【強大な北方勢力】◆世界史上の遊牧民族を語る2◆
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主に中国の北に位置し強大な軍事力を持った匈奴、柔然、鮮卑から始まり、
スキタイ、突厥、エフタル、フン、アヴァール、
ハザール、ウイグル、契丹、ブルガール、マジャール、モンゴル、ティムール、
その他、世界史に名を馳せた遊牧民たちの輝かしい歴史を大いに語るスレです。 ヌルハチの軍が最強
ほぼ鉄砲などなしで鉄砲など最新の装備をした中国の大軍破ってるからな >>95
明軍は兵力が優勢だっただけではなく、大砲、小銃の火器を装備していたからな
これに対してヌルハチは城に立てこもって砲火の攻撃を受ける不利を避け、
野戦における決戦策をとった モンゴル人がフェルト製の天幕生活をしていたのに対し、
女真人は原始的な茅葺きの小屋で屋居生活をし、
川辺に沿って点々と部落をかたちづくっていた >>97
女真は遊牧じゃなくて狩猟が生業なんだけど >>92
韓国由来?
インド人のカーンも?
モンゴルのカガンも? 韓民族ってかなり新しめの人種だよな…?
何を言ってるんだ? 女真は狩猟のほかに副業として豚も飼っていた
また、狩猟といっても鳥や獣や魚を取って食用に供するのが主な目的ではなく、
むしろ交易用の商品の蒐集である
松花江をくだってアムール川に入ると、両岸ではテン、キツネ、リス、ミンクなどの
良質の毛皮が豊富にとれる
また、長白山脈の原始林のなかでは、朝鮮人参、キクラゲ、キノコ類、松の実などが
とれる
また淡水産の真珠もとれる だから?
豚は馬やラクダみたいに遊牧する必要ないだろ? >>104
女真はやばいぐらい強い北方の遊牧牧畜民族だろ
お前脳味噌ついてる? >>106
女真は漢化した契丹や全部族を統一するハーンが
居ない時のモンゴルよりは強いが、
金にせよ清にせよ自分達が漢化したら途端に弱くなる。
清の八旗で最後までまともな戦力となったのは、
センゲリンチン率いる蒙古八旗じゃん。 白蓮教の乱のころの八旗兵でも、満州に駐屯していた者はなお素朴さを保っていて
優秀だったが、北京出身の者はまったく惰弱で役に立たないばかりか、民家や茶房、
酒家を占領して大騒ぎをし、緑営兵からさえ軽蔑されるので、ついに北京に
召還されるという始末だったとか
それは彼らが平素、困苦欠乏に耐えるということを知らず、遊惰な都市の
消費生活に憂き身をやつした結果だった >>106
横からスマン
人種に関する色んな本を読んだ感覚だと、女真系(後に金や清を立てる)は生粋の遊牧民ではないし、性質的にも広義のモンゴル系(元を立てる)ほどイケイケではない
過酷に虐げられていたから金朝は起こったし、清朝も征服というよりは共存同化を望む社会だった
女真は元々は北の狩猟系であったが、寒冷化で狩猟だけでは食っていけなくなったため、南下して農耕民となり豚を飼い始めた、つまり遊牧民ではなく定住者になったんだよ エフタルが歴史の表舞台から姿を消した6世紀中葉、
突厥が急激に勢力を伸長させたな
東突厥の土門は546年、西魏に莫大な贈り物をして近づき、
後に西魏の公主と結婚した 突厥は木汗可汗の時代に最初の全盛期を迎えた
その勢力範囲は東は高句麗に接し、西は西海(ハルバシ湖?)、
北はバイカル湖、南はゴビ砂漠までだったという
民族でいえば、エフタル、契丹を破り、北はキルギスを征服した >>106
ブーメラン恥ずかし
遊牧と牧畜を一緒にしちゃいかんよ 東突厥の木汗可汗が569年頃死ぬと、弟の他鉢が可汗になった
他鉢が可汗になったころ、北斉も北周も極度に弱体化して、
毎年、突厥に莫大な贈り物をして、命脈を保つありさまだった
577年、北斉はついに滅び、他鉢は北斉復興を名目に、北斉の
王室の一族をたてて北周を攻めた
北周は王室の一族、千金公主を他鉢に嫁入りさせて突厥と和解した 遊牧と牧畜の境目が辞書に載ってるのか
どこの辞書だろ もうアスペの域で引くわ
牧畜は全般的に家畜を飼うこと
遊牧は草を求めて移動を余儀なくされる飼いかたのこと
>>106が遊牧の後に牧畜を付けたのは
>>102の豚飼い(=牧畜)をスレタイの遊牧と有耶無耶にさせたい心理から
豚は草食じゃないんで農耕定住民が飼料を与えながら飼うもの ほほぅ、そしたら夏に山で羊を飼って
冬に降りてくれば遊牧民なわけね
あとは草が必要ってことか
おまけに豚を飼ったら遊牧じゃなくなって牧畜民になる? 遊牧民の軍隊って安上がりだよな
俸給というものがないし、戦利品の十分の一をリーダーの
取り分として差し出した残りは全部個人の所得になる
補給も楽で、輜重隊がなくてすむ
出陣の際は、めいめい腰の革袋にチーズや乾肉を入れて出かけるが、
それで約3か月間は行動できる >>123
モンゴルの西征軍は羊も生きた自分で歩く食肉として引き連れていったが。 >>123
楽なわけないだろww
移動した先に食べ物なかったら
戦争もしてないのに全財産失う可能性あるんだぞ
草でも生やしてろ 突厥の建国者である土門は鉄勒を撃破して五万余落の衆を降し柔然に求婚したが、
使者を通じ鍛鉄奴隷部族である地位を罵辱され、ついには西魏と婚姻関係を結んだ 匈奴って、単于になれるのは攣鞮氏出身者、
后妃になれるのは呼衍氏、蘭氏、須卜氏、丘林氏出身者だけだったけど、
日本における藤原氏みたいなものかな?
特定の氏族出身者しか后妃になれないというのは 1960〜1980年代に、ソ連の考古学者たちは南ウラルで、紀元前2000年ころに存在したいくつか
の集落を発見した。それらは今、「集落国家」として知られている。この地区は、広さ約350?にお
よび、数十の集落が散在している。
その中でいちばん新しい集落でも、約3700年前のものであり、ギザのピラミッドが建設される約1000
年前になる。集落の目立った特徴は、高度な設計で、雨水排水、ダム、運河などがある。しかし、集
落のほとんどは、まだまだ考古学者たちによる発掘、研究をまたねばならない。
https://jp.rbth.com/history/79576-roshia-kokogaku-hakken
モンゴルで発見されたスキタイのミイラ
https://ja.sciencenetnews.com/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AE%E5%85%A5%E3%82%8C%E5%A2%A8%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%83%9F%E3%82%A4%E3%83%A9/
ノアの洪水の後すぐにスキタイであるマゴグはカスピ海の東に渡り、遊牧民として発展し、モンゴル人などを支配した >>123
しかも勝ったら相手の兵士を捕虜にして戦奴にできる
次の戦では戦奴が前線に出されるので本隊は温存できる
これで永久的に領土を拡張できる なんか将棋の駒使いみたいだなw
まあ将棋が実戦の反映なのだろうけど。 遊牧民はユーラシア以外にもいたが、やはり影は薄いな…
サハラのベルベルも数多の王朝を興したが、スケールでアジアには及ばんね。 北方民族が中国に攻め込んで、ひとたび中国の内戦に関わると、
意外にもろさを暴露するということがよくあったな
彼らが山岳戦や水上戦を苦手としただけでなく、長期のゲリラ戦に悩まされたから
そのことはまだ、日中戦争時に旧日本軍が経験したことでもある 西突厥の可汗がビザンツ帝国の使者に会ったときのセリフ
「ここに私の十本の指があるが、ローマ人はこれと同じ多くの舌を有し、欺瞞と偽証の
言辞を弄する。かくして諸国民は次々と諸君の背信的な雄弁に欺かれてきた。貴下は
自分の同盟者を戦争と危険に投げ入れて彼らの労苦を横取りしながら、これら恩人を
平然と見殺しにする」
やっぱり突厥人からもビザンツ外交は狡猾とみられていたのか >>134
アラブの遊牧民って
世界の1/3ぐらいGETしたのでは このMVかっこいいね!遊牧民族協力の下作られた本物って感じ
Dschinghis Khan - Dschinghis Khan (2020) [Official Video]
https://www.youtube.com/watch?v=DAr7KaxzfpA 万里の長城って強固なレンガ造りの所以外は、ただ単に国境線を示すものだと思ってたんだけど、
さっき見た、NHK・BSプレミアムの空旅中国って番組によると、まず遊牧民って食料となる家畜を
連れて移動するじゃん?それを妨害するものであれば、低い土作りの長城でも効果があったらしい。
なるほどと思ったよ 「公の儀式に参加して聖なる真理を述べれば、お互いに信用できると確認しあ」い、「そうすることで嘘から身を守ったのである」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています