狂気を感じる曲
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「第九」は基地外音楽だ、と野村光一さんが言ってました。 ハンマークラヴィアソナタの終楽章の手前の楽譜の書き方とか、もう尋常ではない
32番ソナタの変奏曲もそう
あんな楽譜の書き方が許されるはずもない あんたが許さなくてもきちんも規則に則った伝わる方法で書かれてるけど マーラー4の第4楽章
キチガイじみてる
キレイに聴こえるソプラノ歌唱も歌詞がキモイ >>95
本当にそう思う?
ハンマークラヴィアの終楽章フーガの手前に置かれたlargoの部分なんだけど、
何故あれを♭1つではじめ、すぐに♭2つに変えて、更に♯5つに変えている
この♭1つと♭2つの部分の調号の書き方はどう考えてもおかしい
最初から♭5つに書かなかったのは何故か説明してよ その他その部分は小節線が無いこと、リズムの書き方、特に右手のタイの使い方など、
どうも視覚的効果を狙ったとしか思えないようなヘンテコな書き方が見られる >>90
月光の第二楽章聴くと
中也の詩の一節を思い出す
夜の中庭で幼児が遊んでる光景 チャイ5のフィナーレ、コーダ
Vnが執拗に上向を繰り返すフレーズ ブラームス作曲、ベートーヴェンの交響曲第10番と言っても良い、あの曲 まだ出て来ないので、書いておこう。
ベートーヴェンの第5交響曲 実際に精神病に罹ってしまった作曲家はいますが、そういう状態に
なってからは「狂気の音楽」は書けなくなっているようで。
狂気になったと言われる人はドニゼッティ―、スメタナ、シューマン、
です。
晩年のヘンデルもおかしくなったとか。 「春の祭典」は狂気の作品ですね。
最初に聞いた人たちは「気血害音楽」だと感じたでしょう。
サン=サーンスが席を立って、演奏会場から退場したのは正解ですよ。
気血害が作ったと感じたからです。 天動説を唱えたガリレオ・ガリレイをキチガイだと思った人たちと同じですね 初恋相手が危篤と聞いて彼女が好きだったメロディをチェロ協奏曲に書き足したり鉄道オタク趣味満喫したり
ドヴォルザーク は健全すぎるな ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第15番がなぜ出ない!? シューマンの
交響曲第2番はよくできているなぁ。
元気もらえる。 第二楽章だっけ、常動曲みたいなスケルツォ。
あれには狂気を感じるな シューマンの第4交響曲の2楽章をレニーのCDで聴いたら、精神病院の中庭にいるみたいな気分になった。 シューマンの交響曲第二番第三楽章はエグいほどに癒される 正常な曲を 「一月一日」 正月の唄です。
年の始めの 例しとて
終わりなき世の めでたさを
松竹(まつたけ)立てて 門ごとに
祝う今日こそ 楽しけれ
初日の光 射しいでて
四方(よも)に輝く 今朝のそら
君がみかげに比(たぐ)えつつ
仰ぎ見るこそ 尊とけれ >>121
2番の歌詞は天皇の御真影(写真)を初日の出の朝日になぞらえて尊く思いながら仰ぎ見るという意味だね
なるほど、狂気に近いラブソングかも試練 シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」を頂点とする一連の無調音楽
十二音技法確立後は狂気を上手く管理した冷徹さを感じる
それはそれで別の狂気なのかもしれないが 特定の曲というわけではなくマルティヌーの曲全般
執拗なシンコペーションへの拘りに狂気を感じる ああ、「狂喜」か。
だったら、悲愴の第三楽章とか、
ベト弦四14番のスケルツォとか
16番もか。
ベト後期のスケルツォ的な楽章は
総じて狂喜を感じる作風が多いな 逆に、ストラヴィンスキーとかバルトークなんかには
狂気を微塵も感じない。誰かあげてるが。 シューベルトの晩年のピアノソナタ3曲、特に20,21番の二曲 バルトークは感じるな
酒みたいに酔わせる
ただマーラーもそうなんだが俺のツボから若干外れてる
まあバルトークはいいよな >>136
あれって犬踊りっていうのか
そういや子犬のワルツに似てるかも ラフマニノフが取り憑かれたように「怒りの日」の主題を作品に入れまくったのは狂気を感じる
何でそこまでこだわったんだろ さ迷えるオランダ人が怖いのは自分だけかな
前の曲が終わったら慌てて停止擂るんだけど
たまに間に合わなくて心像バクバクする チャイコフスキー=遅漏
ブラームス=むっつりすけべ
なイメージ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています