50歳以上のオッサンが語る思い出のコンサート
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一人ひとりに思い出のコンサートあり
鋭敏な耳と繊細な感性で数多の音楽を吸収した経験豊富な50歳以上のオッサン限定のスレです
昭和平成名演駄演なんでも結構
あなたの心に残るコンサートを上げて下さい
なおナウなヤングは御遠慮願います 純度の高い音を出せるからじゃね?
スカルラッティとかも >>280
まったく同意。「幻想即興曲」も素晴らしいね。
初来日が急に決まったのが確か来日の2週間くらい前ではなかっただろうか。
荻窪の新星堂本店にマジックで殴り書きの「ホロヴィッツ初来日!」に異常に
心躍った厨房時代。
もちろん行くことができなかったが、NHKが番組を変更してまで放送した有名な
公演を聴いて、確かに愕然。追い打ちをかけるように吉田秀和が「ひびの入った
骨董品」というインタビュー。的を得ていると思った。もうホロヴィッツは引退だと
思った。それから何年かして、秋葉原の石丸の輸入盤売り場に、ホロヴィッツの
最新録音のレコードが。しかもグラモフォンで目を疑った。
抱えるように持ち帰り、恐る恐る聴いた。素晴らしかった。それからの新譜が
待ち遠しくなった。50オヤジの思い出。すみません。 >>281
自分でピアノ弾くから余計に「純度の高い音」がどうやったら出せるのかともどかしくなる
トロイメライなんて中学生の頃から弾いてる訳だけど、やはりカルメン幻想曲弾けないとトロイメライも満足には弾けないのか 楽器そのものも関係しているのではないだろうか?
例えばホロヴィッツがヤマハのC3で純度の高い音をどれだけ出せるだろうか。 無理でしょ。だから自分用のピアノを持ち歩いていたわけで ホロヴィッツは最後の来日公演のS席が6万円と聞いてビックリした記憶があるけど、
あれって本当だったのかな・・・奥さんのワンダはトスカニーニの娘だっけ 俺はラッキーにも1980年代中ごろにロンドンでホロヴィッツを聴くことが出来た。その時は体調が良かったせいか本当に素晴らしい演奏だった。その時聴いたピアノの音は未だに忘れられない。 >>282
窓を射る
>>288
両方行ったけど
初来日→50,000円
2度目→35,0000円
だったと思う おまけに35,000→35,0000になっている。
頑張れ爺さん。www 1回目のNHKホールの2公演は木・土の午後8時開始
2回目の人見記念講堂は土・土・日の午後4時開始
ホロヴィッツは日曜日の4時あるいは3時半開始がルーティンなので1回目はやはり変
ちなみに1回目の少し前のメトロポリタン公演は午後8時半開始 3時半開始というのはホロがグズってなかなかステージにあがらないことを見こしてるんじゃないか
ということで実質4時開始とみた。どうでもいいけど >>290
バブリーなだったんだな。おとといOEK(オーケストラ・アンサンブル金沢)の1000円の席(スターライト席)で堪能した私としては、昔から縁のない話。 _∧_∧
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ボニゾッリって原田伸郎にチョイ似のテナーが十八番のマンリーコのアリアで物凄いCを披露したのが印象に残ってる
アンコールでもう一度それやって大いに沸いた
他にもギャウロフやフレーニ、バルツァなど当時の名歌手たちも得意の歌で登場 アラ・ソレンコワのリサイタル聴いてみたかったなぁ。2点ハイCどころか3点を軽々と出したという。 フローレンス・フォスター・ジェンキンズのコンサート行きたかったなぁ。大笑いしたかった・・・ >>298
いいなあ
ボニゾッリのマンリーコ聴きたかった。つべで見たけど面白すぎ リハでカラヤンと揉めて剣投げつけて帰ったボニゾッリ 常識的には違うかもしれないけどあれはカラヤンが悪いよ 1995年7月8日朝比奈隆87歳のバースデーコンサートは、マーラーの交響曲第2番「復活」
マーラー史上稀に見る壮絶かつ淡麗なえんそうだった。
ザ・シンフォニーホールに壮麗に響き渡る調べは聴衆を魅了し尽くし、大フィルも素晴らしい演奏で応えた。一聴衆としてホールにいた私も終演後立ち上がれない程の感動に打ちひしがれた。
朝比奈が珍しく満面の笑みを浮かべていたのを昨日のように想い出す。
YouTubeでも映像として残っている。興味のある方はどうぞ。 たん れい [0] 【淡麗】
酒の味や口当たりが、すっきりと滑らかであること。日本酒などで、糖分と酸度が比較的低いものをいう。
「 −甘口」 「 −辛口」 → 濃醇(のうじゆん)
大辞林 第三版 >>306
間違ったをまたがった。すまんこってす。 朝比奈が「すっきりと滑らか」というのは信じ難いのだが 関西土人とチョソは腐れ耳って共通点があるんだよ
経験豊富で耳の肥えたオイチャンたちならもちろん知ってるよね? >>310
関西人や朝鮮半島の人々を叩く神経でよくもクラシックが聴けるね。
朝比奈先生は関東の人だけど、関西に定住して大フィルや関西音楽界に多大なる功績を残して下さった。
関西人はみな「御大」「おっさん」と言って朝比奈先生を尊敬敬愛していた。
弟子の林元植さんは韓国人だったが、朝比奈先生の薫陶を得て韓国クラシック界の父と慕われた。
50代も過ぎた爺さんが「関西土人」とか「ちょん」とか言ってよくクラシック好きと言えたもんだ。 ちなみにマーラーの復活は、他にどのような演奏を聴きましたか? >>311
朝比奈スレで「教育的配慮」で朝比奈批判してるへんなのがいるから
どうせなら相手してやったら? 今から思うと、朝比奈のマーラーは、「滑らか」ってか「流し気味」
だったのかもしれん。
「大地の歌」のレコードを初めて聴いたとき、すこぶるガッカリした記憶が.......... >>315
朝比奈のマーラーは端正で曲のテクスチャーがよく解り、私は愛聴している。 バンスタイスラエルフィルマーラー9番
85年9/8東京公演
大阪公演も凄かったらしい 77年メータ LAPO チャイ5と春祭
呼び屋が倒産 公演中止
すごく良い席持ってたのに。 メータのコンサートのチケットなど買うほうが悪い
知らなかったとは言ってほしくない リアルねちねちしてそう
ねちねちできる相手がいればだが 今年のベルリンフィルの公演はメータ最後の勇姿になるやもしれんから意地でも行くぜ 某ヴァイオリンリサイタルの広告に「排泄に指摘」と誤植(故意か?)されていたの覚えている人・・・
1980年代だったかな ラザレフの初来日の時のキャッチ・コピーが「ロシアのクライバー」だった。
それに釣られて聴きに行ったが、クライバーとは似ても似つかぬ音作り&指揮姿だった。 >>325
なんでクライバーなんか音楽性からも人柄からも分からないけど、大好きな指揮者です。 もしかしてエーリッヒ・クライバーに似ていたのかもw 50以上ならエーリヒのほうが好きという奴は多いはずだ
あるいは先入観の無い若い人も スメターチェクが「チェコのカラヤン」とか、キャッチ・コピー考える人のセンスの無さよ >>324
そういうの昔からいくらでもあったね。
「モーツァルト作曲 ヴァイオリン協奏曲第5番 トルコ風呂」
(ザルツブルク音楽祭チラシ)「楽劇マウリツィオ・ポリーニ・ピアノリサイタル」 >>332
面白いな。そんなのどんどん知ってたら教えて欲しいw >>329
63年前に死んだ人なのに?70歳〜80歳以上なら分かるけど。
昭和末期にNHKFMどっぷり聴いてた時期あるけど、エーリヒの指揮した演奏とかオンエア皆無だったよ
音楽雑記帳のコーナーでエーリヒがどこか外国で第九を初演した時のコミカルなエピソードを紹介した事があって、それで名前を知ったくらい。 祖父さんの遺品にエーリヒのレコードがたくさんあったな
蓄音機でよく聴いてたようだ >>334
父のコレクションにエーリヒのレコードがあり、息子より先に知った
息子が有名になったとき「七光り野郎」と思っていた
そういう奴は多いと思う 七光りかどうか知らぬが、息子が評判になったとき、指揮するにあたって、親父の
レコードとか、各オケが保管してる、親父の書き込みのあるスコアとか参考にしてるって
話題にはなってたな。
クライバーが活躍してから親父の録音も徐々に復刻されだしたんじゃなかったっけな?
自分は、そのあたりで知ったクチ。 フルベン、ワルター、トスカニーニ、クナ、クレンペラーなどなど、ほぼ同時代に活躍した指揮者の中でエーリヒがいちばん多くスタジオ録音を残してるんじゃない?
誰かがエーリヒは大衆音楽家だって言ってたのを覚えてる エーリッヒは第二次大戦前はヨーロッパでも人気があったみたいだけど、戦後は、拠点が南米だからか
ヨーロッパじゃ知る人ぞ知るみたいになってて、ようやくヨーロッパに復帰して本格的に活動再開する矢先に
亡くなったから、流石にレコード会社の専属になってた、ワルターやトスカニーニ程じゃないだろう。
オペラとか、もう少し残せたら、評価も変わっただろうなとは思う。
親父の録音が、もう少し増えてたら、息子のレパートリーも、もう少し増えてたかもしれないと思う
だけでも残念だw 昭和末期に音楽之友社の「名曲名盤500」ってのを読みふけってたけど、その中でエーリヒの演奏がトップ3に入ってる曲って
1曲もなかったように思う。だから自分も全くエーリヒの演奏に興味が湧かなかった。上でも書いたが、そうでなくともFMでは
全くオンエアされなかったから・・・
単に評価が低かったのか、日本版のディスクが流通してなくて(実際は知らない)評価対象じゃなかったのかは分からない。 ところでここは「コンサート」の思い出を語る場なのだけど、
エーリッヒ・クライバーの実演なんてまさか聴いた奴なんていないんだろうから、いい加減スレチだよ >>338
その中ではエーリッヒの録音が圧倒的に少ない >>342
一応、「戦前」の「スタジオ録音?」に限ると、ダントツに多かったらしい..................... >>343
神保町界隈の中古屋に行くと、主にベルリンフィルと録音した序曲やワルツといった小品のSPレコードがたくさんあるね エーリヒのライブ録音集を聴くと、カルロスと実によく似てるんだよね >>340
昭和の名曲ガイドなら
「薔薇の騎士」とか入ってそうな気がするけど >>346
見てみたら「薔薇の騎士」は3位(6点)に入ってた。
54年のモノラル録音なのもあってか、2点が1人、1点が4人という内容。
しかしながら7人の選者中6人がエーリヒの演奏について言及していた。(1人は言及のみで点は入れていない)
“古き良きウィーン”を思わせる演奏らしい。 >>345
クラ板で圧倒的人気を誇りファンが多い宇野先生は、、
「息子のカルロスは未だに父のスコアを用い、ファーザーコンプレックスから
抜け切れていない」と、生前、親父についての中で15年程前に語っている。 >>349
その宇野センセーは、偶々読んだ、カルロスのベト7だったかベト4出た時のレコ芸の盤評で
「どうせ他の人はみんなアポロ的とか言って褒めまくるだろうから、俺くらいは貶さないとイケない........」
みたいなこと書いてて、何だコイツと思った若き日の思い出。 >>351
俺はこのスレでは若手だが、ジジイは話にハマりこんだら延々と続ける。Nスレジジイよりもっと老けてる。 50以上のクラヲタならクライバー親子はセットで捉えるだろう普通 いろいろ足りない人なんでしょうね、その人
気にするだけムタ 宇野さんは4番はムラヴィン、7番はワルターで止まってたな >>355
毒霧噴いてたプロレスラーしか思い出さん がっかりレスの連続だな
他スレでやれや
スレタイは? スレタイ的にクライバーを語るなら、94年のバラは外せない
今思えば、東京文化会館でS席6万5千円は決して高くない 「馬鹿とつきあうな」と馬鹿が言い
「日本を取り戻す」とチョン総理が言い フィガロと言えばショルティがヨーロッパ室内管を振った演奏会形式を聴いたのだが
プログラム見ると庭師が若き日のブリン・ターフェルだ 若い頃感動した演奏会は何十年も経って振り返ってみると今の感性では取るに足らない演奏会だったと思う事が多い。
感動する視点は年を経ると変わって来て当たり前かもな。 確実に耳は衰え、心は鈍麻してるからな。
あと、今みたいにネットで個人が言いたい放題でもなかったから、マスコミや評論家の
書いた忖度込みの「評判」を鵜呑みにしてたのも大きい。 しかしだ、心に残る演奏は確かに昔のほうが多かった
今は全てが濾紙を通り越して滓が残らない演奏ばかり まず必ず上手く弾けという圧迫感が強いからね
味のある巧さとかは評価されにくくなったんだよ >>367
そういう味のある(例えばケンプとか)演奏家は今では余り評価されなくなったのかな? 今どきの「評価」って結局は「声の大きさ」かな?とも思うな、
その中で、万人が「正しい」と思ってることを否定するのは困難極まりない。
「正確な技術」ってのは、それ自体「正しい」から、それを(半ば)否定して「味がある」といったところで、
「正確な技術」=「正しい」の声が大きければ結局かき消されるだけだな。 >>368
ケンプは70年代の来日の首都圏公演はすべて聴いたが、涙が出てきて仕方がないほどの
素晴らしい好調な演奏会がいくつかあったな。ああいう経験はその前にもその後にもない。 これはあまり話したくないことなんだが演奏者の側から言うと
ミスなく完璧に軽やかに中身のない演奏をするほうがいろいろと悩んで考えて弾くよりも遙かに楽なんだよ
こだわりを捨てれば指はサラサラ動くから現代ではそちらのほうを推奨している
でも、そもそも自分は何故音楽をやってきたのかを問えば、そういう曲芸は虚しい
しかしそれが喜ばれるなら仕方のないことだね >>367,370
00年以降ならバドゥラ=スコダかな
意外と薄塩演奏なのが最近亡くなったデムス >>370だが、久々にケンプのプログラムパンフレットを見返した。
俺が魂を奪われたのは70年4月4日。ベートーヴェン生誕200年を記念して、
ケンプ日本で2度目(61年に続いて)のソナタ・協奏曲の全曲連続演奏。75歳。
東京文化会館大ホールを3,4日おきに連日満員にしての公演。高校生でお金がなかったので
ソナタの部の最終回に行った。29番〜32番。Kempffは番号順に弾くのでこうなる。絶好調で
「これがホントのベートーヴェンなんだ!」と心底思ったな。この日の感激以来、山を
やっていた自分の自然観照の眼が深化したのを感じた。不思議な体験だった。Kempffの演奏に
より内面が変化したことが理解できた。こういう芸術家ってあまりいないのではないか?
70年代は2年おきに来日していたケンプ(当時日本の聴衆の人気ナンバーワンピアニストだったから)。
好調だった演奏会:72年 エロイカ変奏曲・4つのバラード(ブラームス)・D840(シューベルト)・
幻想曲(ショパン)/シューベルト:D894・D625・D946/ベートーヴェン:32の変奏曲・ソナタ4番・
バガテルOp33-4, Op126-4/ワルトシュタイン
74年 ベートーヴェン:ソナタ2番・「告別」・27番・32番(この演奏会がベストかも)
76年 ベートーヴェン:ソナタ11番・「テンペスト」・24番・30番(特にテンペスト)/
シューベルト:D894, D625, D845/シューマン:幻想曲・クライスレリアーナ・謝肉祭(クラが絶品だった)
79年は、以前のケンプを知る者にとってはいい演奏会と言えるものがあったが、知らない人には
どうだったかな?84歳という年齢からくるものか、ボロボロと言ってもよい演奏もあり、痛ましかった。
それでも、俺の人生を変えてくれた芸術家の芸であり、俺には何物にも代え難い時間だった。
(長文スマン) 福留「プライベートで何を聴く?」
横村「マーラー〜」
長谷川「モーツァルト!」
福留「ロックフェラー・センターが見えてきた!」
ロックフェラー・センターを横切る。
福留「鉄鋼王と呼ばれるアメリカの(ポーン!)長谷川!」
長谷川「アンドリュー・カーネギー!」(ブー!)
福留「カーネギー・ホール!」
長谷川ペナルティで下がる。
福留「カラヤンの最後の来日公演は何年(ポーン!)」
横村「1987!」(ブー!)
福留「惜しい!1988年!」
横村ペナルティで下がり、長谷川戻る。
福留「小澤征爾の名前の由来となった人は誰と誰?」
長谷川押さず、時間切れ。
福留「板垣征四郎と石原莞爾から」
横村戻る。
福留「バーンスタインの妻であり、チリ出身の(ポーン!)横村!」
横村「フェリシア・モンテアレグレ!」(ブー!)
福留「クラウディオ・アラウ、引っ掛け問題です」
福留のナレーション「ロンドン行きの6名が決定」
勝ち抜け音楽に乗って勝者6名バンザイ3唱、そして横村・・・
横村「帰ります!」
福留「ちゃんと帰れよって、勝った人たちは気楽でいいよね」
横村「ははは」
福留のナレーション「罰ゲーム!」 1986年10月17日
サントリーホール/オープニング・シリーズ
マーラー交響曲第8番「千人の交響曲」
ソプラノ:ルチア・ポップ、豊田喜代美、佐藤しのぶ
アルト:白井光子、伊原直子
テノール:ペーター・ザイフェルト
バリトン:ベルント・ヴァイクル
バス:フランツ・マイヤー
東京芸術大学、NHK児童合唱団
東京都交響楽団
指揮:若杉弘
今まで新宿厚生年金会館、NHKホール、人見記念講堂とか
でしか聴いたことなかったので、全盛期の若杉氏のタクト一閃
パイプオルガンの荘厳な調べに続く混成二部合唱と特大編桶
の奏でる本物の超立体音響に圧倒
まさに墓場まで持って行くメモリアルな公演 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています