モンゴル帝国とロシア帝国に勝利したのは日本だけ
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モンゴル帝国とロシア帝国に勝利したのは日本だけなのか? 中国がもうちょっと万里の長城を東に伸ばしてくれたら
人食い馬賊が半島から日本に流れ込まずに済んだのによ
てか、人食い馬賊が半島に入り込むように長城を作ったように見えなくもない
てか、天皇は人食い馬賊のくせに
皇居で稲作のマネすんなよ寄生虫 その日本ですら勝てなかったアメリカを撃退した
ベトナムは強すぎだろ
陳朝やチャンパ王国もモンゴルの侵攻を必死に
防いだし、ロシア帝国もクリミア戦争で負けたし >>9
いや、ベトナムの勝ちだろ
大国に負けないベトナムのしたたかな戦略
モンゴル、アメリカ、そして中国が敗れた強さの秘密に迫る
https://bunshun.jp/articles/-/3062 >>10
戦闘と戦争は違うからな
日本は中華民国相手の戦闘は連戦連勝だったが、戦争には負けた
米国のベトナム戦争も同じ >>10
そのベトナムを太平洋戦争時に占領していた日本はもっと凄い。
あとベトナムがモンゴルに勝てたのは日本のお陰だ。
1281年まで北ベトナムの陳朝と南ベトナムのチャンパーはモンゴル帝国の忠実な属国だった。
それが弘安の役でモンゴルの主力軍10万人が壊滅したのを見て反乱を起こしたんだよ。
日本がいなかったらベトナムはずっとモンゴルに征服されたまま。 >>14
何言ってるかと思ったら、
1887年〜1954年にかけて、インドシナ三国をまとめて統治していた
フランスは、もっと凄いだろ?
日本なんて、フランス本国がドイツにやられて、
ビシー政権のお墨付きを得て無血進駐しただけ。
英領ビルマやマレーの方は、日本が宣戦布告して占領したが、
英本国もかなり弱体化していた状態だからね。 >>8
陳朝の皇帝はモンゴルに対して臣従の使者を送った ヨーロッパと東アジアを陸続きにまとめた帝国は、モンゴルとロシアだけ >>15
おまえ馬鹿か
インドシナで、フランス軍は日本軍と戦闘して2000人近い死傷者を出してるぞ >>19
ドゴール亡命政府や、レジスタンスフランスに近い立場の軍人は、応戦してたね。
形の上では、ヴィシー政権の了承の下での進駐だけど。 >>20
フランス軍は日本軍と戦闘して2000人近い死傷者を出してんだから、
無血進駐しただけってのはデタラメだよな >>10
ベトナムが勝利した中共よりも、さらに大国だった大清帝国に勝利したのが日本軍 肥後の御家人竹崎季長は、蒙古襲来絵詞を地元の神社に奉納した >>23
ロシアがクリミア戦争でベトナムと戦って負けたんじゃなくて
ロシアも日露戦争以外に負ける戦争はあったんだって言ってる
だけだろw 武士たちが命がけの奮闘したのに
神風が彼らの手柄を横取りした >>25
ロシア帝国に勝った実績がないならスレチだな>>8 モンゴル軍はちゃんと台風の季節を避けて来てる。
6月に博多に侵攻したのに撃退され、その後2ヶ月間も日本軍の追撃から逃げ回っていたから
台風の季節になっちゃったんだよ。 >>28
風を読める人なら、南海上に台風がある時点で、
博多が台風の危険半円に入りそうなのか、風向きの変化で大体分かる。
北寄りの風がだんだん東寄りになってくるようなら、
台風が対馬海峡を通過する。やがて南風の暴風になる。
局地的な気象に通じていれば、船に火を放つときにも風上から効率的に燃やせる。 >>17
戦争には勝利するが、戦後の講和で中国のメンツを立てる。
それが、モンゴル帝国のフビライ、清の乾隆帝、中華人民共和国のケ小平に対して繰り返された、ベトナムの歴史的パターン。 アフガニスタンは、ソビエト連邦の侵攻を撃退したが、モンゴル帝国およびチャガタイ・ハン国には支配されている イランは、モンゴル帝国・イルハン国に支配された。
ロシアにも、メチャクチャやられた。「ソビエト連邦イラン共和国」になる寸前で、アメリカに救われた。 >>33
ベトナムは完全にモンゴルの属国化してる。
元の役人がベトナム朝廷に派遣されて、ベトナムごとき蛮族の王より地位が上だと主張しても
誰も逆らえない状態だった。
日本が元寇でモンゴル主力軍を壊滅させたお陰でベトナムは独立できたんだよ。 ポーランドはモンゴルの2回目の襲来を撃退して
モスクワ陥落させてるから条件的にはクリアしてるな ポーランドなんて何度もロシアに分割されてる時点で論外だろ >>8
ベトナムにはフランスの植民地になった時期があったけど、
日本が他国、特に西欧列強の植民地になったことは全くない。 ポーランドは、17世紀まではロシアを侵略する側だったからな ポーランドは1万人のモンゴル軍に国土蹂躙されて国王戦死してるんだから世界基準では雑魚 >>37
モンゴルにも明にも清にもそういう状況だった朝鮮は19世紀末にガチに日本のおかげで独立したけれど、
王様がバカでロシアに国を売ろうとした 20 :世界@名無史さん:2020/05/31(日) 15:04:04.89 ID:ULV7ItA0i
ベトナム(陳朝)はモンゴルを3度撃退したって言われるけど、
1度目の侵攻に関しては撃退したと呼べるのか、かなり怪しいんだよなぁ。
元側の歴史書では、陳王が降伏してきた後に撤退したと記録されているんだよね。
その後の陳朝は、しっかりとモンゴルの属国化しているし。
1次侵攻に関して日本の学者はどんな解釈してるのかな。 >>44
その半世紀後の侵入じゃ撃退してるからいいだろ >>49
清国が李氏朝鮮に攻め入って漢城占領したのと同じような流れだな。 アッバース朝の残党を追うモンゴル帝国フレグ配下の軍勢と、
庇ってるバフリーマムルーク政権のバイバルスの軍勢とで、
バイバルス勝ってるよね? バフリーマムルークの支配域はエジプト〜シリア〜ヒジャズ
フレグの支配域はアナトリア東部〜メソポタミア〜ザカフカース〜ペルシャ
ロシアの勢力はまだカフカスに到達していない時期
って、ロシアが帝国を称するのは、15世紀半ばの「第三のローマ」からでしょうに。 >>32
日本海に面してるのにモンゴルにボロ負けしたミジメな弱小国がチョン半島にあったな >>32
東シナ海に面してるのにモンゴルにボロ負けしたミジメなチャンコロ国が支那にあったな そもそもモンゴル帝国とロシア帝国と600年以上もの時代を継続した国家自体が稀なんじゃないか?
まして戦争をして勝ち負けを争う、なんてさらに条件厳しい。 >>60
首都からトンズラした高麗王が江華島に引きこもったんで、モンゴル軍は南部全域で掠奪しまくったんだよな 偉い人が真っ先に逃げるというのは、民族性なんだろうなあw
沈没船セマウル号の船長とか、広島空港で墜落したアシアナ機の機長とか。 日露戦争前にロシアへ逃げ込んだチョン王を忘れんなよ ベトナムはモンゴル アメリカ コロナに勝ってるな
元寇は神風じゃないみたいね 弓の技術が高くて相手の司令官射抜いたから撤退した その途中海が荒れた 俺は中道だが日露戦争は完勝だったらしいな
イギリスの船も性能が良かった これが最後の戦艦同士の戦争 これ以降は潜水艦と飛行機が主役 >>65
陳朝はモンゴルに対して臣従の使者を送った >>66
第三国の仲介で停戦処理しているじてんで完勝ではないでしょ? 完勝ったら、白旗振る敵さんをこっちに呼びつけて、取ろうとしたもの全部取っての、勝ちでしょうに。
いうたら、日清戦争は完勝だな。
アメリカに泣き入れた時点では、まだドンパチやってたんだよ。賠償金とれず、進軍したところまではなんとか獲るで手打にしてもにった、
判定勝ちの辛勝でしかないじゃないか。
煎じ賠償金と獲れず、戦勝したのに増税だぜ。 上手い日本語で、日清戦争、なんで完勝なのか説明してくれ >>70
ロシアと戦争したのは賠償金獲得が目的じゃないんだけど そもそもモンゴル帝国とロシア帝国双方と交戦したのって日本の他にはポーランドぐらいじゃね?イスラムはマムルークからオスマンに代わってるし、中国では、モンゴルと戦った宋とネルチンスクで条約調印した清って全く別物だろ? モンゴル帝国と交戦したポーランド王国はもう存在しない プロイセン王国とロシア帝国に分割されるまでは存続していたし、モンゴル帝国からロシア帝国まで存続したんだから、大したもんだと思うんだが。 清はモンゴルに勝ったが、17世紀のモンゴルを13世紀、ポーランドや日本が戦った「モンゴル帝国」と同一視は難しいと思う。 ジュンガルやカルムイクは部族としては存在していたが、国家を形成して継続していた、というには難がある。
ドイツ騎士団が間接的にポーランド王ヘンリクの下で戦って大敗したり、モンゴル傘下のネフスキー公相手にボロ負けしているが、
このころのドイツ騎士団を「国家」と見做していいのか、というとこれも微妙。
結局、モンゴル帝国の時代からロシア帝国の時代を延々と国家を継続させる、というところでかなりハードルが高い。 ひょっとして77は、清はモンゴルに滅ぼされた女真族の金王朝の継承国を称した、という意味なのか? >>79
グシ・ハーン政権とか立派な国家だろ。
今の地名でいうと、モンゴル国の西半分、青海省、チベット、四川省の西半分、新疆、オルドス、カザフスタン国の東三分の一くらいを支配域にしていた結構大きな統治機構だったろ。 >>80
清は北元のリンダン汗を敗死させてモンゴル帝国大汗玉璽を奪取しているだろ。
モンゴル帝国に対して勝利してんじゃん。 ジュンガルの国家形成は18世紀になってからで、
”モンゴル帝国”の時代にはホラズムがモンゴルに滅ぼされたのであって
ジュンガル国家はまだ登場していないと思ったが。 北元をヨーロッパ遠征したりバグダッドを陥落させたモンゴル帝国と同等と見做せばそう言えるが、
13世紀から18世紀まで国家を継続させてきてモンゴル・ロシアと時代の異なる”帝国”を相手にして戦う、
というのとは意味が異なる。 最後の100年間くらいは領土がコンスタンティノポリスの街一つだけになっても、「東ローマ帝国」だったじゃないか。 エジプトやガリアを征服しているローマ帝国と戦うのと、
ビザンチウムの街だけのローマ帝国を相手にして戦うのとでは全然意味合いが違う。 >>86
版図が拡大したり縮小したり、国家発祥の地やら建国当時や最盛期の首府を失って建国当時には持っていなかった土地に領域が移動したり
というようなことは、珍しいことではありませんよ? モンゴル帝国〜ロシア帝国とランドパワーの担い手が代わっても
国家をこの期間を存続させて、この2帝国を相手に戦った、
と言えるのは日本とポーランドしか思いつかない。
ドイツはモンゴルがヨーロッパに攻め入った頃はまだ騎士団領で国家にはなっていない。 >>52
キプチャク族のバイバルスは、モンゴルに支配された故郷のキプチャク草原をモンゴルから取り返すことができなかった そのマムルークは、モンゴル軍に捕まって売り飛ばされた奴隷だからな マムルークは奴隷じゃないからな。
古代や中世の感覚なら、自前の生産財を持たず、参政権が無いのは、奴隷だろうけど
俸給と引換に、忠誠と勤労。奉公人のようなものだな。今の感覚で近いものは、雇われ人だしな。 キプチャク族のバイバルスは、モンゴル軍に侵略されたキプチャク草原を取り返すことができなかった負け犬だからな
日本は、モンゴル軍に侵略された対馬を取り返すことができた完全勝者 北コーカスの仲介屋が連れてきたけれども、何族かはハッキリしないでよ ポーランドは寧ろモンゴル系のクリミア汗国と組んでモスクワを凹しているし、
ドイツ騎士団との闘いでもクリミア汗国からの援軍で勝利している。 地図で見るとやたらでかいけど ロシアはそこまで大きくないらしいな 中国と変わらない でオーストラリアは実際かなりデカイ 実は日本も結構でかい アメリカの東海岸くらいの長さがある イングランドはヘンリー八世の時代にエンパイア宣言したからその頃から帝国? 全く名前が上がらないけどジョチ・ウルスと欧州の間で壁の役割果たしてたのはリトアニア 夷を以て夷を制すが成功した、稀有な例だよな。
モンゴルを退けるに一番貢献したのは、リプカ・タタールの騎兵団。
部族丸ごと亡命し来た反モンゴル帝国のトルコ系遊牧民を、族長を貴族待遇で受け入れて騎馬兵団として国防の任を負わせる
ってやったのに、国を乗っ取られていない。
遊牧民騎馬兵団を取り込んだところは、大抵、軒を貸して母屋を取られる状態になってるでよ。 >>75
分割されてもその度復活してるけど、同一性ってないの? >>104
その分割された国々はもう消滅してしまってるだろ エジプトのバイバルスはなんでモンゴル軍に勝てたの? 陸続きの地政学的条件下でモンゴル帝国の時代からロシア帝国の時代まで存続したポーランド王国はなかなか凄い。 >>106
オゴデイ・カアンの訃報によってモンゴル遠征軍の主力が帰還した後だから >>108
オゴタイの死亡とバイバルスの台頭は30年くらい違いだろ >>107
陸続きの国に攻め込むのって大変だよ。
海とか大河とか水運が使える環境じゃないと兵站が維持できない。
ロシアとポーランドの間は使える河が無くてナポレオンも失敗した。
日本に14万人の大軍で攻め込んだモンゴル帝国がポーランドには1万人の遠征軍しか
送り込めなかったのには理由があるってこと。 弘安の役
日本…動員数4万(所説あり)、損害数不明(それ程多くは無いらしい)
モンゴル…動員数10万+5万人、損害数14万
これ、ひょっとして歴史的にみてもキルレシオやばくね? 正面からまともにぶつかって勝てるのは島津義弘くらいじゃないの。 ベトナムもモンゴルに勝ったらしいが与えた損害はどんなものだったんだろ >>110
バルト海、フィンランド湾を経由して川に入っていけばいいんじゃないの?
もしくは、ドナウ川かドニエプル川から黒海へ出て、アゾフ海→ドン川、ドン川水系とボルガ川水系の一番接しているところが50キロくらいだから、そこを確保していると
モスクワまで河で攻め上れるね。 元寇の話だけどさ、現代でも上陸作戦というのはなかなか難しいものじゃん?
中世ならなおさらじゃね? >>116
ウマイヤ王朝がユーフラテス川越えてペルシャを獲ったりジブラルタル海峡超えてイベリア獲ったのも、
イングランドを次々とアングロサクソン諸族・デンマーク・ノルマン公が攻め獲ったのも、
ブルガリア人が黒海の北あたりからボルガ川・ドン川・ドニエプル川・ドニエストル川・ドナウ川を次々に超えて南バルカンに陣取るようになったのも、
ペルシャのティムール裔はぐれ王族の一人がインダス川を越えてインドを攻め取ってムガル朝インド帝国を興したのも、
ダーダネルス海峡の両岸がオスマン帝国領になったのも
中世の出来事じゃないんかい? 色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103)
●色川高志「高添沼田の息子の金属バット集団殴打撲殺を熱望します」
龍神連合五代目総長・高添沼田の息子(葛飾区青戸6−26−6)の挑発
●高添沼田の息子「糞関東連合文句があったらいつでも俺様を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 糞関東連合の見立・石元・伊藤リオンの糞野郎どもは
龍神連合五代目総長の俺様がぶちのめしてやるぜっ!! 賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」(挑戦状)
492盗聴盗撮犯罪者色川高志(青戸6−23−21ハイツニュー青戸1032021/02/03(水) 13:53:22.55ID:QtP78E4Z
●青戸六丁目被害者住民一同「盗聴盗撮犯罪者の高添沼田ハゲエロ老義父の逮捕を要請します」
長木親父&長木よしあき(盗聴盗撮犯罪者の高添沼田ハゲエロ老義父を逮捕に追い込む会&被害者の会会長)住所=東京都葛飾区青戸6−23−20
●盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父
高添沼田ハゲエロ老義父の住所=東京都葛飾区青戸6−26−6
【通報先】亀有警察署=東京都葛飾区新宿4ー22ー19 рO3ー3607ー0110
盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父の盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/愛人変態メス豚家畜清水婆婆(青戸6−23−19)の
五十路後半強制脱糞
http://img.erogazou-pinkline.com/img/2169/scatology_anal_injection-2169-027.jpg
アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父によりバスタブで清水婆婆の巨尻の肛門にシャワーのキャップをはずしてずっぽり挿入。
そして、大量浣腸。 勢い良く噴出!腸内洗浄状態です。 デリースルタン王朝(インド)もモンゴルに勝ったんじゃなかったっけ? ジュンガル帝国はザバイカルを越えてモンゴル草原に進攻
首都カラコルムは陥落して後元(ハルハ部)のハーンが1688年に清へ亡命
テムジン(厳密にはモンケ)以来の大元ウルスは歴史から姿を消した >>122
超えてるからザバイカルなんだろ?
なんでザバイカルを超えるんだよ? 広いのもあって敵多すぎなのよね生粋の戦闘国家
ロシアとトルコの関係は今日、最良とは言い難い。しかし両国の関係は、これまでも決してなだらかではなかった。
ロシアはオスマン帝国と241年間で12回の戦争を戦っている。平均して19年ごとに露土戦争が起きている計算になる。
スウェーデンとの場合
戦争の回数:16世紀半ばから19世紀初めまでに10回
ポーランド
戦争の回数:1018 年から1939年まで10回
ほかにドイツを挙げることができる。両国間には、3つの大きな戦争が起き、うち2つは世界大戦だった。
ロシア帝国は、フランスとも4度戦っている(1798〜1800年のフランス革命戦争、1805〜1807年に戦われた一連のナポレオン戦争〈アウステルリッツ、アイラウ、フリートラントの戦いなど〉、
1812年の祖国戦争〈ナポレオンのロシア遠征〉とそれに続く「諸国民の戦い」、そしてクリミア戦争)。
日本とも、日露戦争、シベリア出兵、日ソ国境戦争、第二次世界大戦と、4度戦い、中国とも3度の軍事紛争を経験している。
ロシアの哲学者イワン・イリインはこう書いている。「歴史家セルゲイ・ソロヴィヨフが数え上げたところによると、1240年〜1462年(222年間)に200回の戦争および他国への侵攻が起きている。
14世紀から20世紀にかけての525年間では、うち329年間が戦争だったとスホチンは数えている。つまりロシアは、その歴史の三分の二は戦っていたことになる」
https://jp.rbth.com/history/79161-roshia-senso 督戦隊はモンゴルから来たもの
ソ連時代に督戦隊と呼ばれる独特の特殊な部隊があった。
督戦隊の目的は自軍部隊を後方より監視し、もしその部隊が戦闘から逃亡
するようなことがあれば攻撃を加え、強制的に戦闘を続行させる部隊らしい。
ノモンハンの日本側戦記を読むとソ連の装甲車が先ず日本軍陣地に突っ込んできて
その後方にBT戦車が日本軍陣地には距離を置いて日本軍陣地を砲撃せず逃げようとする
ソ連装甲車に砲撃を加えたりしたという記述があるらしい。
本来このような「督戦システム」は11~12世紀ユーラシア大陸を制覇したモンゴル軍の
異民族への督戦(一族の人質を捕り異民族部隊の前線投入又は全滅予定部署への配置)が始まり
のようだが何故20世紀の共産党が支配するソ連軍に蘇ったのだろうか?
モンゴル軍は一応異民族に対し「督戦」を行ったがソ連は自国民に向かって行った。
科学的共産主義は人間性の尊重から生まれたと聞くががどうも「非人間的」であり
「物質的」である。
人間を物としてあつかったのが「共産主義が表看板」の独裁者スターリンであった。
レーニンはボロがあまり出てないが長生きすればスターリンもウクライナ等で同じ事を
したと思う。
尚、非人道的なこの「督戦システム」はソ連をまねたのか中国の蒋介石率いる国民党軍や
毛沢東率いる中国赤軍(八路軍)も採用している。
中国赤軍はこの督戦システムで朝鮮戦争では世界一の米軍相手に小銃、(一部自動小銃)
手榴弾、迫撃砲のみの軽武装で突撃し一時は「人海戦術」と呼称しつつ勝利している。
韓国の傑作戦争映画「ブラザーフッド」では映画の後半オゾマシイ「督戦隊」の
様子が巧い演出で描かれていたように思う。
ソ連・中国に共通するのは自国の人口大国である事だ。
つまり敵兵一人殺すために自軍兵士が5倍の5人死んだとしても「戦争」に勝てばよい
という考え方だろう。
https://na.om.oe320.blo.g.fc2.co.m/bl.og-entry-240.html ロシアに勝利した国はその後アメリカを敵に回して大打撃を受ける法則がある気がする
例 日本 アフガニスタン
ウクライナはその三の舞にならなければいいけど・・・ ベトナム戦争ってベトナム人とベトナム人の殺し合いやろ
ソ連・中国おるし モンゴルを倒したのは台風だ
ロシアを倒したのはロシア革命だ
天が日本に味方しただけ。つまり、モンゴルとロシアに勝利したのは天だ。 こういう戦術がある
基本的に旧共産圏は人海戦術だよ
武器は死体から手に入れる
人の命が安いからできる
今、米海兵隊の本を読んでいるのですが、
これによると、毛沢東の戦略は戦略的ゲリラ戦ともいえる遊撃戦だそうです。
戦闘の分散・不正規制・不統一が特徴のゲリラ戦は負けることはないが勝つこともない。
戦闘の集中・正規性・統一指揮をもつ勝てるゲリラ戦が遊撃戦である。
敵進我退(進めば退き)
敵駐我撹(駐ればかきみだし)
敵疲我打(疲れれば打ち)
敵退我追(退けば追う)
と毛沢東は書き残している。
なお、ベトナム戦争時の北ベトナム軍も毛沢東戦略を取り入れていたそうです。
Jabo
「兵士たちの話によると、中国軍ははじめ、その丘に砲弾を浴びせ、それから一グループが八列から十列に並んで高地の各方面から人海戦術で立ったままどんどん攻めてきた。
その時に指揮官がラッパの音を絶えず鳴らしていた。ラッパと言っても小さなもので、チャルメラのような音がする。
捕獲したラッパを見たが、とにかく前の兵士が倒れても、死体をのりこえて後から来るので、そのうち弾丸もなくなり、非常に気味が悪くなってきたと語っていた。
前の兵士は銃を持っているが後ろの兵士は銃を持たず、倒れた兵士の銃を手にして攻めてくる。」
石川文洋の中越紛争時のルポですが、たしかにそりゃ気味が悪いわな。こんなもの戦術か? って感じです。全員が全員銃を拾えるわけじゃないだろうしねえ。
http://www.warbirds.jp/ansq/6/F2000604.html 米国が“世界の警察”と呼ばれ覇権を握っているのは、優秀な国だからだ。
しかしロシア中国北朝鮮などが米国と張り合っているのは優秀だからではなく、
これらの国の住民がちょっとおかしい人間だからである。
ユーラシア大陸の内側には、ロシア中国北朝鮮イランなど反米、反西欧、反日の国
が固まって存在し、この地域の住民は先進国に対し常に強い嫉妬や恨みや被害妄想
を持ち、先進国を核で滅ぼそうとする意思が何十年経っても消えない。
このおかしい国々が存在する地域は蒙古帝国の版図と一致しており、それは文明国
を滅ぼす意思を発現する特殊な遺伝子が、蒙古帝国の時代にこの地域に拡散した
ために起きている。
一方ロシアを除く欧州から、アラビア半島、アフリカ、インド、東南アジア、台湾、
日本など蒙古の支配を免れたユーラシア大陸の外側の地域には精神が正常な人間が
住んでいる。彼らは先進国を滅ぼす意思を持たない。
ニュースを見れば“ウクライナ”“台湾”“統一教会”など「ロシア中国朝鮮の
人間が悪さをしている」という話ばかりやっている。このおかしい人間たちが核
武装することで人類の生存が脅かされている。 >>133
蒙古領だった地域とそうでない地域とでは、住民の価値観が異なっている。
インドは蒙古の支配を免れたため精神は正常であり、中国人や朝鮮人と違ってインド人は自国が西洋人
によって植民地化されたことを今は恨んでいない。
しかしパキスタンの西半は旧蒙古領で特殊な遺伝子を持つため、これが印パ紛争の原因になった。パキ
スタンは昔は親米だったが現在の両国関係は冷えている。
東南アジアや台湾も蒙古領にならなかったが、日本によって植民地化された。しかしこれらの地域は今
では親日になっている。精神が正常な人種同士なら過去にわだかまりがあっても、時が経てば友好関係
を築くようになる。
蒙古の支配下に落ちたイランなど、大陸側のイスラム地域は基本的に反米だが、蒙古領にならなかった
アラビア半島は大体親米である。
イラクの東半分も蒙古領だったが、米国と戦ったフセイン大統領の出身地ティクリット近郊も蒙古の
支配地域だ。
アフガンも蒙古領だったが、ここは米軍が20年間駐留していたにも拘らず、米軍撤退と共にタリバン
政権が復活した。これはアフガン人にとって欧米の価値観が肌に合わなかったためだ。
ポーランドなど東欧にはスラブ人が多く居住しているが、ロシアと違って蒙古領にならなかったため
住民の遺伝子は正常である。東欧諸国は冷戦の頃、ロシアの配下にあったが現在はNATOに属する。
ウクライナ西部は蒙古の支配を免れたため精神は正常だが、東部やクリムハン国の古地クリミアは
長期間蒙古領だったため特殊な精神の住民が多く住む。ロシアがこれらの地域にこだわるのは勿論、
ロシア人が蒙古人の末裔だからだ。
蒙古領にならなかったインド等の発展途上国が経済的にロシアや中国と結びついていたり、蒙古領だ
った韓国が米国の陣営に属しているなどの例外はあるが、全体としては現代の世界は軍事的に、旧
蒙古領の国々とそうでない国々の2陣営に分かれつつある。 モンゴルの遊牧騎馬民族が「Tarta」でクリミアはタタール人の国
タタール人は見た目だけは欧州っぽいが、精神は凶暴なレイプするモンゴル人(アジア人)だ
欧州ウクライナ人(白人)の仲間じゃねぇよ
ナザレンコこう言ってんだが
こんな連中が暴力革命起こしたら救助要請してクリミアがロシアに逃げて当然すぎ
ナザレンコ・アンドリー@nippon_ukuraina
ロシアとは、キーウ公国(ウクライナ)がモンゴル帝国にレイプされたことによって生まれた国。
だから見た目だけは欧州っぽいけど、精神はチンギス・カンの覇権主義?世界征服主義そのもの。
民主主義国家との共通価値観は何一つもない。 バグダードの戦い(英:Battle of Baghdad ???? ?????)、あるいは「バグダッド包囲戦」(英:Siege of Baghdad)
1258年にチンギス・ハーンの孫にあたるフレグ率いるモンゴル帝国と当時世界で最も栄華を誇っていたと
言われるイスラム帝国アッバース朝との間に起こった包囲戦である。
モンゴル軍によって攻略されたバグダードは徹底的に破壊され、市内に存在していた知恵の館や数々の図書館に
収蔵されていた何十万冊もの大量の学術書はモンゴル軍によって燃やされるか、または、川に捨てられた。
これによってメソポタミア文明ならびにイスラム文明が築いた多くの文化遺産が地上から消失した。
ムハンマドによるイスラム開教(610年)から連綿と続いていた「カリフ」の系統も殺されて途絶え、市民は皆殺しにされ、
その後数世紀間にわたって当地は無人の廃墟となった。
多くの歴史的記述がモンゴル軍の残虐行為を詳述している。
バグダードの市民は逃げようとしたがモンゴル軍に捕らえられ、子供から老人に至るまでことごとく虐殺された。
14世紀の歴史家ワッサーフは「死者は数十万人であった」と記述している。
ニューヨーカー誌のイアン・フレイザーは「20万人から100万人に及ぶ死者を計上した」と記している
1258年当時のイラクは現在のイラクとは違う。
農業は都市の運河によって数千年守られ、バグダードは世界一輝かしい知の中心地だった。
モンゴル軍によるバクダードの破壊はイスラム教に回復不可能な心理的な痛手を負わせた。
既にイスラム教は保守的になっていたが、このバグダードの蹂躙によって、イスラム教の知的開花は潰えてしまった。
アリストテレスとペリクレスのいるアテネが核兵器により消滅する様を想像してほしい。モンゴル軍がどれだけ
残虐であったか理解いただけよう。モンゴル軍は灌漑運河を徹底的に破壊した。
これと殺戮による過疎化とによってイラクはもはや再起不能の状態に陥り、衰退の一途を辿ることとなった。”
―――スティーブン・ダッチ(ウィスコンシン=グリーンベイ大学) Rの法則。
ロシアに勝った国は後年にアメリカにフルボッコにされる。
例 日本、アフガニスタン
ウクライナはどうなるか・・・・ そうならない対策を今から取っておいた方がいいかもな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています