R.シュトラウスについて語るスレッド4 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>266
俺にとってはシュトラウスは一年中聴くような作曲家じゃない
聴かなくなると一年以上も聴かなくなる
聴かなくても別に恋しくもならない
しかし、突然ごちゃごちゃして重い音楽が嫌になる時が来る
人間的な理想とか、憧れとか、苦悩とか哀しみとかから解放されたくなる時期かな
そんな時「中身のない」シュトラウスが光輝いて聴こえるんだな
純粋に音のもつ輝きや力に耳が引き付けられると言うのかな
軽さや透明感に感動するにはその逆の重みやドロドロを知っていなければならないと思うんだな
俺にはシュトラウスは解毒剤みたいな意味をもっている
その点ではモーツァルトに近い気がする
その後また粘っこくてドロドロの音楽三昧になるのだがな(笑) 管弦楽曲は30分くらい聴いたら飽きてくるけど、シュトラウスのオペラは熱量が半端ないから2時間くらい一気に聴ける。 >熱量が半端ない
知恵遅れかこいつw
Kポッポにでも使えそんな頭悪い表現w 文句あるなら適切な表現で言ってみりゃあいいのに
草生やすだけなら無知でもガキでも出来るわな オペラは影のない女.アラベラ.ダフネ.ダナエ.カプリッチョはいい
サロメ.エレクトラ.ばらの騎士.アリアドネはいまいち オペラ15曲中イマイチなのはグントラム・火・間奏・平和の4曲だけ
他11曲は演奏の出来不出来はあっても全て名曲だわ オペラの評価は言うまでもなく、ただの鑑賞ですら難しい
特にシュトラウスは文学作品が台本だからいよいよもって困難を極める
言語に精通していなければならないが、ただ読んで分かるという程度では無理と言っていい
その言葉を母国語にしている人間でも通は台本を読みながら劇場で観る
俺はなぜ台本が必要なのか、と聞いたことがある
答えは、「何を歌っているのか聞き取れないことも多いからだ」ということだった(笑) サロメで5人のユダヤ人が同時にやいのやいの言うところ全部聴き取れてる人いるんだろうか… 普通にアリアみたいにソロで歌っているところでも難しいみたいだよ
言葉を長く伸ばしたりイントネーションが普通の会話と違うからだろうね
しかもシュトラウスの音調ならなおさら(笑)
その上ホフマンスタールなんか完全な文学体だぜ
日本人が能や狂言を鑑賞するみたいなものなんじゃないかな 一語一語全て照合できなくてもキャラクターと流れを把握してれば問題無いよな
特に多重唄のとこなんてヒヤリングだけでもかなり無理目だし
それで聴いていけば大事な箇所からだんだんあてはまるようになる
シュトラウスに限らずロッシーニなんかでもそんな感じ そもそも音楽を聴くのに歌詞の意味を理解する必要があるのかという話
外国語の意味がわからないのは純粋に音楽だけに集中できるという点でむしろ好都合ではないかな >>293
今時珍しいネタ発言ですね。
こんな書き込みをするくらいネタが尽きたのか。 オペラの鑑賞は難しいという話だよ
歌曲もそうだが母国語同然に言葉のニュアンスまで理解していければ部分的な理解にとどまるのは仕方ない
たいていは筋を追うのか゜精一杯で、人声を音としてもっぱら音楽に頼って聴いているのがほとんどじゃないかな
詩(詞)と音楽の融合とか言われるが、それを味わうのはわれわれには無理だろう
ちなみに俺はドイツ語は読めるがそれでも到底無理だと自覚している
オペラは禁断の領域だと言えるかも知れん
ところで、結局ケンペの管弦楽曲集を買って今日届いた
ドンファンと町人貴族、英雄の生涯を聴いたが、力動感に溢れてロマン的な情緒豊かな演奏だね
楽器の音色が快い ダムのホルンはもちろん凄いが木管も弦も温もりがあって実に良い香りがする
シュトラウスは機械的な面があるだけに、こういう演奏だとシュトラウスはドイツロマン派の末裔だということを再認識できる 部分的理解になるのは仕方ないけど、それでも全くわからないで聴くより、重要な単語や言い回しを少しでも多く理解して聴く方が比べ物にならないくらい理解が深まるよね。
少なくとも歌詞を理解する必要が無いなんて有り得ない。それでオペラはつまらん、交響詩等のオケ曲が良いなんて言われた日には そうかたくなにならなくてもいいんじゃないかな
どんなものにも好き嫌い、合う合わないはあるでしょ
オペラはつまらんが管弦楽曲は良いなんて言う奴はいないと思うな
逆に管弦楽曲はつまらんがオペラは良いなんてのもインチキものだぜ
オペラは言葉の壁が現実的に絶壁としてそびえ立っているから手が出しにくいのは事実だよ
劇場で観れば雰囲気に酔えるけど、CDで聴いたら良く分からんというのが普通の感覚じゃないかな
特にホフマンスタールの台本でシュトラウスの音楽というのは文化の壁を感じるのが正しい鑑賞だと思える
ワーグナーもそうだが心底心酔できるとしたらそりゃもう日本人じゃないぜ
違和感を感じながら客観的にアプローチしてみようというくらいがせいぜいで、あとはオペラを聴いている自分に酔うくらいじゃないか(笑) >>297
ちょっと分からないんだけど、何が頑ななの? 朝比奈先生なんかドイツ語ペラペラだもんな
ドイツ語でのインタビューなんて本当カッコいいわ
Standing is my profession!なんつーのも
どっかのヨーロッパ人みたいだ ごく簡単なドイツ語知ってるだけでも聴く楽しさは何倍にもなるよね。そりゃドイツ人の理解には到底及ばないとしても 逆に内容がわかったらイメージを限定されてつまらないわ
ストーリーに縛られるくらいなら映画やドラマを見た方がよっぽどいい
日本語のオペラを聴きたいか? 日本語のオペラなんて気持ち悪いだけだぞ
オペラは外国語で何を言ってるかわからないからこそ音楽として楽しめるんじゃないか >>301
日本語のオペラというと宝塚ミュージカルだからな(笑)
日本語は長く伸ばすには向いている言語だからゆっくりした音楽で歌うにはいい
だから狂言のような「詠む」歌唱が発展した
これは母音が強い言語の特徴だ
早口で喋ったり歌うと母音が邪魔になる
"Ich liebe dich" "Io t'amo" "Je t'aime" と 「aishiteru」とを比べると分かる
日本語は短母音でぶちぶちになって流れるようには発音できないから音楽に乗せるには大変なんだな >>301
勉強出来ないしたくないガキの言い訳にしか見えない オペラの言葉の理解についてだけれど、
外国人も言葉をわからず聞いている人はかなり多いと思う。
英語だけできてドイツ語、フランス語はだめというリスナーはかなりたくさんいるだろう。
ましてやイタリア語(イタリア人でなく)を解してイタリアオペラを聞いている人はどれだけだろう。
だからと言って、言葉を理解しない方が良い、では多くの人の同意は得られないと思う。 例えばバッハのマタイやモツレクの言葉を一言一句理解して聴いたからといって何になるんだ?
音楽として魅力的なら宗教のグチグチやゴタゴタなんかどうでもいいだろ メトなんて前の座席の背もたれの上に英語の字幕出るもんな >>306
むしろ「一言一句も」理解できずに最初から最後まで聞いて意味があるのかと思う。
Requiemの意味から知らずにレクイエム聞いてもどうしようもないと思うんだけど。
でもRequiemの意味誤解してレクイエム聞いてる人はたくさんいるか。 シュトラウススレらしい議論だね。まるでカプリッチョみたいだね。これは永遠の問題。自分は音楽が素晴らしければ必然的に歌詞の内容を知りたくなるほうです 極論に対して極論で反論するようなバカ同士じゃまともな議論にならないさww 言語が後回しで音楽に惹かれて入っていったのは私的には嬉しい体験だった
普段は言語から理解する脳がメインになってるので柔軟に感性的な感動ができたと思う
でももっと知りたいと思えば自然と言語の意味やタイミングだって注意をはらうようになる
どっちからが正しいなんてないから感動したところから攻めていけば大丈夫なのでは >>310
「一語一句理解して聴いたからといって何になるんだ?」は極論だけど、
「「一言一句も理解できずに聞いて意味があるのか」は極論では無いでしょ。
「全ての言葉を理解できなければ聞いても意味が無い」なら極論だけど。
日本語大丈夫? >>313
そうだね。
「一語一句理解して聴いたからといって何になるんだ?」も極論では無いし
「一言一句も理解できずに聞いて意味があるのか」も極論では無いね。 マドレーヌ「ケンカをやめて〜あたしのために〜争わない〜で〜〜」 >>309
ほんとカプリッチョの世界だな。私は調べ物が大好きな方だが、
正解がないと仰るあなたや>>311の言葉に強く共感。同時に、
「何かを売ると言うことは自動的に何か別の物を失うということ」
「だけど未知の領域に足を運び入れるのも悪くない」
という流れにばらの騎士の終幕っぽさを感じたりもする。
ちなみに俺の場合、上から目線でシュトラウス押し付けてくる人が居て、
正直うんざりしつつ、付き合いで色々聴いてみたら惹かれる部分があった。
むしろ同時期に読んでみたホフマンスタールのシャンドス卿に衝撃を受け、
そっちからじわじわはまったクチ。その彼とは卒業後接点がなくなった。
だけど色々な入口があり、皆が各々のやり方で同じ花を愛でるというのは
何と美しいことだろうと今でも強く思う。 >>317自己レス
×「何かを売る」
○「何かを得る」 やっぱり>>293のネタにみんなが飛びついたのがいけない気がw 俺にとってはどうでもいい「議論」だ
何が論点かも分からん(笑)
アリアだけならまだいいが、ワーグナーやシュトラウスを歌詞の内容も分からずに聴くのは三時間の苦行以外の何物でもない(笑)
対訳を読んで筋を追うのに精一杯で音楽から注意がそれるということなら、音楽に集中できるようになるまで何度も聴けばいいだけの話
どちらにしても前にも言ったようにシュトラウスのオペラを聴くのは難行だよ 言葉の壁は高い
ホフマンスタールは詩人でもある 含みのある言葉が至るところで使われている 訳ではそれは出ない
レクイエムはラテン語のお経のようなものだと思っていればいいけどな(笑)
レクイエムは死者の平安を祈る曲ではなく、死者に平安を与えてくださいと神に祈る曲だけど、
鎮魂曲と謎の訳をされたせいか根本的部分で間違えて認識している人は割と多いというお話。 イタリア・オペラとかストーリーが酷すぎるから歌詞なんて解らない方がいいな。 イタオペは比較的歌詞うろ覚えでも音楽のノリでぐいぐいいけるのが多い
トロヴァトーレとかな
でもおおまかにでも把握していないとさすがにいくらノロノリでも楽しくはない
オセロかっけーけどあのサングエって何だ?ってな人はいなかろう リブレットいらない派ってなんでこんなしつこいの?
君等は別にいてもいいけど主張されたところでソースカとしか言えないし
全部わかる人も全く知らずに聴く人もそう数多くは存在しないんじゃね ケンペの管弦楽曲集を着々と聴き進めているが、確かにこれはいいわ
今のオケによる演奏の機能美もいいが、楽しくてわくわくするような演奏ばかり
そんな中でもメタモルフォーゼンだけはどうにもならん
「習作」だから仕方ない、ということにしておこう(笑) メタモルフォーゼンは創作力の衰えだな
若干25歳で死と変容を書いた怪物が80になるとただの人になったということだろ オペラ作曲家は、声を前提に音を発想してるから管弦楽だけだと何かが物足りない曲になるんだよな ソプラノが歌うと凄く効果的なのに、楽器でやられると単純過ぎて間が抜けた感じになったりするよね。
シュトラウスの本領はやっぱり声を活かす音楽だと思う それって声楽曲だからじゃ…
つうか332って331だよね? 332だけど、違うよ。別にキャリア前半の交響詩を否定してる訳じゃ無くて、声楽が加わった方がよりシュトラウスの良さが活かされたってこと。
声楽曲だから…というのは理由になりずらい。ベートーベンを筆頭に声を活かすのが不得手な作曲家は結構いる。
シュトラウスは時々、楽器でやると陳腐スレスレのフレーズを書くけど、それが声の生理にピッタリだったりするから、本質的に声楽との相性がとても良いんだと思う。 オペラの演奏は自分には歌い手に妖精さん(背後霊?)集団が間の手や突っ込み入れてるように聞こえる
アリアドネとか特に
管弦楽の各パートが掛け合いする様に進行していくのは違う語法
つまりは適才適所で流れやテーマに合わせて際立たせたりぼかしたりしてると言う事だと
声楽曲は大概は声楽が主役であるがその扱いがうまいのは同感だしそれが印象深く感じる瞬間は多いけどね 声を活かす最大の才能を持っていたのはヴェルディだな
人間の声が最高の楽器であることを認識させてくれるのがヴェルディのオペラだ
それに比べればワーグナーもシュトラウスもはるかに劣る
しかし、だからと言って楽才とかオペラ音楽の質で劣るということにはならんがな
一方でシュトラウスの管弦楽法の才能は古今東西の作曲家の中でトップクラス
管弦楽曲は傑作揃いだ
家庭交響曲なんか腰を据えて聴いてみたまえよ
きらめく才能に唖然とするぜ
オペラが好きなのは構わんが、勝手な「自分だけのシュトラウス」をしつこく主張するのはどうかと思うぜ ヴェルディのブンチャッチャが疲れた体に受け付けないときがある
ドンカルロだけは例外だけど(こんなこと言うべきじゃないんだろうけど)地味やろ… シュトラウスは自分でも言ってるけど印象に残る強いメロディがわりと少ない
それが弱点かと言うと透明水彩を重ねるようにデリケートに膨らんでいく様はたまらない魅力
そういう所はすごく個性的だし特に女声のアンサンブルなんかは唯一無比に思えるだろうね
一方ヴェルディの魅力は何と言ってもドラマティコとバリトンが凌ぎ合いながら盛り上がっていく所
つまりはみんな違ってみんな良い 完結したメロディを書けない人という印象があるがそれが
アルプス交響曲などでは良い感じのオーバーラップの応酬になってたりしていて
むしろ自然描写の手法としちゃリアリティさえ醸してたりみたいな 印象に残るメロディが少ない
それ、シュトラウスに限らずドイツ系の作曲家全般に言えることじゃね つうかイタオペのメロディに入れる気合いが突出してるんだと
イタオペは発生当時はメジャーな大スターのワンマンライブみたいなスタイルだから
シングルカット出来るヒットナンバーが入らないと客は納得しない
マドンナが今だにセトリにライクアバージン入れるようなもの イタオペのメロディそんなにいいか?
神がかったものを感じない 「管弦楽法の大家」などとよく持て囃されることもあるシュトラウスだが
「声を伴わない管弦楽だけの曲」ではベートーヴェンやマーラーの交響曲には遠く及ばない
メロディラインもそうだが音楽に魂が感じられないんだよな
声楽を伴うオペラだとその不足分が解消されて音楽として完成される気がする 「管弦楽法の大家」などとよく持て囃されることもあるシュトラウスだが
「声楽を伴わない管弦楽だけの曲」ではベートーヴェンやマーラーの交響曲には遠く及ばない
メロディラインもそうだが音楽に魂が感じられないので感動が浅いんだよな
声楽を伴うオペラだとその不足分が補完されて音楽として完成される気がする >>346
それは単に言葉を伴っているから分かり易いだけ
交響詩なども交響曲だと思って聴けばいいと思うよ
実際ソナタ形式に近い構造だから
主題の展開などについてもマーラーに及ばないとは到底思えない >>346
ショルティのインタビュー映像によると、シュトラウス本人もそのこと「息の長い美しいメロディが思いつかない」って理解して悩んでいたみたいだね ブラームスも自分なら彼の捨てた断片的なメロディで一曲書けるのにと
ドヴォルザークのメロディメイカーとしての才能を羨んでたな マーラーとはモノが違うと思うよ
もちろんシュトラウスが上 同時代で言えばシュトラウスはドビュッシーと比べるべきだな
マーラーはジャンルが違う
交響詩においてはシベリウス
オペラ作曲家としてはプッチーニだ
楽才ではドビュッシーといい勝負だろう 双方掛け値なしの天才だよ
「中身の無さ」も互角だけどなw マーラーも
シュトラウスも
・ドイツ語圏で活躍
・オーケストラ付きの指揮者
・声楽付き大曲の作曲家 シュトラウスの管弦楽曲は、透明人間が豪華衣装を着てるみたい印象だな
衣服がいくら立派でもそれを着る人間がみすぼらしかったら意味無いよね
シュトラウスのオペラ曲は、美男美女(声楽)が豪華衣装(管弦楽)を着てるから魅力的なんだろうね >>353
管弦楽のみの作品は中身がないと言っているようで、実は見た目の印象で判断しているわけね
美男美女も見た目なわけだから
少しは音楽の勉強をして、音楽を内容からも判断できるようになるといいですね >>351
もしよければ、シュトラウスやドビュッシーの中身のなさというのは、
何を言わんとしているのか、もう少し説明して欲しい。よく解りません
またシュトラウスとドビュッシーはかなり異質なものに思えるのですが 大学時代の音楽の教授(音大出)は上っ面の飾りこそが芸術だと言ってはばからなかったなw 中身がないって感じる人って要はシュトラウスに対して共感要素が無いってことだと
ちょっと前のロマン派全盛期のは言っちゃなんだがベタな高揚感や哀感をストレートに表現すべしってのが使命みたいなとこある
ロマン派も後期になると文化背景や教養を共有する層にクリエイターのターゲットが絞られてくるからね
マーラーもくどいって人もそこがたまらんって人も両方いるしな >>355
中身の無さに「」が付いていますよね
それがシュトラウスの音楽に対して結構広く通用している俗説だからですよ
352のように音楽には伝えたい内容=中身があってそれを作曲技術を駆使して音楽で表現するという俗説をそのまま信じ込んでいる人もいます
その中身は思想とか観念とか理想とかいうものだと思われていますが、それらを伝えることのできる媒体は言語だけですから明らかな誤解です
むしろもっと原初的な情動であるというのが真実です
音楽がなぜ情動を引き起こすかとというのは置いておくとして、
この情動の種類や強さによって中身がある/ない とか 深い/浅いとか音楽を評価する習慣が根強く残っています
ベートーヴェンを浅い音楽だとする人間が極めて少ないのは、彼の音楽の引き起こす情動の普遍性に関係していると考えられます
>>358さんの言うように共感しやすい要素が多いということになるかも知れません
もちろん、ベートーヴェンの同じ曲の同じ箇所を聴いた際に引き起こされる情動に個人差があることは否定できませんが、
それでも同じか類似した文化圏であればある程度に共通するものであることは、彼に対する評価の相当程度の普遍性によって保証されていると言っても良いでしょう
それはある花を見るときれいだと感じる人間が統計的に多い、という類推から考えるとわかりやすいかも知れません
つづく シュトラウスについて言えば、彼の音楽はこの情動との連関が強くないと考えられます
そのためいかにも聴き栄えする外面があるが肝心な「中身」がないので空疎な音楽だというような評価が生まれてくることになります
しかし、何もそれはシュトラウスに限ったことではありません
大家で言えばモーツァルトもそうですし、ベートーヴェン以前の音楽は多かれ少なかれそういうところがあります
あるいはシュトラウス以降の音楽はたいていそうだと言えるでしょう
その「中身」なるものを否定することから生み出された音楽というものが多くなりますから
ドビュッシーを挙げたのはそういう文脈からです
シュトラウスに中身が無いと言うのなら、それじゃあ、ドビュッシーはどうなんだ あるいはストラヴィンスキーはどうなんだということです
シュトラウスの評価が定まらないのは、ドビュッシーやストラヴィンスキーほと「独自の言葉」を創出したわけではないからだと考えられます
しかし、あれだけの音を紡げる才能が極めて稀有であることは古今東西の歴史に名の残る作曲家との比較から明らかです
.>>357さんの教授の言う通り、シュトラウスのポリフォニックで色彩豊かなオーケストレーションはそれだけで芸術であって優れた音楽なのだとわたしは思っていますよ 後期ロマン派の連中ってのは皆情動に熱狂する虚しさを知った世代だと思うな
熱狂すべき別世界を己の中に創造したり己の心の独白に耳を傾けたりやり方は色々だが
シュトラウスはロマン派の歴史自体を諧謔しているように聞こえる
そりゃあ宇野とかのロマン派信者は不愉快であろうなと思うわ シュトラウスの評価が定まらない、というのは前衛全盛の時代の批評空間においてであって、
現代においては高い評価はとっくに定着していると言えるでしょうね
70年代くらいまでの批評をみると酷い書かれようのものがいくらでもありますが、
今前衛あるいは進歩史観でシュトラウスを批判しても滑稽なだけでしょう シュトラウス=中身がないって言ってる人は餅屋に行って饅頭欲しがっているようだ
「真っ黒くてズーン!と甘いあんこが入ってないと物足りないんだよ」
「うちでは生憎やってませんので」
「餅はうまいんだからあんこ入れてくれよ」
「餅だけでも味わってよく噛めば甘いんですけどね」 「シュトラウスの管弦楽曲は中身がない」と言ってるだけで
「シュトラウスのオペラは中身がある」と言ってるんだろ
なぜ「シュトラウスは中身がない」に飛躍するのか意味不明
曲解するのはやめろ 「シュトラウスの管弦楽曲は中身がない」
「シュトラウスのオペラは中身がある」
はっきり書くと非常にバカみたいな意見だなw
小学生かよww >>361
諧謔的と言えばシュトラウスの交響曲だな
片やマーラーが深刻な面持ちでイデーてんこ盛りの作品を書いているところに家庭にアルプス(笑)
そこまで斜に構えているのかどうかは分からんが、交響曲と銘打つ必要もないのになかなかやってくれるじゃないか
もっともマーラーは「シュトラウスと自分は同じ山を反対側からそれぞれ掘り進んでいる」と言っていたそうだから、
シュトラウスの音楽を認めていたということだ
一方シュトラウスがマーラーをどう見ていたのかは興味深い
素人っぽい音楽だとでも思っていただろうか いやしくも交響曲たるもの、孤高の精神性が認められるのぢや >>366
あの時代の中欧楽壇に不満持って風穴あけようとしてた同士だから素人っぽいはさすがに無いだろ
シュトラウスが馬鹿にしてたのはレハール
「あんな甘ったるい曲は自分は描かねえわ」と彼には珍しく悪口言ってるが糖度についてはどっこいどっこいな気はする 声を使わないシュトラウスは魅力半減
シュトラウスは「管弦楽の魔術師」ではなく、「声と管弦楽をブレンドする魔術師」だからな >>369
ご自身に交響詩を理解する頭がないだけ
題材に興味がなくても、音楽は精緻に作られているから、交響曲を聴くように根気よく聴かないと 「自分にはそっちの感性がありません」宣言しっぱなしで逃げるって何がしたいのやら
分からないならそれはそれで別にかまわんが
それでもここだけは結構好きだけど何故かとかでせめてスレに進展性持たせるとかな?
わたし舌オンチで〜す!とか言われてもはあそーすかお気の毒にとしか >>370
ヴァイオリン協奏曲聴くとびっくりするぜ
メンデルスゾーン風で後年の音楽とはまるで違うが、あれが17-8歳のガキが書く曲かよ
幼少の頃からヴァイオリンを習っていたのでヴァイオリンの音に特別の感覚を持っているんだろうな
オーケストレーションにおいても高弦の使い方には独特のものがある ☆ 私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。現在、
衆議員と参議院の両院で、改憲議員が3分の2を超えております。
『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。国会の発議は
すでに可能です。平和は勝ち取るものです。お願い致します。☆☆ エレクトラのクリテムネストラのシーンの後半ってカットがデフォなの?カットしてない版ってありますか 管弦楽曲とオペラ全曲を両方聴いてみればオペラ全曲の方が優れてるのは一目瞭然だが、
オペラ全曲を聴いたこともない人が「管弦楽曲の方が優れてる」と主張するのは無理がある 無理がある のではなくて
それは非論理的です、キャプテン >>377
こいつのアド調べて請求してやってくれ。 少なくとも管弦楽曲の方が優れてるなんて主張してるやつはいなかったと思うが
そうやって自分に都合のいい勝てる相手を作って俺様が勝ったと言い張るやつとは関わりたくないね 音楽の理論を知らなくても、感性が豊かであれば、チャイコフスキーの音楽で酔えるからね
バッハも協奏曲の緩徐楽章なら、いけるでしょう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています