【George】ジョージ・セル 7【Szell】
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>>99
>>100
8888888 !
ありがとう! まあ、理想の音楽を実現するためには人間性を犠牲にせざるを得ないってのもあるのかもね。
できあがったものが理想の音楽かどうかは別にして。 >>101
99だが
>>100氏は凄いクラ通だよ。
この逸話の面白いところは実はアルトゥールの韻を踏んでいるところではなく
ルービンシュタインがシュナーベルの知己で高く評価しているからなんですよ。
ルービンシュタインの自伝は邦訳で三冊あるが、これは実に面白い。クラファンなら必読。
クラファンは馬鹿にするかも知れないがバレエリュスや画家との交流も生々しく書かれている。
一応、言及しておくが、
リンデン時代に(当たり前だがベルリンで)アンセルメもセルもバレエリュスと演奏している。 >>104
いや〜、みんなぁ、貴重な情報、感謝です。しばらくオレは、シコシコと原書を読むぞ(笑)。 なんだこの豊作スレは
相変わらずいつも絶好調だったんだなじじいw >>105
ま、自分のやりかたで頑張ってね!
陰ながら応援します! >>106
じじいとは、失礼な(笑)。まだ、52歳だぞ。
>>107
おう!任してくれ、数年かかるだろうけど、読破する。 70歳のオレから見たら、52歳のキミはまだまだ young man だな。だから、年端のいかないガキから「ジジイ」などと言われても、気にしないでくれ。 http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2943143/10718435
米女性10年監禁事件、検察は死刑求刑か
2013年05月10日 07:48 発信地:クリーブランド/米国
クリーヴランドもこんな事でしか報道されなくなったとはね フィンガルの洞窟 序曲聴いてる?
どっしり落ち着いて構えてグッと来るよ。 >>113
もちろん聴いてるぜよ。メンデルスゾーンとセルはピッタシくるね。
ところで、ギレリスとのベート―ヴェンPf協奏曲を聴いてるが、一番のピアノの入りのテンポがどうしてあんなに急に走って、OKが出たんだろうか。後はなかなかの名演だと思うけど、惜しいなぁ。 CDに裏面はなかったけど、今どきはDLする時に表裏あるんだな〜 Wikiにある「わずか3歳からウィーン音楽院でピアノ、指揮、作曲(教師はマックス・レーガーなど)を学んだ。」の「3歳」は誤りではないのか。典拠はどこにあるんだろうか?詳しい方、教えて下さい。 伝統あるレコード芸術誌にセルCOが大きくとりあげられていてうれしいです >>125
確かに伝統ある雑誌だが、昔に比べると、ページが減って薄くなったよなぁ。売れてるんだろうか? 今や最大の顧客は自治体(図書館や学校)なので、
店頭で売れる売れないは、じつはあんまり関係なかったりして・・・
発刊を続けることにこそ意味がある。 レコード芸術に取り上げられたセルの新譜って
ギレリスとのベートーヴェンの協奏曲が最後だったっけ
少し前までワルターとか結構出てたよね
セルはどうだろう? >>91
いい話ですね。洗脳は若いほど効果的です。
彼も、自分の入団により追い出された奏者のことは一生考えないでしょう。
解雇を免れた1/3の古参奏者の意見もぜひ聞きたいですね。
感情を押し殺して迎合したのか、あるいは惚れ込んだのか。
多くは体を壊したでしょうけれど。 >>130
雇用を守ってオケをダメにするか
オケの水準を上げるために劣化した奏者をクビにするか
お前は雇用を守れと言ってるんだよな。 セル1970年の来日ライヴはとにかく素晴らしいんだけど、
何故にブーレーズのライヴは発売されないのだろうか?聴いてみたいよ。
セルのライヴとの違いが楽しみなんだが。
あと70年繋がりでマデルナとマゼールのBDOのライヴも聴きたい。 セルって、天才少年だったが、一人っ子だったようだな。 お荷物は捨ててもいいでしょう。きちんとした手順を踏むなら。
再教育、再訓練、再試験を経て解雇。本人も納得できるはずです。
セル&クリ管は、いかなる我侭も通用させてしまった悲惨な例です。
「お前、汚ねー音だからクビね」
…恐ろしい話です。 >>135
聴衆からすれば、いいオケになる方がいい。
お前みたいな労組はそっち方面でブー垂れてればいいだろ。
つーか、今はもうそんなことはできないだろうけどな。 再教育とか再試験やったあげく解雇っていうのが一番傷つくのだよ。
むしろ早めに転出先を確保してあげる方が吉。 音楽に限らずどんな世界でも、成功者というのは、ある一定の数の人間を泣かせていると思うよ。プロは厳しいのよ。甘いヒューマニズムや人道主義なんてクソ喰らえだ! アンサンブルを揃える為なら楽譜の改悪も辞さないのがプロの厳しさですか?w 改悪かどうか判断するのは、少なくともお前ではないわな
何様のつもり? 昔は、指揮者が楽譜に手を入れるのは当然だったんだから、
今の感覚で「セルはダメ」とか言うのは、言う奴がおかしい。
イヤなら聞かなければいいだけの話。
それも判らずずっと喚いているのはキチガイ。 シューマンの交響曲、たとえば3番「ライン」あたりは、セルに限らず
ワルター、トスカニーニ、クレンペラーなど、名前をあげればキリがない
レベルで、手を加えていない指揮者がむしろ珍しいくらい。
ブルックナーあたりになると、もっとひどくて、指揮者の判断で複数の版を
折衷したり、カットしたり、そんなのざらだから、あんまり細かいこと言い出すと、
ヒストリカルの録音なんか聴けやしないと思う。
ちなみに、デジタル録音の時代でも、シューマンはシャイーは当然として、
ジュリーニあたりですら録音には明らかにマーラー編曲の影を感じる。
改竄、改竄と、やたらと2chで文句たれてるやついるけど、神経質なやつは、
セルに限らず、ヒストリカルは聴かないほうがよさげ。 >>145
ジュリーニ、陰どころじゃなく「マーラー版」って謳ってるじゃん>>英EMIのPO盤 セルも若い頃は楽譜通り指揮していたが、ワインガルトナーやシャルクのような先輩指揮者からスコアに手をいれるよう指導された。 ジュリーニのラインを決定盤みたいにいう人の神経を疑う
改変がひどすぎる >>137
それは貴方の主観です。
馴れ合いを嫌った彼が転職先を探したとでも?
>>138
貴方の人望の無さがよく分かるレスですね。
その理屈なら人を泣かせないと成功できないことになります。
プロは厳しい?厳しいからクビ?厳しいからパワハラ?
>>143
「○○ちゃんも△△ちゃんも、みんなやってるからボクもやったんだい!」
子供がよく使う言い訳です。
言うまいが聴くまいが彼の行為への疑問は消えませんよ。
楽譜の改ざんなど作曲者への最大の冒涜であって、
人のふんどしで生計を立てている者がやるべきことではないのです。
「マエストロ、私のやり方はバッハの流儀なんです」
「それならバッハが間違っているんだ」
何でも許される環境におかれた人間の醜さですね。 わお!
知らんかった!1975年のムーティの来日ライヴが出てるじゃないか!
当時ベームのせいで影薄かったのが残念。
しかし70年のブーレーズのなんで出さないんだよ!()
ドルイアンのバルトーク聴きたいよ。 >>151
言い訳じゃなくてその時代の価値観なんだけどな
それほど拘わるならピリオド演奏でも聴いとけよ
別にあんたにどう思われようとこっちの知ったこっちゃないし ID: 6zjO8EeU
こいつ、面倒くさいキチガイだな。
結局、何を言われても、自分の考えが正しいのであって、自分に反する
考えは間違ってるんだろ。
キチガイは放置。 >>155
援護射撃に感謝!138だが(その他、原書を読破中のコメントも)、「貴方の人望の無さがよく分かる」とか書かれちゃったもんね(爆笑)。 ソニーから出てるベートーヴェン(輸入版・ジャケットが絵画のやつ)を
普段聴いているけど、なんか録音が痩せている気がする
でももしかしたら、演奏自体がそうゆう響きなのかもと思ったり・・・
どうも1990年代に買った思い出があるから
さすがに買い直した方がいいかな? >>157
オリジャケが手に入るなら買い替えた方がいいけど、中古でないと難しそう。
尼で新品が6万w
49枚組もいいかもしれない。 >>157
仏ソニーの赤いボックスは大分マシな音だよ 再生装置によって印象が変わるだろうね。
絵画ジャケット自体は内容と全然関係ないのでつくづく残念なのだが、
音質は比較的ナチュラルというか無理に響きを太くしておらず
木質感や弦の滑らかさ、透明感がよく出てて、自分のシステムでは好印象。
オリジャケは響きが太くアナログライクで、一般にはこっちの方が
聴きやすいと思うが、細部まで見通しの良いアンサンブルの緻密さを
味わうという点では、若干こもり気味でいまいち。 あと仏の赤ボックスは持ってないので、何も言えないのだけど
一般的な印象として仏・伊のものは全体に華やかに聞こえることが多い。
仏ソニーのはどんな按配ですか?>>160 >>159のエッセンシャルシリーズはどれも痩せた音でおれは大嫌いだった。
このシリーズ聴いてセルってこんなもんかと勘違いした人も多いんじゃないかな。
入手可能なら断然オリジャケのほうおすすめします。
本当に同じ演奏なのかと思うくらい印象が違う。
ときどき中古屋でみかけるので根気よく探してみよう。 CSOの首席フルーティスト/ドナルド・ペックの著書の中に、Szellに関する興味深い記述がある。
1962年フリッツ・ライナーが去った後、次期音楽監督にSzellがなりたがっていたという。 ベートーヴェン「田園」では、嵐の場面の後、cut-off すると宣言したが、本番でそうしなかったため、
大混乱となった。また、シューマン「春」の終楽章では、振ったり振らなかったり、アインザッツがあったりなかったりしたなど、
3週間の間、conductorial エラーに満ちていたという。クリーヴランドでは、素晴らしい仕事をしていたが、シカゴでは、あまりにpedant(衒学的、融通が利かない)であった、と書いている。 正直そんなにセルに思い入れがあって
聴いているわけじゃないんだよね
なんかべートーヴェンをサクッと聴きたいときに
癖が無くて、かつ軽くなくてということで重宝してる
ブロムシュテットとともによく聴いていている 1966年収録の、WDR Sinfonieorchester Koln とのチャイコフスキ―第5交響曲もなかなかいいな。録音も鮮明だ。 >>167
クリ管のスタジオ録音よりはるかに熱いよな。カット版なのが惜しいが オイストラフとかロストロとか超一流といっしょだといつもご機嫌だよ まったく、「ハーリヤーノシュ」組曲はセルとフリッチャイが双璧ですな。 俺はよくユーチューブでとかでセルの動画を見るんだが
一番気に入っているのが下記の記録。
http://www.youtube.com/watch?v=P2OSXvWtZm0
セルがアシスタント指揮者に熱心に指導をしている。
コワモテと言われることの多いセルだが、教育者としてのセルは
とても情熱的で素敵なジイさんだ。
ちなみにセルに指導を受けているのは若き日のレヴァイン。
髪型も違うし、後年ほど肥満しておらず、初々しいw
ちなみに、レヴァインは1964年から1970年まで7年にわたりアシスタントを
勤めている。あまり語られないが、レヴァインはセルの直系であり、
ある意味、後継者といっていい。 >>173
この本のレヴァインの項に、セルに関する記述が豊富にあって面白い。
マエストロ〈第2巻〉 (叢書・20世紀の芸術と文学) トスカニーニやベームほど怖い人でも嫌な人でもないよ
ただクビにするだけで セベランスホールの床清掃まで文句をつけるところを見てみたい え。
ベームって、トスカニーニ級に怖かったの?
ところで、アメリカに渡った指揮者って、ワルター以外はみんな
コワイってイメージがあるんだけど。ライナーとか……。 アメリカに渡った指揮者というより
あの時代はみんな怖かったイメージ
ワルターとか例外じゃない?
クレンペラーとか クナとかフルヴェンも怖いというイメージじゃないな
オーラがとんでもなく凄いから威嚇しなくても楽員のほうが魅入られたほうに付いていくような >>183
ワ―イ、ワ―イ、嬉ぴいなぁ、ぼくちゃん(笑)。 >>182
そのシリーズはマスターテープからなのか、セルに限らずなべて音が良いですね。 >>184
ちとセルの逸話真弓を探しに行ってみま☆
「セルは人に押しつける教育者である。
(途中、ホルン奏者やソプラノ歌手への「肛門!」罵倒エピソードがあるが省略)
セルの押しつけがましさは万事におよんでいる。彼は切符の印刷の仕方について
切符売り場を悩ます。彼は折りたたみ椅子のあけ方を舞台係に教え、ホールの
床の清掃法まで指示する。彼は照明に関して照明係を邪魔する。プログラムの
中に広告をはさむ方法についてアドバイスを与えるのは有名な話だ」
『分析的演奏論』タークイ著、三浦淳史訳
たぶん1回注意したことがセル伝説になっただけじゃろぅが。
ルービンシュタイン、ホロヴィッツの逸話目当てに買うた本じゃが
他の大指揮者の、この本でしか見たことのない逸話も多く、まあまあ楽しめる本ですじゃ。
絶版なのが惜しいところ。
ググると、この本をもとにセルをちーとツィートしている人もいますのぅ >>186
この本はそういう逸話集なの?
タイトルの「分析的演奏論」はきっちり書いてあるの? そういう逸話集ですじゃ。
Wikiの三浦淳史項に、この本のキャラを簡潔に示していますのぅ
「彼が翻訳したヒューエル・タークイの『分析的演奏論』に「人間の光と影」という副題が付いていることは
象徴的である。三浦は音楽家の「光」の部分のみを描くようなことはしなかった。
なおタークイの著書は、題名とは裏腹に音楽家のエピソードが中心の書物であるので、
翻訳の際にも三浦の基本姿勢は貫かれていたと言えよう。
自我を前面に押し出すことをせず、エピソードをして語らしめるのが彼の音楽評論であった。」
『分析的演奏論』と書きながら、何一つ楽曲を分析しとらず、
その人間を分析しながら演奏を語ると意味ですじゃ。
そこそこネガティブにかかれとり、儂のような素人でも楽しく読めま☆
内容は1960年代〜70年代前半に書かれた記事で、久々に手に取ったら
ビニールカバー装丁が経年劣化により超ベトベトさんになっとったのがショックじゃった >>189
早速、古本で注文した。情報、ありがとう! 指揮者アンソロジー集じゃけん、セルにはそれほどページはさいとらんので
変に期待はせんほうがよろしいですぞ。
セルの章の副題が「生死をかけるパーフェクショニスト」となっとるが
別のページでは
「一つのオーケストラからあれほどの透明度を引きだすセルの能力は、
人間としての彼自身の狭量さの成果」とまぁネガティブさんじゃ。
くれぐれも壁に本を投げつけんようにのぅ >>191
詳しいフォロー、ありがとうございます。
ここのところ、Szell の評伝、CSO首席フル―ティスト・ドナルド・ペックの自伝など、本読みに集中しているので、この本もしっかり読むつもり(笑)。 おやおやじいさまこんなところに出没か
:('ω`;):
:ノヽV ):
| :< < :: 現在出ているソニーのCDに吉田秀和の文って載っているのかな
あの解説読むと、来日したときのセル・COはすごかったと褒めてるけど
なんか、あくまで「来日」「ライブ」のセルはねって感じで
CDは・・・という印象をうける 記録としてのCDと実演との間には越えられない壁があるのは如何ともし難いところじゃろ
特にオーケストラ物じゃと 吉田さんは、セルもトスカニーニもワルターもフルトヴェングラーも、
生で聴きまくってるからなあ。生が良かったと書くよ、そりゃ。
セルは生で聴いたベルリン・フィルとのシューマンが素晴らしかったと書いてたね。
うらやましい話だよ。なにごとも生が一番。ビッグダディもそう言ってた。 どちらもキモはホール感じゃな(殴
しかし、記憶は往々に嘘をつきますからのぅ
その昔、新宿厚生年金会館でラーンキの さすらい人幻想曲 を聴いたんじゃが
第4楽章を疾走するように弾き始め、嗚呼このテムポでは破綻するのではと手に汗握ったんじゃが
後年、FM放送されたそのときの録音テープを聴いて「なにこの慎重なテンポは?」と醒めたりもしま☆ 信者の皆さん、美化しすぎですよw
「よろしい、ピアノは私が弾こう。君は指揮をしたまえ。」
ソリストにこういったのは誰でしたっけ。
絶対にNOと言わせない、極めて卑怯で最低なやり方で。
眉間に刻まれた皺と、ぱっちりお目目。
人格と顔つきの関連性がよく分かる見本ですね。
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