権力とは何か、その起源は何か
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人を従わせる力=権力とすれば
その根源は軍事力であり暴力といえる
(従わなければ殺すという強制力)
しかし人間ひとりの暴力はたかが知れており
暴力装置そのものを従わせる権力の淵源が問題となる ・個人的資質、カリスマ
・血統
・宗教的権威
・経済的利益 一人の暴力が10人を支配する。
10人の暴力が100人を支配する。
100人の暴力が1000人を支配する。
権力とは、最初の一人の暴力を絶対視することから始まる。
この絶対視による支配が、カリスマ支配。
このカリスマ支配が世代化したのが、血統支配。 >>3
君主が反逆者に罰を与えるとしても、それを実行させる力が無ければ無意味だ
君主に従う手勢が、罰を与える
じゃあ手勢はなぜ君主に従うのだろうか? >>4
1人に対して10人が一斉に刃向かえばその前提はすぐに覆る
個人の戦闘能力などたかが知れているのに
なぜ絶対視できるだろうか 一斉に刃向かえない
・裏切者がいるかも(疑心暗鬼)
・みんな少しずつ遅れて刃向かうのでは、貧乏くじはやだ(ゲーム理論)
・俺が頑張らなくても隣が頑張るだろう
・俺はピラミッドの底辺じゃないもっと下を作ればいい
・まったり中間搾取 歴史上の君主殺しでは中国がランキングのダントツトップだろうな。
彼らの積極的な上昇志向は認めざるを得ない。 狩猟採集社会の部族には君主と呼べる存在はいなくて
仲裁者としての首長がいるのみってことを考えると
君主権力は農耕社会特有のもの
つまり暴力よりは食料の贈与が権力の源泉じゃないのかな >>9
中国との関連で言えば
伝説上の夏の創始者 禹は治水の成功により王に推戴された
水や食料を民に与えて飢えさせないことが権力の背景にあり
そこから逆に民を飢えさせる王は殺しても良いという思想が生まれた サピエンス全史によると
農耕がはじまってからおよそ都市国家というものが出来上がるまで
人間の死因の大半は農地を巡る他殺によるものという研究調査があるそうだが
まさにホッブズの万人の万人に対する闘争って概念が裏付けられたことになるな 起源から考えると生活共同体だろ
ひと家族で生活を守るより
10家族で集落を作れば、ちょっとした盗賊くらいは防げる
そして100家族の大集落同士が水路の調整で争う
その争いを請け負うならず者たちの出現 >>13
自衛を目的とした共同体が王政や専制に変化してしまうのは何故だろう >>4
暴力を背景にして他人を支配するのはカリスマ支配じゃなくて恐怖支配だろう
カリスマは簡単に言えば「人的魅力」
その人のいろんな意味での「魅力」に他人が従ったり、好意をもったりする 魅力で支配するって嘘臭い概念だな
そんな曖昧なもので支配権力を維持できるとは思えない
成功してるとしたら洗脳だろ >>16
いやいや、暴力で支配するのをカリスマ支配って言ってたから、
それは違うんじゃないの?ってこと
それは恐怖支配だろう 利益をもたらすことが権力の源泉
生命の保護も生存権に関する利益
利権構造の固定化が権力の固定化と特権階層の形成、世襲につながる 死ねば天国に行けるとか
死ねば靖国で会えるとか
それ自体が洗脳 天文学や農業などに精通していて、庶民に「もうそろそろ寒くなる季節ですよ」
「数日後に雨が降るでしょう」「こうやって栽培したら実が出来て食べられますよ」
などと教えれば、それが権威になっていく 天文学や農業などに精通していて、庶民に「もうそろそろ寒くなる季節ですよ」
「数日後に雨が降るでしょう」「こうやって栽培したら実が出来て食べられますよ」
などと教えれば、それが権威になっていく >>27
為政者はその名で発表するだけで
実際に暦を作成するのは専門の暦学者やろ >>28
専門家に命じる権力者はどこから権力を得たんだ >>23
自称神の子孫とかいくら古代でも妄想乙で終わりそうなものだけどな
信じる奴はどうかしている
それとも信じない奴は殺すとでもしたのか 神の子孫とその周囲にサクラを行う豪族
無駄な権威付けの式典
無駄な古墳
そして偽書
渡来人が作った道具をプレゼントして
土産話て誇張が広がる >>27
経験知でしょ
予言とか予想があたれば人は畏怖する
トッドがソ連の崩壊を予言したという一発で今でもEU情勢の託宣者となってるがごとく
彼自身には権威はあっても権力はないがその発言が人を動員し政治を動かすという力をもつということで
権力を構成する要因ではある >>33
トッドの家族理論って、一見してデタラメだとわかるシロモノだよな。 >>30
人間は弱い生き物なんだよ。自分より強いものには逆らえず、自分以外のものを信用できない。
そしたら、一番強いものに従うしかない。最初はそれ。
それで外敵をある程度駆除出来たら、今度はシステムを抑えたものが強くなる。
みんな、一番うまく経済を回せる人に従うしか無くなる。次はこれ。
ある程度食えて来たら、一番信用できるものがのし上がってくる。要するに無茶な暴力を振るわず、
食い物を生きていける程度には平等に分配してくれる奴。神や聖職者の信認を得ている奴。最後はやはりここ。
政治学的には、きつね型のエリートとかライオン型のエリートとか区分けしているが、用途に応じて必要な人材が
異なる。 古代のゲルマン人は気前の良い王じゃなければ従わなかった
そのため王は戦争で得た略奪品を分け与え、宴会で酒と肉を気前よく振る舞った >>36
自分より強いと言っても寝てる間に頭をかち割れば簡単に殺せるよな >>1
> 暴力装置そのものを従わせる権力の淵源
誤認があるようだ。
この書き方では暴力装置がアプリオリに存在するものになってしまう。
そうではなくて、
単なる「個の集合」が共同幻想へと遷移する過程で個の疎外或いは封鎖が進行していくわけだが、
その一局面が共同幻想による個の暴力の収奪であり、
収奪した暴力を共同幻想が独占管理/行使する為の仕組こそを暴力装置と云う。
共同幻想に「暴力装置を従わせる」何らかの正当性や淵源があるのではなくて、
「暴力装置が存在する」ことの正当性や淵源が共同幻想に拠るものだと云える。
これを要するに、共同幻想(権力)が暴力装置を創出するのであって既に存在するものを「従わせる」ものではない。
革命等に際して軍隊警察が国家権力から離叛する事例はよくあることだが、
これはむしろこれらの暴力装置自体が権力体に転化した結果とみるべきだろう。 >>40
暴力だよ。
暴力の規模・効力において相対的に勝る側が劣る側の暴力を収奪する。 >>42
共同幻想の成立過程初期にはそういう段階も想定できる。
但しこの段階では自警団は個にとって未だ幾分か客体であり続けているから共同幻想として十全の成立をみるに至っていない。
換言すると個にはなお選択の余地が残されている。
元来は個に帰属する暴力を自警団に委ねた上に富の収奪も許すことが己の存立の為に有利か不利かと云う選択が。
敢えて馬鹿馬鹿しい喩えを用いると、
あなたや俺は渋々ながらも徴税に応じるだろうが白鵬や村田諒太は鼻で嗤って断るかもしれない、と。
しかし「あなたや俺」が多数を占めて行って自警団と個のパワー(暴力)バランスの不均衡が或る閾値−−それを言語化・数値化することは遺憾ながら俺の能力を超える−−を超える時、
自警団の存在は個にとって内化されて理性や論理による選択は最早行われなくなるだろう。
恐らくここに至って自警団は共同幻想として明確に成立する。
共同幻想(権力体)と個の暴力不均衡が圧倒的に極端である場合、
即ち「国家」と「国民」の如き場合、
共同幻想自身が能動的に個に対して共同幻想の内化を強要していく。
その強要を「教育」と云う。
これもまた暴力を背景とする行為であることは論ずるに及ばない。
共同幻想確立後に生まれた子供たちにとってその存在は文字通りアプリオリなものである上に
物心付く前からの教育によって共同幻想の内化は第二の本能と呼び得るほどに深化する。
そこに於いては暴力が本来は個に帰属するものだという自然科学的事実は隠蔽されて、
偶々これを己が手に奪還せんとする思念が生じても内化された共同幻想が「それは悪だ」という規範意識を以てその発動を阻止するだろう。
振り切って発動すれば刑罰即ち権力体側からの剥き出しの暴力行使が待っている。
かくして共同幻想(権力体)の超越的暴力による個或いは下位幻想の暴力の収奪は確固たる自働運動として持続されていく。 >>44
権利も義務も無い。
哺乳綱霊長目に属する生物種ヒトとして一定の暴力行使能力を有する。
狼の牙や蜂の毒針と同じ次元の自然科学的事実。
ただそれだけ。
暴力について半端な価値や意味を付与すると当スレの議論は歪んでしまうだろう。 >>45
一応。暴力とひとくくりに言ってたたが、実際には個人の所有する暴力と、社会の所有する組織暴力は異なるものだと思うわ。 >>46
どうだろう。
ヒトを含む野生動物の暴力も「社会」のそれも、
『対手の同意無く我が意志の達成を目的として発動される物理力』
と云う定義に於いて同次元に在ると考えているが。
貴意は、事物の極端な量的差異は時に質的差異に転化し得るということだろうか。 定義次第だとは思うが、組織暴力は殺害範囲が大きく違うと思う。
個人の暴力→殴り殺せる範囲は数人、叩き殺せる範囲は数十人、それが暴力の限界。
組織暴力→斬り殺せる範囲、撃ち殺せる範囲は数百万、数千万人に及ぶ。 規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない。
— アメリカ合衆国憲法修正第2条
おかしな政府が暴力を独占するなら、人民は暴力によってこれを打倒して良い >>48
つまりあなたは暴力=殺害と考えると
拉致監禁、略奪や名誉棄損、性的搾取なんかは暴力の範疇には入らないという考えでよろしいでしょうか? >>50
横から口を出して申し訳ない。
拉致監禁、略奪、性的搾取、
これらについて云うと、それ自体は暴力ではない。
少なくとも今論じ合っている意味における暴力ではない。
これらの目的を達成する為に用いる、又は実際に用いずとも背景に置く物理力を暴力と云う。
名誉毀損、
これは如何なる意味においても暴力の範疇には全く入らない。
暴力という術語について、日常会話における同じ単語と安直に混同してはならないと愚考する。
失敬。 追記。
殺人もまた、それ自体は暴力ではない。
暴力の目的として設定される、或いは結果として生じる事象と解されたら良い。
>>48氏は「暴力の及ぶ範囲の大きさの違い」を以て個の暴力と組織暴力との質的差異を主張されている。
それを端的に説明する為に殺害可能数という物差しを用いられたものかと思う。 猿山のボスってのは喧嘩が強くて交尾を独占する力を持っているが
人間のボスのように紛争を解決したり財を分配するようなことはない インディアンとか狩猟部族の首長ってほぼ権力ないもんな >>55
「権力」とは何か。
定義については諸説あるが例えばみんなが大好きなWikipediaにはこうある。
「ある主体が自分の意思を、相手にとって望まない(不利益な)行動を、強制させることができる能力」。
仮にこれが正しいとすると、上に挙げた「暴力」の定義と殆ど同じだ。
従って紛争調停も富の分配も権力によって強制される「不利益行動」の一種でしかないと解釈され得る。
即ち「権力」定義の為の独立要件ではない。
それじゃあんまりだから、
俺はせめて「権力とは共同幻想としての暴力である」と定義したい。
と、すると、だ。
ヒト社会に於ける権力がボス猿の系譜に属するか否かは、
ボス猿に逆らわないという群内ルールを支えるものが
1. ボス猿とそれ以外の個体たちの間で放射状又は番傘状に発生した個別的直接体験による経験知
2. 上記の如き直接体験を有さない個体たちにも共有された概念
−−の何れであるかに懸かっている。
前者ならそれはボス猿とヒト社会の権力とは切断されているし、
後者なら系譜として繋がっている、即ち権力発生の淵源はボス猿に在りということになる。
こんな風に考えたんだが、どうか。 >>61
一つの軸は軸は直接暴力-暴力概念でいいと思う。
ただ、前レスにも書いたが、もう一つ軸がある。
恐怖由来の暴力支配に加えて、欲望由来の支配と愛情由来の支配のこと。
メシやセックス、親や神の命令にも、人は従わざるを得ない。 >>62
なるほど。
暴力以外の淵源もあり得る、と。
考え直してみると貴論が正しいように思われる。
漠然と思い付いたのは「祭祀由来の権力」。
貴論の中では「メシ」と「神」に係わるかな。
少し時間をかけて考えを深めてみたい。 ニホンザルの群れ 実はボスザルは存在しない
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO81435210Y4A221C1000000/
ほんらい野生の猿の群れに序列は存在せず、食べ物を奪い合うということもない
なぜなら野生では食べ物は別の場所に行けば取れるから
これは人間においても狩猟採集民の社会で争い(戦争)が少ないことに対応している
人間の飼育下で限られた食料を取り合うことで序列が生じるというのは農耕社会に対応している
農耕による土地への呪縛が人間に暴力と権力による災厄をもたらしたのかもしれない >>64
日本猿という人類とは遺伝的に遠い種の例と遥か昔に破綻した原始共産制ユートピア妄想とを無理矢理接合して何を主張しようというのか。
農耕に激しい憎悪を抱いているのは判るが、牽強付会が過ぎる。 追記。
「暴力と権力による災厄」というくだりから察するに、
学術語としての「暴力」「権力」と日常語のそれとをきちんと分離・整理できていないのではないか。
暴力も権力も様々な事象や作用を齎すが、それを恩恵と取るか災厄と取るかは受け取る側の主観でしかない。
それはあたかも地震や台風等の自然現象にも似て、
「ただ在るもの」のほんの一部を恣意によって切り取って矮小な価値付けをしたところで意義有る解析はできないだろう。 >>69
農耕以後の社会に入ってから人類の死因が他者からの殺害によるものがトップ
ついで農場・家畜由来の疫病
狩猟採集時代の方が栄養状態が良く、頭脳容積も大きかった
これは人類学的に証明されてる事実であって妄想ではない >>71
どうも議論の次元が隔たり過ぎてるんで無駄かとも思うが、少しだけ。
権力による災厄と云うが、権力体も戦争も無い世界がどういうものか、原理に遡って考えてみることを奨める。
それは即ち、
権力体(共同幻想)による個の暴力の封鎖・収奪、及び権力体の暴力装置への独占集約の無い状態ということだ。
換言すれば個の生存・安全が個自身の暴力のみによって担保される「完全自力救済」に他ならない。
「権力による災厄」や(貴論によれば)その起源となった農耕を激しく憎悪する貴公は、そんな世界を望むのだろうか。
「平和」は、共同幻想の暴力によってのみ実現される。
それは現実であると同時に原理でもあることを忘れてはならない。 >>72
いちいち言い回しがキモいな
狩猟採集民の社会ではそもそも過度な紛争ってものが起こりようがないんだよ
土地と収穫に縛られるからこそ大規模な領域争いと殺戮が発生する
文化人類学の書籍を読んでみなさい 事実として狩猟民は無駄な争いを避ける傾向がある
ひとつの土地に定住しないので他のグループと縄張りがかち合えば別の場所に移動すれば良い
縄張り内で養える食料自給を超えて人口を増やさないので、一人あたりの栄養状態は農耕民と比べて豊富
したがって>>72がいうような完全自力救済でもさして問題は生じない >>76
ヒトも生物種の一つである以上、絶対の利得は「安定した環境下における生存・生殖」だ。
ここに議論の余地は無い。
そしてその実現を阻むものは何も「権力による災厄」やヒト個体間の暴力ばかりではない。
否、むしろそれらは生存阻害要因としては小さいものとさえ云える。
では最大の脅威とは何か。
それは 飢 餓 だ。
狩猟採集生活による社会にヒト同士の争いは少なかろうとも、恒常的に飢餓に晒されている。
如何に個体数が少なかろうとも、自然環境はそれに対して充分な食糧をいつも保証してはくれない。
移動さえすれば食糧が手に入るというのは剥き出しの自然環境を知らない現代人の妄想でしかない。
農耕なる生産手段やそれに立脚する権力は飢餓から少しでも遠ざかって安定した環境を獲得すべく発生発達した。
そしてその環境の維持行為の別名こそが、権力体による暴力の独占と行使だ。
それを「災厄」と呼ぶのならば、災厄の排除と引き換えに得られる利得とは何なのだろうか。
「災厄」が如何に大きかろうともそれと一体不可分の利得の方が生物種ヒトにとって遥かに大きいと認めたからこそ、権力体という共同幻想は今日まで持続されたのではないだろうか。 追記。
生物種には種の生存が不可能になる個体数下限の閾値が存在する。
ほぼ全ての種はそのようにして絶滅する。
狩猟採集生活以外の生活手段を持たないならば、「縄張り内で養える」ヒト個体数がそれを下回った時、ヒトという種の絶滅が確定する。 >>77>>78
だから栄養状態は狩猟採集民の方が良好なんだよ
これは人骨の解析から判明してること
森林や草原では多様な食料が自然に手に入るので栄養バランスは勝手に最適化される
これに対して農耕ではひとつの食料に依存し、栄養バランスが悪く体格や脳の発達にも悪影響を及ぼす
農地が天候不順で駄目になればそのまま餓死する
狩猟採集生活=飢餓っていうイメージこそもう古い固定概念でしかないわけ
人類種の歴史100万年に対して農耕の歴史は数千年程度しかないが
逆に言えば狩猟採集生活で絶滅することもなく100万年種として存続してきたということだ
農耕は人口を増やしたが、一人一人の生活水準は落ち、そのうえ土地や食料に縛り付けられ暴力や紛争によって命を落とす
これこそまさに災厄じゃないか?笑 豊かな狩猟採集民は貧しい農耕民にやがて駆逐されていく運命あるが
これは農耕民はその性質上人口増加率が食料増産率を上回るので
常に勢力を拡大する必要があり、かつ狩猟採集民と比べて圧倒的な人口と軍事力を持つから
常に拡大の必要に追われる農耕民の征服に狩猟採集民はこうして屈していき
現在地球上に楽しく暮らしている狩猟採集民族は数える程しか残っていないというわけ >>79
狩猟採集を事として自然環境の中に生きたヒト科の生物は、ただ一種を除いて全て絶滅した。
生存しているのは絶滅する前に農耕、権力体、暴力装置を発見したホモ・サピエンスという種だけ。
この事実の意味を考えてみることだ。 >>79
まさか…とは思うが、
猿人「から」原人が、原人「から」旧人が、旧人「から」新人(現生人類)が単系統で「進化」したなんて十九世紀の学説を信じてやしないよな? >>79
まさか…とは思うが、
猿人「から」原人が、原人「から」旧人が、旧人「から」新人(現生人類)が単系統で「進化」したなんて十九世紀の学説を信じてやしないよな? >>81
農耕を獲得したことによって人類が絶滅を免れたとでも?w
それは大きな勘違い
ホモ・サピエンス以外の人類種はホモ・サピエンスの登場時にもいくつか存在したが
ホモ・サピエンスの進出と同時に絶滅していったのだよ
農耕発明のはるか前の時代だから農耕の有無とはなんの関係もない
自説を通すための嘘も大概にしなさい >>83
人類はある日ある人によりある人の遺伝子を元に作られたんだよ
だから似た種が存在しない ダンバー数を超える集団を形成できる霊長類はヒトだけ 農耕の開始→閉鎖的なムラ社会の出現→
ムラの権力者の誕生→部族・ムラ同士の争い→
余剰生産物を消化する市場の出現→四日市
→八日市→廿日市→ムラ長権力を超える巨大な
都市権力の誕生→領域国家の出現→国際貿易と
国家紛争→多国籍企業・グローバル権力の出現→宇宙開発 恐怖だけで支配しているように見える北朝鮮
ですら、辛いだけに見える軍役を続ける
メリットはある
これをやる事で出世の余地がある
ボスには最低でも自分を守る親衛隊にだけは
食料や金を配る能力が要る
元々ムラの権力者の言う事には恐怖だけでなく、
どんなに理不尽に見えても村の維持に必要に
見える説得力がある
収奪するだけの植民地主義者ですら一見
まともそうな事は言うのである >>90
村社会っていうか家族共同体だろう
最初の農家は >>92
最初は逆に家族では難しい気がする
ムラ単位である程度ムラが出来ないと
家族単位で農業は出来ないのではないか? 初期の原始的な農業は種蒔くだけで終りやからな
耕したり肥料を与えたりするようになるのは
その後の技術や >>91
確かに北朝鮮は恐怖だけの支配ではない、システムによる統治を行っている。
北朝鮮の本質は絶対君主制の身分制国家。
普通の身分制国家は、武士>商人>農民 となるのを、
北朝鮮型身分制国家では、軍人、官僚>平壌市民>その他農民 として、
分割統治を行っている。
北朝鮮の軍政は、米帝が怖いからだけではなく、それ以外の統治方式では、
絶対君主制を維持できないからそうしている。
全ては金王朝のために。 >>93
数世帯程度の血縁集団が村落のスタートではないかな。 >>96
血縁は生物学的実体。
村落(ムラ)は共同幻想。
範疇の全く異なるものだから「始まりは」と云って同一地平上の連続性を想定するのは誤りと云わざるを得ない。 >>98
せっかくこんなスレに書いてるんだから日常感覚の無自覚な延長でものを語ることは止めて、
単なる群れと共同体とは全く次元の異なるものだ、という学術上の常識ぐらいは知った方が良い。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています