ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ16
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ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
貨幣経済 → 物々交換
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 → 重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配
前スレ
ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ15
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1618617448/ どうせまたクソどもの罵り合いスレになるのは分かってたが一応立てる その国の民度を知りたければ政治家を見ればよい
まともな国民ならばもっと選挙に行くはず
日本人の選挙の投票率の低さ=愚かさ
古代ギリシアの賢人の言う通りの衆愚政治の島国 西ローマ帝国は東ローマ帝国に比べて、人口、人材、経済力、軍事力など
全ての面で劣っていた
資金難も加わり、軍事力不足を補うために傭兵を募ることもままならず、
国力を強化することもできなかった
おまけにスティリコ将軍を処刑してしまう
生き延びられるような要素がなにひとつないな >>5
アベなら無投票で信任しても良いと思うが、スガはいまひとつだな? >>6
北アフリカの穀倉地帯をヴァンダルに奪われたのが痛恨
その後アッティラとの決戦で勝利し、ヨーロッパ世界を守ったが、
最後の力を使い果たした ヴァンダル王国にはアラン人やサルマタイ人もいたんだよな ローマにヒャッハーしまくったヴァンダルだが、
王国築いてからは今度はベルベル人たちにヒャッハーされる立場になった 大半のヴァンダル人は故地のゲルマニアに戻ったようだが
残った人もそこそこいるだろう
チュニジア人は他のアラブの国に比べて金髪多かったりするんだろうか? 今でも、メチャクチャに破壊することを英語で「ヴァンダリズム」という
それくらい、ヴァンダル人のローマ略奪は印象に残る出来事だった 特に、文化的価値を解さない者による文化的破壊行為を意味するニュアンスもある。
スガと自民党の売国奴どもによる学術会議破壊工作みたいな ランゴバルド王国では、初代の国王アルボインと第二代のクレーフィが暗殺された
彼らを暗殺した族内有力者たちは、東ローマと共謀していたといわれている
この時代はまだ東ローマが西ヨーロッパに対して大きな影響力を持っていたのだな 今でも消費地と生産地が分断されると物が入って来なくなるね
マスク不足なんてもろにそう
9割以上を中国での生産に依存してるんだよな・・・ >>17
西ヨーロッパったって、イタリアなんか東ローマとたいして離れてないぞ 全盛期オスマンなんで目と鼻の先のイタリアを狙わなかったの? >>20
イタリア攻略の足掛かりとしてマルタ島を攻撃してなかった? 中世の海は恐すぎる
北海や大西洋はヴァイキングが、地中海はサラセン海賊が跋扈 【ご結婚】眞子さま、一時金1億3700万円は辞退の意向 国民感情に配慮
小室母「はああああああああああああああ!?」
そもそも400万の借金の返済すら渋るような貧乏家庭に皇女が嫁いで上手くいくかね・・・ >>24
アメリカには不法入国した貧困層の移民のギャングに金積めば
銃で射殺くらいやる奴大勢いるから、小室母得意の保険金殺人で
一気に回収すんじゃねーの。王族系は高い保険金掛けられるから。 ある意味で倭寇の最後の幕引きが秀吉による入侵虐殺だったと言えるだろうな
中世後期の日本人は貧しく世界的先進国であった明王朝や李王朝からの富や文化の獲得を必要としていた
倭寇や勘合貿易そして秀吉の侵略も実行した主体が異なるだけで一連の流れと目的は全く同じものと言ってよい
江戸幕府が開いた太平の世はアジアにも平和をもたらした
この功績は大きかった
明治維新の後の日本帝国政府はまるで先祖返りしたかのように半島や大陸への侵略行為へと邁進していった >>20
アルプス山脈とドナウ川が天然の要塞
となると地中海ルートしかないけど
島嶼部攻略は至難の技 >>22
陸地もマジャル人のヨーロッパ襲撃が凄い
https://ja.wikipedia.org/wiki/マジャル人のヨーロッパ侵攻#/media/ファイル:Kalandozasok.jpg >>20
オトラントは占領しているがな
メフメト二世が死ななければ、後継者が内戦をしなければ、半島南端くらいに
領土を拡大できたかも知れない 【中国メディア】中国で繰り返された「農民の反乱からの王朝転覆」、なぜ日本では起きなかったのか
武士階級が強力過ぎて反乱起こすの無理ゲー
中国は尚文軽武だから軍がクソみたいに弱いので
異民族や農民にやられっぱなし >>29
ヨーロッパって、フン族とかウマイヤ朝とかモンゴルとかオスマンとか数々の強敵に攻められるけど
なんだかんだで攻撃を退けて生き残るんだよな
運が良い 第一回十字軍にせよ、聖地エルサレム奪還までいったこと自体が運が良い >>35
ユーラシア大陸の西端にあるという地理的条件に助けられていると思う 日本も島国で良かったな
もし大陸と地続きだったなら唐かモンゴルに占領されてただろう >>32
そもそも江戸時代以前は武士と農民は別階級だったのかという疑問
その境はずっと曖昧なままだったのでは 薩摩藩は3人4人のうち1人は侍だから
百姓が一揆を起こそうと思っても出来ないのよね 下層階級からの成り上がりが非常に少ないのは、日本史と西欧史の特徴
中国史には成り上がりが多い。中近東も、「奴隷から皇帝に上り詰めた」なんてのが、東ローマ帝国の時代からゴロゴロいる
なぜか日本史と西欧史には少ない 欧州の王族はゲルマ蛮族の酋長の一族の末裔
日本は皇室と源平藤橘
で家柄でガチガチに凝り固まってるからな
秀吉みたいなのは例外中の例外 日本人は血統に神秘的価値があるという呪術的思考から抜け出せていない
だから下層階級からの成り上がりが少なく半島で悪虐の限りを尽くしたい秀吉のような悪漢をヒーロー扱いしてしまっている
明治帝国政府による江戸幕府否定と戦後の司馬史観が秀吉を神格化してしまった >43
司馬遼太郎って、秀吉をさほど高評価してない感じだけど
歴史の流れ全体を俯瞰して、むしろ家康のほうを評価してる感じに見える アウグストゥス=家康?
ただアウグストゥスは戦は上手じゃないから部下に任せてた 【国際】タリバン、「一帯一路」参画希望 中国は留保付きで賛意
イスラム教の同胞のウイグル人はスルー
イスラム教徒も金>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>アッラー(笑)
なのね・・・ 十字軍の貴族や騎士を捕えて身代金を要求してた
イスラムにおける捕虜の扱いは今でもその頃のまんま イスラム、朝鮮、共産主義
この3つに関わってはいけないのは最早グローバルスタンダード >>32
>【中国メディア】中国で繰り返された「農民の反乱からの王朝転覆」、なぜ日本では起きなかったのか
日本では天ころが呪術的酋長だったからだろう
自らの家系を神の末裔とした教義をでっち上げて現人神を僭称していた
人はみな平等であるという人権思想がなかった
中国や韓国では血筋ではなく徳の有無で優劣を決めたがジャップは血筋に宿る呪術力で人の優劣を測った
日本の昔話いや今の漫画に対してすら外国人はなぜ日本のコンテンツの主人公は優秀な血筋を持つのが前提なのかまた庶民上がりでも実は王族の落とし子だったというオチになるのかと不思議がっている
これは知らず知らずに染み付いた日本人の呪術的思考の現れとしか言い得ないだろう と言いつつ王朝開いたら中華皇帝は天子であり血筋継承が当たり前
はい論破 単純に日本の農民に力がなかったからにすぎない
日本の村落が地域的なまとまりを持つのが室町時代ごろ
それまでは農民たちは田畑に点々と暮らしていた
惣村や国衆という勢力が現れ下剋上が行われるのもこの頃から
徳川家という自称源氏の末裔が最終的に天下を取ったが
出自は三河の国衆であり庶民が天下を取ったとも言える 天下を取ったら自然災害やら疫病の発生等に全責任を負うので元から宗教的権威がある者以外やりたくなかったから 魔王を倒した後の勇者ってぶっちゃけ不要なんだよな
それどころか強大な力と絶大な人望を持つ勇者の存在は、国王からすればむしろ厄介なのよね そりゃ物語都合で邪魔だという事にしてるだけのご都合主義だけどな
物証の残りにくい世界観なんだから、勇者が帰るなり始末されるなりしたら功績の正統性も行方不明になる
世界に国がひとつしかないならそれでもいいが、
勇者を一番支援したのはウチだと本家争いみたいな事態になって混乱する将来が普通は予見できるだろうから
確保し続けてアピールかつ血筋を取り入れていくのがやはり正解
記録の残りにくい世界観を舐めてはいけない 自国で暗殺して敵国の仕業だと喧伝し影響力だけ引き抜こう 実際粛清されたり暗殺されたりする英雄は多い
粛清されずにうまくゆくのはだいたいが英雄側が謙虚で国王を立てるケース コンスタンティヌスにせよ、則天武后にせよ、名君には違いないが
優秀な子供殺して、平凡以下の子供に後を継がせたのは失敗だったな 名君の子供が暗君だった例は沢山あるけど
暗君の子供が名君だった例はある? ローマは見つからないなあ
中国だと唐睿宗の子玄宗とか
最後が駄目だったが 唐の玄宗って名前が凄いよな
宋の理宗もなかなかだが
ここまで来たら空宗とか出て欲しかった アレクサンドロス大王、アッバース朝、モンゴル帝国、大英帝国、帝政ロシア・ソ連、アメリカ
あそこに手を出した国は・・・ >>56
スキピオも晩年は不遇だったな
そしてベリサリウス… 中華圏は死後に功績によって贈られる廟号を見た方が名君だったかどうかが参考にしやすい
末尾の祖と宗の違いで功績が違う、君とか付いてない人は廃された暗君 韓国に中華街がないのはチョンに華僑が虐殺されたから
北朝鮮は単に貧しいから旨味が無い 韓国式のジャージャー麵である「チャジャンミョン」。
その起源は仁川(いんちょん、じんせん、どちらも一発変換できる)の
中華街だという。
現代の韓国では、バレンタインデーにもホワイトデーにも何も貰えなかった
喪男に喪女は、4月14日に黒づくめの服装して、黒いチャジャンミョンかブラックコーヒーを
を呑み食いして憂さ晴らしする。
もてない男女の4月14日を「ブラックデー」という >>69
仁川の中華街は、中国人排斥により寂れていたが、21世紀になって復活したもの
とはいえ、横浜の中華街と比べるような規模ではない 日本統治時代にそれまで千年属国にした恨みを晴らさんとばかりにシナ人を攻撃したり
朝鮮戦争でシナが北についたのもあって、半島南部でシナはかなり駆逐されてしまった 朴正熙政権は、非常に反中的だった
中国人は迫害を嫌って韓国から去っていった なぜ、仁川の中華街は排斥され、横浜の中華街は愛されたのか
根本的な原因として、仁川の華僑は大陸人だが、横浜の華僑は台湾人だった 大陸は、日本からは遠いが、仁川からだとすぐ近くだ
それでいて、人口は数十倍。移民を受け入れていたら、国を乗っ取られるのは時間の問題だ。
その脅威は、日本で感じるそれと比べ物にならない フランス人も、アルジェリアの人口が10億人だったら、移民に対する考えが変わるだろう モンゴル系
東胡、鮮卑、柔然、契丹
テュルク系
匈奴、丁零、高車、突厥、回鶻
今でこそほぼモンゴル系オンリーのモンゴル高原だが、
昔はテュルク系も強かったのよね
契機はやっぱチンギス=ハーンかしら? >>79
横レスだけど、横浜中華街は全体としてもともと広東系の人が比較的多めだとか
「台湾系対大陸系」という事情とは少し違うようだよ
ちなみに神戸の南京町も広東系の人が比較的多めらしい
一方、長崎新地中華街は福建系の人が江戸時代以来多いそうな 戦前は南京町だからね中華街
「中華街で江南系華僑と台湾系の対立」という記事も見た >>80
ディズニーアニメの「ムーラン」では、敵役の異民族を「フン族」としていたな。
欧米人にはそう言ったほうが分かりやすいんだろうが。
しかし匈奴がモンゴル系ではなくトルコ系だったとは
五胡十六国時代、漢人の逆襲で「顔の彫りが深い者が、故人と間違われて殺された」と聞いて
顔の彫りが深い?モンゴル人も漢人のようなノッペリ顔じゃないか?と疑問に思ったが
匈奴がトルコ系なら確かに顔の彫りは深いだろうな 冉魏の胡人虐殺だな
しかし中国史書の遊牧民の人種的特徴に関する記述は極めて少なく
秦漢の頃からだいぶ時代も経っているので後世そうなったのだという説もある 呉の孫権が碧眼紫髯だったという記述もあるし古代中国の人種論はようわからん 時々なぜか韓国のネガキャンするネトウヨが湧くんだよな 兵馬俑を見ても今の中国人と顔つきそう変わらん
ローマの彫刻も精度高いな ローマ皇帝の彫像を見てるとディオクレティアヌスあたりまでは立派な感じだ
その後はテオドシウス2世とかワァレンスとか適当というか威厳なさそうになってるのは皇帝当人の質が落ちたのか彫刻家の質が落ちたのか
東ローマも彫刻の材料の大理石はいくらでもあるのに彫刻作らなくなっちゃったのも不思議だ イスラム教ほど厳格ではないが、キリスト教とくにギリシャ正教会も偶像崇拝を禁止している
彫刻には重大な打撃となった 中国文化は常に西域との交流で深化し続けていたから兵馬俑にもヘレニズムの影響があったんだろう
鉄、小麦、暦、占星術、数学、牛馬など、西方文化が中国にもたらしたものは数え上げればキリがない >>80
テュルク系はチンギス=ハーンにより
細胞のミトコンドリアの如く取り込まれて快感覚えたのと
あとイスラムとの親和性が高かったので
モンゴル高原よりも中央アジアの方が生きやすかったのかなと思う
なので現在最大のテュルク系国家はモンゴルに程遠いアナトリア高原のトルコという・・・ >>83
>匈奴がトルコ系なら確かに顔の彫りは深いだろうな
トルコ系なら堀が深い?
おおかた現代のアナトリアにいるトルコ人を見てそう思ってるのだろうが
本来のトルコ人はモンゴル人と同じでのっぺり顔だぞ
集史にも故地にのこって純潔を保ったトルコ人はモンゴル人とそっくりであるという話がある 西洋の記録に残る「フン族」の容姿は、
絵にかいたような「平たい顔族」だな トルコ人は純潔という事にあんまり拘らない
歴代スルタン達の母親は欧州系の奴隷だらけで、最後の方はもうほぼフランク人 イェニチェリも妻帯し出すしで先祖の血は限りなく薄くなってると思う
この辺はロシアやイランに入ったモンゴル人も同じと思う
アーリア系インド人がドラヴィダ人を徹底差別し交わらなかったのと対照的である 中南米のスペイン人やポルトガル人は混血しまくりで、すぐに白人国家ではなくなった
北米のイギリス人やドイツ人は、ネイティブ・アメリカンとほとんど混血していない ゲルマン人は森にいた頃から他の民族と交わらなかった
というタキトゥスの記述はあながち間違いでもないかもね >>99
同じゲルマン系でもケープ植民地のオランダ人やドイツ人は現地における白人女性が
少なかった事もあって、奴隷や先住民と混血してたな。
そのため南アではカラードと呼ばれる混血層が存在したり,アフリカーナと呼ばれる
アフリカーンス語系白人の中にも奴隷や先住民の血を引く者がいるみたいだが そういえばセイロンでもオランダ人男性がポルトガル人男性同様に
現地女性と混血してて,その子孫がバーガーと呼ばれてるな 植民とか移住は大方支配層だけが動いて国民は基本的にそのまんまのケースが多いんじゃないの
インディアンみたいなジェノサイドまで発展して浄化するのはよっぽど稀 >>103
ちっとも稀ではない
大陸の歴史ではよくあること 中南米の原住民は、虐殺されたというより、ヨーロッパ人が持ち込んだ伝染病で人口が激減した
といっても、原住民は意外に生き残っているし混血が多い。
同じスペイン語圏の中南米が多くの国に
分かれているのは、原住民の分布による国境も結構ある >>103
> 植民とか移住は大方支配層だけが動いて国民は基本的にそのまんまのケースが多いんじゃないの
先住民の絶滅までは行かないのが普通だと思うけど、さすがにそれは大陸諸国の民族移動を過小評価している アルゼンチンで19世紀に行われた”砂漠の征服作戦”は、
ジェノサイドと言っていいように思う
あと、タスマニア島の原住民の絶滅、アボリジニーやアメリカ先住民に対する扱い 古代ローマの時代にアメリカ大陸が発見されてたら入植がおこなわれたのやら 「大陸」でひとまとめにしてる時点で主語でかすぎ
何を根拠にホラ吹いてんだ
民族移動で住民絶滅がたびたび起きたのなら
遺伝子データにそういう証拠があるというのかね >>105
中南米で意識調査上でインディオ系ほぼ抹殺してるのはアルゼンチンくらいだっけ?
あとの国々はインディオ系もしくは混血がルーツだと認識してる国民が一定数いるはず >>110
たとえばイングランドは言葉が何度も変わってるが
住民のDNAはケルト系が大部分だったりする >>107
今のアマゾンもブラジル政府がきちんと
先住民保護、開発業者による殺人防止政策を
取らないと簡単に皆殺しにされてしまう
現在のテレビカメラに先住民集落が皆殺しされた
光景が映されたのだから
頭で過去や現在の先住民迫害に心を痛める人間が
金の為に何でも出来る獣を阻止出来るか? >>108
強大なポリスが出来て旧大陸と対立しそうだな >>83
トルコ人ってイケメン多いわね
土方の兄ちゃんやおっさんたちを見てて思ったわ >>110
ゲノムプロジェクトが終わってからは
古代人の人骨から採取されたDNAの染色体(Y染色体以外のすべて!)
と現代人の染色体と比較できるから
○○人由来の染色体が何パーセント○○人由来のものは何パーセントと
全部わかるようになってる 頼朝は義経がいなかったら平家を倒せなかった
家康は信長が搗いて、秀吉が捏ねた天下餅をくすねた
征夷大将軍らしいのはやっぱ尊氏
九州大返し、そして湊川の戦いで大勝利とかロマンやん 南北朝時代は日本史上空前のスケールだな
北畠顕家は仙台から大遠征して京都で足利尊氏を破った。
敗れた足利尊氏は福岡で再起し、挙兵して京都を奪い返した。
北畠顕家は再び仙台から大軍で遠征したが、今度は大阪で敗れた
情勢が複雑すぎて難解なのと、天皇だの逆賊だのが絡んでタブー視されてきたのが原因でややマイナーだが、地理的なスケール感がデカくて日本史離れしている 仙台って
そんな街まだないぞ
多賀城あたりだろ確か じゃあ話を戻して
ローマ崩壊の基となった「フン族」と
秦や漢を苦しめた「匈奴」は同一なのか? そりゃ同じじゃないにしても、関係ないことはないだろ メルカトル図法の地図で見るとトンデモなく離れているが、地球儀だとそこまでではない
後世のモンゴル帝国時代には、大昔のシルクロードに代わって北アジアの高原が東西交易の主要ルートになった フン族は恐らくブルガール族の先祖
ヴォルガ・ブルガール語はトルコ語の中でも紀元前5世紀頃に分岐した古い方言と推測されている
キプチャックやオグズは突厥の末裔だからフンやブルガールは匈奴と考えると整合性はあう 世界各国自分らはOO族の末裔だ!とよく言うけど
フン族に関しては迫害受けるからかもしれないのかどこも否定したがる そう?ハンガリーなんかは自称してないか?
残忍な侵略者って裏返すと強大な征服者にもなるし ヴァイキングさんは勝ってるのに消滅しちゃった感ある ビジネスホテルの朝食とかで今でも出没している
皿に食いきれないほど積み上げてる貪欲残忍な異教徒が >>129
ビュッフェのことをバイキングだとか言ってるのは
世界でも訳わからん文化持ってるジャップしかいない件
それ外国じゃ通用しねえぞ?
何度聞いても何がヴァイキングなのかさっぱり分からん >>131
と言ってる賢いヤツ気取りのおバカさんなのでした ヴァイキングで調べればどうして日本でヴァイキングというのか由来が書いてあるのに(^_^) バイキング形式は民度の低さが丸わかりで面白いね
イタリアのローマのホテルで大阪弁丸出しの観光客が大声で笑いながらハムやソーセージの炒め物を山盛りにしていて欧州では十ぱ一絡げにこんな連中と同じ民族に見られるのかと恥ずかしく思ったよ その理由がバカ過ぎて意味分からんってんだろw
言わせんな恥ずかしい
バカなジャップ過ぎてそこまで深読みできんか? 怒りの3連投かな
同じ民族じゃないから気にならないはずだが(-_-;) >>137
しつこく反論されて悔しいか?
連投してるのはお前も同じだろうにw
同じ民族じゃないのにここまで日本語達者なワケないだろw
都合の悪いことは全部半島のせいにして思考放棄、それがネトウヨ 中国もいよいよ人口減の兆候が出てきたぞ
理由は教育費に金がかかり過ぎること
これから人口ではインドが中国を抜いて世界一になる 中国人はコピー品を作るといかにもパクりましたって感じだけど、半島人は必ず成り済ましを図るから見分け容易(^_^) >>127
モンゴルがその典型だな
現在のモンゴル政府が、中央アジア、西アジア方面の諸国に
謝罪外交してるという話は聞いたことが無い。
もっともソ連には「タタールのくびき」の恨みで辛く当たられたというが 昔は勉強で身を立てるなんて思いもよらなかった一般庶民までが
士大夫みたいになってしまって少子化するというのは
韓国もそうだけど中華文明圏の一つの盲点だわな
もっとも昔の士大夫はまともに勉強すればある程度高い身分が約束されてたから
少子化になんてならなかったんだが今の一般庶民には別にエリートの仕事は約束されてないからもっと厳しい環境ともいえるか 学問で身を立てるよう教育された人間は、もれなく肉体労働を軽視する
これは中韓独特の考え。
たとえ今は現場で肉体労働していても、いずれデカい机の前でふんぞり返ってればいい身分になる!
子供には生まれた時から学問をさせ、学者や弁護士に育て上げる!
これが常識
なので、日本のように「何代も続いた蕎麦屋、菓子屋」というのが信じられんという。そんなに代を重ねても、現場での仕事に甘んじてるのか、と。
だが現代では、「手仕事の職人が尊敬される」日本まで
そのような考えに染まりつつある。 俺は自民党の議員連中には「天皇ってなんですか?」って聞いてみたい.
もしも「国民の象徴」答えならば「選挙で市民の信任を問うて欲しい」と言いたい
過去の戦争責任は精算されておらず彼らに市民からの信任があるわけがない >>143
ヤンキーつうかDQN系はニート少ない
下流家庭出身で、低収入ではあるが工場なり土方なりトラックの運ちゃんなり一応働いてる感じ
ニートになってしまう奴って
中流家庭の出身ではあるけど、本人のスペック的に中流の生活を維持できるような仕事には就けず、
かといって上記のような下流階級に落ちぶれたくない
みたいなケースが多い気がする >>144
「憲法を一字一句たりとも変えてはならない」と主張する、左翼の爺さんたちが健在なうちは現行の天皇制で行くしかない 中東はオスマン帝国が支配していた時期が一番長期的に安定してたかもな シリア難民って同じアラブ人の国のサウジやエジプトではなく
なんでトルコを選ぶんだろう?
イランはシーア派だから嫌なんだろうけど >>149
かもなじゃなくて、間違いなくそうだろう シリア難民に「帰国できないならどこ行きたい?」とアンケートとると、アメリカスウェーデンドイツあたりより同じイスラム諸国のほうが人気なんだってね。
意外なようなそうでもないような・・・ なぜこのスレにはスレチ話題をいつまでも続けるアスベが多いのか >>150
シリア反体制派の最大支援国として、難民ウェルカムしたせいだよ
そうする事でアサド政権の正統性を否定する政治的プロパガンダが打てるし、
シリア内戦に軍事介入する口実にもなるからね >>150
シリア人の多くは世俗派だからサウジみたいな原理主義の国にいきたがらない
反体制派の多くは独裁制に反対しているのであって一般市民もサウジのような王政に戻りたいとは
考えてないしワッハーブ派が目指す神政国家なぞはなおのこと目指していない
サウジに渡った難民はシリア人の中でも王政でも構わんという人々や原理主義者
エジプトに難民が渡れない理由はふたつあって
ひとつはエジプトが貧乏だから
二つ目はサウジがエジプトに圧力をかけてアラブの春の抑圧のため
投資を抑止するなどしたからエジプトは関わりたがらない >>154
こいつらがしたいのは会話じゃないからな イングランド
支配者層 アングル人サクソン人
被支配者層 ケルト人
エジプト
支配者層 アラブ人
被支配者層 エジプト人
今では混血して完全に一体化してるけどね アングロサクソン人はノルマンコンクエストの時にフランス人に一掃された
イングランドの支配者層は混ざったり入れ替わったりでもはや辿れない イングランド
支配者層 アングル人サクソン人
被支配者層 ケルト人
エジプト
支配者層 アラブ人
被支配者層 エジプト人
日本
支配者層 半島渡来人
被支配者層 倭人
中国
支配者層 満洲人蒙古人突厥人
被支配者層 漢人
インド
支配者層 アーリア人
被支配者層 ドラビダ人
類例は数限りない >>1
■モンゴル帝国による征服、3000万人-5700万人、199年間
■第二次世界大戦、6000万人-1億1800万人、6年間と1日
■明清交替、2500万人、65年間
■日中戦争、2000万人-2500万人、8年間
■太平天国の乱、1000万人、14年間
■ティムールによる征服、800万-1700万人、35年間
■回民蜂起、800万-1200万人、15年間
■アメリカ大陸植民地化、840万人-1億3000万人の死者、199年間(死亡者数の推定値は、コロンブス以前の先住民の人口規模についての統一見解がないために異なっている。死亡率の90%は主に病気によるものである[注釈 1]。)
■メフメト2世による征服、87.3万人、30年間
■文禄・慶長の役、100万人以上、7年間
■十字軍、100万-300万人[信頼性要検証]、196年間
戦争犯罪・虐殺
■第二次世界大戦、2900万-3050万人の死者
■日本の戦争犯罪、300万人-1400万人の死者
■三光作戦、270万人以上の死者
■国共内戦、180万人-350万人の死者
■マラーター王国のベンガル侵攻における戦争犯罪、40万人
■米比戦争、20万-25万人
■マニラ大虐殺、10万-50万人
■南京事件、1.3万-40万人
病気・飢餓
■中華人民共和国大飢饉、1150万人-5500万人の死者
■第二次世界大戦による病気と飢饉、1900万人-2800万人の死者
■大日本帝国による飢饉と病気、813万人-1493万人の死者
■日中戦争による飢餓と病気、500万人-1000万人の死者
※拡散は歓迎だぞ >>1
強制労働・奴隷貿易
ここでは、労働条件の悪さによる死亡、労働能力を十分に発揮できなかったことによる死刑、輸送中や職場での労働者の不当な扱いによる死亡について一覧を載せる。
■労働改造制度、1500万人-2700万人
■アラブ人の奴隷貿易、754万人-7000万人
■オスマン帝国における奴隷制、1050万人-1125万人
■グラグ制度、105万-600万人
■北朝鮮における強制労働、40万-150万人
■アシエンダ制における奴隷労働、17.3万-201万人(1900-1920)
■大日本帝国による朝鮮人の強制労働、27万-81万人
■バルバリア奴隷貿易、24.5万-38万人
死者数による政治的指導者一覧
ここでは、特定の政治指導者が原因となった死者数を載せる。死亡者は国策による国内の状況と、問題の指導者に対して忠実な軍隊による積極的な殺害の両方に起因している。
■毛沢東、1359万-7000万人
■チンギス・カン等、2000万人-4000万人
■アドルフ・ヒトラー、1351万人-2549万人
■蒋介石、596万人-1852万人
■ヨシフ・スターリン、330万人-1500万人
■昭和天皇、300万人-1400万人
■レオポルド2世、300万人-1300万人(コンゴ)
■ポル・ポト、138万人-340万人
■青年トルコ人(オスマントルコ帝国)、148万人-281万人
■オマル・アル=バシール、106万人-253万人
■金日成等、71万人-350万人
※拡散は歓迎だぞ >>1
戦争・武力衝突
ここでは、高い推定値による死者数が10万人以上となる全ての戦争について一覧を載せる。これには軍人と民間人の両方の死者数が含まれる。直接、戦争によって死亡しただけでなく、それによって引き起こされた戦闘、病気、飢餓、虐殺、自殺、ジェノサイドによる死者も含む。
■第二次世界大戦、6000万人-1億1800万人の死者、6年間と1日
■モンゴル帝国による征服、3000万人-5700万人の死者、199年間
■明清交替、2500万人の死者、65年間
■日中戦争、2000万人-2500万人の死者、8年間
■安史の乱、1300万人-3600万人、8年
■第一次世界大戦、1750万人-4000万人、4年3ヶ月1週
■太平天国の乱、1000万人の死者 14年間
■回民蜂起、800万-1200万人、15年間
■ティムールによる征服、800万-1700万人、35年間
■アメリカ大陸植民地化、840万人-1億3000万人の死者、199年間(死亡者数の推定値は、コロンブス以前の先住民の人口規模についての統一見解がないために異なっている。死亡率の90%は主に病気によるものである[注釈 1]。)
■レコンキスタ、700万人、781年間
■ロシア内戦、500万-900万人、5年間
■三十年戦争、300万-1150万人[信頼性要検証]、30年間
■デカン戦争、560万人、27年間
■黄巾の乱、300万-700万人、22年間
■秦の統一戦争、200万人、9年間
■メフメト2世による征服、87.3万人、30年間
■文禄・慶長の役、100万人の死者、7年間
■十字軍、100万-300万人[信頼性要検証]、196年間
■第二次コンゴ戦争(1998)、380万人-540万人
■第一次コンゴ戦争におけるフツ難民の虐殺、20万人-22万人
■コンゴ自由国における残虐、300万人-1300万人
※拡散は歓迎だぞ 選挙前になるとネトウヨが立憲の悪口を言いまくる
ネトウヨは理想郷の北や中国にでも行けばいい >>150
シリア人は原理主義が嫌なのであって
宗派的にはアラウィ派とシーア派は親和性が
高い イラン・イラク・シリア・レバノン・
パレスチナにシーア派民兵の橋が掛かっている ギリシャとイタリアは見事に反復してる
ギリシャ ドーリア人侵入→ミケーネ王国滅亡→500年ほど暗黒時代→ポリス国家台頭
→アテネVSスパルタ
イタリア ゲルマン人侵入→西ローマ帝国滅亡→500年ほど暗黒時代→コムーネ国家台頭
→ベネチアVSジェノバ 明 2億人
女真 60万人
人口差だけを見たら圧倒的差なんだけどな・・・
ま、ネズミが100匹いてもライオン1頭を殺せないようなもんか イスラムに北アフリカや地中海を席巻されてから
欧州が閉じ込められた感があるな
十字軍で反撃するも結局中東の領土は全て失う
そしてオスマン帝国の覇権
その状態を打破するためのスペイン・ポルトガルによる大航海時代が
今の欧米の世界支配に間接的に繋がってるね
直接的なものはやはり産業革命だな イギリスの陰謀でアラブ世界は分裂したというが
アッバース朝が衰えてからはもうバラバラよなー >>174
オスマン帝国が再び統一したが、
その前の帝国同様末期になると
またまた事実上分裂
しかも帝国末期にユダヤ人という異民族が
入植を求める これがユダヤ人でなければ
衰退モードに突入する強国のパターンの一つ イスラム世界という意味ならオスマン帝国だが
支配者層はトルコ人な
それが各地の領主に一定の自治を認めてる感じ
緩やかな専制ってやつ
アラブの各部族の首長が税金集めてそれを中央に上納するスタイル セルジュークはすぐ分裂したのに
オスマンは長続きして大帝国になった
この違いはなんだろう?
ティムールが来た時はピンチだったが イスラム教徒が豚肉食わないのは
例えるなら日本人がかつて犬の肉を食べてたけど、現在で食う奴は殆どいないのに似てるとか セルジュークにとって最大の敵はファーティマ朝
ビザンツと十字軍はついでの扱い 一言でユダヤ人つっても西欧にいるのも東欧にいるのもオスマン帝国内にいるのもいて様々だよね
それがエルサレムに集結か
上手くいってるのが不思議というべきか、自然というべきか ローマ帝国の侵攻でエルサレムが陥落し、ユダヤ人は帝国各地に散らばった ローマ帝国の最大の失敗はイエスを処刑して神にしてしまったことではなかろうか?
400年後、帝国の国教がキリスト教になり、永遠の都ローマもカトリックの総本山となったのは歴史の皮肉
もしローマ帝国がイエスを処刑せず、そのまま生かしていたら?どのような世界になっていただろう? 時代が違うけど、カエサルとイエスの対談は見てみたい気もする
そして塩婆はローマを殺したキリスト教がお嫌い でも俺はキリスト教という精神支柱と、ローマ帝国の正統という自負
があったからこそ東ローマは1000年続いたとも思ってる >>177
> イスラム世界という意味ならオスマン帝国だが
> 支配者層はトルコ人な
それを言うなら、アッバース朝も支配者層はペルシャ人 ローマ最大のライバルのペルシャが、メディアの頃からほぼ同じ形、同じ民族で延々続いているのが驚きと思う
周辺地域はエジプトもメソポタミアもインドも民族自体入れ替わったりしているがペルシャはペルシャであり続けた
パーレビ朝イランが国威発揚で作ったキュロス暦はキュロス大王のアケメネス朝ペルシャ建国から数えて約2600年
日本の皇紀2600年とほとんど同じだが、ペルシャの方は全期間完全に史実というのが驚く まあ、イラン国民の3割はトルクメンとされてるけどな
7割はペルシャ人 イスラム教だと神の前では皆平等だが
インドにおいてはカースト制の影響を受けてかイスラム教徒内にも身分制度があるとか キリスト教
カトリック、プロテスタント、オーソドックス
イスラム教
スンニ派、シーア派
仏教
天台宗、真言宗、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、臨済宗、曹洞宗 異端は異教より憎し
とあるが、異教徒は「あいつら俺と違うやつだから」と端から諦めるけど
異端は同じとこから出て似てるところもあるからこそ逆に許せないくて「こっちが正統だ」とムキになる
という具合かね? キリスト教徒は異教徒に対してはまず改宗を試みるスタンスだが
異端に対しては問答無用でぶち〇すというスタンスやね シーア派の「いつか救世主が現れる」の設定はキリスト教のパクリ 正月は神社で初詣、寺で葬式、キリスト教徒でもないのにクリスマスを祝う
外人さんからすれば日本人は奇妙に映るようだ
特に一神教の国の人にとっては神は一つという認識が強いからね 仏教で最も一神教的なのは日蓮宗
法華経以外は全て邪教邪宗という扱い >>194
その点で日本はキリスト以前のローマ的だな >>187
しかもペルシャは帝国となったのが2500年前でその前から
王国はあったからな
アンシャン王国時代のアケメネス朝からカウントすると更に100年くらい伸びて2600年になる クリスマスはミトラ教の冬至の祭でキリストが生まれたのは羊を外に出してた季節 大川隆法が「内村鑑三の霊言」という本で、「イエス・キリストが生まれた夜は、雪がしんしんと降り積もっていました」とかなんとか言ってツッコミを受けてたな(笑)
「イスラエルに雪が降るのか」(これは、冬ならたまに降るらしい)、
「聖書には、羊飼いが夜通し野外で羊の番をしていたとあるぞ」
まあ、自称霊能者なんて、そんなもんだが >>195
> 仏教で最も一神教的なのは日蓮宗
草加のご本尊が偶像と気づいてない時点でだめ
あんなもん、全部ぶちこわせ燃やせ >>193
それはキリスト教というよりユダヤ教時代からのアブラハム系一神教の伝統だろ
ただ、ユダヤ教やイスラム教ではまだ救世主は現れてないというスタンスだったはず >>192
それなりに欧州と同等の文化や軍事力を認めた場合 バルト海沿岸、新大陸、オセアニアのような
野蛮と見做した地域は奴隷にするか女を犯すか
殺す感じ >>178
室町幕府と江戸幕府みたいな感じ?
最近、共産党一党独裁等の近代国家は
近世的な緩やかさを否定する事で成立している >>192
>異端に対しては問答無用でぶち〇すというスタンスやね
ダウト
・間違いを教えて異端を破棄するように促す
拒むとアウト
・間違いを教えて異端を破棄したのち異端に戻るとアウト 問答無用は魔女狩りだろう
いくら否定しようが信じては貰えず拷問が続き、肯定したらしたで当然殺される 疑いをかけられたらその時点で終了
異端審問はワンチャンスある場合もある >>207
この理不尽な事が不思議な事にルネサンスの後の
天文学が発展した近世でかえって激化してる
新大陸でもやってるのが謎 新大陸のは慣れない環境やホームシック等から来る集団ヒステリー 社会が変革されるほど、それに抵抗する保守反動も激しくなる
イランやサウジアラビアが厳格な宗教国家になったのも西欧化への反動 近世の魔女狩りもそうした反動という要素もあったという研究があるよね 魔女狩りはひどい話だが実はこれは当時の人たちにとっては今でいうところのカルト信者摘発と同じような感覚だった
近世以降に民度が上がったのに魔女狩りは不思議だと思うだろうが民度が上がったからこそ民衆の間でカルトに対する警戒心が上がったということでもある 東ローマは敵対するアヴァール=柔然と西突厥に二枚舌外交を繰り広げようとして逆に西突厥の怒りを買い、それから26年くらいで古代ローマから続く皇統が途絶えてしまった。アルメニア系のヘラクレイオスは公用語をラテン語からギリシア語に改めた。東ローマはそれから800年以上存続するが、ローマの歴史としてはここで終わっていて以降遊牧民族の傀儡だと思う。
ミトラ教はそんなローマで生まれ、キリスト教に敗れたものの弥勒信仰として東アジアで生き残っており、日本では秦氏が弥勒を信仰している。秦の始皇帝が信仰してたかは不明だけど、秦や弥勒というキーワードは東漸している。
モンゴル王朝の元は弥勒廟を徹底して破壊、焼き討ちした。
その元を倒し、明王朝を打ち立てた紅巾の乱は弥勒をシンボルに掲げて戦った。 >それから26年くらいで古代ローマから続く皇統が途絶えてしまった。
公用語がギリシア語に変わったのは皇統の途絶じゃなくて文化的伝統の途絶だろ >>215
ギリシャ語への切り替えと、血統の切り替わりが同時に起こったというのが史実のはず。
602年のフォカスによる簒奪で、ユスティニアヌス朝が途絶えてしまった。その後のヘラクレイオスは既に異なる血統だし、後にはパルティアの血統であるヘラクレイオス朝の君主も出てくる。 ユスティニアヌス朝って「古代ローマから続く皇統」か?🤔 >>216の皇統ってなんのことを意味してるのかな
マウリキウスはユスティニアヌス朝と血のつながりはないから血統のことではないし
そもそも異なる血統の王朝交代や帝位簒奪なんて古代ローマの時代にいくつもあるし
>>214の >以降遊牧民族の傀儡
というのもよくわからん 王朝の開祖なのに名祖にしてもらえないユスティヌスさん・・・ >>218
確かにそうだ。ギリシャ化というのが妥当だな。
血統の方は、ローマ人の血統じゃなくなるというだけで。 >>220
ローマ人の血統の定義は?イリュリア人皇帝やトラキア人、イサウリア人の皇帝など
異民族の皇帝は多数でているが? 7世紀以降はローマ教皇にもギリシア人やギリシア語圏出身者が就任するようになるんだよな >>222
そうですか。その後段々東西キリスト教会が
相互破門に向かうのだから皮肉だな
いや、それほどでもないか。
十字軍は教皇が東ローマ帝国救援を
呼びかけた事が起点だから、相互破門の後でも
他のカタリ派やフス派のような異端よりは
同じキリスト教徒として守るべき扱いだな
十字軍のコンスタンティノープル占領は正教が
異端だから殲滅する為とは全然違う
近世の新旧キリスト教の対立に比べると
東西キリスト教の対立はあまり見られない キリスト教の東西対立は上層部だけで
細かい論争をやるだけだが、新旧対立の方は
民衆の大殺戮が起きている 次元が違うような カトリックも正教も教会組織があって全地公会議では双方参加してた
違いは三位一体という教義の中のごく一部や典礼方式という違いだけ
典礼方式は地域の習俗に基づいていたから双方変えることはできず対立したが
そういう地域化した典礼は聖書に書いてあるわけではなく本来の信仰とは関係ないから
プロテスタントからすればどうでもいいこと
プロテスタントは教会組織もローマ法王も認めず、ただ聖書と神だけに服するからカトリックや正教会との溝は大きい
ただし聖書を読んで解釈して説教する人を組織的に養成する機関がないプロテスタントでは、
民間で自発的に聖書を読んで説教する人を養成しなくてはならず、結果的に識字率が上がり
知識を生活改善に活用する民衆が大量に発生して産業も発達した >>225
なるほど。しきたりが違う奴は許せるけど
しきたりに沿うシステム自体を否定する奴は
教皇からすれば許せないわな
でも、後代への影響は新教系の方が大きい
旧教の三位一体の教えは分かりにくい
火刑にされたセルヴェトスの宇宙一体論の方が
異教徒にも気持ちが入っていきやすい プロテスタント的なものを恐れる思考回路が
カトリックと朝鮮種子学とイスラム原理主義は
似ている カトリック=白朝鮮かよ イスラム教は本来聖職者がいない宗教だからこの点プロテスタントに近い
だが実際のイスラム教はシャリーアだのハディースだのファトワーだのが加わって
実際にはカトリックみたいになっている
イスラム原理主義のことはよく知らないがシャリーアやファトワーを否定して
ムハンマドの教えに回帰するという点ではプロテスタントに近いはず
決定的な違いはプロテスタントが聖書すら超えて理性的に真理を追究すれば神の秩序を知ることができると
考え自然の秩序の解明にまい進したら結果的に科学が進歩してしまったこと
イスラムはコーランを越えて真理を目指そうとなどしないから、こういうところはカトリックや朱子学に近いかも 一方聖書至上主義のプロテスタント(福音主義とか)はQアノンとかの土壌になってるが、
彼らの思考はイスラム原理主義に近いかも知れない
カトリックやイスラムや儒教は秩序が安定する反面発展がない
プロテスタントはその原理からして聖書主義と理性主義に分裂しやすい
なので科学の発展している現在のアメリカで過激な福音主義が登場するのも驚くにはあたらない 原理主義(ファンダメンタリズム)ってもともとキリスト教の用語だしな
イスラム原理主義はその転用で「アイツらキリスト教原理主義みたいなことやってるな」というコト みろく展良かった
https://www.mirokuten.com/
ローマから敦煌にかけての、ミトラ=ミスラ=弥勒の変遷が直感出来るようになる。
これまではなんとなく、一神教の主神であるマズダーと、アーリア系多神教の代表のようなミトラは対立しているのではないかと思っていたけど、ゾロアスター教の図像を見ると普通に同志だったようだ。 シーア派は嘘ばっかやからな
文物発達したと言っても結局嘘になる >>229
現在のヨーロッパのプロテスタントでアメリカで見られるような福音主義とか
おこってないん? 東ローマが重税を課し過ぎてシリア・エジプトの民はやってきたイスラムを歓迎した 海の民はどこから現れてどこへ消えたんだ?
ヴァンダル族は王国滅亡後、故地に戻ったようだが ギリシャ人のトロイア戦争とか戦争の歴史が海の民
それをフェニキアが滅ぼした
暗黒時代にはギリシャは崩壊していたがフェニキアは世界一の富裕国家だった >>239
東ローマの重税についていうならササン朝の重税についても書くべき
一方だけを切り取るのはよくない
イスラム到来時のササン朝と東ローマが重税となっていたのは、この二国の間でかつてない大戦争を戦ったから
結果的にイスラムが漁夫の利を得た ヴァイキングとかアラブ人とかそれまで大人しかったのに
いきなり歴史の表舞台に出てきて大暴れする連中 イスラム以前のアラブ人は内部の抗争が激しかった
自滅戦争を続けてたようなもの
団結したら一気に爆発した >>245
それもあるし古代はローマ帝国とパルティア・ササン朝という二大帝国があったから
たとえ一致団結しても拡大するのは難しかっただろうな
ムハンマドがトラヤヌスの頃に出ても全盛期ローマに瞬殺されたと思う 東ローマとササンが自滅的抗争してなかったら
彼らちゃんとアラビア半島に間諜送って対策できてたと思うんだ
ヘラクレイオスとホスローの大戦争中はアラビア半島情勢に気を配る余裕がなかったのも大きい >>247
東ローマはヘラクレイオス統治時代安定していた
ササン朝はヘラクレイオスの統治時代10人以上国王が入れ替わってる 天国へ行けると思って「アッラー、アクバル!」と叫びながら
死を恐れずに突撃してくる連中だぞ?そら恐いやん 東ローマやササン朝のカタフラクトは砂漠での戦いには向かなかったか 東ローマ帝国とペルシア帝国が激しく争って消耗し、国内も動揺している最適なタイミングでイスラム帝国が出現した
もっと早かったら両帝国が健在だし、遅ければトルコ人が流入して群雄割拠となるので、イスラム帝国による征服活動のスピードはずっと遅くなっただろう
やはり、神の計画としか思えない 鐙が普及し始めてイラン人の騎馬民族としての圧倒的優位が低下した
鐙が普及していなかった時代のパルミラのカタフラクトはイラン人傭兵だった
鐙のおかげでアラブ人自身が騎兵になってイラン人と戦えるようになった
鐙が普及し始めたのでアナトリアの農民が騎兵になり東ローマは生き延びた
鐙が普及していなかった時代にはローマ領内でイリュリア人やトラキア人とか
バルカン出身だけがカタフラクトをやる事が出来た >>244
ササン朝とアクスムによるイエメン争奪戦で
イエメンのマアリブ・ダムが放棄されたので
イエメン人はイエメンで暮らし続ける事を諦めて
アラビアの外へ移住せざるえなかった >>253
キリスト教圏もイスラム圏も共産圏も拡大した
のは人類家畜化の為の悪魔の計画だろう アングロアメリカと違ってラテンアメリカは後進国のままなのはなぜ ラテン系でも
フランス、イタリアは先進国だけどスペイン、ポルトガルはパッとしないよね イタリアも、先進国なのは大陸部
半島部はそれほどでもない >>260
イタリアはそろそろスペインに抜かれるけどね イタリアは一人当たりの実質GDPばかりでなく名目GDPでも韓国に抜かれてるんだな スペインの凋落は産業育成に金を使わなかったのも大きいが
異教異端を弾圧して商売上手のプロテスタントや金融に明るいユダヤ人が国外に出て行ってしまったのも痛い
これによりイングランド、オランダ、オスマン帝国が強くなってしまう一方
自国の方は弱くなるという悪手 日本も、優秀な在日朝鮮人が出ていったら大変なことになる >>263
イタリアは後進地含めての値だからね
北部だけなら韓国を大きく上回る
韓国も将来北朝鮮と合併したら、元北朝鮮部が足を引っ張りGDPは一気に落ちる 片やローマ帝国にルネサンス
片や千年属国
半島も色々ね・・・ >>267
ローマ帝国勃興したのは南部
北部に西ローマ宮廷が移ったら衰退一方であっという間に滅んだ
ルネサンスがあったのは北部でその頃の南部は今のように既に後進地帯
北部と南部が一緒に繁栄したことがないのがイタリア >>264
スペインにはプロテスタントはもともとほとんど広まっていなかった
レコンキスタに伴って出ていってしまったのは、ユダヤ教徒のほかに、イスラム教徒
イスラム教徒が特に得意としていた分野は、ハードウェア面での社会基盤の整備・管理だった
ここが手薄になってしまったので、例えば灌漑施設などが老朽化して使えなくなったりする状況が多発し、
産業や都市機能が衰微してしまった レコンキスタ期間にプロテスタントなる自意識をもった集団なんていない
スペインが全盛期をむかえるのはレコンキスタ後
スペインは新大陸の富を収奪することで繁栄
内需産業の発展拡大によってではない
時系列と原因と結果の関係の説明がめちゃくち 264のいうレコンキスタ期の異端審問にプロテスタントは存在しない
仏ユグノーと勘違いしてんじゃね
レスつけてる270の内容は全面的におかしい >>269
スペイン本土はともかく,支配下のネーデルラントではプロテスタントを
抱えるハメになったな レコンギスタ後のスペインが覇権国家になったのも、半分はオランダ・ベルギーを支配してたおかげ
それを忘れてはいけない ネーデルラントはイタリアと並んで、ヨーロッパでは最も豊かな地域だったからな オランダ人がデカイ原因は、上流のドイツが成長ホルモンを投与した牛のビール()が川に流れ出てそれを飲んだせいとか、本当かな?
だとすると昔はそこまで体格差が無かったことになるけど、これは遺骨で真偽わかるよね オランダ人の体格が大きくなったのは、いわゆる蘭領東インド(現・インドネシア)の領有期あたりからだって
それ以降のオランダは金回りが派手になって、食事の内容も派手になったんだとか そのオランダもついに平均身長が伸び止まりしはじめた純オランダ系に限っても 日本は白村江の戦いで唐・新羅連合軍に完敗
文禄・慶長の役でも明どころか通り道に過ぎない朝鮮すら征服出来なかった 万暦帝「断固出兵し朝鮮を救援すべし!」
大臣「はっ、ただちに(ニート皇帝久々に見たわwww)」 発掘された骨とか見ても西ローマ帝国滅亡後は明らかに人や家畜のサイズが小さくなってるんだよな
やはり相当貧しい生活になったのは歴史学だけでなく考古学的見地からも間違いない ゲルマン諸国家が乱立して物の生産地と消費地が完全に分離し、交流が途絶え、人々は農業するしかなくなった 中世の海はサラセン海賊が跋扈してるから危険極まりない
地中海の島々では民族浄化レベルの人攫いもやってて捕まったら奴隷にされて一生扱き使われる >>283
江戸時代の、海運と商業ネットワークで結ばれていた日本が、
突然中世に戻ったようなものだよな ソ連崩壊で産業連関が突然ぶち切られたようなもんだな >>283
>ゲルマン諸国家が乱立して物の生産地と消費地が完全に分離し、交流が途絶え、人々は農業するしかなくなった
ゲルマン諸国家の時代は地中海交易が盛んだったよ
そこに書いてあるのはゴート戦争以後のはなし ゴート戦争以前は古代末期の続きじゃね?あんま中世感ない >>286
どっかで見たけど例えばカザフスタンには全ソ連向けのエアコン工場とかあったんだっけ?
それを急にソ連がバラバラに分解されて
各国各工場が激減した国内市場を足掛かりに高性能な国際市場と勝負とかやったらそら国内経済壊れますと思うわ >>289
オーストリア=ハンガリー二重帝国も、各国が共和国になって
独立していったために経済的に困ったのだとか 植民地を失った日本は安い米が入って来なくなって困った
旧植民地は工業製品が入って来なくなって困った 植民地独立による経済連関崩壊でたいていの場合より困るのは植民地の方
植民地は宗主国とのみ緊密かつ排他的な経済的関係を結ぶよう強制あるいは誘導されていることが多いし、急に独立しても代替品や代替販路を探すためのリソース(外貨だけじゃなくて通商外交関係とか駐在商社とかも)に乏しい
宗主国はその反対で、もともと多角的な経済関係を持ってるし、代替をさがすリソースも大きい >>294
困るのは宗主国と組んで儲けてた一部の現地人であり
大部分の貧しい現地人は関係ない
それよりも民族自決や参政権を支持する
そもそも宗主国に依存するような経済構造を意図的につくりだしてるのは宗主国 >>291
朝鮮に限らず、日本は東南アジア諸国に独立されたせいで大いに苦労したのよ 台湾を失い沖縄は米軍統治下
おかげで戦後しばらくは砂糖が貴重品だった >>293
緯度が高く日本より低温で雨の少ない朝鮮半島に水田耕作が
広がったのは日本の東北地方向けに冷害対策された改良品種が
日本統治時代に持ち込まれてから。 >>299
安い朝鮮米の流入で東北地方が貧窮に喘いだんだぞ ローマも属州から安い小麦が流入して中小農家が没落した でも、それないと食料不足になるくらい人口が集中しちゃってた >>301
ちょっと違う
A 拡大戦争で奴隷流入->大規模経営が大発展->中小農没落
B 領土拡大で前線が遠方に→兵士が耕作地に戻れなくなる->退役軍人植民政策実施->
退役兵の多くは長年の戦争で農業に興味損失→首都流入→属州から小麦輸入→職業兵士として更なる領土拡大政策に転換->奴隷流入->Aに戻る
というスパイラル >>300
米の遺伝子みてみたらいいんじゃないだろうか
コロナみたいに全部わかる 横レス
半島から東北に流入した米って栽培用じゃなくて食用の輸入米ってことなんでは
なんか話がかみ合ってないような 日本が統治時代に稲作普及させたおかげで東北地方の冷害の際に食用として送付出来るまでになったと言う事だろ > 日本が統治時代に稲作普及させたおかげで東北地方の冷害の際に食用として送付出来るまでになったと言う事だろ
どういう世界線から来とるんやら バカの相手するな
どんなスレでも朝鮮の話ばかりする朝鮮キチガイだぞ >>311
お前だって、どこのスレでも「朝鮮の話をするな」とブチ切れるのが専門の精神異常者じゃねえか(笑) スレ違いを指摘したら異常者とな
キチガイはやはりキチガイだ そんなことよりローマ帝国の性事情について話さないか? ローマ軍ですら従軍慰安婦なんていなかった
牟田口のように女を何人も連れて前線に行って部隊を全滅させた挙句に逃げ帰って安穏な余生を過ごしたような話はローマ帝国時代ですらない
さすがのネトウヨも牟田口は擁護できないだろう
従軍慰安婦問題は今の日本の腐敗文化の象徴でもある
そして今の日本を見ればこれは間違いなく嘘でなく本当の話と分かる
欧米人には遠く及ばぬジャップ
伝統的にこの島国の文化はローマ文明のような精緻でシステマチックな構造を作る思考がない >>319
ヘリオガバルスの方がまだ日本の無能将軍よりはマシかもな 朝鮮人の売春婦は、前線まで勝手についてきただけだ
売春も命懸けなので、それだけ収入が良かった >>315
やっぱ美人が多いというコーカサスから拉致してきたんだろうか 娼館ではグラマーなゲルマン女よりスレンダーなラテン女の方が人気だったということしか知らん
とはいえ、風俗産業は別として、ローマ人は男も女もゲルマン人の金髪に憧れていたことも事実のようだが。 文明人である自分たちよりヒャッハーな野蛮人のほうがルックスがいい
この事実を当のローマ人はどう受け止めていたんだろうか。
明治以降の日本では、少なくとも科学技術は欧米のほうが進んでいる。
欧米人の優れた体格や容貌も相まって、欧米崇拝に結びついた。
でもローマとゲルマンでは、文化面ではローマのほうが優れているわけだし 胸に栄養が行ってるなぁくらいの心象だったかもしれない ボインは赤ちゃんのためにあるんやで
ローマ人のものではないんやで >>251
ヴァイキングの死んだらヴァルハラ思想に近い ゲルマンは野蛮というがそれはローマ人と比較しての話
金属加工などの技術はかなり高度だった
それだけローマ文明が凄かったということになる
ゲルマンを野蛮というのなら同時期の倭人はモンキー >>325
ルックスがいいって何だ
みんながみんなガリア人をかっこいい美しいとは思わないだろ ガリア人と今のフランス人はだいぶ違うだろうしな
遺伝子が同じでも柔らかいもん食べりゃ顎も小さくなる ちなみに、ゲルマン人のことを古代ローマ人は「蛮族」とは扱っていない
古代ローマ人から「蛮族」とされていたのは、主に東方から来る人々だった ガリー人もゲルマニー人も蛮族じゃないのか?
蛮族でないならどう扱われていたのだ 西ローマ領域だと時代によって変化してる
共和制時代はエジプト・ギリシャ以外全部蛮族
ガリア平定後は元老院にガリア人増えてきてあまり呼ばれなくなった
ゲルマン人も傭兵や領国内に多く見られるようになって薄まった
西ローマ崩壊後の東ローマは一貫して西欧全部蛮族扱い >>337
> 西ローマ崩壊後の東ローマは一貫して西欧全部蛮族扱い
いわゆる西ローマ崩壊後も、東ローマは西ローマを蛮族扱いなんてしてないぞ
フランク人ですら蛮族にされたのはピピンが教皇と対立して以降のこと フランク人が長らく蛮族と呼ばれなかったのはカトリックだったからだね
イタリアのアリウス派なんかは東側と険悪な時期には蛮族よばわりされてたりするよ フランク人が蛮族でなかったなんて初めて聞いたな
ガリア人に類するものとして扱われていたのか? 修道院運営シム『Monastery Builder』発表、日本語対応。パン焼きにワイン造りに病院運営、坊主の仕事はラクじゃない
https://automaton-media.com/articles/newsjp/20211030-180810/
本作は日本語表示に対応する
対応してくれのはありがたいが何人買うんだってくらいマニアックじゃね >>340
数世紀に亘りローマ人として活動していたのも大きい フランク族とゴート族はローマの傭兵してたから準ローマ人みたいな感じ? 蛮族とされてなかったのはブルグント族も同じだが法則とかあんのかね >>344
「フランク人」と「ゴート人」は優秀な兵士を意味する一般名詞的にも使われてたんで、ローマ人を指しても平気でフランク人やゴート人と呼んでたりする
同一人物が宮廷詩人としてはローマ人の○○なのにバガウダエと戦ってる間はフランク人の○○になってたりする >>345
どこの地域も蛮族と言うのは詳しく知らない下品な集団を指す
下品な言動だったとされる事も深く知って行くうちに高尚とは認めないにしろ一定の理解を示す
つまり友好関係や協力関係等で交流があれば見方も変わる >>344
フランク人やゴート人の中にもローマ人はいるし、ローマ人の中にも普通にフランク人やらゴート人やらヴァンダル人やらスキタイ人がいる
それらは相反する属性じゃないので当然のように両方の属性を持ってる人たちがいる
というか、歴史に名前が残ってるレベルのフランク人やゴート人はだいたいローマ人だと思っていい まあ、数多の部族をローマ法の下に寄せ集めたのが「ローマ人」って概念だしねぇ ローマ人てのは一種の階級
中華風の礼法を学べば誰でもなれた同時代の華人と似たようなもん ローマが東方を支配下においたあたりでローマ人の意味も変化してる感じがあるね
カッシウスディオあたりがわかりやすい >>347
>末期ローマ終わってんなぁ
むしろ末期ローマの特に西側は不寛容な方
東側ならローマ人とされてる人たちまで西側では「純粋なローマ人」なる幻想によって排斥されていった
そうして門戸を閉ざして偏狭になった西側は、ゲルマン人らをガンガン取り込んで成長していく東側に完全に後れを取ることになった 今移民受け入れて治安悪化やその他諸々で苦しんでる西欧諸国みると排外主義は仕方ないと思う >>1
何と地中海が危険な地域でヨーロッパ人が
イスラム教徒に拉致されて奴隷にされた時代は
中世千年で終わらず、近代になっても19世紀前半まで続いたのだ 故にヨーロッパ人は北アフリカの海賊を平定した米英仏を奴隷貿易を廃止し、
ローマ滅亡以降危険になった地中海を平和にした
大善政と崇めずにはいられなかっただろう!
北アフリカの植民地化は他の地域と違って
ヨーロッパ人にかなり肯定的な評価があったはずだ >>360
今北アフリカから来てるのは難民だ
その中で仮にイスラム過激派のテロリストが
いたって、19世紀初頭の地中海よりはましだ
北アフリカの海賊が平定されるまでは
掠奪と通常貿易は並行して行われ、
貿易は今より遥かに命懸けだっただろう イタリア人のドイツ人のイメージって、
かなり良くない部分はあるだろうね
ローマ帝国末期に国土を荒らしただけではない
もっと後代にもドイツ皇帝の軍隊がローマに
掠奪に来たし、第二次大戦末期にはイタリア
にとって沖縄どころか九州に相当するシチリアを
連合軍に占領されて降伏しても、逆に裏切り者
として攻め込み、連合軍との地上戦を強要した
だからイタリア人がドイツ人を大嫌いになっても
不思議じゃない 中世にはイタリア人もドイツ人を拉致して
イスラム教徒に売り飛ばす事をしてたから
大戦中に同盟関係はあっても
お互いイメージは最悪かもな 日本人で例えたらケチで合理主義的なドイツ人は大阪人で独特の時間感覚を持っているイタリア人は沖縄人だからな
気質的に合うわけがないんだよな インドや旧ユーゴスラビア程ひどくは無いが
イタリアも北部中部南部と文化が結構違うんだよね
北部はフランスやドイツの影響強い文化 >>365
日本の近畿地方はオーストリアっぽいでしょ
六波羅平氏政権や室町足利幕府はハプスブルク朝みたいなお公家さん風お武家さん天下
或いはウィーンを京都に見立てるなら、バイエルン(いつも独立独歩)のミュンヘンが大阪って感じで
典型的なドイツ流の質実剛健派はむしろ東日本かな
鎌倉幕府や江戸徳川幕府がベルリンのホーエンツォレルン朝みたいな >>362
ダンテは分裂抗争を繰り返すイタリア諸国の未来を憂慮して、神聖ローマ皇帝による
イタリア統一を夢見たんだけどな
彼はその考えを『帝政論』にまとめている
もっともそのためにダンテは祖国から裏切り者として1315年に重罪を宣告される
ことになった
ちなみに『神曲』に出てくる鷲のシンボルは神聖ローマ皇帝の徴 イタリア、というかローマでは、5世紀末に皇帝を追放して以降は何世紀もSPQR中心のローマ支配が長引いた
9世紀になってローマ皇帝が復活し、10世紀末にローマ皇帝がパラティーノの丘に戻って来てみると、最初は皇帝を受け入れていたローマ人も、次第に皇帝のいる生活を「窮屈だ」と感じるようになり、ついには再び皇帝をローマから追い出してしまった よくドイツとイタリアが対照的だといわれるけど、ドイツとイギリスも別の意味で
対照的だな
ドイツ観念論に対してイギリス経験論、長い間分裂していたドイツに対して
ノルマン・コンクェストのおかげで早い時期に中央集権が進んだイングランド イギリスは経験論でドイツは観念論、フランスは合理論(フランス以外にもいるけど)
イタリアとスペインは何かないのだろうか
あとロシアとかも >>370
ノルマン人自身はフランス王からノルマンジーに住む事を許されたバイキングで、その内公国を
立ててノルウェー語を忘れてフランス語を話す
分権の象徴みたいな人達だったのだから皮肉な
もんだ ヨーロッパがフランク人を中心にした地域に
なるように見え出したら、またまたデーン人やら
ノルマン人やらが暴れ出して平和にならない
フランス王がノルマンジーにバイキングが住む事を許可→フランス系ノルマン人がイギリスを
乗っ取る→フランスがイギリスに国土の大半を
占領されるウェーハハハハハハハハハ!!! ドイツとイタリアは対照的だけど、どちらも統一が遅れたという点では共通しているな >>362
言ってもイタリア人ってランゴバルド人やらゴート人の末裔が大半だろ >>377
> 言ってもイタリア人ってランゴバルド人やらゴート人の末裔が大半だろ
東ゴート王国時代ですらイタリアでゴート人の割合はローマ人の3%未満
DNA分析でも西ヨーロッパや南ヨーロッパにはゲルマン系とされるDNAの痕跡が殆ど残ってない
それどころかゲルマン民族を自称してたドイツ人ですら北部海岸沿いの一部地域を除くと
ほとんどの地域ではゲルマン系とされるDNAが見つからないのが実際のところ ゲルマン人自体単一民族で統一国家を持ってなく様々に混血や移住もしてたし
ドイツ人とまとめられても言語と帰属意識の繋がりだけで構成されてるような物だから
DNA持ち出すのはちょっと違うかな スラヴの血を色濃くひくプロイセンがドイツ統一の中心になったという皮肉 1960年代までの民族移動仮説は「北方でゲルマン人が人口爆発して、溢れたゲルマン人がイタリアへ侵入した」だったけど
60年代以降の民族移動仮説は「南部の人口が減って北方の人口が増えてるのは、重税や6世紀のゴート戦争から逃れたローマ人が大量に北部に移住したから」ってもの
言われてみればそりゃそうだとしか >>380
> ゴート戦争の後のイタリア人ってどうなったの?
別にどうもなってない >>381
> ゲルマン人自体単一民族で統一国家を持ってなく様々に混血や移住もしてたし
> ドイツ人とまとめられても言語と帰属意識の繋がりだけで構成されてるような物
だからこそイタリア人をランゴバルド人やらゴート人の末裔とするのはちょっと違うね いわゆる「ゴート人」とかの言葉も歴史の中で何度かリサイクルされてるだけで別の時代や別の地域の「ゴート人」とは直接的に関係ない人たちだから、ひとまとめにして議論するのは難しいね ゴート戦争とユスティニアヌスの疫病でイタリアはさらに荒廃、さらにロンバルディ族やノルマン人、アラブ人が侵入
この時点で古代からの流れを汲むローマ人ってのは離散したか薄く馴染んだようなイメージだな
ヴェネツィア人が最も民族的な意味でローマ人の後継か? ローマとかにもずっと古代ローマ人の後継が残ってるよ >ゴート戦争とユスティニアヌスの疫病でイタリアはさらに荒廃、さらにロンバルディ族やノルマン人、アラブ人が侵入
>この時点で古代からの流れを汲むローマ人ってのは離散したか薄く馴染んだようなイメージだな
民族的な意味でならランゴバルドやノルマン人やアラブ人はローマ人に殆ど影響与えてない
それこそイタリアじゃ古代からの流れを汲むローマ人の方が圧倒的に多すぎて、外からやってきた部外者は圧倒的多数を誇るローマ人に消化吸収されてしまう なぜ多数いるはずのローマの末裔はランゴバルドなどの少数の蛮族に支配されたのか
それほど軟弱な文民と化したから戦うことを忘れてしまったのか? コンスタンティヌス大帝のせいやな
軍事力を皇帝(自分自身)に集中させるためローマ市民を武装解除させて軍人を傭兵ばかりにしてしまった やはり戦犯コンスタンティン...
功績も多いが衰退のきっかけもかなり作ってるな カラカラ帝がローマ市民権をバラ撒いたせいでローマ市民の政治に対する当事者意識がなくなった
だからもともとはパンとサーカスが悪い ランゴバルドが少数って言っても、イタリアに招き入れたのは東ローマだからねぇ
東ローマが番犬にしようとして招き入れたランゴバルドが躾に失敗して野生化しただけ 金持ち喧嘩せずだからじゃね
どの時代でも支配者層はローマ人のままだったし >>391
それいったら漢族と満州族の人口比なんてヤバいぞ
10対1どころじゃないし
太平天国の乱で南京占領の時は旗人がめちゃめちゃ殺されたけど
人口で押しまくれば普通そうなる 何匹羊が居ようとそれを率いる狼がいなければ無駄というわけだな 国家の終わりって大抵民の質も下がってるよな
4世紀以降のローマ
カルタゴ、アテネ、スパルタ、コリント、ペルシア...
こういう斜陽の時代に卓越した指導者が現れないと必ず滅亡するんだよな
少数民族に征服される国はそれだけどうしようもない状態にある アケメネス朝は斜陽気味だったとはいえ
それでもマケドニアとは比べ物にならないほどの大国だったよ
アレクサンドロス大王が化け物過ぎるだけ アレクが対峙したペルシアは反乱勃発しまくりで最悪な状態だったと聞く
だからこそアレクもやれると思ったんだろうな 3世紀のローマもあそこで滅んでいてもおかしくない状態だったからむしろ4世紀以降もよく存続できたなってレベルなんだよな
アウレリアヌス帝がいなければガリア帝国もパルミラも放置されたか更に領域拡大してきてローマを圧迫していたか... むしろアウグストゥスによる帝政移行から東西分裂まで400年あの領域を維持出来たことが上出来
ビザンツにいたっては内紛ばかりでギリシャ・ローマの遺産を食い潰しただけだが、それで1000年命脈を保ったのは奇跡 まあ「国家の終わり」自体が後から歴史家が勝手に区切ったもの(歴史的事実ではない)なんで、そう見える部分を選んで区切ってるってのはある 西ローマの終わりが古代ローマの終わり
ヴァイキング時代の終わりが中世暗黒時代の終わり
東ローマの終わりが中世の終わり
わかりやすい区切りだな >国家の終わりって大抵民の質も下がってるよな
民の質が上がったから革命とかで既存の支配者が打倒されるケースも多いけどね 為政者に対して声を上げて批判したり追放したりすることを「市民の質が高い」と評価する西欧的思想もあるし
為政者の暴政に対して黙って従う奴隷根性を「臣民の質が高い」と評価する東洋的思想もある >>403
>アウレリアヌス帝がいなければガリア帝国もパルミラも放置されたか更に領域拡大してきてローマを圧迫していたか...
最終的にガリア帝国が勝利してたら、単にガリア帝国側が正統なローマ帝国だったって今に伝わってるだけだと思う
「最終的な勝利者が正統」はローマの伝統だし >>410
ガリア帝国ってかなり不安定だしあれがローマを制圧できるとは思えん...テトリクスもなんかやる気ないしな
だがこいつらもガリア帝国なんぞ名乗ってはいたがやってることは帝位を僭称する軍人皇帝どもと変わらんのだよな >>408
古代ギリシアや近代世界で見られるパターンだな
貴族か民衆の力が強いと起こる >だがこいつらもガリア帝国なんぞ名乗ってはいたがやってることは帝位を僭称する軍人皇帝どもと変わらんのだよな
ガリア帝国って「名乗って」たの? そんな自称があったとは初耳だが 名乗ってはいない
そこそこ勢力が存続したから歴史記述の便宜上そこだけ取り出して解説できるように別名が与えられてるだけ
西ローマ帝国・東ローマ帝国・ビザンツ帝国・○○王国なんかと同じく歴史記述上の名称 ガリア帝国だけを指す名前自体がないが、近いのは
SQPR
RES PUBLICA ROMANA
IMPERIVM ROMANVM
どれでもどうぞ >>415
同時代にガリア皇帝の他にもたくさん皇帝いたけど、誰も独自の帝国名なんて名乗ってないんですよ そりゃまあ当の本人たちにすりゃ自分たちこそが正統なわけで
まさか後世に自分が僭称者とか別勢力よばわりされるとは思ってもいないだろうからねぇ 結局それよね
それの最たるもんが神聖ローマvsビザンツ >>420
ゴート戦争後のヒスパニアとギリシアの関係も実はそれ
皇帝ユスティニアスがアリウス派弾圧のためにローマに軍を送り込んだとき、ヒスパニアのローマ人はローマに攻め込んできたユスティニアスの方を「ローマの敵」と判定して皇帝として扱うのを止め、最終的にコンスタンティノープルの金貨を使うのを止めて自前の金貨を発行するようになった 神聖ローマ帝国も
西ローマ皇帝→フランク・ローマ皇帝からの流れを汲んでるから
あながちパチモンとも言い切れないんだよな >>407
百年戦争が終結して、ビザンツ帝国が滅亡した1453年が一般的に中世の終わりとされてる
分かりやすいしね
前者で貴族騎士が没落し英仏の絶対君主制への道が開かれたし、
後者でオスマン帝国の支配を嫌ったギリシャ人学者が逃亡し、西欧にギリシャ・ローマの知識が大量にもたらされてイタリア・ルネサンスに繋がる
あとオスマン領を通ると重い通行税を課されるから、それを経由しないルートの開拓として大航海時代が始まった ユスティニアヌスがローマを征服してフランク王らに西ローマ帝国を委ねて以降、ヒスパニアでは「ローマ人」とはヒスパノ=ローマ人とゴート人だけを意味する語になり、フランク人とギリシャ人は「ローマ人の敵」とされた
一方でフランク人とギリシャ人の側では自分たちこそが「ローマ人」であるとの認識から、彼らに従わないヒスパノ=ローマ人とゴート人とを「ローマ人の敵」とした
結局のところローマ帝国のどの地域においても、自分たちこそが生き残った最後の正統なローマ人であり、その敵対者が反ローマや僭称者と見なされていた >>422
パチモンどころか、ローマ(SPQR)が正統と認めてたのはカール大帝の方だし
だからカールが800年に堂々と「ローマ皇帝」を名乗ったのに対し、
それに対抗して812年にローマを名乗りだしたビザンツの方は「ローマ人の皇帝」としか名乗らなかった 名称は正当性と言うより地域文化の差だろうな
ローマ皇帝(ローマが認めた正統な皇帝)とローマ人の皇帝(その他の皇帝)は3〜5世に皇帝が乱立したときに使われた区別だが、ローマ皇帝を名乗れるのは地理的にも西皇帝に限られていた(だからコンスタンティウス2世も統一後はイタリアに拠を移した)
つまり東側ではそもそも過去にローマ皇帝を名乗った者がいないので、東側では最初からローマ皇帝を名乗ろうという意欲がなかったと思われる あと厳密にはローマ皇帝じゃなくローマの皇帝な
ローマの皇帝とローマ人の皇帝 フランク・ローマもローマと仲悪いときはローマ人の皇帝を名乗ってるけど? ブルガリアも皇帝も名乗ってるよね(最初は汗)
ツァールだっけか
ブルガリア人とローマ人の皇帝
つまり中世ヨーロッパはビザンツ皇帝、ブルガリア皇帝、神聖ローマ皇帝の3人の皇帝がいたってこと > 3〜5世に皇帝が乱立したときに使われた区別
そんな300年も前の用例なんて意識するもんかね? ブルガリアも最初は(ビザンツにとっての)正統なローマ人の皇帝として戴冠されたんよな
でもビザンツが盛り返した後で総主教が「あれは偽の帝冠だった」と言い出して後付けでブルガリア人の皇帝に歴史改変された >>427
「ローマ皇帝」の出典は?
以前もこういう議論があったようだが、また貨幣の銘文の解釈? >>423
ルネサンスってギリシアの亡命者のおかげだったのか >>434
こういうことらしいね
https://ja.wikipedia.org/wiki/ローマ皇帝
タキトゥスに限らず古代の文学作品では、「Roman/Romanum(ローマの/ローマ人の)」をprincipesやimperatorに冠する用例はほとんどなく、各作品の中で皇帝を示す用語はほとんどprincipesあるいはimperatorが単体で用いられている。
これはタキトゥスに限らず3世紀初頭のカッシウス・ディオや4世紀末の『ローマ皇帝群像』、アンミアヌス・マルケリヌスの『ローマ帝政の歴史』、更に時代が下って6世紀のプロコピウス『秘史』でも同様である。
タキトゥス『年代記』で「ローマの」がprinceps/imperatorに冠された回数は6回、『同時代史』では2回、カッシウス・ディオでは2か所、
『ローマ帝政の歴史』では4回(2020年2月現在日本語訳は三冊中の第一分冊しか出ていないが、第一分冊では3か所Romani Principis(及びその格変化形)が登場しており、訳者山沢考至はすべて「元首」の訳語を当てている
(最後の一か所はimperator Romanusで29巻1-4(日本語訳では第三分冊収録予定)に登場している)『秘史』では5回登場している。
このように、「ローマ皇帝」という用例は、古代において存在していたものの、文学作品に限られておりかつ非常に稀である >『秘史』では5回登場している
東ローマでも使われてたとは知らなかった >>435
最初は十字軍だな
西欧ではロストした知識技術が東ローマやイスラム世界で保管されてたから >>425
SPQRはゴート戦争による破壊で消滅したよ・・・ だよね
俺はそこで古代ローマ人は消えたと思ってる
ローマの後継者を自負する者たちが残っただけで(東ローマは除く >>436
なんか東ローマ帝国のページだと、またそれと別のこと書かれてるな
「ローマ人の皇帝」はコンスタンティノポリスに君臨した皇帝を指し、ローマで君臨した皇帝に対しては「ローマにおける皇帝ό βασιλευς έν Ρώμη」と呼ばれた。この二種類の帝位号は四七六年まで適用されたに過ぎず、ローマ帝国がその領域を西の部分で失った後は、もはや「ローマ人」を東西に分けて考える必要がなくなり、その意味でかれらはふたたび「ローマ人」の名で統一して呼ばれた いちおう東ローマ帝国の方はローマ皇帝の方と違って出典が示されてる様子 なるほど
西がローマで東がローマ人って使い分けは確かにあったわけね ゴート戦争による荒廃からのランゴバルド族の侵入という最強コンボで古代ローマ完全終了
イタリアが再び輝くのはルネサンスを待たねばならない ゲルマン諸国家の中でフランク王国だけが生き残り現在のフランスに続く
理由はアタナシウス派への改宗といわれる
他のアリウス派の国は全て滅んだ 支配者層のゲルマン人はアリウス派だが、被支配者層のローマ人はアタナシウス派
アタナシウス派に改宗することで広い支持をえることが出来たし、教皇の権威も利用できた >>445
>ゴート戦争による荒廃からのランゴバルド族の侵入という最強コンボで古代ローマ完全終了
ランゴバルド侵入後の古代ローマについてはローマ教皇庁の歴史とか調べてみるとよろしいかと >>445
ランゴバルド族はなぜ東ゴート族の代わりになれなかったのか?また彼らはイタリアで何をしていたのか ゴート族はイタリアに入る前からローマとかなり交流があってある程度は文化的になってたからな
初代のテオドリックが名君だったのも大きい
一方、ランゴバルド族は蛮族そのものだったからなぁ・・・ >>450
ランゴバルド族はランゴバルド族だけど、東ゴート王国のゴート人ってテオドリクスに雇用されたローマ人のことだし… ランゴバルド族はゼノンが連れてきたイサウリア人みたいなもの
東ローマにはゴート人がいたからイサウリア人を追い出せたが、西ローマではゴート人がいなくなってしまったせいでランゴバルドを追い出せるものが残っていなかった 東ゴート王国ができる100年以上前からローマ文明を間近に受けてきたわけだから彼らはもはや蛮族とは言えないのだな 末期ローマにおいてゴート人とフランク人はローマの文化を受容した元蛮族だったのだろうが、ヴァンダル族はどうなの? 東西ゴートやフランクやブルグントはローマ帝国の辺境守備隊の扱いでローマ帝国の一部
ヴァンダル族はローマ帝国とは異なる独立勢力の扱い 全盛期ローマだったからこそマルコマンニ戦争に耐えきれた >>443
その文言の引用元の本には史料出典は書かれていない。検索すると
ό βασιλευς έν Ρώμη は1869年に出版された歴史書しかヒットせず、そこでも
史料ではなく、著者の文に登場しているだけ(ό βασιλευς έν Ρώμη)
ちなみにその引用元の本は渡辺金一に酷評された本で現在の研究者はほとんど利用していない
虚偽ではないと思うが、ό βασιλευς έν Ρώμηが「ローマが認めた正統な皇帝」を意味していたのかは
より詳しい史料出典の確認や語用研究が必要だろう ガイセリックはアッティラと組んで西ローマを挟撃しようとしてたな SPQRの語は、現代人が「ローマの終焉」を想起する476年以降もローマ市では常に使用され続けていました。
ローマは衰退はしましたが、中世初期を通して西部で最も人口の多い都市であり続け、少なくとも西部では帝国の首都として認知されていました。
12世紀から16世紀にかけては復権したローマ元老院によってSPQR文書が発行され、SPQRの文字は市内で流通するフローリン金貨にも刻まれました。
フリードリヒ1世の印章がSPQRであったり中世中期のコムーネが引き続きSPQRを使用していたことも驚くべきことではありません。 ソワソン王国もガイセリックと組んで西ローマを挟撃しようとしてた >>442
『秘史』の用例はいずれも Ῥωμαίων が利用されてて「ローマ人の皇帝」の意味
だから少なくとも東ローマ側では「ローマ皇帝」を名乗る事例は『秘史』には登場していない >>455
王国設立してからは、人口の問題もありローマ化が進んだ ローマを散々荒らしまわったヴァンダルだが
建国後今度は自分らがベルベル人の侵入に悩まされるんだよな >>462
436のローマ皇帝の記事についてなら無出典の独自研究だからあんまあてにしない方がいいと思うよ >>463
>王国設立してからは、人口の問題もありローマ化が進んだ
ヴァンダルではカトリックが弾圧されてたと聞いてるが 確かにそうだな
>>427の
「ローマ皇帝(ローマが認めた正統な皇帝)とローマ人の皇帝(その他の皇帝)は3〜5世に皇帝が乱立したときに使われた区別」
からして無出典の独自研究っぽいしな 掲示板の投稿なんて基本的に無出典の独自研究ばかりだよ 出典あっても出典と全く違うこと書いてあったりもする あそこは出典をパッチワークしてペディアンが自説を展開する場所だから… 因みに今タキトゥスの出典を探してるんだが、436の記事には6回登場してるとあるが
今んとこ3つしか見つからない・・・
うちひとつはimperium populi Romani と書かれてて「ローマ人の皇帝」なんだが
他の二つRōmānusとその変化形が使われてて、辞書にはRomaの形容詞としても使えるとあるけど
本村凌二はこの単語はローマ帝国の訳語の検討部分で「ローマ人の」と訳し、意訳して
「ローマ帝国」といってることからすると、これらも「ローマ人の皇帝」となる
「ローマ皇帝」というタームはなかなか見つからないもんなんだな ごめん間違えてた
imperium populi Romani は「ローマ人の帝国」だった >>474
自己レス
検索してたのは『同時代史』の方だった。『年代記』検索したら5つは確認できたけど
やっぱり6個目がみつからない・・・・ ひえっ
そのローマ皇帝の該当部分と東ローマ帝国の該当部分を書いたの、どっちも同じ人だ
ノートで「資料を精査して○○と考えた」とか独自研究を堂々と宣言してる ローマ皇帝も東ローマ帝国も記事の文量の割には出典不十分バナーが取れないのはそういうことだったのか・・・
今夜調べたところを加筆しとくかな
時間があればwww >「ローマ皇帝」というタームはなかなか見つからないもんなんだな
ようわからんが、>>442も>>427も帝政末期に使われた用語としてるから、タキトゥスから探すんじゃ時代が昔すぎるんじゃないの? タキトゥスは一括検索用のテキストがあるんだがマルケリヌスのは作ってないので
やりやすいタキトゥスと日本語索引のある秘史でやってしまった
たしかにその通りだ
マルケリヌスは4ヶ所だけとのことだからそのうちやってみるかな・・・ German Romanist って人の編集、ツッコミ入れようかと思ったがツッコミ所が多すぎて考えるのを止めた >>480
ごくろうさまです。
でも独自研究は膨大な量をこれでもかと書き連ねて追及する人の意欲を削ぐ作戦だったりするからあんまり根をつめてやるような作業じゃないと思うよ。
>>427氏が
「ローマ皇帝(ローマが認めた正統な皇帝)とローマ人の皇帝(その他の皇帝)は3〜5世に皇帝が乱立したときに使われた区別」の
出典だせばそれで済むんじゃないかと。 >>457
もしマリウスがいなかったら結果はどれくらい違っていただろうか
4世紀のクソみたいな展開もカエサルやマリウスやポンペイウスのような英雄がいれば変わっただろうか >>460
そのくせ西ローマの皇帝は何度も首都移転させてないか?ローマは名目上の首都でしかなかったのでは 首都移転なんてあったか?
皇帝の居場所は首都じゃないぞ ディオクレティアヌスの居城移転は首都移転と言えないかも知れんが、西ローマ以降のビザンティンやラヴェンナやミラノに移ったのは首都移転じゃないのか?
元老院がどこにあるかで判断するか皇帝がどこにいるかで判断するかで認識が変わるんじゃね? コンスタンティノープルが人口100万のときにフランク王国の首都は人口10万だったらしいが何年ごろなんだろう だから西ローマ以降のコンスタンティノープルってなんだよ、と 首都移転ではないんじゃね?
少なくともホノリウス以前の分担統治時代には首都移転がないとして
ホノリウス以降の皇帝もローマで任命されてラヴェンナに赴任したりローマに居続けたりしてるのいるし
それ以前と同じく皇帝が滞在する前線基地でしょ コンスタンティノープルに拠点を移した皇帝なんていたっけ?
コンスタンティノープルに留め置かれた幼いアルカディウスが生涯コンスタンティノープルから動かなかったせいで東の皇帝所在地として定着しただけだが 皇帝が別の街に拠点を置いても首都はローマのままってか >>492
これ不思議だよな
フランク人はなぜ首都がなかったのか
分割しまくるから? 京都と東京の奠都・遷都論みたいだな
京都人は今でも天皇は東京に行幸してるまま
とかいう 道路を維持できず森も深すぎて、どの都市も孤立してて政治的経済的中心にならなかった? >>489
ミシェル・カプラン『黄金のビザンティン帝国』に帝国の最盛期のコンスタンティノープルの人口は30万から40万てあった >>478
> 今夜調べたところを加筆しとくかな
> 時間があればwww
自分で調べたことを書くのは独自研究になるので、独自研究のタグだけ貼って後で削除するのが正解 >>495
都市はローマ帝国に属しててフランク王国に属してないから
フランク王は都市に滞在する部外者に過ぎない >>501
校訂本で出典の確認ができたという加筆と「ローマ皇帝」ではなく「ローマ人の皇帝」だったという修正なんだが・・・ ポストローマ期研究関する本を読んだことがあるけど、フランク王は年間めちゃくちゃ移動するんだなーと
軍と一緒に
こりゃ早死にするわ >>494
4世紀まではそう。
ただしコンスタンティヌス一世時代にコンスタンティノープルで発行されたコインにVRBS ROMA(首都ローマ)とあり
これはコンスタンティノープルが首都ローマを宣言したものという説があったりするが、
貨幣発行地はコンスタンティノープルだが銘文は首都ローマを讃えたものである、という反論もある。
4世紀後半には、359年にPraefectus urbi(首都長官)がコンスタンティノープルに置かれたり元老院が置かれたりとローマに並ぶ意識が出てきて
5世紀初頭の文献官職要覧においてPraefectus Urbis Constantinopolitanae(首都コンスタンティノープル長官)、
Praefectus Urbis Romae(首都ローマ長官)、のように並び称されるようになる。
更にテオドシウス時代にUrbs Constantinopolitanae Noua Roma(新ローマの首都コンスタンティノープル要覧)という文献が登場する。
文献が新ローマと名付けられた背景には410年のローマ陥落があるという見方があり、ローマが陥落しなかったら両首都として
並び称され続けたかも知れないが、2度(410年と455年)も陥落したおかげでコンスタンティノープルの方が首都と見なされるようになっていった。
個人的には、アルカディウス時代に着工されていた城壁が、テオドシウス2世時代に二重にされ堀まで作って強化したのは
ローマ陥落後の凋落を見て、陥落すれば首都としてお終いだ、という強い危機感があったんではないかと思ってる。 >>507
詳しくありがとう
ミラノやラヴェンナに皇帝がいても国としての首都はローマだった
さらにコンスタンティヌス以降のローマでも政治の中心がコンスタンティノープルに移りつつあっても首都はローマだった、ということなのか
しかしそのコインの話もそうだけどまだコンスタンティノープルが首都なのか旧来通りのローマが首都なのかは議論中って感じか >>507
>文献が新ローマと名付けられた背景には410年のローマ陥落があるという見方
Oxford研究者オンラインの書籍解説には
建都後100年経っての文献であっても
「新ローマ」という名称は過大評価ではない、
とあり、「新」は100年前の建都のことだと
解釈している
一方コンスタンティヌスのVRBS ROMAは
コンスタンティノープル以外の場所でも
発行されていてコンスタンティヌス以降
の諸帝も発行している
よってローマを意味しているとの見解の
方が主流
ただし東ではアルカディウスが最後で
西では465年まで発行されているから
東側はアルカディウスを最後にローマを
首都と見なさなくなっていたとはいえるかも 4世紀以降の古代ローマ皇帝で有能と言えるのってどのくらいいるかな
コンスタンティヌス、ユリアヌス(早々と死ななければなにかできていそうだった)、ウァレンティヌスくらい? >>510
コンスタンティウス二世、ワレンティニアヌス一世>ユリアヌスかな
コンスタンテイヌスは個人のカリスマで体制を支え遷都や体制を構築しきることができなかった
カリスマ後の持続する体制構築をしたのはコンスタンティウス二世とワレンティニアヌス一世の功績
ユリアヌスはポテンシャルはあったが前代の遺産の上での帝国の現状があるということがあまりわかってなかったように見える
人として有能だと思うがそれと支配がうまくいくのは別の話でテオドシウス二世のように
平凡な人でも治世中の功績が多い皇帝もいる >>512
コンスタンティヌス2世って有能だったのか。そんな功績ある?
テオドシウスに関してはどう思う?キリスト教徒は大帝と呼ぶが...
ユリアヌスは焼肉のエピソードが本当なら人の心が分からないタイプの有能指導者だった感じがする 功績
コンスタンティノープル元老院に関する多数の法律を整備し元老院議員を2000人に拡充して騎士階層を吸収
東方支配層の身分層と能力による就任資格を明確化し支配体制を安定させた
コンスタンティノープル首都長官の設置(元老院議員への上訴権を持った)
帝国統一
初代ソフィア教会建築や聖遺物収集など首都の宗教関係整備
ギリシア語文芸の活性化(ユリアヌスの側近のギリシア語知識人の多くはコンスタンティウス二世時代の登用)
クリーニング屋の息子が才能を伸ばして元老院議員に出世したりと流動性の高い社会を創り出す政策を推進したことは大きな功績
マイナス部分
アゲンテス・レブスやトリブヌス・エト・ノタリウスなど警察官憲を増大させすぎて官憲腐敗が蔓延した
ユリアヌスの定数削減は当時善政だと評され、これが根拠で以前はコンスタンティウス二世の時代は秘密警察に締め上げられる暗黒時代と
されていた
テオドシウス一世もワレンティニアヌス一世程度には有能と思うが、ワレンティニアヌス一世が
無能な弟を東帝にしてゴート戦で大敗したように後継者作りに失敗した点がマイナス 10世紀のローマ
人口約5000人
巡礼相手の商売で細々と >>511
> 学者同士が屁理屈でマウント取り合ってる状態か
当時の出来事ならまだしも、当時の人の意識調査だからね
しかも追加の質問も確認もできない 当時の他国がどう呼んでたかもかみしろよ
ローマだろ イスラムによるコンスタンティノープル陥落(ローマの終わり)の事前予言
これがあるから西欧史観学者は東ローマを低くしたい
アブー・フライラは伝えている
アッラーのみ使いは、「一方は陸地で他方は海に接している町(コンスタンチノーブル)について、なにか聞いたことがあるか」と言われた。
人々が「いいえ、ありません」と答えると、み使いは「“最後の時”が近づく頃には、七万のイスラーイールの民(バヌー・イスハーク)(注)がここを攻撃する。
彼らはここに上陸すると、武器を手にして戦うことも矢を射込むこともせず、ただ、アッラーの他に神はない!
アッラーは偉大なり!
と叫ぶだけであるが、それによって町の一角はくずれ落ちるであろう」と言われた。
このハディースに関連し、口述者の一人サウルは、次のように述べている。
「私は、み使いがこう言われるのを聞いた。
『海に面した二角がくずれおちる。
次いで、彼らは二度目にアッラーの他に神はない!
アッラーは偉大なり!
と叫ぶ。
するとまた、別の一角がくずれおちる。
更に彼らは、三度目に、アッラーの他に神はない!
アッラーは偉大なり!
と叫ぶ。
するとそれによって門が開かれる。
彼らは中に入り戦利品を集めて仲間同士でそれを分配し合う。
しかし、この時、「ダッジャールが現われた」と言う叫び声を聞く。
そのため、彼らはここに全てを残したまま、ダッジャールと戦うため帰途につくのである。』」
これは確実にコンスタンティノープル以前に存在して、それが実行された予言
この他に騎馬民族が侵略してくるなどの予言もあり テオドシウス1世はキリスト教にとっては名君でもローマにとっては最後は暗君かな
エウゲニウスと仲良くしとけば帝国が東西に別れて争うこともなかったし西側が弱体化することもなかった
でも東ローマを回復したのは立派 さすがにウァレンスは評価してる人ほとんど見たことないな 8人から9人もの対立皇帝を打ち負かし、30年にも
渡って帝位を維持したホノリウスは実はもの凄く優秀なのではないだろうか >>504
> 王宮があってもか?
王宮は王国の所有物じゃなくて賃貸 こんなゴミでも暗殺されないほどローマは落ちぶれたというだけのこと >>503
Wikipedia では
「書籍『@@@』では「$$$」という語が n 回使用されている」 (私が数えた)
「書籍『###』の「YYY」は原文では「XXX」となっている」 (私が確認した)
「訳者Aが原文「XXX」を書籍『###』で「YYY」と翻訳している」 (私が確認した)
みたいのは全部NG
Wikipedia では
「専門家Kによれば、書籍『@@@』では「$$$」という語が n 回使用されている」
「専門家Nによれば、書籍『###』の「YYY」は原文では「XXX」となっている」
「専門家Mは、訳者Aが原文「XXX」を書籍『###』で「YYY」と翻訳している、と述べている」
みたいに書かなくてはダメ >>515
> 10世紀のローマ
> 人口約5000人
大概の資料で10世紀のローマ人口は3万人〜4万人とされてるようだが?
それ何で読んだ? >>525
ごたくを並べてないで早く>>427の出典を出せよ >>528
出典なんか出す必要ないよwww
独自研究のタグ貼って削除するのが正解だよ、バーカ >>530
遂に罵倒ときたか
>>427の内容からしておかしいと思っていたが 独自研究のうえに他人に出典を探せるとかアホすぎるんだが
そんなに出典が欲しけりゃ自分で探せばいいじゃん
出典がないのは消されても文句言えないのがWikipediaのルールだよ あんた俺がWikipediaの執筆者だと思ってる?あの執筆者に記事を消された人かね?
そうだと納得できるがな。独自記事を消された恨みをここで晴らそうとしてもだめだよ。
正解だと思うなら自分でさっさとWikipedia削除したら?
あれだけ書き込んでる執筆者と編集合戦になりそうだがな。
俺は今回一部を検証したところ、だいたい合ってるんでウィキペの方針にある検証可能性が担保されてると思ったんで
より検証しようとしやすくするために出典箇所とか加筆しようか(でも加筆箇所が多くて面倒だから
時間があればやるぜwww)と書いたわけだが。まああの執筆者と関わると面倒になりそうだというのもあるが。
それとは別に>>427に最初に疑問をぶつけたのは俺だから何度も聞くんだが、何の根拠もないこと
書いてばかりだと呆れられるだけだよ。
>>537
もうしわけない。>>427みたいに出典も出せないのに上から目線でもの知り顔に書き込まれるのは迷惑なんでね。 前スレをちょっと見てみたが‥‥結構定期的に罵倒合戦になってんだな
同じ連中なのかね また罵倒かとの意見があるがヘイトじゃあないからましかなあ
5chも昔院生が多数出入りしていた頃は出典厳守だったんだが時代が変わったなあ
昔は勝手にスレ立てるだけで怒られたんでスレ立て伺いスレまであったものだが
素人の質問は門前払いだったりして窮屈だったんであれより今の方がましだよなあ
少なくとも今は対等に罵倒し合ってるが当時は院生から叩かれるだけの修行寺
みたいだったからなあ >>538
出典箇所を加筆するつもりなら何も問題ないよ
「今夜調べたところを加筆しとくかな」って言ってたから「自分で調べたことを書くのは独自研究だ」って指摘しただけなんだがね
被害妄想も大概にしとけよ いいわけがましい奴だ
決着したようなので寝るわ
出典の加筆はタキトゥスと秘史については一応ノートに書いて執筆者から注文がつけられないか様子見してからやるよ
せっかく時間をかけて検証したんだし。そのうちだけど
マルケリヌスは当面おいとく
日本語訳の巻末索引見てやる気がなえた
タキトゥスのようにラテン語版を一枚のファイルにまとめて検索すればすぐ終わる気もするが >>542
出典の加筆に元・執筆者の許可なんかいらんよ 黙れバカども
それはそうとカルタゴは滅びるべきである ローマ人は戦乱を避けて今のフランスやドイツへと逃げていった
争いを避けてスレを出ていったローマ人は今どこに?元老院はどこに? >>543
先に絡んできたのはそっちだろ
>>544
編集合戦になるのが嫌だから事前にノートで交渉しようとしてるんだよ
>>427のようにいつまでの出典を出さないよりよほどましだと思うが
ケチばかりつけられるのでやるきが失せた
そのうちやるかもな 自分を批判してくる人はみんなグルとでも思ってるタイプの人かな? > 10世紀のローマ
> 人口約5000人
で、結局これの出典どうなったの
ゴート戦争後500人とか、やたらとローマの人口低く見積もられてると思うんだが >>540
こういうのがよくないんじゃないの
ヘイトはダメだがどんな意見も対等みたいな寛容すぎもダメだろう >>555
それの出典どこ?
なんか統計とかあんの? そもそも○○認定みたいなのは意見ですらなく狂人の妄言でしょ >>559
あってると思うよ
紛らわしかったかな
>>555
> ここもクソスレになってきた
> 出典ださない人大杉
それの出典どこ?
なんか統計とかあんの? はずしたギャグの解説をするほど寒いことはない・・・ いちゃもんつけてないでオマエは早く>>427の出典だせよ
>>515も出典だせ 「ここもクソスレになってきた」って言うなら、前スレからの出典ださない人の割合の変化とか示さなきゃまずいんじゃないの >>564
オマエが出せよ
なんで俺に出典聞いてんだよ 統計があったとして
クソスレの基準値オマエ判断できんの? >>566
どっちも俺じゃあねえよ
もしかして>>515は俺だと思ってる?
反論者は全部同じ人だと思ってる妄想狂か? アホか?
俺は何も聞かれてないが?
最初から一貫して>>427の出典をきいてるんだが?
この罵倒戦ははじめか427が出典を回答してればサクっと終わったもんなんだよ
それをいつまでぐだぐだと・・・・・さすがに痴呆だとおもうわ >>568
> どっちも俺じゃあねえよ
> もしかして>>515は俺だと思ってる?
> 反論者は全部同じ人だと思ってる妄想狂か?
それはオマエだろ
527で515に出典求めてるのが俺だよ
最初に俺に427とか515の出典を求めだしたのはオマエだろうが >>570
> アホか?
> 俺は何も聞かれてないが?
キチ_イ? >>567
> 統計があったとして
> クソスレの基準値オマエ判断できんの?
それ統計出さない根拠にならないよ
基準値はクソスレにになったって言い出した>>555が示すんだよ 今度は基地外呼ばわりか
出典要求にこれだけクソレスが続いているのにここがクソスレかどうか統計だせとは
本当にバカたれだな >>574
自分も攻撃に回れば>>427の出典要求から逃れられるとでも思ってんの? >>576
ごたくはいいから早く>>427と>>515の出典だしてみろよ >>575
自分でクソスレにしてるんだから自作自演じゃん おもしれえ展開だ
出典だせと攻められて逃げ切れないとなりすましに出てきた
さらしあげして広くみてもらいたい >>578
> だから俺がそれを聞いてるんだってば
ごたくはいいから早く>>427と>>515の出典だしてみろよ >>579
あんたが>>427なら早く出典だせ
そうでないなら、お互い427と515に出典要望だしてるだけで同じなんだから
要求し続ければいいだけ。 >>581
俺は427でも515でもないから出典を求められるいわれはないが? >>583
> あんたが>>427なら早く出典だせ
> そうでないなら、お互い427と515に出典要望だしてるだけで同じなんだから
> 要求し続ければいいだけ。
だからさっきから俺がそれを聞いてるんだが?
いつにになったら出典だすの? >>585
俺は427でも515でもないから出典を求められるいわれはないんだが、オマエさんは俺に427と515の出典を求めてたんじゃにかったっけ? なりすまし作戦で1000レスまで続けるつもりかね・・・笑ちゃう
どっちにしろ427も515も弁護する人がいなくなったみたいだからOKだな
427も515もガセということで決まり >>553 > 自分を批判してくる人はみんなグルとでも思ってるタイプの人かな?
>>568 > 反論者は全部同じ人だと思ってる妄想狂か? ゴート戦争勃発
スレは荒廃し、二度とローマは復活しない >>58
> どっちにしろ427も515も弁護する人がいなくなったみたいだからOKだな
最初からいないじゃん ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
のスレタイ通り
今後は暗黒の中世の話をしよう 東方正教会が典礼言語をギリシア語で統一していたら、
ロシアやバルカン諸国にも古代ギリシアの遺産が伝わっていたんだろうか? 典礼後がギリシア語だったらキリスト教の浸透自体が阻まれちゃったかも 日本の借金 1100億円
韓国の借金 1000兆(約97兆円)ウォン
こうして見ると韓国の方は額が少なく見えるけど
国力的にはきついのかね? 幕府も諸藩も借金だらけ
日本人は歴史的に財政運営が下手なのか? >>606
昭和の日本政府も借金踏み倒したり、戦争税率100%とかで支払った金を全額回収とかしてた フランス「借金返せよ」
ソ連「それって帝政ロシアの話でしょ?俺ソビエトだからそんなこと知りましぇーんwww」
フランス「ファッ!?」
実話です カエサルのものはカエサルに
ツァーリの借金はツァーリに請求しろ オスマンの借金なんかももし請求するならトルコ政府にじゃなくてオスマン家にだろうしな ワイマール共和国は第一次世界大戦の賠償金払わなくて良かったのかw ベルサイユ条約を締結・批准したのはワイマール政府なんだよなあ ヒトラーはドイツというよりヨーロッパそのものの産物だよなぁ 敬礼も行進もナチス式と言われてる物のオリジナルはローマ帝国 ローマ式敬礼って実は間違いだったんじゃなかったっけ?
実際は敬礼でも何でもなく周囲に向かって手を挙げてるだけ 間違いだったかはわからん
ただ近世の画家たちがローマ式敬礼している絵を定着させてしまったからそういうものがあると認知されてしまった
アウグストゥスなどの手を挙げているポーズを敬礼として認識してしまったんだろうな
もしくは本当に敬礼があったのかもしれんが もし中世ヨーロッパが豊かだったらモンゴルはフン族のごとくイタリア半島に侵入しただろうな マルコ=ポーロは帰国後は不遇なのよね
あのまま元に残った方が良かったんじゃないかしら? 弘安の役で捕虜のうち元南宋人は生かして、
モンゴル、漢人(華北の漢族、女真族)、高麗人の兵はぬっころしたんだっけか? マムルーク朝やオスマン帝国は捕虜にしたキリスト教国側の騎士を自軍に組み入れたり、
またはそれをだしにして敵に身代金を要求したりしたそうだ ササン朝は捕虜にしたローマ兵を土木工事に従事させていたな >>620
ラッバン・サウマーというネストリウス派の僧が施設となって、シチリアの晩祷事件前後で外交無双をやったようだ。 >>622
『元史』にあるな。「蒙古人、色目人、漢人、高麗人は皆之を殺す。
南人は唐人也と謂いて殺さずして奴とす」 弘安の役の後、鎌倉幕府による高麗出兵計画があったんよな >>615
第一次大戦後の巨額の賠償金には当時からやり過ぎだと批判はあった
さらにその後のルール進駐等のフランスのご無体も重なり
ドイツ国民の反発がヒトラーの政権掌握を後押ししたのも事実
第二次大戦後も英仏は独に巨額賠償を要求したと言われるが
また同じことを繰り返す気かとアメリカに一喝されたという >>618
少なくともナチスやムッソ政権が用いてた様式の敬礼が古代ローマ軍由来ってのは
全く根拠がないので「間違い」と断言できる 巨額賠償金になったのはユダヤ人金融資本から金借りてたせいだしな 俺の中だとイギリスの方がドイツに融和的なイメージあって、逆にアメリカはユダヤ人が亡命しまくって強硬的な態度に感じる
政治判断のレベルと民衆の雰囲気レベルとでは違うんだろうけど ゴドウィンはもう発動しないぞ。扇動者としてマークされるだけだ >>629
彼らのは17〜19世紀の絵画が元だと思う 第二次ポエニ・戦争後、カルタゴはローマへの巨額の賠償金を全て返済したけど
その経済力がローマに恐怖感を募らせることになった >>628
> 第二次大戦後も英仏は独に巨額賠償を要求したと言われるが
> また同じことを繰り返す気かとアメリカに一喝されたという
アメリカに限らず英仏も第一次大戦の反省から最初から寛容路線だったと言うが 年末ジャンボ発売か
伊勢神宮へ行って天照大神に7億当たるようお願いするかな? ある飲み会で、ラコステのポロシャツを着てた女がいたのよ
でも何か違和感があったので、改めてロゴをじっくり見たら「wani」って刺繍してあった 匈奴、羯=テュルク系
鮮卑=モンゴル系
氐、羌=チベット系
ふむふむ ヴァンダルはスラブ系説
バルト三国はゲルマン系でもスラブ系でもないよね
ギリシャ系も独立してる
ルーマニアはスラブの海に浮かぶラテンの島 まあ、今のルーマニア語がラテン語っぽくなったのは18世紀の国家プロジェクトによる大改造によるものだけどね
それまではキリル文字使ってスラブ色の強い言語だったし ウラドの頃だともうローマ人の末裔だった記憶は完全に消えてるでしょ アラブ人はいつしか自らは戦わなくなり、戦争はトルコ人の傭兵頼み
そしてセルジューク朝やマムルーク朝やオスマン帝国などトルコ系国家に支配された 軍事を傭兵任せにするようになると必ず滅びのパターンだね
ローマ然りアラブ然り >>649
記憶はなかったかも知れんが当時の自称はロムネアスカ(Romaneasca) アウレリアヌス帝によって自主的に最も早く放棄された属州がなんでローマ人を名乗ってるのか謎すぎる ドナウ河から北の唯一の属州だからじゃないの
特別な感じがしたのだろう
国歌にトラヤヌス出てくるし ゲルマニアもローマを名乗ったしロシアですらローマを名乗った
それに比べればまだこっちのほうが正統性あるわな >>655
ダキアから移住させられた人々がルーマニア人の祖先なのかね 地域的にスラブ人が中心でハンガリーと同じくアジア人も多く流入してる
インド方面からもロマ人が放浪して住み着いてるしでドイツより人種多様 今はもうダキアという古称に愛着を持つ国民はいないのだろうか。 天孫降臨などと言ってるジャップよりはルーマニアの方がまだ信憑性はある
ナショナリズムの中核が神話か史実かの違いは大きい 多分朝鮮半島のナショナリズムについて揶揄しとるんやろ
残念ながら朝鮮半島のナショナリズムは日本という悪への抵抗と打倒という歴史によって形成されてるので
天から降りてきた神様みたい御伽噺にすがる必要はないのよな ルーマニアはずっとハンガリーの一部。近代に入って偽のアイデンティティを形成させられた カルパチア/バルカン半島エリアはずっと民族移動の交差点だった関係で
所謂「ヴラフ人」は遺伝的には古ダキア人は当然だしゲルマン・スラヴ・ギリシャ・マジャル等々
全部ぐちゃぐちゃに混ざって含まれてる
ただし言語・文化的には、カルパチア帯ではダキア・ローマ時代からの要素は中世初期までには消滅してるとのこと
「ルーマニア人はダキア人とローマ人が混ざった末裔」というdaco-roman史観はもちろん近代からの創作 そもそも『ダキア人』すらケルトやスキタイやサルマタイも流入してる雑多な集団
あの地域は古代から現代までずっと地球上有数のサラダボウル 完全な創作なのかどうかで変わってくる
完全な創作なのか真実も混ざったものなのか 中世に途絶えたとされているけど実は途切れてなかったりはあり得そう >>672
daco-roman史観に対するアンチ理論でもあった移民説では
ルーマニア領域のロマンス語化は10世紀以降のドナウ南からの断続的移住によって
現地ダキア人を吸収してかなり長い時間かけて進んだものとされていて
ローマ帝国時代の「ローマ化」による直系的影響は否定してる
んでチャウシェスク政権崩壊してdaco-romanナショナリズムの呪縛が溶けていった今では
ルーマニア国内でもこの見方を支持する研究者が増えてる(若手世代)
ただしメディアや一般人界隈ではまだdaco-roman史観も根強い
ちなみに古ダキア人が、「ヴラフ人」のルーツの一つである点については
国内外問わずどの学説派もまず否定してない >>672
でも公用語はスラブ語だったし文字も長いことキリル文字でしょ ルーマニアといえば、ハンガリー王から神聖ローマ皇帝になったジギスムントがローマの文化をもたらしたんじゃないかなくらいに思っていた。daco-roman史観なんてあるんだな。 ダコロマン史観云々はともかく
一度民族的・文化的断絶があるなら
なぜラテン系のルーマニア語が生き残ってるの? ちょっと文化が流入したくらいじゃ言語まで交代せんだろ
言語交代が起こるほどの大規模な人口流入や圧倒的な文化流入とかあったとしたら、それはローマンダキア時代ではないか?という仮説も、研究の進んでない時代としては一定の合理性はあったんじゃないかな
まあローマ帝国の栄光と連結することで近代における「国民創造」をはかる意図のほうが強かっただろうけど ルーマニア語の初出は16世紀で、まだ当時はキリル文字
イタリア語を参考にしてラテン文字による正書法が“考案“されたのが18世紀で、同時に単語もイタリア語やフランス語から借りて新言語として再構築された
キリル文字が廃止されてラテン文字が公式になったのは19世紀になってから
ラテン系ルーマニア語は近代の産物 >>683
使用文字と言語系統はなんの関係もないだろ
日本でもROMAJIKAIの人たちが日本語のラテンアルファベット表記を目指す運動してるけど、それが成功したら日本語がラテン系言語になるのか? 近代国民国家創生に伴う”標準語”創出運動の中で大規模な語彙の変更や借用が行われるのも珍しくないことで、そのことによって言語系統が変わるなんてことはありえない。
「ルーマニア語がラテン系言語である」ということの意味は、ルーマニア語が俗ラテン語の娘言語であるってことで、それは伝説的なダコ=ローマ史観の当否とは関係なく事実でしょ。 周囲のブルガリアやユーゴスラビアはスラブ語化したのに
ルーマニア語だけなぜラテン系なのか 「ルーマニアのロマンス語化は近代」って概念は、ナショナリズム・ダコロマン説へのカウンターとして先鋭化したもんで
これもまた今日ではまず支持されていないよ
中世初期において南の東ローマ圏からのゆっくりとした移民流入で徐々にって見方が今の主流
つまりはローマ帝国の末裔と広義では言えなくも無いけどローマはローマでも東ローマ カルパティア帯にロマン語を持ちこんで定着させたのは
東ローマ時代に現アルバニア・マケドニアあたりから来たローマ化されてた連中だとか
ダキア属州時代からのものではないけど一応ローマ帝国の遺産ではあると 中世バルカンの絶え間ない動乱とスラヴ化の波で
弾きだされた旧ローマ帝国圏の人々がカルパチア山脈に逃げ込んできた感じか 21世紀の今でこそ支持広めてる移民説だって一昔前までは東ローマ周りのこと触れてしまうと
「あー結局ローマ帝国に求めるのね広義のダコ=ローマン史観だね」と曲解レッテル張りされマトモな議論できなかったからな
とくにチャウシェスク政権のせいで
史学に民族主義政権が介入すると対抗派も感情的になって分野全体が極論硬直化するからホントろくでもない >>688
東ローマってギリシャ語だからラテン語は流入せんのでは? >>692
バルカン半島のアドリア海側は東ローマ時代でもラテン語系話者それなり多かったとされてる
あと現在でもアルバニアやギリシャ北部あたりにロマンス系アルーマニア語が残ってる >>692
今のブルガリアを南北に分けるバルカン山脈の北側はローマ時代はラテン語
ブルガリアの首都ソフィアあたりから西もラテン語
ざっくり言うとバルカン半島の北西部はラテン語
中世のギリシア語文献に今のアルバニアセルビアギリシアエペイロス地方の
山中にヴラフ人と思われる牧畜民が登場し、これが北へ移動したというのが
移民説 ルーマニア地方(トランシルヴァニア・イリュリア)にロマンス語が入ってきたのは東西分裂する前のキリスト教時代
西ローマ崩壊後・東西分裂後は周辺諸国同様ギリシア語やスラブ諸語中心に変化してった
1698年にルーマニア人は東方正教会でありながらカトリックの教皇の存在を認める東方典礼カトリック教会の信者となった
その事により時の君主ハプスブルク家に少数民族であったルーマニア人を正式にトランシルヴァニアの3つの民族として正式に認められた
18世紀に改革をしスラブ諸語等から借用されてた言語を全て排除してフランス語やイタリア語から借用するようになった
「ルーマニアのロマンス語化は近代」と言う概念は言い過ぎだけど
強制的に国を挙げてロマンス語化に戻して今のルーマニア語に至ってるのも事実 スラヴ語派やヘレン語派と、ラテン(ロマンス)語派とは、相当異なるけど、
ルーマニア語は基層そのものがラテン(ロマンス)語派でしょ >>674の説だとドナウ南からの流入が10世紀以降ってことになってて
キリスト教の分裂や西ローマ帝国の崩壊後ってのとはだいぶ時代が違わんか
10世紀頃にはバルカン半島にはすでにスラブ人がかなり入っていて
南からラテン語が流入するってイメージが無いのだが >>699
4世紀末までってんならその頃はローマ帝国現役なわけだし
ローマの入植なり移民がルーマニア語の先祖ってことになる
一方で対立説だとルーマニア語ってのはローマ帝国の子孫ではなくて
それとは関係なく10世紀ごろにドナウ以南から入ったロマンス語話者が形成したってことになる
こりゃ一体どういうことだ >>698
いわゆる「移民説」の共通認識はダキア属州放棄後の流入という点であって
その具体的時期については放棄直後だとするのから中世盛期だとする説まで様々
それとアルバニアら山岳地帯などではラテン語派が現代に至るまでしぶとく残ってきたのは確定していて
中世流入説はここを発信元と比定してる >>700
東ローマにラテン語圏はない、という先入観があるんじゃないのかな >>696
ルーマニアの東方典礼カトリック教人口って、現代ルーマニアの総人口の1%未満と聞くけど、
そこでいう1698年の状況というのは、数こそ極めて少数ながら正式にカトリックに加わったという意味でのそれ?
つまり、ローマカトリックの檀家総代としてのウィーンの皇帝さんが、ルーマニア東方典礼カトリック教会の信者さんたちを、
檀家うちとして認めた年という意味としてのこと? 10世紀末にはバルカン半島のほとんどがスラブ人やブルガール人の居住地になってたのに
ルーマニア語を作るラテン語話者がどこにいたの?っていう疑問かな 山奥の地域では昔ながらの言葉がずっと残るっていうのはよくあることだね
タジキスタン西部のヤグノブ谷の村の言葉、すなわちヤグノビー語という言葉があるんだけど、
実はこの言語、ソグド語の直系と見られてる
現代世界でソグド語が残ってるのは世界でもほとんど例が無く、
ソグド語自体が「死語」扱いされることがままあるけれど、
ヤグノブ谷はソグド語が残った稀な地域っていうことなんだそうな 第一次大戦直後の調査ではルーマニア語彙の起源は
スラブ語起源20%、トルコ語起源17%、ハンガリー語起源10%、アルバニア語起源0.86%だったらしいね
とすると残り53%程度がルーマニア語起源だったことになる
文法はラテン語だったのだろうけど
それが1961年の調査だと
ラテン語起源63%、スラブ語起源11%、トルコ語起源3.6%、ハンガリー語起源2%と
スラブトルコハンガリーが47→17%程度に激減
ラテン語起源も厳密にはフランス語起源の方がラテン語から直接由来するものより多く
19世紀末にフランスの文化的影響が非常に強かったことに拠るものらしいね >>705
中世にバルカン半島に住んでたラテン語の人々の末裔が現代のアルーマニア語の人々
クルド人が山岳トルコ人といわれたように、山岳地帯に異民族が残り続けるのはよくあること >>707
それなら確かにラテン系言語でしょ、基本文法自体がラテン語の娘言語としての文法であるわけだしさ
そのうえ語彙の約5割が固有語彙だとするなら、これはもうどう見ても異議無しだろう
今から半世紀前くらい前に出版された、日本の或る百科事典に記述されてた内容だと、
ヴェトナミーズ、コリアン、ジャパニーズの各言語で、漢語由来の語彙が占める割合は、
それぞれ、約7割、約6割、約5割だとされてた
でも、これらの言語って、漢語の一部ではないよね >>707
ただ、ラテン文字での現代ルーマニア語の綴り方、特に子音の綴り方は、
フランス語よりもイタリア語の影響の方が強いように見えるね >>708
その場合疑問なのは、なぜルーマニア語だけがそのようなラテン系の生き残りとなり
他のバルカン半島はスラブ化したのかということやね 横レスして補足しとくと、
アルーマニア語はルーマニア語の近縁言語で、
バルカン半島の南西部に数十万人単位の使用人口を持つ言語だね >なぜルーマニア語だけが
アルバニア語「わしは?」 ヴラフ人のルーツ研究は今でも諸説飛び交うカオスなんだけど
チャウシェスク時代の言論統制が無くなってルーマニア国内でも自由に議論できるようになったという形なんで
むしろ良い意味でのカオス化ではある >>714
ギリシャ語は東ローマ帝国の公用語
アルバニア語はアルバニアが山岳地帯の僻地にあるのでまあわかる
ルーマニアっていうほど山岳地帯かね? >>717
いうほど山岳地帯もなにも
カルパティア山脈帯が防壁のように渦巻いてるそれこそ要害地帯では >>718
ルーマニア語の分布って山岳のみじゃないよね?
アルバニアは国土がほぼ山岳だけど >>719
・流入時期がいつにせよ持ち込まれたロマンス語が保存されていたのはカルパティア山脈帯
・ワラキア等の外縁部低地までルーマニア語領域になるのはさらにその後のプロセス
この二点はそれぞれ別の段階の話 >>720
ラテン系の山岳民族が低地のスラブ人を征服したということ? >>721
ぶっちゃけ過程はこれまた諸説あって不明
確かな点は低地での支配的な主要言語がはっきりわかるのは近代から、としか言えない
あとこのへんはそもそもそういう「東ローマだからギリシャ語圏」「スラブ化した」「○○が征服して切り替わった」といった
画一的な図式化は到底不可能
言語・文化ともにモザイク状の併存と何重もの融合が繰り返されてきたところなんで
中世アルバニアからの流入説も、これをルーマニア語の単一起源としてるわけじゃなく
あくまで一つのピースだと踏まえておくもの 勢力の趨勢や支配層の動向などはある程度単純化できるけど
現地住民が実際どんな文化様式で何を話してたのかってのは中々そうはいかないからね
バルカン半島のような民族移動のホットスポットは特にそう ロマンス語の山岳部族が残ったのか
南部から移入したのかどっちやねん >>724
ここまで一体何を読んできてんの
属州放棄後に流入したって散々言われてるだろ
カルパティア山脈帯に保存ってのはその流入してからの話 さんざん言われてるとか言われても
根拠も証拠もない話を一人でしてるだけだろ >>726
様々な動乱
このルーマニア語起源の話関係なく
元々あそこは東西南北に色んな連中が行ったり来たりが当たり前の地域 >>728
そんなどこにでも適用できるような理由じゃなあ >>729
ルーマニア語起源研究の現状は実際そんなもんだから仕方ないとしか
romanian originとかでググってもらえたら混沌っぷり垣間見えるけど総括なんてほんと程遠いから まあ普通にローマ時代から生き残ってロマンス語話してた奴らも滅んだ後で周辺から移住してきた奴らも両方いたんではないか
知らんけど >>710
> ただ、ラテン文字での現代ルーマニア語の綴り方、特に子音の綴り方は、
> フランス語よりもイタリア語の影響の方が強いように見える
現代ルーマニア語のラテン語綴りはイタリア語を参考にして人工的に作られたもんだから 英wikipediaのOrigin of the RomanianとHistory of the Romanian languageを翻訳かけて
ざっと見てまあ言わんとしてることは掴めた それと自分の無知無能を棚に上げて言うけどさ、今日ここで説明してた人、かなり不親切だな
最初からこういう記事に誘導してくれてたら楽だったのに >>734
本を読んで学んだ人だとネットの記事のありかとか知らんでしょ 15世紀に自国ハンガリーの王様が神聖ローマ皇帝に即位して、ラテン語文化も再流入してるだろ。 移民説はハンガリー側主張であってルーマニア側だと21世紀でもDaco-Roman支持が強そうじゃん>>733読むかぎり
まあウィキペディアだから鵜呑みできんのわかってるけど ハプスブルク時代も1699年のカルロヴィッツ条約以降はトランシルヴァニアが統一されているから、全土にローマの文化が入ってきてるだろうな。 >>1
ヒトラーはゲルマン人は文明の創造主とは
言わず、ギリシャ人やローマ人、イラン人、
インド人、ゲルマン人を含むアーリア人種は
文明の創造主なりと記す
故に「古代末期から中世のゲルマン人は
文明の創造主じゃなく破壊者だったのと違うか」という突っ込みはかわせると思う
アーリア人種となれば漠然となるからな >>738
ラテン語文化って何?
ルーマニアはずっと東方正教だしカトリック化したわけでもないよな >>744
>>696にも書いてあるけど正教でありながらカトリック教皇の存在認める東方典礼カトリック教会になった
その事で当時少数民族だったルーマニア人がハプスブルク家に民族として認められた
その時にイエスズ会がカトリック布教させて勢力もほどほどにあってそこでラテン語は勿論使われた
>>704が言ってる現代の東方典礼カトリック信者は1%未満の理由は第二次世界大戦後の共産化で弾圧されて正教に強制されたから >>745
横レスだけど一つ問い
ルーマニア東方典礼カトリックって、
1698年当時や、その後含めて信徒数最大だった時期には、
それぞれどのくらいの信徒数だったのかな
また、それぞれその当時には、信徒数の比が、ルーマニア正教と比べて何対何くらいだったんだろう あ、ルーマニア正教会が独立教会になったのは、19世紀末なのか
それ以前はコンスタンティノープルの総主教庁の管轄下だったと
そうなると比較がやや難しいのかね
明確な地理的境界に基づく範囲というわけでもないことになるし ラテン語文化の再流入といっても宗教の典礼言語として入ってきたって話じゃ語彙の借用レベルに留まるわけで
言語や文化に大きな影響を与えるとは思えないけどな
事実カトリックが入ったドイツやポーランドはゲルマン語派やスラヴ語派としての特徴を失ったりしたわけではないので 自然と入ってきた染まったのではなくて
人為的に利用したりされたりなので片方が流入したらもう片方は禁止にしたりする
一応はカトリックと正教の分岐点地域だからそういう歴史の繰り返し >>746
こっちも横レスだけど
1766-7年のトランシルヴァニア全住民のうち
正教63万5454人、合同教会12万7080人
1850年正教30.2%、合同教会32.2%でこれが最多時期
1880年正教37.07%、合同23.27%
1910年正教34.28%、合同23.72%
だそうだ >>749
人為的に禁止したりすることで言語が変化するなんてことはほぼない 東方典礼教会って現地の伝統的典礼様式典礼言語のまま教理だけカトリックを受け入れる教会のことなんだけど。
つまりルーマニア東方典礼カトリック教会の典礼言語はラテン語ではなくルーマニア語。「東方典礼カトリックになったのでラテン語化した」と言ってる人はそこらへんから理解してないように見える
1923年ルーマニア憲法で「ルーマニア正教は大多数のルーマニア人の信仰として優越する国家的地位を持つ」と明記されてるし、ミハイ1世なんかはルーマニア正教総主教座聖堂で総主教によって戴冠してるし、共産化以前からルーマニア正教が事実上の国教で、カトリックも東方典礼カトリックも少数派だった。 英仏の島ケルト大陸ケルトのレスバトルみたいのハンガリーとルーマニアもずっと続けてきてるんだな
まあ因縁ある隣国同士ならどこでもあるか日本も朝鮮と色々面倒くさいし 旧来の支配階級が征服により一掃されちゃって貴族と庶民の言語が全く違う語派になった英語みたいなことでも起きない限り
文法レベルで言語を魔改造するのはむり >>749
どう見ても不自然だしあり得ない
お前の想像も大概にしておけ >>746 の者です
>>751
なるほど、明快な史料ありがとう
>>753
東方典礼カトリック教会はもともと現地語典礼が基本で、
第二ヴァティカン公会議より前の(西方の)カトリック教会のラテン語典礼とは様式が違うことは、
もちろん理解しているうえで質問したよ >>757
誤解がないと思うけど、数値はすべてハンガリー領のトランシルヴァニアのもの
19世紀の数値もトランシルヴァニアだけの比率
現ルーマニア領土全体の場合合同教会の比率はずっと下がるはず 基層語がロマンス語系統でスラヴ語やフランス語の語彙・文法が借用されてるわけだから
あとからスラヴやフランスの文化が流入したと推定できるわけで逆ではない アルバニア人もおそらくローマ時代にはアルバニアに住んでいなかったようだ
旧ローマ領で先住民の言語が残っているのはバスクやウェールズなど辺境だけど
ローマ時代のアルバニアは辺境ではなくイタリアからギリシャへの玄関であり
重要拠点でかなりローマ化されていたはずで先住民の言語が残るのは困難であったろう
アルバニア人の先祖はスラブ人とかに追い立てられてローマ領外から移住してきたようだ アルバニアは古代にはイリュリアと呼ばれていてイリュリア人はスラブ人の近縁で
イラン系遊牧民のスキタイとサルマタイに支配されてサテム語化したのがスラブ人で
イラン系遊牧民に支配されなかったのがバルカンのイリュリア人と呼ばれた民族
アルバニア人はトラキア系だとされイリュリア人の子孫ではないようだ >>726
スラブ人に追い出されたのでは?
ドナウ河以北にいたスラブ人がドナウ河以南に移住して
ドナウ河以南のラテン語話者がドナウ河以北に移住した トランシルヴァニア 属州ダキア→ゲピド王国
ワラキア&モルドバ ゲタイ→ロクソラン族→西ゴート族
ダキア人=ダコイとゲタイはトラキア人
ロクソラン族はイラン系サルマティア人
ゲピド族と西ゴート族は東ゲルマン人 トランシルヴァニアはローマに征服され
属州ダキアになった事が確実なようであるが
ワラキアとモルダビアとベッサラビアは
ローマ領になっていない歴史地図も多い
ローマ領になっていないのならば
ルーマニアの中心であるワラキアは
どうしてラテン化したのだろう? >>760
アルバニアはエグナティア街道の入口だよな
交通の要衝だからギリシャ化していただろう とはいえ自然死だから正視に耐えないという程でも無いけど 寡兵で大軍を破った戦いだと日本ならやっぱ桶狭間の戦いだな
駿河・遠江・三河を支配し、海道一の弓取りとまで言われた今川義元の軍2万5千を
小国尾張の一領主に過ぎない織田信長が3千で撃破し、義元の首級をあげた
まさに戦国最大の番狂わせ
日本史で兵力差8倍以上を覆した戦いって桶狭間以外でなんかある? 寡兵で云々だと西洋なら第二次ウイーン包囲のポーランドの話がいいよね
包囲が長引いて士気低下中のトルコ軍15万にポーランド重装騎兵3千が中央突破して
士気崩壊で壊滅させたっての スパルタが300で15万のペルシャ軍を防いだアレが一番良い >>775
まあ、実際は3000対5000ぐらいだったそうだが 司馬遼太郎が言ってたな
信長の偉いところは敵より大軍を用いる戦略に徹して
桶狭間の再現を生涯やらなかったことだと 219 既にその名前は使われています 2021/12/22(水) 11:06:26.32
https://i.imgur.com/uN6vxof.png
229 既にその名前は使われています 2021/12/22(水) 13:20:22.87
自分の中に別の意志をかんじるよなこういうの
230 既にその名前は使われています 2021/12/22(水) 13:54:54.06
その別の意志に思えるものこそ自分なのやで
231 既にその名前は使われています 2021/12/22(水) 14:13:15.35
まだミトコンドリアに好きにされてること気づいてないの? >>778
5000ってアホかよ
そんな少ないわけないだろ ローマ帝国最大の失敗はイエスを処刑して神にしたこと キリスト教の名の元にたくさんの馬鹿野郎どもを生み出したこともね アレクサンドリア図書館の破壊
モンゴル軍によるバグダード攻略による知恵の館破壊
勿体ないな 中世のフランクやノルマンは東アジアで言えば
鮮卑や女真よりモンゴルに近い感じだな
近世以降の西洋人とは明らかに違う遊牧民的な
価値観を持っている
フランクがフランスに変わり、
ゴシック建築が登場した背景に物質文明、
贅沢に興味が出てきた事があるのではないか?
元々のガリア人やフランク人は違うような 中世のフランクは古代のフランクとも少し違う感じだな シアグリウスとかラテン系住民を併合する過程で変質したのかどうか
あんまり影響受けず同化しなかった的な論評を読んだこともあるけどどうなんだろう イベリア
コーカサス→イベリア半島
アルメニア
ドイツ→コーカサス
この混乱は暗黒の中世がもたらした? ローマ時代にはアゼルバイジャンがアルバニアと呼ばれた
カスピオイ→アルバニア→シルヴァーン→アゼルバイジャン
アトロパテネ=アゼルバイジャン アルメニアではなくてアレマニア
ドイツに対するスペイン語などでの呼び名
スペインのガリシアにスエビ族が移住してスエビ王国を建国した
アレマンニ=スエビ
マルコマンニ=バイエルン
テルビンゲン=西ゴート
グルツンギ=東ゴート >>792
イベリアのコーカサス由来は先史時代、ローマが征服する前から経緯は不明だけ同名で呼んでる 同じ民族が分裂して遠くに移住したのかも
スペインのガリシアにはブリガンティウムという都市があったけど
ブリタニアにもブリガンテース族という部族がいた
インダス河の河口にはシンド人がいるけど
黒海北岸のスキタイの部族にもシンドイがいた
アーリア人が移住する以前はインダス河流域は
メルッハと呼ばれていたようなので
インダス文明ではなくてメルッハ文明と呼ぶべきだな アルマンという言葉は、アイスランド語のアルマンナ・ギャウというような固有名詞にも見られるが、全ての人々という意味。
アイスランドの叙事詩ヘイムスクリングラには、トールやオーディーンの出てくる神話的なエピソードに先んじ、トゥーラーン地方または黒海沿岸からコーカサス地方、小アジアにかけて分布していたアース神族が、ローマ帝国の猛威を避けるべくドイツやデンマークのオーデンセなどを経てアイスランドに移住したとの叙述がなされている。この移動が、アルメニアまたはアレマニアの移動とは逆の流れになっているのが謎。 中世ロシアのキエフ大公国軍は何度も東ローマを攻めて撃退されたけど
キエフ大公国軍に参加していたワリヤーグ兵のなかに故郷に帰って
さらにアイスランドに移住した人がいたのだろう 797だが、トゥーラーンではなくヴォルガ河下流域、アース神族時代にアイスランドまで行ったという記述はない(ヴァイキング時代に行った)などの事実誤認があった >>795
> テルビンゲン=西ゴート
> グルツンギ=東ゴート
そのイコールは最近は別物とされてるな ローマ人が古代ギリシアの末裔と名乗ってるように
ブリガンテス族等のブリテン人も同じ古代ギリシアの末裔と認識してたみたい(ガリア戦記)
多分神話とかごっちゃごっちゃに混ざって当人らはアイデンティティに組み込まれてるけど
DNA的には繋がりが無い事もある でもギリシア人の末裔ならまだ可愛いものだ
古代だからそんなこともあるだろう
ジャップなんて天孫と言ってたからな
しかも20世紀まで
21世紀の今でもネトウヨの一部は信じてるかもな ヤンキーの6割はダーウィンの進化論を信じていないという ジャップが信じてるのは世間教、「普通」教だからなw
「世間の普通の人」が「天皇吊るせ!」と叫びはじめたら、同じことを言うだけ。 日本中から白い目で見られているのが自称『右でも左でもない普通の日本人』 >>784
現地ユダヤ人だろ殺したのは
処刑執行したのはローマ兵だが たしかユダヤ人指導者たちがピラ総督に処刑しろ処刑しろと訴えて総督が処刑に踏み切った流れだったはず
イエスはユダヤ教の異端だった
異端に厳しいのはユダヤも同じ イエスはファリサイ派だった
ファリサイ派はユダヤ戦争でエルサレムの神殿が崩壊してから主流になったので、イエスが処刑された西暦30年ごろはまだまだ異端だった 異端ではない
王族とかがサドカイでも聖書知識に関してはファリサイのラビに常に従属していたと あの頃はまだカトリックに対するプロテスタントみたいなもんでしょ
ユダヤ戦争より後は主流になるけど ヨセフスによればヒュルカノス1世とアレクサンドラ・サロメのときはファリサイ派が与党だし
民衆の支持が絶大で祈りや祭事はファリサイ人の指示でやってる
一方でサドカイ派はヨセフスによれば支持者は少数で富裕者のみ
だからファリサイ派を異端とは言えないと思う
イエスが処刑されたのは何派だからというより神殿に押し入ったからだろう
そして反乱を起こしたわけでもなく人を集めただけのテウダとその一派を
ローマが軍をつかって殺してるし名前は書かれてないけど荒野で奇跡を
見せようとしたやつらとか預言をしたエジプト人もローマに処刑されてる
だからイエスの処刑でローマが本当に消極的だったのかあやしい
福音書は第一次ユダヤ戦争でのユダヤ人の敗北後に書かれてるから
その轍をふまないようユダヤ人を悪者にしてローマの責任を小さくしようという意図があるだろうし 属州民を処刑するには属州総督の許可が
ローマ市民を処刑するには皇帝の許可が必要なんだっけ >>814
神殿に押し入って狼藉を働いたなら
ユダヤ・パリサイ支配層から見ても
アカン奴やないのか
キリストはエッセネ派でしょ >>818
もちろんユダヤ人支配層にとっても危険人物だったろう
誓いの禁止とかイエスにエッセネ派的な要素はなくはないけど
別に性的禁欲主義でもないし閉鎖的な集団生活をするわけでもないし
安息日も守らないし食物規定も無視するし穢れた人間ともまじわるしで
エッセネ派とはいいがたい イエスは安息日を破り割礼を禁じたのか?
それはパウロが勝手にやりだしたことではないだろうか? 別に割礼は禁じてない
安息日はやぶってたからファリサイ派(とあとマルコによればヘロデ派という謎の集団)と口論になった
マルコ2:23-3:6 マタイ12:1-14 ルカ6:1-11 アメリカで韓国系は低所得
娼婦やベトナム戦争で虐殺を働いた低知能が多いらしいね >>823
どうした急に
在日市民へのヘイトをアメリカにまで拡大か? >>824
ロス暴動の時は斗順子という在米韓国人の婆が、
ちゃんと代金の5ドル紙幣握りしめてた黒人の女の子を
勝手に万引き犯と決めつけて頭を44マグナムで吹き飛ばしたよな。 ロス暴動で韓国系がターゲットにされたのは韓国人による人種差別が原因だよね
いまでも韓国内での黒人や東南アジア系への差別はひどい >>819
やはりパリサイ派でもエッセネ派でもなく
キリスト派としか言いようが無いと
逸脱し過ぎてキリスト派どころかキリスト教
になる位だから、パリサイ派だけでなく
ユダヤ教のどの派とも対立しそうですね
よくキリスト派の方が多数派になれたもんだ >>819
ペテロや「富裕な若者」に、生業や財産を捨てて自分についてくるように命じた逸話を考えると、社会から分離された共同体生活への志向はあったんじゃないの? >>828
たしかに財産への忌避感はあっただろう
けど悪霊から癒された人がイエスについていきたいと言ったのに家に帰れとも言ってるし
社会からの分離とは逆に自分からガリラヤの村々をめぐってるし使徒も村々に派遣したことになってる
キリスト教徒の生活のありかたについては特にイエス本人じゃなくてヘレニストなんかの宣教者や
初期教会に由来する伝説が入り混じってそうだから難しいけど
すくなくともエッセネ派みたいに清浄に生きるために俗世から身を離すという立場ではなかったはず ローマの刑事記録を紐解くと
・ナザレのイエスがローマ法上の凶器準備集合・内乱予備罪の疑いで捕縛
・ローマの法制執行官が、ローマ法上の身分管轄違いを理由に、釈放を命ずる
・その後、再度、部族法違反でイエスを身柄拘留
・ピサロ執行官がパリサイ法制審に付議
・ローマ法管轄がないと判断され身柄をユダヤ法に移管
・ユダヤ法上の合議裁判で審理開始
・イエス側が謀議を否認
・職権証拠調べで弟子12名中5名を取り調べ
・ユダヤ法上の裁判で死刑宣告
・ユダヤ人が死刑執行をローマ法制執行官に委託
・ローマ法制執行官が執行管轄無しとして受託棄却
・ユダヤ部族法による執行のため、身柄維持をローマが決定
・ローマ法上の措置として身柄を処刑場に護送
・ユダヤ人部族法による死刑執行
・ローマの法制執行官が死亡を確認し、適法執行の完了を宣言
・ローマの法制執行官が、死体を教団側に引き渡す
といった体制側の措置が記録されている。 ユダヤ法適用されてたのか?
王族貴族には実行できなかったみたいだが
洗礼者ヨハネが避難してたみたいに ユダヤがイエスを死刑にしたくてローマ側は嫌々ながら圧力に負けて死刑にした感じが凄い このスレってスレチの話題と変な画像の連投ばかりだね 中世ヨーロッパが何故同時期の中国や西アジアに
大きく遅れをとってのか?
普通、蛮族侵入でいくさが何十年も続いても
欧州以外の地域は次の世紀には新しい王朝での
秩序が始まり、文明は前より高くなる
戦前より昭和30年代の方が更に発展したように
しかし、欧州北部では蛮族がモンゴル、東三省、アフガンより遥かに長くダダ漏れし続け、
五胡十六国状況がずっと続いたまま五代十国に
なり、そのまま近世になった感じ
これでは遅れを取らざるを得ない位酷かった 「中国王朝『金』の始祖は新羅系高麗人」(朝鮮日報日本語版)
https://news.yahoo.co.jp/articles/f999451ee1dea612d8dc6c228adbfa0b1762fca8
東北アジア歴史財団のキム・インヒ委員
「女真族の国の先祖『函普』は、異斯夫・居シツ夫と同じく新羅の名前」
12世紀に中国北部を支配していた女真族の征服王朝「金」(1115−1234)の始祖は新羅系高麗人だった、という研究結果が韓国国内の学界で登場した。中国少数民族研究が専攻のキム・インヒ東北アジア歴史財団研究委員は、同財団の新刊研究書『戦士たちの黄金帝国・金国』所集の記事「金国の始祖・函普は新羅人」で、このように主張した。
「函普」とは、中国の正史「二十五史」の一つである「金史」に記録された金の始祖の名だ。ここには「函普は高麗から来たが、女真の地に到着したときおよそ60歳ほどで、部族間の対立を解決した」という記録が見える。韓国側の記録である『高麗史』にも「平州(現在の黄海北道平山)に住んでいた今俊または金克守という人物が女真の地へ逃亡し、金の始祖になった」とある。こうした記録を巡って、日本の研究者らは函普を虚構の人物と見なし、中国では「高麗出身の女真人」と解釈した。
だが同様の記録は、12世紀に第三者である南宋の人物が書いた『松漠紀聞』と『神麓記』にも出てくる。ここでは、始祖の出身地を「新羅」としている。金の帝室もまた「始祖は高麗人」という事実を認めた。金の太祖・阿骨打(アグダ)=在位1115−23=は「われらの始祖が高麗から来たことを忘れるな」ということを遺訓として残した。
キム研究委員は「『函普』は女真人ではなく新羅人の名前」と指摘した。国文学者の梁柱東(ヤン・ジュドン)=1907−77=の研究によると、「プ」は新羅で普遍的に使われていた人称接尾辞で、「居シツ夫」や「異斯夫」などの「夫」とも通じ、現代韓国語の「パボ(ばか者)」「ヌリムボ(怠け者)」などの「ボ」に継承されている。
函普のもともとの国籍が新羅/高麗と食い違っているのは、彼が女真の地へ移住した西暦920−930年ごろは新羅と高麗がまだ共存している時期だったからで、彼の出身地である平州は当時高麗の征服地だったことから、函普は「新羅系高麗人」と見るべき−というのが結論だ。キム研究委員は「始祖が新羅系だからといって金の歴史が韓国史に含まれるわけではない」と語った。 ユーラシア大陸の東端に引っ付いてる島の
ローマ帝国と縁もゆかりもない1ミリの関係もない俺たち日本人が
何故か熱く語りたがるスレ >>856
言うほど熱く語ってるか?クソみたいなスレチの政治豚の独り言がほとんどじゃんこのスレ ローマスレの方も気持ち悪い奴が居着いてしまってるしID無しスレってのはそうなるのが必定なんだろうな 日本史世界史問わず歴史板は昔からデムパだらけ
他板で相手にされないコミュ障が流れ込んで荒らす 急に死体画像が貼られ、その話題を今すぐやめろという脅迫を感じ下ネタだらけになったんだろ。 >>862
なんで歴史板はIDやワッチョイが導入されないんだろう 古代ブルガール人がトゥルク系のテングリ信仰をヨーロッパにもたらしたとある。北魏の太武帝もブリ=狼と名乗っていた。ブルガリアの語源は案外この辺りとか? 碧山も、しこ名は「虎騎矢(とらきや)」とでも命名してたら強そうだったがなw 自分がウェールズ人だったらイングランド
というのは北ドイツ人とデンマーク人と
ノルウェー系フランス人に乗っ取られた
取り戻したい故地なんだよね
イングランドとはホルシュタインランドであり、
英国本国自体がアメリカやカナダや豪州やNZ
みたいなもんだから、ドイツが嫌いになりそう
英王室なんてコーブルグ家もハノーバー家も
みんなドイツ貴族で元はブリテンの人じゃない
ドイツ
イギリス本国自体が >>872
ルーマニア出身力士なら「拿鬼野(だきや)」なんてな。
「オニをとっつかまえた野原」とでも解そうか。 もしイエスキリストが処刑されずに天寿を全うしていたらどうなっていたのか 支那崩壊はついに始まった
日本企業が次々撤退
ポンコツ空母は役立たず
無敵自衛隊に勝てるわけがない ローマ当局が介入しなくてもユダヤ人の保守派が勝手にイエス殺しそうだから彼が死ぬのは避けられなさそう 一般人とは言え大規模の行軍率いてたんだろ?それが信仰の礎だろうし
その存在だけでも不気味だし勝手に略奪や殺し合いに発展してまともな終わり方はしないだろ
もしくは本人は乗り気無くてもムハンマドみたいに破竹の勢いで国を制圧する軍隊に成長してるか イエスはローマ時代のキリスト教がそうであったように、貧民が支持していた
ファリサイ派や保守層、貴族にとってユダヤ教イエス派ともいうべきイエスとその信者の動きは不愉快そのものだった
だから殺された >>880
ピラト総督はそういうふうにヘロデらユダヤ人有力者から訴えかけられてイエスを殺すことにしたが彼に軍を率いてローマへ反乱を起こすなんてできるだろうかね?ムハンマドは商売も戦争もうまかったからうまくいったが
イエスは犯罪者を許す赦しの日の慣習もあり助命される可能性もあった
だが民衆は宗教活動家のイエスよりも反ローマゲリラの助命を選んだ
最終的にユダだけでなくイエスを残して逃げた不義理な弟子どもやイエスを支持していた貧民も彼を裏切った
でもこの後に「復活」して手のひらを返してカルト宗教化するのが厄介すぎる
ユダエア戦争のせいでさらに信仰も広まるし >>876
青森の戸来村さ渡って村娘さ娶ったそうな
ナニャドヤラエ〜 >>883
青森のキリストの墓か
法皇のコメントを聞きたいねあの場所について ストリートビューで見れるかと
エジプトかイスラエルの交差点だろうし >>869
ヨーロッパでは、今も狼に対しては古代トゥルク語のブリに似た言葉を使っている。ルーマニアやハンガリーは違う
ブルガリア語 ブルク
チェコ語 ヴルコ
スロヴァキア語 ヴルコ そこらへんはすべて印欧祖語からじゃないの?印欧祖語話者にとって「狼」はそれだけ重要な存在だったんだろうな
*wḷkʷ-o-s [ ウ ' るクォス ] 「オオカミ」。印欧祖語
*wḷp-o-s [ ウ ' るポス ] k と p が交替したヴァリアント
――――――――――――――――――――
λύκος lykos [ ' りゅコス ] 古典ギリシャ語
lupus [ ' るプス ] ラテン語
lupo [ ' るーポ ] イタリア語
loup [ ' るぅ ] フランス語
lobo [ ' ろーボ ] スペイン語
wulfa-z [ ' ウゥるファズ ] ゲルマン祖語
wolf 英語
Wolf [ ' ヴォるフ ] ドイツ語
*vĭlkŭ [ ' ヴィるクゥ ] スラヴ祖語
влъкъ vlŭkŭ [ ヴ ' るクゥ ] 古教会スラヴ語 (≒古ブルガリア語)
волк volk [ ' ヴォるク ] ロシア語
walkwe [ ワるクェ ] トカラ語B (クチャ語) ※古代シルクロードの言語
वृक vṛ́ka- [ ヴ ' ルカ- ] サンスクリット (古代インドの言語)
գայլ gayl [ ' ガイる、' ゲる ] アルメニア語
――――――――――――――――――――
vǝhrka- [ ヴァフルカ- ] アヴェスター (古代イラン系の言語。〜紀元前7世紀)
*varka- [ ヴァルカ- ] 古期ペルシャ語 (紀元前6〜4世紀)
gurg [ グルグ ] 中期ペルシャ語 (紀元前3世紀〜紀元8世紀)
gurg [ グルグ ] 近代ペルシャ語 (紀元9世紀〜)
گرگ gorg [ ' ゴルグ ] 現代ペルシャ語 中央アジアから東ヨーロッパは全く違う語族が離れたりくっ付いたり組み込まれたりしまくっててもはや追えない
チェコスロヴァキアがインドヨーロッパ語族
ハンガリーがウラル語族
トルコがチュルク語族
ブルガリアなんかそれら系統が全く違う物を政治的理由で無理やり組み込まれたりしてる魔境の言語だよ 中央だよ。同じ用語が使われている以上、テングリ信仰をヨーロッパにもたらしたというトゥルク系民族が、中国の鮮卑や柔然であるという連続性が高い。 蛮族の侵入が文明を後退させた論があるが
ユーラシア大陸とか戦国時代の日本を見ると
攻められる恐怖感が街を要塞化させ、
建築技術を発展させる気もするのだよな 今のイスラム系難民と同じ話で戦争みたいにその街をターゲットにしてないからね
そこがダメなら次、どこかしら紛れ込める場所がある
紛れ込めた場所から徐々に力を付けられたり流通網切られて滅んだとかそういうので
戦争と流入はまた別の分野の話 イギリスと日本は「城」(城壁)にあたる単語がないらしい
英語はwall(壁)だし >>906
あのー
ブリテン島なら
スコットランドのエディンバラとかイングランドのカンタベリーとかご存じありません? >>907
ローマ人が作って意味を伝えなかったまま帰ったんかな? >>908
エディンバラ、ミドルスブラ、カンタベリー、その他もろもろ、
大陸だと、ハンブルク、ストラスブール、イェーテボリ、その他もろもろ
語末の部分が「とりで」にあたるゲルマン語源の言葉だよ >>908
後年の米大陸の地名だと、ピッツバーグとかゲティスバーグとかフォクスボロウとかもね ストロベリータルトのミルク添えは、色後に出していただけるかな? >>905
日本の戦国時代の場合、どこの領国でも
日本人の農民がいて兵隊が砦や城を奪い合う
極端な話、日本の戦国時代には日本人同士の戦
しかないが、ユーラシア大陸の場合は
メソポタミアから島であるブリテン島まで
まず異民族が流入で多数派を形成して囲ってから
最終段階で砦や城を攻める戦闘で乗っ取る
ブリテン島 >>912
最後のブリテン島はミスです。失礼
シュメール人→アラム人も
ブリテン人→アングロサクソンも
ギリシャ人ローマ人→アラブ人トルコ人も
流入9割戦闘1割 ただし英仏と中国やインド、
トルコ、アラブだと流入で簡単に人口が逆転
しないから、流入に代わる包囲網、鍵、トンネルを戦争勃発までに入手しておく必要があるな >>913
オドアケルや安禄山の地位を得て、内側から
呼び込まないと戦争は出来ん 世界史上最も有能なオドアケル/安禄山ってだれですかね? イスラム教ってアッラーの前では皆平等なんだよな?
だったらアラブの「王族」とか変じゃね?
トルコのスルタンはカリフを兼ねていたからギリ許容するにしても >>921
それはアラブ人の間で不満として鬱屈してるって話はどこかで聞いたような
欧米風の贅沢をしているサウジ王室に対しての不満の受け皿が
イスラム過激派への求心力になってるんじゃないかね イスラム世界でマムルークとか奴隷兵が存在したのは
イスラム君主がムスリムの民を押さえつける為
ムスリム自由民兵ではムスリム民衆を弾圧出来ないから
ムスリム民衆も自警団アイヤールでマムルークに対抗した >>904
ネットのどこかで戦争は技術力の出力が一極集中するだけっての見たわ
戦間期にその転用と思想やらの探求が流行るイメージ >>921
イスラム教テロリストの多くがサウジ出身なのはサウジ王族がめちゃくちゃな弾圧してるからだよ 2月25日(ロイター) - ウクライナ陸軍によると、ロシア軍は戦闘で大きな損失を被った後、北東部の都市コノトプ付近で停止したという。
「燃料と補給に問題がある」と声明を発表し、地元の商店でロシア兵による略奪があったことを付け加えた。
中世の十字軍かよww ロシアが北海道に攻めてきたら自衛隊と在日米軍で迎え撃つわけだが
ウクライナ相手に手てこずってるようなら戦力的に十分守りきれそうだな
冷戦の時にそういうシュミレーションもしてたし 北朝鮮がまたミサイル撃ったとさ
ウクライナじゃなくウリを見ろニダと構ってちゃん爆発 筒井康隆が
「ついに僕たちの好きな戦争が始まったのう…」
「死ね死ねみんな死んでしまえ わはははははははははははははは」
とエッセイに書いていたのは30年前か >>928
ロシアより中国の方がよっぽど脅威
なんせ人口も多いしパワーもあるから
ロシアなんて腹を空かせて冬眠できなかったグリズリーだよ 中国もいよいよ人口減に突入らしい
やっぱ豊かになると子供の教育費がかかって出生数は減るな
いずれはインドが世界一の人口になるとか ゴート族って元々はウクライナあたりに住んでいたんだな
それがフン族襲来で追い出されて、その後に来たスラブ人が住み着いて
それがウクライナ人になったという具合か 現代のウクライナ人のYハプロはアーリア系のR1a1がほとんど
スキタイやサルマティアと言った遊牧民が定住農耕民化してロシア人やバルト人みたいに
アジア系のフィン・ウゴルと混血せずにそのまま推移したというのが本当のところ 米共和党上院議員、「ロシアにブルータスはいないのか?」とプーチン氏の暗殺を呼び掛け 「暗黒の中世」というけど、フランク族、ブルグンド族、東ゴート族、西ゴート族、
彼らはローマの文化を破壊したわけではなく、常にこれを賛美し、細々ながらもそれを
消化・継承したんだよな
ただしブリテン島に侵入したアングロ・サクソン人のみは、その地にはまだ継承すべき
ギリシア・ローマの文化が定着していなかったので、これと断絶してアングロ・サクソン特有のものを保持した >>940
カエサルと耄碌爺さんを一緒にするのは失礼すぎる >>941
讃美もしてないし継承もしていないけどな
それとブリタニアは6世紀までヴィラやローマの都市が現役で機能しており
大陸よりローマ文化の断然が200年ほど遅かった 6世紀までなら大陸でもヴィラやローマの都市が現役で残ってただろ
南仏でのローマ文化の破壊はカールマルテルによる侵略だから8世紀
ブリタニアの方がローマ文化の断然が200年ほど遅かったというのは何が根拠? >>943
911の後もアメリカの上院議員が
頭に紙オムツを巻いてる奴等は信用できないとか言って
イスラム教徒を侮蔑してたもんな >>944
いやいや、ブリタニアはアングル族サクソン族が侵入して滅茶苦茶になったっしょ 中世初期は暗黒といわれてもしかたないけど、12世紀ルネサンスのころは
もはや暗黒とはいえないのでは? イタリアの都市の中で、シエナはペストが与えた打撃から立ち直れず、かつての繁栄を
取り戻すことはなかったとか
フィレンツェは立ち直ったけど ヨーロッパは中世の暗黒時代を克服した
市民が主権を取り戻したのは20世紀に入ってからで
それまで中世の影を引きずっていた
日本は今でも中世といっていい >>947
6世紀のユスティニアヌス帝のペスト流行でブリトン人は激減した
アングロ・サクソンは自給自足していたのでペストが流行しなかった ペストの頃は記録大量に残ってるんだから暗黒でも何でもないな >>939
6世紀にスラブ人はドナウ河以北のスクラヴェンと
ウクライナのアントの二つに別れて対立していた
その後スクラヴェンを支配するアヴァール族に
602年にアントは大敗してウクライナにスクラヴェンが移住した
おそらくアントは農民化したサルマタイだったのだろうね >>937
ゴート族は元々はポメラニアに住んでいて
寒冷化で2世紀半ばにウクライナに移住した
ゴート族は元々は海洋民族で船でローマ領を襲撃したけど
クラウディウス・ゴティクス帝に大敗した後にローマ軍や
サルマタイの模倣して騎馬民族化した
元々は乗馬が苦手だったゴート族は鐙を使ったので
ローマ騎兵やサルマタイ騎兵よりも強くなった
ゴート族はゲルマン人の伝統で集落に城壁を築かなかったので
フン族に襲撃されると森を目指して移住した
スラブ人は城壁のある集落に住んでいたので
フン族に襲撃されても移動しなかった モルドバとジョージアがEU加盟希望か
トルコがEUに入れんのはイスラム教だから? トルコとグルジアは西アジアだな
モルダビアはルーマニアと合併すべき 東ローマ帝国の初期あたりまではアナトリアも北アフリカも
ヨーロッパという認識だったんだろうか? カール大帝の頃に前からあったヨーロッパと言う単語はキリスト教圏内を指す言葉として使われ出した
北はザクセンやベルリン、北欧は圏外、その頃の北アフリカはイスラム教国だったので圏外
バルカン半島も含まれていたようだけどアナトリアは完全に昔から使われてた小アジア ヘロドトスの時代に既にヨーロッパはバルカン以西、アナトリア以東がアジア
ナイル川以西の北アフリカがリビア、ナイル川以東がアジア
ヨーロッパ、リビア、アジアの三大大陸という認識 古代ギリシャの時代はアルタイ山脈より西がヨーロッパ世界
古代ギリシャ人はアルタイ山脈の東側には文明人だが平たい顔の異人種が住んでいるという知識は持っていたし書物にも残っている コンスタンティノープルが欧州とアジアの境目だと思ってる ハンガリーやブルガリアは?
ハンガリーでも、カラパチア盆地のホルトバージは完全にアジアだよな。 ロシアってフランス(祖国戦争)、ドイツ(独ソ戦)や日本(日露戦争、ノモンハン事件)など
大国を相手にする時はそれなりに強いのに
フィンランドやアフガンやウクライナなど小国相手の戦争には大苦戦を強いられる不思議 防衛に強くて攻撃はイマイチなイメージあるロシア
ドイツは真逆で攻撃は得意で防衛はイマイチ 古代ゲルマン人が城郭都市を造らないで
森の中を逃げ回るのでローマは征服を諦めた
ケルト人が城郭都市を造るのでローマは征服出来た 一言でゲルマン人つってもローマと敵対してる部族だけでなく
仲良くしたり同盟組んでる部族もいた やろうと思えばゲルマニアは属州化できたっぽいけど
長期で維持するのが大変なので諦めたという感じだな
それだけの価値がなかった アウグストゥスの治世からアントニヌス・ピウスの治世までは
温暖期だったからやろうと思えばゲルマニアを属州化出来た
再び温暖期になるとシャルル・マーニュがゲルマニアを平定した タタールの軛の後からロシアが強くなるのよな
モンゴルからアジア的専制を学んで取り入れて、ピョートル大帝が西欧に倣って改革
というのが通説だけど >>968
ルーシ諸侯は全てモンゴルに屈服したね
他の敵と違い、あっちもあっちで寒さに強いしな >>970
キツい上に旨味ないし
パルティア屈服させた方が旨味あるから後回し 結果論だが全盛期の時にゲルマニアかパルティアのどちらかは征服すべきだったな
五賢帝後の衰退期にゲルマン人やササン朝との二正面戦争はローマの国力を大きく消耗させた せめてパルミラをササン朝への防波堤として残しとくべきだった >>977
ゲルマン人の屈強な戦士達をローマ軍に組み入れ従えてパルティア征服
なんてどう? >>975
>モンゴルからアジア的専制を学んで取り入れて、ピョートル大帝が西欧に倣って改革
まずこの「アジア的専制」というのが俗説
モンゴルというは各部族長の寄り合いというのが実体に近く各ウルスのハーンの権力もかなり弱い
ヤクボフスキー&グレコフの「金帳汗国史」によるとハーンの勅命も各部族の大人の署名がないと
効力を持たなことが明らかにされいる となるとロシアの専制的要素はビザンツ由来ってこと? >>983
末期ローマみたいに軍隊がゲルマン化するのでは 実際にササン朝との戦いでゲルマン傭兵も使われていたけどね ゲルマン兵はパルティア兵よりも乗馬が苦手
パルティア兵は鐙無しでランスチャージが出来た
ゲルマン兵は馬上から短槍を投げていた
ローマ軍で鐙無しでランスチャージが出来たのは
アラン兵とイリュリア兵とトラキア兵とアルメニア兵 >>986
ビザンツはバシレイオス2世の死後は
貴族が割拠する封建社会になっていた
モスクワ大公国の御手本にはならない >>991
そりゃそうだ、、、パルティアは遊牧民出身だろう >>987
パルティア滅ぼした後は北アフリカかエジプトかメソポタミア
あたりで農業させときゃいいよ 中世の白人はむしろ劣等人種だったからな。
白人が覇権を握るようになるのは大航海時代以降の話だし、
白人至上主義なんて出てくるのは19世紀の帝国主義全盛期だからな。
だが、中世の欧州が世界の後進地域だったことは白人は認めたがらない。
何故かといえば白人たちにとって都合が悪いから。 >>996
ヨーロッパ全般普通にサラセン傭兵とかいたし、デーン人の族長に東アジア人や他の人種がなってた例もあるから、人種差別とか中世にはないよ
ユダヤ人に対しても宗教的というより金銭的な問題で敵対視してたからね スペインでユダヤ人は攻めてきたアラブ軍に協力して西ゴート王国を滅ぼした
その後もユダヤ人は徴税請負とかアラブ支配に協力し続けたのでスペイン人に憎まれた
ポーランド・リトアニア共和国でもユダヤ人はポーランド貴族の協力者だったので
被支配民であるウクライナ人に憎まれて襲われていた 北方領土問題でプーチンの靴を舐め3000億円を貢いだアベ外交
ウクライナ市民は悲惨だがネオナチ政府とアベが主犯である
アベ外交失敗の責任は大きい このスレッドは1000を超えました。
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