ハイドン総合スレッド13 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>587
>なんかドイツの指揮者はハイドンの無名曲を1つレパートリーに入れるとかいう真偽不明の話を
読んだ記憶があるが
面白い情報感謝。
ふと思ったのだが、これは事実で、ただ、CDになって手に入るのが三曲、三つの演奏だけ
ということはないだろうか。
そうだとすれば、どの指揮者がどの曲を選んだのか、分かれば楽しいの。
さらに、それらの演奏を集めたものを聴くことができれば・・・これは望めそうもないけれども。 エラーでやり直したら重複していた。すまない。後のほうが正誤にはなっている。 このスレッドではボロクソに言われるナクソスのコダーイQ
作品64に関してはなかなかいい演奏をしていると思う・・・ そんなにボロクソに言われてた記憶ないけどな
全集の中では自分はAngelesが好きだけど >>587
>ドイツの指揮者はハイドンの無名曲を1つレパートリーに入れる
日本だと朝比奈さんが無名曲(ニックネームのない交響曲)を
演奏会に前菜のように取り入れていた印象が少しある コダーイ四重奏団は普通にいい演奏だと思うが悪く言われてたことなんてあったっけ? いや、起伏がないとかコダーイはゴミとか
見た記憶があったもんでつい・・・ >>596
御大がブルックナーだかマーラーの大曲をやる前に
5分位のハイドンの序曲(?)を演奏して15分間の
休憩に入ったことがあるのを思い出した
遅刻してくる人に対する対策だったのか コダーイは、最初、何曲か聞いたときに、そう悪くない意味での無難で堅実な演奏なのかな、
という感想を持った、
そのため、あまり高くない評価がでてきそうな感じもなんとなく分かる気がする。
しかし、聞いてゆくと、表現意欲が盛り込まれた演奏もあるし、魅力的な部分もある。
幾度か聴いて好感度が増している。
作品64では、64−1が非常に好きだが、ウイーン・コンツェルトハウスSQ以外の演奏は
どこかでひっかかっていた。
コダーイは地味ながら自然なながれで、前者に次いで、これも好きになっている。、
全集では、ときおりすごい名演のあるタートライに引かれる。演奏も録音もばらつきがだいぶ感じるが。 ハイドン総合スレッド(このシリーズより前のスレッド)で見たのでした。
その267さん及び271さんをご覧ください。それが記憶に残っていたのです。
大昔の話でした(リアルタイムで見たわけではないけど)
私自身はコダーイQは結構好きです。 最近シャンドスから出しているドーリック四重奏団はどうよ?
視聴した限りでは線の細いスマートな演奏って印象だが
既にて出ている作品20と64に関してはこれだ!と思うものに未だに出会っていない。
(作品64に関しては今のところアマゾンで買えるベルリン四重奏団が一番いいんだが低音質のデジタルデータしかない) 分りにくい文章ですまん。
つまりはドーリックのop20,や64、後は76を聴いた事がある人の評価が知りたいのだ。 >>604
コメントを見て、ベルリン四重奏団の作品64を入手したくなってアマゾンを検索したところ、
「ひばり」が入っているものしか見つかりませんでした。
作品64のほかの曲も入っているものはあるのでしょうか。
あれば、ぜひ手に入れたいのですが。
分かれば、よろしくお願いします。 ハイドン:弦楽四重奏曲第48番, 第52番, 第53番(ベルリン弦楽四重奏団) - 0030402BC - NML ナクソス・ミュージック・ライブラリー
http://ml.naxos.jp/album/0030402BC
ハイドン:弦楽四重奏曲第49番, 第50番, 第51番(ベルリン弦楽四重奏団) - 0030672BC - NML ナクソス・ミュージック・ライブラリー
http://ml.naxos.jp/album/0030672BC >>606
604だけど日本語検索では出てこないなら、元々輸入盤っぽいので
berlin string quartet haydnのワードで検索してみては? 誰でもできる確実稼げるガイダンス
念のためにのせておきます
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
1P8LE 607,608さん、606です。
教示、ありがとうございます。
607さん、早速視聴しました。
パソコンがじっくり鑑賞しにくい環境なので購入はしなかったのですが、大変参考になりました。
608さん
検索したところ見つかりました。
早速注文しました。
ワードまで示していただき、ありがとうございます。
op64の鑑賞できる幅が広がり、うれしいところです。
お二人とも、初歩的なことを教示していただき、感謝しています。 >>596
若杉弘は南西ドイツ放送交響楽団を指揮して交響曲第71番なんて無名曲をピンポイント選曲して録音してたな… 木星とその周辺の星を観測しながら聴く98番はなかなか乙だわ。お試しアレ >>614
天体望遠鏡での観測?
ハイドンには水星もあった(月もあるけれども)。
ハイドン版『惑星』をつくったら面白いかもしれない。 ハイドンは大天文学者ウィリアム・ハーシェルと親交があったらしいね 木星が約100年ぶりで最接近してるってんで毎晩見てんだけどBGMは何故かハイドンがハマった。プログレは論外だったし、ジャズも場違いだったし、今晩はベトとブラで試してみようと思ったら、あいにく曇っててダメだったわ。 余り知られてない(?)が小惑星帯をアステロイドと命名したのもウィリアム・ハーシェル asteroidはウィリアム・ハーシェルが作った造語である >>618
ホルストの木星とモーツァルトのジュピターは? モーツァルトのジュピターの命名をしたのはヨハン・ペーター・ザーロモン
ザロモン・セットの人である
この曲は最初はドーレーファーミーが人気だったわけじゃなくてその後に続く激しい音形が「ジュピターの稲妻」として有名だった >>622
>続く激しい音形が「ジュピターの稲妻」として有名だった
ジュピター・オタクを自認する俺が初耳の話だわ
よろしければソース教えてもらえますか? >>623
これしか分からんスマン
おかげさまで無事講演終わりました。(^o^) | 行け! 泡盛マイスター - 楽天ブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/awamorimeister/diary/200710030000/
今回は、ヴァンハルの交響曲ニ長調D17。
先日以来、すっかりヴァンハルにはまっているんですよね〜。
今回の、ヴァンハルの交響曲ニ長調D17の第1楽章は、な、なんと、モーツァルトの交響曲第41番『ジュピター』とそっくり。
また、ヴァンハルの作品カタログを作っているDr.ブライアンにいわせると、冒頭の部分は、モーツァルトの交響曲第36番『リンツ』の第2楽章のオリジナルだというのです。
これは驚きでした。
ヴァンハルの交響曲ニ長調D17の第1楽章は、全曲のニ長調という調性に反して、ニ短調、アンダンテ・モルトの導入部で始まります。
このメロディー、そのまま長調に直すと、ヘ長調。あれま、確かに『リンツ』の第2楽章ではないですか!
オーケストレーションまでそっくり。
そして、輝かしいアレグロ・モデラート音符になると、調性は違うものの、弦楽器のアインザッツや、トランペットとティンパニーの付点リズムなどが『ジュピター』の第1楽章にそっくり。
提示部後半には、『ジュピター』の命名のもととなった、弦楽器の稲妻のようなグリッサンド(確か、このグリッサンドをシューマンが「ジュピターの愉快な稲妻」と評したんでしたよね。)も目白押しです。
このグリッサンドを展開部で何度も繰り返すあたりも、まったく共通のコンセプト。
これは、「パクリ」以外の何者でもないでしょ。
ヨハン・バプティスト・ヴァンハル - Johann Baptist Va?hal (1739-1813)
Sinfonia in D Major, Bryan D17
http://ml.naxos.jp/work/15502 あー、勘違いだった
ジュピターのテーマとして有名だったのは上記から分かるように
第1楽章冒頭のテーマだね
失礼しました
ちなみにこの音形はハイドンの交響曲第48番ハ長調「マリア・テレジア」の
第1楽章でも頻繁に出てくる言わばありふれた音形 ハイドンもモーツァルトもヴァンハルも好きだけど、なんかヴァンハルのCDのレビュー欄でモーツァルトがパクった!って主張したがる人ちょいちょい見かけるよな >>618
東京の空では、ろくに見えないだろうと、最初からあきらめてしまっている。
その昔、プラネタリウムで、日がくれてゆく情景に、ボロディンのノクターンが流れてきて
別世界に引き込まれたようだった。
ハイドンを聞きながらの天体観測、うらやましい。 たとえ東京の繁華街のど真ん中でもよく見える
それくらい今は明るい
諦めずにハイドン聞きながら見るがよろし ハイドン『月の世界』にならって、みんなで木星に行こう。 この手の昔ながらの模範演奏みたいなのが好きだよね5ちゃんの住人って… 交響曲第4番
初期のシンプルな交響曲なのにパトリック・ガロワ盤とトーマス・ファイ盤は何故こんなに聴いてて気持ち悪くなる不自然なテンポグラグラ演奏してるんだ?
ふざけてるとしか思えない糞演奏だ よって、そういう演奏ペースに乗ってしまうと
なんの変化・変哲もないストレートすぎる演奏が非常〜につまんなくなってしまう。
俺もファイにはやられたクチで、
なにもそこまでやらんでもとCDを売ってしまって大失敗。
この手の演奏はすぐ手放さないで、少し寝かせてまた取り出すと、
熟成されてうまくなる場合がある。たぶん聴いてる側の脳細胞によるものかと。 ファイ好きな人って、ベートーヴェンの交響曲全集もプレトニョフとかが大好きで、まともに演奏したベートーヴェンなんて退屈で聴いてらんねえって感じなのかね パトリック・ガロワについて追記しておくと交響曲第4番以外はわりと普通に聴ける演奏で交響曲第4番だけ何故あんなになったのか
俺の場合は最初聴いた時は微妙と思ったがしばらく置いてから聴きなおしたらわりと良く思えたのはアダム・フィッシャー そもそも「まともに」という言葉 イマジネーションなさすぎでは。
たとえば、楽譜にいろいろと注釈を加えてる楽譜にさえ
その指揮者なりの解釈、スピード、acc.やrit.を意図的あるいは自然発生的に
付け足す
例えばバーンスタインのマーラーなんかはけしからん と思ってしまうわけ?
むしろ情報量少ない古典派の楽譜はアレコレ余計な事せず演奏すべき、
その方が相応しいと?
これまでの指揮者ってバロックより古典派の方がそういう傾向にあったけど
音楽って教則本じゃねーと思うわけ。
あとライブは基本その場限りの音楽です。
レコードに残す場合はバーンスタインやブリュッヘンのように
数回のコンサートテイクを加工してセッション録音同等の責任ある音楽にすべき。
ミンコなんとかの「驚愕」のお遊びなどもってのほか。音楽を馬鹿にしてる。 バッハとかモーツァルトなどはお稽古の曲みたいなイメージかな? >>639
おまえがそうおもうならそうなんだろうおまえのなかではな >>640
なんの変化・変哲もないストレートすぎる演奏は非常〜につまんないですよ。
ベームとかつまんない代表でしょ。 >>638
>その指揮者なりの解釈、スピード、acc.やrit.を意図的あるいは自然発生的に
>付け足す
論外。そんなことをするのであればそれは演奏者ではなくて、ハイドンの曲を下敷きにした自分の曲を作って、それをハイドンの名前で売ろうとする詐欺師だ。
>古典派の楽譜はアレコレ余計な事せず演奏すべき、
>その方が相応しいと?
当たり前。そうでないとそれらの曲の演奏とは言えない。
>音楽って教則本じゃねーと思うわけ。
まったくもって何を言おうとしているのかわからん。
音楽は音楽。音を時間軸上に配置する芸術だ。 モノの時代の演奏や3、40年前の録音を基準にしてる人達って
まずスコアも見たことないのでしょうか… せっかくそうまで言うなら「交響曲第4番」の
パトリック・ガロワ盤とトーマス・ファイ盤の
「ふざけてるとしか思えない」部分を
スコアと照らし合わせてでもスコアなしでもいいので
詳細に解説してほしいな。 ファイ盤の第一楽章[23]から転調、弦4声でピアノになる部分で
突如テンポを落とす部分
このテンポで演奏すべく本来のプレストテンポより遅い演奏が一般的だよね。
ホグウッド、ドラティしかり。
他のメヌエット楽章のトリオ部(声部が減る)でテンポを落とす指揮者もいるけど
アーノンクールなど それと同様の解釈でしょう。
メヌエット楽章の伝統的な解釈ともいえるが、それを第一楽章に適用した例はほとんど
見ないが、ふざけてるとまでは思わないな。
ふざけてるってのはミンコなんとかの「驚ry ミンコもセッション録音ならあんな馬鹿気た遊びはしなかったと思うよ >>643
>>その指揮者なりの解釈、スピード、acc.やrit.を意図的あるいは自然発生的に
>>付け足す
>論外。そんなことをするのであればそれは演奏者ではなくて、
ハイドンの曲を下敷きにした自分の曲を作って、それをハイドンの名前で売ろうとする詐欺師だ。
>>古典派の楽譜はアレコレ余計な事せず演奏すべき、
>>その方が相応しいと?
>当たり前。そうでないとそれらの曲の演奏とは言えない。
驚いた。
どんな曲でも、演奏ごとに大小無数の違いがある。
その中で、ひとつの演奏しか納得できないものもあるが、
多くの、いろいろな演奏が楽しめるものもいくらでもある。
同じ演奏者ですら二つとしてまったく同じ演奏などない、
まして違う演奏者・団体では、少しの違いにとどまらないのが普通だ。
そのどれかだけが正しく、あとは「詐欺」だとでもいうのだろうか^^
ハイドンでは、94番など、温和な演奏、優美でやや典雅な演奏、
一転して打楽器が前面に出る演奏(一楽章など)、滑らかな演奏、切れ味の鋭い演奏など、
実に多彩で、楽しめる演奏が多い。
別にこのような多様性は94番に限らないが。
もし、643さんのようにいうならば、どの曲でも良いけれども、
それぞれについて、「これしかない」という演奏をぜひ知りたい。
ぜひ、ご教示いただきたい。 アッチェレランドやリタルダンドを勝手に付け足すなんていう楽曲の改変は論外、という至極当然の話なのに、バカは本当に無秩序に話を敷衍したがるよね。
演奏と称するなら勝手な解釈なんてものが入っていてはいけない。 リピート記号があれば必ずリピートすべき省略するなどもってのほかってことか ハイドンの交響曲にはトリオが2つあるメヌエット楽章があるものもある
メヌエット - 第1トリオ - メヌエット - 第2トリオ - メヌエット
すべてのメヌエット、トリオの前半後半それぞれにリピート記号がついているが
この場合は長すぎるので2回目3回目のメヌエットのリピートは省略するのが一般的 弦楽四重奏に関してはリピートがない方が音楽がすっきりと感じる場合もある。特にフィナーレのリピートは終わったと思ったら繰り返すから蛇足に感じられる時もある。
昔の演奏家は大体リピートしていないが、最近はリピートしているものも多く、楽譜的な正しさが必ずしも聴く側にとってプラスに働くとは限らないという見本かもしれない。
少なくとも太陽四重奏はリピートなしがいいな。 交響曲46番の第4楽章は、後半に第3楽章のテーマの回帰が見られベト5の先駆ともとれる曲だが
後半は当然リピートされるのでがっかりする人も
交響曲第46番 ロ長調
http://www.youtube.com/watch?v=7xLoBIX8Uoo
ロ長調という調性の選択も斬新 終わったと思ったら繰り返す
疑似終結はハイドンシンフォニーのユーモア爆発してる 「くま」とか90番
それこそふざけてんの だよ
モツ39など最終を繰り返さない演奏は個人的に受け付けない。
まだ途中って感じ。損した感じ。
「奇跡」みたいにさらっとリピートなしで終わってしまう曲もあるので
やはりやったほうが面白い。
そして「交響曲第4番」に話を戻してしまうと
第一番第一楽章ともども
この高速テンポでやってる者はファイくらいなもので
グッドマン&ハノヴァ―もアントニーニも「音楽的」な速度。
ブラウティハムのプレスト楽章と同じく稀有な演奏。
よくも糞演奏などと言える。聴いてるほうが糞耳としかいいようがない。 楽しみ方は人それぞれだけど
ハイドンはベト以降の「厳格」な音楽好きには
あまりお薦めしたくないと思ってしまう…。
またそういった指揮者さんにも取り上げてほしくない。 >>635
プレトニョフのベートーヴェン全集おもしろいじゃん
田園のテンポとかおかしすぎて笑いながら聴ける ファイの演奏は当たり外れがある
っていうか俺個人の趣味的には外れ率の方がかなり高すぎるんだが
交響曲第52番ハ短調はぴったりハマった大当たりだった ファイはアーノンクールの弟子だからどうしてもアーノンクールとの比較になるよね 厳密に言うと公表されてるのは、アーノンクールの「バロック音楽」講義を受講したってぐらいか 弟子は言い過ぎ モツ39ではないが、ハイドン39の展開部以降リピートを聴いて、
これは繰り返しがしっくりあうとはじめて感じた。
しかし、ザロモンなどの繰り返しは、どうしても余計に感じてしまう。
ザロモンセットなどは終結感が強いので、繰り返しは、余韻を壊されるような感じもある。
op20も同様。
最近では、アウリンSQの64−1で第一、第四楽章の展開部以降のリピートにはじめてであった。
この演奏は個性的で悪くないが、このリピートも抵抗がある。
今は、同じ曲、演奏を何度でも聴くことが出来るが、ハイドン時代はそうではなかった。
96番の初演では、たしか三つの楽章がアンコールされたというが、
これでは、全曲二度演奏したほうが良かったのでは、などと思ってしまった(笑)。
なかなか聞く機会のなく、一回目の演奏から充分にその曲を知って味わうためには、
リピートの意味は今より大きかったようにも思うが、今では違っているようにも思う。 弟子はいいすぎ かw
7月にコープマンのチェンバロ・マスタークラスが開催されるみたいだけど
自身演奏するしない問わず
好きなアーティストによるマスタークラスを受けられる機会があったらぜひ。
人生が変わるとまで言ったら大袈裟かもしれないが
一人でもんもんとレコード聴くだけの人生も一皮むけるよ。
それにしてもコープマンのザロセットどうなったの
1枚出てからもう8年くらい経つか 1枚で頓挫…
因みに疾風怒濤1枚、パリ1枚なのでコレクションバランスはいいw 実際、コンサートやLP・CDでは尺の都合で
ハイドン交響曲の完全リピートは逆に少ないと思う。
徹底してリピート実行のアーノンクールはヘボーとの「プラハ+ジュピター」で
LP2枚組、CD化の際も厚いケースの2枚組だった。
CDになってからはカップリング曲替えで平然と1枚に2曲入っているが
「パリ」がCD3枚組だと(アーノンとノリントンくらいか?ホグウドはその予定だった)
ああ全部やってるなとすぐわかる。
ただ録音だと同じテイクを繰り返しでつなぎ合わせることが多く、
本来なら2度目になんらかのアドリブ的・装飾音を付け足すという
バロック時代のような風習(これも異論はあろう)は古典派では廃れたということか。 ジョージ・ゲスト指揮のミサ曲が好きだ。
天地創造ミサ ハルモニーミサ など。 すごくおもしろい在宅ワーク儲かる方法
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NJR ピアノ三重奏曲全集、弦楽四重奏以上の傑作だと思うけど、
誰も話題にしないの? ハイドンは交響曲をいつも、「神の名において」書き始め、
「終わりに神に誉を」と書き終わっていた。
こういう作曲態度からも、ハイドン第一の柱は、交響曲でいいと思う。
でも、第二の柱は、よく言われているような、弦楽四重奏曲じゃない。
弦楽四重奏というジャンルは深刻さがよく似合っていて、
それがベートーヴェン・バルトークを傑作にし、
モーツァルトを不向きなものにしている。
皇帝という特別な傑作があるせいで高評価だけれど、
ハイドンの弦楽四重奏曲は軽すぎる。 ピアノ三重奏曲は、5番から32番まで、円熟期に28曲もの傑作がある。
全体的にしっとりとしていて、とても美しく、6時間以上連続して聴くことができる。
ピアノの書法も、ピアノソナタよりずっと上。
ヴァイオリンとチェロが控えめなのが、ロマン派のピアノ三重奏曲と違って良い。
ベートーヴェンの大公トリオ以上の曲が、28曲もあるのだ。
天地創造・四季だけで、オラトリオが重要な柱のように言われるけど、
ピアノ三重奏曲こそ、他の作曲家と比較優位である点からも、
ハイドン第二の柱に挙げていいと思う。
聴いたことある人は、賛同たのむ。 ピアノトリオは確かに初めて聴いても分かりやすいし何時間も聴ける魅力がある。
まずはトリオ・ワンダラーが出している2枚を聴いてみて、
気に入ればトリオ・アイゼンシュタットの全集をおすすめするが、廃盤で高すぎるのがネック。
半分ぐらいの選集という形であればpresto classicalでflacファイルが1400円くらいでダウンロードできる。
しかしピアノソナタと弦楽四重奏も何回も聴いても新たな魅力が発見できる深さがある。 >>672
>こういう作曲態度からも、ハイドン第一の柱は、交響曲でいいと思う。
>でも、第二の柱は、よく言われているような、弦楽四重奏曲じゃない。
前提をもうちょっと丁寧に説明しないと無理がある。
後年にそれぞれのジャンルがどう発展していったかの視点からハイドンを評価している感。 室内楽をメジャーにしたのはハイドンだけれども
室内楽を確立したはボッケリーニではないか ルイジ・ボッケリーニ (1743-1805)
弦楽四重奏曲 ハ短調 Op. 2 No. 1, G. 159
http://www.youtube.com/watch?v=T4emiLM0ycU >>672
皇帝は知名度は一番かもしれんが、弦楽四重奏の中で傑出しているわけではない
全曲聴き通した上で書いてるのかな? チェロの扱いが伴奏というのは
バロック時代のトリオソナタが起源だからでしょう。
弦四より先に主君エステルハージのバリトンという楽器のために
作曲の腕を磨かざるを得なかった。
バリトンは当時でも珍しい楽器だったらしく
ソロ楽器をバイオリンやフルートに編曲したバージョンも出版されていて
少ないながらにも優れた録音がある。
弦四の「深刻さ」については後からついてきたフィーリングかと。 室内楽と言えばボッケリーニは無視できない存在
本人がチェロ奏者だというのもあるが初期の弦四から楽器のバランスがいい
弦楽四重奏曲 ハ短調 Op. 2 No. 1, G. 159 (1761)
http://www.youtube.com/watch?v=T4emiLM0ycU >>679
むかしはタートライSQしかなかったもんだ >>679
交響曲、弦楽四重奏曲、ピアノソナタ、ピアノ三重奏曲、オラトリオ、ミサ曲
全集持っててほとんど聴いてるけど、弦四は6曲単位でしか判断できない。
69番〜74番のアポーニーが一番いいと思ってる。
おすすめも書いていってくれ。
というか、他の作曲家との比較で価値がなかったら、
価値があるとは言えないと思う。
大公トリオなんか熱情・クロイツェルとかに比べて大した曲じゃなくて、
ピアノ三重奏曲は比較優位になりやすい。 他の作曲家と比較して優位とか言っちゃってるけど
そういうの聴く人の脳の成長によって移ろいゆくものだから
ここで急いで答えを出す必要あるのかい。
なんかの宿題、課題とかなら話は別だが >>685
>>というか、他の作曲家との比較で価値がなかったら、
価値があるとは言えないと思う。
名が残っていない沢山の作曲家と比べれば優位どころではないだろう。
ベートーヴェン、モーツアルト、ハイドンを私達素人が比べて屁理屈をこねて誰が、というのは意味があるんだろうか
自分の好き嫌いを換言しているだけに見える。
このスレを見る限りモーツアルトの支持者にその傾向が強い。
その一方でモーツァルト支持者に対する反論も多く執拗である。
これを見るにつけクラオタの間ではモーツアルトは特別なのかもと感じる
なお私の好みはベートーヴェン>ハイドン>モーツアルトだ。 同時代で室内楽と言えばボッケリーニは無視できない存在
弦楽四重奏曲・弦楽五重奏曲(チェロ五重奏曲)をはじめ膨大な数と質を誇る
このスレではボッケリーニと比較してハイドンの優位を語るのがよい 室内楽なんて仲間と合わせてなんぼの音楽だと思うが
オルガン、ピアノなどの鍵盤楽器はひとりで音楽を完結できちゃう
ひとりオーケストラな楽器という面もあり
他の楽器が役不足におちいりがちなんだよな。
ハイドンはヴァイオリンも弾いたわけで、そういった合奏する楽しみを知るうえで
モツや大バッハのような鍵盤楽器のヴィルトゥオーゾ作曲家とはまた違った
優れてる点だと思うよ。
フルート奏者にとってはモツよりクヴァンツだろみたいなね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています