一応、映倫の指定としてはR18で、実際に見ると、「女性同士の行為」などの描写がいくつかみられます(ほか、拷問シーンなど)。ただ、モザイクがかかっていたわけではないですし、教会というのは女性が多く住むところで「性の偏り」がやはり出るところなので、どうしてもこうした「一般的な恋愛」ではない「恋愛」が進みがちな部分はあるのでしょう(性質上そう「なりがち」というだけであり、「だから教会はおかしい」とかということは述べていません)。

 この映画、実はいつが舞台なのかの明示的な説明がなく、最初にペストが何だのという話が出てくるので、一見して百年戦争のころ?と思わせるところがありますが、実際にはそれよりも遅い事件であったようです(このころのキリスト教文化や教会は、映画で描かれているように、絶対的な存在でもあった)。

 他の方も書かれていた通り、このペストの部分は今のコロナ事情の比喩(メタファー)なのかな、という気がします。
今では彗星などはいつやってくるのか等すぐわかりますから、それを先に計算することはできますが、当時はできませんでした。したがって、そうした自然現象でさえキリスト教文化と結び付けられるようになったのです。このような「不思議な現象」をキリスト教文化と結び付けるのは簡単でも、異を唱えるほう(そのこじつけ、間違っていませんか?というもの)は、その「立証責任」をおうものの、当時の科学技術ではそれはどだい無理なものであり、結局、「何でもかんでも不思議なことがおきたらイエス様の奇跡、だから教会を信じなさい、信仰しなさい」というようになっていったわけですね。