イタリアの歴史
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中世から近現代にいたるまでのイタリアの歴史を語るスレです。 中世のイタリアって、なんであんなにたくさんの都市国家に分かれてたん?
なぜ統一された王国ができたなかったのか不思議だ >>4
理由はいろいろと考えられる
まず第一に、ミラノは皇帝、ローマは教皇、ナポリはアラゴン国王という具合に、いくつもの巨大な権威によって分断されていた
ヴェネチアやジェノヴァはイタリア半島にとどまらず地中海全域に進出し、それぞれ巨大勢力を築いた
そもそも根本的な原因として地形
「イタリアは征服するには長すぎる」とナポレオンが言ったように細長く、しかも「西海岸から東海岸に行くには、船でグルッと海を回ったほうが早い」と言われる山岳国家
北のロンバルディア地方は、半島とは言語も異なり、同じ民族と思ってなかった ビザンチン帝国とロンゴバルド時代、カロリング時代、神聖ローマ時代、このへんまで他国支配下
他国支配下が長いから統一国家ができなかったのかな
んで他国支配がなくなっても公国レベルがどんぐりの背比べになったと ドイツとイタリアの統一が遅れたというより、フランスとスペインの統一が早かった
一足お先に、この両大国が中世から早抜けしてしまった 塩婆って古代ローマ〜16Cあたりまでのイタリアはネタにしても
19Cの国土統一期とかそれ以降はネタにせんよな >>4
海洋民は寄れる港さえあれば国土なんか必要ないから 19Cのイタリアでは高名な作曲家は輩出してるくせに
文豪のほうはサッパリやな 19Cのイタリアで英仏独露のような文豪を輩出できなかったのって何で?
北欧諸国ですら輩出してんのに フィウメ占拠した人のイメージが強いわ>ダヌンツィオ >>13
ダヌンツィオに限らず、この時代のイタリア文学者は、政治的な方面でアツくなりすぎたようだ
現代の日本にたとえれば、文学者が「北方領土奪回!」とかを叫んで、ろくに作品を書かないようなもの 枢軸国のくせに途中から連合国へ鞍替えしたイタリアだが
第二次大戦後は反独感情と反日感情のどちらが強かった
のやら
日本とは直接的な接点や利害関係は薄そうだがローマ五輪で
日本の選手が現地のイタリア人から嫌がらせを受けたり卵を
投げつられたりとかされたんかね? まあ、「憲法改正反対!」とかを叫んで、ろくな作品を書かないのも似たようなものではあるが ダヌンツィオって日本だと石原慎太郎に近いポジの人だったりして 三島由紀夫は、ダヌンツィオにかなりの影響を受けたと言われているな
イタリア統一運動が盛んなのはダヌンツィオに限らず、19世紀のイタリア文学界全体の傾向。
当時のイタリア政治文学の大半は、後世に残らず消えた 北イタリアと南イタリアに別れてもおかしくなかったな ムッソリーニの功罪って何?
日本ではファシズム枢軸のイタリア代表のイメージしかないけど
イタリアではそれなりに評価され孫がEU議員になったりしてるよな イタリアは大西洋に面してないから、植民地を持とうとするなら
アフリカか東欧方面しかないよな
中世においては地中海に面していることがイタリアにとって利点だったが、
近代にはその地理的位置がマイナスになったような 大航海時代に、大西洋沿岸諸国に圧倒されたのは仕方ない
イタリアだけでなく、ドイツやロシアも同じ ヴェネツィアは輸出品の自作などで繁栄してる
他国から奪うより安上がり
隣にオスマンという安定した大国があるのは幸いであり不幸であり オスマントルコがキプロス島を陥落させた時は現地の守備隊司令官が・・・>ヴェネツィア >>23
ロシアはシベリアや中央アジアや極東に進出できた イタリアも、リビアとかバルカン半島に進出した
どこにも行くとこ無かったドイツよりはマシ >>24
17世紀のヴェネツィアは、毛織物の輸出でも
イギリスやオランダに負けるようになったな
その時のヴェネツィア人は、イギリスやオランダの毛織物は
品質は悪いが低価格だから売れるのだと言っていた サンマリノが独立を保った意味訳わからん
イタリア統一に協力したから逆にイタリアに統一されないって矛盾の塊やん
こういうんがイタリア人の気質なんか? >>28
毛織物はフィレンツェの特産品
ヴェネチア商人が扱ってたのは、フランドルの毛織物ではなかったか? >>30
ヴェネツィアでも毛織物は生産されていたよ
毛織物職人のギルドもあったし >>29
ヨーロッパの小国家は未だに絶対王政だし
王が権力を手放したくなかったんじゃね >>27
南西アフリカとか山東とか
そういえばドイツは南西アフリカに入植者の子孫が現在も住んでるが
イタリアは自国の進出した地域に入植者がそれほど渡ってないような
たいてい新大陸に渡ってるよな >>27
そもそもビスマルクは植民地は不要だと考えてたみたいだけどな
世論に押されてアフリカ切り取りに参加したけど >>33
アルゼンチンはスペイン語圏だけど、スペイン系よりイタリア系の移民のほうが多かった
アメリカでも、イタリア系は一大勢力 もともとイタリア南部がスペインの一部だった時期もある >>26
進出した極東にウラジオストクなんてまんまな名を冠してたな ジェノヴァがフランスにコルシカを渡さなければナポレオンも
台頭しなかったんだろうな >>36
母を訪ねて三千里もイタリアからアルゼンチンに向かう話だったな イタリア南部はビザンツ帝国の一部だった時期もある
9世紀の後半にマケドニア朝のバシレイオス1世が
再征服して成立した
ランゴバルド三国(ベネヴェント・カプア・サレルノ)や
カンパニア三国(ナポリ・アマルフィ・ガエタ)は
ビザンツの宗主権を認めていた。 東ローマ時代のローマってどうなってたんだろ?
保持していた期間短かったしどうせ碌な扱いじゃないんだろな アラブ人やノルマン人がやってこないまま南イタリアを確保しても
結局はローマ法王サイドに潰されたりして 北部イタリアでは、君主が「封」として土地を譲与し、
家臣が忠誠誓約によって君主に托身するカロリング朝の
「封建制度」が、フランキアなどのアルプス以北、
とりわけライン=ロワール間地域のヨーロッパと比較すると、
同様には進展しなかった
なぜこのような違いができたのか不思議だ ヴェネツィア共和国とかジェノヴァ共和国という名を聞いた時,
その都市だけで一つの独立国家を作ってるもんだと思ってた
実際にはその都市を首都とし周辺地域も領域となっている国家
だったのね >>45
都市が自治権を獲得し、周辺の農村からの徴税権をも封建領主から奪い取って、事実上の領域国家と化していく。
こういう都市国家を「コムーネ」といい、中世イタリアに特有の現象とされる
神聖ローマ帝国の封建秩序にとっては深刻な脅威で、皇帝と都市の抗争が長く続いた 中世ドイツの自治都市は、皇帝から特許状をもらって商業に専念する「帝国都市」だった
それに対して、中世イタリアの自治都市は、周囲の農村をも支配して事実上の領土をもつ領域国家と化した。
教皇の権威をバックに、皇帝と対立することが多かった >>15
反独という見方が正しいのかわからんが少なくとも反日感情よりはあったろうね
イタリアで一般的に知られてる第二次世界大戦末期の歴史なんて、ナチスドイツ軍の支配への抵抗ぐらいのもんだからね ところでお前らって何歳なん?普段どんなことしてんの?なんでイタリアの歴史なんかにやけに詳しいの? ダンテは、分裂抗争を繰り返すイタリア諸国の未来を憂慮し、
皇帝によってイタリア統一を成し遂げることを夢見た
彼はその考えを『帝政論』にまとめている
このためにダンテは祖国フィレンツェから裏切り者として
重罪を宣告されることになった >>50
タイミング良く、若きカリスマ皇帝が登場したんだよなあ
残念ながら、早死にしたが 結局、イタリア半島はダンテの憂慮したとおり、
イタリアを征服するという最終目的を持った
スペインとフランスのバトルフィールドとなっていった もしローマ教皇庁がなかったら、中世・ルネサンス期に
イタリアが統一されていた可能性が微レ存? >>52
スペインがイタリアに領土持ってたんは知ってるけど
フランスはイタリアを領有することに(ナポレオン以前に)成功したことあるん?
戦争ふっかけた事は知ってる >>32 最初から共和制
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%8E
>サンマリノは、現存する共和政体を採用する国としては世界でも最も長い歴史をもつ。アメリカ大陸がヨーロッパ人に知られる以前、すでにサンマリノ共和国初代執政が就任していたといわれる。 1463年 - 近隣リミニ(現エミリア=ロマーニャ州リミニ県)のマラテスタ家の侵略に晒された。しかし独力で撃退、追撃を加えて逆に領土を拡大した。
1631年 - 教皇ウルバヌス8世より独立を承認される。
1739年 - アルベロニ枢機卿によって一時的に占領されるが、教皇クレメンス12世の勧告により独立を維持。
1815年 - ウィーン会議で、サンマリノの独立が再確認される。
1849年 - イタリア統一を目指すジュゼッペ・ガリバルディをオーストリア軍の追撃からかくまう。
1854年 - 教皇ピウス9世が、ガリバルディをかくまったサンマリノを「自由主義者の巣窟」として糾弾。トスカーナ大公国に命じてサンマリノ共和国の教皇領併合を企てるが、失敗。
ローマ教皇のお墨付き
なかなかの自衛力(というかイタリアがばらばらだったおかげか)
ガリバルディの恩義
こんなとこ? >>55
フランスという国家としてはイタリアを支配した例はないが、
聖王ルイ9世の弟シャルル・ダンジューが南イタリア攻略に成功し、シチリア王になったことならある 1266年、シャルル・ダンジューは、ローマ教皇クレメンス4世からシチリア王カルロ1世として戴冠され、
教皇の承認を得て十字軍を称し、アンジュー、プロヴァンスの兵に加えてフランス中から兵を集め、イタリアに進撃した。
同年、ベネヴェントの戦いでマンフレーディを討ち死にさせ、シチリアを占領した。
さらに1268年、北イタリアに侵攻してきたコンラート4世の子コッラディーノも捕らえ処刑することにより、ホーエンシュタウフェン家を完全に滅亡させ、南イタリアの支配に成功した ナポリ・シチリアの主体性のなさすごいな
次から次へと外来勢力の支配が入れ替わるのか イタリアの都市国家は、フィレンツェ・シエナ・ヴェネツィアなどを除いて
共和政から君主政へ移っていったな
やっぱり内ゲバがひどすぎたんだろうか >>61
フィレンツェが「トスカーナ大公国」になったのが、共和政から君主政へ移っていった代表例 >>60
中世のシチリアは先進国、ナポリは欧州屈指の大都会
常に、ドイツ・フランス・スペイン・オーストリア・ノルマン人その他による争奪戦 シエナの建国神話というものがあって、
ロムルスの弟レムスの子であるセニウスとアスキウスが、
神から授かった黒と白の駿馬にまたがり、狼と双子の像を
たずさえて、父を殺したロムルスのもとを逃れた。
二人はトスカーナにたどり着くと、牧人らとともに
今日カステルヴェッキオと呼ばれる丘の上に要塞を築き、
それをカステル・セニオ(セニウスの城)と名付けた。
そしてここで二人がアポロとディアナに感謝の捧げ物をすると、
アポロの祭壇からは黒煙が、ディアナのそれからは白煙があがった。
これがシエナの都市の起源であり、シエナ市の紋章である白と黒の
「バルザーナ(二色紋)はこの故事に基づく、というものである。
それにしても中世ヨーロッパ人の古代ローマへの憧れはすごいな >>64
ケルンのドイツ人なんか、「ケルンは、英語でいえばコロニー。ローマ帝国の植民市にさかのぼる古い歴史がある」と自慢するくらいだからな >>10
輩出はしてないけど国民作家という位置づけの文豪はいる
マンゾーニは日本語Wikiでは4600バイトしかなく知名度も低いが
イタリア語は14万バイトある
夏目漱石でさえ93000バイト >>67
20世紀だと、イタロ・カルヴィーノも日本での認知度が極端に低いな カルビーノは「現代作家」という枠組みで紹介されることが多かったから「現代」が過ぎれば
忘れられるということなのか…
カルヴィーノの日本語ではたくさん翻訳が出ているが、マンゾーニは日本語題名が違うだけで実質一冊だけしか出てない
カルビーノの記事は日本語で1万5000バイト、イタリア語版7万バイト
カルビーについての日本での扱いはそれほど低くはないが、マンゾー低すぎ
せめてマンゾーの記事が46000バイトあれば日本での知名度も上がるかも知れない >>67
夏目漱石の文章で、古文ではない近代日本語の書き言葉ができあがった
イタリア語も、近代イタリア語を確立したのはマン雑煮 現代人にとっては当たり前すぎて意識しないことだが、一国を近代化するためには、言語の標準化が欠かせない
現代の朝鮮語は、日本語をモデルとして朝鮮総督府により編集された。
「日本語と朝鮮語はウリ2つ、双子の兄弟みたいに似た言語だ」とよく言われるが、そこまで似るようになったのは20世紀に入ってからの話 イタリアが統一されたときも(日本の幕末維新とほぼ同時期)、どうやって「標準イタリア語」を創るかが問題になった
結局、トスカーナ地方、つまりフィレンツェの言語が標準になった。
イタリア語とスペイン語は「ゆっくり話せばだいたい分かる」というくらい似ているとよく言われるが、それほど似るようになったのは19世紀後半からの話。
もしもミラノやトリノの言語が採用されていたら、もっとフランス語に似ていただろう 母をたずねて三千里がクオレという短編集の1エピソードだった事を
知ったのはずっと後になってからですたorz >>72 ローマの方言もスペツィア・リミニ線の南側でイタリア語というくくりになるけど、むしろコルシカ島の方言のほうが標準イタリア語に近いんだっけ
そして北イタリアは実際は異言語か
スイスの「イタリア語圏」に標準イタリア語が浸透したのはいつ頃なんだろう >>71
近代ルーマニア語についてもそんな話をきいたことがあるな
標準語を策定するときかなりスラブ語化していた元の言葉をラテン語純化したそうな >>73
俺は逆でクオレの方が先だった
「アペニン山脈からアンデス山脈まで」と言う原題でね
何か変なタイトルつけるなあと思ったら
戦前に既に「母を訪ねて・・・」だったらしいね >>74
アオスタ谷がフランス語圏になったのもいつ頃からなのか
元サヴォイア公国領でフランス王権下に入った事は一度もない筈だが >>71
>一国を近代化するためには、言語の標準化が欠かせない
だから多民族・多言語国家だったハプスブルク帝国は
近代に入ってうまく機能しなくなったのか >>77 アルピタン語っていう頭痛薬みたいな名前の言語を話してたんだっけ
スイスの「フランス語」圏もそうか? アフリカ諸国って独立したけど多民族多言語だから内戦が尽きないイメージ >>78
近代は画一化と大量生産によるコストダウンが大本にあるから
国内が複数の言語にわかれていると、新聞・雑誌・行政文書等重複コストがかかり
富国強兵にとってマイナス要因となる
また国民皆兵である近代軍の兵士への命令伝達に齟齬がないようにするためには言語標準化は必須だった アメリカ合衆国は国際社会に向かって多様性多様性と主張するけど、
自国の言語だけはかたくなに英語だけ、というのを守っているな >>82
英語を公用語と定めている州もあるが、大都市は他言語社会そのもので、英語はデファクトスタンダードではあるが絶対的な存在ではない。
とくにカリフォルニアやテキサスの社会は、もはやスペイン語を抜きにしては考えられない。
この状況に対して、「英語ができない移民は入れるな」と主張しているのがトランプ ユタ州では州民の圧力で州のスペイン語サイトが閉鎖されたってのを
どっかで見たおぼえがある。
それはそうとフランスではアメリカ文化の流入による英語の侵略から
フランス語を守ろうとする動きがあったそうだけど,アメリカのほうでも
他国語の侵略から自国の言語を守ろうとする動きがあるのね。 >>80 言語がほぼ統一されてるソマリアやルワンダやブルンジであの惨状だから....
ソマリアはよくわからないけど、ルワンダ・ブルンジは分断統治に変な仮説を白人が持ち込まなければ、のちに不毛な内戦も起きず、現時点でスワジランド程度には発展していたかも
というかルワンダは結構有望な国らしいな
ソマリアもケニアのソマリ人は結構やり手らしいiから、いつか日本の戦国時代みたいに一人の英雄が終わりをもたらして、統一国家ができて栄えるか? 日本では、イタリアが第二次世界大戦で行った残虐行為については
ほとんど知られていないな
エチオピアでの毒ガス使用、アフリカやバルカン半島での住民の
強制収用や虐殺などは裁かれなかった
ドメニコンの虐殺(1943年2月)をはじめとするギリシア各地での
イタリア軍・ファシストによる戦争犯罪は忘却されていた イタリアはフランスと同じく連合と枢軸に分裂して戦ったから
戦争犯罪をうやむやにできたんじゃない?
後ドイツの強制収容所の方が宣伝効果があったとかな
カチンの森事件を起こしたソ連と原爆投下したアメリカは裁かれない裁判にそもそも何の価値もないけど 第二次大戦後のイタリアでファシスト政権の要人が裁判に
かけられたり処刑されたって話は聞いた事がない
(ムッソリーニはおいとくとして) イタリア参戦時の残る敵は英国と英連邦のみ 講和も時間の問題のはずがヒトラーがなんの相談もなくソ連を攻撃 これだけでも頭が痛いのに今度は日本がなんの相談もなくアメリカを攻撃する こんなガイキッチな連中と組んでいたら身の破滅とイタリア人が思ったのは当然だろう >>90
イタリアが寝返ったり、日和見を決め込んだりするのは、そのときに限らず、いつものことだ
それが半島国家の習性なのかもしれない と言ってもヨーロッパって半島国家だらけだけどあんまり類似性があるように見えん
イタリアの日和見や寝返りは仕方ないと思うよ
イタリアには英仏露独のような主体になれる力がない
第二次世界大戦ではスペインもほぼ同様の立ち位置だったがフランコはギリギリで踏み止まりムソリーニは踏み込んでしまった ひとつには、オーストリアとの間に「領土問題」を抱えているから、同じ陣営にオーストリアが加わっているとややこしくなる
ちょうど、韓国が「日本は同盟国ではないニダ」と言い出して、アメリカ側の陣営を揺るがせるような感じ >>92
まあ、そうだな
半島国家と言っても、寝返ったり日和見したりはイタリアと朝鮮だけの傾向 イタリア人は郷土愛は強いが国民国家的な愛国心は希薄だなと思う
自分の街を守るなら勇敢に戦うのだろうが意義もよくわからん対外戦争なんてやる気も湧かんのではないか
第二次世界大戦でのイタリア軍の東部戦線での闘いぶりはドイツに酷評されてるがイタリア兵からしてみたらこんな地の果てでロシア人と戦えと言われても命をかける意義を見出せないだろう イタリアが再統一されたのは150年ほど前だし、
やっぱり統一前の小国分立の名残りは今もあるのかな。 >>95
イタリア人にとってイタリアのために戦えと言われるのは、
現代のヨーロッパ人がEUのために戦えと言われるのと
同じような感じだったんだろうな サッカーでも、イタリア代表と他国の試合より、国内の他の都市のクラブと対戦するときのほうが、ずっと熱くなってるな
まあ、イタリアに限らず欧州諸国にはアリガチな傾向だけど 日本も昔は、西と東の対立がかなりあったように思う。
巨人阪神戦は、今の日韓戦くらい熱いものがあった。
関西人の反東京感情は、かなり強かった。
関東人と関西人の結婚は少かった。 西と東でもそうなのだから、ましてや、イタリアのように南北に細長い国だと、北と南では気候風土がまるきり異なり、生えてる植物が違うし、人々の気質も違いすぎる イタリアってさ、統一してから、日本の日清・日露戦争のように、
全国民が一丸となって外国の敵と戦うという経験はあったの? 日本やアメリカはほぼ同時期に国内を二分する内戦をやっていてその後遺症はかなり後を引いた
イタリアも統一の過程で各独立国と戦争をしながら統合していったから旧両シチリア王国領などは反発もあったのでは ホロコースト全史という本によるとムソリーニのファシストイタリア政府はドイツのユダヤ人対策の要求に極めて非協力的だったという
フランスのイタリア占領地区ではヴィシー政府がイタリアの進駐前にユダヤ人に黄色のバッジをつける事を命じる布告を出していたがユダヤ人にそういう屈辱的扱いをする事はイタリア軍の品位と相容れないとしてヴィシーの命令を取り消した
イタリアの民間人は政府に輪をかけてユダヤ人差別に消極的でよく言えば寛容悪く言えばその人物がユダヤ人かどうかどうでもいいという適当さがあった
そもそも枢軸でユダヤ人迫害に熱を入れていたのはドイツだけで日本もイタリアもフィンランドやブルガリアも元々ユダヤ人差別などほとんどなくドイツに言われてもほぼ黙殺していた >>101
1908年のオスマン帝国の動乱(青年トルコ党革命)を機に始まったリビア侵略戦争では、イタリア全国の世論がかなりの盛り上がりを見せた
でも、結局はオスマン帝国との戦争になり、苦戦する中で熱気は冷めていった。
熱しやすく冷めやすい国民性に加え、リビアには砂漠しかないことが分かり、植民地に移民するという南イタリアの貧民の夢が幻滅に変わったこともある。 >>93 「未回収のイタリア」に住んでるロマンス系民族の母語は、厳密にはイタリア語じゃないし、むしろオーストリアのほうに分があるな
でも統一の主役が北イタリアだから、そことは同文同種ということになるのか....
というかそれを言うならモナコも北イタリアと同じ言語だから、モナコも併合しないといけなくなる
よくあの小国がイタリアに対しても独立を保てたな。 >>104
今、欧米やトルコ等が血まなこで取り合いしてる
リビアの認識が20世紀初頭はその程度とは!
道理で英仏が放置するはずですね 隔世の感 南イタリアの人達って北イタリアの連中とギリシャ人とではどちらに親近感持ってる? 第二次世界大戦におけるオーストリアの立場が朝鮮である
日韓で謝罪だなんだと揉める度そうした話題が5chで見られる
しかし韓国とオーストリアでは決定的に違うところがありオーストリア人はドイツ民族であるが朝鮮人は日本人とは全くの異民族であるという点である
元々ウィーン体制のもとドイツ連邦として合同していた時期もあり何よりヒトラー総統自身がオーストリア出身である 日本と韓国の関係に近いのはイタリアとアルバニアではないだろうか
イタリアは1939年アルバニアに侵攻ほとんど無血で全土を掌握イタリア王がアルバニア王を兼ねる同君連合として支配した
アルバニア人はイタリア人とは全くの別民族で古代イリュリア人の末裔ともいい民族興亡のバルカンにおいて紀元前からずっとこの辺に住んでいた珍しい人々である アルバニアが地政学上全く重要でないこともあったのだろう
アルバニアは第二次世界大戦でイタリアへ大した貢献もせずイタリア離脱後はドイツに占領され最後はチトーとスターリンが占領した アルバニアも戦争中臨時政府を作って枢軸に参戦したが連合国共同宣言には入れて貰えず戦勝国でもなければ敗戦国でもない微妙な立ち位置になっていてこうしたところが韓国とよく似ていると思われる >>109
「第二次世界大戦で、日本は韓国に攻め込んだ」と誤解している外国人が多い
その意味では、彼らの宣伝は成功している >>110
>イタリアは1939年アルバニアに侵攻ほとんど無血で全土を掌握イタリア王がアルバニア王を兼ねる同君連合として支配した
それは、日本と韓国の関係には全くと言っていいほど似ていない 第二次大戦抜きで言えばイギリスとアイルランドの関係が近い >>114
まあ似てるといえば似てるけど、アイルランドの場合は、19世紀の大飢饉で苦しいときにイギリス人の地主に搾取され、大勢の餓死者を出したという深い遺恨がある
日本と韓国のあいだには、そういうネガティブな出来事がない ジャガイモ飢饉は日本とベトナムの関係が近いだろうか
ベトナム飢饉の全てが日本のせいとも言えないだろうが責任なしとも言えない
ベトナム人はそれを根に持って日本に謝罪要求をしたりはしないけれども >>112
韓国人は日本のアジア侵略とかで括るが各国状況はいろいろ異なっている
独立国であり連合国である中国 ほぼ独立間際で連合国共同宣言に加わったフィリピン
まだ国家として存在せず英蘭の植民地として侵攻したインドネシア マレーシア ビルマ
フランス本国政府の了解の元進駐した仏領インドシナのベトナムラオスカンボジア
枢軸に加盟した同盟国のタイ
そして開戦前から日本領土の一部であった南北朝鮮
これらをまとめてアジア侵略とくくるのはおかしいのだが韓国人や左派の一部はそれを区別しない >>116
おおらかな南国の人々とは異なり、北国の人間の恨みはしつこい
これは洋の東西を問わない >>119
あれは、朝鮮人が現地に乗り込んで煽っているから 日本では第一次世界大戦は忘れられた戦争とつけた本が出るくらいで高校の世界史の扱いは軽い
しかも半分くらいはロシア革命の記述に割かれている
選書の類では当然詳しいのだが大半が西部戦線の塹壕戦とヴェルダンやマルヌの諸会戦 ついでタンネンベルグ ユトランド海戦 無制限潜水艦作戦ときてガリポリまあこんな所である
この大戦でイタリアは65万もの死者を出した これは日露戦争の日露両軍の死者15万の4倍以上であり当時人口3500万ほどのイタリア社会への打撃は極めて大きかった
しかるにイタリアが第一次世界大戦で何をしていたかほとんど取り上げられることがない イタリアはイゾンツォ川で実に12次に至るイゾンツォ会戦をオーストリアとの間で展開していたのだが全般の戦局に与えた影響ガ低くこれがベルサイユでの扱いに繋がったとも思える 日本では愚将などと言われる指揮官というと牟田口廉也 或いは小説の影響もあり乃木希典を挙げる人もいるだろう
イタリアで愚将と言えば何と言っても第一次世界大戦で参謀本部長を務めたルイージ・カドルナをおいて他にはいない
イゾンツォ会戦を何度も戦って最後にカポレットで大惨敗を喫しその評判は歴史家からはボロカスである 戦勝国にしてこの扱い
しかしそんな国民から総スカンのカドルナにムソリーニは何か思うところがあったのか元帥をくれてやったのである 第二次大戦後のイタリア軍って士気が著しく低かったり
横流しが横行してたり軍事情報が漏えいしたりでNATOの
悩みの種になってた? そういやイタリアの防衛関係者って必ずといっていいほど
東側のハニートラップに引っかかってたのかしら?
イタリア人って女に弱いからなぁ・・・ >>21
ローマ人の物語の作者が当時の生き残りの人たちの話を直接聞いて回ったら労働組合も家族手当の制度もできて学校と駅も多く建ったと答えたそうな。
郵便はちゃんと届くようになったし汽車も遅れなくなったし役人は親切に、店員もごまかさなくなった、という言葉も紹介していた。 ファシズムの生まれた国ではあるがイタリア人の性格は極めて個人主義的であり全体主義に向いていない 国の言う事に従うことが苦手で法律を守らない性向がある
郷土愛は強いがそれはナポリとかジェノバとか御近所周辺の郷土愛でイタリア国そのものには向いていない
そんなイタリア人がリビアだのロシアだので戦えと言われてやる気が出る訳がない そういう体質だったから、ファシズム体制で強力な指導者でなければ対応できないこともあったのだろう
しかしまた、そういう体質だからムッソリーニが用済みになるとあっさり連合国に寝返っても問題なかったのだろう 現在のギリシャ軍と現在のイタリア軍、
双方とも士気が低そうなイメージだが軍配をあげるとしたらどっち? 現在イタリアにははっきりした敵国というものがない
脅威といえば地中海を渡ってくる難民であって軍事的にイタリアを攻撃しようという国はないだろう 欧州が警戒するのはロシアだがロシアは遠くイタリアにとってはほぼ他人事
ギリシャはトルコとの間にキプロス問題を抱えているし独立以降ずっと犬猿の中でありNATOのタガが外れたら一戦交えても不思議ではない そうした緊張感はあるのでは >>135
イタリア統一後のナショナリズムは、もっぱら「オーストリアからの領土奪回」に向けられ、反墺一色だった。
韓国のナショナリストが反日ばかりで、中国には文句を言わないのと似てるかもしれない。
でも、ムッソリーニのファシスト党は、「フランスからニースやコルシカ島を奪回せよ」と言い出した。
しかし、第二次世界大戦の敗北で、あっさりと挫折した。 ドイツ統一も、イタリア統一も、「いかにしてオーストリア帝国を排除するか」が最大の課題だった。
欧州最強の陸軍を保有したプロイセン王国のドイツ統一とは異なり、サルデーニャ王国には、独力でオーストリアと戦う軍事力が無かった。
フランス軍に戦ってもらわなければ、どうにもならなかった。
そのために代償として割譲したのが、ニースやサヴォア。
ここも本来ならイタリアの領土といってもおかしくないのだが、この経緯からいって、なかなか言い出しにくかった。 第二次世界大戦のイタリア、
独裁者ムッソリーニの野望から英仏に参戦
リビア・東アフリカの植民地を護るのが精一杯で
東アフリカは英連邦軍に取られた。
地中海の制海権を得るためにマルタと抗戦
三年間戦っ勝てなかった。
北アフリカは西から米軍、東から英連邦軍に反撃されて
ドイツ・アフリカ軍団とカルタゴの地チュニジアで降伏。 サヴォアってサルディニア王国の前身サヴォア王国のもととなったところだからイタリア領だとずっと思ってた イタリアは最初、チュニジアを植民地として欲しがっていたんだよな
統一以前からイタリア諸国はチュニジアと密接な関係を有しており、
イタリア出身者も多数居住していた
しかしフランスにチュニジアを取られてしまったので、イタリア国内の
反仏感情が一気に高まることになった >>139
足利尊氏が、足利を割譲するようなものだ。
徳川家康が、三河を割譲するようなものだ。
そんなところまでフランスに譲るってんだから、「どんだけ譲歩するんだよ」って感じ。
さすがは、現実主義者のカブール首相。 日本の明治維新に「維新の三傑」がいるように、イタリア統一にも「三傑」がいる
マッツィーニ・・・急進主義者。主に思想の面で統一イデオロギーを主導。日本でいえば「吉田松陰」に相当する役割といったところか。
カヴール・・・冷徹な現実主義者で、卓越した外交手腕と政治力により、北イタリアを統一。
ガリバルディ・・・行動派のゲリラ隊長。人々の反対にもメゲず、ナポリやシチリアを占領して南北統一を実現。 >>140
イタリアに文句を言われたフランスはリビアを取ったらいいよと唆しそれが伊土戦争に繋がった
列強はこのように次から次へとトルコから領土を毟り取っていた >>136
>「フランスからニースやコルシカ島を奪回せよ」と言い出した。
日本が、ドイツが欧州を席巻しているから、東南アジアにある
欧州諸国の植民地を手に入れようとしたのに似て、
火事場泥棒的だなあ コルシカ島は皇帝ナポレオン1世陛下の故郷だから、イタリアは引っ込んでろってかんじ >>146
ナポレオンが生きてた頃は、「ブオナパルテ」と呼んで差別してたくせに、フランス人も勝手なものだ コルシカ島民もショボいイタリアより豊かなフランス本土に養ってもらった方が幸せだろうよ イタリアは第一次世界大戦でも第二次世界大戦でも、途中で裏切って鬼畜米英の犬になった最低の国 >>148
済州島民が、「なんで対馬は日本領なのに、ウリはコチラ側になったニカ?」と嘆いたのと同じだな
結果的には、「サルデーニャはイタリア、コルシカはフランス」と分け合って、丸くおさまった >>151
言語的にもアラビア語の方言だし、古来から独立してたからでは? >>153
たしかに根本的にはそれがあるんだろうけど、近世においてはマルタ騎士団領だったこと、近代においてはイギリスの拠点だったのが直接の原因 >>147
ナポレオンがエルバ島脱出してからパリ入場までの新聞の見出しの変遷を見るに長いものに巻かれるのはフランス人変わらんなと スレイマン大帝はマルタ島をイタリア侵略の足がかりにしようとしてたんだっけ >>149
シチリア島って、イタリアで言えば九州でしょ
沖縄じゃなくて九州占領されてどうする?
むしろ日独がいつまでも降伏しなかったのが
許されない まして和平派を迫害しながら
防寒具を求めるドイツ兵の要求を拒絶し、
自分だけ楽に自殺したヒトラーや
ドイツ国民見捨てて南米に逃げたナチ幹部なんて
人間のクズだ バドリオはまとも
結局ドイツのくずのせいで、イタリアも先に降伏してるのにドイツ同様本土決戦が起きたな >>154
イギリスはキプロス島も自国のものにしていたな
地中海の重要な拠点だったのか >>157
連合国は非戦闘員を標的に爆撃して、女子供の見境なく焼き殺していた
そんな奴らに無条件降伏したら、どんな目にあわされるか分からないから幸福なんてできなかった ムッソリーニは地中海を「われらの海」にしたがっていたけど、
現実には、地中海はずっと「イギリスの海」だったんじゃね? >>160
イギリスはスエズ運河の入り口のアレクサンドリアにも
軍事基地を持っていた >>161
イギリスから奪い取ろうと、マルタに空襲かけたが、ダメだった スエズ運河が開通してからは、地中海からスエズ運河を通ってインド洋に抜けるルートが、ますます死活的に重要になった
どう見ても、イギリスが地中海の覇権をイタリアに譲ってくれそうな気配はなかった イタリア海軍は地の利があったのに、なぜイギリス海軍に負けたのか 裏切り降伏は、まあ仕方ないとしても、最後は戦勝国面して分け前に預かろうという根性が臭っとる
関ヶ原の小早川並 西軍盟主である石田三成 枢軸盟主であるドイツ
いずれも人望なく同盟国を束ねる能力に欠けていた
イタリアは第一次大戦では戦勝国なのに扱いが軽く第二次世界大戦では敗戦国なのに報復は軽い
丁度バランスが取れている >>147
【仏伊】イタリアの国民食ピッツァを「コロナピザ」とやゆする風刺CMを放送:仏テレビ局がイタリアに謝罪 [03/04]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/news5plus/1583307205/
今もあまり変わってないね。 「未回収のイタリア」というけど、
アドリア海東岸のトリエステやイストリア半島は
スラヴ系住民の多いところだな
あんな場所を取ったらかえってややこしくなるとは
考えなかったのかな アルザスロレーヌを見ても領土問題はどこもややこしい
歴史的なんて言い出せば繋争地はどちらの領土でもあった経験があり住民の民族も混交している
それを押し切って併合するなら住民のクレンジングをしておかないと禍根を残すしそれをしたらしたでやはり禍根が残る
領土回収など面子に過ぎないと割り切った方が国家としては有益と思われる 緩衝地帯として多民族の小国を残しておくという選択をとるべきだったな それにしても、北イタリアは感染症でひどい打撃を受けたな
ミラノは、「第二の武漢」とまで言われている
なんで、こうなった? ウィルスはあつさに弱いから
陽性のやつはシチリアに送り込むか
いっそのことサハラに放置 巴蜀の地とはいえないが、漢中から天下を取ったのは前例がある
他ならぬ、漢の高祖・劉邦 ヴェネツィアは東方からの窓口だったから、
過去に何度もペストが流行したんだよな
で、今はコロナウィルスが流行 かの有名なトーマス・マンの「ヴェニスに死す」も、疫病が広がるストーリー >>159
>連合国は非戦闘員を標的に爆撃して、女子供の見境なく焼き殺していた
連合国軍は爆撃の前に予告ビラを撒いて市民に避難を勧めていた
https://www.pref.gifu.lg.jp/kyoiku/bunka/bunkazai/21402/siryosen/siryou_sen/14-kuusyu-yokokubira.html
にも関わらず多くの非戦闘員死者を出したのは防空法によって軍警が逃げられないように監視していたこと
ビラを拾ったものは敵性国民とみなされ警察に拘束され口封じされていたから
ちなみに日本軍は重慶大爆撃の際にビラを撒くなんてことはしなかったし敢えて孤児院や病院など軍とは無関係の場所を爆撃していた >>173 世界に冠たるイタリアブランドは、中国人のお針子さんが作ってるとか
冥土インイタリーとあるからってイタリアの頑固おやじが作ってるんじゃないってことだな
https://pfadfinder24.com/blog/made-in-italy/ 14世紀中葉、フィレンツェの総収入は、
エリザベス朝英国の総収入より上だった
中世イタリア都市国家の繁栄ぶりがわかるな イタリアはローマ時代の遺産(観光)、地中海に面した立地(交易)のアドバンテージあるのに経済ゴミなの何でよ
内陸で交易に不利でEUにも入ってないスイスなんて超高所得じゃん 北イタリアには零細手作業職人の巣窟がありカロッツェリアとか自称してたそうだ 北アフリカを制圧した米英軍は
ドイツを騙すつもりで死体に偽文書を持たせた
連合軍はギリシャに上陸すると思い込んだので
易々とシシリーに上陸されてムッソリーニは面目を失い
ファシスト大評議会で党首罷免にされた
後任者のバドリオ元帥は国王を担いで米英に降
伏してナポリに逃げた。
幽閉されたムッソリーニはドイツ軍に救助され、北部にイタリア社会主義共和国を建てた。
連合軍と枢軸軍は、1945年4月まで戦いを続け反ファシズムのイタリア人はパルチザン闘争をした。
4月末にドイツ領に逃げようとしたムッソリーニらファシスト幹部はパルチザンに囚われて銃殺刑にされて
ミラノのロレート広場に逆さ釣りにされて民衆に蹂躙された。 >>182
17世紀以降、イタリア諸国の「再封建化」が進んだからじゃね?
ルネサンス文化を発展させた市民たちが貴族化して、商業への
投資の代わりに土地への投資を増やし、帯剣する者も出てきた
ちなみに統一イタリアは農産物の輸出と工業製品の輸入を通じて
発展し、国内総生産で工業部門が農業部門を上回るのは
1930年代以降のことだったし、農業就業者の割合は
20世紀半ばにいたるも就業人口の4割以上を占めていた >>1
今回の新型肺炎で、イタリアは60以上の連中は肺炎の治療(実質的に)
を打ち切れといったような趣旨の通達を出したけど、
これがイタリアの南部ならともかく、北部のほうで起こった事態だからな。
イタリアの北部はヨーロッパでも先進地域で、イタリアどころかヨーロッパの中でも
経済的に富み栄えた地域だろう?
それが医療崩壊を起こしてしまうのだからな。
マジでショックだよ。 閉鎖された自治体の中では、住民は蟄居してるんだろうか
それとも、どうせ外界に出られないんだから内側では自由にしてやれ!と発症してない人がバルやリストランテにたむろしてたりするのかな
なんか国民性的に、そっちがこっちを締め出すんならこっちはこっちで内輪で自由にやらせてもらうわ!ってなりそう イランは聖地コムから拡がった
イタリアもローマから拡がったんじゃね 世界史の話に戻すけど
イタリアが大航海時代に乗り遅れた理由として、
イタリア諸国は自分たちが直接事業に乗り出すよりも、
他国の国王にリスクを背負わせて、利息を手に入れるほうが
安全だと考えていて、コロンブスに直接資金を提供することなど
考えてもみなかったことがあげられる >>188 ブランド品縫製工場かも
でも工員が春節で帰国したのが職場復帰して広めたんだったら時系列が合わないのかな? >>191
19世紀には目立った人物がいないって事じゃないかな
ルネサンスならいくらでもいる アンドレオッティだったらコロナウイルスに対してどう対応してたんやろ? 中国の歴史を見ると、しょっちゅうモンゴル人に攻め込まれる日々が、千年も二千年も続いている。
インドの歴史も、中央アジア人に攻め込まれ続ける歴史だ。
でも、イタリアがゲルマン人に攻め込まれた回数は、おそらく、さらに多いのではないかと思われる。
歴史には、数えきれないものがいくつかある。
「ゲルマン人がイタリアに攻め込んだ回数」も、そのうちの1つだ。 >>189
先に上陸して、
インディアンに銃を売ってほしかったな 南イタリアはサラセン海賊の被害が酷すぎて近代にならないと港街が発展しなかった コロナの避難民の間から「デカメロン」のような
文学作品が作られないだろうか イタリア北部にチャンコロ移民がたくさん住み着いてたんだってな >>204
服飾・繊維産業の盛んな国なので、中国人のお針子が多かった >>206
アイツらはただ単にディスカウントジャパンをやりたいだけだからな。 フランク王国の三分裂からオットー大帝に征服されるまでって教科書でも全無視されてるけど、誰が支配してたん? 高校は3年間しかないし、世界史の他にもやるべきことが山ほどある
さすがに、中世ヨーロッパを深く探求してるヒマなどない だから、高校の教科書では、「カール大帝」から「オットー大帝」までが、ほぼ空白 ベレンガーリオ1世ってのが有名なんだってね
あとマジャール人騎兵も傭兵として雇われてたとか 十字軍以前は、普通にサラセン人傭兵がフランクとかにもいたよ フランク分裂のヴェルダン条約とメルセン条約は高校の教科書では重要項目だからオットーやカペーまでの1世紀がスコンと飛んでる事になるのか イタリア(中フランク王国)は、メルセン条約でアルプス以北の領土を失った
「イタリア」の原型ができたのは、この時だったと考えられる ブルゴーニュが微妙なんやな
サヴォイアドーフィネプロヴァンス含んでた時代もあったけど最終的にスイスになってるし >>217
この時期位から、俗ラテン語から分離してイタリア各地にて、今に至るまで差異のある言語になったしね イタリアのことをよく「都市の国」と呼ぶが、
これは北・中部イタリアにだけ当てはまることであって、
南部ではナポリを除くと都市の発達はほとんどみられなかったんだよな イタ公は戦争も弱いしコロナで死にまくる馬鹿だし自業自得 >>223
以下のスレを見れば分かるけど、イタリア人は自分たちの地元の郷土愛は強いようだね。
封鎖されたイタリアの人気のない街に響き渡る大合唱。こんな状況でも人々は自分たちの街を愛する歌を歌う!
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/news5plus/1584354939/ 南イタリアは、
北西ヨーロッパのような封建制もなければ、
北・中部イタリアのような自治都市国家の歴史もなかった
ただ専制があっただけ
むしろあの地域は北アフリカに近いのかもしれない 南イタリアは
サラセン海賊に暴れ回られ一時期はムスリム勢力圏になったこともある
ビザンチンは徴税地としか考えず
ランゴバルド人は内陸部で勢力争いしかしない
神聖ローマ、スペインも遠隔地なので植民地扱い
ノルマン人支配の時が比較的マシかな >>227
皇帝フリードリヒ2世のときは、シチリアが世界の中心になった >>226
ギリシャとは、狭い海峡をはさんで、ほぼ連続している フリードリヒ2世の財政資金は、国王役人によって自治を抑圧された王国都市への
重税と、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアの商人からの融資に依存していた。
王国都市の工業は重税と国王の独占企業にとによって衰退し、
商業は特権を得た外国商人に支配された結果、王国では北部・中部都市の
製品を輸入し、そこへ食糧・原料を輸出する経済構造が成立した。 17世紀にイタリアの織物工業が衰退したのは、
ギルド規制が強く残り、伝統技術へのこだわりや
高品質と高賃金の維持などのために
外国製品との競争に遅れをとったことがあった >>232
まあ、仕方ない
オランダ・ベルギーも、毛織物を生産する製造業から、イギリス産の毛織物を輸入して大陸諸国に売る貿易業に転換したくらいだからな フィレンツェだって、当初は毛織物の製造業で伸びてきたが、次第に商社や銀行へと業種転換していった
新興国に移っていくのは、昔から製造業の宿命なのだろう ヴェネツィア共和国では、衰退期に入ると、海上交易よりも
本土からの収入に頼るようになった
貿易不振によって行き場を失った運用資金は、毛織物をはじめ、
ガラス、レース、印刷業など各種の地場産業に投資されるようになった ヴェネチアの場合はそうだな
滅亡したビザンチン帝国から、ガラス職人とかを連れてきたのが大きかった 水の都ヴェネチアの本島から水上バスで10分ほど移動したところにある小さな島「ムラーノ島」。落ち着いた雰囲気の街並みに、色彩豊かなガラス工芸店が並び、島全体がひとつのアートスペースのようになっています。
ムラーノ島は、中世の頃からガラス職人が集まる島。そこで作り出されるガラス工芸は「ヴェネチアングラス」として、ヴェネチアの特産品であり世界に誇る工芸品でもあります。
なぜ、ムラーノ島にこのような技術が結集したのか?それは、かつて敷かれた政策が理由だったそうです。 ヴェネチアングラスの工房が集中し始めたきっかけは、13世紀中世にまで遡ります。
当時、東西貿易の中心地だったヴェネチア共和国は、取引物の中で最も珍重されていたガラス製品を自国で製作して、
利益をあげたいと考えていました。しかし、原材料や燃料を自国で産出することが出来ないヴェネチア。
コピーや類似品が、原材料が豊富な他国で生産されることも懸念されていました。
そこでヴェネチアがとった政策は、非常に大胆なものでした。
ガラス職人だけでなく、家族、販売者をムラーノ島へ強制的に移住させたのです。
この政策は技術流出を防ぐためだけではなく、溶解炉が火元となる火事の被害を
最小限に抑える目的もあったと言われています。
狭い島内に押しやられた職人たちは、独自の技術を次々と生み出していきました。
ガラス製品や鏡、シャンデリアなど美しい芸術品を生み出す力が育てられていったのです。 フランドルやフィレンツェの毛織物も、主にイギリス産の羊毛を輸入して生産する加工貿易。
原材料の産地であるイギリスが毛織物の生産にも乗り出したため、加工貿易が衰退した。
仕方なく、イギリス産の毛織物を輸入する輸入業に転換した。 ヴェネチアもフィレンツェも、15世紀が繁栄のピーク。
とくにフィレンツェは、それまでの存在感があまりなかっただけに、なおさら栄光の15世紀が輝いて見える。
16世紀に入ると急速に衰退した。海洋貿易の主舞台が、地中海から大西洋・北海に移ってしまった。
海洋貿易と金融は切っても切れない関係なので、金融もついでに衰退した。 イタリアでは、北部・中部の都市が、ナポリ王国、シチリア王国、サルデーニャ王国に
各種製品を輸出し、そこから食糧・原料を輸入した
いわゆる「小麦と毛織物の交換」であり、その結果、後者は前者の経済的植民地
になった
南部が後進地域となる兆しは中世から始まっていた 1320年代、フランドル毛織物工業の危機を契機に、フィレンツェ商人は、
商業特権を利用してイギリスからフランドルに輸出していた
イギリスの良質羊毛を母市に輸出し、フランドルの高級毛織物を模倣した
フィレンツェ製品を生産し始めた。
14世紀後半、イタリアおよび地中海世界の高級毛織物市場では、
フィレンツェ製品の独占状態が実現する。 476年、傭兵隊長オドアケルが西ローマ帝国を滅ぼした。
東ローマ帝国の皇帝ゼノンは、ただちにオドアケル追討令を発し、東ゴート王のテオドリックがイタリアに侵攻した。
テオドリックは勝利し、宴席にオドアケルを呼んで謀殺した。
最初の「イタリア王」が、オドアケルなのか、テオドリックなのかについては諸説ある。
でも、このときに「イタリア王国」が成立したのは確か。 11〜12世紀には、エジプトやチュニジアの毛織物が、
南ヨーロッパにも輸出されていた
しかし、西ヨーロッパの毛織物のレヴァントへの輸出が、
十字軍時代に始まり、14世紀末には、その安価な毛織物が
大量に輸出されたので、現地の毛織物工業はもとより、
綿織物工業や麻織物工業までもが衰退したという
レヴァントでは、マムルーク権力による重税や財産没収のために
私企業が没落し、マムルークたちの特権企業が技術水準を
低下させたので、西ヨーロッパの活発な私企業の製品に
対抗できなかったのである >>243
オドアケル統治期は15年ある
オドアケルは最初東ローマからパトリキウス(総督)の爵位を貰おうとしたが失敗
やむなくレックス(王)を名乗った >>244
大陸部・半島部・島嶼部で、地形や風土が違いすぎる
大陸部のポー川平野はヨーロッパ最良の地 >>246
それなら、最初のイタリア王はオドアケルだな
ローマ王と言うべきか? >>248
「イタリアの王」を名乗ると東ローマ始め周辺国に敵視されるから「王」だけ名乗った
テオドリックもそうだったような テオドリックの時代のイタリアでは、人口の2%にすぎないゲルマン人が
三分の一の土地を奪うことになった テオドリック亡き後の東ゴート王国は、結局、東ローマ帝国から敵視されるようになり、ユスティニアヌス大帝が攻めてきた
20年におよぶゴート戦争で、ローマは廃墟になった 東ゴート王国からイタリアを奪回した東ローマ帝国だったが、その栄光はすぐに終わる。
メロヴィング朝フランク王国はなんとか撃退したものの、今度はランゴバルド王国が攻めてきた。
文化が崩壊したおかげで記録に乏しいとはいえ、ランゴバルド人がイタリア王を名乗るに至った。 ランゴバルド人は200年にわたってイタリアを支配したが、774年、ついに真打ちが登場する。
カロリング朝フランク王国のカルロマーニョ大帝が攻めてきた。
露骨なイタリア侵略だったが、「ローマ教皇の保護」という大義名分を掲げてた。
774年、カルロマーニョはランゴバルド族を破って、イタリア王に戴冠した。
これが、中世イタリア王国の正式なスタート。それまでは前史ということになる。 イタリア史では、888年から962年までを、「独立イタリア王国」の時代という
888年は、国王カール3世の死によってこの王国がフランク帝国から独立した
時点であり、
962年は、オットー1世(大帝)がこの王国を神聖ローマ帝国と結合した時点である >>254
フランク帝国からの独立〜十字軍開始前ぐらいの、世俗王公の戦国時代ぶりと教皇庁の修羅の国ぶりを通読できる書籍やサイトて何か無いですか? イタリア王国は、カロリング朝が断絶すると、王位は各地で自立した
諸侯たちに妨害されて安定せず、国内は混乱をきわめたので、
強力な東フランク国王の支配を直接間接に受けるようになった
この間に、イタリア国王が皇帝になる状況は次第に過去のものとなり、
今度は東フランク国王が皇帝になり、さらにはイタリア国王をも兼ねる
状況が形成されていく 皇帝フリードリヒ(フェデリーコ)2世って、過大評価されていると思わね?
彼は南イタリアの製造業を育てようとしなかったし… ボンクラ駄目皇帝フリードリヒ2世なんて、ただのゴミだろ シチリアにいたんじゃダメだな
日本でいえば、鹿児島に将軍がいるようなものだ ノルマン=シチリア王国は異文明を共存させたと持ち上げられているけど、
別にこの王国の住民が異教徒に対して寛容だったからではないんだよな。
国王が、その強大な権力でムスリムを守っていたから。
だから王権が弱体化したときには、キリスト教徒によるムスリムに対する
攻撃・排斥運動が起きている。 フリードリヒ2世がもたらした結果は、神聖ローマ帝国の分裂とホーエンシュタウフェン家の没落だけ >>254,256
「独立」はしてたのだろうが
「イタリア王国」の体をなしてたのか?
そもそも誰がイタリア王やってたの? 「大韓帝国」みたいなもんじゃないの?
「ついに、ウリは北京の支配から独立したニダ」といいつつ、その実、日本の傀儡だという >>262
888年、女系でカロリング家の血を引くフリウーリ公ベレンガーリオ1世が、
王国諸侯の一部の支持を得て、トレントで国王に選出された。
翌889年には、やはり女系でカロリング家の血を引くスポレート公グイードが、
ベレンガーリオと戦って勝ち、他の王国諸侯の支持を得て、パヴィーアで
国王に選出され、891年、ローマで皇帝戴冠を行った。
国王の並立によって政局が混乱する中で、グイードの圧迫を受けた
教皇フォルモススは、894年、東フランク国王アルヌルフに救援を求めたが、
イタリアに進出したアルヌルフは、イタリア諸侯の敵対に出会い、
いったんはドイツに退いた。
同年、グイードが没すると、アルヌルフは、グイードから皇帝の称号を
継承したその息子ランベルト、およびベレンガーリオ1世の二人の敵対にも
かかわらずローマを制圧し、896年、そこで皇帝戴冠を行った。
この事件は、強力な勢力を持つ東フランク国王がイタリアの政局に
介入する先例となった。 774年、ランゴバルト王国を滅ぼしたカルロマーニョ大帝によって、カロリング朝の中世イタリア王国が始まった
887年、タナボタ的に西ローマ皇帝とイタリア王の地位についていたカルロ肥満王が廃位され、翌年に死去。
イタリア王国も西ローマ帝国も、ともに崩壊した。
この百年あまりは、中世イタリアが比較的に安定していたカロリング朝の時期 その後は帝国が四分五裂する状況が続いていたが、951年、ベレンガーリオを打倒したオットーネ1世がイタリア王となった。
962年、オットーネ1世は戴冠して神聖ローマ皇帝となる。
カルロマーニョ大帝以来、久々の英雄が登場した。
この887年から951年までの数十年間は、フランク王国にも神聖ローマ帝国にも支配されていなかった時期 947年の勢力図
カロリング朝崩壊後の混乱を経て、オットーネ大帝が帝国を再興する数年前の状況。
ライン川流域を失った中フランク王国からは、さらにブルグント王国が分離独立しており、図のオレンジ色の領域が失われている。
ピンク色のところが、イタリア王国となった。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/9a/Carolingian_empire_947.svg/500px-Carolingian_empire_947.svg.png まとめると、
オドアケルが西ローマ帝国を滅ぼす
↓
テオドリックがオドアケルを滅ぼし、ほぼイタリア全土を支配(東ゴート王国 約60年間)
↓
ユスティニアヌス大帝が東ゴート王国を滅ぼす(東ローマ帝国)
↓
ランゴバルト族がほぼイタリア全土を支配(ランゴバルト王国、約200年間)
↓
カルロマーニョ大帝がランゴバルト王国を滅ぼす(フランク王国 100年あまり) 問題は、カロリング朝フランク王国の支配が崩壊した887年以後なわけだが、ベレンガーリオ1世がイタリア王になった。
しかし、イタリア貴族の反乱により、ベレンガーリオ1世は打倒された。
その後はブルグント王がやってきてイタリア王になったり、混乱が続く。
最後は、ベレンガーリオ2世が、オットーネ大帝に滅ぼされて、この時期は終わる。
人によって、「無秩序時代」と呼ぶ人もいれば、「独立イタリア王国時代」と呼ぶ人もいる。
ベレンガーリオたちの時代は、フランク王国や神聖ローマ帝国に支配されなかった例外的な時期というわけだ。 フリウリのベレンガーリオ1世
イブレーアのアンスカリ家
アルルのボゾン家
スポレートのグイド家
ユラニアのヴェルフ家
等が王になって降ろされて繰り返してる 「独立イタリア王国時代」とやらの頃のイタリアってイタリア語話してたん?
それとも俗ラテン語? ランゴバルド文化も根強いからねえ
ラテンとゲルマン、ちょこっとビザンチンをミックスしたイタリア語醸成時期だったかも
んで南はサラセン海賊とビザンチン、ランゴバルド圧政で海岸沿いは無人だった 20世紀になっても、北イタリアのロンバルディア地方と、ローマ以南とでは言葉が通じなかったと言われている
イタリアは、バラバラすぎて、なかなか言語統一できなかった 統一の三傑の1人、サルデーニャ王国の宰相カヴールは、北イタリアを統一した時点で満足していた。
南イタリアに関心を示したことすらなく、生涯に1度も足を踏み入れなかったのではと言われている。
「南を併合してローマを首都にする」ということにあくまでもこだわったのは、三傑の一方の雄、ガリバルディだった。 いや、スウェーデンにいたのは紀元前の話で、その後はドイツのエルべ川のとこにいたんだな
しばらく記録が途絶えた後、5世紀末にドナウ川の中流あたりで、いきなり再登場。
パンノニア(ハンガリー)からイタリアに移動してきた 前から思うことだが、「神聖ローマ帝国の皇帝は、肝心のドイツ統一をおろそかにして、イタリア侵略ばかりしていた」という、よくある批判。
ありゃ、後付けの理屈なんじゃないのかね?
当時の北イタリアにいたのは、「イタリア人」ではない。
ランゴバルド族は、南ドイツ人と同じような民族。
むしろ、北ドイツ人のほうが、皇帝にとっては違和感のある存在だったのではないか? ノルマン人は、大西洋をグルッと回って地中海に入り、シチリアを乗っ取ったんだな
身体能力の高さを活かして、重要拠点をゲットした ノルマン人は、大西洋をグルッと回って地中海に入り、シチリアを乗っ取ったんだな
身体能力の高さを活かして、重要拠点をゲットした 皇帝フェデリーコは、中世ヨーロッパでは圧倒的な知識人だった 568年、イタリアに侵入し、王国を建設したランゴバルド族は、
人口30万人、うち武装兵は4万から5万と推定される。
文化水準の低い少数のランゴバルド族は、イタリアに文化的にも
人種的にもたいした変化をもたらさなかったが、政治的には
決定的な変化をもたらした。
以後、イタリアは、19世紀に国民国家として統一されるまで、
分裂したままにとどまることになるのである。 >>284
ランゴバルド王国の時代はむしろ、珍しくイタリア全土がほぼ統一されてた時代なんじゃないの? >>285
ランゴバルド族が支配していた地域と、
ビザンツ帝国が支配していた地域に分かれていた 住民に圧政強いただけだからなあ
海賊やビザンチン追い出して南北イタリア統一する器量の王がいない
シチリア占領したムスリムの方が統治上手かったというね かつてローマ地中海帝国の中心であったイタリアは、
地中海が政治的にビザンツ世界、イスラーム世界、
西ヨーロッパ世界に分裂した結果、この三つの世界の
境界が接する辺境の地になってしまった
イタリア半島が統一できなかったのはそのため ランゴバルド王国では、初代の王アルボイーノと第二代のクレーフィが
おそらくビザンツと共謀した族内有力者たちによって暗殺された。
続く574〜584年の国王空位時代、族内有力者たちは、それぞれの
独立した領地を実力によって形成した。
しかし、ビザンツがこの機会を利用し、フランクと連携して
反撃に出ると、有力者たちはひとまず分立状態を解消し、
第三代のアウタリを選出した。 アウタリの治世に、首都パヴィーアを中心に王国としてまとまり、
ビザンツとフランクの侵略も減少し、族民のカトリックへの改宗も作用して、
ローマ人との平和共存体制が成立した。
王国としてまとまったとはいえ、中部および南部の二つの公領はもちろん、
北部でも首都から離れた東方にあるフリウーリ公領およびトレント公領の
独立性は強かった。
第四代のアジルルフォの時代、すなわち6世紀末から7世紀初期に、
ようやく制度が整備されて国家としての体裁が整った。 フリウーリ、トレントで遠いんならスポレート、アンコーナ、サレルノなんかは独立するわな
ヒスパニアやアフリカから皇帝を輩出したローマ帝国とは隔世の感がある 9世紀になっても、イタリア王国から独立した、ランゴバルド系の
ベネヴェント公国が南イタリアに存在していたな
この公国では、相続原理が確立せず、フランク帝国と同様、
相続をめぐる抗争が展開した
839年、西方皇帝ルートヴィヒ1世(敬虔王)の調停により、
このベネヴェント公国が解体して、ベネヴェント侯国と
サレルノ侯国が出現。このサレルノ侯国では、861年、
辺境の有力者が独立して、さらにカプア侯国を創設した。
ここにランゴバルド系の三侯国が鼎立。 南イタリアの候国群は
サラセン海賊には見向きもせず内部対立だけ行い略奪を見過ごし
イスラム勢からは負け続け舐められ
海賊退治は結局市民が自衛を始めたアマルフィ、ピサ、ジェノヴァが行うようになる
ノルマン人に駆逐されるまで混乱は続く ノルマン人のオートヴィル朝は面白い人たちで傭兵からシチリア王国を起こした
ギリシャ人にもムスリムにも寛容だったため住民達から支持されたのだろう
この王朝はビザンツ帝国と度々あらそっているが十字軍のときにはアンティオキア公国を建国
ここでもビザンツ帝国の支配は拒みつづけた ピサは、ランゴバルド王国のトスカーナ公領がカロリング時代に
トスカーナ辺境伯領として再編されると、その領土の一部となった
1004年、ムスリムの略奪を受けたが、翌年以降、ジェノバと連合して
西地中海のムスリムを打倒していった
1005年のレッジョ、1015〜16年のサルデーニャ、1034年のアンナーバ(アルジェリア)、
1063年のパレルモ(ノルマン人との共同作戦)における勝利がそれであり、
獲得した戦利品は海上事業を発展させる資金となった 古代から西地中海の要港であったジェノヴァは、カロリング時代には
ムスリム海賊との闘争拠点のひとつとなり、10世紀前半には3回にわたって
その略奪を受けた。
独立イタリア王国時代、ジェノヴァはオベルテンガ辺境伯の
領土の一部となり、辺境伯のジェノヴァ代官の家系から
都市貴族が形成される一方、市壁内部の支配権の一部が司教に与えられた。
1056年、司教と都市貴族との協定が成立し、続いて辺境伯がその裁判権を
放棄したことにより、ジェノヴァの自立性が確立した。
ジェノヴァは、ピサとともに西地中海の一大勢力として発展し、
1087年には、ピサと共同でチュニジアに遠征してジール朝を
攻撃するまでになった。 >>279
寧ろ「属州出身のローマ皇帝」みたいな意識でイタリアを支配の中心に位置付けてたのでないか? 戴冠前はローマ王という肩書きだったらしいよ
教皇に気に入られないと戴冠してくれないし 「ローマに上洛して天下に号令する」ってのが、日本の戦国大名の天下取りと似ている ローマで教皇に戴冠してもらわなければ、ただのドイツ王だもんな
西欧世界の普遍的支配者であるローマ皇帝にはなれない ブルグント(アルル)王国って、なんでフランスに組み込まれたの?
もともとは神聖ローマ帝国の一部だったのに Wikiで調べたぞ
ヴェルフ家のルドルフ3世が継嗣無く死亡して従兄弟のザーリアー朝の神聖ローマ皇帝コンラート2世が王位を継承したかららしいな だがプロヴァンスとブルゴーニュは分割されてトゥールーズ家とフランス王家がそれぞれの地方の爵位を継承したかららしいな 伯爵領はこうしてフランスに吸収されたがアルル王位自体は神聖ローマ皇帝が消滅するまで持ち続けたようだ ブルゴーニュもフランシュコンテもオイル語圏なの訳わからんな
もともと違う国ならパリとは言語が違っててもおかしくないのに アルルには、古代ローマ帝国の植民市からの長い歴史がある 北フランスはフランク族統治で南は違ったからじゃないの 南フランスはイタリア同様、サラセン人の脅威にもさらされていたな
プロヴァンスでは攻めにくく守りやすい山岳部頂上付近に、いわゆる「鷹の巣村」を
つくり、堅固な塀で囲んで要塞化した。
イタリア各地にも「トッレ・サラチェーノ」(サラセンの塔)と呼ばれる
建築があるけど フランスは見渡す限りの大平原の国だけど、南仏はアルプスの山麓
夏はリゾート地なのに、冬はミストラルが吹き荒れて北極みたいに寒くなる 1,241.35 +8.16 +0.66%
南仏は地中海に面しているよ
あと、ツール見れば解るけど岡レベルで起伏はかなりある
それでも国土の大半が耕作可能な地で
国土の大半が山な日本とは違うけどね
オランダは九州くらいの面積しか無いけどガチ平野だけなので凄く広く感じる
関東でも遠くに山が見えるのに、オランダは地平線まで平野だ 皇帝フリードリヒ2世の死後、ドイツは百の頭を持つ怪物の状態となったが、
イタリア北部・中部では、1254年から73年までの「大空位時代」と、
それに無力な皇帝が続いたことにより、皇帝による抑制のなくなった
都市国家同士が弱肉強食の争いを展開していく。 >>310
オランダ・九州・台湾がほぼ同じ面積というのは、覚えておくと便利だな。旅行するときなど参考になる。
国土面積が北海道と同じくらいの国一覧(平方キロ)
大韓民国 98,480
ハンガリー 93,030
ポルトガル 92,391
ヨルダン 92,300
アゼルバイジャン 86,600
オーストリア 83,870
北海道 83,423
アラブ首長国連邦 82,880 面積比較表(平方キロ)
オランダ 41,864
スイス 41,290
九州 36,782
台湾 35,980
ベルギー 30,528
シチリア島 25,702
サルデーニャ島 24,089
イスラエル 20,770
四国 18,297 イタリアのゲルマン人は、9世紀以降、すでにロマンス語を
話すようになっていたらしい
そしてゲルマン語を話すアルプス以北のゲルマン人を
「ドイツ人」(テオディスクス、テウトニクス)と呼んだ ランゴバルドもノルマン人もイタリアじゃ少数派だろうからなあ カール大帝が支配した「イタリア王国」は、彼が撃破した北部のランゴバルド王国と
中部のスポレート公領からなっていたが、南部のベネヴェント公領は、この王国には
帰属せずに独立した。
やっぱりイタリアは統一するには南北に長すぎたのかな >>314
ドイツ人を意味するテデスコはチュートンの事か
(当のドイツ人も自分達をチュートン[=ドイチュ]と呼んでるみたいだが) >>314
プロコピオスの「戦史」だと東ゴート戦争の時点ですでにゲルマン人はラテン語をしゃべるようになっていて
民族本来の言語をしゃべれる人は少数派になっていたらしいけど >>71
>現代の朝鮮語は、日本語をモデルとして朝鮮総督府により編集された。
>「日本語と朝鮮語はウリ2つ、双子の兄弟みたいに似た言語だ」とよく言われるが、そこまで似るようになったのは20世紀に入ってからの話
うわ
ネトウヨおじさんこんなとこでも発作起こしてるのか
日本人と朝鮮人はYハプロの構成に若干の違いがあるだけで遺伝学的にはほとんど同じ人種なのだから言語も似てて当たり前
もとは一つの民族だったのに二つに分かれたチェコ人とスロバキア人みたいなもんだよ >>319
いや、そんなことはない
それは、20世紀に日本から受けた、あまりにも大きすぎる影響をごまかすための常套句 >>314
人口は少なくても、2百年も支配者として君臨していれば、影響は極めて大きい >>319
こいつ数年前から同じようなこと言ってるけどまともな言語学知識もなくまとめサイトに受けてるだけだから何言っても無駄やぞ >>323
日本語と朝鮮語は、共通する語彙が少ない。
とくに、身近な身の回りのモノを指す基本単語ほど違いが大きい。
発音も大きく異なる。知らない人が聞いても、何を言ってるのかサッパリ分からない。
それでいて、文法、とくに書き言葉の体裁だけは、ほぼ同じと言っていいほど似ている。
これは近代に入って、国民国家形成のために整備されたものだ。
明治政府や朝鮮総督府だけでなく、ドイツ政府もフランス政府もイタリア政府も、みんなやっている。 日本との国交を正常化した朴正熙大統領は、「親日」批判への対策として、漢字廃止を断行した。
「漢字を廃止して、ハングル文字だけにする」というのだから、一見、中国文化の影響を排除したがってるように見えるのだが、そうではない。
漢字ハングル混じり文が、日本語の漢字カナ混じり文と、あまりにも似ていたのが原因。
当時の韓国人は、まだ朝鮮総督府の近代化政策を覚えていたから、これが日本による言語標準化の産物であることを知っていた。 イタリアの場合は、統一語のイタリア語をどうするかが、大きな難題だった。
北イタリアの言語は、中世のランゴバルド王国から、ていうか、それ以前から全く違う。
「トスカーナ方言をベースに標準イタリア語を作る」というのが、統一直後の勢いで強引に決められた。
平時だったら異論が噴出して、とても決められない問題だ。 >>324
で、その整備前と整備後でどう変わったの?
って前から何度尋ねてもまともに答えたことないじゃん、お前 >>327
わかった、わかった(笑)
お前は、お前の信ずる道をゆくが良い まあ、でも一応、言っとくと、朝鮮で初めて漢字ハングル混じり文が登場したのは、1895年。
福沢諭吉の弟子・井上角五郎の尽力で実現した。
当初は漢文訓読みたいな文章で難しかったが、明治時代の日本語と同じで、口語体がだんだん確立された。
その後、朝鮮総督府の近代化政策により、極端に低かった朝鮮人の識字率は大幅に向上した。 コピペ
1890年代後期に訪朝したイザベラ・バードは、その当時諺文(En-mun)と呼ばれていたハングルについて、いまだ知識層からは蔑視されてはいるが、
1895年1月に漢文諺文混合文が官報に現れて以来、国王による独立宣誓文をはじめ、一部を除く公式文書に正式に採用され、
諺文による書物も徐々に増えつつあると描写し、今後、諺文による教科書と教師の育成が待たれるとしている。 「ハングル」という呼称が文献上に初めて現れるのは大日本帝国による韓国併合以降の1912年のことであり、周時経に始まる。
韓国併合時代の朝鮮総督府は「諺文」(おんもん)と呼び、1912年に普通学校用諺文綴字法[を制定し、1921年には周時経の弟子らが朝鮮語研究会を結成し、総督府と協力して1930年には正書法諺文綴字法を制定した。
1920年からは併合下でタクチ本が多数出版され、読書が朝鮮半島で大衆化・近代化する決定的な契機になった。
1933年、朝鮮語綴字法統一案が出され、これが韓国でのハングル正書法(1988年)のもととなった。
北朝鮮では1954年に朝鮮語綴字法、1987年に朝鮮語規範集が出された。 >>328
はいまた逃げた
現代朝鮮語とそれ以前の朝鮮語の文法が日本により編集されたソースまた出せなかったな ハングル綴字法を始めとする朝鮮語の言語規範についてはハングル学会がその初期から非常に大きな役割を果たしてきたと言える.
そのハングル学会が最初に出したのが「ハングル綴字法統一案(한글 마춤법 통일안)」である.
これは1933年に作られたもので,ハングルで朝鮮語を表記するための最初の規範であると言うことができる.
本格的な形態主義に基づき現行のハングル綴字法の原型となったものである.
このとき初めて分かち書きや句読法が明文化されることとなり,また従来放置されてきた漢字音の表記も固有語なみに改めている.
標準語に関してもハングル学会が1933年に制定した朝鮮語綴字法統一案で定められ,その総論第2項で
「標準語はおおよそ現在中流社会で用いているソウル語とする」とされている こいつ文法を正書法のことだと勘違いして無意味なコピペしてんだろうなあ
それだけで言語学について何も知らないとわかるわ >>335
いや、韓国語は分かるし、言語学も知っている
でなきゃ、こんな話をするわけないだろ 日本語と朝鮮語の大きな違いは、まず、発音
。
それから、身の回りの日常的な語彙。
これが大きく違うから、「同じ系統の言語」とは断定できない。
似てるのは、なんといっても文法。
とくに書き言葉だな。 語順だな、似てるのは。
でも、基本的な語彙が違いすぎる。 もちろん、もともと語順が似てるのは確かだ。
ここで言いたいのは、「現代の韓国語を創って普及させたのは、日本の朝鮮総督府だ」ということ。 >>336
>>339
韓国語や言語学について知っている人間はそういう意味不明な主張に対して「はあ?」って思うんだよなあ
で、現代の韓国語とそれ以前で文法の何が編集されたんや? >>71が言ってるように
・現代の朝鮮語は、日本語をモデルとして朝鮮総督府により編集された。
・日本語と朝鮮語が似るようになったのは20世紀に入ってからの話
という主張をするなら、
19世紀以前の朝鮮語と現代朝鮮語は全然似てなくて、全く文法も異なるレベルだったが朝鮮総督府が言語改造を施した結果、似るようになった
という根拠をまず示してくれないと
そんな話聞いたことねーんだわ >>341
>19世紀以前の朝鮮語と現代朝鮮語は全然似てなくて、全く文法も異なるレベルだったが
んなこと言ってねえだろ(笑)
ホントに、左翼と朝鮮人は厄介な連中だな こちらの関心は、「近代化政策の一環としての標準語の整備」というところにある
別に、左翼や反日朝鮮人の信仰にケチをつけるつもりはない いや>>71でそう言ってるだろ
朝鮮語が日本語と似るようになったのは20世紀以降なんだろ?
だったらそれ以前の朝鮮語とは別物レベルに変わったとしか読み取れんわ
(現代朝鮮語と近世朝鮮語で文法構造に大きな相違があるなんて話聞いたことないけどな)
それに近代以降のハングル正書法整備は周時経などの朝鮮人言語学者の影響が非常に大きいんだわ
そして、日本語と朝鮮語が総督府の影響で似るようになったという具体的な話は相変わらず一切出来てないよな、お前
綴り字レベルの整備の話しかできないんだったらそれでもいいから具体的な変化を上げてみろって 前からこいつにこうやって真っ当な指摘をすると、朝鮮人や左翼という捨て台詞を言って逃げる。
人に語れるレベルの知識じゃないのに、逃げるならドヤ顔で書き込むなよ >>345
わかった、わかった(笑)
アンタは偉い!! なんで、韓国のことになると、こんなに感情的になる人たちがいるんだろうな? >>344
>それに近代以降のハングル正書法整備は周時経などの朝鮮人言語学者の影響が非常に大きいんだわ
そうだな!
朝鮮が近代化したのは、朝鮮人のおかげだ。
日本のおかげではない。
そういうことにしておこう(笑) >>346
>>347
定期的にお前がスレ違いかつ誤ってる韓国情報を書き込むのがおかしいんだろ
全く脈絡なく韓国の話題振る荒らしとして認知されてるんだからいい加減に大人しくしろよ、キチガイ 自分が間違ったこと書き込んでるくせになんでこんなに偉そうに振る舞えるのか意味がわからん >>349
何を言ってるんだ?
こちらの話のポイントは、「統一イタリア政府は、バラバラだったイタリアで、トスカーナ方言をベースに標準語を整備した」というところにある
「朝鮮で、日本の朝鮮総督府が標準語を整備した」という話は、そのついでに例として挙げたにすぎない。
お前が、「朝鮮総督府」と聞いて逆上し、やたらカミついてきてるだけ。
バカなのは、お前だ。 >>351
で、その内容が間違ってるから指摘してるのに、まともに答えることも出来ずにレッテル貼りして見苦しいのがお前だろ
しかも前も別のスレでこの流れの会話した時も同じ反応してたし
お前人としてやばいから自覚したほうがいいよ そもそも朝鮮語のくだりをレスする意味がないんだよなあ >>352
わかった、わかった
それなら、「朝鮮語はもともと日本語と似ていたが、日本の朝鮮総督府が近代化政策の一環として、それを標準語として整備した」でいいよ
それで文句ないだろ? >>355
いや、間違ってはいない
お前との論争から降りるだけだ 降りてもどうせ性懲りもなく同じデマ書き込むだけだから
見つけ次第また指摘するんだよなあ まあ、「朝鮮語がもともと日本語に似ている」というのは、その通りだけどな
ちと、こちらの主旨がまっすぐに伝わっていない。
書き方が極端すぎたのだろう 朝鮮には「古典文学」ってものが無い。
だから、朝鮮語の成立過程というテーマは難しい
ただし、日本が近代化に乗り出す以前から、婦女子を中心にハングル文字は使われており、文学とまではいかないが、説話みたいなのも一応あった 英語や中国語に悩まされてきた人が韓国語を見ると、「うわ、語順が同じだ!」と感動する。
でも、それは最初だけで、だんだん文法の違いが目につくようになる
「日本語と韓国語は、単語を置き換えるだけで翻訳できる」と思ってる人すらいるが、さすがにそれはない それに比べて、イタリア語とスペイン語は、「ゆっくり話せば、だいたい分かる」というくらい似ている >>366
朝鮮語の場合、系統関係は証明できない
古典文学が無さすぎるから それでも一番近いのは朝鮮語なんだよね
系統関係の有無に関わらず 例えば552年に書かれた新羅の「壬申誓記石」
韓国語や日本語の語順でほぼそのまま読みくさせる
壬申年六月十六日二并誓記天前誓今自
三年以後忠道執持過失无誓若此事失
天大罪得誓若国不安大乱世可容
行誓之 又別先辛未年七月廿二日大誓
詩尚書礼伝倫得誓三年
壬申年六月十六日、二(ふたり)并びて誓記する。天の前に誓う。今より
三年以後、忠道を執持し、過失なきことを誓う。若し、此の事を失えば
天より大罪を得ることを誓う。若し国不安にして大乱の世になろうとも
可容(よろしく)行うことを誓う。
又、別に先の辛未年七月廿二日に大いに誓う。
詩、尚書、礼、伝、倫を得えることを誓う。三年。 イタリアになんの恨みがあるんだクソイエローモンキー
さっさと死ね >>369
古代の倭にもよくある、訛った漢文
「そのまま読み下せる」は言いすぎだろ イタリアの話は淡々と語れるのに、なんで朝鮮のことになると、狂ったように興奮するんだ?
