては学問としての中国古典の研究であり、儒教本来の宗教色はことごとく脱色されていた
一般民衆には、儒教は広がらなかった 十分広がってるだろ
口うるさい礼儀作法、
歳が一つ違っただけで敬語を使えだの
なんだのといったクソくだらない年功序列、
上に立つものが行うパワハラ、
男尊女卑、
目上に絶対服従の
去勢と服従の民族性・・
これら
みんな儒教(というか朱子学)の影響だぞ 多くの賢者の意見として儒教(なかでも朱子学)はないね、ってのが
一般的な態度だと思う。
あとキリスト教。これは典型的なペテンと破壊と暴力と虐殺を
齎す邪教。
共産主義も上に同じ。
そしてこれらがすべてが揃っているのが朝鮮半島の民族性なんだ。 ちなみに言うと、敗戦後の日本も朝鮮的になりつつあるね。
都合の悪い事実をしてきすると「おまえチョンだろ?」だぜ?
大国事大だとか、態度をすぐに翻すだとか、上に書かれた
儒教的体質、そして天皇はキリスト教徒だし、未だに
共産主義が合法になってる。朝鮮人から見れば「下劣な
民族性だって?そりゃお互い様だろ」ってなもんだよ。 「おまえチョンだろ?」って言われてるヤツは嘘つきが多いんだけどな
共産主義は嘘つきだし儒教も嘘つきだ モンゴル帝国に抵抗してから呑まれた後の朝鮮と
アメリカにさんざん抵抗してから植民地にされてしまった
現在の日本と、ほんとうによく似てるよお互いに
自分たちが最高の民族だと思ってるところもそっくり
お互いそっくり過ぎて自分みたいに思えるのが
日本と朝鮮とで憎悪しあってる原因なんでねえの いわく「彼らは蛮族であり、暴力でしか勢力を拡大できない。
俺たちは倫理的にも文化的にも最高だったのだが、いかんせん
相手が悪く、こちらの軍事力が足りなかった」
これ、朝鮮半島も日本も大帝国に敗れ去ったときの言い訳として
採用してるんですよね。朝鮮半島が後に騎馬民族にとった
態度は後、没落したアングロ・サクソンに日本がとる態度の
先輩となるだろう。 >>672
おまえ馬鹿か
モンゴル帝国に抵抗してから呑まれた後も前も、朝鮮はずっとノーベルゼロだぞ
全然そっくりじゃねえだろ >>669
安岡正篤の説く儒学の教義を政治に活かした自民党の総裁たちはダメだったのか な?こんな程度なのさ。
アメリカとの関係を見直さない限り、敗戦後の日本は
だんだん朝鮮人的になっていくのではないかな。
現実(単なる植民地)と妄想上の日本(倫理的に正しかったが
負けてしまい、今はアメリカの対等なトモダチだと思ってるオエ)が
甚だしく乖離していて、朝鮮人見たく自分の正しい国際的な位置が
把握できなくなるのではないだろか。すでにかつての朝鮮半島の
ように日本は緩衝地帯の前線になってることも自覚がないんだろうと
思う。中共にもアメリカにもいいように利用されて、そして
捨てられたあとに「俺達は最高の倫理的な民族であり、中共や
アメリカは単なる蛮族」なんて宣言しても
誰からも相手にされまい >>677
儒教的な支配で成功した連中なんているのかね?
儒教は去勢と服従の強制。
こんな思想では人が活きない。
人が活きなければ国が活きず、
国が活きねば主権は危うい。
東アジア人が女々しく、常にガイジンに征服されるのは
儒教と法家の異常なまでの服従の強制にあるのだよ。 >>679
55年体制下の自民党は鼓腹撃壌の世を作ったでしょ
世界で一番成功した社会主義と呼ばれる平等でみんなが政治に興味を持たなくても安心して暮らせる社会
古代の帝王の政治の再来だろ
民主主義とは少し違うものだったのは確か >>679
>>東アジア人が女々しく、常にガイジンに征服されるのは
それ、古代ギリシア人がペルシア戦争後にアジア人一般に抱いた妄想、
そして古代ギリシアの古典を読んでヨーロッパ人がアジア人一般に抱いた妄想
そのままじゃん。 >>677
自民党は、安岡正篤と違って、後漢や徳川幕府の体制を理想とはしていない >>680
独立主権じゃないのに社会主義国家ねえ。
それはともかく、敗戦後の日本みたいな平等は簡単に実現できるよ。
なぜなら日本はアメリカ様からの政治的・経済的発注を
こなしてただけだから。自分で何も考えなくてもよい。
それと反乱が起こるのを恐れて植民地の個人に
大きなカネと権力を持つものが現れるのを
宗主国が嫌がるんだよ。田中がアメリカとその犬に
粛清されたのもそのためだね。このように均一で突出しない個の集合はまた、
家畜の育成とよく似ている。 >>657
バカ者よく読め!
誰も都市別GDPなんか言ってない。
金融センターとしてロンドンなどに次ぎ東京より上位にある事。
都市別GDPではなく国民一人あたりGDPが日本を抜き生産性も日本より高いという事実を書いた。 >>684
この事実から目を背けるな馬鹿チョン
シンガポールなんぞランク外だぞ
世界の証券取引所ランキングトップ10
1位 ニューヨーク証券取引所
2位 NASDAQ
3位 日本取引所
4位 上海証券取引所
5位 ロンドン証券取引所 ■駐日フランス大使とドイツ大使が…中国と韓国は文明国ではない■
実は昨年、神奈川大学でエリゼ条約(独仏協力条約)50周年記念講演会を開催し、
ドイツとフランスの駐日大使にそろって来ていただきました。
エリゼ条約というのは1963年に結ばれた条約で、
独仏はこれから仲よくしていこうというものです。
その講演会で、ある学生が質問をしました。独仏は建国以来戦争ばかりしてきたけれど、
仲よくなった。同じように、日本と中国・韓国は仲よくなるでしょうかと。
それに対して、2人の大使が何と答えたか。これは非常に重要な発言ですが、仏大使は、
日本の事例は独仏の事例とは「まったく違う」と言ったんです。
どういうことかというと、ドイツとフランスはともに自由主義の文明国であるが、
中国と韓国はそうではないと。中国は共産党一党独裁国家であり自由主義国ではない。
韓国は自由主義だといっても、文明国ではないと。それが独仏大使の認識です。
ttp://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39830?page=3 >>317
アメリカやイギリスやフランスなどの民主主義国と比べて、ソ連はノーベル賞が少なすぎる
もちろん日本よりも少ない 山鹿 素行(やまが そこう、1622年 - 1685年)は、江戸時代前期の日本の儒学者、軍学者。山鹿流兵法及び古学派の祖である。
陸奥国会津(福島県会津若松市)にて浪人・山鹿貞以(山鹿高道とも)の子として生まれる。寛永5年(1628年)に6歳で江戸に出る。
寛永7年(1630年)、9歳のとき大学頭を務めていた林羅山の門下に入り朱子学を学び、15歳からは小幡景憲、北条氏長の下で甲州流の軍学を、廣田坦斎らに神道を、それ以外にも歌学など様々な学問を学んだ。
朱子学を批判したことから播磨国赤穂藩へお預けの身となり、そこで赤穂藩士の教育を行う。
赤穂藩国家老の大石良雄も門弟の一人であり、良雄が活躍した赤穂事件以後、山鹿流には「実戦的な軍学」という評判が立つことになる。
寛文2年(1662年)頃から朱子学に疑問を持つようになり、新しい学問体系を研究し、寛文5年(1665年)、天地からなる自然は、人間の意識から独立した存在であり、
一定の法則性をもって自己運動していると考えた。この考えは、門人によって編集され『山鹿語類』などに示されている。
延宝3年(1675年)、許されて江戸へ戻り、その後の10年間は軍学を教えた。その教えは、後代の吉田松陰などに影響を与えている。 韓国には、「武士道は朱子学から生まれた思想であり、その朱子学を日本人に教えたのは朝鮮人であるから、武士道は朝鮮の思想」という論調がある。
その根拠は、「山鹿素行は林羅山の弟子だった」ということにあるようだ。
林羅山は藤原惺窩の弟子であり、藤原惺窩は朝鮮人の姜伉から朱子学を学んだ。
でも、山鹿素行は、朱子学を批判したおかげで江戸から追放されたこともある人。
朱子学の徒とは言いがたい。 リアリストの山鹿素行には、師の林羅山が主張する「天円地方説」(地球は丸くなく、方形であるとする説)が、なんともバカバカしく思われた 水戸学も、幕末維新の志士に大きな影響を及ぼした
水戸藩に集まった儒者は朱子学系の人が多かったが、実質的な開祖ともいえるのは、明からの亡命知識人・朱舜水
朱舜水は、陽明学も取り入れていた 山崎闇斎も朱子学の一派だが、京都の人であり、林羅山に学んだわけではない。
「劉邦は秦の民であったし李淵は隋の臣であったのだからこれが天下を取ったのは反逆である。
それは殷でも周でも他の王朝でも同じことで、創業の英主といわれていても皆道義に反しており、
中国歴代の創業の君主で道義にかなっているのは後漢の光武帝ただ一人である」と述べて易姓革命を否定した。
またあるとき弟子たちに向かって「今、支那から孔子や孟子を大将として日本に攻めてきたらお前たちはどうするか」と問い、
返答に窮した弟子たちに「そういう時は当然孔子や孟子と戦って、あるいは斬り、あるいは生け捕りにするのだ。それが孔子や孟子の教えだ」と説いた。 >>685
国際金融センター指数ではシンガポールが東京より上位だよ。 >>684
シンガポールは、東京の都心部くらいの規模しかない
人口が少ない中に超富裕層がいるから、そいつらが所得の平均値を引き上げている >>693
ノーベル賞受賞者数では東京がシンガポールより上位だよ。
金融だけでドヤってても最先端科学の研究実績ではとてつもなく下の下 >>693
日本も、法人税の税率を思いきり低くすれば、シンガポールや香港から金融関係者がどっと移ってくるだろう
なかなか国内の反対が多くて実現しない そうだな
シンガポールなんて所詮はケイマンやパナマと同類のタックスヘブンだしな
反グローバリズムが勢いを増すとこれらは萎んでしまいかねないよ 香港は、隣接する後背地である深センが大発展したことにより存在感が薄れたが、シンガポールにも同じことが起こりつつある
マレーシア政府は、シンガポールに隣接するジョホールで大規模な港湾開発をやっており、低コストを武器にハブ港の座をシンガポールから奪い取ろうとしている
対岸のインドネシアでも、港湾の成長が著しい >>699
いやいや、なんだかんだ言っても、「儒教の歴史」をここほど深く語ってるところは滅多にない 中国の歴史が悲惨で暗いのは儒教の影響よりも
秦が天下統一した事の方がデカいと思う
あれって冷戦時代にソ連側が世界を制圧したようなもんだろ 儒教では、人肉を食ったヤツが聖人として認定されてしまうからな 明清帝国は、ヒトラーやスターリンの恐怖政治が五百年つづいたようなもんだな
下手なホラー映画より怖いぞ、マジで
あれじゃ、恐怖で人間性が歪む でも、中国は火病と恨の思想みたいなわけわからんものは聞かないから、
歪み方は朝鮮のほうが上なんだろう。 >>699
なんで右翼が反儒教やねん
右翼は教育勅語や軍人勅諭を崇拝してるやん
忠君愛国やん 日本では、朱子学を官学にしてた徳川幕府を倒した後に、明治政府が民選議会を設立する等して文明開化できた >>706
確かに朝鮮史は悲惨だな
とくに、明から清に代わってからが酷い >>699
日本人の多数は皇室を尊重してるし、支那チョンみたいな王朝断絶を望んでない
帝国憲法でも現行憲法でも易姓革命は認められてないから、馬鹿サヨが必死こいても逆効果だぞ >>709
清朝が朝鮮人を虐め過ぎたとばっちりを日本人が被っている感があるな >>707
ネトウヨは馬鹿だから自分の大好きな大日本帝国が儒教馬鹿だということを知らないんだよ... >>712
おまえら馬鹿サヨは馬鹿だから、文明開化した大日本帝国の時代に世襲儒官の家系が断絶したということを知らないんだよな なんだか、ネトウヨ連呼厨がわいてきちゃったみたいだな(笑) >>712
そんな話の流れには全くなっていないぞ
「ネトウヨ」かどうかは知らんが、お前より頭が良いのは確実だ(笑) >>710
山崎闇斎は、朱子学派なのに易姓革命を否定した
それ以来、日本では、朱子学者でも易姓革命を認めないのは普通になった >>716
山崎闇斎は神道の影響も受けてるからな
支那チョンの朱子学とは異質といってもいい 朱子学に支配された支那チョンを征伐したのが文明開化の日本 明では陽明学、清では考証学と、本家の中国では新しい動きがあったのに、分家の朝鮮はなぜか、極端な朱子学一辺倒
なぜ、あれほどまでに硬直していたのか
まったく、謎のミンジョク 統一教会の祖国の北チョンに制裁し続ける安倍政権
統一教会の祖国の北チョンへの制裁緩和を主張する馬鹿サヨ >>721
硬直してた方が朱子学の党派には都合がいいからな。
又、初期の陽明学の勢力が、権力闘争に敗れて消えてしまえば、
朱子学党派との差が大きすぎて、大した行動もできなくなるというもの。 キリスト圏はある意味実権と権威が分裂してたから
宗教改革がやりやすかったのかもね
東アジアだと権力と権威が合体してるから
革命が起こらない >>727
ていうか、朱子学が儒教の宗教改革であり、プロテスタントに相当する 合理主義的な思想の発達の帰結としての聖書原理主義がプロテスタントだろ?
でも朱子学はどちらかというと仏教道教のちゃんぽん化したもので
中世的な心性の産物なのではないか? >>729
それなら、朱子学はプロテスタントじゃなくて、トマス・アクィナスのスコラ哲学だな スコラ哲学は、イスラム哲学の影響の下で、キリスト教とギリシャ哲学を融合した思想
朱子学の性格はこれに近い やはり、朱子学がスコラ哲学で、陽明学がプロテスタントだな >>729
朱子学は別名窮理学と呼ばれる。
幕末に西洋物理学が入ってきた時窮理学と訳した。
当時の限界内で物事を合理的に解釈しようとするのが朱子学で日本の近世を用意した思想でもある。
中国のように科挙科目にならなかったからその弊害も比較的少なかった。 >>732
それはうまい例えかも知れない。
スコラ哲学はキリスト教を合理的に組織化し次なる時代の思考を準備した側面もある。 >>709
民衆は案外のどかだったのでは
男は一日中全く働かず、女が農作業、家事全般を全部やっていた
民衆全員が極貧で、農奴とそれにたかる両班しか居ない
両班に嫉妬するが、身分が固定されているので見返すチャンスは無い
夢も希望も無い人生だが
無教養な連中ばかりなので外国の状況など全く知らず
それが世界の全て 陽明学も李卓吾に至っては「子供こそ尊い」という結論に達していて、
長老を尊ぶ儒教とは最早別物だろ。 >>736
いや、むしろ本来的だろう。
概して子供は従順で、長老を尊んでいる。
人間が成長して童心が消えるに従い、長老に盾突きだすものだから、
童心のごとく長老を尊べとするなら、本来的な方向に戻ろうとするものだろう。 李卓吾の場合子供というか童心を尊いとしたよね。
陽明学はあくまで四書五経を基礎にしてその解釈において朱子学を批判したものだから儒教ではある。
陽明学左派の李卓吾あたりまで行くと異端的だけどね。
陽明学右派で考証学の祖黄宗義になると又儒教テクストに回帰していく。 それがヨーロッパの伝統的な教育観では
「童心は未調教の野獣同然のものだから、せめて家畜レベルにまで調教するために
鞭でぶちのめせ」
だったんだもんな。
それで、幕末から明治期に日本に来た西洋人が日本の非暴力的な教育に衝撃を受けて
西洋における初等教育の改革運動を起こすことになった。 映画タイタニックでは女子供を先に救出する
儒教の観点からは許されない不孝話
もし順序が逆であれば美談として伝わるだろう
現実に中国で起きれば、早い者勝ちで救命ボートも転覆するだろう >>733
それはあるな
現代の日本人よりも遥かに朱子学をよく知っていた幕末期の日本人が、西洋の物理学を見て、「これは、格物窮理だ」と思ったわけで それはつまり、朱子学でことのほか重視される「格物窮理」の探究姿勢とは、そういうものなんだということ 李卓吾は歴代に渡って忠臣と称えられてきた屈原を
「暗君に義を貫き通しても結局国も民も救われず、自らの身も滅ぼした、これは痴である」
とこき下ろすなど、既成の儒教的価値観を明らかに逸脱していた。 >>744
その程度の逸脱なら釈迦仏教と現代日本仏教の逸脱に比較して屁でもない。
念仏や日蓮は釈迦仏教より一神教に近いし密教は釈迦仏教よりヒンドゥー教に近い。
更に釈迦仏教には無い儒教的先祖供養をどの宗派もやる。
しかも葬送儀礼の元を作ったのは思想は釈迦仏教に近い禅宗。 「学は心に得るを貴ぶ。之を心に求めて非なれば、其の言孔子に出ずといえども、敢えて以て是と為さざるなり」王陽明
心に問い過ちがあるなら例え孔子であっても正しいとしないと王陽明は述べる。 古典というものは、読む人によって見え方が異なる
ときには正反対の解釈になることも珍しくない >>746
結局李卓吾は当時の儒者達から「妄説を流し世民を惑わした」と総攻撃され獄に繋がれ自殺して果てた。
当時においてもかなり異質・異端なものと認識されていたと思われる。 中国史上、最も過激な思想家だからな
西洋哲学でいえば、スピノザやニーチェに相当する しかし、いくら獄死したとはいえ、官学である朱子学に公然と異論を唱える者が出てくるところが、多様な社会である明ならでは
朝鮮には、そういう人は出てこない 「論語」に影響された日本人と「儒教」に支配された中国人
石平
考えてみれば、『論語』を誰よりも愛して、『論語』から大きな影響を受けているのは、中国人ではなくむしろ日本人のほうである。
その一方で、日本の思想史を勉強していくと、日本人は江戸時代から『論語』だけでなく、朱子学を幕府の官学として導入し、大きな影響力をもったことも知った。
しかしそうでありながらも、日本の歴史(とくに社会史)を学べばわかるように、「天理」を守って「人欲」を滅ぼそうとするような朱子学的原理主義が日本社会を支配したことはないし、
女性を「節婦」「烈婦」にさせてしまうような殺人的な礼教が、この日本で猛威を振るったことは一度もない。
江戸時代の日本思想史において、最初は朱子学から出発した思想家たちは、途中で悉く朱子学から離脱・離反した。より根源的なところに遡って、儒教思想の原点を求めようとしたのである。
たとえば、江戸中期の京都の在野の思想家である伊藤仁斎は、朱子学を捨てて儒教の原点を『論語』のなかで見つけようとした。
彼が発見したのは「愛」というキーワードであり、朱子学の原理主義や礼教の殺人思想とはもっとも遠いところにある。人間世界の「愛」こそは、『論語』の基本精神であると仁斎は力説するのである。
伊藤仁斎が『論語』のなかで発見したこの「愛」を彼の著書を通じて知ったとき、大きな感銘を受けた。
それと同時に、孔子の『論語』は後世の儒教や礼教とは完全に違うという、自分自身の長年の確信を固めることもできた。 小倉紀蔵によると、「鬼神論」こそが、朱子学で最も重要な思想的エッセンス。
にもかかわらず、あまり知られていない。
ていうか、朱子学にこういう面があるということ自体、普通の人々にとっては、かなり意外なのではあるまいか。
江戸時代の日本でも、鬼神論争が起きたことがあった。
「鬼神論」
新井白石の宗教論書。1800年(寛政12)刊。近世思想史上の一争点であった〈鬼神〉の存在について,
人間の生死を〈陰〉〈陽〉二気の集合離散と見る立場から,人間の死後,〈陰〉は〈鬼〉,〈陽〉は〈神〉となって天地に帰ると合理的に説明しているが,
一面では超自然の怪異もみとめている。ために後年,山片蟠桃(やまがたばんとう)の《夢の代》の無鬼論,
平田篤胤(あつたね)の《鬼神新論》の有鬼論の双方から批判された。 伊藤仁斎、山崎闇斎、荻生徂徠、新井白石、平田篤胤ら近世日本の知識人が展開した神と祭祀にかかわる言説「鬼神論」。
それは神的存在の有無をめぐる議論を超えて、神と祭祀を意義づける言説への視点を生じさせた。
それは祭祀を創設することと、創設するものへの視点である。あるいは祭祀の制度論的な視点。 >>752
豊かな社会が多様性も生むからな。
(頭の固い、朱子学を好みそうな連中らしかいないせいかもしれないが、)経済が低迷しっぱなしの朝鮮には、
多様性は贅沢ってもんだろう。 儒教で、祖先崇拝の対象となるものが「鬼神」。
平たく言えば、死んだ祖先の霊魂だ。
考えてみれば当たり前のことだけど、祖先の霊魂がないのなら、祀る対象だってない。
合理主義者に見える朱子も、鬼神の存在は肯定していた。
でなきゃ、宗教としての儒教の信者ではない。
それなのに、江戸時代の日本には、鬼神の存在を否定して、無鬼論を唱えた人もいた。
無鬼論 むきろん
鬼神の存在を否定する思想。伝統的儒家思想においては、死後の霊魂の存在が肯定され、人間は死後鬼神(きしん)になるとされる。
また仏教や神道なども、鬼神の存在を認める。こうした鬼神の存在を肯定する思想に対し、鬼神の存在を否定する立場の主張を無鬼論という。
懐徳堂の山片蟠桃は、その著『夢の代(ゆめのしろ)』において、徹底した合理主義的立場から鬼神の存在を否定した。
人間の魂魄(こんぱく)について「生レバ有、死スレバ無」であるとする蟠桃は、北宋の程子(ていし)や朱子(しゅし)の鬼神論をも含む「有鬼」の立場を、激しく批判している。
また、並河寒泉の『辨怪』(べんかい)は、怪異鬼神・狐狸妖怪の存在を否定し、その迷妄を解き明かす目的で著されたもので、
懐徳堂学派の「無鬼論」の思想とその系譜を知ることができる。 >>750
李卓吾と本居宣長の共通性を劉岸偉が指摘してる。
李卓吾は宋儒の理論化と儀礼化、形骸化を批判し原儒の自然な親子感情に帰ろうとした。
本居宣長は宋儒の理論化をからごころとして排斥し古代人の自然な感情である大和心に帰ろうとした。
そこで李卓吾が自然な感情として重視したのが童心。
本居宣長が自然な感情として重視したのが真心である。 「支那が古来、幾多の革命を経たにもかかわらず、その文明の上になんら新しい要素を加えてこなかったのは、孔子の儒教を万古不易の道と誤認して、宗教的偏執ともいえるものを抱き、それにのみ拘泥して他を排斥してきたからである。」 他にも李卓吾は「欲望は人間である以上、自然なことだ」などと儒教の常識からはぶっとんでいた。 >>760
それも、儒教の常識というより、朱子学の教義だねえ
「感情や欲望を抑えなければならない」というのは、朱子学の大きな特徴のひとつで、王陽明や李卓吾だけでなく、荻生徂徠や伊藤仁斎も「儒教本来の主旨に反する」として批判している。 >>735
>男は一日中全く働かず、女が農作業、家事全般を全部やっていた
これって中国と江戸時代以降の日本以外の東南から東北アジア圏はどこもそうなんだよな
宣教師のジョアン・ロドリゲスも「日本の男たちは漢族の男たちのように勤勉な農夫ではない」と書いている >男は一日中全く働かず、女が農作業、家事全般を全部やっていた
某半島隣国は今もそうだな
個人商店などはどこもおかんが全部やってて親父はぶらぶらしちょる 人類史の上で、成人男性が生産労働に熱心に携わるというのは
比較的新しい文化慣習らしい。
アフリカなんかだと、文化的、生産生業体系の民族間の差異が非常に大きいんだけど、
それでも多くの民族で生産労働は成人女性と未成年の男女が担い、男性は戦と政治、
狩猟採集民だとそれに加えてキャンプ地から遠隔地にまで遠征する狩猟以外は担わない、
というのが多いらしい。 元々男女の役割が
男 : 狩
女 : 労働
やからな 「人間の欲望」を肯定したり、「童心」を尊ぶのは
儒教というより、道教の考え方に近いのではないか。 地方政府が抱える債務の規模については公式推計すら算出できないという 儒教、道教、東アジア仏教(特に禅宗)の三教は相互に影響を与え合って発展してきたからな。 千年近くにわたり科挙の出題科目は、儒教の古典に限られていた
明の時代になると永楽帝が「四書大全」「『五経大全」を作らせ、科挙の出題は朱子学一辺倒になっていった >>766
道教というか李卓吾の場合、儒仏道の三教一致を唱えた。
儒教と道教の違いは中国北部で粟を食べ南部で米を食べる差でその気質の差でしかないと言う。 >>766
むしろ、「欲望を抑えなければいけない」というのが、仏教的な考え方のように思うけどな
儒教はもともと、そういう思想ではなかった >>771
儒教は北の思想で、道教は南の思想だという考え方は、古来からあるな >>770
こういう硬直した知の使い方もかつての
キリスト教教文化圏と同じ。
だがキリスト教の帝国は人間性を活かす宗教改革ができ、
統率方法を変えたが故に力が沸き、世界を征服した。しかし
チャイナマンは未だに政治家しか人間扱いされない低級な
思想・政治制度しか持てずにいる。
この違いはなんだ?って話 科挙の試験科目を、どこかの時点で英語と数学に変えときゃ良かったのだ
そうすりゃ、中国の近代化は早かっただろう 英語と数学が出来ればよかったって・・・受験に悩む10代の男の子じゃないんだから
そんな役に立たないものより医学とか工学のほうが先 科挙合格者の知能ではノーベル賞やフィールズ賞なんて絶対に無理だよな 医学も工学も、英語ができる専門家がいなければ発展しない 中国語は、医学や工学には不向きな言語だ
英語でやるのがベストだが、日本語ならまだかなりマシな方 医学も工学も、ペキン語を使用しない研究者らによって発展することができた >>771
>>773
北方にも道教は普通にあるw
むしろ、儒教的な宗族で団結する気質のほうが、
揚子江下流域を中心に南方の稲作ゾーンで強固で、畑ばかりの華北では希薄。
(共産化直前の段階で)儒教が最も強固なのは、江西省だとかあのへん。 >中国語は、医学や工学には不向きな言語だ
ノーベル受賞者の数は、中国国籍の中国人よりアメリカ国籍の華僑のほうが多いもんな >>774
宗教改革が本当に人間性を活かすものだったのかはちょっと疑問。
むしろ、人間性回復に向かったカトリック中枢部でのルネサンスへの反発が、
原理主義的なプロテスタントの勃興因子になっている。
実際、プロテスタントの先鋭部分はかなりカルト的で、
奥州のプロテスタントの定着した地域ですら受け入れられなかったような分子が
アメリカ合衆国に渡っていて、それが今でも原理主義的なキリスト教福音派となって
アンチ科学を振りかざしている。 中国では古代以来、自然=事物と鬼神とは表裏一体のものであった。自然や堅物の裏側に、ある霊妙なものの存在が予感されていた。
『周礼』大宗伯にみえる雨師・風師は、雨や風の背後にあってそれらを現象せしめる神である。
『中庸』第16章の「物に体して遣すべからず」というのも、より原初的には物の背後にある笹神などの鬼神をいっている。
小倉紀蔵氏は、朱子学の世界観をリアルに理解するためには、鬼神ほど重要なものはないと語っている。同感である。
小倉氏は、『中庸』第十六章の一節をあげてその重要性を指摘している。
視之而弗見。聴之而弗聞。体物而不可遺。
<訓(鬼神は)之を視れども見えず、之を聴けども聞こえず、物に体して遺す可からず
<訳(鬼神は)これを見れども見えず、これを聴けども聞こえず、すべての物の体となってあますところがありえない。
朱子学的世界とは、鬼神が充満し、その物をその物たらしめている「物に体する(体物)」空間である。 >>786
ウェーバーはプロテスタントの先鋭的部分が逆説的に近代資本主義勃興の原因になったとしている。特にプロテスタントの欲望否定の禁欲倫理と職業聖召観に裏付けられた勤労倫理。 >>791
そうだ
早い話が、「世の中そのものを修道院にした」ってわけで、ひたすら禁欲的な労働と貯蓄、そして拡大再生産
常にそれしか念頭にない、純粋な資本主義者を産み出した 修道院みたいな禁欲的な労働ではあかんやろ
大儲けしたいという欲望あってこその資本主義やん
清貧労働を奨励するだけでなく欲望肯定の何かもう一つがあったはずや >>793
ゾンバルトの「恋愛と贅沢と資本主義」当たり読めば良いかもね。
ヴェブレンの「有閑階級の理論」も良いかも。
ゾンバルトはウェーバーから後継者扱いされヴェブレンはゾンバルトやウェーバーのドイツ歴史学派から強い影響を受けてる。 >>794
バルザックの小説を読めば、ゾンバルトの「恋愛資本主義」がよく分かる
19世紀のパリの社交界で恋愛するためには、大金をはたいて高級な服を買い、馬車を買い、パーティーを開かなければいけない
そのために借金まみれになる
消費の促進効果は途方もなく大きい だが、中国でも、明代には「富裕層による爆買い」が起きていた
とくに最先進地域の江南地方
イギリス・フランスと比べても、こっちのほうが消費のスケールは大きいかもしれない
中国に欠けていたのは、「プロテスタントの倫理」の方だったと思われる 禁欲倫理を課せられ勤労倫理の重荷があるとそのリビドーは金儲けと貯蓄と投資にしか向かわなくなる。
それが資本主義を発展させた。
インドで最も金持ちの割合が多いジャイナ教徒は肉も食えない極端な禁欲倫理がある。
虫への殺生も許されないから農業が出来ず生き物を扱わない金融業者になる。
勤勉で真面目なので儲かりしかも禁欲倫理があるので金を使えないから貯まる一方だとか。
ユダヤ人もタルムードを学習する習慣で教養を高め厳格な一夫一婦制で妻以外の女を色欲の目で見ることさえ戒律違反になる禁欲倫理を持っていた。
世界一金持ち割合が多いのがユダヤ人。 >>781
関係節を使った文の構築が日本語より更に苦手だからな>中国語
19世紀のドイツ語をそのまま中国語に翻訳しようものなら、カオスになって訳が解らなくなる。
初期の中国共産党の要人が、マルクスの購読・翻訳に日本語版を使い続けた一つの重大な理由がこれ。
どんなにソ連人に嘲笑されても、これだけは背に腹を変えられなかった。 >>793
カモになる側は欲望まみれじゃないとダメだがカモる側は禁欲的な方が金が貯まる。 >>799
そういうことなのかもな
明では、「富裕層による爆買い」は起きたが、近代の西欧諸国みたいな「爆発的な生産力の増大」は起きなかった >>800
爆発的な生産力の増大が起きたのは宋代や
明は生産力的にはむしろ宋より劣化しとる >>801
明は商売を規制して重農主義政策を敷いたから生産力が低下して当然。 長江下流の農業生産力は飛躍的に増大し、食糧生産から、商品性作物へとシフトした それに伴い、商品作物を加工する工場が出現した
15世紀の後半でこの状況だから、明代の中国江南は明らかに世界の最先端
それでも20世紀まで産業革命が起きなかったのは、やはり何かが欠けていたから 資本や思想というより、労働力の過剰だろうな。
南宋以降の江南は、どんなに動乱があっても常に人口稠密だから、人手不足に悩むことがない。
労働力過剰は機械工学的イノベーションの足を引っ張る。人間にやらせりゃいいからだ。
人手は余っているのだから、ブラック雇用主になっていくらでも搾取できる。
団塊ジュニアの労働参加に女性の社会進出が加わり、労働市場が長期にわたって異常にだぶついたため、
日本が30年でまさかの「IT世界最底辺」に転落した例がわかりやすい。 >>804
西洋はギリシアの自然科学があったのが大きいよな
宗教の枠を超えて合理的な思考を出来たから >>806
ギリシャの自然科学はイスラム世界でもあり西洋はイスラム世界からそれを逆輸入した。 悪人であっても親殺しをすると悪く言われる儒教の洗脳 >>807
地図をよく見て、ギリシャ・イスラム世界・西洋の位置関係を確認することをお勧めする
「逆輸入」などではなく、単なる「輸入」だ ん。
イスラムに渡したギリシア人自身が輸入するなら「逆輸入」だけど
ギリシア直系ではない西欧人がやったのは単なる「輸入」だな。 黄宗義の明夷待訪録を読んでる。
民本主義と士大夫主義だな。
皇帝専制を否定して皇帝は民の為にあるとする。
黄宗義は中国のルソーの異名を持つが考証学の祖とも呼ばれる陽明学右派の人物。 ギリシャの学問をビザンチンは引き継いでいても1000年間停滞の末滅んだ
宝の持ち腐れ
結局専制国家はダメだという事だ パクリ帝國
日本の家電メーカーが没落したのもこいつらのせい >>814-816
日本が中共からパクったもんなんてないぞ
中共が日本からパクったもんは沢山あるけど >>813
そうではない
ビザンチン帝国は、「キリスト教的でない」という理由でギリシャ哲学を弾圧し、追放した
そのおかげで、ギリシャ哲学はアラビアに移った >>817
中共はともかく日本文化は宗教、建築、美術、料理、漢方医学などほぼ中国由来。 アメリカ由来もあるな。親米派もそこそこいるしな。
>>813
1000年も続いてダメはないだろう。アメリカは1000年も持つのか。 >>825
支那にはもともと檜や杉の建築物なんてなかったし、靴を脱ぐような家もなかったぞ >>827
中国は唐代まで結構木造建築がありその建築手法が日本に渡った。
中国でも五台山に唐代木造寺院が残っている。
唐代末に西方から椅子やベッドが伝わるまで中国では履き物を脱いで家にあがり正座するのが慣習だった。 古代の文化の伝播と現代の知財侵害を一緒にするのはおかしいだろ >>828 >>825
その木造建築で檜や杉を使用してないだろ
>>825
それと支那の昔の家には引き戸もないし、畳もない >>825
中共じゃないというなら、
特許権侵害や著作権侵害を、日本に対して主張するのはほぼ不可能 >>825
支那人は日本人の真似をして、マグロやサンマやサバを食べはじめたんだけど >>828
>中国は唐代まで結構木造建築があり
今も南方は木造建築やアホ 何で中国と張り合おうとするの?
韓国人みたい!
事実は事実で認めた方が良い。
ギリシャやローマがヨーロッパ文明の起源という事実を認めてるからといってイギリスやフランスが現代のギリシャやイタリアに負けてる訳ではない。
イギリスの王が元々フランス王の臣下だったからと言ってイギリスがフランスに負けてる訳でもない。
自国に自信があれば張り合おうとしない。
張り合おうとするのは根底で自国に自信がない韓国人。
日本にも韓国人メンタリティのウヨがいるけどね。 やはり中国の科学は進歩著しいな。
アメリカはただの鬼畜米英で神州日本の神兵である日本軍なら気合いで勝てるしアメリカには勝ってるというただのアメリカ嫌いの論調が戦争の時代あった。
相手の力を認めない現実逃避が日本の敗北を招いた。
そういう日本を対中敗北に導く癌である精神勝利したいだけの中国嫌いは駆逐すべきだ。
嫌いで脅威ならまず相手の事実上の力を認めないといけない。 >>836
何で支那畜は日本と張り合おうとするの?
不逞朝鮮人みたい!
事実は事実で認めた方が良い。
新羅や任那の起源が日本文明だという事実が確定してるからといってチョン国が現代の日本の植民地ではない。
百済の王が元々日本の臣下だったからと言ってチョン国が現代の日本の植民地でもない。
自国に自信があれば日本と張り合おうとしない。
日本と張り合おうとするのは根底で自国に自信がないチョン国人。
支那にもチョン国人メンタリティの反日キチガイがいるけどね。 >>836
>>840
何で支那畜は日本と張り合おうとするの?
不逞朝鮮人みたい!
事実は事実で認めた方が良い。
新羅や任那の起源が日本文明だという事実が確定してるからといってチョン国が現代の日本の植民地ではない。
百済の王が元々日本の臣下だったからと言ってチョン国が現代の日本の植民地でもない。
自国に自信があれば日本と張り合おうとしない。
日本と張り合おうとするのは根底で自国に自信がないチョン国人。
支那にもチョン国人メンタリティの反日キチガイがいるけどね。 >>838
それは今、中国に関して盛んに言われてることだ
うわべはともかく、実質的な国力がアメリカに遠く及ばないのに、なんの勘違いでアメリカに対抗しようとするのか >>836
古代の黄河文明は、東アジアの共有財産だ
北京人が「俺の祖先だ」みたいな顔で語るのは詐称であり無意味 >>838
やはり支那畜の知的水準はお粗末だな。
台湾は不可分の領土で人民解放軍の数なら勝ってるというただの台湾嫌いの論調で戦争をした時代がある。
台湾独立を認めない現実逃避が支那の敗北を招いた。
そういう支那を対台湾敗北に導く癌である精神勝利したいだけの支那崇拝は駆逐すべきだ。
嫌いで脅威ならまず台湾独立という現実を認めないといけない。 >>836
>>840 >>843
何で支那畜は日本と張り合おうとするの?
不逞朝鮮人みたい!
事実は事実で認めた方が良い。
新羅や任那の起源が日本文明だという事実が確定してるからといってチョン国が現代の日本の植民地ではない。
百済の王が元々日本の臣下だったからと言ってチョン国が現代の日本の植民地でもない。
自国に自信があれば日本と張り合おうとしない。
日本と張り合おうとするのは根底で自国に自信がないチョン国人。
支那にもチョン国人メンタリティの反日キチガイがいるけどね。 なんかパソコンとかスマホとかここ10年進化が遅いような気がする
それまでの進化が凄すぎたのかも知れんが、
中韓が台頭してくると目先の利益ばっかり追うから
技術革新に悪影響を与えてるような感じかな
自動運転技術なんかは日欧米が積極的に出資して開発してるからまだいいけど
ガラパゴスをバカにしてると誰も開発しなくなるね >>836
>>840 >>843 >>848
何で支那畜は日本と張り合おうとするの?
不逞朝鮮人みたい!
事実は事実で認めた方が良い。
新羅や任那の起源が日本文明だという事実が確定してるからといってチョン国が現代の日本の植民地ではない。
百済の王が元々日本の臣下だったからと言ってチョン国が現代の日本の植民地でもない。
自国に自信があれば日本と張り合おうとしない。
日本と張り合おうとするのは根底で自国に自信がないチョン国人。
支那にもチョン国人メンタリティの反日キチガイがいるけどね。 中共と南北朝鮮は
ソビエトとCISと同じ末路だろうなあ・・・・
彼らは初速は早いんだ
だって主に西側が発見した発明を模倣して
計画経済の下、大量生産すればいいのだから。
だけど結局経済が計画通りに行くなんてありえない。
どこかで必ず無理が生じる。
無理が生じれば現場のせいになり、現場のせいになれば
粛清が開始され、まともな人間から脱出する。
中共にこれ以上の成長はないし、
こんなデタラメくんにかかずらわってた連中は
大きく損するんじゃないか? >>850
それに似たような論調聞いて20年になるが一向に中国の勢いは衰えない。
中国衰亡論者は最早オオカミ少年状態だよ。 >>851
去年の上半期に、支那は経常赤字に転落したぞ >>852
何年か前に不動産バブルが弾けたことで又中国衰亡論が過熱したけどねぇ…
何度目だろうね… >>853
何年か前の衰亡論じゃなくて
支那が経常赤字に転落したのは去年だぞ 現実見ろよ >>855
経常赤字だということを知ってたなら、
>>851中国の勢いは衰えない。なんて現実離れした楽観論はわいて来ないはずだろ 経常赤字が必ずしも悪いことじゃないのはアメリカを見ればわかることだと思うが それが身の程知らずだってんだよ
アメリカは支那と違って最終消費大国だぞ
支那はアメリカへの輸出が滞れば無価値な国となる >>851
それで、いつになったら中共は台湾を統一できるようになるんだあ? >>825
日本の医者は、水銀を不老不死の丹薬として処方しない >>851
中国経済がまだ崩壊してないのは事実だが、「一向に勢いが衰えない」はさすがにウソ
もう、だいぶんピークを過ぎたぞ で日本が再度盛り返して中国抜いて世界二位の経済大国に戻れるの? >>838
自衛隊に探知されちゃう原潜しかないくせにw 反論できない時はネトウヨガーかよwこいつチョンと同類じゃん おまえら何やってんのよ?
そもそも>>817が、「中共からパクったもの」と客体を限定していて、
これに対して
>>825は、「中共はともかく」と白旗上げて無条件降伏してますやんww
日本が中華人民共和国から学んだものはなにもない。 >>825
そもそも「文化」「宗教」「美術」という用語は日本から中国に伝わった >>870
中共からという風にわざわざ限定しないと成り立たない主張になんの価値があるのか >>870
なんでそんな下らないところで勝負したがるの?
中華人民共和国共産党人民解放軍という言葉のうち中華と軍除いて共和国も共産党も人民も解放も全て日本由来の和製語だ。
けどそもそも漢字自体が中国由来。 日本人の中華コンプレックスを体現してる言動だよな
日本の歴史2600年!を中華人民共和国70年と比べて悦に入るとか >>825
日本料理には人肉饅頭という食べ物はない 儒教の話してるのに変なチョン公型精神勝利主義者のバカウヨが来て流れがおかしくなってる。 >>874
先進国の日本人は非先進国の支那チョン土人にコンプレックスなんて持たない
その逆ならあるけどな >>871
凡武之興,為不服也,文化不改,然後加誅
(說苑)
吾住山久,無補宗教,敢以院事累君
(續傳燈錄) >>825
中国の近海では真昆布は採れないから日本から輸入してた >>851
中国鉄路総公司の負債残高が、過去最高に達したんだってさ 経常収支が赤字になったのは中国が外需依存から脱却し内需型経済移行に舵を切ろうとしてる事も影響してるんじゃないか?
13億人の内需をどうすんだろ。 >>847
というより、比較優位原則に傾斜しすぎると、イノベーションが起きにくくなる気がする。 「共和国」が日本で造語されて中国に輸入されたとの主張がネット上でかまびすしいが、
そもそも「共和」は中国でつくられてるんだよな。
幕末から明治期にかけて欧州語の学術概念のタームを日本人がずいぶん漢訳して、
それが中韓で便利に使われているのは確かだが、
その「漢訳」作業が儒学古典の教養ベースで行われたのも確かなんだな。
そして、その漢訳の中には拙速だったとしか思えないものもあって、
「rights」を「権利」と訳したのが果して適切だったかのように、
疑問が残るのもけっこうあって、それがまた中韓で便利に使われていて問題をややこしくしている。 パクリや偽造品が大手を振ってる社会で、内需型経済移行したらさらに成長は鈍化し衰退するわけ
だけど中共政府は知的財産保護を履行できないからトランプを怒らせてしまった 春秋繁露は民本主義の明夷待訪録と異なり天命を最も重んじ天命を受けた君主、民の順番になる。
漢の官学になった今文公羊学の書物らしい。 せっかくの哲学系のスレなんだから、社会問題も哲学にできるだけフィードバックしないか。
例えば、西欧系の社会が重視する「知的財産」「コピーライト」の概念って、
遡ればやはり古代ギリシアのアゴーンの慣習に帰結するのか? >>885
そういやエコノミーの訳も経世済民から採用した経済ではなく易経の資生を使うべきという人がいたな。 >>888
>哲学系のスレ
そういうのは哲学板でやれ >>885
最も誤解を招いた誤訳でしかも今更訂正もできんのは
YHWHを「神」と訳したこと
「天主」というもっと正確な訳語もあるし、「天主」を使うた聖書も作られたことあるけど
結局、すどに普及してもた「神」には勝てんかった >>891
英語訳の"God"やラテン語訳の"Deus"も問題大ありで、完全に多神教時代の概念を引きずっている。
つまり、日本語訳で「神」と訳したのと大同小異の側面がある。 >>872
中共よりも前の国だと「知的財産侵害」の問題で先進国とさほど対立してないだろが 「一元を謂うは始めを大ぶなり。」春秋繁露
訳には「一年のことを元年と称するのは、ものの始まりを重大と考えるからである。」
とある。
君主即位の初年を元年と春秋で称するのは董仲舒によると「一は万物の始まるところである。元は大の意味。一を元というのは始めを大いなるものと見なして本を正そうとするからである。」
と言う。
ふーんここらが元年の起源か。
令和元年だもんな。 >>895
ウソつくな
おまえ興味ない話と言いながら、わざわざアンカーつけて答えてるだろ >>891
カトリックは中国語では「天主公教」じゃなかった?
カトリックは普遍という意味で公に繋がるから良い訳だと思うが。 儒教には、知的財産を保護しようという教えは無いのだろうか? だからスレ違いの話を延々してる奴に直接注意してんだろw 支那がチョンよりも悪質なパクり大国になったのは儒教に原因があるのか? 漢代には董仲舒らから始まる今文学派と彼らが用いる春秋公羊伝。
対して古文学派と彼らが用いる春秋左氏伝との対立があった。古文学派以前に春秋穀梁伝を用いる穀梁派も出たがすぐ廃れた。
因みに古文学派を始めた劉僅の父劉向は穀梁学を修めていた。
官学は今文学派だったが民間で古文学派が訓故学を発展させ鄭玄が古文学派から出て古文学を中心に今文学も総合した体系を建てる。
唐代に孔ようだつが出て科挙用の義梳を作る。
この流れを漢唐訓故学という。
宋代に朱子らが出て理学として儒教を再編成し王陽明のような同じ土台にたつ批判者も出す。
宋明代理学だ。
基本的に漢が滅びて魏晋南北朝から隋唐五代にかけては道教と仏教の時代で儒教は振るわなかった。 宋明理学が発展すると主観的な観念論が幅を効かすようになり陽明学左派の李卓吾などに至っては儒教の原形を留めないほどになった。
そこで陽明学右派の黄宗義や顧炎武らによって実際の儒教テキストを重視する清代考証学を生み出す。
しかし考証学は現場を離れた学術研究に堕したので実際に使える教学として漢代公羊学が再発見される。 高齢者を遠征売春させる下チョンをみならうな
米テキサスで韓国人売春婦を検挙(48〜73歳)@2016.09 http://i.imgur.com/XQfpmSe.jpg >>905
李卓吾の童心説は、儒教の性善説を極限まで推し進めたものであり、「儒教の原型をとどめない」というようなものではない
李卓吾たちにとっては、それこそが純粋な儒教の原型 「儒教=朱子学」ではない
朱子学に対する批判を、儒教否定と見るのは誤り いや、でも確かに李卓吾は、それくらい異端だな
西洋哲学史でいえば、スピノザやニーチェに相当する異端思想の極北をゆく人 漢学と宋学、理学と心学で逆の主張してることも多いのに
「儒教ガー」と言う人は全く信用できない 「孔子が言ってたのは、こういうことなのだ」と言っては、古典から引用しつつ自分の持論を好き勝手に展開する
それが儒者というものだ
朱子などその最たるもので、「ここは誤字脱字だから訂正する」とかなんとかいって、古典のテクストを勝手に書き換えたりしていた 「支那が古来、幾多の革命を経たにもかかわらず、その文明の上になんら新しい要素を加えてこなかったのは、孔子の儒教を万古不易の道と誤認して、宗教的偏執ともいえるものを抱き、それにのみ拘泥して他を排斥してきたからである。」 孔子は、西洋哲学史でいえば、ソクラテスに相当する
開祖のような位置を占めてはいるが、儒教そのものは孔子よりずっと前からあり、「孔子こそ儒教を歪めた元凶」という見方があっても、決しておかしくない >>918
それならユダヤ教におけるモーセはどうなる?
ユダヤ教はモーセよりずっと前からあるがモーセ五書がユダヤ教の基本にして最高の聖典になる。
モーセがユダヤ教の開祖に近い扱い。 >>919
まあ、その通りではあるけど、「ユダヤ教は、モーセが始めた宗教である」と思ってる人はいない。
モーセが登場する以前にアブラハムやイサクがいて、ある意味ではアブラハムこそが開祖。
そもそも、古代ユダヤ人の信仰が背景にあることを知らない人はいない。
それに比べて、「儒教は孔子が始めた宗教である」とナチュラルに思い込んでいる人が、世間には多い。
なんといっても、そこが決定的な違い。 現代はともかく、昔の東洋の教養人なら、孔孟老荘を読んでいるのが当たり前
「ボクは論語は大好きだけど、荘子は読んだことありません」なんて人はまずいない
みんな、一通り知っている
知ってるのを前提にして会話が成り立つ >>920
え?「ユダヤ教は、モーセが始めた宗教である」とみんな思ってるでしょ >>926
世界で最も優秀な医学博士が神社に参拝してるんだけどな 織田信長は地球が丸いことを理解してたのに、
江戸時代になって朱子学者が地球は平面だと強弁した >>927
世界でもっとも優秀な人種はキリスト教会に参拝してるが >>932
統一教会の犬の安倍チョンの悪口言うとか
おまえパヨクか?😡 >>934
統一教会の祖国の北チョンに経済制裁してるのが安倍で
統一教会の祖国の北チョンへの経済制裁反対してたのが左翼だぞ >>926
G8の首脳はみんなで神社に参拝してるんだけどな >>940
チョンさん反論できないから同胞認定かw >>941
馬鹿チョン妄想ご苦労
神社がたくさんある国は先進国でとして繁栄し続けてるからな 儒教をバカにするなら、天皇制もバカにしないとな
男系継承なんてのも儒教的でバカらしい >>943
チョンさん反論できないから同胞認定かw >>944
神道を国家で保護したら滅亡
神道でなく仏教も共存した江戸時代や戦後が繁栄
これが現実 >>945
支那チョンと違って易姓革命してないから日本の皇室は不滅なんだよ >>949
シナチョンをバカにするならそもそも天皇制がシナチョンのパクリ
元号もパクリ >>947
日本国は一度も滅亡してないし、江戸時代は文明開化してないし民選議会すら存在しない
これが事実 >>950
支那チョンと違って易姓革命してないから日本の皇室は不滅なんだよ
令和って元号が支那チョンにあったのか? >>953
まともな日本人はチョンと違って靖国神社に放火しねえぞ 儒教にかぶれたやつの本性は、反天皇で反神社で反日で連コリアンの馬鹿チョンだったのか 反儒教荒らしがネトウヨ小僧だってことは前々からわかりきってたことだ >>945
地球が平面だってバカなことを強弁した朱子学者はいたが、
地球が平面だってバカなことを強弁した天皇はいない >>958
反儒教の志士が明治の元勲となって、日本の文明開化を後押しした >>961
文章を読んだだけで顔面なんか透視できるはずないだろw
だから儒教かぶれは反知性主義者って言われんだよ >>964
見なくてもわかるわ
文章が不細工だからw 反儒教ネトウヨは馬鹿がばれるから喋んないほうがいいよ >>966
文章が不細工なのは連コリのパヨチョンだろ
おまえら地球が平面だって信じとけよ なんか、ケント・ギルバートと百田尚樹のネトウヨ向けビジネスのせいで、
勘違いを暴走させたのがいっぱい沸くようになったな。 儒教を馬鹿にするなニダって悲鳴あげてもさあ
地球が平面だって馬鹿なことほざいてた朱子学者が実在したんだから無理なんだよねw >>970
知能低い馬鹿チョン戦士
朱子学では地球が平面なんだってよ w 地球が平面だと考えられたことに儒教かどうかって関係なくね >>974
お前の顔面平面説をなんとかしてから言うべきw >>973
国学者は地球球体を受け入れて儒教を批判してたぞw知らないのか? ネトウヨ小僧の顔面が平面なのは俺も批判しているんだがwww >>980
お前の平面な顔よりは高い知能があるんやでw 反儒教志士ネトウヨ小僧は
江戸時代なら時流におもねって地球球体説を唱える人間を罵倒するタイプの人間だってはっきりわかんだね >>982
江戸時代は後進国っていいたいのかパヨクめ😡 >>984
安土時代の信長>>∞>>江戸時代の朱子学者
わかったかパヨクめ >>987
信長に教えを授けたキリスト教こそ信奉すべきってことかこのパヨク😡 >>986
ハイ馬鹿だから証明できませんでしたとw >>988
地球球体を最初に唱えたのはキリスト教じゃないんだけど
地球球体を理解することがキリスト教信奉だと思ってんのお前w >>991
地球平面を証明できないくせに精神勝利すんなボケw >>994
地球球体説を最初に唱えた者のみ偉いというなら、信長も国学者も別に偉くもなんともないな
馬鹿だからいきなり矛盾してしまったねw >>995
おまえは自分の顔面も証明できてないやんw このスレッドは1000を超えました。
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