サー・ゲオルク・ショルティ 10
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シカゴ響、ウィーンフィル、コヴェントガーデンなどで
コンサートからオペラまで幅広いレパートリーで多くの
名演を残したショルティについて引き続き語りましょう。
前スレ
サー・ゲオルク・ショルティ 9
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1430035643/ LAPOとクリーヴランドO.
ニューフィル
コンセルトヘボウ ↑
このID隠しのバカチョンはエラそうなことばかりほざいてるねw >>161
間違っているならすればいいんだよウソ松君 >>158
DECCAのディスコゴラフィを見てみ。
ロンドンフィルよりロンドン交響楽団との録音の方がずっと多いぞ。 >>163
>デッカはイギリス録音はもっぱらロンドンフィル
ここに突っ込んだんだが通じてなかったか >>153
カルショーの述懐だけですべてがわかるもんでもないでしょ
おれは西ベルリンにおけるフリッチャイと同様
ウィーンでのショルティの位置ってのはハンガリー動乱がかなり大きいとふんでいる >>164
逆の意味にとってしまった。
申し訳ない。
>>165
その「カルショーの述懐」の引用は不正確だから、参考にしないように。 リゴレットはいまだにショルティ盤がトップランクに位置する ワーグナー管弦楽曲集もウイーンフィルを指揮したディスクのほうがいい
シカゴとのものは荒っぽい 管弦楽集って、フルトヴェングラーとかクレンペラーの時代ならともかく
初期作品除いて全作品の正規録音が出てる指揮者のは、実際買っても一回しか聴かないよね普通
良いも悪いもオケのデモ、サンプル程度の存在価値
ショルティに限らずカラヤン、バレンボイムとか持ってても聴いたことがない 自分の習癖を、何の裏付けもなしに「普通」と普遍化できる
知的軽薄さが羨ましいよ まあ序曲や前奏曲のいくつかはそれだけ聴いても楽しめるかな。
指輪のハイライト版とかはどうにも中途半端でしっくりこない感じ。 ローエングリン第3幕前奏曲などは祝典のときによく演奏されるよな ショルティは意外にもスッペ序曲集のような軽音楽も録音してる
オケはもちろんVPO、録音担当がカルショウ
VPO時代のショルティがいちばんの全盛期だった 大先輩だし、仲良いという感じではないような気が
ドラティとは若手時代から仲良かったみたいだけど >>176
>スッペ序曲集のような軽音楽
こういう軽めのレコード・CDはけっこう売れるからな。商業的理由があったのかも。 >>180
スッペとかエルガーとかは万人向けの幕の内弁当みたいな人だから、レコード買ってくれそうな層が広い。
マーラーなんかは作品のほうが客を選ぶわけで。 スッぺはデッカのカタログとして必要だったので録音計画が持ち上がったとかじゃないかな 誰でもできる確実稼げるガイダンス
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A94I6 ようつべでショルティの指輪全曲が聞けるのでありがたい ちゃんとカルショウとの指環が聞けるだろ
バカかよ、てめえは DGのカラヤン/ベルリンフィルの対抗馬としてDeccaはショルティ/ウィーンフィルを出してきた >>202
ブラームスの2番と悲劇的序曲が
左右が反転してるようです。
HMVのレビュー欄で指摘されたようです。 左右がひっくり返ってるのは「逆相」とは言わないよね。 それ勘違いしてる人多いよね
位相を知らない人多過ぎ
電気屋の店先でもプラス マイナス逆で鳴ってる
コンポもあるくらいだからね >>205
左右逆相で音を出してるのを聞いて気持ち悪くならない感覚が信じられない。
けど、そういう店、結構ありますよね。 昔の京都寺町の電気屋なんてタンノイなんて置いてたくせにいつもチャンネル逆だった
その都度直させるんだけど次行ったらまた元に戻ってやがんのw
あれは客を試して遊んでたのかね 位相が合ってないと平衡感覚がおかしくなる時がある
低音も全然出ないし
まだ右から第一バイオリンの方がまだマシ >>208
それは店員さんの耳が左右逆についていたのであろう。 そういう奇形ってあるかもな
心臓逆についてるやつもいるらしいし >>211
俺が小学生の頃、近所にいたよ。
見るからにおかしな感じのおばさんだった。
子供の頃、心臓が右についていることを知って
それを気にしたのか、最後は心までおかしくなった、
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EJ7 リングの録音
最初はクナの予定が、クナが拒否してショルティになるが
カラヤンはDG専属で話がいかなかったのか? >>220
あの頃既にカラヤンもDECCAに録音してる。
長丁場になるからカラヤンは使いづらいとカルショウは判断したんだろ。 >>220
カラヤンがデッカと契約したのは1959年1月
間際までカルショーは契約のことを知らされなかったらしい
(※契約はカルショーら録音チームは管轄外)
ちなみに、その時点で録音プロジェクトはスタートしており、
「ラインの黄金」は録音が済んでいる
カルショーは自著を読む限り、カラヤンには辛口のコメントが多く、
人間性も含めて、あまり好意的な印象を持っていない
【参考】
『ラインの黄金』録音:1958年9月24日〜10月8日 > カラヤンには辛口のコメントが多く
カラヤンはフサフサだからな 当時はワーグナーの長大なオペラを商品化して売れるかどうかの時代
膨大な経費はかかるし、ある意味バクチみたいなもの
それとDECCAの売り文句になった耳で聞くオペラのステレオ効果も試したかったのだ >>222
昼がカラヤンで夜がショルティだっけ?
そりゃ力入るわな カラヤンは1959年にDECCAと契約してから毎年オペラを録音した
1959年アイーダ、1960年こうもり、1961年オテロ、1962年トスカ、1963年カルメン
独墺系のオペラが1作だけというのも面白い >>220
>最初はクナの予定が、クナが拒否してショルティになるが
これはコーホーの勝手な憶測で、そんな事実はない >>222
申し訳ない。
間違えました。
カルショー自伝や「リング・リサウンディング」の翻訳は読んでます。 >>228
いや、ショルティ自伝にはそういうことが書いてあるぞ。
細かいことは忘れたけど、ワーグナーのどれかの「第3幕」
(だったっけ)を録音したら好評で、全曲録音を期待していたら、
「クナに頼んだから」と言われてがっかりしたと。 >>230
1幕をクナ、3幕をショルティというのは、企画立ち上げ当時からの既定路線だよ
それともあれか?「リング・リザウンディング」はそこも誤訳してるのか???w >>231
>「リング・リザウンディング」はそこも誤訳してるのか???w
RRの英語版(原書)にその経緯が書いてあるって意味ね ショルティが指環を完成させた翌年にカラヤンが指環録音をスタートさせた
当時のレコ芸ではカラヤンがワルキューレを録音したことを写真満載で特集してた >>231
だから「ショルティ自伝」だって。
ショルティは自分がやれると思い込んでいたので、その分落胆したと。
しかしクナはプレイバックを聞かないとか、録音に不向きな指揮者だと
判ったので、ショルティになったと。
カルショーの本にもその経緯は触れているかもしれないけど、
読み返していないから覚えていない。 >>234
いや、クナが第一幕以外を録音する「予定」もなければ、「拒否」をした事実もない
それはコーホーの捏造
で、ショルティが第一幕も録音できると考えたのは、それとは別の話で
単なる彼の勘違い
あんたは2つのことをごっちゃにしている >>220はいつもコーホーと書いてる単発age認知障害の老害ホラ吹き
220以降も数レス其奴とおぼしき書き込みがある
>>223とかを見るにつけマトモにレスが読めないバカが多いのはどうしようもないな 「ラインの黄金」録音当時からショルティの頭はハゲていた ショルティは生まれたときからハゲていたって本当ですか? ID出してageりゃ何書いてもいいわけじゃないけどな >>236
おれはコーホーの文章は読まない(目にしちゃったことはある)から、
混同したとしたら、ショルティ自伝とカルショー自伝と
「リング・リサウンディング」の翻訳だ。
ショルティの勘違い(と希望的観測)だったことで間違いないけど。 カルショーの本をもとに、ちょっと整理してみる
1.のちの「リング全曲」とは別に、「ワルキューレ」の録音がなされた
2.もともと、この企画は「フラグスタートありき」、であった
※ フラグスタートは言わずと知れた大歌手
3.デッカはワルキューレ全曲を希望したが、フラグスタートからNG
2幕は歌いたくないと通告があった
※ 仕方なく、1幕と3幕は、切り離して考えることにした
※ そもそもフラグスタートありきの企画なので、指揮者について
デッカに強いこだわりはない
4.第一幕の録音は「フラグスタートが希望した」クナを起用した
※言うまでもなくクナはワーグナーの比類なき権威
7.クナは録音嫌いで録音には不向きである。だが、たまたまカーゾンとの
ブラームスの録音予定が組まれていたので、この機をとらえた
8.しかし、もともと全曲録音の予定もなく、クナは録音嫌いで知られ、
いろいろ「使いにくい」 デッカはショルティに3幕を任せた
9.デッカはショルティへの釈明に腐心した ショルティも傷ついた
※ が、ショルティは全曲プロジェクトを任される >>245
乙です
「トリスタンの録音はクナッパーツブッシュで行うべきではないと、
重役たちにいわねばならなかったのが、私にとっては、
もっとも苦しい職業的な進言だった」
とカルショー本にあるのをコーホー氏は勘違いしたのかもな 宇野だったどうか記憶にないが
カルショウのその決断を非難する日本の評論家の文章を目にしたことがあるな 宇野だよ。(クナからショルティに変更したことが)プロジューサーの横暴と言わずしていったい何であろうか!てさ。 ショルティのリングが話題になった(一端)(の)は、隅々まで聞きとおせる明晰な優秀録音ということだったはず
シカゴとのマーラー5番の録音も1楽章最後のティンパニーの音がこれほどはっきりと聞こえるのは当時他になかったため比較に重宝された
ショルティのブラームスはふわりとした音でなくベートーヴェンかのような意思の確固たる音楽だった
何につけてもシカゴのラッパの優秀さが当時よくもてはやされた
ということで、ショルティは機械のような確かさ、明晰さが持てた理由
クナとは正反対だね >>248
宇野みたいな煽り調子じゃないんだよな
>>249
60年前の世評(w)をよくご存じで
ブラームスはケルテス、マゼールとDeccaの全集があったわけで
その延長線上においてショルティ/シカゴの聞き慣れた予想通りの音であり
別段ベートーヴェンのような音楽とは捉えられんな
むしろ発売と前後しての(たぶん発売前)来日公演より目の詰んだ音という評価もあったぐらいだがな >>249
思い込みってのは面白いし、恐ろしいねw ショルティは即物的でクナは精神的ということやね
両方で聞けて面白かったじゃん
文句いうことか>宇野 宇野の指環全曲録音の推薦盤はショルティだったけどな >>254
オケと録音はいいけど、指揮者と(たしか)一部の歌手には
留保をつけてたけどな 確かに宇野が無条件に諸手を挙げてショルティを推すことは考えられんけどな
歌唱法なんて時代とともに変わるわけだし何にせよ古いことは古いからな 音楽の用途の一つとして昔から神前で祈りを捧げるときに奏楽するということがあった
グレゴリア聖歌とか、もっと以前から
その流れに沿って、レクイエムや宗教曲を演奏するに際して指揮者が壇上で祈ってみたり、バーンスタインのマーラーや宗教曲には祈りを感じると評する詳論家がいたりした
一方、音楽はダンスミュージックでもあり、アフリカ人はドンチャカするのが好きだし、シモンボリバルオーケストラのアンコールではウエストサイド物語のマンボー踊って騒いで演奏するのがお決まりだったりする
精神的な音楽とは前者に関連していて、祈りを根底にしている
即物的な音楽とは後者に関連していて、踊りを根底にしている 音楽はマーチ歌踊りのいずれかだという説を聴いたことがあるな
祈りは精神性を表す一要素かも知れないが
精神性と言う場合、必ずしも宗教信仰とイコールではあるまい
俺は少なくとも精神性という言葉は使わないで済ませたいが >>257
それは、祈りを根底にした音楽と踊りを根底にした曲があるという説明には辛うじてなり得ても
たとえばブラームスの同じ曲で、精神的な演奏と即物的な演奏があるという説明にはなってないわなw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています