イラン(ペルシア)の歴史
古代のアケメネス朝から、現代のイラン・イスラーム共和国に
いたるまでのイランの歴史を語りましょう。 イランは「アーリア人の国」という意味
レザー・シャーが国名をペルシアからイランに改めた アケメネス朝の少し前から居住地が動いていないということかな 現在のイランは、アラブ人、アゼリー人、アフガン人、
バローチー人などの少数民族を抱える多民族国家 サファヴィー朝の命運は、1722年のアフガニスタンの
カンダハール遊牧民の侵入を契機に、事実上尽きていたが、
アフガンの兵たちは馬に乏しく、大半は牛に乗っていたという
やっぱりアフガニスタンは昔から貧しかったのか? イラン人は自分たちのことを白人(アーリア人)だと思っている
「イラン人の肌はギリシャ人のように白っぽくて金髪もいる」
のだそうである。 テヘラン駅は、ナチス風の大きな四角い柱の
並ぶ様式が取られている。 アケメネス朝ペルシア初代大王キュロス2世即位のBC559年を紀元とするイラン皇帝暦
現在概ね2600有余年である
BC660年神武天皇即位を紀元とする皇紀は約100年歴史が長い
と言っても日本は1000年くらいサバを読んでいるのに対し、イランの方はほぼ実期間と言っていいだろう 途中の連続性を多少大目に見ればイランは現存する最古の国と言えなくもない
他はエチオピアくらいか キュロス2世の曽祖父にあたるメディアのキュアクサレスにより
イランは既に統一されていたからイランの歴史はイラン皇帝暦よりも長いはず 1971年に、ペルセポリスでペルシア帝国
建国2500年の祭典が開かれたな
日本からは三笠宮殿下が参加している
イラン軍は、各時代の軍隊の装束をまとった
兵士が行進した