ドイツ史について教えてくれ
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教えてくれ 『物語ドイツの歴史』(阿部謹也、中公新書)に、中世ドイツの東方植民について、
「……その運動の結果ドイツ本国における領主と農民との社会的対立は緩和され、
ドイツは社会的対立の結果を引き延ばすことになった」
と書かれているんだけど、東方植民がなかったらドイツの歴史も変わっていたのかな? >>3
同感だな。
ドイツの範囲もきちんと設定しないといけないしな。
そもそも何をもってドイツとみなすのかも問題だしな。 せっかくだから、東フランク王国について語り合おうじゃないか 辺境伯って、日本語に直すと田舎大名みたいな語感だけど、異民族がしょっちゅう
侵入してくる大陸では重要な役職だよな
室町幕府の関東管領みたいなもの? 辺境伯というのは、伯爵よりは格が上だけど、侯爵とはまたちょっと違う爵位
日本語にはちょうどいい訳語がなかったからこうなった こういう誤解を招く用語は、改めていった方がいいと思うんだけどね 公国とか侯国と似たようなもんだけど、当のドイツ人が区別してるから ブランデンブルク辺境伯がプロイセン公国という領土を得てプロイセン王国に昇格したというストーリーは捨てがたい トリノのサヴォイア伯も、サルデーニャ王国を得て国王になったんだったな バーデンだって、もとはといえば辺境伯だった
バーデンなんかライン川に面した交通の要衝で古来から栄えた地。
「どこが辺境なんだよ?」って感じだ >>17
田舎大将ってお前w
征夷大将軍だろ
ブランデンブルク辺境伯領は965年ゲロ辺境伯の死後、965年のゲロの死後、ノルトマルク、オストマルク、マイセン辺境伯領、ツァイツ辺境伯領およびメルゼブルク辺境伯領に分割される
983年 ノルトマルク、ビルング辺境伯領でスラブ人の反乱が起こる
1134年 ザクセン公でアスカニエン家のアルプレヒト1世(熊公)が皇帝ロタール3世よりノルトマルクの地を与えられる
1157年 アルプレヒト熊公、ブランデンブルク辺境伯に就任 神聖ローマ皇帝カール(カレル)4世は、彼に代金支払いを督促する肉屋の手で、
ウォルムスの路上で拘引され、人質として宿屋に閉じ込められたことがあるとか
この時代のボヘミアは、そんなに貧しかったのか? 領主が貧しいのと国が貧しいのとは微妙に違うんじゃないかな
皇帝はビンボーでもハンザ同盟諸都市の商人はウハウハとか
時代はちょっと下るけどフッガー家みたいなのも出てくるし
日本だと上杉家はど貧乏だが米沢地方が貧困とは限らないとか >>29
カレル時代のベーメンは黒死病流行の真っ只中だったからな
その後のジギスムントの時代はフス戦争などもあり著しく政情不安であった ペトラルカはカール4世がイタリアを平定することを期待していたんだけどな それ以前に、ダンテがハインリヒ7世によるイタリア統一を期待したという前例がある しかし、ルクセンブルクという小国の伯爵が何で神聖ローマ皇帝にまで上りつめたんだろ?
その前の前のローマ王アドルフ・フォン・ナッサウもナッサウ伯という伯爵だったし >>34
大空位時代のあと、諸侯は無力なお飾り皇帝を望んだため、小国ルクセンブルクのハインリヒ7世を皇帝に選出した
ところが、そのハインリヒ7世は婚姻政策により大国ボヘミア王国の王位を獲得してしまった
ダンテがイタリア統一を期待したほどの傑物だったがイタリア遠征中に早死にした 英米と仲良くしてるうちは上手くいくけどロシアと仲良くなるとおかしくなる ダンテの『新曲』に登場するシンボルのいくつか、特に鷲のシンボルは、
神聖ローマ皇帝の徴だとか
彼は皇帝によるイタリア統一という考えを『帝政論』にまとめたために、祖国から
裏切者として重罪を宣告されることになった ヴェートーベンの交響曲第三番のエピソードに似てるような似てないような >>36
日本の場合、英米と仲良くしているうちは上手くいくけど、アジア大陸に接近すると
おかしくなる 習近平主席による朝鮮半島統一を期待するようなものか? ダンテもペトラルカも祖国イタリアがバラバラでローマ皇帝にイタリア統一という過大な期待をしてしまったのだろうな
その叶わぬ夢はフリードリヒバルバロッサの時代からわかっていた事なのに ヨーロッパでは、イングランドやフランスのような、中央集権的な国のほうがむしろ
例外的なんじゃないのかなあ
例えばスペインの場合、まず同君連合という形をとっていて、ブルボン朝の時代に
中央集権的な改革を行おうとしたけどうまくいかなかった
今でもカタルーニャ独立運動なんてものが存在しているし >>42
「イングランド」と「スペイン」を比較するのはおかしい
「イングランド」と「カタルーニャ」を比べるならわかるが
イギリスもスコットランド・ウェールズ・北アイルランドといった独立心旺盛な地域を抱えている 16〜17世紀のバラバラなドイツ・イタリアに対して、イギリス・フランス・スペインが広大な領域を持つ統一された大国として登場した >>42
日本も明治になる前までは中央集権ではなかったからな
封建制を経験した国はたいていそう 連合王国の中で、イングランドだけはノルマン・コンクウェストのせいで中央集権的
スコットランドなど、他の地域はそうではないが 形式的にはイングランド自体も封建諸侯の時代の名残を残してる
たとえば連合王国の軍というのは、
海軍や空軍は王立なので直接に女王直属(「ロイヤル・ネイヴィ」、「ロイヤル・エア・フォース」)になってるが、
陸軍は今でも諸侯の家臣の貸し出し形式になってるので、陸軍全体が王立なのではなく、
形式としては諸侯が寄り合ったブリテン陸軍(「ブリティッシュ・アーミー」)ということになっている
ちなみに、連合王国の核戦力は海軍にだけ配備されていて、潜水艦に搭載されている >>44
その上、イギリス・フランス・スペインが海外で植民地を手に入れたのに対し、
ドイツ・イタリアは欧州内に閉じ込められたままだった
19世紀になってやっとドイツ・イタリアが統一を果たしたとき、地球上にはもう
ロクな土地は残っていなかった イングランドからみてスコットランドやウェールズは外国のようなものだ
まず民族が異なる
イングランド人はアングロサクソンジュート族とノルマン人が混血した民族でケルト族(ゲール族)のスコットランド人、アイルランド人、ウェールズ人とは全く異なる
日本で言えば大和民族に対するアイヌ人のような感じ
だからイングランドの封建制や中央集権を語る時はこれらの人たちは除外して考えないといけない
実際、現在のイギリス(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)というのはスコットランドを起源とするスチュアート王家がイングランド王を兼ねた時の同君連合が基になっている
ちなみにその前のテューダー王朝も基を辿ればウェールズ貴族に至る >>48
それは統一が早かったかどうかより、大西洋に面していたかどうかの方が違いが大きい
イタリア内の諸国やドイツ内の諸国は、地中海や北海でそれぞれ大きな権益を持ってたが、もうそんな時代じゃなかった ドイツはやっぱり地理的条件のせいで損しているように思える イタリアとドイツの地方分権ってちょっと意味合いが異なる
イタリアは都市共和国と教皇領から成り立っているのに対しドイツは聖俗の諸侯が治める領邦から成り立っているという違いがある イタリアでも、北部辺境には封建諸侯国が存在したけどな ドイツにも帝国自由都市がある
独伊で似ている部分も有れば相違もある 同じ国に中でも北部南部などの違いもある
そこから類似性や相違を読み取れるかどうか 神聖ローマ帝国も、ドナウ川の南側とエルベ川の東側ではかなり違っている ルドルフ2世が、ウィーンからプラハに宮廷を移動させたのは、オスマン帝国軍の
脅威に備えるためだったのかなあ?
四方に開けたウィーンに比べ、プラハは盆地状をしたボヘミアの中央にあって
どことなく奥まった雰囲気がある ライン宮中伯が最も有名だが宮中伯は神聖ローマ帝国における「宮廷の書記」という意味であり、今日では「大臣」に相当するものと解釈される
いわばローマ皇帝の側近で、通常は宮廷に10人前後の宮中伯がおり、それぞれ担当する部署において政務を処理した。しかし、やがて地方において諸侯が台頭し、帝国が分裂状態になると、皇帝により諸侯を監視、あるいは諸侯の力を抑えるために各地に宮中伯が派遣されるが、そのほとんどが諸侯との争いの中で没落した。
唯一、ライン宮中伯だけは任地のライン地方に土着し、自ら諸侯化することで存続した。そのため、「宮中伯」というと固有名詞的にライン宮中伯を指すようになり、その所領は「プファルツ(宮中伯領)」と呼ばれるようになった。1356年の「金印勅書」によってライン宮中伯は選帝侯となったため、「プファルツ選帝侯」(「宮中伯領選帝侯」)と通称される。 ドイツって、なぜ国際情勢の読みが下手なんだろう?
今回も、ロシアの天然ガスに依存しすぎたせいでひどい目にあってるじゃん ドイツで「Z」マーク禁止ってことは、映画「怪傑ゾロ」の放映も禁止ってことか? ドイツの放送局「ZDF」は・・・「Z」ではなく「2」のマークか
https://www.zdf.de/ ドイツの公共放送のシステムはややこしいからな
ARDとZDF二つもある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています