春祭、ピエロ、牧神、弦チェレ etc.
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既成の限界を突破して、
現代音楽への扉を開いたクラシックの名曲を語るスレです 伝統を守りたいなんて作曲家がいるとしたら
懐古趣味のブラームスくらいなのでわ ブルックナーも晩年はかなり進んだことやってるな
9番とかところどころ新ウィーン楽派 >>80
どこが?そんな話は聞いたことない
詳しく解説よろ
>>79
懐古趣味のドイツ・オーストリア作曲家なら当時大勢いたろ
プフィッツナーが代表
ツェムリンスキーは基本保守的だったが、晩年は後期リヒャルト・シュトラウスと
無調との間を彷徨ってた
レーガーは異端 やっぱりドビュッシーの存在が大きい
あるイタリアの作曲家はドビュッシーの音楽を聴いて数年間何も書けなくなったとか >>67 10番を完成させて、ついでに1番に手を入れて「花の章」を改訂・復活させた5楽章版にしてほしかった。 「牧神」冒頭のフルートの音から近代音楽が始まった。
この作品は、それ以前のどの作品にも似ていない。 >>82
あプフィッツナーね!はいはい
この人はともかく大勢いたんだ
ドイツで退廃芸術はまずかったからでなく
やはりベトやワーグナーの影響が大きかったからかな
日本でもで単にクラシック音楽といえばこの辺のサウンドを指すな。 はっきり言うと俺がシェーンベルクで良いと
思うのは『セレナード』(の第1曲目)だけだね フランクザッパが新ウィーン楽派を聴いて
ウェーベルン以外は糞だって言ったのを思い出した ◉「遊戯」名盤ベスト10
01 クナッパーツブッシュ(NHK交響楽団)
02 ベーム(ボストンポップス)
03 ワルター(レニングラードフィル)
04 クレンペラー(ニューヨークフィル)
05 C.クライバー(パリ管弦楽団)
06 ヨッフム(モントリオール交響楽団)
07 山本直純(ウイーンフィル)
08 カラヤン(フィラデルフィア管弦楽団)
09 フルトベングラー(ロサンゼルスフィル)
10 ダン池田 (ベルリンフィル) >>92
違うよ
この人ボケてるんだよ
ボケが多くて狙いが分散しているし、そもそも着想がつまらないけどな
面白いと思ってドヤ顔で書き込んだんだろうね 91です。
ここの皆さまの気分を害してしまい、心よりお詫び申し上げます。
すべて私が悪いのです。
もう二度とこのような愚かな書き込みはいたしません。
どうか許してくださいませ。
なお、私は未だ20歳台の若造であります。
ここの皆さまのような人生の達人では全くありません。
足元にもおよびません。
嗚呼、自分のした事が恥ずかしい
情けない、情けないですよ、本当に...... ネット界隈俺は認めんぞ!貴様が若造だなんて!
最近の若者はかつてないほど優秀で賢明で礼儀正しくて温厚なんだ!
例えば団塊世代みたいな糞世代の老害どもなんかとは比べ物にならないほどにな!
今の若者は不幸だなぜなら老害どもに苦しめられているからだ!
老人は敵なんだ!老害なんだ!俺たち未来ある若者はネットを使ってそいつらを叩く権利がある!
忌まわしいリア充もといリア王ども!俺たち若者は絶対正義なのだ! >>89
ザッパといえばヴァレーズでんな
敬愛するあまり手紙を送るほどだった ザッパが影響を受けたクラの作曲家たちはどこかカチッとしてるんだよな
ストラヴィンスキー、ラヴェル、ヴァレーズは勿論だけど、バルトークのことも高く評価していたね
反対にシェーンベルクやベルクの表現主義的傾向には手厳しかった
スレチごめん 新ウィーン楽派の3人はどこか不器用な感じがとても好き
ハッとするほど美しい瞬間も多いですしおすし 俺もギタリストだからかザッパとは気が合うな。
ザッパはほとんど聴かないけどw シェーンベルクでは、管弦楽のための変奏曲が12音技法の傑作だよな 俺はVn協奏曲、弦楽トリオが好きだな
モーセとアロンは偉大としか言いようがない このスレだと、「浄夜」は人気無いんだなw
ちなみに、「浄夜」と「浄められた夜」ではずいぶんイメージが違うね
俺は「浄夜」と言ってしまうが、世間一般ではどっちで定着してるのかな?
「中国の不思議な役人」とか「遊戯」とかっていう邦題もなんとかならんのかな、と思ってるけど
一度広まったタイトルはもう変えられないんだろうな 浄夜やグレの歌は保守路線曲だからこのスレでは対象にならないけど、そのおかげで彼の中では
取っ付きやすい曲となっているから人気はあるはず。 >>104
俺がいかにも明治大正(ひょっとしたら昭和1桁まで)風だと思う邦題は「魔笛」 ピエロも何がきっかけか一部ではサブカル的な愛され方してる
それ以降となると多分もう人気ない ああそはかのひとか
ツァラトゥストラはかくかたりき 「魔弾の射手」「道化師の朝の歌」「子供の領分」なんかも
お堅い邦題だな シェーンベルクはピエロ、ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲とか好き
ヴェーベルンやベルクはまだ勉強不足
どうでもいいけどiPhoneでシェーンベルクって打とうとすると予測変換に「紫煙辺留苦」って出てくるんだけどなんだこれ >>112
シェーンベルクのピアコンかっこいいよね
ベルクだと室内協奏曲が好きかなぁ >>107
ピエロは表現主義時代(自由な無調時代)の作品
その後の12音技法による作品は形式主義的だから、
むしろ今の現代音楽の「一般人へのアピール力のなさ」というステレオタイプを
体現する作風と思う
もちろん現代音楽を愛する人は普通にシェーンベルクの後期を評価する ラヴェルはこのスレタイに並ぶような強烈な代表作こそ無いけれど、
やっぱり現代音楽的な臭いがする。
バルトークに天才と称され、ウェーベルンに絶賛されただけはあると思う。 ボレロって斬新だと思うけどね
ポピュラリティと斬新さが同居しているのも凄いと思う ドビュッシーは遊戯より聖セバスティアンの殉教の方が好きかも
モザイク画を見ているような静かな気持ちになれる 麻辣
ttp://80c.jp/culture/20120906-93.html ベルクは、抒情組曲からの3章がいいな
あと弦楽四重奏曲も
それから3つの管弦楽曲も傑作だと思う
そしてヴァイオリン協奏曲もな
ルル組曲だっていい
よくわからんのが室内協奏曲 皆様、シェーンベルク、ベルクのスレもあるので(ウェーベルンスレも現音板に)
そちらもよろしくお願いします 牧神も遊戯も素晴らしいけど
ドビュッシーの最高傑作は海だというジャン・バラケに同意です では我輩はペレアスとメリザンドに一票
あの淡い光の中に儚く、しかも深い謎を残して消えてゆくラストとかドビュッシー以外の誰にも書けないだろう バラケの本は俺も昔読んだよ
今年はドビュッシーの録音が沢山出るね 特にharmonia mundiは凄い
再発含めたら10枚近く出すんじゃないかな
録音の話は荒れるからやめるけど スレタイの4曲はどれも閃きの産物って感じ
学習して作った風じゃないし、何かが宿ってる こういうスレでも
スクリャービンは
ほぼ無視されるんだな スクリャービンは、オナニーみたいなもんだろ
もちろんいい意味で
レーガーなんかと同様、音楽史を動かした存在というよりはその強烈な個性で愛されてる いや、だったらマーラーとかベルクだって同様だろう
音楽史を動かしたような革新性とか新手法なんて特に無い
バルトークだって結構ミーハーで、ドビュッシーやストラヴィンスキー等の
影響を受けて消化した「後出しジャンケン」みたいなものだろう
(もちろん、このレベルの作曲家は皆、独自性はあるが)
だが、しばしばこのスレに名前が出てきて話題になっている
もともと過小評価なんだろう、スクリャービンって...
あと10年生きていたら、音と色を結びつけようとしたりして、
音楽史上もっと違った存在になってただろうが 硬派に思われてるバルトークが結構ミーハーというのは同意 バルトークて一点突破可能だよな
ミーハーな存在と言い切るにはもったいないがそんな感じ >>127
そうかな?
もちろん新しいアイディアはあるけど、スコア見るとけっこう論理的に書いてある それは勿論そうだと思う
専門的なことはわからなくて申し訳ないけど、血のにじむような研鑽と思考の結晶だと思う
だけど時代を変える曲って、作曲家でさえ予期できない化学反応が起こってるよね 音楽だけで考えるとそういう神秘主義的な思考になる
当時の西洋全体の情勢、文化的文脈を考える必要がある 磯山雅氏が生前「モーツァルトはインスピレーションだけで曲を書いた天才ではなく、入念な熟慮の上で作曲していた」とTV番組の取材で語ったところ、
「モーツァルトはインスピレーションだけで曲を書いた天才」の部分だけ切り取られて放送されて凹んだという趣旨のことを書かれていたね
世の中の人はそういう突然変異的な天啓のような奇跡のストーリーを好み、
逆に伝統や積み重ねの果てに現れる素晴らしい物は面白くないのだろう そういう浅ましい芸術家観についてはストラビンスキー自身が「詩学」で述べてるよ 伝統や積み重ねの果てに斬新という言葉はなかなか出てこないと思うが でも伝統を知らず、試行錯誤もしない奴がいきなり突発的に革新的な作品を作ることはほぼあり得ないからね
天才は歴史と断絶している、みたいな言い草は反知性主義者の妄想だと思う 音楽の伝統だけでなく、共時的にも考える必要がある
当時の20世紀初頭ウィーンの混乱と、周辺国のアンチ・ロマン主義者の台頭は、
音楽に限った話ではない
まだメイン・ストリームという後世に生まれた概念が適当であるような時代だったのだから 現実的には、伝統を知らなければ何が本当に新しいのかもわからないよ
物知らずは主観的には斬新なものを作ったつもりで手垢のついた陳腐なものを作ってしまう
本当に伝統を否定するためには、まず伝統を知らなければならない 温故知新ということと伝統は違うんじゃない
そういうのは伝統とは言わず楽典の基礎みたいな事で良いのでは。
日本の伝統芸能で使われる楽器と
今日までどんどん刷新されてきた西洋楽器とは感覚からして違うからな。 久しぶりにシャイーのヴァレーズ全集聴いてるけど面白くて仕方ない
コンセルトヘボウの柔らかい音とデッカの優秀な録音もあってあのエキセントリックな音楽も耳に痛くない >>143
聞き専らしい実にフンワリした意見だなぁ… 音楽なんて心で聴くものだよ
屁理屈こいて頭で聴いてんじゃないよ
ま、音楽家、評論家、音楽学者ならともかく もちろんそうです。
でもだから理屈を知らなくていいということにはならない。 ドビュッシーを感動させたというジムノペディを作曲したサティが
後になって音大に入学して基礎から作曲を学びたいと言い出したから
ドビッシーの立場はなかっただろうが
天才とはそういうものかもしれない。理屈じゃない。 無教養な奴ほどそういうこと言いたがるよね
モーツァルトは降ってきたメロディをサラサラ書いただけ的な話にすぐ飛びつくw 実践に首突っ込んではみたもののうだつの上がらん奴は
「聞き専」をディスって発散するくらいしかないらしい
…と5ちゃん見てたら思うようになった せっかくの良スレなのに、聞き専だの何だのやめてください… このスレに触発されて、遊戯を繰り返し聴いています
ブーレーズの解説を片手に
やっと凄さがわかってきたかも チャールズ・アイヴズあたりまでは食らいついてきてほしい 一番の課題は「現代音楽の礎を築いたこれらの作曲家たちはこんなに凄い!」と思えても、その先にある現代音楽そのものを愛することができるか否かでは >無教養な奴ほどそういうこと言いたがるよね
↑
偉そうだな、こいつw いぃぃぃぃぃい感じにギスギスしてまいりました!
これぞ魔法の呪文「聞き専」の偉力! ロック親父が背伸びして手を出した感がすごい
ベートーヴェンなんて大嫌いだろ?
大して知らないくせに 無教養な俺が言うのもなんだが
音・音楽の三要素を分割してみると
メロディ 誰でも
リズム わりと(スティーヴ・ライヒなどの集客からみて)
ハーモニー 3,4つ以上になると雑音に聴こえる
じゃなかろかい 音楽の三要素は伝統的には、メロディー・リズム・ハーモ二―だが
その定義をシェーンベルクは音価・音高・強度(+音色)に置き換えた
本当に無教養だな、お前はもう黙れ
ポスト・ウェーベルンのバビットが12音技法を音高だけでなく新しい音楽の三要素にまで
適用してセリー主義を確立したのは有名な話
その萌芽はシェーンベルクやウェーベルンに見られる 音楽はメロディーだの言ってるようなのがスレタイの曲を脳内でどう聴いてるのかとても不思議だ この50年、スレタイのようないい作品が出ていないのが音楽史的に不安 あいにく12音技法やセリー主義だけが現代音楽じゃないからなぁ もしストラヴィンスキー先生が生きていて会えたとしたら
俺のことを褒めてくれるに違いない。
背が低いからやw 1968年以降の作品群
シンフォニア(ベリオ,1968)、シナファイ(クセナキス,1969)、ルダンの悪魔(ペンデレツキ,1969)、
交響曲第14番(ショスタコーヴィチ,1969)チェロ協奏曲「遥かなる遠い国へ」(デュティユー,1970)、
メロディーエン(リゲティ,1971)、イエスの血は決して私を見捨てたことはない(ブライアーズ,1971)、
音響空間(グリゼイ,1974〜1985)、記憶/侵食(ミュライユ,1975〜1976)、浜辺のアインシュタイン(グラス,1976)、
交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」(グレツキ,1976)、フラトレス(ペルト,1977)、合奏協奏曲第1番(シュニトケ,1977)、
光(シュトックハウゼン,1977〜2003)、秋庭歌一具(武満,1979)、レポン(ブーレーズ,1980)、
朱鷺によせる哀歌(吉松,1980)、…タルテュフからだと、私は思う(リンドベルイ,1981)、光の孤(サーリアホ,1986)、
進むべき道はない、だが進まなければならない…アンドレイ・タルコフスキー(ノーノ,1987)、ディファレント・トレインズ(ライヒ,1988)、
交響曲第4番(ルトスワフスキ,1988〜1992)、3人の叫ぶ教皇(タネジ,1989)、風は泣いている(カンチェリ,1989)、
マッチ売りの少女(ラッヘンマン,1997)、 >>167
あなたが知らないだけでしょ
>>172
どういう基準で挙げてるの分からないけれど、それらは確かに名曲だよな
若干保守的なものが多い気がするし、その作曲家だったらそれじゃないだろって気もするけど 私は無教養なので、教養のある皆さまの書き込みは勉強になります。 >>154
メロディと和声が別々に作曲されると思っているのですか? 先にメロディを書いて後から和声を足すとか、まるで歌謡曲みたいな作曲手順ですね それソプラノ課題って言って別にクラシックでも普通だけど・・・
ポップスは逆にコード決めてからメロディー付けるでしょ、たいてい。 聞き専連呼野郎が登場した途端あっという間に揚げ足を取り合う糞スレと化したな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています