権力とは何か、その起源は何か
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人を従わせる力=権力とすれば
その根源は軍事力であり暴力といえる
(従わなければ殺すという強制力)
しかし人間ひとりの暴力はたかが知れており
暴力装置そのものを従わせる権力の淵源が問題となる 神のお告げ
神の子
神の代理人
そもそも王が神
好きなのを選べ 神が法に取って代わらないと安定的な支配はできないぜ >>239
なんにせよ「人ではないもの」とされるなにかが支配してただろ 古代人の世界には神は実在してたよ
それを現代人が意識の変容だの集団幻想だの呼んでもそれは今の世界での理解に過ぎない >>241
じゃあなんでそろいもそろってみんな「神」を自称したの? 「神」という権威をまとわなければ支配もままならなかった、と考えるのが普通ではないか
中国は天子(天という唯一神の送った子供)だし コロナでの政府批判などみても
ただの人なら殺されないかと思う勢いがあるだろ?
先導する者も当然いたんだろうが、それを乗り越える統治が必要 >>246
神を自称してても殺されるときは殺される
中国の天子も徳がないとされて殺された ギリシャでもその他でも、それはほとんど内部で殺されたんでは?
民衆が神に問い詰めようとはしにくいはず 支配者と被支配者の格差が充分に大きくなければ、支配者を神とするような壮大な嘘は成立しない。
普段から身近に触れ合える近所のおっちゃんを神と信じ込むのは無理のある話だからだ。
だから古代の王は顔や姿を一般に表さずに神秘性を演出した。
民衆が神である王を容易に殺せないのは、物理的に離れているからでもある。 「政治権力を子供に対する親の権力になぞらえようなどとは、日本以外にいる現代人にとっては思いもよらぬことであろう」(ラッセル)
これは明治憲法下の日本を指しているようだが、実は今でも根底にはこの構造がある。
(江戸期における檀家制度、とりわけ最大勢力であるところの浄土真宗における王法と仏法並びに家族制度の関係を考えよ) >>251
政治権力は父権から生まれたからあながち間違いとも言えない
父権の延長で社会が発展したのが東アジア >>252
それでいて周の王家は「姫」姓だったり
日本神話の最高神は女神だったり 権力の掌握って意味では
軍内部の1グループが蹶起して政権を掌握するクーデターというのも不思議だ
ほんらい少数派なのだからすぐに処刑されそうなものだ コロナ禍においては、ワクチンを与える存在に権力が集中してしまう かつては病気の治療は偶像だった
偶像を買えば病気がなおるとされていた
治らなければ信仰心が薄いとかで 中世ヨーロッパでは神の祝福で病気を治す力が国王にはあるとされた 権力者が与えなければならない優先度は以下のようになる
生命→富→名誉 アフガニスタンの例をみれば
単なる暴力によって築かれた権力が
いかに脆いかがわかる そら国民みんなイスラムなのに反イスラムみたいな政治擁立したらそうなるやん >>1
山賊が守ってやるから食べ物出せってのが
税の起源だろうしね 権力は暴力
仮に核爆弾でも無傷なUFOが現れたらそいつに支配される 権力は暴力
仮に核爆弾でも無傷なUFOが現れたらそいつに支配される 暴力による支配は暴力により覆される
だから権威が必要なのだよ 頭のなかで描かれた世界に、具体性が伴う。自身が創造した中世像をまとめた。 暴力によって日本の元首相が暗殺された
国で一番の権力者でも生身の人間であれば簡単に殺される 権力が君主から重臣に徐々に移って、特に有能な初代から未熟な2代目に代替わりした際に重臣が実権を掌握し君主は実権のない傀儡になったり、完全に簒奪され王朝交代という事例をよく見ますが、
1.どうすれば権力が重臣に移るのを防げるのか?
2.どうすれば2代目に権力を完全移行できるのか?
3.どうすれば傀儡としてでも存続し王朝交代を防げるのか?
が疑問です。私見では
「どうすれば権力が重臣に移るのを防げるのか?」につき、
君主が重要な意思決定を自ら行い、それが忠実に履行されたか確認する案。
しかし意思決定の判断材料となる情報収集や意思決定が忠実に履行されたかの確認も全てを自身ではできず、部下が虚偽の報告をする懸念がある。
監察官を置いて部下の報告の真偽を確認させる案。しかし監察官も買収される懸念が。
少数の部下への権限の集中を避け、なるべく分散させる案。
部下同士の権限争い、派閥抗争が起き各派が自派に有利な情報だけ報告進言する懸念。
宦官のように係累の少ない者を重用する案。宦官と非宦官の派閥抗争の懸念。
「どうすれば権力を完全移行できるのか?」につき、
2代目に業務を手伝わせ承継の準備をする案。自分と2代目の意見対立、お互いの側近団の派閥抗争の懸念。王太子を家臣と同列の役職に就けたら王家の権威を損ねる懸念。王太子のだけの特別な役職を作ればいいか。
ああ、書いてて無理だと思えてきた。でも中国の長期王朝や江戸時代の徳川家みたいに完全に傀儡になるわけでもなくそれなりに権力を保持したまま何代も存続できたのはなぜでしょう? >>277
君主の権力が大きく、臣下の権力が小さければ簒奪はしづらい
君主に比肩するような勢力が臣下から出ないようコントロールすることが必要
そのためには臣下の勢力を均衡させ
かつ互いに牽制するようなシステムが必要になる
その点徳川幕府のシステムは良く出来てるといえるだろう
親藩・譜代・外様といった格差に加えて
官位官職による細かい家格のヒエラルキーを作った
上位の親藩譜代には重要地域を治めさせたが、大きな領地は与えなかった 君主の権力が次代にスムーズに引き継がれることも重要
強大な君主権力が兄弟間で分割されるとあっという間に弱体化してしまう
フランク王国もこれで王より宮宰が力をつけた
日本の武士も長子相続が確立されるまでは頻繁に御家騒動が生じて
執権や家宰などと呼ばれる権臣の勢力伸長がみられた 初代の王は戦乱を勝ち抜いて統一王朝を作り上げる
この時に二代目も指揮官として軍に従事している事が重要な要素になる
新たな王朝の初期は軍が権力の源泉となる
軍事経験がない二代目では軍を統率出来ず実権が握れない
徳川幕府は軍事経験のない三代目の家光への権力移譲に備えて政略を駆使して体制固めを行なった
家光が将軍についたのちも軍の実権は秀忠が持ち続けて体制を維持していた
その間に参勤交代や領地変えといったもので外様の有力勢力の力を削いで中央から離した
更に譜代の家臣でも有力者は謀反の罪を被せたり過大な報酬は与えず血族以外は領主とせず排斥していき官僚化していった
そうして野心を見せれば粛清するという雰囲気を作ることで封建主義から絶対王政に近い形へと移行していった
しかし江戸幕府は未だ天皇を形の上だけとは君主として抱いていた
また東北にも九州にも未だ有力な大名が残り絶対王政までには至る事がなく、関東中心の幕領の安定統治を行い徳川家という巨大勢力によるパワーバランスによって日本は戦争がない250年の安定期に入った >>280
織田信長も豊臣秀吉も軍権を継ぐ適切な後継者がいなく、没後政権は瓦解したな
信長は長子がいたが本能寺の変で一緒に死亡
秀吉は秀次を立ててたが我が子可愛さに自分で殺してしまった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています