【作曲家】巨匠間の仲不仲・尊敬軽蔑【演奏家】 Part.2 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>40
今さらだけど、クレンペラーは、カラヤンの奥さんしか誉めてなかったと思う。
「俺はルツェルンでカラヤンのベト9を聴いたが、あまりの酷さにスケルツォで逃げ出した」
って言ってる 「カラヤン、悪くないぞ。みんなが言うほど悪くないぞ」
とクレンペラーが言ったというのは都市伝説? >>82
「クレンペラーとの対話」でちゃんと褒めてるよ
カラヤンはあれだけ実力があるのに何であんなに観客を気にするのか?
カラヤン以降の世代はロクなのがいない。この間ザルツブルグで聞いた奴(恐らくケルテス)が次の帝王なんだろうけど酷い。
カラヤンの奥さんは良いね!!
ってね、 結局ケルテスはクレンペラーより先に死んでしまったんだよなあ… >>87
自分が読んだ限りではドボルザークの新世界より(ロンドン交響楽団との方)しか
褒めているのを読んだことがないのだが。自分が無知なだけか(笑)
ケルテスはモーツアルトやブラームスをたくさん録音していて本来なら突っ込みどころが多かったはずだが
宇野は大体スルーしていたな。 どうでもいいけど宇野が散々褒めてた新世界はウィーンフィルほうね
知らなかったとは言ってほしくないといえようw 本当はシルヴェストリの方が好きそうだね ただし録音が古くて過去の人って扱い ケルテスの拙演はスルーで
ペーター・マークやコリン・デイヴィスといった辺りには
執拗に絡んでいたな、宇野。
カラヤンやショルティは
もともと叩かれるためにいたようなものだが。 ま、日本語しか書けないやつがどんなに騒いでも当人の耳には
届かないと思ってたんだろうな。
ねっとであれこれ悪口書いてるヤツと同じだ。 ベートヴェンがウェーバーやロッシーニと合わなかったという話が面白かったね。いわゆる交響曲派と歌劇派の違いだろうが。
シューベルトは歌劇をたくさん書いているけど
友人知人の努力で劇場に持ち込まれる→劇場関係者「この部分を手直ししたら上演できます」→シューベルト「どこも直したくありません!」→上演を見合わされる
ていうことが多かったみたいだね。 ベートーヴェンはロッシーニを尊敬していて会いに行ったよね。
で、「君は君でいなさい」的な事をロッシーニに言われた、と。 >>93
ベートーヴェンはウェーバーともロッシーニとも関係は良好だったよ???
特にウェーバーは誘われて一緒に温泉入浴までしている。
>>94
ベートーヴェンとロッシーニは1度だけ会っている。
ロッシーニの方からウィーンのベートーヴェンを訪ねて行ったんだよ???
それでベートーヴェンは「あなたの『セヴィリアの理髪師』は素晴らしい。あなたに必要なのは『理髪師』をたくさん作ることです。」とアドヴァイスした。
後年、ワーグナーがロッシーニと直接会って聞き出した話だから間違いない。 会話帳に名前があったからといってベートーヴェンが悪口を言っていたとは限らないからね。 ブラームス「あいつの音楽、理屈っぽくて暗くて内向的で嫌いなんだよね」 歌劇派同士?でもグルックとヘンデルは不仲。
ヘンデルが一方的にグルックを見下していたというのが真相らしいが。
グルック派対ピッチーニ派の抗争というのもあった。 >>101
歳が30位違うよね
ワーグナーとブラームスよりも歳が離れている
大人げないなヘンデル ブラームスはフランクがワグネリアンであることを
嫌ったという説がある
周りの人達は二人に面会のチャンスを与えたらしいが
ブラームスが無視したらしい
頑固者め >>104
>ブラームスはフランクがワグネリアンであることを
>嫌ったという説がある
え? ブラームス本人はワーグナーは嫌ってないし
むしろ高く評価してたのでは
だから他の作曲家を嫌う理由にワグネリアンであるというのは
ちょっと無理があると思うけど >>104
ブルックナーとはレバー団子のスープ食ったのにな >>93
自分が以前触れた資料に載っていた話だが
シューベルトの歌劇ってオーケストレーションが重過ぎると言われたらしいな。
アンゼルム・ヒュッテンブレーンナーの証言によれば
シューベルトはロッシーニのオーケストレーションをほめていたというが
自分の創作には活かされなかったのだろうか。 メシアンはショスタコーヴィチを評価していなかったが、
ショスタコーヴィチはメシアンなんざ眼中になかった。評価する、しない以前の問題。 メシアンはショスタコーヴィチを評価していなかったが、
ショスタコーヴィチはメシアンなんざ眼中になかった。評価する、しない以前の問題。 俺も神様とか天国とか本気で信じてる奴は救いようのない馬鹿だと思うわ >>60
トスカニーニは元々オペラ指揮者だけど
メトに限らずオペラ指揮者としては毀誉褒貶があった。
レヴァインみたいに神聖視する人もいたけど
ニューヨーク・フィルやNBC響とのキャリアがなければ
とっくに忘れ去られていたかも。
>>75
運やタイミングもある。
昔のN響の常任指揮者で言えば
ロイブナーはウィーンの名物指揮者、
後任のシュヒターはカラヤンの子分で繋がりが乏しい。
(カラヤンはもちろんウィーンでも活躍したが
ウィーンの名物指揮者という印象は無い。
カラヤンはウィーンを嫌っていたとする文献もあった) まあスポーツ関連の掲示板にも
似たようなスレッドが立っているけど
「本当は仲か悪くない」とか「本当に仲が悪いのは他の奴」とか
「今は仲が悪くない」といった感じで
迷走しているからな。
今まで出てきた中で一番面白かったのは
岩城宏之と小沢征爾は初めは仲が良かったが
小沢がメジャー(ボストン交響楽団)の指揮者に着任してから
仲が悪くなったという話だった。 小沢征爾はボストンの前に
サンフランシスコで音楽監督を務めていたわけで
その時仲違いしていなければ
(もっと前のトロントはメジャーとは言いがたい)
おかしいわな。
岩城は元々
メジャーで地位を占めるほどの柄ではなかった。
あと小沢はボストンで長かったけど
後半はボロボロだった。
カラヤンがベルリン・フィルを去った時に
小沢が後任の候補の一人で、
結局後任には就かなかったが
実現していたら常勝将軍みたいに言われていた筈。
個人的には小沢指揮ベルリン・フィルのサウンドを
もっと聴きたかったな。 >>116
小沢はサンフランシスコ時代に誰と仲違いしてるしてないって?
小沢はベルリンフィルには行かなかったが、ウィーン国立歌劇場に
行ったじゃん。
まあ、評判はいいとは言えなかったけど。 岩城宏之は中山千夏と一緒になって政治家になろうとした時に(1983年)
人物としては終わっていたな。黛敏郎に批判されても結局何も答えられなかったし。
春の祭典を完璧に暗譜していたとか(小沢はフリだけ)
マリンバの演奏にかけては随一とか(打楽器演奏の道だけ歩んでいたら
日本を代表する存在になっていたという説もあった。小沢には楽器を物凄く上手に演奏したという話はない筈)
小沢以上の音楽性を示すエピソードもあるにはあったが。
ちなみに小沢はかつてボストン交響楽団の音楽監督だった
シャルル・ミュンシュのお気に入りだったから、ボストンに招かれたのはあらかじめ予定されていたと
言えなくもないな。岩城には往年の大指揮者に気に入られたというエピソードは遺憾ながら見当たらないな。
岩城の著書によれば、岩城はアメリカで相当売り込みを図った形跡があって、
小沢がボストンに行ったときに怒り狂ったというのは表に現れていない部分での
何か利害が対立する出来事が原因なのかな。これも岩城が書いていた話だが
1964年に本拠地を海外に移そうとしたらしい。つい情に絆されて日本での仕事を1つ入れたために
実現しなかったらしいのだが、この時非情になっていたら
あるいは小沢より先にメジャーになっていた可能性もなくはないな。
かつての盟友、山本直純が交通トラブル(実は夫人をかばおうとしていたらしいが)が原因で
シリアス路線に乗り損ねたエピソードを連想させるな。岩城は、ウィーン・フィルから指揮の依頼が来た時は
さすがに他の仕事をキャンセルしてまで駆け付けている。 >>118
小沢は人脈が凄いもの。カラヤンとバンスタの両方に気に入られてた
って。その上、ミュンシュとかもだろ?
岩城って、そういう人脈あったのか?
ベルリンは時々振ってたようだけど。
ウィーンフィルのは代演だったよね。
で、「全日本冷やし中華愛好会」の大会に出る予定をキャンセルしたので、
山下洋輔たちがカンカンに怒っていた。
「是非出たいと言うからわざわざ岩城の役も追加で用意したのに。
ウィーンフィルがそんなに有り難いのか!」って。
そりゃ有り難いよな。 フルトヴェングラーが「耳が遠くなった」「カラヤンに負けた」
「作曲家として認められなかった」ぐらいのことで
自殺したと知った時ははっきり言って下らない奴だと思ったw
ベートーヴェンみたいに「耳が遠くなっても作曲している」とふざけてみたら
良かったのにな。まあ、この人の演奏は大体「自分はケツの穴が小さい」と
言っているようなものだが(ワーグナーあたりが特にそう)。
ある説によれば(フルトヴェングラー研究家の間では
昔から知られていたのかもしれないが)亡くなる数ヶ月前に
ベルリン国立歌劇場で指揮をしていた頃に起きた某女性歌手の人事を巡るトラブル
(ゲッペルスが介入して一騒動あった。フルトヴェングラーが
どれくらい関与していたかは不明)を蒸し返されて
もともと心身共に弱っているところに追い討ちを掛けられて死に至ったらしいが。 >>121
フルトヴェングラーは、確か寒い日にコートを着ないで散歩に出て風邪を引き、
それをこじらせて肺炎になって死んだ。この出来事をベームは「フルトヴェン
グラーの死は自殺に近かった」という具合に解釈したらしい。宇野功芳の本で
そのようなことを読んだ記憶がある。でも当然自殺とは断定できないし、
ベームの発言も、実際ドイツ語でどのように言っていたのかは分からない。 カルロス・クライバー:「弾く音すべてが宝石だった」(リヒテルについて) 作曲者指揮のマラ6初演を聴いて指揮者を志したのがエーリッヒ・クライバー、
エーリッヒ指揮のベト5を聴いて指揮者を志したのがショルティ。 誰でもできる確実稼げるガイダンス
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VY0TJ 山田真一という人の著書では
トスカニーニとフルトヴェングラーの仲が悪くなった本当の原因は
トスカニーニが自分の後任にフルトヴェングラーを推薦したのに
フルトヴェングラーが拒否してトスカニーニの顔を潰したからと、
これまでの定説とは少し違う説が唱えられていた。
(事情はいささか複雑で、アメリカで反ナチと思われていたフルトヴェングラー→
フルトヴェングラー自身もニューヨーク行きに意欲的→
フルトヴェングラーをアメリカに出したくないナチスの高官が
ベルリン国立歌劇場のポストに着任するという偽情報を流す→
フルトヴェングラーは本当はナチスと親密なのだという疑心暗鬼が生じた→
混乱を嫌ったフルトヴェングラーがニューヨーク行きを拒否した、
という経緯をたどった)
戦後シカゴ交響楽団がフルトヴェングラーを招こうとした時には
トスカニーニは反対せず。
ユダヤ系音楽家の反対運動により
(ユダヤ系でもメニューインやワルターは反対せず)潰れた。 フルヴェンが一番合わなかったのは
クナ辺りだろうな。
ナチスとの関係が悪化して
フルヴェンが指揮台に上がれなくなった時に
クナが代役を務めたという経緯もあるし。
その昔、宇野功芳が「クナは
ベートーヴェンの第9を指揮したことがない」
と書いていたが、本当は指揮歴あり。
あれには笑えた。 不仲って話じゃないけど。
シベリウス
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M89 >>118
小澤の暗譜がフリだけってソースでもあるの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています