【Bach】 J.S.バッハ 【総合】 Part27©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
Johann Sebastian Bach (1685-1750)
について語り合うスレです。
980を超えると、最終レスから24時間後にdat落ちする仕様です。
980を踏んだ人が次スレを立ててください。
立てられない場合はその旨を書き込んでください。
※※※980を超えたら、次スレが立つまでは書き込みは控えましょう♪※※※
前スレ
【Bach】 J.S.バッハ 【総合】 Part25
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1386911287/
【Bach】 J.S.バッハ 【総合】 Part26
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/classical/1411103333/ >>783
>少なくとも東北人を例にしても意味がないでしょw
マジレスかよ…カッコ悪いよ… 今のところ客観的に見て>>781と>>785が一番無意味なレスですね。 BWV1052 のピアノ楽譜をさがしています。
今のところ2台仕様のものしか見つからないのですが
1台で演奏できる楽譜はありませんか?
どうぞよろしくお願いします。 >>783
ドイツ語で説明されてもわからんので英語の動画を探した見たが、
"German dialect"とかでググるといくつかヒットする。
-burgがブルクかブルグかなんてどうでもいいレベルなんだな、ドイツ語の方言。
もはや別の言語という感じ。ichをイックと読んだり語中のgをヒと読んだり
語尾のtがサイレントになったり。auをオーと読んだりeiをエーとかイーと読んだり、
そもそも地方によって単語が違ったり。ベルリンやハンブルクみたいな大都市でも。
オーストリアやスイスはまた全然違ってて。
テレビで芸能人が面白がって使った田舎くさいしゃべり方が全国の若者に流行ったり
日本と似た現象が起こっているらしい。 でburgの語尾を [g]と読む方言の説明はあったかい? 太田黒元雄の書物「バッハよりシェーンベルヒ」を思い出した >>790
ドイツ語話者とおぼしき人が英語でベラベラ説明していたけど、
そもそも[k]にも[g]にも聞こえる発音だったな。
つうか、ドイツ語は、有声音と無声音の区別が英語などに比べて元々曖昧。
方言によっては母音の前でも[t]と[d]あるいは[p]と[b]の区別がなかったりする(これはいろんなサイトに明記されている)。
英語でも母音に続かないdやbは[t]や[p]のように発音されるのは普通だし、
ハングルも前後関係で濁ったり濁らなかったりする。だからコリアンは桜を「さぐら」と発音してしまったりする。
そもそも、清音・濁音という区別がかなり日本語に特異的なものだからね。 >>792
>ドイツ語話者とおぼしき人が英語でベラベラ説明していたけど、
>そもそも[k]にも[g]にも聞こえる発音だったな。
それ英語で喋ってたからではないですね
で? か と ね を間違えた
>>792
それ英語で喋ってたからではないですか
で? 今のところどの例も-burgのケースとはそもそも別なので例に出されてもあまり有益では無いですねぇ。 >>792
帯気音って知ってる?
知るわけないよなあw
>>779の一つもクリアできないド素人は黙っとれ。 清音濁音の区別がかなり日本語に特異的って…アホ過ぎて笑えるわ。
そりゃ清音濁音ってのはもともと languagre-specific な概念なんだから。ロシア語の硬音軟音と同じ。例えば英語には清音も濁音もない。
清音濁音を無声音有声音と同一視してそう言ってるのなら、それこそとんでもない大嘘だし。
そしてあんたの耳に「濁音」として聞こえてるものの多くはおそらく無気無声音だよ。 また始めた>>770は「ブランデンブルグではいけない根拠なんぞ個人の癖程度」派でしょ。 >>797
だから、それらは片仮名の「゛」の有無とは違う概念なんだろ。
まあ、Bachという名前からして他言語ではなかなか発音できないし。
近いのはロシア文字のБахくらいか。
そういや最近NHKではcouranteをクラントと書くようになったね。 全体の流れとしては-ブルグ容認派には
「聞き手個人の聞き取り能力や話し手個人の癖程度の差だから容認すべき」派と「訛り」派がいる。
>>673からのそもそもの流れを読み直せば分かるように
前者は-ブルグ表記が間違いだということ自体は認識している。 容認「派」なんてないでしょうね
一人が暴れてるだけ いや、少なくとも全く別の2つの主張があるのは間違いないし、匿名掲示板でそれが同一人物か確認するのは不可能なので断定は良くない。 >>802
俺が781で
東北人は、「とうほぐ」とか「行ぐ」って言うよ。
ブランデンブルグ、ザルツブルグ、シェーンベルグ
訛ってるんだよ。
って書いたのは、ブルグを馬鹿にして茶化してんだよ。断固否認だよ。
言語学以前に、読解力を身につけようよ。ネタを本気にすんじゃねよ。 >>801
文字と言葉が区別できないような脳みそで音楽聴いても時間の無駄だよ 個人の癖の程度と言った本人ですが、楽しく拝見しています。
どうぞお続けください。
いやー勉強になるなぁ。 >>805
東北人訛りの話は最初からしていないから大丈夫。
>>734から−ブルグが地方による違いという主張は出ている。
まず自意識過剰に気をつけた方が良い。 とりあえず訛り説は根拠が無かったということで結論かな。
ただの英語読み。 >>812
極論すれば英語だってゲルマン語の強い方言に過ぎない >>788
教えていただきまして
ありがとうございました(^−^
さすがお伺いするなら
こちらの皆さんですね。 >>813
だからこそ英語読みって言っとけば済む話。 ピアノソロ編曲難易度どれくらいだろ
俺も弾いて見たいな全部あるのかな >>816
全部って、バッハの曲全部の意味?
さすがにマタイ受難曲全曲のピアノ独奏バージョンなんてのはなさそう >>818
中々いいアルバムですね
まあ、質問の「全部」とはほど遠いけど ゲーデル・エッシャー・バッハやっと読み終わった
2ヶ月かかった >>820
蟹のカノンとか、懐かしい
昔あの本を自分の論文に引用するのが夢で、実際研究テーマを強引にそっちに引き寄せて、
会社のデスクに堂々とあの分厚い本を置いて引用した時には感慨もひとしおだった >>821
早すぎ同意
二十代だけど数回の挫折込みで年単位 そういう意味では20年以上かかってるけど
本の厚さがいかんのだ
鞄に入れておいて電車で読んだりできない
解体して電子書籍化してkindleで読んだからこそ、読破できた オラトリオってなんかオラオラな三人組な雰囲気がある クリスマスオラトリオはクリスマスに男3人で聞くもの ジェットストリームオラトリオ
なんと饒舌なことでしょう ダフニスとクロエ聞いてる
マゼールすらウィーンフィル クリスマスオラトリオを、降誕祭初日に全部通して聴くバカw >>842
じゃあ、コンサートや演奏会は全部アウトだな。 聖なる日はこれからは、1月7日すべき。
ま、おいらは、年明けにはハイドンを聴きたくなるわけですが。
>>849
多分、BかABだな ペルゴレージのスタバトをバッハが編曲した板て、所々いじったところが変だよな。
原曲の方が全然良いよね。 原曲のが名曲だな
バッハも認めたペルゴレージが長生きしてれば音楽の歴史は全然ちがってたろうな バッハは受難コラールがもともと恋愛歌のパクリだったって知ってたの?
バッハに限らずその時代の人々は バッハの音楽は神聖なもの
いい加減に聞き流してはいけない >>854
ハスラー作のってこと?
もちろん知ってて使った >>856
そうなんだ
当時の人はギャップとか感じなかったんだろうか?
今でいうと「荒城の月」の歌詞を変えてオリンピックのテーマソングに使うような ハスラーの原曲が作られてからバッハのマタイ受難曲まで100年以上の差がある。
原曲の本来の意味合いが失われるのは十分にありうるんじゃない。 シャンソンを素材にしてミサ曲を作るとか、そういうのはバロックどころじゃない長い伝統がある、正統的な作曲家の仕事。
違和感を感じる人は相当ロマン主義に毒されてるよ。 BWV244聴いてるけど面白い
イエス「この中の誰かが裏切るよね」
「私か?」「私のことですか?」「いや私だ」「私ですか?」
「「「「ああ、償うべきは、そう・・・私!」」」」
ユダ(なんやこいつら…) >>861
バッハがどうこうというわけでなく、
要するにマタイ福音書がおもしろいと言ってるのかな? >>864
いや、>>861の引用部分は福音書だよ もっとも最後の「償うべきは私」の部分はコラールか
その後に福音書に戻ってイエスはユダを名指しするんだったか 民謡のメロディーを使うのも良く用いられる手法だしね。
バッハでは知らんけど。 ルター派のコラールを含めて賛美歌の類にもそういうの結構あるんじゃ? >>861-866
福音書の内容に対してソリストが個人的心情、コラールが信徒全体の心情を語るのが受難曲の基本構造なのは超今さらな話。 自分はマタイよりミサ曲のほうが好みだな。
マタイはコラールなど既知の音楽から主題を拝借しているのに対して
ミサ曲はまさにバッハの純粋なメロディーが愉しめる。この点は大きい >>872
バッハの純粋なメロディ
なんのこっちゃ
病気治した方が良いよ この大げさな揚げ足取りやる奴よく見るがいつから棲みついてるの オリジナリティに異様に価値を認めるのは他ならぬロマン主義の精神。
バッハとは対極にある。
商業音楽の分野で、このロマン主義の音楽観に由来する、「作曲」「編曲」という用語の極めて不適切な使用法が横行しているが、それにも毒されているのかもね。 バッハが作ったから価値がある←商業的価値
誰が作ったか関係なく、音楽として優れている。そして優れた作品ゆえにその作者に価値がある←芸術的価値 バッハ弾くことの喜びを前に
そんな細かな事はどうでもよくなる
バッハの存在にただ敬意と感謝 オリジナリティが大事な一要素であることに変わりはない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています