万葉集の東歌に出てくる古代の東国方言は平安時代に京都方言に飲まれてほぼ消滅した
現代の関東弁や東北弁と言われているものは実は古代東国方言の末裔ではなく一度西日本方言で上書きされた後の二代目の日本語の方言であった
この古代の東国方言は日本語の側派と言ってもよい程度の独自の言語性をもっていた

この現象は全国的に起きていたようで隼人や熊襲などの言葉も平安時代には消えてしまっている
基層言語としての縄文アイヌ語の痕跡は二度もしくはそれ以上の言語の上書きによってほぼ消えてしまった
その証拠として同じ東北地方でも平安時代後期以降に倭人の支配下に入った奥六郡以北の地域ではアイヌ語の痕跡が今でも地名に多く残っている

このように平安時代に側派の日本語の多くが消滅した
恐らく琉球民族の言語は消滅した日本語の側派の一つが起源であろう
東国語派と同じく南九州語派というべきものがあったに相違ない
なぜならば南九州には隼人という言葉の通じない人たちがいたと歴史に記されているが残された彼らの単語は日本語で解釈可能なため日本語の側派の一言語とみて良いからだ

結論だが日琉語は韓半島を起源として弥生文化と共に日本列島にもたらされた
韓半島の歴史でいう無文土器文化人こそが倭人や琉球民族のルーツとなる

ネトウヨの多くは弥生文化の中国江南紀元説や縄文文明起源説というトンデモな主張を行なっている
これは彼らクズどもの心中にある韓国や北の人たちや永住権をもつ多くの在日市民に対する差別感情が元になって生まれた主張である
このように歴史認識というものは情緒によってまたある時は政治によって歪められる
これが日本の教科書は極右に塗り替えようとする恥ずかしい歴史修正主義者の実態である