【蝦夷】日 本の先住民族【熊襲】【隼人】
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日本史を正しく認識するための正しい用語集 縄文人 = プレアイヌ・プロトアイヌ 縄文語 = アイヌイック・夷語・アコロイタク 弥生人 = ムムン (無文土器時代 朝鮮人)、渡海人 日本語 = ムムニック・半島日本語(Peninsular Japonic)・百済語・先高句麗語(扶余語族) 山梨大学の現在の研究課題 蝦夷の真相解明まであと2年 震えて眠れ エミシとは誰だったのか:全ゲノム解析で明らかにする東北古代人の遺伝的変遷 研究期間 (年度) 2020-04-01 - 2023-03-31 https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-20H03332/ >宮城県の五松山洞窟(6世紀)から出土した人骨群では、その多くが西日本の弥生人に似た扁平性な顔を持つ中、 >少数だが縄文人的な顔貌の個体が混じり、成人男性2体の頭蓋に北海道アイヌとの類似が認められた。 >山口敏(国立科学博物館・人類学部長)は、大和朝廷の最前線に位置する五松山の当時の状況から、 >東北北部には、仙台平野以南とは異なった形質の人々が住んでいた可能性を指摘している。 篠田謙一(分子人類学者) 「日本人は弥生時代以降に入ってきた人たちの子孫です、と言うとみんなガッカリする」 https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/p01_241101.html 本土人は集団としては韓国人と同じクラスターに属することも分かった http://www.iokikai.or.jp/doigahama161.jpg 核ゲノム解析の結果、現代大和民族のほとんどはこの土井ヶ浜・北部九州弥生人の遺伝子に近いクラスタに属していると判明した 弥生人のDNAで迫る日本人成立の謎(2018年放送) 「実はですね、現代日本人は、もう既に、この辺りだということが分かったんです。弥生人って混血していけば、混血する相手は縄文人になりますから、当然、現代日本人の位置は、こちらにずれてくるはずなんです。ところが、そうならなくてこっちに来てしまったということで、ちょっと考え方を変えなきゃならないと思ったわけです。つまり、こっち(韓国人)に引っ張る、何かがなければいけないということになるんですね・・・。」 https://i.imgur.com/./hr83JQD.jpg Y-DNAはオワコン。Y-DNAで人種の比定はできない。専門家に笑われてしまう 大まかな人類の移動の流れが追えると謳い文句にしていたが、大まかな流れも追えていない Y-DNAによるクラスタリングでは、「D系!O系!」みたいな幼稚な議論にしかならない そのせいで「日本人とチベット人は同じDだから近縁!」と勘違いする者が後をたたない 西洋の分子人類学はすでにAutosomal DNAによるクラスタリング、ADMIXTURE分析、PCAプロットに移行 ■ ADMIXTURE分析 https://media.springernature.com/full/springer-static/esm/art%3A10.1038%2Fs41586-021-03336-2/MediaObjects/41586_2021_3336_Fig7_ESM.jpg ■ 最新のPCA 日本と韓国は同じ紫色クラスター https://image.prntscr.com/image/EYWB175LTyKBnlITTtj52A.png 【長文解説】RUS_Devils_Gate_Cave/TWN_Hanben/NPL_Chokhopani https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/archeology/1602414786/162-164 斎藤成也(分子人類学) >「Y染色体には重要な遺伝子は少なく、Y染色体を先祖から伝え持っていても大したことではない。 >家系を5世代遡ると2の5乗、32人の先祖がいて、その中の一人の遺伝子は >確かに伝わっているが、32分の1だけが伝わっているに過ぎず、他人のようなものだ。 >また、ミトコンドリアも母系にしか伝わらないが、同様に大勢の祖先の中の一人のものが伝わっているに過ぎない。」 図7aは、ADMIXTURE分析の結果である。 Figure 7. (a) Admixture result. b) Cross-validation error of admixture from k = 2 to k = 7. https://www.jstage.jst.go.jp/article/ase/129/1/129_201217/_figures/129_201217_7.jpg k = 2 の場合、2つの祖先成分が青とオレンジで色分けされる。 Ainu個体群のいくつかは、F23 Jomon個体群と同様、100%青色成分であった。最も低くても青色成分が50%以上あった。 Okinawa個体群は、約30%ほどの青色成分であるのに対し、Yamato個体群は平均で約15%ほどである。 韓国人は5%ほどの青色成分であり、CHBとCHSはあったとしても青色成分の割合は非常に少ない。 この結果は、従来の「二重構造モデル」とよく一致し、青色は土着 (Jomon) 成分、オレンジ色は弥生人の成分である。 k = 3 の場合、緑とオレンジ色の成分に分離し、青色成分の割合も僅かに変化した。 斎藤成也が新たに提案した「3ウェーブ移動モデル」に当てはめると 青・緑・オレンジ色は、それぞれ第一波(縄文人)・第二波(sea people)・第三波(稲作弥生人)に対応すると見られる。 k = 4 の場合、赤色成分は、大陸集団にのみ現れ、CHS個体群でとくに優勢である (70-100%)。 CHBでも優勢で、個体によっては赤色成分が50-100%となっている。 k値を変えてCVエラーを比較すると (図7b) k = 4-7 は適合度が悪く、k = 2 か k = 3 がより現実的であると思われる。 Modern human DNA analyses with special reference to the inner dual-structure model of Yaponesian doi: https://doi.org/10.1537/ase.201217 Timothy A. Jinam, Yosuke Kawai, Naruya Saitou ■ 日本の学者の研究 CHB → KOR → JPT https://i0.wp.com/phity.net/wp-content/uploads/2019/10/jap6.png ■ 中国の学者の研究 CHB → KOR → JPT https://media.springernature.com/lw685/springer-static/image/art%3A10.1186%2Fs41065-018-0057-5/MediaObjects/41065_2018_57_Fig1_HTML.gif ■ 韓国の学者の研究 CHB → KOR → JPT https://advances.sciencemag.org/content/advances/6/22/eaaz7835/F2.large.jpg 主成分分析で使われているデータはJPT(Japan Tokyo)という東京都民1000人分の標本 関西のデータは使われてない。奈良県民1000人をプロットしたら、さらに韓国に近づく グラフ上で「東北弥生人」とキャプションされているのは、続縄文期(Epi-Jomon)の東北アイヌ(蝦夷)のことであり 日本の学者はすべてを説明をすることはせず、このように姑息に人を騙すようなことをしている 「縄文人と弥生人は仲良く混血した」というお決まりの説を前提にすると、現代日本クラスターは、 西九州の位置にこなければならないが、それよりずっと韓国に近い位置にプロットされた 篠田が説明するように、「こっち(韓国)に引っ張る何か・・・」が起きたのである。その何かとは、百済人であろう アイヌは日本列島の先住民 和人は朝鮮半島の先住民 ■ 朝鮮 無文土器時代 https://ja.wikipedia.org/?curid=270746 ■ Peninsular Japonic(半島日本語) https://ja.wikipedia.org/?curid=4281098 >朝鮮における無文土器文化の担い手は日本語族に属する言語を話していたという説が複数の学者から提唱されている。 >これらの説によれば現代の朝鮮語族に属する言語は満州南部から朝鮮北部にわたる地域で確立され、 >朝鮮語族の集団は南方へ拡大し、中部から南部に存在していた日本語族の集団に置き換わっていったとしている。 >またこの過程で南方へ追いやられる形となった日本語族の集団が弥生人の祖であるとされる。 >無文土器時代の開始は朝鮮における水稲作の開始時期とほぼ一致する。 >朝鮮に無文土器文化をもたらした人々はO1b2系統に属していたことが考えられる。 >>9 喋ってた言語が違うから世界史板で合ってるよ 水野祐氏は、『豊後国風土記』や『肥前国風土記』にみられる土蜘妹は九州の海岸一帯に生活の基盤を持っていた海人集団、つまり漁撈民集団だったと説いている。さらに、土蜘蛛伝承の本体は九州にあり、それがある時期に大和へ伝播して潤色された結果、異族視されるような物語へと発展したと考えている。すなわち、土蜘蛛とは九州地方の漁撈民に与えられた名であるが、その名が大和へ伝わり、非実在的な反逆者として扱われるようになったと結論づけているのである。 そもそも平安末期の頃でも近畿と地方では言葉が違った 後三年の役とかでも現地民に道を聞くのに通訳が必要だった ジャポニックは日本列島より朝鮮半島で活動してた期間のほうが長いよ 無文土器時代の開始(1500BC)から、百済の滅亡(700AD)までが、朝鮮半島におけるジャポニックの活動期間 桓武天皇の代までは、寧ろ日本の東北地方が未踏の魔境扱い、半島南部のほうがよほど身近な場所だった 白村江の戦いで大敗した倭&百済連合は、その負けた腹いせに東北アイヌの蝦夷地を侵攻 装備で劣る蝦夷を叩き潰し(※初戦では負けた)、「ウリたち強いニダ〜!」とイメージの回復作戦に出た 「日本」という虚構の国号を設け、ボクの考えた新設定で日本書紀を編纂し、今日までウソの歴史を積み上げてきた 坂上田村麻呂 初の征夷大将軍は百済系…渡来人重用の証 https://www.mindan.org/old/front/newsDetailc8be-2.html 坂上田村麻呂の墓が、京都市山科区「西野山古墳」であると文献調査でこのほど特定された。百済王族の血が流れる桓武天皇の信任が厚く、初代・征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂も、百済系渡来氏族として有名な東漢(やまとのあや)氏出身である。 大和の政権が「蝦夷」と呼んだ人々とは、東北地方に生活していた集団で、現在のアイヌ民族の祖先にあたり、日本列島の先住民である縄文系民族ではないかと考えられている。弥生時代、水田稲作技術は青森県まで進出したが、その後、北方では定着せず、大和系の古墳は福島県南部と新潟県新潟市付近を結んだ線より北には進出しなかった。その線より北方を「蝦夷」と呼び、律令体制が強まり「ミニ中華思想」にとらわれた大和政権は「蝦夷征伐」を試みるようになる。 坂上氏は武人を多く輩出しているが、東漢氏そのものは西漢(かわちのあや)氏とともに公文書作成などにかかわっていた氏族である。古事記や日本書紀にもかかわり、万葉仮名や漢字の「訓読み」を発明したのも東西の漢氏ではないかと指摘する学者もいる。漢時代に韓半島に渡った中国系氏族と自称しているが、実際は百済からの渡来氏族である。 明日香村に住んでいたのは朝鮮人だ あそこは朝鮮人が築いた 中国人「ウイグルなんかウザい」ミャンマー人「ロヒンギャなんかウザい」日本人「アイヌなんかウザい」 こういう感覚万国共通なんだな >>13 前みたいにアイヌを穢多非人と言わないのか? 渡来人は縄文人の入れ墨と抜歯という意味不明な文化を受け入れた つまり対等 石器見ても縄文がいるのがわかる >>18 ジャポニックの正体は扶余語族であり、縄文語は日本語にほとんど影響を与えずに消滅した 日本人は、連載漫画の『ゴールデンカムイ』を読むことで、やっと縄文語というものを意識してしゃべりだすようになった これが冗談でもなんでもないのが悲しいところだ 半島南部から侵入したジャポニックにとって、列島先住の縄文語族(プレアイヌ)は征夷すべき異民族でしかなかったのだ 半島南部にBC10世紀以前に扶余族があるか? だから沿海州だって ジャレド・ダイアモンド「弥生人は朝鮮人」。 ジャレド・ダイアモンドは、その世界的なベストセラー『銃、病原菌、鉄』で、 「朝鮮半島から先進文明を持った人々が大量に渡ってきて先住の縄文人を殺したので、 弥生時代という縄文時代とは根本的に性格を異にする新しい時代が始まった」 という主張をかなりの説得力を持って示している。読めば納得、というやつだ。 しかしなんと、『銃、病原菌、鉄』が和訳される時、その章だけ訳されなかった。 マンガのような話だが事実。大笑いw。 ほんと糞ジャップは赤ん坊w 「ジャップ=朝鮮人」という真実がそんなに都合悪いのかw。 その訳し飛ばされた部分を訳してくれた人がいる。 https://cruel.org/diamond/whoarethejapanese.html だから沿海州だって 今この状態で沿海州ていう答えを導き出せないからアジアンは発想力などで劣等でみなされるんだぞ? 悟れ 欧米人が日本も朝鮮も東アジア全体も植民地にしていてこれと同じこと調べてたとしたら 半島か半島じゃないかみたいなレベルの低い争いは続いてないで一瞬で答え出してるはずなんだよ そんな低次元のやりとりしてるうちは「欧米人に植民地にされたほうがマシだった」てならないか? なぜならそっちのほうが絶対人類全体でみれば上行ってるはずだから 日本「オラァ!ここは俺の土地だ!土人は虐殺!」 蝦夷「やめて…助けて…助けて……」←東北ゲット 蝦夷を土人とか行ってる人間はどういう人間か? 半島人じゃないのか? 核ゲノム解析により、アイヌは日本列島の先住民で確定したが、琉球民族はどうも事情が異なる 琉球民族は、おおよそ朝鮮人70%・縄文人30%のADMIXTURE系統比でモデル化され、その原郷は西北・南九州にあるとおもわれる 北九州・半島南部で新たに誕生したヤマト民族(朝鮮人90%・縄文人10%の系統比)に勢力で押される形で 奄美・沖縄へと南下し、農耕・水稲パッケージを取り入れ、グスク時代に人口が増大し、いまの琉球民族のベースが形成されたとおもわれる 隼人はプレ琉球人の可能性があり、720年に南九州で「隼人の反乱」が起こっているが、琉球民族の形成と何か関係があるかもしれない 同時期に編纂された「肥前国風土記」によると、土蜘蛛の容貌は隼人に似るとあり、これらの九州の風土記もプレ琉球人の実態を知るための手がかりとなる 中共は、日本が蝦夷・毛人にやった民族浄化を、チベット・ウイグル政策の手本にしているらしいな >>26 ゲノムとか、民族と何の関係も無いぞ サハ人とアナトリア半島の住人は人種が全く違うけどどっちもトルコ人や ユダヤ人はゲノムでほとんど中東じゃないから逆にYDNAが〜とか言ってるな 民族の話ししてるときに 遺伝子ガーて言い出すアホはどっから湧いてくんねん 神話信じないのに土蜘蛛は信じるのか 信じたいものを信じる アベ犬(ジェノサイドガイジ)が我慢しきれずに立てたゴミスレにマジレスは不要 >>32 肥前国風土記 現代語訳 (肥前国とは現在の佐賀県・長崎県) https://cultural-experience.blogspot.com/2020/12/hizennokuni-fudoki.html 値嘉の郷 ・郡の西南の海中にある(小値賀島が遺称地) ・第一の島は小近で、土蜘蛛の大耳(おほみみ)が住み、第二の島は大近で、土蜘蛛の垂耳(たりみみ)が住んでいた ・百足は大耳達を捕らえて報告し、天皇は罰して殺させようとした、その時、大耳達は頭を下げて謝罪 ・ただちに木の皮を取り、様々なアワビ料理の見本を作って献上した、天皇は温情によって彼らを許して釈放した ・この島の漁民は、容貌は隼人に似て、常に馬上から矢を射るのを好み、その言葉は世間一般の人々と異なる 天皇を縄文人にしたいキッしょい民族願望から動いているのが「YAPは神の遺伝子!」カルト系のネトウヨ >>35 じゃあいまや全員が固有の言語を話せず遺伝子にしか痕跡がないアイヌこそ 「アイヌを縄文人にしたいキッしょい民族願望から動いている」「アイヌは先住民!」カルト系の君みたいなバカの一つ覚えだね💞 https://www.youtube.com/watch?v=xZgC-OVCWyU 現在、国内ではアイヌの民族問題を生み出して、日本を分断しようという動きがあります。 既に、北海道を先住民族であるアイヌによる独立国家にしようという主張さえ存在しているのです。 この工作活動は、日本人に広く定着している、次のような漠然とした先入観、贖罪意識に付け込んだものなのでしょう。 1 アイヌは北海道にもっとも復くから住んでいた民族である。 2 そして、北海道はアイヌのみが住んでいた土地である。 3 その土地に、和人たちは後から足を踏み入れた。 4 アイヌは日本人に差別、弾圧されていた。 5 アイヌ民族は今でも北海道に存在しており、差別、弾圧は続いている。 最も重要な点は、これらのうち「5」は明確に間違いであるということです。最後のアイヌ語話者が死去したのは、かなり昔のことです。いまや、アイヌ語を日常的に使用して生活している人など存在していないのです。 現在では「アイヌ」はアイヌ系日本人の体内に、DNAとしてのみ残っているのであって、「民族としてのアイヌ」は消滅しているのです。 論理的には、この時点でアイヌ独立論など噴飯ものの主張であり、話は終わりです。 それに加え、1〜3も誤りである、少なくとも極めて疑わしいというのが、本動画の主張です。 ねえねえ いまや遺伝子にしか証拠がないアイヌって「YAPは神の遺伝子!」(笑)と何がちがうの? ねえねえ >>36 >>37 日本書紀が編纂された時分、すでに出雲人はヤマトに同化しており、南九州も平定を終えて、隼人には融和路線で接していたため この2つの地方には独自の神話が採用され、さらなる懐柔目的もあり、スペシャル・トリートメントがなされた 隼人の気分を害さないように、九州の豪族征伐の話では「土蜘蛛」という別名称が採用されたが 基本的には、隼人も熊襲も土蜘蛛も、すべておなじプレ琉球人的な集団であり、彼らはグスク時代に琉球民族を成立させる 一方、新羅(プレ韓国人)と蝦夷(プレアイヌ)は、依然としてヤマトと敵対関係にあったため、徹底的に卑しめて描写された 記紀は百済人(漢氏)によって編纂されたため、新羅に関する記述はとくに憎しみが込められている ネトウヨが韓国人を憎悪するのは、百済人の古の記憶(白村江の敗戦)がDNAに刻み込まれているためだという 蝦夷征伐の初戦では、夷王アテルイがヤマト侵略軍(倭・百済)に一泡吹かせるが このときの蝦夷は、もしかしたら新羅から間接的なサポート(武器の供給など)を受けていたのかもしれない アイヌ協会と在日コリアン団体がいまでも親密にしているのは、この系譜上にくるものだろう >>38 これら全てと矛盾なく整合する、北海道アイヌの起源についての仮説モデルはどのようなものでしょうか。 現在、大きく分けて二つの仮説モデルが存在しています。 一つ目は、アイヌは樺太以北のどこかで民族を形成したというものです。それが、1264年から始まったモンゴルによる攻撃を逃れるために北海道にそっくり居住地を移したというもの。 これが私の動画で呼ぶところの「長浜仮説」です。 もう一つは、「北海道が起源だとするあいまいな仮説」です。 北海道アイヌ文化が樺太以北のオホーツク文化の影響を強く受けていること自体は確定的であり、異論が存在しません。 しかし、北海道アイヌ文化の形成については、「オホーツク文化と擦文文化が融合して生まれた」とのみ説明されるのが定番です。 しかし、この説明においては、アイヌ文化の担い手がどのような人々だったのかは曖昧にされているように思えます。 これは、三つの可能性を想定できます。 1・オホーツク文化の担い手である「樺太アイヌ」と呼ぶべき北方の民族が北海道に大量に移住してきた。 彼らは擦文文化と交流することによって文化が部分的に融合、変質し、北海道アイヌ文化を形成した。 これは、事実上長浜仮説と同一です。 2・北海道に住んでいた擦文文化の担い手たちが、「樺太アイヌ」を含むオホーツク文化の担い手たちと、交流、交易をするうちに文化面での影響を受けることで、北海道から居住地を移動することなく、擦文文化から北海道アイヌ文化へと「文化のみを変質」させた。 3・これに加え、上記の1と2の中間的な仮説が考えられます。 つまり、一部の人々は樺太以北から移住してきて、元々住人だった人々と交流混血し、両者の文化が融合しあって生まれたのがアイヌ文化であるというものです。 恐らく、殆どのアイヌの起源についての説明は、このような形を想定しているのだろうと思います。 >>36 復興は可能 一度消滅したコンウォール語やマンクス語がでに復興して新たなネイティブまで生まれてる例がある >>40 違う アイヌ語を人工的に作ってもそれは元のアイヌ語にはならない 方言は記録が不足しているため抹消 その上文法がクソで文明社会に適していないので日本語を止めてわざわざ新たに新しいアイヌ語を作って話すメリットもない 実現しないことを可能と言い放つなバカ >>41 コンウォール語やマンクス語という実例があるんやけど 文化復興したら困ることでもあんの? >>42 そもそもコーンウォール語やマン島語は古代から文字がある言語の子孫で書記言語としての長い記録もある それこそローマ帝国時代から文明社会に編入されていた マン島の最古の文字記録いつか知ってるか?5世紀だぞ? 日本語のワカタケル大王の鉄剣銘文とタメ張るレベル❕ ちなみにコーンウォール語は6世紀な どこぞの文字も持たない土人語とは格も文明度も全然違う 大和朝廷の敵として迫害されてた連中が実は本来日本に住んでた人種って展開好き >>44 ゴキブリは喋らないんですけど〜〜〜〜wwww 逃げんなよゴミ! 何??「アイヌは先住民族ではない」→???→調べてみた。 https://www.youtube.com/watch?v=ll09yN7eAVk 「wikipedia アイヌ」の記述を見ると、アイヌ民族のルーツは樺太〜アムール河口であるという仮説を裏付けているように見えます。 ↓ 「2009年、北海道のオホーツク文化遺跡で発見された人骨が、現在では樺太北部やシベリアのアムール川河口一帯に住む二ヴフに最も近く、またアムール川下流域に住むウリチ、さらに現在カムチャッカ半島に暮らすイテリメン族、コリャーク人とも祖先を共有することが、DNA調査でわかった。 また。オホーツク人の中に縄文系には無いがアイヌが持つ遺伝子のタイプであるハプログループY遺伝子が確認され、アイヌとオホーツク人との遺伝的共通性も判明した。 アイヌ民族は縄文人や本土日本人にはないハプログループY遺伝子を20%の比率で持っていることが過去の調査で判明していたが、これまで関連が不明だった。 さらに、アイヌには「熊送り」の文化がありました。 これは、樺太からアムール川流域にかけて偏在していたもののようです。 wiki「熊送り」 さらにさらに、「アイヌ文様」は黒竜江流域や樺太中部〜北部の諸民族とも類似しているのです。 ここまでの各情報を収斂させれば、北海道アイヌ文化の起源が樺太〜アムールにあることは確定的でしょう。 「いわゆるアイヌ文化の存在を確認できる文献資料、考古遺跡は鎌倉時代より前にはさかのぼれない」 では、ここでいう「アイヌ文化」の担い手は、どのような人々だったのでしょう。 北海道に住む先住民族だったのでしょうか。 それをひも解くためには、この図においてアイヌ文化の前に存在した、擦文文化なるものについて知る必要があります。 無学な私は、今回この言葉を初めて知りました。 きちんと教科書に書いてあるにもかかわらず。 その文化の担い手たちは、かまどがある竪穴式住居に住んでいた、とのことです。 本州では弥生時代に突入していた2000年前でも、水田稲作が不可能な北海道では「続縄文文化」なるものが継続していたようです。 この時代も人々は竪穴式住居に住んでいました。 そして、続縄文文化は東北から北海道にかけて分布していたようです。 竪穴式住居は、ご存じの通り縄文文化に作られていたものです。その起源はなんと一万年前までさかのぼります しかし、アイヌ文化の担い手たちは、「掘立柱建物」に住んでいたというのです。 この言葉も、私は今回初めて知りました。 竪穴式住居はかなり深い穴を掘って、柱を埋め込む建築方式です。 それに比べて掘立柱建物は、ごく浅い穴に柱を立てる方式です。縄文時代には、この形式は祭壇や見張り台に使用されていました。 倭人は一般の住居としては弥生時代でも竪穴式住居を使っていました。 一万年間竪穴式住居が作られてきた北海道の地で、なぜ800年前から異なる方式の住居が作られるようになったのでしょうか。 私が違和感を覚えたのは、縄文→続縄文→擦文の変化は「段階的」「スムーズ」であるのに対し、擦文→アイヌの変化には非常に大きな断絶があることです。 縄文から続縄文の変化については 「縄文時代から引き続くものとして山内清男により名付けられ実際に連続する要素は多い」となっています。wikipedia続縄文時代 続縄文から擦文の違いについては、 「縄文時代には土器に縄目の模様が付けられたが擦文時代には表面に刷毛目が付けられた」 wikipedia擦文時代 せいぜいこの程度の変化にすぎません。 また、縄文、続縄文、擦文文化は、北海道限定のものではなく、東北北部まで分布していたようです。 「北方産とみられる琥珀製の玉類が北海道から東北地方北部にまで分布し、佐渡島産とみられる碧玉製の管玉が石狩川河口付近までみられる。 逆に続縄文文化が他起動の外に拡大する動きもあり、樺太南部や東北地方北部、千島列島に広がっていた。」 wiki続縄文時代 「北海道式古墳と呼ばれる小型の墳丘墓が石狩低地帯(石狩平野西部と勇払平野)に作られた。 東北地方北部との多様な交流関係が窺える」wiki擦文文化 それに対して、アイヌ文化は、北海道限定で出現しており、しかも特異なものでした。 アイヌ文様も、独特の刺青の習慣も、トリカブトの毒を使った毒矢による狩猟も本州には見られない独特のものです。 再び、この問題を提起します。 一体、アイヌ文化の担い手たちは何物だったのでしょう。 北海道の地に縄文から住んでいた先住人たちだったのでしょうか。 仮に、擦文人たちの生活習慣が「変化」して、アイヌ文化が生まれたとしましょう。 実際、そのような見解は存在しているようです。 なぜ、「変化」したのでしょうか? アイヌ文化では土器ではなく、鉄鍋を使用するようになったということです。 これが大陸との交易の結果だとみなせるとしても、一万年以上続いていた竪穴式住居が、比較的短い期間で掘立柱建物に変化した理由は説明できないように思われます 北海道アイヌは日本の先住民族であると考えなくてはいけない、それが道徳的に正しい考え方だ、というドグマに捕らわれるならば、あくまでも、擦文文化の担い手である縄文人の子孫たちが、樺太のアイヌと「混血して」生活が「変化して」新しい文化を生んだ……となるのでしょうか? しかしそのような根拠は全くないのです 改めて、東京書籍のアイヌの記述を見てみましょう。 「これによって、人々の生活に鉄製品や漆器が入るようになると、擦文文化の時代は終わり、新しい文化が形成されていきました。そのにない手がアイヌ民族です。」 ここまでの動画をみたうえで、この文章を読むと、なんとももやもやした気持ちが沸いてこないでしょうか。 この文章からはアイヌがどこで生まれたどのような人々だったのか、全くわからないのです。 アイヌが先住民族だったという先入観を持って読めば、擦文文化の担い手たちの生活ぶりが「変化して」、アイヌ文化を生んだ、ともとれます。 しかし少なくともこの文章では明確にそう書いてあるわけでもありません。 実際、wikiの擦文文化の記述では 「擦文文化からアイヌ文化への移行については詳しく判っていない」 となっています。 はっきりわかるはずがないから、東京書籍の記述も、なんだかよくわからない曖昧なものにならざるを得なかったのでしょう。 私は、ずばり擦文人たちは、移住してきたアイヌ達の圧力によって居住地を徐々に追われたと推測しています。 擦文人たちの生活に、鉄製品や漆器が入ってきたからといって、住居の作り方が変わる理由などあるでしょうか。 何故、アイヌ民族がまるごと移住してきた、と考えてはいけないのでしょうか? むしろ、そのことによって、一万年間も続いた縄文時代からの竪穴式住居が、比較的短い期間で、アイヌの掘立柱建物に変化した理由を説明できるのではないでしょうか。 幻の「本州アイヌ語」を復元する [Honshu Ainu Language] https://www.youtube.com/./watch?v=4xinneD9hjY 失われたエミシの言語の世界をのぞいてみましょう >>51 こんな動画うpしたら、またコメント欄でネトウヨ愛国戦士が酸っぱくなってしまうw https://www.youtube.com/watch?v=xZgC-OVCWyU 現在、国内ではアイヌの民族問題を生み出して、日本を分断しようという動きがあります。 既に、北海道を先住民族であるアイヌによる独立国家にしようという主張さえ存在しているのです。 この工作活動は、日本人に広く定着している、次のような漠然とした先入観、贖罪意識に付け込んだものなのでしょう。 1 アイヌは北海道にもっとも古くから住んでいた民族である。 2 そして、北海道はアイヌのみが住んでいた土地である。 3 その土地に、和人たちは後から足を踏み入れた。 4 アイヌは日本人に差別、弾圧されていた。 5 アイヌ民族は今でも北海道に存在しており、差別、弾圧は続いている。 最も重要な点は、これらのうち「5」は明確に間違いであるということです。最後のアイヌ語話者が死去したのは、かなり昔のことです。いまや、アイヌ語を日常的に使用して生活している人など存在していないのです。 現在では「アイヌ」はアイヌ系日本人の体内に、DNAとしてのみ残っているのであって、「民族としてのアイヌ」は消滅しているのです。 論理的には、この時点でアイヌ独立論など噴飯ものの主張であり、話は終わりです。 それに加え、1〜3も誤りである、少なくとも極めて疑わしいというのが、本動画の主張です。 喜田貞吉の結論ははっきりしている。 エミシは縄文時代からの列島の住人で、こんにちのアイヌと血脈を通じている。 DNAなど知らないまま、この結論をみちびきだした論理はつぎのようなものである。 >津軽の外が浜に近い頃まで残っていた蝦夷と、今の北海道のアイヌとが、 >同一系統の民族であったことには、いろいろの証拠があります。 >そしてこの外が浜の蝦夷と、歴史時代に奥羽地方に活躍していた蝦夷とが、 >また同一民族の引続きであったことも、十分これを連絡すべき事実があるのであります。 ※長文、読む価値あり https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/archeology/1602414786/396 渡来人=半島ルーツのやつが「アイヌ縄文人=土人」と口を滑らせてから 火消しでなんかやってるのか? そうだよ ちなみに半島野郎のあだ名は「憎ベンキ(ニクベンキ)」に決まったよ まあこういうスレではいつもいうんですけどね この日本列島は縄文人という平和的種族がね 1万年物長い間、平和に過ごしていたわけですよ。 1万年だぞ、1万年は長いぞ 一世代20年と考えて500世代だからね もうどう考えても日本のエリアの先住民族なんですよ、縄文人は。 でねえ、そのピースフルな美を愛してきた先住民族縄文人を 偉大なる大韓からやってきた渡来弥生人が一方的に侵略しホロンぼした。 その滅亡の課程は記紀や風土記ほかの神話や伝承、民話、 または征夷大将軍に象徴される歴史的な蝦夷追討の物語で明らかだが つまり事程左様に、そういう哀しい侵略と征服と絶滅の歴史があったわけだ。 これはねえ、まあいつもいうけど偉大なる大韓民族の渡来弥生人、 これの末裔たるチミら自称愛国者ネトウヨどもを含む自称日本民族の原罪ではあるね。 1万年もこの列島で生き最後は文字も記録も残さず無念のうちにホロンびた縄文人。 その骨すら列島と一体となり土にかえり残らなくとも縄文人のその魂魄、 これは現代の我々のことを如何様に見るだろうか? そういう話でもあるんだよ。 なんでその渡来弥生人が、縄文の文化である抜歯と入れ墨やってんだ? 明らかに序列が逆だろ 抜歯はマジ意味わからん なんの合理性もない、ただの迷信を親から子に受け継がせて、その子供もそれに抗えないみたいな そんな風習 弥生人はそれをやめさせたか?NO 縄文人と混じってそれを続けた >>63 >>64 現代日本人のゲノムは、北九州・土井ヶ浜弥生人(=ムムン)が大規模集落をなした時点で完成し 実質的に彼らが日本列島を制圧し、日本全国で彼らの子孫が繁栄したため 日本人のフェノタイプはこれら初期渡来集団の形質でかなり均一的に特徴づけられている 土着勢力が粘り強く抵抗した北東北・南九州に僅かばかしの残滓があり 百済人などが大量に住み着いた畿内・奈良が平均よりさらに渡来人寄りとなっているが それらの差もけっきょく微差であるため、目に見えて有意差があるわけではない 日本の遺伝子プールにファウンダーエフェクトを与えたのは北九州・土井ヶ浜弥生人 なので日本人のゲノムがそこから変化することは永久にない 日本人はこの2000年間ずっと土井ヶ浜弥生人であったし、これからもずっと土井ヶ浜弥生人です http://www.iokikai.or.jp/doigahama161.jpg >核ゲノム解析の結果、現代大和民族のほとんどは土井ヶ浜・北部九州弥生人の遺伝子に近いクラスタに属していると判明した。 >>65 https://www.youtube.com/watch?v=1VhIvVffHU4 現在、国内ではアイヌの民族問題を生み出して、日本を分断しようという動きがあります。 既に、北海道を先住民族であるアイヌによる独立国家にしようという主張さえ存在しているのです。 この工作活動は、日本人に広く定着している、次のような漠然とした先入観、贖罪意識に付け込んだものなのでしょう。 S(名前が出たら常に叩かれる) 八神太一、茨城 1 アイヌは北海道にもっとも古くから住んでいた民族である。 A(NGにすると言われまくっている) 青、鷹娘、ビッパーマン、ジャッカル 2 そして、北海道はアイヌのみが住んでいた土地である。 B(よく糞コテと言われる) 水野楓最高や、瀬戸山かな、はみがき、リーファー 3 その土地に、和人たちは後から足を踏み入れた。 C(賛否両論)北谷28、町田兎、内海、キングス 4 アイヌは日本人に差別、弾圧されていた。 D(粘着アンチに絡まれる) やる大石、ベイ伝、こなた 5 アイヌ民族は今でも北海道に存在しており、差別、弾圧は続いている。 E(時々叩かれる) 照井優一郎、瀬戸山ドド子、ベイス、三下沢おゲス晴、ステンレス、へいぽー 最も重要な点は、これらのうち「5」は明確に間違いであるということです。最後のアイヌ語話者が死去したのは、かなり昔のことです。いまや、アイヌ語を日常的に使用して生活している人など存在していないのです。 現在では「アイヌ」はアイヌ系日本人の体内に、DNAとしてのみ残っているのであって、「民族としてのアイヌ」は消滅しているのです。 F(アンチが居ない) 古田党、新コテ、ふくーら 論理的には、この時点でアイヌ独立論など噴飯ものの主張であり、話は終わりです。 それに加え、1〜3も誤りである、少なくとも極めて疑わしいというのが、本動画の主張です。 ★アイヌは日本の先住民族ではない★ ・長谷川は当時小2、丸は小6 ・長谷川が野球を始めたのは小3 ・練習試合で野球でソフトボール対決した ・丸は勝浦、長谷川は松戸(六実から勝浦まで片道2時間) ・互いにピッチャーで出場 ・長谷川はピッチャーとキャッチャー以外の全てのポジション経験がある ・長谷川はファースト、丸は野手として出場 ・代打で登場 ・長谷川の丸との対戦結果は、ピッチャーゴロ、ライトフライ、サードフライ ・投手として出場した長谷川は丸にはヒットを打たれた ・長谷川は投手じゃなかった為、野手の丸とは対戦できなかった >>66 >>67 そんな面倒くさく考えなくていいぞジイさん 国史で拗らせた糖質ウヨジジイにありがちなムダばかりの思考だ 真実はこうだ 倭ベンキ = 縄文10% ムムン90% = 半島系・チョン棄民 アイヌ = 縄文80% レプンクル20% = 列島系・先住民 倭ベンキ VS アイヌ https://www.nhk.or.jp/hokkaido/uploads/images/28823/picture_pc_742ee1302331c1b217e8b02592e98a78.jpg >>68 https://www.youtube.com/watch?v=jqDdKExsZOI 知能検査 Twitterにおいて「ガイジ」発言をした。 保育士志望の人間として、Twitterを介して世界中にガイジ発言を公開していくのはいかがなものか、と彼女の倫理観が問われた。 また、それまでは所謂障害者に対しなんJでは「池沼」[8]呼称が一般的だったが、タイプのし易さも手伝いこの発言以降「ガイジ」に取って代わられることとなった(ただしこの言葉自体は昔からあった)。 頻繁に勘違いされるが、以下の通り原典は「ガイジかな?」「ガイジかな。」ではなく、「ガイジかな、(あれ。)」表記である。 @kkll0303 Chihi Ro !! ガイジかな、あれ。怖い。足だんだんやるし。貧乏ゆすり自分の足殴るとか。あ、ゴミおいてく。 【悲報】アイヌ、縄 文 人 ではなく チ ョ ン だ っ た >>65 そのムムンがなんで扶余語を話してるわけよ? 半島にそんな勢力ないだろ当時 百済が後発で侵略した説はどうなった? 土井ヶ浜(2000年前)が侵略したのどっちなの 割とガチで>>1 がどこまで反応するのか興味あるわ ケーキを三等分できない非行少年系の認知能力の持ち主みたいやし 健常者ならどう見ても罠と判るモノにも反応するみたいでいろいろと楽しい 「バカとハサミは使い様」ってこういう事やったんやな ケーキを三等分できないのは知的障害入ってるやつだろ そうそうw 健常入ってすらいない系のsyamuさん未満の奴な それが>>1 多分健常群も多いと思うが その上でIQ水準以下ってのが多いのが囚人 >>70 弥生時代の日本は、扶余系と韓系に分かれた朝鮮人が群雄割拠し それに隼人のプレ琉球語や、蝦夷のプレアイヌ語(夷語)など、複数の言語が入り乱れていた 倭国大乱(おもに出雲と大和の戦い)の際、韓系諸語の繋がりで新羅は出雲王朝を味方したため、大和の不信を買うこととなった スサノオは新羅から降った韓神で、古代出雲人は韓系の言語を話していた。ズーズー弁は基層に新羅人の方言の影響がある その証拠に島根県にはスサノオを祀る『韓神新羅神社』がある 一方で、卑弥呼は扶余系シャーマンだったんだろう 「mountain」の発音が、上代日本語(OJ: 山 yama)と高句麗語(KG: 盒馬 γapma)で同じ これは邪馬台国のころから扶余系の言語を話していた証拠となる 西日本で2世紀まで盛んに創られた銅鐸が、3世紀になってから急速に作られなくなっており 大乱後の卑弥呼による新政治体制は文化面でも大きな影響を与えた可能性がある >>71 小学生でもわかる『ヤマト民族』の形成史 かんたん解説 http://www.gondo.com/gyarari/photo/kokunaiiseki/pic/doigahama/c5.jpg 半島南部から北九州弥生人(扶余系・朝鮮人)、土井ヶ浜弥生人(韓系・朝鮮人)が侵入 西北・南九州弥生人(プレ琉球人)を奄美・沖縄に押しやり、倭国大乱(北九州王朝と出雲王朝の争い)を経てヤマト民族が誕生 さらに東征し、東日本の蝦夷(プレアイヌ)をジェノサイドし、百済の王朝を奈良(那羅)にコピペして完成 日本海側に分布するヒトデ型の墳丘墓「四隅突出型墳丘墓」はプレ韓国人が作ったもの 古事記に敵役として出てくるイズモタケルはプレ韓国人、クマソタケルはプレ琉球人だろう 「葛」「茨」「塚」地名には先住民族を虐殺したというジェノサイダルな含みがある >葛城(かつらぎ) 奈良盆地の南西部、金剛山地の東麓を指す地域名 >神武天皇が、葛で編んだ網で土蜘蛛を捕らえたためと伝えられる >茨城(いばらき) 茨城郡の語源伝承によれば、茨蕀をもって土着先住民の国巣(栖)(くず)をほろぼしたという 葛城一言主神社 蜘蛛塚 (神武に虐殺された先住民の墓) https://img-cdn.guide.travel.co.jp/article/92/26708/3ED7AAF0F2CD4C339AD16667B6C22583_L.jpg 佐藤など、名字に「藤」が入ってる人達は高確率でO系(朝鮮系) >日本人の中で一番多い姓と言われ、東北地方にその大多数が存在する >佐藤氏の男性のY染色体ハプログループを解析した結果 >約70%以上が渡来人由来のY染色体ハプログループに属することが明らかとなった。 佐藤姓分布マップ 東北蝦夷(D系)をレイプしまくった佐藤さん(北上川下流に集中) http://myozi.web.fc2.com/spring/chizu/000001b1.gif Y染色体ハプログループ分析 鈴木姓 D=45% O=44% 高橋姓 D=38% O=53% 佐藤姓 D=24% O=61% Y chromosome analysis for common surnames in the Japanese male population doi: https://doi.org/10.1038/s10038-020-00884-9 >>76 だからその時代のどこに扶余系言語が半島にあるんだって それがつじつまあわんから百済によって作られた(4世紀以降)って言ってるわけだろ >>76 >上代日本語(OJ: 山 yama)と高句麗語(KG: 盒馬 γapma) 1ミリも似てないね バカ虫>>1 にはそれが同じに見えるんけ? 死んだ方がいいね >>82 Figure 1. The linguistic landscape of the Korean peninsula in time and space. https://static.cambridge.org/binary/version/id/urn:cambridge.org:id:binary:20201112154947009-0781:S2513843X20000493:S2513843X20000493_fig1.png 1a: ca. 3500 BC Proto-Macro-Koreanic separates from Proto-Japanic on the Liaodong peninsula and enters the Korean peninsula; 1b: ca. 1500 BC Proto-Japanic enters the Korean peninsula from the Liaodong and Shandong peninsulas; 1c: ca. 300 AD Japanic Puyo languages are spread from the Liaodong peninsula to the Korean peninsula; the Macro-Koreanic Han languages, Paekche, Kaya and Silla are situated in the south of the Korean peninsula; pockets of Japanic languages are scattered among Paekche and Kaya languages. Figure 2. Classification of Japano-Koreanic based on classical comparative historical linguistic inferences (adapted from Robbeets, 2015). https://static.cambridge.org/binary/version/id/urn:cambridge.org:id:binary:20201112154947009-0781:S2513843X20000493:S2513843X20000493_fig2.png Table 2. Korean linguistic chronology https://static.cambridge.org/binary/version/id/urn:cambridge.org:id:binary:20201112154947009-0781:S2513843X20000493:S2513843X20000493_tab2.png 「われわれの祖先が帰化人を同化したというような言い方がよく行われるけれども、そうではなくて、帰化人は、われわれの祖先なのである。 彼らがした仕事は、日本人のためにした仕事ではなくて、日本人がしたことなのである。(関晃 『帰化人』P.135)」 当たり前だろ 大陸や半島からの移住者は、日本人の祖先だ いまのシナ人や朝鮮人は、後世に北から移住してきた異民族の子孫 >>84 遼東から侵入? どっからわいてきたそのソース >>86 じゃあ今の中国人も韓国人もハプログループC2、N、Q多数派になってないとおかしいね >>89 日本人は文明人 シナ人や朝鮮人は野蛮人だ >>90 現代の中韓人が北からの移民というソースは? >>94 たとえバカウヨだとしても、日本人だからな お前ら朝鮮人より、人間のランクが絶対的に上回っている 武人の血 桓武朝において征夷大将軍として蝦夷征討に功のあった坂上田村麻呂の娘春子は桓武天皇の後宮に入り、葛井親王を儲けます。 葛井親王は、外祖父田村麻呂の資質を受け継ぎ弓術に秀でていました。親王が12歳のとき、嵯峨天皇隣席の下に行われた射礼(じゃらい)という儀式の余興で彼に弓を射させたところ、 百発百中であったため、参列していた坂上田村麻呂は、喜びと興奮の余り自慢の孫を抱き上げて舞を舞い、天皇に向かって、 自分の武芸など皇子(みこ)には到底及びませんと述べて、爺バカぶりを発揮したというエピソードが残されています。 葛井親王には棟貞王という子がいましたが、彼の娘は、清和天皇の更衣となり、貞純親王を儲けます。この貞純親王の子で、 源姓を与えられて臣籍に下ったのが清和源氏の祖・源経基です。つまり、源頼朝、源義経、足利尊氏ら清和源氏の武士たちは、 皆坂上田村麻呂の血を受け継いでいたのです。清和源氏が武門の家系となったのも坂上田村麻呂の血のなせる業なのかも知れません。 #坂上田村麻呂#清和源氏 日本古代史の真相は,天武天皇までの歴史は,日本の島を舞台にした歴史にまちがいないが,けっして,土着日本人の歴史ではない,人間の面からいえば,朝鮮半島の人びとがこの島に進出,あるいは亡命しつづけ,ついに故国と縁を断ち切り,新生の独立国として起つまでの歴史なのである。つまり日本史の主人公は半島の人たちなのだ ((荒俣 宏)) 瓠公(ここう)は、新羅の建国時(紀元前後)に諸王に仕えた重臣。また金氏王統の始祖となる金閼智を発見する。 もとは倭人とされる。 新羅の3王統の始祖の全てに関わる、新羅の建国時代の重要人物である。瓠(ひさご)を腰に下げて海を渡ってきたことからその名がついたと『三国史記』は伝えている。 赫居世居西干(かくきょせい きょせいかん )は、斯蘆国の初代の王(在位:紀元前57年? - 4年)であり、姓を朴、名を赫居世とする。 三国史記の朴氏の始祖説話に登場する瓠公は倭人であり、これが朴氏初代の朴赫居世ともいわれる。 日本側の記録では、『新撰姓氏録』において新羅の祖は鵜草葺不合命の子の稲飯命(神武天皇の兄)だとされている。 脱解尼師今(だっかい にしきん、タルヘ イサコミ)は、新羅の第4代の王(在位:57年 - 80年)で、姓は昔(ソク)、名は脱解(タルヘ)。 第2代の南解次次雄の娘の阿孝(アヒョ)夫人の婿。新羅の王族3姓(朴・昔・金)のうちの昔氏始祖。 脱解が船で渡来した人物であることを示す挿話などと併せて、出生地を日本列島内に所在すると見る向きが多く、丹波国、但馬国、肥後国玉名郡、周防国佐波郡などに比定する説がある。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる