王侯貴族の爵位や称号について語れ
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HerzogとかMarquisとかEarlとか
MajestyとかAltesseとかHochgeborenとかあるだろ Herzog duke 公=部族の軍事的統治権をもった首長、つまり豪族
Graf count 伯=王が地方に遣わした行政官、のちに自立
(他に辺境伯、城伯、方伯、宮中伯などが存在するがこれらはすべてGraf の変形)
とりあえずこの二つを覚えておけばいいよ
中世の爵位はこの二つしかなかった イギリスやフランスの貴族を調べると、本名の名字と爵位名が異なる場合が多いが、無理やり日本に置き換えたら徳川(源)義直が尾張大納言みたいな感じなのか ドイツだとFurstはHerzogの下だけど
フランスだとprinceはducの上のことがあるよな
とは言え貴族の従属爵位としてのprinceとprince du sangやprince etrangerなどの階層とでは違うんだろうけど
ドイツ貴族とフランス貴族で普通に付き合いはあっただろうに混乱しないものかね
個人的には整理して理解したいところなんだが
爵号の地名は英語だとterritorial designationと言うんだったか半ば家名みたいになるよな
フランス国王の家族ならde Franceが家名みたいに使われる
カペー → ブルボン →フランス が
源 → 徳川 → 尾張 に類比されるかどうか
徳川と源は次元が違うので本来対比できるものじゃないけど
ちなみに御三家は嫡子共々最初から最後まで「尾張+官名」で呼ばれるが(徳川を名乗るのは元服前くらい)
御三卿や他の大名は参議までは「苗字+○○守」で呼ばれ中納言以上になると「居所名+官名」となるようだ
徳川刑部卿 → 一橋中納言
松平加賀守 → 加賀中納言
但し文書だと侍従以上なら「郡山侍従」「高須少将」「会津中将」のように書かれることがある ヨーロッパの公とか伯ももともとは官職由来なので、日本の官職も世襲称号になれば爵位化した可能性はあるが、
なぜか本人一代限りのままで終始してしまった。(実質世襲称号化していても無条件に相続していない) 松平加賀守前田斉泰
松平陸奥守伊達慶邦
爵位名と本名みたいなものか >>9
したしみやさげすみでつける
熊公
先公
ポリ公
アメ公 >>14
姻戚関係結んだりして松平姓賜ったりしたんだよね。前田とか
まあ、伊達さんとか会津松平家はべつだけど。 >>10
諱の前は氏姓が来るから
×前田 ○菅原
×伊達 ○藤原
前田や伊達の代わりに松平を名乗ってる 前田は貴重な古代氏族の菅原氏か
そういや家紋がそうだな 諏訪家のような神代から続く名門が絶えてしまったのは日本史の悲劇 諏訪氏はその文化も残ってるぞ宗像氏がなくなった方が悲劇 なんで自分で話を振らないの?
無視されたならともかく
お前の目的はマウントだろw
惨めな奴だ 世界史板で日本の話延々してマウントとった気になってる人のほうがよっぽど惨めなんですけど 「なぜ話を振らない」に回答がないなw
この時点でお前の負け
新たな世界史の話題をふれない低能がもっぱらマウント目的で自治したカスと証明できたw 板違いの話を続ける理由にはならないな
お前に言われて話をふる義務もないし
書き込みたくなったら書き込むだけだわ なんでヨーロッパはイタリア、フランス、ドイツでは貴族制度なくなっても爵位を名乗ってるの? 日本史の話は一人でしてるわけじゃないでしょ
世界史の話を排除なんてしてるわけもないし
ネタがあるから話してるだけ 日本の話ばかりするんだったら日本史板でやればいいじゃん 日本史のことも分からない奴が世界史など分かるわけが無い 話すネタがあるからそれにレスしてる
ネタもないのにレスしろと言われてもね 板違いのレスされてもね
だったら書き込まなくていいよ おまえはどうせネタを振る気もレスをする気もないんだからどうでもいいじゃん スレタイに惹かれて開いたのに日本史の話題ばかり展開されたらそりゃ書き込む気は失せるわな
そういう意味で板違いの話題は邪魔なだけ >>33
文句言わずにさっさと書きたい世界史の話を書け
ないなら惹かれたなんてうそだろ 与えられることに馴れきった無能が文句ばかり一丁前で草 まあ板違いの話題を延々正当化するような社会不適合者にはルールや道徳って理解できんやろな じゃあ世界史の話題
清朝の爵位の漢語じゃない部分って何なん? ドロイペイセとかグルニ公主のグルニみたいなやつだよね
満洲語でなんか意味がありそう 和碩親王ホショイ・チンワン 皇子
多羅郡王ドロイ・ギュンワン 親王嫡子
多羅貝勒ドロイ・ベイレ 郡王嫡子
固山貝子グサイ・ベイツ 貝勒嫡子
固倫公主グルニ・グンジュ 皇嫡女
和碩公主ホショイ・グンジュ 皇庶女
中国語版Wikipediaから満語の意味を抜粋すると
固倫グルン 天下
和碩ホショ 方城、王國
多羅ドロ 道路、一隅、一角
固山グサ 旗
グルンは天下、ホショはある方向の一領域、ドロはある領域の一角、グサは旗ということで(支配)領域の広狭を表していそう
貝勒ベイレ 長官、王 「盟王」と漢訳されることもあるようだ
貝子ベイツ 貝勒の複数形 王、諸侯 「旗王」と漢訳されることもあるようだ ちなみに大清国を満語ではダイチン・グルンと言うらしい 騎士(シュバリエ、リッター)というのは日本でいえば地頭クラスの武士?
鉢の木の佐野常世みたいに痩せ馬にまたがって馳せ参じるイメージ? 満州国は貴族制度はない。清王朝の再興ではなく、あくまで新国家の建前なので、溥儀の弟の溥傑など清の旧宗室すら皇族ではなかった。
栄典としては日本の位階勲等の折衷である勲一位、勲二位などの勲位はあった。おそらく関東軍あたりの入れ知恵だろう。 袁世凱の中華帝国は軍閥の有力者に爵位を与えた。閻錫山が侯爵、張作霖が子爵など、民国期の名のある軍閥領袖が爵位を与えられている。 帝政時代のブラジル貴族ってポルトガル本国の貴族からは格下扱いされてた?
でもってブラジルではどういう背景を持った人達が爵位与えられてたんだろ ブラジル貴族をウィキで検索したら、王族関係以外は軍人や法律家などの勲功ある者が爵位を与えられて貴族に列せられたケースが目立つ。 近世のタイは日本みたくイギリス式の爵位制度を導入してないな イギリス
baronet(バロネット)
knight(ナイト)
esquire(エスクワイア)
gentleman(ジェントルマン)
フランス
chevalier(シュバリエ)
écuyer(エキュイエ)
gentilhomme(ジャンティオム)
ドイツ
Ritter(リッター)
Edler(エードラー)/Junker(ユンカー) 爵位制度のない君主制国家は存在しても爵位制度のある共和制国家てのは聞かない フィリピンには騎士号(ナイト)がある。
フランスのレジオンドヌール勲章もシュバリエなどの勲爵士の授与。
そもそも欧州の勲章制度は騎士団(勲爵士団)の形式を取っているところが多い。 knightは爵titleではないのだから勲爵士のような頭悪そうな訳語はやめようや イギリス軍人で戦功のあった高位の人物が叙爵されるパターン,
第二次大戦ではモントゴメリーやテッダーが戦後に叙爵されてたがマラヤ動乱や
フォークランド戦争での功績を称えられて叙爵された人っていた? >>53
元君主制国家で共和制移行後も(日本では)公爵・伯爵・男爵と訳される称号を与えてる国は
あるんだろうかって事かも ウェリントンやカヴールが姓ではなく爵位での名乗りだった事は後になって知りますたorz あー、こういう自分が知ってることをただ羅列しただけのカスなレス
これは王制スレで暴れてる「つんぼ」の典型的なレスだね
51 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2020/07/25(土) 21:39:06.81 0
イギリス
baronet(バロネット)
knight(ナイト)
esquire(エスクワイア)
gentleman(ジェントルマン)
フランス
chevalier(シュバリエ)
écuyer(エキュイエ)
gentilhomme(ジャンティオム)
ドイツ
Ritter(リッター)
Edler(エードラー)/Junker(ユンカー) なんにせよ、敗戦と民主化で華族だの貴族だのが吹っ飛んでくれて本当によかった。せいせいした。 教科書にマルキ・ド・サドとかアベ・シエイエスとか書くのは誤解を招く表現だよなあ。名前がマルキさんとかアベさんかと思っちゃうじゃん。 >>68
今の君なら思わなくても、平均的高校生ならどう?平均的高校生に誤解を与えないような適切な表現だと思う? ラ・ロシュフコーも爵位だな
荒れるから深くは掘らないけど徳川光圀を水戸中納言と書くようなものだ 貴族の姓だがフランス語圏のド、ドイツ語圏のフォンと違って英語圏では
オブの付く人を見かけんような デューク・オブ・ヨーク
マスター・オブ・バラントレー
公侯伯はDuke/Marquess/Earl of○○
子男はViscount/Baron○○だけど、地名がつく場合はBaron○○of○○ 十数年前までのイギリスでは国軍トップを務めた軍人が男爵に叙されてたのな イギリスの一代騎士というのも少数派だな
ドイツのリッターとかフランスのシュヴァリエは世襲身分
イギリスだとバロネットが世襲騎士に相当するとされる エスクワイアというのがよくわからん。
本来は盾持ちの従者? 一応そう
イギリスの騎士団の称号で「ナイト」がついてないのはみんなエスクワイア 中世ドイツではHerzog、Grafの間にはLand graf(方伯)、Markgraf(辺境伯)、Pfarzgraf(宮中伯)、Burggraf(城伯)というのがあると習ったがFürst(侯)なんて一体いつの時代に現れてきたんだ?
Kurfürst(選帝侯)というのは中世にもいたけど 帝国議会の成員のような大諸侯のことを諸侯と言ってfurstというようになり
それが爵位のような使い方をされたという流れじゃなかった。 BurggrafはGrafより格が低くて
国によっては子爵みたいな扱いの国もある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています