それで、『フェルクレールンク』。
私はキリスト教徒でもないし、そういった言葉には全く
無関心だが、ブルックナーは熱心なカトリックであった。
だから、その意味を熟知していて、音楽の流れの中で
の変化をそういったものに譬えたのだろう。
主要動機のリズムは、全くベートーヴェンの《第9》の
主要動機の引き写しである。ただ、それは調的に不安定で
陰鬱なメロディーである。変ロ短調で読めば、
♪ミファーーーーミドーーシレー♭レドシ
そこには、半音、短音程ばかりが存在する。
これが、最後の場面では、
♪ドーーーーソミーードソーミレド
と光り輝くハ長調の主和音の分散和音に『変容』
しているというわけである。
他の3つの楽章の主題も全てそのような音楽的操作
を受けているのを『フェルクレールンク』と
表現したというわけである。

もちろん、これは『ミヒェルが転回する』とか
『コサック兵の騎行』のようにブルックナーが直接述べた
ものではない単なる一説だが、解説の流れから言うと
そのような理解が一番妥当だというのが私の考えである。