マーラー 交響曲第7番「夜の歌」 part2
あ
れ
ほ
ど
単
曲
ス
レ
は
立
て
る
な
と
言
っ
て
お
い
た
の
に
馬
鹿
で
す
か
?
マ
ジ
迷
惑 >>3
マラ7に嵌まっているのに、迷惑と言われる方が迷惑だよ。 >>3
運営が「単曲スレOK」と言っているんだからOKに決まっているだろ。 単曲スレでお約束のこのバータレまだ生きてたんだ
マジ迷惑 ♪ ∧,_∧ ♪
( ´・ω・) )) ドンドコドンドンドンタカドンタカ
(( ( つ ヽ、 ♪
〉 とノ )))
(__ノ^(_)
∧_,∧ ♪
(( (・ω・` ) ダーーンドーーンダーーンドーーン
♪ / ⊂ ) )) ♪
((( ヽつ 〈
(_)^ヽ__) >>9
ひろゆき時代に自治スレで
「単発質問スレはNGだが、単曲話題スレはOKにしよう」
で住人が一致。
運営も了承した。
その後管理人は交代したが、この方針を変えるよというアナウンスはない。 来月出るイヴァン・フィッシャー/ブダペスト祝祭管の新譜予約しなきゃ
ヴァンスカ/ミネソタ管の演奏もいずれ出るだろうね
何年先かは分からぬが
フランソワ=グザヴィエ・ロト/ケルン・ギュルツェニッヒ管は
7番まで録音してくれるだろうか
あとはサロネンがフィルハーモニア管かロスフィル振って出してくれんかなあ >>12
フィッシャーはコンセルトヘボウに良く客演してるからそのコンビでやらない?やらないだろうなw >>10
ひろゆき時代?w
その時から過疎も進んでるのにスレを分割する意味を教えてくれ >>14
運営が容認している以上、ねらーが文句言うこともないわけで。 7番を偏愛してる自分としてはこのスレはとても居心地がいい
なくなると正直ちょっと寂しい >>16
お前みたいな屑が保守しなきゃdat落ちするスレなんか立てんなボケ
過疎に拍車をかけてどうする馬鹿チン 誰も聞いちゃいないから
そんな必死に自己紹介しなくてもいいよ 俺のお気に入り七選
クレンペラー/ニュー・フィルハーモニア管(1968)
コンドラシン/レニングラード・フィル(1975)
バーンスタイン/ニューヨーク・フィル(1985)
ハイティンク/コンセルトヘボウ管(1985.12.25,クリスマスマチネ)
ギーレン/ベルリン・フィル(1994.9.21)
ブーレーズ/クリーヴランド管(1994)
リーパー/グラン・カナリア・フィル(1995) >>20
> ブーレーズ/クリーヴランド管(1994)
「暗さ控えめ」みたいな仕上がりになっているな。 シャイーも似たような感じだけどたまに弛緩したようなところある意外と >>16
新潟弁で「おまえら」のことを「ねら」と言う。
豆知識な。 一度だけ実演を聴いた。
あれから30年になるのか。 30年前だと、この曲の上演はかなりレアケースだったのでは。
最近は年2,3回はどこかしらやってるけど。 30年前だと既にインバルフランクフルトのCDが発売されていて
この作品もそれなりに注目されていたと思うが。 >>27
この作品はまた現代、注目されているんだよ。
今月、京都市響が広上と取り上げるのよ。 シェルヘン&ヴィーン国立歌劇場管(1953)は画期的だったんだな
今聴いても名演だと思う ヤンソンス&バイエルン放送響の来日公演とても楽しみにしていたが、返す返すも残念だった >>27
30年前だとインバル/ベルリン放送響(現ドイツ響)が来て、大阪.東京.大宮で演奏したよ。
サントリーホールの公演はLDにもなったけど、DVDに復刻されて無いだな。 40年くらい前だとギーレンが来日してN響を振ってマラ7をやったな。そのとき矢代秋雄が亡くなって追悼で急遽ピアノ協奏曲が追加された。どちらも感動して聴いた思い出がある。 デンマーク放送で上岡敏之&コペンハーゲンフィルのライブ聴いたけど一楽章最後でトランペットが落ちて台無しになって笑った 7番は30年位前に聴いたベルティーニ指揮ケルン放送響が一番印象的だった。
中途半端な指揮活動で味噌を付けた宮本文昭もまだまだフレッシュな頃。 26 名無しの笛の踊り 2019/03/01(金) 10:26:21.60 ID:ogaFV6/I
30年前だと、この曲の上演はかなりレアケースだったのでは。
最近は年2,3回はどこかしらやってるけど。 >>25 です。
プログラムが実家にあるから今は断言
出来ないけど1987年頃だったと思う。
楽友協会ホールでマゼール指揮
ウィーン・フィル。当時は彼らも
マーラーの交響曲全集を録音中じゃ
なかったかな。 >>37
ザルツブルクライブ含めて、ウィーンでのセッションが84年。
全集録音中の初期です。 私は、ベルリンフィルをハイティンクが振った放送音源(youtube)
正確無比で、ユダヤ臭などの粘り気が一切ありません。
音程がピタッと揃っていますが、そんな場合、得てして冷たい演奏に成りがちなのですが、
ハイティンクが振ると、暖かく優しい。
そんな相反する要素が溶け合って見事な純音楽が展開されています。
皆さんも一度聴いてご覧になって感想を頂けませんでしょうか? ハイティンクBPOは、DVDのやつなら名演と思う。
スレチだが復活と3番はもっと凄い。フォーグラーの太鼓が全体をバシッと引き締める。 >>40
ベルリンフィルとのライヴ凄いぜ。
youtubeで聴いて ハイティンクのマラ7はコンサルトヘボウで生で聴いたけど、ほとんど印象に残ってないなぁ。
ベルリンフィルとやったマーラーは1回しか聴いた事がないけど(5番だったかな?) BPOのライヴって以前ケーブルTVでもオンエアされたやつかな。
確かにあれはよかった。BPOをしっかりとコントロールできる指揮者は希少だと感心した記憶がある。 >>43
私はyoutubeでハイティンク、ベルリンフィルの七番を聴きました。
端麗で聴きやすい穏やかなマラ7ですね。
喫茶店で聴いていたので、途中寝てしまいましたが。 最近のおきに
スタイリッシュなヘルマン・シェンヘン(シェルヘンじゃないよ)
室内楽風で個性的、透明感あるペーター・シュタンゲル 今年は高関群馬で7番やるから楽しみだ。
新しいホールならもっとよかったのだが。 >>46
C.P.E.バッハ室内管弦楽団で古典派を演奏してるイメージが強かったがマーラーやワーグナーの演奏も評価高い指揮者だったんだな >>49
オランダ人と指環とパルジファルのdvdやブルーレイナクソスで出ててネルソンズの代役でバイロイト出た
からオペラの人だと思っていた、ヘンヒェン。 京都市交響楽団の演奏会聴いてきた。
技術的にゆとりがあって音楽になってた。 音楽になってた、どころか、5年に一度の名演だったじゃあないか!!
ハーディングに音楽作り(は)似てないか?ニムロッド付きだったからじゃないよ。 >>52
今、京都コンサートホール来ててオランジーナ飲んでるけどよう、オバハンがいっぱいいるじゃねえか!
マラ7はオバハンが聴く音楽じゃねえよ。
しかも、世紀の名演かもしれんのだぞw >>52
自分にとっても克服不能の曲だと思っていたけど
なにこれ名曲じゃないという感じだったな >>55
名演かも知れんが、断じて名曲とは言えない。
広上はやっぱり3楽章まではうっとおしく振ってた。4、5楽章は楽勝の曲だから気楽だったが、この曲はまともに解釈した方が良かったかも。
ハイティンクがベルリンフィル振ったのって単純明快?に曲が料理されていくから聴くのが楽だ。
広上はバンスタの弟子だから、ちょっと最初はユダヤチックに訛ってたが、
マラ7に限ってはスンナリ演奏する方がいい。
アンコールもあったが、ちと疲れたわ。
コンサート後、広上さんはホワイエでまたまた熱弁を奮っておられたが、よほど興奮てたみたい。
京響は世界レベルの演奏をした。 あれだけオケがうまければ一定以上の演奏にはなるな。 >>56
お前にとって名曲かそうでないかはどうでもいい 高関と広上聴いて
もう広上はマーラー振るべきじゃない
スコアの読みの力が違いすぎる >>59
と楽譜も読めない聞き専が偉そうにほざいておりますw マラ7好きなのは、やはりどこか思考回路のオカシイ人だけじゃないだろうか?
私はマラヲタではないが、7番だけ苦手。
克服するため、バーンスタイン、ハイティンク、ショルティなどのを聴き込んで、
「慣れたな」と思って京響定期行ったが、
やはり疲れた。オケの技術が素晴らしいのは分かったけど。 京都の2日目レポ宜しく。10年に一度の名演だったかな。 >>62
>思考回路のオカシイ人
誰もお前に自己紹介なんぞ頼んでない >>64
どう言われようと構わないが、マラ7に感動する人って何処で感動するのか教えてほしい。
前半は混沌としていて解りにくいし、
フィナーレは余りにも深みに欠ける気がするんだ。
トータルして一体何が表現したいのかが理解し難い。そんな聴き方を是とする論評もあるが、
会場では拍手喝采、ブラヴォの嵐。
謙虚に聞きますので、聴きどころ教えてもらえませんか? >>65
謙虚な人間がひとに対して「思考回路がオカシイ」なんて平気で口走るのかね
まあそれはいいとして
俺が個人的に考えるところでは7番という曲は構成としては巨大な室内楽で
内容としては音楽的にきわめて純化された一編のメルヘンだ
前半が混沌としているという見方にはまったく同意できない
冒頭の基本的な動機を次第に発展させて盛り上げる作曲家の手法は複雑ではあるが
それはきわめて精緻でありかつ西洋芸術音楽の形式感にも則っており
決して混沌とはしていない
フィナーレが深みに欠けるとはいったいこの音楽に何を求めているのか
ここまで豪快に吹け上がるロンドが他にあるか
その音楽的運動に身を委ねるだけでも楽しい
そしてこのフィナーレは他4楽章とのつぎはぎでは決してなく
ベートーヴェンの第三交響曲の終楽章が変奏曲であることと同じくらい
音楽的な必然さを伴っていると俺は思っている
そして音楽が輝かしく響けば響くほどその背後の闇はいよいよ深くなるのだ
文学的テクストに還元しやすそうな音楽しか受け付けられないのならご自由に
世間には音楽固有の領域、音楽でなければできないことを求める
俺のような頭のオカシイ人間もちらほらいるのだ >>66
ありがたく拝聴致しました。
わたくしの聴き方が拙かったと反省致します。 >>65
先ず、曲を理解しようとする事を止めましょう。
色んな演奏.解釈を聴き続けて、音楽の無い所(鳴っていない所)で、
自分の頭の中で、フレーズの一つ二つ再生出来る様になったら、自ずと聴き何処は解る。
(人それぞれ、聴き何処は違う。)
演奏者の解釈の違いが解る様になってからだね。
>>66
頭がオカシイ人間のレスではありませんよ。 >>65
>マラ7に感動する人って何処で感動するのか教えてほしい。
寝技だけのプロレスが延々と続いたあとの最終楽章で
卍固めなどの派手な技が出てくる。
これは感動する。
夜の歌 = プロレス >>69
うーん。フィナーレは卍がためほど洗練されているとは思いませんがねえ。 まあマーラーがいちばん真面目にシンフォニーシンフォニーしたのが6番で
その次が1番あたりか
その他の交響曲は伝統的な形式を捨て去ってはいないが何かしら
異形の側面を持っている
興味深いのはマーラーが活躍していたちょうどその同時代に他の作曲家により
ヨーロッパ各地においてきわめて常識的な形式感による交響曲も
多数作曲されておりその中には傾聴に値する作品も多くあるということ
作曲家の生没年表見てみればよく分かるが一見様式的に遠く見える作曲家が
実は意外に近い時代だったりする
ブルックナーが生まれたときベートーヴェンがまだ生きてたことに
気づいたときにはかなり驚いた >>71
私が生まれる一年前にシベリウスが死んだ。
ブルーノ・ワルターは私が生まれてしばらく生きていた。 ほう
当方が生まれたのはショスタコーヴィチの没する3年前
六代目三遊亭圓生の没する7年前ですわ 何だこのスレ
爺ばっかだったのか…
今まで真面目に相手してて損した 真面目に聞きたいんだけど、迫り来る死を前にして、死を受け入れる用意はできてるの? 確かワルターに影響された世代は1960前後の生まれだろう。 >>75
真面目な話し死を受け入れるも何も、死んだら地球を構成する分子に還元されるだけ
自分が死んだことさえ分からないのだからどうでも良い >>78
何もないと思ったら、存外、死後の世界があったりしてw
でも私は「死」を恐れていた時期はありました。私の人生の役三分の二は不幸が実質上襲いかかっていて、クラシック音楽が聴ける一瞬だけに活を得ていました。
家族からの暴力、学校での過度過ぎる虐め、職場での無理などが重層的に絡み合い、余りにも不幸でした。ここで語っても馬鹿にされるかも知れませんので詳しくは述べませんが、
生の苦悩と死の恐怖に慄いていました。
しかし、偶然にも妻を得て、子も授かり、孫までできてからは、幸福に満ち溢れる様に変わりました。
クラシック音楽も活を得るというより、楽しみとして聴ける様になり、
今すぐ「死」が訪れたとしても、自分は結果的には幸福になれたので、満足して死ねます。
世の中は不平等なので、人生が苦しみの連続だと言う方もいらっしゃるでしょうが、
幸いにも私は楽しい時期を持てました。
皆さんは如何でしょうか? 一瞬で死のうが苦しんだ末に死のうが死後は何もないのでどうでもいいです >>79
諦観であるようでいて、執拗なエゴが透けて見える嫌らしいレスですね。貴方は自己に執着しているので、幸福な死を受け入れる準備はできていない、という診断が下されました。 ここにもクラ板名物老人警察さんがいらっしゃったとは 真面目に相手にして損したと言ったそばから真面目に聞きたいってどういうこっちゃ
真面目にバカをやるのが今のトレンドなんですかね