アルトゥール・ルービンシュタイン
なぜかスレがないので、立ててみました。 2012年は… 生誕125年(1887年1月28日生まれ) 没後30年(1982年12月20日没) です。 改めてじっくりと聴くには良い機会かと思います。 まったりと語っていきましょう。 CD-BOX買ったけど どの演奏がオススメですか? 前回のウルトラでかボックスもってるけど 今度のオリジナルジャケット箱もいい感じだね 買っちゃおうかなあ 今箱買ってきました。 今回の目玉、ペトルーシュカをまず始めに聴きましたが… 途中で書き込んでしまったorz ペトルーシュカ、予想以上に指がまわり指が回らないところも、音を思いっきり外したところもだからどうしたと言わんばかりに引き進める。 そして各曲の合間にオクターブの連打音を入れて、場面が変わるのを暗示。 メチャメチャ面白い。 初めてこの人のライブ音源を聴いたけどこんなに爆演をする人とは… ピアノ奏者の頂点をなす二人はどちらも爆演系だったのである。。。 >>9 面白い演奏だったよね。あれだけでも大全集から買いなおしただけの 価値はあったと思う。 カール・タウジヒの孫弟子(カール・ハインリヒ・バルト門下)だから、 爆演はある意味当然の流れ。 19世紀の濃厚なピアニズムを受け継ぎながら、平素「新即物主義」の お面をかぶっていて、こうしたライヴで時折爆発する、という点にこそ、 ルービンシュタインのライヴの面白さがあると思う。 1930年代のショパン録音なんかも、そのライヴの顔が若干見え隠れするけど、 歳を重ねるにつれて「録音は完璧に」という考えになっていったような…。 箱届いた。冊子がいいね。 写真の説明書きにルービン爺のことARって略してある。 今後はARって呼ぶことにするわw で、そのAR箱に一枚だけ外付けされている CDが気になります。 (店頭で見ただけなので、確認できず) それ、ディスプレイ用じゃないかな?全部箱に入ってるよ パサデナのDVD。 たぶんリージョンが日本向けじゃないとかじゃないかな。 自分の家にある奴ではどちらもみえたけど。 パサデナじゃねぇや。ルービンシュタインの思い出だった。 12です。 CDではなく、DVDだったのですね。 ありがとうございます。 ビーチャムとのベートーヴェンの4番って誰のカデンツァ? >>18 あれはサンサーンスの作曲したカデンツァだな。 かなり珍しいと思う。 全集、やっと全部聴き終わったわ。 ステレオよりもモノラル時代のほうが面白いな。 マズルカなんか雲泥の差。 どっちがいいかはおいといて 全集買おうかどうか迷ったけど結局買わずじまい。 あれ結構重さありますよね? ようやく全集箱、届いた。 デカい、重い… これ全部聞き終わるまで、どれだけかかるかなあ… ショパン、ポロネーズ 第6番 英雄 演奏、ルービンシュタイン http://www.youtube.com/watch?v=VEl9zn8JPW8 このビデオは、数年前にDVDで買って持っているのだけど、昨日ユーチュ ーブからダウンロードして、昨日今日と繰り返し視聴しているのだけど、見て いて思ったことを書かせてね。 まず思ったのは、ルービンシュタインは、自分の弾いている姿も音楽の一部 と考えているのではないかと思った、そして、見ていて、そういえば、やはり この第6番は、このようにかっこよく弾いて欲しいよなぁ、と思ったのだけど、 確かに、曲をどのよう解釈するか、という問題もあるけど、でも、やはりこの 第6番は、どうせ弾くなら、このようにかっこよく弾いて欲しいよなぁ、と思 った。 そしてこのように思いながら、繰り返し見ていて、いろいろと思ったのだけ ど、このビデオのカメラワークは、多分ルービンシュタインも、どのように撮 って欲しいかいろいろと注文をつけていたのではないかと思ったのだけど、で、 ルービンシュタインの弾いている姿を見ているうちに、ある意味で、オペラを 見ているかのように、あるストーリーが浮かんできた、それは次のようなもの。 (つづく)(copied here, 2012.6.11(mon) 8:40pm MTT) 最初、英雄、バラード第3番の水の精のように、英雄の姿が予告として現れ る、そして、その英雄は、期待となって思い浮かべられ、そして、次に、その 英雄は現実の姿となって、目の前に現れる。 そして、次に、ポーランドの苦悩が描かれる、時に夜想曲を思わせるものも現 れて、ポーランドの苦悩と悲しみが描かれる、そして、ここで、英雄が戦い始 める、ここでルービンシュタインも、戦ってるのように、身振りが力強くなる。 そして、次に、この戦いに、勝利した英雄が進軍を始める、いゃぁ、ところで、 ここは、この曲の聞かせどころでもあるのだけど、やはり、ここを、これだけ 力強く、そしてかっこよく弾けるのは、ルービンシュタインならでは、という 気がする。 で、夜想曲に入る、この部分は、ある意味で、夜想曲は、本来なら 夜曲 とし て非現実の世界なのだけど、この曲では、全てが裏返しで、この部分で現実に 戻って悲しみを歌っている部分なのだと思われる。 そして、最後に、もう一度、英雄の再現が現れて、曲は終わる。 (つづく)(copied here, 2012.6.11(mon) 8:45pm MTT) ルービンシュタインの動きというか、身振りを見ながら、この曲を聞いてい たら、このようなストーリーが浮かんできた。 ところで、最後に、以前から思っていたことを書くと、ここまで書き上げた ショパンは、このあとに何が残っていたのだろうか、もう、残っていたのは、 幻想の中のポーランドの姿だけだったような気がする。ショパン、と声をかけ たくなる。 ------ wrote in the wind at 8:39pm, Monday June 11, 2012 ------ (copied here, 2012.6.11(mon) 8:53pm MTT) 英雄が戦いを開始するとき、ルービンシュタインは、この部分に入るとき、 あたかも、体当たりをするかのようにこの部分を開始している、もしかすると、 彼も、ショパンと共に戦いたかったのかもしれない。 英雄の再現で、この英雄は、ルービンシュタインにとって、ショパンでもあ ったと思う。そして彼がこの曲を弾くたびにこの英雄は再現され、曲の最後の オーバー・アクションは、ショパンへ、参戦の意志を伝えるためだったのかも しれない。 ------ wrote in the wind at 8:25am, Tuesday June 12, 2012 ------ (copied here, 2012.6.12(tue) 8:25am MTT) 先程気がついたのだけど、バラードの第3番って、変イ長調、なんですね。 僕は、ルービンシュタインの様子というか、様子を見ながら音を聞いていたら、 何となくバラードの第3番の冒頭のメロディが頭の中に浮かんだのだけど、で も、今気がついてみると、バラードの第3番って、変イ長調なんですね。 で、幻想ポロネーズも変イ長調。 もしかして、この3つ、って、繋がっていません、というか、関連ありませ ん。 また、第6番で、夜想曲が出てくる、そして第5番ではマズルカが出てくる。 また、ソナタの第3番では、夜曲が2つで、終曲が、あの、異様な、異様な、 異様なだけど、でも魅力的な、あの終曲。 第5番でマズルカが出てくるのは、ここでは、ある意味で、ある意味でだけ ど希望の世界を描いている、そして第6番で夜想曲が出てくるのは、ある意味 で、現実を見ながら悲しみが襲い始めている、そして、多分、幻想ポロネーズ は、第6番の双子で、コインの裏側だと思われる。 そして、ソナタの第3番は、夜曲2つを伴って、あの終曲が現れる。 もしかすると、夜想曲とマズルカは、コインの表と裏ではないのではないだろ うか。そういえば、ショパンの作品の中で、夜想曲とマズルカが最も多い、と 思ったのだけど。 ちょっと突然思ったことを書かせてもらいました。 ------ wrote in the wind at 11:36am, Tuesday June 26, 2012 ------ (copied here, 2012.6.26(tue) 11:44am MTT) 突然ベートーヴェンに飛ぶけど、確か、スケルツォには 諧謔 という意味も あったと思う。で、ベートーヴェンは、臨終のとき、喜劇は終わった、拍手を、 と言ったらしいけど、これは、スケルツォの諧謔と関連があるように思う。 また、以前、ドイツには、次のような言い伝えというか考え方がある、とい う話を聞いたことがあるのだけど、で、正確には覚えていないのだけど、それ は、人生というのは、あの世とあの世の間に架けられた橋であり、人はみんな、 自分の役割の舞を踊りながらこの橋を渡り、そしてまたあの世へ返っていく、 というもの。 で、この考え方がいつの時代からあったのかは知らないけど、多分このような 考え方は、ベートーヴェンの時代にはもうあったように思うのだけど、で、そ れで、ベートーヴェンにとってのこの橋の上での舞はメヌエットではありえな かったのだと思う、もっと喜劇性の含んだものであると考えていたのだと思う。 また、一つ書くと、ただ、あの人が、テンポ・デ・メヌエットにしましょう、 と言ったときだけメヌエットであり得たのだと思う、また、そのまたもう一つ 書くと、彼が、あのような当時の不完全な機械であるメトロノームにこだわっ たのも、この辺に何か、テンポというのに何かこだわる理由があったのかもし れない。 で、ショパンは、このベートーヴェンの このスケルツォ を引き継いだのだ と思う。 で、彼にとって、ソナタの第3番には、夜想曲2つとスケルツォが必要だっ たのだと思う、ショパンにとって、あの終曲を登場させるには、どうしても、 夜想曲2つとスケルツォが必要だったのだと思う。 ------ wrote in the wind at 1:55pm, Tuesday June 26, 2012 ------ (copied here, 2012.6.26(tue) 1:56pm MTT) ところで、ルービンシュタインが、自分の弾いている姿も音楽の一部と考え ているのではないかと思った、と書いたけど、よく考えてみると、これは、そ れほど意外なことでもないように思う。例えば、歌舞伎は、今では芸術という ことになっているけど、江戸時代には、要するに単なる見せ物だったのだし、 クラシック音楽も、もとは、単なる見せ物と言えば見せ物と言えるようにも思 う。なので、かっこよく弾いてみせるのも、芸のうち、のような気もする。 で、日本人は、多くの日本人は、かっこよく弾いてみせる、というようなこ とを嫌うけど、でも、それは、この島国で育った遺伝子がそう思わせるような 気がする。小さい島国で仲良く暮らすには、どんぐりが背比べをしないで生き るのが、最も問題を起こさずにみんなが生きられる方法のような気がする。 でも、大陸の中で、簡単に不特定多数の人が入り乱れてしまう国で生きてきた 人たちは、そうではないのだと思う。やはり、かっこよく、というのは重要な、 生きていくための一つの手段なのだと思う。そして、そういう人たちは、かっ こいいというのを歓迎する、という気持ちもたくさん持っているのだと思う。 (つづく)(copied here, 2012.6.27(wed) 4:42am MTT) そして、何のために音楽をやるか、ということを考えると、最終的には、音を 何とかしたいのではなく、人の心に何かを訴えかけたいためにやっているので、 そのためには、かっこいい、というのが歓迎されるのなら、かっこよく弾くの も音楽のうちなのだと思う。 で、ショパンは、臨終のとき、また、臨終のときが出てきてしまったけど、 で、ショパンは、臨終のとき、友人の一人が、では君のソナタを弾こう、と言 ったとき、いや、僕のではなく、本当のソナタを弾いてくれ、モーツァルトの ソナタを弾いてくれ、と、言ったらしいけど、これは、確かに、ショパンの偽 らざる気持ちだったのだと思う。 ショパンは、彼のソナタは、正式にはソナタとは言えないものである、と感じ ていたのだと思う、でも、彼は、あれをソナタらしくするより、自分の心の中 に在るものを表すことを優先したのだと思う。彼は、音を何とかしたいとは思 わなかったのだと思う。 ------ wrote in the wind at 8:03pm, Tuesday June 26, 2012 ------ (copied here, 2012.6.27(wed) 4:54am MTT) ちょっと書かせてね、音楽の専門家でない僕が書くので、まぁ、基本的には 無視してね。 ところで、人間には、目と耳があって、目で見た情報と耳で聞いた情報から いろいろなものを判断しているのだけど、百聞は一見にしかず、という諺があ るように、目で見た情報からの判断の方が優先度が高いと思う、で、そのため、 ちょっと論理が飛躍し過ぎているかもしれないけど、人間の目と耳を考えたと き、普通の人は、目の方が訓練が行き届いていると思う。 で、画家や、立体的な作品、例えば彫刻などを作る人たちを考えてみると、 絵を描く人たちや立体的なオブジェを作る人たちは、昔から、自分たちの作品 を作るための いろいろな 技法を開発してきた。でも、この人たちは、いろい ろな技法を作ってきたのだけど、僕は、この人たちが、技法に夢中になって、 とにかく、技法ありきで、技法のみを追求した、という話を聞いたことがない。 で、要するに、この人たちは、確かに、いろいろな技法を編み出してきたのだ けど、それを編み出した理由は、基本的には、そして、一番の動機としては、 自分の中に、自分の心の中に何か表現したいものがあって、それを表現するた めに、そのために、いろいろな技法を工夫して、それらの技法を編み出してき たのだと思う。 で、僕は、音楽、特に作曲家も、同じだと思う。 (つづく)(copied here, 2012.6.29(fri) 4:33am MTT) でも、僕が見ていると、何か、音楽は、妙なこともやっているような気がす る、特に、20世紀に入ってからは、特に妙なこともやっているような気がす る、また、僕には、音楽は、技法の論議にあまりに夢中になり過ぎているよう な気がする。 で、両者は、結局は、お客さん、がいないと、成り立たないのだけど、でも、 普通の人は目の方が訓練が行き届いているので、絵やオブジェで、技法だけに 夢中になったものは、普通の人は直ぐに飽きて投げてしまうので、そのため、 作る方も直ぐにもとに戻るのだと思う、でも、音楽の方は、お客さんには、直 ぐには判断がつかず、意味不明で、でも、なんとなく、とにかくお客さんには 判断がつかないので、今のところ、妙にそのようなものが存在できているよう な気もする。 ------ wrote in the wind at 9:02pm, Thursday June 28, 2012 ------ (copied here, 2012.6.29(fri) 4:39am MTT) で、技法という言い方が的確かどうか、というか、実は、僕自身書きながら、 技法という言葉では自分が思っていることを全て含んでいないと思っていたの だけど、他に一言で言い表せる言葉が思いつかなかったので技法という言い方 にしたのだけど、で、例えば、僕には、ベートーヴェンが交響曲のメヌエット をスケルツォにした理由が、その第一の理由、第一の動機が、音の組み合わせ とか、音響的効果とか、音の並びの面白さとかを追求してスケルツォにしたと は、僕には思えない。 やはり、ベートーヴェンにとって、彼が感じていたものを表すにはスケルツォ の方いいと思ったのが一番の動機だったのだと思う。 また、ベートーヴェン自身は、ハイドンが定着させた交響曲の形をとても気に 入っていたのだと思う、ただ、自分の思っていることを表すには、あそこは、 スケルツォの方がいいと思っていたのだと思う。 また、僕は、クラシック音楽の、現代音楽というのをほとんど聞かない、た まに何かの機会に聞くこともあるのだけど、どうしても、確かにそういうこと ができるのは分かる、でもそれでなんなの、という気がしてしまう。できるこ とと人間が歓迎したいと思うことは別なことのように思う。僕は、たくさんの 現代音楽を聞いてはいないけど、でも、今のところそのように感じている。 (つづく)(copied here, 2012.6.30(sat) 4:39am MTT) また、では、自分の思っていること、と言っても、では、じゃぁ何、と言わ れると、例えば、ショパンのソナタの第3番の終曲が何を表しているかは分か らない、多分、書いたショパンも、ある程度は分かっていたとしても完全には 分かっていなかったと思う、でも、その何かを表したいと思って、ショパンは あの終曲を書いたのだと思う。 また、あの第3番を見ると、僕には、あの第3番は、明らかにあの終曲を書き たいために書いたのだと思う。そして思うに、例えば、あの終曲を、単独で、 例えば、ボロネーズ第6番のように単独で持ってこられるかというと、それは できないと思う。あれを突然始めてしまったら、あまりに唐突であり、また、 曲解されるも恐れもあり、あれを単独で持ってくることはできないと思う。 そこでショパンは、あれを多楽章形式のソナタという形にしたのだと思う。た だ、ショパンはソナタの形だけを借りたのだと思う、また、終楽章を書きたい ために用意周到に準備をするというのはベートーヴェンが先例をたくさん作っ ているので、彼としては、このことに関してはベートーヴェンは心強い存在だ ったと思う。また、一つ書くと、リストが、ショパンの意を酌むように、えっ、 これでもソナタでありなの、というようなソナタを書いている。 (つづく)(copied here, 2012.6.30(sat) 4:53am MTT) で、とにかく、音楽は、例えば、歴史の中で消えず今もその名が残っている 作曲家の作品は、それが何を表しているのか分からなくても、何かを表してい ると感じさせるものであり、書いていた作曲家もそれが何であるか明確に分か っていなくても、心の中で感じていたもの、心の中で何かが叫んでいたものを、 音という形で、できる限り人間に理解できる形に書き表したものだと思う。 人間は、例え 自分の 頭の中でも、自分が感じているものを的確に表すことは 物凄く難しい、でも、作曲家は、その感じているものを、それを、音という形 で、できる限り人間に理解できる形にまで持ってくることができるのだと思う。 そして、彼らの心の中で感じていたものを、そのようにして書き表したものだ けが、生き残ったように思う、人間の心の動きとは、無関係に単に音が並んで いるだけのものは、人間にとって共感できるところまで持ってこられなかった ものは、歴史の中で消え去ってしまったのだと思う。 ------ wrote in the wind at 4:38pm, Friday June 29, 2012 ------ (copied here, 2012.6.30(sat) 4:58am MTT) これ映画なんでぇ〜監督と撮影監督が 頑張ってカット割りしたんじゃないスか?w マルチカメラではなくカメラ移動して照明もそれに合わせたりして 時間掛けて作りこんでんしょ〜www 指揮者の岩城宏之が本に書いてたけど ルービンシュタインが岩城に こう漏らしたそうです。 若い頃は女女女でピアノは二の次だった。 四十過ぎてからようやく真面目にピアノに向かう気になったって。 ルービンシュタインのショパンは気の抜けたサイダーを思わせる JPCで全集箱が109ユーロに値下げしていたので購入。 送料込みで引き落とされた金額が12960円でした。 国内で見回しても、最安値かと思いますので、お薦めです。 梱包も完璧で、角のへこみなどは一切ありませんでした。 一応、ご報告。あ、今から聴きはじめます。 カーネギーホール・ライヴが聴きたいんだが廃盤で困ってる・・・・ >>47 1961年のステレオ・ライヴ盤。今もブックオフ巡りしてるが見つからない・・・・ アルベニスの『ナバーラ』だけ聴きたいんだわ。この時の熱気が凄いんだよ。 >>44 それ、野村光一が言ってましたね カイザーボックスのルービンのライブがすごいというか すばらしいという気がします >>44 自分はむしろルービンの演奏のそこが好き この人はガチ天才だったんだろうと思う ルービンシュタインは若い頃は才能だけで飯食っててホロヴィッツは晩年を才能だけで食ってたんだろうな。 超過疎スレぽいけど質問します ttp://www.amazon.co.jp/The-Rubinstein-Collection-Vol-Nocturnes/dp/B000031WBV ttp://www.amazon.co.jp/Chopin-Collection-Artur-Rubinstein/dp/B000026OW3/ref=pd_sim_sbs_m_1 この二枚のCDのノクターンは全く同じ録音でしょうか? >>53 下のRCAの箱物はHMVのサイトで見る限り1965年の録音です。 上のリンクの2枚の写真の2枚目下の方、1965年の録音とあります。 また、レーベルがRCAであることの2点から同じ録音だと思います。 今、手元に現物がないため、確定はできませんが。 >>54 自分も一応調べたんですが、断定はできないですけど録音年から同じ物っぽいですね 海外物なので表記が信用できないって面はありますけど 同じ録音なら安くて11枚組みの方購入します 大のケンプ派なのでショパン聞く機会も滅多になかったんですが、ARで本物のショパン堪能してきます レスと調べて頂いてありがとうございました ルビ箱届いたったったった 未聴ラーにならないよう聴きまくるぞ… この演奏で、この曲が好きになったもの、当時、昔話だけど、ビデオディスクで、 確か VHD というのがあって、ルービンシュタインの演奏で、協奏曲が3曲収録されていて、 そのうちの一つがこれだった、解説には、吉田さんが書かれていて、ホロヴィッツを引き合いに 出して、このビデオを見る時、もうかなりの高齢だし、弾いている音より落っこどしている音の方が 多かったら、直ぐに見るのをやめようと思いながら見始めて、で、でも、立派な演奏で驚いた、 というようなことが書かれていた。 http://www.youtube.com/watch?v=06Ku_ygdWn4 今、改めて見て、うまいと思う、また、今聞くと、改めて、うまさに気づく、技巧的だけでない、 音楽的な表現の仕方のうまさは、やはり抜群と思う。また、やはり、この曲は、第3楽章 6分29秒ごろ から、が、見せ場、彼は、技巧的には、まぁ、歳もあるけど、あまり華やには弾いてはいないけど、 音楽的な ふくらみ は、見事、また、最後の、見せ場も、圧巻、そして、この曲を終えたあと、 前を向いて、涼しい顔、いゃ、おじいちゃん、素敵。 と、昔の、思い出と、今の、見 でした。 ------ wrote in the wind at 11:48pm, Wednesday November 13, 2013 ------ (copied here, 2013.11.13(wed) 11:50pm MTT) 昼寝をして、夕方まで寝ていたので、もう少し昔話など。 ショパン・コンクールで優勝した ブーニン は、このときのコンクールの模様を、NHKが特集番組で 紹介して、日本ではこの後ブーニン・ブームが起こった。この、特集番組では、みんながまだ今回の優勝は 誰になるのだろうか、と、思っていた時、彼は、このワルツで、一躍、突如、現れたごとく 注目を浴びた と、紹介していた。 http://www.youtube.com/watch?v=GeqVjcuEWLA 一部には、あれはワルツじゃない、コザックダンスだ、という不評も買う中、確かに、凄い、 ある意味凄い演奏だった。 http://www.youtube.com/watch?v=q0h1J0pWENw で、でも、結局、彼は、大成しなかった、あのブームのあと、消えてしまった。演奏活動は続けていた みたいだけど、でも、多くのクラシック・ファンにとって、行方の知らない人になってしまった。確かに、 技巧的には、凄いものがあった、でも、クラシック音楽ファンの耳は、彼には、酷なようだけど、 確かだった。 (つづく)(copied here, 2013.11.14(thu) 1:09am MTT) また、このブーム、この旋風の中、吉田さんは、一人、復活したホロヴィッツを引き合いに出して、 きれいな音だった、その点、ブーニンは不幸だね、と、何か言いたそうにして、それ以上言わなかった。 吉田さんは、あの、ひびの入った骨董品演奏のときも、みんながほめる中、一人、正しく見た、僕は、 テレビで見ていて、よくは分からなかったけど、途中で集中力をなくした。 で、僕だけど、ブーニン・ブームをある程度追いかけて、時々テレビで見たりしていた、けど、 あるとき、モーツァルトの協奏曲第27番を弾くというので、待ち構えてテレビを見て、第一楽章の ピアノが少し始まったところで、見るのをやめた、その後、僕は彼のことは気にかけなくなった。 まだまだ、と、思った。 彼は、あの年齢の時点で、あれだけの演奏技術を持った人は、今でも、ほとんどいないと思う、 でも、音楽は音楽、技巧だけではだめなんだよね、クラシック音楽の演奏家になるには、抜群の演奏技術と 抜群の音楽的感覚と、そして、さらに、ソリストになるには、もう一つ、その人なりの持ち味、がないと、 生き残れないんだよね。では、また。 ------ wrote in the wind at 1:05am, Thursday November 14, 2013 ------ (copied here, 2013.11.14(thu) 1:19am MTT) 結局、ブーニンにとって、あの ブーニン・ブーム は何だったのだろうか。 今から思えば、不幸、だったのかもしれない、彼には、もっと勉強すべきことが たくさんあった、もっと練習すべきことがたくさんあった。あのブームは、この彼から、 このための 時間 を奪ってしまったのかもしれない。あのときの、あの とき の彼に必要だった のは、ちょっとしたうまさを、わいわい騒いで見に来てくれる人より、もう一度二軍に 落してくれる人だったのかもしれない。 このブームの中、NHKはもう一度特集番組を作り、その中で、彼の先生だった人が、彼には、 シューマンなんか合いそうだと思う、と話して、僕はそのとき、そういえば、と、確かに先生だけ あっていいところを見ている、と、思ったのを覚えている、今、演奏を再び聞いても、シューマンを 弾いてみない、と、言ってみたい気がする、でも、たくさん勉強して、と。 彼は、あのあと、あの先生との関係をどうなったのだろうか、彼には、勉強が必要だったし、 先生のもとに帰って、引き続き勉強と練習を続けることは選ばなかったのだろうか。ただ、でも、 結局、彼は、あの とき の、あの 国 から、早く、早く外に出たかったのかもしれない、 人は、時を選べない、そして、時は、人を待ってくれない。今は、モーツァルトのクラリネット協奏曲 を聞きながら、今、ちょうど第2楽章が始まったところ。 ------ wrote in the wind at 4:53pm, Thursday November 14, 2013 ------ (copied here, 2013.11.14(thu) 5:06pm MTT) 吉田さんは、ブレンデルが、シューベルトのソナタのCDを出したとき、このCDに好意を示していた、 彼は、ブレンデルは、シューマンなんか弾くと、何かしらの 厚み 分厚さのようなものが無くて合わないけど、 シューベルトにはぴったり来る、というような評を書かれていた。 ブレンデルはこのころ、シューベルトのソナタのCDを続けて何枚も出して、僕も、続けて買っていった、 僕も、彼のシューベルトは気に入っていた。 吉田さんは、以前、ルプーの即興曲にも 賛辞 を書かれていて、僕も、物凄く気に入っている、 ある意味、これが、シューベルトとの 本当の 出会いだった、それまでシューベルトはよく聞いていたけど、 でも、これを聞きながら、あるとき、シューベルトの 心 に触れたような気がした、そのとき、僕は、 クラシック音楽ファンの一員になったような気がした。 シューベルトもシューマンも、ロマン派の作曲家、でも、全然違う、シューマンはまさに ロマン の真っ只中、 シューベルトは、まだ、生まれたばかりのロマン派、淡い淡い、ため息が出そうな、でも、ため息をしたら、 消えていってしまいそう。ルプーは、さすが ピアノの詩人 素敵な演奏。 で、現実に戻って、ブーニンには、ある種の、エネルギーのかたまり、熱、のようなものを感じる、 シューマンをやらせてみたい気がする。 ------ wrote in the wind at 8:51am, Saturday November 16, 2013 ------ (copied here, 2013.11.16(sat) 9:32pm MTT) ルービンシュタイン以外の雑感帳になってるけど、メンタルヘルス板に別スレ立てますか? ルービンシュタインのスレが立ったのかと想って喜んで覗いてみたがなんだゴミ屑がぎゃあぎゃあ発作を起こしているだけじゃないか!全く下らない。 スレ違い過ぎて酷い ルービンシュタインと関係ないキチガイの日記帳じゃん 自覚しとんのか? 余所で書けキチガイ! read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる