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蘇我氏とは何者? [転載禁止]©2ch.net
0001出土地不明
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2015/06/16(火) 07:37:22.87ID:kVt3URM3
蘇我氏が謎すぎる。
0211出土地不明
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2024/05/18(土) 00:51:12.32ID:gqRd53Z9
新しい草刈り機を買いに行ってきたのか?
0212出土地不明
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2024/05/18(土) 23:59:08.27ID:yVBpQbnE
蘇我稲目の墓について、様々な説があります。しかし、現在では五条野丸山古墳と平田梅山古墳は有力候補ではないと考えられています。都塚古墳と真弓鑵子塚古墳は可能性はありますが、決定的な証拠は見つかっていません。蘇我稲目墓の所在は、今後の研究によって明らかになることを期待しましょう。
0213出土地不明
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2024/05/19(日) 00:01:15.72ID:WrUKLV6j
蘇我氏は飛鳥時代に大きな政治力と経済力を持っていました。そして、仏教をはじめとする大陸文化の積極的な受容に貢献しました。しかし、飛鳥文化は蘇我氏単独で作り上げたものではなく、当時の有力豪族や渡来人、そして朝廷も深く関与していました。

飛鳥文化の特徴の一つは、朝鮮半島や中国大陸からの文化を取り入れながらも、独自性を発展させたことです。蘇我氏は、この文化交流の窓口として重要な役割を果たしました。

確かに、推古天皇は百済から渡来した欽明天皇の娘であり、蘇我氏の支援を受けて即位しました。しかし、天皇制自体は古くから存在しており、推古天皇が初代天皇ではありません。天皇は、古代日本では太陽神の子孫とされ、象徴的な権威を持っていました。蘇我氏は、天皇家を擁護することで自らの権力を強化しようとした側面もあります。
0214出土地不明
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2024/05/19(日) 00:02:37.67ID:WrUKLV6j
蘇我蝦夷、蘇我馬子、蘇我入鹿は、江戸時代に付けられたあだ名ではなく、本名です。
これらの名前は、推古天皇・舒明天皇朝などの古文献にも実名で記されています。
蘇我氏には、他の豪族には見られない独特の通称があったことが分かっています。
皇族への反逆と通称の関係については、必ずしも単純ではありません。
蘇我氏は 連 という姓を持っていました。
0215出土地不明
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2024/05/19(日) 00:05:38.53ID:WrUKLV6j
道修町には、江戸時代に薬種商たちによって祀られた少彦名神社があります。蘇我氏は古代豪族であり、薬物交易に関与していた可能性があります。そのため、間接的に少彦名神社と関係があったと考えられる。
0216出土地不明
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2024/05/19(日) 00:07:03.96ID:WrUKLV6j
蘇我氏は、葛城氏と密接な関係を持ちながらも、独立した氏族として台頭した。外交面では、朝鮮半島との交流に深く関与し、倭人王権の外交窓口としての役割を担った。
0217出土地不明
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2024/05/19(日) 00:09:57.66ID:WrUKLV6j
目が細い人は様々な民族に存在しており、黄河系、高麗系、エベンキ族を含む多くの民族に共通する特徴です。エベンキ族の中でも目が細い人が多いのは事実ですが、数%のみという表現は正確とは言えません。
0218出土地不明
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2024/05/19(日) 23:29:55.37ID:c/JPhCXx
>>27
確かに、中国の歴史書には、トカラ国が朝貢を行ったという記述が存在します。しかし、トカラ国が中央アジアにあったペルシャ系遊牧民の国であるという点に矛盾が生じます。

現代の歴史研究では、トカラ国は中央アジアではなく、西域と呼ばれる地域にあったと考えられています。西域は、現在の中国西北部から中央アジアに広がる地域であり、様々な民族が混住していました。

トカラ国は、その中でも比較的東側に位置する、バクトリアとガンダーラの間にあったと考えられています。この地域は、古代において東西交易の重要な拠点であり、様々な文化が交錯していました。

トカラ国の人々が中国に朝貢を行ったという記述は、中国の歴史書である『漢書』や『後漢書』などに記載されています。これらの記述によれば、トカラ国は中国王朝に金や銀、絹などの貢物を献上したとされています。

しかし、これらの記述の信憑性については、議論があります。中国王朝は、周辺の異民族を服属させるために、朝貢を受けたと誇張して記述することがあったためです。

また、トカラ国が実際に中国王朝に朝貢を行ったとしても、それは政治的な目的よりも、経済的な利益を求めて行われた可能性があります。西域は、中国王朝にとって重要な貿易相手であり、トカラ国は、中国王朝との交易を通じて、繁栄を享受していたと考えられます。

このように、トカラ国と朝貢の関係については、まだ多くの謎が残されています。今後の研究によって、この問題がより明らかにされていくことが期待されます。
0219出土地不明
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2024/05/21(火) 19:53:41.07ID:mvJCqYeY
蘇我氏は確かに乙巳の変で滅亡した。だけど、単なる権力闘争で消えただけじゃないんだ。推古天皇の時代、蘇我氏は朝鮮半島情勢への積極的な介入を進めていた。それが、外交路線をめぐる対立を招き、中大兄皇子や中臣鎌足らによるクーデターへと繋がったと考えられているんだよ。
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