マーラーとかいう有名な割には中身がない作曲家
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まだ答えになってないけど…
和声やれば中身分かる、という話からなぜ和声のない音楽には中身がない、という話になるのかがよくわからない。教えてもらえるか? >>59
あんたは和声の勉強で得られるものが音楽の中身を導き出すと繰り返す割にはその和声が中身と呼ばれるものに変換される過程について具体的な説明がない
そんなふわふわとした定義の上には不確かな議論しか進まない
あんたにもよく理解できる答えを望んでいるならまず言い出しっぺのあんたが和声と内容の具体的な説明をしなきゃならん
和声が音楽の中身だと言うなら中身のない音楽のない音楽という存在も仮定可能なのでそのあたりも明瞭な解説が必要
ああそうか
あんたのパソコンまたはスマホってピアノって名前なのか
納得w >>60
日本語読めますか?心配です。
和声やれば中身分かる、という話からなぜ和声のない音楽には中身がない、という話になるのかがよくわからない。教えてもらえるか? >>61
あんたにとっては和声の勉強こそで得られるものこそが音楽の中身なんだろ
ならば西洋音楽的な意味での和声という概念のない東洋やアフリカの音楽は中身がないのかと疑問に思ったのであんたの藪睨みぶりついでにぶつけた質問
それについてはどうお考えで?そういう音楽は中身がない思ってんの?こっちはそれにすら答えてくれいないんだが
ぶっ壊れた蓄音機みたいに同じこと繰り返すだけじゃ話してるとは言わないんだよ自称ピアニストさん マーラーは、50歳で死んだ
あたしも、もうすぐ50歳。
死ぬのかな >>62
>あんたにとっては和声の勉強こそで得られるものこそが音楽の中身なんだろ
こんなこと言ってませんねえ。
どうしてそう思ったのか教えて。今度は一度でできるかな?
>ならば西洋音楽的な意味での和声という概念のない東洋やアフリカの音楽は中身がないのかと疑問に思ったのであんたの藪睨みぶりついでにぶつけた質問
クラシック板のマーラーのスレでアフリカの音楽を念頭において語る必要はないと思ったからですね。 >>63
好きなことして生きてれば長生きできますよ >>64
また言ってない言ってない論法ですか
さっきは中身なんて言ってないとレスしておいて結局中身と言い出した人がいましたね
まあそれはさておき技術や知識以外の音楽の中身のとはなんぞというレスに和声の勉強と言い出したわけだからそれこそがあんたにとっての音楽の中身なんだと捉えられても仕方ないわな
実際あんた和声についてしか語ってないし
そのうえ具体性は皆無だから余計に怪しいんだよ >>67
だってあんたこんなだぜ↓
・中身がないとかいうテンプレのアホにはノータッチで知識や技術以外に音楽の中身なんてあるのかという疑問に対して和声学べ!
でもってそんな人がやってることといえは
・和声のオベンキョしてますアピール
・故に音楽の中身理解してますアピール
・ピアノ弾きながら5chやってますアピール >>68
結局>>50に答えられないから個人攻撃に逃げたってことで宜しいですか >>69
あんたは自分が批判されている的を指摘のおかしさから和声の勉強そのものにすり替えようとしてるがそれは違う
何度も書くが俺は音楽を聴いたり使ったりする際の音楽理論の重要性は全く批判していない
そうではなく>>1のようなアホとそれに突っ込みを入れるやつに対するあんたの反応こそがおかしいと言ってわけだ
特にクラ板には中身がないとかいう割には具体的な見識や美学がなく単なる好みで罵詈雑言を並べるやつが珍しくないからな >>70
最後のはまさにあなたでは。
まぁ>>50に答えられないんですね。
それを流すための長文。頑張って >>71
もう一旦見栄張ってしまったので引っ込みがつかない感じ?
発端を辿れば分かると思うが>>22から言っていることだ
>>1は明らかに和声とか対位法とかマチエールの次元で語っていない
対する>>12は技術面を取り上げているのにあんたは和声を学べと藪睨みなマウントをおとりになられた
答えられないのはむしろあんたの方だ
和声の勉強だけじゃ音楽を理解できないって身をもって証明しちゃったな
まあここまでの流れでよく分かったのは中身ガーとかいう輩に限って具体的に中身を語れないヘタレが多いってことですよ
特定の音楽に中身がないという奴にしろ説明もできないレベルでしか学んでいないのに普通の人より音楽全般を理解した気になった奴にしろね 俺も聴き始めの頃はマーラー9番やリヒャルトの管弦楽(どっちもカラヤン指揮)あたりは何ともピンとくるものがなかったな。
それでも後年マーラーはワルターやらユダヤ系指揮者、リヒャルトはクラウスの演奏で開眼したというか、その音楽に対する認識が変わった。もちろん今でも和声やら楽譜やらの知識は超初心者レベルだけども、演奏によってその音楽の充足感はだいぶ変わるというのは確かだね。 楽曲の展開やら楽章構成的に中身が希薄に感じる音楽は存在すると思うが、しかしそれの大半は音楽そのものじゃなく、演奏のほうの中身の無さだったりするんじゃないか。 例えばその指揮者がカラヤンだったとか、アルゲリッチは胎児ネタばっかでウゼーとか。 マーラーは二流だよ
指揮活動で忙しかったんだからしょうがない マーラーは一時好きになったが、
今は聴かない。演奏家のせいとか言ってるのいたが、聴く時はいろんな演奏聴いたんでそれはない。なんか、神経質すぎてね。 中身っていうのは、別の言い方をすれば、無駄がどれだけあるか。
交響曲第3番から、無駄な間、無くても構わない音、フレーズを捨て去ったら
おそらくハイドンサイズにきっちりスッキリすることだろう。 まあそうそうツンケンすんなよ、たかが5ちゃんで。アイドルワイルドのアンと樺の道のダイアナ、どっちが好きかといったら俺はダイアナが好きだよw マ−ラ−やブルックナーはスケルツォ楽章が冗長でつまらない。(特にブルックナーを聞くときは
スケルツォ楽章を飛ばして聴く)
マ−ラ−の第3番を買ったときに、解説者自身がマ−ラ−のスケルツォ楽章は冗長と書いてあって笑ってしまった。 クラシック音楽だからといって全曲を通しで聞く必要はない
と宇野功芳先生も仰っておられました 誰でもできる確実稼げるガイダンス
念のためにのせておきます
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
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