戦国大名でも征服できそうな欧州の国
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0001世界@名無史さん
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2020/08/24(月) 21:12:46.740
戦国時代の日本は銃の数が世界で一番多かったとか
兵数はヨーロッパよりも多かったと言うけど
有力な戦国大名
織田とか武田とか上杉が
ヨーロッパにあったら
征服できてしまいそうな国ってある?
0002世界@名無史さん
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2020/08/24(月) 21:39:25.150
川中島での武田軍と上杉軍の動員数と百年戦争の主要決戦での英仏両軍の動員数はたいして変わらない。
最盛期の武田領国や上杉領国、さらに言うと織田領国は百年戦争当時のイングランドやフランスを圧倒できる。
0003世界@名無史さん
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2020/08/24(月) 21:42:35.630
ガレオン船が5隻もくれば日本はスペインに征服されてたろう。
0004世界@名無史さん
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2020/08/24(月) 21:56:25.380
動員兵力数から見ると有力戦国大名が欧州の君主レベルで、有力大名の重臣クラスが欧州の有力貴族レベルだな。
0005世界@名無史さん
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2020/08/24(月) 23:21:49.550
ジャップなんてスペインのガレオン船が7〜8叟も来たら征服されてたろう
秀吉の朝鮮国入寇の際に伊達政宗あたりが秀吉打倒の援兵頼んでれば良かったのな
0006世界@名無史さん
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2020/08/24(月) 23:23:10.940
朝鮮国入寇の時に伊達政宗がスペインの艦隊を援軍に呼んでれば秀吉の首も取れたかもしれない
0007世界@名無史さん
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2020/08/25(火) 09:40:14.830
百年戦争やバラ戦争の頃の英仏なんて、日本の戦国大名レベル。
0008世界@名無史さん
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2020/08/25(火) 11:00:24.830
戦国大名は農閑期しか戦争しない。
小田原城が難攻不落だったのは数か月もてば敵が引き上げるから。
数年がかりで職業軍人と傭兵で外国へ遠征するのと、
農民を駆り出して近隣地へ攻めたり防衛するのとは
同じ数万の軍隊でも補給の費用が桁違いだ。
0009世界@名無史さん
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2020/08/25(火) 11:27:14.480
百年戦争やバラ戦争の頃は英仏軍も諸侯の家臣団の寄せ集めだったのでは?
それプラス庶民からの傭兵隊=日本でいう足軽隊
0010世界@名無史さん
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2020/08/25(火) 13:20:11.100
>>5
スペインのガレオン戦あってどうするの?陸上走らせるの?
当時フィリピンの総督は日本というか豊臣秀吉に攻め込まれないか
おびえていた
東南アジアのヨーロッパ勢力は日本傭兵頼みだった
0011世界@名無史さん
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2020/08/25(火) 15:57:51.210
精強無比で残忍冷酷な日本のサムライ兵と懦弱なインカ兵やアステカ兵を一緒にしてほしくないね
0012世界@名無史さん
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2020/08/25(火) 23:51:09.090
カナリア諸島のグアンチェ族
0014世界@名無史さん
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2020/09/20(日) 12:59:40.450
しかしやけに戦国時代の兵数は多いとは思う
人件費が安い。全部が戦闘員じゃない。
装備は自分持ちというのはあっただろうが
0015世界@名無史さん
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2020/09/20(日) 17:51:48.970
宣教師ルイス・フロイスさんによると日本では武器も食料も全部兵士の自弁で何の給料も支払われず
女子供まで動員するから領主たちは貧しいくせに大規模な兵力を動員できるんだとよ

フロイス「日本史」<第四五章(第二部一〇章)>豊後軍が薩摩国主によって撃破された次第

そこで薩摩の国主島津殿は、自国に危険が切迫しているのを見ると、国内の全地方から人々の召集を図り、
老幼男女を問わず、ついには武器を手にし得る者はことごとく、いかなる逃げ口上も許さず、領国の自由の
ために参集するように命令した。
その際、彼は、各人は、ただ四、五日分の米を帯に入れて携えよ、その糧食が尽きる時までには、戦の勝敗
は決していなければならぬと伝達した。
このようにして、人々が確信するところによれば、薩摩の国主は五万名近い人を召集した。それは何も驚く
に足りぬことである。
それには以下のような事情がある。日本では、国主、または大名が、他と戦を始める時、彼は兵士たちになん
ら支払いはしない。彼はせいぜい特殊な家臣に対して費用を払うくらいであって、軍隊にはほとんど費やさな
い。というのは、各大名は、自らの封禄や領地に応じて、家臣である一定数の兵士を差し出す義務があるから
である。
領土はすべてこのように分割されているので、ヨーロッパの大公たちに比べると、日本の王侯にはわずかの収入
しか残りはしない。
戦争に際しての将兵の常食は、金銭的にわずかしか費用がかからず、かつ驚くほど少量である。彼らは、ほんの
わずかの米と、ごく軽い、ありあわせの物を米に添えて食べることで満足している。
0016世界@名無史さん
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2020/09/20(日) 18:50:32.160
イングランドでは百年戦争時点ですでに兵士一人一人の軍務契約書を作って武具や食料まで国家が支払うという制度が確立していたので
かなり具体的な動員兵力が分かっているのだが、それによると1335年にエドワード三世のスコットランド遠征の兵力は1万3千名
1342年のブリタニー遠征では5千3百名、輸送のための水夫が同数、1346年のカレー攻城戦では1万3千名と同数の水夫
これはペスト禍以前の最盛期の数値で薔薇戦争時は両陣営あわせても実際には1万にもみたなかったらしい
0017世界@名無史さん
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2020/09/21(月) 01:14:22.490
フランドル

ここならできる
0019世界@名無史さん
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2020/10/25(日) 14:45:45.740
>>11
インカやアステカだって弱くはないぞ。
古墳時代のサムライ(武人)並みの武者魂はあるだろう。

宗教的なハッタリにやられたからな。
丁度、アステカ暦の終末の年にスペイン人がやってきて、
神の使いだと思い込んでいた所を良いようにやられてしまったとかね。

数万規模のアステカ軍やインカ軍と、軍事的なガチ衝突してたら、
そう簡単にスペイン人にも倒せなかったと思うけどね。
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