続続【秦漢帝国】
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秦漢時代の工芸品とかを国立博物館で見ると、やっぱり弥生時代っぽいな
同じ時期だから当たり前だが あんな原始人みたいな人たちが、巨大帝国をつくったなんてすごい >>6
春秋の工芸品を見たときは凄いと思ったなぁ
弥生って銅鐸ぐらいだし 古代の王侯貴族は何歳で子供を作っていたのか?
秦王室の場合
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1562237843/9-10
周や秦では子供を作る年齢が妙に早い(20代)。ところが楚では30代
(荘王の誕生から13世孫の幽王、哀王の誕生まで390年ほどあるだろう)
斉となると妙に遅く呂尚(太公望)が初代として14世代目の桓公は
呂尚は400年も後の人物。桓公が685年に即位したのは祖父荘公が
即位して110年も後のことで、桓公の在位年数は42年。祖父の即位
から孫の死まで152年もあることは珍しい。斉が滅ぶのは桓公の8世孫
の康公のとき(前379年)。 中田敦彦のYouTubeのキングダムみたけどさ、やっぱ面白いわ >>6
弥生時代も秦漢の交代期くらいになると青銅器の大型化が進んでくるので似たような印象は受けますね
まぁ中国より早く青銅器文化が栄えた地域も含めて青銅器を見るとなんとなく親近感が湧くんだけど >>6
日本の銅器時代は紀元前2世紀なので春秋どころか前漢代だぞ
春秋時代の日本は石器時代 2,000年前も今も人間の本質は変わってないんだな、最近頓に思う >>15
古代の神話とか劇を読むと尚更ね
受験勉強でタイトルとあらすじと時代と著者の名前だけ必死で覚えた物語のストーリーがこんな面白いなんて!って後々何度思ったことか 秦と日本って何となく似てるな
急成長して一時的に光り輝いてあっという間に腐って消える ある程度国制等が似てる古代日本はあっという間に消えてないし
近現代日本は消えてない上に似たところがほとんどない キングダムって殆ど空想ファンタジーっぽいよな
秦時代の風俗その他は殆ど不明だし 秦もそうだけど、唐だな、絵が少なくてイメージわきにくい時代は >>22
なわけない
唐なんてコスモポリタンなんだから
適当にイメージすればだいたい合ってるわ
それよりその前の時期の方が全然わからんだろ >>20
あの時点で秦が他6国に苦戦してるってのが相当なファンタジーだし >>25
平城京もかなりのコスモポリタンだぞ
ペルシャ人の官吏が居たくらいだし 兵馬俑とかの出土品からいろいろと推測してんでしょ? 唐代のイメージ形成に最も貢献してるのは、敦煌の壁画
でも、西域だから文化が違うしなあ 唐を舞台とする中国の歴史マンガ「長歌行」では、
「宋の名画・清明上河図を見てイメージをふくらませ、唐の風景を描きました」
と作者がコメントしていた
唐は、それほど絵が少ない時代 それに比べて平安時代の日本は、貴族の日記やら絵巻物やらが大量に残っていて、当時のことが手に取るように分かる
千年前のことがこんなに分かるのは、世界中でも日本だけ それにしても、兵馬俑はすごい
当時の人間が、そのまま残ってるようなもんだからなあ
二千年前のことが、これほど分かるのは世界中でも中国だけ > 唐なんてコスモポリタンなんだから
> 適当にイメージすればだいたい合ってるわ
それもそうだな
ラクダに乗った隊商
エキゾチックな金ピカ貴族趣味というイメージ 漢は、「都市国家が、弥生時代の原始人を征服して大帝国を作った」というイメージ
庶民は竪穴式住居に住んで、土器や石器で生活していた
都市国家は二千年前にしては先進的だった 古代中国って近代戦のようにシステマティックに戦やってたんだな
昭和の日本陸海軍とは違うようで > 古代中国って近代戦のようにシステマティックに戦やってたんだな
どこがだよ
まず、怪力自慢の大男同士が出てきて、棍棒みたいな鈍い武器で殴り合う一騎討ち。
勝ったほうの士気が高揚して、戦局が優位に展開する。
火器はないから、敵味方が入り乱れての白兵戦だ。
羅針盤もないから方角は経験と勘が頼り
騎馬は戦国時代の後期に登場したが、主役は歩兵部隊なので移動速度は遅い
鉄製の武器もあったが、まだ青銅器が主流ですぐ壊れる キングダムの軍師による机上シミュレーションは嘘なん?
昌平君軍師学校は嘘なん? あれはモルトケのドイツ帝国陸軍参謀本部の世界だな
鉄道や電信によって実現した19世紀後半のレベル キングダムは原先生の会社員時代の経験が大いに活かされてるっぽいしむしろ現代日本的かもね
あと世界戦史本とかを戦争描写の参考にしてそうだし、どちらかといえば西洋戦史よりの匂いがする
>>34
街全体の建物が残ってたり、堅牢な大建築が未だにその威容を示している古代ローマ版図の国々も
中国に勝るとも劣らないレベルでわかるかと >>38
弓とボウガンがあるし、方角は星の動きで見てたのでは?
初期の鉄剣は折れる、曲がる、錆びる、と初期不良があったであろうし、円熟した末期の青銅剣はそれなりにイケたのでは? >>43
> 初期の鉄剣は折れる、曲がる、錆びる、と初期不良があったであろうし、円熟した末期の青銅剣はそれなりにイケたのでは?
現代日本の「ガラパゴス技術」と同じで、世界の潮流からは遅れてるように見えるけど、実は驚異の完成度に達してるという(笑) 火器が火薬・弾も含めた生産力 利便性 殺傷力 耐久性 命中力 費用対効果諸々で槍や弓に完全に上回ったのって何世紀ぐらいなんだろ? 火薬の発明や火器の使用では中国が先行したけど、やはり西洋で改良された小銃が登場した明の末期でしょうな
西洋や日本では、鉄砲を小型化して、耐久性を大幅に向上させることに成功した。
そのおかげで、歩兵が銃を携行して移動しながら砲撃できるようになった
17世紀初頭の明末期に書かれた本に「舶来の鉄砲は、何発も撃ったのに銃身がヒビ割れないし、命中精度も段違い」と称賛されている
この圧倒的な性能向上により、軍事革命が起きた それまでの火器は、鉄砲というより、爆竹とか花火みたいなものだった
それでも、効果的に使えば大きな脅威
元寇でモンゴル軍が使用した「てつはう」は、中国製の陶器に火薬を仕込んだもので、
火炎瓶を投げ込む感じの武器だったが、日本軍をパニックにおとしいれるには十分だった
明の太祖朱元璋が陳友諒の艦隊を壊滅させたハ陽湖の戦いでは、朱元璋が火砲を使用した。
打ち上げ花火を敵陣に向けて打ち込むような武器だったが、これが世界の戦史に残る画期的な火器使用例とされている
永楽帝のベトナム遠征でも、大きな効果があったとされている 西洋(オスマン帝国を含む)の戦史で有名なのは、なんといっても1455年のコンスタンティノープル陥落
オスマン帝国軍は、東欧人の技術者に製造させた大砲で、難攻不落の城壁を砲撃した
続いて、1514年のチャルディラーンの戦い。
常勝のカリスマ・イスマーイル1世が率いるサファヴィー朝の無敵騎馬軍団が、オスマン帝国の鉄砲隊に壊滅させられた
1526年のパーニーパットの戦いではバーブルがオスマン帝国製の鉄砲を駆使して勝利し、ムガール帝国を建国
1575年の長篠の戦いでは、織田信長の鉄砲隊により、武田勝頼の騎馬軍団が壊滅。
1626年の寧遠城の戦いでは、明の袁崇煥がポルトガル製の大砲や鉄砲で、ヌルハチの騎馬軍団を壊滅させた >>48
武器商人の走りか 東ローマが滅亡すると
トルコ 軍はハンガリーまで攻めてきたし
英蘭戦争のオランダ武器商人、
第二次大戦時のアメリカ武器商人を思わせる >>47
先進的な武器だったので
後に日本軍でも採用された
それぐらいに先進的な武器だった >>45
後込め銃ですかね
火薬が薬莢として一体化すると
ブレイクスルーが起きたと思います 井闌車ってホントにあったのかな?
堀や塹壕、障害物があったら使えないと思うんだけど。 非業の死を遂げた人達についつい目が行きがちだが
始皇帝→胡亥→項羽→劉邦→呂后→文帝と寝返り外様の立場でも粛清されずに済んだ呉丙 季布 張耳・張敖 張偃3世代の立ち回りももっと評価されてもいいのでは
張偃なんて劉邦と呂后の外孫なんて真っ先に粛清対象になっても不思議じゃないのに異母兄弟ごと生き延びてるし >>36
>庶民は竪穴式住居に住んで、土器や石器で生活していた
日本は鎌倉時代までそんな感じだね
今昔物語でも木は切るものではなく折ると表現されている
これはまだ石斧を使ってたかららしい
中国では鉄制農具の普及は春秋時代から
https://www.y-history.net/appendix/wh0101-024.html
>古代中国では春秋時代中期以降に製鉄が始まり、戦国時代に普及した。
>中国の製鉄は、春秋時代に始まったが注目されるのはそれが「鋳造」であったことである。
>西アジアで最初に現れた鉄器は鍛鉄(原鉄を叩いて形にする)であったが、中国の鉄器が
>鋳造であることは、それが西方から伝わったものではなく、中国独自に開発されたと考えられるからである。 これは漢代のものだけど秦代もこれと大差ないと思われる
http://www.jinniu.gov.cn/jinniu/uploads/12031057130yukofbgr2p.jpg
四方にある門は閭と言い、長屋形式の民居を里と言う
真ん中にあるのが停で現代で言う派出所
劉邦も最初はこの停長だった 都会人は掘っ立て小屋。田舎の人は竪穴式住居に住んでた
当時の人々にとっては大都会でも、現代人が見たら相当にショボいのは確実 >>57
これは漢代の市だね
掘っ建て長屋みたいなのは現代でも中東や中央アジアにあるバザールみたいな感じの
日本でわかりやすい例でいえば学園祭の模擬店の店舗が横並びに並んでるようなの >>57
連投スマンけど
長屋というのも多分ちがくて
里の中の戸は出土法律文書から「垣」に囲まれているとされているから独立家屋で
そこに床面を掘り下げた建地に掘立て式の家屋で屋根は瓦葺きがたっていたと思われる 前漢の武帝って教科書的には名君にみえるよね
巫蠱の禍
盗賊
治水の遅延・強制移住?
賄賂
酷吏
不老不死
猜疑心 「士官するなら執金吾、妻を娶らば陰麗華」
光武帝の皇后陰皇后は美人だっただけでなく聡明で性格も良かったらしい
その対極にいるのが晋の恵帝の皇后、賈南風
とんでもない女だったらしい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています