隋唐帝国 二
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唐の高祖は625年に「先老後釈詔」を発し、三教の序列を
道教、儒教、仏教の順として中国文化優先策をとった
高宗は『老子』を科挙の出題に加えた
これは老子の無為の治を理想としたためである
高宗はもともと道教を好んでいたようであり、
金丹の服用にもやぶさかではなかった
治世の後半はその副作用に苦しめられたため、
実質的に妃の武后や皇太子に国政を任せたとされる 唐代、他のアジアの国々に比べて、日本は人の交流が少なかった
例えば新羅の場合、遣唐使は一年に三、四度ということさえあった
留学生の数も圧倒的に新羅が多かった
新羅の留学者はおもに十代の青少年で、彼らは唐の大学に入学し、
業を終えると、唐朝の官吏試験を受けて、高官になる者も珍しくなかった
日本の場合、唐の学校に入学した人物は阿倍仲麻呂しかいない
仲麻呂はまた、唐の官吏試験に合格したことのわかるただ一人の日本人でもある その阿倍仲麻呂でさえ、在唐三十数年ののち帰国しようとしたぐらいで、
後半生の昇進はある意味では不本意なものだっただろう
こうしてみると、日本人は古代から一時的に外国に留学・滞在しても、
結局は母国に帰りたがるという傾向が強い民族だったのかもしれない >>853
新羅は王子が遣唐使になってたりする。
途上で船が沈没して溺れた王子もいた。
王族でも危険を犯して唐に赴く。
日本は皇太子が渡海したりしない。
その差が白村江の戦いで現れたんだろう。
国際情勢の情報量の差が違う。 新羅は唐の属国だから、王族は人質替わりに唐へ行く。
陸路でも行ける。
日本から唐へ行くには、南海を渡るルートを使ったから、途中で遭難しまくり。
確か遣唐使の半分以上は無事で戻ってこれなかったはず >>855
倭は新羅と戦ったわけではない
倭が戦った相手は唐。新羅など添え物にすぎなかった 新羅や百済は高句麗を滅ぼすのに利用されただけ。
白村江の戦いには、旧百済王族が唐軍として参加していた。
高句麗が滅亡したら朝鮮半島全土が唐の支配下。新羅も鶏林州都督府の管理下で属国扱い >>855
> 新羅は王子が遣唐使になってたりする。途上で船が沈没して溺れた王子もいた。王族でも危険を犯して唐に赴く。
普通は、そういうのを「人質」というんだが? 唐・新羅戦争
唐・新羅戦争(とう・しらぎせんそう)は、670年から676年に行われた唐と新羅の戦争である。
唐と新羅は、同盟を結び、660年に百済を、668年に高句麗を滅ぼした。しかし、唐は、百済の地に熊津都督府を、高句麗の地には安東都護府を設け、さらに新羅も鶏林州都督府として、新羅の文武王自身も鶏林州大都督とし、朝鮮半島全体を支配しようとした。このため唐と新羅は対立するようになった。文武王は、高句麗遺民の高句麗復興運動を支援した。670年3月、高句麗遺民軍と新羅軍が鴨緑江を渡り唐軍を攻撃し、戦争が始まった。 >>859
人質であろうが学べるじゃん。
留学体験がある者が実権を持つ王位に付くのと
留学生が帰国後テクノクラート止まりなのとの差がある。 百済王族や新羅王族は、かつて日本にも留学に来ていたらしいね >>861
丁度、唐が吐蕃に大敗したのを見計らって、戦端を開いてる。
こういう機敏さは見習うべき。 >>864
武烈王は唐にも日本にも来たことがあ
る。
唐の要請で遣日本使を出したこともある。唐は日本の情報を得たかった。 >>864
日本に来た百済王子に肩入れしてしまった結果が白村江の戦い。
助力するに値しない最低の王子だったんだが。 >>865
戦火を交えてる最中でも冊封を続ける腹芸も、外交に必要。 宿敵高句麗を滅ぼしたから、あとは用なし。
朝鮮半島に価値などないから、新羅が朝鮮半島を略奪しても、渤海が出てこようとも黙認 渤海は、新羅同様、最低年一回、多いときは二、三回も唐に朝貢している
留学生も日本より多かったらしい
やはり地続きの大陸の国々は違うな 新羅は、唐と倭の両方に朝貢する二重従属国だった
国力の最盛期には、倭に対しては態度がデカくなったが、それだって何十年も続いたわけではない 唐からしてみれば東の蛆どもがなんか騒いどるくらいの感覚だったのかな >>854
新羅に生まれて唐で大学を出たり高官に登った人は、新羅には帰らなかったの? >>873
んなわけがない
高句麗は隋の煬帝からの宿敵で最大の脅威 >>856
高麗は唐と対立してたし、遠交近攻策も良く知っていたから、おいそれと新羅の使節を通したとは思えないんだけれど、それでも陸路云々?
そういえば、日韓トンネル(対馬海峡トンネル)の推進を言う人(韓国人に多い)も、日本がアジアと陸路でつながるのがメリット言うけど、
北緯38度停戦ラインで陸路はドン詰まりだよね?
千年前から棒子はアホなん? しかし、北京から見た極東と、長安から見た極東とでは、やはり見え方が違うだろうな
明朝や清朝にとっての極東の重要性はさらに大きかった 新羅が頻回に遣唐使を送っていた時には、既に高句麗は滅亡していた。
そもそも高句麗と高麗の区別もつかないのか? >>876
今でも、大統領候補が「韓日海底トンネルの実現」を公約に掲げ、それに対して
「島国の日本が大陸と連結するのだから、メリットは日本の方が大きい」という異論が出ている
いくらアジア大陸が広いったって、太平洋のほうがもっと広い。
日本列島は全面的に太平洋に面していて、どこにでも行けるんだが・・・(笑) 高句麗と百済が同盟して新羅を攻撃して、新羅が滅亡寸前だった時には、新羅は必死に唐に救援を求めいたらしいが。
それは遣唐使とは呼ばないだろう。 新羅からの救援要請を受け、唐は百済に停戦勧告をした。
しかし百済が停戦勧告に応じないため、唐は新羅を救援して百済が滅亡することになる。
唐の新羅救援の本当の目的は、百済を滅ぼすことではなく、高句麗攻撃だったから、百済滅亡後も、旧百済王族には寛容であった。 そもそも、新羅から唐というのは、陸路で行くようなところではない
話の前提として、それを知っとかないと遣唐使も理解できない
https://pds.exblog.jp/pds/1/201101/16/68/f0215268_1995227.gif 南朝鮮から中国大陸まで陸路で行くのは、和歌山から徳島まで行くのに神戸を経由するようなものだ
ものすごい遠回りで、しかも北方民族のいる危険地帯を通ることになる
古代の倭にとって朝鮮半島南部の権益が死活問題だったのも、この海洋ルートを確保することにあった
(あと、鉄鉱資源もあったが) 古代の倭船で東シナ海を横断するのは、大変危険だった
朝鮮半島から山東半島に渡る航路が必要だった でも、こうしてみると最短航路は、韓国じゃなくて北朝鮮からだな
平壌の外港の南浦あたりから行くのが、山東半島へは最も近い >>682
カンボジアのアンコール寺院跡とかご存じないかい?
バリ島は現役でバラモン教が優勢。
マレーシアも、ブミプトラ政策で扱いに苦慮するマレー原住民系婆羅門教徒が少数居る。 航路をよく見ると、博多を船で出て、対馬を通って任那のあたりに上陸する。
そこから百済の沿岸を伝って、山東半島へと転じる航路
こうしてみると、倭から大陸に渡るときに通るのは、任那と百済。新羅(統一前)は通らない
倭がどうして、天下の大唐帝国を敵に回してまでも百済を勢力下に置き続けようとしたか。
それは、この航路を知らないと分からない >>885
遣隋使や初期の遣唐使は、朝鮮半島伝いのルートを使ったらしい。
しかし、白村江の戦い後は、朝鮮半島伝いのルートは使えなくなり、危険な南方ルートを使うしかなかったらしい >>882
いったい、いつの時代を持ち出しているんだ?
高句麗が滅亡して唐が半島から引き上げたあとは、新羅と唐は隣国。
船を使った海路のほうが便利だろうけど、陸路でも行けるということ。 >>872
最弱の新羅が半島を統一。
世渡りの巧みさは絶妙。 >>891
唐から見て、三国の中で唯一、遠方に位置した
遠交近攻策という中国の伝統に助けられた 新羅王の金春秋は、みずから唐の属国となり、背後から高句麗と百済を挟撃するという唐の戦略の一翼を担うこととした 正面から戦っては高句麗に勝てないから、新羅からの救援要請を利用して、朝鮮半島南部に拠点を作り、南北から高句麗を攻めようという唐の作戦。
新羅は運良く滅亡から逃れ、さらにどさくさに紛れて朝鮮半島を略奪 新羅はみずから唐の属国となり、唐の皇帝を君主として、唐の年号を用いた
創氏改名して、国民の名前まで中国風に変えた
この徹底した従属政策が功を奏したのであって、外交が巧みだったわけではない 新羅の天下は、百年くらいしか続かなかった。統一王朝としては、わりと早く崩壊した
最盛期には宗主国の日本に対しても態度がデカくなったが、国内での基盤が弱体化すると大人しくなった >>895
最終的に唐軍を追い出したんだから十分巧みだよ。 >>897
唐にとっては、遠く離れた朝鮮半島にいつまでも大軍を駐留させておくのは負担が大きい
従属国の新羅による統一が成った以上、撤退するのは当然の流れ
追い出されたわけではない バラバラな朝鮮半島で統一王朝を維持するには、唐の皇帝という権威の後ろ楯が不可欠
新羅が唐から離れて自立できるわけがない 唐は朝鮮半島に価値がないと分かっていたので撤退。
高句麗を滅ぼした後、直接統治ではなく、現地人に任せる羈縻政策をとっていた。
それを悪用して半島を占領したのが新羅。 >>898
武力で追い出されてるよ。
特に錦江河口の伎伐浦海戦で唐軍が敗退したのが大きい。
その後、熊津都督府と安東都護府を遼東にやむなく移した。 >>901
そんなの、偶発的な小競り合いにすぎない
新羅には、唐から自立する意思など皆無 隋唐の時代にお得意の同化移住政策で朝鮮族を根こそぎ漢族北方系の中に溶かしてしまえばよかったもの
日本にしてもツメが甘いんだよなあ
つい優しさを見せるとつけあがりやがる >>902
偶発的じゃないだろ。
その前から何年も軍事衝突を繰り返してる。
まぁ自立は無理なんで、冊封を続けて年号も唐に合わせるが、
一応20万の唐軍を打ち破ってる。 滅んだ高句麗遺民を新羅が裏で支援して唐へ闘争させたり、
結構な策士ぶり。
この策自体は唐によって一旦鎮圧されるが、
利用できるものは何でも利用し、機会を狙い続ける。 武則天が国を乗っ取ったり、異民族を優遇しすぎて反乱を起こされたりして、朝鮮半島に構ってる暇がなくなっていたから。
唐が滅んだ後も、混乱期で朝鮮は見逃されてもらえた。 そう、そこが重要なポイント
新羅と同盟して高句麗を滅ぼしたのも、朝鮮半島から撤退したのも、主に唐の側の都合によるもの
新羅はみずから進んで唐の属国になり、創氏改名までして唐に取り入った
「唐をうまく利用した」みたいな見方は誤り 中国本土が混乱期のなか、契丹や金が朝鮮半島を侵略して、朝鮮は契丹や金の属国となった。
そして、金のあとはモンゴルが朝鮮を蹂躙 >>908
唐を利用しなけりゃ真っ先に滅んでた。
利用できるものは何でも利用すべき。 その節操のなさがチャイナとジャポンの頭痛苦痛のタネだった
今だにそう
朝鮮半島だけ海に沈没してくれれば 唐の滅亡直後に、新羅も滅亡。
後新羅、後高句麗、後百済の混乱期を経て高麗が成立。
やはり唐の後ろ盾がなければ、半島をまとめられなかったという証拠 唐代には、アジアの国々はみな中国に留学生を送っていた
太宗の治世には、高句麗、百済、新羅、高昌、吐蕃などの君主が
その子弟らを派遣して唐の大学に入れ、総数八千人余りにもなった
日本からの留学者派遣も、こういう流れの一環だった 唐は少数異民族が漢民族を支配していた国だったから。
外国人にも寛容であった。
異国人でも能力次第で出世できた。 新羅はみずから進んで唐の属国となり、唐の皇帝を君主として唐の年号を使用し、
衣服も唐風に改め、創氏改名して国民の名前まで唐に合わせた。
強制されたのならともかく、みずからそうした
統一後に唐との争いが起きたのは、唐が新羅を羈縻州とし、新羅王を鶏林州大都督に格下げしたからで、
負ければ完全な唐の領土となり半独立国ですらなくなるという、半島史上でも屈指の危機を迎えたからだ
朝鮮半島の歴史に残る国辱外交で、韓国人が語りたがらない歴史 ツングース系強豪騎馬民族の高句麗なら唐と争えたけど。
軟弱烏合の衆の新羅など、唐が本気出せば消滅確実だね。 本当にツングース系なの?
後から契丹や女真の支配地になったけど、北方遊牧民や狩猟民が拠点・居住地を遷すことはしばしばあることだよな。 高句麗は朝鮮民族でないことは確実。
しかし、高句麗の遺民の一部は朝鮮民族と同化していった >>915
それで自治を保ってるのだから充分立派やね
ほかの地域はリアルに中華の領土になってるし >>918
そうなの?
古事記では三韓として新羅・百済とゴッチャに扱うけど >>915
唐と連合してなければ新羅はすぐに滅亡するじゃん。
高句麗や百済の方がはるかに強い。
最弱の新羅が唐に尻尾を振って何が悪い? >>920
征服王朝だったが、結果的に朝鮮民族に取り込まれてしまった。
中国の北魏のようなもの 高句麗は、モンゴル帝国みたいなものだな
純然たる征服王朝 百済=朝鮮民族
新羅=朝鮮民族
高句麗>朝鮮民族
高句麗の支配層は朝鮮民族ではない。高句麗領域の被支配層の一部は朝鮮民族と同化した。
朝鮮民族が高句麗の王を自慢するのは、中国人がジンギスカンを自慢するようなもの おもしろいことに、「高句麗」で精神勝利するのは、主に韓国人なんだよな
北朝鮮はあまり言ってない
高句麗と韓国なんて、ほとんど何も関係ないんだけど 朝鮮民族は、自慢するようなものが何もないから
高句麗の旧領土は朝鮮民族のものだとか、遼東半島の古代遺跡は朝鮮民族が作ったとか言い出す始末 高句麗は朝鮮民族ではない!
って何回連呼しとんねん
まず三国の時代には朝鮮民族って未成立だと思うけど?
ローマ人はイタリア人ではない!
と同レベルに意味ない主張やね 現代の朝鮮民族は、高句麗が自分たちの国だと間違った認識を持っている >>922
そもそも「朝鮮民族」なんてのが、三韓の時代にあったのやら? 新羅は、海を渡ってきた倭人が建てた王朝
新羅や百済は、いまの朝鮮人の先祖ではない。
日本人の先祖だ >>932
ヨソから王様呼んでくるって、別段珍しいことでもないしなあ。
ローマのヌマ王から、ロシアのリューリクから、ノルウェーのハルド・ゴルムソンから
新しめのものだと、サラワクのジェームス・ブルックとか。 なんぼ統治者の人材不足でも、三韓から王様呼んだりしませんから 新羅は、巧みな外交でうまく泳いだわけではない
隋唐の侵略の防波堤だった百済と高句麗が消滅したおかげで、自国も滅亡の瀬戸際に追い込まれた
唐との戦争をなんとか凌ぎきって半独立国としての立場を維持したが、負ければ属国どころか直轄領にされていた
本物の戦略家なら、百済を残しておくところだ 半島内部の闘争に勝利するため、外国勢力を引き込む。
その原型が、このときに作られた
韓国人は、「高句麗が隋唐の侵略を撃退した」という話が大好きだが、
「新羅がみずから唐の属国となることにより、他の2国を倒した」
というのは語りたがらない >>938
国際情勢をうまく利用してるというのを外交巧者というんだよ?
羅唐戦争も唐の西域情勢を利用して勝利した >>938
十分に外交がうまいよ。
唐に服属しながらも独自性を保った。
第一、唐に逆らって、百済を残すなんて新羅にできないだろうに。
旧高句麗の王族を保護して、
唐の安東都護府に対抗する策は弄したりはしている。
旧百済領に侵攻して、唐の逆鱗に触れ、
謝罪使を何度も派遣するなど綱渡り外交を続けてる。
唐は新羅征討を計画するが、
吐蕃との戦争で大打撃を受けて、
678年に新羅征討を断念。
新羅は命拾いした。
698年に渤海国が興ると、
唐は渤海国への対抗上、
一転して新羅との関係改善を急ぐ。
常に国際情勢の変化に機敏に対応しなければならない。
一方、倭国はなんで百済に加担したのか?
国際情勢を理解しておらず、
人格最低の百済王子を信頼し過ぎてるし。
同盟相手をきちんと選ぼうよ。 唐からすると目くそ鼻くそなんですけどね
東の虫ケラどものことなんか >>938
温暖で降雨の多い部分を別の国にしておくのか?
そういや、伊藤博文も、対ロシア防衛の緩衝地帯として朝鮮を独立したまま支援しておこうとしたら、
朝鮮人に殺されるは、朝鮮の貴族は派閥争いで忙しいは王様はロシア公使館に逃げ込むは、で
征韓論が抑えきれずに併合なのよね。 高句麗−百済連合軍に攻め込まれた新羅が唐に救援を求めたとき、
唐は動こうとしなかった。
それどころか唐の皇族を新羅王にするように要求してきた。
弱ってるときに乗っ取るつもりなわけだ。
新羅国内でも親唐派が勢力を拡大。
親唐派を征伐して国内を固めたうえで、
唐と同盟を結ぶ。
単に唐におんぶにだっこではない。
自国の体制を確立していないと、
唐と同盟できない。 >>943
支援する同盟相手はまともでないと、無理。
白村江の戦で惨敗した倭国や、
アフガニスタンから撤退するしかない米国みたいになる。 国内ボロボロ次の代には滅亡する清朝とちがって、破竹の勢いの唐を敵にまわしての戦争、、そりゃ、日清戦争のようにはならんわな。わな。 >>944
だから、それは「同盟」じゃないんだよ
新羅は、唐に「従属」したのであって、「同盟」したわけではない
大陸からの防波堤だった百済と高句麗を失ったおかげで、みずから唐を相手に独立戦争する羽目になった。
国際情勢に助けられて幸運にもシノギきったが、負ければ直轄領になる危機だった >>946
少なくとも唐を敵に回すことが得策とは思えないな。 >>948
高句麗と百済を失うも何も、
両国から攻め込まれて、滅亡寸前だったんのですが?
唐に従属する以外の方法がありますか? 日本の感覚では新羅に負けたというより、百済と任那の支配権を唐に奪われたという感じ。
任那の県四つを割いて百済に渡したのも、どのみち任那も百済も日本の属国だからとっちに属していようと大差無い。
唐にしても、三韓?任那にしておいても、全部新羅にしても、どのみちどこも属国属領だから同じことってなものでしょう。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。