西欧の侵略がなかったら清は自力で近代化できた?
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アヘン戦争から始まる
西欧諸国の武力侵略と
反植民地化
それがなかったら清は近代化することはできたのだろうか 西欧が近代化できたのは
製紙や黒色火薬、活版、羅針盤を使いこなせたからだけど
それらは全て、古代支那の発明
何千年も、全く自分で積極的に運用せず
技術革新にも無関心で
外部の刺激もなくて突然近代化なんて
想像に苦しむ 西欧文明の侵略近しという危機感がなければ
日本の幕藩体制脱却もいつになったかわからんな。 >>6
あれは世界史の奇跡
マックス・ウェーバーによると宗教パワー 西欧の侵略があっても自力での近代化に失敗したオスマントルコの立場は? そもそも近代化って何?
西欧化と同義だけどそれ以外に? 西欧化と同義なら南米のほうが日本より近代化してることになるな >>9
それだと、西欧は最初から100%近代化されてることにならないか? ていうか、「近代化とは何か」を考える上では、まず近代化の本場である西欧について、「中世の西欧と、近代の西欧では、どこがどう変わったのか?」を考えるべきであろう 近代化の定義を考えると
「サウジアラビアは近代国家なのか?」
という問いが、補助線になるな。 近代化の定義がこの議論の本題かな。
それさえ決まれば結論はすぐ出る。
これがあいまいだと延々と堂々巡りの議論が続く。 中世の西欧と、近代の西欧では、まず脱宗教化が進んだな 中世の西欧は、都市は商人ギルド、地方は農奴制で固まり、停滞していた
近代に入って社会が流動化し、急速な拡大再生産が始まった 近代に入って社会が流動化→してない農民が市民身分になれなくなったりギルドで親方試験を受けれる実際は階層がより一層固定化されていった
急速な拡大再生産が始まった→「産業革命」時代のイングランの成長率は年間1%か酷い場合はマイナス成長で19世紀初頭まで数百年の停滞していた
最近では実態に即していないということで「産業革命」という言葉自体が使われなくなってきている >>18
まあ、そういう面はあるだろうな
機械化で生産コストが猛烈に下がっていくのだから、 (続き)
社会には巨大なデフレ圧力がかかる
労働者の実質賃金は低下するデフレ社会 囲い込み運動で農地を失った農民が都市に流入して賃金労働者となり工場制手工業や資本家が形成された
ということに教科書ではなっているけど実際は囲い込み運動で農村人口は反って増えてるんだよな
そもそも18世紀通してイングランドの賃金労働者人口は全体の1割とか2割程度で案外と少ない 人口そのものが増えてたってことだな。
アメリカに移住してた連中も多かったのを考えると、増え方は早い。
人口が増えると、労働者が余るのでデフレ要因となる。 だいたい、なんで15世紀後半の長江下流地域で産業革命が起きなかったのかが、経済史でよく議論になるくらいだ
明の時代の江南の経済には、それほどの勢いがあった アヘン戦争後から近代化始めたのに後発の日本に遅れを取るくらいだからないない
せっかく機関車導入しても農民が悪魔の乗り物として川に放棄するくらいだし 清にとって西欧の脅威がなければ近代化する必要性も感じなかったんじゃないか? >>27
歴史上、コントロールできた試しのないモンゴルやウイグルを、最終的に屈服させられたのは西洋伝来の鉄砲の威力
いくら清でも、西洋の技術はやはり欲しかった 西欧が近代化できた最大の要因は科学革命
つまり古代中世的な観念論的な思想哲学から抜け出して
実証主義的に真理を積み上げることができるようになったからでしょう
ヨーロッパでも宗教改革のころまでは聖書を基準に万物の真理を確かめていたが
啓蒙主義の時になってそれまでに得られた諸科学の分野の知見と聖書の記述との間で整合をつけることができなくなり
人類史は6千年で終わるとする普遍史が捨てられ
無限大に伸びる過去から未来へと続く近代的歴史学が誕生した
ここで西洋の優越が決定づけられたのであろう
一方の清朝では宋学への批判がなされたのはいいのだが
結局そこから漢唐の訓詁学へ戻れという一種の宗教改革の方へいってしまい科学革命は起きなかった
西洋の場合と違いそれまでに特に科学的な発見が蓄積するということもなかったので
古代中世的な観念論から抜け出す要因がなかったからだろう 観念や先入観と現実を切り離す、というのは簡単に思えて、実はむずかしい。 キリスト教はあれはあれで、根拠を求める実証精神が内包されていて、実は後々科学に繋がる精神があったりする。
だからこそ、神は死んだとかと言われちゃうわけだ。
仏教徒や神道信者は馬鹿だな、曖昧にしておけば有り難がられてそんな存在を否定されないだろうにと言うが、
まあキリスト教的物が科学を産み出したとも言える。 あったりする(笑)言われちゃう(言ったのは一人)
具体的根拠を挙げられないお前も馬鹿な仏教徒の一人だ キリスト教が科学を生んだというか、
ユダヤ教がギリシャローマの理性主義や民主主義の影響をうけてキリスト教になった。
権力への絶対服従を否定し、理性や実証を重視するのがギリシャローマの特徴だが
それは権力が集中しにくい地中海という風土の影響が大きく、言い換えれば地中海世界を
超えて理性や実証を重視する精神を広げることはできなかった。
絶対的存在への服従を求める砂漠の文化と、説得・検証・合意を重視する地中海文化の
融合という面がキリスト教にはあって、それが地理や政治の制約を超えた普遍的真理を
検証によって追求しようとする近代科学を生み出す土台になったのだろう。 実際に測ってみた見た値と理論上の値が相異なるとき、
測った値を真実とするのが科学理論、理論上の値を真実とするのが観念論。 科学革命とか有り難がってるけどオカルトの錬金術の副産物じゃねえか >>29
「観念論」っていったら、哲学では通常、19世紀の近代ドイツ哲学を指す用語だけどな >>36
もっと普通名詞的に
自然科学と関わらずに作った観念的な思想って意味で
使ってみたわ 観念論の祖であるプラトン自身は数学者・物理学者だったのだから、これは皮肉な結果 もっとも、数学の応用として物理をやる理論物理学者には、実験軽視の傾向がしばしば見られる。
大陸哲学の祖・デカルトが、よくその傾向を指摘される。
それに対して、実験を重視するのは英米の特徴。 18世紀の後半あたりから西欧と日本が急加速してきたんだよなあ 18世紀の後半あたりから西欧と日本が急加速してきたんだよなあ 中国の中心地である長江下流は、日本でいえば鹿児島から沖縄くらいの緯度。
中国は基本的に暑い南の国であり、欧州でいえばイタリアとかスペインあたりに相当する >>42
いや、ちっとも重要ではない
まったくの枝葉末節 >>43
緯度と気候は完全にイコールではない。緯度10度くらいの範囲では、緯度よりも
気団の方が気温に大きく影響する
上海の各月の平均気温は、東京とあまり変わらない
沖縄とはだいぶ違う
上海も東京も冬場三か月は平均気温が10度程度だが、沖縄は20度くらいある
沖縄と近いのは香港 >>45
上海ならそうだろうな
夏の南京が異常に暑いのは内陸だからか そろそろ北京に行こうかと思っていたが、来年の夏にしよう >>46
南京は、夏は暑くて冬は寒い。感覚的には京都や山梨など日本の盆地に近い
南京の冬は寒いくせにセントラルヒーティングがないので余計寒く感じる
>>48
夏の北京は暑いよ。湿気が少ないので日陰に入れば大丈夫だが。逆に冬はそれほどつらくない。
セントラルヒーティングが入っているし、乾燥しているから、空気が冷たく感じても、
寒くは感じない。雪も少ないので移動もしやすい。 >>49
> 南京は、夏は暑くて冬は寒い。
もうちょっとマシな言い方しろよw >>40
西欧は急加速してたけど日本はというとそうでもない
例えば1879年の統計だと日本の鉄生産量は1万4千トンだがこれは同時代の清帝国の江西省の年間鉄生産量が15万トンと
比べるとかなり低い
日露戦争もそうだけど国力差を考えると日清戦争も西太后が盛大に軍艦建造費を10分の1になるまで使い込んでくれたおかげもあるけど
ほぼ奇跡的な勝利なんだよな 近代西欧は地動説など中世キリスト教の支配のほころびから生まれた。 つうか明の鄭和出航の時代までは
西欧よりも明のほうが上だったろう
なぜ中華はその後西欧に追い越されたのか >>51
日露戦争は
数字だけ見たらまず勝てない戦争
のちの対米戦と同じくらいの無謀な戦争と言われてしかるべき戦争だった
ロシア側の官僚主義や硬直した行政
イギリスの同盟が本当に助かっていた。
だが勝った戦争というのはなかなか敵失や自分以外の力、味方の援護は
目に入らない。自分の力(だけで)勝ったと思い込んでしまい
分析が曇ってしまう。 >>54
明は雑魚すぎたからモンゴルよりも下だった >>54
明を衰亡に向かわせ世界史の流れを変えた超大物ニート ばんれきてい の業績。 鄭和の航海は、明へ来たイスラム商人のルートを逆に辿り朝貢を要求したもの。
新航路の開拓にも通商の役にも立っておらず、ただの消費でしかなかった。 朱子学の理とか気による宇宙観って非科学的な妄想で机上の空論だからな。
いくら理論を積み重ねても、元が妄想や空論だから意味がない。 古今東西哲学何て現代でもそんなもんでしょ
ポストモダニズムも理系用語を使っていかに中二っぽいポエム作れるかみたいなジャンルになってるし
哲学は何ら文明レベルに寄与しないのだからそんなもんより農学とか土木とか建築学のほうがよっぽど重要 世の中が進歩することを肯定する思想哲学がないと社会は停滞する。
進歩というのは変化であり淘汰と裏表の関係だから、誰もが進歩を歓迎するわけではない。
既得権益をもっている者は、つまり権力財力を持っている階層は、
納得できる理由がないとまず変化には反対する。 朱子学とか宋学は理屈っぽい上にその理屈が空理空論や妄想レベルだから、近代に生き残れなかった。 >>54
モンゴルはヨーロッパを圧倒してたのに明朝が足を引っ張った
その結果、ユーラシア東部が劣勢となり時代遅れとなった 明代のモンゴルとか東方三王家の後裔である三衛ですら明の皇帝を自らのハーンとして仰ぐ始末で
没落もいいとこなんだが ウイグルとか吐蕃とか蒙古とか満州とか、歴史上散々いきがってたことを知ると今やり返されてるのを見てもざまあとしか思わなくなる 天安門虐殺でいきがってたくせに、 香港や台湾には手出し出来ない臆病なチャンコロ人民解放軍を見てもざまあとしか思わなくなる ウイグル「ワシそんな酷いことしたかのぉ?唐の頃は散々助力してやったと思っておるのだが」 殷の時代異民族を奴隷にしていた民族の子孫である
中国人が苦しんでたとしてもなんとも思わない チベットもウイグルも清の時代は協力的だったろ
中華がチベット仏教と騎馬民族の守護者を辞めたから独立しただけで >>69
中華民国になってモンゴルのハーンもやめたし。 >>1
西欧の侵略があってもなくても近代化はできなかった >>66
今それをやったら最低でも世界中から総スカン、一斉引き上げ 逆に西欧の脅威が無ければ順当に衰退していったんじゃないか? モンゴルより先に黒色火薬を使っていて
モンゴルに制圧されたしな モンゴルより先に黒色火薬を使っていて
モンゴルに制圧されたしな 宋では、石炭による製鉄が始まった。
このエネルギー革命のおかげで、思わぬ副産物があった。
動物の骨片をヤジリに使ってた原始的な狩猟牧畜民が、普及した鉄製の武器を手に南下してきたのだ。
中国を制圧した彼らは、そのまま世界征服に乗り出した。 >>76
中東でオスマン帝国、中国で清帝国が最大領土を
制圧すると、隣接する次の侵略者がない状態が
出来て、かつてないほど君主に現状への満足感が生まれたのではないか
外敵がないなら、これ以上軍事技術を進歩させる必要はないと言う満足感
そこに欧米列強が攻めて来たのではないだろうか 中国にとって、
北方民族って進歩を妨げた存在でしかなかったな
ロシアとかもモンゴルに征服されて衰退したし >>79
中国はモンゴルに征服される前から統一王朝は
何度もあったが、モンゴルに征服される前の
ロシアは分裂していてあまりまとまりがなかった
ロシアと言う国が存在感を示し、台頭し始めるのはモンゴル征服の後だ
そこがローマや中国、イラン、イラク、エジプト等との違いであり、ロシアは統一するまでは
蛮族の宝石箱だった ロシア=大モンゴル >>80
ロシアの英雄アレクサンドル・ネフスキーは、みずからモンゴル帝国ジョチウルスの首都サライに赴き、臣従を誓った
強大なモンゴル帝国のパワーをバックにして、ウラジーミル大公に就任した ロシア人をカトリックに改宗させようと燃える狂暴なドイツ騎士団
その脅威に対抗するためには、モンゴル帝国の力を必要とした
例えてみれば、安倍晋三がワシントンに赴いて自ら臣従を誓い、超大国アメリカの力をバックに中国を討つようなものだ >>80
それはそうだが、中国も、モンゴル人が南下してこなかったら、2度と再統一できそうもないくらいバラバラだったよ
結果だけを見て判断してはいけない >>83
元の前は南北に別れてただけ、
清の前は明だから統一王朝だろ 私はアメリカとスターリニズム(=中国共産党や朝鮮労働党)、一神教(ユダヤ・キリスト・
イスラム)の思想はどっち言うとユーラシアや
エジプトの農耕民族文明の系統ではなく、
それを脅かして破壊や軍事征服する
遊牧略奪部族の系統の思想だと思う モンゴルがなければ、
中国はそのまま世界のトップ、
ロシアは西欧に追い付き追い抜いていただろう >>84
明は、モンゴル帝国の統治機構を受け継いだ
トップが漢人なだけで、国家の実体としてはモンゴル帝国 >>86
モンゴルがなかったら、いまごろ「中国」なんてものは無い
東アジアの大陸は、いくつもの国々に分かれていた >>86
ロシアは帝国化しなかっただろう
ロシアはシベリアを征服しなかったはず
ロシアは元々バルト海と黒海を結ぶ南北の国だった >>89
小さな幾つかの異なる遊牧民の支配する国に
分かれてたでしょうね というか
ロシアの首都モスクワなんて存在しない
ウクライナがロシアの中心として存在し続けただろう >>91
存在してもモスクワ公国は小さい国になるだろうな
シベリアに関心を持つかどうかも怪しい
それは日本にとっては超ラッキー!
ロシア人の代わりに日本人が進出したら
中国人もあまり日本に強くは出れない
中国はん、お宅の北方は押さえたで〜 >>92
なに言ってんの(笑)
ロシア帝国が進出して極東ロシアを清から奪い取らなかったら、ウラジオストクもハバロフスクも清の領土のまま
中国人が大量に移住して、いまごろは人口密度がかなり高くなってるのは確実 もっとも、その清も、モンゴル帝国の遺産なくしては存在しえない巨大帝国
結局のところ、「もしもモンゴル帝国なかりせば」は、歴史のifとしては成り立たない
その後の歴史が変わりすぎて想像するのも無理だから 清は女真族の国で後金でもある
女真族はモンゴルを手本にしなくても
帝国を造るだろう スラブ人はもともと大国指向ではない
ロシアはワリヤーグがスラブ人を征服して出来た国
ワリヤーグがスラブ化して元に戻ろうと分裂した
近世ポーランドの広大な領土もリトアニア人が
ベラルーシとウクライナを征服したから 「もしもモンゴル帝国なかりせば」
ホラズム・シャー朝がイラクとか西アジアを征服しただろうな
アッバース朝は残すだろうけどルーム・セルジューク朝や
ニカイア帝国を滅ぼしたかもしれない
ニカイア帝国が滅ぶとそのまま東ローマが復興せずに滅亡だな
そうなるとコンスタンティノープルはブルガリア領になりそうだな
ロシア人もコンスタンティノープルを支配しようとするだろうから
ロシア人はシベリアとか東へ向かわないだろう >>91
現代とは異なり、16世紀や17世紀だと、イランやインドが大繁栄している
ヴォルガ川水系からカスピ海への水運が重要なので、ロシア人がモスクワに向かわないはずはない >>95
満州人は、人口が少なすぎる
モンゴル帝国の遺産なくして広大な帝国を統治するのは無理 >>98
キエフルーシはなんでモスクワいかなかったの? >>100
南に超大国のオスマントルコ、世界の首都イスタンブールがある
そんな寒い内陸部の辺境に目を向けるはずもない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています