イタリアとかいう古代から現代までずっと先進国の国
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ゴート戦争の後のイタリアは荒廃しきっていたと思うが 古代からではないけどアメリカとか国ができてから今に至るまでずっとトップだしこいつの方がやべぇわ エジプトは近世以降先進国ではないが
紀元前3100年から14世紀くらいまでは先進国
その間45世紀にわたる
イタリアの倍近く ローマ帝国で一発当てたけど、その衰退と東遷後にはギリシアやオリエント、エジプトから富を吸い上げる手段がなくて
カトリックの総本山がある程じゃ先進国とは言い難い気もする
>>9
さすがにアメリカがトップに立てたのは第一次大戦後だと思う アメリカは建国以来債務国だったが、第一次世界大戦中にヨーロッパの同盟国に
戦争資金を貸し付けたため、戦争が終わったときには債権国となっていた いまのトリノ人ミラノ人ベネチア人フィレンチェ人ローマ人シチリア人と古代ローマ人イリュリア人達って生物学的に同一ルーツなの? DNA分析的には、イタリアからイベリア半島までのDNA分布は古代ローマ時代から殆ど変化ない 古代からの遺伝子かえるのなんて相当なジェノサイドか
現地人の1000倍ぐらいの人口が入ってくるなんてことないとできない 旧西ローマ帝国領に入り込んできたゲルマン人は、
数の上では、ローマ人のせいぜい10%だった >>17
> 旧西ローマ帝国領に入り込んできたゲルマン人は、
> 数の上では、ローマ人のせいぜい10%だった
10%とか5%だと、そこそこ多めの説
イタリアやスペインだと1〜3%ぐらい スペインはともかく
イタリアってゲルマニアに近いからな
北部のロンバルディアなら原住民ぶっ殺して女はレイプしたと考えるなら
北部に関しては遺伝的にゲルマンの血が10%ぐらいあってもおかしくない 浮き沈みはあるけど、
古代中世近世近代現代…概ね先進の地域と呼んでも差支えない範囲に踏み止まってる気はするね
たしかに唯一かもしれん
>>10
エジプトのスケールはほんまぶっ飛んでるよな
古代文明の諸王朝の中でも頭一つ二つ抜けとる イタリア人はゲルマン人に頃されまくったように見えるけれども縄文アイヌが民族浄化された日本に比べたらずいぶんと紳士的だったんだな 基本的にゲルマン人は奴隷狩りでローマ人に拉致られた奴隷かローマ人に憧れてイタリアに来た人達なんでローマ人を殺すどころか自らローマ人に溶け込んでいった
地方のゲルマン王国も多くはゲルマン出身の将軍に率いられた辺境守備隊が土着化しただけのもので、イタリアからすれば「イタリアの守護者」って認識だった
ローマ人を手酷く扱ったのってヴァンダル族とランゴバルド族ぐらいか
こいつらだけは他の王国とは違ってローマ的にも外国の扱い 中世のノルマン・シチリア王国は先進国といっていいんじゃないのかな >>16
> 古代からの遺伝子かえるのなんて相当なジェノサイドか
> 現地人の1000倍ぐらいの人口が入ってくるなんてことないとできない
むしろそれが起こっちゃったのが人口密度の低かったゲルマニア側だという
人口が多かったイタリアやガリアからの逃亡難民に塗りつぶされて、絶対数が少なかった元々のゲルマン人の痕跡は今のドイツ北部ぐらいにしか残ってないという・・・・・・ アフリカで人口爆発が起こって、大量の難民がヨーロッパに押し寄せれば、
ヨーロッパ人の遺伝子も変化したりして ヨーロッパは普通に人口多いから難しそ
昔はモンゴル系だったシベリアあたりは今は? >>23
南イタリアはフレデリコのせいで過大評価されすぎだわ
あれはフレデリコ個人がすごいだけで基本南部より都市部の多い北の方が文化は栄えている サルデーニャピエモンテがリソルジメント始める前に教皇主導で統一目指す動きあったけど実際にそれで統一出来てたらどうなってたんだろう イタリアでなぜファシズムが生まれたのかよくわからん これは現在とは、現実とは違い、あり得なかった可能性が高く、まずあり得なかった戦後のイタリアである。
しかし、イタリアが第二次世界大戦を、史実より長く続いていたか、第二次世界大戦で、史実よりイタリア人の死傷者が多かったか、それこそ、イタリアにドゥーチェのような立派な指導者ではなく、典型的な独裁者及び歴史に名を残さなかった、バカな指導者以上の残虐非道な暴君が、戦争直前、戦中、終戦直後に指導者になった後、すぐに失脚するか、暗殺されなければ、この物語で書かれたここと同じか、それより、酷いことが十分にありえた。
↓
裁ト×もシくはァァム情 それなラ恐ろシいヒト達とはドこの誰のことでアりf讐とはナんのでスか?(1)
序
自分の祖父が若いころにそれは始まった。
裁の始まりは革命
いろんな国々に、無謀で大きな侵戦争をしかけたiという国が、絶望的な戦局になったので、iの人達は革命を起こして、iの独裁者を失脚させ、戦争をやめさせて、iの独裁者及びiの独裁政権の大臣達を、全員公開処刑した。
同時に、iの独裁者が建てた政党、fの幹部達全員を、革命の後にできた、iの新しい政府が攻撃したとき、ほとんどのiの人達は攻撃した。
その時自分は生まれていなかった。
ァァム情
その直後、iの独裁者及びiの独裁政権の大臣達の親族や、fの人達全員だけでなく、iが仕掛けた無謀で大きな戦争を指揮したり、無謀で大きな戦争に行った人達はもちろん、無謀で大きな戦争を支持した人達全員を、iの新しい政府が攻撃したとき、僅かな数のiの人々は、iの政府の攻撃を批判したが、iの大半の人々は攻撃した。
自分はその時生まれたばっかりなので何もわからなかった。 >>30
ドゥーチェが素晴らしい指導者で、ファシズムという思想の車を乗りこなすのがうまかったから。
ファシズムの劣化したゲテモノカーのナチズムというものをヒトラーという基地外の運転手が暴走させたからドイツは自滅した。 >>30
>>31の物語の続き。ファシズムどころか、それより危険な思想はこのようにして生まれる。
↓
それなラ恐ろシいヒト達とは
しばらくして、fの人達の末裔や、iが仕掛けた無謀で大きな戦争を指揮したり、無謀で大きな戦争に行った人達の末裔を、iの新しい政府は攻撃したとき、iの少数の人達がiの政府の攻撃を批判したが、多くのiの人達は攻撃した。
自分はそのとき、iに移住したばかりであり、自分はまだそのときは子どもで、iという国が、無謀で大きな戦争をした時に、一緒に大きな戦争をして、いろんな国々を侵略して、自分の国はもちろん、いろんな国々の人達を殺して傷つけた、jという同盟国の移民であり、自分の叔父は元憲兵だったし、曾祖父は元将軍だったが、曾祖父は死んでいたし、叔父は大嫌いだったので、自分の親族の中には、不安を覚えた者はいたが、自分は幼かったし、自分はjやfを恐ろしいと思っていたし、iの人たちと仲良くなろうと思っていたので、一緒に攻撃した。 >>30
>>33の物語の続き。こうしてファシズムの亡霊どころか、ナチズムの亡霊を蘇らせた。
↓
ドこの誰ナんでスか
時は流れ、iという国に「精神病院を廃止しろ」という不思義な医者と、その医者を支持する人達が現れた。
iの人達の少なくない人達が「精神病院を廃止しろ」という医者達を批判はしなかったし、少数の人達は「面白い人達がいるものだ」と支持したり、中には「精神病院を廃止しろ」という医者を、神の使いか救世主のように称賛するか、崇拝する人達まで現れたとき、iの新しい政府が「精神病院を廃止しろ」という人達を「精神病院を廃止したら、iが無謀な戦争を仕掛けたときの同盟国で、自分の国や、侵略したいろんな国の精神病患者はもちろん、自分の国や、侵略した 色んな国の障碍者を皆殺しにして、さらには、色んな少数民族も皆殺しにしようとし、自分の国はもちろん、侵略したいろんな国の多くの人達を殺して、傷つけたnのような国になってしまう」といい、精神病患者及び障碍者、いろんな理由でiに逃れてきた難民及び様々な理由でiに移住してきた、移民以外は攻撃したとき、iの少なくない人達が、iの新しい政府の攻撃を批判したが、iの半数以上の人々は「精神病院を廃止しろ」という医者や「精神病院を廃止しろ」という医者の考えを支持する人達を、精神病患者及び障碍者、いろんな事情でiに逃れてきた難民及び様々な理由でiに移住してきた、移民以外は一緒に攻撃した。
自分も「これは何か変だ」と思ったし、自分の親族の多くが不安を覚えたし、自分の親族の中には、iの新しい政府を批判する人達もいたが、自分は「精神病院を廃止しろ」という医者達を支持しておらず、精神病患者でもなかったし、nが怖かったし、iが精神病院を廃止したらnのような国になってしまうと思ったので、やはり一緒に攻撃した。 >>30
>>34の物語の続き。ドゥーチェたちは
↓
?×
長い時が経ち、iの新しい政府が、iの独裁者が政権を取った時に、新たに作った町や、iの独裁者が生まれた村に住む人達を、いろんな理由でiに逃れてきた難民及び色んな理由でiに移住してきた移民、精神病患者や障碍者以外は攻撃した時、iの多くの人達が、iの新しい政府の攻撃を批判したが、iのほとんどの人達は、iの独裁者を批判していて、iの半数近くの人達は、無謀で大きな戦争を仕掛けただけではなく、
無謀で大きな戦争で自分の国やいろんな国の人達を傷つけたり、殺したり、恐ろしい暴政を行い、自分の国の多くの人々を苦しめる独裁者達と同じだと思っていたし、実際に、iの独裁者が政権を取った時に、新たに作った町や、iの独裁者が生まれた村には、iの独裁者を「独裁者ではあったし、iの少数の人達はひどい目にあわされたが、危険な独裁者ではなかった」とか「素晴らしい指導者ではなかったが、
バカで愚かな指導者ではなかった」と批判しない人達が大勢いたのはもちろん、中には「貧しくて年中いざこざが絶えず、色々と揉めてばかりしていたiをまとめ上げ、iの福祉や教育の他、iの多数の市町村を発展させただけでなく、あれだけ大きく無謀な戦争を仕掛けたにもかかわらず、iの人達はもちろん、敵国の人達も、あまりたくさん殺したり、けがした人を出さなかった素晴らしい指導者だった」と称賛している人も少なかったので、
半数の人達は、iの独裁者が政権を取った時に、新たに作った町や、iの独裁者が生まれた村に住む人達を、精神病患者や障碍者、色んな理由でiに逃れてきた難民及び色んな理由でiに移住してきた移民以外は一緒に攻撃した。
自分は流石に(これはいくら何でもやり過ぎでは)と思ったし、何かとても大きなぼんやりとした不安を覚えただけでなく、自分の親族のほとんどが、何かとても大きな不安を覚えたし、半数以上の自分の親族は、iの政府の攻撃を批判したが、自分は何もせず、iの新しい政府の攻撃と、iの新しい政府と一緒になって攻撃する人達を黙って見ていた。 >>31
>>35
この物語はやっと終わります。長かったですねー(-ω-;)ウーン
↓
裁トf讐
そして自分の晩年、iの新しい政府が、精神病患者や、iが無謀で大きな戦争をした時の、同盟国の移民を攻撃したとき、iの多くの人達は後悔したが遅すぎた。自分や自分の親族の多くはiという国が、無謀で、大きな戦争をした時に、一緒に大きな戦争をして、いろんな国々を侵略して、自分の国はもちろん、いろんな国々の人達を殺して傷つけた、jという同盟国の移民であったので攻撃された。
最後に自分が言い残したことは「どうかjと発音してください」ということだった。
追伸・この物語の主人公「自分」のモデルは実在します。
もちろん、俺はこの人を良く知っています。
その人は、昔は、iの独裁者が統治していた時代のiのような国や、iの独裁者やそれを支持する人達が大嫌いだったし、バカにしていましたし、大きな戦争が終わった後の精神病院を廃止したiのような国が、最近までは好きではありませんでした。
今では、iの独裁者のような独裁者を尊敬していますし、大きな戦争が終わった後の精神病院を廃止したiのような国が大好きです。
この人は、5ちゃん(旧2ちゃん)や、いろんなブログにも、書き込んでいます。
もしかしたら、今日も、5ちゃん(旧2ちゃん)をや、何らかのブログを閲覧して、何か書き込んでるかもしれませんね。 >>31
>>36
あとがき
まあ、イタリアに限らず、どこの国でも、この物語に書いたことの半分くらいは、その国で革命なりクーデターなりの政変があったり、あるいは、なんらかの戦争や内戦とかの理由でその国が崩壊したら起こりえる。
もちろん、終戦直後の日本や明治維新直後の日本も、決して無関係な話ではなかった。
確かに起こらない場合もあるが、いや、明治維新後の日本で、徳川家はもちろん徳川家の領地の大名は、一族郎党皆殺しとかだけでなく、徳川家の領地の武士を、一族郎党皆殺しとかにしたりとかが起こらなかったからこそ、明治維新後の日本も、あのような明治維新前後に数々のかつて日本史上、というか、アジア史上まれにみる超大危機を、植民地にされたり、長期的な泥沼の内戦にならずに済んだのだし(明治維新後大規模でない内戦は短期間起きたが)イタリアも、1943年の終戦直後、敵味方に分かれ南北で1945年のナチスが崩壊するまで内戦にはなったが、終戦時やその後ドイツのように長年分断され、今でも事実上本当の統一をされていない分断状態になったり、それこそ朝鮮半島のように、戦後分断されただけでなく、終戦から5年後に、周辺国をも巻き込む大規模な内戦になり、現在もその内戦が休戦状態にあるだけで、今でも内戦が終わっていない状況にあり、時々小規模な軍事衝突が起きるという状況にならずに済んだのだ。
そのことを、イタリアの人達はもちろん、第二次世界大戦を戦ったすべての国々の人たちは忘れてはいけない。
歴史を消してはいけないし、歴史を消すことはできない。 イタリアは確かに一応G7の一員だけど
南部とか見ても18世紀辺りから明らかに
トルコ、スペイン、ポルトガルと並んで
西欧よりは停滞はしてる感じがある
モロッコはヨーロッパに潰された感じのある
他の北アフリカの国に比べて中世からずっと
西アフリカに介入する強国の地位をキープしてる
そういう意味では最近のイタリア、トルコも
強国として蠢き出してるかもな(経済は別として) 第二次世界大戦で、地中海ではイタリア海軍はけっこう善戦してるんだけど、
こういうことは日本ではほとんど知られていないよな 当時最新鋭の潜水艦を日本は譲り受けてんのよね
で、航空機を艦載できる大型潜水艦に改良した
日本も負けて米国に摂取された スパダ岬沖海戦
パッセロ岬沖海戦
タラント空襲
オトラント海峡海戦
マタパン岬沖海戦
タリゴ船団の戦い
デュースブルク船団の戦い
ボン岬沖海戦 イタリア南部は、古代から現代までずっと先進国だったとは言い難いのでは? 順位の変動はあるにしても20位?以下に落ちたことがない ノルマン人って南イタリアだけじゃなくチュニジアまで短期間征服したからな
あの地中海帝国を維持できれば今頃南イタリアとチュニジアは同じ文化圏だったかもしれん >>47
フランスが北アフリカを植民地化したとき、この地域をローマ帝国の時代のように
再キリスト教化しようとしたがうまくいかなかった
チュニジア人がキリスト教に改宗しない限り無理じゃないのかな 逆に過去にMaxの黄金時代を経験したのは・・・
エジプト、イラク、モンゴル、トルコ、ポルトガル、
ギリシア、まあオランダ、スペインなんかもそうかな?
イギリスはイタリア同様 一応 先進国の末席を占めているから、除外しても良いかな。 >>49
本当に一瞬だけやけどイスラム勃興期のアラブ >>49
ペルシアもそうでしょう
ハカーマニシュ朝とかサーサーン朝とか >>49
オランダ、スペインを含めるなら、オーストリアが挙がるだろうね
実質的に同君連合として世界に版図を持ってたことになるから 黄金時代ってのはやはり領土の広さになるのかな?
豊かさ、という観点なら北朝鮮みたいな余程の国でもない限り大抵の国は現在進行形だと思うけれど >>54
広かったらええていうもんでもない
宋なんか狭くなってからの南宋のほうがいっそう繁栄した >>55-56
しからばやはりどこの国もここ200年くらいが絶頂期なのかな
キュロス2世、アレクサンドロス3世、チンギス=ハーン、ヴィクトリア女王でさえエアコンは使えなかったし、パソコンも無かった 中世のイタリアって分裂しすぎで格差が凄いがヴェネチアは大国かな
本土の人口いれたらかなりのものだし >>58
当時のヴェネチアはイタリアとは別枠
それどころかヨーロッパ文明圏からも別枠 ヴァネツィアは最初はビザンツ帝国との関係のほうが深かったしな 1054年にローマ教皇とコンスタンティノープル総主教が相互破門を行う
もっとも、それ以前から徐々に東西両教会の差異は広がっていたんだけど >>64
そんな時期は過去にも何度もある
一番長かった衰退期は漢末から隋による再統一まで500年くらい衰退期が続いた ヴェネチアがダメだと中世イタリアの都市国家って、先進国どころか独立してると言えるのがなくならないかな?
教皇領なら可能性が? >>66
関中と黄河流域とかいうかつて中華のすべてに等しかった地域なんて
漢末以降は普通に混乱期だったり衰退ムーブしてることが多いしね >>70
そういう時期もあるけど結局西欧の軍事援助に頼ってたからな 書き方が悪かったな
オスマンが来る前も来た後も滅亡まで西欧勢に軍事力頼ってる状態
カタルーニャの傭兵部隊やサボイ公の遠征やヴィエノワ伯もトルコやブルガリアに対して領土を奪い返したり
一定の成果をだしたがビザンツは内乱で全部だめにした >>26
ヨーロッパ人に原住民駆逐されたアメリカ大陸 毛唐より先に日本が新大陸到達してたらなあ
応仁の乱なんかやっとらんで船出せよ コロナを全飲食しか楽しみがないと食っては吐いてまた食ってを繰り返していたと聞いた >>73
最終的には失敗したとはいえ
遠路はるばる小アジアまで出張って、なんだかんだそこそこ成果を出してた中世の西欧勢
大航海時代を経て、後に世界を征服していくポテンシャルの片鱗が見える気がする むしろ信長が天下取って欧州の文化や人をどんどん受け入れて、混血民族みたいになっていたら良かったな。 >>79
いうほど信長は進歩的でもないぞ
大友宗麟みたいなキリシタン大名ならわからんけど トリノのフィアット社は1899年に創業されたけど、第一次世界大戦では
産業動員体制のもとで経営規模が拡大し、4000人から4万人に従業員の数が増大した
そのほかにもジェノヴァの造船・鉄鋼業アンサルド社は6000人から5万人に増加している イタリア半島にランゴバルド族が侵入してこなかったら、
イタリアはずっと統一されたままだったのかな?
そしたらイタリアの歴史も変わっていたかも 1860年までイタリアという国は名目上さえ存在しなかった
イタリアは単なる半島名、地理的名称に過ぎなかったのだ
つまり‥ イタリアってオペラと違って演劇のほうでは世界をリードしてる感じがしないな。
演劇を学びにイタリアへ留学する人ってあまり聞いた事がない そんなイタリアも劇作家ピランデッロを輩出してはいたが 音楽・オペラで世界を席巻した19Cイタリアも同時期の文学は
あまりパッとしなかったな。
英・仏・独・露・北欧では世界的な文豪を輩出したというに イタリアでは、文学が政治的になりすぎたからと言われている
統一期のイタリアではナショナリズムが高揚し、文学はその道具になってしまった 音楽はナショナリズム高揚のための道具にならなかった? ヴェルディがイタリア民族精神高揚の旗手みたいな扱いになってたが、歌劇を見るとそんな感じはしない 何故ギリシャはイタリアみたいに再浮上
しなかったのだろう
オスマン帝国支配下でも再浮上の可能性はあったと思う 帝国時代はその能力は活用されていた
共和制トルコでアルメニア人、ギリシャ人、
クルド人との関係は決定的に悪くなったけど ギリシャには、北イタリアがないからな
イタリアも南部だけだったら、あんな感じだろ >>95
ゲルマン民族の大移動以降の南イタリア等の
南欧勢には、異民族支配が状態になってからの
エジプトと同じような停滞感があるな
アテネもスパルタもテーベもコリントも
ギリシャ本土にあったのにローマ征服後に
再浮上しなかったのは何故だろ
後代に両シチリア王国に統合されるナポリや
シチリアももっと発展して良いような
バルカン半島の農民は内っ子だから結局は
黒海も北イタリアのベネチアやジェノバの商人が活躍 南イタリアからの方が若干近いはずだが
イベリアも植民地時代の先駆けを作った割には
オランダやイギリスほど学問や産業が発展せず
古い統治制度が温存 まだイスラム教徒支配時代のコルドバやトレドの方が進んで見える位の
停滞感が19世紀初頭のイベリアにある
繁栄期を過ぎるとぽかーんと停滞する点で
南欧人とアラブ人は歴史が似ている >>19
スペインにもゴートやバンダル、スエビが侵入し
何世紀も後にバイキングも侵入してきた
意外と金髪碧眼大柄の北方系の人も見られる
ギリシャもそうだ 南欧の多数派と明らかに
外見が違う北方人種がいる 15-16世紀スペインは当時としては高度に整備された官僚国家、造船力、産業政策、金融活用力
を備えていたが、経済的には外部金融の活用や植民地収奪経済にあるように、近代国家の
要件を欠いているところもあった
カスティーリャのような遅れた地域が北西産業地帯を支配したのもマイナス
オランダはナショナリズムと抜群の金融力があり、官僚国家ではなかったが、
カンパニー形式で民衆たちの投資や人的活力を組織化する方法を普及させた
