X



東アジア史総合スレッド
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001世界@名無史さん
垢版 |
2020/12/24(木) 10:14:36.910
東アジア諸国の歴史について語るスレです。
中国史の話がメインになると思いますが、中国の周辺諸民族、
さらにはユーラシア大陸の他の文明地域との比較の話もOKとします。
0002世界@名無史さん
垢版 |
2020/12/24(木) 18:42:23.480
日本人にとってなじみの深い中国の王朝は唐だけど、
欧米人にとっては明なんだよな
美しい染付磁器や、鄭和の大航海のイメージ
0003世界@名無史さん
垢版 |
2020/12/24(木) 22:23:28.920
中国にピョートル大帝のような君主が現れて、強力なリーダーシップで
西欧化・近代化を推進し、列強に名前を連ねるという道はなかったのだろうか?
同じ専制国家なのに、何が両国の命運を分けたのか?
0004世界@名無史さん
垢版 |
2020/12/25(金) 01:25:36.910
「飛鳥の原に百済の花が咲きました」 兪弘濬 [著] ; 橋本繁訳

@ 渡来人の故郷、飛鳥

飛鳥と奈良は、日本の中の朝鮮文化を探す旅の核心であり、日本古代文化のハイライトだ。
日本が古代国家に発展する全過程が飛鳥に残っており、彼らがあれほどまでに望んだ古代国家をついに誕生させた場所が奈良である。
飛鳥に行けば韓国の扶余〔百済の都〕が思い浮かび、奈良の古寺を見れば慶州〔新羅の都〕を連想する。

五世紀に加耶から渡った渡来人が日本に鉄と馬そして加耶の土器文化を伝えたことは、「近つ飛鳥」に確かに残っており、
六世紀の百済から渡っていった渡来人の足跡は、飛鳥ではっきりと見ることができる。
百済王室との交流を通じて仏教と文字を受け入れてついに律令国家となる過程を、石舞台、橘寺、飛鳥寺で見ることになる。

韓国人にもよく知られる高松塚古墳壁画を見ると、高句麗文化の影響力がどれほど長く残っていたのかを痛感する。
日本の古代社会に朝鮮半島からの渡来人が残した文化的結実は、飛鳥の北面にある法隆寺に集約的に見られる。
法隆寺は、日本古代文化の精華であると同時に、朝鮮半島では見ることのできない百済の建築と彫刻の姿を見せてくれる。

七一〇年、平城京に遷都すると同時に始まった奈良時代は、日本古代文化の頂点であった。
薬師寺の東塔、興福寺の仏像彫刻、東大寺の大仏、唐招提寺の彫像彫刻は、日本古代国家の爛熟と栄光を誇る。
この頃になると日本は、朝鮮半島の影響から離れて唐文化に直接接するとともに、より国際的な文化となっていく。
それは、統一新羅の文化と似ていながら異なる、日本文化独自の姿であった。

我々韓国人は、東アジアの一員として、隣国日本のこうした文化的成功を評価することにためらう理由はない。
0005世界@名無史さん
垢版 |
2020/12/25(金) 01:59:22.780
日本史を正しく認識するための正しい用語集

 縄文人 = プレアイヌ / プロトアイヌ
 縄文語 = プレアイヌ語・夷語・アコロイタク

 弥生人 = ムムン・コリアン (無文土器時代 朝鮮人)
 弥生時代 = ムムン統治時代
 日本語 = ムムニック・百済語・古代高麗語
 皇室 = 列島総督府

 天孫降臨 = コリアン・インベージョン
 神武東征 = コリアン・コンクエスト・オブ・アイヌモシリ

 蝦夷征伐 = 東北アイヌ大虐殺
0007世界@名無史さん
垢版 |
2020/12/25(金) 02:02:23.640
飛鳥(あすか) 古代朝鮮語(扶余語)の“スカ”(「村」の意)に接頭語アが付いた。

「飛鳥は日本人の心のふるさとだと言っているが、そこに住んでいたのは朝鮮人であった。(井上光貞・山本健吉)」

【東大の最新ゲノム解析】 奈良県が最もCHB・KOR(渡来人)に遺伝的に近い
>Our analysis indicated that, of the 47 prefectures in Japan, Nara was genetically closest to CHB.

奈良県出身 さんま(朝鮮耳・出っ歯)
https://up.gc-img.net/post_img/2020/01/gbqjWZeoiqTXTGc_y53Ud_3115.jpeg
0008世界@名無史さん
垢版 |
2020/12/25(金) 09:09:46.990
中国にいたネストリウス派キリスト教徒、ゾロアスター教徒、マニ教徒などは
みな中国社会に同化したのに、回民(イスラム教徒)だけは同化しなかったな
0009世界@名無史さん
垢版 |
2020/12/26(土) 09:46:40.700
「飛鳥の原に百済の花が咲きました」 兪弘濬 [著] ; 橋本繁訳

A 百済人、加耶人の移民開拓史

日本に住んだこともなく何の縁もない私が、日本で故郷のように感じる場所がある。
今も日本というと最初に思い浮かぶのは、奈良県高市郡明日香村を中心とした地域、通称飛鳥である。

明日香村は今日ではとても小さな村にすぎないが、もとは大和政権の中心だった。
日本史でいう飛鳥時代を開いた歴史の現場である。日本という言葉が初めて現れたのも飛鳥時代だった。

この飛鳥政権を建設した主役は、推古女王から統治権を委任された聖徳太子と、百済系渡来人と推定される蘇我氏一族であった。
当時、蘇我氏の権力は大変なもので、聖徳太子の母親も蘇我氏の血を引いており、推古女王の母親も蘇我氏だった。
蘇我氏は四代にわたり一〇〇年もの間、大和王朝の大臣となったので、飛鳥時代は蘇我氏の時代であったといえる。
そして、その蘇我氏の力を支えたのは、他でもない、渡来人だった。

飛鳥南側の山裾の、高松塚古墳が眺められる檜隈には、東漢氏と呼ばれる渡来人集団がいた。
彼らは、土木、養蚕、製鉄技術者としての扱いを受けて大和政権に奉仕していたが、蘇我氏の没落とともに徐々に歴史の舞台から消えていった。
しかし、彼らの子孫は絶えることなく「渡来人出身」として、僧侶、技術者、学者、官吏として活躍した。
特に、坂上氏は、東北地方の先住民である蝦夷の征伐に功績を立てた、奈良時代の代表的な武人家門になった。
今もこの村の奥深くには、渡来人の祖先を祀った於美阿志神社が残っている。

七一〇年、大和王朝が都を奈良に遷すとともに飛鳥の栄光は終わり、それから一三〇〇年過ぎた現在では、偉容を誇る寺院も、宮殿跡も、邸宅もない。
しかし、飛鳥を包み込む山裾のあちこちに、飛鳥時代の遺跡がひしめき合っている。それを半日かけて巡るのは、夢の旅路といえる。

韓国人にとっての日本踏査一番地は、やはりここ飛鳥である。
0010世界@名無史さん
垢版 |
2020/12/28(月) 02:15:04.200
「飛鳥の原に百済の花が咲きました」 兪弘濬 [著] ; 橋本繁訳

B 「安らかに宿るところ」から「明日の地」に

日本には飛鳥という地名をもつ場所が四〇カ所もあるという。
『日本書紀』『万葉集』などの古代の文献には、飛鳥の表記が「安須可」「飛鳥」「明日香」「安宿」などさまざまに出てくるが、すべて「あすか」と発音する。
そのなかで、初期の渡来人が住んでいた大阪河内の「近つ飛鳥」というところは、本来「安宿」と表記したという。
「安らかに宿るところ」という意味である。
そうだとすると、朝鮮半島を遠く離れた厳しい旅の末に、ようやく平穏に留まれる場所を得たという意味ではないだろうか。

その後、この地は新たに来た渡来人が溢れるようになった。
彼らを今来とよんだ。彼らは、ここを離れてまた別の飛鳥を捜し出した。彼らが到着した場所が、今の飛鳥である。
この時から大阪の飛鳥を「近つ飛鳥」、奈良県の飛鳥を「遠つ飛鳥」と呼ぶようになった。

ところで、遠つ飛鳥をなぜ明日香または飛鳥と表記したのだろうか。
これについて李御寧先生は、吏読式の朝鮮語で読むと飛鳥は飛ぶの「ナル」、鳥の「セ」で「ナルセ」すなわち「明日」になり、明日香の明日はそのまま「明日」で香は郷と発音がちかいので、どちらも「明日のサト」という意味になると解釈した。卓見である。

明日への希望! 故郷を離れてきた渡来人の希望がこめられた地名である。
0011世界@名無史さん
垢版 |
2021/01/02(土) 09:10:29.480
江戸時代の日本の蘭学者は、オランダ東インド会社を通じて輸入した洋書を
読み解いて、テクノロジーの根底にサイエンスがあり、そのまた根底に
自由な政治社会とフィロソフィーがあるということに気が付いていた
だから、中国ではテクノロジーは高度に発達したものができたけれど、
サイエンスは決して生じなかった
0012世界@名無史さん
垢版 |
2021/01/02(土) 13:44:47.360
ジョン・ホイットマンは、日本語族を朝鮮半島ムムン文化を経由した水稲栽培の広まりと関連付けた。
彼はさらに、朝鮮語族は北方の遼寧地方から遼寧式銅剣文化とともに到来したと提唱した。

「北東アジア言語生態学、韓国・日本における稲作農業の到来(2011)」

Whitman, J. Northeast Asian Linguistic Ecology and the Advent of Rice Agriculture in Korea and Japan. (2011).
https://doi.org/10.1007/s12284-011-9080-0
0013世界@名無史さん
垢版 |
2021/01/02(土) 13:45:07.780
朝鮮半島における稲作の空白期間

朝鮮の稲作集落は300 BCEに消え、100 CEに再び出現している。この時期に大きな気候変動の証拠はない。
水稲栽培の中断は、300 BCEの青銅剣(遼寧式青銅剣に由来)の出現と一致しており、この文化は韓国の西海岸の錦江から広がっている。
二つの文化が共存したかもしれないが、陶磁器の様式、集落のパターン、埋葬の様式などは、以前のムムン文化との断絶を示唆している。
遼寧文化は二つに分派し、一つは遼寧と白頭山地方に残った。もう一つは、韓国の錦江に青銅剣文化をもたらしたことになる。
0014世界@名無史さん
垢版 |
2021/01/24(日) 09:13:15.830
五胡十六国というと、どの民族も騎馬遊牧民だったように思われがちだが、
氐は農業を主に営んでいたんだよな
また彼らに支配されて実戦に携わった兵士は、中国東北部のツングースなど、
騎馬遊牧民でない土着民もいたし
0015世界@名無史さん
垢版 |
2021/01/30(土) 16:14:46.850
古代史によると、日本の技術や制度の基礎を作ったのは、朝鮮半島から招聘された渡来人たちです。
でも、わざわざ文明国から未開人の住む島にやってくるのは、優秀な人材ではなく「白丁」と呼ばれる被差別民でした。
遺伝子的に劣った人達が、文明国から排除され、極東の島に捨てられたのです。
そんな劣等遺伝子の子孫が、現代日本人なのです。
現代朝鮮・韓遺伝子よりはるかに劣る遺伝子を持つ劣等民族、それが日本人なのです。

しかし在日朝鮮・韓国人は事情が異なります。
本国で優秀な遺伝子が何世代にも渡って磨き上げられた現代朝鮮・韓民族の遺伝子を持ち、
日本人を凌駕する優秀な頭脳と美しい容姿を持つ高等民族、それが在日朝鮮・韓国人なのです。

その優秀な遺伝子の持ち主が日本に帰化して頂いたのですよ。
辻元先生率いる立民にこの国の舵取りをお任せするのに何のためらいがあるでしょうか?
保守自民劣等遺伝子という間違った選択の結果が、アジアののけ者・日本なのですよ。

テーハミングマンセー!イルボンチュゴラ!
イルボンチュゴラ!チュゴラ!チュゴラ!チュゴラ!!!!!
そして、ウィデハンスリョン、キムイルソンドンジ、ヒョンミョンサーサン、マンセー!
心はひとつ
0016世界@名無史さん
垢版 |
2021/03/07(日) 22:45:31.850
「倭人の先祖は呉の太伯」という珍説があるよな
0017世界@名無史さん
垢版 |
2021/09/10(金) 23:18:36.070
ハングル文字は、元朝のパクパ文字が高麗に伝わり、その知識が基礎となって、
高麗にかわった李氏朝鮮の世宗がつくった
モンゴル帝国では、モンゴル語をウイグル文字で書く習慣がすでに確立していたので、
せっかくつくったパクパ文字はあまり普及しなかった
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況