隋唐帝国
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>>850
以前から感じてたが、お前は本物のバカだな(笑)
心から軽蔑しかわいてこない 「漢朝が滅亡して三国時代に入ると、豪族の荘園が広がって均田制が崩壊しました」という、どうしようもない誤認識
貴族の荘園が広がって均田制が崩壊したのは、唐の後期のことだな 漢文を読み書きするからといって、漢人とは限らない
ラテン語を読み書きするからといって、ローマ人とは限らないのと同じだ
実際に日常会話がどうだったかは、聞いてみないとわからない >>851
馬鹿はお前だよ
毎回短文でくだらないこと書き込んで、しかも根拠が全くないもの
賃金も低そう >>853
お前もなんか書き込んでるけどチンパンジーだもんな(笑) 始皇帝による全国的な郡県制で一旦封建制が終わって
漢代に郡国制と言う形でかなりささやかな形で復活して
魏も一応ちょっとだけやってるけどこの時期まで来たらほぼ消滅かな?
宮崎市定が武川鎮軍閥関隴集団について封建制の性質を有してたと論評していたが
この集団が鮮卑の遊牧民的、部族的な特徴を残しており
部族単位での資産や兵権の保持を認めざるを得なかったという
古代の氏族単位で封建制が成立した時代に相似する社会構造になっていたということが伺えるな >>853
聞いてみないとって、
少なくとも後世の記録からは話言葉も中国語だったんでは? >>860
鮮卑語の話し言葉が絶滅してる時点で察し >>861
お気持ちをお察しするような事で学問って成立しないから
後世の記録から、というならちゃんとその記録がどのような存在か説明しないと説は不成立 >>862
日常会話が中国語以外の未知の言語だっていう主張こそ妄想お気持ち発表なんだが 武川鎮軍閥の武人たちが鮮卑語だったってのは、当時の記録にも残っている
そいつらが関隴集団となり、隋唐帝国を建てた 北魏の漢化政策の一環で朝廷で「北俗之語」を使わないように、という命令が出されてるな
つまりこの時点までは漢語以外の言語が朝廷で使われており
また朝廷の外では以降も通用していた、ということになる
後世の記録ではこれ以降どのように推移して鮮卑たちの言葉が消滅してしまうのかはよくわからないね
>>863
現在の中国で話されてる言葉は多種多様
普通話という満洲人の朝廷で使われた北京官話からなので漢民族の言語と満洲民族の言語の混合されたもの
漢民族の言語で一番由緒正しいのは客家語でこれ以外は結構他の民族の言語が混ざってる >>864
では貴方が根拠としたその「後世の記録」とは何か
記録されたものの名前くらいは書けるよな? >>867
普通に史書
隋唐代の話し言葉がなんか異様な言語だって言うならソース出しなね >>867
お前は動画とプリントがソースのくせに相変わらず偉そうだな
ゴミのような人間性だ >>868
「異様な言語だった」という主張はしてないのでソース出す必要もないな >>870
シーライオニング乙
そもそもお前がまともなソースを出す番だ >>871
中国語以外の未知の言語を喋ってたといいたいんじゃなければ単なるダル絡みだな
邪魔だから消えな とりあえず「後世の記録」の記録名の名前と該当箇所の抜き書きしてからにしてくれ
ちなみに「北俗之語」は魏書孝文帝紀太和19年の詔勅だ >>874
記録がないっていってんのに記録名を抜き出せもくそもないもんだ
悪魔の証明って知ってます?
ちなみにその北俗語ってのは鮮卑系の語彙のことな
文法構造や語彙を一緒くたにしようとするのは言語学の常識もない証拠 >>875
>>859を見ろ
859 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2021/04/01(木) 12:22:14.17 0
>>853
聞いてみないとって、
少なくとも後世の記録からは話言葉も中国語だったんでは
と言ってる以上記録があるという前提で話を進めているのは君なので
記録名およびその記述を用いてどのようにその結論を導いたか説明せよ
それと語彙云々と言う説明をしている論文でも持って来るべきだね
〇〇之語の用例を見れば
魏書の文帝拓跋沙漠汗紀
自帝在晉之後,諸子愛寵日進,始祖年踰期頤,頗有所惑,聞諸大人之語,意乃有疑。
で「諸大人之語」は「聞」するもので話し言葉であり語彙を表さない
同じく魏書の宣武霊皇后胡氏傳
時人為之語曰「陳留、章武,傷腰折股。貪人敗類,穢我明主。」
これも語彙の意味ではなく人々はこのように語ったという意味でそちらの主張とは相反する >>876
いやその文持ってきたところで何も覆せてないが。
仮に語彙だけの話じゃないとしてもそれが中国語や漢文と全く違う北方系の膠着語であったとそれこそ「どこに書いている?」という話
単に北方訛りの中国語であるという可能性のほうが高いね。
五胡が中原に到来してから何百年経ってんのって時点の話だし
後世の記録(いずれも中国語で記録)を見る限り当時の話し言葉も中国語だろって話であって
いちいち説明する必要ないと思うけど日本語もまともにわからんのかね >>877
うん、じゃあその説を補強する「後世の記録」を出してね
論理の部分に君の思い込みしか書いてないよ >>866
混合というか、
満州語の影響をわずかに受けただけだろうな
日本語に対する英語の影響よりも少なそう 凄いな
「語彙だったんだ!語彙に決まってる!」しか言ってねえ 「古代漢民族は絶滅して北方民族に入れ替わった」という話と、
朝廷で北方民族の言葉が使われていたという話は分けないと >>878
思い込みはお前がやってることでしかないけどな
なんも立証できていないもん
一方でこちらはいくつも根拠を挙げてるよ
・北魏代で既に漢化が相当進んでおり言語も中国語化が進んでいたと考えられること
・鮮卑語の記録がないこと
・鮮卑語が現在死語と化していること
・後代及び現代中国語における鮮卑語の口語の影響が極めて僅少であること
他の地域の例で考えてみても、バイキングが支配者として君臨したロシアやノルマンディー、イギリスなど
いずれも少数の支配者の言語は数世代で話されなくなり、庶民の口語を塗り替えるに至っていない 武川鎮軍閥の武人たちが鮮卑語をしゃべってたのは、当時の記録にも残っている
そいつらが関隴集団となり、隋唐帝国を建てた >>883
で、漢民族にくらべて遥かに少なかったからすぐに中国語話者になったと >>882
とても「少数の支配者」なんてものではない
北朝ではだいたい、漢人2.5人に対して北族1人くらいの人口比率だ
しかも、この両者の関係は対等ではない。北族が支配者であり上流階級なので影響力は大きい >>882
唐代の言語で書き文字を持たない口語だけの言語って
他の言語もほぼ消えてるし、どれがどの言語の影響かってほとんどわかってないぞ?
それ全部根拠になってないよ
それより先に主張した>>859で言う後世の記録まだー? >>884
いや、たしかに漢人のほうが多かったが、それほど差はなかった
とくに、隋唐の本拠地である陝西地方では、「あいなかばした」と宮崎市定も言ってた >>881
そうだね
でも実際に北方民族の言語が保持されてたのってかなり短いと思うよ
満州人のアイデンティティを守ろうとした清朝ですら、満州語は初期の時代でほとんど用いられなくなり、
中国語に満州要素が加わった北京官話がもっぱら使われたので
皇室も満州語ネイティブではなくなった
いわんや鮮卑語をや >>883
そんな記録はないな
喋ってたのは鮮卑訛りの中国語だよ
おまえリーベンレンアルヨっていう中国訛りの日本語と同じ >>886
後世の記録で鮮卑語を使ったという記録はないよ
あるというなら出してくれ
ないことの証明はできないからなあ >>886
影響わからないうえに現在も残ってない言語がなぜ口語として優勢だったと判断したのか根拠を示せよ ノルマンディはノルマン方言が生まれて従来のフランス語とは異なる特徴持ったよな
イギリスの場合、ノルマン人の襲来の後でブリテン人の王朝が復興して、を繰り返して
最後のトドメにノルマン方言フランス語話者のウィリアム1世がイングランド王になった
少数のフランス貴族がイギリスを支配する事で中英語に変化した
むしろ少数の支配者の言語がちゃんと後世まで影響を及ぼしてる例だよなぁ…うーん… >>893
わかってねーなあ…
言語接触による語彙や文法の変化と
語派・語族レベルの転換って次元が異なる話だぞ
ノルマン人やデーン人が支配したイングランドの言語は
古英語にノルマンやデーンの語彙や文法の影響を与えたが
結局言語は英語のままなんだよ
中国もそれと同じで、中国人の使ってる言語は通時的変化をしつつ基本的に同じである 中国で鮮卑語が口語として優勢になってたというなら
古代エジプト語がイスラムの征服でアラビア語に取って代わられて、
直接の子孫がコプト語って形で細々と残っているというような形になってるはずだろ
現実は鮮卑語が死語化して中国語話者が13億人 >>895
いや、妄想ではない
「北朝ではだいたい、漢人2.5人に対して北族1人くらいの人口比率」
>>810
「だいたい、漢人2.5人に北族1人、もしくは漢人3人に北族1人くらいの比率と推計されている」
↑これは名著「中国征服王朝の研究」で知られる京都大学の故・田村実造名誉教授が、当時の戸籍統計を綿密に研究した推計による
宮崎市定によると、「チベット系も含めると、陝西地方の人口の半分は異民族」だった >>896
漢と唐では、同じ文字を使っていても、発音が大きく異なる >>892
隋書李徳林傳を読むと
武帝嘗於雲陽宮作鮮卑語謂羣臣云
と北周武帝が鮮卑語で臣下を会話している様子が記録されてる
臣下もこれに鮮卑語で返答した事から、北周の朝廷では鮮卑語が用いられていた事がわかる
また北史等でも官人が「能く鮮卑語に通じる」という評価で出世する様子が記録されており
孫搴傳には「能通鮮卑語,兼宣傳號令,當煩劇之任,大見賞重」と書かれている
彼は鮮卑語が上手だという評判でもって貧乏人の出ながら、軍における号令係として出世し
最終的には名誉鮮卑扱いになり妻韋という鮮卑姓を賜る事になった
拓跋国家において鮮卑語というのはそれだけ上流階級が使う話し言葉としての地位があった >>898
日本語だって600年の間に変わりまくってるのでは? あーすまん
賜妻韋氏とあったんだが妻韋氏を賜ったと読んでしまったが
他の鮮卑姓を賜る時の表記が賜「姓」〇〇氏だから
妻に韋氏を賜った、という意味だった
名誉鮮卑云々というのは誤読だから訂正しておくわ 「北斉書」によると、東魏・北斉の高歓は三軍に命令するとき、常に鮮卑語を用いていた
鮮卑人は、漢人の朝士を軽んじる傾向があった >>894
デーン人は古ノルド語印欧語族ゲルマン語派か
古英語は印欧語族ゲルマン語派か
なるほどね
それで中英語印欧語族ゲルマン語派で
ノルマン語とアングロ=ノルマン語はイタリック語派として
貴族社会で使われたが今では残ってない、と 時代によって発音が変化することと
別の言語に入れ替わることが同列か
せめて言語学の初歩くらいは囓ってこい >>905
同じ文字を使っているからといって、同じ言語だと決めつけるべきではない
漢文なんて、日本人も朝鮮人も読み書きしてるんだぞ
それと日常会話はまったく別 「同じ文字を使っているからといって、同じ言語だ」なんて誰も言うてないやん
幻でも見えてんの? 唐人をタイムマシンで漢代に連れてったら(逆でもいいが)、会話はまったく通じない
漢文で筆談するしかない この時代の漢文、漢語を中国語と言うことで勘違いが増えるんだよな
中古の漢語を中国語と言うのは政治的過ぎるから止めた方が良いし
漢人も中国人とするのは政治的主張だなー >>906
じゃあ違う言語を使っていたという根拠をだしなさい >>899
それ北周が反動的に鮮卑文化の復古を企図した国だったから
復古趣味としてそう振る舞っていたにすぎないぞ
そもそも自然な言語現象というより人為的な言語政策だ
その割に国制は古代周を理想にしたりわけわからん国だよ
北周が潰れたら皆漢姓に戻してるし察し 孫搴は北魏東魏の人だから北周に限った話でもないんだがなー >>909
いちいち政治的とか言ってるのお前だけやん このスレも終わりだな
壊れたバカ左翼が1人いるせいで、北朝の話から先に進まない
「隋唐帝国」なのに、隋の手前で止まっているな(笑) >>914
馬鹿なのは妄想しか語らない無知無知のせいだぞ 政治的主張がしたい人がいるねー
やけに漢人や漢民族を定義したがるところに透けてみえるわ否定しかしてないくせに 現実を指摘するとサヨク連呼してくる奴ら
普段どんな馬鹿な言動をしてるのだろうなあ 散々ウヨクのなんのと言ってた奴が言ってる事だと思うと片腹痛いな ええから、言語学の初歩くらい囓ってから出直してこい
もし、言語学くらい知ってるて言うんならどんな文献で学んだか書名挙げてみろ 言語学がとか言う割には言語学的な論文の引用も何もないよね >>899
鮮卑民族主義に目覚めた北周が無理して復活させた鮮卑語を
貴族がいやいや使ってる状況が目に浮かぶわ
しかも上流階級の話し言葉って自分で言ってるし
やっぱり支配下の漢人や胡族が話してたのは中国語なんだよなあ だいたい鮮卑語が上手くて出世できた漢人が特筆されてる時点で
大多数の漢人は鮮卑語ネイティブじゃないってことじゃん >>922
あれれ?すり替えが始まったぞ〜wwwwww
関隴集団の言語が鮮卑語だったという話をしていたのに
一般人は〜とか言い始めちゃったぞ〜 >>924
いやそんな話元からしてないけど
してると思ってたならお前が文盲かアスペなだけ もともと隋唐の話し言葉がアルタイ系って話から始まったのに
時代は北魏や北周に変えるわ
対象は支配層や関隴集団に変えるわ
すり替えまくってるのは鮮卑厨の方だぞ 歴史学のお話をさせて貰うと宮崎市定の各種書籍でもそうだが
内田吟風の「北朝政局に於ける鮮卑及諸北族系貴族の地位」は
基礎の基礎だから、それを読んでない発言はぶっちゃけゴミでーす
谷川道雄の「初期拓跋国家における王権」とかも是非抑えて欲しいね
昨今の拓跋国家論だのなんだのに影響を与えてる半世紀以上前の論文だからヨロシク
>>926
おっと更にすり替えが始まりました!
それは鮮卑であることを説明するための派生の議論で
レス番300前後くらいからの鮮卑かどうかの話に付随するものなので
そこを「もともと」というのはすり替えでーすwwwwww >>927
また発狂かよ
463以降の流れ百回読み直せ
議論に負けそうになるとすぐ論点そらすからな、ごみ箱 鮮卑であることを説明するための議論(笑)
またそこに防衛ライン戻すのかよ
早く謝ればいいのに馬鹿だよね まあ中国での言語の入れ換えみたいのは周以降はまず無さそうだね もうレスが900超えてんだぞ、いつまでやってんだ
何がなんでも相手より長く続けて、最後は必ず自分の勝利宣言で締めくくろうとする
それが左翼の爺さんの好む手法だ。
頭は悪いけど、頑固さでは負けない(笑) >>899
>武帝嘗於雲陽宮作鮮卑語謂羣臣云
>と北周武帝が鮮卑語で臣下を会話している様子が記録されてる
>臣下もこれに鮮卑語で返答した事から、北周の朝廷では鮮卑語が用いられていた事がわかる
これは恣意的な引用よいところだな
原文の続きを引用すると「我常日推開李コ林名,及見其與. 齊朝作詔書移墩我,謂其是天上人。當
言今日得其驅使,復為我作文書,極為大異。」
おれが鮮卑語で喋ってるのにうまくその意を組んで文書を作ってくれて李くんはまじ天才児だわー
って意味ね
武帝は常々鮮卑語を使っていたけどそれを理解できる人が少ないからこそ褒められているわけ
北周で鮮卑語が日常会話としてつかわれていたのならわざわざ「作鮮卑語」なんて特記しないからね
まぁ孝文帝の「断諸北語」(すべての北族の言語を根絶やしにする)政策から半世紀しか
まだ経ってないからある程度は鮮卑語を解する人はまだいただだろう
しかし君が引用している数々の伝にある通り鮮卑語理解できること自体が特筆する程度には
話者が少なくなっていたわけだ そりゃそだろ?
鮮卑語は書き文字ないんだからどうしても漢語等に翻訳する作業を経るんだし
綺麗に翻訳してくれたら嬉しいよな 書き文字なくても万葉仮名みたいに転写すればいいぢゃん
いくら鮮卑意識高くてもやっぱ正文は漢文なんだよね そういう天才的な発想できるのって日本だからこそなんだよなぁ >>938
万葉仮名的な漢字の使い方って三韓のパクリなんだが この場合の三韓って、高句麗・百済・新羅の三韓か馬韓・辰韓・弁韓の三韓のどちらですか? >>946
高句麗は扶余族であって、満州族(マンチュリア)とは関係がない
満州族は、満州に住んでいる民族を指す意味ではない 高句麗が扶余というのは自称であって実際は系統不明
それと金も清も高句麗の後裔を名乗っているので無関係ではない
考古学的には高句麗と渤海は靺鞨同仁文化に属し、この文化は10世紀以降に女真文化とオホーツク文化に分岐しているので
単なる権威付けの自称とは言えない >>949
言語学的には、高句麗も渤海もツングース系であり、女真族も同じくツングース系の言語だったので、文化圏的には繋がりはある
それは大前提の話だ
だからといって、高句麗が女真族の祖先が建てたとか、満州族またはその近縁だったといわれれば、それは明白な誤り 明白な誤りと言うのが明白の誤り
高句麗時代の集落がそのまま女真時代まで連続しているのはどう説明するのかね? レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。