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ムガール帝国
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0001世界@名無史さん
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2019/05/05(日) 23:13:16.400
過去において、インドが最も輝いた時代を語る
0087世界@名無史さん
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2020/05/29(金) 22:34:17.720
アクバル2世は皇太子時代に首都デリーがグラーム・カーディル・
ハーンに占領されたとき、父や兄弟二人ととともに目を潰されたと
wikiに書いてあるけど、父のシャー・アーラム2世のほうはともかく
アクバル2世には即位後も立派な眼球がついてるので目を潰されたのは
別の皇子では?と思った
0088世界@名無史さん
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2020/05/29(金) 22:39:23.000
清の皇帝は終わりのほうになるほど子宝に恵まれなくなるんだが、
ムガール皇帝はセックスしかやることがないのかというほど子供を
ポコポコ作ってるな
0089世界@名無史さん
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2020/06/01(月) 08:08:42.060
>>88
見るからに繁殖力強そうな面構えやしな。
清の文宗以降の皇帝の顔は逆に、
精子に尻尾も生えてなさそうな弱々しさ。
0090世界@名無史さん
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2020/06/01(月) 12:42:22.470
>>86
アウラングゼーブと同じ時代に、南インドのヒンドゥー勢力にも英雄が登場し、生涯の宿敵となった。
マラーター王国のシヴァージーた。

1680年にシヴァージーが死んだ時点で、南インドのデカン高原はほぼマラーター王国の版図。
「シヴァージーが死んだ」と聞いて大喜びのアウラングゼーブは、南インドの征服を本格化した。
それから10年ほどかけて、ムガール帝国は南を滅ぼし、史上最大の領土を実現。
でも、1707年にはアウラングゼーブも死に、帝国は瓦解した。
つまり、ムガール帝国のインド統一といっても、その期間は20年もなかった。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/13/Maratha_Empire_1680.PNG/200px-Maratha_Empire_1680.PNG
0091世界@名無史さん
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2020/06/01(月) 12:45:51.910
ムガール帝国が崩壊した後、18世紀はマラーター王国の天下となった。
19世紀にイギリスの領土になるまでは、ヒンドゥー勢力の時代。

いまのインドはヒンドゥー教至上主義の右翼が天下を取ってるので、シヴァージーは英雄視されている。

1760年、黄色がマラーター同盟の版図
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/87/India1760_1905.jpg/250px-India1760_1905.jpg
0092世界@名無史さん
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2020/06/07(日) 17:42:38.670
>>87
たしかにアクバル2世が盲目にされたという話は、Wikipediaの他言語版にも見えないね。
なぜか日本語版だけそう書かれていて、息子のバハードゥル・シャー2世の記事にも
祖父と父が盲目にされたとあるが・・・
0093世界@名無史さん
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2020/06/11(木) 09:38:14.950
>>80
大英印度帝国が全印度を統一しましたよ
0094世界@名無史さん
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2020/08/26(水) 18:52:29.120
ムガル帝国にもオスマン帝国と同じように兄弟殺しの習慣があったよな
イスラーム圏にはなぜ長子相続制が根付かなかったのか
0096世界@名無史さん
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2020/08/26(水) 19:29:23.150
中国人(漢族)は農耕民だけど、中国の歴代王朝を見ると、
必ず長子が相続すると決まっていたわけではないよな
0097世界@名無史さん
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2020/08/26(水) 22:21:52.360
南アジアの王権は、日本と違って外国人や異民族に対して開放的だった
ムガル帝国の宮廷では、時期によって多少の差はあるが、およそ25〜30%の
官人がイラン高原から移住してきた人々とその子孫によって占められていた
彼らの中には、詩人や文人として名を知られた者も多い
イラン系の人々は、企業家、商人としても活動した
経済的な面についていえば、領土内に豊かな商品がもたらされ、王の宮廷が
経済的に潤う限り、貿易を行う主体が誰であるか、どこの出身であるかは
大きな問題とならなかった
0098世界@名無史さん
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2020/08/27(木) 07:52:54.110
バーブルは父からトルコ人の血を、母からモンゴル人の血を受け継いでいるにも
かかわらず、モンゴル人を軽蔑し、モンゴルと呼ばれるのを嫌いぬいた
0099世界@名無史さん
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2020/08/27(木) 17:20:51.270
アウラングゼーブの様子を伝えるイギリス外交官の報告書が残っています。

 「ムガル軍のキャンプは不潔このうえない泥土の中にあり、兵士達の俸禄は一年以上滞っている。宮廷人は腐敗の極みにあり、何一つするにしても賄賂を要求する。
だが老皇帝一人だけは、尚可也の威厳を持ち純白の衣裳で前線を回る。
多くの兵が皇帝を見ようと群れる。
だが皇帝は彼らの方を見ず只手中の本のみに目を凝らす。
その本はコーランだった。」(1699年イギリス使節報告)
0100世界@名無史さん
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2020/08/27(木) 19:21:33.700
バーブルはアフガニスタンでの行軍中、大雪であわや遭難の危険に見舞われた
数日間、雪を踏み固めながら、道を見つけようとしたとき、「生涯でほとんど
なめたことがないほどの苦しみ」を味わった

バーブルは、一見して狭そうに思える洞窟で一人休息をとるように部下から
慫慂されても、敢然と拒否している。

「全ての人々が雪と強風の中にいるときに、私が眠りを貪って休息することは、
人間的なものからはほど遠く、また友誼からもかけ離れたことである。
どんな不安や困難があろうとも、私はそれに立ち向かおう。何であれ人々が
耐えることは、私もまたそれに耐えよう。一つのペルシア語の諺がある。
『友と共にする死は婚礼である』」
0101世界@名無史さん
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2020/08/27(木) 20:31:46.350
ここバーブルナーマ読んでる人いないの?
とても面白いのに
0102世界@名無史さん
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2020/08/27(木) 22:31:16.720
バーブルは征服した北インドのことを好きになれなかったようだな

ヒンドスターンは魅力に乏しい国である。人々の容貌は良くないし、
互いに訪ねあうといった人づきあいもない。才能も包容力もなく、
マナーも知らない。…良い馬や良い犬もおらず、美味しい葡萄や
マスク・メロンなど一級の果物も、また氷や冷たい水、美味しいパンや
調理した食物なども市場にはなく、温浴場や学校、蝋燭、トーチや
燭台もない。

と述べている。アフガン台地のほうがバーブルには合っていたのだろう
0103世界@名無史さん
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2020/08/28(金) 18:57:50.090
アウラングゼーブの死後、18世紀に入ると短命な君主が続き、
帝国の有力者が皇帝位を左右した。皇帝は有力者の傀儡と化した
1739年、ナーディル・シャーがペルシアから侵入し、ムハンマド・シャーを
捕虜にして、デリー市を略奪した。ムハンマド・シャーは帝位を回復したものの、
帝国支配は完全に崩壊した。以後、ムガル皇帝は様々な勢力により擁立された
0104世界@名無史さん
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2020/08/28(金) 22:15:40.220
セポイの反乱の時に最も勇敢で有能だったと言われるジャンシー王妃ラクシューミーは英国人の記録によると「色白で、とても美人で、背の高い女性だった」という。

このセポイの反乱で神輿に担ぎ上げられたムガル皇帝バハードゥル・シャー2世は英国のデリー攻撃中に降伏し、英国の裁判にかけられ反逆罪を宣告されて廃位。
ここに17代332年続いたムガル帝国は滅亡した。

なお、バハードゥル・シャー2世の正室のズィーナト・マハルも肖像画(細密画)で見る限り若い頃は美人。
https://i.imgur.com/ctSDipI.jpg
https://i.imgur.com/54q0JOl.jpg
0105世界@名無史さん
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2020/08/28(金) 22:49:06.600
20世紀前半のインドのマハーラージャたちの間では、白人女性を妻に迎えることが
流行り、手っ取り早く整形手術で後宮の女たちをパリジェンヌに変えてしまった
者もいた。
ベルサイユ宮殿そっくりの小宮殿を建て、宮廷内でフランス語を公用語とし、
エビアン水しか飲まなかったマハーラージャもいた。
0106世界@名無史さん
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2020/08/29(土) 19:44:33.550
1736年、サファヴィー朝を滅ぼして、アフシャール朝を創始したナーディル・シャーは、
1739年、デリーを占領し、住民を虐殺したあと、「孔雀の玉座」を含む、
大量の略奪品をもってイランに帰った
この事件によって、ムガル宮廷の権威は完全に失墜した
0107世界@名無史さん
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2020/08/30(日) 09:46:45.250
バーブル…ヌルハチ
アクバル…康熙帝
シャー・ジャハーン…雍正帝
アウラングゼーブ…乾隆帝
バハードゥル・シャー1世…嘉慶帝
ムハンマド・シャー…道光帝
シャー・アーラム2世…光緒帝
バハードゥル・シャー2世…宣統帝溥儀
0108世界@名無史さん
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2020/08/30(日) 14:58:57.120
イギリス東インド会社がインドを植民地にできたのは、結局、当時のインドに
ナショナリズムが存在していなかったからなんだろうな
だから多くのインド人が東インド会社の傭兵として戦った
0109世界@名無史さん
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2020/08/30(日) 15:36:05.110
インドが近代化してのはイギリスの植民地になってインド全土が鉄道で結ばれたから
0110世界@名無史さん
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2020/08/30(日) 15:36:23.010
インドが近代化できたのは

の間違いだった
0111世界@名無史さん
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2020/08/30(日) 15:38:36.840
>>107
アクバル除くと清の歴代皇帝と比較すると見劣りする皇帝ばかりだな
0112世界@名無史さん
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2020/08/30(日) 18:09:19.720
バーブルはヌルハチとタメ張れるでしょ
あとジャハーンギール、シャー・ジャハーンも乾隆帝ポジってところだな
0113世界@名無史さん
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2020/08/30(日) 18:24:36.550
清朝は太子密建で後継者を決めたから、ムガル帝国のような兄弟同士の
殺し合いには発展しなかったな
0114世界@名無史さん
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2020/08/30(日) 18:40:05.000
兄弟争いは止まなかったが…バーブル−フマーユーンの親子愛もいいもんだよ
あの2人は兄弟争いはしても殺すようなことはしなかったし
0115世界@名無史さん
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2020/08/30(日) 20:58:37.510
病身のフマーユーンへのバーブルの献身の逸話が有名だけど
他にも、息子にあてた手紙の中で、孫が生まれたことをとても喜んだり
凝った手紙を書こうとする息子に、読む側のことを考えて簡潔に書こうねとたしなめたり
ちょっと頼りない息子への父の愛を感じる
0116世界@名無史さん
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2020/08/30(日) 21:03:05.890
>>113
兄弟間で皇帝の座を争うのってモンゴルからの伝統だっけ?

でも当時のイランの王朝も継承者争いとか家来の裏切りとかで盛衰が激しいな
0117世界@名無史さん
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2020/08/31(月) 07:31:40.670
中央アジアを父祖の地とするムガル皇帝たちは、中央アジア支配の願望を
持ち続けたけれど、結局それは果たせなかった
アウラングゼーブの代になって、中央アジア支配を諦め、もっぱらデカンに
眼を注ぐことになる
0118世界@名無史さん
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2020/08/31(月) 10:38:09.340
アウラングゼーブまでの歴代皇帝たちはカンダハールをサファヴィー朝と争い続けたからな
中央アジア支配の夢を諦めきれなかったんだろう
0119世界@名無史さん
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2020/08/31(月) 17:03:47.330
アウラングゼーブは版図を最大に広げたと言っても、デカン進出以降はイスラム原理主義によるジズヤの復活に加えて軍事費捻出するためにイスラム教徒にも重税をかけたから北部インドで反乱が相次いで統治がままらなくなっていたので、その版図はハリボテみたいなものだな。
0120世界@名無史さん
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2020/09/01(火) 11:32:43.250
イランはイスラーム化したのに、インドはムスリムが多数派を占めることには
ならなかった
両者の違いはどこからきたのだろうか
0121世界@名無史さん
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2020/09/01(火) 14:59:43.310
>>120
一瞬で征服されたイランと違ってインドはイスラーム王朝も征服するのに時間かかっているし
南部を中心にヒンドゥー教徒の勢力の抵抗も強かった
最大版図のアウラングゼーブの時代ですら南端部までは征服できてないからな
0122世界@名無史さん
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2020/09/02(水) 19:23:45.430
ムガル帝国で、非ムスリムに対する迫害が最初に見られるようになるのは
アウラングゼーブではなくてシャー・ジャハーンの時代からなんだよな
1632年、シャー・ジャハーンは新しく建てられたヒンドゥー寺院の破壊を命じ、
また旧寺院の補修を禁じた
そのため、ヴァーラナシー(ベナレス)では76の寺院が破壊されたという
この時代、ムガル帝国では、ウラマーの勢力が強まり、より厳格にシャリーアを
守ることを要求するようになってきたことがこのような動きを生みだした
0124世界@名無史さん
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2020/09/04(金) 22:27:00.130
アウラングゼーブはムスリムに対して飲酒、賭け事、大麻の吸引を禁じているし、
イスマーイール派のムスリムやスーフィーも弾圧していて、必ずしもヒンドゥー
だけを弾圧したというわけではないんだよな
0125世界@名無史さん
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2020/09/05(土) 09:22:06.920
>>124
ようは自分にも他人にもあらゆる人間に対して厳しい超超超厳格なイスラム教徒だったってことだな
イスラム教の戒律が正しく守られていないことが許せなかったわけだ
0126世界@名無史さん
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2020/09/05(土) 09:33:53.540
>>125
一個人としてなら尊敬できる人間かもしれないが、
多宗教・多民族帝国の統治者としては向いていなかった
0127世界@名無史さん
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2020/09/07(月) 04:30:10.100
ダーラー・シコーは文人としては優れていたが武人としてはてんでセンスなかったな
センスないことを自覚してればよかったんだがその自覚すらないんじゃ負けるわ
0129世界@名無史さん
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2020/09/08(火) 19:41:51.710
アクバル時代後半からムガル宮廷とカトリック宣教師との接触がはじまった
ジャハーンギール時代にもこれは引き続き行われた
ジャハーンギール時代にはまた、ヨーロッパ東インド会社の使節を宮廷に迎え入れている
宮廷とヨーロッパ人との交流はムガル宮廷絵画やムガル建築物のデザインに大きな
影響をおよぼした
0130世界@名無史さん
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2020/09/16(水) 22:20:38.240
アクバル帝は、ものづくりが非常に好きだったとか
職人たちと共に石切り場で石を切り出すこともあり、職人たちの仕事ぶりを眺める
だけでなく、楽しみから彼らと同じ作業を行いさえした
0131世界@名無史さん
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2020/12/19(土) 23:01:48.340
バーブルって、敵対したアフガン人たちの首を切って「首の塔」を作っているよね
切った敵の首を漆喰で固めて塔にしたもの
ティムールの時代にも征服地に見せしめのために建てられた
0132世界@名無史さん
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2020/12/20(日) 11:38:51.270
バーブルやティムールに限らずそんなことどこでもやってるだろ
首塚って聞いたことあるか?
お前の地元にも探せば2〜3はあると思うぞ
0134大前春子
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2020/12/20(日) 14:12:08.230
お前ではなく、大前です。
0136世界@名無史さん
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2020/12/20(日) 22:03:26.660
お前の地元だとよ
0137世界@名無史さん
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2021/02/07(日) 22:54:56.500
>>104
ラクシュミーバーイー王妃はインドのジャンヌ・ダルクとも呼ばれているね
僕らの時代は「セポイの乱」と習ったけど今では「インド大反乱」と言われているようだね
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