冷静になれや 政治豚とゲハガイジと撮り鉄は全員障害者なので殺処分しろ イタリアの話をするのに、朝鮮の事例は、「半島」という共通項があるせいか、いろいろ参考になるんだけどなあ
まあ、5chで朝鮮の話をするのは、避けたほうが無難だな >>376
ていうか、朝鮮の話になると興奮するのをやめろよ イタリアは国土のほとんどが火山灰で農業に向かないわけじゃないからなあ >>377
朝鮮の話を興奮しながらレスする変態が原因 もはや、日本人にとって、韓国・朝鮮は国ではないな
ウヨサヨ論争のネタでしかない >>379
ジュリオ・アンドレオッティ(1919.1.14〜2013.5.6)
首相在任
@1972.2.17〜1973.6.26(53歳1ヵ月〜54歳5ヶ月)
A1976.7.29〜1979.8.4 (57歳6ヵ月〜60歳6ヵ月)
B1989.7.22〜1992.4.24(70歳6ヵ月〜73歳3ヵ月) バチカンという法の及ばない特区を作ってやりたい放題
少女を拷問し泣き叫ぶ少女の頭を割って
脳の中心にある松果体を食べる
ローマ法王の杖には松果体を形どった部分があるし
バチカン美術館には大きな松果体のモニュメントがある
そんな神父さんたちを皆殺しにしました
良かったですね
バチカンに少女を供給していたマザーテレサも 子供の脳の中心にある松果体を食べる前に
子供の皮を剥ぐなどの拷問を行うのは何故でしょうか
それを悪魔崇拝の儀式などと言う人がいますが
儀式という前に、子供を拷問する理由があるんです
普通の状態で松果体を食べても意味ないのです
拷問した状態の松果体に意味があるんです
詳しくは「アドレノクロム」
アビガンとともに、フジFで売ってますがいいのでしょうか >>383
弱冠28歳で官房副長官となったのを皮切りにタンジェントポリまでの半世紀の間様々な要職につきイタリアの権力の中軸常ににいた魔者 イタリア史が盛り上がるのは、ローマ帝国を別にすれば、フリードリヒ1世・2世の頃と、15世紀後半のロレンツォ・デ・メディチその他のルネサンス時代だな 皇帝フリードリヒ1世は教皇に味方する諸王を「小王」と見下すと同時に、
ボローニャ大学のローマ法学者たちによって理論化された帝国論を武器に、
使者や書簡を通じて、西ヨーロッパの諸王に対して皇帝の上位性、帝国への
奉仕を強く要求した。
しかし、北イタリア都市同盟軍との戦いに敗れ、彼のイタリア政策は失敗する。 イタリアは皇帝派を優遇して程々にしておき、東方に生活圏を広げるべきだった ポー川流域に広がるポー平野は、イタリアの穀倉地帯である
小麦、トウモロコシ、稲などが栽培されるほか、畜産も盛んで
パルマの生ハムやチーズは世界的に有名である
一方、ポー川の上流域には工業都市トリノが控えている
イタリアの北西部に位置するトリノ、ミラノ、ジェノヴァを
結ぶ一帯は、「工業三角地帯」と呼ばれている
イタリアの主要産業は、北部に集中し、南北格差をつくりだしてきた 言語的には完全にイタリアなコルシカの人間って、第二次大戦中はフランス国内で肩身の狭い思いをしてたのかな ってか、中世以来イタリアはローマ以北(厳密にいうならトスカーナ以北)が欧州でも筆頭クラスに繁栄し、両シチリア王国は常になんらかの犠牲になってきたのよね
そして、そのまま近代から現代まで続いてる
この辺地政的な研究あるのかな 統一イタリアは、当初農産物の輸出と工業製品の輸入を通じて発展してきたが、
1887年に保護関税を導入し、自由貿易から保護貿易に政策を転換した
これはブドウや柑橘類の輸出で潤ってきた南部経済に打撃を与えたが、
ポー平野の農業家層を保護し、さらには工業化を進展させるきっかけにもなった イタリアさん品質良いオリーブオイル作ってくれよ
8割品質偽造って何だよ シチリアはもはやイタリアじゃないよな
ミラノっ子やローマっ子から見たらあそこは我々日本人でいうところの琉球みたいなもんじゃないかな 実際沖縄人偏差値低いしな
国内で一番民度の低い南の島って点で一致する >>396
品質良いオリーブオイルは2週間くらいしか持たないから
輸出には向かない ベルリンや東京ほどの被害は出ていないけど、ローマもアメリカ軍に空襲されていたね。
日本語版のWikipediaはないので、以下は英語版のWikipedia
Bombing of Rome in World War II - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Bombing_of_Rome_in_World_War_II 塩野七生のような日本の知識人が、一神教より多神教のほうが
優れていると主張するけど、インドのコミュナル暴動を見たら、
多神教のほうが優れているなどと簡単には言えないと思う
塩野先生は、古代ローマや現代日本のような、文明化された
多神教社会しか見ていないのでは 科学は多神教からのみ生まれる。
逸脱を許さない一神教からは、科学は生まれることができない。 イスラム科学もルネサンスも、キリスト教勢力がイスラム勢力に敗北した混乱期に花開いている。
これはイスラムの優位を意味するのではなく、一神教の権威が揺らいだ時に科学が発達できることを意味している。 家畜屠って内臓取り出して喜ぶような文化は合わなくなってきてたんだろ
多神教だと生贄必要な場合が多いし 聖体拝領がカニバリズムの名残りだという説はよく聞く。 >>403
多神教でも自由のない社会からは科学は生まれない
中国もインドも、科学を生み出すことはできなかった 紙を発明したのは中国。
大航海時代をもたらした羅針盤と火薬は中国で宋の時代に発明された。 中国語は多数の技術(テクノロジー)の発祥の地なんだけど
研究・思考の哲学である科学(サイエンス)は生まなかったんだよなあ キリスト教の広まりが中世ヨーロッパにおける科学の発達を止めてしまった。
それが不都合な真実。 日本人は啓蒙思想が広まった近代ヨーロッパのキリスト教しか知らないから、
中世ヨーロッパにおけるキリスト教の闇の深さを理解できず、キリスト教を美化しがち。 キリスト教の画一的な自然観を受容してしまった中世ヨーロッパは科学の発達が停滞した。
十字軍の挫折とオスマン・カリフ国の台頭がヨーロッパでのキリスト教権威の失墜をもたらし、
ようやくヨーロッパで啓蒙思想や自然科学が花開くことになった。 毒親が他人から殴られたおかげで毒親から解放された子供たちは立身出世した。
だが、毒親は子供の手柄をあたかも自分の教育の成果であるかのように吹聴した。
キリスト教=毒親。 織田信長に地球儀を献上したイエズス会宣教師。
毒親が子供の業績を自分の業績のように自慢する醜い姿を想像しなさい。 >>411
偏見じゃなく事実だって
科学って哲学であり手法だから
理論を組み立てて仮説を立て、その仮説をもとに受験し、同様の科学的批判を経て、一定の確実性のある説を立てる
ここまでの流れが科学(サイエンス)
ギリシャ>イスラム>西欧の流れだけがこれに乗ったんだよね 日本人がしばしば使う因果という語は仏教用語。
科学の基礎になる哲学は特段珍しいものではないよ。
地中海世界で異文化間戦争が長く続いたことが科学の発達を促したと考えるのが自然。
アジアでは支配者によって戦争の芽を摘み取る政策が取られたので科学の発達が遅れた。 レオナルド・ダ・ヴィンチの行った科学実験の多くが、イスラム科学の応用実験だったことはよく知られている。
ルネサンスのもとで多くの知識人文化人が戦争に必要な軍事技術の需要に応えた。これが科学の発達につながった。 >>414
暗黒の中世期において唯一自然科学を研究をし啓蒙してたのが教会だぞ >>421
意味不明
実際農法や錬金術、天文学など教会や修道院が担っていた >>421
科学技法の抑圧をしていたのも教会や修道会なんだけど
科学の基礎を発展させ、応用できるとこまで育てたのも修道院なんだよな
まあ、裏表あるってことだけど 中国共産党は人民の啓蒙を担う唯一の存在なんだぞ。
中国共産党を正当に評価すべきだろ。 塩野七生の『我が友マキアヴェッリ』では、ロレンツォ・イル・マニフィコの時代が
フィレンツェの黄金時代だったように描かれているけれど、実はこの時代は
フィレンツェの市民的自由や市民的人文主義が衰えていった時代なのよね イスラム科学を再現実験しただけのレオナルド・ダ・ヴィンチの科学的業績は、
蘭学書を読んでエレキテルを作った平賀源内と同程度しかない。 地デジ 021 NHKEテレ1東京
7/24(金) 22:00 〜 22:45
ドキュランドへようこそ 選「ダビンチ 幻の肖像画」[二][字]
番組内容
モナリザを描き、建築や解剖学も極めた“万能の天才”ダビンチが亡くなって500年。
ある収集家の自宅に保管されていた「ルカーニアの絵」は、世界の美術界の注目を集め、
美術史家や科学者による分析がフィレンツェをはじめ欧州各地で行われた。
顔料から年代を特定し、残された指紋を解析。最新の3D技術で、巨匠ダビンチの素顔を初めて3次元で復元!
近代芸術が花開いたルネサンス時代へと、アート・ミステリーを探る旅。 一人当たりのGDPでは
イタリア全体だと日本なみ
北イタリアのみだと英仏レベル
シチリアは沖縄
南イタリアはお荷物 >>430
北部同盟みたいなこと言ってるけど
北が南を収奪する構造的問題があるってこと認識しないとおかしなことになるぞ 近現代のイタリアが、ファシズム体制にならず、ナチス・ドイツと同盟も結ばず、
エチオピア侵略もしないというシナリオはなかったのだろうか
イタリア近現代史に別の選択肢はなかったのか? 日本人から見たらイタリアは歴史ある文化の国なんだろうが中国人にとってはただのヨーロッパのただの小国だからな
漢王朝はローマよりもGDPが倍は大きかったのだ >>433
んなわけあるかいな
北京・上海・広東省なんか、日本より歴史が浅いぞ >>437
沿海部というなら、杭州や南京(建康・建業)、紹興(会稽・越)を意図的に無視してるのは何で? なお、広州は三国時代には都市として確固たる地位を占めており、秦の時代にはすでに都市であったとされている古い都市 >>439
属州だったという記録が文書に残ってるだけ
とても、イタリアとは比べられん >>441
考古学的調査結果もあるけど?
別に現代中国のアホな権威主義嫌いなのは別にどうでもいいけど
歴史的事実を無視したり曲解したりするのは同じ穴の狢 ローマと比べるなら長安(洛陽、臨淄、鄴あたり)だろうけど、ローマ以外のイタリアの古代都市って、ギリシアと比較しても規模大きくないぞ
南京(呉・建康・建業)や紹興(越・会稽)は3世紀には長安や洛陽に準ずる規模にまで発展してるし、何とも言えんな
ローマ帝国全体で言うなら、イタリア以外にアレクサンドリアやカルタゴと言ったローマと比較できるレベルの大都市あるけどね 中国人がイタリアに行ったら、歴史と文化に圧倒される
これは間違いない >>445
ローマ以外の有名観光地は古くてルネサンス時代で、概ね近世のバロック建築だけどね
ビザンチン様式のヴェネツィアって変わり種もあるけど
それがいいんだけどね
残念なのはルネサンスの素晴らしい建築や美術のかげで、中世イタリアの遺物はあまり残っていないこと
古代より少ない、残念 >>444
イタリアはローマが収奪してるからしかたない ローマ帝国における首都ローマは、「一極集中」なんて生易しいものではないな
世界から収奪した富が、ローマという1ヶ所に集まっていた >>449
> 世界から収奪した富が、ローマという1ヶ所に集まっていた
そういうのを「一極集中」というのではないか? ローマも長安と同じく、中世にいったん滅亡して廃墟になったあと、近世に再建された都市 習近平は、西安に遺跡が乏しく、観光名所が足りないのを懸念し、ファンタジー古代建築を建てようとしている
「韓国じゃあるまいし、そんな浅ましい真似はやめろ」と反対する声が多い >>451
ローマは中世には復興しとるよ?
そのあとまた荒廃したりしてるけど、近世直前のルネサンス建築も結構残ってる
近世初期のバロック建築が一番多いけどね >>454
そうだな
なんたって、ローマ・カトリックの総本山だもんなあ
テベレ川の水運もあるし、もともと首都になるべくしてなった都市 ローマは、中世初期のゲルマン民族大移動と、近世のイタリア戦争で2度破壊された
ヴァンダル族のガイセリックによる略奪は、メチャクチャに破壊することを意味する「ヴァンダリズム」という言葉が英語に残ってるほど ドイツが一度としてローマを攻めたことがないのに、どこからそんな嘘話が出てくるのか。
得意のスケープゴートで今日も全開のイタリア人w イタリアの歴史
↓
スケープゴートを一度やりだすと、ずっと他人のせいにしないもダメなったw
悪魔になって悪魔崇拝者になりさがってもわたち達神に仕えるもの気分w >>457
カール4世のサッコ・デ・ローマは、侵略の主体をスペインとみるかドイツとみるか ヨーロッパ、特にイタリアやイギリスは安全な場所だった。
今まではw >>459
皇帝の正規軍の主力はスペイン兵だが、ドイツ人の傭兵が多かった
ドイツは宗教対立のまっただ中だけに、ローマ・カトリックへの憎しみに燃える傭兵が多かった イタリアが忘れたい植民地の残虐史
ニューズウィーク(2020-09-15), 頁:44
https://www.zasshi.jp/pc/action.php?qmode=5&qword=%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%AF&qosdate=2020-09-08&qpage=3
歴史の否認
植民地主義史研究に見るイタリア歴史修正主義の現在
http://repository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/69262/1/ifa012015.pdf そもそも、イタリア、イタリア人とは何かというのが曖昧な面がある
まず、統一された歴史が非常に浅い
では、文化面では同質かというと、驚くべきことに、北イタリアの言語は言語学的には、標準イタリア語(中部イタリア語が基)よりも、フランス語に近いのだという
だとすると、北イタリアがイタリアである所以は何か、ということになる
国家としてのまとまりは(1861年以前には)存在せず、言語も全く異なる訳だから
結局、アルプスの南側という地理概念、イタリア語を書き言葉として使っていた地域とぐらいしか言えないのではないか >>463
北イタリアと南イタリアは、20世紀の前半までは、強引に統合された別の国だった
今では、北イタリアの言語が衰退して標準イタリア語への統一が進んだから、昔ほどではない >>394
にもかかわらず、分離独立の主張が北部からばかり出る不思議(北部同盟しかり、ベネチア独立運動しかり)
逆に、南部からは独立の主張ほとんど聞かない(シチリア島は別として)
両シチリア運動っていうのがあるらしいが、ウルトラマイナーなもののようだし >>465
そりゃそういうもんだろ
ユーゴスラビア分裂のときも、真っ先に独立したのは最先進国のスロベニアだった。
中国だって、独立したがっているのは上海人や広東人 独立というよりも足手まとい地域を切り離したいみたいな感じか ミラノ、トリノ、ジェノヴァを結ぶ工業の三角地帯は、アルプスの水力と
ポー川周辺の天然ガスで発達した
北東部から中部で皮革・服飾業が発展
トリノは自動車・航空機・エレクトロニクス産業、
ジェノヴァは鉄鋼・造船業、
ヴェネツィアは化学・アルミニウム工業 北イタリアが独立したら「パダニア」という国になるらしいんだが、「イタリア」のほうがブランド価値が高いんじゃないのかな? >>463
人の分際で振り分けなんかしたら、都合のよいようになるだけだろ。
神を崇めているんだから、神の言う通りするんたよw 南イタリアはメッツォジョールノという俗称があるらしい
だけど正式な国名つけるとしたらナポリ・シチリア国とかになるかな 南部は、国全体の産業への雇用のわずか18%、輸出の10%にしか届かない一方で、
貧困者の4分の3が集中し、失業者は10人に6人である
カンパーニャ州の住民一人当たりのGDPは、ロンバルディア州のかろうじて半分に
届くだけであり、カラブリア州とシチリア州は、欧州内でも記録的な休職率、
とくに若年層の高い休職率を示している 今回、北部に比べて感染があまり広がっていない南部に疎開してたらしいけど
分離したらそれが出来なかったかもしれない 南イタリアから北イタリアに働きに行く人も多いよね
南北が分裂したらそれもできなくなる そうだ
統合EUってものを忘れていないか
国民国家にこだわる時代ではない サルデーニャ語は、ロマンス語で、俗ラテン語にもっとも近い
理由としては、島であるため、サルデーニャが中央イタリアの
言語推進の中心から切り離されていたことがある >>472
カラブリアカンパーニャシチリア連邦共和国 >>476
マフィアも、拠点は南部で、北部にも進出ってパターンが多いよなw マフィアはイタリア全土に拡大しつつあり(例えばローマのマフィア・カピターレ
〔ローマ市を巻き込んで公金横領を働いた組織〕)、ゴミや廃棄物処理、政府調達、
許可書の配布、あるいは中国からの偽造品などを扱う、非常に収益率の高い
闇事業を行っている イタリア国内に住んでいる外国人は、ルーマニア人がとびぬけて多い
2位がアルバニア人、3位がモロッコ人、4位が中国人 イタリアは、統一された歴史が非常に浅いという背景もあり、郷土愛が非常に強い一方で、イタリア人という意識が弱く、ナショナルアイデンティティは希薄だなんて言われることがあるが実際、どうなのだろう 今の王様の評判が悪く分離独立運動が活発化していたベルギーは、
W杯でまとまったってオランダ人ガイドが言ってた ガイドさん見ていると、名言はしないけど含みあるって感じ
カトリックとプロテスタントの違いで街並みも異なるし フランダースの犬のアロアがオランダ人みたいな民族衣装を着ている日本産のアニメを見たら現地の人は激怒するだろうな
チマチョゴリを着た女性を日本人だといってるようなもの >>487
ネーデルラント独立戦争で離脱した事を未だに根に持ってたりして >>484
政治的には色々分裂してても少なくともサルデーニャとシチリアを除いた半島部に関しては
同じ言葉と文化を共有する「イタリア人」って認識が多かれ少なかれあった事は
ダンテやペトラルカの作品読めばわかる >>487
ベルギーとイタリアはルーベンスの第二の故郷がイタリアだったり
20世紀に入ってもイタリア移民がベルギーに沢山行ったり相互に繋がり深いけど
オランダとイタリアは全然だよね
何と言うか文化的気質的に合う合わないはありそう >>490
確かに同意する
ただ、書き言葉を共有しているだけだったので、庶民レベルではイタリア人意識がなかなか浸透しなかったということか >>486
それ以上に、北ベルギーと南ベルギーの仲が悪い 前ベルギー国王は、各地方の言葉で演説できたので慕われていたらしい
現国王はそれができず、軋轢を生んでいるらしい
王様も楽じゃないね ゲルマン系言語とラテン系言語の境界が、なぜか北ベルギーと南ベルギーになっている
オランダとベルギーの国境が境界なら分かりやすいんだが、そうなっていない メキシコ、コロンブス像撤去 米大陸到達の記念日前に
https://www.afpbb.com/articles/-/3309257
【10月11日 AFP】メキシコ当局は10日、首都メキシコ市に設置されていたイタリアの探検家クリストファー・コロンブス(Christopher Columbus)の像を撤去した。
12日にはコロンブスの米大陸到達を記念した行事が予定されており、活動家団体がこの像を引き倒そうと計画していた。
文化省はメキシコ市当局の要請を受け、同市レフォルマ通り(Reforma Avenue)にあった像を撤去したと発表。撤去理由については、修復のためだと説明した。 >>490
古代のギリシア人が、ポリスの枠組みを超えて「ヘレネス」という意識を
持っていたようなものか
ルネサンス時代のイタリア人は、アルプス以北の諸民族のことを
「バールバリ」と呼んでいたそうだが ノルマン・シチリア王国は異教徒同士が共存していたといわれるが、
やはりキリスト教徒とムスリムはモザイク状に棲み分けていたようだな
現代のアメリカ合衆国と同じだ
人種の坩堝ではなくてサラダボウル状態
同じようなバックグラウンドを持った人同士固まって暮らす イタリアには、イタリア南部の独立と同地の王政復古を目指す政治運動
「新ブルボン運動」が存在するのだとか ボク達は現代人だから、このイタリアにしても、イタリアという現代統一国家を起点に
時代をさかのぼる。たとえば1860-70年代。日本でいう幕末から明治維新。。
イタリアは地方小国があちこちで安逸をむさぼっていた。
つまり当時、イタリアという概念はあったのか?どうもあったようだ。
ナポレオン戦争で国民国家、国民軍という概念を知り、イタリアでもやろうという運動だという。
だが誰が・どの国がイニシアティブをとるか?未定だった。
1870年ごろ突然辺境のサルディニア王国がガリバルディーと提携をしイタリア王国を成立させる。
イタリア統一戦争だ。王はヴィットーリオ・エマヌエレ2世だ。
これは当時のイタリアに割拠する小国の住人(イタリア人というには早すぎる?)にとって、
どんな位置づけなんだ。ナポリやシチリアの人々にとってはサルディニア主導はイヤだったんじゃないか?
取り留めなくこういうことを考えると、自分の興味がドイツにも飛び火する。
ナポレオン戦争に対峙したのはオーストリア(のメッテルニヒ)だ。ドイツ諸国のオヤブンだ。
だが50年後、ドイツはプロイセン(のビスマルク)により統一される。オーストリアは蚊帳の外。
直前にプロイセンは対オーストリア、対フランスと戦争をして勝利している。モルトケだ。
イタリアもドイツもプロットはとても似ている。今から見たら、よくまあ、青写真を描き統一したものだ。
下手したら、トルコやオーストリアやフランスの一部だったかもしれない。 >>501
イタリアの小国の住人と言ってもサルディーニャがオーストリアと戦争して解放した地域
フランスとの取引でニースやサヴォイア手放す見返りとして得た地域
普仏戦争で駐留軍がフランス引き上げた隙突いて併合したローマ
ガリバルディの義勇軍が解放したシチリア等実体は色々
ほぼ共通しているのは殆ど外国勢力の軛の下にあった事でそこがドイツとは大きく異なる
寄せ集めの赤シャツ隊が装備で上回る正規軍を短期間で制圧したこと見ても
やはり地元の人間にとっては解放者だったのだろう ヴェネツィア統治時代は徴税者というより産業振興者だからなあ(加工貿易のため)
滅亡してなかったら別の道もあったのかも イタリア統一時の非識字率は総人口の78%、全土で最も教育の普及した北部の
ロンバルディアでも67%、最も遅れた南部のバジリカータでは98%にも達していた
ひょっとしたらこの時期、イタリアよりも日本のほうが識字率が高かったんじゃね? >>505
日本は江戸時代以降、基本的に識字率極めて高い社会だったんだよ よくイタリア南部が後進地域だといわれるけど、
サルデーニャ島も後進地域なんだよな
一時、サルデーニャの羊飼いが本土の富裕層を誘拐して身代金を取るのが流行った
ちなみに、アントニオ・グラムシはサルデーニャの生まれ グラムシのせいで左翼が労働者の味方をやめて知識人のサロンクラブへと堕ちた 文学・音楽・美術など芸術の世界では、ドイツではロマン主義の影響が
強かったけれど、イタリアは逆に古典主義の伝統が強すぎて、
アルプス以北から入ってきたロマン主義がなかなか受け入れられない、
という現象があったんだよな 第二次世界大戦後のイタリアでは、元ファシスト党員の公職追放が、
約3万5千人審査して実際に罷免されたのはわずか2500人程度だった 冷戦期のイタリアではマフィアがキリスト教民主党と癒着して、
公共事業や建築などの認可に関わる汚職で儲けたな イタリアて近代までてんでバラバラだったのになんで半島を統一できたの
イタリア人ていう意識なんて近代にもなかったはず ランゴバルド人がイタリア半島に侵入してこなかったら、
イタリアが分裂することはなかったかもしれない この400年はイタリアにとって衰退の歴史じゃないか。
近代になって統一しても、欧州の二軍扱い。(←他国からそう扱われると怒るイタリア政府w)
ムッソリーニはまあ頑張った方 >>515
EC発足前後からそれ以降は、欧州の4番手で定着したから日本人の典型的偏見で思われるほど扱い悪くない
G7構成国だしな
(日本人だとあまり感じないが、2000年頃までのG7は、文字通り世界の7大国(1990年以前のソ連除く)だからな) >>516
1975年 第1回のサミットでは当初イタリアは招待されなかったんだよ。
それにブチ切れた当時のイタリア首相が呼ばれてもないのに 会場である
フランス・ランブイエに乗り込んできて他の参加国から事後承認を受けた。
んで、アメリカはイタ公の参加を認める代わりに欧州が嫌がっていたカナダの参加を
翌年認めされれた。
英仏独とイタリアの間には今も昔も越えられない壁があるが、イタリアと第5位のスペインの間はそれほどでもない。(この20年)
イタリアはスペインと同列に扱われることを極端に嫌がる。 南イタリアはそのうちスペイン以下になってしまうかもしれない >>517
参加の電話を受けて「本当か、本当か」といったとされる半信半疑感激まじりの日本の首相とえらい違いだな ランゴバルド人が、ラヴェンナ総督府(エクサルコス)〜ローマ管区(ダックスdux、任命制公爵)の線を突破して、北伊のランゴバルド王国とは別に、スポレト公国とベネヴェント公国を建てるのだけど
建国時に、公爵(dux)を自称・僣称したのか、ローマ教皇なりビザンチン皇帝が授爵したのか不明
ご存じの方がいたら教えてくだされ ベルギー内の文化的境界は、スヘルデ川を境に左岸側(フランドル)をフランス王国、右岸側を神聖ローマ帝国領としたことによる(ヴェルダン・メルセン両条約が有名だが、その後の分割の方が重要)。
この段階では住民はフランク系だったと思われる
ところがエノー伯領あたりからガロ・ローマ系が移住を始め別途に言語境界が生じた
オランダにも多少あってフリースラント州にはフリジア語、北東部のドレンテ・フローニンゲン州にはサクソン語系が残る。国民の多数派はフランク人の末裔 >>520
知らんけど、古代のduxは公爵じゃなくて軍事指揮官を指す一般名詞じゃないの?
ローマに服属してない蛮族の指揮官もdux呼ばれてたよな 11世紀までのイタリア史って複雑で整理しにくい。
東ゴート、ビザンチン、ランゴバルド王国、ランゴバルド系の公国・侯国、フランク、サラセン人がバーリ(Bari)首長国、それをイタリア王国が滅ぼすがいつの間にかビザンチンが盛り返してバーリに総督(カテパノ)を置くが、ここでノルマン人が登場してようやくケリをつける
教皇は「またも乱暴な野蛮人がきたな」と思ったがムスリムより強いとわかってからは掌を返した
教皇は南伊は教会の管轄と考えており(帝国領は旧ランゴバルド王国のみ)、気前よく爵位を与えたがノルマン人は満足せず王国とするよう陳情。教皇が認めないのでシチリア王を僣称。対立教皇を擁立しかねなかったので渋々認定。こうして欧州に新王国が追加された Dux を公爵としたのはミスでした。知ってる範囲の初出はカエサルの時代のガリア人司令官をduxと呼び、少なくとも4世紀には国境軍司令官の職名でした。ビザンチンになってからは辺境都市駐屯司令官みたいな性質を帯びる。
最後まで残ったのはナポリのduxですが途中から現地有力者の世襲となりビザンチンからローマ教皇に乗り換えたので、最終的には公爵に変質です モンタネッリが、南イタリアが停滞したのはスペイン領・ブルボン領だったせいだと書いてるね イタリア軍、馬鹿にされてばかりで気の毒だ。第一次大戦で高速魚雷艇がオーストリアの弩級戦艦(セント・イシュトヴァーン、2万トン)を撃沈したことがあるのに
タラント空襲は一方的にやられたけどね。マルタ島空爆もドイツ任せ。最後に戦艦ローマが新兵器フリッツXによって沈められた 統一が遅れたのはイタリア人の間でも諸説。再掲のモンタネッリだけど「教皇がいる限りイタリア統一は困難だった」と書いている。新書レベルの内容かもしれないが当のイタリア人の見解だけに尊重している。ピウス9世は最後までイタリア統一を妨害したしね
ピウス9世は評判が最悪に近い教皇だが(葬儀の際にデモ隊により棺がテヴェレ川に投げられそうになった)、日本とは縁があり、26聖人の列聖、幕末の浦上山里村信徒との接触による「日本信徒発見」の報告には落涙したという 南ネーデルラント分割構想(陰謀というべきか)
リシュリューがオランダ政府に「南ネーデルラントを南北に分割しないか。南部はフランス領ね」
オランダ側は真剣に受け止めた。アントウェルペン奪還は悲願だったし(とはいえ、フランドル北部を占領してアントウェルペンを経済封鎖)、伝統的に領主権力に対する強烈な反抗児であったフランドル地方のブルージュ、ヘントの参加も期待できた
しかし実現せず
理由はフランドル都市の「もうスペインとのモメゴト、戦争はこりごり」もあるが、オランダ側の「フランス王国とじかに国境を接したくない」という見立てもあった
当時においては極めて理性的な判断と言えるが、中長期的にはどうだったのか。
非常識なルイ14世が登場する 17世紀以降、イタリアの毛織物・絹織物産業が衰退していったのは、
ギルド規制が強く残り、伝統技術へのこだわりや高品質と高賃金の
維持などのために外国製品との競争に後れを取ったから BSの『小さな村・イタリア』だったかを見てるとコムーネごとの強い個性を感じる
チロル方面とカラブリア地方じゃ顔付きまで違う
シチリア人はベルベル人の血が入ってそう、って言ったら偏見になるのかな >>530
シチリアの下層階級って、北アフリカ人と区別がつかないような
人たちが大勢いるよな
上流階級はバート・ランカスターみたいな外見 南イタリア人って、どうしてもアルバート・アナスタシアとエンリコ・カルーソーの顔を連想してしまうんだよね 学生の頃、2週間イタリアを旅した。南の方へ行くほど顕著にトマト味が増え、ワインがどんどん安くなり終いにはビールよりも安くなった
アマルフィでメニューが読めないので一番安いパスタを頼んだら、ニンニクスライスだけ載ったのが出てきてガッカリしたが実に美味かった。かすかに瓶詰めアンチョビみたいな匂いがしたのでアンチョビ味だと思い、いろいろ試したが味を再現できない
ある日イタリアの魚醤というのを見つけて試したら当たりだった。値が張るけどもう手離せない 車屋台ジュース店の絞りたてのブラッドオレンジジュースは安くて美味しかった
年の半分くらい住みたくなってしまう国ではある 関係ないけど、ニューヨークギャングの歴史が趣味。5大マフィアが形成されていく前史のシチリアマフィアとカモッラの抗争は凄まじい。結果は後者の壊滅。残党は荒稼ぎしたドルを土産にカラブリアに帰郷したという
イタリア人の場合は移民組と出稼ぎ組が混在。命が危なくなると暫く故郷に高飛び シチリア独立運動ってもう消滅したのかな。160年前のことを考えればギャグとも言えないが、アメリカに編入してくれと真剣に考えていたらしい。頭の中が面白い人たちだなあと思った 昨日 NHKで{パットン大戦車軍団」を観たが、史実かどうか知らんが、
連合軍がシチリアを占領すると 住民が町をあげて連合軍を大歓迎する場面がある。あのシーンを見るたびにつくづく「イタリアって 本当に糞だな。」と思う
ちょっとウィキで調べると シチリアのマフィアが反ファシスト(痛めつけられたからなあw)で連合国軍のシチリア侵攻に協力した、とあった。
もうシチリアはイタリアをやめてくれよと言いたいが、これこそイタリアなんかね? ムソリーニの功罪の「功」の部分としてはマフィアやカモッラを弾圧して沈黙させたこと。私的暴力よりは国家暴力の方が強かったから
きっかけはいくつかあるがシチリアで演説会場に望んだムソリーニ。聴衆は僅かで身体障害者の方ばかり。マフィアの嫌がらせだった。ムソリーニは激怒しマフィアを締め上げた
マフィアの復活は連合軍のシチリア上陸作戦に際してのマフィアの活用にある。地情・地縁の情報が不可欠だった。つまり米軍がマフィア復活に手を貸したことになる 南イタリア人は歴史に関しては好き勝手のスタンス。ムソリーニを批判しつつ「あと10年ムソリーニがいたならばマフィアやカモッラは滅ぼされ、ナポリは清潔な都市になっていたろうに」
美味しいところだけ採るなよ矛盾が生じるだろ、と思うが、南イタリア人の習性だよね 南イタリアって、みんなが「自分だけずる賢く、うまく立ち回ろう」と考えて
行動した結果、結局、社会全体がうまく回らないというイメージ
以前世界中に報道された、ナポリのゴミ騒動なんかその典型 シチリアのイメージ回復
映画『ゴッドファーザー』シリーズで「コルレオーネ村」を含むシチリアのイメージが悪化
⬇
コルレオーネ・マフィアが、ファルコーネ検事(治安判事)を科学的手法を駆使して爆殺し世界が驚愕
⬇
タンジェントポリ摘発事件で汚染の除去が進むも「怖いところ」のイメージは消せず
映画『ニューシネマパラダイス』が浄化作用
2つの版があるけど、個人的には恋人たちが再会しない方のが好み BS日テレで毎週 ジョジョの奇妙な冒険を観ているが、南イタリアって本当に糞だな。 シチリアで18世紀末に興ったマルサーラの葡萄酒産業はイギリス人によるものだった
シチリア貴族には事業に投資するという意欲が欠けていた フェデリーコ王(フリードリッッヒ2世)とマンフレート王の頃が黄金時代だったようですね 『ニューシネマパラダイス』の中で、アルフレートがトット(主人公)にしつこく「ここ(シチリア)には返ってくるな」と諭すシーンがあるけど、シチリア人にとってはそういうことなんだろうね。監督じたいがシチリア人だし 映画の中でアルフレートが「碧い眼の女はやっかいだぞ」って言うセリフに、南イタリア人のゲルマン起源系女性への憧れが反映されている
一方で、エスニックジョークの世界ではドイツ女は「ベーコンと馬鈴薯と酢漬けキャベツにネクラ男ばかりでウンザリ。アルプスの南に拐ってくれる情熱的なイタリア男と出逢いたい」 ドイツからスイスを経てイタリアに入ったときゲーテの『イタリア紀行』が実感できた
南イタリアに至って癒されるという紀行文。ナポリを見てから死ね、はゲーテじゃないけど誰だっけ 日本でも冬に(東北以外の)本州で日本海側から太平洋側に抜けるとそんな感じにはなる ローマ建国神話だと、質実剛健・堅忍不抜・謹厳実直・忠勇無比・玉砕殉国・国士無双みたいだったのが、カリギュラ、サチュリコンの宴会になっちゃうのはいつ頃からなんだろうか 開祖がオオカミに育てられるくだりは、テュルク系民族にもみられる フラミンゴの舌が最高の珍味だったらしい(プリニウス『博物誌』) 『食卓の賢人たち』(岩波文庫)、『アピーキウス(アピシウス)』(三省堂)に当時の料理情報が書かれています。魚醤もでてくる 豚に乾燥イチジク食べさせると美味いとかが載ってる本だね。今も使われているスパイス類は当時から使われていた 出典忘れたけど、カルタゴの使節が元老院議員たちから接待されるが、どこの議員宅でも同じ銀の皿が出てくるので「同じ皿を借りて使い回してるんだ」と気づき、ローマ人の質素さに白けるというエピソードがあった 大カトーは日ごとに奢侈に走るローマ市民の現状を憂いていた
ギリシア都市を陥落させると、そこからの戦利品がローマに流入するようになったから 『ルネサンス 料理の饗宴』という本によれば、トマト・トウガラシ以外ほとんどの食材が出揃っており、レシピも残っている
パスタの種類も、スパゲティ、マカロニのほかにニョッキ、ラヴィオリ、ラザーニャ、粒状パスタも キャビア(ベルーガ卵)もルネサンス期には食されており、エステ家の料理人のレシピが残る
イタリアではポー川がベルーガの産地だった
ヨーロッパ河川のベルーガが絶滅したのは1970年代頃とされれいる
現在のヨーロッパ産はシロチョウザメ(北米太平洋側原産)かシベリアチョウザメ(レナ川原産)の養殖 ヴェネツィア、エジプトから聖マルコの不朽体を強奪
コプト教会は文句言わんの? イスラム世界から奪還みたいな位置付けになってる。マラモッコという武人・商人が一隊を率いてアレクサンドリアにあった墓を暴くというか開いて持ち出し、ムスリムが嫌う豚のなかに隠して海路凱旋という物語。一応、一隊の構成員の名前も記録されている イタリア諸都市やギルドの守護聖人についてモンタネッリは「一種の多神教的雰囲気」ということを書いてる。自治体の合併がはかどらず連帯方式みたいになるのは合併後にどちらの聖人を仰ぐかで悶着になるから(笑)
聖マルコは福音書記者だからかなり格上の聖人
プロテスタントはルター派が消極的な聖人容認だが、カルヴァン派は完全否定。祭礼とかの賑やかしにもなるとは思うんだけど、そういう性質の話ではないとのこと >>565
強奪も何も、キリスト教の聖人の聖遺物とか、当時のイスラム勢力にとっては破壊の対象じゃん 563氏(強奪)と565(奪還)は別人で、私は565・566です
アレクサンドリアにあった聖マルコの墓がイスラムからの破壊対象であったかどうか、破壊される前の秘密奪還作戦?だったかどうか?ですが、ヴェネチア側の歴史書からは読みとれません。読みとれない以上は言及不可能です 565・568です
推測・想像しちゃいかんのでしょうが、どっちかと言うと、ヴェネチア側が「他都市よりも格上の聖人がほしい」と望み、(真贋はともかくとして当時世評の高かった)掘り出し物?の聖マルコ墓の遺体を狙ったという説の方に親しみを感じますね
聖マルコの実態についてはカトリック内部でも議論があったし ヴィスコンティ、フェリーニ、パゾリーニ。懐かしい監督たちですが、今のイタリア映画はどうなってるのかな?
やはり、ハリウッドもどき系が全盛なのでしょうか。どなたか教えてくだされ 個性的な監督とかもう出ないのかな。ソフトが物語・プロットを作ってくれるし
女優さんもソフィア・ローレンみたいな強烈なのはでそうもないし
消費される存在 中・北イタリアの諸侯だとエステ家だけがフランク貴族系かな
あとは成り上がり・下克上 コロンナ家、オルシーニ家ってローマ帝国時代からの貴族(ノブレス)と自称していたけど、実際のところどうだったんだろうか フランスの自称セナトール貴族にもニセモノが大勢いたらしいな ドイツ人の場合は、姓が von+地名(○○ブルクとか)だったら95%ぐらいの確率で旧貴族系らしいけど、イタリア人の場合はフルネームでないと推測も困難だね。
ヴィスコンティ、ベルリングェル いがいの著名人で旧貴族系っている? ちなみに von の次の地名は領地または一門の発祥地を意味する。フォン・ビスマルクとか。
フォン・ゲーテの場合は、市民が貴族に昇格したもので、ゲーテは地名ではない。
ドイツ系ユダヤ姓は地名が多いが(オッペンハイマー、ギンズバーグ)、これは越後屋とか三河屋みたいな出身地を示す屋号のようなものだったのが(結束効果もあった)、身分解放令後に姓に移行したもの イタリア統一後、シチリアで教会や修道院の廃絶により没収された土地は、
ガリバルディの言ったように小農民に分配されるのではなく、
不正に買い占められて新興地主を生んだ
貧窮したシチリアの労働者はファッシという組織的労働運動を繰り広げたが、
政府が送り込んだ3万もの軍隊によって撲滅させられてしまう
中には移民となってシチリアを離れた者も少なくなかった サヴォイア伯(当初は伯爵)は、神聖ローマ皇帝による創設(1003年頃)。
皇帝による北イタリアの公国や侯国の認証はバルバロッサの頃から困難になり、教皇も認証に口出しするようになる
(偽書コンスタンティヌス寄進状に基づく大筋の解釈だと、北イタリアはフランク帝国にくれてやった形をとってからは皇帝の管轄。ビザンチン領だった南イタリアは教皇の管轄。とはいえ互いに理屈をこねて介入) 後世からすると理解不能だが、偽書・コンスタンティヌス寄進状は一定の効力を維持
地中海の島々、ブリテン島、アイルランド島も、ローマ教皇が君主位叙任を管轄
理論上は、庶子だから王位を認めない・破門だとかの場合、教皇は別の君主を指名できた
(例)シチリア王マンフレディの廃位、イングランド王エリザベスの廃位(プロテスタントなのでハナから
無効だったが、介入の口実にはなった)
ジョン王は破門され諸侯にも反乱され進退に窮した。このためイングランドを教皇に献上し、再度封じてもらう手続きをとった
歴代イングランド王は、アイルランドを王国とし小帝国の体裁を作りたかったが、歴代教皇は認めず。
ヘンリー8世の時にローマと手切れとなり、ヘンリー8世はアイルランドを「王国」とした 教皇は皇帝位にも盛んに介入したが、これは本来権限外だが「言ったもん勝ちじゃ、俺がルールブックだ」みたいな感じかな。超国家的な紛争裁判所でもある公会議は常設でなかったし。
金印勅書ができてからは介入困難となった イタリアの観光話でもしない?
フィレンツェに行ったとき、広場でチェリーニの『メドゥーサの首を持つペルセウス像』を見たときは感動した。人殺しが作った銅像だけに殺人のリアリティ感じたわ
無料で見れるのもいいね
『チェリーニ自伝』(岩波文庫)も率直な文体で読みやすい
「殺す」 「殺すつもりはなかったけど相手が勝手に死んだ」みたいなノリで書かれてる チェリーニとかカラヴァッジョとか、犯罪を犯した芸術家というのは多いな イタリア人の姓で"〜の息子"をあらわすのって意外と見当たらんような。
スペイン人の姓だと語尾に〜ezが付くやつがこれに該当するか ドイツ人、イングランド人の姓を趣味で調べたことがある
職業由来の姓が多い。
ミュラー・ミラー(粉屋)、シュミット・スミス(鍛治職人)みたいなのが上位グループ
ドイツ人の場合、フォン+地名 は旧貴族ってのはそう
イタリア人の姓名については趣味で分析中、単純化したいけど無理かな ローマのホテル・ミケランジェロという米国人向けの安ホテルに連泊した
米国人は毎朝飽きもせずベイコンエッグ。知り合いになり街へ
せっかく美味しい生ジュースがあるのにそいつはファンタばかり飲んでた
トラットリアに行ったらステーキ。旅行の楽しみかたが違う イタリア人は統一の歴史が浅いこともあってイタリア国民という意識が弱く郷土愛の方が強いなんてよく言われるけど
そんなにイタリア人アイデンティティが希薄なんだろうか? 難しい問題ですよね
フランス革命とナポレオンがナショナリズムに点火しちゃうまで「国民性」なんて「なんのこと?」だたんでしょ。フランス革命は「フランス市民(シトワイヤン)」とフィヒテの言う「ドイツ国民を創造。日本でも異国船が来航しだしてから「国体」概念が復活。
「書き言葉」としての「標準国語」(ダンテ、ルター)が成立すると、法律用語・行政用語・軍隊用語の標準化が可能になるけれど、これを苦痛に感じる文化圏は多い。
EU +シェンゲン協定の効果により、「だったら文化圏ごとに独立しても問題ないはず」という自治・独立志向と、「自由に移動できるんだから民族性と欧州市民は両立するので独立には拘らない」という両方の傾向が生じているように思いますが。 >>591
近代ナショナリズムが近代の所産であることは疑いないけど、其の萌芽がいつからあったのかについては議論が分かれる
そもそも、家族、氏族への帰属意識がより大きな共同体へ拡張していった原因と、近代ナショナリズムの言うところの「国家への帰属意識」の定義次第で議論が散漫となりがち イタリアの場合、「標準国語」、標準的な宗教(カトリック)、共通的な歴史物語(ローマ帝国、ガリバルディがサルデーニャ王に馬上で征服地を献上とか)がある。食文化も多様とはいえ他国から見れば一定の共通性がある。
シチリア独立運動(アメリカへの併合陳情)とか北部同盟の分離運動もあったけど、ベルギー、ブリテン島、スペインに比べれば安定しているのでは。 そもそも各国ごとに経緯や土壌が異なるし、立脚する学派の数ごとに平行線が走っていていいのでは?と思いますが。議論はいいけど「コンセンサス」は必要ない(リオタール、ハーバーマス)。視点がトンデモでない限りは「理解はいたしますが私は異なる立場」。対面だと成り立つ作法がネットでやる場合は繊細にやらないと炎上する。 経済学だとミクロ・マクロ・金融工学・・レギュラシオン系とかで、それぞれの手法・視点・用語定義が可能らしいけど、人文系の場合は「立ち位置」の事前説明が本来必要なはずだけど、長文になっちゃうのでなかなかねえ・・・ 小ドイツ主義で統一できたのは私からすると奇跡で(宗教も言語・方言もイタリアよりも地域性が強い)、フランス第2帝政に対する警戒とか産業革命を推進するブルジョアの要請とか色々な視点があるけど。
一度、言語学者に私の思い付き「印欧語族の発見がドイツ人を作ったんじゃないの?インド・ゲルマン語に変質し、純粋アーリアンだの。これでローマ・フランスからのコンプレックス、セム文化から解放されて、北欧神話だのゾロアスター(ザラストラ・ツァラトゥストラ)だのにつながってくるし」
と言ったら「まあ、言語学の範疇ではないのでわからん。言説分析の世界だね」 イタ飯を食べながらのカンツォーネは風情があって心に染みた。興が乗ると各テーブルを回ってくれた。うらびれたオペラ歌手みたいな哀愁もあった。
Eテレで浪曲やってるけど曾祖父に連れられて聴いたのと微妙に違う。何というか、元は門付芸だったのが脱臭されてる感じ。Eテレなので任侠題目が使えないせいか。 『世界ふれあい街歩き』のシチリアの街で、田畑智子(京都人)が
「この女の人は誰?」「アガタ(アガサ)よ。この街の聖人なの」「ふ〜んアガタ聖人かあ」
その後、何回も「あがた・せいじん」と呼んでた
脳内にバルタン星人みたいな聖アガタが降臨した 憲政史家の倉山満氏は、十字軍のことを「自らをウルトラマンと信じこむバルタン星人」と評している 会話する意思がある分だけバルタン星人の方が紳士的かもしれんな 学生時代、イタリア旅行が決まり歴史も少しは勉強せねばと思い
モッタネッリの『ローマの歴史』『ルネサンスの歴史(上下)』藤沢道郎訳(中公)を読んだ。
併せて、塩野七生も当時のものは全て読んだけど、世評と異なる印象を受けた
以来、いろいろ読み足したものの、モッタネッリがしっかり刷り込まれて修正不能
最初に刷り込まれた言説で、脱構築できていないのはこれぐらいで自分の中では珍事 シチリアは行けず。「治安悪いですよ」と言われたので
だいぶたってから知ったが、サルヴァトーレ・リイナ一家の全盛期に入りつつある頃で派手な暗殺事件が頻発していた。
治安が良くなったら行こうと思いつつ果たせず 『ジョジョ』で返せればいいんだが。コミックでマフィア以外の犯罪組織が出てくるのは珍しい 「治安悪いんですよ」は正確には「先週に何人も殺されたので、今週はトリノやミラノの商売人もシチリアに買い付けに行くのためらってます」だった ヴィットリオ・エマヌエレ2世の墓は例の「記念堂」ではなくパンテオンの中にあり、立派な衛兵が守っている。観光客は殆ど無関心で衛兵にいろいろ尋ねると「奇特な奴だな」と喜ぶ。
「ところでガリバルディの墓はどこ?」「故人の意思により隠居生活を過ごした小さ島にある」
いかにもガリバルディらしい、いい話だと感じた。 と、書いた後で念のためWikiをのぞくと・・
衛兵氏に「なぜここに墓が?」、「神になったからだ。おまえはさっき日本でも人が神になるって言ったろ、だからお辞儀(柏手うって礼拝した)してくれたんだろ」「いやでもキリスト教徒でしょ。まあいいや」
Wikiによれば破門中だったのが契機らしい。便利な時代になったね〜♪すぐわかる簡単に美味しい この二人の会話における神は deity ないし divinity〜 ね。
パンテオンが元は万神殿だったという共通認識があったから成り立った会話。 ピエモンテの王様がシチリアの王様や全イタリア王になるなんて、
「サルディーニャ王国以外の人にはどう映ったんだろうか。
まあ前近代は他国から王位継承者が入ってくるのは普通だったし、同じイタリア民族だし
それほど違和感は無かったと思うが、民族のアイデンティとしてのサヴォイア家は日本時から見ると
ちょい「インスタント」な感じがする。(俺だけか?) 南イタリアのブルボン家は住民から全く人気がなく、中・北イタリアの諸侯もオーストリアに骨抜きにされて気概なし。
サヴォイア家はオーストリアとフランスの両方と適当にやっておけばよかったのに、侠気をだした。
即ち発祥地のサヴォイ、ニースをフランスに割譲してまで冒険に乗り出した
それでも最後はイタリア人に捨てられた。これは恩知らずと言ってもおかしくはないだろう カルロ・アルベルトは軟弱で判断力も乏しかったが、それでも「ピエモンテは血を流すことを厭わない」ことを示し、イタリア人の心をつかんだ 南イタリア人からしたら最後まで「北の王様」に過ぎなかった面はあったろうけどね。 明治初期に皇室の血統が途絶えて、島津家が日本国王になった場合の東日本の住民の気持ちと同じ、かな? デンマーク王室は国民に支持されている。クリスチャン10世がナチス占領下に示した気骨による。また、関与の度合いには諸説あるがユダヤ人を庇ったとみなされている。
オランダ王室も支持されてはいるが、ウィレム沈黙公の実績もさることながら、実家のナッサウ伯家も何人もの戦死者を出しながらオランダの独立に貢献したという一門全体の功績による。ただし王政不要論も根強い(オラニエ家はオランダの無形文化ではあるが君主である必要はない)。 >>611
王室に政治の実権があったから敗戦の責任を問われるのは当然 ファシスト政権下のサヴォイア王家に政治の実権がある、なんちゅう説に
生まれて初めて接したので記念カキコ。 ↑20年前のインターネットからタイムスリップしてきたのか?
キモくて震えた スウェーデン王室は他に比べるとカリスマ的基盤が弱い。現王室はグスタフ2世やカール12世といった軍人王の系統ではなくベルナドッテ朝。
開祖は、フランス革命軍➡ナポレオン大陸軍の将軍・元帥。大公。若い頃は革命派軍人。
枢密院・議会から懇願されての王位だった。名君と言えるが7月革命が起きてからは苦労が絶えず。 コーラ・ディ・リエンツォが「典型的なイタリア式(扇動)政治家」(ローマ市にとっては偉人であり通りの名にもなっているけれど)というイメージがあったので、ベルルスコーニが登場したときは笑った。
トランプが登場したとき「はて?これはイタリアに似る」と思ったが、ヒュー・ロングとかいう別系譜の先人系の扇動政治家であったらしい。 ローマカトリックにも分派運動はあったが(復古カトリック教会、聖ピオ十世会)、イタリアには殆ど根付かず。「解放の神学」は用済みというか使命を終えただかで下火らしい。
これ以外は気質に合わないというか身に染みた習俗なんだろうな 一応、かなりの不信心者ながら曾祖父母以来の信徒(今更抜ける理由がない)
マンハッタン島には聖パトリック大聖堂(ローマカトリック)があるが、すぐ近場に聖トーマス教会(聖公会の確かオックスフォード運動系)がある。ある日、不届きな心が芽生え、日曜の両方のミサをはしご。
聖トーマス教会の方は誰でも入れた(推奨しているわけではありませんよ)。合唱があって賑やか。着席している会衆は別にして、立っている人たちは活発に動き回り、社交の場となっている。世話役の青年たちは共通のブレザーを着用。彼らは召されるまでの友人関係なんだろうね。
聖パトリック大聖堂の方は入口に司祭がいて、ホスチア(丸型ウエハース)を渡す。たぶんここでチェックかな。それなりに応礼すると中へ。当時は、聖変化に間に合わない場合は入場閉鎖だったと記憶。
世界共通の進行なのだが、ついつい底意地が悪いというか比較分析してしまう 少し前にイタリアの王族が亡くなったらしい。
直系じゃ無いけど。 サヴォイア家も今の世代の人たちはけっこう面白い方々ですよね 名将プリンツ・オイゲンも傍流ではあったがサヴォイアファミリー ロンドンに「サヴォイ・ホテル」がある経緯については長くなるのでWikiでも参照ください ご帰宅された方々は、皆様、ピーター・ラビットを視ていらっしゃるのだと思うわ ピーター・ラビット、女性の司祭が結婚式を司ってる。英国教会は女性に聖職者を開放。 明日は家メシ
配偶者の希望だからやむをえないけど、ニョッキにゴルゴンゾーラって、金がかかりすぎ
イタメシ食いたけりゃサイゼリヤにでも行けって思うわ 手元に『〈英国紳士〉の生態学』って本があるけど、女性差別さえ突破できればイングランドよりも日本の方が住みやすい。学歴で突破できるから。サッチャーは学歴がありながら差別にあったしね。
こんなこと昼間は公言しないけどね、そろそろ公言するか 南部独立運動って左右いりみだれて複雑怪奇
左派の方は、南イタリアは北の植民地にされ虐げられてきた、今こそ独立を
右派の方は、ブルボン家(ボルボン)家を復活させ立憲君主制に基づいた独立を
共通しているのは、南部併合の際に多額の金融資産が没収された。これがあれば南部は工業化できた。
ガリバルディのことを強盗みたいに言ってる。パレルモ市民もナポリ市民も歓喜して彼を迎えたはずなんだが・・ 一方のサヴォイア家は、内紛を抱えているもののカリニャーノ系の御曹子は政界進出に意欲満々 俺たちが貧しいのは、怠惰で無能なせいじゃない。みんな北の奴らのせいだ。金返せ、もっと金よこせ、というように感じてしまうんだけど フランスの王位(皇位)請求権者は次の3人
・ナポレオン7世 (ボナパルト家) 34歳
・ルイ20世 (ブルボン家) 47歳
・パリ伯ジャン (オルレアン家) 56歳 イタリア王位請求権者(南イタリアのことは措く)
内紛により二人いる
それぞれの親どうしが犬猿の仲で、さる高貴な祝宴の際に殴り合いとなり、殴り勝った方が相手を階段に蹴り落とした 南部差別ということだと、ヴィスコンティの『若者のすべて』(主演アラン・ドロン)を思い出す。
南部(靴底の土ふまず)からミラノに移住した5兄弟と母親の物語。
北部の生活になじんだ者となじめない者の葛藤。
差別されかねない文系仕事でなく技術者になった四男というあたりの設定は芸が細かい。 ウヨサヨの話で悪いんだが日本の左派とイタリアの左派の違いって何なんだ? >>638
イタリアの左派は、ガチの共産革命主義者の集団だわな
20世紀中盤まではテロも辞さず、血まみれの闘争やってる
日本にも一部ガッチガチの連中いるけど(パレスチナの日本赤軍とか)、大概が内ゲバとかやって自滅していった学生崩れ イタリアの左翼は旧の共産党は、独特の「構造改革路線」で初期から武装闘争の色彩が弱かった
伯爵家の出身のベルリングェルが書記長。
その後、ソ連崩壊により主流派はマルクス主義を完全放棄(一部の教条主義派は離脱)。
日本の共産党との大きな違い。
極左「赤い旅団」は先進国によく見られた鬼子。イタリア人らしく誘拐作戦。
イタリア社会党はキリスト教民主党(日本の自民党みたいなもの)に劣らず腐敗体質で、
両党とも汚職摘発運動(タンジェントポリ)での幹部摘発によりド派手に崩壊。
社会党党首は国外に逃亡するという、いかにもイタリアらしいオチまでついた
あと同じ人物が左右を行ったり来たりはイタリアではめずらしいことではない。 南部独立運動じたいが少数派だから、その中における左・右はどちらも珍獣の部類。
北部・中部が稼いだ金をむしりとるためのパフォーマンス
南イタリアのことだから左・右が実は裏でつるんでいたとしても全く驚かない イタリア共産党は他国の共産党と違ってあんまりゴリゴリ・ゴツゴツしたところがなかったので
文化人や映画人にとって「私はシンパ」と広言することは社会的に殆ど支障なかった、というかむしろ、商売上のパフォーマンスとして必要だった。
マカロニウェスタンで、クリント・イーストウッドの敵役を演じた名優ジャン・マリア・ヴォロンテも共産党だった(この人の場合はマジメだったらしいけど) サイゼリヤで、生ハム、キャンティ・クラシコだとそれだけで不満はない 日本・ドイツ・イングランド以外だと左・右の関係ってけっこう流動的なんだよな
その方がむしろ自然に感じられる。若い頃左翼で今は穏健保守みたいなイメージとは違う
南イタリアだと、若い頃に共和国の教育に反発して、右(左)翼だったのが今は左(右)翼とか、は珍しくないから >>644
日本でも極左から極右への転向とか珍しくないよ 田中清玄から太田竜まで。清玄には士族出身らしい佇まいがあったが、太田は初めから脳内に異常ホルモンが出まくりのキテレツだったのだが周囲がそれに気付くのがあまりにも遅かった 日本の場合はキリシタンの「転び」を連想してしまうせいか、敗北感・罪悪感・悲哀・恥辱がつきまとうが、イタリアの場合は「当然のことだ」とばかりに平然とスタンスを変える。どこまでも明るい。
いざとなれば袖にすがれる神・聖母・守護聖人が身近にある >>647
まあ、チャーチルの言う
「もしあなたが25歳にしてリベラルでないなら、あなたには心がない。もしあなたが35歳にして保守でないなら、あなたには頭脳がない。」
ってのは欧州人にはある種当たり前なのではなかろうか 逆に、極右から左派に「転向」するという例は、西洋では少なくとも珍しくはない
モーリス・ブランショ、フランソワ・ミッテランは若い頃、正真正銘の極右だった。
この当たりの機微・心性を日本人が理解するのはかなり困難かも
日本でも、戦前の国粋主義者・軍国主義者が戦後になって雪崩を打って左翼へという社会現象があったが、これは節操の無さの問題というよりは一種の社会病理(左翼への「逃走」みたいな)であったろう >>648
チャーチルがそのような発言をしたというのはデマ
https://winstonchurchill.org/resources/quotes/quotes-falsely-attributed/
"If you're not a liberal when you're 25,you have no heart.
If you're not a conservative by the time you're 35, you have no brain."
There is no record of anyone hearing Churchill say this.
Paul Addison of Edinburgh University makes this comment:
"Surely Churchill can't have used the words attributed to him.
He'd been a Conservative at 15 and a Liberal at 35!
and would he have talked so disrespectfully of Clemmie,
who is generally thought to have been a lifelong Liberal?"
チャーチルがそんな事を言ったという記録は無いし、彼自身は15歳で保守で35歳でリベラルだった。
また、生涯リベラルを貫いたとされる妻クレミーにこれほど無礼な発言をするだろうか。 保守政界へ進んだ方が似合うようなエリートが、好んで社会党・労働党へ入るケースは少なくない。
フランソワ・オランド(大統領、国立行政学院)、トニー・ブレア(首相、オックスフォード)
個人的な思想・嗜好もあるだろうが、現代における社民的伝統はイデオロギーーというよりも、
「富の再分配」「国民・市民・労働者の保護」という政策論の問題に収斂しており、
それを(思い付きでなく)数理的に運用する有能な官民テクノクラートを、「左派」政党が欲しているからだと思われる。学歴の問題ではなく余程のエリートでないと無理。
日本じゃ東大出身でも数理的にかなりアバウトなのはなぜかというと、知性を育てる仕組みがないのと、逆に麻痺・劣化させる仕組みが埋め込まれているから >>649
「日本の場合、近世から現代に至るまで、
政治的・イデオロギー的に極端な姿勢というのは、
どれも本質的には水戸学派の過激な流儀」
という見解があるね
標榜する旗印が真反対になろうと外部導入になろうとその旗を立てる土台は全然変わってない、ってわけで テレビでイタメシが流行りだしたのは「フレンチよりもメニューがわかりやすく、デートの時に恥をかかずにすんだから」としていたが一理あるな
学生の頃は専門店は六本木近くの「キャンティ」か高級ホテルにしかなく予算的に無理め
「イタリアン・トマト」ができてからブームになった 最初の大衆的グルメブームは、70年代末に文藝春秋社が東京と京都のグルメ本を出してから。
80年代の初め頃までは、老舗や名店でもランチなら学生にも手が届いた(2000円〜3500円位)
フランス料理はおいといて、スペイン・ドイツ・スイス・インド・インドネシア料理などの各国料理の紹介が載っていた。イタリア料理は「キャンティ」のみ。 上の修正。
文藝春秋社のは和食中心で、洋メシは文春の後を追った他社の企画本
本場で修行した料理人の出店が増えるにつれ淘汰された店もある スレチだが閑散としてるので⬆の「水戸学」についての私見(ちょいと長文)
『神皇正統記』は中世の一部知識層に継承、庶民は平家物語・判官贔屓の延長で『太平記』を専ら悲劇として愛好するも、朝廷は貧窮しリアリティ皆無。朝廷は豊臣政権を権威づけてようやく一息。
⬇
徳川氏は統治機構として「幕府」を選択。反作用としてあくまでも理論上だが侮幕が可能に
⬇
禁中並公家諸法度&寺社法度により古代由来の権威を強力に統制(ちょいとやり過ぎた)
⬇
知識層の間に「この統治システムはどうも座りがよくない。皇室の扱いの落ち着きも悪い。修正が必要」という、この時期特有のエートスがニュー・ウェイブとして昇華。
尊王2流が発生。
前期水戸学(歴史解釈学)、徳川光圀の意向が強く反映。
垂加神道(神道説にして社会思想)、山崎闇斎の独創性。
ともに「南朝正統論」を採用し『神皇正統記』復活、『楠公顕彰碑』。徳川氏は仮冒ぎみに新田氏を遠祖として開幕したこともあり問題視されず。
⬇
これとは全く別に国学(実証的「歌学」)の流れがあり、光圀はいたく気に入り支援。
光圀の思惑通りか?尊王の3流目として発酵し始める ※いったん切ります なので自然発生的・自然熟成発酵の3流が少なくともあり(他にもありえる)、「水戸学」主犯?説はよくわかりません。司馬遼太郎とか井沢元彦とかの「仮説」ですかね?
なお、光圀フィクサー論は「陰謀論」。光圀は国粋主義というより南蛮趣味(ワインを飲んでた)。
垂加神道系と前期水戸学の人材交流も少なくとも発生期には殆ど無い。
ただ、垂加神道系が宝暦事件を起こしてからは、在野無位知識層間の交流が活発となる 観念的な意味でのイタリア王国の基礎はオドアケルでいいのかな?
ランゴバルド王国(北イタリア王国)
フランク系カロリング家がランゴバルド王を兼務
中フランク王国がこれを継承、ここまでは理解しているが
カロリング家の断絶以降の、混乱と北イタリア人の心性がしっくりと理解できない 「独立」イタリア王国って、日本では影薄いね
875年、ルドヴィーコ2世が直系男子の後継者を残さずに死去すると、
イタリア王国の王位継承をめぐる政治的混乱が始まる
同時期に各地で複数の王が並存する時期が長く続き、
王を名乗る者たちが何度も戦いを繰り返した 日本もドイツもイタリアも同時期に統一したんだよねたしか イタリアの南北の違いはよく語られるけど、
東西の違いはあまり注目されないな >>659
> 観念的な意味でのイタリア王国の基礎
それってどんなものよ? 〉それってどんなものよ。
野球板とかじゃないんだから、もう少しマイルドな日本語を御使用願います
問いかけの趣旨が不明だし
研究者レベルなのか趣味人なのかも推測不明じゃ返答につまる
オドアケルがイタリアの統治者としては初めてrexと自称した記録があり、ギボン「イタリアを治めた最初の蛮族」。つまり実態はともかく起点としての象徴性。
一方で、オドアケルは公的にはパトリキウスに過ぎず、統治機構もローマの遺制を継承したのだから実態がない。象徴的な意味なんて評価すべきでないが有力説(らしい)なのは承知。 アドリア海沿岸の港湾都市バーリ(Bari)
サンタクロースの遺骸(不朽体)がある。
9世紀に一時期イスラムの拠点となり(バーリ首長国)、ローマへ兵を送り攻撃したことも。
ローマ教皇にとっては「イスラムに拉致される」可能性はノルマン人がやって来るまではリアルな恐怖だった。フランク王国が奪還し、次いでビザンチンが支配。
という複雑な歴史を体感したかったのだけれど、イタリアの街にしては見所が少なかった。 カロリング家断絶後からロンバルディア同盟までの間の中・北イタリア
トスカナ辺境拍、ミラノ大司教領、ヴェネツィア共和国いがいは、通史の類だと「めんどうくさいから説明省略しますね」みたいな扱いだから調べるの手間がかかりそう。 「日本誕生」ならぬ「イタリア誕生」はいつごろ何だろうか?
前のレスで「イタリア人」意識の発生はいつごろか?という議論もあったが;
イタリア民族 イタリア文化 そういたもの具現化としてのイタリア は
いつから観念 構想されたのだろうか?
9世紀にはまだないと思うけど。 古代ローマから「ローマに属するイタリア」って概念があるし、ロムルス廃位後にはイタリア道も設置されてた
イタリアエ(イタリア人)という言葉も古代ローマからある スローフード運動はイタリアで始まったものだけど、
実際にはイタリアで食べることのできるピザの三分の二が、
中国産のトマトとリトアニア産のモッツァレラチーズでできている 『小さな村イタリア』見てると、南イタリアでは見渡す限りトマトですが、それでも足りないぐらいトマト味漬けということですかね? 「え?ここでトマトまで鍋にぶちこむの」みたいなのもよく出てくる。彼らはトマト中毒なのかもしれない。うちの配偶者もそうで献立でよくもめる。 トマトとモッツァレラチーズは旨味成分のアミノ酸が豊富で、
日本人が昆布でだしを取って旨味を出すのと同じことをイタリア人は
トマトとチーズでやっているってNHKのラジオ番組で最近聞いた。
ちゃんとトマトで旨味を出せない嫁は姑からお小言を喰らったり
するのだろうかどうだろうか。 ⬆ 納得です。出汁のようなものなら「なんでもトマト」なのは理解できます カレー作ったけど試しに途中でトマトをぶちこんでみた。さてお味は・・ トマトは大航海時代以降に新大陸から旧大陸に持ち込まれた新しい食材だよ 韓国もイタリアも同じ半島国だけど、歴史の重みが違う。
キムチに使うトウガラシは新大陸の食材。
キムチに使う白菜は中国の食材。 40年以上前にイタリアをぶら旅した。前にも書いたけど南へ行くにつれて顕著にトマト味。
飽きてきた頃にアマルフィで500円の魚醤パスタに感激。ただほかのメニューはトマト味一色で幻滅。
という先入観はあるものの、トマト=旨み成分、は新鮮な知見だ。
味覚の先入観を脱構築してみようかな、とは思う。 初期中世に、ランゴバルド人をはじめとするゲルマン人のイタリア支配の結果、
耕作地が一気に減り、荒れ地、森、牧場、沼沢地が増えた
農業は後退し、とりわけ、集約的労働を要求する小麦栽培が減衰した
その代わり、厳しい気候や痩せた土壌にも負けない雑穀が栽培され、
北方由来のライ麦とともに大半の大衆の主食になった 蕎麦もその頃に入ってきたのかな?クレープとかにして食べてるよね >>678
蕎麦はアジアが原産地だから、違うんじゃないのかな アヴァール人とかのチュルク系が持ち込んだのかもね。 出典追跡できないけど「12世紀に十字軍がイスラム圏からそば粉を持ち帰り」という記述があった(「蕎麦の色々」)。チュルク系由来かな、わからないけど。 日本人の中には欧米人を肉食人種なんていう人がいるけど、
イタリア料理は穀類・野菜・果物を多用するんだよな
多分、古代地中海世界の伝統をひいているんだろうけど
特に好まれる野菜は、キャベツ、ビエートレ(小松菜とほうれん草の中間のような
濃い緑の葉菜)、ポワロ葱、ニンニク、玉ねぎ、カブ、豆類、キノコ、ナスなど >>682
ってか、肉ばっかりガツガツ食べるのアメリカの文化だろ ドイツ料理にはソーセージをよく使うが
アルゼンチンでも肉をよく食べる 枢機卿がバチカン法(教会法とイコールかは知らん)で訴追されたね。
イタリア国内ではタンジェントポリが進んだけど、バチカンは独立国だから及ばず。
マルチンスク枢機卿を訴追できなかった積年の膿を出してる感じかな。
テレビでは研究者が「すうきけい」と言ってるのにコメンテーターたちは「すうききょう」は笑えた。
「改革派」って、ほぼイコールイエズス会のことでしょ マルチンスク枢機卿は『ゴッドファーザー3』では「大司教」にぼかされ、ヴァチカン美術館の螺旋階段で射殺される役回りなんだけど、実際にはめでたくも自然死。 映画の中では、アンドレオッティが自分の眼鏡を奪われ、首に突き刺されて往生させられるんだよね
実際には存命中だったので、どういう気分で「自分」の死を眺めたのやら 日本語読みでは、マルティンスクは不適切でマルチンスクでした。訂正させていただきます
それと枢機卿ではなく「大司教」でした 映画『ヴァチカンの嵐』の主人公のモデルはマルチンスクってことでいいの? 『バチカンの嵐』の主人公のモデル。消去法でいったらマルチンスクでしょうね 前回の摘発が中途半端に終わったのは、CIAとバチカンが協同してポーランドの「自主管理労組・連帯」に活動資金を流す必要があったから(長期スト中の生活費補償&プロパガンダ費用)。
ソ連崩壊で、タンジェントポリとなるが、バチカンに及ぶのには30年を要したということか。罪深い 現在のシチリア・マフィアの頭領は、セッティモ・ミネオ(Settimo Mineo)。2018年5月29日に「委員会」から選出された。表向きは宝石商。観光でシチリアに行くときは用心いたしませう マルチンクス大司教(アメリカ人)は、推測ならぬ想像だが、CIAとバチカンに両属していた人物だったのでは。信徒組織を通じてポーランド反体制勢力に、ロンダリングしたアメリカの資金を流す窓口だったような気がする。真相をバラされては困るので晩年はアメリカ政府に庇護されて暮らした 2010年にバチカンとEUとの間に通貨協定が発効した。以来、バチカン銀行(宗教事業協会)もコンプライアンスを要求されるようになった。今回のスキャンダルは総仕上げなのだろう。
現代に残っていた「闇」のひとつが消えるわけで、『ゴルゴ13』のシナリオ作者氏にとっては複雑な心境かもね サン・ピエトロ大聖堂の地下に歴代教皇の棺を並べたゾーンがある。有名どころではボニファティウス8世〜シクストゥス4世。
基本的に見せ物ではないので、ここをぶらつくのは各国の歴史マニア。日本人院生の卒業旅行風情、黒縁メガネに顎ヒゲの世俗派と覚しきユダヤ人、顎に手をやり思案するフランス人・・。
連絡通路にもなっているらしく、時たま聖職者が行き交う 元気だった頃のボルジア家、特にヴァレンティーノ公チェーザレあたりの勉強したいんですが、どんな本読んだらいいんでしょうか
塩野七生のはもう読みました、あとミネルバ書房から出てるイタリアの歴史と文化(藤内哲也編)も読みました
探してもこれといったのが無くて困ってます 大学のレポート?
海外のボルジア研究者の文献が何点か翻訳されてるみたいだけど(Wikiの「ボルジア家」「チェーザレ・ボルジア」の「参考文献」)。自分の大学の蔵書になくても他大学に依頼すれば取り寄せ可能なんじゃない。
在学生だったら、先ずはデータベースで論文検索して複写入手からじゃない?
大学図書館のレファレンス担当の人に調べ方きいてみたら。
院試のための計画書だったら教会関係研究は語学力次第だね もしも教皇庁がイタリアではなく、他の国に存在していたら、
イタリアの歴史は変わっていたのかな
マキアヴェリは教皇庁なんぞスイスへでも行ってほしいと考えていたようだが >>698
大学生ではないのですが、あてはありそうなので試してみます
ありがとうございました ⬆ 調査研究がお好きなようでしたら、「書籍」の購入・借り出しよりも、「学術雑誌」を検索して「論文」を複写する方が、最新の研究成果に触れられますので有益かと思われます。
・国立国会図書館 ➡ 調査・研究支援オンラインサービス
➡ 遠隔複写サービス が便利だと思われます(利用登録が必要)
・各大学の、データベース化ずみの出版雑誌(「紀要」という名称が多いです)でしたら論文をダウンロード➡プリントすることができます。対応してない場合は、上の「遠隔複写サービス」
必要な情報が集まるといいですね。 通俗的だとけなす人がいるけど、他国人からすればモンタネッリの批評がコンパクトで便利。
イタリア戦争とルネサンス時代の諸教皇の行状を評しての寸鉄。
「結局、教皇庁がイタリアにある限りイタリアの統一は不可能なのであった」 >>701
丁寧にありがとうございました。遠隔複写サービス、調べてみます。
興味のあることなのでできるだけ頑張ってみようと思います。 ⬆
『チェーザレ 破壊の創造者』(元東大総長が推薦している漫画)の、主要参考文献(チェーザレ研究の決定版を含む)が和訳されるまでは、満足できない願望のような気がいたしますが
翻訳が待望されながら未訳の重要文献ってけっこうあるんですよ
人生は短いので寿命・余命との相談 パスタって、イタリアだけでなく南ドイツでも食べられているんだけど、
イタリアとドイツ南部の関係って、昔から深いの? ゲルマン系からイタリア方面を大雑把に見ると、スイス〜ティロルにかけて、
西から、シュヴァーベン人(アレマン人)、バイエルン人、オーストリア人(元はバイエルン人)が
イタリア半島を臨むという位置関係
西側ではスイスをはさみ、東側ではティロルでイタリアと接する。
さらに東のヴェネツィアの東方(トリエステ)で、地中海(アドリア海)と接した。
というわけでオーストリアは海軍保有国だった(『サウンド・オブ・ミュージック』) 神聖ローマ皇帝は「ドイツ王(東フランク王)」にして「イタリア王(ランゴバルド王=実質北イタリア王)」だったので、必須要件ではなかったにしてもイタリアで戴冠する必要があった。
というわけでイタリアに出兵しなければならないという強迫観念にとらわれた。
フランス王(西フランク王)もシャルル8世以降、この病に感染し、ナポレオンに至る。 イタリア戦争って、フランスにとって、イタリアの先進文化以外、
それほど得るものはなかったんじゃないかな 向こう見ずな国王が捕虜になるしでろくなことはなかった。
ただ、戦役を通じて「フランス国民」という虚構・共同幻想・民族意識の萌芽という余計なものが伸長 神聖ローマ皇帝フリードリヒ(フェデリーコ)2世は、「玉座の上の最初の近代人」と
呼ばれたりするけど、基本的には中世の枠組みの中にあった人じゃないのかなあ
シチリアを含むイタリアを中心に、東ローマと聖地までも射程に収めた
普遍的キリスト教的地中海帝国の夢というのは、中世的な発想だと思うんだけど >>711
中世人というか、古代の価値観(世俗的権力による地中海帝国の再建)を持った人だったので、早すぎたルネサンス人的な評価もしうる 反キリスト、最初の近代人、評価に悩むよね。
私は、思考節約の意味で、モンタネッリの「大帝の遺産」の解釈に依存 シャルル・ダンジューも、東ローマ帝国の征服と地中海帝国の建設を夢見た 開会式映像の初めのほうで唐突にミラノ大聖堂が映っていたけど、どんな意味があるのか?
五十音順に入場だと、Lの国とRの国がごっちゃになったりして恥を晒してしまうんですけど >>715
恥も何も日本音順って決まったんだから、そうなるに決まってる >>717
https://www.google.co.jp/amp/s/mainichi.jp/articles/20210723/k00/00m/050/185000c.amp
こういうことらしいよ
建前は、今後の開催国順(実際にはアメリカのテレビ局の意向)
まあ、個人的には「英国(えいこく)」は面白かった
イギリスよりはマシ(連合王国でも良かったんじゃ、って気はする) 映画『にがい米』Riso amaro を思い出しました 司馬遼太郎がリヴァプール(Liverpool)滞在中の場当たり的感想で「名の通り川にちなむ街なのであろう」とやらかして、週刊朝日編集者(当時は東大・早稲田のみ)もスルーしてしまった。
どうせ国際慣行は、博物学・自然科学・経済学・情報科学用語・儀式典礼とも印欧語系だし、グローバル化やむなしなんだから、アルファベット式入場の方が中学生にとっては英語の勉強になったんだよ。オランダ・Holland じゃなくてネーデルラントなんだしさ。
日本文化発信とか言いながらイマジンやボレロだったし、訳がわからん 『にがい米』は不思議な映画だった。ネオリアリズム風であり、カルメン風のヴァンプであり、フランスのヌーベルバーグの先駆の要素もある
という小賢しい映画評論をすべて無視しても主演女優の強烈な魅力が光る映画だった(個人の感想です) >>721
その国の公用語順になったのはここ数回のトレンドで
ソチでもアテネでもそうだったのに今更何言ってんの? >>723
アメリカをユナイテッドステーツって言ってるやつがおるんか? >>709
近世までは腐っても鯛、政治と文化の中心は
イタリアとローマにあると考え、
パリが中心になったのは遥かに後なので >>724
アメリカが後ろに回ったの、次々回(ロスアンジェルス)次回(パリ)開催国(東京)の順に回ったからだぞ
中継見てないで揶揄してんのかお前は >>726
公用語がどうのって放言するからだぞ
バカちゃん イタリアは柔道が盛んなんだな。作法もしっかりしている >>727
お前それ反論になってると思ってんのか…… 前は脳内デフォルト的には、東アジア人応援だったんだが
柔道、韓国選手vsジョージア選手の試合で、途中から韓国チームの韓国語の汚い応援(やっつけろ、踏み潰せ)が耳に入った瞬間からスイッチが切り替わり、ジョージア選手を応援した >>731
意味ある日本語話してから言って
例外4ヶ国(ギリシャ、アメリカ、フランス、日本)があるってだけの話取り出して、お前は何を言いたいのか本気で意味がわからん
もう一度言うけど「意味がわからん」 もし、北京が無事に開催されたらあまりに意味のわからない順番に笑う自信がある
なんだよ画数順(簡体字)ってwww イタリアの没落の原因は地中海貿易の衰退というよりは宗教改革だよ
強制的なお布施がローマ(そこからイタリア中に還流)に回らなくなった >>734
ローマからの還流って
中世中期以降のイタリア経済の中心はヴェネツィア、フィレンツェ、ミラノ、ジェノヴァであって
ローマは消費地でしかなかったわけだが?
しかも、北イタリアの4都市のローマ依存度なんてさほど高いわけでもなく(ヴェネツィアに至ってはほぼ皆無) ははは、案の定の、人文科学の界隈特有の脊髄反応的なセコイ・マウント・ゴリラ反応。
他の分野じゃそういう下品な絡みかたはしないよ。人文系だけが極度に病んでる
文句はモンタネッリに言ってくれ。モンタネッリをパクっただけだよ 絹織物業は16〜18世紀イタリアの重要な産業になっていった
一方、中世のイタリア各地の都市で重要な産業だった毛織物業は、
17世紀末までに相対的に衰退した
そして北・中部イタリアの上層市民は農業経営に経済基盤を移していく 羊毛の生産国であるイギリスが、みずから毛織物の製造に乗り出したからな
それまでの主要な生産国だったフランドルやフィレンツェは、イギリスから毛織物を輸入して転売する中継貿易に転じた >>709
外的と戦うことによって、国内の統一が強まるという面があるからな なんだかんだ言いつつ、フランスがイタリアを支配したことはない
しいて言えば、ナポレオンのときくらい 世界史で数えきれないもの
モンゴル人が中国に攻め込んだ回数
ドイツ人がイタリアに攻め込んだ回数 16世紀にイタリアが統一されていたら、という意見があるけど、
この時代にはまだナショナリズムが存在しなかったから無理じゃないのかな
イタリア戦争ではフランス陣営やカール5世の陣営に味方するイタリア人の
軍人や技師も存在していた 730は韓国語が分かるのか?
もし分かるのなら、それ原語近似をカナに転記して書けるよな?
そのうえ確かここのカテの板はハングル表記もできるんだったか
具体的に「原語の発音で」何て言ってたんだ?
それ無いと、はっきり言って眉唾なんだが
あ、自分は韓国語に多少心得があるから、いい加減なこと書いてたらそれもすぐ分かるからな
ていうかそもそも
ここの板が何の板か分かってるか? 400年前まで先祖が近親相姦してたんだけど
13代くらい日本人として子孫残しても
未だに白人特有の身体的特徴が出て怖いんだけど。
顔立ち、味覚、カフェイン耐性、ワキガ、骨盤、髪の生え方。
遺伝検査不要だわ。 ⬆ 沢野忠庵の御子孫とか? 著名な転びバテレンだけでなく転びイルマンもいた可能性はあるけど
遠祖が近親〜というのはコンベルソ(転宗ユダヤ人)ということかな
イエズス会第2代総長のライネスもコンベルソと言われているし
眠狂四郎みたいな伝奇的なお題ですね。続報乞う ⬆ 近親〜は文字通りの意味ではなく閉じた集団内の婚姻と解釈しました 陸上100m の金メダリストはアメリカ人(イタリア駐留米兵)とイタリア人女性の間のハーフ
米国市民権は放棄住みらしい >>734
他の国が強くなって相対的に弱くなった感じだな 西ローマ帝国が崩壊して高度な文化がなぜ低水準まで下がってしまったのか
蛮族に蹂躙されたからなのかキリスト教のせいなのか
公用語だったラテン語がどうしてイタリア語になったのか >蛮族に蹂躙されたからなのかキリスト教のせいなのか
蹂躙されたのは蛮族ってよりはビザンツによるイタリア占領
あとは疫病などによる人口減少や北方商路の開拓による商線の変化
>公用語だったラテン語がどうしてイタリア語になったのか
長い年月による変化の積み重ね
もともとイタリア語とは「ラテン語のイタリア方言」のことだった でもラテン語はラテン語として大学やバチカンで存続してたんだよな
ラテン語とイタリア語って大きな違いはあるの? >>753
現代イタリア語は、名詞や形容詞が、格による派手な屈折をしない
とはいえ、現代イタリア人も、古典ラテン語文を見聞きして何を言わんとする文章かは大体分かる ラテン語話してた住民がある日突然イタリア語という別言語に切り替えたわけじゃないからな
現地からすれば一串してラテン語を話してるという感覚だよな イタリア半島は南北に長細いし200年ぐらいまでバラバラの国家だったから、統一前は最北と最南じゃスペイン語とフランス語ぐらい言語の乖離があったのかな 言語の違いも大きいし、そもそもイタリア人というアイデンティティが希薄な傾向があると言われている
地域ごとのアイデンティティの方が強いというわけだ >>756
今でもそう
北部イタリア方言は標準イタリア語よりは南部フランス方言(ガロ・ラテン語)に近いと言われてる >>753
日本語で現代国語とは別に古典の授業があるのと似たようなもんよ >>756
そもそもイタリア半島内にラスペツィア=リミニ線という大言語境界がある ロマンシュ諸語は、どれもラテン語がなまってできた兄弟言語 ルネサンス期まではラテン語は西欧知識人の共通語だった
ウィクリフ➡フス➡ルターの順で各国語訳聖書を試み崩す
最終的には、ネーデルラント、イングランド、フランスの学術機関(アカデミー)が自国語路線を採ったので終焉。それでも、博物学においてはラテン語は健在を示した 学術語はともかく俗人の世界じゃ中世から結構脱ラテン語化進んでいたのでは
理由は王族貴族は無学でラテン語の読み書きできる者がほとんどいなかったから ラテン語を独占していたのは教会(ウルガタ)だったしね
エラスムスはラテン語の出版にこだわり、ルターは(ラテン語が苦手だったせいもあり)ドイツ語による普及に舵を切った ラテン語の読み書きができるかどうかとラテン語が話せるかどうかは別の話 啓蒙時代になるまでは学術語はラテン語(中世ラテン語の修正版)だった。
伝統の力もあるが中立的(誤訳される恐れが少い)であり学術界における認証力が高かったためである
ニュートンはラテン語で『プリンピキア』を著したし、とりあえず自国語で出版しラテン語版も出す例も珍しくなかった。現代の自然科学の学術論文が英文であるのは、この置き換わり 欧米においては少なくとも研究型の大学に入るためにはラテン語(ギリシャ語との選択制もある)は必修である。日本の漢文・古文の扱いに似るが重みが違う。あえて乱暴に言うと日本人がカタカナ語を格好いいと感じる以上に、ラテン語はもの凄く格好いいのである。
企業は社名や商品名を、大衆向け商売・商品は別にして、とりあえずラテン語風にしようと試みる
ハーヴァード大の付属高校みたいな格を誇る「ボストン・ラテンスクール」の「演説科目」ではラテン語で演説すると一目おかれる(本人と指導教員いがいは意味不明かもだが)
※漢文・古文は「基礎的な教養」でいいので、文献を十数個の指定制・限定制にすれば負担は減るし愛されると思う。入試においても誰でも得点できる内容にとどめ、その分英語に回せばいいと思う オランダ独立戦争時代のシモン・ステフィンは大部分の論文をラテン語でなくオランダ語で著した。
これは市民階層の知識人(というよりは技術者)に普及させるためだった。オランダ人は堤防や干拓の必要から、大昔から技術好みの民族であり受け手のニーズにも合致した
その分野は驚くべきもので、基礎科学から応用科学、文科にも及んだ
数学(小数の提唱)、物理学、土木・築城、天文学・航海術、会計学・兵站・主計ほか。
当時のオランダの科学者は独立戦争・貿易・製造に貢献する使命感があり、ホイヘンスも実用品(50倍望遠鏡、実用振り子時計、接眼レンズ)を開発した ラテン語では、日本は Iaponia 、京都は Kyotum 、東京は Tokium と表記する
Iaponia は別にして地名は原音にしてほしい 日本の明治維新とイタリア統一はほぼ同時期だが、
日本が重工業分野の殖産興業に重点を置いたのに対し、
イタリアで繁栄したのは文化・芸術を礎石とする工芸分野などの中小産業だった
なにが両国の違いの原因だったんだろう? >>770
どなたかが既に論文書いていそうなお題ですね
厳密にはアナール学派流の経済史学というよりは、計量経済史学の分野なんでしょうかね
数量的な話以外だと、イタリアでは既得権益層が強力だった、職業倫理観の相違かも、というウェーバー流の解釈ぐらいしか思い浮かばず 第二次世界大戦後、イタリアはユーロコミュニズムといわれる社会主義運動の
中心地となり、現在でもコミュニズム的な理念を掲げる小政党が複数ある
これはイタリア社会に深く根差した共和政の伝統のせい? >>772
というか、欧州の社会民主主義(ソーシャルデモクラシー)はイタリアに限らず英国でもドイツでもフランスでも政治思想の主流を占めるわけで、ユーロコミュニズムって、思想的にはそこから大きく外れるものではない気がする 左翼ネタ話だとドロドロ・ゴリゴリの罵詈雑言になるのが通例なので、つぶやきね
ユーロコミュニズムの「定義」を、ボルシェビスム・コミンテルンを源流としつつも、対独・対ファシズムのパルチザンの武装解除に応じ、議会制民主主義に依りつつ、主要産業の国有化・累進課税の極大化を追求した、「民主集中制」の政治勢力と、仮にさせていただくと
イタリア共産党の主流派が左翼民主党に移行し、フランス共産党がコアビタシオンで入閣し民営化路線を承認した時点で、終ってると思いますが
むしろ、非共産主義の、労働組合・協同組合・キリスト教左派等の「中間団体」や、レーニンが嫌う自然発生的な連帯(環境保護団体とか)が西欧の伝統なのでは? 左・右という基準は最早「あまり」有効ではなくて
「富の再分配」に親和的かどうかが評価基準では?(人権のことはおく。無駄にややこしくなるので)
こういうとロールズ流になるが、ロールズの欠陥は「中間団体」を考察していないこと。思考実験の結果として各個人が自発的に再分配に応じるなんてありえないよ。みんな財布との相談だもの
日本ではあまり評価されていないけどカトリックは「社会回勅」以降、富の再分配路線なんだよね。完成したのは21世紀になってからだけど。バラバラの個人は悲劇的に無力なので、カルト(私有財産没収共同体)でなけりゃなんでもいいので、中間団体による連帯は必要 イタリアに話を戻すと、南欧では協同組合(日本の農協・漁協、ましてや人民公社を連想しないように)の伝統があり、人類的な美習だと思う(もちろんネガの側面はある)。
ただ、協同組合的な価値への賛同者とそれ以外との乖離がね
たとえば、山間部の過疎地の組合員に食料を配達しようとすると(当然、コストがかかる)、無駄なコストだ、その分を値下げしろ、平地に移転させろとなり、山や牧草地が荒れる。竹中流だと地域のコモンズみたいな価値が理解できなくなるんだよね >>776
イタリアの南部をマフィア問題や腐敗を抜きにして美化するのは無理があるんじゃ? >>777
「南欧」ってのは「イタリア南部」じゃなくてスペイン・ポルトガルの巨大な協同組合のことなんですけどね。いい線いってた「みたい」 >>777
あなたにも故郷はあるでしょう?『小さな村・イタリア』 南欧の協同組合って、中国の幇と対比すべき社会的現象だと思うんだよな
必ずしも中央権力が当てにならない(または明確な敵となる)状況下における身分横断的・自然発生的社会集団だし
マフィア等の共同体兼地下組織という点でも共通点がある >>780
協同組合の原理はフランスが起源で(異説はあり)、イタリア・スペイン・ポルトガルに根付いたのは、カトリックの教区共同体・職人共同体の伝統が大きかったと思いますけど >>781
だから、権力に対して縦ではなく横のつながりでしょ?
幇も職域集団とそれの連携によって生まれた互助組織よ基本
もちろん違いもあるけど、比較する好例だと思うけどな >>778
南欧が南部に見えたのでそこはすまん😢⤵⤵ 日本の知識人がよく西欧の伝統的コミュニティ持ち上げたりするんだけど、それと彼らの忌み嫌う日本のムラ社会と何が違うのか、実はよくわからない
日本のムラ社会だってまさしく伝統的コミュニティ、地域コミュニティに他ならないんだが >>784
どう忌み嫌ってるのか分析してくれないと >>785
日本の知識人が日本の伝統的共同体をネガティブに捉えてきたなんて当たり前の話でしょ
だからこそ伝統的共同体にムラ社会という非常にネガティブな表現を用いてきたわけで >>786
どう忌み嫌ってるのか分析してくれないと 中間団体やコミュニティの問題は、近年では「ソーシャル・キャピタル」という分野で扱ってる
気になってしょうがないのなら、基本文献を読むしか解決策はないよ
基本文献としては
『孤独なボウリング』アメリカ社会のコミュニティ衰退を分析
『結社の世界史』シリーズ。各国のコミュニティの成り立ちを分析
後者は文化圏ごとのコミュニティというか連帯の在り方の差異が説明されており面白い
全巻通読すると、日本人の、群れたがる癖に孤独な老後を選ぶという奇妙な習性・構造的心性の原因がなんとなく浮かび上がる 人文系の研究者は「ムラ社会」を馬鹿にしながら、自分達は学会というムラ社会に属し、理不尽な上下関係やイジメ・イビりを経験し、それを反省・改善することなく再生産している 日本の左翼セクトの同窓会
「なんで細かいことにこだわって割れちゃったのかな。今となってはどうでもいいことなのに」
「理屈というかメンツの問題だったんだろ」
「言い負かされて殴り合になり、3人だけで別党派作るなんてメンツいがいに説明できないよな」
「ところで空地があるんだが、仲直りしたことだし共同でハウス建てて住まないか」
「いいなそれ、食費も浮くし」
「いや、やめとこうよ。連赤みたいになりかねないよ。たぶん味付けとかで殴り合いになるよ」 お前が日本の知識人とやらを異様に憎んでいることは分かったは 欧米ではの出羽守だが、新旧問わずキリスト教の「教区」がコミュニティの基礎になってる
若い頃に不可知論・理神論・無神論でも、老いてから信仰に目覚めたと称し教会に戻る道もある(ユダヤ教の場合、改革派でもそれなりの手順があるが)
ドイツ人の場合、「教会税」を課されるので信心しないと損みたいに考えているふしがあるが、北部の大都市では教会が枯れている。カトリックと異なり祝祭が乏しいのが仇になったようだ
オランダではカルヴァン派が不可知論・無神論に置き換わりつつあり、ドルト宗教会議の頃の市民の熱狂が嘘のようだ
イタリアの場合、自分の街の守護聖人を知らない子供はいないんじゃないか 日本の左翼知識人が中間団体の意義を忌避してきたのは、フランス革命、ロシア革命が中間団体を封建的遺制とみなして破壊したのを評価したからだよ。特に憲法学にその傾向が強かった。ナチスも中間団体を破壊したんだがそこは無視。
フランス・ドイツの場合は復元したけど。
近代日本も似たような面があり、すべての中間団体が時間をかけてだが最終的に国家統制下に置かれた
国家と個人が、中間団体の保護なく直接に向かい合うようになった(意識してるかどうかは別にしてね)
日本型の新興宗教が旧勢力(去勢された中間団体)を圧倒したのは、この種のニーズをとらえたからだと思うし、サラリーマンが会社にしがみつくという倒錯に陥ったのもそれが一因。
日本の旧農村社会の息苦しさ・同調圧力については別途の問題 >>792
その教区とやらが日本人論でいうところのムラ社会やら世間やらの役割を果たしてるのは明白だろ
例えば小説の緋文字とか見りゃよく分かる
あれは世間から村八分されたって話でしょ? >>793
ヨーロッパやアメリカの共同体(中間団体)の息苦しさや同調圧力なんていくらでも指摘されてるんだけどね
日本人が黙殺してるだけで
緋文字なんてその典型でしょ >>852
人文科学や社会科学「まともにやってる人」なら、村落共同体や都市共同体、職域団体や互助組合って言葉は使っても
「ムラ社会」なんて定義も何もないターム使わんでしょ
それが日本国内であっても >>796
望ましい傾向ですね、ジャコバン趣味の師匠と闘ってきた身としてはね。
全くの専門外ですが趣味で「ソーシャル・キャピトル」追ってます
ただ人文系の悪習?で「論文のための論文」が増えつつあるように感じますが >>796
憲法学の某大家とか、朝鮮半島起源の「ウェーバー研究者」が「日本はムラ社会だから」とおっしゃってますので、学術界から駆除してくれませんか 趣旨は、カルヴァン派(会衆派)批判の小説なんだけど、出版当時の会衆派は当時としては無神論スレスレのユニテリアンに移行しつつありました まあ、どうでもいいけどさ
『結社の世界史』シリーズを通読してくれないかな。共同体のネガ・ポジが「なんとなく」だけどわかるよ(解釈は読者の固定観念の強弱による) 夏休みのせいか、あっちこっちでネトウヨが暴れてるのな ムッソリーニが政権をとれたのは、彼が巧妙に古代ローマのイメージを
想起させたからかな?
「ローマ進軍」はスッラもやったことだし、イタリア人にとってローマ史は
栄光の記憶だし >>800
緋文字は宗教が絡んでるから欧米の伝統的コミュニティも日本のムラ社会と何ら変わらないということの例証の典型例としては適切じゃなかったかもな
例えば一昔前のアメリカ南部のコミュニティで白人と黒人が自由に付き合って支障が無かったのかとか問う方が良かったかも
そういうことを考えれば「世間というのは日本特有で欧米にはありません」とかいう主張がいかにデタラメかすぐわかる >>788 >>801
そのシリーズ読んだこと無いんだけどネットで見出しだけみたところ、日本の巻だけ民俗学者が担当してたから知識人中心の結社を追ったとおぼしき欧米扱った3巻と単純比較できないんじゃないかなあ >>805
まずは『結社の〜』という標題が出版社・編集者の失策ですね。インテリ主役の秘密結社史みたいで。
内容にもいくつか不満があって
・フロムの『自由からの逃走』 >>806
自己レス
・フーコーの『監獄の誕生』
・フランス起源ではあるもののEU理念となった「連帯」概念
・フランスのをパクったカトリックの「連帯」 ・ネット上の言説への評価
以上がほぼスルーされてる
各巻でバラツキあるのは仕方ないんで要求するのは無理ですよ >>808
アメリカへの移民の相互扶助組織についての記述が薄かったな。ユダヤ系についてサラリと触れているだけなのは物足りなかった アメリカへの移民たちは、相互扶助の仕組みを作り初期の苦難を共有したものだったが、イタリア人はやや異なり、同胞をゆすったり、成功した同胞の商売を丸ごと取り上げるということが横行した。 イタリア好きなんだから皆さん何度か行ったことはおありなんでしょ
体験談・旅行話とかお聞かせ願えませんか >>813
まあ、もちろん学術的ないし文化的な考察ないし風味付きということで
気がついたらトラステヴェレのトラットリアの隣席にパゾリーニがいたとか(そんだけの話だけど映画ネタに発展するかも) >>813
出禁は勘弁なので自粛させていただきます イタリア史ゆかりの場所の旅行ならスレチじゃないよ
現代の話ついでに出てくる程度ならOK
そうでないならアウト 偶々『世界遺産』でアマルフィやってる。40年前に立ち寄ったことがある。
旅番組じゃないから例の魚醤はでてきそうもないな アマルフィの守護聖人は聖アンデレですが、人口の割りに様々な聖人の教会堂・礼拝堂がちりばめられている。坂がきついので小さなコミュニティに分かれているのでは、と推測。
ローマ教皇との関係では「公国」だったが、ベネツィアに似て元首は選出制だった
イタリア海軍旗の紋章の左下部分はアマルフィの紋章。
番組に出ていた有名な製紙業は1954年の水害で壊滅 不祥事満載のイタリア現代史ですが、微笑ましかったのは、イタリア国内でバイアグラの承認が手間取った際に、サンマリノで先行販売されイタリア中のスケベ男どもがサンマリノに殺到してパニックになった事件
サンマリノは教皇による独立承認、イタリア統一に貢献というアクロバットによって独立を維持。 第二次世界大戦後のイタリアの経済状況は、ヨーロッパ統合を自国の戦後復興に
活用しなければいけないくらい厳しいものだったということは、あまり日本では
知られていないな
イタリアには炭鉱は貧弱なものしかなく、戦争で中断した高炉製鉄を復活させねば
ならず、余剰労働力解消のための移民の送り先も、統一以来の課題である南部の
開発資金も必要だった そういえば1957年の映画『カビリアの夜』に、戦後十二年たっているのに、
戦時中の防空壕に普通に住んでいるローマ市民たちが出てきたのが意外だった
防空壕在住者の町内会のようなのもあった
当時の東京ではさすがに防空壕に普通に住むというのはもうなかったのでは?
フェリーニの作品の中では一番好きな映画、良い意味で中庸を得ている イタリア人が貧困から解放されたのは、やっぱり1950年代中盤以降、
高度成長(経済の奇跡)に突入してからなのかな 第二次世界大戦後のイタリア経済の停滞の原因は、物流や資金のネットワークが
断絶してしまったことにあったとか
戦争や連合軍の空爆はあったものの、工業生産設備の破壊は限定的だった 「ヴァノーニ計画」は硬直的で雇用創出効果が薄かったと言われることがあるが、先進国全体が成長を続けていた時代に南部イタリア人が無策だったのは確かだと思う イタリアは南北間問題だが、ドイツは東西間問題。「連帯税」で西から東への再分配を続けたが西が持たなくなりつつある。人権には敏感なドイツ人だが子供まで東の市民を「オッシー」と呼ぶ 東西ドイツの教訓があるから朝鮮半島は当面統一国家にはならないな ドイツの場合は、わずか一世代半の分断でも『グッバイ、レーニン!』や「オッシー」みたいになってしまったが、イタリアの場合は分断もなかったのに相変わらず。南部じたいのまとまりが悪すぎる。
「等語線」ほどではないにせよ、ナポリとパレルモでは方言の違いがきつく、カモッラとマフィアは互いに工作員を潜入させることができなかったそうだ。今では、日本もそうだが、全国メディアやポップミュージックのおかげで、標準語と地元語のバイリンガルなので会話や商売に支障はないとのこと ワクチン2回打ったので、感染とは無縁ではないにせよ、イタ飯屋というかせめてサイゼリヤに行きたいもんだ。生ハム・モツ煮込み・缶詰めエスカルゴのグリルは満足到達レベル(宣伝員ではありません) ビル・エモット(『なぜ国家は壊れるのか』)に指摘されるまでもなく
全国一律賃金ではわざわざ南部に工場を作らない >>830
統一できたとしても、南の納税者が増税(ドイツ式の「連帯税」)に耐えられるかどうかでしょうね 労働者の「質」、「能力」の信用の構造的差異ということですかね。
イタリア映画の伏線は、『若者のすべて』みたいに南部から中・北部への脱出。地元振興を諦めている
『ニューシネマパラダイス』でも主人公(シチリア人)は「ここに帰って来るな」と諭される イスラム、ノルマン、スペインなどの支配のせいか、シチリアは建築や風景がイタリアの中でも特異な印象がある
十年以上前にシチリア在住日本人のブログを読んでいたら次のような記述があった
「近所のイタリア人主婦が失踪し、家族が警察に届けたが、警察はあまりまともに取り合わなかった
一週間ほど後、その主婦の遺体が発見された
近所の噂では、その主婦は食料品店で買い物をしながら店主に『マフィアはいなくなってほしい』と言った
その店主がマフィアと通じており、そちらに通報して殺害させたのではという
警察もマフィアと通じているらしい」
噂の真偽は別として、そんな噂がいまだにまかり通る地域なのかと驚いた
マフィアというのは貴族の荘園の武装管理人から派生したものだそうで、日本の武士のような存在だが、
どうしてマフィアになったのかが不思議
ヴィスコンティ映画『山猫』のカルディナーレの父親(市長、成り上がりブルジョア、新興資本家で
すべてがカネの卑しいキャラとして描写)の前身が、荘園の管理人という設定 >>836
タンジェントポリ摘発事件後、「ようやく、やっと」正常化に向かっている、と聞いてはおります
日本の武士(武装地主) 失礼
日本の武士の場合、武家貴族とのつながりが、仮冒・僭称・系図の捏造をしてでも必須でしたが、欧州の場合、貴族認証の権限は皇帝・教皇・王が独占していましたから、ナポリの王が認証しない限りは山賊の頭目と同じ扱い そういえばイタリアの歴史とはちょっと外れるが、
欧州ではゴータ年鑑などというものがいまだに刊行されているな、
と思ってちょっと検索したら、江戸時代に日本にも同年鑑が渡来したと知って意外だった
江戸時代にはたぶんオランダ経由でけっこう欧州の文物が入り、
大奥の女性たちはフランスの香水を使用していたとかなんとか この種の文献で継続的に追うことが可能なのは、イエズス会・パリ外国宣教会の『年報』でしょうかね。これはヴァリニャーノが、司祭たちが勝手に本部・教皇・王に書簡を出すことに辟易しての措置。
一定以上の聖職者に義務付けた 『年鑑』編集の気運の中で、貴族を僭称することは困難になったでしょうかね。フォン・ゲーテは実績に基づく貴族認証。フォン・ノイマンは買官 ジョルジョ・ナポリターノってナポリ出身の前大統領がいるけど
ナポリ出身のナポリターノって地名と関係のある姓なんだろうか? 調べてないけど関係はありそうですね。ナポレオンはイタリア人からしたらナポリオーネですし 普通に形容詞由来の地名姓でしょ
Napoliはもともとギリシャ語のNea polisだから形容詞もpolisと同じpolitan-となる
ナポレオンは語源不詳だが一説にニーベルングと同語源とも すぐに出せなくて恐縮ですが、著名性は薄い(傑物に乏しい)ながらも、コルシカ以外のイタリア本土にナポリオーネ姓は散見されます 第二次世界大戦時のイタリアは、国王のいる南部がイタリア王国を継承する
「南部王国」となり、北部ではドイツ軍による苛烈な弾圧を受けながらの
レジスタンスが展開された
南北で戦争時の記憶も異なっているんだよな >>846
映画的には、ソフィア・ローレン主演の『ふたりの女』を想いだします チャップリンの『独裁者』のムソリーニは、ナポリターノじゃなかったっけ? 南イタリア人には「故郷に錦を飾る」とか「志を果たしていつの日にか帰らん」という観念がないのかな。『ニューシネパラ』のトットはすっかりローマ人。とはいえ、日本の地方民も大学でて東京に就職だから南部人と同じか。方言もいつしか消えていく。故郷の味は東京でも味わえるし。
アメリカへの初期のシチリア移民は出稼ぎ感覚で、犯罪含めて派手に荒稼ぎし、(訴追逃れの意味も含めて)故郷にオリーブ農園を持つのが夢だったというが。アイルランド人は故郷に錦みたいな感覚は皆無で、タマニーホールのボス(名前忘れた)が数少ない例外。 >>850 自己レス
アイルランドに戻ったのはリチャード・クロウカー。ジャガイモ飢饉前の移民で、売春・違法賭博・不動産不正取引からの上がりでタマニーホールを肥らせた。市警察も支配し、警官たちは街娼からピンハネした金でテンダーロイン・ステーキを食った。
子分をニューヨーク市長に当選させるなどの絶頂期に里心が付き、アイルに戻った 南イタリア人が北部や外国に移住したせいで、南部の過疎化が進んだ ヴィト・コルレオーネの表向きの顔はシチリアのドン・トマシノと提携してのオリーブ油輸入業だった。この腐れ縁的構造は20世紀後半まで引き継がれ、アメリカ人はマフィアの経営と知らずにオリーブ油を買い続けた(現在は手切れ) イタリアでは、ファシズム時代に銀行と企業の救済を目的に設置され、その後、
恒常的機関となったIRI(産業復興機構)は戦後も存続し、国家資金の
運用による株式の保有あるいは直接の出資によって鉄鋼、造船、機械、銀行、
通信、放送、運輸など産業諸部門の有力企業を傘下に置いた
IRI傘下の国営企業は、市場原理のもとで民間企業と競いながら運営され、
イタリア経済の特徴となる混合経済体制をつくりだした
イタリアにも日本と同様、戦前と戦後の連続性、という問題があったのか? 1940年体制。厚生年金も総力戦体制の賜物であって相互扶助とは関係ないって言う馬鹿な研究者がいたな。それを言ったら女性参政権だって戦争協力へのご褒美となる コーラ・ディ・リエンツォ ってモンタネッリが「典型的なイタリア式政治家」とボロクソに書いてたけど、ローマ市では人気があって、通りの名前になってる。
日本だと吉良上野介が地元では人気があるような感じかな ピザ職人の「綿棒使うな」のこだわりがよくわからない。どなたか食味科学的に教えてくだされ 吉良上野介のように名門じゃないから豊臣秀吉じゃないかな 岩倉使節団がナポリに寄港したときのエピソード
船がナポリ港に錨を降ろすと、現地民が小船で近づいてきて蟻のように群がり、
上陸を勧める
しかし、その手間賃が驚くほど高い
一人当たり1リラも寄こせとせがむ
ともかく上陸してみると、顔は垢だらけで汚れた服を着た貧しい子供、
少年大人を問わず岸壁に集まってきて、小銭を乞い求める様子は蠅が群がるようだ 「ナポリを見てから死ね」と言われた時代の80年後の姿だね
今は廃棄業者(カモッラ)が郊外に不法投棄したゴミが発火して有毒ガスを撒き散らしているそうだ 40年前のナポリは(金さえあれば)それなりに快適な観光地だった
ただ学生の貧乏旅行での下町の宿だと風景が変わった
ゴルゴ13に「ナポリの女」という作品があり、ゴルゴが女の家にステイするのだが、女は裸足で街を歩いており、実際その通りだった ソレントだったかな。街路樹がオレンジで木組みの細工。歳をくうと記憶が曖昧。検索すれば簡単にわかるんだろうけど、めんどくさいんだよな
ナポリよりもアマルフィやソレントの方が風光明媚だったよ。ゲーテは立ち寄っていないんじゃないか ベルナルド・ベルトルッチ監督の映画『1900年』は、リゴレットの恰好をした
酔っぱらいの乞食が、『ヴェルディが死んだ!ヴェルディが死んだ!』と
泣き叫びながら野原をさまよう場面で始まるが、
実際にはヴェルディがイタリアの全国民の熱烈な支持を受けていたという
確たる証拠はほとんどないのだとか まとまりの悪い国なのかもしれないが(他の国も大してかわらんと思うけど)、「国民的キャラ」は豊富だろ。ローマ帝国時代はおいといても、少なくとも、ジョット、ペトラルカ、アルベルティ 〜 トスカニーニ に至るまでは人材大国。
イングランドの場合、シェイクスピアの次ぎのキャラが出るまで10秒かかるぞ >>867
> イングランドの場合、シェイクスピアの次ぎのキャラが出るまで10秒かかるぞ
アフォか
一瞬で「ミルトン」と出るわ >>868
ベケット、黒太子、ジョンソン、パーセル、バンヤン・・、とか糞詰まりしたもんでな 19世紀後半から20世紀前半にかけては、ドイツやフランスに比べて人間が小粒になった感がある
この時期にイタリアの芸術が衰退した原因としては、「政治的になりすぎた」というのが指摘されている
今となってはイメージわきにくいけど、この頃のイタリアは統一ブームでナショナリズムが最高潮。政治的メッセージみたいな作品ばかりになったため、評価が低い そんな中でも「愛国詩人ダヌンツィオ」は、政治的なのに高く評価されている 21世紀に持ち越せなかったけど、ヴィスコンティ、フェリーニ、パゾリーニを産んだ伝統は凄いと思うけどね
哲学者は大物がでなかったな。誰かアントニオ・ネグリの解説をしてくだされ。俺には意味不明だ。 哲学史でも、ルネサンス期に新プラトン主義哲学を復興したフィチーノとか、ピコ・デッラ・ミランドラの存在感は大きい
当時は間違いなくイタリアが哲学の最先端で、若き日のデカルトが三十年戦争に従軍したのも、戦地のイタリアに行きたかったからと言われている 20世紀にも、ネグリ、グラムシ、クローチェ、アガンベンが出た
フランス現代思想のブームが終わって、イタリア現代思想の時代がきたというほど有名だ
彼らの多くは哲学というより、左翼思想の面で有名なんだけど ミュージカルに押されたせいか、よく知られたという意味でのオペラだとマスカーニで終わりかな
ニーノ・ロータは天才だと思うが、「トロンボーン協奏曲」は我が国では知名度が低いな >>870
列強諸国には植民地経営や産業を興して財を成した有力パトロンがいるがイタリアは国家も資本も集約が進んでないからではないかな? >>874
「広義」のポストモダニズムはアメリカほかに拡散したでしょ。「感情社会学」とか。
フーコーのパノプティコンとか「国際常識」じゃん。ワクチンが必要と理解しつつも監視社会に抵抗
イタリア現代哲学って特徴的な成果あったの? 日本のことは措いとくね >>875
モリコーネも加えてくれ。「黄金のエクスタシー」は意外に弾くのが難しいんだ 『アルジェの戦い』の音楽もモリコーネだった。
左翼にあらざれば文化人に非ず、の歪んだ時代だね
しかし、この映画における出来は素晴らしい、心臓に届く音響だ >>871
ダヌンツィオなんて、三島と比べたら感性のレヴェルが明白でしょ?
政治的には奇人・変人に近い >>877
イタリアはなんといっても教皇庁がある地域だからね
ネオ・トミズムの研究とか、ベルギーやフランスと並ぶ中心地だよ
欧州連合の思想的基盤にもこれがあるし、
第二次大戦後の初期統合開始期の関係各国の中心的政治家には、カトリックの人が非常に多かった 英仏が近現代化していた19世紀後半はイタリア統一運動でまだ国家統一すらしてないから、私立探偵のシャーロックホームズなど現れようはずがないのだった。 イタリアってドイツや日本みたいに占領されなかったんだな
ズルい! いつのまにか、「ドイツに侵略された被害者」になってた >>887
されてた
が、1946には解除されてる(トリエステ除く) いつのまにか、日本に侵略された被害者になってた
いつのまにか、ドイツに侵略された被害者になってた
どっちも、日本やドイツと一緒に戦っていたのに
それが半島国家というものか >>889
> いつのまにか、日本に侵略された被害者になってた
日本に侵略された被害者になのは間違いないだろ むしろ、いつの間にか被害者面してるのは日本なんだよな
オリンピックのとき世界中から指摘されてたけど >>891
いや、世界史上にも稀な、双方の話し合いによる国家統合だった >>893
公式の話し合いなら、当時の出席者名簿と議事録、
あとそれから当時の警備担当部署関係者の出張命令書と復命書もあったはずだよね?
それってどういう記録内容になってるの
それ無しだと、
「うそかほんとか判らん話だし、話し合いがあったとしてもそれが党派色の薄い広範で中立的な話し合いだったかどうか判らん話だな」
って言われても何も示せないでしょ モーツァルトも、「ドン・ジョヴァンニ」とかイタリア語のオペラを作曲してた
「魔笛」でやっとドイツ語になった オーストリアが音楽大国になったのは、帝国の傘下にイタリアを擁していたおかげ
ドイツ人は音楽に強い国民性ではない ドイツ人は同じメロディを延々と繰り返すだけな感じ
メタル系向き 電子音楽では、ドイツ人が世界の最先端を開拓したけどな
クラフトワークなんか、YMOも思いっきり影響を受けている
でも確かに、機械的なリズムと同じメロディーの繰り返しが売りだ フランスにはかつて「ローマ賞」というイタリアへの留学制度があったが、1968年の五月革命でに廃止された。後継制度はあるが昔ほどの権威はない。
一方、アメリカの芸術家とくに建築家にとってはパリの「エコール・ド・ボザール」に留学するのが夢だった。 一方で「エコール・デ・ボザール」の有力アトリエを仕切っていたのは「ローマ賞」受賞者 世界に冠たるフランス料理といっても、中世には、刀でブツ切りにした肉を手づかみで食べるという粗野なものだった
16世紀のルネサンス期に、カトリーヌ・ド・メディシスを王妃に迎えたおかげで、先進国イタリアの食事文化がフランスに入ってきた ヴェルディが「国民的作曲家」に奉られたのは実はムッソリーニの時代
ジャンヌ・ダルクがフランス全土で有名になったのが
ナポレオンの時代からだったのと同じ
それまではデュ・ゲクラン元帥のほうがずっと有名だった ナショナリズムが勃興した近代に脚光を浴び、祭り上げられた伝説のヒーロー
韓国でいえば「李舜臣提督」とか 「保守」と「右翼」の境界は微妙だが、前者は文化的多様性を重視し、後者は純粋化・国粋化・単純化・中学生にも理解できる化を目指す。前者は保守知識人に適合し、後者は思想的偏向者ないし狂人・無教養庶民の友。
やたらと「国民的○○の父」「純粋○○」をでっち上げるのは、社会に後者の偏向気運が蔓延している状態のとき。正常人も知性が停止し、単純化すべきでないものが単純化される。左翼も同じ。 日本・ドイツ・イタリア・フランス
先進国はどこでも、ウルトラ・ナショナリズムの時代を経験した イタリアの場合は国王より格上の教皇がいた。フランスの右翼はブルボン・オルレアン・ボナパルティストの集合体なので求心力に限界があり、あm >>909 続き
あまり極端になりようがなかった(異論は承知)。
ドイツの場合は、印欧語族の発見以来の人工的な疑似科学イデオロギーだったが、人工的であるがゆえに「伝統保守」からの歯止めが効かず「近代の地獄」が現出した。ボルシェビスムも類似。 日本やドイツと違って、イタリアにはあんまりそういうイメージがないけど、
19世紀後半から20世紀前半にかけてのイタリアはウルトラ・ナショナリズムで強烈なイデオロギーの国
「ファシズム」の語源もイタリアのファシスタ党 植民地帝国を目指して、北アフリカとかバルカン半島への侵略に乗り出した
合言葉は「ローマ帝国の再興」、「未回収のイタリアを取り返せ」 イタリアは、第二次世界大戦後の高度経済成長もなにげに凄い
日本とドイツにそういうイメージを全部もっていかれたが、イタリアの近現代史も似たような軌跡をたどった 日本の天皇制イデオロギーの初出は『神皇正統記』。これは優れた学術的考察だったが、その後休眠。
江戸幕府が、皇室・寺社統制を強めすぎ・やり過ぎたので知識人層(徳川光圀、山崎闇斎ほか)に反発が起き、拠り所として『神皇正統記』が復活。水戸学ほか。
日本文化再評価の実証的研究であった「国学」が「脱中華・日本優先」の政治思想に変質し合流。こうして天皇制イデオロギーが誕生。つまり近世の産物であって、江戸幕府がやり過ぎなければ誕生しなかった。
明治時代は近世の天皇制イデオロギーを上手く取り込んだにすぎないが、教育勅語が布石の役割を果たし、南北朝正閏論、統帥権干犯、天皇機関説、国体明徴などなど(順番は適当)、教祖・主犯が曖昧な、共同幻想的・参加者自由の共謀共同的なイデオロギーに成長。 古代ローマ人、現代イタリア人の3倍の海の幸 研究:時事ドットコム
https://www.jiji.com/jc/article?k=20210827041959a&g=afp
2021年08月27日12時55分
古代ローマ時代に海辺で暮らしていた人々は現代のイタリア人よりずっと多く魚を食べていたことが、
西暦79年のベズビオ火山噴火による犠牲者の遺骨の調査で明らかになった。
また、男性は女性よりも高級食材を多く食べていたことも分かった。 >>915
これは貴重な知見。詳しく知りたい。ポンペイの魚醤の原料は鯛だったし、文献中心よりは遺伝学等の分析の方が確実性が高そうだ イタリア人も自分たちの国の形が長靴とかブーツに見えると思ってるの? 普段は知らないけど他国人に説明するときは意識している
他「どこの出身?」
伊「ターラント」
他「ふ〜ん、どのへん?」※タラント空襲のタラントとは連想できず。大昔はタレントゥム。
伊「ブーツの土踏まず(arch)のとこ。港町だよ」
「ブーツのこのへんでローマの北」というのも聞いたことある
たぶん小学校で地理を教わるときも、教師は長靴のこのへんとか教えていると思う ターラントは南イタリアの大都市で、軍港や製鉄所中心。大学の本校があってもおかしくない環境に思われるが確か分校しかない。 戦後のイタリアでは、ブリガーテ・ロッセ(赤い旅団)による
モーロ元首相誘拐・殺害事件があったな 赤い旅団はカモッラとも関係があり、モーロ殺害にはアンドレオッティの黙認ないし関与が噂された(その件を調べていた編集者はマフィアに暗殺された)
ドイツ赤軍も検事総長、経営者連盟会長を殺害 赤い旅団とマフィアってどこで接点を持ったんだろ?
モーロじゃなくてマフィアのボスやってればな 一方で疑獄事件が起きると、政財界の黒幕連中はマフィアを使ってのお約束の口封じ
(日本の場合、政財界の黒幕というのは主に漫画や隠謀論のネタにすぎなかったが、こっちは本物)
ソ連の崩壊によって黒幕連中の存在意義が薄れタンジェントポリとなる 赤い旅団メンバーでその後マフィア入りしたワケありのインテリヤクザ・・・
そういうのいた? >>925
構造的には、殆どいないんじゃないかな。
イタリアは日本と違って左右がぐちゃぐちゃに混じっており、無期懲役を食らった連中も半自由身分になると就労が可能だが、就労を支援している心情左派層や奇人変人がいる。
・反省はしても、「全面的に転向」する必要がない
・たとえ内面的に激しく後悔していたとしても、今更「転向」するのは却って不利益を蒙る
したがって、マフィアやカモッラに身を落とすメリットが薄い つまり、イタリア人の一個人ないし集団の内面には心情左派・心情右派が混在しており、どちらが発現するかは個人的事情や社会状況による。
日本のネット内の「ネトウヨみてるか〜」だの「パヨクが〜」という単純脳では、イタリアやフランスの現象は理解できないと思う イタリアはだからこうだとか左だからこうだとか二元論的なものがないのか 単純二元論(左右とか労使とか)が一番分かりやすいが、実際には様々な対抗軸が存在し絡み合っている。どの対抗軸が重視される(可視・争点化)かの構造モデルは国ごとに異なるのでは
正規労働対非正規労働、現役世代対高齢者、現世代対未来世代、専業主婦対就労女性・・可視化はされてるはずなのにね
専業主婦については主婦も若干の社会保険料を払うことにすれば争点としては薄くなるはずなんだが、これがなんとも
一方で本来は対抗軸になりえないものが煽られて争点化 赤い旅団が、誘拐・暗殺路線に走った(警官・憲兵数十人を殺害)とき、組織犯罪からすれば
「若い奴らが俺達のお家芸を真似しだした」「シノギ的には競合しないようだ」「治安警察力を削いでくれるのは歓迎だ」だったかな。敵の敵が友になるとは限らないが提携はあったろう。テロリストたちは盛んに自叙伝を書いているらしいが、この部分の闇が残る
高潔・有能なカルロ・アルベルト・ダッラ・キエーザ国家憲兵少将は、赤い旅団摘発・マフィア捜査に辣腕を振るったため双方から敵視されたが、知事に転出後にマフィアに暗殺された。 >>913
1958〜63年の年平均経済成長率は6.3%に達し、ジョリッティ時代に
匹敵する高度成長を記録したが、今回もまた南部と北部の経済格差を広げる
不均衡な発展だったな
そのうえ農村から都市への人口移動は農業離れを推し進め、農業人口は減少した イタリアとアルジェリアをつなぐ「地中海パイプライン」というのがある
そのほかに、地中海東部には有力な海底油田・ガス田が存在する
イスラエルやキプロスは、産出した天然ガスの欧州輸出を計画し、
そのパイプラインを、対立関係にあるトルコではなく、ギリシャのクレタ島などを
経由してイタリアに通す計画がある
やっぱりイタリアと地中海・北アフリカの縁は切れないよな イタリア本土からチュニジアでも、日本と韓国より近い 共和政ローマがシチリアを属州にした後、カルタゴとぶつかるのは必然だったのか イタリアは1911〜12年、リビアのトリポリ・キレナイカを植民地すべく
オスマン帝国と交戦し、リビア領有に成功する
ジョリッティが「歴史の宿命」と称したこの戦争では、ナショナリストや
利権を有する財界のみならず、国を挙げてリビアの楽土幻想に酔った
非戦・反戦の立場を一貫して守ってきた社会党からも参戦論者が現れ、
党外に排除される
ドイツや日本と同じく、「遅れてきた帝国主義国家」の宿命なのかな リビアは国土の96%だか97%が砂漠。
海岸のすぐ近くから、奥地まで砂漠だ
イタリア人の期待は、すぐに幻滅へと変わった 『黒い砂漠』という実録映画があったな。エンリコ・マッティはパイプラインの産みの親でもある。
その死の陰には、お約束のようにアンドレオッティの姿があった。 >>935
高速道路を移動中のファルコーネを正確に爆殺するほどの技術力があったのはシチリアマフィアだけ。 シチリアをイスラムが治めていた時代、頻繁に上陸・駐留してくるイスラムに、教皇は「拉致されるかも」と真剣に怯えた。一度バーリから出撃した部隊がローマに迫ったこともあった。ランゴバルド系の南部諸侯は当てにならずビザンチン、特にビザンチンの海軍力が頼りだった。このため、教皇領を得てからも、教皇はビザンチンの意向を無視できなかった。
最初は毛嫌いしていたノルマン人が意外にも滅法強く、イスラム、ビザンチンの両方を追い出してくれたとき、初めてビザンチンと対等になった イタリアって何で王制廃止されたんだ
日本は残ったのに >>945
ファシズムを認めてきたので反発が強かった。初代国王いがいは人気が無かった。保守派と教皇も見放した(カトリック教会は中立宣言して干渉せず)。国民投票では南北で結果が明確に異なった(南部は王制、北部は共和制支持)。
もともとローマは共和制だったし。教皇という精神的な君主もいるし。
キリストという人格性を帯びた神がいるので(人格的要素については神学上の論争テーマ)、どの君主も相対的には軽い存在であり安泰ではない。国民と苦難を共にした印象的な王がおり、「王室は無形文化財」 >>945
ファシズムを認めてきたので反発が強かった。初代国王いがいは人気が無かった。保守派と教皇も見放した(カトリック教会は中立宣言して干渉せず)。国民投票では南北で結果が明確に異なった(南部は王制、北部は共和制支持)。
もともとローマは共和制だったし。教皇という精神的な君主もいるし。
キリストという人格性を帯びた神がいるので(人格的要素については神学上の論争テーマ)、どの君主も相対的には軽い存在であり安泰ではない。国民と苦難を共にした印象的な王がおり、「王室は無形文化財」 「無形文化財」「世界遺産みたいなもん」と認知されれば存続。イングランドは吃音王ジョージ6世が国民を鼓舞し続け宮殿の庭が空爆されたこともあった。デンマーク王はヒトラーが激怒するほどナチスに毅然として応じ国民から敬愛された。
日本の場合は、『神皇正統記』とそれを復活・補強した水戸学・国学の理論が世俗化した一種のエートスがバックボーン。加えて、世界遺産だとは思うよ。少なくとも応神いらい続いてるし(異論承知)、文化的認証の源泉(異論承知)。 王室全般が忌避されているわけじゃなくて初代国王(パンテオンが墓所)は敬愛されており、退役軍人が墓所を守っている。 初代国王はヴィットーリオ・エマヌエーレ二世だっけ
初のローマ旅行でヴェネツィア広場すぐ近くのおんぼろビジホに泊まり、
エマヌエーレ二世記念堂の階段を夕方のぼり、夕陽にそまる市街の景色を楽しんだ
イタリア人からは「ウェディングケーキ」とか呼ばれてあまり評判がよくない建造物だそうだが、
旅人の記憶にはローマの初めての思い出として懐かしくやきついている >>951
あの辺りはオンボロ・ビジホでしたね。私はバチカン周辺からトラステヴェレ方面、アメリカ人目当ての安宿「ホテル・ミケランジェロ」とかが定宿でした 紀元前より前の遺物があるからね。世界四大文明だし。
今の中共に正統な文化的継承権があるかどうかは別の話。
オルドスの騎馬民族のバックルとかがスキタイに影響を与えたとか言い出してるのは笑止千万 1935年に、イタリアはエチオピア侵略を開始した
イタリア軍はこの戦争で毒ガスを使用したものの、それを否定し続け、
政府がこの事実を認めたのは、侵略から60年を経た1990年代になってからだった 最近は世界遺産認定の乱発で価値が下がってきたような気がする… 世界遺産って、ユネスコに賄賂を贈ったら簡単に認定されるんだろうか? 賄賂かどうかは知らんが、政治力がモノをいうのは確か 富岡製糸場が世界遺産なのはよく分からない
日本国内の国宝や重文ならまだしも世界遺産って… 国連貿易開発会議(UNCTAD)が韓国の地位を「開発途上国」から「先進国」に
変更したけど、あれも賄賂で手に入れたんだろうか… >>963
流石に韓国台湾シンガポールは国民所得も産業構造も名実ともに先進国だよ……
むしろ頑なに途上国特権維持しようとしていたあたりに問題が 「我が国は先進国ニダ」と胸を張るわりには、「じゃあ、途上国への特恵は廃止ね」と言われると、慌てて「分不相応ニダ」と打ち消す イタリアがG7に参加した経緯が面白い
当初はイタリアは参加国から除外されてたが、首相が会議の場まで乗り込んで強引に参加
イタリア人は強し >>967
50年前から大自動車コングロマリットが存在する国がG7じゃないっえのは、ちょっとアレだ
航空産業なんかでもかなり強いんだぞイタリア 岩倉使節団も、イタリアの近代化の遅れについて書いているけど、
日本人のイタリアに対する低評価というのは明治から始まっていたのか 低評価だったからこそ明治の留学生たちは英独仏中心だった
明治時代にイタリアに留学した有名日本人って誰がいるだろう? >>970
留学じゃないけどラグーザ玉はイタリアの美大で美術を学んでいるね
他は芸術家でもほぼフランスかドイツ留学のような 日本の西洋古代史研究ではラテン・ローマよりギリシャが優位
中世ではゲルマン・アングロサクソン系が強く、
中世イタリア研究はそれほど盛んではない
英文学研究は盛んだが、イタリア文学研究は手薄 >>972
> 日本の西洋古代史研究ではラテン・ローマよりギリシャが優位
> 中世ではゲルマン・アングロサクソン系が強く、
古代ローマですら、あったとしても英独系視点のものばかり 文学では、シェイクスピアやゲーテは有名だが、
アリオストやタッソの作品を読んだことがある人は少ないだろうな イタリアでは文学くらいしか半島共通のものが無かった
話し言葉さえ全く違っており政治的統合はもとより文化的統合も遅れた
日本ではあまり知られていないが、今でもイタリア人のイタリア人アイデンティティの希薄さと言うのが良く指摘される
郷土へのアイデンティティは強くてもイタリア人という意識は弱いと 国民という概念自体が近世以降の産物で、フランス革命では貴族を除いた「フランス市民」という概念も登場。フランスが使いだした反作用で「ドイツ国民に告ぐ」となるが、それまではバイエル人やシュヴァーベン人にすれば「ドイツ人とは俺のことか?」
神聖ローマ帝国における「ドイツ人」は東フランク人だとザクセン人が不満だったから。もっともルターはローマに敵意をもっていたから「ドイツ性」を強調したが「ドイツ」という観念は知識人層中心の符号。
これが一変するのが「印欧語族の発見」。ドイツ人はインド・ゲルマン語族と解し北欧神話が大ブームに。オランダ人(フランク人の末裔)にまで「君たちもゲルマン人だね」というお誘いがあったが、独自のアイデンティティを誇るオランダ人にすれば迷惑な話だった。
いずれにせよ印欧語族の発見がなければドイツの統一はなかったと思う。イデオロギーが必要だった。 明治時代のお雇い外国人にもイタリア人がいたけど,その代表格キヨソネが
画家というあたりいかにも芸術の国イタリアらしいな。
それはそうと塩婆って19Cに入ってからのイタリアはテーマにしないような・・・
国土統一期とかアドワの戦いとかダヌンツィオ、ムッソリーニとか >>977
その辺の話はエッセイで書きまくっとるよ
小説のネタではないらしい >>977
イタリアという観念を知識人だけでなく大衆にまで普及させた功労者はマッツィーニだったと思う。
ただ、どちらかと言うと不遇のイメージがつきまとう。
それでも、大政党が派手に崩壊し共産党もほぼ原形をとどめていない中で、マッツィーニを開祖と仰ぐ政党は今も国会に議席を有している。 塩婆って塩野のことか。ベルリングェルが「伯爵家」の出だとかの考察は、ヴィスコンティを題材にするのならわからんでもないが、意味不明で所詮上澄みしか見れない、見たくないレベルの知性だと思った。 >>981
ジャンセニスト(カトリックなのに予定説)から正統カトリックに戻った人だね。十分貢献したでしょ。マッツィーニ1人に帰しているわけではない。いわゆる「三傑」に限らない。私がマッツィーニを評価するのは長年ほぼ一貫していたこと(逆に言えば進歩がなかった?)。ボナローティは所詮国際的陰謀家だった。マッツィーニの願いは1946年にようやく結実した。その後がね・・ ヨーロッパだと小学校でも落第は珍しくないよ。適用割合はゲルマン系の方が高いけど。国民所得とかにモロに相関しそうだな。制度として維持しないと示しがつかない。
日本も、旧制中学・高校じゃ落第は当たり前だった。戦後に甘やかしが始まり、その悪影響が今に至る。一度、中央か慶応の法学部で必修科目の教員が正義を通し、2割ぐらい留年して就職出来なくなったという「事件」があったな。教員は、断固として追試を拒否。 戦後の人の伝記を読んでても結構小学校時代の同級生で留年とか結構でてくるので驚く
ただそれらは家庭の事情で中学生でも家業労働しているとか極度の病弱だとか
栄養失調気味で病気がちとか貧困が背景にある事例がほとんど
体育とか定期健康診断とか、学校に保険の先生が配置されるとかいった
国民の健康を管理する体制は留年解消にも役立った オランダの小学校は平均五%ぐらいが留年だよ。容赦がない。それでも子供の幸福度は高いという。
オランダは、結果的に石油系利権に食い込んだし、偶々北部で天然ガスが出たけど、資源にとぼしいという危機意識がある。ベルギーは鉄と石炭が出るので産業革命はオランダに先行し、オランダは恐怖を覚えた。
日本はなまるいんだよ。 今の日本でも高校なら単位制(私立高、公立でも定時制など)の場合には
単位を落として原級留置はありえるね
実際には長期の病欠以外にはそのまま自主的に中退が多いらしいけど
>>984
その「事件」は記憶にある、有名私大だけど大学名は憶えていない
決まっていた就職先がフイになり、親たちが出てきたこともあってマスコミでかなり派手に報道された
日本の就職は新卒一括採用主義だから「事件」化したのだと思う
イタリアの就職はどうなのだろう 日本じゃないけど入社三年目の俺の部下は堂々と修論作成のための有給を申請してきて驚いた
おい・・・履歴書に修了と書いてなかったか?????
仕事ちゃんとやってくれてるので不問にしたが
日本もちゃんと能力を図って採用したんだったら貴重な人材なんだから
入社後の単位取得を認めるくらいの柔軟性があってもいい >>987
イタリアは若者の就職難が絶望的なレベルで有名 >>988
自称院卒で実は学卒か。人事担当が「成績証明書」を「修了証明書」と誤認したのかな。単位さえ取ってれば後は修論だけで、通学は要旨発表会と口頭試問だけだから有り得る話ではあるね。 俺の曾祖父は大卒までストレートだったのが逆にコンプレックスだったらしい
戦前は留年して学ぶことが一種のステータスだったみたいだから イタリアの大学って卒業するのが超ハードで何年か留年する人もめずらしくないって
どっかの書籍で呼んだ事あるな。
>>991
留年してまで学問に浸れるくらいの経済的余裕があっての事なんだろうな >>993
イタリア在住の司馬遼太郎みたいなもんだが「あたしは見たくないものは見ないの」だもんな 欧米じゃ大学卒業者もコネが無かったら就職するのが非常に困難らしい
だから日本の新卒一括採用方式がすぐれている面があるのは確かなんだよな
無論弊害があるのも確かだが ゴンドラの漕ぎ手は免許制でタッソの詩歌を朗唱できることが求められているそうだ。風情があっていいな。日本だと京都検定2級とらないとタクシー運転させないようにしようみたいな話か >>995
フランスではグランゼコール出ても女は在校中からのコネを作りにくい(作ろうと思ったら・・)というのが問題になってる 大学と違って士官学校はさすがに留年を許さない?>イタリア カンツォーネはいいよな。シャンソンは台詞を聞かせるフォークソングみたいな臭みがある(シャンソン好きだけどね)。胸にしみる。
今では演歌みたいな扱いなんだろうか このスレッドは1000を超えました。
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