四川省は明の末期に殺人鬼の張献忠にのっとられ、
大虐殺の嵐が吹き荒れた。

大虐殺にまつわる逸話としては、以下のものがある。

ある時、虫の居所が悪かった張献忠は、部下に命じて自分の息子や妻妾たちを皆殺しにした。翌日その事を忘れて、息子や妻妾たちを呼び出そうとしたのだが、現れるはずも無い。自身の行いを思い出した彼は、「何故止めなかった!」と部下を皆殺しにした。

友達を招き、宴会を開いて歓待した。しかし、友人が帰路についたあとで、刺客を放って殺させた。そして持ってこさせた首を長持ちに入れて持ち運び、暇な時には、集めた友人たちの首を並べてママゴト宴会を楽しんだ。

役人を集め、その前に犬を連れ出すと、犬が臭いを嗅いだ者を殺した。これを「天殺」と呼んだ。

僧侶には銀10両、小坊主には6両お布施を出すとの触れを発した。それを信じて集まった数万人の僧侶と小坊主を10人ごとに縄で縛り、皆殺しにした。

科挙を行うとの触れを発し、集まってきた知識人のうちで身長120cm以上の者を殺した。数万人の学生のうち、助かったのは子供2人のみだった。

女性を殺すと、纏足された足のみを切断して集め、山のように積み上げた。しかしその頂上にできるような、いい足が見当たらない。愛妾が自身の足を冗談で見せたところ、すぐさま彼女の足を切断し、頂上に乗せて完成させ、悦に入った。

人体のツボの位置を示した人体模型を手に入れ、それを白い紙で覆ってツボの位置が見えないようにした。その上で医師たちを集め、「この人形のこのツボを示せ!」と命じた。少しでも間違えた者は、容赦なく殺した。

四肢の切断を「匏奴」(ほうど)、人体を背骨の位置で縦割りに切り離すのを「辺地」、赤子を投げ上げ、槍で貫くのを「雪鰍」(せっしゅう)または「貫戯」(かんぎ)と呼んだ。

生きた人間の生皮を剥ぎ、1日近くの間苦しめて殺した。もし皮剥ぎの最中や執行直後に死んだ場合、あるいは剥がした皮に少しでも肉片が付着していた場合は、執行人が不手際の咎で皮剥ぎに処された。

民間に伝わったところによれば、張献忠は虐殺後、成都の中心に「七殺碑」と呼ばれる石碑を建立したとされる。

天生万物以養人
人無一物以報天
殺殺殺殺殺殺殺