マーラーとかいう有名な割には中身がない作曲家
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>>70
最後のはまさにあなたでは。
まぁ>>50に答えられないんですね。
それを流すための長文。頑張って >>71
もう一旦見栄張ってしまったので引っ込みがつかない感じ?
発端を辿れば分かると思うが>>22から言っていることだ
>>1は明らかに和声とか対位法とかマチエールの次元で語っていない
対する>>12は技術面を取り上げているのにあんたは和声を学べと藪睨みなマウントをおとりになられた
答えられないのはむしろあんたの方だ
和声の勉強だけじゃ音楽を理解できないって身をもって証明しちゃったな
まあここまでの流れでよく分かったのは中身ガーとかいう輩に限って具体的に中身を語れないヘタレが多いってことですよ
特定の音楽に中身がないという奴にしろ説明もできないレベルでしか学んでいないのに普通の人より音楽全般を理解した気になった奴にしろね 俺も聴き始めの頃はマーラー9番やリヒャルトの管弦楽(どっちもカラヤン指揮)あたりは何ともピンとくるものがなかったな。
それでも後年マーラーはワルターやらユダヤ系指揮者、リヒャルトはクラウスの演奏で開眼したというか、その音楽に対する認識が変わった。もちろん今でも和声やら楽譜やらの知識は超初心者レベルだけども、演奏によってその音楽の充足感はだいぶ変わるというのは確かだね。 楽曲の展開やら楽章構成的に中身が希薄に感じる音楽は存在すると思うが、しかしそれの大半は音楽そのものじゃなく、演奏のほうの中身の無さだったりするんじゃないか。 例えばその指揮者がカラヤンだったとか、アルゲリッチは胎児ネタばっかでウゼーとか。 マーラーは二流だよ
指揮活動で忙しかったんだからしょうがない マーラーは一時好きになったが、
今は聴かない。演奏家のせいとか言ってるのいたが、聴く時はいろんな演奏聴いたんでそれはない。なんか、神経質すぎてね。 中身っていうのは、別の言い方をすれば、無駄がどれだけあるか。
交響曲第3番から、無駄な間、無くても構わない音、フレーズを捨て去ったら
おそらくハイドンサイズにきっちりスッキリすることだろう。 まあそうそうツンケンすんなよ、たかが5ちゃんで。アイドルワイルドのアンと樺の道のダイアナ、どっちが好きかといったら俺はダイアナが好きだよw マ−ラ−やブルックナーはスケルツォ楽章が冗長でつまらない。(特にブルックナーを聞くときは
スケルツォ楽章を飛ばして聴く)
マ−ラ−の第3番を買ったときに、解説者自身がマ−ラ−のスケルツォ楽章は冗長と書いてあって笑ってしまった。 クラシック音楽だからといって全曲を通しで聞く必要はない
と宇野功芳先生も仰っておられました 誰でもできる確実稼げるガイダンス
念のためにのせておきます
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