【レア?】幻のレンズ・カメラ【お宝!】
○試作品で発表されて結局製品化されなかったカメラレンズ ○発売されたが、台数がでなかったため市場にめったにでること がないカメラレンズ について語りませんか? あと、幻のカメラと言えば、オリンパスFTL、オリンパスM-1 >>407 M-1ならこないだ行ったカメラのKのジャンクコーナーに三台並んでたぞ。 マジで見たことないのは蛍石レンズのヘキサノン。 エクサクタマウントのcoligon 200mm f4.5の情報知らない? 先日ヤフオクで入手したけどそのヤフオクの情報しか出てこない アメリカの写真用品会社が自社ブランドを付けて売ってたヤツだからどっかの日本製でしょ 東京光器(マイネタール→トキナー)製らしい200/4.5なら見たことあるけど、OEM調達だから時期によって変わってるのもあり得るんでどんな形か見てみないとワカランなあ >>416 絞り環のO-Cとか被写界深度のヒゲなど見た感じkawanonのOEMモノっぽいなあ プリセットだけど欧米では必要な機能を満たしていれば安いのも需要があったんで(たとえば望遠と広角がセットで化粧ボックスに入ったクリスマスプレゼント用とか)、ゴム巻きのピントリングから7〜80年代のモノかな とはいえカワノン自体がやたら多ブランドでOEMしているうえに初期にはA-Callの瓜二つを供給していて謎が多い 聞きたいことがある α-7を愛用してるんだけど先日そのレンズ(α7000と一緒に出たやつ)に名盤の中にmaxxum、つまり海外版のαの名前が書いてある 近所のドフで買ったけどこれもしかして海外版とかなのなんだろうか >>419 でもメイドインジャパンなんですよね 来れて日本で作られたモニが外国に輸出されて帰ってきたってことなんですかね?日本だとわりとレアなのかなって思って書いてみたんですけどレア度的にはどうでしょう? 現地駐在してた人が向こうで買って持ち帰ったのを見せてもらう事がときどきあったから珍しい印象はないなあ 青箱でも見たことあるけどスルーした >>421 なるほど うちも近所に米軍基地あるしその関係かもしれませんね 謎が解けました ありがとうございます そりゃ輸出がほとんどで生産数3桁と言われてたら見かけんわ そういやコニカF時代のレンズキャップ、格好いいデザインのヤツあるよなあ アルパカめらのごく初期に専用のレンズとして製造されたオランダのデルフトのレアなレンズメーカー、オールドデルフトの話である。 オールドデルフトと言うと、デルフトと言うイメージからフェルメールなども思い出して、レンズのメーカーとしてはかなりステータスが高い。要するに、ライカのレンズもコンタックスのレンズも飽きて、アルバのマクロすいたにも飽きた連中が最後に行き着くところがオールドデルフトなのだ。 十数年前にウィーンのオークションで手に入れたレンズが私が全く知らなかった。レフレックスレンズの400ミリなのである。名前は確か単純明快でFotoTel である。長年500ミリのレフレックスだと思っていたのが、今回レンズの名前を見て初めて400ミリであることがわかった。 このレンズには、不思議なことが多くて、ほとんど文献にも出ていないし私が所有しているのが唯一の例ではないにせよ、10年にいっぺん位の出現率であると思う。その意味不明で、謎のレンズの構造に関しては、あまりにも話が長くなるので、別のところでやりたいが、今回ここでお話ししたいのは、初めてオールドデルフトのトレードマークが明らかになったことだ。 400ミリレフレックスレンズに付いているエンボスがこれなのである。エンボスがシャープでないから細かいところはわからないが第一印象としては、水面に朝日が出て光が射していると言う風にも見える。極めて基本的なトレードマークで朝日新聞のマークみたいなものかな? オールドデルフトのレンズは所有しているが、それらは35ミリの焦点距離とか50ミリの焦点距離なのでトレードマークの刻印が見えない。400ミリのレンズにもトレードマークの刻印はされてないので、このレザーケースで見たのが私が確認した唯一のトレードマークと言うことになるのだ。フェルメールの故郷のレアなレンズの謎はますます深まるねね。 ライカの非常に明るいレンズ 十数年前の古い画像で面白いレンズが出てきた。ライカM3に着いた75ミリの明るさが0.8号と言うレンズである。市販の1番明るいレンズはの口ルックスのエフ0.9号だし、スタンリーキューブリックがバリーリンドンで使ったカールツアイスの明るいレンズは0.75であった。 ^_^それでドイツのそのカメラ屋さんに慌てて連絡を取って明らかになったのはこれは軍用か何かの特殊なレンズであって焦点距離は最初から固定されているのである。だからフォーカシングも固定されているので連動距離計で合わせる事はできないと言う話なので私の熱は急速に冷めてしまった。 当時の値段が4000ユーロと言うのであるがこれは安いと思うがコレクションとしては素晴らしいのであるが我々素人はすぐそれを自分の撮影に使えるのではないかなどと勘違いするのである。 特殊なカメラやレンズと言うものは特殊なものであるからその使い道が非常に限られていてそれ以上の使い方はできないそしてそれ以外の使い方もできないここが特殊カメラの凄いところなのだけれども、我々初心者はそれをすぐ考え違いをして自分の写真に使えるのではないか?なると思うのである。 1967年の11月の終わりに父親と新宿東口のラッキーカメラでライカM2のブラックペイントのボディーを買った。その値段は120,000円だったと思う。 1970年代ウィーンに暮らしているときに私が大好きだと言うことをwinのオペラ座の裏にあるカメラ店のヘルムートが知っていて時々ライカM2のブラックペイントがお店に登場すると私のために取っておいてくれたものである。その値段は大体50,000円位だった。 ^_^写真で示すこのカメラは20年位前にeBayで買ったものである。ライカビットMPがついてその値段は2500ドルだった。 レアなライカの製造台数を考えてみるとライカMPは300台後半位で、オリーブ色の軍用ライカM3もそのくらいの数である。 一方でライカM3のブラックペイントの生産台数は3000台をちょっとかける位で、ライカM2のブラックペイントはそれよりもちょっと少ないと言うところであろう。 ^_^ 3000台に足りないと言う位の数ならば別にコレクターズアイテムと言うわけでもない。ところが友人からの情報によるとネットオークションらしいがM2のブラックペイントの程度は知らないけれどもそのハンマープライスが7,000,000円になったそうである。 ^_^これは呆れるハンマープライスと言うよりもそれだけ経済が動いているのであるから結構なことではないかと言わざるを得ない。 しかしながらこういうカメラは使うところに価値があるわけでインベストメントとしてはどれだけ将来敵が価値があるのかは疑問である。 1960年代半ばのライカの会社のブラックペイントのクオリティーは非常に劣悪であって私が所有していた1,130,000 0262のブラックペイントのライカは使い始めて2週間も経過しないうちにトップカバーが全部剥がれ落ちてしまった。同じロットのライカM2ブラックペイントを使っていた写真家の須田さんのライカもすぐペイントが落ちてしまった。 海外のニコンカメラのコレクターなどには有名な話であるが、一般にはほとんど意味のない話が、ニコンの8桁の製造番号を持つ初期のニコンレンジファインダの話である。 ニコンの1番最初のモデルであったニコンファーストモデルだが製造番号が6091であった。そこから製造番号を連続的に割り振っていくと最初の3桁の609がステパンと言う認識になってしまって、この画像が示すように10,000台を超えると製造番号が8桁になってしまう。 もともと1番最初のニコンカメラは4桁から始まったわけだから、なぜ8桁になったことがキュリオシティなのかと言う。その理由がわからないが、後の時代のニコンのカメラの製造番号は全てが7桁であったから、それより1桁多い。8桁というのがレアなモデルであると言う認識になったものらしい。しかし、ニコンの会社では、その不具合に気がついたものが、ニコンエス型の製造番号は数百台8桁で作られた後に、また7桁の製造番号に戻っされている。 カメラの製造番号は、最初のニコンとか2番目に手に入れたニコンなどは忘れることがないが、その後トータルでカメラの台数が3000台にもなってしまうと思う。記憶できたものではない。 私が訪問する唯一のカメラ屋さん、我楽多屋の弐代目3等はカメラの製造番号のごろ合わせをやって、それが大向こうを唸らせるようであるが、時々はかなり無理矢理なごろ合わせが目立つ。問題なのは、この頃合わせは日本語がベースになっているので、外国での通用性がないと言うことだ。 もっとも、高校生の頃に円周率の。覚えとか、語呂合わせは、その頃は結構実用的なもので実際に使っていたのである。ところがAIがこれほど進化してくると、何もそういう細かい数字をそのまま記憶すると言う事はそれほど効果があるのかどうか?どのような意味がそこに加えられるのかと言う事はまた別の問題になる。 ところで8桁の製造番号を持つ子の初期モデルのニコンは、コレクターの間ではそれなりに人気がある。この8桁に今を銀座のを見せて、1日のうちに二台同時に買ったというのが当時の私の自慢話であって、これはギネスブックに登録されるのではないかなどと馬鹿を言っていたのだ。 カメラのオークションというのが相変わらず人気が高い。レアなライカカメラ等と言うのは1時1億円で落札されてびっくりしていたら、その落札価格が最近では三億園に近くなった。カメラ付きのためと言うわけではなくて、ビックマネーが投資のためにやっているのは明らかであろう。 例えば、私が友人から何十年も借りているオリーブ色の軍用ライカがあって、これは私の友人が最初に手に入れたのは4000ドルであった。しかもドルが安い時である。最近はそのカメラがオークションで30,000ドル以上しているから、中途半端なインベストメントよりこちらの方がかなり有効な投資の仕方だと思う。今日オリーブ色のライブは200数十台だけ作られたと言うわけで、価格が沸騰しているわけだが、それよりもはるかに少ない63台だけ製造されて、レアカメラであるかと言えば、全然人気のないカメラを私は持っている。 Bolex 16 Proと言うカメラは70年代初めに作られたが全く売れなかったらしい。63ユニットだけ製造されて世界中の放送局等で使われた。そのうちの3大生私は所有しているのだから、世界に富が偏在すると言う意味の1部を私が引き受けているのである。 コレクターと言うのは、不思議な性癖を持っていると言うのは、私にもよくわかっていて、すでに2つのユニットの程度の良いのを持って満足していたら、3つ目のユニットの同じカメラが登場した。その時の犯行の動機というか、購入の動機には非常に危険なものがあって、それは以下のような理由によるのである。 すなわち3代目のユニットには私がそれまで所有している2つのユニットには入っていなかった。レアなアクセサリーが付いていた。それが何だと思いますか? カメラ本体に比べて、その当時のカタログとか取扱説明書がレアである事は言うまでもないが、私が調べていたカタログの中にこのユニバーサル76ミリカメラはどのようなシチュエーションでも撮影に対応しているからと言うので、カメラのキャリングハンドルに1脚をつけて、それをカメラマンがローアングルにおろしていて、自分の乗っているブリッジの裏側を取ると言う実例写真がそこに掲載されていたのだ。 もともとカメラ本体とレンズとそこにフイルムを装填すれば15キロ位の重さになるから、そのカタログを見て私がびっくりしたのはカメラマンの右腕力そのものであった。 このプロ46ミリカメラにはそれ以上にものすごい万能の仕掛けが付いていて、キャリングハンドルの脇にコイル上の金属パーツが付いている。これを何に使うかと言うと、アンブレラを引っ掛けるための金属パーツなのである。撮影中にこれでアンブレラを固定しておけば、カメラもカメラマンも濡れませんと言うわけだが、普通は脇にカメラアシスタントがいて、そのアシスタントの仕事がアンブレラを差しかけるためなのだ。 世界にいろいろなカメラの種類がある。とは言いながら、アンブレラをつけるクリップがあるのはこのカメラだけだと思う。 こういうカメラに付いている資料というのがまた大切なのであって、一番最後に入手したカメラは、フランスの放送局が使っていたものであった。と言うのは、フランス放送局がガラパゴスを取材に行ったときの関係資料がアウトフィットに添付されていたのだ。こういうのは嬉しいですね。 その3つのアウトフィットは、いずれも当時の3000ドル位の価格+シッピングコストであった。最近国内のネットオークションで同じものの本体だけが出たのである。バッテリーも何もついていないからそのままでは使えないわけだが、これにちゃんとした価格がついたのでびっくりした。 すなわち、プロ用の映画撮影機と言うのは、最近まではちゃんと動くものでないと商品の価値がないと言うふうになっていたのであるが、ついに2022年に至って、こういう歴史的な映画機材は、そのもの自体が存在しているところにアンティークの価値がつくようになったのである。その意味ではなかなか文化的な新川見られる。 このカメラは、50年以上前としてはすごく進んだ機構が付いていて、16ミリカメラとしては世界初のフイルムの自動装填システムなのである。すなわち、フイルムの先端をカメラ本体に差し込んでやると、後は自動的にカメラがスタンバイ状態になる。 でも、このカメラが知識がない人には使いこなせない理由はいろいろあって、フィルムゲートのところにマイクロスイッチが付いていて、そのマイクロスイッチが外れるとフイルムは自動的に停止する。すなわち、空打ちができないようなシステムになっているのである。そのマイクロスイッチのブランドを見たらオムロンとあるので非常にびっくりした。 特徴的なボケは健在…Meyer Optik Görlitzの「Trioplan 35mm F2.8 II」「Biotar 58mm F1.5 II」 株式会社ケンコープロフェショナルイメージングは4月13日、Meyer Optik Görlitz(メイヤー・オプティック・ゴルリッツ)社の交換レンズ2本について、4月21日から受注を始めると発表した。 Meyer Optik Görlitzは、1896年に創業したドイツのブランド。3群3枚トリプレット型の「Trioplan」(トリオプラン)などで知られる。紆余曲折を経てレンズ生産が途絶えていたが、2017年から復刻製品が国内で流通していた。 今回の新製品は「Trioplan 35mm F2.8 II」および「Biotar 58mm F1.5 II」。いずれもマニュアルフォーカスで、いくつかの既存のマウントに対応した製品が用意される。 祐天寺のPaper pool って店は怪しい、オールドレンズ語りながら 飲食できる、Paper pool Rare Leica 0-series camera No. 121 from 1923 coming to the Wetzlar Camera Auctions Leica Rumors / by LR admin / 12h “Leica 0-series No. 121, 1923 – two years before the Leica was launched, 22 to 25 cameras of what is nowadays called the Leica 0-series were made for testing purposes, of which 16 are still known worldwide today – these cameras represent the prototypes of all Leica 35 mm cameras to date – the Leica 0-series cameras are indeed the most significant Leica cameras after the UR-Leica and no major collection can be considered complete without an example.” ke7aではない これはレプリカである。純正品ではないと最初から断っているからトレードの仕方としてはフェアであると言うことになる。戦前のライカでゴールド仕上げの落札ライカの人気があまりに高いので、ライツの会社は正式にレプリカを発売した。それはレプリカと言う意味でRと刻印が打たれているが、こちらのほうもコレクターの間で大変な高い値段がついている。 戦前のライツの会社が公式に作ったレプリカと言う意味で人気が高いのであろう。最近のライカの会社もやたら戦前戦後の生産中止になったレンズのレプリカを作っているみたいだな。 ここにあるのはサードパーティーが制作したカナダで作られた軍用のライカエム4のレプリカと言うわけだが非常によくできているので、本物と見分けがつかないと言うところがそれなりにアレなのである。 このカメラを持ってフィンエアーでリスボンに行こうとしたのは、十数年前のことだ。ところが、その頃アイスランドがどこかで火山が噴火して飛行するのが危ない状態になっていて、フィンエアーでヘルシンキに着いたら、その先は飛行機がなかった。 それで考えを巡らしてまずヘルシンキ等は1度も今後来る予定はないと思うから、私の人生で1回きりのヘルシンキ訪問をすることにして、その先のフライトはキャンセルしたのである。 そのことをFacebookに書き込んだらすぐヘルシンキにお住まいの遠藤さんと言う方から連絡があって、お友達になった。遠藤さんの父上は、著名なデザイナーであって、私がオリンパスの仕事をやっていた関係で、意外と近いところに存在する有名人なのである。 それでサブか何かで登場した。遠藤さんにいろいろヘルシンキのお話をお聞きしてついでに私の小学校時代の友人子宮の消息を知りたいと言ったら、30分で所在がわかったそうである。フィンランドは人口が少ないから国民総背番号ですぐわかると言うことなのかな? ライカコピーと言うよりも大昔のキャノンのレンジファインダカメラをそのまま小さくしたようなのがパックスのカメラシリーズである。 時代背景からして戦後のアメリカ軍のお土産だと言うふうに思って興味を持っていなかったのだがある時実際に使ってみたらちゃんと使えるしカメラの存在感がすごく精密なので見直したのである。 普通のクローム仕上げのほかにゴールデンビューと言う仕上げのものがあってこれも非常に作りがよろしい。一般にゴールドカメラと言うのはキワモノになってしまって30年位前に1時各メーカーが流行で作ったことがあるが品がないのとそれに加えて豪華な桐の箱に入っていたり白手袋が付いていたりとんでもない方向の古道具趣味になってしまった。 その中で私が発見した事はゴールド仕上げのカメラと言うのはこのぐらいの小さいサイズでないと実際には使えないと言うことだ。 戦前に作られたコンタックス2型のゴールド仕上げと言うのを持っている。リザードスキンが貼ってあってワシントン条約発行以前のものだから問題ないなどと馬鹿を言っているが実際にゴールドのコンタックスは写真撮影には向かないのである。まずテーブルの上の宝物から上になる事は無い。 感心したのはカメラの裏側のエンボスの加工が非常によくできていることだ。コンタックスなどで戦前のモデルでカメラのバックにエンボス加工のしてあるものもあるがコンタックスの場合は有名なZEISS bumpと言うものがある。それでせっかくのエンボス加工が台無しになってしまうのだ。 それに対してパックスのエンボス加工は実に素晴らしいと思う。文字が大きめなのとカメラが小さめなのが相まってなかなかの存在感である。 当時のブラックコンタックスの値段はライカのエルマー月が800円位したときに1000円はしたと思う。いやこの写真を見るとブラックコンタックスのエバレディケースはレンズの部分が膨らんでいる姿川端が構えているブラックコンタックスのレンズを見るとこれは高級なゾナー5センチef 1.5であることがわかる。だから値段は1200円位統治したしたのではなかろうか ちなみにその時の子顔レフの今田フレックスは2000円した上でこれは歌舞伎の有名な俳優が所有していた。 有名人がコンタックスを構えている写真で、私が思い出すのは、小津安二郎がシュトゥットガルト生のコンタックスを構えている光景である。 川端ブラックコンタックスの写真の腕が見たいものだな。 盆さんと言うのは古い友人であって、私の70歳のときの記念パーティーにもご夫婦で来てくださった。 盆さんの写真の腕はそこそこ優秀なのであるが、それよりもこの人物を個性的にしているのはカメラの特殊メイクと言うスペシャリストの存在である。映画の撮影などで特殊メイクと言うのは非常に重要な役割であって、私はヨーロッパの映画を手伝ったことがあるが、特殊メイクの人と言うのは尊敬されていたのである。 盆さんがスタートしたユニークなカメラの特殊メイクを、彼自身が名付けて 偽貫禄と命名したのはなかなか良いネーミングだと思う。 若い頃と言うのは面白いもので、学生服とか柔道着に貫禄をつけたりすると、それが友人に対して一歩先を行っているように思われたものだった。私もそういう経験はあります。 私のエッセイの中で書いたことだが、ブラックニコンにヤスリをかけると言うタイトルのエッセイがあった。日本デザインセンターのアシスタント仲間で、自分のブラックのニコンエフにヤスリをかけて、そこに貫禄を出して周りを圧倒しようと言うアイディアだったらしいが、これは実際にカメラを使ってブラスの地金が出ているわけでは無いから、反則技と言うことになる。 それに対して盆さんのカメラの特殊メイクの場合は、オリジナルの状況は一切傷をつけなくて、いざとなれば元に戻すことができるというのが特殊メイクの凄いところだと思う。 それで最近彼が自分の今まで制作してきたカメラの特殊メイクの中の自信作と言うのがこれである。インドシナ戦争から生還したと言うストーリーのニコンカメラだ。 これほどの特殊メイクの凄いニコンではないが、ニコンのエス2のブラックペイントのモデルがかなりはげているやつをパリのカメラ屋さんで見たことがあった。 映画アマデウスがヨーロッパで封切りされた頃なので、よく覚えているが、オデオン劇場のそばのカメラ屋さんにその汚いブラックのニコンが登場して買うか買わないか迷いながら毎日撮影の途中にウインドウ越しに見たのである。 その当時の値段で日本円で80,000円位だったと思うが、結局それを手に入れる事はなかった。 今の時代なら、こういう完璧な特殊メイクのニコンが存在するわけであるから、気分としては全く損傷は無いわけだ。 しかも、下のクロームのカメラの状態にいつでも戻せると言うのだが、こういう芸術的な特殊メイクのカメラはオリジナルには戻したくないと思っています。 ずいぶん昔に外国のオークションで手に入れたライカのモータードライブである。犯行の動機と言うのはその外見が汚いと言うことだった。 世の中に流通しているクラシックカメラの価値観と言うのは、まず昨日工場から出てきたばかりで、全く使用感がないとかそういうのが高い値段になっている。私の考え方はその逆であって、実際に経過した時間の中で本当に使用された痕跡が残っているのが素晴らしいカメラであり、アクセサリーであると思うのだ。 戦前に生産されたバルナックライカについたモータードライブは、実際に使われたと言うのは、報道関係と言うよりも、ドイツ軍の急降下爆撃機とか、そういう戦争の成果を記録するための単純明快な記録装置であった。 私はそこに非常に使い込まれたクラシックなナイフと同じような存在感を尊敬するものである。 戦後に作られたライカのクローム仕上げは、材料があまり良くなかったためにクロムが剥がれてしまうと言うのは、コレクターの間の常識になっている。ところがこれは第3帝国が1番元気だったころのライカモーターのクローム仕上げであるから、そんなに質の悪い材料が使われていると思えない。 それでこのような状況になってしまったと言うところに、この付属品の上を通り過ぎていった時間軸とか、強烈なパワーなどを想像してしまうのである。そこが魅力なのである。 我々の間で尊敬しているほとんど神話的なレンズがある。それはアンリカルティエブレッソンが何十年も愛用していたコラプシブルなごく普通の頭ミクロン50ミリである。これがまたすごい代物でクローム仕上げはほとんどなくなってしまって下の心中がむき出しになっているのである。 要するに、ブレッソンの指は、非常に酸性の汗をかいていたのではないかと。我々ライカ雀は話しているのであるが、真実は不明である。このライカモーターは第3帝国の急降下爆撃機の衝撃がそのまま製品の表面に浮上しているわけだ。 25年位前の事だけど、当時ソ連製のカメラがブームになったことがあった。クレムリンから赤旗が降りてから光が生のカメラが一斉にこちら側に流出してきたのである。 それで、モノ、マガジンから出したソ連製カメラに関する私の単行本の名前が、ロシアカメラがむせぶ夜はと言うのである。このタイトルを考え出したのは、モノ、マガジンの社長の今井さんであるが、ご本人も編集会議の時、そのタイトルを口に出すのがはばかられたようであって、編集長に発音させたのである。 それは確かに三流の変化みたいなタイトルを口にするのは恥ずかしいよな。ところが人間というのは誰があるから、実際にそのタイトルで本が出ると言うことで、編集会議が進行すると、5分後にはもうその本のタイトルを口に出しても、全く恥ずかしくないと言う状態になるのは凄いと思う。人間はなりやすい動物であると言うことだね。 それでロシアカメラがむせぶ夜はと言うのは結構売れたのである。そのバックグラウンドには私をサポートしてくれたオーストリアウィーンのロシアカメラのコレクターさんがいて、彼はほとんどの種類を持っていたのである。世界で1台しかないレアなカメラと言うことになると、1957年のブリュッセルのエキスポで2台だけ作られて、出品されたコメントと言う名前の当時のライカM3をしのぐ高性能のカメラがあった。 ところが二台あった。このカメラの1台はモスクワで分解されてしまって、世界に残っているのは1台だけであるのだが、それを持っているのがウィーンのコレクターなのである。 そういう非常にレアなカメラに比較してみると、この1950年代に作られた初期のレニングラードカメラなどというのは対してレアではないと言うことになってしまって、カメラをチェックしていた時に、私はカメラの正面の写真は撮影したのであるがカメラの上とカメラのリアの写真は撮影するのを忘れていた。だから、これが大問題なのであるが、一般に市販されたレニングラードはカメラ本体の上に巨大なスプリングモーターがついている。 ところがこの最初のモデルはそのスプリングモーターがついていないから、おそらくシングルでテレ巻き上げるのであると推測できるけれども、私の不注意でこの初期のレニングラードカメラの巻き上げの方法を確認していなかった。だからいまだに謎なのである。 レニングラードと言えばカメラではなくて、本物のレニングラードのほうはプーチン大統領がそこのKGB出身と言うのであまりにも有名になってしまった。プーチンが偉くなってしばらく経った頃取材でレニングラードに行ったことがあった。旅行の雑誌であるからレニングラードのお寿司屋さんと言うのも撮影しなければならなくなってそこの日本人の社長に色々と話を聞いて面白かった。 それはプーチンがここのお寿司屋さんに来る時は、レニングラードの中心の繁華街なのであるが、少なくとも3時間位は交通度目にして、一般の市民を全く立ち入らせることがないと言うセキュリティーをやるのである。まったくふざけた話だが、独裁者にしてみればそんな一般市民を封鎖すると言うような事は、ごく普通なことなのだろう。 19歳の時にライカM2のブラックペイントを手に入れて得意になっていた。子供の私であったが、そのうちだんだん大人になってくると白いペイントのカメラなどが好きになる。 これはギルフォードのアドボケートと言うカメラでホワイトエナメルで仕上げてある。しかも35ミリのレンズが付いているのでスナップショットにはよろしい。2009年の7月にライカインコが昇天したときに、家人と一緒にピルグリムで千葉県の銚子に行ったのである。その時はこの白いカメラを持参した。やはり黒いカメラより白いカメラの方がいいと思ったのは、夏の暑い盛りでもあったのがその理由だ。精密に言えば、これはホワイトペイントと言うよりも非常に明るいベージュと言った方が良いかもしれない。 下の16ミリ映画撮影機はカリフォルニアで作られた計測用の専門ハイスピードカメラでフォトソニックと言う。こういうのは個人が買うものでは無いから何百10,000円もする高価なエキップメントだ。 白いカメラを作っているメーカーというのがどうも英国に多いらしくて、これも非常にレアな35ミリ版のビューカメラというのがあって、もともとはケネディーインストルメントと言うメーカーで作られていたのが、後にはOEMだと思うけど、Ilfordブランドで同じミニチュアビューカメラが発売された。研究機関などのラボで使うと言う目的で作られたらしいが、ほとんど使われた事はなくてコレクターズアイテムになっている。 その35ミリのミニチュアサイズのビューカメラなのであるが、マガジン交換ができて、そのマガジンの色がやはりオフホワイトのエナメル仕上げなのだ。 アンセルアダムスによれば、直射日光の砂漠地帯などで撮影するときには、そのカメラを白くペイントをしろと彼の写真教育の本には書かれている。しかし、実際には普通のカメラをホワイトペイントするなどと言う人のブログ、実際にはできる話ではない。 アメリカの軍用カメラのミッチェル、16ミリ映画撮影機だけど、そういう目的のためにカメラ全体が選べるホワイトにペイントされているのがある。ずいぶん高い値段でアメリカから買ったものであるが、これは仕上げが非常に多くてうっとりするほどである。 チョートクのコピペ手打ちも同じのを何度も見るのは辛いからたまには新作投入して欲しいなあ 17歳の時に、新宿のラッキーカメラでライカM2のブラックペイントを手に入れた。当時の価格は120,000円位であったようだが、最近のオークション等を見ると一時的とは言え7,000,000円の価値がついたそうである。こういうのは異常だよね。コレクターがインベストメントとして飼っているのはよくわかるが、それほど経済先行きが不透明と言うことなのかな。 世の中のカメラ、人類特にライカコレクターの間では、ブラックペイントのエム型ライカが珍重されているが、数が多いと言うわけではない。ライカM3でもライカM2でもその生産台数は3000台にちょっとかける位の大量生産がなされているのである。 我々ライカ人類が高く、評価しているのは、そのブラックペイントが剥がれて、下のブラスの黄色が見えているのがダンディーであると言うことになっている。ついこないだのライカのオークションでもウォーカーエバンスが使っていたライカM2のブラックペイントがオークションに出て、他のレンズと一緒に天文学的な値段で落札された。 ここら辺がトリッキーなところであって、私はウォーカーエバンスのヴィンテージプリントは欲しいと思うが、彼が使っていたライカが欲しいと言うわけではない。 ところで、コダックが作った当時の最高級カメラがこれなのだけど、1番最初にウィーンで手に入れた時は貴族の名前が刻印してあった。このカメラは、パレット板の下に小さな金属板が付いていて、そこに所有者の名前が刻印できるようになっていると言う変なカメラなのである。 それでこのシネカメラのエグザンプルであるが、私が惹かれたのは心中にブラックペイントされたカメラの操作盤が、このようにほとんどブラックペイントがはげ落ちて、地金のブラスが出ているのが魅力的だと思う。 非常にハードな時間と環境がこの映画撮影機の上を通過していったのだ。 そんな長文書いてる暇あったら 外出て写真撮ってきな read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる