>>796
朝比奈隆の様なスケールの指揮者は二度と現れないだろう。
よく聴いてみるが良い。朝比奈の音楽は稀有壮大だし、滋味溢れるものである。
それは朝比奈の真摯かつ大胆な音楽性の体現であったし、その人となりを示すものであった。
普段は飾らない気さくな人であるが、
たち襟の燕尾姿は美しくあるが、気障ではない。
N響演奏会で渡された薔薇の花束を一輪手折り、胸ポケットに指した姿が素直でカッコよかった。
胸に手を当てて、スタンディングオベーションに応えるマエストロが何と神々しかった事か!
まさに不世出の巨匠。永遠のカリスマ。
それは前世紀の筆頭格の名指揮者の証であった。朝比奈隆のいない大フィルは腰抜けの集団に過ぎず、橋下徹も見くだした筈である。
しかし時は巡り、朝比奈とは全く違うタイプのシャルル・デュトワが来日した。
私は何でも振っていた時代の朝比奈を知る生き証人の一人だが、幻想交響曲を振る朝比奈隆を旧朝日会館で聴いたことがある。
いささか陳腐な幻想ではあったが、怒涛の如く弾ききった関響(現、大フィル)の血相を変えた姿をまだ昨日の様に覚えている。
果たしてデュトワは朝比奈を超えられるのか?
答えは「無理」である。
だが、朝比奈にどれだけ迫る演奏会なるのか、今から胸踊らされているこの頃である。