アイヌの歴史 Part2
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粛慎=オホーツク系民族
蝦夷=アイヌ
これらと戦ったヒラフもどっちかの血統だろ 江別古墳群の発掘結果から
明らかにヤマト王権と関わりを持った大酋長がいたか
もしくは国府的な機関が道央にあったかのどちらかなんだよね
それが平安時代末期には完全に消えてしまっている
阿倍比羅夫の設置した郡県が江別古墳群ではないのかな
江別地方の族長たちが在庁官人的存在になって少なくとも道央は統治下に置いていたのではないかと
平安時代に蝦夷への供応で税負担の重さに怒った出羽の住民が秋田城を焼き討ちした大反乱があり、その後朝廷が雄物川から北の統治を放棄している
その時に北海道の郡県つまりヤマト王権に服属してた蝦夷の首長たちとの縁が切れたのではなかろうか 古代日本語では、現在のハ行はパピプペポで発音していた。
それが、時代の流れと共に
ファフィフゥフェフォになり、やがてハヒフヘホになった。
それが証拠に、ハヒフヘホとバビブベボでは発音する際に口の形が変わるが、
パピプペポとバビブベボでは口の形が変わらない。
本来はパ行は半濁音ではなく清音、バ行がパ行の濁音だったのだ。
現代の日本語では、外来語以外ではパ行の音が混じる単語はほとんど存在しない。
だがアイヌ語、そして琉球語にはパ行の単語がある。
パ行の音は縄文語の名残なのだろうか。 粛慎は名前の由来から女真と同様にツングース系という説も否定できない >>603
余市町の大川遺跡や北大のサクシコトニ川流域の擦文遺跡からは「夷」とも「夫」とも読める文字がほられた
土師器が出土してるよね。
阿倍比羅夫が「渡島」に置いた政庁「後方羊蹄」は、大川遺跡を指しているともいう 江別の郡県(つまりヤマトの間接支配を受け入れた蝦夷の族長たち)が秋田からの米や金属器などの配分で道央を支配していた。
ところが元慶の乱でそれが途絶えて北海道の郡県は自然解散。
これがアイヌ時代の始まりだと思っている。 >>604
p音の喪失は平安期以後の日本語の内的な変化
(記紀万葉の日本語では漢字の使い方から見てまだ起こっていない)
弥生文化の登場から1000年以上経っている
弥生文化と比較的つながりがあるはずの半島・大陸の諸言語には
この言語変化に類するものは全く起こっていない
縄文・弥生の区別と関係付けるのは無理がある >>602
阿倍比羅夫は阿倍氏だから蝦夷・アイヌ系じゃないのか?
オホーツク民族はフゴッペ洞窟とか手宮洞窟とかの洞窟画を描いた人たちな。 阿倍比羅夫って実態は日本海沿岸一円から朝鮮半島南部にかけて活動した海賊なのでは?
朝廷がお墨付きを与えたいわゆる私掠船ってやつな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています