0001世界@名無史さん
2019/07/24(水) 06:29:31.220ナチスは当初、ドイツからユダヤ人を追放し、国内から一掃することを想定していました。当時のドイツ国内のユダヤ人の数は約56万人でしたが、彼らのすべてを国外に移送したいと考えていたのです。フランスを占領すると、フランス領であったマダガスカル島に移送するという計画もありました。
しかしドイツの占領地帯が拡大すると、ユダヤ人の数も増えていきます。ポーランド地域には200万人のユダヤ人が暮らしていたのです。ソ連の東部を手中に収めた後は、ドイツとポーランドに住むすべてのユダヤ人をそこに移住させる目論見でしたが、すでにそこにはユダヤ人が300万人も存在していました。
移住計画はとん挫し、対ソ戦が膠着してくると、ソ連の占領地のユダヤ人の大量射殺が起こりはじめました。結果的には50万人以上を殺害したといわれています。
この殺戮が常態化すると、ポーランド領内のユダヤ人を同じように大量虐殺し、一挙にユダヤ人問題を処理しようとナチスは考えるようになりました。その後、効率的におこなうため、ユダヤ人の移送方法、収容所のガス室による殺戮方法などが準備され、大量虐殺に至ったのです。
ホロコーストは組織的な分業体制により、国家が運営したことが近年の研究で明らかになりました。