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【資料】カルタゴについて語るスレ3【少な過ぎ】

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001世界@名無史さん
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2021/06/26(土) 21:30:20.590
地中海の女王と呼ばれ輝かしい栄華を誇ったにも関わらず、ローマに破壊し尽くされ資料が殆ど残ってないカルタゴ
政治、軍事、気候、宗教、特産品、文化、人物、都市伝説等…
何でも良いんでカルタゴについて語りましょう
フェニキアもオッケーです

過去スレ
【資料】カルタゴについて語るスレ【少な過ぎ】
http://itest.5ch.net.../whis/1601702440/l50
【資料】カルタゴについて語るスレ2【少な過ぎ】https://itest.5ch.net/test/read.cgi/whis/1611295643/l50
0002世界@名無史さん
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2021/06/26(土) 21:32:12.990
過去スレ1が上手く繋げませんでした
前スレがいっぱいになりましたら、此方にお願いしますね
0003世界@名無史さん
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2021/06/28(月) 12:52:26.420
前スレが埋まったよ
今度はこっちで宜しくね

ところでクスクスってカルタゴの頃からあるのかな?
0004世界@名無史さん
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2021/06/28(月) 15:31:38.170
前スレが埋まったよ
今度はこっちで宜しくね

ところでクスクスってカルタゴの頃からあるのかな?
0006世界@名無史さん
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2021/06/29(火) 12:38:32.360
カルタゴの戦いってヒメラとポエニ1〜3くらいしか知らない
詳しい人教えて
0007世界@名無史さん
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2021/06/29(火) 21:25:33.660
シケリア戦争でくぐるのはどうでしょうか?
0008世界@名無史さん
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2021/06/29(火) 21:42:49.140
>>7
サンクス
シケリア戦争ね
0009世界@名無史さん
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2021/06/29(火) 21:43:14.670
>>2
遅れたけど乙な
0011世界@名無史さん
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2021/06/30(水) 23:31:06.810
前1200年のカタストロフ- Wikipedia より

「キプロスの繁栄

キプロス島も海の民の侵入を受けた。しかし、前12世紀中には復興して躍進したことが
考古学的調査から明らかになっており、港町エンコミ (en) 、キティオンでは大掛かりな
建築物が構築されるまでに至っていた。キプロスで採掘される銅は精錬され、エジプト、
シリアへ送られていることも明らかになっている。

キプロス島はレヴァントと商業的、文化的に密接に結びついており、エンコミ、
キティオンではオリエント的影響を受けた建築物、神殿の奉納物が発見され、また、
キプロスで発見される土器もシリア、パレスチナのものが多い。
このことからキプロス島とペリシテ人らのと間に密接な文化的つながりがあったことが
以前より注目されており、このつながりが取引のネットワークと化し、前11世紀後半に
はフェニキア人とペリシテ人らとの間で商業取引が行われたことが想像されている。」

ペリシテ人の領地「Tel Mor」で紫の染料の跡が発見されています
ペリシテ、キプロス、フェニキアのバイクローム土器は関連性が指摘されています
0012世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/01(木) 00:18:13.110
ペリシテ人 = ミケーネ人 = アカイア人 = ドーリス人

カルタゴ - Wikipedia より

「 政治

カルタゴの政体についての判明事項は極めて乏しい。最も有力な手掛かりは紀元前4世紀
の哲学者アリストテレスの著作『政治学』の中の記述であり、それによると以下の3つの
特徴を持つ。

1. クレタ、スパルタとカルタゴの政体は非常に似ていること
2.「王政」「貴族政」「民主政」の長所を併せ持っていること
3. 実質的に「貴族政」「寡頭政」であること 」

私見ですが、フェニキア人は主にフルリ人(カナン人)、ミノア人、ドーリス人(ペリシテ人)
の集団であったと推測します

カルタゴの政治体制がクレタ、スパルタと似ていたのは、ミノア人、ドーリス人の
影響ではないでしょうか

カルタゴでフルリ人の影響が見られないのは、フルリ人は主に東地中海沿岸に居住し
紫色の染織、オリーブオイル、ワインの生産に従事していたからではないでしょうか
一方、地中海の海洋交易・植民市(交易地)は主にミノア人とドーリス人が従事していた
からではないでしょうか

ティルスを中心とする東地中化沿岸のフェニキアでは政治体制が王政であったのに
対し(カナンの政治体制の王政が継続されていたと個人的におもいます)、
カルタゴはフェニキアと別の政治体制だったことも、フルリ人とミノア人+ドーリス人
に分かれていたのではと考えられると思います

カルタゴは、エジプトのナウクラティスに居住していたフェニキア人が建国したと
個人的に推測します
0013世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/01(木) 00:36:10.790
>>11
https://4travel.jp/travelogue/10853447
後期青銅器時代でも特に紀元前1300年頃になると土器の表現様式が大きく変わりはじめ、
波や渦など幾何学的で規則性のある模様が見られるようになります。

紀元前1300年頃になると、ミケーネ人が植民を開始した影響が陶器の文様にも大きく影響しているとのことです。
https://cdn.4travel.jp/img/tcs/t/pict/src/32/21/62/src_32216204.jpg?1390746532


これはミケーネ人ではなくフェニキアの土器
https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=phoenician%20pottery&;aq=-1&ei=UTF-8&fr=sfp_as&meta=vc%3D&oq=
渦巻ぐるぐるはフェニキア

BC1200年以降にフェニキアが早い段階でキプロスを制圧した
0014世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/01(木) 00:43:07.130
イスラエルの土器にもこの渦巻ぐるぐるが出てくる

イスラエルはフェニキア側についた

だからダビデ、ソロモンとヒラムの関係がある
0015世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/01(木) 00:49:14.020
フェニキアはキプロスを滅ぼしたあと、そこを足がかりにして海を行く船をかたっぱしから沈めた

ギリシャはtrireme(三段櫂船)を使っていたがフェニキアは二段

この船のさきっぽを相手船にぶつける方式はフェニキアが発明し、その後地中海を席巻する原動力となった

ローマに至ってもこの三段櫂船が必須だったことを考えても

この衝角つきガレー船は圧倒的な能力を持っていたことがわかる

フェニキアはキプロスを支配したあとクレタ島も支配し、ギリシャの島々から黒海の沿岸まで支配地をのばし
西はシチリアやカルタゴにまで影響力が見られる
0016世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/01(木) 01:01:06.950
ギリシャがフェニキアに似ていたのは当たり前だ

暗黒期てのはフェニキアがギリシャ支配して文字なんかを教えてた時期

これはアッシリアがフェニキアを攻撃してティルス以外の沿岸地域すべて支配するまで(BC8世紀)まで続く

そこに至ってギリシャが独立、独自の文字を持って歴史に登場
0017世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/01(木) 01:07:20.390
>>13
キティオンにミケーネ人が入植してたのは知らんかったな

一部の記載は13世紀始めにアカイア人としてるけど
記憶によれば違う地域でモザイク状の入植イメージでしたね

時期的にカタストロフと関係あるんだろうか
0018世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/01(木) 02:35:46.400
【Philistine Bichrome Pottery: The View from the Northern Canaanite Coast】

「Under the designation “Philistine,” Burdajewicz also includes all kinds of bell-shaped
bowls with painted spiral decorations, the Phoenician Bichrome group that he believed
was Philistine-influenced, and numerous sherds of various vessels bearing two- colored
decorations, all of which he considers either definitely or possibly Philistine. 」

「This is extremely misleading; for example, as indicated above, the virtual equation of
“Philistine” with two-colored decoration led Burdajewicz to suggest that the Phoenician
Bichrome decoration derived from Philistine pottery (1994: 95).」
http://dor.huji.ac.il/Download/DorProj.Data/PDF/AyeletMazarFS-1159453708/AyeletMazarFS.PDF

フェニキアのバイクローム土器はペリシテ人の影響を受けているのではないかと研究
されています
0019世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/01(木) 05:36:49.290
上の論文では

「Conversly, T. Dothan and M. Dothan (1992), for example, have posited two waves of
immigrants, the first of “Sea Peoples,” “Proto-Philistines,” or even the biblical Anakim,
and the second of Philistines (although they often dubbed the initial, earliest
Mycenaean IIIC phase as “Philistine” [e.g., T. Dothan 1998a: 154]).」

最初に「海の民」としてのプロト・ペリシテ人、その後にペリシテ人と2度の移住の
波があったのではという説もあるみたいです

「 PhB. T. Dothan, for example, states that “Philistine pottery and that associated with the Tjekker is identical” (1982: 69) 」

ペリシテ人の陶器とチェケル人と関連がある陶器は同一であるという意見もあるそうです
0020世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/01(木) 05:43:23.120
【ペリシテ人の起源】

「ミトコンドリアDNA(mtDNA)およびY染色体DNAのハプログループも明らかになって
います。mtDNAハプログループ(mtHg)はU3b1a・T2c1c・H4a1cなど多様で、男性4人の
Y染色体DNAハプログループ(YHg)はJ・R1・BT・Lです。」

「本論文は、ペリシテ人の起源地としてヨーロッパ南部の可能性を提示していますが、
さらに限定するには、キプロス島やサルデーニャ島やエーゲ海地域の青銅器時代〜
鉄器時代の人類集団の古代DNAが必要になる、というわけです。」
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_16.html
0021世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/01(木) 07:37:48.330
>>19
アナキンではないかww
0023世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/01(木) 18:54:23.650
>>18
https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=Bichrome%20Pottery&;aq=-1&ai=4880c37e-43e8-49de-8465-ada772d020be&ts=717&ei=UTF-8&fr=sfp_as&meta=vc%3D
全然違うだろw

フェニキアのは目玉親父みたいなまんまるが土器の正面にくるようなのが典型的
これがキプロスではBC13世紀あたりから出てくる

横方向に線があるように見えてもそれは上からみたら渦巻くるくるっぽいのがフェニキア

ペリシテがフェニキアなんかではなく
フェニキア、イスラエルはそれらと敵対した勢力
0024世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/01(木) 20:11:35.440
カナン人の遺跡で発見された赤と黒の陶器に、考古学者たちは頭を悩ませてきた。
北西に約1200キロも離れたカフカス山脈で見つかった陶器に酷似している

テル・シクモナはキプロスを除き“ブラック・オン・レッド・ウェア”
(フェニキアおよびキプロスに特徴的な黒と赤のインクで幾何学文様が描かれた容器)
が最も残っている遺跡

ペリシテバイクロームウェア
文体の特徴には、鳥、魚、帆船の一般的なミケーネ文明のモチーフが付いた白いスリップ
に赤と黒の絵の具(つまり、バイクローム)を使った装飾の使用が含まれます。
陶器の形はミケーネ文明のルーツを保持していますが、キプロスの影響は背の高い細い首
の使用によって見られます。バイクロームの陶器に見られるミケーネ文明の鳥の文体表現
は神聖であると見なされ、ペリシテの船のレリーフにも登場しています。
0026世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/02(金) 00:19:23.530
>>25
これ、凄すぎない?
紀元前4500年にこんな高度な事を?
0027世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/02(金) 03:40:24.140
「古代の地中海世界」のスレより

イスラエルに棲息している野生のイノシシの起源はヨーロッパ、古代人がヨーロッパから持ち込んだ可能性
http://jp.sciencenewsline.com/articles/2013110423390003.html
イスラエルに棲息している野生のイノシシは世界中に棲息している他のイノシシと似ている。
そのため、これまでイスラエルに棲息している野生のイノシシはエジプトやイランから、
中東へと広がった他のイノシシの親戚だと考えられてきたがそうした考えは間違いであることが判った。

Tel Aviv Universityの考古学研究チームと古代中東文化研究チームが共同研究の結果から、
イスラエルに棲息している野生のイノシシはイスラエルの周囲の国々に棲息しているイノシシとは異なり、
ヨーロッパに起源をもつことを発見した。

遺伝子解析と考古学的分析の手法を用いることにより、
研究チームは、イスラエルに棲息している野生のイノシシは3000年前に
ペリシテ人や他の侵略者によってイスラエルに持ち込まれた家畜のブタが野生化したものだという可能性を見つけた。

そして研究チームはこの研究成果を今週号の「Scientific Reports」を通じて発表した。

「我々が行った遺伝子解析の結果から、
イスラエルに棲息している野生のイノシシは紀元前900年頃の鉄器時代のヨーロッパで飼育されていたブタの子孫であることが証明されたのです」
とTel Aviv UniversityのProf. Finkelsteinは述べる。
「また、ペリシテ人の遺跡から大量のブタの骨が見つかっていることを考慮すると、ヨーロッパのブタは、
ペリシテ人の船舶によってイスラエルに運ばれてきたものだということが言えるかもしれません。」

イスラエル南部の海岸沿いにあるペリシテ人の遺跡で見つかってきたブタの骨は、紀元前1150〜950年頃の鉄器時代の遡ることができるが、
こうしたブタの骨は、イスラエルの同年代の他遺跡ではまったく見つからないか、見つかったとしても非常に稀な存在となる。
0028世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/02(金) 03:48:09.990
「古代の地中海世界」のスレより

ゲルハルト・ヘルムのフェニキア人って本だと
海の民とフェニキア人が集合して商業航海に乗り出したとある
ミュケナイだと竜骨のある船が使われていたが、
シリアやエジプトでは青銅器時代は平底の船しかなかったというのだ
ギリシャよりフェニキアの方が海の進出が後進であったという説

ペラスゴイ=ペリシテ  エトルリア=トゥルシア=トロイア など
0029世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/02(金) 03:51:45.910
「古代の地中海世界」のスレより

エーベルハルト・ツァンガーの本でもペリシテの都市エクロンとトロイアの平面図を
比較して類似性指摘してたな(甦るトロイア戦争 P328・329)
エクロンの工人などの区画整備や戦車を使う戦術など当時のユダヤ人よりは進んでいて
海の民は野蛮人の集団ではなく先進的な連中だったと唱える

ツァンガーはドーリス人はバルカン半島からの侵入者ではなく、
トロイア戦争から帰還した連中が、留守の間権力握った連中に海に追い払われて
それらが復讐の為に数十年後に逆襲したものがドーリア人の征服だと言うが、
同民族の内乱で 文字すら失われる文化的打撃が生じるとは考えにくいので承服しがたい

メディネト・ハブの壁画やタイルに描かれたペリシテ人は皆ガイル少佐みたいな髪型か
被り物してる
着てるものは甲冑なのか服なのか判別しかねる

ついでに 地中海には潮の満ち引きがない
0030世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/02(金) 03:55:04.190
「古代の地中海世界」のスレより

エジプトのタイル板だとペリシテ人(ロトの勇者みたいな髪型したヤツ)は肌の赤い姿で
表現されてるのでギリシャ人とは近しい種族には見えないね
ヒッタイト人、アモリ人、ミタンニ人、カナン人は肌は黄色っぽく、ヌビア人は真っ黒の
肌で表現されている
http://realhistoryww.com/world_history/ancient/Misc/Common/Egypt/Corpus.htm
0031世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/02(金) 04:11:49.280
フェニキアの語源の説の一つに「赤い肌のアジア人=フェンクー(Fenkhu)」

【古代の歯石から判明、聖書に登場するペリシテ人の食事はアジアン】

現在イスラエルがある土地に3000年以上前に埋葬された遺体の分析から、
彼らの食卓には大豆やターメリックといったアジアの食材が載っていたことがわかった。
0033世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/02(金) 07:39:07.900
>>27
これはそもそもアナトリアの豚の起源が
元々は新石器人が持ってきた中東豚が飼育されてたのが
ヒッタイト頃になると欧州起源のモノと置き換わってきてるんですよね

おいなら印欧語族の拡大によるものとみますが
0035世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/02(金) 22:19:55.160
まずフェニキアを考える時は二段櫂船というゲームチェンジャー的発明をみよう

これは銃や核兵器と同じレベル

これを持った側は全く序列を変えてしまう

アッシリアの壁画には海軍としてのフェニキア人が書かれており、明らかにこの衝角付き櫂船が描かれている

フェニキア人はこれでそれまで跋扈していた海賊をしずめまくって地中海を完全制圧した
0036世界@名無史さん
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2021/07/02(金) 23:02:52.010
>>30
ヒゲカッパ率高過ぎw
流行ってたのかね
0037世界@名無史さん
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2021/07/02(金) 23:10:12.720
ふーむ、バールなのかと思ってたが違ってましたね

>>25

ベエル・シェバは「7つの井戸」ないし「誓いの井戸」の意味で、その名前自体が旧約聖書の『創世記』と関連がある。アブラハムがその地でゲラルの王であるペリシテ人のアビメレクと井戸などに関する誓いを交わしたことが由来とされているからである[30]。ただし、『創世記』には、アブラハムの子イサクもアビメレクと誓いを交わし、それが都市の名前の由来になったという記述がある[31]。町の由来が重出している背景として、伝承が一通りでなかった可能性を指摘する者もいる[32]。また、ベエル・シェバの名は『士師記』ほかでパレスチナ全土を示す際の南限として、しばしば言及されている[33]。

テル・ベエル・シェバの発掘調査は1960年代から1970年代に行われた[12][29]。紀元前4千年紀の遺構は発見されているが、青銅器時代に一度放棄された[25]。鉄器時代初期にようやく再建されたが、その間の約2000年間は打ち捨てられたままであったため[25]、アブラハムらがいたと考えられる時代に人が住んでいた形跡は確認されていない[29]。紀元前1千年紀の大都市の遺構は発見されているが[29]、破壊と再建が繰り返された[25]。

テル・ベエル・シェバにも水利施設の遺構が残っているが、2箇所残っている遺構はどちらも鉄器時代のものである[25]。
0038世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/02(金) 23:17:20.430
>>36

チョンマゲを捕まれると負け的なルールを感じますので
ハゲならセーフなのではww
0039世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/03(土) 06:41:55.020
Philistines(ペリシテ人) - Wikipedia より

「they formed part of a large scale immigration to southern Canaan, probably from
Anatolia and Cyprus, in the 12th century BCE.」

ペリシテ人はおそらくアナトリアとキプロス島から一つの集団(民族群)として構成し、
紀元前12世紀に古代カナン南部へ入植したと考えられています

>>19から 入植に当たって2つの波があったと推測されています
第1波はパレスチナ北部のチェケル人として、
第2波はパレスチナ南部のペリシテ人として入植したのではないでしょうか

ドル(チェケル人)は旧約聖書によればマナセ族に征服されます
その後アシェル族、フェニキア人に組み込まれたのではないかと思います
アナトリアにあるカラテペ遺跡には、フェニキア文字と象形文字ルウィ語の両方で
記された紀元前8世紀の碑文が残されています

>>20から ペリシテ人のDNAに多様性が見られるのは、異なる民族で構成されていた
ことを示唆するのではないでしょうか
0040世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/03(土) 07:02:34.000
「古代の地中海世界」のスレより

青銅器時代後期のキティオンはキュプロス島の重要な集落だったが、
フェニキア人が入植する前は150年ぐらい放棄されている

もう一つフェニキア人のコミュニティがあったのは、
原住民の町があった南部海岸のアマトゥスの港である。

とのこと。
という訳で普通にギリシア人の方が先なんじゃないのかな。
0041世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/03(土) 07:11:47.790
青銅器時代後期に、東地中海沿岸地方の都市やキプロス島の都市が放棄されている
時期があります
紀元前1780年頃に地中海で起きた地震と関係があるのではないでしょうか
0042世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/03(土) 07:56:52.480
>>38
バラエティかいw
0043世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/03(土) 18:13:45.530
>>40
ギリシャのが先で、海の民がまずクレタ島を制圧し、キプロスも支配した
それをかなりはやいうちにフェニキアが征服

だからBC1300年あたりですでにフェニキアのぐるぐる渦巻土器が出てくる
0044世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/03(土) 18:17:52.200
アッシリアの壁画に出てくる海軍(フェニキア)

https://www.worldhistory.org/uploads/images/6990.jpg?v=1622168102
この船のさきっぽの衝角をぶつける手法
この革命的発明
その後2000年も残り続けた海賊船の基本構造

これを持ってたのがフェニキアで、フェニキアのみが持っていて、その他民族はこの船を何故か知らなかった

つまり海の上で完全犯罪を行ったのだ
0045世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/03(土) 20:24:41.160
フェニキア人 = カナン人 + チェケル人
チェケル人 = ペリシテ人 = 「海の民」

フェニキア人が地中海交易を短期間で西のイベリア半島まで広げることが出来たのは、
「海の民」のネットワークがあったからではないでしょうか

前スレで記述しましたが、フェニキア人が取り扱っていた銀は最初はアナトリア産と
サルディーニャ産でした(後にイベリア半島産に代わります)
「海の民」にアナトリア出身、サルディーニャ島出身がいたのではと推測出来ます

フェニキア人は「海の民」の出身地・故郷を地中海の交易地としてネットワークを
築き上げ、その上で新たな植民市・交易地を開拓していったのではないでしょうか
0046世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/04(日) 00:26:35.160
海の民 - Wikipedia より

<ペルイレルの戦い>
このときの海の民は、アカイワシャ人・トゥルシア人・ルッカ人・シェルデン人・シェケレシュ人
の5つの集団から構成されていたことが記録されている。各集団は以下のように比定されている。

● アカイワシャ人 - ホメロスの伝えるところのアカイア人、すなわちミケーネ文明の担い手であったギリシア人
● トゥルシア人 - エトルリア人
● ルッカ人 - 小アジア南西部のリュキア人
● シェルデン人 - サルデーニャ人
● シェケレシュ人(Shekelesh) - シチリア人
0047世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/04(日) 00:35:30.830
「古代の地中海世界」のスレより

次の1)〜5)の連合勢力。のちに6)7)も加わる。
1)ギリシアのアカイア人(いわゆるホメロス叙事詩の主人公たちと同じ)
2)小アジア南西部のリュキア人(ヒッタイト人と近縁のインド・ヨーロッパ語族)
3)サルディーニャのヌラーゲ人(インド・ヨーロッパ語族の古いの)
4)シチリア東部のシクニ人(民族系統不明でイタリア半島から渡ってきた)
5)イタリア半島のエトルリア人(ローマに吸収されたあれ。屈折語を話す民族)
6)パレスチナ南部のペリシテ人(ユダヤ人の敵のあれ。ミケーネ文明のクレタ人と近縁)
7)パレスチナ北部のチェケル人(トロイアから流れてきたという人もいる)
0048世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/04(日) 05:22:24.660
カルタゴのビュルサの丘の遺跡で発掘された“アーチー”のハプログループは「U5b2c1」
サルデーニャ島のモンテシライ(Monte Sirai)遺跡では、同じハプログループ「U5b2c1」
が確認されています
フェニキア人の中にサルデーニャ島出身の民族がいたことで説明がつくのではないでしょうか

現代のレバノンの人々計47人のミトコンドリアDNAを分析して母系を調べたが、U5b2c1に
該当する人は一人もいなかったということです
一方で、現代レバノン人の遺伝的祖先の90%以上がカナン人にたどり着くとする研究成果が
あります

以上のことから、フェニキア人 = カナン人 + チェケル人「海の民」の内、
カナン人は東地中海沿岸に居住して紫色の染織、オリーブオイル、ワインの生産に従事し、
チェケル人「海の民」が地中海の海洋交易・植民市に従事していたのではないかと
推測出来ると思います
0049世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/04(日) 06:01:56.000
ギリシア神話のカドモス
「テーバイの創建者。青銅の発見者とも、フェニキア文字の配列を変更し、
ボイオーティア地方に伝えたという。」

エジプトのナウクラティスでフェニキア文字からアルファベット・ギリシア文字が
誕生したと言われています
カドモスの神話はエジプトの神タニトについての話だと思っています
カドモスが創建したテーバイはカルタゴを指し示していると個人的に思います

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/be/Kadmos_dragon_Louvre_E707.jpg/800px-Kadmos_dragon_Louvre_E707.jpg
(アレースの竜と戦うカドモス。ルーブル美術館所蔵)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6a/Plate_sphinx_BM_GR1965.9-30.705.jpg/505px-Plate_sphinx_BM_GR1965.9-30.705.jpg
(ナウクラティスで見つかったスフィンクスの描かれた皿。紀元前6世紀古代ギリシアの東方化様式)
https://www.britishmuseum.org/collection/object/G_1909-1201-5
(ナウクラティス?で見つかったタニトのサイン)
0050世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/04(日) 07:09:41.700
「フェニキア語を表記するフェニキア文字は右から左に書かれ、22の子音のみが表記される。
しかし、ポエニ語(とくに新ポエニ語)では他のセム語と同様に準母音によって母音を表記した。」

ナウクラティスでアルファベット・ギリシア文字に関わったフェニキア人がカルタゴに移住し、
ポエニ語に携わった可能性があるのではないでしょうか

「カルタゴの人々が話したフェニキア語方言はポエニ語(英語版)と呼ばれ、数千の碑文
(ほとんどは奉納文)が残り、少数はギリシア文字やラテン文字で書かれている。
紀元前6世紀以降の碑文が今のチュニジア、アルジェリア、リビア、マルタ島、サルディニア島、
シチリア島、フランス、スペイン、バレアレス諸島に残る。」

ポエニ語の碑文からカルタゴの建国が紀元前6世紀頃ではないかと推測出来るのではないでしょうか
0051世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/04(日) 07:45:11.510
私見ですが、エジプトのナウクラティスで居住していたフェニキア人がおそらく
信仰していたタニト、使用していたポエニ語

ナウクラティスのフェニキア人がカルタゴを建国したのではないでしょうか
0052世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/04(日) 09:25:19.490
>>51

ふーむ、エレファンティネ・パピルスは
なぜかユダヤ人と思ってしまってましたが
イスラエル人として説明してるものもありますね

個人的にはゲニザっぽいと思ってますが
0054世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/04(日) 17:58:14.210
>共和政ローマとのポエニ戦争でカルタゴが滅亡した紀元前146年以降のポエニ語は新ポエニ語(または後期ポエニ語)と呼ぶ。
0055世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/04(日) 18:13:26.630
https://en.wikipedia.org/wiki/Cypriot_Bichrome_ware
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/63/Ancient_Cypriotic_bichrome_pottery_750-600_v._Chr._2._C.jpg
キプロスバイクローム土器は後期青銅器時代、鉄器時代にキプロス、レヴァント、東地中海、エジプトに広く発見される
大抵ろくろを使って通常同一の形に黒二本線に赤一本線の幾何学模様が描かれる


なんでレヴァントのが古いのにキプロス系土器と言われるのか?
明らかにフェニキアだろうが
0056世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/05(月) 02:10:44.720
【3700年前の古代カナン人宮殿、地震で廃墟になった】

現在のイスラエル北部にあるテル・カブリ遺跡には、今からおよそ3700年前の紀元前
18世紀、カナン人の見事な宮殿があった。
6000平方メートルもの巨大な建物は現代のショッピングモールよりも広く、壁画が描
かれ、豪華な宴会場があり、倉庫には100個以上の大きな瓶(かめ)に詰めたスパイス
ワインが貯蔵されていた。

ところが同世紀中に突然この宮殿は打ち捨てられ、以後1000年近くにわたり利用され
た形跡がない。

西暦2009年から遺跡の発掘が始まったものの、考古学者たちは困惑していた。
これほど壮麗な建物は、この地のカナン人にとっては間違いなく政治の中枢だったはずだ。
利用されなくなる直前まで改修が行われていた形跡もある。
それなのに、なぜ住人たちは逃げ出したのだろうか?

テル・カブリ遺跡は、地震活動が活発な地域にあるため、放棄されたのも地震のせいだろ
うと憶測したくなる。
しかし研究者たちは、その説を採用することに躊躇(ちゅうちょ)した。
用途を説明できない遺物を何でも「祭祀用」としてしまうのは、考古学者の間でジョーク
になるほどやりがちなことだ。
地震説は、それと同じく安易な道だと思われたからだ。

そこで発掘チームは、調査を続けながら1つずつ可能性を排除していった。
ナショナル ジオグラフィック協会からの支援を受けて実施された発掘調査で、チームは
干ばつや洪水といった地震以外の自然要因があった証拠を探したほか、武器や焼かれた跡、
きちんと埋葬されていない遺体といった暴力や戦闘を示唆する痕跡も探した。
しかし、そうした証拠は何一つ見つからなかった。

イスラエル、ハイファ大学のアサーフ・ヤスール=ランダウ氏は、カナン人の宮殿が地震
によって破壊されたという説を受け入れるまでに6年かかったという。
0057世界@名無史さん
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2021/07/05(月) 02:19:56.970
【彗星が引き起こした核爆弾級の大爆発で古代人の集落が滅亡していたことが判明】

現在のシリアに位置する古代遺跡テル・アブ・フレイラには、1万3000年以上前に
穀物を栽培した痕跡が見られ、「人類最古の農業の例」とされています。
そんな遺跡が、隕石により発生した爆発で滅亡していた可能性が高いことが、研究により
明らかとなりました。
https://gigazine.net/news/20200622-ancient-syrian-town-comet/
0058世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/05(月) 07:44:02.830
フェニキアはギリシャに文字を教えなかった
イタリアやシチリアにも交易を行っていたがそれらにも文字を教えなかった

レヴァントではその文字は広がった
0059世界@名無史さん
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2021/07/05(月) 11:54:04.070
>>57
13000年前の神殿はその際に建てられたのかも、だっけ
0060世界@名無史さん
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2021/07/05(月) 21:42:43.850
>>57
ふーむ、前に見かけたけど内容は記憶になかったですね

ヤンガードライアスの原因を
隕石に求める説の方だったっけかな
0061世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/05(月) 22:04:45.370
粘土派そしてアナト・ヤフー


>>52

主に羊の頭をした人の姿で表される。この羊は、角が水平に伸びる種で中王国時代には、絶滅してしまっている。
ラーが冥界を渡る時に牡羊の姿になるのは、古い信仰の名残りとされる。

クヌムは、人間を創造した神とされ、多産を司るヘケトの配偶者とも言われる。
クヌム信仰では、この神だけが創造神で[要出典]、粘土を捏ねて他の神々や人間などの万物を作り上げたとされる。

また水源の管理者、ナイルの氾濫を司る神とされる。エレファンティネ(現在のアスワン)の守護神で南方から来る洪水の管理する。
普段、ナイルの水源には、結界が張られており水位が抑えられているがクヌムが、その結界を破ることによって水が溢れ出し、増水が発生すると信じられていた。
ここからネイトが妻であるとする神話がある。
0062世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/05(月) 23:23:53.190
Punic language - Wikipedia より

The idea that Punic was the origin of Maltese was first raised in 1565.
Modern linguistics has proved that Maltese is in fact derived from Arabic, probably Siculo-Arabic
specifically, with a large number of loanwords from Italian.

マルタ語 - Wikipedia より

<概要>
何世紀もの間、マルタ語は話し言葉であり、記述する時には、アラビア語、のちに
イタリア語が使用された。
<文法>
ロマンス語の影響を受けてはいるが、マルタ語の文法は依然としてアラビア語そのものである。
<語彙>
マルタ語の語彙はアラビア語語彙を基礎とし、(イタリア語トスカーナ方言よりむしろ)
シチリア語から膨大な借用語をとりいれたハイブリッドである。
<その他>
かつてアル・アンダルスで使われていたアラビア語を復元する際には、言語のルーツの
近さと接触した言語の類似性からマルタ語が大きな参考とされている。
0063世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/06(火) 07:06:44.410
「Karl Beloch suggested there was no Dorian invasion, but rather that the Peloponnesian Dorians were the Achaeans.」

「ドーリア人の侵攻」はなく、アカイア人はペロポネソス半島のドーリア人である
と提唱する人がみたいです

「The Doric dialect was spoken in northwest Greece, the Peloponnese, Crete,
southwest Asia Minor, the southernmost islands of the Aegean Sea, and the various
Dorian colonies of Magna Graecia in Southern Italy and Sicily.」

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/de/AncientGreekDialects_%28Woodard%29_en.svg
(The Greek dialects after the event or events termed "the Dorian invasion.")

ドーリス方言の分布図(ドーリス方言群)やペロポネソス半島南部と東部、シチリア島、
エピラス島、イタリア南部、クレタ島、ロードス島、エーゲ海南部のいくつか島々、
アナトリアの南東海岸のいくつかの都市など話されていた地域を考慮すると

>>46 >>47の「海の民」はドーリア人の連合だったのではと個人的に思います
0065世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 02:22:40.050
「アカイア人」の解説

「ホメロスの叙事詩では、アカイア人という呼称はもっぱらギリシア人の総称の一つとし
て用いられている。伝説によると、彼らは、ドーリア人の侵入後、一部はレスボス島近辺
の小アジア方面やキプロス島などに移住した。」

>>39の ペリシテ人がアナトリアとキプロス島から構成された集団という記述と一致する
と思います

「ホメロスによるアカイア人の居住地は,前 14〜13世紀のミケーネ文明の栄えた地域と
一致していることなどから,アカイア人はミケーネ文明のにない手である人々と同時代,
すなわちエーゲ海世界へ登場した最初のギリシア人であったと考えることもできる。
歴史時代のペロポネソス半島北部のアカイア人の言語がドーリス方言に近いことから,
おそらくミケーネ時代後期に勢力を強めたドーリス人に比較的近い種族であろう。」

「ペリシテ人の残した遺跡から出土する彩文土器は、紀元前12世紀初頭のミケーネ3C式
土器と同じ起源を持つと考えられている。」という記述があります

ペリシテ人(チェケル人)とドーリア人を絡めたいのは、哲学者アリストテレスの著作
『政治学』の中の記述で「クレタ、スパルタとカルタゴの政体は非常に似ていること」
があるからです
0067世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 03:17:09.330
「古代の地中海世界」のスレより

アカイア人・ドーリア人はR1bが中心。
0068世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 03:20:18.790
「古代の地中海世界」のスレより

イオニアというのは元来ドーリア族、アイオリス族、アルカディア族などと並ぶギリシャ人
の部族名だったが(アテネもイオニア族なので、 アテネ式の建築様式を「イオニア式」と
呼んでいる)、多くは現在のトルコのエーゲ海岸に住んでいたのでいつしか地方名になった。
0069世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 04:44:08.170
>ミケーネ文明の消滅

> このミケーネ文明は、前1200年頃、アッティカ地方を除いてその都市がいずれも破壊され、
>文明としても消滅した。ミケーネ文字(線文字B)も含めこの文明は忘れ去られ、ギリシアは暗
>黒時代に入った、とされている。


つまりフェニキアがキプロスに土器の痕跡を残し始めた時代
フェニキアが櫂船で洋上の船を次々に破壊し沈めていった
そっからが暗黒期で、それはアッシリアがフェニキアを従属させ、ギリシャを開放するときまで続く(BC13世紀〜8世紀)

海の民というのはこのアカイア人そのもので
BC1400年にクレタ島に侵入、ミノア文明を滅ぼした
0071世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 05:22:19.860
ギリシャ暗黒時代に至った破壊は外部からではないらしい

つまり海賊や海上交易で栄えた都市が、その船を全部沈められて行方不明になったら
必然的に内部崩壊にならないか
0072世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 05:59:42.540
Dorians(ドーリア人) - Wikipedia より

「They are almost always referred to as just "the Dorians", as they are called in the earliest literary
mention of them in the Odyssey, where they already can be found inhabiting the island of Crete.」

ホメロスの『オデュッセイア』の中でドーリア人が既にクレタ島に居住していたことを
言及しているようです
0074世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 07:53:54.570
>>70
なんか綺麗な円を描ける様になったのがメチャクチャ楽しかったのかな
0075世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 07:56:36.230
「海の民は主にエジプトの記録に基づいています。アメンヘテプ4世(BC1362-BC1333)と、
ラムセス3世(BC1185-BC1155)が戦闘の様子を記録しています。
海賊行為は常にあるものでしょうが、アマルナ文書にも出てきます。
ラムセス3世のベネフィットハブの浮彫りから、海賊行為ではなく、家族を伴った移民だった
とも解釈されています。」
http://mikeo410.minim.ne.jp/cms/~otherhistorycyprus

「海の民」シェルデン人 - サルデーニャ人

エジプトの碑文の研究によると、サルディス(リディア)を出発し、ティレニア海にたどり
着いた。そこで、サルデーニャに行く者とエトルリアに行く者に分かれた、ということです

「海の民」トゥルシア人 - エトルリア人と起源が同じかもしれませんね

シェルダン人はペロポネソス半島のアルゴス地方の Dendra の遺跡と関連があるそうです

「ペロポネソス半島のアルゴス地方の Dendra で発掘された墓は、おそらく鎧によって
Sherden と結び付けられている。墓の形式や土器からミケーネ文明に属する。」
>>63 の地図のドーリス方言の地域です
0076世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 08:35:49.760
フェニキア人 = カナン人 + ドーリア人 の可能性があるのではないでしょうか
ドーリア人の地中海のネットワークを基盤とし、海洋交易・植民市建設を広げて
いったのではないでしょうか
0077世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 08:35:50.060
フェニキア人 = カナン人 + ドーリア人 の可能性があるのではないでしょうか
ドーリア人の地中海のネットワークを基盤とし、海洋交易・植民市建設を広げて
いったのではないでしょうか
0078世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 10:28:59.200
「海の民」シェケレシュ人(Shekelesh) - シチリア人

「考古学的発掘から青銅器時代のシケリアはミケーネ文明の影響を受けていたことが
分かっている。」

「鉄器時代のシケル人とシカニ人は(メサピア人(en)と共に)先住していた
前インド・ヨーロッパ語族(ティレニア人)を征服したイリュリア人の集団で構成
されていた可能性がある。」

ティレニア人をエトルリア人と同義語と見なす説があるようです
シェケレシュ人はエトルリア人起源の可能性があるかもしれません

「言語学的研究からは、シケル語はインド・ヨーロッパ語族の言語を使用していたことが示唆されており」とあります

また Sicels - Wikipedia より
「on the east coast north of Syracuse (possibly pre-dating the Dorian colony of Hyblaean Megara)」
ドーリア人の植民市があった可能性の記述もあります
つまり、シェケレシュ人がドーリア人の可能性があると言えると思います
0079世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 18:48:18.660
エトルリア人はフェニキア人によってアナトリアから連れてこられた移民だろう
0080世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 18:50:11.700
エジプトのアマルナ文書によればシリアのビュブロス、テュロスは青銅器時代後期にエジプトと
活発な交易を結んでいた。しかし、『前1200年のカタストロフ』によって最古のアルファベットを
考案したウガリットは滅亡した。しかし、ビュブロスなどは早期に復活しており、旧約聖書によ
ればテュロスは前10世紀にヒラム1世の元で復興しており、紅海やインド洋方面へ進出した
とされており、北アフリカ地中海側沿岸部にも進出、カルタゴを建設している[64]。
0081世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 18:54:46.840
>クレタ島のクノッソスではこの時代には安定的な集落が構築されており、前1200年のカタストロフの時期
>からの文化的変容も連続的であったことが知られている[37]。むしろクノッソスの状況が把握できなくなる
>のは前7世紀末から前6世紀にかけてのことであり、この時代にはクノッソス自体が一時滅亡した可能性もある


クレタ島は暗黒時代もエジプトと交易を保てた
クレタ島からそのまま南下し、東にいけば海賊に襲われずにレヴァント南部に到れる
つまりペリシテにいける

ペリシテ人は鉄器を精製できていたがフェニキアやダビデの時代のイスラエルはそうではなかった
0082世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 22:41:46.120
>>47

310 名前:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP [] 投稿日:2019/04/14(日) 15:19:29.09 0
ルクソール西岸のコム・エル・ヘタン地区

かつて観光名所だったメムノンの巨像は
前一世紀の地震以後から鳴き始めたことで有名
ローマ時代の後二世紀に修復されて「神の叫び」は口封じされる。

ここの近くに5つの台座に地名のリストが
「城壁の楕円」で囲まれた中に残されており
アメンヘテプ3世時代に
エジプトとの交易を含む関係性を持っていた世界(都市)と推測される。

・北のヒッタイト
・ミナミのヌビア
・東のアッシリアとバビロン
・西の島国ケフティウ(クレタ)とタナヤ(ギリシャ本土)

西の部分に記載されているのがエーゲ海リストと呼ばれる15の地名
0083世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 22:44:36.590
>>82

322 名前:ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP [] 投稿日:2019/04/22(月) 23:51:37.21 0
>>310
ちなみに台座はぶっこわされております

都市名称はここから引っ張ってるので正しいかは不明です
https://historum.com/threads/early-greek-history.18804/


クレタ系 5つ
amnisa, bajasta, kutunaja, kunusa ,and rikata.
→amnisos, phaistos,kydonia, knossos and lyktos

ミュケナイ系 7つ
mukanu, deqajis,misane,nuplija,kutira,weleja and amukla
→Mykene, Theben, Messene, Nauplia, Kythera, Elis and Amyklai

Argeioi
→Argos

これでたぶん13で最初の2つを合せて15のリストですね
掲載順番は違ってるかもしれません。

実際は初めは西から東の順に掲載されていて
つぎは西から東に並んでいることから、
エジプトからエーゲ海地域への往復の旅程表と推測されているそうです。
0084世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 22:55:09.190
エジプトの「海の民」の碑文研究から

「海の民」の起源はアナトリアから航海で地中海の西に向かって移動した集団であった
と推測出来ます

「海の民」の構成民族からギリシアのペロポネソス半島、イタリア半島、シチリア島、
そしてサルデーニャ島まで勢力を広げたのではと思います

「海の民」の起源はインド・ヨーロッパ語族であったと思われます

この集団が後のドーリア人だったのでしょうか
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/de/AncientGreekDialects_%28Woodard%29_en.svg
「海の民」の構成民族の遺跡と上の地図の「Doric」が一致すると思います
ただ、ギリシアへ南下してきたと云われるドーリア人とルートが違います
0085世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/07(水) 23:39:43.200
>>82
私見ですが、>>75で引用したように
「海の民」の出来事はギリシア人による植民地活動(移住)だったと思います

実際に東地中海沿岸、エジプトに植民地が出来ました
アナトリアにも植民地が出来ました
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/60/Western_Asia_Minor_Greek_Colonization.svg/424px-Western_Asia_Minor_Greek_Colonization.svg.png
リビアにもおそらく植民地が出来、リビアからエジプトに向かった記録もあります
(リビアの植民地が後のキュレネ (Cyrene) に繋がったのではと個人的に思います)
0086世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/08(木) 00:44:16.220
「海の民」の構成民族である
ルッカ人 - 小アジア南西部のリュキア人

「Lukkaは、アスワ同盟に名前のあるアナトリアの国で、ギリシャではリュキアと呼ばれ神話に登場する。王はミノス王の兄弟でクレタ島から来たとされる。キプロスの北の対岸(アナトリア側)に当る。」

エジプトの碑文の「海の民」の起源であるアナトリア
アナトリアのリキュア人はクレタ島からの移住者である可能性が、ギリシア神話から
ですが読み取れます
アナトリアから地中海の航海は海洋民族が必要であったと思います
それがクレタ島からの人々だったのではないでしょうか
0087世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/08(木) 04:55:30.620
殺人と死刑は別な
0088世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/08(木) 06:29:40.080
同機は不純(航海中にも新鮮なお肉が食べたい)だけれど、
ウサギを馴化してくれたのが、カルタゴ最大の功績
0089世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/08(木) 06:49:19.800
>>83
Argosと関係がありそうですね
「アルゴスはミケーネ文明の時代、重要な要塞であった。」
「Argolid(アルゴス人)のことは、ローマでもアルゲイア(Argeia)として知られていた。」

「海の民」シェルデン人(Sherden) - サルデーニャ人

※以下ではシャルダナ人と記載されています
「シャルダナ人(Sherden)は、アマルナ文書の時代からラムセス3世の時代まで、エジプト
を侵犯する人々として記録されました。アマルナ文書にあるので発音も知られています。
メディネットのレリーフから、独特なヘルメットなどの武装が知られます。この武装は
アルゴリス地方のデンドラ(Dendra)の遺跡から出土しています。
シャルダナ人は傭兵としても記録があります。
しかし、シャルダナは、ギリシアの伝承やヒッタイトの記録には該当がありません。
アナトリアやエーゲ海の島が拠点と考えられていますが証拠はないようです。
また名前からはサルデーニャとの関係が考えられるようですが、後の時代の移民が
考えられると言うことのようです。」
0090世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/08(木) 06:59:01.490
サルデーニャは鰯島だろ
ラテン語で鰯はSardinaだ。Sardinaの地面でSardiniaだ
0091世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/08(木) 09:12:53.780
>>90
サルデーニャ島の名前の由来ではなく、"Sherden"がサルデーニャ島に関連があるの
ではということ

アルゴス(Argos)について

「ヘルメースの異名「アルゲイポンテース(Argeiphontes)」という言葉は、実際に
は、インド・ヨーロッパ祖語のarg-(*arǵ-、転じてargyrosは銀の意味)を語源とする
形容詞のargós(ちらちら光る、動きの速い)で、「明るく輝く」またはそれに類似す
る意味を持つ」

「アルゴスの重要性は紀元前6世紀以降、近隣のスパルタによって影が薄くなってしまった。」
0093世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/08(木) 10:34:49.570
つまり、後の時代の移民=ラテン人(ローマ人)が、鰯島って名付けて、サルディニア
俗ラテン語の iとeがごっちゃになるところからサルテーニャ
0094世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/08(木) 12:34:35.040
>>93

古代ギリシャで初めて地中海を西に航海したエウボイア人は、サルデーニャを
Hyknousaと呼んだ。 のちにラテン化しIchnus(s)a(イクヌーザ)となった。
ノーラ遺跡の石碑は、フェニキア人がこの島をShardenと呼んだ証拠となっており、
これがSardiniaという名前の由来となっている。
0095世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/08(木) 12:40:40.010
サルデーニャ - Wikipedia より

古代にこの島はフェニキア人によりイクヌーザ(ラテン式の綴りでIchnusa、もとは
Hyknusa)と呼ばれており、現在は州都カリャリで製造される、サルデーニャで一番
ポピュラーなビールにその名を残している。また、イタリア半島を足だとすると、
その足跡にあたるような島の形から、古代ギリシャ人はサンダリオン(Sandalyon)
と呼んでいた。魚のイワシの英語名サーディンはこの島から来ている。
0096世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/08(木) 13:13:45.770
ビスケー湾アイリッシュ海カレー海峡って鰯の漁場じゃん
なんで英語の語源
0097世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/08(木) 14:22:55.140
他には
「According to Timaeus, one of Plato's dialogues, Sardinia (referred to by most ancient Greek
authors as Sardṓ, Σαρδώ) and its people as well might have been named after a legendary woman
going by Sardṓ (Σαρδώ), born in Sardis (Σάρδεις), capital of the ancient Kingdom of Lydia.」

リディア(Lydia)国の首都サルディス(Sardis)生まれの伝説の女性の名前Sardṓ (Σαρδώ)
から由来した説

ヌラジックサルデーニャ人の代名詞的な神話の英雄であるSardusから由来の説も
あるようです
0098世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/08(木) 19:07:09.210
フェニキア人がアナトリア奴隷を連れてきて
エジプト碑文みてサルディーナと名付けたんだよきっと
同じ民族だったがサルディーニャとエトルリアに分かれたと言われてるし
0099世界@名無史さん
垢版 |
2021/07/08(木) 20:01:29.420
西向きに船で進んでいたらインド人の住んでる島があったので、西インド諸島
ギニア人の住んでる島を新たに発見したので、新ギニア→ニューギニア島
高砂族の住んでる島を新たに発見したので、新たな台湾(Zeeland)で、ニュージーランド
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