ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ10
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ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
貨幣経済 → 物々交換
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 → 重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配
前スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1588161884/ なぜ中世ヨーロッパは厳格なキリスト教を受け入れたのでしょう?
そこにはもちろん、合理的な理由があったのです。
最大の理由は中世の貧しさです。
禁欲のキリスト教は貧しい中世の荘園世界にジャストフィットしました。
それ以前…古代ギリシアやローマの時代は豊かでした。
なぜなら地中海を支配していたからです。
温暖な気候の中、各地域はそれぞれの特産品の生産に特化し、海上貿易が盛んに行われていました。
人々はその経済力で食と性の享楽にふけりました。
しかし、ゲルマン民族の大移動で西ローマ帝国は崩壊。経済秩序が破壊されます。
またイスラム勢力に地中海の制海権を奪われ、貿易も不可能になりました。
ヨーロッパは深い森の中で、小さな村(荘園)単位での自給自足体制を強いられます。
中世とは都市も海も失ってしまった時代。
人々はアルプス以北の寒冷な森に入って行きました。
地力もなく、流通もなく、深い深い森の中にある小さな村での自給自足。
その貧しさに耐えるため、中世は神への強い信仰を必要としたのです。 なぜローマ崩壊後の欧州における文化生活水準が一気に下がったかというと、通常は古代の農村や都市社会は地産地消で
自分たちの必要分はすべて生産できたが、古代ローマではすでに比較優位にもとづく産業の地域分担制が確立されており
高度に発達した流通路を使って庶民でも遠隔地で作られたそれら生活物資を使うことができた
しかしこうした各都市間が互いに依存するシステムは一度交通が遮断されると一挙に石器時代まで戻ってしまうことすらありえる ブライアン ウォード=パーキンズ (著)、南雲 泰輔 (翻訳)
『ローマ帝国の崩壊 文明が終わるということ』(白水社、2014年6月20日)
ローマ帝国末期にゲルマン民族が侵入してきたとき、
ローマ社会や経済に何が起き、人々の暮らしはどう変化したのか。
史学・考古学双方の研究を駆使して描く、激動の時代の実態。
ギボン『ローマ帝国衰亡史』以来長らく、ローマ帝国は衰亡し崩壊したというのが常識だった。
ところが一九七〇年代以降、研究者のあいだでは、それまで主流だった政治・経済面を中心とした研究に対し、宗教や社会に着眼することで、
「衰亡」とみなされてきた時代を独自の価値を持つ「古代末期」という新しいポジティヴな時代と捉え直す動きが起こった。
さらに九〇年代になると、考古学的史料を用いて、ローマ帝国はやはりある時点で「崩壊」したのだという事実をつきつける研究者があらわれた。
著者ウォード=パーキンズもそのひとりであり、本書では、何がどう問題なのかというレベルからわかりやすく解説しつつ、
「ゲルマン民族が侵入してきたとき、経済や社会に何が起き、人びとの暮らしはどう変化したのか」を、文献史料や陶器・家畜の骨・建築物(の跡)などを使い、
史学・考古学双方の研究を駆使して描き出している。ローマ帝国の洗練された生産・流通システムがひとたび崩壊してしまうと、
地域によっては先史時代の水準にまで後退し、回復には数世紀を要したという事実は、かなり衝撃的である。
英国ペンクラブのヘッセル=ティルトマン歴史賞受賞。 神崎 忠昭『ヨーロッパの中世』
近現代に結実する、豊穣なる中世
―― 中世とは真に暗黒の時代だったのか。
「ローマ」「キリスト教」「世俗権」「都市」「国民」「科学」など、ヨーロッパの基底となるキーワードから読み解く。
▼ヨーロッパ史を学び直したい人のために。
中世ヨーロッパは確かに暗黒の時代であった。しかし、近代において飛躍するヨーロッパを育んだ豊かな苗床の時代であったともいえる。
「ローマ」「キリスト教」「世俗権(王権・帝権)「都市」「国民」「科学」などのキーワードから中世ヨーロッパ史を読み解き、近代の「人間」の時代へと誘う。
▼中世を読み解くための6つのキーワード
【ローマ】中世人は模範として仰ぎ見た。政治的にも文化的にも深い刻印を残したが、中世は古代ローマの繁栄を1000年以上も超えられなかった。
【キリスト教】中世人の心を絶対的な規範として律した。人々はそのメッセージを遵守し、理想に殉じたが、時に軽んじ、自らの利益を優先した。
【世俗権】君主個人の能力やカリスマに基づいたが、教会との闘争を経て宗教性を減じ、官僚制と軍を備えた近代国家へと脱皮した。
【都市】西欧の復活にともない、社会全体の成長のエンジンとなった。生活を向上させるだけでなく、新興階層を出現させ、新しい文化を生み出した。
【国民】帝国でもなく宗教でもない、ヨーロッパが生み出した新しい統合の絆である。現在に至るまで世界を支配している。
【科学】近現代におけるヨーロッパの繁栄の源泉となった。技術を手がかりに、理論を実験や観測と結びつけ、新しい合理的な世界観を生み出した。
・・・そして【人間】へ・・・ 艱難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず。
急いで得た富は減る。少しずつたくわえる者はそれを増すことができる。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。
明日のことを思い煩うなかれ。明日のことは明日思い煩え。一日の労苦は一日にて足れり。
いつも与えなさい。そうすれば、人々はあなた方に与えてくれるでしょう。
「眼には眼を、歯には歯を」といえることあるを汝ら聞けり。
されど我は汝らに告ぐ、悪しき者に抵抗うな。人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。
暗いと不平を言うよりも進んで明かりを点けましょう。
狭い門から入れ。滅びに通じる門は広く、その道はなだらかでこれに入るものは多い。
人生は短く、苦しみは絶えない。花のように咲き出ては、しおれ、影のように移ろい、永らえることはない。
己を愛するごとく、汝の隣人を愛せよ。
自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。 かんこくがかんじをはいししはんぐるのみにしたのはしっぱいだったな
にほんごにたとえるとすべてかなでひょうきするようなものだしね
はんぐるだけだとよみにくいうえにどうおんいぎごにまったくたいおうできない
こうしてかんじごにゆらいするじこくごをどんどんうしなっていった
ゆえにかんこくじんはにちじょうをはなれたこうどなぎろんや
ちゅうしょうてきなぎろんをするのがむずかしくなった 東ローマ帝国が東地中海の大帝国として復活した9世紀になると、
宮殿や教会・修道院が多数建設され、孤児院や病院のような慈善施設も建てられた。
古代ギリシア文化の復活とそれを受けたビザンティン文化の振興も進み(マケドニア朝ルネサンス)、
コンスタンティノープルは東地中海の政治・経済・文化・宗教の拠点として、
またロシア・ブルガリア・イスラム帝国・イタリア・エジプトなどの各地から多くの商人が訪れる交易都市として繁栄を遂げ、
10世紀末から11世紀初頭の帝国の全盛期には人口30万〜40万人を擁する大都会となった。
当時の西ヨーロッパにはこの10分の1の人口を抱える都市すら存在せず、
コンスタンティノープルはキリスト教世界最大の都市であった。
※現在のスペイン領のコルドバはコンスタンティノープルに匹敵する大都市であったが、
当時のコルドバはイスラム王朝・後ウマイヤ朝の支配下にあった。
また2世紀の古代ローマ(都市)は100万人を超える住民を抱えていた。
西洋において再びこの人口に匹敵する都市が現れるのは19世紀になってからのことである。 十字軍運動の魅力の秘密
もともと十字軍は一部の騎士に対する呼びかけであったが、
やがて膨大な人数を動員して移民活動のような状況を呈することになった。
十字軍への呼びかけというのは当時のカトリック教徒にとって魅力のある言葉だったのである。
東方のビザンツ帝国やイスラム諸国がもたらす発達した文化や洗練された工芸品や文物、
富は西欧の人々を魅了していたのである。
下級騎士は封建制度の息苦しさと貧困から逃れようとし、農民や職人も貧しく困難な日常から逃れたいという気持ちを持ち、
東方には豊かで文明的ではあるが柔弱な世界が広がっていた。
西ヨーロッパ中世におけるキリスト教徒の2つの生き方、聖なる戦士と巡礼者が一つに結びついたのである。
戦闘に参加した者に免償が与えられる、あるいは戦闘で死んだ者が殉教者となりうるというのは、
十字軍運動の中で初めて生まれた概念であった。
そして十字軍に参加することで与えられる免償は、エルサレムへ詣でるという巡礼者としての免償と、
キリスト教戦士として戦うという免償の二重の意味があるため、どちらにせよ免償を受けられるというのが魅力であった。
このように宗教的なものから、世俗的なものまで、さまざまな動機によって十字軍運動に身を投じたのである。 寡兵で大軍を破った戦いだと日本ならやっぱ桶狭間の戦いだな
駿河・遠江・三河を支配し、海道一の弓取りとまで言われた今川義元の軍2万5千を
小国尾張の一領主に過ぎない織田信長が3千で撃破し、義元の首級をあげた
まさに戦国最大の番狂わせ イタリア料理、フランス料理、スペイン料理
美味いのはラテン系ばかりだな
料理についてはゲルマン系はてんでダメ 人類77億人の頂点が日本国天皇とローマ教皇だと思うと胸熱 中南米はスペイン・ポルトガル人とインディオと黒人がセックスしまくりで混血の坩堝
一方、北米は多少の混血はあれど、白人は白人、黒人は黒人、インディアンはインディアン、アジア系はアジア系
という具合であまり交わらない
ラテン系とゲルマン系の気質の違いなのかね フーリー(アラビア語: حورية)は、イスラームに伝えられている天女達の総称。
その肌は白く、金髪の乙女であるという。フーリーはペルシア語で、古代アラビア語ではフール(Hur)と呼ばれる。
フーリーは天国に来たイスラーム信者の男性のセックスの相手をするとされ、一人につき72人のフーリーが相手をするともいわれる。
彼女たちは永遠の処女であり、セックスを行い処女膜が破れても、すぐさま再生するとされる。
イブン・カスィールによれば、ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフは
『天国では男性は一日100人の処女とセックスが出来る』と述べていた。
また、『われわれは天国で処女とセックスが出来るのでしょうか?』と問いかけた信者に対して、
『もちろん出来る。そしてセックスが終わった後には、彼女は清らかな乙女に戻るのだ。』と述べたともしている。 生活面で言えば京阪神や名古屋が一番バランス良くて暮らしやすいよ。
大都市の割には住居費・物価が安いし、商業施設や娯楽などの一通りのものは揃ってる。
イベントや巡回展も基本的に回ってくるしね。
仙台や広島は都市のレベル的に色々物足りないし、
札幌や福岡はそこそこ都会だけど、東京・大阪まで遠過ぎるから、
ちょっと遊びに行くだけでも交通費や宿泊代がかかりまくって大遠征になってしまう。
金持ちなら東京が最強だけど、住居費が高過ぎるから庶民にはきつい。
娯楽なら東京、コスパなら名古屋、飯なら京阪神が最高。 朝鮮陶工「アイゴー!倭人に拉致されたニダ!ウリナラに帰りたいニダ・・・」
その後
通信使「おい、戻るぞ」
朝鮮陶工「イルボンでの待遇が良いから、もうあんなとこ戻りたくないニダ!」 http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/018/157/89/N000/000/000/125481428609216132572.jpg
132 <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 2011/05/20(金) 19:51:34.91 ID:EdrCPrGF
>>86
大韓帝国
(大=Greatが付く帝国ってのは、どこか他国を占領・編入したか、
複数民族・言語で成っている帝国の場合なので、
それもないのに、大=Greatを僭称するのはおかしいと
英仏ロシアから何度も忠告されたが、理解出来ず無視ww)
初代皇帝である高宗
明治天皇に嫉妬、対抗するため、服装だけ急遽真似した。
やけに小さなプロシア式突撃兜をかぶってるのはおかしいのだが・・・・
部下も本人もアホで、何にも調べず、適当にかき集めたから・・・
ドイツ帝国陸軍歩兵帽に、歩兵用ベルト、剣はフランスの軽騎兵のものw
フランス騎兵の歩兵ズボンなんかをかき集めたw
上着は英国騎兵馬世話係の古着らしい。
アイロンもかかってないし、お披露目した途端に各国大使の物笑いにされた。 騎士はカロリング朝〜カペー朝時代のミレス(従士)から発展した
ローマ帝国末期には軍団は消滅し
各地の元老院貴族や将軍の私兵へ
これらとフランク従士団がメロヴィング朝に再編成され、スコラカリウスと呼ばれる従士団になる
同じ頃ランゴバルドでは、ガスタルドと呼ばれる従士団ができ、身分としても確立された
カペー朝時代には、緩やかに解体されミレスと呼ばれる貴族と平民の間に位置する戦士身分となる マルクスは資本主義が成熟し、共産主義が生まれると言ったが、
実際に共産革命が起きたのはロシア、中国、カンボジアなど資本主義が未発達の国ばかりだった
貧しい国ほど共産主義というカルト宗教にハマりやすい >>12
昭和天皇の頃はそうだったが、いまの天皇は即位したばかりで在位年数が浅いので、各国元首のなかでの席次は高くない マルクス・ブルートゥスもマルクス・アントニウスもマルクス
どっちも敗北者じゃねーか! >>14
当時は褐色の肌の人種のほうが文明度も武力も上だったのに、
金髪や白い肌が理想とされてるのは不思議。 イメージ何てコロコロ変わっていくだろ
かつて植民地帝国を築いたスペイン人やポルトガル人も今や貧しい怠け者扱いだし
一方で中国人のイメージはかつては皆人民服着て貧しくてのんびりしてるってイメージだったのに今は全然違う
とはいえ中国も労働人口減って行ってるから盛りを過ぎつつあるしまた違ったイメージに変わっていくんだろう テーブルに窪みを掘り込んで料理を盛り付ける風習は、やっぱり納得いなかい >>25
文化背景にもよるんだろうが、白い肌に惹かれるのはもう少し根本的な嗜好なのかもしれんな >>28
たとえばイスラム時代のスペインでは、
地元民はアラブ風の格好や生活スタイルのほうが、
それまでのスタイルよりも遥かにかっこいいと思っていた
しかしイスラム時代のスペインでもやはりバスク人の金髪や青い目が美しいとされていた どんな文化圏でも、ガサガサでデキモノだらけの肌より
滑らかな肌が良いものとされるよね。
白い肌は、肌の美しさをより強調させるからじゃないかな でもインド人の方が美人多くない?
インド映画観たら男はイケメン扱いでもちょいデブで暑苦しいのに
女はみんな凄い美人やで >>31
どうかな
シャクティも白けりゃもっといいのにと思うだろ? インド人も白い方が美人の風潮あるぞ
黒い肌は不浄と看做されるのでアーリア人来る前の原住民が信仰していた元々黒かった神を青くしてしまう程
クリシュナもカーリーも黒という意味なのに青肌にされた >>34
インドは征服した側のほうが(文明は劣っていたとしても)コーカソイドで、
征服された側が黒いオーストラロイドだから
白いほうが上なのはしかたない 金髪白人は、人口が増えにくい高緯度地域の人種であり、本来なら人口比からすると圧倒的に少ないはずなのだが、そのわりには爆発的に広がって、大きな勢力を誇っている
このため、「世界各地で白い肌が好まれるのは、それが生物学的に有利だからなのではないか?」という考察もなされている なにオゾン層が壊れて紫外線が強くなって
コーカソイドは皮膚ガンになって滅びますよ モンゴロイドとコーカソイドはどっちも高緯度地域仕様の身体やけど
モンゴロイドは寒冷対策重視でコーカソイドは日射不足対策重視ていう違いがある
日射量不足に適応してるから日射が強烈なとこでは皮膚癌になったり目がやられたり 色の白いは七難隠す
白人の存在を知らなかった時代からある言葉だからなぁ
それとも
日に焼けていない=屋外であくせく働く必要がない=高貴なお方
っていう思考回路なのかな? しかし、モンゴル北方系の外見が好まれているとは言い難い
韓国人は、切開手術で東南アジア人みたいな大きな目にしたり、頬骨やエラアゴを削ったり、必死で整形手術している
どちらかといえば、北方系の顔立ちは不美人の代名詞 白い肌は、陽光が弱い高緯度でも陽光を取り込め、ビタミンD不足にならないための進化、と聞いたことがある。
ならば、なぜエスキモーやシベリア先住民は肌が白くないのか しかし、北方系の体格が良く、色白なのは東アジアでも同じだ。
「日本人は、ちっこいのばかり」というのは、反日朝鮮人がよく言うセリフの1つ。
江戸時代の朝鮮通信使が残した記録でも、江戸や京都・大阪・名古屋の繁栄に圧倒されつつも、「体格は俺のほうが良い」と書いてあった。
モンゴル人も、経済や文化で大差をつけられているにもかかわらず、古来より、どこか中国人を見下しているところがある。現代でもそうだ。 >>44
エスキモーは生肉を食べて、ビタミンDを補給している >>47
そういうことでしょうな
でも、昔からそうではなかったはずだ。
昔の馬は、現代のようなスラリとしたサラブレッドではなく、ずんぐりしたポニーみたいな馬だった。
そんな馬に乗って大陸を走破するには、人間と小柄でないと不利。 モンゴル人の主食は乳製品
いくら牧畜民族でも、肉を年じゅう食べまくっていたのでは、羊がいなくなってしまう。
でも、モンゴル高原に生えている草は、人間の胃腸では消化できない。
牛や羊のような反芻動物を通さなければならない。 昔はね。
現代モンゴル人は肉ばかり貪り食って野菜は大嫌い、「俺たちは遊牧民だからそれでいいんだ」とか言ってるけど、いわゆる「捏造された伝統」の一種だな。 馬の歴史も興味深いよね
サラブレットは人間が作った最高傑作だとも言われてるし
長く人間の傍らに居て常にスピードや利便性追求して品種改良しまくった結果が
今の細い4本脚で500kg前後支えられる。
脚1本欠けてはもうダメ、ギリギリまでチューニングされたマシーン 馬は野生で巨大な種類がいないよね
他の動物には牛もラクダも狼も熊も
絶滅した巨大な種類がいたけど
何故か馬には全くいない
あえて巨大な馬のような動物というと
サイの仲間のパラケラテリウムだろうか サラブレッドは短距離特化型だけど、長距離レース用の品種だと100km以上を30km/h前後をキープして走れるらしいね。逆にサラブレッド以上に短距離型の品種だと、瞬間最高速度で90km/h出すとか
軍馬だとそれ以外にも、粗食や悪路、悪天候に耐える能力も重要だろうし、昔はそういう観点からも品種改良が行われてたんだろうな。
30年戦争の本で「北ドイツの冬では、一晩馬を屋外に放置するとそれだけで多くが死んでしまった」とか書かれてたけど、シベリア馬みたいにそのくらいへっちゃら、という品種もあったわけだし ドサンコかクォーターホースみたいな馬が一番使い勝手がいいのかな >>48
日本でも「義経の鵯越の逆おとし」で畠山重忠がウマを背負って岩場の急坂を駆け下った
というのは、当時の日本のウマがいかに小柄だったかってことだね >>44
移動し定住した時期が比較的新しいってことかな ゲルマン人が金髪碧眼なのは北欧が氷河で閉ざされた時に極度の男不足で女による男の争奪戦時代があった結果だからな
過酷な環境のサバイバルで男は身体屈強でIQの高い者だけしか成人に達する事ができなかった
また女は少数の成年男性を配偶者獲得で争うことになり脱落したものは子孫を残せず早死にした
配偶者獲得に成功したのは金髪や碧眼などひときわ目立つ特徴のある女だった
こうして遺伝子次元での選択的淘汰が行われて北欧人の特徴が生まれることとなった 言うてゲルマン人はそんな金髪碧眼率高くは無い
ザクセンとか北欧に近い地域だけだよ 正確に言うとゲルマン系の金髪は子供の頃金髪でも大人になると明るい茶色になる
大人になっても金髪ってのは割かし少ない
北欧金髪は逆に色変わらないのが多いらしいね 公務員の定年延長が、野党の猛反対で見送りになった
立憲民主党の支持基盤の1つである自治労が激怒している。
このままじゃ、本当に労組が自民党支持に回りかねない。
いま選挙をやったら、立憲民主党は壊滅するんだけどなあ! >>61
どうしてもそうであってほしいのはわかったけど、願望と現実は区別したほうがいいよw
連合は事務局長談話を出して、検察庁法改悪を批判してるからねw >>61
野党が主張してたのは、特例による定年延長の部分
そこだけ削除しろと最初からいってる
問題部分を削除するだけで今国会で採決できた
しかし与党は公務員の定年延長と抱き合わせで見送ったため、一般公務員が割を食ったのだから
自治労が野党を恨むのは筋違い 恨むなら一括見送りにした与党を恨め >>64
お前がそう思いたいのは勝手だが、現実として、公務員や検察官の定年など、与党にとっては緊急テーマじゃないんだから、これだけ紛糾すれば見送りが当然
痛いのは、労組を支持基盤にする立憲民主党だ。
与党と同じく、他の野党にとっても、別に痛くない。
今回の件は、立憲民主党の1人負け。 >>64-65「たのむっ!アベは無職ガイジの俺に働くよう圧力をかけないでくれぇぇぇぇぇぇ!!!!」
まで読んだ この「検察庁法」のネタでお祭り騒ぎしようと張り切っていたのに、あっさりと見送りになったので、左翼は勇み足でスッ転んだ印象だな(笑)
冷静に考えろや。こんな法案が通らなくたって、保守や与党にとっては何も痛くないぞ。
痛いのは、「もうすぐ定年が延長されます」を組合員に約束してた自治労連だけ。
野党の猛反対で先送りにされて、激怒している(笑) >>26
中国はほんとピンキリだよ
上流は世界最高クラスの文化人だけど
庶民は未だに道端で野糞するし、コンビニのトイレットペーパー盗んだりする
日本の底辺DQN未満
インドもそうだが、頂点と底辺の差が最早同じ国とは思えないほどだよ
>>45
江戸や大阪の方が北京より繁栄してるとか書いてたっけか >>22
国際的にemperorより上の称号はないでしょ
教皇は同格 中国人は女でも野糞するからな
土人過ぎる
ローマ人から見たゲルマン女もこんな風だったのかな? 現代国際社会にそんな慣行は存在しない。外交儀礼上は独立国家の君主ならエンペラーだろうとキングだろうとシャーだろうとアミールだろうと皆同格。
厳密には、カトリック諸国に限っていえば教皇庁大使だけは他国大使より上席にすることがあるから、教皇>他の君主ということはあるかもしれないが、天皇がオランダ国王やクウェート首長より上なんてことはまずない。 >>74
欧州内の場合、近世の頃の席次がまだ生きている場合もあるらしい(王>大公>公で)
あくまで、非公式の外交会合とかでの話らしいが >>69
自治労が今回の見送りに対して、自民ではなく立憲に怒ってるとしたら相当イタイ団体だな
なんせ自治労は#検察庁法改定反対ツイートするは、こんなビラつくってばらまくわwww
http://kyoto-jichirouren.com/uploads/fckeditor/2020/uid000001_20200514170437f5ed06f6.jpg
自民は痛くもない法案強行採決しようとしてNHK調査でも内閣支持率37%下落てww ヨーロッパでは各国の王侯貴族の私的な集まり(王制が廃止された国も含む)があるそうだ
日本でも旧華族しか入れない秘密の集まりがあるらしい? 小室Kの母親は勿体ない事したな
たかが400万の借金返済を渋って皇室の縁戚になるというとてつもないメリットを手放すとは・・・ サラ金から借りてでもあの男と縁切っとけば、少なくとも100倍の投資にはなったのになw >>80
サラ金でなくともそれくらいなら貸してくそうな人はいくらでもいそうな気がするけどね
4人なら一人あたり100万だし >>81
まああの男の「あれは借金だった」というのも傍から見ると怪しいもんだ、という気がするけどね。下心マンマンで女に貢いだ金が惜しくなっただけだろ、という。
でも、それでもそのくらいの端金はくれてやったほうがずっと得だったろうな >>75
エリザベス女王の即位60周年の式典の時には、ルーマニアの元国王が最上位で、天皇陛下は第9位だったらしいね ルーマニア王家はサクス=コーバーグ=ゴータ家で近い親戚だからかな? >>84
その家門の系統はブルガリア王室でしょ
ルーマニア王室はホーエンツォレルン=ジクマリンゲン家の系統だよ(現在は ア・ロムニエイ家と名乗る) >>76
どうっでもいいんだけどさ
自治労連と自治労は完全に別団体な、敵対してると言ってもいい
自治労連>全労連>共産党系
自治労>連合>立民系 ヘリオガバルスはあの頃に性転換を試みようとしていたとか時代を先取りし過ぎ もし隕石が落ちず氷河期も来なかったら、今でも地上は恐竜パラダイスだったのだろうか? >>91
コロナ流行により、キャバクラではチェンジ禁止です
まで読んだ >>1の右側に書かれてる内容は少し語句を入れ替えたら李朝時代の朝鮮にもあてはまる 実際、新羅産の織物は品質がいいと唐の国で評判だった
高麗では商業が発展していた
なのに李朝は儒教原理にしたせいで… >>100
そうだ
李氏朝鮮の時代には、なぜか朝鮮人は染色したカラフルな織物を作れなくなり、色をつけたいときは野生の獣毛を使うようになった
博物館で東洋の陶磁器を見ると、明清にかけて日本や中国の陶磁器はどんどんカラフルになり、造形も面白くなっていくのだが、
朝鮮のだけは、形も色もずっと一緒で白磁だけ。それも後期になると純白ではなく、くすんだ灰色になっていく
あの国の文化退行も、歴史の謎のひとつだ 李氏朝鮮の場合儒教原理もあるけど
王家含むごたごた多すぎて政治基盤がしっかりしてなかった
あと王権が強すぎるのか王が変わる度に方針がごっそり変わったり
秀吉の朝鮮出兵や清への盟約破り等の愚行で2回も全土荒廃させてる 高麗は文化水準が高かったのになあ
中世初期の西欧、漢滅亡後の華北、李氏朝鮮王国は、「文明は進歩するだけでなく、退歩することもある」という例 李王朝時代の陶磁器は派手ではないかもしれないが美術的に劣るものではない
あと色付けの技術が衰えたのは豊臣秀吉の侵略入寇が理由
多くの技術者が拉致連行されていった
有田や伊万里などの陶器の技術的起源は高麗にある >>104
いや、そうではない
日本でも、陶器はずっと前から作っていた。
磁器を作る技術がなかっただけ。
朝鮮人陶工のおかげで磁器を作れるようにはなったが、色付けの技術は朝鮮にはなかったので、明清から導入するしかなかった。 完全に兵農分離がなされた後の江戸時代でも、百姓・町人が養子縁組や士分株の購入で武士になることは出来たけど、
一方、中世ヨーロッパでは農民・商人の生まれでも貴族・騎士になることは実際可能だったの?
ローマ帝国だと平民の出から元老院議員や軍団長や属州総督、果ては皇帝にまで成り上がる者までいて、階級の流動性がかなり保たれていたが、
中世ヨーロッパは家柄や血筋によって身分制度がガチガチに固まってるイメージがあるわ。 アケメネス朝、マケドニア王国、プトレマイオス朝、ローマ帝国、東ローマ帝国、
ウマイヤ朝、アッバース朝、ファーティマ朝、アイユーブ朝、マムルーク朝、オスマン帝国、
そしてムハンマド=アリー朝
エジプトって古代の王朝が終わってからは外来政権しかないな >>110
ローマ帝国は実力主義だった
中世ヨーロッパはガチガチの身分制社会で、近世になると流動化してくる >>111
そんなもん、中国だったら、「野蛮な人たちが来て支配者になりましたが、中国文化に心酔して漢化されました」の一言で終了だ >>112
中世が終わってもう近代だけど、
革命前のアンシャン・レジーム期のフランスだと確か金で身分を買って貴族になれたんだよね >>112
コモドゥス「せやな」
ホノリウス「せやな」 >>112
コンスタンティヌスが生み出した王権神授説によって身分は神が認めたものとなった 近世を使うのは日本史だけじゃね?もっぱら江戸時代の意味で >>110
そもそも、日本でも完全な兵農分離とかされてないってのが最近の主流だけども
それはそれとして
中世欧州は騎士階級にないものが騎士になるのはほぼ不可能だった
ただし、例外は都市と僧職
都市貴族(大概は交易商人)から爵位を得て諸侯となる例は散見される
有名なのは、フッガー家、ウェルザー家、タクシス家など
僧職に関しては、家柄がなくても大司教>枢機卿>教皇となった例は少なくない
近世も近くなると、フランスやイタリアなどには、法服貴族が生まれることになる >>118
おいおい、近世ってもともと欧州史の時代区分だぞ
コンスタンティノープルの陥落、又はレコンキスタの完成を契機として、産業革命と近代市民革命までの間
王権による中央集権化と絶対王政までを近世と呼ぶ >>114
近世のフランスは、官職を(多くは法外な)金で買うことはできたけど、爵位を金で買うことはできなかった
ただし、一部の官職を20年などかなり長期間勤めると、爵位が得られる官職があった、というもの
ただし、そこで得られる爵位は、伝統的な帯剣貴族からは勿論、法服貴族からも同じ存在とは扱ってはもらえなかった >>103
暗黒の中世、文化大革命、キリング・フィールドが3強 >>121
官職による貴族と法服貴族って同じものでは? 革命前のフランス貴族は、中世以来の伝統に基ずく血筋正しい剣貴族(noblesse d' epee)と、
中世末ないし近世初頭以来、王権の絶対化に伴つて拡充された官僚制を媒介に、
第三身分から上昇した法服貴族(noblesse de robe)とによつて構成される。 >>124
本質的には同じものだよ
ただ、高等法院に属する法服貴族(主として司法官)は、それ以外の出来星売官貴族を同一視しなかったって話 フランスやロシアみたいに革命が起きた国って
身分制の廃止は勿論、王侯貴族が持っていた諸々の特権も全て剥奪され
本当にただの平民という扱いになってしまったのか(つか今でもそうなの?)
イタリアやポルトガルみたいに王制が廃止された国も イタリアも責任は全てムッソリーニに帰して王制残せば良かったのにな >>112
ローマ=カトリックが今日まで生き残って世界最大宗派になったのも
世襲ではなく実力主義を活用したからという説もある 「王冠は敗戦を生き延びられない」が、近現代の欧州政治の原則
イタリアだけが例外ってわけにも イギリス、スペイン、オランダ、ベルギー、モナコ、北欧くらいか残ってるの
あとは革命やら敗戦やら赤化であぼーん そういや現在,王制・君主制スレでヨーロッパの王室ネタ振るとつんぼ呼ばわりするガイジが出没してるがヨーロッパの王室によほどの恨みがあるみたいだな >>113
エジプトの場合は文化も外来政権が持ち込んだキリスト教やイスラムになってもたがな >>110
中世ヨーロッパは王侯貴族の身分制度はガチガチに固まっているが
一方で聖職者の方は王侯貴族と別軸で同等以上の権力あって平民からでも成り上がれる
あと特殊な例でジャンヌダルクみたいに平民なのに軍指揮官とか >>135
モナコを入れるなら、ルクセンブルク、リヒテンシュタイン 、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンともっと大きな国がある 中国は西晋崩壊から五胡十六国・南北朝を経て大帝国の唐として復活したけど
ヨーロッパは無理だったな
ユスティニアヌスの頃の東ローマでも蛮族から北アフリカとイタリアを奪い返すだけで精一杯だった >>138
言語がアラビア語になった
もっとも、エジプト方言はアラビア語の中でも独特とされ、「ほとんど別の言語」という人もいるが >>141
その代わり、イスラム大帝国ができて、スペインまで征服したけどな >>141
ローマ世界という観点から考えるなら、たしかにイスラムを考慮に入れないと東アジアとの比較にならんね >>142
しかし、そのエジプト方言こそがアラビア語の正統的な扱いをされるのは、やはりカイロ大のおかげ >>143
イスラムの勃興は思いっきり漁夫の利だからな
トラヤヌスの頃のローマ帝国やホスロー1世の頃のササン朝なら
逆に徹底的に凹られてただろう >>147
運も実力のうち、だけどな
そんなのアレクサンドロスだろうがシャルルマーニュだろうが同じ 信長が義元に勝てたのも運やね
3000で25000の相手を倒すのは正攻法では無理ゲーだし
ちなみに信長は出陣前に熱田神宮に参拝してる >>149
なお、最近の研究では奇襲でも夜襲でもなく、単に義元の運が悪かった模様(守備側が勝つこと自体は不思議でもない) 中国は唐末の混乱で貴族が死滅し、
宋代以降は科挙に合格して採用さえされればどんな出自でも官吏になることができた。
建前上、受験資格に制限のない科挙ではあったが、
科挙に合格するためには幼い頃より労働に従事せず学問に専念できる環境や、
膨大な書物の購入費や教師への月謝などの費用が必要で、
実際に受験できる者は大半が官僚の子息または富裕階級に限られ、
士大夫の再生産の機構としての意味合いも強く持っていた。
ただし、旧来の貴族の家系が場合によっては六朝時代を通じて数百年間も続いていたのに比べ、
士大夫の家系は長くても4〜5代程度に過ぎず、
跡取りとなる子が科挙に合格できなければ昨日の権門も明日には没落する状態になっていた。 >>148
アケメネス朝は斜陽気味とはいえ、それでもマケドニアとは比べ物にならんほどの超大国だったよ
東ローマとの死闘で完全に弱り切ったササン朝を相手にするのとは訳が違うんじゃない? まず商人の家に生まれる→修道士になって強い信仰心を養う
→資産を寄進してテンプル騎士団に入り先輩騎士の従士になる >>148
第一回十字軍も運によるところが大きいね
イスラム側の内紛にも助けられたけど
むしろ色々問題がありまくりの状態だったのに、よくエルサレム占領までもっていけたもんだわ >>150
信長の軍が山の影から出てきたとき、黒雲がモクモク出て大雨が降り、周囲が真っ暗になったという話だな
信長としては、イチかバチかの正面突破の可能性に賭けたつもりだったが、天候が味方して奇跡的な幸運に見舞われた 無線で連絡を取りあえなかった時代に、大軍を統制するのは難しい
少数精鋭で大軍の中枢を突くというのは、古来からよくあるハイリスクハイリターンな手法。
キングダムの漫画なんか、そういうシーンばっかりだ >>151
地主はものすごい税金を取られるので、科挙に合格して官僚になり、自分が収奪する側に回らないと、3代で家が潰れる。
科挙官僚は、退官してからも地元の名士。
そんな状況が、明清時代を通して五百年つづいた。
何百年もかけて、地方に根づいた豪族みたいな連中を、体制の枠内の存在に変えた。
広すぎてバラバラだった中国も、さすがに「中国は統一国家だ」という観念を、人々に刷り込むことに成功した。
だから、明清以後の中国は、分裂しそうになっても、すぐ元に戻る。広いわりに、見た目より強靭な統一国家になった。 桶狭間の場合、尾張側が勝つこと自体は何の不思議もないが、義元を討ち取ったのが奇跡的なお話で
あそこで義元現在なら駿遠三の巨大領国が維持され常に圧迫、介入され続けるから、尾張からの
雄飛自体なかっただろうね
何でここで死んだの、って場面は世界史的には結構あるよな >>123
養子でなれるの?日本以上に血統を重視してる気もする。 >>160
日本で重視されるのは「家」や
血統やない
そやから養子でもええんや 日本は養子でいけるけど、欧州で養子相続はあまり例がないね
普通に断絶することのが多い >>162
欧州は血統が重視されるから養子ではあかんがな アン女王が死んでスチュアート朝が断絶した時はジェームズ1世の娘の子孫を
さがし出して即位させてたよな >>163
役職付きの爵位(英国の紋章院やら、郵便のタクシス家やら)の場合は、遠縁含めて親族から必死こいて養子見つけてきて継がせる例があるので、完全にないかと言われるとそうではないとも言えるけど
勿論遠縁とは言っても親族である必要があるんだよね >>162
養子を隠している天皇家
継体天皇の継という字が怪しい
血統がつながっているなら嗣という字を使ったはず
恐らく政治的理由で万世一計という歴史の改ざんが何処かで行われたが官僚の多くを占める渡来人たちが願わくば後世の人に真の歴史を知って欲しいと考えてこのようなフラグを込めたのだろう
記紀を文書化した渡来人の学問的良心だったと思われる >>165
継体天皇の時代は天皇家始まってまだすぐやから
万世一系もクソも無いがな すまん安価ミスや
>>166
継体天皇の時代は天皇家始まってまだすぐやから
万世一系もクソも無いがな >>167
ナポレオンもフランス国王ではなくフランス皇帝として即位したのもそれね >>139
ジャンヌの家は彼女が処刑された後も、貴族としてフランス王家に代々仕えてるね 武烈天皇と継体天皇は、遠い親戚だけど、血縁は一応あるぞ
越前から大阪に出てきて即位したが、越前と大阪なんか、いくらも離れてない なぜ架空の酋長の話をするニダ
ウリは平たい顔族ローカルの荒らしなんて嫌ニダ 継体天皇が「簒奪じゃないか。怪しい」と言われる原因の1つに、日本書記に描かれる武烈天皇の人物像が、あまりにも絵に描いたように暴虐だからだな。
「妊婦の腹を割いた」とか、定番の暴君ぶりだ。
滅びた前王朝の最後の君主をメチャクチャな暴君として「天意を失った」とするのは、中国の史書の定番なので、「そこを見習ったんじゃないか?」と疑われている。
皮肉にも、かえって継体天皇の正統性を疑われてるハメになった。 そうやって反応するから面白がってますますやるんだろうが
いい加減スルースキルを身に付けろ馬鹿ども このスレにもフン族がやってきたのだと思えば乙なもんよ アッティラ(Attila、406年 - 453年)は、フン族とその諸侯の王。中世ドイツの『ニーベルンゲンの歌』などの叙事詩にはエツェル(Etzel)の名で登場する。
現在のロシア・東欧・ドイツを結ぶ大帝国を築き上げ、西方世界の「大王」を自称した。ローマ帝政末期に広がっていたキリスト教の信者からは、「神の災い」や「神の鞭」と恐れられた。 >>184
それ見るとフン=匈奴ていうのおかしいやん
そんなとこから漢まで攻め込んだんか? >>185
匈奴が南北に分裂して南は漢族に同化して北はどっかに消えたと思ったら2世紀後に似たような名前の遊牧民がわいてきたんやっけ?
地理的繋がりは全くないな
「クルグズ(Kyrgyz)」みたいに同一性怪しくても氏族名として受け継がれてるケースである可能性も微レ存 >>186
地理的つながりが全くないって
モンゴル高原からルーシまで、ステップの道で全部繋がっとるがな 北匈奴 → 悦般
350年 冉閔が華北で胡人を大量虐殺
375年 フン族が黒海北岸に侵入する そもそもなんで漢とローマで違う名称やねん
漢に対してとローマローマに対してとで別の国名を使い分けてたんか? 大体は文字を持たないし言語も通じないし外交結んでない
国号持たない国と呼ばれる集合体もそれなりにある
イスラム系やイラン系に多いOO朝と呼ばれる国も国号では無く王家の家名を後の時代に便宜上使ってるだけ フン族の中核民族の末裔はヴォルガブルガールと言われている
オグズなどに比べて彼らのトルコ語はかなり訛りが強く、東西突厥汗国以前の古い時代に分岐した方言と考えられている
となるとやはりフン族は匈奴の可能性が高い
匈奴の次に蒙古高原の覇者になった鮮卑は蒙古系だが、多くは黄河流域に移住していき、最後まで残って蒙古高原の覇者になる道を選んだのが鮮卑柔然部
この柔然は後に突厥に破れて西域に逃亡するが、それがアヴァールだと言われている ロシアからドイツまでは、ひとつの大平原
森林と湿地、無数の湖や沼に覆われた、騎馬民族が疾駆するには不向きな風土なのだが、地形としてはダダッ広い平坦な地形 >>194
あそこは、ヨーロッパで一番やられやすいとこ >>195
ハンガリーはマジャール人いついてから、欧州の防波堤みたいな土地柄だぞ、あそこが最前線の防波堤になっとる
やられやすいってなんぞ? >>193
それは北ロシア
>森林と湿地、無数の湖や沼に覆われた、騎馬民族が疾駆するには不向きな風土
遊牧民の東西の交通路となったのは南ロシアのステップ 遊牧民族が辿ったルートを逆走して極東に来たのがロシア 開拓地にウラジオストクという名を冠してるところからしてやる気満々 ブルガル人・マジャール人
「金髪の嫁さん欲しいッス」 >>158
> 広すぎてバラバラだった中国も、さすがに「中国は統一国家だ」という観念を、人々に刷り込むことに成功した。
> だから、明清以後の中国は、分裂しそうになっても、すぐ元に戻る。広いわりに、見た目より強靭な統一国家になった。
それは、漢族地域限定だろ。チベット、ウィグルとモンゴルは明代はシナの版図ではなかったし、清代でもチベットと
ウィグルは地元の豪族の代表を土司に任命して間接統治。モンゴルは、満州族にハーンの地位を譲った八旗蒙古と
チンギス・ハーンの一族の末裔を親王や郡王に任命して間接統治した外藩蒙古に分けて分割統治で、外藩蒙古は
実質的にチベットやウィグルと同じ間接統治。これらの地域は少しも中国としての一体感は持ってない。
ない蒙古自治区は人口で漢族に逆転されているが、それでも地元のモンゴル族は漢族はよそ者で陰ではチャンコロ
に相当する「ホジャ」という蔑称を使っている。 >>190
漢代の復元音ヒュンとフンが似ているから、両方とも同じ発音との説があるね ディズニーアニメ「ムーラン」では、敵役の異民族は「フン族」という設定だったな >>203
時代としては、木蘭は南北朝時代だから、敵役は「突厥」になるはず そも、ローマが押し込まれるほどのゲルマンが押し込まれるほどのフンて、なんでそんなに強力だったのか
当時なら人口も技術力もさほどではなかったはずだが、戦術か何かで当時の中欧以西がまるで歯が立たない要素があったのか
騎馬隊が圧倒的に多いとかいうことなのか?
派遣部隊の兵站も家畜やら工廠やら何もかもまるごと移動させて補給の手間省いてたとかいうことなのか?
あるいは、「大移動」というのが言うなればところてん式に発生して結果的に大規模になってたってことなのか? >>205
パルティアとローマの話だけど
ローマが長年宿敵を打倒出来なかったのは騎馬隊の動きが読めないかららしいね
パルティアンショットとか通り過ぎた後に後方に逃げながら弓を放ってくる等
独特な戦術が多いから慣れてないと苦戦を強いられる >>205
ゲルマン人は、騎馬民族ではないからなあ >>206
パルティアを打倒できなかったのはそんな戦術レベルのしょっぱい話じゃなくて
ローマ側の物理的な限界で後背地イランまでは侵攻できなかったという戦略レベルの話だよ トラヤヌスからセウェルスまでの例を踏まえると「打倒した」と言ってもいいと思うけどね
あれだけ一方的にボコボコにできるのなら十分だろうに 結果的にササン朝という裏ボスが出てきちゃったのがきつい >>14
トルコ人やベルベル人はたまに金髪いるけど
アラブ人やイラン人にも金髪いるんだろうか? 2世紀のローマはさすがに東方で暴れすぎ
あれでパルティアが完全に再起不能になってササン爆誕に繋がるし >>212
かといってゲルマニア攻めても旨味ないしな
森、森、森、そしてそこに住んでる野人だから征服しても木材とマッチョなお兄さんしか手に入らない >>211
ベルベル人なんて半分黒人みたいな連中よりももともとアーリア人なイラン人の方が多いんとちゃう? >>204
欧米人にはフン族のほうがわかりやすいから代えたんだろうね 750年のアッバース革命でアッバース朝がウマイヤ朝を滅ぼすと、
アッバース朝の残党狩りは執拗を極めた。
ただ一人生き残ったウマイヤ家の王族アブド・アッラフマーン1世は身につけていた貴金属を逃走資金に変え、
アフリカ大陸に入りアフリカ西北部のベルベル人に保護された。
彼の母親はベルベル人であり、その容姿を受け継ぎ、金髪で瞳が緑色であった彼はベルベル人に温かく迎えられたばかりか、
ウマイヤ朝再興の足がかりを築くことができた。
彼はジブラルタル海峡を越えてアンダルスに逃れ、756年にムサラの戦いに勝利してコルドバにウマイヤ朝を再興した。 ヴァンダル王国もベルベル人の侵入に悩まされたようだ カルタゴは海軍は自国民で構成されていたが、陸軍はベルベル傭兵だった >>211
イランの内陸の高原地帯にはブロンドに緑色の目が結構普通にいるぞ。
唐代に亡命してきたイラン人の女性を胡姫と呼んだが、特徴として
紅毛碧眼が多いという記録があるぞ。 南蛮人=スペイン人、ポルトガル人
紅毛人=オランダ人、イギリス人 >>205
衰退期のローマさらに死に体の西ローマ相手に勝っても凄くは感じないな
勝って当たり前というか何というか >>207
>>221
ただ、ゲルマン人は騎馬民族ではないとはいっても
ゲルマニア自体が 武帝の頃の前漢、トラヤヌス期のローマ帝国、アッティラの糞帝国
どれが一番強いの? (前レス続き)
ゲルマニア自体が森林や沼沢地の連続で、大規模な騎馬移動にはあまり向かなそうだから
ゲリラ戦仕掛けたら各個撃破ができそうではある
それでもゲルマニア人が「民族大移動」を強いられるほどだったというのは、よほど何らかの力の差があったのかね ゲルマン人は森林や沼沢地などでゲリラ戦をするので
ケルト人のように城塞を築いて籠城しなかった
ゲルマンのゴート族はポメラニアの森林から
ウクライナの草原に移住したけど
故郷と同じように城塞を築かなかった
ゴート族はサルマタイの影響で騎兵が主力になった
フランク族やスエビ族は歩兵が主力のままだった ローマは逃げてきたゴート族を過酷に使い過ぎたな
後でしっぺ返しを食らうことになるが 紀元前にはケルト人やダキア人の城塞により
キンメリア人やスキタイは西へ移動出来なかった
キンメリア人はカフカス山脈を越えてアルメニアへ
スキタイはクリミア半島へ逃げ込んだ
ローマ帝国とゲルマン人によりケルト人らの城塞が
廃城になり中欧は無防備になってしまった
東欧のスラブ人は城塞を維持していたので
フン族が来ても移動しなかった ローマはケルト人を山の上の町から平地の町へ移住させた
山の上にあると反乱を起こした時に鎮圧するのに手間がかかる 「アケメネス朝ペルシャ帝国」
「アルサケス朝パルティア」
「ササン朝ペルシャ帝国」
と、イランの歴史は続くわけだが、なんで、あえて「パルティア」をこれほど別モノ扱いするのかが、昔から不思議だった。
パルティアとペルシャ人なんか、人種的にも大差ないはず。
中国史なら、「東北方面からパルティア人がやってきて、ペルシャ帝国を乗っ取りました。彼らは華やかなペルシャ文化に心酔して、同化されました」で終わるとこなんだが。 なんやパルティアはトルコ人なんか?
当時のトルコ人はまだまだモンゴロイド色が濃厚なはずやから
それならペルシア人から見たら異質やわ >>234
この時代はまだ、トルキスタン化してない パルティア王国の初代王アルサケスは、出自が明らかではない。
「中央アジアの遊牧民の長」ってだけ。
この時代は人種的にどうなんだろうな?
やはり、トルコ系と見るべきか。
「バクトリア人」という説もあるらしい。
だとすれば、旧アレクサンドロス帝国と関連があって、ギリシャ系の血が入ってる可能性もあるな(まったくの想像だが)。 同じ人種なら文化的に同化したらもう区別つかんけど
異人種では同化したってやっぱり異質な人やな ウィキペディアを見たら、書いてあった。
やっぱり、イラン系だ。アーリア人であり、広い意味でペルシャ人と同じ系統の人種。
トルコ系ではない。
>パルニ族、パルニ氏族とは印欧語族の出身地である中央アジアの草原の遊牧民部族である。スキタイ系統であり、ダーハ氏族の分派である。
>パルティア語は、かつてパルティアで使われていたイラン語の一種で、中期イラン語に属する。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%8B%E6%B0%8F%E6%97%8F
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E8%AA%9E この時代だと古すぎて、まだ中央アジアがトルキスタン化する前
一応、イラン系の天下ですな 地理的には、今でいうトルクメニスタンの首都アシガバードを本拠地とする王国
そこからペルシャを征服して、後に首都をクテシフォンに移した。
北魏が、大同から洛陽に遷都したような感じ。 中央アジアがトルコ化するのは、6世紀以降の突厥の移動以降ではないのか スキタイやパルノイなどイラン系遊牧民は
遺体をクルガンに埋葬して遺体を保存する
ペルシャ人やソグド人などゾロアスター教徒は
遺体を風葬や鳥葬にして遺骨を骨壺に収める
インド人と
キリスト教化する以前のヨーロッパ人は
遺体を火葬にする
ユダヤ人やアラブ人などセム族は
遺体を土葬にする
古代エジプト人は遺体をミイラにして
遺体を保存する >>242
パルティアなどのスキタイ系は、ゾロアスター教徒ではなかったからな
宗教の違いは大きい 「西ローマ帝国滅亡後の西欧」ほど目立たないが、「アケメネス朝ペルシャ帝国滅亡後のパルティア」というのも、文明が後退した例として有名だ
パルティアの400年は、ほぼ漢と重なるが、記録文献が少ない暗黒時代とされている 日本の平安後半も文明衰退してる
文明崩壊とまでは行かんけど >>244
パルティアは文献がほとんど無いていうのも
やっぱり文明が相当衰えた証拠やな そうなの?パルティアって交易の要衝にあってかなり儲けたという話だが セレウキアが破壊されたので記録文献が少ないのでは?
ギリシャ人とバビロニア人らが記録していたけど
灰になってしまったのでは? >>248
たとえば漢で長安や洛陽が破壊されたってこんなに文献無しにはならん >>249
東アジアは、極端に記録が重視される特異な文明圏ってのは意識した方がいいと思う
日本含めて
インドの思索偏重、中国の記録偏重って事実よ これにも当てはまるかどうかはわからないけど
文献も現代に通じる言語でしか歴史に記され無いから
死滅した言語だったりしたら当然通じない 西欧の暗黒の中世が注目されがちだけど
東ローマ帝国にも文献が一切ない時期があるのよね
気になる
あと日本の空白の4世紀も >>159
今川家は義元がいなくなっただけで急激に弱体化したな
武田は滅んだとはいえ勝頼の代で最大領域だし、上杉は謙信亡き後も衰退したとはいえ家はずっと続いたのにね >>253
残念ながら直系子孫も明治に断絶したしね… >>253
意外とそうでもない
義元死後から大名領国の滅亡まで7年かかっている
武田信玄死去から武田滅亡まで9年とそこまで差はない >>249
中国の北部も、漢の滅亡後の五胡十六国と、宋の南遷後の金代は記録が少ない パルティア人はペルシア人を被支配地の原住民と見ていたから彼らの文化に関心が無かった そもそもパルティアの王号はフィルヘレン(ヘレニズムの支持者)であってペルシア文化に馴染みが無かった
首都のセレウキアからしてギリシア人都市だった パルティア人は、ギリシャ文化に傾倒していたんだな
初代パルティア王のアルサケスも、バクトリア出身という説がある。
バクトリアは、アレクサンドロスの東征以来、ギリシャ系の牙城。
それが本当なら、ヘレニズム文化の中で育ったことになる 日本だと東北と九州が強兵の産地だった
もとは蝦夷と隼人の土地 ストラボンはパルティア人もアルメニア人もペルシャ人は同根で見た目も服装も大差ないと書いているけどな セレウコス朝軍の主力はカタフラクトでローマ軍も苦戦したけど
このセレウコス軍のカタフラクトを担当していたのが
パルティア人だったのかな? セレウコスもプトレマイオスも騎兵は普通は現地のマケドニア人でしょ
とくにローマ軍が苦戦していたということもないけどな
マグネシアの戦いとかほぼローマの完封勝ちだし アンティオコス3世の頃には領内のマケドニア兵は
かなり減っていたのでは?
マグネシアの戦いはマケドニア重歩兵のおかげで
ローマ側はカタフラクトの突撃に持ち堪えた
マケドニア軍が逃げたり裏切ったら負けていた パルティア人は元々スキタイ系の遊牧民
取った領土がヘレニズム文化の土地だったからそのまま採用
後にペルシア文化復興させてそっちに移る
遊牧民がヘレニズム文化の元で古代イラン多神教orゾロアスター教信仰してると言う
ちょっと複雑怪奇な国 ギリシャ〜イラン世界は昔から交流の盛んな地域だから(戦争も含めて)、
お互いに文化的影響を受けあってるんでしょ
東ローマの皇帝なんて古代のペルシア文化の影響受けまくってたんだから パルティアには楽勝だったのに、なんでササン朝には大苦戦したの? そらローマは2世紀に比べたら国力ずっと衰えてたし
なによりパルティアよりもササンのほう強いし >>262
続日本紀に球磨の肥人が使った肥人之字という奇妙な文字について記されている。どうやら音節文字だったようだ。
熊襲や隼人の文字だったのかもしれない。
話は脱線するが、のちに江戸時代になって国学者の中の神秘主義者の一部が全国各地の伝承に残る奇妙な文字を探し回って発掘し、これを神代文字などと言って持ち上げた。
その殆どは捏造や創作(元ネタはハングル)であったが、その中に古フィリピン文字に類似している出自不明なものがあったのも事実で、これについて続日本紀の肥人之字だったのでは無いかという学者もいる。
もし肥人之字が古フィリピン文字の亜種であるのならば彼らはポリネシア系で確定だろうね 確かに2世紀には圧倒してたようだけど『楽勝』ではないぞ
絶頂期ローマがフルパワーでやってようやくって感じなんだから 徐福とかも弥生時代に日本に来てるし、
王仁より遥か前に漢字は伝わっていたと思うの。 軍人皇帝時代は26人のうち自然死がクラウディウス二世の一人だけとかヤバ過ぎィ 性懲りもなく>>262みたいにスレチレスするキチガイとそれにレスつける>>275みたいなガイジ
自演ですか? >>278
韓国の大統領みたいだな
厳しすぎる権力闘争 >>44
ヨーロッパと比べて寒いけど陽射しが強いとか? >>274
ササン朝ってそんなに強いかな
軍人皇帝時代の混乱でローマが弱体化していた時にローマに攻め込んだというだけでユリアヌス遠征なんかは
パルティア遠征とあまり変わらない
末期両ホスロー王の時代は確かに強いイメージがあるが、ローマ側が東半分になっていた
2世紀のローマとやりあったらホスローの時代のササン朝も所詮はパルティア並みだったんではないか >>289
パルティアは、遊牧民帝国の常として、有力者のの自立性が高く、しょっちゅう王位を巡って内戦しているバラバラな国
ササン朝は強力な東方専制君主で、ディオクレティアヌスもお手本にした国家体制だから、似て非なる存在だろう トラヤヌス期のローマならパルティアだろうがササン朝だろうが平らげるだろうけど
どっちが厄介かと言われるとよくわからなくなる 指標のローマの強さが変動してるのもそうだし、
ローマとやりあう頃にはパルティアもすでに衰退期だったから尚更わかりにくいな。
いちおう2世紀半ばヴォロガセス4世時代には勢力盛り返してたようだけど、
一時的なものだったしインド方面は失ったままだしで最盛期には程遠い。
まあ最盛期パルティアでも2世紀ローマ相手は苦しいってのは想像つくけども。 ローマ帝国4500万人
サーサーン朝1500万人
国力の差はいかんともし難い 東ローマはギリシア人遊牧民を作らなかったのが失敗だな
コサックのような部族を人為的に作ってアナトリアに置いとけば良かった 現在、蛮族が蹂躙中な王制・君主制スレ。
あっこは暗黒の中世状態やわ(´;ω;`) ローマ帝国VSパルティア
東ローマ帝国VSササン朝
唐VS吐蕃
唐VSアッバース朝
ドイツ第三帝国VSソビエト連邦
大日本帝国VSアメリカ合衆国
大帝国同士の戦いはええよね ティムールVS明
アメリカVSソ連
の直接対決は実現せず カエサルの尻の穴にパルティアンショットを食らわせたいと思ったのは俺だけ? イタリア人はあいさつ代わりにキッスをする
これがコロナの感染拡大につながった一因らしい ローマ帝国もさぁもっと兵器開発に力入れろよな
ゲルマン土人には絶対破られない防衛兵器とかいくらでも考えられたろ 2世紀と4世紀
領土は同じなのに
なにが違って弱くなったのか >>299
煽り気分か知らないけど、
第二次大戦の日米戦て、どう考えても「大帝国同士の戦い」なんて言えんだろ
むしろそんな思い込み勝手にしてたからこそやっちゃった戦いとしか言えん 結果は周知のとおり
独ソ戦だって極めて微妙 ナポレオン全盛期のフランスすらロシアにぼろ負けだったのに 軍の主力が重装歩兵から重騎兵になった
歩兵には誰でもなれたのだろうけど
鐙無しで槍を構えて突撃出来るのはローマ領内ではバルカン出身者だけ
だからバルカンに西ゴート族が侵入した途端にローマは弱体化した
ゴート族は鐙を使うので騎兵突撃では当時最強だった
アッティラの死後フン族はゴート族に倒された
フン族もアラン族も鐙を使わなかった
ローマ軍はゴート族のように鐙を使うべきだったけど
鐙が普及すると誰でも騎兵になれるようになり
バルカン出身者が権力を独占出来なくなるから
鐙を採用しなかったのかも 全盛期のローマ帝国は非常に官僚の少ない帝国で、地方統治や徴税の実務や公共事業まで都市参事会員層の持ち出しで行われていた。だから帝国政府は低コストで支配し徴税して、大規模な軍隊を維持できた。
しかしあまりに重い負担に都市参事会員層は没落したり、あるいは都市を捨てて郊外のヴィラに本拠を移すようになると、大規模な官僚機構を整備しないと徴税も支配も出来なくなっていった。
こうした官僚機構はそれ自体コストのかかるものだから、それがさらに担税民にしわ寄せされて、経済の萎縮、さらなる重税という悪循環に陥ることになる。 対外征服が無くなったので奴隷を得られなくなって農奴になったってのは? 兵器開発と農業器具開発にリソースを割くべきだったな
ローマでパンを無料で配布して無駄金使うより開発費回すべきだった >>308
>鐙無しで槍を構えて突撃出来るのはローマ領内ではバルカン出身者だけ
何でそう思ったの?
ポリュビオスの「歴史」にはローマの騎兵がマケドニア式の突撃用の槍を使っていたことが書いてあるけど
>対外征服が無くなったので奴隷を得られなくなって農奴になったってのは?
古代ローマの奴隷に占める戦争捕虜の割合ってすごい少ないんだわ
使い道が限られ過ぎるしな
ほとんどは捨て子とか奴隷同士から生まれた子がまた奴隷になってたりする
ローマでは子供を5人産んだ女奴隷を開放する慣習があったぐらいなので女奴隷は奴隷人口の維持を期待されていたと思われる >>313
紀元前のマケドニアやローマの騎兵は上流階級出身者
バルカン出身の皇帝らには下層民出身が多かった
バルカンでは乗馬が当たり前で誰もが騎兵になれたようだ >>312
一度サービスを続けるとそれが当たり前の権利だと思い込む現象
パンが食いてぇならローマの近郊に農地作って働かすわ ナクシェ・ロスタムだとマッシナの戦いでゴルディアヌス3世はローマ帝国全土から招集したゲルマン人やゴート族を率いていたとあるので
この時点ですでにゲルマン系ローマ兵が主力になりつつあったようだ >>307
第一次大戦のときのドイツは事実上、ロシアには勝っていた >>313
ボリュビオスの時代と帝政時代を比べるのは戦国時代と明治時代を比べるとようなもん アルファベットを持ち帰ったのに
間違えてNとかRとかを裏返しに伝えてしまい
今でも笑われるキリル文字・・・ >>321
アルファベットといったらラテンアルファベットしか知らない低学歴可哀想😢 シュメール人「文字作ったぞ」
エジプト人「かっけぇ……うちでも真似しよ」
フェニキア人「文字多すぎ。22文字あればいいわ」
ギリシア人「母音も文字にしたわ」 たまにはルーン文字のことも思い出してあげてください・・・ >>327
セム語派は語根言語だからあえて母音書かないんだよな〜 子音+母音の表記は解析的だよね、文字に慣れ親しんだ状態じゃないと気が付かないと思う。 マルコマンニ戦争は全盛期に近い状態のローマ帝国だから耐え切れた。もしこの時点で衰退期だったら200年早くゲルマン人の大移動が始まっていただろう。 >>332
それはどうかなあ?
ゲルマン人の大移動はやはり、気候が寒冷化したのが最大の原因と思うがねえ ゲルマン圏はもともと拡張気質で紀元前からガリア・地中海方面に行きたがってたので、
壁になっていたローマが早く衰退してたらジワジワと移動しただろうね
ただし大移動と呼べる規模になるのは、やっぱり気候変動の影響で四世紀からじゃないかな 同じ時期に東洋でも、中原から江南へ、漠北から中原へという民族大移動が起きてるからな
全体的に、北から南へと、人類がドッとシフトしている ゴート族は黒海沿岸(今のウクライナあたり)に移住したけどフン族に追い出された 気候が寒冷化したのでゴート族はポメラニアからウクライナへ移住した 4世紀から極端に弱ってた国だからねぇ…
あちこちで元老院貴族が勝手に自治領つくって、空白地域だらけ 農業開発と兵器開発してりゃゴート土人なんて皆殺しだったのにな
ブリタニアなんていうクソ僻地なんて放置でよかったのに
無駄な拡大が国を滅ぼした例 >>342
4世紀初頭から、都市部の元老院貴族はウィラに住むようになり、そこで自治領を形成
さらに私兵を囲って他の貴族らと覇権争いをするようになった
ちなみに都市活動は衰退し、貴族らの代わりにキリスト教の司教が首長として治めるようになった(司教座都市) >>336
うんにゃ
クリミア・ゴート語は近世まで存続して
逆にフン族が影も形もなくなった
追い出したのはクリミア汗国とロシア帝国 >>343
その元老院貴族が中世や近世の騎士や貴族になったの? 読み書きが出来る元老院貴族 → 聖職者
ゲルマン軍人 → 騎士や貴族 中世貴族のもとはフランク王国の伯や公だけど…
元老院貴族の系譜がそれに任命されてたかどうかは知らない 騎士はカロリング朝〜カペー朝時代のミレス(従士)から発展した
ローマ帝国末期には軍団は消滅し
各地の元老院貴族や将軍の私兵へ
これらとフランク従士団がメロヴィング朝に再編成され、スコラカリウスと呼ばれる従士団になる
同じ頃ランゴバルドでは、ガスタルドと呼ばれる従士団ができ、身分としても確立された
カペー朝時代には、緩やかに解体されミレスと呼ばれる貴族と平民の間に位置する戦士身分となる >>345
中世初期(ポストローマ期)においては、元老院貴族も地位を保証され、フランク貴族と共にあった(ただし軍役は当初免除)
メロヴィング朝では「王と食卓を共にする者たち」と称して、元老院貴族・フランク貴族の子息らを幼き頃から共に食事や教育をほどこし交流をはかった
後に彼等が協力して、当時王権の弱かったメロヴィング王家を助けるものと見込んでのこと
元老院貴族が、その後もフランス王国において貴族として確認できるのは、南フランス(プロヴァンス地域)
彼等はウィラから発展させた城砦都市を作り、貴族と平民の垣根はかなり低かった(婚姻関係すらあった)
垣根が低かったため、後にカタリ派が貴族から平民へ広がり、十字軍によって滅ばされた
ちなみに>>349を前レスで書いたのは私です ちなみに元老院貴族として一番有名なのは、かつてガリア北部を支配したシアグリウスのアフラニウス一門
メロヴィング朝においても各都市の司教職を務めた
他方で外交官としても一門は活動し、7世紀まで記録が残る >>341
技術革新していけなかったから停滞したわけで
戦略ゲームじゃあるまいし兵器開発や農業開発コマンド押しとけば勝手に進歩するってもんでない そもそも、技術革新なんてのは喫緊の課題があってこそなされるものなので、資本主義以前の社会だと、社会が安定化するとそこで技術革新が止まるのは良くある話 羅針盤も火薬も活字印刷もクッソ平和な宋で生まれたけどな 脳筋の軍人皇帝が続いたから技術開発なおざりにして結果ゴート土人に蹂躙されるはめになった
やっぱ軍人に政治は無理 現代の資本主義社会じゃあるまいし、企業や政府機関が研究開発するわけではないから
たとえば「紙の発明」だと、「水に浸かってた布切れがボロボロに溶けて、乾いたら固まった」とか、そういう経験を何百年も続けた結果の経験則のたまもの >>357
生まれること=技術革新
ではない
社会で広く採用され、普及しないことに真価がある
そうなるためには、社会において共通の課題がないと普及しない、という話 宋代に普及したやん
活字以外は
活字だけは漢字と相性が悪すぎて普及せんかったけど >>357
宋は、遼・金・西夏・大理さらにはモンゴルと、幾多の異民族国家に囲まれた中国史上でも屈指の大乱世なんだが
金庸の傑作「射雕英雄伝」「天龍八部」をはじめ、時代劇で人気の時代 宋は、岳飛や楊家将など、異民族と戦った英雄伝説を数多く生んだ時代
日本では、大陸の国際関係が難解なせいかウケが良くないが、中国の講談や芝居はこの時代背景が華 「遼が北京を占領していた」、「金が遼を滅ぼした」、「金が華北を占領し、宋は南遷した」、「モンゴルが金と南宋を滅ぼした」・・・
これに、西夏だの大理国だのが絡む。
歴史マニアならともかく、普通の日本人にはワケが分からず、お手上げだ。
今後もまず、日本で人気が出ることはないだろう。
中国史はこの時代が最高に面白いので、もったいないんだが・・・。 >>361
アンティキティラ島の機械とか、一発だけの職人芸で終わってる感じ。 封神演義
三国志演義
西遊記
水滸伝
中国四大小説だけど、水滸伝だけはまだ内容知らないな
梁山泊に漢たちが集まってウホウホやってるくらいしか知らない >>341
西欧でバリスタはキリスト教の影響のせいかローマ末期以後姿を消したが、中世にまた復活してる
東ローマ帝国では使われ続け改良もされ戦車の原型にもなってる 日本や欧州も、中国・インド・中東も、中世はなぜか中央権力が弱体化し、地方勢力が勝手に自立してバラバラになった。
近世に入ると、中国では明清帝国、中東ではオスマン帝国、インドではムガール帝国、日本では江戸幕府と、強大な権力が登場して各地が安定する。
中世とは、そういう時代なのだろう。
(中国史だと、宋を中世とするのは確実に異論が出るところだが、それはさておいて) >>367
>梁山泊に漢たちが集まってウホウホやってるくらいしか知らない
要約すれば、そういう話だ
十分に内容を知っていると言ってよい >>368
やはり、強大な東の敵に直面していたビザンチン帝国と、小競り合いが中心だった中世ヨーロッパの切迫感の差が、そこに出ているな 中世の騎士物語といえばやはりアーサー王物語だな
フィクションではあるが、モデルとなった人はいたみたい(ローマ軍の指揮官?) >>367
向こうでの人気は
水滸伝 > 封神演義 > 三国志演義 > 西遊記
日本で人気のある三国志は向こうでは大したこと無い
日本での三国志人気は吉川・横山・光栄あってのものやろ >>371
東ローマ帝国はササン朝とかアラブとかアヴァールとかブルガリアとかセルジュークとか
周りを敵に囲まれまくってるうえに内紛だらけなのに(おまけに十字軍に滅ぼされるが復活して)1000年続いたところがすごい 梁山泊に英雄好漢が集まって旗揚げし、政府も手出しできない事実上の独立国になる。
大陸ならではのスケール感で、日本人には理解しにくい。
黒旋風の李逵は、平気で人を殺しすぎ。日本人の感覚では粗暴すぎるし、悪すぎる。
それでも、江戸時代の日本で、水滸伝は人気があった。
浮世絵にも描かれたし、日本風に翻案した「南総里見八犬伝」もできた。 >>369
大航海時代(欧州による他地域の植民地化の始まり)が始まったのも近世に入ってからだしな 水滸伝の108の悪星つまり悪神が地上に降りて人間に生まれ変わってとんでもない悪漢どもになるが悪の属性でも元が神だから仁義に厚く仁義に生きて仁義の為に死に天に戻るというプロットは日本の中世の宗教思想に影響を与えたと思う >.352
ローマのヴィラから発展した中世の城塞都市ってどんなのがあるの? >>372
ローマ撤退後、各地の都市は「僭首」と呼ばれるブリトン各部族長・元老院貴族によって治められた
これら僭首・元ローマ士官らの活躍が、後のアーサー伝説になったと考えられている
またアーサー伝説には、2世紀頃に多く駐在していたサルマート騎兵からの伝承も混在していると言われている
僭首らは徐々にサクソンに領土を取られつつも、ポウィス・グウィネッズ・ストスクライド王国などブリトン諸国を建国
軍装は末期ローマ軍と同様で、鎧は「サイク」(ロリカハマタなどが転訛したもの)と呼ばれた
またローマに倣い吹き流しを旗印に用い、騎兵剣であるスパタはサクソンに比べると軽く短めだった アングル族サクソン族に乗っ取られるブリタニアだが
後にヴァイキングに支配されることになるイングランド
まさに因果応報やね 今巷ではヴァイキングがそこそこ注目を浴びてきてるね
今はアーサー王よりラグナル・ロズブロークの時代 アイスランド〜グリーンランド〜ニューファンドランドの旅だから横断ではないな そのヴァイキングもキリスト教化した後サクソン人に追い出されたが、
その後今度は別のノルマン人(こちらはキリスト教化・フランス人化済)によって征服され、
サクソン人貴族は全部追放されてしまった。
まあいわゆるノルマン・コンクエストやな
以後イングランドはフランスのラテン文化の強い影響を受け、
ゲルマン的・ヴァイキング的な文化は成りを潜めていくことになる
支配層が常々変わるのが中世におけるブリテン島の歴史 民族不明の先住民→ケルト→ローマ→アングロサクソン→デーン→ノルマン
ブリテンさん変遷し過ぎ >>388
アングル人とサクソン人とデーン人は一時期共存してたんだけどな
ノルマン・コンクエストで綺麗に一掃されたが 今のイギリス人を本当にゲルマン系アングロサクソン人と言ってしまっていいのだろうか?
言語からゲルマン語の特徴消えまくっててもとのアングロサクソンとは別物
中国人が古代の中国とは別物って言うのよりも酷い状態で 英語に一番近いのってドイツ語だっけ?
フランス語はロマンス語派だから全く別物だけど 英語に一番近いとされているのはオランダの北からドイツの北西にかけてある島で話されてるフリジア語やで >>390
中国は王朝変われど中華文明継承してると言う体だからね
だから中華4000年の歴史と言う言葉が生まれた
ブリテン島は完全に文化破壊、民族浄化、同化による同化で全く別物に変わってる
言語もドイツ圏から伝わって来た古代英語をベースに改編が続いて
ノルマンコンクエスト時にフランス語が大きく混ざり現代の英語になってるし
一部のイギリス人がアーサー王信仰してるけど
でもそれは祖先のアングロサクソン人の敵だったブリトン人の話だし
なんかもうあそこは色々ぐちゃぐちゃよ アーサー王とかローマ皇帝と決戦して破ったとか荒唐無稽な伝説しかないからな
現代人からしたら失笑もんだろう 暗黒期で資料が残ってないからしょうがない部分もあるのだろう
救い主を求めてアーサー王伝説が生まれたんだろうけど
ただブリテン島の場合ローマ属州時代の資料はあるからファンタジーにするとツッコミだらけになるのよね
ローマ属州時代にいなかった妖精やら聖剣やら竜やらが後の時代に登場したら「こいつら今までどこにいた!?」になる >>395
剣と魔法と神のファンタジーワールドだからな
ゲームやアニメ、映画その他への貢献は計り知れない >>393
それは中国も同じだろ
中国史は「一貫性」という建前を重視するが、英国史は現実主義なだけ >>393
>一部のイギリス人がアーサー王信仰してるけど
>でもそれは祖先のアングロサクソン人の敵だったブリトン人の話だし
それを言ったら、中国もそうだ
「モンゴル人や満州人と戦う、漢人の英雄好漢」なんてのが時代劇で大人気だが、
いまの北京人は、どっちかっていったらモンゴル人や満州人の末裔 >>396
その点、封神演義の場合は大昔の話だから、仙人やら火眼金睛獣やら宝貝やらが「今までどこにいた?」とならずに済むな >>20
自由と民主化を求めて帝政打倒を達成したロシア革命だが
専制を倒したら更なる専制になったという壮大なギャグで終わった
フランス革命は時代に新しい光が射した感じだが
ロシア革命はますます暗闇の中に入っていく絶望しかない >>397
北欧神話の影響の大きいね
エルフは金髪碧眼で美形と相場が決まっている >>402
フランス革命も、もっと強力な専制国家わ生んだのだが >>393
ウェールズはスコットランド程ではないけどかなり粘った方だね ナポレオンは鞭だけでなく飴もあったがな
スタ公は鞭オンリーじゃん コロンブスがアメリカ大陸を発見したように、カエサルはブリタニア島を発見した
ブリタニアの存在自体は知られていたが、実在することを確認したのはカエサル >>406
1929年の世界大恐慌で欧米先進国の経済が崩壊する中、ソビエト連邦だけは着実に五か年計画を実行し、順調に経済成長していた チャーチル「アーサー王?そんな者よりカエサルだ」
英国人っぽくないこの考え好き 北海道は日本書紀に渡島として登場している
阿倍比羅夫が北海道までを航海して蝦夷を服属させ、粛慎と交戦したとか
日持が北海道、更には樺太にまで布教しにいったとか本当かよって思っちゃう 史書には残ってないがゲルマニアに布教に行ったアリウス派の坊主たちも結構な数は殺されてそうだな
でも意外とあっさり北欧の神々への信仰を捨ててキリスト教化されてるゲルマン人たち
北欧のヴァイキングや古プルーセン人はキリスト教化にかなり時間がかかったが >>409
「一国の指導者として大戦争を戦い抜き、みずから戦記文学を書いて、文学史にも不朽の名を遺した」という点において、チャーチルとカエサルには共通するものがある ガリア戦記は残ってるけどダキア戦記は失われたのよね
前者と違って不人気であまり広まらなかったのかしら? >>410
樺太までは、その気になれば行けなくもないと思う
でも、「樺太の北端から大陸に渡った」というのは、さすがにウソっぽい。
樺太は南北にものすごく長くて、南端から北端までは、東京と札幌くらい離れている >>411
その頃の宗教は文化とか貿易とか色んな物が紐づけされてたからな
暮らしが豊になるならそら神を変えますわ 昔、電車で稚内まで行ったことがあったが、旭川から先の長い長い距離は、強く印象に残っている。
本当に何もない。旭川から稚内までの途中には、名寄っていう小さな町があるだけだった。
現代でさえ、そうなのだから、鎌倉時代に徒歩で行く気にはならないだろう。 東ローマ帝国の重税に苦しんでいたエジプトの民はイスラムの支配を歓迎したようだ 古代ローマ人も、ガリアを越えて、ブリタニアまでは到達したが、そこで終わり。
スコットランドとの間に長城を築いて、「ここから先はローマ帝国ではない」と境界を画定した。 >>417
宗教の魅力には勝てない。
哀調を帯びた朗々たるコーランの詠唱を聴けば、誰もが厳粛な気持ちになる。
死後は、寝椅子にのんびり寝そべって、清浄な乙女からお酒を注いでもらって、天国で楽しく暮らせる。
なんとも魅力的だ。
ペルシャ文明を破壊した粗暴なイルハン国のモンゴル人も、コロッとやられて信者になった。 イスラムの勃興ほど漁夫の利という諺が似合う場面もない
東ローマ帝国もササン朝もお互い消耗していたからな
トラヤヌス期のローマ帝国やホスロー1世の頃のササン朝といった全盛期の大帝国が相手であったなら
基地外カルト集団の蜂起なんて速攻で叩き潰されていただろう >>419
イスラム教は禁酒で豚肉も禁止だったから露助はキリスト教の方を選んだ グルジアとかあのあたり古くからのキリスト教国とはいえ
アッバース朝やオスマン帝国などから圧迫を受けそうな位置なのに
よくイスラム化されなかったもんだ グルジアのままでいい
ジョージアだとコーヒーのイメージしかないw ヨーロッパで唯一のイスラム教国アルバニア
北アフリカで唯一のキリスト教国エチオピア >>420
>東ローマ帝国もササン朝もお互い消耗していたからな
そういう状況だったからこそムハンマドもジハードを始めたんだよ
トラヤヌスやホスロー1世などと同時代であれば大人しく瞑想に耽ったままスタートすらしなかったと思う グルジアはオスマン時代の時は属国故に政略結婚もそこそこしてた
スルタンの産みの母親だったり親戚だったり戦争でもそこそこ手助けしてくれたりで
オスマン帝国はグルジアをかなり丁重な扱いをしてた フランスは神聖ローマ帝国との対立からかオスマン帝国とは良好な関係だった >>159
信長って黒人と初めてホモセックスした日本人かもしれないな >>425
そのあたりは、ちょっと誤解が多いところではある。
預言者ムハンマドが戦った主な敵は、メッカやメディナのアラビア人。
地元アラビアの諸部族が、基地外カルト集団の蜂起を鎮圧しようと攻め寄せてきたから、やむを得ず武器を取って戦った。
晩年にアラビア半島を平定してからは、東ローマ帝国に遠征軍を送ったこともあるけど、なんといってもアラビア半島の統一がムハンマドの戦いだった。
ササン朝や東ローマ帝国と戦ってイスラム帝国を築いたのは、2代目正統カリフのウマル。
ウマルは、宗教指導者としてはともかく、戦争に関しては天才だった。 余談だけどイスラム圏で今でも多く名付けられてるウマル(omar)と言う名前
語源はその2代目正統カリフのウマルが起因
キリストからイスラムに改宗してカリフまで上り詰めた事で「真実を知る物」として言われ
今日もそういう意味合いで名付けられてる
ちょっと前の例の件で調べてたのを思い出した >>416
電車で稚内までは行かれへんで
嘘はほどほどにしろ フィンランドも他称で、自称はスオミだっけ
日本も勝手にJapanとか言われてるね >>434
フィンランドて要するに「僻地」「地の果て」ていうことやから
自称するわけない >>434
Japanは「日本」が語源だぞ。
現代中国語の「日本」の読み方は「リーベン」だが中世は「ジーベン」だった、それが西洋に伝わるうちに
ジーベン→ジーベング→ジベング→ジペング→ジパングになった。 >>441
電車があるのは旭川まで
そっから北の宗谷本線は電化されてない
電車なんか無いわ
おまえはマボロシの電車に乗ったんやろ >>438
>現代中国語の「日本」の読み方は「リーベン」だが
現代北京語でもジーペンや
ピンインのrを勘違いするな >>432
行けるぞ
利用客が少なすぎるので、廃線になるという話もあるけどな >>442
ああ、なるほど
あれはディーゼル機関車だったんだな >>431
ウマルがキリスト教徒だったなんていう話はないが ウマルはキリスト教徒というより、単に新興宗教を嫌ってたんじゃなかったっけ?
「インチキ教祖なんか、俺がバッサリ斬ってやる」と刀を持って出掛けたが、途中で気が変わって信者になった >>419
なんか勘違いしてるようだけどアッバース帝国の時代に入ってもなお帝国内のムスリムは1〜2割程度でほとんどは異教徒だぞ
エジプトも10世紀に入るまではキリスト教の方が主流 >>417
そんな唯物論的な理由だけではないけどな
既にエジプト人の大半は帝政ローマ末期にキリスト教に改宗していたが、
これである意味同じアブラハムの宗教であるイスラム教を受け入れる準備は整っていたといえる
しかしアタナシウス派である東ローマ(当時は東西教会の対立は表面化していない)の宗教観とは相容れない単性論派だった
そんな連中の支配を受けている事自体がエジプト人にとっては我慢がならなかったのだろう
元々地政学上、地中海の北側と南側じゃ対立する運命にある
その上、度重なる東ローマの遠征のための重税をかけられて住民の不満は限界に達していた
そこにエジプト人と民族的に親しいアフロ・アジア語族で、
なおかつ一神教の民が侵攻してきたとあれば、そりゃ皆こぞって歓迎するだろうよ
しかも当時のイスラム教はまだスンナ派とシーア派に分裂しておらず、宗教的情熱も真っ盛りの時代だ
三位一体(至聖三者)とかいう意味分かんない思想を標榜する東ローマより、
単性論派のエジプト人としては「神はただ神のみの属性」「預言者イエスはただの人」
って言ってるイスラム教の方がしっくり来たんだろう
とはいえ、それでも改宗しなかったキリスト教徒達の教会は、
現在でもコプト派という形で信仰が残存しているが。 >>372
アーサー王物語はアニメFateのパクリだと主張しているヤツがいるようだが >>421
それはただの伝承だぞ
裏付けがないので恐らくフィクション
まあ、ロシア人の性格から考えると「あり得なくもない」と思わせるところが面白いけどなw >>454
主張そのもののソースは持ち合わせないが去年の京アニ放火事件で容疑者が自作をパクられたと主張したことに対し、文学、映画等の有名作品にあれは俺のアイデアだと主張する者が昔からいたという話の中で聞いたもの。
Fateについては未視聴のためアーサー王物語との類似性は判断を控えたい そういうギャグに決まってんだろ
ムキになる方が恥ずかしい その作品の名前、政治と宗教の話と同じ様に
荒れるテーマだから口に出さない方がいい >>451
イスラム教は後発の強みで、キリスト教の弱点をよく研究していた
キリスト教は、三位一体などという意味不明な教義のおかげで、「イエス・キリストは神か、人か」という神学論争が大炎上。
これを見て、イスラム教では「アッラーのみが神である。預言者マホメットは人である」と明記した。
いろんな面で、当時としては最先端の教義体系が整備されていた。 そりゃ中東の人たちにしたら
東ローマ統治下では自分らの
宗派は異端といわれて存続不可
だったら税金を払うだけで
存在が許されるイスラム統治を
歓迎するわな
そもそも庶民は何で神さま拝むの?
当然ご利益欲しいからなわけで
ムスリムになったら税金が減ると
言われたらそれがご利益と改宗する
のが当然
信仰の自由は一応制限の付きで認め
たるし更にムスリムになったら税金
減るわとか賢すぎるわ >>159
義元が討たれなかったら、信長は尾張から出れないし、家康も独立できず今川の一武将、秀吉は歴史に名を残さない。
そう考えると桶狭間の戦いは日本の歴史を滅茶苦茶大きく変えたね カエサルや信長が人気なのは
本人の魅力もそうだが、この人が天下を取っていたらどういう結果になっていただろう
と興味をかきたてられるからというのもある
アウグストゥスや家康も名君だが天寿を全うしたから何やったか分かってるしな アウグストゥスの像は若い頃のものばかりだ
晩年はもしやハ・・・ カエサルは一応天下をとってはいる
それで改革いろいろやって、さあ残りはパルティア遠征だってところで暗殺
信長+天下統一までの秀吉という感じ >>464
カエサルがケツの穴にパルティアンショットを食らってる姿が見たかったな・・・ アウグストゥスは劉禅や秀頼みたいにならなかったヤベーやつ
普通は暗君傀儡滅亡ルートまっしぐらのはずなのに
関ヶ原〜大坂の陣で家康相手に秀頼が勝っちゃったようなもん >>465
堺屋太一の説だな
それはちょっと疑問だ
朱元璋は、信長みたいに革命的なことは、とくにやっていない。
死後にたちまち内戦が起こって跡継ぎを打倒されたのに、家康ほど安定した体制を築けたとは言えない。 関ヶ原前夜の段階ではまだまだ豊臣方が有利だし勝機は十分にあった
家康が色々根回しして三成の思惑通りにはいかなかったが 大老の家康と遥か格下の三成だったらどっちにつくのか明白じゃん
どっちも豊臣のため称してんだから やはり、カエサルが織田信長に相当し、アウグストゥスが徳川家康に相当するんじゃなかろうか。
豊臣秀吉に相当する人物としては、ローマ帝国史には成り上がりが多いので省略する。 ていうか、ディオクレティアヌス大帝こそ、「信長・秀吉・家康の歴史的役割を1人でやり遂げた人物」と呼ぶにふさわしいのではないかと思う。 アウグストゥスと家康は真逆な気がする
信長秀吉時代に実績積んで老齢で天下人になった家康
とくに実績もないのに何故かカエサルから後継者指名され、権謀術数内戦の後に初代皇帝になったアウグストゥス ああ、キリスト教史観でボロクソにこき下ろされてた人ね
でも最近の研究では、別にキリスト教徒をキリスト教を信仰していることを理由に虐殺はしてないとか・・・
キリスト教を弾圧したことは事実だろうが、それは教会の破壊や集会の禁止、
公職に付いていたキリスト教徒は財産没収の上追放、などなど、
直接生命を奪うようなことはしてないらしい
ただ、キリスト教徒側の報復としてディオクレティアヌスの邸宅に火をつけたので、
その放火犯のキリスト教徒達を処刑したことを「大虐殺」にすり替えた可能性がある
少なくとも、ローマ側の記録ではディオクレティアヌス帝が虐殺した記録はない。
テオドシウス帝が行った虐殺はしっかり残っているのにね・・・
やっぱり後世のキリスト教史観の記録は誇張や捏造が多くて信用できないわ 三位一体は教義ではなく体験だからな。教義主義者・戒律主義者にはそれが分からない。 >>477
ガチのキリスト教徒かな?
はっきり言うけどそれはただの「言い訳」。
三位一体なんてただの「理屈」なんだから理性で理解できるものであるはず。
でも誰が聞いても理解できない意味不明な思想にしたのは、
当時同じキリスト教徒間ですら認識がバラバラだった神の属性に関して、
全部『正解』にして解決しようとしただけ。
でないとせっかくローマ帝国でキリスト教が公認されたのに、深刻な分裂を生み出し兼ねなかったから。
そういう政治的な都合の結果の妥協の産物。
信仰でしか理解できないなんて、「逃げ」の理論でしかない >>432
>>442
こういうウゼえ鉄オタは二人一組にして、闘技場で殺し合いさせるべき 理屈じゃないぞ。神秘主義に属する体験を記録したものだぞ。
現代のキリスト教は神秘主義を排除してて、日本人もその視点で見てしまうから分かりづらいだろうけど。 中世に描かれてる王と女王と鳩の絵なんかも三位一体。 アリウス派(異端) 「イエス・キリストは人である」
ネストリウス派(異端) 「神のイエス・キリストと、人のイエス・キリストがいる」
アタナシウス派(正統) 「イエス・キリストは、神であると同時に、人でもある」 こんな論争で流血沙汰になり、キリスト教世界は分裂した。
預言者マホメットは、これを他山の石として、「アッラーのみが神である。預言者マホメットは人である」と明記し、信者に呪文のように唱えさせて刷り込んだ。
それでも結局、シーア派とスンニ派の大分裂を始め、イスラム教の枝分かれも防げなかったが。 ディオクレティアヌス大帝によって、再統一されたローマ帝国。あまりにも巨大すぎるがゆえに、常に分裂・崩壊の危機をはらんでいた。
コンスタンティヌス大帝は、「みんなでキリスト教を信仰することにより、大帝国を1つにまとめよう」と考えた (本心は違うのかもしれないが、そういうことになっている)。
しかし、アリウス派が流行したことにより、キリスト教は早くも分裂の危機を迎えた。
そこで、コンスタンティヌス大帝は、325年にニケーアで初の全地公会議を開催した。
ニケーアは、今でいうトルコの地、海峡をはさんでコンスタンティノープルの対岸近くにある。この時代のキリスト教の中心はコンスタンティノープルだった。
ここで、「ニケーア信条」が採択された。今でも、キリスト教の信仰の基礎とされている。 神性の流れる光を読んだ時の最初の感想は正直
「何これ、妄想の中で神とセックスする話?」だった >>484
マホメットの肖像を偶像崇拝とかで記載禁止にしたのは後世のミスだろうなあ >>483
こういう半端な知識で得々と連投する奴って何なんだろうね
アレイオス……イエスは神の言葉、神の子である。しかし造られた存在であり言わば下位の神である。イエスが人間になった云々はニカイア派と同じ。皇帝コンスタンティヌスに近いニコメディア主教エウセビオスも支持者であり皇帝に影響力を持った。
皇帝の主催のニカイア公会議で断罪されたが、帝国外のゴート人の宣教に成功して西ゴート王国では6世紀まで国教だった
サーサーン朝内のアッシリア教会もニカイア公会議を支持。
よくネット上ではアッシリア教会(景教)は三位一体派じゃないとかいうデタラメ吹聴する輩がいたりする
ネストリオス……イエス論ではニカイア派。しかしマリアをテオトコス(神を生んだもの)という呼び名に反対しクリストトコス(キリストを生んだもの)と呼ぶことを提唱。主にエジプトで猛反発が起きた。
第一回コンスタンティノープル公会議で断罪される。ニカイア公会議と第一回コンスタンティノープル公会議で定まった信条が現代に至るキリスト教のスタンダードとなる
アッシリア教会は第一回コンスタンティノープル公会議に反対しネストリオスを支持。ニカイア派は彼らにネストリウス派という蔑称をプレゼントし現代でも使う奴ら多い >>488
>ネストリオス……イエス論ではニカイア派
「ネストリウス派と正統派の教義解釈は、イエス・キリストの神性・人性に関しては、いうほど違いがあったわけではない」とは、よく言われるところだけど、さすがに、同じというわけではない。
違いがなかったら、あんなにモメるわけないだろ?
>ネストリオス
>しかしマリアをテオトコス(神を生んだもの)という呼び名に反対しクリストトコス(キリストを生んだもの)と呼ぶことを提唱
聖母マリアを神格化しないのが、ネストリウス派の大きな特徴のひとつだな。
「神の母」と呼ぶのはやめて、「キリストの母」と呼ぶことにした。 >>488
>アレイオス……イエスは神の言葉、神の子である。しかし造られた存在であり言わば下位の神である。
それを端的に要約すれば、「イエス・キリストは人である」ということになる。
だからといって、イエス・キリストの神性を真っ向から否定するわけではない。
その結果が、そういう微妙な表現になるわけだが。
どっちにしても、宗派の論争というのは、しょせん同じ宗教の内部の路線対立なのだから、部外者から見れば大きな違いがあるわけではない。
微妙な考え方の違いが、同じ宗教の中だからこそ許せないものになる。
例えは悪いが、右翼と左翼の間では暴力沙汰が起きないのに、左翼同士の内ゲバでは流血沙汰が多かったのと同じ、昔も今も変わらぬ人間の心理。 >>434
Japanは、一応「日本」という自称の漢語発音がもとだから、まったく勝手というわけでもない
よって、中国を日本人が「チョングオ」というのも他称ではない
これらは他称ではなく、他国語発音
「合衆国」も gassyukokuとの発音が勝手だとアメリカ人に言われたとしても、
USを合衆国と訳しました、ということだから全く他称ではなく、意訳
まったくの酷いのはスラブ諸語で、ドイツ人のことをネムツィ(言葉を知らない人たち)と呼んでいる >>488
>こういう半端な知識で得々と連投する奴って何なんだろうね
こればっかりは、知識というより、思想とか哲学に関するセンスの問題なんだよなあ。
たとえば、「イエスは神の言葉、神の子である。しかし造られた存在であり言わば下位の神である。・・・というわけで、マリアを神の母と呼ぶのはやめよう」という、アリウス派の主張。
たしかに、「イエス・キリストは神ではない。人間の預言者だ。人間を神様あつかいするなんて、お前らは神を冒涜している」とかなんとか、そこまでハッキリ言っているわけではない。
そこまでいくと、イスラム教になる。キリスト教でそこまで言う人はいない。そういう意味では、そこまで根本的な違いはないと言える。
でも、言ってることを端的に要約すれば、要するに、「イエス・キリストは神ではない(人である)」ということになるんだな。 >>489
神の母 はマリアの捉え方の問題なの?イエスを捉え方の問題かと思ってた。 >>493
「イエス・キリストは神ではない」というところから、「マリアは神の母ではない」ということになるわけだけど、実際の信仰生活においては、聖母マリア信仰に関して影響が大きい >>402,404
ロシア帝国やフランス王国は専制であって独裁やない
ソ連やフランス共和国革命政府は独裁であって専制やない
独裁と専制は別物やアホ >>496
ソビエト連邦は、ノーメンクラトゥーラという新たな赤い貴族階級を生み出した 独裁と言う語は一般的にはネガティブにしか捉えられてないしな そもそも明確に別れてる
専制の統治者は国民より身分が上で国民の意見を一切取り入れない政治
独裁の統治者は国民と身分は同じ、国民に選ばれ意見も尊重しなければならない所の強行政治 白人至上主義はいつから生まれたんだろう?
やっぱキリスト教的価値観で凝り固まった中世からか?血統を重んじるゲルマンの風習?
古代は人種よりも文明度で優劣を決めていた感じだし
文明人(ギリシャ人、ローマ人)と野蛮人(ゲルマン人)みたいな線引き >>491
スラブの語源が奴隷なのもアレだよな
フランク王国がアヴァールを破って多数のスラブ人を奴隷として連れ帰ったことが由来だっけ ■73人のDNAを一挙調査、遠くカフカス地方とのつながりも判明
古代の中東にいた「カナン人」は、古代イスラエル人に征服され、
歴史から姿を消した謎の民だ。「乳と蜜の流れる地」に住んでいた人々として聖書に描かれている。
そのカナン人のDNAを大規模に調べた最新の研究成果が、5月28日付の学術誌「Cell」に発表された。
研究の結果、カナン人の遺伝子は、現代に生きる多くのユダヤ人とアラブ人に受け継がれていることがわかった。
また、独特なカナン文化が築き上げられたのは、遠くカフカス山脈からやってきた移民がこの地に元々いた人々と結びついた結果だという。
カナン文化は、およそ紀元前3500年から前1200年まで続いた青銅器時代に、エジプトからメソポタミアにかけての地域で栄えた。
■73人のDNAを解析
研究チームは、イスラエルとヨルダンに点在するカナン人の遺跡5カ所で、約1500年間に埋葬された73人の骨からDNAを採取した。
さらに、以前に報告された、別の4カ所の遺跡から出土した20人のデータも調べた。
※省略
また、これら古代人と現代人のDNAを比較したところ、中東レバント地方(シリア、ヨルダン、イスラエルなどの地域)に住む現代アラブ人とユダヤ人の大半は、
DNAの半分以上が、カナン人ほかレバント、カフカス、イラン高原に住んでいた民族に由来することがわかった。 ローマでは、ゲルマン人の髪の毛で作った金髪のカツラが大人気だったらしい
当時はカラーコンタクトが無いから、青い目にするのは無理だか >>502
「白人」至上主義と言うのは白人が上でその他人種を下に見ると言うことで
上下関係作るには対象の人種とまず出会って意識しないと成り立たない
古代の文明人(ローマ人)は黒人を奴隷として徴用してたけど脅威にはなってないので眼中外
むしろローマ人は黄色系人種なので脅威であった白人のガリア人が差別対象
大分白人化・文明が広がった中世の頃もキリスト教か否かで分別してたけど
黒人は脅威にもなってない、フン族やモンゴル人が脅威で黄色人種に対して意識はするようになった
黒人が本格的に脅威になってきたのはアメリカの南北戦争の1800年代から
今の言葉と意味合いが一致するようになったのは完全にここから >>508
ローマ人が黄色系人種ってなんの根拠があって言ってるんだお前 肌が白ければ白色人種で肌が黒ければ黒色人種だと思ってるガイジってキッズなん?それともガチガイジなん? ペストの血腫が黒人の肌に似てて死のイメージがあったとか でも最近知ったのは、古代のエジプト人っててっきり肌が黒いだけのコーカソイドなのかと思いきや、
ネグロイドとコーカソイドの混合人種だろうって言われてるらしいね
肌の黒みは黒人に限りなく近いのに、それ以外はネグロイドっぽくないのはそういうことかと納得した >>515
エジプト王朝は初期〜中期まで、地中海人種が王族だったのが、分かってるよ 古代ローマは建国当初からおそらくいろんな色の肌の人がいただろうし
そんなことで差別してたら国が維持できなくなる
個人的にそこらへんは寛容だったかと思ってる 褐色を黒人と勘違いする人は
いつまでたってもいなくならないね クレオパトラ7世は黒人かどうか論争ってのがあったな ツタンカーメンは遺伝子ハプログループR1bでコーカソイドに分類される
まあ現地人と混血すると見た目じゃ分からなくなるだろうが 遺伝子なんか関係無い
母語がエジプト語ならエジプト人や
クレオパトラは母語がギリシア語やからギリシア人 しかもプトレマイオス朝の場合、通婚はほとんど近親婚またはギリシア人コミュニティ内で行われていたから、ほとんど混血してない そもそも古代人は人種的特徴に無頓着だしなぁ
古代の史家は異民族の社会制度には興味津々なくせに外見的特徴にはまるで触れない >>525
民族の成り立ち考えれば当然なんだけど、日本人は人種と民族を混同しすぎだしなあ
日本人が仮に同一人種だとしても、民族は複数あっても何らおかしくないし、逆に人種的には複数であっても、民族としては単一集団でも全くおかしくない >>526
>日本人は人種と民族を混同しすぎだしなあ
それ以前に国籍と民族を混同しとるわ エジプトもシュメルも黒海文明の末裔だから、支配階級はハプログループR系なんだよな。
世界最古の石造建築の農業文明は黒海大洪水で海中に沈み、その人たちが世界各地に散っていったと。
ブラックアフリカの農業発祥地チャド・ニジェールにハプログループRが多いのもそれで説明がつく。
シュメル人も黒海沿岸から農業文明を携えてイラクで都市国家を作った。
ノアの箱船神話は黒海大洪水の伝承、遠い記憶の話しの言い伝えだった。 >>525
人種差別とか人種主義といった外見上でのでの差別が顕在化するのは大航海時代以降だからな。
古代ローマの時代なんかは金髪碧眼はむしろ野蛮人というイメージだったし。 金髪カツラやパーマかけるのは、ローマオバハンのファッション >>519
戦前生まれのジジババとかフィリピンやタイ人は黒人で日本人は白人だと思ってる奴マジでいるぞ >>532
あれかなあ?
いまどきの東アジアの若者が、「黒髪は重厚すぎる」とか思って茶髪・金髪に染めたがる傾向に似てる?
今でも南欧の人には黒髪の人かなり多いけど ポリネシアンを中心としたオーストロネシア語族の人種的特徴を正しく理解している割合、あんまり高くないと思う、正直 >>533
戦前生まれのジジババのフィリピンやタイ人の認識は、「土人」
福沢諭吉は土人に黒人を含めていたようだね
東南アジア人に関する戦前の庶民の認識は「南洋の土人」というところだろうね 「○○で船が沈没して土人が死亡した」と放送したラジオのアナウンサーが原稿をよく見ると「十一人」の走り書きだった(縦書きね)という話もあるね >>404
フランス革命後も粛清や権力闘争続きで早速国が分裂するか他国介入で消えるかくらい弱体化してたが
良いタイミングでナポレオンが出現し国をまとめた >>543
そういう意味で
ナポレオンはスターリンの祖先や ディオクレティアヌスとコンスタンティヌスによりローマ帝国は延命した >>544
ナポレオンは、国内で恐怖政治が行われていたのを外に力を振り向けることで安定化させたという意味で、国内を恐怖政治でまとめ上げたスターリンとは完全に逆だ
国内の不平不満をまとめ上げて外に向けたという意味で、ヒトラーと比較するならまだ話の筋は通るがね
ただ、革命騒ぎで混乱し、軍事の専門家を失って軍の統制も失われつつあったが、実は革命フランス軍は対外的な戦争では
負けてないどころか押し返していたという事実もあったりする イタリア人の金髪の血筋は東ゴート、ランゴバルド、ヴァイキング由来かね アレクサンドロス3世、ハンニバル、カエサル、ナポレオン
古代3人、近代1人、中世は小粒な名将しかいないから仕方ないね! >>546
傭兵主体の各国軍に対して、フランスは国民軍の大規模運用が可能だったから強かった
そしてナポレオンという天才の登場でもう鬼に金棒の超絶チート無双状態ってわけよ Carolus Magnus (カロルス マグヌス)がラテン語式
Carlos Magno (カルロス マーニョ)って言ったら、それは現代ポルトガル語式
カタカナ書きだと r と l がごっちゃになりやすいのでご注意を >>556 訂正
Carlos Magno (カルロス マーニョ)って言ったら、それは現代ポルトガル語式
↓
Carlos Magno (カルロス マグノ)って言ったら、それは現代ポルトガル語式 >>554-557
全部”偉大なるカロルス”って意味だよな
ちなみにドイツ語ではカール・デア・グローセ (Karl der Grose)
英語ではフランス語訛りの音訳でシャーレメイン、またはチャールズ・ザ・グレート (Charles the Great)
イタリア語ではカルロ・マーニョ (Carlo Magno)
スペイン語ではカルロマグノ (Carlomagno)
トルコ語ではシャルルマン (?arlman)
日本語ではドイツ語の方を意訳してカール大帝と呼ばれてる
そういや最近ウェセックス王エグバートが出てくる海外ドラマ見たが、
昔カール大帝の宮廷で生活していたってことを英語で話す下りで
よく音声を聞いてみると、わざわざ英語名のチャールズ・ザ・グレートと呼ばず
フランス語発音のシャルルマーニュと呼んでいた
当時はまだ西フランク王国時代なんだけどね
古フランク語だとまた発音違うような気もするんだけど・・・ 西フランクなら古フランス語でも問題なし
ただ今のフランス語と違いラテン語と同じ発音だが ならおフランス語ていうより
ラテン語ガリア弁ていう感じか >>559
BBCの大河ドラマ「TUDOR」でも、ヘンリー八世はリチャード獅子心王を「リシャール・ド・プランタジュネ」と呼んでた 獅子心王はイングランド王だがフランス生まれフランス育ちだったので英語は殆ど喋れなかったのよね 英語が公用語なのに子供にフランス語の名前を付けるドイツ人が王族やってる変な国があるらしいな >>562
それ『The Tudors』の間違いじゃないか?
日本語版では『背徳の王冠』ってサブタイトル付いてたやつ
俺もそれは見たけど、ヘンリー8世がヘンリー八世はリチャード獅子心王を
「リシャール・ド・プランタジュネ」と呼称していたのは確認してなかったな
テューダー朝の頃には宮廷はフランス語から既に英語に置き換わってるだろうけど、
部分的にフランス語を使っていた可能性はあったってことか >>561
近いと言えばそんな感じ
俗ラテン語にフランク語の語彙が入ったのが古フランス語
単語にフランク語由来の物がちらほら >>10
桶狭間は兵力差8倍以上の劣勢を覆して勝利なんて戦国史上どころか日本史上で最大の番狂わせじゃね?
世界史上なら玉砕こそしたがアケメネス朝の大軍をスパルタの少数精鋭が退けたアレが文句なしの最強だな >>549
中世は小国同士の小競り合いばかりだからな
大規模な遠征は十字軍くらい >>568
百年戦争やイタリア戦争(フランスのイタリア侵攻)とかは、割と大規模な戦争だぞ
後者はルネサンス期なんで近世に片足突っ込んでるが >>549
イスラム世界だとやはりスレイマン大帝が最高クラスかね
ローマでいうトラヤヌス的な感じ
全盛期の大帝国の名君みたいな
獅子心王と死闘を演じたサラディンや
コンスタンティノープルを陥落させたメフメト2世も捨てがたいな ユスティニアヌスとホスロー1世
東ローマ帝国とササン朝は全盛期が重なる >>570
イスラム世界だと、ムハンマド本人が英雄的人生だったし、他にも第二代正統カリフのウマルとか、アッバース朝の初代アブー・アル・アッバースとか
モンゴル撃退したマムルーク朝のバイバルスとか、ムガール帝国初代のバーブルとか、色々英雄的な人物いるよ >>565
ヘンリー八世とフランソワ1世の会見の場面で、2人が「リシャール・ド・プランタジュネ」の話で盛り上がるところがあった >>565
>テューダー朝の頃には宮廷はフランス語から既に英語に置き換わってるだろうけど、
部分的にフランス語を使っていた可能性はあったってことか
テューダー朝ともなると、完全にイギリスの王朝
フランス色はもうない >>549
ハンニバルだけ、他の3人と並べるには異質ではないか? >>570
大征服者としては、ティムールが史上最強。
古代まで入れたら、ペルシャ帝国のキュロス2世。
全体的に、イスラム圏はヨーロッパより地理的なスケール感が大きく、大征服者が結構いる。
インドまで入れたら、ムガール帝国のバーブルとかも入る。
外的と戦った英雄としては、十字軍と戦ったヌールウッディーンやサラディン、十字軍とモンゴルを撃退したバイバルス。
大帝国の全盛期の皇帝なら、スレイマン大帝もそうだけど、やはり中世イスラム帝国のアブドゥル・マリクやハルン・アッラシードが、伝説的な人物だろう。
劇的な人生を送った英雄としては、アッバース朝に滅ぼされたウマイヤ家の生き残り、北アフリカに逃亡してスペインで「後ウマイヤ朝」を樹立したアブドゥル・ラフマーンがいる。 >>571
東ローマの全盛期はアナスタシウス1世
ユスティニアヌス1世の治世はペストの大流行で
帝国の人口が半減したという
ササン朝領ではペストが流行しなかったのだろうか? >>577
もちろん、ササン朝ペルシャも、ペストでかなりヤラレた
アラビア半島にまでは広がらなかったとされている 当時アラビア半島もササン朝領だったのでは?
アラビアの支配をめぐって
ササン朝とアクスムが争いササン朝が勝った
軍隊は疫病の運び屋になる事が多い アラビア半島は暑過ぎてペスト菌が死ぬんじゃない?
ローマ帝国は帝政初期にアラビア遠征やったけど暑さと水不足で撤退した
名古屋も夏は40度超えだからコロナウイルスは1匹残らず死滅するだろう 十字軍やべえだろ
あの鎧着て灼熱の砂漠を行軍とか
そら死人出まくりだわ >>581
十字軍の頃はまだ板金鎧じゃないし、イスラム側もスケールメイルとか着てるから特別厳しいわけでもないけどね
突然慣れない気候だから死にまくるわけだが >>580
14世紀の黒死病のときは、マムルーク朝エジプトも大きな被害を受けたが >>580
シンガポールではコロナウイルスが広がっている
冷房のせいだと言われているが 基本的に甲冑なんて自分の住んでる土地に合わせてるからな。攻め込む方は大変だ。 >>586
モンゴル兵の鎧は革製だったので
鎌倉武士の太刀でスパスパ斬られてしまったようだ
日本刀の切れ味は世界一
特に鎌倉以前の古刀は特にね
(今では技術的に製造不可能らしい) 倭寇に悩まされた明だが日本刀の劣化コピーである苗刀を作ってる >>588
これだけの重装備なら防御力高そうなんだが
実際は西欧の軍勢が束になっても軽装のオスマン騎兵に押されてるのよね ロリカ・セグメンタタは甲冑としての機能は高かったが
高価な上に頻繁なメンテナンスが必要であるなど、コスト面で問題があったせいか
実際に使用されたのは1世紀から2世紀までの間だけ アメリカ、イギリス、ドイツなどゲルマン系の国の方がローマ帝国の研究が盛んだったりする 支配の技術としての分割統治は、イギリスがローマのやり方を研究して悪魔的に発展させたよね… >>594
ドイツ人の、ギリシャ・ローマ文明への憧れは熱いものがある。
ヘーゲル、ニーチェ、ハイデガー、みんなギリシャ哲学に夢中だった
日本人の漢唐にかける思いは、これほどではない。
まあ、「わざわざ中国語を勉強して、中国式の発音で漢文を読んだ」というような荻生徂徠のエピソードなどを見ると、江戸時代の儒者はかなり熱い思いを寄せていたようだが 「現代のギリシャ人は、民族移動により、古代のギリシャ人とは人種が入れ替わっている」と言い出したのは、ドイツ人の学者だった イギリス人ほど歴史好きな国民は、他にいない。
イタリア人やギリシャ人みたいな、いい加減な人々とは、国民性がまったく異なる。
ローマ史の研究がイギリスで進んだのは当たり前。
かつては、中国史の研究では日本の歴史学会が圧倒的だったのと同じだ。
最近は、中国の歴史研究が急速に進んできたため、そうでもなくなったが 清代の北京語はかなり満州訛が入ってるからな
江南の方が古来の中国語の発音が残っているという >>597
南スラブがマケドニアを名乗るのは流石に失笑もんだわ >>599
日本式の発音で音読したほうが、きれいに韻を踏むくらいだな ギリシャ哲学はイスラム諸国でもかなり研究されてたがイル汗国のバクダッド虐殺で壊滅 >>602
エルサレムを東ローマ帝国から奪ったバチが当たったんや キリスト教徒ってイスラム教やユダヤ教などの異教徒よりも
異端とみなしたキリスト教内の他宗派に対しての方が容赦ない気がするわ 仏教だと日蓮宗がもっとも一神教的だな
法華経が至高の経典であり、日蓮宗以外は邪教邪宗という認識だからね 釈迦より日蓮のほうが偉くて、日蓮より池田大作がさらに偉い 異端は異教より憎し
って聞いたことあるけど、誰の言葉だっけ? >>608
>>604
右翼と左翼のあいだで暴力沙汰なんて聞いたことないけど、左翼同士の内ゲバでは流血が絶えないようなもんだな >>610
>右翼と左翼のあいだで暴力沙汰なんて聞いたことないけど、
独ソ戦もベトナム戦争も朝鮮戦争も干渉戦争も国共戦も知らんのか 本願寺を西と東に分けた徳川家康は政治的天才
東西本願寺は互いを憎みはじめて抗争し浄土教原理主義闘争どころではなくなった
そして一向宗ではなく浄土宗を浄土教の正統と定めて権威を剥奪してしまう
織田信長ですら出来なかった一向宗の弱体化をいとも簡単に実現してしまった 分断統治というとイギリスの十八番だが日本の徳川家康も大したものだ
さすが天下人になるだけあって並の権謀術数の持主ではなかったな 思想団体はイデオロギーへの執着が強ければ強いほど分断統治が効果を発揮する
アルカイダなんてのもアメリカがワザと異端派を育ててやれば良かったんじゃないのかな >>615
イスラム国は元々アルカイダからの分派らしいで 日本の左翼勢力も、共産党・立憲民主党・社会民主党・国民民主党と、分断されてバラバラ。
どれも支持率0%台〜3%台の泡沫政党になり、ほぼ無力化された >>611
右翼と左翼と言えば一つの国家内の勢力を指す
主義の違う国家の間の関係を右翼左翼と言ったりはしない >>619
その定義に従うとしても干渉戦争(赤軍vs白軍)と国共戦(国民党vs共産党)は国内やん
干渉戦争ていうくらいやから外国からの干渉は大きかったけど
白軍の主体はあくまでもロシアの白軍や 右翼と左翼の暴力沙汰を聞いたことがないというのは単にお前が無知なだけだろ… >>613
京都の東本願寺と西本願寺は近いのか遠いのか微妙な距離間だな
どちらも無料で入れるのはいいけど 左翼右翼の元祖のおフランス革命ですでに殺し合いしてる おフランスは中道が右翼左翼平等にギロチン送りにした後に自分もギロチンの露となっている >>620
ていうか>>610の言ってることって現代の民主主義社会での話やろ
物の例えにそう目くじら立てる必要ないで >>626
キリスト教の異端がどうのこうのていう話しから出てきてるんやから
少なくとも異端審問があった時代まで視野に入れての発言やろ 「右翼と左翼」の話は、たとえが良くなかったな
「日蓮宗と禅宗がケンカしたなど聞いたこともないが、同じ日蓮宗系の宗派では争いが絶えないのと同じ」とでも訂正する >>626
民主主義の元祖のおフランス革命で左右の血みどろの殺し合いやってるんやけど
民主主義は最初から虐殺殺し合いで始まってる そのチャンネルはチャンネル登録してあるから
その動画はもう観た >>596
そりゃ現在は儒教よりギリシャから連なるヨーロッパ近代思想の影響の方がが強いし >>635
論語の読者はどんな仏典より多いと思うが
しかし読まれてるのは論語だけ
尚書やら周礼やらを読む人はほとんどおらん カントの「純粋理性批判」とか、ヘーゲルの「精神現象学」なら、詠んだことはなくても名前くらいは知ってる人が多いだろう
それに比べて、朱子や王陽明はいくらなんでも消えすぎ 孫文は日本で庶民ですら論語の本を持っていることに驚愕したようだぜ 中国は儒教の国だけど
ガチで儒教を勉強していたのは儒学者と科挙の受験生などごく一部の人だけで
それ以外の人に関しての儒教の知識は日本人と同等かそれ未満だったと思う >>645
科挙の受験生=士大夫
で、宋代以降だと、その全員が儒学者という罠 ゲルマン人「ヒャッハー!略奪だー。聖書?ケツ拭く紙にもなりゃしねえwww」
最初から最後までローマ帝国に盾突いて、上のようなこと言いそうなのに、案外すんなりキリスト教化されてるのよね
教義論争で負けたアリウス派がまず布教に行ったようだが、
この頃のゲルマン人なんて蛮族そのものだから、異国の胡散臭い坊主なんて速攻で殺されそうな気がするけれど かたやノルド人たちは北欧の神々への信仰をなかなか捨てず、キリスト教化するまでかなり時間がかかった カール大帝もデンマークには手が出せなかった?
全盛期のフランク王国なら征服も可能だったろうけど >>645
まずは、「儒教」と「儒学」を区別することから初めてみよう
この2つを、完全に混同しているように見える 体操服&濃紺ブルマの濃紺と白の組み合わせが妙に興奮する理由は、
以前ネットで聞いた話によると、
「一つの説ですが、男性がブルマが好きなのはブルマは性の奴隷を連想させるからとあります。
ブルマ女子は男性に対して私は貴方の性の奴隷ですと意志表示をしているのです。
白は従順を意味します。ブルマの紺は陰毛の色を意味します。
つまり体操服にブルマは陰毛を曝け出し、性の奴隷になりますと意志表示をしているのです。
同系のコスチュームにメイド服があります。これも白と紺を基調としています。
但しメイド服はスカートで露出も少ないです。
ブルマはより露出度が高く、より性の奴隷としての従順性を示しています」
「ある著名な心理学者の学説では、白は従順や肌、濃紺は陰毛を連想されると言います。
ヒトは子孫繁栄の為には性的興奮にスイッチが入る必要があります。
全裸に陰毛のパターン認識で性的興奮にスイッチが入る様にDNAに組み込まれています。
体操服にブルマはそのパターン認識の形に近く、とりわけ性的興奮を引き起こすと報告されています。
但し、これは動物の中でもヒト、更に白人系のもととなります。種族によってパターン認識には違いは生じます。
黒人は体操服にブルマに対する性的興奮は低いとされています」
との事で、自分は妙に納得しましたw
どう思いますか? >>649
むしろ、デーン人のヴァイキングがなんであんなにイングランドばかり侵略してたのか?
・・・というのが昔から不思議で、 やはり、フランク王国という壁があったから、ドイツ・フランス方面には進出できなかったのだろう ただの思いつきだが、砦の有無や頑丈さが違ったとか。 儒学…明清代に科挙で生員になった者が入学する府・州・県に設立された学校 >>645
儒学経学は学問なので…
大衆のあいだでは民間信仰としての道教儒教が大きかったでしょうね >>649
あんたは儒教徒じゃなくて道教徒だよ
自分では儒教を信仰してるつもりだろうが
やってるのは道教だ 日本人にとって「儒教」とは、士族が勉強する学問なんだな。それは儒教というより、「儒学」。
民間信仰としての「儒教」は、ほとんど認識されていない。 中国・朝鮮では、儒教で葬式をやっている。
儒教は、何よりもまず、葬式宗教。
日本だと、これが仏式なので、宗教としての儒教を身近に感じる機会がない。
でも、日本の葬式や仏壇は、表面的には仏教だけど、実際にはやってることが儒教そのものだ。
インド人は、東アジア人ほど祖先を重視しない。先祖供養は、中国風、というより儒教風にアレンジされた仏教 キリスト教がゲルマン人に普及したのも、彼らの女神信仰に合わせて聖母マリア信仰をアレンジしたり、
ゲルマンの冬祭りに合わせてクリスマスを始めたり、徹底して現地化したことによる成果 昭和時代の「日本人論」では、「異国の宗教である仏教を、日本古来の神道と習合して受容した、日本人特有の異文化消化吸収力」がよく語られていたけど、それは無意味な議論だった
イラン人なんか、イスラム教を現地のゾロアスター教と習合して、ほとんど別の宗教に変えちゃってるんだが >>663
無意味では全くないさ
世界で普遍的に存在するものかどうかは、個別の地域の研究の比較でしかたどり着けない結論だからな 若干亀レスだが、セーヌ川を登ったノルマン人を撃退して名声を高めたのがユーグ・カペーの一族とかじゃなかったか 朝鮮ルーツの人って、キリスト教を名乗ってみたり、儒教を名乗ってみたり、そして日本の寺社仏閣が嫌いで、そして反自民党で親アジア反中国で、右翼も左翼も韓国北朝鮮の悪口絶対言わないから、すぐ分かるんだよね >>666
ユーグ・カペーは、ロベール家の出身
少し前の祖先が、パリを包囲したノルマン人を撃退して、西フランク王になった >>670
ロベール家の出身とか言われると庶流みたいな雰囲気になるが、直系どころか嫡流で、本人はロベールって称していたのではなかろうかね 各国の始まり
イタリア 774年 カルロ1世(カルロマーニョ大帝)即位
フランス 987年 ユーグ・カペー即位
イギリス 1066年 ノルマン・コンクエスト イタリアは東ゴート王国が滅んでからカヴールが統一するまでずっと分裂状態
スペインの元になったのはアストゥリアス王国だと明確に分かるが >>675
スペインの元はナバラのような気がする
アストゥリアスはナバラから別れたカスティーリャに滅ぼされてるし >>676
正確にはナヴァラ王国に占領されたのち、王位はカスティーリャ伯が継承して、カスティーリャ「王国」の王位の根拠となっている
ので、アストゥリアス王国こそスペインの源流と呼ばれる
なお、ナヴァラ王位はブルボン朝初代で元々ナヴァラ王だったアンリ4世によりフランス王位と統合されている カタルーニャはフランク王国に服属するスペイン辺境領が起源だな 【スイス】「ムーア人の頭」という名のチョコレート製菓が人種差別的とネットで炎上、スーパーで商品撤去へ
ムーア人=ベルベル人でホワイトアフリカだから黒人ちゃうけどね 中世の西欧人は商人で外国に行った人以外は
ライオンや黒人を生で見る機会がなかったんだろうね
(ローマ帝国の頃は見る機会もよくあっただろうけど)
江戸時代でも虎の絵がよく描かれているけど
あれも想像で描いてる 王侯貴族の紋章によくライオンが使われるけど
当時のヨーロッパ人でライオンを実際に目で見た人は殆どいなかっただろうな
クマの方がデカいし強そうで、普通に生息しているので見る機会も多かったろうに
紋章とかには全く使われていない 普通はいまアフリカ北部に居住するベルベル人を指す。
彼らはコーカソイド。
アラビアンナイト(千夜一夜物語)の美女はベルベル人の女性のイメージ。
ベルベル人の女性は実際に美人が多い。
衣装として男性は頭を布で覆うのでチョコレートはそれをイメージしたのだろう。
それからシェークスピアのオセロの主人公であるムーア人の将軍は黒人とイメージされてる、
ヨーロッパではヨーロッパ支配下のアフリカ人をムーア人とイメージしその言葉で指し示す人々は変遷したようだ。 カステラの故郷
カステリィーヤ地方はもう無い
豆な >>684
なんの豆だか知らんが、カスティーリャ地方みたいな呼称は別に使われてるからな
単にその名前の自治体がないだけ アラブ人、イラン人、ベルベル人は黒髪黒目になって日焼けしたイタリア人・スペイン人って感じ 西洋画で金髪碧眼に描かれるイエスだが
セムハム系だから実際は黒髪褐色肌のアラブ人のような外見だったと思われる イエスの絵って大抵髪の色、濃い目の茶色じゃないか?(´・ω・`) >>688
大工のアニキだからな。病んだ詩人のようでもない。
ガシッっと肩をつかんで救済を説いたりしてそうw 孔子も中国全土を旅したというからかなりのマッチョと推測されている
>>689
聖母マリアの肖像なんて、みんな金髪碧眼の白人顔 東洋で龍は水神として崇められているけど
西洋でドラゴンは悪魔の化身として恐れられている BS日テレで放送したスペインドラマ「イザベラ女王」では、世界遺産の
アルハンブラ宮殿で撮影していた。
イザベラ女王に滅亡させられたムーア人の最後のグラナダ王国を描いていた。
化学も数学も文学も発展していて毎日風呂に入る文明人として描かれていた。
スペインのキリスト教徒は風呂にも入らない粗野で野蛮な遅れた人間。
異端審問やユダヤ人やムーア人迫害とスペインの負の歴史も描いていて、レベルが高かった。 >>13
ラテン系は、黒人やインディオに産ませた子供でも自分の子と考えたが、
アングロサクソン人は、黒人奴隷が産んだ子は自分が父親でも奴隷として扱った。
この違いだろ。どちらも、セックスはしているよ。 >>694
西洋の水神はライオンで、シンガーポールなんかにはそれがよく現れてるけど、おもろいよな 龍と獅子やぞ ゲームで知った豆知識だが、古代の東地中海世界(ギリシャとかバルカン?)には
ライオンが生息していたらしいぞ
だから中世の西欧人も存在ぐらいは知ってておかしくなかった
ギリシャ経由で知っていたんだろう
なおクマは伝統的にロシアの象徴みたいに使われている
当のロシア人にもそういう意識はあるようだ
モスクワオリンピックのマスコットのミーシャとかな ヨーロッパじゃ古代はともかく中世だともうライオンは狩り尽くされて絶滅してるっしょ >>694
そもそもドラゴンの訳語を漢語由来の『龍』にしてるのは、本来間違いだと思うんだけどな・・・
似てるようで全然違う空想上の動物だろ
今じゃ東アジアを始め、欧米人の間でも同じ認識だが >>701
西欧のemperorと東洋の皇帝(天皇)は妥当かね?
海外の新聞見てると今でも天皇は英語でemperorと表記されているし
向こうも違和感なく受け入れているんだろう >>700
だから中世の西欧では恐らく知識「だけ」知ってたんだってば
空想上の動物みたいな感覚だったんだろうぜ
あとライオンは狩りつくされたんじゃなくて、
気候の変化で寒冷化が進んで地中海沿岸部には生息できなくなったんだろう
現在では北アフリカにもいない
ライオンの過去と現在の分布図を見てみれば分かるぞ >>701
ドラゴンは明らかに爬虫類だが、
竜は魚類なんかな >>703
それは俺も納得行っていない
本来それも妥当じゃないと思うがね
英語のemperorはラテン語のimperator(インペラトル)が由来だが、
これはローマ軍最高司令官に与えられる”インペリウム(命令権)を付与された者”という意味の称号で、
厳密に言うと役職名じゃない
帝政以降、結局このインペラトルが色んな役職を兼ねることで実質的な専制君主となった、というだけの話
政治を司っている要素はない。
しかも帝政初期は絶対君主ではないし、それ以降も中国の皇帝のような一元的な権力者とは違う
ある意味ロシアの皇帝がそれに近い存在だが、別に欧州各国の王との間に序列があるわけでもない
便宜上日本の天皇に対する訳語として使わざるを得ないんだろうが、本来は間違いであることは事実 >>705
もしかすると爬虫類をベースにして創った存在ではあるかもしれないが、
そもそも古代の中国人が爬虫類だとかそんな近代学的分類をしてるワケがない
爬虫類ベースであることで『龍』と『Dragon』を結びつけること自体、無意味 龍はヘビがベース、ドラゴンはトカゲがベースじゃない? emperorに用例を幾つか持たせたってだけの話では 日本語でもも一口に公とか皇帝とか帝国とか言うけど中身は細分化できるでしょう >>683
ベルベル人は遺伝子解析だとYハプロはE1b1b1b一色でスーダン人と父系先祖を共有するとみられている
一方母系のミトコンドリアハプロは在来のニグロ系のLが2割程度しかおらずH1やVとかUと言ったヨーロッパ系と入れ替わってる
南米のムラートと一緒で黒人と白人の混合人種
>>686
イラン人ってめっちゃ色白だけどな サルマタイやパルティアなどイラン系遊牧民が
鯉のぼりみたいなドラゴンの軍旗を使っていて
ローマ軍も使うようになったけど
これはカスピ海にチョウザメなんだろうな >>704
ヨーロッパのライオンは剣闘士の試合用に乱獲されて絶滅したようだ
ライオンも虎と同じく寒冷地の種は寒さに適応していた 日本が国際デビューした19世紀後半の帝国主義時代にはemperorは
「植民地化されていない独立国の君主」という意味でしかなかった >>697
ブリカスやっぱクソやわ
クロンボに襲撃されるのも残当 >>701
>>707
ウイグル人が漢語の龍をルーと読んで借用し、
これをペルシャ語のエジュデルと同一であると認識し、
それをトルコ人は西洋のドラゴンと同一であると認識した
ユーラシア大陸を股にかけた伝言ゲームの結果やで? >>695
イスラム教徒は、コーランの影響で入浴を重視している。
イタリア人も、おそらくその影響を受けてだろうが、よく風呂に入る。
風呂に入らないのは、フランス人の傾向 聖ゲオルギウスの竜退治の絵なんてちっちゃいトカゲに過ぎないわけだけど、あれ見て聖ゲオルギウスはすごいなぁとか中世人は思ったんかね
ショボいと思わんかったのかな マメンチサウルスの化石の発見は二十世紀になってから >>695
BRICSの一角のブラジル
かつてスペインと世界を二分したが、今では欧州最貧の旧宗主国ポルトガル
時の流れは残酷よね・・・ ササン朝滅亡後、中国やインドに逃れたイラン人も多かったようだ
イラン革命後に亡命したイラン人の子孫にダルビッシュがいる >>724
まあ、そうだけど、最近はブラジルの大統領が「日本と国民を総とっかえしたい。そしたら、ブラジルは素晴らしい国になる」と発言して、物議をかもしたりしている >>725
イラン人は優秀な民族だ
古来から定評があり、異論が出ない フレディマーキュリーがゾロアスター教徒の家の出だな ポルトガル人がインディオ女をレイポしまくってメスチーソが生まれ
そして後から黒人もアフリカから送られてきてそいつらとも混血して色々混ざった結果が
今のブラジル人 >>727
でもササン朝が滅亡してからパッとしないよね
イスラム帝国やセルジューク朝に支配されたり、モンゴルやティムールに征服されたり、
オスマン帝国に押されたり、英露に介入されたり >>730
農耕民族だからな
中国の北部と同じで、北アジアや中央アジアの騎馬民族の脅威にダイレクトにさらされる、厳しい位置にある >>706
ローマコインでは、アウグストゥスのaugで示されてるしね カルタゴ、ローマ帝国、西ゴート王国、後ウマイヤ朝
エジプトほどではないがスペインも外来政権ばっかだな イスラム帝国も、トップはアラビア人だが、行政機構はペルシャ人の文官なしには回らなかった
オスマン帝国もムガール帝国も、上層部はペルシャ文化に傾倒し、公用語はペルシャ語で、音楽・美術・文学・料理、みんなペルシャ風に変わってしまった。
奈良時代の日本人の、唐風文化への傾倒ぶりに比すべきものがある >>734
むしろ、南スペイン人にとっては、北からやってきたカスティーリャ人のほうが異質な征服者 >>735
アラブ人は都市民は商人で砂漠民は遊牧民やから
官僚なんかでけへん >>734
カタロニア人、アンダルシア人、バスク人、ガリシア人にとっては今も外来政権 モスリコ追放令によってイベリア半島のイスラム教徒は追い出され
モロッコやオスマン帝国に落ち延びた
残った連中はカトリックに改宗するか、それさえ拒んだものは処刑された >>740
モリスコな
ちょっと前にも同じ訂正をした記憶があるが、そんなに間違えやすいのか?
それとも同じ人なのか >>735
オスマン帝国もサファビー朝も「ファールス」を自称し、互いに相手をトルコ人って言ってたんたったっけか ポル・ポトかよwww
【英国】反人種差別活動家「エジプトのピラミッドは奴隷を働かせて造った建築物だから破壊しろ」と要求 エジプト人のほとんどは今でも自分たちをエジプト人とは呼ばない
外国人の前ではエジプト出身という意味でエジプト人と名乗るが、国内ではアラブ人と名乗る
なぜならエジプト人というのはコプト教徒の事だから エジプトの一般大衆のアイデンティティとしては自分らはアラブ人ということになっている
古代エジプトの末裔というアイデンティティを持ってるのはコプト教徒だけで、彼らは古代エジプトの言語を今でも細々と保存している
ヒエログリフ(エジプト古代文明の神聖文字)が読めるのは、コプト人が古代エジプトの言葉を保存していたから
遺伝子的な事柄はさておき、今のエジプト人のほとんどは古代エジプトの事を先祖の事績だとは思っていない エジプトの方言は、アラビア語の中でも独特で「ほとんど別の言語」と言われるくらいだけどな
小池百合子がカイロ大学で身につけたのも、そうなんだろう ヒエログリフはロゼッタストーンで解読されたんじゃないの? ペルシャもアラブに征服されてアラビア語になって
古代の大王の事績が書かれた石碑を読めなくなったんだっけ? そもそもエジプト国内にも辺境には非アフロアジア系の原住民いるからな >>750
お前は何を言っているのだ、頭大丈夫か?
と心配されるレベルの発言 >>751
そんなのきいたことないな
今の話?
何て言う民族? >>752
現代人の価値観で昔に生まれた宗教をカルト扱いするんじゃないよ
これでも当時は最もマトモだと思われてたんだからな
エジプトがイスラム化した理由は>>450-451参照 >>715
帝政初期のローマ皇帝たちがゲルマン人やスラブ人が皇帝を名乗ってるのを見たらどう思うんだろうな
永遠の都ローマがキリスト教の総本山になってることの方がショックかもしれんが 十字架に磔にされた裸のおっさんがご神体のカルトが世界最大の宗教になるなんて誰が予想できただろうな カトリックから独立したのがプロテスタントなんだから
教皇を知らないわけがないだろ プロテスタントっつうても教皇のローマ司教としての職権認める立場の宗派もあったりするからの >>763
中世だとカエサルはどういう扱いなんだろう?
キリスト教的価値観が浸透した後でもアレクサンドロスは英雄、トラヤヌスは名君とされたがな
コンスタンティヌスはキリスト教補正かかりまくりだが >>766
皇帝(カイザー)の称号として扱われている点でも推して知るべし(ローマ最大の英雄扱いされてることが多いな) >>766
ユリウス氏族の子孫を自称する貴族がいる位だから、それなり
元老院貴族にしても、シアグリウスのアフラニウス氏族が8世紀まで名門として勢力を築いていたから ???「千年以上家系図を遡れないと名門とは言えない」 現存するヨーロッパ最古の王室はデンマークだったりする >>727
日本人が一番周知してるイラン人の作った凄い製品はファイナルファンタジー3だな
ナーシャ・ジベリってイラン人のプログラマーがバグを利用して飛空艇を高速スクロールさせてたし
ナーシャ・ジベリ一人でファイナルファンタジー3を作ったわけではないにしても
ワンダースワンでファイナルファンタジー3を移植する事になった時に
飛空艇の高速スクロールを誰も再現できなくてリメイクがお蔵入りになったくらいだし >>766
アレクサンドロスやカエサルの遠征も、
キリスト教布教のための遠征ってことになってたのかな? >>771
シリコンバレーでも、イラン人のIT技術者やベンチャー起業家が大活躍している >>772
キリスト教はともかく、西洋偏重史観だと、「野蛮なオリエントに、高度なギリシャ・ローマ文明を広げました」ということになっている
とくにアレクサンドロスについては、そう信じている人が日本にも多い ローマ帝国の初期における大きな失敗は
トイトブルク森での敗戦とイエスを処刑して神にしてしまったことだな
ゲルマニアを完全征服して、イエスを生かしたままの世界線なら・・・ 景教は唐末の弾圧で消滅した
キリスト教系モンゴル人はムスリムモンゴル人とチベット仏教モンゴル人の間に埋もれて消滅した >>730
支配はしていないが同化はさせてるだろ? ちょうど隋唐なんかみたいに >>774
そんなことどこの誰が主張してるの?
森谷公俊とかいう奴とかその典型だが英雄史観にモノ申す的なスタイルで大王貶めるためなら
クルティウス・ルフスの大王伝とか資料性を疑わてるものすら平気で引用してコテンパンに叩くってのが
日本の史学者どもお得意の逆張り史観
で裏でアケメネス朝がギリシャの内乱を裏で糸引いてた都合の悪い部分は完全無視 >>779
裏からというより、陰に陽にあらゆる手段で分断し、籠絡し、混乱させようとしていたな まあよく「遊牧民族において女性の地位は比較的高かった」とか抜かしてる逆張り史観の学者っているよね
そりゃ部族にもよるだろ
ツングース系とかの遊牧民族の女性の地位が高かったとは到底思えないが ツングース諸部族のほとんどは狩猟採集民で遊牧民ではないけど 満洲人は遊牧民「も」いたが、古代ゲルマン人のような森の民で半農半牧の民族
古代高句麗の末裔でもある
愛新覚羅というのはキムの事だからな >>784
ツングース系は金に特別な価値があるから愛新覚羅氏やら金朝、後金朝につながるわけでな
朝鮮の金氏族との関係性も多分あるけど、かなり遠いぞ
なお、高句麗の王族は高氏だ(高仙芝は高句麗の王族出身) >>781
狩猟採集民は、一般に女性の地位が高いと言われているな
狩猟より採集のほうが稼ぎが安定していて、女性のほうが採集に向いているから >>766
トランプのカードだと、16世紀のフランスでは、カール大帝、アレキサンダー、カエサル、
ダビデとか
ただし他の絵札にはアキレウスとアーサー王を差し置いてヘクトールやランストットが登場しているから
必ずしもNo1が絵札だったとは限らないかもだが 拓跋部なんか女性の地位高かったってよく言われるけど、まあ儒教が浸透して生活が豊かになった宋以降と比べれば多少はねとなる ダンテの「神曲」では、チェーザレは天国のすごく高いところにいる
ブルートーとカッシオは、地獄の最下層に堕ちていた 16世紀フランスの古典、モンテーニュの「エセー」では、「史上最高の人物は誰か?」というテーマで、アレクサンドロスとカエサルが2大有力候補として比較されたあげく、「この2人は甲乙つけがたい」となっていた
なぜか、テーベのエパミノンダスが、この2人をさしおいて「史上最高の人物」に選ばれていたが フランス人がガリア人を祖先として称揚するようになったのは
19世紀半ばの民族主義時代からだからな
それ以前はむしろローマを文明の先達としていた
19世紀始めに書かれた『美味礼賛』ではローマを「美食の黄金時代」とし
ゲルマン人を質より量の蛮族どもとsageている >>792
今もフランスはガリカニスムと並行してローマ至上主義も厳然と存在するよ
フランスから見てドイツが「遅れた土地」扱いなのは多分にそのせい ルイ14世によるユグノー追放でフランスは自滅した
ユグノーが移住してきてドイツの方が発展した
ユグノーはラングドック出身者が多くて
ユグノーはローマ人の末裔
ローマ人が移住してきてドイツが発展した バルセロナで、スペインからの独立運動が盛んなのも、「自分たちの方が中華に近い」という意識が背景にある
例えは悪いが、韓国の反日と通じるものがある もっとも、現代の欧州人にとっての「中華」とは、ローマではなく、フランスを意味する
イギリス人にとっても、ドイツ人にとっても、スペイン人にとっても、フランスこそが中華 カタルーニャとラングドックが同じ民族なんだっけ
フランスとスペインに挟み撃ちにされたわけだ >>798
ほぼ同じ民族でも、ヨーロッパ大陸とイベリア半島に分かれて、峻険なピレネー山脈という自然国境がある
2つの国家に分断されたのは自然 広東省と北ベトナムも、「ほぼ同じような民族」とされている。
広東語は、北京語とは大きく異なり、ベトナム語とはよく似ている。
「広東省までは中国であり、北ベトナムからは中国ではない」という境界が最終的に固まったのは、18世紀の後半、清の乾隆帝のとき。
乾隆帝がベトナムに送った大軍が、暑さとゲリラ戦術にやられて大敗したとき、ついに中国は、ベトナムの「中国化」を断念した。 カスチラとポルトガル
ラングドイルとベルギーで
纏まった方がうまくいったのかも ドイツのケルンなどでは、「ケルンは、ローマの植民市から続く長い歴史と伝統があります。植民地を意味するコローニアが、ケルンの語源なのです」と、観光ガイドが誇らしげに語る
そんな地域が、もとは「ブランデンブルク辺境伯」だったプロイセン王国に征服されたのだから、心境は複雑だ >>711
このコメント通りとするとアフリカ人が南西地中海を征服したことがあるってことだな >>794
現代ではどうかなあ?
フランス人に中華意識があるのは、「自分たちの方がローマに近い」からというより、フランスこそが中華だと思っているからではないか? フランスこそが中華だと思っているだろうね
よりローマ的なラングドックを徹底的に征服したわけだし >>802
ブランデンブルクは東フランクですらなさそう フランスこそ中華、の根元がローマとその文化と法制度の後継者だって意識から来てるので、根強いのよ
まあ、イングランド人のオープンなローマ趣味とは趣は異なるがね どうしてローマ崩壊以後の欧州は中華帝国のような統一王朝が生まれず、あるいは生まれても短命に終わり、そのままウェストファリアへと至ってしまったのだろうか
ミクロ的な要因としてはフランク族の分割相続、マクロ的には、禅譲や放伐などの王朝交代思想が発達せずえんえん「ローマ帝国」というひとつの権威にしがみつかざるをえなかった、といったあたりが挙げられるか? 338 世界@名無史さん sage 2020/05/03(日) 20:05:31.53 0
ドイツの過半とデンマークはローマ帝国じゃないじゃん
「なぜ中華帝国は分裂しても再統合するのに、ローマ帝国は再統合できなかったのか」の答えは、イスラム勢力の侵入で地中海が安全な航路でなくなったから、だな。
その後地中海がそれなりの安定を取り戻した頃には、分裂が政治的文化的事実として固定されていた。旧ローマ帝国の北東部は、ドイツやイングランドやスカンジナビアとくっついて、
「ヨーロッパ世界」という新しい世界の一部になってしまった。
367 世界@名無史さん sage 2020/05/03(日) 21:20:17.89 0
>>343
イスラムの侵入によって地中海が封鎖されていた期間をどのくらいと見るかにもよるけど、アラゴン連合王国が成立した頃には既にレヴァント貿易が盛んな時期だし、封鎖が解けた後の安定〜興隆期だと思う。
言いたかったのは、イスラムによる地中海の封鎖が解けた頃にはもう、地中海世界の北西部、北東部と南部はそれぞれ別の道を歩み始めていた、ということなので。ピレンヌの主張もそういうことじゃないかな。 >>812
いや別にROMる程のことじゃないっしょ。これも一つの仮説だから、思うところがあれば突っ込んでよ
(д`* )
(⊃⌒*⌒⊂)
/_ノωヽ_) こういったテーマについてはローマ帝国の衰退と同様に
多くの要因が絡んだ複合的かつ長期的な現象なので
複数のセオリーをスリ合わせてどんどん融合させていくテンションでいいんだゾ 西漢や徳川幕府みたいなナンチャッテ封建制ならともかく
西欧はガチ封建制で放っておけばどんどん分裂していく世界やったからね
カール大帝とかが大帝国作っても長続きせずまたすぐ分裂していく >>813
ありがとう
ピレンヌの主張を考えるととても整合性があるように思う 結局カールが西ヨーロッパ世界を成立させ得たのもイスラームによる地中海世界の分断が前提だったという話だよね そもそも欧州とローマを一対一で結びつけるのが間違ってるんだな
>>814
これは確かにありそう 秦の法家の中央集権的な国家設計とそれを受け継いで全国単位まで拡大させた漢の功績はやはりデカイな __
/ \
/ ____
│___●│
| 〉 ノ ヽ|
(⌒|―[(ヽ][/]
丶| つ |
| __)
| 山
| / >>800
別に広東語とベトナム語は似てない
広東語にはタイ系の語彙があるがベトナム語はモン・クメール語族
漢字音も大きく違う
語順も同じではない >>781
>まあよく「遊牧民族において女性の地位は比較的高かった」とか抜かしてる逆張り史観の学者っているよね
イブン・バットゥータの「大旅行記」にも似たような話が出てくるな
中央アジアの遊牧民の間では女が尊ばれてるとかそういうレベルじゃなくて女が尊ばれる一方で男は奴隷のように自らの妻に仕えてると憤慨調に記している
>ツングース系とかの遊牧民族の女性の地位が高かったとは到底思えないが
ツングース系諸部族が女性を尊ぶという記述も間宮林蔵の「東韃地方紀行」にある
おおよそアムール川流域にすむすべての民族では女性は不可侵な存在と考えており如何なる法でも裁かれないと
これも決して好意的に記されているわけではなく間宮本人はバカにした調子で書いてる トナカイ遊牧するツングースも遊牧民に入れていいんか? ローマやヨーロッパが統一できなかったのが普通で、
中国がずっと統一してたのが異常ってことか? >>824
中国とペルシャは似ている
矢継ぎ早に王朝が交代して同じような範囲の支配を繰り返す
時折外来王朝の一部となるがその支配者層も土着化して同化していく
それに次ぐのが北インド
前者2地域ほど露骨ではないがやはり外来を含む王朝の交代が見られる
なぜかその傾向が消えたのがエジプト
紀元前には諸王朝が盛衰したが、ローマに併合されて以降は主体性が消失し常時大帝国の一部に
マムルーク朝やムハンマド・アリー朝もその支配域と支配者がエジプト地域から大きくはみ出している (実際には複数の王朝の交代である)東ローマ帝国が長続きし、それに次ぐオスマン帝国が覇を唱えたことを考えれば
アナトリア半島も統一王朝が交代する地域と考えられるかもしれない
すなわち
ヒッタイト帝国→分裂時代→リュディア→アケメネス朝ペルシャ→マケドニア→セレウコス朝シリア→ローマ帝国→オスマン帝国→トルコ共和国
という流れ スペインは割とあっさり植民地放棄してるけど、
ポルトガルは最後まで植民地に固執して身の丈に合わない軍事費で潰れてしまった。
ブラジルを失った時点で結構痛いけどね。
ソ連もアメリカと張り合って身の丈に合わない軍事費で自滅してしまった。 クルド人が自分の国を持てる日は来るんだろうか?
あのエリアはトルコ・イラン・サウジの強国に囲まれてるから無理ゲー過ぎるよね セーヴル条約ではクルドの独立も謳われていたという事実 今もトルコの匿名掲示板でアタテュルクを避難するとイスラーム神秘主義者かクルド人扱いされるようだ 日本における「在日かよw」みたいなニュアンスで >>825
プトレマイオス朝は
中国でいう元や清みたいな征服王朝だと思うが、
それ以降の国はすべてエジプトというものとは無関係に成立してるからな >>809
いやいや、16世紀以降のイタリアは、本当に欧州のド田舎だ
今でこそ、料理やファッションなどでフランスに次ぐ華やかなブランド国家のイメージになったけど、それは割と最近、ここ数十年のこと >>834
16世期ってヴェネツィア文化の最盛期で、欧州の富の1/3がヴェネツィアに集まるとか言われた時代だけど、何言ってんの?
18〜19世期のイタリアは確かに斜陽だが(それでも北イタリアは欧州の物流のハブではあった)
ハプスブルク統治下の状況が悪い なお、近代イタリアの欧州における復権は、毀誉褒貶ある二人の人物、ジャンニ・アニエリとベニト・ムソリー二がキーマンだったりするのが割と厄介
欧州航空産業の中心だった時代もあるのだ、紅の豚の少し前の時代だけども あと、そもそも欧州における「ローマ帝国の威光」ってのは、現実の都市ローマのことでなく、その文明の成果、建築であったり街道であったり、ローマ法であったり、そういうことを指すのであって、現実のイタリアが遅れてるとかそんなの何にも関係ない >>833
ファーティマ朝・アイユーブ朝・マムルーク朝とも、トップはエジプト土着系の人物ではないが、国家としては紛れもなくエジプトの王朝。
中国とは国家規模も違うし、「征服王朝」という位置付けにはなっていない。
エジプトとは、要するにナイル川下流の肥沃なデルタ地帯。
東アジアでいえば、長江下流の肥沃なデルタ地帯、「呉」に相当する存在だ。
「中国」は国というより文明圏なので、規模が違いすぎ、単純に比べるべきではない。 サラディンも、バイバルスも、「エジプト人」とは言えないが、エジプトに来てから出世して成り上がった人物。
エジプトを征服した人たちではない。 エジプトのっていうかカイロのやん
国家としてはとか主観でしか決めれへん事をとやかく言うん不毛やで
比較するなら数字を出してクレメンス 呉も、古代の春秋時代には独立国だったが、その後は楚に併合された。
その後は、統一王朝に併合されたり、南朝として独立したりを繰り返しつつ、だんだん「中華帝国の一部」になっていった。
エジプトと同じで、天下の穀倉地帯であり、北から来る支配者たちは、経済的にはここに依存しきっている。
放っておいてもらえることは、まず期待できない。 >>835
そういうなら、「17世紀以降のイタリアは・・・」に訂正する
以下は同じ 大帝国の一部になったことで交通路が整備されたり技術の発展によって再征服が容易になるみたいな要因もあるのだろうか?
だとしたらローマに街道を整備してもらったヨーロッパが却って分裂して戻らなくなった事が謎になってしまうが 1685年にジェノヴァ共和国がスペインに加担してフランスに敵対行為を働いたことでルイ14世が激怒、フランス艦隊がジェノヴァを砲撃して、ジェノヴァ共和国元首がベルサイユまで出向いて直接詫びを入れる屈辱を味あわされる、ということがあった。
しかしその時元首が着ていたベルベットの衣装がカッコいい!ということでフランス貴族の間でジェノヴァ産ベルベットが大流行、なんてこともあったり。文化的先進地としての余光はまだあった、ということかねえ。 >>843
そりゃそうだ
エジプトの古代王国なんて、まだ騎馬隊がなくて、優秀なマラソンランナーが最も有能な戦士だった時代。
ラムセス2世の頃に、ヒッタイトの鉄製武器が登場して、さんざんにヤラレた。
アケメネス朝ペルシャ帝国が「王の道」を整備したおかげで、エジプトを攻めるには便利になった。 >>845
17世紀後半は、まだオスマン帝国が最後のウィーン包囲をやって、そのときにコーヒーが欧州に伝わった、ていうような時代
地中海文明の威光は、沈みゆく夕陽のように最後の輝きを放っていた フランスは神聖ローマ帝国との対立からかオスマン帝国とは友好的だったな ベルサイユ宮殿に招かれたオスマン帝国の外交官が「たったこれだけ?」と拍子抜けした、というエピソードがあるほど、イスタンブールは凄かった
衰えたりとはいえ、まだまだ憧れの地。
それこそ、今の欧州みたいなものだろう >>843
アケメネス朝とプトレマイオス朝は
ともに陸路でカルタゴ遠征を試みたけど
リビアの砂漠で軍が遭難してしまった
その後ローマが北アフリカを支配整備した結果
アラブ軍が陸路で北アフリカを進撃して
さらにスペインに上陸する事が可能となった >>847
そういやエジプトに騎乗の技術が伝わったのっていつ頃かね? >>851
だろうな
リビアは海岸まで砂漠で、人が住むとこなんか、ほとんど無さそうだもんなあ >>852
馬というイメージは、本当に無い国
ロバには、古代から乗ってたみたいだが ラムセス2世の頃にはエジプト軍もメルカバを使っていた >>838
そのころのエジプト人は古代エジプト人の血統的子孫なだけで、
民族としてはほぼアラブ人だからね >>842
17世紀のヴェネツィアは、ヴィヴァルディを筆頭とするヴェネツィア楽派が欧州を席巻した時代
バロックの先端地として大いに栄える
また、バロックは北イタリアを発祥地としており、パリでは1世期ほど遅れて最盛期となった
17世紀も北イタリアは文化と経済の点で流行の先端地だったんだな
なお、ナポレオンによる占領とその後のハプスブルク統治により北イタリアは時代から取り残される
だから、イタリアが欧州の辺境と無理に呼ぶのなら18世紀から19世紀にかけてのお話
20世紀初頭には蘇る >>854
イスラム王朝になってからは、アイユーブ朝といいマムルーク朝といい、柔軟で高度な騎兵戦術こそお家芸みたいになるが
ありゃマムルークという騎兵専門の奴隷のおかげなのだろうかね >>858
16世紀前半のイタリア戦争で、すでに列強の角逐の場と化している。
1527年の帝国軍によるローマ掠奪で、ローマはまったく荒廃した。
17世紀ともなると、イギリス・フランス・オランダの国力が、もう圧倒的だ。
ヴェネツィアは、貿易の中心ではなくなり、ローカルな都市になってしまっている。
「イタリアが衰退したのは18世紀だ。17世紀はまだ衰退していない」というのは、どこでも見たことがない、ユニークな見解だ。
言われてみれば確かに、ヴィヴァルディもモンテヴェルディも、ジョヴァンニ・ガブリエリもいた。
18世紀に、モーツァルトはイタリア語でオペラを書き、後期の「魔笛」で初めてドイツ語にしたので、「ドイツの文化的自立を示す出来事」とも言われている。
イタリアの音楽と美術は、非常に優れているな。 でも、それも音楽に限った話ではないかな。
17世紀から18世紀にかけて、美術・文学・建築・料理、どれをとってもフランスの文化が圧倒的になってくる。 >>861
当該レスもう一回読んでみてほしいのだが
経済にはほぼ言及してない、だからその指摘にはほぼ意味がない(特に他国と比較しての相対的な経済力比較に関しては異論はない)
経済が先端地だった、というのはあくまで奢侈品等の生産や市民の経済レベルの高さに限った話で、経済力というマスの
話で言うならば、分裂していたイタリアは17世紀に競争から脱落している
ただ、芸術分野だと、音楽以外でもベルニーニの彫刻やらサンピエトロ大聖堂を代表するバロック建築の都となったローマやら音楽に限らず17世紀のイタリアはまだ没落していない
18世紀になると、この分野もほぼ沈黙するがね >>680
明らかに猫の絵になってるのが面白い
想像なりに努力してる >>681
古文書に出てくる由緒正しい脅威だからね
そう考えるとカバの紋章があってもいいw プロテスタントのように現実肯定的な宗教が生まれたらカトリックもローマ正教もイスラム教も太刀打ちできないわな
@ローマ時代の異教
→神々に祈って現世を強く生きろと教えた
A中世キリスト教
→神に祈って現世より来世を望めと教えた
Bプロテスタント
→来世の救済はもう決まっているから現世を強く生きろ
今でもカソリックやギリシア正教が中心の民族はこの世をあくせく生きる事に関心が薄い
そしてプロテスタントの国々はアメリカ的資本主義が好きな傾向がある
積み重なればプロテスタントの国々が圧倒的有利になるに決まっている >>863
そうだな、まだベルニーニがいた。
近代絵画の祖・カラヴァッジョがいた17世紀初頭の時点では、誰が見てもイタリアが美術の最先端だ。
そこから急にフランドルでバロック美術が全盛となるが、彼らもイタリア留学帰りが多かった >>866
それってプロテスタントじゃなくてカルヴァン派じゃない? 東ローマ帝国も国民に対して救済は既に決まってるから皆頑張って地中海貿易で儲けろ海外に植民地作ってこいと言えばイスラムには負けなかった >>870
塩野七生の歴史小説を見る限りでは、ヴェネツィアやジェノヴァには腕利きの船乗りが多くて、航海技術でとても敵わなかったようだが >>863
音楽用語は今でも世界的にイタリア語だな
現代軽音楽では英語式の音楽用語が使われることもわりと多いけど、世間一般誰にでも通じる用語にまではなってない
>>866
それでいてむしろ生活文化に関してはカトリック圏の方が現世肯定的で柔軟
プロテスタント圏の方が禁欲的になるという逆説
現代資本主義につながる金融体系や会計制度はどっちかといえば北イタリア(もちろんカトリック圏)から拡がっていったことを思えば
現代の無神論的な社会観・経済思想はプロテスタント思想の反転像にも近いか そりゃ西洋の音楽は讃美歌が発展したものだからカソリックのお膝元イタリアが強くて当たり前
プロテスタントは一般的に讃美歌よりも聖書重視だよ 音楽の主流はドイツ・オーストリアじゃね。イタリアなんて用語以外は不思議なくらい影が薄い。 >>875
日本のクラシック・ファンは、オペラを聴かない、交響曲がメインの人が多いので、そういうことになるだろうな >>825
王朝交替ならまずローマがそうやん
最初のユリウス・クラウディウス朝から最後のパレオロゴス朝まで
何十回王朝交替してんねん
ここローマのスレなんやからまずローマに言及しろよ モーツァルトの時代のウイーンのオペラハウスのブタカンなんて殆どイタリア系だからな >>834
すでに中世の半ばから、武具の最先端の産地としてミラノが有名だったんだけどね… 日本では音楽用語がイタリア語と英語の二本立てやからややこしい
一般的にはイタリア語やけど、ロックやポップスの世界ではそれが全部英語に変わってまう
統一しろよ 音楽の中心がイタリアからオーストリア、ドイツに移るのはバロック後の古典主義の頃、バッハに始まりベートーヴェン、モーツァルトに連なる天才たちが活躍した時代からだな
18世紀以降の話だ
なお、オペラはそれでも長らくイタリアがメインストリームだった >>877
そもそも帝政ローマは建前からして王と世襲が当たり前に予定されていない前提を無視すべきでない
そもそも王朝という用語もローマにおいては単にわかりやすくするために用いているに過ぎないし、指導者の血統が変わることなんて制度上の必然だ
建前無視して、ローマなんて王朝変わりまくりなんていうのは論点外しまくっている
ローマにおいて、統治の原理は血統ではない エジプトのマムルーク朝もそうだよね
実力主義の軍事政権の連なり ローマ帝国なんて途中からハプスブルグが独占してたじゃん >>881
日本の場合には、例えば「嬰ハ短調」とか「変ロ長調」といった、翻訳用語も多用されるね 北イタリアとフランスの優劣が話題となっているが、北イタリアがヨーロッパの
先端から転落したのは人材移動の観点からは17世紀中盤だと考えられている
16世紀のフランスは、北イに追いつこうと、欧州各地から外国人人材を招聘していたが、
文化人・銀行家・政治家などについての北イからの人材は、全招聘人材の40-50%に達していた
この事実は、北伊の文化力・経済力がヨーロッパでは圧倒的であったことを示している
これが17世紀初頭に30%を切り、17世紀末になると15%に低下した
ただし、フランス全体の招聘外国人数は17世紀に入っても増加し、ルイ13世の時代に頂点を迎え
ルイ14世になっても漸減した程度で、17世紀通して多くの外国人人材がフランスに招かれた
フランスは16世紀には軍事力では北イを凌駕していたが、経済文化ではまだ後塵を拝していたが
、このような多数の外国人人材を集めることで17世紀後半欧州随一の経済・文化的発展を遂げた
象徴的なのがフランソワ一世時代のダヴィンチとルイ14の初期の宰相マザラン(イタリア人)
有力イタリア人招聘はおおむねヴィンチに始まりマザランで終わった
そして17世紀後半からは、文字通りルイ14世の世紀としてフランスは隆盛を迎えることとなった >>885
他の選定侯に政治的に勝ったからね…
政略結婚とか ルイ14世の頃って日本で言うと国風文化みたいなもんでしょ?
それまでイタリアの物まねからようやく自国テイストのものを作れるようになったといだけ
そういえばフランスと言えば今ではフェンシング大国だけど17世紀時点ではもっぱらイタリア剣術のほうが格上としてもてはやれていて
熱心にイタリアに剣術留学に行くフランス貴族青年たちをモンテスキューが嘲笑気味に書き残していたりする バカにされてむかついてヴェルサイユ宮殿あそこまでにそつあったからな 中国やペルシャは前王朝の遺したインフラが再統一を促した様だが
なぜローマではそれが機能しなかった?
ゲルマン人はローマの一体何を破壊した? 中世の封建諸侯らが城塞を復活させた
ケルト人のオッピドゥムの跡に城を立てた
ローマはケルト人を平地へ移住させて
オッピドゥムの使用を禁止していた >>893
インフラなんかそれを維持するための財力と組織力と技術力が無かったら維持でけへん
中世欧州はしょせん封建制やからそんなん無理 ゲルマン人ではなくて、キリスト教じゃないかな。弱くてもいいのです、という宗教では、前向きな姿勢も上昇志向もスポイルされてしまう。 ローマ街道は欧州の森林の繁殖力に負けて埋もれていったから 中世の人達は文明が大きく後退している自覚ってあったのかな 「ローマ市民」の自負のある人はとっくに東に移住したやろし 異教は現世利益を求める
つまり現世で稼げる人、強い人、努力する人向けだった
中世キリスト教は来世の救済を求める
つまり現世で稼げる人、強い人、努力する人向きでなかった
ルネサンスで人間性回復の名の元に異教の思想が部分的に復活、そしてプロテスタントが出現して、現世努力を肯定し奨励する思想が出るまでヨーロッパは暗黒であった。 >>899
古代ローマの土木技術で建てた水道橋は、中世ヨーロッパ人にとっては、どうやって建てたのか分からないオーパーツだった 現世利益を求めるのは下等という謎の思想が蔓延っているけれども
現世利益というのは人生の努力に加勢をしてもらいたいという気持ちの現れなわけで
この世の努力を否定してしまったら社会が発展しなくなり人類の退化をもたらす
その実例が中世ヨーロッパだった >>903
いや さすがにこの理解は一面的過ぎないか?
西ローマが滅んで逆に勃興したイスラームが地中海を牛耳るようになり、ローマの思想・技術が失われ交易が後退したのが中世初期におけるいわゆる「暗黒」の最大要因でしょ
その状態を前進させたのは、まぎれもなく人口膨張と宗教的熱狂によって引き起こされた十字軍、レコンキスタだし、これらがインフラを整備させることで交易は回復したし、イスラームの先進的思想をヨーロッパに齎したことはルネッサンスに繋がる
その後、バルト海、北イタリア、それに挟まれたシャンパーニュは繁栄するし、その経済力がルネッサンスの背景にあったことは明らか
カトリックの弱者の倫理に全てを帰納するようなマクロすぎる認識では必ず齟齬をきたすと思う 結局のところ、中世の西欧で文明が退化した最大の理由は、古代の先進国であるギリシャ・シリア・エジプトその他と、
ローマ帝国の頃はダイレクトに連結し、収奪すらできる立場にいたが、帝国の崩壊後はその連結が切れて、一種の鎖国状態になってしまったことだ 現代の日本や中国も同じだ
鎖国して欧米との交流が絶たれればどうなるかは、北朝鮮を見ればよく分かる 上に出ている、「中世のカトリック教会の迷信的な教えが、西欧を停滞させた」という話も同じ
鎖国状態に置かれたおかげで、ギリシャの科学や哲学は、西欧に入ってこなくなってしまった。
おかげで、迷信や呪術がはびこる一方になった 確かに、一部の人々が言うように、グローバル化には弊害もある
だが、たとえ辛くとも、歯を食いしばって世界の主流に落伍せず付いていかなければ、たちまち未開の僻地になってしまう。
そのことを、中世ヨーロッパや、江戸時代の日本は教えてくれている >>911
ギリシアの国家である東ローマは、
「古代ギリシア人の言い回しや文体をそっくりそのままマネする」だけ、みたいになってたらしいな >>910
>欧米との交流が絶たれれば
中世のヨーロッパは欧米との交流が建たれたんか? >>917
ギリシャ・シリア・エジプトその他が、当時としては現代の欧米先進国に相当する 中世の西欧はどちらかといえば冷戦時代の東欧みたいなポジションだからな 中世ヨーロッパは、「大日本帝国が崩壊した後の北朝鮮」に似ている 中世後期に西欧が復興していく一方で
地中海世界が中世後期に崩壊してしまう
11世紀にスペインの後ウマイヤ朝が内乱で滅亡
スペインは古代から一気に中世になった
マグレブはファーティマ朝が移住させたベドウィンにより壊滅した
東ローマのアナトリアはトルコ人が移住してきて壊滅した アラブ人やギリシャ人にとって
暗黒時代は11世紀に始まった 中世の欧州はイスラム圏と交流絶たれていないし
コルドバ回教国やシチリア王国の文化レベルは高かった
理由は簡単でイスラム科学が許されているかいないかの違い
イベリア半島やシチリア島はフランスやイタリア本土に
比べて地理的にも環境的にもひどい場所だったのに豊かだった
つまり中世の貧しさは宗教が原因 >>924
シチリアが酷い場所ってお前
ローマの穀倉だぞシチリア >>924
南スペインやシチリア島がひどい場所なら、ギリシャや南イタリアもそうだろ シチリアの環境が酷いって話は労働環境の事だと思うぞ 確か共和政ローマ時代に初の奴隷反乱が起きたんだっけ?
それにシチリアは色々と宗教とかでも対立したりしてるしなぁ シチリアはローマ帝国時代はローマの乳母と呼ばれるような肥沃な穀倉地帯だけどな 古代のシチリアは確かに小麦の取れる豊かな土地だったけれども、人口は少なくそんなに発展しているような地域ではなかったよ。
シチリアが発展するのはイスラム政権時代で11世紀のパレルモの人口はなんと35万人。同時代のパリは人口2万。
ところがキリスト教支配に戻ると経済が急速に衰退して、14世紀のパレルモの人口は5万人となる。
イスラムの遺産に加えフリードリヒ2世という稀代の名君の統治の後なのにこの有り様だった。
以後シチリア島はヨーロッパの片田舎に転落して、最貧困地域として今に至る。 ローマとカルタゴが奪い合いしてたとは思えぬぐらいの没落っぷり 古代シラクサは人口45万人でギリシャ世界最大の都市だった 14世紀はペストの大流行
全世界的に人口が減少した 五賢帝の一人に数えられているネルウァだが
なんか大きな功績ある? >>938
トライアヌスにスムーズに政権を渡した
……15ヶ月でそれ以上のことできるわけねーだろ
ただ、おかげで当世の元老院や後世の評価は高い模様 >>938
古代ローマ人名に限って「ウァ」って表記使われてるのってなんなん?
”VA”を「ウァ」と転写する慣習の学派でもあんの? >>940
Uが当時は存在せず、Vで表してたからでは? >>940
歴史家があえて「ワ」ではなく「ウァ」としているのは、「WA」ではなく「VA」なんだってことを強調するため
当時の発音はあくまでも推測にすぎず、古代のネイティブスピーカーに聞いてみるわけにいかない。
本当は「ヴァ」と発音してたかもしれんしなあ 畑、峠、辻、笹、枠、込、躾、働、搾、鱈などの和製漢字(中国では使われていない) ローマ人にはゲルマン人の喋るWaがGva(グァ?グヴァ?)に聴こえたんで
ゲルマン系言語のW+母音がラテン系諸語形だとGu+母音になったって
どっかのスレで見たことある ヴォーダンをドダンと記録したりしてるから、ラテン語の正則におけるVはヴではなくウだろうな。 西ローマの崩壊を
東に住む人はどう思ってたんだろうか? 鼻ほじ
そもそも崩壊と思って無さそう
西ローマ皇帝の帝冠をオドアケルに返還されてからは
ゲルマン諸王が自分の代官として各地を治めているという認識なんじゃね? あくまで結果論だが、ユスティニアヌスはヴァンダル王国や東ゴート王国を攻めずに
ササン朝やアヴァールからの防衛戦に専念するのが正解だったの? >>951
結果論というか、
当時から見ても十分おかしい遠征だったと思う ニカの乱でユスティニアヌスが
退位していたのならば・・・
ベリサリウスはまさに無能な働き者よ ソワソン管区がシアグリウス王国と呼ばれるのと同じで東ゴート王国も実際には存在しない王国だけどな
東ゴート族は自治区すら持たずローマ人の文官にローマ法で支配されてローマに税金を払ってたのだから実態は西ローマ管区ゲルマン外人部隊なもん >>952
十字軍遠征によるエルサレム奪還も運によるところが大きいわ
イスラム側の内紛にかなり助けられてる ユスティニアヌス1世は西ローマ領征服に固執していたけど
近代で似たような例と言えばスターリンだな
スターリンは大艦巨砲主義に固執していた
スターリンは戦艦建造に反対する軍と党の幹部を抹殺した
スターリンは戦艦建造を妨害したナチス・ドイツを滅ぼした
スターリンは戦後も新たに戦艦を建造していたけど
彼が急死すると建造中の戦艦は残らずスクラップにされた
東ローマとソ連は違いは
ソ連は膨大な人口によりスターリンの我儘に持ち堪えたけど
東ローマのバルカン地方は人口が少ないので
ユスティニアヌス1世の我儘に持ち堪えられなかった 東ゴートは王国でなく東ゴート幕府だな
ユスティニアヌスは東ゴート人がアリウス派だから憎かっただけなのだろう
彼らをローマ教会に改宗させて皇帝に忠実な東ゴート騎士団に改組させた方が良かった >>949
3世紀の軍人皇帝時代だって、ガリア帝国が事実上の独立国だったからな
西が混乱してたのは、いつものことだろう 「オドアケルが皇帝を退位させて、西ローマ帝国を滅亡させた」というのは、わりと後付けの理屈
当時の人々の認識はそうでなかった可能性が高い >>957
宮廷風に育てられた東ゴート王家は呆気なく消えたけど
将軍のトティラ達が王になって抵抗し続ける事は
ユスティニアヌス1世にとって想定外だったようだ
東ゴートの王族さえ捕えれば征服完了だと楽観視していた >>960
20年に及ぶ泥沼のゴート戦争になり、ローマの荒廃にトドメを刺してしまったな スティリコが一番警戒してたのが東ローマ
ホノリウスはスティリコ殺して西ローマは蛮族ヒャッハー
結果、一番得したのが東ローマ
偶然か狙ってやったか難しいところ ユスティニアヌス1世と似た者同士なのがササン朝のホスロー2世
ホスロー2世も反乱で退位寸前だったけど運良く帝位を維持した
二人とも西方に強引に領土拡大して帝国に致命傷を与えた 対外戦果高く無ければ降ろされただろうからしかたない 東ローマのマウリキウス帝が助けなければ
ホスロー2世は廃位されてササン朝も
アルサケス朝のように滅んでいたはず
ミフラーン朝によりパルティアが復活するはずだった 普通にスティリコがアタナシオス派に改宗してれば良かった
でもそうしたら配下のゲルマン人が離反しただろうな
宗派対立でローマが滅んだと言って良い
アエギュプトスがイスラムに占領されたのもコスト教会の手引き
一神教という異論を許さない恐ろしい思想社会がローマ世界を破壊してしまった
異教のようにイデオロギーは後付けで好きに決めろという社会なら長く続いたろうに 一神教という接着剤がなければそれ以前に滅んでたんじゃないか? 支配する側からしたら、「皇帝は死後、有象無象の神様たちと同格になるよ」より「皇帝は、世界を創造した唯一神の地上における代理人だよ」の方がいいよなあ。 エドワード・ギボンはローマ帝国衰亡の原因をキリスト教だと言い切っている テオドシウス1世もスティリコもアエティウスもユスティヌス1世も
自分は軍人なのに後継者を軍人として育てなかった
ユスティニアヌス1世はホノリウスと同じく軍を指揮出来なかった
ユスティニアヌス1世は戦場を視察する事さえなく宮殿を出なかった
宮殿を出ようとしたのはニカの乱の時だけだった
ニカの乱でユスティニアヌス1世は船で亡命しようとしたけど
東ゴート王国に亡命したかもしれない
東ゴートの宮廷に亡命したら東ゴート王家は後継者に恵まれていなかったから
ユスティニアヌス1世が王に選ばれてさらに西ローマ皇帝になったかも
そうなると東ローマが攻めて来るからユスティニアヌス1世は
トティラ達に殺されただろうから皇帝に戻れても短期間だろうね もし東ゴートもあっさり占領出来ていたのなら今度は西ゴートやフランクにも攻め込んでいたのだろうか?
流石にそれは国力的に厳しいか トティラ達を手懐けて東ゴート軍が
東ローマ軍に加われば
さらに領土拡大出来ただろうね 中世以降は、
ヨーロッパ人は東も西も、
キリスト教を介してギリシアとローマに繋がっている 中世各地のドイツ騎士団の強さを見ればゲルマン人の強さは想像できる
東ゴート人がアタナシオス派で東ローマ配下の騎士団になっていたらペルシアもイスラムも蹴散らしていたはず
凄まじい相当な戦力になっただったろう
惜しいことに彼らはアリウス派だった 6世紀後半には鐙が普及していたからゴート騎兵の優位は低下した
かつては西方でゴート騎兵だけが鐙を使っていた
鐙が普及していない時代に鐙を使うゴート騎兵は
ランスチャージでは最強でフン帝国をも滅ぼした
イラン人やフン族など古代遊牧民は鐙を使わなかった
鐙が普及するとアラブ人に対するイラン人の優位が崩れて
アラブ人がイラン人を征服する事が可能となった
そしてアラブ軍は西ゴート軍にも勝利した ゲルマン民族大移動はウァレンス帝が
西ゴート族をバルカンに招き入れた事に始まるけど
ウァレンス帝は対ペルシャ戦に投入する為に
西ゴート族をローマ兵にしようとして招き入れた
鐙を使わないペルシャ騎兵を
鐙を使うゴート騎兵で撃破する事を目論んだようだ
当時のローマ騎兵も鐙を使わなかった ゲルマン人を同化できなかったのは、ゲルマン人が多すぎたせいか
文化的に異質すぎたせいか、その中でも宗派の違いが大きかったのか ゲルマン人だろうがローマ人だろうが
待遇が悪ければ反乱を起こす
ウァレンス帝はバルカンの西ゴート族に
充分な食糧を供給出来なかったので
飢えた西ゴート族が反乱を起こした
マウリキウス帝もバルカンの東ローマ兵に
充分な食糧を供給出来なかったので
飢えた東ローマ兵が反乱を起こした 蛮族って言われてたくらいだから当時のゲルマン人は野蛮だったんだろ
高福祉国家の北欧が昔はヴァイキングでとして荒らしまくってたんだし 古代ゲルマン人は城壁のある都市に住む習慣がなかった
ゲルマン人は敵に襲われると森や沼沢地に誘い込んで戦った
ローマの侵略もこの戦術で撃退していた
ゴート族は森林からウクライナの平原に移住したけど
森林にいた時と同じく集落に城壁がないままだったので
フン族に襲われるとゴート族は逃げ出す他なかった 今でこそ金髪碧眼は白人社会の最上位みたいにいわれるけど、
ローマの時代はむしろ逆に野蛮で荒っぽい田舎者として蔑まれてたからな。 >>983
ローマでは、ゲルマン人の金髪で作ったカツラが流行していた イスラム風の衣服が好まれて、
アラビア語を話せることがステータスの
イスラム期スペインでも
金髪碧眼のバスク人がかっこいいとされてたよ >>985
話が脱線だけど、バスク人てわりかしブロンド碧眼多いよね。
バスク系ブラジル人に会ったことあるけど、ポルトガル系の
ブラジル人とは顔立ちが違ってて南仏辺りにいるような少し
華奢な感じでダークブロンドに碧眼で面長の逆三角形の顔
してた。今でも一族がバスク地方に居ると言ってた。 建築じゃないかな
ゴシック様式の大聖堂とか今見ても度肝を抜かれる >>991
中世の写本はキチガイレベルで凝ってるのあるからな
一字一字ごとにいちいち装飾してあったり
宗教的な情熱と、他にやることが無くて暇でしようがなかったていう事情もあるやろな >>983
このスレじゃ散々既出だろうけど、特に女性の間で>>984のような出来事が流行していた
他にも染料で金髪風に染めたりな
それを詩人オウィディウスが「見苦しい」と嘆いていたりする
ローマ人の男性からはそこまで人気がなかったんだろうか。
あと売春宿での人気の娼婦も、スレンダーなラテン女が一番で
グラマラスなゲルマン女は二の次ぐらいだったようだ >>985
そもそもイスラム世界ですら金髪の女奴隷を好んだからな
サカーリバと呼ばれたスラヴ系の奴隷や西欧から売られてきた奴隷の内、
金髪白人女の奴隷は人気が高かった
ファーティマ朝のカリフ、ハーキムに至っては金髪の女奴隷とのハーフだったらしい
反対にアフリカから連行された黒人女の奴隷は『黒人は臭いので性奴隷には適さない』と評されていた
多分臭いだけじゃなくて見た目も人気がなかったんだろう
言っちゃあ悪いが、現代のアメリカでも恋愛市場で一番人気がない人種は、
女性の場合だと黒人だという結果が出ているくらいだしな
(ちなみに男性の場合はアジア系らしい)
あと、現代でもサウジアラビア人はアメリカ文化が大好きだが、
その理由の1つに金髪白人女性の憧れがあるからだと俺は思ってる。
どの人種でも、皆金髪が大好きなんだよ 典型的中世ヨーロッパではないけど、アイルランドの装飾写本も有名だよね オスマン帝国のカリフなんて、側室が軒並みヨーロッパ系だったから、血筋的にはほぼヨーロッパ人だった 中世近世のイスラム圏の上流階級は多かれ少なかれ欧州系の血が入っていたんだよな
ある程度の資産がある男たちは、こぞって側室に金髪の女奴隷を買い求めたから >>994
omgleとかChatrouletteとか海外のビデオチャットやってるとジャニーズや韓流アイドル好きって欧米のティーンの女の子よく見かけるけど
そもそも外国の人って〇〇人だから好きだとか〇〇人だからこうだみたいな考え方はほとんどしないのよね
これは欧米に限らず中東や東南アジアもそうでどの集団に属しているかよりその個人を見ますって感じ
日本人は数千年来島国で単一民族で凝り固まって暮らしてきたから仕方ないけど視野狭窄で杓子定規に考えがち このスレッドは1000を超えました。
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