オランダやイギリス、アメリカなど近代産業と近代思想が結束した事例の方が特殊 >>98
オーストリアとオランダとスペインの違いが
ありすぎて同じハプスブルク家に支配されていた
気がしない ハプスブルクがオランダを支配したのは1477-1580年と100年程度
以前から経済的にはイングランドやハンザ同盟との結びつきが強かったから
ハプスブルクの影響はあまり受けなかったのかも知れない
あとこの地域には金融業で先行していた北イタリア人も多数移住していた
スペインは南伊を支配していたからここでも差がついた >>100
なるほど。北イタリアはプロテスタントに
なっても良さそうな地域だな フランスがヨーロッパの文化の中心になったのは
いつだろう
日本が鎌倉初期だった時期にゴシック建築様式の
萌芽が見られるとされるが、
ロマネスク=ローマ風に対して
ゴシック=ゴート人風=「デカイの建ててきたな
でも、文化の中心はイタリアだからな」と言う
蛮族地に中心が移る伊人の予感と焦り >>100
後代に繋がりが切れてもハプスブルク家が
一時的にオランダ、スペインも支配出来たのは
大きいかも
実質が100年程度でも世界の半分を支配出来た
これでウィーンは東方辺境からパリと並ぶ
欧州の文化と政治の中心になれた 文化の中心だったかどうかはともかく、フランスは中世から段違いの国力を持つ大国だ
西欧の中心に位置し、面積が大きい上に国土の大半が平原でだだっ広い農業国 >>103
16世紀のスペインがあれほど超大国になれたのは、オランダや南イタリアを支配していたことが大きい
ハプスブルク家の婚姻政策による偶然の産物 >>102
17世紀、つまりルイ14世の時代あたりか? イタリアが文化の中心地だったのは16世紀まで
17世紀以降はフランスが中心となった
18世紀にはイタリアはフランス文化をまねる側に転落してしまった
ただこの頃まで音楽ではまだヨーロッパの中心的存在だった
しかしドイツオーストリア音楽の台頭でこの面でも色あせた
こうしてイタリアは近代には文化的にもさえない存在となってしまった 15世紀のルネサンス、フィレンツェが全盛の時代は、明らかにイタリアが文化の中心
しかし、フィレンツェ・ミラノ・ローマ・ベネチア・ジェノバなどの都市国家が争っている間に、ケタ違いに国家規模が大きいフランス・スベイン・オーストリア・イングランドが台頭。
16世紀のイタリアは、列強が争うイタリア戦争の戦場になってしまった 美術に関しては、15世紀の終わり頃から16世紀の初め頃が、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロの三大巨匠時代で、これはイタリアというより西洋美術史上の頂点
16世紀はマニエリスム、そしてティツィアーノやティントレットに代表されるヴェネツィア派の時代で、まだイタリアが他国の追随を許さない
16世紀の終わりから17世紀の初めにかけては、カラヴァッジョが斬新な絵画を初めてバロック美術の時代に移行。この時代も明らかにイタリアが美術界の最先端 18世紀はブーシェのロココ美術とかはあったけど、後世からの評価は低い
フランスが本当に美術の国となるのは、やっぱり19世紀。ドラクロワやアングルなどが出てきたときだろう 17世紀は、オランダ・ベルギーもすごい。
レンブラント、ルーベンス、フェルメールらが黄金時代を築く
まとめると、16世紀のルネサンス美術から、カラヴァッジョがバロック美術を切り開いた17世紀初頭までは、明らかにイタリア美術の時代
17世紀には、スペインとオランダ・ベルギーが美術の黄金時代となる。イタリアは美術の先進国としてリスペクトされており、画家の留学先として人気だったけど、この時代の巨匠たちはイタリアよりこれらの国々に現れた
18世紀からはフランスが西洋美術の中心になったとはいえるけど、まだ微妙。19世紀以降は、誰が見ても明らかにフランス美術の時代 飲食物・料理様式だとどうかな
フランス料理が台頭したのは、それでもまあ19世紀以降か
伝統的にはイタリアやトルコがユーラシア西方料理の本場だったからなあ
正直、フランス料理よりもイタリア料理のほうが様式として広範で敷居も低い感じがして、本来的な欧州料理の本流って感じもする
国の要人が賓客を迎えて大広間で晩餐会するときの料理様式って
「うちの国はこれが定番」ていうのは、やっぱり国ごとにかなり違うのかな
近代以降の日本だと、基本的にフランス料理が最優先になってるっぽいのかな
日本料理でいくのは、むしろ例外的状況か
平成が始まった当時の、即位の礼のときの宮中晩餐会は日本料理だったけど
イタリアやスペインだと、やはりそういうときの料理は、
基本的に、イタリアならイタリア料理、スペインならスペイン料理なんだろうか
大陸欧州ゲルマン系諸国だとどうしてるんだろう
中国はやはり中国料理でいってるようだよね
西アジア諸国、南アジア諸国、東南アジア諸国、中南米諸国はどうだろう 一人当たりのGDP
北イタリアはフランスなみ
南イタリアはギリシャなみ 今でこそ、料理でもファッション・アクセサリーでもフランスとイタリアが両巨頭という感じだけど
これはフランスのブランドビジネスを見習って、イタリアが国を挙げてブランド産業振興した結果
昔からイタリアに、フランスに匹敵する文化大国としてのパワーがあったわけでない フランスが料理大国になったのは、もともと18世紀のブルボン王朝の宮廷料理というベースがあってのことだけど、
なんといっても19世紀に近代市民社会が他国に先がけて進歩したおかげで外食産業が飛躍的に発達したから フランス文学も、18世紀から近代的な心理小説の系譜が始まるとはいえ、やはり本当に充実してくるのは19世紀
バルザック、スタンダール、フローベール、ゾラなど、すごい文豪が続々と現れた
当時はまだ映画がなかったので、小説が娯楽の王様だった 音楽は、17世紀までは明らかにイタリアが最先端
18世紀に入るとドイツ・フランスが台頭してくるけど、やはりイタリアが先進国で、みんなイタリアに留学して音楽を習った
モーツァルトは、イタリア語の台本でオペラを作曲していたが、「魔笛」でドイツ語に転じた 18世紀当時の西欧では、イタリアこそが、きら星のごとくに最も多くのすぐれた音楽家たちがひしめく音楽の最先進地帯とみられていたのであって、ヘンデルもバッハの息子たちもモーツァルトも、みんなイタリアで勉強しました。
またイギリスのような「お金はあるが文化は(少なくとも音楽方面では)やや遅れていた」ような国は、さかんにイタリアから音楽家を招いて音楽家不足を補っていたのです。
18世紀末から、ドイツ・オーストリアにはハイドン・モーツァルト・ベートーヴェン・シューベルトら音楽史上最高の天才たちが続々と登場したのに対し、
19世紀イタリア音楽は、オペラにおいては重要な作曲家が多数(たとえばロッシーニ、ドニゼッティ、ヴェルディ、プッチーニなど)いますが、器楽曲ということになるとドイツ・オーストリアに圧倒された感があります。 >>118
伝統的宮廷文化
市民社会勃興
ただしこれに「美食の探求意欲」が必須なんだろうなあ >>122
16世紀までのイタリアはフランスと同等以上の料理先進地域だったそうな
フランスのほうは市民社会といえばそうだが
革命で失職した元お抱え料理人たちが高級料理店をはじめた影響だと言われてるな >>123
イタリア人に言わせれば、16世紀フィレンツェ料理にたれ掛けてみたのがフランス料理ってところなんだろか
カタリナ・デメディチさんが板前さん大勢連れて(あとそれからフォーク携えて)きたのが転機だったね
しかし北仏料理で魚料理が本主菜扱いにならないのは、果たしてフィレンツェの流儀なのか、はたまたパリの立地ゆえなのか
地中海料理の通例からいえば、魚料理も充分に本主菜になるはずなんだが 中世フランスの複雑なレシピが残ってるから
メディチよか前からフランスは料理先進国だ オペラも演劇の一種というのはおいとくとして、オペラで世界を席巻しながら,
舞台演劇(オペラ除く)では世界を席巻できなかったイタリア。
前者がらみで今もイタリア語の需要が高いのに,後者だとその国々の言葉で
事足りてるか シェークスピア劇はシェークスピアを輩出したイギリスの舞台俳優が
英語で演じる事が多いけど,日本の舞台俳優が日本国内でシェークスピア劇を
演じる時は日本語よな 「生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ!」
とか、名セリフが日本語ですでに定着してるからな 決めゼリフが多くて、歌舞伎に似てるんだよなあ
妙に、日本語に合っている 日本とイタリアの一人当たりのGDPは大差がない
しかし質が違うんだホルホル
日本の電車は非常に正確に動いているホルホル
利用者「素晴らしい」
経営者「日本凄いホルホル」
日本の駅員「だからと言って給料がその分高いわけではない」
日本の駅員「アイゴー」 132氏はイタリアの季節感をどう思ってるんだろう
まさかイタリアに四季が無いか季節感が非常に薄いとでも思っているなら、
どこで見聞きした珍説かと言いたいところだ
ヴィヴァルディが嘆くぞ
それに、イタリア料理って、地域の旬の食材を使う郷土料理の集合そのものなんだが 四季は日本にしかないし、水道水が飲めるのは日本だけ
日本において最も優れている部分が、この二つ >>135
>四季は日本にしかない
ヴィヴァルディ「・・・」 >>133
テレビの「外人が見た日本」という番組では、外人たちが「日本は四季折々の変化があって素晴らしい」と言ってたぞ >>133
それ、132の珍説レスの裏付けには全くならないだろ
この件終わり
まともなイタリア史議論を再開しよう
志ある方、イタリア史関連のレスどうぞ >>142 アンカー訂正
142は >>139 宛て
次の方どうぞ 1913年GDP(購買力平価,ミリオン)
米国 51万7383
イギリス 22万4618
フランス 14万4489
イタリア 9万5487
日本 7万1653
1950年GDP(購買力平価,ミリオン)
米国 145万5916
イギリス 34万7850
フランス 22万492
イタリア 16万4957
日本 16万966
https://www.jcer.or.jp/wp-content/uploads/2018/11/saito181120_6.jpg イタリアが観光地として素晴らしいのは、誰も否定しないだろ
日本人・中国人・アメリカ人はもちろん、ヨーロッパの他国の人々にとっても別格の地
もっとも、観光産業の規模でもフランスには及ばないが >>149
そう、それがニコラ・プッサンの代表作「アルカディアの牧人たち」(1630年代の終わり頃)
「フランスがいつからイタリアに代わって美術大国になったか?」という話題に
「最初のフランス人の大画家」として必ず出てくる名前がプッサン
とはいうものの、若くしてローマに修行に出て、ずっとローマで画業をやってた人なので、
フランスの画家というより「フランス出身のイタリアの画家」というのが実態だったけど 17世紀だと、政治経済はともかく文化ではまだまだイタリアだな
若き日のデカルトが三十年戦争に従軍したのも、イタリアに渡って哲学を学びたかったからと言われている 17世紀だと、たとえばカラヴァッジョの絵画が
ヨーロッパ諸国の画家に影響を与えている
18世紀になってもティエポロがドイツやスペインに招かれて
壁画を描いているほど ルイ14世とベルサイユ宮殿の御威光で17世紀末までにはフランスがヨーロッパ文化の中心的地位を確固たるものにした 2021年7月10日ローマ三越閉店(46年間営業)
1994年末と2021年7月
欧州 18->0
米国 10->1
中国 15->5
台湾 7->12
東南アジア 29->11
豪州 2->0
ジャップには二等国民の台湾しかない フィレンツェを中心としたトスカーナって地理的にはイタリア中部として扱われる
事が多いものの文化的には北イタリアよね。
イタリア中部というとローマとその近郊なイメージがある 南イタリア(本土のみ)は都市国家が発展せず,大土地所有制・ナポリ一極集中よな 地中海性気候は夏の天気が砂漠気候に近い
そのため気候的に小麦やオリーブの育成には適しており品質も良い
しかし古代ではあるまいし現代においてはそれでは大きな富は作れない
もともと地中海沿岸は水の供給が不安定なため工場用水の関係で工業施設の誘致に難がある
そのためあのフランスでも南部地域は比較的貧しい
近代農業技術の発展によって地中海世界は古代からの穀物生産地としての立地的優位は無くなった
イタリア北部はアルプスの恩恵によって比較的水資源に恵まれているため豊かさを維持できている
地中海性気候と経済発展度の問題は豊かさが地理とリンクしているという典型的な例になっている
この日本という島国は水資源に恵まれていたため米の生産量が多く工業にも向いていた
しかし現代はITの時代であり世界は知的産業へとシフトしていてこの島国の地理的優位は無くなりつつある
今は多様性を最重視せねばならぬのに外国人や特別永住者に対する差別は今でも根深く残っている
日本人は人権擁護への関心が低く浅はかで愚かだ
その結果アベという右翼少児病患者でファシストで歴史修正主義者で反知性主義で無能で馬鹿で低学歴で嘘つきでネトウヨに支持されたような最低の総理大臣が出現してしまったわけだ 安倍ちゃんの人権にも配慮しないと
ムッソリーニ大元帥も草葉の陰から心配しておられるぞ >>157
アベは海外からの移民を増やそうとして極右から叩かれてたが ヴェネツィア共和国は、17世紀には急速に衰退したと考えられてきたが、
現在では16世紀半ば以降に輸出向け製造業が成長し、17世紀になると、
海上交易にかわって絹織物製造業、ガラス製造業、印刷・出版業、
大陸領土での養蚕や絹撚糸製造業等が、経済の急速な衰退を
ある程度まで回避したとみられるようになっているのだとか 塩野七生氏が、イタリアの作家のレオナルド・シャッシャをとりあげて、
全体主義的な体制下で育った人は、それから解放されても、結局自由にはなれず、
別の絶対主義的なものにすがるしかない、という意味のことを書いていたが、
シャッシャはファシズム体制下で育って、戦後は共産党にはいったのだとか
日本にもこういう人は多そうだな
安井郁とか 東武動物公園でおなじみの埼玉県宮代町にある妙本寺はイタリアのローマ大学と同じ1303年設立と歴史が古く
23歳の若さで交通事故死した伝説のプロボクサー、大場政夫の墓もある
【宮代】日蓮正宗妙本寺【神戸】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1633482011/ 一方、イタリア経済の中心にあるのになぜか経済学部がないミラノ大学… イタリアは天然ガスの輸入先で最も多いのはアルジェリア
あの国は今でも北アフリカとの関係が深い >>156
シラクサは中世で早くも衰退したとか
アマルフィ、カプア、ベネヴェント、パレルモも
衰退していってナポリ一極集中になって行ったのか 不思議なのは南イタリアが統一された時に
何故国名がナポリ王国ではなく両シチリア王国
だったのかだな ナポリが中心のはずだが 男尊女卑だったゲルマン民族は人口増やし続けた
ローマ人は現代社会のように少子化に苦しんでいた
結果がゲルマン民族侵入によるローマ帝国の衰退と分裂
【古代ローマ人の「法」】少子化に悩んだアウグストゥスが考案した驚くべき法律
https://shuchi.php.co.jp/article/985?p=1
ローマ帝国ってなんで滅びたの? [769327952]
https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1644829688/ 南イタリアが統一された直後はパレルモの方が
中心だったからシチリア王国で良い訳か
パレルモからナポリ一極集中になった時期は
南イタリアの経済的地位が下がり
地中海貿易であまり儲からなくなった時期か シチリアはヨーロッパの最貧地域のようなイメージがあるけど中世には西ヨーロッパの文化中心地だった時代もあった もしイタリアにローマ教皇庁がなかったら、
イタリア統一はもっと早まっていたんだろうか? 17・18世紀のイタリアは先進国なのか?
北はそうかもしれんが 南はチヤウやろ。 NHKBSP ザ・プロファイラー[終]
「ルネサンスの父 ロレンツォ・デ・メディチ」
初回放送日: 2022年4月7日
ルネサンスの父といわれるメディチ家の当主ロレンツォは、フィレンツェの実質的な統治者。
莫大な富で祖父の代から芸術家を育て、イタリア各地に派遣した。
実はその裏には、ローマ教皇との敵対、暗殺未遂事件、ナポリ王国との敵対など、
何度も存亡の危機があり、芸術は平和をもたらす切り札だった。
今も各地に残る多くの傑作と共に彼の生涯を紹介。ミケランジェロやダビンチの秘話も。
ヤマザキマリ、渡辺早織、星野佳路、岡田准一
https://www.nhk.jp/p/profiler/ts/WX9M3XW537/episode/te/11NRMP43Z1/ 古代ローマ以外のイタリアで人類史に名を残した為政者って誰がいるんだ?
ガリバルディとムッソリーニしか知らん。 なんだかんだでイタリアは古代から現代に至るまで欧州政治史の源流にして隠れた本流
古代から現代に至るまでの歴代ローマ教皇、
中世から近世ならフェデリーコ2世、ダンテ、マキャヴェッリ、メディチ家一門・・・
現代史ならデ・ガスペリ ドミノ・ピザ
2015年イタリアへ進出
2022年撤退 イタリアの純エネルギー輸入コスト
2021年430億ユーロ
2022年1000億ユーロ(見積)
資源不足 ルネサンス以後の地味といわれるが
イタリアの偉人
・蒸気タービン ブランカ 一人当たりのGDP(IMF2021)
27位アンドラ
28位日本
29位イタリア
平均年間労働時間(2016)
日本 1713時間
イタリア 1730時間
日本ア人より働くイタリア人 イタリア人の労働生産性は低い
2020労働生産性
韓国19位
イスラエル20位
チェコ21位
イタリア22位
日本23位
スロベニア24位
リトアニア25位
スペイン26位 イタリアでは統一以来、イタリア人の「悪徳」からの脱却が望まれ続けてきた
怠慢の精神よりも社会生活を崩壊させる「個人主義」が懸念の対象となった
個人の力はアングロサクソンの美徳だと認めつつも、それがイタリアの「主義」と
なるのは問題であるとされた
その対策として、尊敬すべきプロイセンに倣い、軍事訓練とスポーツの振興が提唱された
古代ローマの神話がもてはやされ、古代ローマの伝統はいわばプロイセンとの類似に
おいて理解され、そこにイタリアの国民的統一のモデルを求めた >>189
もう一つの問題としてイタリアは地域アイデンティティが強く逆にイタリア人意識が希薄な面があるらしい
そもそもイタリアなんて国は統一まで存在しなかったわけだし、今でもイタリア人はイタリア人アイデンティティが薄いって言われてるんだよな >167ウィズコロナの名無しさん2023/05/05(金) 23:18:33.58ID:rVdsPnDC0?>>169
>イタリアとついでにカナダって
>なんでG7なんだろな
30位のジャプさん、13と29位をディスる
一人当たりの名目GDP(IMF2023)
13位カナダ
29位イタリア
30位日本 落ちぶれた 日本よりまし ありがとう統一自民党
世界の一人当たりの名目GDP(USドル)
イタリア 34113ドル
日本 33822ドル
バハマ 33120ドル 日本ではイタリアが過小評価されて、ドイツが過大評価されているように
思えるんだが。 パスタのゆで方の論文が多いんだよ
2022年
Top10%補正自然科学の論文数(共著は分割する)
5位イタリア
11位韓国
12位日本
Top1%補正自然科学の論文数(共著は分割する)
6位イタリア
10位日本 こんなスレを立てる人間は一体何者だ?
自分達の街を観て何か思わないのか あまり言いたくないが
自然界の食い物には種やら皮など食えない部分がある
一方炊いたご飯やパスタは食べ終わりに無駄がなく廃棄物も特にでなくて食べやすい
食べやすいが、物足りない
こんな感じのことをファーストクラス超えのメニューなどに応用すると… 何を言ってるんだ?
ピザうまいうまい
耳もたべるよ >>197
日本も落ちぶれても先進国の下位を維持しよう
イタリアに学べ
ということかしらん 小さい半島の下半分しかない南朝鮮はイタリアから学ぶことが多い >>1
イタリアって国は1860年まで名目的にさえ存在しなかったんだよ
それまでイタリアというのは単なる地理的名称に過ぎなかった >>203
一応同盟市戦争の際に反ローマ都市が結託してイタリアという国家ができた >>204
中世以降はイタリアという国は存在しなかったよね? >>204
中世以降はイタリアという国は存在しなかったよね? >>204
中世以降はイタリアという国は存在しなかったよね? >>201
イタリアは移民も少ないし
文化も面白いしね 統計上イタリアは世界一飯が上手い国だから良いよな
日本は4位らしい
そこまで金持ちじゃなくても飯が美味いのは良いことです 日本も同じようなものかも知れんがイタリアは近代までイタリア人というまとまりの意識は無かったらしいのう。
最近は流石に標準イタリア弁が横行してるけどその前まではしっかり各土地の言語で話していたようじゃ。 考えてみればイタリア(半島・島嶼部)はヨーロッパの縮図みたいだね。日本もそうだが南北に長い国は特にそうだ。
ヨーロッパに行ったことが無い俺が言っても説得力ないけどな。 >>205
正確に言えば、中世にも名目上イタリア王国という名称はあったが、それは今日のイタリア北部しか含んでいない
要するにイタリアはずっとバラバラで今日のようなひとまとまりの国としては近代までも存在しなかった >>210
日本の漫画アニメ、イタリアの映画など娯楽も多いのはいいこと 靴下編機で世界最大のメーカーはイタリアのロナティ社 イタリアは第二次大戦の戦勝国なんです
敗戦国ではありません
ここ間違えないように
(1943年に成立した新政権がドイツに対して宣戦布告しているから) >>214
それまでイタリアという国は名目的にさえ存在しなかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています