鮮卑や元や清は中国を征服したが日本は失敗した理由
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洛陽は日本軍でも制圧したが
これらの異民族と日本は何が違い、何が間違っていたのか
なぜ中国を征服できなかったのか 1.アメリカが支援してる
2.時間が短い。清も元も数十年かかった
3.日本軍は占領地から収奪してばかり 近衛という悪意ないのに最悪なことをしでかす最もたちの悪い政治家
(山東への日本軍師団派遣。足りない兵力を増強する程度の考えだったそうだが
あなたが日中戦争始めたんですよと言われて驚いたとか)
(爾後国民政府を相手とせず。撤回したが遅い) 当時は賠償金や領土割譲するもんだという考えが強くて
白紙撤兵なんて国民も許容できるものじゃなかったそうだが
(斎藤の反軍演説も、なんで賠償金もとらずにさっさと戦争終わらせないのかというもの)
そのご米英戦で敗戦したことを考えると
中国から無賠償で撤退するべきだったな 元だって漢化が進んでたのに
日本はむしろ中国を日本化しようとしてた
傀儡政権も全然信用されてなかったし 日本は住み心地が良いからな。
朝鮮出兵のときでも武将連中は日本に
帰りたがっていたからな。 何も無い寒冷な北方から攻め込むのと、最初から豊かな日本列島から行くのとでは、モチベーションが違うよな 当時の日本は人口増加率高くて
食料も居住もままならなくなるから
大陸の領土分捕らなきゃいけないって危機感があったそうだが 満州事変は満州国作る為だけど
その後の日中戦争は別に領土欲でも無いでしょ
小競り合いしてエスカレートして講和のチャンスは何度もあったが潰れた >>8
満洲を獲ってから日本の食糧事情が大きく改善、みんなが白いご飯を食えるようになった。
そこで止めておけばよかった。
あまりにも簡単に満洲を獲得しちゃったものだから、
中国軍は弱兵、いとも簡単にやっつけられると錯覚してしまう。
満洲獲得は策謀家の石原莞爾たちが中国情勢、国際情勢を見極めたうえでの作戦勝ちだった。
石原莞爾は軍に華北進出をやめろって説得したけど、お前が言うなと返されてしまう。
軍も国民もマスコミも泥沼化した消耗戦の恐ろしさを想像できなかった。 >>11
不人気の清朝皇帝を担ぎ上げた段階で
時代が一周遅れてる。
皇帝なら求心力があるに違いないという日本人感覚がズレてる。
奉天軍閥が国民政府の青天白日満地紅旗を掲げた時点で満洲が中国に帰属ということに正統性を帯びる。
せめて独立自治委員会に政権を委ねていれば、まだ格好が付いただろう。 そう、その時点で石原も間違いなんだよね
そもそも「満州は日本の生命線」て言葉も
満州より中国本土のほうが大事、中国人との交易のほうがはるかに大事だという考えが強くて
それに反発するために考え出された言葉だし
石原や板垣や林は銃殺すべきだった 新羅出兵や
白村江から朝鮮出兵まで
日本は古代から大陸に深くかかわると
一時的には上手くいっても最終的には大きな失敗に終わる
大陸に行ったのが大本の間違いのような気がする 戦後の価値観なら満州を返すもあり得るが
戦前は日露戦争で得た権益でソ連を止める為にあるから返すのは難しいとなる
最終的に属さない満州国を作って大きな台湾にしようと考えたのだろう >>14
大陸放置とするとロシアが満州と朝鮮を取る事になる
ロシアと中国が陸で戦ってるのは勝手だが肝心の海軍力でも日本はロシアに負けていた ハルビンや大連はロシア人が発展させた都市。
ロシア風の町並みが残ってる。 >>15
日中戦争やらなきゃ満洲を返すことはない。
さらに米英の資本参加があれば、
米英と対立することもない。
国際情勢に無知なのが失敗の理由。 戦間期のソ連の軍拡は凄まじくて、他の5大国の軍事費を全部足して更に倍にした額を突っ込んでる
あれを見ないとなぜ陸軍が軍縮に反対したのか、満州国作ったのか分からない
当時の大国でソ連と近接してるの日本だけだからね
そういうデータをYouTubeで簡単に見れるようになった >>16
と言っても欧州の海軍とかバルチック艦隊の半周旅行が尋常でない苦労であったこともわかるように
極東ではロシアもそれほどの海軍はなかった つうか、満州抱えてる限り
絶対に中国と衝突することになるよ
国民党でも共産党でもどっちが中国政府になろうとも
満州事変と満州国は欧米から見ても日本の露骨な侵略で傀儡政府だから
その時点でアメリカには日本製品不買運動やられてたし ドイツは蒋介石政権と関係が深い。
中国軍精鋭の装備や訓練はドイツ軍の支援によるもの。
なので日本との和平を望んでた。
蒋介石と日本を激突させたがってたのがソ連。
近衛文麿はコミンテルン指令1937年の日支全面衝突に誘導の通りに動いてしまった。 ドイツが引いた後はアメリカが装備支援したように
アメリカも中国に進出したがってたんだわな
イギリスはすでに中国というか香港領有してたし
そもそも九か国条約があったのに、日本がわがまますぎた やはり大陸とは友好的にせよ(百済復興支援という事やったら白村江でまけた)
侵略にせよ、深く接したらダメだったんだ
ロシアが怖いなら同盟して友好国にしてしまえっていう伊藤の考えは筋がよかった
日本は大陸のほうに軍事出兵したら最終的に負けるという事を繰り返してる 国民党はソ連の援助で組織を整備し、
ドイツの軍事支援を受け、
メソジスト教会の洗礼を受けた蒋介石と宋美齢のアメリカでの受けもいい。
特に英語に堪能な宋美齢を通じて、
欧米メディアにアピールしたり、
ルーズベルト大統領夫妻と家族ぐるみで親しくなれた。
国際的な味方を得る面で日本は劣る。 手を組む相手を選ぶ目が悪い。
ドイツだの、日ソ不可侵条約だの筋悪。
せめて日独協同で軍事展開してくれ。
協議もなしに日独それぞれ勝手に動いてる。 >>28
そもそも中国と侵略したらどうやったって米英と衝突するんだから
無理な衝突などしないで満州まで放棄してしまえばよかった
もしくはアメリカイギリスにもうまいとこ検疫持たせるとか
べつに組む相手が悪いとかそんな他国のせいにしてんじゃないって思うね >>29
満鉄経営に米国資本を導入するとのハリマンの提案を受け入れるだけでいい。
米国が加わればロシアも手を出せない。 桂・ハリマン協定を破棄したことが
米国の日本への見方が険悪になる分岐点。 日ソ中立条約が成立したすぐ後で独ソ戦の勃発。
日独で一貫せずにバラバラに動いてる印象がある。 鮮卑や元や清は中国を征服したが日本は失敗した理由は、
鮮卑や元や清は中国を征服したがイギリスは失敗した理由とほぼ同じ。 >>30
ロシアとは日露戦争後は協商結んで上手く行ってた
アメリカはモンロー中立国だし
ソ連が誕生してすべて狂った
>>31
ハリマンみたいな民間の金儲け目的はロシア側にも援助したり民間に大勢いたので
大きな問題ではないと思うね
政治目的で日本に援助したシフみたいのも居たけど >>33
イギリスは軍事力に頼らず上手くやった
日本は軍事力に頼りすぎ失敗した
イギリスも海外領土を失って大英帝国も終わったが >>35
イギリスのアヘン戦争では戦争目的を明確に策定し、
戦略拠点だけを抑えて、清朝に降伏を促す。
長期消耗戦に持ち込まない。
日本のは行き当たりばったりで、
中国戦線をどんどん拡大してしまう。
目的がコロコロ変わっていて、
何のために戦ってるのか不明確。
挙げ句に国民政府を相手にせずとしたため停戦交渉ができない。
長期消耗戦にもつれ込み、兵力や物資が不足。
石油禁輸を食らって、破れかぶれの対米宣戦。 >>34
『戦史叢書 大本営陸軍部』ではハリマン協定破棄以後に日米関係が急に冷却したと認識してる。 >>32
日英同盟だってイギリスと日本では別に個別で動いてた 当時の日本人は支那を完全に下に見ていた
そりゃそれまでの異民族と違って中華に君臨できるはずがない
漢民族からの敬意なんてあったもんじゃない >>38
日英は少なくとも役に立った。
軍事資金調達、バルチック艦隊の妨害、フランス参戦を阻止、。。。。。
日独は役立つどころか、足を引っ張ってないか。 国民向けに暴支膺懲を標榜するが、
何を持って膺懲の達成とみなすかが曖昧。
途中で兵を引くと英霊に申し訳ないとか言い立てて、
ズルズルと戦線を伸ばし、
国力を無駄に消耗する。
英霊が増えるばかりでますます撤退ができない。 首相の近衛は支那事変を長期化させて、それを利用して新体制運動をやるってのが持論だから
近衛を早く辞めさせないといけなかった 鄧小平はベトナムを懲罰する戦争を仕掛けたが、
戦果が思わしくないと知ると
目的は達成されたと一方的に宣言して、さっさと撤退した。
リアリストは損切りが上手。 >>42
近衛文麿は共産主義者。
もっとも近衛が辞めても戦争は止まらない。 現在の中国は、大日本帝国の劣化コピーに
なろうとしているように思える。 >>45
劣化コピー?
圧倒的な工業生産力と豊富な人材は大日本帝国を遥かに上回ってる。
物量に関しては現代中国に敵わない。 >>39
日清日露満洲ですっかり傲慢になってしまった。
驕りは破滅の始まり。 近衛はファシストだな
支那事変を理由にして、大政翼賛会、産業報告会でナチスモデルの一党独裁化を進めた
近衛を共産主義扱いしてるのは、おバカさんの評論家なので真に受けないように 近衛文麿ブレーンの昭和研究会には
そうそうたる社会主義者たちが揃ってるし、
近衛自身だって共産党員だった河上肇に師事してマルクス経済を学んでる。
統制経済政策にマルクス主義の影響を疑っても不思議ではない。 ムッソリーニも元々共産党だし、ケインズも社会主義を研究してる
岸信介も社会主義を学ぶために京大に入り直してるし
あの時代は経済政策として社会主義を勉強するのは普通の事なのよ >>49
息子の蒋経国はモスクワ留学中にソ連共産党に入党申請してる。
トロツキー派だったため迫害されたが、
赤軍の手法や政敵を扱う方法を学んで、
後に大いに役立てた。
それが総統として反共指導者になる。
ちなみに妻は留学中に結婚したロシア女性。 >>51
満鉄調査部に左翼人が多数集まっていた。
共産主義運動の嫌疑で何度か検挙されてる。
満洲産業開発五カ年計画みたいにソ連の真似ばっかり。
満洲は革新官僚の育成地。 国家統制経済機関である企画院のメンバー多数も治安維持法違反で検挙されてる。
ファシズム体制と共産主義体制の中身は同じ。 ソ連と同盟結んでれば資源も手に入ったし問題もなかったね 世界恐慌で各国が苦しむ中で、
ソ連だけが経済成長してた。
当時のソ連は眩しい光に見えた。
実態が知られるまでは。 ナチスも眩しかった。
奇跡のような経済復興を成し遂げ、
破竹の勢いがあった。
電撃的な軍事作戦にも幻惑されてしまい、
バスに乗り遅れるなと同盟を急いだ。 >>55
元々親露派の松岡洋右はソ連を含めた四カ国枢軸を構想してた。
独ソ戦開始で幻となった。 >>53
近衛は戦争末期に「自分は共産主義者たちに騙された」という報告を昭和天皇にしてる
戦後は真っ先にマッカーサーに会いに行って「敵は共産主義者ですから、協力しましょう」等と言ってる
しかし初期GHQはソ連のシンパだらけだから、近衛は許されるわけもなく収監が決まって自殺
この経緯を見ても政策として利用してただけで、本気の共産主義者じゃない >>40
フランスの参戦なんて英がなくてもない
それとたいして技術支援以上の物はないが別にナチスとの同盟はたいして脚は引っ張ってない
ナチスと組んだから負けたんだと思い込みたいんだろうが
べつに同盟がなくてもアメリカと戦争になったし負けてた 賠償金も領土割譲もなしに講和などあり得ない
というのが 当時の一般的な考えだったようだな
だから続いた 第一次世界大戦の終結とともに、帝国主義の時代は
終わりを告げたのだが、日本はそのことに
気づいていなかった。 >>60
露仏同盟が脅威。
ソ連を敵にしたドイツ。
アメリカを敵にした日本。
お互い余計なことをしやがってと思うけど。 突然のバルバロッサ作戦でソ連を味方にできなくなった後も、
ソ連に終戦の仲介を期待していた。
陸軍には国体維持さえできれば共産化を受け入れて停戦仲介を請おうとの議論があった。
ソ連に幻想を抱いてた。
都合よく事が運ぶことはない。
真珠湾攻撃でヒトラーが米国に宣戦布告したのは何故なんだろう?
ドイツ軍部は米国への宣戦に反対していたのに。 うーん
近現代の話が続いているけど
関東が事実上の独立国になるに
とどまり平家が三河以西を支配し
続けた場合とか
織田か豊臣政権が続いていたら
どうだっただろうかな? >>66
信長が天下統一してたら天皇を滅ぼして自分が皇帝になってたかもしれんな
信長は足利義満と同じく日本の王になろうとしてた疑いがある 将軍も滅ぼさず放置なのに天皇ごとき全自動承認機にして放置だろ 信長は明国征服を考えてた。
秀吉がその計画を引き継いだ。 信長は上杉謙信にもビビってたのに、明征服なんて考えられるわけないだろ
秀吉の明征服ってどの程度本気だったのかね >>71
宣教師ルイス・フロイスの『日本史』に信長の構想が書いてある。
まるっきりのデタラメとまではできない。 なんだかんだと言っても、日本は居心地がいいからな。
今でも欧米やシンガポールに移住した芸能人は
何かと口実を作っては日本にいつの間にか帰って
いるからな。 「新石器時代の土器に付けられたさまざまな印が漢字の先駆けになるものであるという説」は、「本質的に誤っている」 「うん。女媧じょかと伏羲ふくぎの伝説には異伝があってね。苗族の伝承によると、部族ごとに異同があるから大まかなことしか言えないけど、ざっと次のようなものよ。
伏羲ふくぎと女媧じょかは太古の大洪水にただ二人生き残った兄妹(あるいは姉弟)で、やがて二人が夫婦となって現在の人類の始祖となった、とされているの。
女媧じょか・伏羲ふくぎと蛇との関係はこのへんから連想されたんじゃないの?
あと、この洪水神話の中には兄妹(姉弟)が匏瓜ふくべ(ひょうたんのこと)の中に入って洪水から生き延びた、と言うものがあるわ。
洪水に生き残った二人が人類を創生する神話は、ノアの箱舟が代表的ね。元ネタはウガリットのギルガメッシュ叙事詩だけど。
で、世界の洪水神話にはひょうたんや瓜が関係している説話が多いの。聞一多ぶんいったって中華民国の古典学者は「包羲(=伏羲ふくぎ)」の「包」は「匏瓜ふくべ」の「匏ひさご(古くは包と音が通じた)」から来ているのではないか、という説をとなえているわ。槃瓠ばんこ(はんこ)の「瓠」もひょうたんね。
そしてこの伏羲ふくぎは三皇五帝の筆頭よ。ものの本によれば女媧じょかも三皇の一に数えられるんだけど、ここでは『十八史略』の構成に従うわ」 >>71
某精神科医のコラムで、
朝鮮出兵や身内への過剰な粛清等の秀吉の晩年の迷走は、認知症初期の典型的な症状
と書かれていた。 >>73
なのに何度も出ばっては逃げ帰ってくるのは何故なんだろう >>70
信長って自分から攻め込む場合は相手よりも多くの兵を揃えてるけど、明を相手にそれは無理だろう。
かのティムールですら明軍より多くの兵を集められず、そのまま戦う事無く寿命が尽きてしまった訳だし。
なので信長が明へ攻め込むとは思えない。
それとも明よりも大軍を集められる算段でもあったのだろうか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています